◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない116◆
1 :
考える名無しさん:
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない115◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1200664714/ 過去ログ
http://www.emit.jp/ai/ai.html
2 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 23:22:36 0
決定論を否定するために、偶然などを持ち出して批判する事があるけども、このような批判は成立しない。
自由意志とは自己決定権の事であり、自分の意志で結果を決定できるという事である。
自分の意志が及ばない偶然に翻弄されて、結果が決まるとすると、自由意志は否定される。
因果性を否定して、結果が偶然に翻弄されて決まる、とすることを運命論といい、決定論とはいわない。
偶然の介在を認め、偶然性が存在するとすると、「偶然とは自由意志の及ばない要素」という意味であるから、
自由意志は否定されるのである。結果が自由意志とは無関係の要素によって決まるというのだから。
因果性を認める決定論は、不可知と両立し、この限りにおいて相対的に自由意志が認められるのである。
この指摘は数年前に西脇与作の論考で読んだ覚えがあるのだが、参考文献を幾つか挙げていたので、
同様の指摘をしている哲学者は他にもいると思われ、それほど特異な見解でもない。
カントを見れば判るように、純粋哲学と応用哲学(実践哲学)との間で齟齬があってもかまわない。
法哲学などの応用哲学で、刑法上の理由を挙げて自由意志を肯定する意見もあるが、
「法学上の範囲で自由意志の存在が要請される」と規定すればいいだけであり、
純粋哲学上の結論を、応用哲学に持ち込む必要も無く、両者が矛盾していても差し支えない。
従って、法学の要請を持ち出して、純粋哲学を論難しても無効であるし、応用哲学に純哲が翻弄されるいわれも無い。
ましてや、俗流人生論を持ち出して、感情的に反発する行為は言語道断であり、不当な要求は否定される。
決定論を、キリスト教神学の「予定説」と同一視するのも間違いだ。どちらかといえば仏教の縁起論に近い。
決定論を否定すれば縁起も否定され、龍樹も否定されるのである。
そもそも人生論など、哲学の範疇ではないのだ。純粋哲学だけが哲学である。
純哲は事実解明する営為であり、人生などに言及する応用哲学(実践哲学)ではない。
もちろん存在論たる唯物論や機械論、決定論も世俗から離れた存在論的考察であり、
人生や日常生活などに言及するものではないし、援用するのものでもない。
応用哲学たる法哲学や、俗流人生論などを振りかざして感情的反発しても、批判に成らないのである。
3 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 23:25:49 0
因果律が成り立って
決定論が成り立たない
ってありうるの?
5 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 23:42:19 0
もういいよ、そのバカばなしは。
6 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/01/28(月) 23:44:05 0
前スレ
>>865 >機械君はこのスレでの振る舞いは知的障害者キャラだから
>スルーするのが吉かと
>時々流れ込んでくる物理好きもそう扱っている感じ
>機械君はもとから議論する気がないし
>そのまわりで真剣に弁を発したところで
>こっちがバカを見るだけだよ
なるほど。
まともに相手をしている私なんざ、まったくの「ピエロ」か。
8 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/01/29(火) 00:17:45 0
>>865 >ただ機械君のせいで「観念論」という言葉が
>(哲学で通常使われるのとは違う意味で)一人歩きしたのは困ってる
哲学が自己自身を客観的に見ることが出来なくなっ手居る・・・要は「神学化している」
ことについて自覚がない(自覚を持てない)とそのような言説になります。
デリダの「人間中心主義批判」など、ポストモダンでは「形而上学は脳内の観念循環だね」
という観念論者さん達の反省は、現在では息途絶えているのは事実ですね。
というよりそういう「観念論的ああだこうだああかもしれないけどこうかもしれないだろ論」
を大学の哲学科教授達が衒学趣味で継続している間は哲学は「真理は無縁の念仏」に成り下がって
いる状況を打破できないでしょう。
だからこそ「外界」「自然界」「宇宙」をちゃんと説明できる機械的唯物論が「真理」となり、
理論物理学の終焉(ほぼ完成)により「思想史」は終わりを告げる・・のです。
その流れにいくら抵抗しても無駄です。
「その流れ」は「自然科学という強大な世界観」が揺るぎないものになったので、
もはや「真理はすぐ先に見えている」のに「神学的心情」で「何となく反発」することは
もはや「ナンセンスそのもの」なのです。
ハンニバルさんの一連のヒステリックで根拠を示さない(示せない)唯物論批判?は
「観念論という神学の終わり」を象徴しているようで、結構痛々しいと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
根拠を示してるのに、見て見ぬふりしてるだけだけどね。
>9
あんた自分では根拠を示してると思ってるの?なんかヒステリックにわめいてるおばちゃんみたいで論理的にものごとを考える習慣ないでしょ?
唯物論はまちがいだぁ!決定論は間違いだぁ!機械の信仰だぁ!ってわめいてる以外何を言ってる?
隔離の誰かと変わらんなw
まあ、いいや。障害者だし。
決定論には根拠がないから天下無敵の決定論なのだ。
決定論だから決定論を否定することは不可能。
14 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 00:34:14 0
ハンニバルはイメージ戦略で機械に勝てればいいと思ってるだけで、
真理とか論理とかはどうでもいいんだよ。とにかく勝てばいいから手段を選ばない。
この板は自己顕示欲を解消するためのソープランドぐらいにしか感じてないんだよ。
根拠がないから信仰なんだ、にしとけば?
決定論で全宗教全観念論が徒労になることはないし
私の存在性で唯物論が論破されることもないよ。
17 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/01/29(火) 00:39:39 0
>>14 どうでもいいけどさ、なんで名無しで書いてんのw
知的障害者だから?
18 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 00:39:40 0
ハンニバルがある種の脳障害を持っていることについては遺憾だと思う。
でもそれはキルケゴールが「死に至る病」と名付けた観念論:形而上学に蟻地獄
のように陥り続ける病なんだよな。
ハンニバルと機械はここのコテハンの中ではマトモ。
超絶対神も最近は割とマトモ。
ちゅうとラビはちょっとおかしい。
21 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 00:43:11 0
ハンニバルは何の根拠も示したことがないのでマトモとは思えない。
せいぜい言えれば勘違いの評論家。
23 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 00:48:19 0
>>17 そういう無神経な言葉の使い方自体相当以上に頭悪いことの証拠だな。
機械君
哲学の問題は「『正しさ』とは何か」であって「何が正しいのか」ではないんだ
ほとんどの哲学者は自然科学を正しいと考えている
ただ哲学者の関心は自然の領域ではなく
「正しい知識」(とは何ぞや)の方にある
君が言うような「真理」のための権力争いに参加せず
「真理」の具体的内容ではなく
「真理」の条件、定義などの問題と関わる
具体的な真理の内容が欲しいならどこぞの宗教団体の門でも叩くがよろしい
機械的唯物論もそのうちの一つだろう?
26 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/01/29(火) 00:50:23 0
>>16 機械は「決定論が正しいなら、決定論は正しい」ってことしか言ってない、
といのが、一応、このスレの「到達点」らしいよ。
27 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/01/29(火) 00:51:41 0
ごめん。アンカー、間違えた。
>>22 機械は「決定論が正しいなら、決定論は正しい」ってことしか言ってない、
といのが、一応、このスレの「到達点」らしいよ。
28 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 00:53:52 0
>>26 じゃあ「決定論はこれこれの事実とこれこれの事実が矛盾するのでこの点が正しくない」
とかなんとか「論理」てものを言ってみたら?ここは「哲学板」なんだよ?
>>27それは同意。
機械は決定論を前提に話をしてるのか
結論として決定論が正しいと導きたいのか
自分でもわかってないんだろう。
ただ残る関心はラビと機械の決定論同士の対決かな。
ラビのはちょっと自分でもよく理解していない屁理屈がてんこ盛りで頭が混乱してるけど
機械はちゃんと判断してレス返していることが多い。
>>28 ハンニバルは論理的な思考が苦手というより出来ないから、イメージ戦略で敵を
陥れて生き抜いてきた人生を送ったので、そもそも「真理」などには興味ない。
「隆盛に展開してるスレッドを屁理屈とイメージ戦略で潰してやれないかな?」
程度の望みしか持ってない俗物中の俗物だよ。頭悪いし
ラビのアンチがわいてるなw
33 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:08:01 0
前スレ
>>876 :ラビ:
>それは、私の主張ではなく、決定論の主張ですから。
貴方はこのAチャンネルの中でも特に珍しい考え方ですね。
前スレ
>>744 :ラビ:
>貴方が知らないだけで、すべては決まっているということを、
この「すべては決まっているということ」の部分は貴方の主張ではないと言う。
人の主張を自分のものでない第三の主張で批判すると言うおせっかいの人なんですね。
貴方の考えを聞きましょう・・・・確かに私は全てが決まっている事を知りませんが、貴方は「すべては決まっているということ」を知っていますか?
34 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:09:32 0
前スレ
>>892 :ラビ:2008/01/28(月) 15:53:04 0
>不可能とは言い切れないから。
だったらね。
「不可能とは言い切れない」と言い切ることも出来ないんじゃあないの?
「非決定論」を否定する事も出来ないんじゃあないの?
貴方こそ「言い切って」いるんですよ。
不可知なんだから、両論どちらにも加担できないんですよ貴方は。
16と22をどうやって見分けているんだろう?
「不可能とは言い切れない」て見事に曖昧なレトリックだよね。
哲学の議論をしているはずなのにそういうよくわからん表現がラビさんの書き込みには多い。
「不可能である」か「不可能ではない」かどっちかわからんと言えばいいのにね。
これこそラビ主体の認識上の問題だけど。
37 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:12:06 0
前スレ
>>918 :考える名無しさん:
>「科学にかぎらず『わからない』という以外の主張は、仮説か信仰にすぎない」 というのがラビ氏の“思想”だろう?これのどこがおかしいのか、教えてくれ。
貴方もラビさんと同じ考えだと言うなら丁寧にその主張の間違いを教えます。
しかし間違いを指摘しても「それはラビさんの信仰で、私の主張ではない」などとラビさんの様にトンデモな逃げ方をされそうで怖いのです。
38 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/01/29(火) 01:12:15 0
>>28 おまえ、馬鹿だろう。
機械が「決定論が正しいなら決定論が正しい、っていってるわけじゃないんだ!」
ってことを、「論理的に」示す方が先だろうよ。
>>31 >ハンニバルは論理的な思考が苦手というより出来ないから、イメージ戦略で敵を
>陥れて生き抜いてきた人生を送ったので、そもそも「真理」などには興味ない。
>「隆盛に展開してるスレッドを屁理屈とイメージ戦略で潰してやれないかな?」
>程度の望みしか持ってない俗物中の俗物だよ。頭悪いし
この書き込み自体、華麗なるイメージ戦略だねw
ジイサン、
「世界は非決定」を前提とするとおかしなことにならない?
決定していようがいまいが過去に流れていくだけなんだから関係ない気がするんだが。
決定しているかの如く振る舞う非決定というのがあって特定の現象にそれが見出された場合に
かくかくしかじかは決定しているのではないかと言う場合、それは確度の問題で
それに基づいた予想が常に先々の未来まで成り立つ保証は実はどこにもない。
例えば非決定性は非日常性と同じ。
退屈な日常に突飛な出来事が舞い込んできたら非日常。
で、実際科学は通用しない事態に遭遇したときにしか進歩しない。
42 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:20:01 0
決定論と非決定論では全く違った世界観になる。
決定論ならビッグバンから今の宇宙、世界は必然的に一意的に決まっていると言う事。
それに対して確率を認める非決定論なら地球など存在しない宇宙も在りえたと言う宇宙観。
44 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:28:26 0
>>41 :考える名無しさん:
>例えば非決定性は非日常性と同じ。
ぜんぜん違う。
むしろ確率的非決定性こそ日常、貴方が今日ついているかどうかとか、株価がどうなるとか、天気がどうなるとか。
我々は殆ど非決定の事象に囲まれて生きている。
そのため「自由意志」は強い制約を受けている。
「何事も思うようにならないものだ」是が生活実感ではないですか?
37 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:12:06 0
前スレ
>>918 :考える名無しさん:
>「科学にかぎらず『わからない』という以外の主張は、仮説か信仰にすぎない」 というのがラビ氏の“思想”だろう?これのどこがおかしいのか、教えてくれ。
貴方もラビさんと同じ考えだと言うなら丁寧にその主張の間違いを教えます。
しかし間違いを指摘しても「それはラビさんの信仰で、私の主張ではない」などとラビさんの様にトンデモな逃げ方をされそうで怖いのです。
横からすまんが興味があるので丁寧に教えてもらえないか?
>>44 いやそれは違う。
日常性の構成要素は予想外のことが起こらず非日常的な出来事は起こらない。
そうやって散漫になったところへ思いがけない事件が起こるとこれまで日常と
思っていた生活が一変する。
47 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:37:03 0
>>43 >決定論と非決定論は区別つかないの。
明らかに間違い。
サイコロの目が1〜6以外には在り得ない事は絶対に決定している。
しかしその中のどの目が次に出るかは非決定。
世界は決定しているものと非決定なものとの混合である。
両者の峻別はそれこそ決定的に重要。
48 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 01:44:52 0
>>45 :考える名無しさん:
答えは簡単なんですよ。
一寸考えてください、純粋な不可知論者が居たとします。
その人は其の瞬間から「生きて」ゆけないはずです。
不可知なのでまず自分の認識を信じる事が出来ない。
信号も渡れない、息を吸うのにも呼吸法も信じられないので深呼吸も過呼吸も其の中間も出来ない。
すぐ死んじゃう。
人間は信仰や錯覚や思い込み独断、偏見で生きている。
それは生きていくうえで不可欠なものだから。
>>48 それも間違い。
ここで何度か書いたけど赤ん坊は生きていけないて事実はないんだからさ。
50 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 01:50:14 0
>>47 サイコロがとまる一瞬前にはもう出目は決まってるよな、
さらに一瞬前、一瞬前と遡行していけばどうなる?
>>48 ワロタw
だからこそ「決定論が正しいと言うのは信仰だ」っていってるんじゃないの
>>48 それとハイパーベンチレーション起こす癇癪持ちはたまにいるけどあれは呼吸法を
信じてないから起こる症状じゃないんでそれも間違い。
これも既に書いたけど誰かの手が上手く動かなくなったからと言ってその手の動かし方
を説明してあげて動くようになるということはない。人間は基本的に何でも頭で考えて
思い通りに体を制御しているわけじゃないてこと。
52 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 01:54:48 0
【3:99】■ ニートって昼間何してんの?
53 :
ラビ:2008/01/29(火) 01:58:52 0
>>42 確率は決定論の世界でも存在します。
確率は事象そのものではなく、人間の認識上に存在するものです。
同じ事象でも主体の情報処理の仕方によって確率は変わるものです。
54 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/29(火) 02:00:50 0
>>49 :考える名無しさん
>赤ん坊は生きていけないて事実はないんだからさ。
ええ〜〜びっくり。
赤ん坊は不可知論者じゃあないでしょう、貴方はそう思うわけ?
55 :
ラビ:2008/01/29(火) 02:01:08 0
>>47 >しかしその中のどの目が次に出るかは非決定。
それは認識する主体に依存します。
貴方にとって非決定に見えることは正しくても、
それが他者に対してまで成立すると考えるのは妄想に過ぎません。
他者の中にラプラスの悪魔を想定するのもラビの中の話にすぎません
57 :
ラビ:2008/01/29(火) 02:08:31 0
>>56 想定していませんが。勘違いするのもいい加減にしてくださいね。
58 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 02:10:22 0
【3:99】■ ニートって昼間何してんの?
ラプラスの悪魔以外の誰が次にサイコロを振った時に出る目が分かると言うのだろう
人間である限り、誰にも分からないだろう
さて、ラビ君は分かると言ってるようだ
>>54 純粋な不可知論者てのは赤ん坊しかいない。
純粋なんだからさ。
言語的手段によるコミュニケーションもなく経験や知識もない赤ん坊がそれに該当するわけだ。
そこを押さえておかないと形而上的な観念論になるよ。
逆にじいさんの言う不可知論者というのは誰のことを指しているの?
61 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 02:18:42 0
不可知論ていうのは普通、カントみたいに物自体の実在性に関する不可知論だろ。
じいさんが言ってるのは、不可知論て言うより、懐疑論だな。
62 :
ラビ:2008/01/29(火) 02:22:23 0
>>59 それは振る条件によるのではないでしょうか。
高さ1cmのところから1m角のサイコロを落とす場合は予測はかなり簡単だと思います。
もっとも、サイコロを振って決まるまで未来が存在するというのも信仰ですし、
非決定論的に考えるなら、そこからサイコロが上下逆になったり、
消えてしまったりなんでもありなのですが、どういうわけか非決定を主張する人は、
その非決定が根拠もなくミクロに限定されると考えているようです。
突然地球が逆に回るようなマクロで起こってもいいと思います。
63 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 02:40:36 0
>>47>>48 >世界は決定しているものと非決定なものとの混合である。
これが人間からみた世界だろうね。
>人間は信仰や錯覚や思い込み独断、偏見で生きている。
そのとおりだね。
ただし、「世界は非決定だ」とする証拠ってのはありえないね。
「決定されている(または、されていた)が知らなかっただけだ」
というのは否定しえないから。
なぜ条件をつけなければ予測できないのでしょうか?
その時点で、人間の予測能力に限界がありそうです
非決定が意味するところは「未来が一意に決まってない」ということです
映画「アーマゲドン」のように、隕石が地球に衝突することが予測されたとしても
それが確定しているわけではない
これが「決定してない」ということの内容です
明日、太陽が西から昇るかもしれない
ええ、そのとおりです
明日のことは確定してないのですから
ま、東から昇るでしょう
西から昇ると考える理由はもっとないのですから
65 :
ラビ:2008/01/29(火) 02:49:56 0
>>64 予測が外れるということなら、
決定論の世界の中にある非決定的に見える現象でも同じですね。
知らないというなら間違いではないでしょうが、決定していないとするのは飛躍です。
>>64 そもそも人間の予測能力に限界があるのは当たり前。
「隕石が地球に衝突することが予測された」
なにが予測されようが決定論とは直接関係はない
何が予測されどのように覆されても
「決定されてはいなかった」とする根拠にはならない
>>63 「世界は非決定だ」とする証拠は未来でしょうな。
人間の認識は過去と未来に対して全く違った見方をする傾向にある。
過去は決定論的に見えるし説明できそうに思える。
未来は非決定論的に見えるし予測できなさそうに思える。
そういう意味では主体の認識上の問題と言っても差し支えないわけだ。
残念なことだけど人間てのは現在進行中の時点から見た過去と未来で一貫した
認識がしにくい。だから超越論的な主体なんてのを設定して世界と主体を区別した
視点で見る以外なくなる。
というのは過去にも未来にも実は主体なんてのは存在し得ないから。
じいさんのはほぼ妄想だと思われ。
確率の収束話を提示してあげたけど料理は下手だ。
人間は偶然を知り得ないという結論に達してしまったらしい。極めて非論理的。
予測と切り離された決定論は霊魂と同じくらいオカルティック
霊魂の存在しないことを証明できないように
予測と切り離された決定論はそれが間違っていることを証明できない
証明責任は決定論にある
>>68 あなたはラビさんの「不可知」思想についてはどうおもいますか?
予測と決定に関しては予測時点が経過した後に評価するしかないので結果論。
決定論の根拠は実はその結果論の積み重ねでそれ自体は極めて合理的な推論。
ただ未来に対して未決定だと考えを決定論から否定することは困難だし不可能だと思う。
決定論的には皮肉な話だが「時間が解決してくれる」と言えば否定できるんだがそれは
前述の通り結果論なので決定論と混同すると厄介な詭弁になる。
この手の着想から思考実験を考案すればおもしろい。
なんだ、けっきょく「不可知」で落ち着いちゃうの?
>>70 物自体の不可知論なら同意する。
究極的に不可知に到達するしかないから。
ただいろんな文脈でそれぞれの可知/不可知が書いてあるからここでは前提が
書かれてないと決定論的不可知論を指すべきだと思っている。
決定しているがそれを人間が認識し得ないという意味での不可知論もラビさんは
主張している。彼の不可知論も多種多様なんでどの不可知論か書いてくれないと
コンテキストから判断せざるを得ない。
「決定しているか否か知ることは不可」
「決定していても、どう決定しているか知ることは不可」
この2つか。
75 :
ラビ:2008/01/29(火) 03:23:32 0
>>73 私は決定しているなんて主張していません。
決定論の立場では「決定している」というだけです。
君のその書き込みはすでに4000年前に決定している!
77 :
74:2008/01/29(火) 03:28:23 0
>>75 「決定しているか否か知ることは不可」
「仮に決定していても、どう決定しているか知ることは不可」
「決定していない、とする証拠はありえない」
こういう意味?
78 :
ラビ:2008/01/29(火) 03:33:33 0
>>77 >「決定しているか否か知ることは不可」
知りません。将来は知ることが可能かもしれません。
>「仮に決定していても、どう決定しているか知ることは不可」
知りません。将来は知ることが可能かもしれません。
79 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 03:43:33 0
無職道
>>78 「将来は」というのが、なんか、おもしろかった。
ハイデガーとかニーチェなら「ソクラテス以前なら」とかなるところかも知れない。
死刑囚の刑の執行は決定している。
そして死刑囚自身もそのことを予測している。
/ ..::::.. lヽ. l::::. ヽ
// U ::::::イ:::: :l ヽ:: l::::::. ノi ヽ
/ / ::/ ::::/ |::::: l斗≠ヽ|\::::..{_}. ' ,
/ /::: ::/ |:::/ |:::::: :l 斗千´ ヽ::::: ...:::::i
/:::: :::::/l/ |/ __ lヽ :::::l ´/ ○ }:::::::: ...:::::::::::l
./ ::: ::::::l 斗升 ヽ ',::::l 弋 ノ }::::: :: .::::::::::::::l
i :::/|:: ::::::::}.´/ ○ } ゝノ `ー ´ ,イ:::::: ::: ..::::::::::::::::l
l::/ l:: ::::::/ 弋__.ノ .|:::::: : : :::: ::::::::::ヽ::::l
|' l:::::::/ ,, U:::::: : : : ::::∧ソヾ ヽ}
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', ::::::| //:::ヽ\/ /|::/
ヽ::::| / \A:::/ / |∧
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/⌒丶、 はあ… 何言ってんのか |
/...-┬‐ 、_) / ⌒丶、
‐'´‐┴‐‐- ちっとも わかんないや… (_ イ⌒\
ー‐―─-イ /  ̄ ̄_
恩赦というものははなから存在しない
84 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 05:34:36 0
ふとおもったんだが、
極度に他人に尽くす人物がいたとする。
わが身を犠牲をしてでも他者に奉仕している。
しかし、実はそれは自己の欲求として幸福感が得られるのでしているだけであったとしても
それは善だと言えるのだろうか?
同じ理由で
・困っている人+人助けが生きがいな人
よりも
・困っている人+他者に極めて関心が薄いがたまたま人助けした人
のほうが善の純度が高いのではないかと思ったがどうか
欲求追求を善と考えない限り、善とは言えない
もっとも極度な自己犠牲宗教的行為で非倫理的
86 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 07:22:37 0
なるほど
87 :
ちゅう:2008/01/29(火) 08:40:07 0
>>25 >哲学の問題は「『正しさ』とは何か」であって「何が正しいのか」ではないんだ
そうですね。
昔から「真・善・美」が哲学の対象だったでしょう。
その「真」は数学・論理学に基づく個別科学の対象でその哲学は科学哲学でしょう。
「善」は倫理学・宗教学の対象でその哲学は宗教哲学などでしょう。
「美」は技術・芸術だけどいまは美学と言うのは死語みたいになったね。
哲学が形而上学であることは現在も変わらない。
スレタイ
脳は物質 → 意識は必然
意味わからんw
89 :
偽・エルロイ:2008/01/29(火) 08:57:25 0
>>53 ラビさん
「確率は事象そのものではなく、人間の認識上に存在する」には同意します。
では、因果律はどうですか。前スレの質問ですが、答をもらっていないので。
事象は因果律にしたがっているのか。それとも、これもまたヒトの認識上に
存在するものなのか。
90 :
ちゅう:2008/01/29(火) 09:29:59 0
>>73 >物自体の不可知論なら同意する。
「物自体が存在しない」という考え方には同意しないの?
知覚できる以前にそのもの自体は存在しない、現象だけがあるという
立場も有るだろう。
91 :
ちゅう:2008/01/29(火) 09:31:48 0
92 :
ちゅう:2008/01/29(火) 09:49:25 0
>>88 >意味わからんw
>>1の以下の部分の要約だろうと思われる。
「人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。」
物理的なこの現実世界が決定論的世界で自然(物理)法則で決定されている
なら意識もとうぜん脳内の物理化学現象だから決定論的必然であり自由
では無い、ということでしょう。
これは単なる論理飛躍で科学的な論理では無いでしょう。
功利主義に従えば「偽善」は有り得ないよな。
「誤善」ならあるかもしれんが。
94 :
ラビ:2008/01/29(火) 12:35:55 0
>>89 ”因果律”という概念は人間の認識の上にあると思われますが、
それが示すものは、自然界の事象とそれに対応する原因の関係性と思います。
”石”という概念は人間の認識の上にありますが、
石が示すものは、個人の認識上にあるのではなく、
自然界にあるだろう(実際に存在するかどうかは別ですし、
あるとするのは信仰ですが)とされるのと同じです。
95 :
ラビ:2008/01/29(火) 12:37:36 0
>>90 それは「物」が存在しないのではなく、「物」は現象であるというだけだと思います。
96 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 12:53:23 0
確率という概念は人間の認識の上にあるが
確率という現象は自然界に対応する原因があります。
97 :
ちゅう:2008/01/29(火) 12:58:12 0
98 :
ラビ:2008/01/29(火) 13:12:49 0
99 :
ラビ:2008/01/29(火) 13:16:53 0
>>96 確率は現象ではありません。現象を把握する手段です。
決定論の立場では、確率も、確率で把握する事象も、決定論の世界で成立します。
100 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 14:20:10 O
>>94 色と形と重さも自然界の属性なのか認識のか?
>>99 その通り。
収束を現象と捉えることはできても
102 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 14:43:35 0
>>99 確率が手段ならば数も図形も手段だ。
もし手段と現象が別のものであると主張するなら観念論だ。
103 :
ちゅう:2008/01/29(火) 15:56:19 0
決定論的世界観が観念論であるのは言うまでも無いことでしょう。
104 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:13:27 0
無から有が生まれる方法を思いついたぞ!
105 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:14:01 0
思いつきでものをいうな。
106 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:14:59 0
ちゅうさん あんた茶々入れてないで
>>98にレスしたまえ。
無責任なからみはうんざりだ。
知ったか大将=ちゅう
108 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:20:43 0
無から有を生むのは案外簡単だった。
109 :
ちゅう:2008/01/29(火) 16:27:07 0
>>106 知りたかったら自分で調べればぁ。
カントの「純粋理性批判」を読むことを勧める。
110 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:38:00 0
>>109 純粋理性批判は手元にある。
きみはその第何節を念頭に述べているのか?
111 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:39:37 0
無から有を生む方法
例1
今いる部屋の床から高さ1メートルのところで床と平行に腕を振ってください。
その腕を振っている部分が二次元の世界だとします。実際はそのあたりには空気中のいろんな
物質がありますが、それは無視してください。その二次元には何もありません。
その二次元空間を左手の人差し指でぶすっと貫いてください。二次元空間に突如としてものが生まれました。
三次元においても、無から突如として原子レベルの物質が生まれることは確認されています。
何が言いたいかというと、私たちの決定論は三次元を対象として行っているような気がするのですが、この宇宙空間で多次元からの干渉が無いとは
言い切れません(上に示した例もありますし)。この世界が何次元かはわかりませんが、そういったすべての次元のことを考えて決定論の議論をしないと無駄なような気がするのです。
でも私たちに四次元の知識は無いし、五次元の知識もありません。だから決定論の議論は無駄なんじゃないかと思うんです。
え、まだわかりませんか?つまりさっきの二次元の世界では非決定論者は無から有が生まれたというのは明らかにこの世にランダムがある証拠だと言うでしょう。
でも決定論者は、「いや、これは多次元からの干渉に違いない!」と言うかもしれません。ということです。
112 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 17:03:56 0
>>111 >三次元においても、無から突如として原子レベルの物質が生まれることは確認されています。
1)これって無条件に生まれる訳じゃないだろ。
2)条件付きで素粒子が出現することもあるが 原子レベルで生まれるなどナンセンス。
113 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 18:22:23 0
三次元空間で無からものを生むには、時間軸をつらぬけばいいのか?
114 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 20:33:14 0
未来に適用できない因果律に意味はない。
また、適用が制限される因果律にも意味はない。
115 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 20:41:01 0
>>111 感想 やれやれ これでも何かがわかってるつもりなんだ
116 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 20:43:04 0
>>114 だから決定論というのは馬鹿だよ
かいてるやついがいはほとんどわかる
別に非決定論は、未来は混沌むちゃくちゃであるとはいってないんだ
117 :
ネオマトリクス:2008/01/29(火) 21:01:22 0
やはり『自由意志で自由意志自体を増やす』が諦めきれないので
英知ある皆様にお伺いします。
存在する全ての物事について重要なのは『変化』だと思うのですが
それについて物理的な基本の四つの力だけではなく
自由意志が作用できれば人類にとって極めて良い事だと思うんですが・・・
仮に自由意志があった場合、人間の意識的なあらゆる行動の基本は
自由意志なので、その自由意志さえ増やせれば
例えば今は五感を自由にできなくても
増やした自由意志で五感を自由にしたり、
血液の流れや心臓の動きや筋肉のもっと細かい部分まで自由意思で動かせれば
革命的な事だと思うんです。
理論的には人間に僅かでも自由意志があれば、それで増やせると思うんですが
皆さんはどう思います?歴史上の科学者・哲学者で自由意志を増やそうと
した人はいますか?
118 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:16:23 0
よくわからんが自由意志が増やせようと減らせようと
決定論とは何の関係もないよ
119 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:27:48 0
意識と感覚の拡大のことを言ってるのか?
ヨガでもやってみれ
120 :
ちゅう:2008/01/29(火) 21:30:26 0
>>117 なんか自由意志ってなんでもできることだと勘違いして無いか?
自由意志は出来る複数の可能性の中から自由に選択できることを言うんだよ。
可能性の無いことが出来るわけではない。
121 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:32:41 0
だから出来る複数の可能性を増やそうってんだろ?
122 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:35:23 0
ちゅう君どうしてトリップやめたの?
123 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/29(火) 21:38:57 0
124 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:44:39 0
OK。
125 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:45:11 O
出来る複数の可能性を増やす可能性がありますか?
126 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:50:00 0
「可能性」を数えるのか?ひとつふたつと。
127 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 21:57:01 0
したいことあっての可能性だろ
可能性だけ数えてなんになるよw
>>122 トリップないと鬱陶しい。
せっかく透明あぼ〜ん設定してたのに
117
子供つくれ
一対の夫婦で三人以上の子を産め
産んだ子が無能なら意志など無きに等しい
他人の意見や本に書いてあることや既存の科学理論を鵜呑みにしているだけではダメ
だから教育しろ、もしくは教育機関を充実させろ
大学の講師になって学生に教えるという方法もある
ま、世の学生の無学、無関心っぷりに自分の心を患う方が早いだろうがな
130 :
ネオマトリクス:2008/01/29(火) 22:03:52 0
目指してるのは
>>121です。
話題からそれて恐縮ですが、人類は道具で道具を作って
その道具でまた道具を作って(ryと進歩したので
これを自由意志に当てはめて、
自由意志で自由意志を増やしてそれで
増えた自由意志でまた増やして(ry
となれば人類が文明を持ったのと同じような革命的な事になると思うんです。
仮に自由意志があるなら、それは脳に作用してるので
自由意志を解明できればその作用する対象を(自由意志で)増やし
人間の自由になる物理現象が増えると思うんです。
131 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 22:06:19 0
「人間の自由になる物理現象が増える」
それ、自由意志が増えるとか減るとか言わないよ、普通。
132 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 22:06:27 0
じゃあ、それは君にまかせた。
好きにやってくれ。
133 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 22:46:29 0
なんかひまそうだと思ってたらやはりレスが途切れた
134 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 22:47:55 0
第2唯物論も一通り書いたしこのスレシリーズそろそろ終わりかな
135 :
モル:2008/01/29(火) 23:26:06 0
これ以上何を話すんだ?発展の余地があるのか?
今のところ議題の焦点は「物質の運動にランダム性があるか」だろ?
んで、そんなことはわからない、というのが一応の結論のわけだ。理解してない奴は別にして。
ラビもハンニバルもネズミも新しい可能性を提示するわけでもない、実につまらん連中だ。
ところで、俺たちがこんなに決定論の是非の議論に時間を費やすのは、それが自由意思の有無に直結する話だからだ。
仮に物質の動きにランダム性があったとして、それで自由意思があるってことはどういうことなんだ?
俺達の自由意志とやらはその物質がランダムに決めることをいうのか?それを意志と言うのか?
136 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:36:53 0
137 :
モル:2008/01/29(火) 23:42:39 0
せっかく暇人どもに新しい議題を提出してやったのに。
自由意思があるとはどういうことか、という問題についても話しつくされたことだったか?
必然であれば自由じゃない。
偶然であれば意志じゃない。
139 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:46:53 0
決定論のカタがついたのなら
次の話題は「意識は必然に過ぎない」だろ。
>>137 定期的に新しい議題やら命題を提出して遊んでる。
決定論周辺の問題は幅広いけど量子力学とか自由意志ぐらいしか思い付かん人が多すぎ。
>>138 意志は予測の上に成り立っているんで決定的に働く。
決定性を主体に向かせる行為じゃ。
142 :
モル:2008/01/29(火) 23:51:37 0
>>139 決定論が正しいから自由意思は無い、というのが
>>1の言ってることだろ。
決定論なしでどうやって意識が必然だと言い張るんだ?
だからさ、自由意志があるかないかなんて問題に何の意味があるのよ。
144 :
モル:2008/01/29(火) 23:58:40 0
>>140 お、じゃあ新しい議題を提出してみてくれ
145 :
モル:2008/01/30(水) 00:01:51 0
>>143 何の意味があるんだろうなw
何か意味のある問題なんてあったのか?
私の意志が必然であれば私の意志は自由ではない。
148 :
ネオマトリクス:2008/01/30(水) 00:06:50 0
新しい議題を上げます。
仮に自由意志があれば、やはりテクノロジーのように応用化するのが
人間にとって一番都合がいいのではないでしょうか?
仮に物質に意思が(感情が)直接影響できるなら
それはテクノロジー化した場合非常に良い事だと思うんですが・・・
なんていうか、今までは
自由意志→脳→手足→外部の物理現象だったのが
自由意志→外部の物理現象となって、
人間が好き勝手に出来る部分が増えに増えて
非常にいいと思うんですよ。
物質が物理の根源的な四つの力だけでなく、人間の自由意志にも作用され
動いてるとしたら、自由意志を増やせば宇宙は人間のものになると思うんです。
不老不死とかの歴代の偉人の夢も全て可能だと思います。
149 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/01/30(水) 00:13:03 0
自由な市民による自由な意志決定で社会が突序を保ちつつ運営されていることが最善である
・・・・という「近代(社会)思想」にはなんの不具合も感じるわけではありません。
私だって「一歩家を出たら強盗に身ぐるみ剥がれるかもしれないし殺されても不思議はない」
「強盗を取り締まる社会システムがない強盗はやったモンがち」のような社会に暮らしたいとは
思いません。
従って「社会契約論」を何度も持ち出して「万人の万人に対する闘争」・・要は出くわした他人は
暴力で制圧して金品を奪うこと・・が「結局はその被害者にも加害者にも『益』にならない」と
考えた思想家ジャンジャックルソーが編み出した『社会契約論』で社会を運営していくことに賛成なのです。
それらの「システム」が現代の「司法行政立法三権分立システム」でそれなりに機能していることは評価しております。
警察官の鈍感さや汗臭さは誰でも好きではありませんけれど、「さらに酷いならず者ややくざ」が社会を闊歩するのも
「いや」だと思ういますので、「社会契約論」に基づいて自分の「自然(人)権」の一部を放棄してまで「この社会の秩序」
を守りたいとは考えております。
的外れだったらスルーしてくれ
>>148 簡単に言うと脳で考えるだけで物を動かしたりする事か?
使えるようになったとしても遠くの物をどうにかする程度しか出来ないと思う
人間の脳が一度に複数の事を考えられるなら使えるだろうけど
それとその技術が出来たら戦争が酷い事になるだろうな
ガンダムのファンネル、ドラグーンみたいな兵器が作れる
私も私にだけ無条件の自由が認められるべきと考えております。
152 :
モル:2008/01/30(水) 00:24:07 0
153 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 00:24:08 0
>>50 :考える名無しさん:
>さらに一瞬前、一瞬前と遡行していけばどうなる?
そんな事は実験して確かめるしかない。
サイコロをある程度転がるように振れば確率は確定し、それ以上転がしても同じ事である。
ではどの程度振れば十分かは状況で決まるだろう。
その辺の原因(根拠)は不明でしょう。
何しろ「何故サイコロの出目が確率になるか」自体も上手く説明されていないからだ。
154 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 00:25:16 0
>>51 :考える名無しさん:
全く判ってないですね。
純粋な不可知論者の例え話なんですよ?
「手を動かす」と言ったって其の手が自分の物かどうかは不可知でしょう。
動いているかどうかも不可知でしょう。
だったら動かせないでしょう。
違いますか?
自分の手だと信じ運動の感覚、認識を直感的に信じることが出来るから手を上手く動かせるのでしょう。
必然だけど自由があるんだよ。 詳しくはいえないが。
156 :
ネオマトリクス:2008/01/30(水) 00:35:43 0
>>150 >簡単に言うと脳で考えるだけで物を動かしたりする事か?
全くその通りです。空想的な話かもしれませんが
仮に自由意志があるなら、その作用する対象が脳でなくても
いい筈じゃないですかね?
人間が手足しか動かせないのは物理的に見た場合で、
自由意志が脳に作用してるならば仮に自由意志が増やせれば
手足以外も自由に動かせると思います。
>人間の脳が一度に複数の事を考えられるなら使えるだろうけど
それは、人類が道具で道具を作ったのと同様に
まずは自由意志で自由意志自体を増やしそれを繰り返せば
テクノロジーの進歩のように可能な事が増えると思うんです。
なので、最初の、その『自由意志で自由意志自体を増やす』さえできれば
後はネズミ算式に増えると思うので、なんとかそれを
研究しませんか?と議題を挙げています。
私的には、歩き方とかは筋肉の動きで説明できても
いざ他人にそのやり方を教えるのは難しいのと同様に、
自由意志は客観的に記述するのではなく
主観的に感じる事だと思うので、個人個人が試すのがとりあえず
実験かと思いました。
最初の『自由意志で自由意志自体を増やす』さえできれば
人間が道具で道具を増やしたのと同様だと思うので。
158 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 00:38:53 0
自由意志が物質に影響を与える事は少なくとも唯物論では出来ません。
唯物論では意思(精神)は物質そのものではなく「物質に規定されたもの」らしいです。
それなら規定されたものが規定するものに影響与える事は論理的にできない。
>>158 唯物論は物質の相互作用だから人間が物質に作用できるのなら何ら問題はない。
自由意志は設計された実装機能なんだから。
160 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 00:50:52 0
じいさんはどうして唯物論を目の敵にするの?
観念論者だから?
唯物論でも観念論でもものの見方でしかないのにどっちが正しいなんて結論でないよ。
人間は神様じゃないんだからさ。
161 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 00:59:33 0
>>145 少なくとも、エイズの治療法とか、地球温暖化の問題とかには、
(問題それ自体への興味意外の)意味があるんじゃね?
162 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 01:03:39 0
>>159 :考える名無しさん:
>唯物論は物質の相互作用だから
そのとおり。
そこで私の例示は、少なくとも唯物論では自由意志とは物質そのものではないと区別していると言う事。
>自由意志は設計された実装機能なんだから。
其の通り。
そこで、聞きたい「機能」は物質ですか?
>>162 唯物論では意志を含めた精神活動は物理現象ですよ。
164 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 01:18:16 0
163 :考える名無しさん:
>精神活動は物理現象ですよ。
だから物質そのものと物質現象を分けているでしょう?
心と心が物理的に作用したらそれは
>>156 :ネオマトリクス:の様にオカルト。
>>162 その前に手足の動かし方を説明できるかどうかをよく考えてみることだ。
それは唯物論でも観念論でも説明ができない。
基本的に人間は自身の当たり前だと思っていることは説明できない。
このとき説明できたというのは説明することによって実際に手足を動かし得たという事実が根拠になる。
166 :
モル:2008/01/30(水) 01:34:06 0
というか、物質自体が物理現象そのものなんだよね
>>164 唯物論では、物質そのものも物理現象ですが。
168 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 01:49:51 0
169 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 02:30:14 0
>>165 :考える名無しさん:
趣旨がわからないんですが?
>それは唯物論でも観念論でも説明ができない。
はいおっしゃるとおりだと思います。
実際は手足が動いてから、動かしたと言う意識が生まれます。
何故動いた(動かした)かと言う後付の言い訳が「自由意志」の表現です。
170 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 02:38:10 0
>>168 相変わらず馬鹿だなw
それは、
バッターのスイングが物質かどうか?
と、問うているようなもんだw
このスレの人間は、ここの所になぜ気付かない?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
171 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 02:41:03 0
それから、
時間的推移、変化、等を無視して、
切り取った一枚の写真で全てを把握しようという態度が
混乱の始まりだということにも、いいかげん気付くべきだろw >>ALL
>>169 じいさんじゃやっぱり理解できんか。
まあ、いいわ。
確率の収束とか役に立ったろ。
世の中の考え方てのはみ〜んな一長一短あるんだわ。
相対主義者はそれらを理解しているだけで十分満足。
そしてその限界なんてのはカントあたりから哲学者には見えてたから
だ〜れも正しさなんて求めてないてのが本音。
過去と未来に対する認識の誤差と人間の認識の傾向っちゅうのは予測と記録と照合
ちゅう機能に依存してんだわ。大脳発達させると見えないものまで見ちゃう動物が
誕生しちゃうんだね。おっそろし〜
そこんところも脳実験の話が出たときにちゃ〜んと理解してる人とそうじゃない人で
全く見解が異なっておもしろいんだよ。
そいから説明不可能っちゅうのはありがちな言語の限界じゃ〜ないんで悪しからず。
仏教の人がよく言う無常とかで人は一瞬過去を見てるてのは正確じゃ〜ない。一瞬でも
先の予測を見てるてのが実は正しいんだわ。
現実主義の哲学で極めて厳密に出来上がってるはずなんちゃっても所詮は作り話っちゅうこっちゃね。
173 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 02:45:03 0
>170 :考える名無しさん:
ではバッターのスイングは何ですか?
174 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 02:47:29 0
>>173 こういう時の為の「事象」という言葉なんじゃないかい?w
175 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 02:49:00 0
>>172 :考える名無しさん:
意味不明です。
レスを間違えているのでは??
176 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 02:52:04 0
寝るw
>>175 じいさんの頭の程度じゃわかんないだろ〜な〜
ま、じいさんが自慢げに回りくどい確率の話してたとき収束のヒント教えてあげたでしょ。
じいさん、ホントおもしろいわ。
少し教えてあげると真理を得たとすぐ有頂天になって自己完結すっから。
でもねえ。ここの連中、じいさんが思ってるほど馬鹿でも無教養でもないんだわ。
遊んでるだけ。
未来と過去に対して違う認識を持ってるって話書いたら早速じいさんは説明は後付けと
答えててホント笑っちまったよ。
こんなとこからネタ盗んでしかレス返せないんだったらもっと地道にカントでも読んで
勉強して出直した方がいいんじゃないかな?
それからじいさんや。今度は物自体に拘ってるみたいだけど理解している人は
物と物自体なんてのを説明なしに区別したりはせんのよ。ありとあらゆる概念は
物質でなきゃならんとはさすがの唯物論も言ってないんだわ。その点誤解している
様子だけど中世の普遍論争で唯名論てのがあるからちょっとググッてでもいいから
調べてみな。
∨> : : :.У::::::∨::::::::::::::::::::::::::::::::::::.. :.:.:.:. ハ \: : <∨
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∨!;/::7::::/二ニニ=|==: ハ====ニllニl::. ∨ヘ
∨ /:.:7:::::::7:::::::::: l:::::::|::| |:::::::.|::::::|::.:.:リ:::::!:::.. .|:::|
/ ∧ :{:.:.:.7 ::::::: /|:::::::|::|:. |::::::::|: |:从レ'!:::::|.:.:.:.:.. |:::|
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∨:!::::::::::ハ , -‐v、 .l::::}::.:.:.:.:.l:::|
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/...-┬‐ 、_) / ⌒丶、
‐'´‐┴‐‐- あちきの相手にはなりんせん (_ イ⌒\
ー‐―─-イ /  ̄ ̄_
179 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 04:06:53 0
>>177 :考える名無しさん:
>未来と過去に対して違う認識を持ってるって話
?意味不明です、見た事も聞いた事も無い??
「説明は後付けと 」これは前にも言っている様に
「人間は涙が出るから悲しい」と言う話の延長です。
なにか全く誤解してませんか?
話題が全然噛み合ってないですよ。
>>179 受け売りばっかだな。
そんなのは哲学の話じゃなく認知科学の基礎。
脳実験が根拠っすよ。
さんざん既出のことを他人は知らんと思ってさもオリジナルみたいに展開しないように。
それはじいさんがそう考えているんじゃなくて認知科学ではそう考えているってこと。
>>179 じいさんはどうしてそんなにアホなの?
あ、そか。元々決定論で涙が出るから悲しいとか言ってて馬鹿にされて非決定論者に
鞍替えしたんだっけ。
あんときは悪かった。
自身満々にご満悦で教えてやるって書き込みしたのに恥かかせてしまった。
脳実験に由来した認知科学とかいうあやふやなブームの中での認識の設定なんで
涙が出ると悲しいてのを短絡的に結び付けてしまうと破綻すんのよ。
それは認知科学を理解せずに認知科学らしい考え方を勝手に展開したに過ぎんっちゅうこと。
自分でよく理解できていないことを適当に応用して書くと後から説明できなくなって大変な
目にあうでしょ。学習しましょう。
>>179 それからね。
じいさんは自分は決定論を攻撃しているから仲間だから協力してくれみたいなこと
書いてたけどお里が知れるぞ。
じいさんは敵と味方に別れて争わせるのが好きみたいだけどそんなの関係ないっちゅうの。
183 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 04:48:12 O
松尾もよくない。おまえも清算してまいれ。悪びれるな。光の方向へ進め。心ある方向へ進め
184 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 05:02:44 0
185 :
ゲハー最低厨 ◆yRFhSPjIMg :2008/01/30(水) 08:25:56 0
やりたいことやれば いいんじゃね?
186 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 08:32:44 0
じいさん、その二人、か三人か知らないけど、心に闇を抱える病人なのでテキトウにあしらっておけばいいよ。
自由意志があるかないかを試す実験。
人の短期記憶を消して、まったく同じ環境におかれた場合、
人がまったく同じ行動をとるかの実験を行えばいい。
実験精度が高ければ、人は何度でもまったく同じ行動をとることだろう。
188 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/30(水) 09:31:37 0
>>187 その実験でどうして自由意志の有無が確認できるのだろう?
自由意志があるかないかの確認で一番困難な問題はその人が
何をどういう風に意志したか、を客観的に確認する方法が無い
事だろう。
たとえばこれから先の「何時何分に自分の左手を挙げます」と
宣言しておいてその時間になったらその人の左手が挙がった、
という事を確認したら自由意志が有るということになるのかな?
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
人口知能も、物質の進化の過程を科学的に試行錯誤して再現すれば、
(ある法則により決定される自由意志を持つ人間)のようなものができそうだね。
46億年の歳月で人間が作れるなら、数十億年掛もかけずに
完全なAIロボットを作りだすことなど簡単に思える。楽しみダナー。
自由意志が『感じ』にすぎないって、こういうことじゃないかと思ったんですが。
どうおもいますか皆様?
人工知能が試行錯誤の結果として出来上がれば、
人間の意志も「物質の進化」の過程として、自然世界での
試行錯誤の結果として出来上がったにすぎないことがわかる。
試行錯誤の末にできたのだから何を想い何を考えるのかは
試行錯誤の末にできたある法則の中に収まる。
その法則はランダム性も強いが、そのランダム性事態も
試行錯誤の結果として生まれたある法則にしたがっている。
だから自由意志とは必然に過ぎないといえる。のでしょうかね。
192 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/30(水) 10:00:27 0
生命の無い「人工知能」をつくれるか、生物としての「人工知能」
をつくるかは全然違う問題ではないかな?
193 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 10:06:00 0
>>192 生命の境目ってどこら辺なのでしょうかね。
人工知能に人口身体をつくって、まったく人間と同じ用に
人口臓器とかを再現して、同じように痛みに苦しんだり、
おなじように泣いたり喜んだりしたAIができたとき、
僕にそれは生命ではないと言う自信はありません。
でもこんな豊かな意思に彩られた生命に生まれてこれてよかった。
手足も自由に動かせるし、色彩だって何万色も認識できる。
『感じ』に過ぎない自由意志にふけって、
詩を作ったりして、気持ちわるとか思ったり、
プラネタリウムを見て感動したり、きれいな美術館に行って、
現代芸術家の描いた感情を揺さぶる絵に幸福感を得て、泣きそうになったり、
こんなことできるの人間くらいなものだもの。
195 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/30(水) 10:32:43 0
>>193 なんとなく、無生物から人工で生命を作り出すほうが
意識を持ったロボットを創るより難しい感じがする。
人間に似た動作をするロボットは何か意識が有るように
共感できるときが有る。アイボがもっと進化したら
ペットの犬と同じように感じるだろう。
人は自らの意志を自らコントロールすることはできない
決定論者も非決定論者も、環境によって考えをそのように決定されているのであり
自らの意志でそれらを変更することはできない
理由の有る無しも関係ない
>>196 変更できる場合でも変更するように決定されていただけだしw
でもそういう話は具体的なレベルでやらないと意味がないのです
実際に人の考えは変わってきたしこれからも変わっていくのだから
その変化の法則を知ることには意味があるような気がします
>>196 人は自らの意志を他者の意志によってコントロールされ得る。
哲学って自然科学と違って未来学みたいな予想(仮説)が理論として承認される世界。
流行の最先端を目指すファッション業界のようなもの。
でも予想(提言)することによって未来に干渉し得るか否かは全く不確か。
結果として新たな流行を創造していると言える。
機械的唯物論がより確からしく見えるのは自然科学と同様に人間中心主義の立場を堅持しつつ
解明への約束を提唱していない点。
進化という観点では人間も猿も犬も同列の動物に過ぎない。
201 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 13:48:45 0
たしかにベルリンの壁の崩壊は予測してたなぁ
202 :
偽・エルロイ:2008/01/30(水) 15:02:19 0
>>94 ラビさん
二行目の文章ですが、これは「自然界の事象」には「それに対応する原因」がある(だろう)
という意味ですね?
言い換えれば“因果”は人間のの認識だが、そのようにヒトにみせる“関係”が事象には
存在する(だろう)という解釈でよろしいですか。
203 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 15:19:30 0
自然の一部に石という愛称を付けておらは石を知ってると宣うのが人間。
205 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 16:01:55 0
>>190 :ネコドリ ◆NzZ4ooGrW.
>その法則はランダム性も強いが、そのランダム性事態も
>試行錯誤の結果として生まれたある法則にしたがっている。
今ここで問題になっているのはランダム性と法則性です。
非決定論者の一人(じいさん)は「ランダムは偶然であり法則性は無い」。
生物進化に法則性は無い(物質は進化しない)。
決定論者は二通り、@ランダムも法則性がある(貴方もこれかな?)。
A本質的なランダムはありえ無い、将来決定的法則性に取り込まれる。
>>205 でも、じいさんは、自分で言っていたように、偶然を理解できていないわけだから、
じいさんが言う偶然やランダムの説明は出鱈目であり、何も説明していないに等しい。
207 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 16:25:15 0
>>203 :考える名無しさん:
>脳で考えるだけで機械を動かす技術は 基礎研究から実用研究へ着々と進んでいるよ
全然違う。
ご指摘の資料にあるような・・・・・・・
「人類最後のフロンティアと言われる「脳」の情報処理機能を解明し, それを工学的に応用する『脳情報工学』の確立を目指して・・・」
・・・・・・・・・・・
などと言う言葉は国の予算が欲しい為の大風呂敷である。
以下内容は・・・・・・・・・・・
「動物の脳の神経信号やヒトの脳内信号を使ってロボットやマシンを制御する技術で」
・・・・・・・・・
程度のもの。
脳波計と連動させれば今の技術に毛の生えた程度。
いいですか知能と言うからには「心」を解明しなくてはならないんですよ。
「自由意志を主張する」脳が条件です。
運動神経を機械に連動させるだけなら人の脳の補助に過ぎない。
それは昔から医療の分野で広く行われて人間の役に立っている。
何度も言うが「人工知能」と言う「知能」があるということは人格を主張できる知能で無ければならない。
それが完成しそうになっらの話。
じいさんはその場凌ぎで切り抜ける天才。
ちゅうと同じで何度恥かいても素知らぬ顔して他人の書き込みに大仰に自分は知っているぞと
噛み付いて自爆を繰り返すのみ。
209 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 16:29:26 0
>>206 :考える名無しさん:
>偶然やランダムの説明は出鱈目であり、何も説明していないに
いやあ、おっしゃるとおりなんです。
私だけでなく誰も説明できない見たいです。
だから「ランダム」と言うのなか?
もし「偶然、確率」を説明できている資料が何かあれば教えてください。
210 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 16:36:07 0
>>209 何故自分が説明できないことを以て他人に間違っているとかおっしゃる通りですと言えるの?
>>209 >私だけでなく誰も説明できない見たいです。
そんなものは存在しないから誰も説明できない。
>>209 それなら中学生の教科書の確率から勉強したらいいと思いますよ。
214 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 16:53:28 0
>>211 :考える名無しさん:
>何故自分が説明できないことを以て他人に間違っているとかおっしゃる通りですと言えるの?
いいですか良く考えて。
例えば確率の事象がそうです。
私は説明できないと言う。
更に「説明できない事が証明される」と言う可能性も高いと言う事なんです。
それを「確率である事象そのものを認めない人」「将来決定されて確率が消滅する」と言う決定論者が居る。
説明で出来ない事実を「説明できる、決定している」と言う人が居るから反発している訳でです。
とりあえず説明できないけどあるはずだと思うことの方が実は多い。
確率認識は脳の機能の一つだからその回路が未発達な人もいるしそういう人も生活上問題ない。
かように人間は自らの実装機能を実在として捉えがちだということ。
本質は脳にあり限界も脳にある。
従って唯脳論は唯物論の亜流として流行している。(哲学している)
216 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 16:56:20 0
212 :考える名無しさん:
>そんなものは存在しないから誰も説明できない。
貴方は「確率」と言う事象の存在を認めない派ということですね。
>>214 反発からは何も生まれない。
世の中和合。日本人は特に。
218 :
モル:2008/01/30(水) 16:57:35 0
じいさんって本当に年齢的にもじいさんなのか?
>>216 だから確率では訴求力がないから確率の収束を事実として捉えて反論せよとヒントを出したんだけど。
人間認識てのはおもしろい。
例えば、
「人は歳をとる」という。
「人は成長する」とも「人は老化する」ともいう。
「人は歳をとる」という観点からは両者は同じ意味しかないがそこに成長と老化の基準、
即ち成人の基準を設定すると両者の意味は異なる。
自然科学は曖昧な後付けの基準を嫌うが哲学はそれを極めようとする。
価値判断を否定しつつ無謬な価値判断を推し進めるという不合理な思考の有り様を思い知る。
221 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 17:03:11 0
じいさんは小学生並みの頭悪さで、感情的に反発しているだけなんだ。
未熟で低レベルな感情反発的に、なんの説得力があるというのか。
なんの説得力も無い。あまりにも稚拙で、大人のとる態度じゃない。
じいさんの、知的水準の低さは異常である。
222 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 17:03:58 0
ラビは決定論は否定できないと言い決定論も有り得ることを示唆する。
じいさんは決定論を否定し非決定論の方が正しいと主張する。
両者の違いは既出。
>>220 つまりじいさんは耄碌しているということですね。
同意
224 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 17:09:35 0
>>218 じいさんは本当に老化に伴って、老年認知症になっていると思う
225 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 17:10:36 0
>>219 :考える名無しさん:
>確率の収束を事実として捉えて反論せよと
今問題になっているのは「確率がどのような事実か」と言う捉え方の差ということでしょ?
まず貴方は確率をどのような事実として捕らえてますか?
答えてください。
私は「収束と言う事象は決定的でなく確率的に決まるだけである。」と考えます。
>>225 確率は人間が考えたことなんです。
それを間違えて確率は存在しておりそれを説明できないと述べるのはナンセンス。
確率があるかのように思えるにはその背後に何らかの理由があるのかも知れないと言えば
当たらずとも遠からず。
じいさんの場合、哲学以外の用語も独自の意味付けを何の説明もなしに繰り返すから
他人には何が言いたいのか推測しなければわからないという欠点がある。
それは一般的に無教養ということ。
>>225 確率の収束という事実は確率的であるのは自明。
恒真命題
228 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 17:18:27 0
>>217 :考える名無しさん:
>反発からは何も生まれない。 世の中和合。
貴方こそ私に反発しないで、非決定論と和合したら。
「先ず隗より始めよ」
決定論が確率と対立するのは確率的な事象の背後に何かがあるはずだがそれが
解明できていないということ。
それが決定論的に解明できる理論が発見されれば確率が決定論に組み込まれる。
原理的に解明不可能であると証明されれば決定論は破綻する。
現状そのどちらでもない。
ただ決定論が優位なのは確率をそのまま受け入れずその背後に探求心を向ける
ことができる点。
また前述の通り確率に対する認識そのものは先験的。
これを世界の中で進化して獲得的に備わった回路だと考えてもいい。
>>228 じいさんは初めに苛められたから仕返ししているつもりなんだね。
可哀想。
231 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 17:22:09 0
>>226 :考える名無しさん:
>その背後に何らかの理由があるのかも知れない
だから、その背後の「理由」とは何ですか?
答えてください。
232 :
ラビ:2008/01/30(水) 17:37:51 0
>>216 確率は事象ではありません。事象を認識する手段に過ぎません。
233 :
ラビ:2008/01/30(水) 17:52:29 0
>>229 >決定論が確率と対立するのは
そもそも対立なんてしていません。
コンピュータ上の決定論的世界の中でも確率は使われます。
そもそも確率は時系列に束縛もされません。後方確率というのもあります。
>原理的に解明不可能であると証明されれば決定論は破綻する。
しません。確率も、予測性も、決定論の否定にはつながりません。
>>231 それを質問しているのは私の方なんですが何か誤解されていませんか。
確率的に収束する事実の背後にどういう原理が存在するのか。
若しくは、
確率的に収束する事実の背後にある原理は解明不可能なのか。
これを私がじいさんにお伺いしているんですよ。
決定論か非決定論かは確率に関してはこういう論点だと考えているので。
>>233 決定論の決定が分裂するのが確率でしょ。
決定論では全ての事象は例外なく一意の結果へと向かうのだからその途中過程で
確率的であっていいならそれは偶然が支配する決定論という言語矛盾に陥るではないですか。
残るのは確率を認識するのは主体の錯覚ということか。
237 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 18:00:44 0
少年老い易く学成り難し
238 :
ラビ:2008/01/30(水) 18:13:49 0
>>235 >確率的であっていいなら
決定論の世界でも、事象を認識する方法として人間が確率を用いることは自然なことです。
決定論と確率は対立しません。
そもそも確率というのは、実際の事象を都合よくモデル化したものです。
モデル構築時には、事象が因果関係によって定まることを前提としており、
その意味では決定論上にしか置けません。不可知+決定論→確率論です。
サイコロを振ったら、さいころが爆発してなくなるような、
想定していない事象が起こることをモデルに組み込むことは不可能です。
239 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 18:27:31 0
決定論によればサイコロがそこで爆発するのは決定していたんじゃないの?
>>238 不思議でも何でもないということでしょ。
つまり決定論を用いれば確率的な振る舞いも主体の認識上(モデル上)の誤謬と言わねばならない。
たまたま偶然に確率が収束しているかのように見えているけど実は確率等存在せず認識が
見せている錯覚なんですかね。
決定論では確率が収束した結果に関してのみその原因を想定し得るわけだから確率的な結果は
存在していないんでしょ。
241 :
ラビ:2008/01/30(水) 18:30:21 0
>>239 そうでしょうけど、人間がそれを確率のモデルとして組めないってことです。
もちろん、はじめから爆発すること前提にしていれば別ですが。
>>241 その場合人間てのはそういう悪戯小僧は除外した集合でしょうか?W
243 :
ラビ:2008/01/30(水) 18:42:16 0
>>240 >つまり決定論を用いれば確率的な振る舞いも主体の認識上(モデル上)の誤謬と言わねばならない。
誤謬ではありません。把握の仕方に過ぎないのです。
後方確率というものをご存知でしょうか。
>決定論では確率が収束した結果に関してのみその原因を想定し得るわけだから確率的な結果は
全然関係ありません。
>存在していないんでしょ。
人間の認識上に確率モデルは存在します。
>>243 なるほど。
把握の仕方が確率で実際の決定論的世界は不変ということですか。
私は決定論も認識上の問題に過ぎないと考えていますがラビさんは決定論は正しいとは
言ってないが具体的にはどういう立場ですか。
事後的に頻度を調べてフィードバックするのは善し悪しがあるけどこの観点で言えば
確かに確率はモデルだから道具として応用できれば問題ない。
決定論は人間の認識上のモデルに過ぎません
246 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:31:22 0
>>244 >把握の仕方が確率で実際の決定論的世界は不変ということですか。
決定論の立場ではそうでしょうね。
>私は決定論も認識上の問題に過ぎないと考えていますがラビさんは決定論は正しいとは
>言ってないが具体的にはどういう立場ですか。
私は事象については不可知の立場です。
決定論は認識上の問題ではなく、すべての論理の根本にある前提、もしくは信仰でしょう。
世界が一秒前に作られたのであれば、
人類が構築してきた(と主体が認識する)論理を含む知りえたすべては何の根拠にもなりません。
しかし、世界が一秒前に作られたのではないと考えるのは信仰に過ぎません。
247 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 19:32:02 0
人間が世界内存在であるのに、「認識上の存在」などという中途半端な言葉の使用に
意味があるとは思えない。その立脚点が全く見えない。同じ場所で言葉を変えてくるくる
回っているだけではないのか?
「認識上の存在」の認識があたかも自己存在しているかのようだが、人間の認識が勝手に確率なるものを
認識できるのなら世界は人間の認識により「非決定である」とすることも可能という論理に繋がる。
248 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:32:29 0
>>246 決定論と論理の関係がわかりません。
決定論でなくても論理はあるのでは?
若しくは、
決定論は論理によって導き出されたり説明されたりする種類のモデルではないということですか。
250 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 19:37:35 0
サイコロの目が出ることはないという事象の確率は無限に1に近いですな。
サイコロの実験をする時間を指定しなければ、宇宙がこの先消えてなくなるのでそうなる。
251 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:38:13 0
>>247 >意味があるとは思えない。
それは貴方にとって意味がないということに過ぎませんね。
>人間の認識が勝手に確率なるものを
>認識できるのなら世界は人間の認識により「非決定である」とすることも可能という論理に繋がる。
いいえ。人間を決定論的システムで動くAIに置き換えれば、そうでないことがわかります。
当人の主体上では、非決定に見えるというなら間違いではないでしょうが。
世界は決定していない
決定していると考えるのはあくまで人間の認識上のものである
そこから事象の決定性を説くことはできない
253 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:39:15 0
>>249 >決定論は論理によって導き出されたり説明されたりする種類のモデルではないということですか。
その通り。論理の前提を論理で説明することは不可能です。
254 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:41:48 0
>>252 >世界は決定していない
であるなら、貴方の論説もその正当性を失います。
一体何を正しさの根拠としているのか考えた方がいいでしょう。
>>251 必然か偶然かというのはどちらとも言えると前スレで指摘されていましたが。
(じいさんは
>>47でそれは間違いだと根拠無く却下してました)
論理の前提は世界だった!
もう前提を掘り下げる行為はやめようよ
前提、理由、根拠
そんなに足場が大事なの?
でも、ぬかるみの上にも塔は建てられるのさ
257 :
247:2008/01/30(水) 19:44:11 0
>>251 >人間を決定論的システムで動くAIに置き換えれば、そうでないことがわかります。
そのAIはどうやって確率モデルを認識するのか?人間がプログラムを作ったのでは意味がないよ。
258 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:44:54 0
>>256 それなら貴方がそうすればいいだけですよ。
他人を巻き込まないと自分で行動できないのでしょうかね。
259 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:46:43 0
>>257 >人間がプログラムを作ったのでは意味がないよ。
貴方が意味がないと考えているに過ぎません。
人間が作った人間(=子)では意味がないわけではないように、
作り手が誰であるかは関係ありません。
260 :
247:2008/01/30(水) 19:48:57 0
>>259 それではこれだけ答えてくれ。
そのAIはどうやって確率モデルを認識するのか?
261 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:49:42 0
>>255 決定論の立場では、偶然は人間の認識上に存在しますから、決定論の世界の必然とは矛盾しません。両立します。
日常においても、観測者によっては、必然な事象が偶然に見えたりすることは多々あります。
事故を起こした本人は偶然だと思っていても、起こるべくして起こっているということが多いですからね。
262 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:51:16 0
>>260 その前に、人間がどうやって確率モデルを認識するのかについてお答えください。
その答えのレベルに応じて、回答しましょう。
>>261 決定論の必然も人間の認識上の存在でしょ。
同じ事だと思うけど。
264 :
247:2008/01/30(水) 19:52:30 0
>>262 君自身 確率モデルをどうやって認識しているのだ?
265 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:56:31 0
>>263 いいえ。
「決定論」自体は人間の認識上のものですが、
決定論が指し示す必然というのは、すべての事象の状態には原因があるという
世界の側に存在するとされる必然性のことです。
そして、それは過去が存在していたとするのと同様信仰に過ぎないわけです。
266 :
ラビ:2008/01/30(水) 19:59:16 0
>>264 相手に回答を求めるなら、その相手が回答に必要とされる質問にまず答えるべきです。
267 :
247:2008/01/30(水) 20:01:03 0
>>266 人間の確率認識は「直観」であると考える。
>>265 決定論てのだけが認識の外の世界と接続しているってことですか?
しかしそれを導き出す論理というのは見当たりません。
ラビさんは論理が成立するのは決定論に依ると書いていたけど
もしそうだとすると決定論というのは人間の脳内に先験的に実装された世界観なのでしょうか。
269 :
247:2008/01/30(水) 20:04:28 0
そもそも私が「確率は認識上のモデル」という表現に疑問を呈しているのに
それに対して「それはあなただけの問題だ」と言いきったのだから
ラビ氏から確率の認識方法について説明があってしかるべきだ。
270 :
ラビ:2008/01/30(水) 20:14:52 0
>>268 >しかしそれを導き出す論理というのは見当たりません。
だから、私は決定論が正しいとするのは信仰だと申し上げているのですが。
>もしそうだとすると決定論というのは人間の脳内に先験的に実装された世界観なのでしょうか。
世界に因果律があるというのは、脳が正しく動作するための前提だと思います。
271 :
247:2008/01/30(水) 20:18:35 0
>貴方が意味がないと考えているに過ぎません。
人間が作った人間(=子)では意味がないわけではないように、
作り手が誰であるかは関係ありません。
これがまともなレスだろうか。
272 :
ラビ:2008/01/30(水) 20:19:21 0
>>269 >そもそも私が「確率は認識上のモデル」という表現に疑問を呈しているのに
それなら、確率の教科書でも読まれたらいいと思います。
確率は、事象をモデル化した時の比率です。
273 :
ラビ:2008/01/30(水) 20:20:44 0
>>271 まともでないと思うなら無視すればよろしい。
他人の賛同を求めるのは精神的に幼稚です。
>>270 信仰であるのならば決定論が指し示す必然が世界の側に存在する必然と唯一一致すると
信仰しているわけですね。
そして決定論の是非は論理では解決しない。即ち決定論は非論理により導き出されたということですね。
しかしそれでは哲学ではないのでは?
思想(価値観)というのなら妥当ですが。
275 :
247:2008/01/30(水) 20:22:11 0
>>272 >確率は、事象をモデル化した時の比率です。
事象をモデル化する力が必要だ。それが本質のはず。
AIがそんな力をどうやって得るのか?
問題は片方の決定論からは必然を観測できないから一致不一致の検証すらできないことか。
だから決定論は予測とか確率と相性が悪い。
というか予測や確率は決定論の側からは存在していない認識の誤用だと決め付けないといけない。
認識の誤用としての予測や確率が存在しているということは予測や確率は実は本質的な問題
ではないということか。
なるほど。
世界と決定論は必然を共有し必然で連結しているはず。
ただ必然という因果で連結している関係性は原因と結果の言い換えだから
世界が原因で決定論が結果。
世界があるから決定論が正しいという命題に書き換えられるがこれは哲学的な命題だとも
思えない。
つまり決定論というのは科学哲学の実在論のような素朴実在論の立場に還元されるということか。
そうなると究極的には観念論に帰結せざるを得ない。
だから決定論は観念論であるという仮説が改めて論証されるということか。
ふむふむ。わかりやすい。なるほどでした。
279 :
ラビ:2008/01/30(水) 20:33:31 0
>>278 そもそも観念論に含まれない論理があるのでしょうか。
そうでないなら、なんの論証にもなりませんよ。
280 :
ラビ:2008/01/30(水) 20:36:00 0
>>276 >だから決定論は予測とか確率と相性が悪い。
そういうことはありません。
決定論的に動作するコンピュータは、予測や確率と相性がいいですし、人間以上に得意とします。
281 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/30(水) 20:39:20 0
決定論は世界が存在するか、否かという存在論ではなく、
世界がどのようにあるかという認識論だろう。
認識論は主観の問題だろう。
>>280 決定論的に動作するコンピュータというのがわかりません。
コンピュータの動作を決定論だと言っているのですか?
283 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/30(水) 20:42:32 0
およそ作られたものが決定論的に動作するわけが無い。
作られたものは必ず誤動作するし壊れる。
>>281 既に
>>265で世界が外にあり決定論(観念論)はそれと必然で連結していると述べられている。
壊れるというのはあくまでも主観的事実。
決定論は人間の認識上の制限を超えて実在しているから人間の認識を支える論理を担保し得る。
こういうことか。
遙か前に書いたことにまた戻った。
ただこうなると問題が生じる。
原因と結果を結び付ける必然というのは人間が認識上、その素朴に実在を信じている
世界から恣意的に取り出して議論しているに過ぎないので世界そのものは実在する
としてもその世界には原因性も結果性もない。
決定論から導き出し得る唯一の結論は世界そのものというものは存在し得ないし
世界は無限の段階を経て重層的に存在しているという真理だけか。
原因性或いは結果性という観点に於いて見事に決定論が世界を否定している。
288 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/30(水) 21:01:25 0
>>285 決定論は主観の認識の問題だからそれでいいじゃん。
289 :
ラビ:2008/01/30(水) 21:12:33 0
>>287 >原因と結果を結び付ける必然というのは人間が認識上、その素朴に実在を信じている
>世界から恣意的に取り出して議論しているに過ぎないので
ここまでは正しいと思われます。
>世界そのものは実在するとしてもその世界には原因性も結果性もない。
というのは飛躍です。論理的ではありません。
>決定論から導き出し得る唯一の結論は世界そのものというものは存在し得ないし
間違いですね。
決定論から導き出し得る唯一の結論は世界そのものというものはただ存在しているだけです。
>>289 世界そのものには原因も結果もないから決定論的な特異点みたいなもんだということですか。
原因もなく結果もない世界全体というものは決定論では存在し得ないと思うのですが。
291 :
ラビ:2008/01/30(水) 21:15:33 0
>>276 >というか予測や確率は決定論の側からは存在していない認識の誤用だと決め付けないといけない。
そういうことはありません。
決定論の世界でも、予測や確率は存在します。
>認識の誤用としての予測や確率が存在しているということは
全く違います。
292 :
ラビ:2008/01/30(水) 21:16:37 0
>>290 >世界そのものには原因も結果もないから
決定論では原因も結果も世界もあります。
論理的ではありません てどの口でいうとんねん。
ラブとちゅうが議論始めると、スレがのびるね。。
一日中議論おつかれ。。
295 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 21:33:55 0
議論ねぇ〜〜、、、、、、、、、、、、(-。-)y-゜゜゜
理屈抜きの発言てのはどんなにカモフラージュしてみてもそれは結局議論ではなく命令。
じいさんが得意なのは年上(?)としての命令。
297 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 22:03:00 0
>>234 :考える名無しさん:
>それを質問しているのは私の方なんですが何か誤解されていませんか。
誤解してるのは貴方でしょう。
「・・・・・私の方・・・・」などといってるが名無しなのに私と言うからややこしい。
今後誤解の無いように名前(番号でもいいですよ)を固定してください。
298 :
偽・エルロイ:2008/01/30(水) 22:29:08 0
>>292 そう断定してしまうと、これまで貴方が述べてきたことを逸脱する。
ここは
>>287や
>>290 の解釈のほうが従来の貴方のそれに近い。
「世界が存在する」というのも信仰でしょう? むろん決定論も?
妙な質問ですが、どちらが原理的なのですか。
すげーな。決定論の世界が発散してるな。
300 :
ラビ:2008/01/30(水) 22:45:27 0
>>298 別に逸脱はしません。
決定論とはどういう立場かを説明はしますが、
私自身は決定論を支持する立場ではありません。
>従来の貴方のそれに近い。
私はそんな発言はしていませんが。
どの発言と近いのかレスで指定してください。
>「世界が存在する」というのも信仰でしょう? むろん決定論も?
それに限らず、わからないという以外の確かに思えるものは全部信仰です。
>妙な質問ですが、どちらが原理的なのですか。
決定論の立場では決定論のほうが原理的だと思います。
>確かに思えるものは全部信仰です。
これも信仰です。
>>297 じいさんはまともに他人の問いかけに返事できないんだから黙ってた方がいいよ。
ここの司会進行役を買って出ているつもりなら余計なお世話。
わからないということはわかることが何かあるってこと?
わからないことがわかっているその根拠はどこにあるの?
素朴な疑問です。
304 :
ラビ:2008/01/30(水) 22:54:17 0
>>301 いいえ。信仰でない証拠がないので、信仰であることは確かなことです。
305 :
偽・エルロイ:2008/01/30(水) 22:57:28 0
>>300 誤読でした。「決定論では…」という前提を見落としていました。
306 :
ラビ:2008/01/30(水) 22:57:55 0
>>303 わからないというのに、根拠は要りません。
わかると主張する場合にだけ、根拠は求められるのです。
307 :
301:2008/01/30(水) 22:58:58 0
>>304 >いいえ。信仰でない証拠がないので、信仰であることは確かなことです。
「Aでない証拠がなければAであることは確かである。」と言いたいの?
>>306 だからわからないのだということがわかっている根拠は何ですか?
わかるかも知れないしわからないままかも知れない。
そのどっちかであるとも言えないのでしたらいいのですがわからないことがわからっているなら根拠は必要でしょ。
>>306 それからもし何もかもが基本的にはわからないのだというのでしたら議論の余地はどこにもないですよね。
わかっていることだけ示してくれればよいわけです。
310 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:02:48 0
>>307 信仰というのは、確かなものではないので、そういう置き換えはできません。
デカルトの方法的懐疑は、すっとぼけ演技で笑いをとるための、
すれ違いコントの台本だった
312 :
301:2008/01/30(水) 23:05:45 0
>>310 >信仰というのは、確かなものではないので、そういう置き換えはできません。
信仰であることは確かだと言ったり、信仰は確かなものではないと言ったり 忙しいね。
313 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:05:57 0
>>308 >だからわからないのだということがわかっている根拠は何ですか?
わからないというのに根拠はいりません。
>わかるかも知れないしわからないままかも知れない。
将来わかるかもしれなくても、現時点でわからないというのは成立します。
>そのどっちかであるとも言えないのでしたらいいのですがわからないことがわからっているなら根拠は必要でしょ。
永遠にわからないとか、神にもわからないとか主張しているわけではありません。
314 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:07:31 0
>>309 >それからもし何もかもが基本的にはわからないのだというのでしたら議論の余地はどこにもないですよね。
そうですよ。不可知であることは議論できませんし、崩されることもありません。
315 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 23:07:32 0
仏陀から2000年以上もたってるのに、我があるなどという間抜けなことを言い出したデスカルト
316 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:08:39 0
>>312 「根拠が示せないものは確かなものではない」ことは確かであるということです。
317 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 23:17:35 0
>>229 :考える名無しさん:
大体はおっしゃるとおりだと思います。
唯、対立といってもAとBの対立と言う構造ではないのでは?
非決定というのは「決定と非決定が混在している」ということなんですよ。それに対して決定論と言うのは「全てが決定している」と言うことで、論理的に並立して対立している訳ではないと思います。
そこにややこしさがあります。
>決定論が優位なのは確率をそのまま受け入れずその背後に探求心を向けることができる点。
是は承服できません。
非決定論の立場からも「背後に対する探究心」は無くなる筈はないし、色々な分野で背後に対する探求は圧倒的多数の非決定論者が行っているのでは?
むしろ・・・・・・
>>233 :ラビ:2008/01/30(水) 17:52:29 0
>そもそも対立なんてしていません。
>コンピュータ上の決定論的世界の中でも確率は使われます。
のような確率の非決定性に蓋をしようとする決定論者が「背後に対する探究心」を放棄しているのでは?
318 :
301:2008/01/30(水) 23:20:22 0
>>316 >「根拠が示せないものは確かなものではない」ことは確かであるということです。
対偶→「確かなものは根拠が示せる」は確かである。
この命題の根拠が示せますか?
319 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:28:49 0
>>317 >是は承服できません。
貴方が承服できるかなど関係のない話です。
>非決定論の立場からも「背後に対する探究心」は無くなる筈はないし、
原因がないとしてしまえば、原因に対する探究はなくなるでしょう。
探究とは原因を求めることですから。
色々な分野で背後に対する探求は、原因を求める立場ですから、決定論の立場です。
320 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:32:50 0
>>318 そういう論理が使えるものではないことを
>>310で指摘したのですが。
「コインの表か裏がでるかわからない」の否定と、
「コインの表が出る可能性がある」の否定を考えるといいと思います。
「コインの表か裏がでるかわからない」と「コインの表が出る可能性がある」は同じであるように見えるのに、
否定にすると異なったものになるのではないでしょうか。
同じになるというのなら、両者の「否定」を書いてみてください。
>>314 >そうですよ。不可知であることは議論できませんし、崩されることもありません。
ただ「わからない」と言っていても、それは哲学にはならないよね。だから議論できない。
議論できるレベルの不可知論ではないということだろう。
たとえばカントの不可知論は、カントが考える《認識》というものがどういうものであるのか
を詳細に論じたうえで、「物自体」は《認識》できないとしている。
不可知論が哲学たりうるのは、それが哲学的認識論をふまえているかどうかにかかっているね。
322 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/30(水) 23:34:58 0
>>319 :ラビ:
>>317 ・・・・是は承服できません。
>貴方が承服できるかなど関係のない話です。
この部分は貴方への反論ではないですよ。
貴方こそ関係ないんですよ。
323 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:40:57 0
>>318 >>「根拠が示せないものは確かなものではない」ことは確かであるということです。
>
>対偶→「確かなものは根拠が示せる」は確かである。
>この命題の根拠が示せますか?
「根拠が示せないものは確かなものではない」というものの中身は
「根拠が示せない」=「確かなものではない」ですから、
「確かなものではないものは確かなものではない」ということは確かなことです。当たり前ですが。
命題に根拠を求めることと対偶をとることは全く関係がありません。
根拠が示せないものは確かなものではないというのは、トートロジーに過ぎません。
324 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:42:24 0
>>322 >この部分は貴方への反論ではないですよ。
そうですか。では改めて、私も
決定論が優位なのは確率をそのまま受け入れずその背後に探求心を向けることができる点。
だと思います。
325 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:46:03 0
>>321 正しいことが確定しているものは、議論できませんから。
A=Aが正しいかどうかを議論する馬鹿は普通いません。
326 :
301:2008/01/30(水) 23:46:11 0
いやすまん。抄録です。もうおそいんで 寝るわ。
>>320最初から同じには見えないが とりあえずやってみた。
「コインの表か裏がでるかわからない。」の否定→「コインの表か裏がでるかわかる。」
「コインの表が出る可能性がある」の否定→「コインの表が出る可能性が無い。」
ワシ自身は言葉のすり替えをしている訳ではない。厳密に君の「言葉の論理」に従ってレスしている。
320の意味はさっぱり分からんが 今度来る時までに考えとくわ。おやすみ。
327 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/30(水) 23:49:40 0
新スレ、おめでとうございます。
「人」にとって可知とは何でしょうか。
>>325 >正しいことが確定しているものは、議論できませんから。
ん?何が正しいの?カントの不可知論が正しい?
カントの不可知論が正しいとしても、それは君の不可知論とはもちろん違うだろ?
どこが同じで、どこが違うか説明してくれると分かりやすいと思う。
329 :
ラビ:2008/01/30(水) 23:53:03 0
>>325 もう少し丁寧に言えば、疑う余地があるところでこそ議論が成立すると思います。
つまり不可知論で問題になるのは、何故不可知なのか?ということだよね。
カントの答えは明確です。「物自体」は時間空間という直観形式を通して
我々には与えられないから。これがカントの答え。
ラビ氏の答えはどういうものですか?
物自体という語の指示対象は何なの?
それがいつも気になるわ。
332 :
ラビ:2008/01/31(木) 00:06:49 0
>>330 物自体って何ですか?
なぜそのようなものがあるとわかるのですか?
不可知と言いながら、まるで「物自体」が存在すると主張しているように思えますね。
333 :
st.head:2008/01/31(木) 00:06:55 0
絶対忘れない方法ってなーんだ?
>>332 >不可知と言いながら、まるで「物自体」が存在すると主張しているように思えますね。
物自体が存在するかどうかを《認識》(もちろんカントの言う意味での認識)することはできない。
物自体は実践理性によって《要請》されるもの。
で、ラビ氏の答えを待ってるのだけど、何故不可知なの?
カントの不可知論とは違うみたいだから、説明してほしい。
ラビさんは決定論の必然は唯一外の世界(物自体)と繋がっていると書いているよ。
それは物自体が不可知じゃ成立しない理屈じゃないかと疑義を呈したんだけど
その点はどうなんだろ?
>>317 私は秩序だった論理を愛する者なので優位だと述べたんですがお気に障りましたか。
失礼。
実際確率は不思議だと思っています。
337 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/01/31(木) 00:21:04 0
コイントスで裏が出るか表が出るかは
@トスの瞬間の位置(例えば机に落とす場合は机からの高さ)・・(その時表がどの方向を向いているかを含む)
Aトスの瞬間で駆けられた回転の大きさと回転軸(の向き)
Bコインの質量(重さ)とコイン自体及び机の弾性値
C机に投げられた放物線の軌跡(=机と初めて接触する位置)
程度のデータで「裏が出るか表が出るか」完全に予測できますし、
「そのようにトスするロボット」で同条件で実験すれば「答えは一つ」
・・・要するに「最初が表ならずっと表」・・という結果になります。
「物理的諸条件が同一の物理現象は同一の結果になる」という「科学」の
当然の帰結です。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
338 :
ラビ:2008/01/31(木) 00:29:55 0
>>334 >物自体が存在するかどうかを《認識》(もちろんカントの言う意味での認識)することはできない。
>物自体は実践理性によって《要請》されるもの。
実践理性によって《要請》されるものは、そういうものとして認識しているのではないでしょうか。
>で、ラビ氏の答えを待ってるのだけど、何故不可知なの?
わからないから。わからないことは答えようがありません。
>>338 >実践理性によって《要請》されるものは、そういうものとして認識しているのではないでしょうか。
たとえば、実践理性によって神が《要請》されても、神を《認識》することはできません。
ちなみにカントでは「自由」も、《要請》されるものであって《認識》できるものではない。
自由と必然の問題は、カントが挙げた四つのアンチノミーの中の一つです。
>わからないから。わからないことは答えようがありません。
わかりました。
340 :
331:2008/01/31(木) 00:38:40 0
俺の質問が完全にスルーされてしまったようだが、
要請している以上は何らかの認識の上にあると思う
んだよねえ。
だから人間は神の視点を分有してるんだとか
言う方がすっきするっちゃするんだよなw
ラビ氏は「認識」ということについて深く考えていなかったのだろうね。
342 :
ラビ:2008/01/31(木) 00:42:46 0
>>339 >たとえば、実践理性によって神が《要請》されても、神を《認識》することはできません。
どうしてですか?
実践理性によって神が《要請》されたら、
実践理性によって《要請》された神を《認識》しているのではないでしょうか。
実践理性によって『私』が《要請》されても、『私』を《認識》することはできないのでしょうか。
これは最高位さんに聞いてみたいですね。
343 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 00:45:18 0
ラビさんはカント読まないで哲学語ってたわけか・・・
別にいいけど
344 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 00:46:29 0
カントなんか糞だろ
345 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 00:47:29 0
糞はおまえのほうだよ。
346 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 00:49:44 0
>>345 おまえが糞でない証拠を出してみろのビーナス♪
そう言えばニーチェ好きを自称する超絶対神様もカントは一通り読んだだけで詳しくないとか言ってた。
>>342 >実践理性によって神が《要請》されたら、
>実践理性によって《要請》された神を《認識》しているのではないでしょうか。
何度も書いているようにこの《認識》という語はカントの認識論における《認識》。
カントによれば、《認識》は「感性」(直観)と「悟性」(概念)との二つがあって
初めて成立するもの。
>>330で書いたように物自体は、時間空間という感性の形式を通して与えられないから
《認識》できない、とカントは考えました。
ほらね。
認識論についてきちんと考えれば、不可知論は議論できるものなんだよ。
349 :
331:2008/01/31(木) 00:51:57 0
カントって近世哲学の雑炊だよね。
350 :
ラビ:2008/01/31(木) 00:52:33 0
追加ですが、唯物論的立場に立つというのなら、
物自体を「直接」認識できないというのは理解できます。
>>349 いやまだ現代哲学でも研究中らしいよ。
カントは天才だからあれだけわかりやすく著作に残せたんだろう。
352 :
ラビ:2008/01/31(木) 00:57:27 0
>>348 だから、物自体って何でしょうか。
時間空間という感性の形式を通して与えられないものが、《認識》できないというのは当たり前でしょう。
そんなのは唯のトートロジーです。《認識》できないものは《認識》できないと言っているだけです。
353 :
331:2008/01/31(木) 00:57:59 0
>>351 いやそうじゃなくてカント哲学はカントの時代から1世紀くらいまで
遡った道徳哲学の雑炊ってこと。ちなみに、カント派が言ってるような
経験論と合理論の統合って意味じゃないよ。
354 :
331:2008/01/31(木) 00:58:54 0
間違えたw
×1世紀くらいまで
○1世紀前くらいまで
>>352 物を見て同時に裏も見えますか?
物の中身とかも同時に見えるなら確かに認識してるんでしょう。
>>354 遡ったと書いてあるから了解できてました。
訂正乙
ラビが哲学史を知らないことが、これで皆に《認識》されました。。。
358 :
ラビ:2008/01/31(木) 01:04:51 0
>>355 それは裏が存在することを前提にしていませんか。
>物の中身とかも同時に見えるなら確かに認識してるんでしょう。
おや、その程度(視覚能力)の問題でしたか。
認識は、それが見えても横たわる問題だと思いましたが。
>>358 喩え話にケチ付けられても困るよ。
認識に関してはきちんと自説を解説してみるかいろいろ調べてみるしかないんじゃない?
>>359 だから錯覚を起こすトリックが可能なんですよ。
362 :
ラビ:2008/01/31(木) 01:10:10 0
>>360 そもそも、理解していないから変な喩をしてしまうのではないでしょうか。
逃げていないで、そもそも物自体が何か答えてくださいよ。
>>362 ラビさんが質問されてたんじゃないの?
現象は認識してても物自体は認識してないって話だろ。違う?
だから例えば視覚で言えばそういうこと。
364 :
331:2008/01/31(木) 01:12:34 0
認識の話が出て来たので、俺の自説も言っておこう。
カントは認識を定義してから認識されるものと要請される
ものを分けるが、俺の考えでは逆。
つまり、「自分は認識している」ということそれ自体が
既に要請。言い換えれば、理性のみに頼るなら「独我論」でも
よいということだ。
それでラビさんの論理だと認識は主体の都合なんでしょ。
そういう論理でやりとりしてるんだけど。
全部ラビさんの書き込みが前提なんだけど明瞭性に欠けるのではないかな?
議論なんだからラビさんの矛盾についてこちらは指摘して確認をとるステップを踏んでるだけなんで。
後、不謹慎だけど仏教ネタで喩え話すると、
誰も今生きている人は仏陀(釈迦)に会ったことがない。
でも仏教徒にとってはそれは可知。
認識していないけど可知とも言えるし認識しているとも言えるけどそれは認識論の設定問題だけ。
367 :
ラビ:2008/01/31(木) 01:18:43 0
>>363 >現象は認識してても物自体は認識してないって話だろ。違う?
いや、唯物論の立場でそういうのならわかりますが。
それはそういう形で世界が存在しているという信仰の上での話だと思います。
唯物論な物自体が無条件で存在すると仮定しないと
物自体が認識できないとは言えないと思います。
でないと物自体が何か意味不明です。
368 :
ラビ:2008/01/31(木) 01:20:52 0
>>364 それは無理があるんじゃないかな?
例えば自分が他者でもいいわけだから同じ認識に致るべきという要請があってもいいことになる。
ラビさんはカントの純粋理性批判は知らないらしいんだけど
しっかりカントの認識と要請に問題提起をしているらしいんだけど
どの観点なのかな?
ここはたいがいその類の本は熟読して理解している人ばっかりだと思うから
その観点がどこにあるのかが知りたい。
371 :
331:2008/01/31(木) 01:29:03 0
>>369 >例えば自分が他者でもいいわけだから
もうこの時点で他者が先に要請されてる。
372 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 01:34:56 0
>>368 不可知論と独我論が両立するわけないだろww
独我論は外界の実在を否定するんだろ?
>>371 ということは自分という主体も先に要請されていることになる。
374 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 01:37:43 0
「要請」と「独我論」も、無関係だな。
>>371 あ、なるほど命題形式で要請されているのが前提で命題としての「自分が認識している」の
対象は実在という考えでしたか。
376 :
331:2008/01/31(木) 01:38:49 0
377 :
ラビ:2008/01/31(木) 01:39:26 0
>>372 不可知的独我論があってもいいと思いますが。
不可知だからといって独我論を否定できるとはとても思えません。
そうなると「物自体」ではなく「物」は認識し得ないということになる・・・か。
それは困る。
379 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 01:42:42 O
認識においては、未来を知る為に、予想という手段をとる以外にない。
しかし、ここで決定論が不可能を可能にする論理にもっていくのは間違いだと思う。
予想するという形が、つまりどのような必然的事実の上に成り立つのか
ここから説明されなければならないと思う
380 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 01:44:20 0
>>377 >不可知的独我論があってもいいと思いますが。
独我論を肯定することは、外界の実在性を否定すること、つまり不可知論を否定することだろ。
382 :
ラビ:2008/01/31(木) 01:53:44 0
>>380 不可知論が無条件に外界の実在性を肯定しているわけではないので、
そういうことにはならないと思います。
383 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 01:56:10 0
>>382 でも決定論は必然を通して外界の世界と直接接続されているというのがラビさんが説明した
決定論の性質でしょ?
だから論理が成立する。(論理の根拠が決定論か因果)
385 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:02:01 0
>>383 >不可知論は外界の実在性については、否定も肯定もしないの。
これは同意です。
>その不可知論が、外界の実在性を否定する独我論とは両立しないってこと。
否定も肯定もしないからこそ、両立できると思いますが。
386 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:04:07 0
>>384 決定論の立場に立ったり、その信仰を利用する場合はその通りだと思います。
387 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 02:06:19 0
>>385 >否定も肯定もしないからこそ、両立できると思いますが。
外界の実在性を知り得ないとする立場と、
外界の実在性を否定する立場がどうやって両立するんだよ。
あるかどうか知り得ないのに、なんで否定できるんだw
>>386 ということは決定論で考えれば認識は常に可能であり認識の対象と未だなっていない物に
対しては不可知論の立場を取るということでしょ。
決定論の不可知論は認識の不可知論とは区別した方が良いですね。
そんでもって決定論に於ける不可知論の使用方法は非決定性に向けられる。
非決定性の主張は決定論に於いては不可知論に過ぎないということになる。
390 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:13:00 0
>>387 両立しないのは、外界の実在性を否定する立場と、外界の実在性を肯定する立場の場合です。
>あるかどうか知り得ないのに、なんで否定できるんだw
そういう話ではないです。
独我論の一部として、「外界の実在性を否定する」以外のことは
不可知であるという立場があってもいいのではという意味で、
不可知的独我論と書いただけで、不可知的独我論=不可知論ではないですよ。当たり前ですが。
391 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:13:56 0
>>388 何か勘違いしているようですが、私は決定論が正しいなどと主張していません。
392 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:15:42 0
>>388 >決定論で考えれば認識は常に可能であり
これは言えないと思います。
393 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:17:09 0
>>389 決定論の世界に非決定性などありません。
不可知論が出たのでパラドックス。
ABCの三つの箱がありABCの順番に開けていく。
そのどれかには宝石が入っているがどこに入っているかわからない。
宝石の入っている箱を開ける前に見事に言い当てたらその宝石が貰える。
ABの箱に宝石が入っていなければCに入っているに決まっている。
しかしABの箱を開けた時点で中身が空だったらCに入っていることが事前にわかるから
Cに入っているはずがない。
同様にBにも入っていない。
だからAに入っているに違いない。
こういう推理をしてみた。
トゥルーorダウト?
>>391 だから正しくないんじゃないかと聞いているんだけど。
396 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 02:19:09 0
>>390 >両立しないのは、外界の実在性を否定する立場と、外界の実在性を肯定する立場の場合です。
外界の実在性を否定する立場と、外界が実在するかどうか分からないとする立場(不可知論)は両立しないよ。
君以外の誰が考えてもねw
哲学にド素人のラビが生意気な口を叩くだけでイライラ来るね
論理についてはもっと無知だし
398 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:20:59 0
>>395 正しくないとも言えないでしょう。否定することは原理的に不可能です。
>>398 これまでのところラビさんが解説した決定論は論理的に何度か破綻してますよ。
だからラビさんはどう考えているのかが気になったんです。
400 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:24:25 0
>>396 だから、外界の実在以外の部分で、不可知とする立場として、不可知「的」独我論って書いているでしょう。
不可知論の立場からすれば、知らないだけで、独我論が正しくても問題はありません。
外界の実在は肯定していませんから。
401 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:25:11 0
>>399 それは貴方が破綻していると思い込んでいるに過ぎないでしょう。
そして空の箱を開けてこう言われる
「それで、君はAにあると予測したのだろう?」
数学のテストの改造版だね
ラビとか全然知らないんだろうな
なんか不可知論の内容が錯綜してておもしろい。
ラビさんは何が可知なんですか。
私は他者と認識が付合する事柄はとりあえず可知としてます。
だから違う他者と話すときは必ずしも可知であり続けるとは限らないという立場です。
404 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:27:12 0
>>394 パラドックスでも何でもないでしょう。問題自体がおかしいだけ。
>>401 先ず決定論は外界の実在性を根拠にしているというのがラビさんの解説する決定論。
しかしそれは否定も肯定もできないということではなく相対的に見れば否定も肯定も
可能な物事の捉え方の一つに過ぎない。
外部の実在性に依拠するだけで観念論を脱却できるという無謬な信仰があるのでは?
>>400 ラビは、誤りは誤りと認めたほうがいいですよ。
あるいは誤解を招く書き方だったと訂正するとかね。
でないと言い逃れしてるみたいにしか見えないから。
つまらないよ。
>>404 有名なパラドックスですよ。
数理パズルはラビさんには難解過ぎると思うからオーソドックスなパラドックスで
可知/不可知を遊んでみたんですが頭堅くなってないですか?
408 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:30:42 0
>>403 >私は他者と認識が付合する事柄はとりあえず可知としてます。
とりあえずであって、それが絶対正しいというわけではないですよね?
しかも信仰に過ぎませんよね。
一秒より前の過去が存在することは信仰に過ぎないです。もちろん記憶も感覚も。
決定論が正しいと主張しているのではないというのは予防線ぽい。
410 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:32:03 0
>>405 >先ず決定論は外界の実在性を根拠にしているというのがラビさんの解説する決定論。
そんな主張も解説もしていません。どこでしましたか?
>>408 私に絶対を求めないで下さい。
相対主義者なんだから。
ただ論の論理整合性があるか否かに関心があるだけです。
ただ相対主義者は安易な日和見はしないです。
412 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:33:02 0
414 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 02:34:06 0
>>408 >一秒より前の過去が存在することは信仰に過ぎないです。もちろん記憶も感覚も。
ラビが考えるところの「信仰」と「認識」の違いについて説明してくれる?
>>412 不可知なはずが不可知であることを前提にすると可知になるというパラドックスです。
本当に知らない?
416 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:34:52 0
>>411 求めていません。貴方のも信仰でしょう?と申し上げているだけです。
417 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:37:00 0
>>413 それは貴方の誤読でしょう。決定論に根拠などありません。だから信仰だと申し上げているのです。
418 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:38:53 0
>>415 >不可知なはずが不可知であることを前提にすると可知になるという
なりません。問題文がおかしいだけでしょう。
何と何がパラドックスなのかちゃんと説明してください。
>>417 そこで信仰の意味するところが重要になって来るわけですよ。
他人の信仰をどうこうしようとは思わないけど不明瞭な部分は信仰で片づけるしかないなら逃げ口上だと。
どうしてそういうのかていうのは論理を可能たらしめているのが決定論だとラビさんが主張しているからです。
>>418 それがわからないと論理には相当疎いてことじゃないかと思います。
>>418 ラビさんの不可知論争(ここでの)は基本的に不可知であるという前提を最大限に活用して
可知を導いてしまっているんですよ。
不可知であるから否定と共存できる等。
422 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:44:18 0
>>419 それは逆ですが。
私が他人の主張の根拠を聞いて、根拠が出せないところまで掘り下げ、それは信仰だと言っているだけですから。
423 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:45:04 0
>>420 説明できないということは貴方が理解していないだけでしょう。だから変な問題文を作ってしまうのだと思います。
>>423 だから不可知を前提にして可知を導くということはできないということなんですよ。
ちょうどラビさんがやっていることはこのパラドックスと同じ類推。
425 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:47:50 0
>>421 導けていないと思います。
>しかしABの箱を開けた時点で中身が空だったらCに入っていることが事前にわかるから
>Cに入っているはずがない。
これは仮定と時系列を無視した無茶苦茶な日本語でしょう。
開けたら不可知ではないですし、開けても不可知だというのなら、何をしようと不可知です。
426 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:48:48 0
>>424 不可知を前提にして可知を導くなんてしていませんが。何か勘違いしているのでは?
不可知と否定が共存できるはずだというラビさんの主張は
不可知は肯定も否定も内在しているから否定と共存していいはずだと主張していることなんですけど
不可知なんだから共存できるか否か自体が別の不可知を生じるだけなんです。
そうして導き出された新たな不可知を断定する術はないと思いますがいかが?
ラビさんの不可知観では不可知は否定とも肯定とも矛盾しないらしいがそれは論理的ではないです。
429 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:52:53 0
>>427 不可知的独我論は、不可知論ではないと書いてあるのが読めませんか。
430 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 02:54:02 0
>>422 >私が他人の主張の根拠を聞いて、根拠が出せないところまで掘り下げ、それは信仰だと言っているだけですから。
へー、根拠が出せないと信仰になるのか。
だったら一度創価学会員と論争してみるといい。
どこまでも根拠を出すぞwww
>>429 不可知的独我論て何ですか。
疑わしいものは否定していくから独我論なのであって不可知的独我論なんて
誰が提唱しててどういうロジックなのか全く見えないです。
432 :
ラビ:2008/01/31(木) 02:59:36 0
>>431 >疑わしいものは否定していくから独我論
そうでしょうか?
否定しない独我論があっても構わないと思いますが。
独我論なら世界そのものが自分であっても問題がないでしょう。
433 :
ラビ:2008/01/31(木) 03:03:39 0
>>430 根拠が出せないなら信仰ですが、根拠が出せたら信仰ではないというわけではありません。
信仰という言葉が安易に語られすぎているけど信仰は哲学の対象ですか?
435 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 03:09:14 0
>>433 >>414に答えて欲しいんですけど。
ところでラビさんは、猫の味方と同じ人?
そういう、不可知論というか懐疑論は、生産的でないですね。
反論する時だけ強い、ソフィスト的破壊的懐疑論みたいです。
436 :
ラビ:2008/01/31(木) 03:12:14 0
>>435 >そういう、不可知論というか懐疑論は、生産的でないですね。
全く同感です。非生産的だと思います。
生産的なことはすべて信仰の上にあると思います。
>反論する時だけ強い、ソフィスト的破壊的懐疑論みたいです。
同感です。
ラブ。朝までガンバレ。。
438 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 06:45:26 0
そんなことより、もし偶然があるとするなら
理由を説明できる人いませんか?
話題転換
決定論の話題よりも
「理由」「根拠」「合理性」などについて掘り下げた方がいい
これら哲学問題を無視しているからラビ君のは無茶になっている
というよりもラビ君の口上は決定論よりもこっちが主題
合理性の保証の担保に決定論が登場してる
まず「非決定論と合理主義は本当に両立不可能なのか」が一つの問題
だが、こんな細かいことをちまちまやるのもつまらん
それよりもラビ君が言う「論理の根拠」(これおかしい日本語)などについて議論した方がいい
彼は「理由を探す」=「根拠を探す」となっているようだ
この部分に焦点を当てた方が哲学的には面白いだろう
まぁ、最高位と同じで素人が突っ走った哲学議論はスルーした方がいい
二人とも「論理」とか「原理」などの言葉が浮遊した使い方をしてるだろう
本人が理解してないんだよ
見せ掛けだけの言葉に付き合えるひま人は相手にすればいい
赤信号で車が通ってない道がある
君は渡ることもできるし、渡らないで待つこともできる
選択肢があり、選択をする余地がある
だが、決定論が正しいなら人は選択をすることはできない
すべては過去から決まったものである以上
未来についてあれこれ考えたり現在に迷ったりするそれら考えの内容に何の効果もなくなる
441 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 08:51:16 0
>>439 このスレ見てまったく同じ感想をもった。
決定論とか不可知論とか言葉の定義もいい加減で
言語の意味のあいまいさに頼った議論をしているから
いくら議論しても何の進展も無い。
「可知・不可知」と「既知・未知」とを同義語のように
使ったりして議論をはぐらかしているだけ。
>それよりもラビ君が言う「論理の根拠」(これおかしい日本語)などについて議論した方がいい
>彼は「理由を探す」=「根拠を探す」となっているようだ
>この部分に焦点を当てた方が哲学的には面白いだろう
前に「充足理由律」なんていらないんじゃ無いかと提案したけど
盛り上がらなかったね。
論理の真偽や根拠だったら「論理実証主義」批判をするとか。
言葉や論理を厳密に使う野になれるタメなら分析哲学をテーマに
するのはよいかも。
442 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 09:09:32 0
決定論というか
未練ないからさ 放棄出来る
なんでも
443 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 09:33:26 0
ところでニートの今日の予定は?
444 :
ラビ:2008/01/31(木) 10:03:26 0
>>440 >未来についてあれこれ考えたり現在に迷ったりするそれら考えの内容に何の効果もなくなる
決定論では「未来についてあれこれ考えたり現在に迷ったりする」ということが決まっているだけ。
だから、決定論が正しいなら人は選択をすることはできないのではなく、
決定論が正しいなら人は選択をせざるを得ないというだけ。
過去によって決定された片方しか選ぶことはできない
これは選択できないということ
選択する、ということは片方を拒絶するということである
右手で殴るか左手で殴るか
もし、決定論によって右手で殴ることが決まっていたのなら
彼は左手で殴ることを選択できないし、右手で殴ることを拒絶できない
もしかして両方ですか?
オラオラオラオラ
447 :
ラビ:2008/01/31(木) 10:28:57 0
>>445 >過去によって決定された片方しか選ぶことはできない
>これは選択できないということ
違います。何を選択するか決まっているだけです。
まず、選択するという行為を厳密に定義してみてください。
例えば、「結果を思いめぐらし、迷った挙句何かを決める」というのであれば、それは決定論と相反しません。
そういうことを「選択する」とは言わない
「君はAかBのどちらかを選択することができる
ただし、Bは選べない」
こんな馬鹿げた文章はない
それは「Aしか選択肢がない」、選べない、ということだ
選択は自由意思の存在を前提にして初めてなしうる
自由意思の存在は、決定論とは矛盾する。
逆に言えば、決定論においては選択という概念がありえないということだ
450 :
ラビ:2008/01/31(木) 10:37:11 0
>>448 >「君はAかBのどちらかを選択することができる
>ただし、Bは選べない」
これは言えないです。わからないのだから。
貴方が何を選ぶか知っている人がいたとしても、
貴方が選択したという事実は変わりません。
選択することと、それが決まっていたかどうかは相反しません。
言葉の意味を全部決定論の都合に合わせて変えることができるなら、
もはや言葉によるまともな議論は望めない
ぶん殴ってやればいいんだよ
あいつが殴られることもすでにとっくの昔に決定されていたことなんだから
452 :
ラビ:2008/01/31(木) 10:38:53 0
>>449 普通にあり得ますよ。貴方がそれを理解できていないだけでしょう。
貴方が理解できないことも決定論では決まっていたことになりますが。
映画の中の登場人物だって選択して行動しています。それと同じです。
言葉の概念操作に終始する前に、既存の定義用語を前提とした上で論理的整合性を確保する努力をすべきだろう
454 :
ラビ:2008/01/31(木) 10:39:33 0
>>451 そしてそれが当たらずに殴り返されて泣いて帰ることも決まっているわけです。
>>452 あなたの脳内仮説ではありえるのでしょう。
通常の用語法に従っていれば、そんなありえるという帰結はでてこない。事実を争っているのではありませんよ。
映画の登場人物は現実空間の我々と同様の意味で選択してはいない。
456 :
ラビ:2008/01/31(木) 11:00:23 0
>>455 >映画の登場人物は現実空間の我々と同様の意味で選択してはいない。
かどうかはわかりません。
我々が映画的存在でないと証明することはできないでしょう?
例えば、桶の中の脳の可能性を否定できるでしょうか。
>>456 映画の話をしていたら、急に「映画的」なることばがでてきたな。
そういう議論の操作の仕方は無意味どころか有害きわまりない。
映画とは、我々が作りうる(と考えている)映画であって、我々が演出するものに他ならない。
映画的存在かどうかなんて今は関係ない
選択という語をしっかり定義すれば、映画の登場人物が選択をしているかどうかは判断できる。
これが道理。
桶の中の脳とかまったく関係ありませんな。そんなことはどっちでもよろしい。
問題は我々の認識なのであって、認識とはなれて事実がどうなっているかではない。
桶の中の脳かどうかは証明不可能な問うに値しない問題といえよう
459 :
ラビ:2008/01/31(木) 11:27:55 0
>>457 そういう意味ではなくて、
我々を含む我々の宇宙自体が作られたものである可能性は否定できないということです。
460 :
ラビ:2008/01/31(木) 11:31:32 0
>>458 >桶の中の脳かどうかは証明不可能な問うに値しない問題といえよう
まあ、そうなんですが、その可能性を否定できないことがわかっていれば問題ありません。
それはともかく、我々の認識が、脳の物理状態と物理法則に従っているだけなら
複雑なだけで原理的にロボットと同じで、決定論的です。
それ以外の何かがあるというのなら、それを証明しないとダメでしょう。
461 :
モル:2008/01/31(木) 11:35:22 0
>>460 証明なしでそうでないと言ってるのが非決定論者なんだけどね。
決定論者も、俺達の脳が法則に従って動いているということを証明できていない。
462 :
ラビ:2008/01/31(木) 11:38:19 0
>>461 >決定論者も、俺達の脳が法則に従って動いているということを証明できていない。
だから私は、過去が存在するのと同様、信仰だと申し上げているわけですが。
463 :
モル:2008/01/31(木) 11:47:49 0
>>462 いいんじゃないですか、全部信仰で。
デカルトも「我」以外は全部嘘かもって言ってるしね。
464 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/01/31(木) 12:06:16 0
だから、決定論と非決定論は互いに内包し合っておるのだ。
ラビはまだわからんのか?
くっくっく。
465 :
ラビ:2008/01/31(木) 12:18:26 0
馬鹿は相手にしませんので。悪しからず。
ここまで読んで来たが、非決定論の主張は不可知論か、
悪魔の証明の要求か、実践的要求(非決定論でないと
困る)かのどれかだな。
もうちょっとマシな非決定論者の登場希望。
467 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 12:44:08 0
>>464 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>決定論と非決定論は互いに内包し合っておるのだ・・・
どういうことですか?
決定が非決定を内包していると言う場合が想定できないんですが?
>>460 可能性を否定できないんじゃなくて、証明がそもそも不可能なんですよ。反証不可能な命題は論じても意味がない。
469 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 12:53:13 O
し合って
決定論というのは非決定論が前提で成立しているんだけどね。
反証可能性とか理解できる連中が一人でもいたら
俺が真摯に議論に参加したるよ
中学生の議論ごっこに付き合えるか
こども哲学板とかこども議論板とかあればなぁ
哲学かじったこともない奴が大口叩いて「論理」とか抜かすの
見ていて痛々しい
>>471 だからAV総合板にこいよ。。楽しいよ。。
哲学や数学てのは何の専門性もないからオープンな学だが
その分純粋に知性が試される。
475 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 14:27:36 0
「ラビや最高位のような哲学的素人…云々」というレスがあった。ここに玄人はいるのか。
もし玄人の意味がそれでゼニを稼いでいるということなら、分野は別として、このスレの
住人のうち言葉(書き言葉でも喋り言葉でもいいが)を売って世過ぎ身過ぎをしているのは、
何人くらいだろう? せいぜい3、4人というところか。
476 :
ラビ:2008/01/31(木) 14:29:19 0
>>468 証明可能なものが何かありますか?
また、創造主がこの世界に介入してきたら、それは証明にならないでしょうか。
477 :
@:2008/01/31(木) 14:38:55 0
>>468 >我々の認識が、脳の物理状態と物理法則に従っているだけなら
複雑なだけで原理的にロボットと同じで、決定論的です。
この「物理法則」には当然、未知の物理法則も含まれるんだろう?
物理法則が決定論的だといつ決まったんだ?
479 :
ラビ:2008/01/31(木) 14:42:33 0
>>477 因果律に反するものは物理法則ではないでしょう。
481 :
@:2008/01/31(木) 14:50:32 0
>>479 あそ。
ところで宇宙が膨張してるってのはとりあえず認めるかい?
482 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/01/31(木) 14:52:48 0
>>467 >
>>464 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >決定論と非決定論は互いに内包し合っておるのだ・・・
>
> どういうことですか?
> 決定が非決定を内包していると言う場合が想定できないんですが?
ラビのように,決定論、非決定論のそれぞれをラベリングすることしか考えておらんからな。
決定論・非決定論・人間認識の三つをみれば,互いに内包し合っておるのは自明だ。
対立は単なる妄想だな。
つまり、決定/非決定は、対極にはない。
決定の反対は、何もしないだ。
くっくっく。
483 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/01/31(木) 14:53:18 0
>>465 > 馬鹿は相手にしませんので。悪しからず。
またも遁走宣言か?
情けないやつだな。
くっくっく。
484 :
ラビ:2008/01/31(木) 14:54:54 0
>>481 その説が有力というだけで、証明されているわけではないですよ。
485 :
ラビ:2008/01/31(木) 14:55:35 0
誰か特定していないのに、自分のことだと思ってしまった馬鹿がいるようですね。
486 :
@:2008/01/31(木) 14:59:06 0
>>484 >その説が有力というだけで、証明されているわけではないですよ。
これは何の宣言かね。
証明されなければ考察に値しないかね?
防衛線かね。くだらんね。
487 :
ラビ:2008/01/31(木) 15:02:28 0
>>486 証明されていないからこそ、考察の余地があるのではないでしょうか。
488 :
@:2008/01/31(木) 15:04:26 0
>>487 いやもういいよ。
恐らく君と話しても何も生まれないだろう。
他へ行くよ。それじゃ。
489 :
ラビ:2008/01/31(木) 15:07:49 0
>>488 というよりも、貴方と話しても何も生まれないだけでしょう。
宇宙の膨張が一体何の関係があるのでしょうね。
中身のある話を展開できるなら、私以外の相手にやってみればいいでしょう。
2ちゃんねるだから別にいいけど口喧嘩スレの様相ですね。
実に興味深い。
決定論は実在を仮定している。
実在の状態遷移に非決定性があると考えるのが非決定論で非決定性がないと考えるのが決定論。
だから決定論は機械的唯物論に依っている。
こう考えるとラビさんが解説しているとする決定論と機械的唯物論者さんが語る決定論は異質の理論。
>>490 カントだと実在が自由で表象が決定論的なんだが。
492 :
ラビ:2008/01/31(木) 15:26:32 0
>>490 >決定論は実在を仮定している。
とは限らないです。
唯物論的決定論は実在を仮定していますが。
493 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 15:36:16 0
>>492 あなたは女性ですか、どうよ。と、久しぶりにこの質問をしてみる。
494 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 15:40:14 0
>>478 で、だれだと思う? 一人でいいから、挙げてみて?
495 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/01/31(木) 16:14:12 0
>>485 > 誰か特定していないのに、自分のことだと思ってしまった馬鹿がいるようですね。
ラビにしては珍しい,頭隠して尻隠さずレスだな。
くっくっく。
496 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/01/31(木) 16:15:50 0
珍しいではなく,ラビらしいか。
くっくっく。
で、ラビ脳は決定論と非決定論が互いに内包し合っていることを理解できたのか?
お前の言っておることは,儂の言っておることに内包済みだな。
くっくっく。
497 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 16:36:38 0
>>490 >実在の状態遷移に非決定性があると考えるのが非決定論で非決定性がないと考えるのが決定論。
実在の状態遷移が確率的な場合でも決定論でいいですか?
498 :
モル:2008/01/31(木) 16:38:56 0
>>496 なんであなたは訳の分からないキャラクターを演じてるの?
素でもそうなわけw?
499 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 17:02:29 O
>>480 av女優板なら吉永あきスレにいるよ。。楽しいよ。「ミュンヒハウゼン男爵」も
はやくこい。
結局決定論てのは哲学じゃないってことか。
502 :
モル:2008/01/31(木) 17:31:06 0
しかし、一番レスの伸びがいい。
>>491 そんなこと言うと決定論的自由というのが出て来てまた大騒ぎになるじょ。
ミュンヒハウゼンはAV板に行く、近い内に必ず
506 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 19:04:10 0
決定論と自由意志は両立するというのは常識だろう。
本当に自由意志がないと感じてる人がいるのかな?
そもそも自由意志なんてものは想像の産物。
508 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 19:56:40 0
>>482 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>決定の反対は、何もしないだ。
実際はどんな人間も何もしないと言うことは出来ない。
非決定論者(私も)は結果が確定しないと言う予測だが、それでも何らかの行動をしなくてはならない。
そのジレンマ(結果を期待できないのに行動しなくてはならない)みたいなものは、確かにあると思います。
言わせてもらえば決定論者はその問題に直視せず蓋をしていると考えます。
言い換えると決定論者は自らの選択の結果を何かの原因に帰結して責任を回避している。
決定論者は結果を原因から切り離すために、結果を全て背負わなければならない。
じいさんは最近どんな哲学書を読んだ?
510 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 19:58:57 0
>>490 :考える名無しさん:
>決定論は実在を仮定している。
成る程、確かにそうですね。
511 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 20:00:31 0
>>509 :考える名無しさん:
>じいさんは最近どんな哲学書を読んだ?
今まで読んだことないし、これからも読むつもりはありません。
よろしく。
512 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 20:09:03 0
自由意志を想像できるのが自由意志の存在性の根拠だろ。
513 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 20:12:00 0
ここは哲学とは関係ないスレですね。
514 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 20:25:44 O
>>508 責任を回避することが、無意識下上で責任や義務
のように成った時代。
流行なんだろな。
515 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 20:28:05 0
ここは自分で考える哲学のスレだからね。
哲学書の書評を書くところではない。
じゃ議論なぞせずに自分で考え続けりゃいいんじゃないの?
ちゅうは最近どんな哲学書を読んだ?
518 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 20:43:39 0
>>514 :考える名無しさん:
非決定論と言うのはある意味、観念論としての「自由意志」が物質の因果律決定論に拠り所を求める事を拒絶した考えだと思います。
そうやって物質的裏づけから切り離されれば「自由意志」は観念の中だけで決着を付けなければならない。
まあ・・・当たり前の話でなんでしょうが・・・・。
519 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 20:45:18 0
>>516 :考える名無しさん:
>じゃ議論なぞせずに自分で考え続けりゃいいんじゃないの?
議論したいからです。
貴方はしたくないですか?
想像の産物である自由意志が人間に必要な理由は簡単。
記憶という思い出を綴るにはエピソードが必要だから。
人間の共感する性質が作り上げた観念だ。
だから映画鑑賞したり小説を読んで感動したりする。
早い話が単細胞動物の振る舞いにさえ自由意志を感じてしまうしロボットの行動にも
自由意志を見てしまうのはそういう事情が背景にあると思う。
521 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/01/31(木) 21:20:33 0
>>520 :考える名無しさん:
>記憶という思い出を綴るにはエピソードが必要だから。
>人間の共感する性質が作り上げた観念だ。
順序は逆だと思うんです。
「記憶という思い出を綴る」と言うのは自我の時間的同一性の確認だと思います。
自分と外界とを時間的にも峻別するわけですね。
おっしゃるとおりその辺から「自由意志」が生まれる。
そしてですね、その後に他者に自分を重ね合わせる(共感)と言う順番。
522 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 21:28:34 0
メーカーやベンダー、サードパーティーがユーザーに提供する
サービスの価値は自由に関する。
523 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 21:40:22 0
アメリカで最近広がってる先行き不況感というのは
どうも.世界的に温暖化防止の気運が高まってきて、かなりの温暖化防止は避けられない
アメリカ人の常識ではそれは即経済の縮小につながるという、反潜在意識が働いてしまうのではないか
これが下部構造の唯物論ーーーーーーーーとこのスレで言ってもなあー
524 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 21:41:31 0
反潜在意識ーーー>半潜在意識
525 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 21:49:16 0
>>523 それは、おおよそ合っていると思う。ただ、このスレのほとんどの住人が
自活したことがないので、下部構造といえるものがないんだよ。
ガソリン値上がりしたら暴動起こるぞ>アメリカ
じいさんは書物との出会い、目からウロコがポロリ
の衝撃、なんていう体験がないのね。。どうも過大評価
してたようです。最高位丼とかわらん。
じいさんも、もうAV総合板にこないか?
528 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 22:21:00 0
ラビ氏の“信仰”は、観念(じいさんの言う思い込み)のことだろう。
マルクスなら“疎外”というところだろう。ラビ氏は主観あるいは
共同主観という言葉をつかっていたのではないかな?
ラビ氏は、どのような突っ込みにも切り返せる、いわば“不敗の言説”
として決定論輪を定立したのではないか。
529 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 22:24:38 0
>>527 アホ、真に受けるな。ここで読書自慢をするやつにゼニになりそうなのはいないよ。
人は考えるから間違える。
人が考えなければ間違えることもない。
じいさんとちゅうは本当に読書してないと思う。
読書するのは楽しいからなのだがその楽しみは人それぞれ。
自由意志を根拠に人を処罰するということは、
反証不能なことによって人を処罰するということだ。
なぜなら、自由意志は反証されえないからである。
では、これが果たして処罰の根拠として妥当なのだろうか?
このように問うとき、実は事態は逆なのだということに気付く。
自由意志があることが処罰の前提なのではなく、
常識的に処罰される必要がある行為には自由意志がある
ということにされるのだ。
つまり、自由意志において処罰するとは、
要するに、反証不能な前提によって被告を
押さえ込むということである。
これはおそらく人類の実践知であり、
学問的なそれではない。
533 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 00:11:07 0
149 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/01/30(水) 00:13:03 0
自由な市民による自由な意志決定で社会が突序を保ちつつ運営されていることが最善である
・・・・という「近代(社会)思想」にはなんの不具合も感じるわけではありません。
私だって「一歩家を出たら強盗に身ぐるみ剥がれるかもしれないし殺されても不思議はない」
「強盗を取り締まる社会システムがない強盗はやったモンがち」のような社会に暮らしたいとは
思いません。
従って「社会契約論」を何度も持ち出して「万人の万人に対する闘争」・・要は出くわした他人は
暴力で制圧して金品を奪うこと・・が「結局はその被害者にも加害者にも『益』にならない」と
考えた思想家ジャンジャックルソーが編み出した『社会契約論』で社会を運営していくことに賛成なのです。
それらの「システム」が現代の「司法行政立法三権分立システム」でそれなりに機能していることは評価しております。
警察官の鈍感さや汗臭さは誰でも好きではありませんけれど、「さらに酷いならず者ややくざ」が社会を闊歩するのも
「いや」だと思ういますので、「社会契約論」に基づいて自分の「自然(人)権」の一部を放棄してまで「この社会の秩序」
を守りたいとは考えております。
最近は子供の人権だとか家庭内DVだとかで家庭内契約論の時代に突入した。
こんな家庭観は日本だけ。
535 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/01(金) 00:26:08 0
>>533 有難うございます。グッドタイミングのアップかもしれませんね。
「罪と罰」をどう設定するか?どう設定するのが「妥当」であるか?
・・(人文「科学」である)「法律学の世界」だと思います。
536 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/01(金) 00:31:39 0
>>534 今までの日本の家庭は「親と子供の(甘えの)相互依存」で成立してきた部分が
非常に多いので、それらが実質的に「ナンセンス」だと気づいた親なり子なりが
「家庭なんて束縛の方が多すぎて自由が少なすぎる!」とわめき出すことが
「家庭崩壊の構造」だと思います。
要するに親離れできない子供と子離れできない親の相互(心理的)依存関係が
「突発的な事態」を引き起こす事例が多くなっている・・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>536 その通りなんでしょうね。
日本ではあまり暴動のようなことが起こらないし心配する必要もない。
守るべきものを見失っているからだと思うけど家庭は本当は大事。
538 :
ネオマトリクス:2008/02/01(金) 00:45:13 0
『自由意志で自由意志を増やす』について詳しく書きます。
オカルト的に聞こえるかもしれませんが
仮に素粒子一個でも自由意志が作用できてるなら、
原子→分子→細胞のように、その単位を増やすのは
可能だと思うんですよ。(自由意志が無いなら無理ですが)
テクノロジー的な議題なんですが
仮に自由意志があるなら、「物質に人間の好きに直接影響を与えられる力」
という非常に便利なものだと思うので、
自由意志の作用する単位を増やせればテクノロジーの革命的なことと
思うんですが、皆さんはどう思いますか?
テクノロジーは道具で道具を作って発展してきたので
一番の道具である自由意志を当てはめて自由意志を増やせれば
革命的だと思います。
539 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 00:50:15 0
>>538 何のためつーか目的は何なの?目標とか?国民総生産GDPを上げるためなの?
そんなもの上がろうが下がろうが俺には全く関係ない。
念仏唱えるより現金くれ
必然と矛盾しない自由でいいなら誰ももう言うことなんてないよ。
『心頭滅却すれば火もまた涼し』という。自由意志とかなんとかを押さえ込んで
『心頭滅却」して静かな心境で暮らすことが日本人の本当の幸せなのではないか?
542 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 00:59:53 O
詭弁
無知になる事こそ真の知だと言っているようなもの
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∨:::::i´l::::::::::::::| イう::}:!` {辷:ノ|::::| | 機械さん、 .|
|:::::::|ドl::::::::::::::l L辷ノ ハ:::/ | .|
|::::::::\_、::::::::::ヽ、 ' イ:::/ | あなたの人生、ドッキリです ..|
|:\::::::::`ヽ:::::::::::::ヽ ,.. 彳:/ .| ....|
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レ:::::八.ヽ::::::::::::`ヽ>┬ - ´ | ..|
|:/:::) 二\::::::::::::i`ヽ| /⌒丶、 |
/:::/___冫:::::::/:::::}`ヽ /...-┬‐ 、_)|
(::::;イ \:::ノ:::::ノ`ヽ_ /. ‐'´‐┴‐‐- |
)′ `¨\:::::::ノ:::::::) .ー‐―─-イ
(:::| `¨\:::イ`ヽ ーーー L-‐┬一'...|’
日本人の本当の幸せは古来より波乱万丈で暮らすこととされております。
逆転した自由意志ってあるかもな。不自由意志とか自由機械とか。
全てが決定されてる決定論ではなくて、全てが決定をする決定論みたいな。
素粒子に人間の意志が作用しないなら観測問題なんて発生しないだろ
観測問題の何が問題なのか?
観測しようとする行為が素粒子に影響を与えてしまう
だから、観測者の意図の影響を受けないような形で
素粒子のエネルギー、運動を調べることができない
ということだろ
ほら、意志が素粒子に影響を与えているじゃん
>>546 大笑いさせて頂きました。
誠にありがとうございました。
548 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/01(金) 10:17:53 0
>>508 > 実際はどんな人間も何もしないと言うことは出来ない。
違うな〜。
宇宙からみれば,人間がしておることなど何もしておらんに等しい。
何かを決定しているとか考えることが既に妄想だ。
人間から見て結果に見えることがあるとしても、それが決定されていたなどという考えは、単なるマスカキ思考だな。
決定も,非決定もないが故に、決定論と非決定論は互いに内包し合っておるわけだ。
簡単なことだ。
くっくっく。
549 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/01(金) 10:19:47 0
>>528 > ラビ氏は、どのような突っ込みにも切り返せる、いわば“不敗の言説”
> として決定論輪を定立したのではないか。
ラビがそんなに賢いわけがないだろうが。
不敗の言説=宗教だ。
くっくっく。
観測問題が問題になるはずないじゃん
物理学に問題や困難なんて何もない
後付で概念操作すれば不敗の言説になるだろ
宗教とも言うけど
不敗の言説だと思っている人には思わせておけばいい
不敗のまま腐敗して発酵する薄幸なソフィスト
古代ギリシャにもいたんだ
哲学板にソフィストがいて何が悪い
553 :
偽・エルロイ:2008/02/01(金) 10:57:06 0
>>549 ラビ氏は宗教という言葉こそ使っていないが、「決定論(が正しいというの)は
信仰」と明言している。彼の決定論は科学的でないのはもちろん、哲学的で
すらない。一つの信仰上の“立場”を語っているだけ。しかもラビ氏自身は、
その立場を支持していないとも述べている。
ラビ氏がアタマがいいかどうかはともかく、用心ぶかいのは間違いあるまい。
貴方の「無常」といい、最高位の「私(の存在性)」といい、はたまたラビ氏の
「決定論」といい、いずれも“怪かし”の言説。ただ、このご時世では怪しい
事物だけがゼニになる、とは言えそうである。
554 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/01(金) 12:21:59 0
>>553 怪しくて良いんだろうが。
くっくっく。
最高位のは、結局「比類なき先言の私」だな。
ラビは、一神教だ。しかも腰が引けた遁走信仰だ。
儂のは、紛いなき真理だがな。
結局、決定論と非決定論のどっちが正しいなどというは、見せかけの幻影に踊らされておるだけだ。
555 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/01(金) 12:55:09 0
>>:走召 糸色 文寸 ネ申:
>決定論と非決定論のどっちが正しいなどというは、見せかけの幻影に踊らされておるだけだ。
それはその通りだろうが、人間はそうする以外にどんな方法があるというのか?
貴方は「自分は幻影踊りをしていない」とでも言うのかな・・・?
556 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 13:28:25 0
>>555 「それはその通りだろうが」・・って認めちゃうのかよ!
俺は「決定でも非決定でもない」と納得できる思考構造にたどり着けない・・。
557 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/01(金) 14:03:10 0
>>555 > それはその通りだろうが、人間はそうする以外にどんな方法があるというのか?
> 貴方は「自分は幻影踊りをしていない」とでも言うのかな・・・?
決定論と非決定論は,互いに内包し合っておる、という言明が理解できれば,分かるだろうが。
人間は知恵に走らず,無為自然でおれば良いのだ。
くっくっく。
直観主義論理というものもある
>>558 排中律除いた論理だろ。
普通に決定論も非決定論もものは言いようの類だと最初からわかって参加してると気楽。
神はそろそろ相手にされてない事に気付けよ。
自動リピート装置かお前は。
561 :
福ちゃん:2008/02/01(金) 17:47:36 0
ああ、参考のためにじいさんにオレの書物との
出会いを。
佐藤寛子の『水蜜桃』ていう写真集だね。目からウロコが落ちた。。
562 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/01(金) 17:47:55 0
>>560 > 神はそろそろ相手にされてない事に気付けよ。
> 自動リピート装置かお前は。
無駄な煽りだ。
くっくっく。
読書は人を選ぶ
読書は人を成長させる経験を与えてくれる
だから、自分の経験が今までの自分を変革させる余地を認められない人には読書はできない
565 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/01(金) 18:18:09 0
直観主義論理でも矛盾律は有効だ。
決定論の否定が非決定論であるならば
直観主義論理でも決定論と非決定論の両立は出来ない。
566 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 18:18:40 0
>>564 あんたよっぽど超絶にこてんぱんにやられたんだな・・。
567 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/01(金) 18:26:50 0
>>517 こんなこと聞いてどうするんだ?
一応今読んでる本を挙げとくね。
「相補性の哲学的考察」(藤田晋吾著 多賀出版)
「形而上学者ウィトゲンシュタイン」(細川亮一著 筑摩書房)
「哲学塾:宇宙を哲学する」(伊藤邦武著 岩波書店)・・本日読了
568 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 18:28:09 0
相手にされてないのにやられたもへったくれもあるかw
馬鹿はスルーでいいよ。そして自演乙w
>>567 読んだ本披瀝するのはこのスレじゃ恥をさらすようなもんだぞ
570 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/01(金) 18:39:53 0
571 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 18:43:42 0
ちゅうくんこれだけ本読んでもそれを感じさせないってのは
ある意味すごいよね。
>>565 わかってないならわざわざ書かないこと。
他人の書いた本読んだりすると哲学する力は確実に落ちる
考えなくなるからだ、、このスレはそういう連中で溢れてるなw
自分だけでいろいろ考えた結果が古代哲学レベルってやつもいるけどな。
>>571 おれもそう思う。
まあ読むだけならだれでもできるからな。
577 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 19:04:27 0
>>562 煽りでもないぞ。同じ事を延々と繰り返す最高位状態になってる。
お前ら言ってる事はけっこう違うが、根っこが凄い似てるな。
超絶は鏡なんだよ。
仏教=宗教 だから アウト と考えるやつ多すぎ
仏教と聞いただけで「南無妙法蓮華経」だと思う機械のようなアホもいる
超絶は単におもしろがってるだけだろう
581 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/01(金) 19:36:50 0
>>580 確かに仏教は一つの文化であり芸術・学問・教育・文学・・・なんでも
ありだね。
仏教哲学ももちろんある。
>>574 心配しなくても他人の考えを理解する力が付くから哲学の力が付く。
>>575 古代哲学(ギリシャ哲学?)は馬鹿にできませんよ。
>>584 そうかなあ。原始仏教なんてのは
インド哲学のひとつじゃないの?
仏教に1つでも的を射たものがあるなら
その言、あげてみよ
>>584 哲学と読むかどうかは読む人の問題だが
知らないで言ってるなら一度勉強することを勧める
釈尊の思想とその政治的背景を見れば、インド思想史の観点から読みたくなってくるね
>>582 アホかw
理解力は理解力に過ぎない
他人を理解するのと哲学は真逆
やはりスポンジ脳になってるなw
理解力無い奴が哲学できるとは思えん。
先人の業績(哲学的思索)を跡付けることで、自身の哲学的思索を深めるための土台が出来上がってくる
当たり前の話だろう
そうだな。当たり前の話だな。
おれもそう思う。
592 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 20:57:40 0
哲学をやってるやつらが思索を深めてここに来てるのか
それならやんないほうがいいかもしれないw
593 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/01(金) 21:04:43 0
>>557 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>無為自然でおれば良いのだ。
冗談でしょ、無為自然な人が何でAチャンネルなの?
「くっくっく。」は不自然のしるしでしょう、どう考えても。
ここに限らず人間社会は「幻影踊り大会」である。
決定論と非決定論が反発しあうのが歴史だ。
594 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:06:42 0
>>575 生まれた時から、真理があるのは古代哲学のおかげだ。
つまり真理と言う概念を産んだわけだ。
良きにつけ悪きにつけでも。。。。
さぁこの誕生の風景をイメージできるかな。
超絶対神と比べてもじいさんは遙かに劣る。
変化があるから永遠を考え出したのだ。
変化を見ているのかそれとも自分自身が変化しているのか。
変化を知るということは、変化しない自分を知る契機である。
時間は永遠の影である。
600 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:39:25 0
理解力より感受性。
>>589 人生論(人生哲学とか言うらしい)とかだったらそれでいいですよ。
実際読み書きできない人でも語れるから。
602 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/01(金) 22:05:01 0
>>600 :考える名無しさん:
>理解力より感受性。
両方同じ、片一方と言う事は無い。
理解していから感じる。
感じるから理解できる。
知、情、理はみな同じ、それこそ包含している。
良く「対立する概念」として考える向きもあるが皆間違い。
>>602 別に対立しているとは誰も書いていないと思われ。
ただ哲学に関しては深い理解力洞察力表現力というのは普通に必須で相当知的に成熟した
人でないと考えるだけ無駄。
浅い考えはたいがい誰かが既に述べているから。
数理系の科学(自然科学及び数学)が論文をたくさん読まざるを得ないのもそういうこと。
人文系のみが論文読みに時間をかけるわけじゃない。
発見と再発見を峻別できるのもテーマの見通しを付けるのも読書が基本也。
604 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:12:25 0
605 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:16:25 0
つまり理解力だけでは時間の節約ぐらいしか......
背の高い人や背の低い人にとってはこの社会は少し不便。
でも日本人男性だと165〜175センチ位を想定するのが一般的。
規格の問題。
規格と言えば教科書。
日本の教科書と外国の教科書を読み比べればだいたいその国が国策として求める人材像が見える。
人の知性は結局社会に飲み込まれて育つしかない。
感受性で哲学で来たら苦労しないよ
でも、単なる人生論を哲学と履き違えるやつっていまだにいるんだろうな
>>605 時間の節約は大事。
深い理解力というのは量的には大量の理解が可能な器のことだから。
量から質への転化が起こるから頭がいい人悪い人が区別されちゃう。
年寄りになると他人にお説教したくなるらしい。
610 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:23:50 0
哲学的にはなるべく時間はかけた方がいい。
611 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:36:36 0
科学者とは違い技術者に求められるのは、
理解力だけでは未熟で、その証明である。
発展がそれである。
「決定論でも非決定論でもない」と
「決定論かつ非決定論ではない」は区別した方がいい
できてるよな?
613 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 01:09:09 0
>>603 :考える名無しさん:
>普通に必須で相当知的に成熟した人でないと考えるだけ無駄。
それにしても知性のかけらも無い表現だな。
>発見と再発見を峻別できるのも・・・
なんだこれは??
何故峻別するする必要があるの? 二番煎じで結構でしょ。
特許でも取るつもり?
オレが最初に発見したんだって威張りたいんだ?
614 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 01:15:14 0
>>612 :考える名無しさん:
いえいえ、以外にややこしいです。
「決定」と「非決定」と言う言葉は論理的にどのような意味があるんでしょうか?
但し書きとして決定論のニュアンスは「全てが例外なく決定している」で、
非決定論は「決定している事象と、決定していない事象の混合である」と言う事です。
615 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/02(土) 01:27:52 0
>>614 >但し書きとして決定論のニュアンスは「全てが例外なく決定している」で、
>非決定論は「決定している事象と、決定していない事象の混合である」と言う事です。
別に大した問題ではないかもしれないのですが、「決定している事象」はいいとして「決定していない事象」
は最終的に「誰がどういう手続きを持ってどういう基準で(物理法則と同じにか変えて?)決定するという判断を下すのか?」
その辺を「小さな神様」を持ちだ出さずに説明するのは結構難しくありませんか?
決定と非決定を判断する基準が曖昧である以上両者は共に意味はない。
正常と異常を判断する基準が曖昧なのと同じ事。
曖昧にならざるを得ないのは主観を廃して客観的普遍的な基準を定立し得ない問題だから。
それから決定も非決定も何ら第一義的な意味はなく属性。
>>613 発見と再発見は区別しなければ哲学できないよ。
哲学らしき語り口で常識論を戦わせるのなら別ですが。
618 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 01:43:50 0
>>615 :「機械的唯物論」者 ◆
ちょっと意味が判らないですが、具体的に・・・言うと。
サイコロの振る前が「非決定」で目が出た後は「決定」に変化します。
619 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/02(土) 01:44:15 0
>>615機械さん
そこが言葉の限界であり
説明しようとすると誤解やパラドックスが生じるのではないでしょうか。
620 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 01:50:30 0
>>616 :考える名無しさん:
>決定と非決定を判断する基準が曖昧である以上両者は共に意味はない。
そういう話の流れじゃあない。
確かに基準が曖昧で意味合いが弱いかもしれない。
正にそうだからこそ対立した意見、異なった基準を摺り合わせて、少しでも意味あるものにしよう。
是が「議論」じゃあないですか?
貴方にとっては無意味な事かも知れないが、私にとっては重要な意味がある。
ここに来てからその意味合いはますます重要になっている。
>>620 一連の話の流れで明確に決定と非決定を規定した話はそもそも出ていない。
出ているのは恣意的に世界から切り取った原因性と結果性という設定のみ。
そのようなものはギリシア時代からないと相場は決まっている。
あるというには下敷きになる理論が必要で当然あるための範囲が要求される。
>>620 >貴方にとっては無意味な事かも知れないが
哲学的には無意味。
だって「貴方にとって」とか「私にとって」というように主観が基準を形成しているに過ぎないから。
意味というのは属人的なものではないの。
それを一意に決定付けようとするのは、哲学的ではないなあぁ。
624 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 02:43:36 0
>>621 :考える名無しさん:
>下敷きになる理論が必要で・・・・
意味不明?
もっと具体的に・・・
下敷きになるような理論があるなら論争は起きない。
確率は現象の事で下敷きの理論がないから議論になっている。
決定論は次々と決定していく実践あるのみ。
非決定は実践不能性を述べているだけ。
世界に「下敷きの理論」などあるわけが無い。
625 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 02:47:54 0
>>622 :考える名無しさん:
>主観が基準を形成しているに過ぎないから。
では客観が基準を形成している例なんて有るのかしら?
客観が基準を持つはずが無いだろう?
基準と言うのは主観が持つものだろう。
主体が無いのに何を測ろうというのだ。
>>593 じいさんは頭が悪いね。人間はじいさんが思うような人間じゃないんだよ。
それに気が付いていないだけ。みんなじいさんみたいに馬鹿じゃないから。
じいさんが「人間」を語る資格はないよ。
人間が人間じゃないって!?
>>624 だから論争にはなっていない。
単に決定していると言っても決定していないと言ってもそれは通じる人にしか通じない。
要するに主観の共鳴でしかない。
こういう問題は議論の場に下りてこない。
>>625 だから正常なネコと異常なネコを判断する基準が曖昧なのと同じ事。
それを区別しているのはあくまで認識主体の都合。
だから機械的唯物論に依る決定論が正しいかどうかという議論になる。
機械的唯物論はネコの正常異常のような曖昧な判断基準は使えないから。
630 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 03:03:20 0
>>626 :考える名無しさん:
うむ確かに私は馬鹿で「幻影踊り大会」の人生である。
しかし貴方のように自分が利口で幻影でなく生きていると考えられる人も居るんだなあ・・としみじみ思う今日この頃であった。
>>630 自分が利口だなんて思ってないから。
自分が利口なのではなく、じいさんが馬鹿だから。
じいさんが馬鹿だから、そういう妄想するんだよ。
632 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 03:09:19 0
>>629 :考える名無しさん:
??なんかおかしいなあ
ここで言う決定論と言うのはスレ始まって以来、物理学の因果律や決定論の事ですよ?
確率とかカオスとか・・。
そういう具体的な事象が物理的に「決定」しているのか「非決定」なのかの議論ですよ?
633 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 03:13:14 0
だから、決定している場合としていない場合で、
何か違いがあるの?
>>632 なんだ
延々と誤読に次ぐ誤読を繰り返して反発してただけなのか・・・
道理で何が言いたいのかさっぱりわからなかったわ。
635 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 03:22:50 0
>>633 :考える名無しさん:
決定している場合は将来機械さんの言うように全ての事象が予測可能になります。
貴方が何を考え、どんな行動をするか、何時死ぬかも正確に予測できます。
大変な違いでしょう。
自分で考える。読書はしないと言いつつ、他人に教えてもらおうとするのはどうかと思う。
倫理上。
637 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 03:29:42 0
>>635 >決定している場合は将来機械さんの言うように全ての事象が予測可能になります。
将来、「どのように決定しているかを知る方法」が「見つかれば」予測可能になるということですよね?
逆に言うと、「見つからない間」は何の違いもないということですね。
638 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/02(土) 03:53:36 0
>>637 :考える名無しさん:
>「見つからない間」は何の違いもないということですね。
大変な違いでしょう、研究者の認識としても。
地震予知の国家予算配分とか。
私が判る範囲でいうと社会的、経済的に重要な問題。
保険の査定の考え方もガラット変わるでしょう。
結果が出れば(予測できれば)落ち着くが、どのくらい事故が決定論的かの思惑で大きくお金が動く。
株価や商品市場はもっと凄い。
639 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 03:58:04 0
哲学板にオカルトスレ立てるなw
>>635 >決定している場合は将来機械さんの言うように全ての事象が予測可能になります。
貴方が何を考え、どんな行動をするか、何時死ぬかも正確に予測できます。
じいさん 結構長い間このスレに張り付いるように思うが、この認識ではあきまへんで。
わしゃ悲しいよ。
641 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 09:11:52 0
>>638 >>632では
>ここで言う決定論と言うのはスレ始まって以来、物理学の因果律や決定論の事ですよ?
>確率とかカオスとか・・。
>そういう具体的な事象が物理的に「決定」しているのか「非決定」なのかの議論ですよ?
といっている。
ここで「私が判る範囲でいうと社会的、経済的に重要な問題。」という事は社会的な
政治経済の問題が物理的決定論で決定してしまうと考えているのかな。
いわゆる決定論世界では人間の自由意志に基づく行動は何も出来ないという
がちがちの決定論ですか。
決定論でも自由意志とは両立できるんじゃないか。
市場経済は自由意志の介在が必要だからそれでも決定論的に統計的ではない
必然の予測が出来ると考えるのはあきらかに自由意志を許さない決定論ですね。
しかし経済事象は物理法則がいくらわかっても予測不可能でしょう。
経済での決定論はあるとすれば既に失敗したことが決定している共産主義の計画経済を
徹底することでしょう。計画経済なら自由市場などありえない。
物理法則がすべてわかれば自由意志はなくなると考えるのはどのような論理
からですか。
642 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 10:38:01 0
>>638 まあそういうことは、フリーエネルギーなんかにもいえますよね?
そういう意味で、「大変な違いがある」ということですか?
643 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 11:22:02 0
>>586 > 仏教に1つでも的を射たものがあるなら
>
> その言、あげてみよ
「諸行無常」
ほれ、論破してみろ。
くっくっく。
644 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 11:23:18 0
>>593 >
>>557 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >無為自然でおれば良いのだ。
>
> 冗談でしょ、無為自然な人が何でAチャンネルなの?
> 「くっくっく。」は不自然のしるしでしょう、どう考えても。
>
> ここに限らず人間社会は「幻影踊り大会」である。
> 決定論と非決定論が反発しあうのが歴史だ。
反発は親和と裏表だ,たわけ。
いたずらに馬齢を重ねるだけだから,無為自然が分からんのだ。
2ちゃんしたければする・・・これが無為自然だ。
くっくっく。
諸行無常って概念が絶対なら、その時点で変化しないものがあるって
ことになるから矛盾するんじゃね。
それとも諸行無常の意味自体も流動的なのかな。
じゃあ、諸行無常って結局意味なしになるな。
646 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 11:50:27 0
>>645 > 諸行無常って概念が絶対なら、その時点で変化しないものがあるって
> ことになるから矛盾するんじゃね。
> それとも諸行無常の意味自体も流動的なのかな。
> じゃあ、諸行無常って結局意味なしになるな。
そういう考えが、西洋論理学の限界なのだ。
だから,現実に即応できんわけだ。
仏教哲学では矛盾しない。
なぜなら,我々に「絶対」というものはないからだ。
諸行無常は、諸行無常であることによってのみ成立する概念なのだ。
つまり、「空」だ。絶対ではない。
あ〜、それからな、仮に絶対があっても、絶対でも,「常」でもない我々が、それにすがれば執着でしかないわけだ。
くっくっく。
だから諸行無常は諸行無常って言いたいんでしょ。
絶対はないよ、絶対!ってのと同じで自己否定してる。
648 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 12:09:25 0
>>647 > だから諸行無常は諸行無常って言いたいんでしょ。
> 絶対はないよ、絶対!ってのと同じで自己否定してる。
ちがうな〜。
そこが西洋論理学の幼稚なところだ。
諸行無常は,諸行無常によってのみ、諸行無常なのだ。
くっくっく。
「この世界は諸行無常である」というのは、真偽の定まった命題なのですか。
「諸行無常である世界」と「諸行無常でない世界」とが存在し得るのでしょうか
「世界は諸行無常である」というのがもし真だとすると、
因果律とか自然法則というのも変化するのでしょうか。
だとすると、昨日まで諸行無常であった世界が、明日からは諸行無常でなくなる、
とか、その逆とかも有り得るのでしょうか。
「諸行無常」ってのは、客観的真理というよりは、
心構えとして示されてるんじゃないのかな。
>>648 じゃあ絶対がないって断言してるのはなぜ?
絶対がないのが絶対でないなら、断言する事と矛盾するでしょ。
あと西洋哲学とか関係ないから。どうでもいいし。
652 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 12:48:12 0
仏教哲学なら諸行無常の理由は諸法無我だからと言うことだろ。
きちんと論理的に説明されている。
諸法とは何かを考察したのがアビダルマコーシャの存在論だろう。
653 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 12:48:45 0
>>649 > 「この世界は諸行無常である」というのは、真偽の定まった命題なのですか。
真偽などない。
「諸行無常」は真理だ。
> 「諸行無常である世界」と「諸行無常でない世界」とが存在し得るのでしょうか
それは無記だな。
> 「世界は諸行無常である」というのがもし真だとすると、
> 因果律とか自然法則というのも変化するのでしょうか。
> だとすると、昨日まで諸行無常であった世界が、明日からは諸行無常でなくなる、
> とか、その逆とかも有り得るのでしょうか。
それも無記だ。
くっくっく。
>>650 > 「諸行無常」ってのは、客観的真理というよりは、
> 心構えとして示されてるんじゃないのかな。
皆の心構えであれば,客観的真理だ。
654 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 12:50:45 0
>>651 >
>>648 > じゃあ絶対がないって断言してるのはなぜ?
無常だからだ。
矛盾はない。
矛盾などというのは,妄想だ。
くっくっく。
>>652 > 仏教哲学なら諸行無常の理由は諸法無我だからと言うことだろ。
> きちんと論理的に説明されている。
> 諸法とは何かを考察したのがアビダルマコーシャの存在論だろう。
それは後付け説明だな。
つまり、方便だ。
諸行無常が先行する。
諸法無我は諸行無常によって生じるのだ。
くっくっく。
655 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 12:57:47 0
>諸行無常は,諸行無常によってのみ、諸行無常なのだ。
赤色と同じだな。
>>653 >皆の心構えであれば,客観的真理だ。
まあ、その場合、「皆の心構えである」という事は、客観的真理かもしれないね。
でも、みんなが一斉に別の心構えに変えれば、その瞬間に宇宙の法則が変わるというものでもないだろう。
657 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 13:03:05 0
>>656 >
>>653 > >皆の心構えであれば,客観的真理だ。
> まあ、その場合、「皆の心構えである」という事は、客観的真理かもしれないね。
> でも、みんなが一斉に別の心構えに変えれば、その瞬間に宇宙の法則が変わるというものでもないだろう。
「無常」という心構えをかえて、「常」とするのか?
妄想だな。
くっくっく。
>>657 だから、
>皆の心構えであれば,客観的真理だ。
という君の考えからいえば、それが妄想であっても問題ないわけだろう?
というか、妄想とそうでない考えの違いは無いということになる。
>>654 それは無常だからってか、神が無常と思ってるからでいいのかな?
なら自己完結してるでいいけど。
でもこっちからは無常をこれまた絶対化してるだけに見える。
そもそも無常で文章がつくれること自体おかしいし。
660 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 13:40:35 0
文章が、対立概念による操作により対象の把握が可能となるが、
例えば
>諸行無常は,諸行無常によってのみ、諸行無常なのだ。
この場合、各諸行無常は対立していないので文章からは
把握が難しい。
思考様式にしてもこのような操作手段からのアプローチ一辺倒では
芸がないとおもわれ。
認識主体が一切無くても宇宙は存在し続けるという素朴にして強固の信念を打ち砕くことが無理なように、
全ては認識主体の内にあるという内省的なアプローチも否定はできない。
ただ両極端は何も産み出さないし認識の彼方だと思われてならない。
662 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/02(土) 14:53:31 0
>>659さん
先にも言いましたが
それが「言葉」で表現できる限界だと思います。
可知、不可知、決定、非決定
神のサイコロ
通ずるものがあります。
じゃあどうしよう。
664 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 15:39:53 O
仙人はニコチンとカフェインで生きていけますがなにか
言葉なんてものは生み出せばいいのだ。
そして感性・理性が承知するよう言葉の領域を
エンドレスに修正かけていったらええねん。
エンドレス?
「最終」真理を求めてる奴は崖から身投げして自殺してまうな
667 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/02(土) 15:56:53 0
エンドレスとは良い表現ですね。
愛 それは言葉にすれば嘘になる
なんて
最終真理が宇宙の全記述を求めるものだとするなら
そんなもん 人間様が掴めるわけないやん。
だからさ、なんでそんなものを求める必要があるの?
しらんがな。
しらずに議論してるのか。
必要性を知らんと議論したらいかんのか?
人間なんて無条件に智恵を求めるもんやろ。
宇宙を全部把握する必要もないし
人間のありように沿ってやっていくしかないねん。
哲学が目指しているのは明瞭で納得できる世界の記述。
納得できたらええんやったら
信仰で満足したら十分やろ。
わしゃよう知らんが
そんなもんが哲学なんか?
それでええのんか?
676 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 17:03:33 0
>>674 >哲学が目指しているのは明瞭で納得できる世界の記述。
が世界そのものだと思ったら、
認識の形式だったらりして。
677 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 17:25:12 0
>>658 >
>>657 > だから、
> >皆の心構えであれば,客観的真理だ。
> という君の考えからいえば、それが妄想であっても問題ないわけだろう?
> というか、妄想とそうでない考えの違いは無いということになる。
つまり、お前にとっては他人が死ぬということも、自分がいずれ死ぬと言うことも妄想か。
くっくっく。
>>659 > でもこっちからは無常をこれまた絶対化してるだけに見える。
それは修行が足りんからだな。
> そもそも無常で文章がつくれること自体おかしいし。
無常だから作れるんだろうが。
くっくっく。
>>660 > >諸行無常は,諸行無常によってのみ、諸行無常なのだ。
> この場合、各諸行無常は対立していないので文章からは
> 把握が難しい。
だから、仏教には修行が必要なわけだ。
現実を直視する訓練がな。
走召 糸色 文寸 ネ申 は、
諸行無常なんて、当たり前のことを言ってるだけで、つまらん奴だな
「絶対はない」みたいな議論の仕方は不毛だからやめてほしいね。うんざりだ。
だから哲学に終わりはない。
それから絶対はない。
681 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 18:58:17 0
絶対温度とか絶対値とかいう概念は存在する。
>>673 >必要性を知らんと議論したらいかんのか?
いいや、そんなことはない。
無駄な事をする自由は誰にでもある。
というか無駄なことしかない。
684 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:19:06 0
基本的に対立とは、AとBの上にきづかれた
関係であり、これは傍から見えば依存とも見える。
この対立/依存の構造から客観世界が成立する。
かなぁ
685 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 19:54:52 0
>>678 > 走召 糸色 文寸 ネ申 は、
> 諸行無常なんて、当たり前のことを言ってるだけで、つまらん奴だな
そういうお前は当たり前のことも理解できんゴミ脳だと言うことだ。
くっくっく。
>>681 > 絶対温度とか絶対値とかいう概念は存在する。
なぜ存在するのか言ってみろよ。
絶対など、その程度のものだ。
くっくっく。
例えば、物理法則は、役に立っているよね。
電車や車は走ってるし、こうやってネットで会話が出来てるわけだから。
687 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 20:21:47 0
>>686 なら功利主義じゃんって言うと
ご機嫌ななめるくせに。
688 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 20:27:52 0
>>685 >なぜ存在するのか言ってみろよ。
それらの概念に矛盾が無いから。
絶対が存在しなければ超絶対も存在しない。
それが論理だ。
689 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 20:30:31 0
>>686 > 例えば、物理法則は、役に立っているよね。
> 電車や車は走ってるし、こうやってネットで会話が出来てるわけだから。
プラグマティズムか?
くっくっく。
690 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 20:32:00 0
>>688 >
>>685 > >なぜ存在するのか言ってみろよ。
> それらの概念に矛盾が無いから。
> 絶対が存在しなければ超絶対も存在しない。
> それが論理だ。
矛盾がないということは、対立概念があるということだな。
そんなものは、絶対ではないぞ。
もちろん、超絶対でもないな。
くっくっく。
>>687 いや、良し悪しのことではなくて、何を持って客観と考えるかということさ。
すくなくとも、客観というのは、詩情を添えるための修飾語ではないだろう?
692 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 20:46:00 0
>>691 >
>>687 > いや、良し悪しのことではなくて、何を持って客観と考えるかということさ。
> すくなくとも、客観というのは、詩情を添えるための修飾語ではないだろう?
修飾語だ。
妄想語でもいいがな。
くっくっく。
>>677 議論の場で修行がたりないとかって言われてもな。何かのギャグ?
あと無常だからつくれるって、それは無常という言葉の意味内容が
移ろい変わらないからこそつくれる文章だね。
694 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 21:02:55 0
>>693 >
>>677 > 議論の場で修行がたりないとかって言われてもな。何かのギャグ?
> あと無常だからつくれるって、それは無常という言葉の意味内容が
> 移ろい変わらないからこそつくれる文章だね。
頭で考えただけでは、自然の本質を理解することは不可能だということだ。
わかったか、小僧。
くっくっく。
695 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 21:07:32 0
>>690 >矛盾がないということは、対立概念があるということだな。
矛盾の消去こそ対立概念の消去、すなわち絶対化だ。
対立が有るから矛盾が生じる。
>>694 まあこっちからしてみれば、神が無常って言葉を扱い切れてないってだけの
ように思えるけどね。でもそういうのって自分の責任じゃん?
697 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 21:51:51 0
>>695 >
>>690 > >矛盾がないということは、対立概念があるということだな。
> 矛盾の消去こそ対立概念の消去、すなわち絶対化だ。
> 対立が有るから矛盾が生じる。
では、矛盾があっていいではないか。
ところで、先んじて矛盾がなければ、絶対化できんな。
そんなものを絶対とはいわん。
機械が言っておる決定論と同じだのー。
くっくっく。
>>696 >
>>694 > まあこっちからしてみれば、神が無常って言葉を扱い切れてないってだけの
> ように思えるけどね。でもそういうのって自分の責任じゃん?
口先で「無常」を扱いきれておると思うのであれば、それは「無常」ではない。
簡単なことだ。
くっくっく。
内容がなくてつまらん。
走召 糸色 文寸 ネ申 は、まとまった文を書くのが怖いんだろうな。
>>691 客観とは他者に示せるもの。
だからみんながこう考えると示せれば間違っていても客観。
つまり常識も客観的。
>>699 だからさ、「「だからみんながこう考え」ている」という事と、
その「考えている内容」は、別の事柄じゃないの?
例えば、
「太陽が地球の周りを回っているとみんなが考えている」「という事」と、
「太陽が地球の周りを回っている」「という事」は、
「同じ事柄」ではないんじゃないの?
701 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 23:02:06 0
>>698 > 内容がなくてつまらん。
> 走召 糸色 文寸 ネ申 は、まとまった文を書くのが怖いんだろうな。
元々無内容なスレだから良いんだよ。
せいぜい、お笑いを書くくらいのものだ。
で、お前は新参者のようだな。
くっくっく。
>>700 それらが指し示す事実をどう捉えているの?
それでも地球は回っていると言ってもそれは単なる表現上の話で実際に回っているかどうかは
また別なのだというわけですか?
704 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:18:10 0
>>703 別だよ。
地球が回っていると科学者が説明しているのを多くの人が信じているということでしょ。
705 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/02(土) 23:22:13 0
>>703 >
>>700 > それらが指し示す事実をどう捉えているの?
事実は人間認識に依存する。
量子力学を見れば自明だ。
くっくっく。
>>704 とりあえず客観の意味がわからないようなので説明してあげただけなんで。
客観とは他者に指し示し得る物事。
見せるも良し説明して納得させるのも良し。
だから主観と客観は単純に繋がっているし量的概念。
707 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:25:33 O
後北条についてはわかった。北条氏康よ。勝負しよう
>>704 とりあえず客観の意味がわからないようなので説明してあげただけなんで。
客観とは他者に指し示し得る物事。
見せるも良し説明して納得させるのも良し。
だから主観と客観は単純に繋がっているし量的概念。
709 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:31:53 0
>>708 いや、君の説明が悪い。大辞林で客観を調べると次の二つの意味がある。
>>700はこの違いを聞いていると思うよ。
[1] 主観の認識・行為の対象となるもの。主観に現れるもの。
[2] 特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。
>>709 いや残念ながら哲学では私が説明した通りにしかならない。
難しい用語を使わずに平易に説明するのが私の特技なだけ。
711 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:38:16 0
>>710 >>709の[1]は、カントのいう「客観」。[2]はカントのいう「物自体」。
哲学で「客観」といえば、カントの意味で使うことが多いと思う。
>>709 説明してあげたら何でそんな質問が返ってくるのかが先ず意味不明。
だが質問したというのだから答えるが、
「みんなが考えている」というのは付随的な表現で私の説明にはそういうものは入っていない。
従って「地球が太陽の周りを回っている」という事実は他人に示せるから客観というだけの話。
そこで「みんながそう考えている」というのは別の客観。即ち別の事実に基づいているから。
そういう抽象的なことだけじゃなくてりんごを見せてりんごと言えば客観的にりんご。
後、言語は客観。客観の中に主観的表現が備わっているだけで悲しいと主観の表明をしたところで
それはどういう悲しさなのかという主観的事実は伝達できない。
713 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:43:55 0
とりあえず、カントを少し勉強したほうがいい。
>>711 解説をよく理解して日常言語に落とすのも大事だよ。
特に[2]の意味は主観を主体としての意味で使用しているから今日的な日本語の主観客観
とは違う。
で、コンテキストを読めばわかるが私はその意味で使用していない。
つまり先験的な事実表現は仮定していない。
その理由は一般的ではないから融通性がないとの判断が基底にあるわけ。
>>713 カントの日本語の解説本はデタラメが多いね。
716 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:50:31 0
ちなみに「主観」を大辞林で調べると、
[1] 対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき、またそのはたらきをなす者。
通例、個別的な心理学的自我と同一視されるが、カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な
形式としての主観(超越論的主観)を考え、これが客観的認識を可能にするとする。
[2] 自分ひとりだけの考え。
[2]は通俗的な意味だけど、2ch哲学板レベルだと[2]の意味で使っている人が多い。
カントに言及が及ぶ原因は恐らく「物自体」という仮設的テーマを議論したいという向きが
あったからだとは思うがそういうのは哲学的にはナンセンス。
物と物自体を区別するのは本質的な問題ではなくそれを区別する要請の根拠は単に
周辺概念の再定義だから。
これが言語哲学の立場。
単に認識論で語りたいのであればカントスレがあるだろって話。
>>716 それは超越論的主観でウィトゲンシュタインでは形而上学的主体なのでナンセンス。
ここらへんの知り得ない概念を記述する意図は単純なんだがここでは議論の対象外。
物自体とか大辞林に逃げても議論は成立しないんじゃないかな。
718 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:58:18 0
名無しが「私の言う・・」を主張するなど笑止。
誰が誰だか分からんわ。
先ず人間主義から脱却しなきゃ。
そうしないと赤ん坊は人間ではなく主観もなければ自我もないと言わねばならなくなる。
これは今日的には哲学ではないし哲学の対象から外れた形而上学。
720 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:04:45 0
>>717 君の説明が悪いから「客観」の意味がわからないというだけのことだよ。
>「地球が太陽の周りを回っている」という事実は他人に示せるから客観というだけの話。
「地球が太陽の周りを回っている」が何故「事実」と言えるのかということだよ。
「事実」という、また曖昧な語で説明してるから。
言葉の意味をもっとはっきりさせてくれないと、議論にならないということだね。
>>720 たぶんここでは私以上に明瞭で適切な説明できる人は少ないと思うよ。
こうして議論をするということは主観を越えて客観を目指してるわけだしね。
事実云々は負け惜しみの屁理屈ですか。お疲れ様。
実際難しくも何ともないことを難しいことだというのは単に理解力が乏しい人の言い訳。
カント云々はあくまで人間主義なので立場によっては否定的な人もいるから注意されたし。
722 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:11:16 0
>>721 >こうして議論をするということは主観を越えて客観を目指してるわけだしね。
また曖昧な言葉を繰り返している。
《主観を超えて、間主観的共通了解を目指している》の方がいいかもね。
先ず客観は主観が集積して量的概念が質的概念に転化した結果だから連続。(延長)
だから客観的と言った場合にも異論は当然出て来る。
ここらへんが現実主義の立場、相対主義の立場と人間主義(ヒューマニズム)の立場で
鮮明に分かれる。
この区別は理解するしかないことと議論の余地のあることの区別と同じ。
以前にも指摘した事だが100%の主観や100%の客観はない。
>>722 間主観的というのはあくまで言語的。
主観と客観の間に間主観というのがあるぞと言えばそれでOK。
686 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2008/02/02(土) 20:02:48 0
例えば、物理法則は、役に立っているよね。
電車や車は走ってるし、こうやってネットで会話が出来てるわけだから。
691 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2008/02/02(土) 20:40:53 0
>>687 いや、良し悪しのことではなくて、何を持って客観と考えるかということさ。
すくなくとも、客観というのは、詩情を添えるための修飾語ではないだろう?
たぶんここらへんの曖昧で意味不明な言説が原因かと。
727 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/03(日) 00:25:12 0
>>719 >先ず人間主義から脱却しなきゃ。
「人間『中心』主義」からの脱却は確かに重要ですね。
あんまり関係ありませんが、突然一句(川柳)思い付いてしまいました。
『赤ん坊・・十週前は・・受精卵』
カントも平易に書けば「客観とは他者に指し示し得る事」と言う。
カントが問題にしているのは指し示し得る事の背後。
「曖昧」に関しても以前適切に解説したが覚えている人はいるだろうか。
730 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/03(日) 00:32:23 0
すみません「十週」はオーバーでした。
「十月十日(とつきとおか)」用水の中に浸かって出てきた「体験」は
「誰にでも共通する経験」なのですが、なぜか「誰一人その経験を忘れてしまっている」
=「思い出せない」ということは結構面白いですね。
一歳時の自分(私)と二歳時(私)の自分と十歳時の自分(私)と「現在の自分(私)」
が「絶対に『同じ自分(私)』である」と断言できる方は(最高位さんを除いて)いらっしゃるのでしょうか?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
731 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:37:28 0
訂正
用水→羊水
732 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:38:40 0
適切とは何か。
733 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:39:16 0
少なくともおれには
「決定論は真理」と断言するのも
同じレベルに思えて仕方ない
734 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:40:55 0
防火用水
兼
農業用水
735 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:49:01 0
宇宙の片隅で、
隊長、あの菱形の物体は何でしょう?
ど、どこだ?
あそこです。ほら。
あれか、正方形じゃねか?
736 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:55:17 0
>>729 名無しが以前どうのこうの言っても無意味なんだよ。コテをつけろ。バカめ。
737 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:08:49 0
>>735 うーん。今日いちばんの哲学的表現だよーん。
これで気持ちよく眠れるよー。ありがとん。
738 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:13:28 0
@帝王切開で子宮から摘出された妊娠十ヶ月の赤ん坊
A帝王切開で子宮から摘出された妊娠九ヶ月の赤ん坊
B帝王切開で子宮から摘出された妊娠八ヶ月の赤ん坊
C帝王切開で子宮から摘出された妊娠七ヶ月の赤ん坊
D帝王切開で子宮から摘出された妊娠六ヶ月の赤ん坊
E帝王切開で子宮から摘出された妊娠五ヶ月の赤ん坊
F帝王切開で子宮から摘出された妊娠四ヶ月の赤ん坊
G帝王切開で子宮から摘出された妊娠三ヶ月の赤ん坊
H帝王切開で子宮から摘出された妊娠二ヶ月の赤ん坊
I帝王切開で子宮から摘出された妊娠一ヶ月の赤ん坊
・・・どこまでが人間でありどこまでが人間でないと言えるのか?
ちなみにIなどはエラが付いていて尻尾もある。
739 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:22:00 0
>>738 たしか法的には受精4ヶ月目から人間だったような、、
だから堕胎が禁じられてるっしょ?
>>697 そんな、こっちの言葉に縋って上っ面だけ否定されてもね。
そりゃ確かに簡単な方法だよ。
まあ口先で扱いきれない筈なのに語りまくってしくじってる時点で
おかしいし、その場しのぎの嘘がばればれなんだけどね。
>>738 山田宗樹の「天使の代理人」って読みましたか?
>>727 人間中心主義って一見綺麗事だけど実は残酷だね。
743 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:52:36 0
>人間中心主義って一見綺麗事だけど実は残酷だね。
その残酷ってのが人間中心主義。
人間中心主義って→とどのつまり「私」中心主義ってことじゃんよ
「私」に綺麗も残酷もあるかよ
「私」というのは「在る」、、、それ以上でも以下でもない
どんな形容も付し難いのよ
人間中心主義は人間の理性を中心に哲学することじゃないの?
人間の認識はかくかくしかじかのようなものだという。
でも人間てただの生物だし理性って言っても赤ん坊に理性があるかないか
なんてわからない。
その実はぜんぜん本質的ではないものを絶対視して展開すんのが人間中心主義か。
746 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/03(日) 02:31:26 0
>>641 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :
>物理法則がすべてわかれば自由意志はなくなると考えるのはどのような論理
からですか。
ええ〜〜
>>1 にははっきりそう書いてあるでしょう、読めないですか?
それに対して私は「非決定論」という観点から反発しているわけです。
747 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/03(日) 02:31:55 0
>>644 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>人間は知恵に走らず,無為自然でおれば良いのだ。
と言っている人が・・・・・・・
>反発は親和と裏表だ,たわけ。
>くっくっく。
「たわけ」とか「くっくっく。」とか言うのは如何なものか?
748 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/03(日) 02:37:10 0
>>723 :考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:13:35 0
>先ず客観は主観が集積して量的概念が質的概念に転化した結果だから連続。(延長)
是が判りません???
何で主観が集積すると客観になるの???
机を見る主観がある、その場合客観は「机」だろう。
いくら集積しても「机」にはなりそうも無いが・・・?
749 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 02:47:29 0
機械氏ですら物理法則により人間の未来が予測できるとは言っていない。
よもやじいさんがそれができると考えとるとは・・。
そのレベルの認識で決定論と対抗しようとしたのなら本当にがっかりだ。
もし予測できたらそれに対して別行動がとれてしまうだろ?
決定論は予測不可能性を含んでいる。
その上で世界の未来は決定していると主張しているのだ。
おやすみ。
750 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 02:53:08 O
必然の定義がすべて!
751 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/03(日) 02:59:59 0
>>749 :考える名無しさん
>機械氏ですら物理法則により人間の未来が予測できるとは言っていない。
判ってない人だ。
予測可能といっても実際はピンからキリまである、これは判るでしょう?
>決定論は予測不可能性を含んでいる。
そのとおり、しかしかなりの部分の予測可能性を約束し無ければならない宿命がある。
決定していると言うからには証拠を見せなければならないからだ。
>もし予測できたらそれに対して別行動がとれてしまうだろ?
その通り、だから私は予測できやしない、非決定であると言っている。
752 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/03(日) 03:05:36 0
>>750 :考える名無しさん:
>必然の定義がすべて!
かならずそうなること
必然性(ひつぜんせい)とは、そうなることが確実であって、それ以外ではありえないという性質を意味する。
従って確率を必然とは言わない。
>>752 必然性も高低があるから量的な概念です。
必然性が高いとか必然性を高めるとかいうでしょ。
偶然と必然は主観と客観の関係と同じ。
全ての基準は人間が恣意的に判断して下しているだけ。
必然性のあるのは論理の世界だけ。
754 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/03(日) 03:43:17 0
>>753 :考える名無しさん:
>必然性も高低があるから量的な概念です。
それは違うでしょう、上手く説明できないけど・・・
犯罪性が高い・・とか言う、「犯罪」は量的概念ではない。
「性」と言うのが量的概念を生むのか?
もっとも高い低いは「量」と言うより「質」かな?
いずれにしても「必然性が高い」などと言う言い方は正確ではない、問題外。
755 :
ネオマトリクス:2008/02/03(日) 04:03:19 0
質問します。
自由意志があるなら、自由意志こそが人間の行動の第一原因なので
自由意志を増やせればテクノロジーに革命が起きる様な感じですよね?
仮に自由意志が存在するなら、今は
自由意志→脳→手足→外部の物理現象ですが、それが
自由意志→手足とか自由意志→外部の物理現象なら
今の人間の筋肉に由来する行動より可能な行動が増えて
テクノロジーに革命が起きると思います。
人間は道具で道具を作ったからこそ技術が発展し幸福を得たので、
人間のあらゆる行動の第一原因である自由意志を自由意志で増やせれば
人類がテクノロジーを得たような革命になると思うんですが、
仮に出来るとすれば皆さんはどういうのがヒントになると思いますか?
>>755 しかし自由意志は戦争みたいな大量虐殺を是としちゃうからねえ。
自由意志で自由意志を縛っているのが社会だとすると結局立ち位置によって
楽観的にも悲観的にもなるから厄介です。
757 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 08:39:24 0
>>752 >従って確率を必然とは言わない。
これは間違いでしょう。
確率は可能性の割合を示すもの。
確率=0なら起こらないことが必然、確率=1なら
起こることが必然と考えてよい。
サイコロでも1から6までのいずれかが出る確率といえば
ほぼ確率=1の必然だろう。
つまり確率は必然を包摂している。
758 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 08:48:20 0
>>755 あなたの自由意志の理解が違っているだけでは無いか?
人間の行動は意識行動だけではなく意志とは関係ない無意識の
行動がほとんどでしょう。
自由意志があっても自由意志に基づく行動の選択が可能なのか、
すなわち自由意志が行動の原因になるのかさえ疑われている。
759 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 09:05:17 0
>犯罪性が高い・・とか言う、「犯罪」は量的概念ではない。
現在の社会では「犯罪」も犯罪統計という統計概念で量的
に解析されている。
社会現象も確率統計で量的に処理することが多いだろう。
選挙投票結果の出口調査などに基づく当選確実情報も
統計確率にもとづく判断だろう。
特定出生率に基づく少子化対策など政治でも統計による
量的判断が客観的政策の口実として利用されている。
760 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 09:06:57 0
>>ちゅう
頭が不自由みたいだなw
>>703 >それらが指し示す事実をどう捉えているの?
意味がわからん。
例えば、
「「太陽が地球の周りを回っているとみんなが考えている」「という事」」が「指し示す事実」
って具体的に何?
それが、
>>700 の内容とどう関係するの?
>それでも地球は回っていると言ってもそれは単なる表現上の話で実際に回っているかどうかは
>また別なのだというわけですか?
「人間がしゃべる」ことと、「天体が動く」ことは別の現象だ、といっているだけですが。
762 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 10:00:28 0
>>746 >私は「非決定論」という観点から反発しているわけです。
非決定論なら自由意志があるというのはどういう論理ですか。
自由意志はこの世界が決定論的でも非決定論的でも関係ないじゃないか?
むしろ因果の法則が成り立つ世界のほうが自由意志は行使しやすいだろう。
予定行動や将来計画が出来るのは決定論的世界であればこそだろう。
確実な予測法則を持った科学的決定論のほうが自由意志が行使しやすい。
763 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/03(日) 10:56:49 0
>>738 全部人間だ。
くっくっく。
>>747 >
>>644 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >人間は知恵に走らず,無為自然でおれば良いのだ。
>
> と言っている人が・・・・・・・
>
> >反発は親和と裏表だ,たわけ。
> >くっくっく。
>
> 「たわけ」とか「くっくっく。」とか言うのは如何なものか?
お前の倫理観に儂があわせる必要があるのか?
年寄りは自己虫だから仕方ないがな。
くっくっく。
┌──―─┐
|| ̄ ̄ ̄ ̄ || ♪ようこそここっへ クッククック わたすの青い鳥〜
|| || ♪恋をしった〜 こっころっに〜 止まりまっす〜
∋oノハヽノハヽ|| ♪そよ風ふいって クッククック 便りがとどけられ〜
川川川∩ー’∩|| ♪誰よりんも〜 しんあわっせ〜 感じまっすぅ〜
ノ ノ )( ・ ノ.|| ♪どーぞ いっかっなっいっでっ このま〜ま ず〜ぅ〜と〜
( ( ノ ̄ ̄ ̄ ̄| ♪わたすの こっのっむっねっにっ すあわせ歌っていてんね〜
| | |  ̄| ̄o ̄ | ♪クックックック クッククック〜 青い鳥〜
765 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 13:04:19 0
宇宙の片隅で、
いいかあれは正方形だ。わかったな。
ええ〜なんでですか。
私が隊長だからだ。
なるほど。
766 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 13:38:44 0
>>765 これはあんまり哲学的じゃないよーん。
哲学って微妙だよん。
767 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 14:03:00 0
綾波「人は闇を恐れ、火を使い、闇を削って生きてきた」
あすか「哲学〜っ☆」
こういうの?
アスカ、天才児ですでに大卒という設定じゃなかったっけ。
何専攻してたか知らんけど、プラトンやデカルトあたりの
有名どころは一通り知ってるはずじゃねえの?
769 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 17:19:04 0
>>706、
>>710、
>>717 これらの指摘は哲学書を読んでいると、学問的常識として抵抗なく受け入れられるんだが、
模範解答ともいえる指摘でも、哲学書を読んでない人にとっては、結論が導出された背景を知らないので、
指摘された意味内容を理解できずに、混乱するようだね。
とりわけ、辞書コピペを繰り返す人なんかに言いたい事は、実際に哲学書を読めば、
辞書定義と哲学書に記された内容に、齟齬や説明不足によって誤解を招きやすい
表現なんかがあることに気づくだろうけど、辞書定義だけで判ったつもりになるのは勉強してない証拠だね。
実際に勉強したひとなら、辞書定義に違和感や不満を感じるものだけど、
無知な人だと辞書と学術論文に、齟齬があることに気づかないもんだ。
辞書は本当に勉強した人と、そうでない人とを見分けるリトマス試験紙として使えるな。
学識のある人だと、辞書定義に不満を持ち「俺が辞書編纂者ならこう書くのに」と思えるようなる。
770 :
福ちゃん:2008/02/03(日) 17:48:03 0
大ニュースです。御茶ノ水書房から宇野弘蔵の本が新刊として
出されている。。
「『資本論』と私」だって。。私主義者は是非買って読もう。。
771 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 17:56:58 0
知らん
読まん
誰それ?
|____ \□ □
/ / _____
/ / |_____|
/ /
/ /
 ̄ (⌒ ⌒ヽ
∧_∧ (´⌒ ⌒ ⌒ヾ
( ; ) ('⌒ ; ⌒ ::⌒ )
( ̄ ̄ ̄ ̄┴- (´ ) ::: )
| ( *≡≡≡≡≡三(´⌒;: ::⌒`) :; )
/ / ∧ \ (⌒:: :: ::⌒ )
/ / / U\ \ ( ゝ ヾ 丶 ソ
/ / ( ̄) | |\ ( ̄) ヽ ヾ ノノ ノ
/ ( ノ ( | | \ ノ (
⊂- ┘( ) └--┘ ( )
UUUU UUUU
773 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 18:11:59 0
知識がなくてもいいとか、哲学書を読まなくてもいいとか、そんな暴論を吐く人が多いけど、
無教養では見解も浅くなるし、全く思索が深まらないよ。
「知識を得ると考えなくなる」なんて言う人もいるけど、現実は全く逆。
やっぱり思索の深さは知識量に比例するよ。
古代から現代にかけての哲学書を読み、幅広く先人の英知を吸収したうえで、
自己の思索を深める土台としている人と、全く教養を欠いた人では知性の理解領域が大きく異なるな。
やっぱり、知識のない人はとても浅い考えしかもてなし、視野も狭くなってしまうようだね。
最近このように感じる事が多くなったよ。愛想が尽きたというか。
774 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 18:17:45 0
775 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 20:16:25 0
なんか769とか706とか哲学詳しそうじゃない。
そんな重箱の隅みたいな話もいいがちょっと一発大きく語ってみたらどうかね。
もちろんこのスレの主旨に沿ってだが。
馬鹿相手では語る気もしないかい?
ならいいが。
776 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/03(日) 20:31:08 0
>>769 > これらの指摘は哲学書を読んでいると、学問的常識として抵抗なく受け入れられるんだが、
> 模範解答ともいえる指摘でも、哲学書を読んでない人にとっては、結論が導出された背景を知らないので、
> 指摘された意味内容を理解できずに、混乱するようだね。
模範解答?
なんだ、それは?
哲学にそんなものがあるなら、哲学など存在しておらんな。
くっくっく。
> 学識のある人だと、辞書定義に不満を持ち「俺が辞書編纂者ならこう書くのに」と思えるようなる。
一般化すれば、必ず取り落としが生じる。
それで良いんだよ。
くっくっく。
>>776 大辞林に限らず知らない人が調べたら更に調べなければいけない用語で書かれているというのが問題だ。
日本語の辞書の作り方は外国人が日本語を研究して編纂方法とか指示して作ったわけだが
アメリカならウェブスターとかと同じ項目を比較してみるとおもしろい。
でもまあ広辞苑より大辞林がいいというのは編集に一貫性あるからなんだろう。
ちなみに私は学生時代、日本語に関しては広辞苑派(たまたま伯母にもらったから)
779 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 21:18:22 0
名無しの身の上話などに興味のある奴はいない。
780 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/03(日) 21:40:01 0
>>777 辞書というのは、本来忘れたことを思い出すためにあるんだろうな。
学習のためではないわけだ。
くっくっく。
一つの言葉は他の言葉によって定義される。
世界は辞書
782 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 00:31:26 0
>>781 違うんだよ
言葉はその指す意味によって定義される
言葉はその意味に近づき迫ろうとするだけであり
しかしその意味に追いつき並ぶ事などできないのよ
高級な語彙は宗教世界からやって来たというのが皮肉だ。
自由意志の種類はいくつぐらいあるんですか?
>>784 あなたが思っただけ自由意志はある。
その意志さえ科学的に意志することが決まっていたとするのが決定論である。
思うことも決定されれてれば無敵なわけである。
僅かな未来も予測できない機械さんは物理学者としては失格です。
786 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/04(月) 01:56:13 0
>>785 >その意志さえ科学的に意志することが決まっていたとするのが決定論である。
まあそうです。「脳内現象」としては例えば「夢」があります。
様々な夢が何の脈絡もなく出現して一夜の夢は終わりますが、その夢をあなたの
『意志』でコントロールできるのですか?
さらに「意図的に選択している食事」も実は「無意識の要素で(脳内の深部で)決定され」
ていたにも係わらず「大脳:意識」は「私が自由意志で選択したのだ」と「信じ込んでいる」
だけではないのですか?
ヨガの達人や仏教の悟者でも「言われた五秒後に熟睡する」という芸当は出来ないでしょう。
「寝るという基本的な状態をも『意志すること』などでは実現不可能だということです。
「意志の自由など幻想にすぎない」ことの一例です。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
787 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 02:01:01 0
>>762 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :
>非決定論なら自由意志があるというのはどういう論理ですか。
そんな事は言っていない。
少しは読んでから反論して。
「物理法則がすべてわかれば自由意志はなくなる」と言う決定論に反発している。
自由意志に対しては前から繰り返し言っている。
「涙が出るから悲しい」だから自由意志というのは行動の後付けの観念である。
観念論者の私は「意識は物質に還元できない。」とも言う。
従って当然意思が直接行動を支配する事は出来ない。
心と物質が互いに別範疇の概念である以上、心が物質に影響する事は出来ない。
それは心を物質に還元できない事の裏返しである。
心が行動を支配すると言うのでは念力のようなオカルトの世界になってしまう。
実際は何らかの涙が出る物質的原因がある。
過去の記憶が涙腺を刺激、これは物質的現象。
「悲しい思い出に泣けた」と言うのが意識。
もう一回繰り返す。
自由意志は観念上の概念で物質に還元できない。
従って決定論でも非決定論でも関係ない。
788 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 02:02:05 0
>>762 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :
>非決定論なら自由意志があるというのはどういう論理ですか。
そんな事は言っていない。
少しは読んでから反論して。
「物理法則がすべてわかれば自由意志はなくなる」と言う決定論に反発している。
自由意志に対しては前から繰り返し言っている。
「涙が出るから悲しい」だから自由意志というのは行動の後付けの観念である。
観念論者の私は「意識は物質に還元できない。」とも言う。
従って当然意思が直接行動を支配する事は出来ない。
心と物質が互いに別範疇の概念である以上、心が物質に影響する事は出来ない。
それは心を物質に還元できない事の裏返しである。
心が行動を支配すると言うのでは念力のようなオカルトの世界になってしまう。
実際は何らかの涙が出る物質的原因がある。
過去の記憶が涙腺を刺激、これは物質的現象。
「悲しい思い出に泣けた」と言うのが意識。
もう一回繰り返す。
自由意志は観念上の概念で物質に還元できない。
従って決定論でも非決定論でも関係なく心の中に存在する。
789 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 02:03:28 0
すいませんダブりました。 787 を取り消します。
>>788 >自由意志は観念上の概念で物質に還元できない。
>従って決定論でも非決定論でも関係なく心の中に存在する。
と、じいさんが思っているだけで、現実はそうとは限らないよ。
じいさんは哲学的な考えができないみたいだね。
>>788 >「物理法則がすべてわかれば自由意志はなくなる」と言う決定論に反発している。
そんな決定論はないですよ。
自由意志が成立するためには、決定論的世界であることが必要な決定論なら問題ないでしょ。
>>2をよく読んでよ。
792 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 02:16:08 0
>>757 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :
小学生でも恥ずかしい言い方。
まあ見解の相違としましょう。
私は
「確率=0なら起こらないことが必然」
「確率=1なら 起こることが必然と考えてよい。」
これはこの通りであって、そうと決まった以上、確率と必然は使い分けられると定義します。
793 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/04(月) 02:18:35 0
>>788 >「物理法則がすべてわかれば自由意志はなくなる」と言う決定論に反発している。
ですから「予測可能性の問題と被決定性(あらかじめ既に決定されていること)」は
『全く関係がない』と何度も申し上げているとおりです。
逆に言えば「(全て)決定されているけれど、その中で人間が『予測』できる事象」は
まだ限られている・・・限られている理由は「科学技術がそこまでしか行っていない」
からで、「予測不可能な物理法則の『神の気まぐれによる変更』」が起こる可能せいが
あるからではありません。
本日は就寝させて戴きます。
自由意志とかいう観念に原因性を与えるか否か。
そんだけのこと。
795 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 02:23:42 0
>>790 :考える名無しさん:
>現実はそうとは限らないよ。、
ならばその「現実」とやらを例示しないと。
796 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 02:27:53 0
>>791 :考える名無しさん:2008/02/04(月) 02:13:50 0
>そんな決定論はないですよ。
はあ???
言っている側から出ているでしょ・・・読んでるんですか?
>>786 :「機械的唯物論」者
>>793 :「機械的唯物論」者
>>796 機械氏を基準にするとは相当の馬鹿。決定論でも自由意志がなくなるわけじゃないのは普通の考え方。
自由意志があるとして自由意志という他には説明しようがない根源的なものなのか否か。
799 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 02:40:02 0
>>787 >自由意志は観念上の概念で物質に還元できない。
機械は脳内である観念が生じるのだって脳内物理化学が原因だと言うために
毎晩脳内睡眠物質(メラトニン?)が脳細胞を刺激(鎮静)するので眠くなると
言い続けてる。
800 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 02:40:56 0
無職も早く寝な
801 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 03:16:12 0
>>798 :考える名無しさ
>自由意志という他には説明しようがない根源的なものなのか否か。
まず自我が生まれた・・・・。
そのとき自分の意識の全てが他のもの(外界)から完全に支配されていたのではなりたたない。
ある程度の自由(支配されていない)が要請される。
つまり自我が生まれた事から来る論理的帰着なのではないかと推測します。
802 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/04(月) 03:18:26 0
>>797 :考える名無しさん:
>機械氏を基準にするとは相当の馬鹿。決定論でも・・・・・・・・・
そうかあ、機械氏は決定論を代表していないのか・・・なんか寂しいなあ。
|.:.:.|.:.:.:.:.::|.::.:.:::.:.:|<\:::::/:.,:.:./:.:.:./:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.,:イ::.::.:.:.::.:.:.:.:.:.:.}.:.:.:.:.:.:.!:...:.:.:.:....!
i:.:..|.:.::.:.:::|.:.:.:::.:.:::!.:\_>':.:.!.:.′:::':.:.:.:.:.:.:.:.:.:::::/ }:::::::!::::.:.:.:.:.:.:.!:.:.:.:.:.:.i:...:...:.:.:!:.i
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:::::|.:::::.:::::!.:.:::::::::::{ ,∧::|:.:.!:.|:.:.::::::'{/x:fチ弍气弌/:.:.;.イ::::::::::.:.:.:':イ::::.:.::':./}:/
.ヽi.::::::!::::::.:.:::::::::::ヽ { ヾ:.:.:::i:.:::::,′ヾ{ ト{:::;'ツ // .!:::::.//:./:::/:::,:' /'
!:.::::|:::::::::::::::::::::::::\ \:j:.::::i ゞ-‐'¨ _ ,ノ〉::/´i.:.:/イ::::/
`ヽj::::::::::::!::::::::::::::{ >rr=={:.:::i=======´-― '´::\:.:.!:.:.:i//
\::::j!::::::::::::::i//i |、 ヽ:j ,.イ:.:.!:.:.:}´
` >ー 、:::::! { | | 丶 __ _ノ´::.:.:.:.!:.:.:.! 世界は物質だけで出来ていて
/ \ ヽj|! ! \ __ノ::::::::::.:.:.:.:'.:.:.:,
,. イ ヽ ! | | | >_、 / !:::::::::::.:.:.:.'::::.:′ 自由意志など無いはずなのに
//: :丶 `| |、! ! / }`ヾー- ' /}:::::!:::.::.:.∧:./
/ : : : : : : \ i i | |ヽ、 { ! } \ ヽj::::.:.:/ }' 無職の私は明日も一日、自由の刑に処せられる
:' : : : : : : : : : : :.ヽ. | | i i ` ー-/ /: : : :` ー-- 、\:{
: : : : : : : : : : : : : :.:`.i i | | i} i: : : : : : : : : : : }ヽ` 「女の子は世界に一人、だから彼女は神様だ」
804 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/04(月) 08:48:58 0
>>787 >自由意志は観念上の概念で物質に還元できない。
>従って決定論でも非決定論でも関係ない。
自由意志はもともと物質じゃないから「物質に還元できない」
のはあたりまえで、それをいうなら「物質の作用、つまり物理
作用に還元できない」だろう。それなら唯物論の意識は脳の随伴
現象だというのと同じだね。
自由意志は決定論とも非決定論とも無関係・独立であるというのは
賛成です。ただ、予測可能な決定論の世界のほうが自由意志にもとづく
行動をやりやすい。
私は意識の随伴現象説もスパービーン説にも反対でクオリア問題に
あるように意識は行動の原因となりうると思っている。
すなわち人間は意識的行動が可能だと思っている。
意志と表象としての世界が脳の世界だろう。
805 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/04(月) 09:28:19 0
>>792 >これはこの通りであって、そうと決まった以上、確率と必然は使い分けられると定義します。
確率と必然じゃなく、偶然と必然が対立する。確率は可能性で偶然も必然も包含する。
806 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 09:49:57 0
>>805 「必然」は必ずそうなる、きっとそうなる、という意味でしょう?
これは「たぶんそうなる」を少し強めた感じ。絶対にそうなる、ということではないのでしょう?
このスレの「決定論」は「絶対にそうなる。その連鎖が事象」という解釈かと思われる。
807 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/04(月) 12:44:30 0
>>806 「必然」は必ずそうなる、別様になる可能性は無い、
と言うことだから、絶対そうなるとおなじ意味でしょう。
因果の法則は本来原因が同じなら結果も同じという必然
性が無ければならない。
808 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 15:11:40 0
>>807 「必ず……だろう」との言い方(推定)をする。これは“必ず”が“絶対に”ではない証左では。
809 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 17:14:37 0
>>807 >
>>806 > 「必然」は必ずそうなる、別様になる可能性は無い、
> と言うことだから、絶対そうなるとおなじ意味でしょう。
> 因果の法則は本来原因が同じなら結果も同じという必然
> 性が無ければならない。
「必然」は「必ず然りなり」だろうな。
「例外なく、そのとおりである。」という意味になるな。
ちゅうが正しい。
くっくっく。
810 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 17:21:50 0
必然性てのはケーキに砂糖の代わりに塩を入れたらショッパくなるその原因が塩だと
言っているのと同じなんで決定論みたいに原因性と結果性が全て絡んでないところが
決定性と違う。
812 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 17:40:52 0
必然は
>>808の言うように、未来に対するものだろうな。
その意味で,予測だ。
しかし、確実であるから必然だ。
決定は、現在から過去を見て決定しているわけだ。
進化論と同じく,後付け説明だな。
くっくっく。
進化論っていえばおまいさんアッチでボコボコにされてたようだが・・・
814 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 18:29:42 0
>>814 煽りでなく事実
仏教者なら己に誠実でないといかんですなあw
十善戒っていうものがある
おまえさんは外道そのもの
>>3読んで隔離へ帰りなされ
816 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 18:41:50 0
>>815 >
>>814 > 煽りでなく事実
> 仏教者なら己に誠実でないといかんですなあw
> 十善戒っていうものがある
> おまえさんは外道そのもの
>>3読んで隔離へ帰りなされ
無駄だな〜。
お前も進化をとやかく言うならば,進化学者という専門家の意見を素直に受け入れることだ。
こういうのを「引導を渡す」というのだ。
くっくっく。
>>814 いや色々妄想するのは勝手だけど、明らかに論破されてんじゃん・・・
それに何々が科学とか、そういう頭の固い考えに意味はないだろ。
筋が通っていて有用だったり面白ければいい。視野狭いんじゃないの?
818 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 20:26:45 0
>>817 >
>>814 > いや色々妄想するのは勝手だけど、明らかに論破されてんじゃん・・・
> それに何々が科学とか、そういう頭の固い考えに意味はないだろ。
> 筋が通っていて有用だったり面白ければいい。視野狭いんじゃないの?
いや、まったく論破されておらんな。
どう、逆らい、取り繕ったところで、儂の意見が正論だ。
進化論とか言っておる連中は、進化学の知見を勝手に拝借しておる。
ならば、進化学者の言うことを聞くのが筋だ。
「 筋が通っていて有用だったり面白ければいい」だけであれば、とんでも科学だということだ。
進化の専門家である進化学者が、「進化論と進化学は別物」という以上、それに従わなければ、科学とは言えんな。
もっとも、単なる考え方で哲学的なものであれば、「 筋が通っていて有用だったり面白ければいい」んだろうがな。
哲学とも言えんしの〜。
くっくっく。
819 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:40:02 O
見苦しい
820 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:40:45 O
私は自分のプライドを守るため、友人彼女金を失い、健康も害し、医者にかかる保険証すらない。
確実に死に向かっている
が人間追い詰めらると哲学と本能の区別がつきにくくなる
821 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 20:46:56 0
>>819 > 見苦しい
確かに進化論者の詭弁は見苦しいな。
あ〜、あわれ。
くっくっく。
822 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:47:24 0
>が人間追い詰めらると哲学と本能の区別がつきにくくなる 。
どーゆーこと???
>>818 走召糸色は何度も追い詰められ、論破されているのに、
馬鹿な走召糸色はそれを認識できないだけ。
第三者が見れば、それは明らかなのに、走召糸色本人にはそれが理解できない。
馬鹿は自分が馬鹿だということに気がつかない。
>>818 知見の拝借って、何だってそうだろ。学問に壁はないんだから。
それに筋が通ってたらとんでもじゃない。筋が通ってないのがとんでも。
というか、超絶の主張って全部単なる妄想だろ・・・
825 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:01:42 0
>>823 youがんばって「諸行無常」を論破しなよ
827 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:04:29 0
>>824 >
>>818 > 知見の拝借って、何だってそうだろ。学問に壁はないんだから。
> それに筋が通ってたらとんでもじゃない。筋が通ってないのがとんでも。
> というか、超絶の主張って全部単なる妄想だろ・・・
筋が通っていたらトンでもじゃない?
お前、ヴァカか。
筋が通っているから素人がだまされるんだよ。
マイナスイオンなんかにな。
いずれにしろ、進化学者が「進化論は単なる考え方で進化学とは関係ない」と言っておるのだから仕方ないのだ。
言えば言うほど、ミジメになるだけだの〜。
くっくっく。
828 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:05:55 0
進化論が哲学?
宗教のまちがいだろ。
そんなもん決定論wとおなじだよ。
830 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:11:48 0
また馬鹿な儂が暴れておるのお
くっくっく。
831 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:13:41 0
>>829 > 進化論が哲学?
> 宗教のまちがいだろ。
> そんなもん決定論wとおなじだよ。
哲学的なものだから、哲学もどきだ。
創造科学という宗教と同質だな。
もちろん、決定論と同義だ。
くっくっく。
833 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:15:58 0
>>831 >哲学的なものだから、哲学もどきだ。
おまえのは哲学でもないわ
ただの屑だな
くっくっく。
こういうのが仏教とか言ってるとホントの仏教を信じてる人は迷惑だよねw
>>827 だまされるのは筋が通ってるとその人が思ったからだろ。
だまされない人は筋が通ってないと思うだろうしな。
どちらにしても筋が通ってると思わないと納得はしないってこった。
だから筋が通っていればとんでもじゃないんだよ。意味分かるか?
あと、なに虎の威を借って偉そうにほざいてるんだ。滑稽だぞ。
838 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:41:40 0
>>832 >
>>828 > コピペ相手に必死だなw
それがコピペしかしておらんわけだ。
お前にはわからんだろうがな。
くっくっく。
>>835 >
>>832 > そしてそのコピペをぐぐる超絶
> 哀れ也
痒いな。
くっくっく。
>>836 >
>>827 > だまされるのは筋が通ってるとその人が思ったからだろ。
それが進化論者の姿だ。
くっくっく。
> だまされない人は筋が通ってないと思うだろうしな。
> どちらにしても筋が通ってると思わないと納得はしないってこった。
> だから筋が通っていればとんでもじゃないんだよ。意味分かるか?
それが儂の姿だな。
くっくっく。
839 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:43:07 0
>>837 >
>>836 > ぐぐるしかできんあほは放置しとけw
無能な敗北宣言だの。
何しろ、進化論者はググルことすらできんのだ。
くっくっく。
840 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:44:47 0
841 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 21:46:14 0
842 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 22:41:33 0
これこれ、良スレを荒らすでない。
相変わらず、進化論者は往生際が悪いな。
しかも他人の迷惑顧みずという図々しさだ。
進化論ではなく、恥化論に変えたらどうだ?
これでは、進化学者が進化論を排除したがるのも当然だ。
お前らは、とっとと隅で懺悔でもしておれ。
くっくっく。
843 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 22:50:24 0
>>842 懺悔を告白するのは己であろうが
荒らしのおまえこそ懺悔しておれ
くっくっく。
844 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/04(月) 23:09:07 0
儂に論破されたやつのすることはいつも同じだな。
くっくっく。
愉快、愉快。
「カンジャガ ヒトリ ニゲタ ンデスガ ミカケタ ヒトハ レンラク クダサイ」、、、ビョーイン。
なにこれ w w w
普段あぼんしてるから、あんまり連発されるとびびるんだが w
進化論と進化学は互いに内包し合っておるのだよ
848 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 00:07:28 0
>>844 こちらも馬鹿が釣れるもので楽しいわ
くっくっく。
愉快、愉快。
849 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 00:12:26 0
>>825 :走召 糸色 文寸 ネ申:
ttp://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000174_01.html ここの・・・先生のお話を読んだが。
まず「進化学」などという名前からして科学の名に値しない。
「進化論」の誤解の中で最大のものは「進歩」を意味する優生思想である。
しかし「進化論」を今更名称変更するのも大変だろう。
ならば新しい科学的アプローチをするときは「進化」の用語を使うべきではないだろう。
文中・・・・・・・・・ご本人は・・・・
「まず、「進化論」と「進化学」は基本的に違うものです。」
と言っている、ならば何故「進化」の同じ文字を使うのか?
悪しき誤解の歴史を繰り返さないためにも違う言葉にすべき。
850 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/05(火) 00:14:09 0
>>818 >ならば、進化学者の言うことを聞くのが筋だ。
哲学に「筋」などというものはあり(え)ません。
進化論はダーウィンが唱えた「この地球上の生命は実は原始的生命(微生物等)
から高等生命(哺乳類:類人猿)まで『突然変異の固定』によって進化した」という説であり、
それが「自然科学的」には唯一「正しい説」となっております。
従って「獲得形質は遺伝する」と主張したラマルクの系譜に連なる生物学者は「誤謬への一本道」
を転がり落ちているだけのことであり、「金輪際永久にんーベル賞を取ることはあり得ない道」を
転がり落ちていることになる・・・ということです。
耐性菌なんかの話もあるし獲得形質は遺伝しないとは思うけど人間側から見て
如何にも獲得形質が遺伝しているように見える事態というのはあるかもね。
環境に適応的に遺伝していくとすればちょっとSF的だけど決定論的。
853 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 00:40:17 0
>>850 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :
>「原始的生命(微生物等)・・・・高等生命(哺乳類:類人猿)・・・・進化した」
言ってる側からこれだ・・・・。
原始〜(進化)〜高等 これが「進化」を「進歩」と誤用。
だから人間を「万物の霊長」などと言う。
それは文学とかの人間賛歌的修飾表現なんらありうる。
それじゃあ宗教と同じ観念論だ。
微生物より人類が高等であると言う科学的根拠を示せますか?
科学ですよ科学。
854 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 00:41:36 0
「高等」の科学的定義は?
856 :
ゲハー最底厨 ◆yRFhSPjIMg :2008/02/05(火) 01:02:45 0
>>走召 糸色 文寸 ネ申
・・・。
ここの人は何をつきつめたいんだろな。
例:代替補整Aが、代替補整Bを、既に代替しているような環境下にあるので、
これ以上何の変化も進展も得られず・・。?
また、代替補整Aが、代替補整Bを
また、その逆に、代替補整Bが、代替補整Aを
代替して補整している。
つまり代替は有便すぎるがゆえに、全ての可能性を破壊し尽くしている
事になる。
これが多数派が好んで選択している、ある連続などの結果、
つまり、矛盾の最大要因となっている。
まーそれだけ。
857 :
ゲハー最底厨 ◆yRFhSPjIMg :2008/02/05(火) 01:06:39 0
858 :
ゲハー最底厨 ◆yRFhSPjIMg :2008/02/05(火) 01:08:16 0
うんこ食べなさい。
消化出来たら、新世界へ開ける。
失敗したら死ぬ。それだけ.
君は失敗しなかったんだな。
860 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 06:01:41 0
機械とかネオマトリクスとか
自分では筋道たてて考えてるつもりなんだろうね。
861 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 06:18:17 0
決定論に立って「すべては必然だから」というのなら
「すべては徒労」か「徒労などありえない」か
どちらかだな。
観念論だけが徒労で自然科学だけが意味を持つなんてことはない
862 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 06:23:07 0
機械は(自分の脳内で)理屈をつけて
ヒトをバカにしたいだけだよ
細木数子とおなじ病気。
863 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 07:21:37 0
>>853 それ(微生物)からはじまって高等生物が生まれたことを「進化」と呼ぶのだろうな。
「高等生物」も同じ事。
両方とも「科学」の概念だよ。
>>862 たしかにな〜。しかし、そのこととおまえの馬鹿が直るかどうかはまた別問題だけどな。
865 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 08:38:09 0
866 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 08:39:49 0
>>850 >
>>818 > >ならば、進化学者の言うことを聞くのが筋だ。
>
> 哲学に「筋」などというものはあり(え)ません。
科学の話をしておるのだ,たわけ。
> 進化論はダーウィンが唱えた「この地球上の生命は実は原始的生命(微生物等)
> から高等生命(哺乳類:類人猿)まで『突然変異の固定』によって進化した」という説であり、
> それが「自然科学的」には唯一「正しい説」となっております。
それは単なる考え方で、進化学とは関係ないと進化学者が言っておるわけだ。
分かったか,ねじ脳。
くっくっく。
867 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 08:41:22 0
>>863 >
>>853 > それ(微生物)からはじまって高等生物が生まれたことを「進化」と呼ぶのだろうな。
> 「高等生物」も同じ事。
> 両方とも「科学」の概念だよ。
再現できんがな。
くっくっく。
868 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 08:59:36 0
ウィキで「進化論」を調べると
「進化論(しんかろん)は、生物の種が時間とともに変化するものであり、現在見られる様々な生物は、その変化のなかで生まれてきたものであるという学説。」
とある。
そして、「進化」を調べると
「進化(しんか、evolution)とは、生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象のことである。この場合の生物の単位は、実質的な繁殖集団(メンデル集団)であり、種ではない。」
とある。
つまり、進化論と進化は、まったく別のものだと言うことだな。
進化論では「種」が進化し,進化では「生殖可能なもの」が進化する。
進化論者たちは「種は定義できない」と言っておる。
儂は「種は生殖可能なもの」としたが、却下しておったな。
自分で自分の首を絞める進化論者らしい判断だ。
くっくっく。
869 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 09:17:35 0
じゃあ仕事行くね
絶対神様、お留守番よろぴく〜
最近は淘汰の単位が遺伝子から繁殖集団とやらになったんか。
なんでだろ。
群生というのが先ずある。
観念自体は実在しない
この世は実在しないと等価な件
874 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 15:55:03 0
さて皆さん「原始」とか「高等」とかの言葉は「科学的」表現と言えるでしょうか?
いったい「原始」「高等」の科学的定義とは?
生物は全て物質元素から出来ている、その元素の種類はどんな生物でも大差ない。
人間もアメーバもほぼ同じ。
物質に「原始」「高等」の差別は無いでしょう。
差別するのが人間主義。
区別するのが自然科学。
「原始」とか「高等」を価値判断に用いるのは変
>>874 元素の種類で判断するなら人間と豆腐に大した違いはない。
元素など全部で111+αしかないのだ。
元素の種類など生命の原始・高等とほとんど関係ない。
生命の原始・高等などこちらの勝手で定義すればよい。
878 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 16:15:43 0
>>875 :考える名無しさん:
>区別するのが自然科学。
ですから「区別」とは何を区別しているんだ・・・と問うている。
答えてください。
879 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 16:21:43 0
>>877 :考える名無しさん:2008/02/05(火) 16:15:21 0
>元素の種類で判断するなら人間と豆腐に大した違いはない。
はいそうですね。
ですから科学的に人間と豆腐は大した違いはありません。
これが科学的態度だと思います。
>生命の原始・高等などこちらの勝手で定義すればよい。
貴方は「生命の原始・高等」を定義する事を科学的だと思いますか?
日本語による偏見が理解を妨げていると思われ>原始高等
881 :
877:2008/02/05(火) 16:25:57 0
>>879 超絶神と話してみてはどうかね?
彼は生命のエキスパートだ。
882 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 17:30:10 0
>>881 :877:
>超絶神と話してみてはどうかね?
では何故
>>877 :考える名無しさん:
>生命の原始・高等などこちらの勝手で定義すればよい。
などと言ったのか?
「生命の原始・高等など超絶神に聞けばよい」と言えばよい。
超絶は引用のエキスパートだろ。
持論はグダグダ。前に心だか精神は物質とか言ってなかった?
884 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 17:38:22 0
>>879 > 貴方は「生命の原始・高等」を定義する事を科学的だと思いますか?
原始とは、遥か過去から形態に変わりのない生物をさすな。
つまり、完成体だ。
クマムシのようにな。
高等とは下等な生物が時間をかけて進化したという妄想から生まれた概念だ。
換言すれば,変化する確率の低下だ。
つまり、高等生物とは絶滅する運命の生物だな。
要するに「生命の原始・高等」など、進化論者が考えのような駄法螺だ。
くっくっく。
先進国は成長が止まるようになる
永遠に成長し続けにゃいってか
886 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 17:44:01 0
>>883 > 超絶は引用のエキスパートだろ。
> 持論はグダグダ。前に心だか精神は物質とか言ってなかった?
それはお前が低脳なだけのことだ。
くっくっく。
887 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 17:45:01 0
>>885 > 先進国は成長が止まるようになる
> 永遠に成長し続けにゃいってか
それなら,原始的と言われる生物はどうなるんだ?
完全体だぞ。
くっくっく。
888 :
877:2008/02/05(火) 18:11:19 0
>>882 じいさん
ずいぶんと挑発的だね。
人間とアメーバが同じとは思わないよ。
機械要素は軸、軸受、ネジ、歯車、継手・・など種類は多くないが
手工具と自動車内機械では複雑さのレベルが異なるだろ?
俺はとりあえず「原始→高等」=複雑化であると解釈しておこう。
889 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 18:22:11 0
890 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:24:50 0
↑お前、かえってうっとしいからやめてくれ。
892 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:29:15 0
人間は脳死の時点において人格はなくなる。脳=その人間の人格だから。
しかし、その脳を支配するのが遺伝子である。実は、人間など環境や教育でなく、
すべて遺伝子で決定されている。包丁を振り回し無差別殺人。その犯人の、
家庭環境や教育、経験でなく、どうしょうと、そうなる遺伝子を持っている。
893 :
877:2008/02/05(火) 18:33:42 0
>>892 じゃあ一卵性双生児の2人の運命は同じというわけだね?
894 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:41:07 0
一卵性双生児。たとえば私の周囲だと、彼らは同じ高校に進学、
または、ちがっても同程度のレベルの学校に進学。若干の個性はあっても、
運動能力、得意科目、得意スポーツ等は一致し、思想的にも同等となりますね。
凶悪犯って幼少時に親戚の家をたらい回しとか、性的暴行とか、
そういう経験から生まれるって話だしな。
犯罪体質みたいな人は稀にいるかもしらんが、ほぼ環境だろうな。
897 :
877:2008/02/05(火) 18:44:56 0
>>894 「家庭環境や教育・経験ではない。」と892は断言している。
それに対する回答としては全然弱い。
一卵性双生児が違う家庭環境(金持ちと貧乏人)教育環境で育てられた時、
その2人の運命が同様となる可能性の方が低いと思われる。
複雑化 強 普遍 自由
899 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:57:53 0
超能力も持ってない同士が論じたって意味ないことぐらいわかるよな?www
900 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 18:57:57 0
>>888 :877:
>俺はとりあえず「原始→高等」=複雑化であると解釈しておこう。
どんどんボロガ出る。
科学的に複雑な法則が、単純な一つの方程式に還元できたとしたら、それは科学的「進歩」と言い得るんじゃあないですか?
同じ「生物」でありながら生きるためには複雑な構造が必要な人間よりも、一個の細胞で充分生きていける単細胞生物のほうが「高等」と言う価値観もあるのではないですか?
901 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 19:07:15 0
>>884 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>要するに「生命の原始・高等」など、進化論者が考えのような駄法螺だ。
そのとおりなら、だからこそ科学者は「進化」と言う言葉を使ってはなら無いのだ。
「進化論」がだめで「進化」は良いという詭弁は許されない。
なぜならここの機械さんの「観念論」は駄目で「観念」は良いと言う言い逃れを許してしまう。
902 :
877:2008/02/05(火) 19:10:20 0
>>900 >同じ「生物」でありながら生きるためには複雑な構造が必要な人間よりも、
一個の細胞で充分生きていける単細胞生物のほうが「高等」と言う価値観もあるのではないですか?
そのような価値観ももちろんあるだろう。888俺なりの解釈を述べたのだ。
そもそも君の言うように「価値観」なのだから。
しかし
>科学的に複雑な法則が、単純な一つの方程式に還元できたとしたら、それは科学的「進歩」と言い得るんじゃあないですか?
これは明らかに議論のすり替えだ。科学の進歩などという多面的な問題を持ち出して議論を混乱させている。
人間社会の進歩は社会構造の複雑化と連動していると一般にはとらえられるはずだ。
「科学の進歩=方程式の発見」などという単純な図式がそもそも成り立つ道理がない。
903 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 19:11:29 0
一卵性だからといって、まるっきり同等の遺伝子とは限らない。
ともかく、HIVのように、本当は他の病も犯罪性等もキャリアであり、
問題は、いつ発症するかだけ。その発症するしないが環境かもしれない。
906 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 19:31:22 0
>>902 :877:
>人間社会の進歩は社会構造の複雑化と連動していると一般にはとらえられるはずだ。
>「科学の進歩=方程式の発見」などという単純な図式がそもそも成り立つ道理がない。
おっしゃるとおりです、ですからこそ・・・・・・・
>俺はとりあえず「原始→高等」=複雑化であると解釈しておこう。
このように、生物学的な進化と「人間社会の進歩は社会構造の複雑化」と言う図式を混同してはイケナイのではないでしょうか?
907 :
877:2008/02/05(火) 19:34:35 0
>>906 >生物学的な進化と「人間社会の進歩は社会構造の複雑化」と言う図式を混同してはイケナイのではないでしょうか?
俺は似たようなもんだと思っているが。
908 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/05(火) 19:50:58 0
>>907 :877:
>俺は似たようなもんだと思っているが。
違います。
話が元に戻りますが、「進化論」は生物学であり自然科学です。
もちろん「進化論」は科学でなく哲学だと批判する人も居ます。
その意味は(自然)科学の定義を厳しく捉えているわけです。
ましてや「人間社会」は自然科学では到底扱えないのです。
909 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 20:00:46 0
何で、哲学で脳生理学や遺伝子工学みたいなこと語るのでしょ?
もう、哲学とやらの役目は終了しておりますよ。
910 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 20:17:50 0
>>892 > 人間は脳死の時点において人格はなくなる。脳=その人間の人格だから。
> しかし、その脳を支配するのが遺伝子である。実は、人間など環境や教育でなく、
> すべて遺伝子で決定されている。包丁を振り回し無差別殺人。その犯人の、
> 家庭環境や教育、経験でなく、どうしょうと、そうなる遺伝子を持っている。
それがされないわけだ。
一卵性でも、一方だけ先天的にな疾患を有しておる場合もある。
ほれ、これでも読め。
ttp://saito-therapy.org/new_finding/nature_nurture.htm >恐らく、我々は結果が原因になるような、循環的因果関係で物を考えるのが不得意なのであろう。だから、簡単で真っ直ぐな原因と結果論を求める傾向がある。
>クウォンタム理論や相対性理論のような、育ちが生まれを導くような理論は人間には難しい。
つまり、決定論のようなものを求めるのは本能だな。
妄想を追いかける本能だ。
くっくっく。
911 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 20:22:09 0
>>901 >
>>884 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >要するに「生命の原始・高等」など、進化論者が考えのような駄法螺だ。
>
> そのとおりなら、だからこそ科学者は「進化」と言う言葉を使ってはなら無いのだ。
> 「進化論」がだめで「進化」は良いという詭弁は許されない。
> なぜならここの機械さんの「観念論」は駄目で「観念」は良いと言う言い逃れを許してしまう。
まあ、そうだな。
要は、科学者が何を事実とするかだ。
「観念」というものが、脳内の特定の事象を指すのであれば問題あるまい。
進化論の中の進化なのか、生物に生じる現象としての進化なのかだ
後者ならば、再現性が必要だ。
観念も同じだな。
くっくっく。
912 :
877:2008/02/05(火) 20:24:13 0
>>908 >違います。
そうかい?まあいいけど。連投規制に入るんで、俺、今日はこれが最後だと思う。
俺は君の「生命の原始と高等」の話から入ったんだが、君は「進化」の話をしたいのかね?
「進化」って呼び方嫌う人も多いようだが、俺は別に進化でもいいと思うよ。
俺はね 進化は基本的に「足し算」だと思ってるのさ。アメーバがいきなり次の代に人間に
変わったりはしないだろ?まあその逆もないんだろうけど。しかしアメーバは何十億年前から
いるけど、人間は10億年前にはいなかっただろ、多分。出現するのに時系列の順番があると思うのさ。
魚から肺が出来るのも大変だったと思うんだよ。肺は基本的に食道が変化したものだとされているが
つまり元々あるものが土台となってると思う。その意味で進化は「足し算」であり「積み上げ」だと
考えとるのさ。だから「進化」って表現もあながち棄てたもんじゃないだろ?
あと「自然法則の方程式」について言わせてくれ。
物理法則の方程式と言っても、単純ではないだろ?運動方程式だって積分の知識がなければ解けないわけだ。
その積分もギリシャ時代からあった訳ではない。ニュートンと同時代に発明されたものだろ?それまでの
数学の進歩の歴史がなければ運動方程式は成り立たない。そう考えれば「方程式の発見(発明?)=単純」とも
言えないだろ?量子力学に至っては複素関数の知識も必要だ。波動関数だけでは意味のないものだろ。それまでの
知識の蓄積が必要と思う。
生命もそれまでの「進化」の土台があって その上に積み上がるものだと思うよ。
あとついでに、退化ってのも進化と似たようなもんだと思うのよ。
何故って人間も胎児の時にエラとかしっぽがあるだろ?これって進化の順番をたどってると考えれば
「退化」ってのは綺麗さっぱりなくなってるって話ではなく、一端作っておいて消去するって
面倒なことをしてると思うのさ。まあどうでもいい話だけど。さようなら。
913 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 20:24:34 0
>>904 >
>>901 > 進化以外で説明できるのは創造論。
はじめから進化していないという説明もできるな。
単に遺伝子のピースが適当に結びつくだけだということだ。
>>909 > 何で、哲学で脳生理学や遺伝子工学みたいなこと語るのでしょ?
それが哲学の役目だ、たわけ。
くっくっく。
914 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 20:29:26 0
>>910 なら、もっと分かりやすく、同性愛について述べてみよう。これも、
幼児期の同姓による性的虐待。異性のきょうだいの中で育った。
顔や身体が異性的であった等の説はある。しかし、幼児期の出来事や、
家庭環境でなく、やはり、最初からどうしても、ある一定の割合で、
先天的に同性愛的脳の持ち主は存在する。防げない。おすぎ・ピーコの双子は、
たとえ、別の環境で生活していたとしても、同性愛者になったであろうことは明白である。
915 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 21:03:28 0
明白であるw
バカか?
916 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 21:09:42 0
バカにバカかって聞くの?バカなの?
917 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 21:11:05 0
>>912 > つまり元々あるものが土台となってると思う。その意味で進化は「足し算」であり「積み上げ」だと
> 考えとるのさ。だから「進化」って表現もあながち棄てたもんじゃないだろ?
それはどうかな。
かつて、恐竜人類がいて、他の惑星に言ったかもしれんぞ。
儂は積み上げではなく、単なるカオス的変動だと思うがな。
くっくっく。
>>914 > たとえ、別の環境で生活していたとしても、同性愛者になったであろうことは明白である。
明白にはならないんだよ。
特定の環境下で遺伝子が選択されるのだ。
字が読めんのか、たわけ。
くっくっく。
男にとって女性は永遠の謎だ。
まだペットの犬や猫の方がわかりやすい。
919 :
877:2008/02/05(火) 21:17:17 0
>>917 おお さすが神。俺には無い奇抜な発想力だな。いつもながらうれしいよ。
カオス的変動については次までに考えとく。
920 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 21:23:50 0
>>917 環境下でどうのこそ、たわけ、である。たとえば少年が凶悪犯罪を犯す。
テレビ、雑誌等、必ず心理学者、精神医療専門家などが理由をつける。
「裕福な家庭で甘やかされた」「貧しい家庭」「親が離婚している」など。
特になければ「普通と思われる家庭の闇部分」という。つまり何だっていいわけだ。
場合によっては、日本の国家・社会概念のありかたに問題が、などと言う。
取って付けた解釈。遺伝子に組み込まれ〜では話にならなくなるから、環境を持ち出す側面もあろう。
921 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 21:37:27 0
おまえの推測なんてどうでもいいよ。
「裕福な家庭で甘やかされた」「貧しい家庭」「親が離婚している」などと
どんな違いがあるんだよ。
922 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 21:41:11 0
とってつけた解釈w
「遺伝子に組み込まれ〜」ってのはどっからとってきたの?
923 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 21:59:50 0
>>920 だから、そんなこと無関係だと言ってる。心理学者や精神科医が、
仕方なく推測しているだけである。
924 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:01:37 0
923
920× 921に対して
925 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:10:27 0
だから、
「心理学者や精神科医が、推測している」のより
「シロートのお前が、妄想している」のが
どうしてより信用できるというのか。
第一犯罪者になる遺伝子とか同性愛者の遺伝子とか笑われるぜ、おれに。
926 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:14:13 0
927 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 22:26:15 0
>>920 >
>>917 > 環境下でどうのこそ、たわけ、である。たとえば少年が凶悪犯罪を犯す。
環境下で生体によって遺伝子が自由選択されるから非決定なんだよ。
のびた決定論では駄目だな。
くっくっく。
928 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:36:58 0
たわけ、であるw
929 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:41:40 0
>>925 おれに、とはどういう意味か分からん。
>>927 たとえば、あなたが60歳前後で胃がんになると、遺伝子に書き込まれていれば、
食事や環境に無関係でそうなるし、書き込まれていなければ、デタラメな食生活で、
酒・タバコを好んでもならない。そういうことである。
930 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:45:27 0
胃がんはピロリ菌が原因として大きい要因だというのが
最近の定説。
お前の言う胃がんになる遺伝子ってのはどの染色体のどの辺にあるの?
931 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/05(火) 22:52:56 0
>>929 >
>>927 > たとえば、あなたが60歳前後で胃がんになると、遺伝子に書き込まれていれば、
> 食事や環境に無関係でそうなるし、書き込まれていなければ、デタラメな食生活で、
> 酒・タバコを好んでもならない。そういうことである。
いや、遺伝子がどう発現するかであって、遺伝子通りに運命が決定されているのではないということだ。
癌遺伝子など誰にでもあるのだからな。
そして、癌遺伝子が癌になるためだけにあるとは限らんわけだ。
操作しただけでは駄目なんだよ。
くっくっく。
932 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:01:31 0
>>931 もっと明瞭に書けんの?
もにょもにょ入れ歯外した爺さんみたいw
933 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:05:02 0
犯罪者の遺伝子と同性愛の遺伝子と胃がんの遺伝子を特定した
ノーベル賞級の学者がいると聞いてとんできました
934 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:23:05 0
>>931 まだ、操作できる、できないの部分まで到達していないし、到達しても、
人権問題により、世界的課題となってしまうであろう。
>>933 たとえば、以前は同性愛者が差別される反面、同性愛者自身が、自ら、
同性を性的対象に選んだのだという意志を持てる現状があった。しかし、
性同一障害という見解により、つまりは「あなたは環境でもなければ、
自分の意志でもなく遺伝子に組み込まれてしまっていた。要は障害者なのです」
となってしまった。障害だから、変態・変質者とされる差別は薄くなるが、自分の意志も、
同時に否定されてしまう。これが遺伝子論の諸刃の剣なのである。
935 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:26:51 0
だから、同性愛の遺伝子なんかないって言ってるの。
わかる?
936 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:29:47 0
ある。
日本て同性愛に対して大らか
例えば大きな戦争の後は生物学的には男性でも女性化した人の産まれる頻度が格段に高くなるらしい。
939 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:33:16 0
「同性愛の遺伝子はある」と
1.どこの学者が
2.いつ
3.どこで発表したか
コレを示してしてもらわないと素人の妄想としかいえん
940 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:34:02 0
XYで男、XXで女だが、それで性的対象が決まったわけではないのである。
だから、障害としての同性愛が発生するリスクは必ず存在してしまう。
941 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:35:54 0
942 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:41:49 0
>>939 だから、人権問題で公にはされていないであろう。母親のなかの胎児は、
XYにのみ男性ホルモンを胎盤から浴びせる。すると脳梁部分が細くなる。
男性脳とは脳梁が細いことである。しかし、必ずしもXYにのみキチンと、
男性ホルモンを浴びせる保証はない。XXに浴びせてしまうことも含めて。
身体が男児えあっても、体内で男性ホルモンを浴びなかった場合、脳は女性脳である。
そういうことである。
943 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:43:18 0
お前が救いようのないバカだってのはわかった。
遺伝子に異常があるんだろう。
944 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:47:50 0
胎盤から男性ホルモンを浴びせられるのか。
さすがノーベル賞級の学者は言うことがチガウw
945 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/05(火) 23:49:47 0
同性愛については「脳の機能」について非常に典型的な例だと思います。
「男性に恋するか」「女性に恋するか」・・・思春期の時期には非常に
「重要なこと」であり、ある意味「意志とは無関係に自分の『内部』から沸き上がる衝動」
ですので、だれもうまくコントロールすることなど出来ません。
普通の方は「自分の恋心に驚いて(その恋心に)翻弄される」のが実態だと思いますが、
「肉体の性別と違ったホルモンシャワーを脳に浴びてしまった方達(同性愛者)」達はさらに
複雑な「思い・想い」を抱くことになるのだと思います。
946 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:07:28 0
>>944はホルモンシャワーなど分かってないらしい。943も。
従って馬鹿にされるのはあなた方である。ひとつ勉強になって良かったではないか。
こんなものはノーベル賞でも何でもない。医学書に書いてある事実である。
こんな人々を相手にして時間の無駄であった。所詮、哲学板では無理なのであろう。
もう、ここにはこない。
947 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:11:52 0
男性脳、女性脳、胎児期のホルモンによる脳の男女分化・・・。
あまり真に受けない方がいいと思うがなあ。
しかし、そんな怪しい仮説に基づいて、身体の性別を脳の性別にあわせる
性同一性障害の治療手術なんてのが行われてるんだから怖いなあ。
948 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:12:39 0
ホルモンシャワーで決まるのなら
同性愛の遺伝子ってのはないってことにならない?
949 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:14:34 0
同性愛の遺伝子って・・・。
同性愛の奴はどうみても子孫を残す確率が低いと思わないか?
どうやってそういう遺伝子が淘汰を生き延びるのさ?
950 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:15:40 0
男性脳と女性脳うんぬんはあれだ、
相関関係と因果関係の混同。
951 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:19:00 0
ホルモンシャワーと同性愛は相関関係すら定かでない。
952 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/06(水) 00:58:37 0
身体(内外性器を含む)が形成される時期と脳が形成される時期が若干「ずれ」
があるため、希に「身体には男性ホルモンシャワー(だけど)脳には女性ホルモンシャワー」
・・・という事例が起こってしまう結果、「自分の身体(内外性器を含む)」と
「脳」が異なった「性」となってしまう・・・というのが同性愛の典型例だと認識しております。
男性ホルモンと女性ホルモンは「分子構造が異なる物質」です。
その「一瞬の物質のシャワー」を胎児が浴びた結果・・・「男性の脳になるのか女性の脳になるのか決まる」
わけであり、誕生後「違和感」を覚えても「脳(女性が好きな「私」あるいは男性が好きな「私」)を変更
することは出来ないので、「肉体に対する性転換手術」が合法的に行われている・・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
さあ、楽しいお勉強の時間だ
脳は空より広いか 「私」という現象を考える
ジェラルド・M.エーデルマン著
冬樹 純子訳
豊嶋 良一監修
(草思社)
マインド・タイム 脳と意識の時間
ベンジャミン・リベット著
下條 信輔訳
出版 : 岩波書店
955 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 08:47:04 0
>>934 >
>>931 > まだ、操作できる、できないの部分まで到達していないし、到達しても、
> 人権問題により、世界的課題となってしまうであろう。
システムの作動の問題だ。
システムは因果律だけで作動しないんだよ。
だから,カオスがある。
そして、今まで遭遇したことのない状態にも適応できるわけだ。
くっくっく。
956 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 08:54:32 0
>>940 > XYで男、XXで女だが、それで性的対象が決まったわけではないのである。
> だから、障害としての同性愛が発生するリスクは必ず存在してしまう。
障害ではない。
単なるヴァリエーションの一部だ。
くっくっく。
>>946 >
>>944はホルモンシャワーなど分かってないらしい。
それはただの仮説だ。
だいたい、ホルモンなど、分泌側と受ける側の両方に問題があるわけで、単一の問題として解釈するところが貧脳だ。
しかも、ホルモンの出方は環境に依存するわけだ。
くっくっく。
957 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 09:17:28 0
放置でよろしく
くっくっく。
958 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:56:48 0
こういう男・女の流れのとき、紗南から一言あってしかるべきなのに
スルーするあたり、あのかたは、やっぱりクサイよね。
959 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:57:53 0
960 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 10:02:28 0
>しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます
おれの周囲にそういう人は居ません
>・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です
だから「いません」て
脳には霊が取り憑いているとハッキリ言えばいいんだよ。
それ言ってから自説を組み立てないとダメだろ。
「脳には霊が取り憑いている」
「脳には物理法則が取り憑いている」
さて、両者の違いは?
964 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 10:31:06 0
「脳内に脳以外の何があるか」・・だと?
どたわけ!
>>960 ならお前は関係ないだけでは?
居る人を対象にしているんだろ。
967 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 10:37:08 0
>>965 おまいが対象だって言ってんの?
人により脳内に存在する「モノ」が違うとでも?ねぇ対象さん
968 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 10:48:13 0
>>963 > 「脳には霊が取り憑いている」
> 「脳には物理法則が取り憑いている」
> さて、両者の違いは?
>>966 >
>>963 > 検証可能性
検証不可能性の間違いではないのか?
くっくっく。
969 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 10:49:51 0
>>967 >
>>965 > おまいが対象だって言ってんの?
> 人により脳内に存在する「モノ」が違うとでも?ねぇ対象さん
違うな。
同じなら,パーソナリティに違いはないだろうが。
それとも個性は脳内に存在する「モノ」に依存しておらんとでも言うのか。
くっくっく。
970 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 10:51:20 0
>しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます
その物質は進化論的に進化するのかね?
くっくっく。
971 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 11:12:36 0
万物流転だから宇宙の万物は進化する。
972 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 11:40:34 0
>>971 > 万物流転だから宇宙の万物は進化する。
変化するだけだろうが。
諸行無常だ。
くっくっく。
>同じなら,パーソナリティに違いはないだろうが。
>それとも個性は脳内に存在する「モノ」に依存しておらんとでも言うのか。
環境が違えばモノの発現は微妙に違ってくるからなあ。
時代、社会が同じでもそのモノの環境には例えば家庭などさまざまな差異が存在するし。
俯瞰的に見れば違いなんてのはそんなに大きくは違わないだろうし、微視的にみれば大きく違うと言えないことも無い。
同じ、違い、などなど、言葉というか認識そのものを認識したほうが早いかな。
といっても本質的な問題として、だが。
>>969 マナカナいつまでここにいるんだよーー乙www
>変化するだけだろうが。
>諸行無常だ。
惜しいね、もう少しで手に届くんだが、イマイチ手に届かない。
この少しが出来ていないから言葉遊びにとどまっている。
鴨長明に毛が生えたくらいだから、そうかもねチョー迷になっている。
ヒント 量子力学の標準理論の欠陥を示した実験。
超ではなくチョット絶対カミくらいかな?
この「少し」の距離はかなり大きいし本質的な理解の飛躍が必要だけどね。w
978 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/06(水) 14:36:50 0
>>971 :考える名無しさん:
>>万物流転だから宇宙の万物は進化する。
「流転」とはっきり言明されているのにわざわざ「進化」と言い換える真意はなんだ?
この進化とは「進化論」の進化と言う意味なのか?
それとも「日本女子バレーは進化する」の進化なのか?
おそらくその意味付けの全ては間違いである。
「流転」は流転である。
>>1 >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
このくだりだけ、妙に浮いています。
脳の物質性を説明したのちに、突然、「あらかじめ」という時系列に関する概念が登場しているからです。
脳が余すところなく「物質」であるならば、そこから導き出されるのは「何を思うか何を意志するか」は物理・化学法則によって決定されるという命題にとどまるでしょう。
「あらかじめ」という不可思議な概念を用いるのが決定論なのであれば、この論理は成立しないと思われます。
980 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 16:50:02 0
>>976 > >変化するだけだろうが。
> >諸行無常だ。
>
> 惜しいね、もう少しで手に届くんだが、イマイチ手に届かない。
> この少しが出来ていないから言葉遊びにとどまっている。
このスレならば、これで十分だ。
まったく惜しくはないな。
くっくっく。
981 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 20:11:11 0
>>976 こいつはバカというよりも、クズといったほうがいい。
ここで名無しのくせに利いたふうなご託宣を垂れ流すやつは、例外なくクソ野郎。
お前、その実験に参加したのか。
お前が知ったかぶりしているのは、二次情報を握っているからだろう。
要するに、又聞き野郎がほたえているわけだ。どあほ。
>>977 お前もクズ野郎の尻馬に乗らずに、名乗って能書きを垂れろ。ドアホ。
wなんかつけるな。www
982 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 20:11:46 0
>>972 >変化するだけだろうが。
おや、もう自己組織化は忘れてしまったか?
創発性、散逸構造、カオス、複雑性・・・すべて進化の範疇だ。
>>981 そんで、なぜ自分は名無しなの?
叩く事なら名無しでもいいの?
聞いた知識はコテ付けないと言っちゃダメなの?
そんなアホルール通ると思ってんの?
なんで草生やすなって言ってる割に草を生やしてるの?
馬鹿なの???
984 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 21:23:47 0
>>982 >
>>972 > >変化するだけだろうが。
>
> おや、もう自己組織化は忘れてしまったか?
> 創発性、散逸構造、カオス、複雑性・・・すべて進化の範疇だ。
違うな〜。
システムの変動だ。
それを進化などと呼ぶのは、ドラえもん進化論者くらいのものだ。
つまり、何でも進化論だな。
くっくっく。
>>983 > 馬鹿なの???
馬鹿ではない。
場蚊烏賊だ。
くっくっく。
985 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 21:26:11 0
986 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 22:11:11 0
>>985 >
>>984 > 進化は変化や無常を内包するからね。
さすが「なんでも進化論」だな。
普通の脳みそがあれば、変化や無常に内包されるのが進化だ。
で、光も進化するのかね?
場蚊ではないか。
くっくっく。
987 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:53:24 O
神なら普通の脳味噌がどうこういってないでどうおかしいか天啓をくださいよ
988 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:57:00 0
入れ歯、落っことしたんじゃネ?
989 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 22:59:06 0
貧脳らしい低脳な煽りだな。
別名、ごまめの歯ぎしりとも言うがのー。
くっくっく、愉快、愉快。
990 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/06(水) 23:03:41 0
あ、場蚊だから「ごまめの歯ぎしり」の意味が分からんか。
>ごまめの歯ぎしり(ごまめのはぎしり)
>
>【意味】
>とんなに悔しがっても力が及ばずどうしようもないこと。
>
>【ゆらい】
>ごまめのような小さな魚が歯ぎしりをし、悔しがったとしても
>どうすることも出来ないこと。
ttp://tantaka.com/kotowaza/2005/11/post_406.html ほれ、勉強になっただろう。
ごまめどもがどう歯ぎしりしても、進化学者の見解に従うしかないのだ。
「進化論は一つの考え方であり、哲学もどきで、進化学とは関係ない」と言うことだな。
くっくっく。
991 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 23:05:06 O
貧脳か低脳かどっちかにしてください
992 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 23:20:13 0
I am that I am.
進化だか民家だか知りませんが、従うべきとかってなんかの政治運動でつか?
知能が低い奴ほどそういう論で頑張るもんでつが、できればそういう
つまらん主張はイッペン逝ってからにしてくださいね。
というかそういう趣向のスレでやれ。
私の直感では獲得形質は平気で遺伝しそうに思われます。
私の意志が遺伝子に利己的な作用を及ぼすのでしょう。
995 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/07(木) 00:07:53 0
>>979 >「あらかじめ」という不可思議な概念を用いるのが決定論なのであれば、
「物理的初期条件」・・・物質の状態と+その置かれている環境(空間)に変化がなければ
「その物質が(その環境空間で)どう変化するか?」は「あらかじめ」決まっているのです。
そのこと(物理・化学法則の普遍性)を「確認する作業」のことを「実験」と言います。
996 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 00:35:42 0
>>995 「もうられてまったこと」なんだが
「でにられた文字群になんがあるか」書いてみ?
(判ってるだろうが「うんコをする意味」だぞ)
でにられてまった文言は哲学の本質だと言ってるわけだが
このるかな?
はい梅
はい梅
はい梅
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