1 :
考える名無しさん :
2007/12/20(木) 22:58:14 0
2 :
金曜日 :2007/12/20(木) 23:00:58 0
まずはハイデガーの『ニーチェ』についてどう思う?
我々はたえずなにかを『逃し』はしまいかと思う者のように生きている。 『何もしないよりは何でもいいからせよ』という原理が全ての文化の 高級な趣味の息の根を止める。 これの意味教えてくれ
4 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 23:43:23 0
嫌だよ 功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない
疾風怒涛の生の哲学がお堅いドイツで育まれたように見えるが、 むしろこれは生が萎み枯れる過程だったのだ。 そしてその生の危機感がドイツロマン主義の底流にあった。 既にフィヒテ、ヘーゲルにおいて生の根源たる絶対者との隔絶が意識され、 その絆の回復が志向されていた。 この危機意識にもかかわらず容赦なく構築、増強されていく城(そういえばカフカであった読んでないけど)と監獄で人々はうなだれていくばかりであった。 今や生の光と音を阻む分厚い壁に囲まれ息も絶え絶えになってしまった。 もはや生きているのか死んでいるのかわからないという状態にまで我々(可哀想に日本人も巻き添えになってしまいましたね)は落ち込んできてしまった。 この城と監獄が完成するとき、生との断絶が完成する時、 我々はその闇と無の中で何を無闇に夢見るのか? 難攻不落の城と脱獄不可能な監獄に幽閉された異様なる者、双子座の怪人とは何か? これが問題ではないか?
7 :
金曜日 :2007/12/21(金) 16:42:04 0
>>5 監獄に幽閉
といえば
マルクスも絶賛したかのブランキが獄中で永劫回帰について
書いたのはニーチェの永劫回帰受胎の10年も前です。
これはすごいことです。
9 :
金曜日 :2007/12/21(金) 17:50:49 0
まあ 永劫回帰が思想として 国境や時代や文化をこえて 受け入れられるとしたら 個々の人間にとって 国境や時代や文化という枠に収まらないなにか根底的なものへと到達をうながす 不安とともにそれをはねつけるいわば生のエネルギーのようなものが必要だろうな。 永劫回帰は神の存在などすべてを疑う精神とともにやってくる。 ニーチェのように。 そしていつか大衆に広がるかもしれない。 ドイツ精神どころではないのだ。
回る回るよ時代は回る♪
私のお墓の前で泣かないでください、という詩にはとてつもないエネルギーがあると思う。
遺灰は海に撒いてほしい 太平洋に
>>5 グローバル化というのは地球の監獄=城化なのか?
自分を守ろうとしたら自分を文字通り『囚』にしてしまう罠に嵌るってか。
あらま本当の話でやだねw
地球が地球そのものが…!! 強制収容所になってしまうのです。ええ。
てか風邪で体直るよね。 とすると独房で発症すると想定される精神病で精神も直るんじゃないか。 風邪もこじらせるといかんというが。
>>14 あはは
永劫回帰という思想が
個人にとって牢獄じゃないか
地球のみんなが永劫回帰を信じたら
地球が牢獄と化してしまう。
証明不可能な思想の牢獄にはまってしまうからな。
そんな思想の話なんてしてないだろ。
てか永遠回帰って思想というよりは理論だろ。
人は自分を守ろうとして自他を文字通り「囚」にしてしまう。 この囚人こそsubjectなんだが、囲いが完全無欠になれば内も外も区別できなくなり、 また檻の中の人「囚」は脱獄し、人になる。 正常な人は「囚」なので、「人」は異常である。
面白いね! 自分は胸の中には自由感情を持ち続けてるよ。 いつでも現世という牢獄を去ることができる、甘美な自由感な自由間。
ああ無常(無情)
>>20 いわゆる内も外もないという状態をこそまともな監獄が作り上げるものなのだ。
そういったロマンティシズムが監獄を完成の域に高めていくのだろう。
ニーチェは、自分を取り囲む壁を破壊しようとして、完全無欠の監獄の囚人となったのだ。
逆説的に完全なる監獄に自由があるわけだ。 他者との接点である壁さえ消えてなくなることに。 完全無欠な壁は認識できない。 ロマン主義者は壁を壊しているつもりで、 滑稽にも壁を強化しているというのが実態なのだろう。
自由の女神が君臨する壁なき世界、 これぞ真の監獄である。
俺は国境は肯定するけど税関は否定する。
26 :
考える名無しさん :2007/12/22(土) 15:20:03 0
初心者です。 まず何を読めばイイですか? いきなり「ツァラトゥストラはこう語った」はダメですか?
27 :
考える名無しさん :2007/12/22(土) 15:23:43 O
完璧な壁に囲まれ八方塞がりになり、 壁をそれと認識不能な状態に陥ること(というのも外が完全に遮断されてみれば壁も内側も外側もないだろう) これが狂気だろうか。 しかし世界の根源ともなれば同様に内も外もない八方塞がりの状態なわけであるから、 狂気こそ根源的な状態ではあるはずだ。
読みたいのを読むのが一番
解説本はできるだけ読まないほうがいい。 まず原書を呼んでその言葉を自分で咀嚼して考える。これが理想。
でも原書の後で解説本を読むのもいい。
32 :
考える名無しさん :2007/12/22(土) 16:14:25 0
じゃあ岩波の「ツァラトゥストラはこういった」読んでも大丈夫? 哲学自体よくわからんし、ニーチェも読んだことないよ。
33 :
考える名無しさん :2007/12/22(土) 16:52:17 O
ニートを哲学してみてはどうでしょうか
1,2年位なら、完全に外部と縁を切って独房の住人を体現してみるのもよかったりなんて。
いらっしゃいませて・・・
>>18 永劫回帰がニーチェの思想でなくて何だ?
永劫回帰が理論とは
あんたニーチェの著作を何も読んでないな?
>>17 ここはニーチェのスレだぜ。
関係ナイのはアンタだよ
そうかな?
永遠回帰は監獄を逃れようとするロマン主義の成り果ての監獄なのだと思うが。 ニーチェを前期と後期に分けるとしたら、監獄に回帰したその時だろうね。
てか監獄を逃れようとするロマン主義者がいつも監獄に舞い戻るというような反復的な事態を理想化理論化したものが永遠回帰じゃないかと。 だがこれはちょっとずれている。 事実上完全な反復はない、反復は差異を伴う。 ロマン主義者の収監と脱獄の反復における差異というのは、 舞い戻る度に強化される監獄の壁の厚み、監獄の進化である。 無論いずれ脱獄不能になるのだと思われる。 だからこそアメリカンドリームが問われるのである。
そのロマン主義的反復に伴う深刻な差異を無視理想化し、 理論化し、永遠回帰という哀れな望みをつむいだその時点で彼は方向転換したのだ。 彼は守りに入った。
そしてアポロは死んだ
>>32 ニーチェの書物を読むにあたって、大切なのは自分なりの解釈をしっかり持つこと
ニーチェ本人は、ただの追従者が嫌いらしいので
>29氏の言ってる通り、よく咀嚼して下さい
なんか麻薬漬けみたいな話だな。
>>42 自由の女神が君臨する監獄なんて日本列島ぐらいのもんだろ。イラクもか。
人間は想像力で何処までも「自由」になれるんだ。
深夜に独りでドビュッシーの夢を聴けばわかる。
50 :
えりりん :2007/12/23(日) 00:52:07 0
>>49 不意にドビュッシーとか言うから無性に「沈める寺院」が聴きたくなったじゃないか
iTMSで買うことにする
便利な時代ですねー
ニーチェはその永遠回帰捏造までがロマンティストで、以後ニヒリスト
52 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 08:51:49 0
永劫回帰以下禁止、理由宗教くさいから
たしかに永劫回帰は、よくわからん 何が言いたいのかわからんわからん
100年前に死んだ男が聞いた悪魔の囁き 時代の精神に合わせて解釈しだいで変化するゆえに、絶滅し難いいやらしい概念。 ありはしないが捏造することでニーチェは権力を獲得した。 超人もこれに似せて権力を獲得するよ。という予言。
>>53 ニーチェのスレで
永劫回帰禁止とはないだろう
他のスレならともかく。
超人や永劫回帰なくしてニーチェは語れない。
それともギリシア悲劇にするのか。
あるいは
神は死んだとしてそれからどうする?
君達なんでこのスレにいるのだ?
我々はたえずなにかを『逃し』はしまいかと思う者のように生きている。 『何もしないよりは何でもいいからせよ』という原理が全ての文化の 高級な趣味の息の根を止める。 これの意味教えてくれ
これは理由なき意味ではなく 人間存在の原理みたいなものだろう。 不安とともに希望や永遠を望むのは人間存在の根源にあたるのだ。 何かに追われるように何かを求める。 受験戦争もそうだな。
59 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 22:14:21 0
でも初心者の俺に「ツァラトゥストラはこういった」を最後まで完読できると思う? あした紀伊国屋行けたら買ってくるんだけど。 これ以外に初心者ならこれにしておけばって言うのある?
61 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 22:43:43 O
>>59 ちょうど今読んでる初心者です。
哲学的な理解には程遠いと思ってますが、案外楽しく読めてます。
中公クラシックス版です。
62 :
金曜日 :2007/12/23(日) 23:33:57 0
中公クラシックス版なら三島憲一の最初の解説がとてもわかりやすく簡潔でいいね。 私なら第4部を読んでから再び最初から読むことを進めるね。 小説ではないので読み方は自由だ。 途中さっぱりわからねいところだらけだが あまり無理して理解しようとしないで読むことを勧めるね。
63 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 23:39:59 O
>>57 高級な趣味とは理性のことと考えると、息の根を
止められたのは真理。
なぜなら何か分からんが絶えず考える為。
>>55 高級な趣味
ってサロンでワイン片手に女性を脇にエロ談義するという怠惰なことはおやじ男の夢だわ
これぞ高級な趣味
それとも乗馬かクルーザーか
ラスベガスでギャンブルか
おやじの夢
65 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 23:46:13 O
>>59 善悪の彼岸を合わせて勧める。
道徳感が強いとつまらなく感じるぞ。つまり善悪
を逆転した世界が彼岸だ。
その前に道徳の系譜をだな・・・。
>65 彼岸ってことは善悪の川の向かい岸という意味ではなかろうか。
68 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 01:04:50 0
芸術的生活のための方法的な秩序破壊、規制緩和だったはずが、 いつのまにか破壊のための破壊に移行してしまったのではないかというのは、 真理探求者が懐疑主義に陥るのに似てるな。
手段は目的化しやすいね。 労働や金とか。マイホームとか。 買えないのに無理なローン組んでまで買うなよって話だよ。 処刑ライダーの迷惑になるだろ。
71 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 01:54:06 O
>>67 キリスト教道徳は理性により生にストイックを求
めることを善とした。
彼岸では悪だ。
>>70 懐疑のための懐疑、
キリスト教のためのキリスト教、
資本主義のための資本主義、
共産主義のための共産主義、
芸術のための芸術、
というようにあたかも我々自身が手段、主体(subject:何かの下に投げ込まれたもの)であるかのごとくにして、
我を忘れ、何かに没入してしまうのだが、それが幸せなのだろうかw
え、善悪の彼岸て道徳を超えた場所ってことじゃないの?
女は女である
75 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 10:23:46 O
ニーチェの文章の特徴として、反語?という表現 法がある。 例えば、ゴルフのスコアが悪かった仲間に、 「今日は調子がいいじぁないか〜」 て感じ。
76 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 11:46:44 O
善悪の此岸:禁欲的奴隷道徳 善悪の彼岸:悲劇的貴族道徳 禁欲=減退。 悲劇=過剰。 真逆だろ。
77 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 11:51:43 O
>>76 残念ながら、どちらの道徳にもちょうど良いあん
ばいはない。
たぶん。
善悪の彼岸は知性の彼岸でもあります。 understanding という言葉と subject という言葉に注目してみれば、 理解、分別とは主観的奴隷的な状態なのだということがわかりますね。
79 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 15:16:15 O
>>76 低地には苦も無く水は流れ込むから求心力が高く
見えてしまうのだ。前者。
だから多数を形成する。
善悪の彼岸は善悪の発祥の地だといえるでしょう。 ですから善悪の彼岸が悲劇的貴族道徳というのもあながちおかしくはないのです。 道徳は道徳ですが。
81 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 17:36:13 0
ニーチェが<力(マハト)>へ向かったのはなぜか? 相対的で再帰的な思考が充溢する状況においては、 <力>こそが唯一の指標であり、状況説明としての 陣取りゲームである。
ニーチェが力(マサト)に向かったというのもあながちおかしくはないでしょう。 相対的で再帰的な場(リング)においては力こそが唯一の指標なのであり、状況を陣取りゲームとして説明するものなのですから。
83 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 18:39:27 0
ニーチェの誕生日的に、両親は164年前のこの日に種付けをしたのかもしれん。 アンチクリストになるのもやむを得ない希ガス。
貴族‐奴隷制は善悪の彼岸にある力が支配する流動的で名目的な制度です。 格差社会化は戦争のように権利財産身分の起源を知らしめ、 善悪の彼岸に向かって我々の個々の主体性を血で洗い落とし、統一していくおぞましいものです。
85 :
金曜日 :2007/12/24(月) 19:28:24 0
>>81 推測だが
国家が権力とは不可分なように
国家死滅もしくは止揚後に
永劫回帰が思想が社会の主流になったとき
ニーチェは国家権力の代替物としての力もしくは権力(個人の自己権力)
を想定したのではないか。
ひとつの還元的な方法でしょうね。
私はどうしてもここに
にニーチェのこだわりをみてしまう。
ナチズムが出るのも自然というわけだ
87 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 20:03:18 O
奴隷(弱者)程見境なく攻撃する。恐怖故。 また奴隷の言葉は 「あいつ等は持っているが、我らは持たん。 よってあいつ等は悪い」彼らの論理は否定から自らを肯定する。 しかも敵を作り上げて自分があるから自立もできない。 まあルサンチマンだ。
あまり知られてないがルサンチマンは結構喜劇的だよ 地下室の手記にアンチヒーローの爆笑活劇が記されている。
89 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 20:17:34 O
>>87 追加。
羊の群はどこまで膨れても羊の群れだ。
本質は変わらない。
これはまだマシ。
奴隷の群れは。
以下同文。
数が増えても見境ない。
弱者の攻撃と強者の攻撃の違い。
弱者は
>>87 の通り無いものねだり。
強者は「そんなものには価値がない、生を弱くするだけだ」といって攻撃する。
91 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 21:04:36 O
>>87 ちなみにルサンチマンは妬み。
身に覚えが妬まれたりしないか?
92 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 21:17:17 O
>>90 強者はそれ故に、煮ても焼いても、煮なくても、
焼かなくてもいいわけだ。
>>84 血縁関係を結ぼう一体化しようという性的欲望が底流にあるんじゃね。
血の滲むような本末転倒の生産活動や仁義なき戦いは抑圧された同性愛のロマンチックな表現なのだろう。
この異常な性欲がある限りいくら生産性が向上しても、
支配と隷属と戦いという仮面をかぶった同性愛の織り成す死に物狂いの狂騒曲は止まるところを知らないのだ。
94 :
考える名無しさん :2007/12/25(火) 00:44:53 O
生産性ってなんの話? 経済的格差による不平等はいかんってこと? ここに力意志が関係してるとか?
悪くはないが続かないってこと ただそれだけ
>>93 同性愛というのは何より肉体的に抑圧されている。
だから肉体を労働で酷使したり、戦ったりして危険に晒すことで不調にし、正常性の鎖を緩め、
同性愛に限らず抑圧されているに過ぎない異常なるもの、
病的なるものを自由にし、発揮しようとするのではないか。
ところでこの破壊の中で現れるような病的なものこそ本質的である。
というのもそれはいわば爆撃の跡地に残った破壊できなかったものとして現れるからだ。
97 :
考える名無しさん :2007/12/25(火) 01:31:29 O
なんだキミら同性愛者か? そんな感じなんだ。 ふ〜ん。
そういえばニーチェはワーグナーと肉体関係あったの?
「悲劇の誕生」はワーグナーとの間で出来ちゃった子供だとはきくが。 ワーグナーの「ベートーベン」ぐらいは読まないといかんよ。
同性愛は自ら嫌悪すべきものでもなく 他者からも差別される所以はないと思う。 社会のありようがどうであれ 生と性は不可分であり 人間存在の自己同一性の原則にtり 同性愛者もそうでないものも自己の生と性をこよなく肯定することにはかわらない。 性と生き方とが統合された人格によってのみ人のありようが問われる。 2ちゃんでは嫌味たっぷりでも愛嬌ですな。
ワーグナーが俗物に見えてきて ニーチェのほうから絶交したんだな。 コジマをはさんでの美しき日々を後に回想したりして 忘れがたき思い出だったんだ。
悪をふりまいているつもりでも 知性のない悪は 酒乱と同じであほらしくて付き合うきになれんね。 どうせ毒をふりまくならもっと高級なのを要望する。 グラス片手にカキコするから なめられるのだ。 中途半端なニーチェ理解や文明批判は共感も反発もよばない。 まだ早のほうがよかった。
誰に言っているのですか?
>>99 幹爺ついでに訳しとけよって話だが、
まあドイツ語勉強しろってことだろう。
とはいえ幹爺訳でニーチェの「悲劇の誕生」とワーグナーの「ベートーベン」がセットで愛蔵版で出れば買いだな。
ワーグナーのファンでもない限り 「ベートーベン」を読みたいとはおまわんだろう。 幹は訳す暇ない。 もうニーチェどころじゃないだろうし。
「ベートーベン」は「悲劇の誕生」の双子の兄弟らしいので、 ちょっとちょっと読みたくもなるじゃないか。セットで。
カラヤンの交響詩(ツァラトゥストラ)も聴いとけ
新潮文庫のランボー詩集は文字が大きくなったからジイチャンにもお勧めでげす
「2001年宇宙の旅」を観ながら聞くのだ。
111 :
考える名無しさん :2007/12/26(水) 19:27:42 0
78 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/26(水) 07:30:18 0 >永井均先生等、第一線で活躍 このいたにあるかくかくのすれたいは、おまえのほんのたいとるそのまんまじゃんw くだらん「ちょしょ」かいて「とんでも」「でんぱ」を「ゆんゆん」しなくてよろしい。 おまえの「〈私〉」しそうなどにきょうみねーよ。 サルがw ウィキ:「永井均w=〈私〉=倫理=日大教授(文理)=トンデモらしいw」 * 『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房、1986年) * 『〈魂〉に対する態度』(勁草書房, 1991年) * 『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房[ちくま新書]、1995年) * 『翔太と猫のインサイトの夏休み――哲学的諸問題へのいざない』(ナカニシヤ出版、1995年) * 『<子ども>のための哲学』(講談社[講談社現代新書]、1996年) * 『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社、1997年) * 『子どものための哲学対話――人間は遊ぶために生きている!』(講談社、1997年) * 『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房、1998年) * 『これがニーチェだ』(講談社[講談社現代新書]、1998年) * 『マンガは哲学する』(講談社、2000年) * 『転校生とブラック・ジャック――独在性をめぐるセミナー』(岩波書店、2001年) * 『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書、2003年) * 『私・今・そして神――開闢の哲学』(講談社[講談社現代新書]、2004年)
112 :
金曜日 :2007/12/26(水) 20:37:23 0
>>111 このひとのニーチェ本のいいかげんさにはニーチェ研究者も無視するほどだ。
ここでカキコするのは本人の自演ではないかと疑うね。
金は永井均をうらんでる。 日大卒
永井均の自演スレッドがあるのだから 永井先生はここにこなくてよろしい
ニーチェの映像は凄いな
疑似立体映像ね 犬ヤネコでじゅうぶんだ
てかワーグナーはニーチェより一枚上手っぽいな。 てかワーグナーの文章がなかなか邦訳されないのはニーチェより余程危険だからかもしれない。 流石に芸術家だ。 ニーチェってワーグナーの弟子なんじゃないかと。
どちらにせよ我々よりはるか上方にいる二人。一般の理解の彼岸に生きたのだろう。
日本人でワーグナー研究者っていないのかな。
>>117 危険とは ゛Mein Leben゛ と ゛Mein Kampf゛のことかね。
>>84 奴隷から搾取することで、同時に奴隷によって、社会は搾取される。
これは奴隷が特別な行動にでるまでもないのである。
その存在そのものが、反社会的なんであり、
奴隷として存在しているということが一般的反逆行為を成しているとさえいえるのだ。
貴族に要求される強かさは並々ならぬものだろう。
日本は奴隷‐貴族制に向かっているが、
奴隷になるにも貴族になるにも要求される強かさを現代日本人は備えているのだろうか。
ともかくこれは本質的にいって貴族対奴隷の生存競争にはならないのであって、
どちらに属していくにせよ生命力の高揚が要求される自己に課せられた死に物狂いの試練となるのだ。
貴族と奴隷という極と極、正と反が出会い合わさるような場、差異があってないような場、
これぞ超人の住まう豊饒なる大地だろうね。
>>122
>>123 大地はないだろう。地平線は見えないだろう。円環は描けない。
自由を女神としておフランス的にロマンチックに奉ること、
億千万の個人の自由を尊重し守るなんて無茶な話は、
人々を奴隷と貴族、あるいは囚人と看守というような監獄の虜として現実化してしまうのだ。
自由のメッカは「完璧」な監獄の中にある。
完璧な壁は宇宙の限界のように捉えられない無限の壁である。
つまり、「完璧」の中にはいわば宇宙がある。
大地はない。反復の起点となる足場がない。
大地の意義ばかりあるのだ。
超人は虚空の中で大地の意義を知り給う。
彼は虚空に溺れ藁をも掴む忸怩たる面もちで今一度今一度と大地を子供のように激しく死に物狂いで欲するのだが、
時既に遅し。アーメン。
現実の監獄化につれて我々はニーチェ的段階を経てヘーゲル的段階に到達するのだろう。
126 :
金曜日 :2007/12/27(木) 17:57:41 0
すべての思想は監獄みたいなもんだ。 とりわけヘーゲルやニーチェの思想となると。 魅入られればかんたんには抜け出せない。 しかしながら人間存在自体が監獄みたいなもんだな。 そこに孤独の地獄をみるか 逆に 孤独であることの自由をみるか 人の生誕以前の母体内での心的な影響をふくめ 個人の意思ではどうにも解決不可能な環境や情況に支配されているのが 人の悲しいところだ。 この世を恨んだりこの世に反抗するのもそれなりの理由があるというわけですね。 だからいまさら 監獄監獄とわめかないでほしいな。 まあ2ちゃんだから自由だけどね。
今更いうのもはばかられることですが、 自由と地獄は逆ではないよ。
自由=地獄だとしたら 悲しい性(さが) だな 無理しなくても もうすこし楽天的に暮らしてもいいんだぜ 自分で自分の首を絞めるなんて ツアラツストラだったらきっと苦笑する
>>122 ・・・日本は奴隷‐貴族制に向かっているが、
奴隷になるにも貴族になるにも要求される強かさを現代日本人は備えているのだろうか。
ともかくこれは本質的にいって貴族対奴隷の生存競争にはならないのであって・・・
こういう認識をどう評価したらいいのか皆目わからんね
最低の情況認識というより
自己認識自体がゆがんでるのではないかな
だから世界を自分のゆがんだ眼鏡にあわせて解釈する
ニーチェ解読ニーチェ理解以前の問題じゃないか。
地獄だとか奴隷だとかを自分の観念の中に住まわせて 連発することがおぞましいな。 ツアラツストラにとって地獄なんて比喩以外なんの意味もなく 地獄も天国も存在していない。 あまりに地獄や奴隷を連呼すると ツアラツストラが途上で出合った誰かを想像してしまうぜ。
131 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 22:00:37 O
>>129 苦労知らずで現役引退の馬鹿の分際で口の減らんボケめが。
正常な状況認識を晒してもらおうか!
>>131 正常な状況認識
まずそんな言い方はしないだろう
「妥当な現在の世界情勢についての認識」だとか
「現在の超資本主義体制での情況とはなにか」
とか
俺の御託なんか聞く前に
君のような情況認識が
新聞の3面記事のどの部分さがしてもないはずだぜ。
赤旗か聖教新聞か夕刊フジでもいいから新聞よんで勉強しなさい。
>>130 贅沢三昧の平和ボケかおのれ
奴隷が許さんぞ。
>>132 わかった。残酷な話だが君が平和ボケというより痴呆症であることはわかったよ。
もう何も言うな、わかったから…。
どちらが平和ボケだか ふたりともアホ
たとえ奴隷やホームレスであろうとも平和ボケしていられる強かさこそ地に足のついた富だ罠。
とんとん
超人は完璧な璧の中において狂奔する変態にすぎない。 五体不満足のウジ虫になって奇声を上げることすら叶わなくなるような金縛り状態、 苛烈な不動性をもつ植物人間、超人にならないためにやるべきなのが各種反復トレーニング、いわば筋トレだろう。
>>136 過酷なる氷上で妖精のように舞う真央ちゃんは冷たいどぶの中で我関せずと仁王立ちする華麗な鷺のようだな。
最近はちと苦しそうだが。芸術的だ。
いや我関せずと仁王立ちしているのはむしろキムチか。
>>138 「反復は嫌というほどやっておけ。
永遠の反復を必死に願うようにならない内に」ということか。
>>125 人類はいわば「ヘレンケラー」を体験しようとしているということだろうか。
>>139 我々も、氷上で鉄の重りをつけながら舞うというような過酷さの中で、
不気味な作り笑顔を振り撒くのではなく、
真央ちゃんのように素直に笑えるようにならなければヤバいな。
キムチのも素直だが辛辣な笑顔だ。暗い記憶がある。
妖精真央ちゃんの真似はできないが、
キムチは庶民のものであり現実的な目標になるね。
残酷な氷を寄せつけず、うららかな春の香りを醸し出している凄さに orz
そういえば 六百六拾六もロリコンかつ変態趣味だったな。
変態性欲者、同性愛者。ここは性倒錯者の多いスレだ。
氷上のダンスは炎の上でのダンス、残酷焼きに関連している。 人間の快楽ときたら残酷な性格のものばかりなのさ。
なぜニーチェスレは基地外ばかり集まるのか?
148 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 12:45:27 O
努力とは、残酷な行為の先に報われる。 。。。。事もあるのだ。
149 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 12:47:30 O
無趣味を欲するよりは、変態趣味を欲せ。
150 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 12:50:48 O
>>147 君らをよけて通ってきているのだが。。。。。。
どうも避けきれないってことだ。
ま〜ずどこにでもいるからな。
少女を氷の上で金属つきの危険な靴とレオタード姿で踊らせ鑑賞するとは、確かに変態的だ。
>>147 ニーチェだって認識と価値創造のためなら何でもする基地外だったさ。
153 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 23:08:20 O
僕はニーチェで哲学してると思ってた。 逆だった。
真央ちゃんこそ強者さ。 凍てつく大地の上で、あたかも楽しいお花畑にいるかのように、 足枷もものともせず蝶のように舞う真央ちゃんなのだから。 まあ意外とこうゆう人に限って短命だったりするが。
>>152 >>154 この人物はみずから極醜となることで
たとえばキリスト教の価値観を転倒するというモーチーフをもっているのだろうか。
好意的に解釈してもせいぜいそんなところか。
そうでなければ
ツアラツストラの言説でいえば背徳者ということになるのか。
大地とか地獄という言葉を連発するからな。
まあ単なる粘着気質のロリコンというのが妥当かな。
>>141 痴呆症というのはヘレンケラー状態に似てるのかもしれない。
意識や意思ばかり強烈だが、三猿なのだ。見え猿、聞こえ猿、言え猿。ああ無能。
真央ちゃんとは比べものにならない貧弱な現代人は、
ヘレンケラー化するとことでいわば核エネルギーを得る必要があるのかもしれない。
制御不能になって臨界事故を起こすに違いないが。
>>154 ボケ進行中ですか?
性的な意味では真央ちゃんより中野の方がぷりぷりしてていいのは明白だろう。
プラトニックラブもわからん下司には付き合いきれんよまったく。
『ぷりぷり』だなんてのは大和言葉だろうか。 この直観性は象形文字どころではない。 大和言葉は音楽のように心の通う言葉だったに違いない。 ぷりぷりの魅力には何か底知れぬものがある。 このぷりぷりした深淵に我々はいつか回帰せねばなるまい。 その懐に抱かれたその時こそ我々が日本人としての誇りを取り戻す時なのだ。
159 :
157 :2007/12/29(土) 05:01:28 O
虚構?果たしてそうかな。 『ぷりぷり』という心豊かな音楽的な言葉を生み出す豊潤な母なる大地が日本にあったのは確かだろうに。 その温かい麗らかな血が真央ちゃんに隔世遺伝しているのに違いない。 ディオニュソス的かつアポロン的なるものを体現しているのは今や西洋人よりもむしろ大陸の極東に住まう韓国人、特にキムチである。
大げさな表現で大胆な断定を容易にするのは虚構性文章の特徴で 読んで面白い言い回しと見せかけて形而上的事実をさりげなく指摘するんで まったくの虚構とは言いがたいが、中身まで虚構なのはいただけない
20世紀までは日本人も真央ちゃんのようにはいかないが多少なりとも大和民族の血を受け継いでいた。 そうでなければ住処をこれほど殺風景にしてしまうことは、 集団的自殺行為に当たるのであり、まともな剥き出しのまともな神経では出来なかったろう。 日本人の心は何かぷりぷりしたものに包まれ守られていたはずだ。 まあしかし今や確かに自殺大国だが。
前言取り消し。うざ。氏ね。
ある意味ぷりぷりしてるようだな↑
文章に虚構もくそもない。 言葉が既に虚構であり、一般的文章もそれからしてすでに虚構である。 しかし一般性からそれればそれるほどその文章が創造的なものか愚劣なものかその差が大きくなる。 はたして、ぷりぷり、という言葉を使って創造的ニーチェ的な文章を書けるであろうか。 それこそ感性と知性の優劣を測る物差しである。
ぷりぷりという単語は生きている。 ぷりぷりという言葉の生の躍動にニーチェは万言を費やしても到達することができなかった。
生が虚構だからといって何だというのだ。 ヘレンケラーの言葉にならない叫びでも発したいのかい? それもよかろう。一滴の水の価値を知るべく砂漠へ赴くがいい。
文章には虚構の濃度があり1か0ではなく、0.1*πか0.1*√5かなどのように濃度差があります。 そして地獄の門の上のダンデはその濃度を測ることが容易ではないゆえに煩悶している。 我々は自らの所属する文化を創造する仕事をしなければならず 虚構の濃度を決めるものさしを示すことは創造的仕事のひとつである。
ぶいぶりとかどうしようもない バカが自演しながら陣取ってるスレだな。 知性とか創造性とか言う前に 文体がダメだな。 そして内面の下劣さというか 偽悪ぶってるんだろうが 阿呆にしかおもえないが 皆さんドウ思う?
ヘレンケラー(ニーチェ)からヘーゲル、そしてカントへという進化はちちんぷいぷいとはいかんとは思うぞ。
カント ヘーゲル ニーチェ の順だろうが アホ
根はしっかりと肥沃な大地の闇の中に張りめぐらしておかねばならない。 初心を忘れないことが大切だ。 忘れれば現実は砂上の楼閣と化し枯れていき、身が腐っていく苦しみに喘ぐだろうから。 地上において成長し続けるためには根も同様に地中で成長せねばならない。 我々を根源的なるものに向かわせるのは資本主義の要請なのかもしれない。
>>172 …カント ヘーゲル 『ニーチェ』 ヘーゲル カント… ですよ。
説明不要 聞くだけ無駄
>>173 核不在の時代には戦争が初心を取り戻すための手段としてあったのだろう。
いわば戦争は焼き畑農業だった。
核保有が一般化していく中、戦争に変わるフールプルーフな手段が今求められている。
まだ戦争に匹敵するほどの著しい手段は編み出されてないのだから。
>>177 グローバル化とかネット社会とか、繋いで一望の下に監視し、規制するというような地球監獄化がそれでは?
>>170 別に下劣でも偽悪でもバカでもなさそうです。
こういう言葉の乱れ方は、精神的に不安定な状態でツァラトゥストラや象徴派や神秘主義を真剣に読んだなら、
当然こんなくらい乱れるというような乱れ方。
ふざけてるとか偽悪してるとかいうより、意識が乱れて言語感覚が狂ってるという感じ。
自分の場合、こういう状態のとき、ノートがぎっしり比喩で埋まる。
この方も、とにかく書かずにはいられない病になっているのだと思う。
脳科学的にいうと、内面の不調和や宗教的関心などで側頭葉の機能が乱れると
(あるいは側頭葉の機能が乱れてるから不調和や宗教的状態になってると)
大脳辺縁系あたりの情動が全く制御されず、直接言語化され、比喩だらけになる。
偽悪とかふざけとかそういうのしてる暇ないような 野 性 的 状 態。こういう言語の乱れ方は、
乱れている時点ではただ狂ってるだけだけど、後に理性を取り戻したら、
それが創造的な過程だったと分かる。
落ち着けば、辺縁系の本能的な働きと大脳皮質の理性的な働きが上手く協力して、
(一般的にはこの二つは分離している。理性は理性、感情は感情みたいに。)
(こういう分離こそが、大地的なものの喪失につながっている)
ニーチェみたいに、感覚的次元の神経刺激を
自由に言語化できるようになったり、哲学的観念の次元と情動やイメージの次元を
自由に行き来しながら認識できるようになると思う。
180 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 00:40:55 0
ニーチェを愛してたが、最近ニーチェに疲れてきた私がきましたよ。。。orz
181 :
179 :2007/12/30(日) 00:42:31 0
たとえば、 >『ぷりぷり』だなんてのは大和言葉だろうか。 >この直観性は象形文字どころではない。 大和言葉は音楽のように心の通う言葉だったに違いない。 >『ぷりぷり』という心豊かな音楽的な言葉を生み出す豊潤な母なる大地 こういうのは、そういう創造的な言語攪乱状態になってることをなかなか示してる言葉だと思う。 象形文字、比喩、音楽的な言葉、そういうのに病的なほど関心が行って、 普段使わないような言葉があふれる。何でも比喩になるのは、預言者とか詩人とか、 あるいは癲癇や躁鬱病もってる人がなりやすい病気で、自分も今までで2,3回、 思考内容の何もかもが比喩になったことあるから気持ち分かる。 (ちなみに詩人の躁鬱病の割合は、一般人の躁鬱病の割合の40倍以上らしい) 癲癇や躁鬱の人は、あるいは一時的にでもそういう傾向が出てる人は、 皮質上よりも皮質下の活動の割合が圧倒的に大きいから、概念や観念さえも 感覚や感情で捉えてしまう、それで視覚的な比喩や音楽的なテンポの言葉が溢れる。 そういう状態では、感覚的なもの以外も感官の対象になるし、 逆に普段感官の対象だったものさえも言語的な意識の対象になる。 全ての観念が情動性を帯びる。一度「ぷりぷり」という言葉に興味をもってしまったからには、 もうそれは大脳皮質上の理性的関心ではなく、辺縁系や自律神経の感情や情欲の対象になる。 好きな人ができて夢中になって一日中その人のことが気になってどうしようもないように、 「真央ちゃん」とか「ぷりぷり」が気になって、本当にどうしようもなく、 しかも感覚的に気になるだけでなく哲学的にも気になって、言語化せずにはいられない、 っていう状態だと、予想します。
182 :
179 :2007/12/30(日) 00:49:09 0
こういうハイパーグラフィア的な状態は他の人に何いわれようが関係ない。逆に、余計に反応したくなる。 側頭葉乱れた状態では、脳のあちこち発火してノルアドレナリンが過剰に脳内動き回って、 何に対しても攻撃的になって、粘着せずにはいられない。 警戒心も不安感も攻撃心も極端に増してしまってどうしようもない。 自分の情動をぶつけずにはいられないし、新しい刺激を求めざるをえないような悪循環に陥る。 麻薬を求めるようになにか書きたくなるし、スリル求めてなんでも攻撃したくなる。 側頭葉いかれてるときは理性が機能しないから、極端に情念が爆発し、他人に何か批判されると 余計に言い返したり自分の感じてることを主張したりしたくなる。 海馬が異常に亢進するから自分の記憶がとにかく溢れてきて、外部への関心はなくなって、 内面から湧き上がるものに身をゆだねざるをえない。自分の記憶の喚起や内面の感情の発露が、 新しい物事の取り入れや他人の言動への注意を、はるかに上回るから、 他人の言動は自分の内面の感情や記憶を喚起するための刺激剤以外のなにものでもない。 だから他人の言葉によって停止することはない。 あくまで、言葉遣いや文体から判断した予想ですが。 >>当人さんへ、勝手な予想ごめんなさい。参考になるものあったら参考にして下さい。 自分も野性的な言語暴走状態になってしまいました。 精神安定剤やSSRI系の抗鬱剤をたくさん飲んで抑えるか、 時間が経って自然に治るのをまつしかないと思います。
>>173 はなかなか穿ってると個人的には思うので解釈を書きます。
地に根を下ろさない現代の価値観の比ゆ的批判になっている。
「大地の闇」という言葉で、大地的なもの無意識の深層にあるものが、
暗く恐ろしいものでもあるということを象徴している。
現代は、フーコーがいったようにそういうのに「狂気」のレッテルを貼って
遠ざけようとする傾向が強い。
>資本主義の要請なのかもしれない。
これは、資本主義がそういう大地的なものから極端に離れているからこそ、
大地的根源性の喪失を人に明白につきつけ、人に大地的なものへ向かわせる、ということを示してると
解釈します。無闇やたらと物質的消費へ向かう資本主義なんて、明らかに不自然すぎる。
物質的消費に"価値を感じる"時点で、ニーチェ的いうと"本能が腐ってる"。
そういう価値観は、「砂上の楼閣」というように、概観だけが御立派で
地に根を張っていない空虚なもの。そんな価値体系、芸術家の地殻変動的憎悪で容易に崩れる。
家畜小屋みたいな陳腐な資本主義で、金や物質というエサを与えられて喜んだ豚みたいな俗物どもが、
大地に排泄物を塗りたくることで自然を破壊してる(というのは私が中学生のときに思いついた比喩)
ニーチェがツァラトゥストラの口で絶叫したように「狂気」のレッテルを貼られているものも、
ディオニュソス的な自然力をたくさん孕んでいるから、誠実な認識を求める人なら
当然狂気を求めなければならない。価値体系はそういうものに根を伸ばしてはじめて、
自然だといえる。この
>>173 のような詩人的な言葉による道化的批判は、
恐ろしいものを比喩で間接的に表現しているから、偽悪というより、
表層的価値観とディオニュソス的なものの妥協弁だといえる。
ニーチェだって、比喩の才がなかったら、露骨な憎悪に燃えた言葉を並べてたと思う。
比喩というのは無意識的根源的なものを許容できる形で表現してくれる重要な表現です。
ぷりぷりという言葉に象徴されているように大和言葉というのは性的な言葉であり、 いわば性器のように人々を一体化するものであったと思われる。 大和民族は言霊として一即多の大和魂であったのだ。 などというのは変態でしょうか、それとも病気でしょうか?
>>183 >>173 は早さんの考えに似たものがあるからあなたは共鳴なさったのでしょう。
ちなみに資本主義の要請なのかもしれないというのは、
物質的と思われる資本主義の体が、芸術や病気、異常なもの、グロテスクなもの、アンダーグラウンドなもの、
つまり根源的なものから栄養を得て維持成長するのであり、
その栄養を期待し当然のごとくにして根源的なるものに投資するのではないかということです。
早君 再来か 久し振り
>>185 ひどく特殊的な事柄は、一般的な尺度では当然解釈し得ないから、
どうしても独特な解釈にならざるを得ない。
ニーチェみたいな恐ろしく特殊な人物が万人万様の独自的な解釈を受けるのもそのためです。
正直に自白すれば、人の言語の混乱みてると自分にもその興奮が感染して
自分も同じような状態になっただけなのかもしれません。
いつも長文ごめんなさい。
>>187 お久しぶりです。
もう荒らしませんさすがに今は忙しいです。
>>186 >物質的と思われる資本主義の体が、芸術や病気、異常なもの、グロテスクなもの、アンダーグラウンドなもの、
>つまり根源的なものから栄養を得て維持成長するのであり、
>その栄養を期待し当然のごとくにして根源的なるものに投資するのではないかということです。
投資による開発は、物質的な消費を促して、結局は根源的なものに対立するように動くと思われます。
たとえば芸術活動は、開発のような投資や大勢の人などを必要とせず、
個人の心のなかで外界とはほとんど無縁の自然な状態で行われます。
『地下室』の主人公みたいに、一人で猜疑の煉獄に閉じこもってれば、自然に病的な異常な状態になります。
自然破壊は多数の人間によるものだけど、たとえば人間がいなくなったら自然は自動的に時間をかけて回復するでしょう。
つまり、資本主義のような多数の人のあいだで大量の金銭や物品(とともに"価値")の移動が起こるような状態ではなく、
多数の人からは独立した状態でこそ、根源的なものは発現する。外的な価値からは独立したツァラトゥストラ的な危ない状態で、根源的な価値が生まれる。
こういうことを考えると、資本主義が「根源的なものに投資して」、そこから栄養を得て育つというのは、妄想的なように思われます。
でも「根源的なものに投資する」ではなく、「物質的な価値に投資する」に変えたら、あなたのいうことは比喩の混乱はあるもののその通りだと思います。
心理的にいえば、本来根源的なものとして現われ生の価値創造に使われるべきものである、ツァラトゥストラ的な本能的自然力を秘めているはずの、心理的なエネルギーが、
物質的な消費という非根源的なものに費やされてしまっている。物的にいえば、自然の資源を消費して人工の開発を進める。
つまり「根源的なものを犠牲にして」そこからエネルギーを奪って、物質的な消費を求め、資本主義は増大していく、というのなら個人的には正しいと思います。
野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるためには、まず一つの解釈を必要とするのである (その本能はかえって苦の否認を、ひそかに苦を忍ぶことを指示する)。
>>186 別に資本主義体制だけではないな。
秩序と無秩序は互いに依存しているのではないか?
194 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 18:00:17 0
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、ホームレスは農耕社会になってから始まりました 天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。 A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は 農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた 遺伝子、多そうだね。 遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。 これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。 B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。 A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を 作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、 女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。 横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。 ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。 農耕民族社会はA型女も不幸になります。
はやちん・・・こんなとこいる場合では・・・ラヴィ
196 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 11:51:43 O
ニーチェ=基地外
>>193 何体制にしろその巨大化とアンダーグラウンドなものの巨大化は並行して進むんだろうね。
要するに、地上と地下を恣意的に線引きしてるだけで本来一体なんだ。
秩序と無秩序を内包する一つの生命体があるのだ。
情熱を愛するならば、無味乾燥な秩序、反復をも愛さねばならない。
後者が前者を掻き立てるからだ。
そう、永遠の秩序だった監獄的な反復をも愛する気持ちが大切なのだ。
それが永遠の音楽の美容法なのだ。
情熱の養生のためには無情にならなねばならぬ!! あやや!!!
なんとも!! おお言葉にならぬ言葉にならぬorz
>>193 そりゃ体制なんて欲望やら恐怖やらぐちょぐちょのどろどろの燃料で回る自動機械だろ。
体制の強化は燃料の増産になる。
早君 こんな粘着男を相手にするな 君の大切な青春の無駄使いだよ。
血税で、血で体制は運用される。 血を流さないようないい身分の血も涙もないような人間こそが血を要求する。 大いに生き血を欲する。冷血漢こそが。 彼らが吸血鬼として心臓として首脳として血を司る。 流血、血流によってこそ体制は維持発展する。 皆が皆、血を流さないような血も涙もない平和な体制は滞り腐敗崩壊しつつ血を垂れ流し、 それが次第に新たな体制を新たな血流を形成していく。
我ながら新年明けましておめでとうございますのレスとして、
これは
>>200 縁起が悪かったかもしれない。
おめでたくない年になるのは俺ではない、
>>199 に違いない、
と新年明けまして早々呪っておこう。
>>201 ロマンチックなので興奮しましたよ。
妄想でもいい、今年は煮え切らない恋情を抱いていきたいとおもいました。
意図的な恋なんて嘘でしょうか?
そうとも限りません。
嘘を信じたいという気持ちに嘘はないのですから。
まさにこの『嘘を信じたいという気持ち』こそ恋なのではないしょうか…
結果はどうあれロマンチックな生き方こそ最高なんじゃね? 人生の結果なんて音楽の結果みたいなものなんだから。
それこそ音楽の精神からの悲劇の誕生ってやつなんだが。
夢も希望もないというような絶望もかなりロマンチックな状態で悪くないものだ。 流石だ。 ロマンティストは絶望にも感じてしまうわけだ。 というとルソーの孤独な散歩者の夢想を思い出しますな。 というかロマンティストでなければ絶望しないだろうね。
>ロマンティストでなければ絶望しないだろうね。 そんな風に考えたことはなかった。なるほどねー
絶望的状態にも関わらず別に絶望しないというのが正常なんだな。 本当に夢も希望もなきゃ絶望ではあるが、問題にならない。 だから格差、身分の固定化による階級間の越えられない差異は大した問題にはならないだろう。 むしろこれは平等、機会の平等における些細な差異のために悪戦苦闘し疲れ果てた心身を半ば癒やすものだ。 人間は越えられない壁、大きな差異にはこだわらない。 安心し、冗談の種にさえする。 だが些細な差異には不安をかられ執着する。 あきたこまちなのかコシヒカリなのか、 こういった嗜好などの些細な差異が仲間内で問題視され、 血で血を洗う闘争にさえ発展する。
ああ絶望できない! 絶望すらできない!! というのは絶望でしょうか?
闘争心は些細な差異にこそ刺激されるという心理は各種競争、スポーツを見れば明らかなことだろう。
>絶望すらできない!! ちょっと感動したw
>>209 平等なんて闘争の原理じゃね?
さらに地球監獄化、異文化理解と排除、滅却、一元化によって、
些細な差異という問題が量産され始めているのではないか。
格差が平和を守るんだろう。
ロマンティストとしては、お前は俺の女版かというような近親相姦の罪を犯すにやぶさかであってはならない。 地球村(村≒監獄)万歳でなくてはいかんぞ。 情熱の煉獄に飛び込んで死ぬくらいでなければロマンティストではない。
流れ切ってすみません。 《芸術構想に費やす力と性行為に消耗する力とは同一である。 ただ一種類の力しかない。だから性の欲望に屈して力を浪費するのは、 芸術家にとっては背信行為である。》 ニーチェのアフォリズムらしいのですが、出典を知っていたら お恐れながら教えていただければ幸甚です。 クルティウスのバルザック論を読んでたら出てきました。
浪漫!夭折情死したいお マグワリのオルガスムスと同時にで肉体が滅びればいいのにッ 否早、現実逃避は愉快愉快
強靭な精神と肉体を獲得しなきゃ でも今年も「肉体的に」戦う事は殆どないだろな
しかし煙草の受動喫煙にすら頭がクラクラしてイライラする我輩は…
>>214 ありがとうございます。早速当たってみます。
とまれ、即座に出てくるのは流石ですね。
久しぶりに2chで感心してしまいました。
219 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 20:45:37 0
加藤さんの本の中に、ニーチェの言として 「人は苦の極度の中では楽天主義に通じるであろう」 というものを見つけたのですが、引用元を教えていただけないでしょうか?
極度の苦だろ
>>215 ロマンを知らんようだな。
情熱と鬱は背中合わせなのだよ。
舞い上がっただけ沈み込む。
死ぬ危険がある。
222 :
考える名無しさん :2008/01/04(金) 21:09:24 0
>>213 《芸術構想に費やす力と性行為に消耗する力とは同一である。
>>ただ一種類の力しかない。だから性の欲望に屈して力を浪費するのは、
>>芸術家にとっては背信行為である。》
それ、「権力への意志」第三書「新しい価値定立の原理」第W章
"芸術としての権力への意志"
に載ってるぞ。
223 :
百姓 :2008/01/06(日) 04:28:20 0
君達が早く一国一城の主になれますように! 養子婿も悪くはないぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! って、実際はしんどいよ! 正直あれだけ論文にこだわっていたオイラ。 だけど・・・・・・・・ なぁ、東京農業大学(妻) どう思うよ、いやマジで このスレ住人には、たんなるカッペのたわごとなんだろうね。 助けてくれ
ここはほんとにニーチェスレなのか 疑問です。
疑問あるいは振動する秩序とでもいうべき和音、これに生命を感じる。
たとえ月が無かったとしても地球は生命を育んだのだろうか?
227 :
考える名無しさん :2008/01/07(月) 02:00:03 0
結局気が本人が狂ったのならニーチェの思考方法が幸福を与えるものではないことは確か。 アポロンが死のうが死ぬまいが結局は白人の根底にある白人絶対有利の思考から離れてない。 よってくだらないプライドと言うものに負けてしまったのだと俺は思う。
幸福とは人生の終局でなくてはならないものなのですか? それからニーチェが発狂したことは彼の哲学と関係あるのですか?
・・・。 そぅ。だけど、結局、てめぇの人生恨んで。 ものを書いてるだけじゃろ? なにがニーチェよ? なにが解って書いてんの?って。 そ ぅ い ぅ は な し な ん だ ゆ 。 大丈夫? ふん
230 :
考える名無しさん :2008/01/07(月) 18:31:27 O
日本語でおK
231 :
考える名無しさん :2008/01/07(月) 18:39:50 0
すみません 質問です 『生成の無垢』は遺稿集ですが すべての遺稿が集められているのですか?
>>229 あなたはいかにも熟女っぽいですね。
綺麗な熟女なんですか?
美しい熟女というのは先天的にも後天的にも優れているといわねばならない。 実に貴重である。 彼女らは、アポロンの仮面をかぶったディオニュソスなんであるから、 ニーチェが愛するに相応しい女たちだといえよう。
でもニーチェが愛するのは永遠という名の美女よ
別にニーチェが何が愛そうともかまわない。 大切なことは私が愛するのは美しい熟女だということだ。
恋が盲目ならば、愛はどう目だ。 ロマンティストが恋するならば、哲学者は愛するのだ。
237 :
金曜日 :2008/01/08(火) 08:46:05 0
>>232 簡単にいうと
全てではなく
また
『権力への意思』も解体されて遺稿に含めるべきでしょうね。
白水社版が完全な遺稿の網羅をめざしているけど
V期の刊行がまだです。
ちくま学芸文庫か理想社のが現時点では最良です。
ただし『権力への意志』についてはとりあつかい注意。
また
ちくま学芸文庫は書店では全巻購入は無理だな。
生成の無垢下は必読
ニーチェって喫煙してたんですかね? それとも非喫煙者?
240 :
金曜日 :2008/01/08(火) 21:12:08 0
ちなみにニーチェ全集を白水社 そしてちくま学芸文庫や理想社 で全巻そろえるのは書店では無理です。 古書でそろえるしかないでしょう。 アマゾンかオークションで探すのが一番。
知ったかぶり
>>237 >>240 ありがとうございます
白水社もまだ全部は刊行してないのは知りませんでした。
生成の無垢には 権力の意志は含まれていないということでしょうか
生成の無垢の下は 今読んでるんですが本当面白いです。
243 :
金曜日 :2008/01/09(水) 22:38:34 0
>>242 白水社のはグロイター版の全訳ではないので私はV期があると予想しているわけです。 いつになることやら。 理想社とちくま学芸文庫は版を複数のものを採用しており中身は同じです。 理想社のをちくまがひきついだ形になっています。 ただし生成の無垢上下はちくまにしかありません。 つまり『権力(力)への意思』以外の遺稿が生成の無垢というわけです。でも遺稿のすべてではないとおもいます。 白水社の全集ではでは『力へに意思』という書物さえ存在しません。解体されて年代順に遺稿として 全集の中にはいっています。妹たちによる捏造の書物であるからです。 現時点ではちくま学芸文庫のが量的には一番多いことになります。 白水社の2期11巻12巻あたりが生成の無垢下にあたるとおもいます。 これはジュンク堂あたりで入手と思う。比較するのもおもしろいと思う。
244 :
金曜日 :2008/01/09(水) 22:39:57 0
誤字いくつかあり失礼。
神経衰弱や。もう勘弁を…
246 :
金曜日 :2008/01/11(金) 22:49:48 0
『残された断片』として晩年に書かれた遺稿を目にすることができるようになった現在からみると たとえば ハイデッカーは『権力への意思』を重視していてまた他の遺稿を目にすることができなかったがゆえに 永劫回帰の解釈に他の哲学者同様にある種の歪みがある。 これは決してハイデッカーの偉大さを損なうものではないけれど ハイデカーの講義録『ニーチェ』の影響がおおきすぎて 現在まで思想界においてニーチェの永劫回帰の解釈が間違いとはいえないが 不完全のままだと思う。
チャーリーとチョコレート工場でツァラトゥストラ流れるお
生成の無垢下 を読めばわかります。
成程
永劫回帰は哲学者ですら解釈不能に近い、ましてや素人の思考力や直観力解釈できる代物じゃない。 正確な解釈より、ニーチェが永劫回帰を説くときの強烈な意志を受け取るべきか。
>249 3行でキボン
生成の 無垢 下
永劫回帰は宇宙論的な意味が一番シックリくる
255 :
213 :2008/01/13(日) 06:09:39 0
>>222 /(^o^)\ナンテコッタイ どおりで幾ら読んでも見つからないわけだ。
『権力への意志』、当たってみます。
でも『人間的な〜』は未読だったので丁度いい切掛けになりました。
短くて軽妙なアフォリズムが多いんで、暇な時にサッと読めて面白かった。
222氏とともに214氏にも感謝を。
《羞恥の抜目なさ。──人間は、何か不潔なことを考えるのを恥じない。
だが彼等がこういう不潔な考えを抱いていると人に見られていると想うと
どうやら恥ずかしがるらしい。》──第二章 道徳的感情の歴史のために
256 :
214 :2008/01/13(日) 15:44:08 O
恥ずかしながら、只今帰還しました。
教育者にとって、人間を束縛する眼差し、他者の意識、主体の醸造は第一の任務なのだろう。
他者の意識、主体自体が道徳なのだ。 道徳はおしゃべりとして日常的に己を体現している。
「ひとりの女が自分を愛してくれる者に提供する真理とは、未知のもの(近接不能のもの)にほかならないとしたら、 愛する男は彼女を認識することも彼女に到達することもできはしないが、 女のほうはその男を破砕することができる」バタイユ これだよ。手の届かない真央ちゃん。
>>259 それは二度目はない愛にちがいない。
記憶がある限りは。
記憶がある限りは想起されてやまない不可能性なのだ。
それは釘付けにされた瞬間、幾何学的な点から、着実な円環点な歩みを止めることがないのだ。 原点からの距離に気付いたときには遠く隔たってしまっているのだ。 持続のように思えたものは不完全な反復にすぎす、 その軌跡は蜷局を巻いていたのだ。
永劫回帰…また失恋しました。
文章からしておっちゃんって感じではないね。 軽くググったけどバタイユの写真は見かけないが。 まさか不細工だったんだろうか?
モナリザのモデルが商人の妻だってな
想像に現実という枠をはめたのが創造である。 想像が映像ならば創造は写真である。 想像が恒星間彗星ならば、創造は衛星である。 想像が生ならば、創造は死である。 想像が活動ならば、創造は不活動である。 想像が始まりならば、創造は終わりである。
新ウタダルバムでるらしいな。 こちら側から注意しなくとも勝手に侵入してきて注意を引き付けるのが宇多田だ。 創造性を持つ者は恩着せがましく規制秩序に侵入する。
神は世界を創造した。そして神は死んだのだ。
世界を創造できるような存在だったら死ぬわけないだろう。 最初から存在すか 最初から存在しないかどちらかだろう。 しかしキリスト教の神はとっくに死んでいる。 殺したのはわれわれの方だ。
我々の想像力で神は復活するのだろうか。ありそうもない。 がしかし我々は復活するだろう。 これをなんといったか、愚かさ、「管理された愚かさ」だったろうか。
>我々の想像力で神は復活するのだろうか。 然り。想像上では。 そして我々も復活するのだろう。
>>270 哲学的な常識に反して、世界を創造できるような存在ならば消滅できるだろうに。
バタイユの写真はまだか。 容貌次第で彼の「エロティスム」の価値がわかるというものだ。
写真で見たことあるけど バタイユはハンサムでかっこいい男だ。
神は宇宙を創造したあと やることがないので 眠りについた。 そして蒸発した。
「下卑た言い方をすると、神は死んだが悪魔はそうではないと言う事ですか?」 とニーチェに聞いたら 「まったく逆なんですよ。兄弟」と答えたそうな
バタイユの小説にはうんこ出てくるし陰部ぺろぺろしたりおしっこしたり女の前でオナニーしたり何でもあり。
>>275 ほう。イメージ通りだ。
所詮フランス人ではソクラテスの管理された愚かさ、無知の知とそのエロティスムには及ばないのだろう。
で、写真はまだか?
バタイユはその仕事が容姿依存ではないといいたいのだろうな。 それで著者近影を載せてくれるなという話に違いない。
>>278 バタイユの小説ではむしろ女の方が変態だよ。これは容姿依存だろう。
価値は想像界にあるのだ。 そのために我々はコレクターなのである。
新ウタダルバムの価値の半分くらいはその宣伝と無垢であるというその新奇さにあるに違いないぞ。 この想像の域の価値が剥ぎ取られれば新品でも値崩れせざるをえないのだ。
ウタダルバムてw 宇多田ヒカルのアルバムでしょ?
ウタダのどこがいいのだ アヤカのほうがいい
宇多田のアルバムという意味上のまとまりを合理的にもウタダルバムというように一気にフランス流に表現することは、 文を明晰にすると同時に聞き心地よくするのだ。 明晰さと陶酔、これはルソー、バタイユ、デリダ的にハンサムということだ。 古代ギリシャ人にはフランス人の方がドイツ人より近いのかもしれない。 ワーグナーは意に反して「これは全然ドイツ的ではないぞ」と評されたものだ。 ニーチェもまた全然ドイツ的ではないぞといわれるべきなのではないか?
ある男が品川駅構内に自動改札機を走り飛び越えて立ち止まった。 彼は周囲をキョロキョロと落ち着きなく困惑顔で見回していた。 駅員が彼の前に現れ「君ね、困るんだよ。ちょっとこっちにきなさい」と彼の腕を引っ付かんだのだが、彼は抵抗した。 「君…」と駅員。彼の怯えた目は駅員を捉え、束の間驚いた表情を浮かべては涙ぐみ始めた。 「どうしたんだ?」 彼は泣き出し崩れ落ちた。 「おいおい、いい大人が…(『おいおい』ないてるよw おっと)こんな所にうずくまっていては駄目だ。さあ立ちなさい」と駅員は言いつけつつ、彼を無理やり立ち上がらせようとしたが彼の体重と抵抗を凌ぐことは無理だと思われた。 どうしたものかと訝しげな視線を彼に投げた時、その視野に問題が捉えられた。
改札口という場だけに野次馬を集めるのに余計苦労がいらなかったのだ。 そして野次馬が野次馬を生むのは明白だった。 「早くきなさい! ほら、立て!!」と駅員は叫んだ。割と小さな声で。 虚仮威しが意外にも効いたようで彼はよたよたと立ち上がった。 「お巡りさん、愛はどこなんですか? どこにいってしまったんですか? お願いします探してください。愛をどうか見つけてください。」 野次馬から薄ら笑いが漏れた。 「何? お巡りさん? 私はお巡りさんではないよ。 そうだ、では、こうしましょう。今から交番に一緒に行きましょう。いいですね? あなたは愛さんを探しているのでしょう?」 「はい、愛を探してます。」 「では行きましょう。愛さんを探しにね」
駅員は再び連行しようとしたが拒絶された。 「愛はどこですかお巡りさん? 愛はどこなんですか!」 「わかった。今電話で呼ぶから待ってろ。」 彼は唐突に電話を奪って電話に話かけた。「愛はどこだ! 愛を返せ! 返せ!!」 ここで野次馬連中の中にはドッと笑いこける者も少なからずいたが、まもなく「黙れ!!!」というけたたましい大声が鳴り響いたので、連中は一瞬凍りついた。 意識を取り戻した野次馬連中は非難めいた目つきで声の元をたどったが、 そこにいたのはダンディーなオジサマだったので、沈黙は5秒程守られた。
「なんなんだよてめーは?」と一会社員が背広姿で毒づいて沈黙を破った。 「君は下がってろ。私は彼に話がある。」と言いながら彼にゆったりと近づいていった。 「あぁ?」と、会社員はプライドを傷つけられた不平の念を発してみはしたが、 連中も会社員には興味がないようだったので、しぶしぶ黙り込むよりしかたなかった。 オジサマが目の前に達し同情を示すと彼は話し出した。 「愛を知っているんですね?」 「ああ、知ってるとも。坊や。」 「愛はどこなんですか? 愛が帰ってこないんです。教えてください。愛はどこなんでしょうか?」 「…愛は死んだ。死んだんだ。」
彼の息は止まった。野次馬連中もはっと息を飲んだ。 彼の視線はオジサマの目に向かってはいたが、もはや焦点が合っていなかった。 その目に表情はなかった。 「坊や、愛は…」とオジサマが慰めるような口調で始めた話は急に割り込まれてしまった。あの会社員の手で。 「死んだ! 俺たちが殺したんだ!!」
Votre pensee ne me quitte pas.
もっとエロい小説書いてよ
>>286 ウタダ好きのバタイユのおっちゃん
は哲学のバタイユスレか文学のバタイユスレに引越ししてはどうか。
ここのスレでは反応がないし自演もつまらないだろう。
想像力を高めようとしたら、理想的には幾何学的な点にまで環境を限定することが有効だろう。 そこで、不可能性に喘ぐ闇の中で、不可能を可能にしようとする力が生じる。 これが想像力である。これが恍惚である。
バタイユとニーチェの違いは?
共通点。 二人とも卓越した文章家。断言や飛躍が多いが独創に満ちている。 ニーチェがヘラクレイトスに接したのと同じやり方で、 バタイユはニーチェに接している。感情移入。強引な解釈。創造的歪曲。
ニーチェの方は食糞(詰まりはウンコー)に興味がなかっただろう。たぶん。 二人の共通点は殆ど女にモテなかった事かしら…?
平凡社ライブラリーのハイデガーの「ニーチェ」って3巻でないの?
301 :
金曜日 :2008/01/19(土) 22:35:22 0
>>300 そうですね
もともとは理想社の『ハイデッカー選集』の『ニーチェ』の上中の改訂新版
で下は結局出されなかった。
白水社の薗田宗人訳は3冊そろっているね。
302 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 04:46:58 0
ニーチェの女性観・男女論について教えてください
303 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 05:01:00 0
>>302 「女にはあまりにも永い間、暴君と奴隷とがかくされていた。
女に友情を営む能力のないゆえんであって、女の知っているのは
恋愛だけだ。」(ツァラトゥストラ)
「女のもとへ赴こうとするならば鞭を忘れるな。」
(ツァラトゥストラ)
ちなみに、「鞭」っていうのはSMじゃないよ!
女は鞭を持っているっていうのは、上の文の、
「暴君と奴隷とがかくされていた」と同じような意味だろうね。
304 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 05:11:39 0
イプセンが描いた女がいい例かも。 ノラもまた考えた。廊下へ出て後ろの扉をバタンと閉めた時に考えた。帰ろうかしら。 ツンデレさね
ハウス ニーチェ!いやフルーチェ! ごめんなさーーーーーーーーい
母乳でフルーチェ
308 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 11:33:02 0
もっとニヒろうぜ。
前からニーチェに興味がありありなんだけど著書を全部読む気がなかなか起きない。 拾い読みでいいや!になってしまう。 ツァラトゥストラなんか凄く面白そうなのに。 誰彼の解説を読んで著書を読んだ気になるのが一番イカンな。
310 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 13:41:30 0
>>303 つまりヒステリックで傲慢で、非合理ゆえに、一般的には嫌悪に近い感情を
持っていたというわけですか?
>>309 そんなあなたにオススメなのが『この人を見よ』
ニーチェ節が面白すぎてあっという間に読めるし、
自伝だけあって彼の重要な論点が凝縮されている。
312 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 16:44:31 0
本読んでないけど ニーチェの永劫回帰はなんでまったく同じ繰り返し以外の可能性を排除できるんだ?
永遠に多様を生み出すという可能性は、(中略) よって、まったく同じを繰り返すことなのだ。 (蒸気気質な一読者より)
314 :
309 :2008/01/20(日) 17:11:35 O
>>311 新潮文庫で持ってるから今から少し読んでみるよ
ありがとね
315 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 17:12:48 0
>>313 組み合わせは有限だから、無限ではないが、
考えられる可能性はすべて無限の時間の中で実現すると思うんだが
>>315 実に明晰な論旨だ。うん。君の言うとおり、
全ての可能性が実現してしまうということ。それが大いなる正午を迎えると(中略)
よって、同じことが繰り返されるということなのだ。
(水蒸気質な男より)
O bien-aime´e. Re^vons, c'est l'heure. C'est l'heure exquise.
La lune blanche Luit dans les bois ; De chaque branche Part une voix Sous la rame´e … O bien-aime´e. L'etang refle`te, Profond miroir, La silhouette Du saule noir Ou` le vent pleure… Re^vons, c'est l'heure. Un vaste et tendre Apaisement Semble descendre Du firmament Que l'astre irise… C'est l'heure exquise. (Paul Verlaine)
>>316 つまり俺が全ての種類の人生を過ごすってことだよな?
事故死したり金持ちになったり政治家にもなるかもしれないし、
脳みそだけ同じなら意識が宿るだろうから、体は人間ではないかもしれない。
ってことでいいか?
>>318 どうもドビュッシーの月の光や夢の世界だな。
>>319 そうすると輪廻とあんまわからんし、(以下略)
(湯気男)
322 :
金曜日 :2008/01/20(日) 22:15:47 0
仏教思想でのいわゆる輪廻と永劫回帰とは似ているようで全く違う。
323 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 12:25:27 0
道徳の系譜を呼んだのですが、人の破壊しようとする力について、まだ説明不足であることを匂わせていますよね。 巻末に、力への意思 で集大成させるとか書いてますが、その辺り、どの続編に一番説明がなされていますかね? 〇社の〇と言う本〇巻って感じで教えていただけるとありがたいです。(ちなみにこのスレ見て生成の無垢下を買ったのですが、ざっと見、上記の点に関して発展的、集約的な説明はなさそうなのですがどうでしょうか?)
324 :
金曜日 :2008/01/21(月) 23:00:17 0
ちくまおよび理想社の『善悪の彼岸』の訳者の信太正三さんの解説の中での続編の部分は 白水社の2期10巻のp63あたりにありますが ニーチェの続編へのプランはいたるところに散見できます。 1887年秋以降、計画と構想とアフォリズムとの渾然となった状態での遺稿は読者からみて焦点をあわせにくいですね。 『ツアラツストラ」の説明のための『善悪の彼岸』であり『善悪の彼岸』の説明のための『道徳の系譜」でありまた それの説明のための『力への意思』であり・・・ ニーチェはつねにすべてを白紙還元しながら何かにひきよせられるように進んでいったのでしょう。 10巻11巻のなかでは永劫回帰に魅入られたながら死に引き寄せられていく人間の最後の発光をみるような気がします。 私はどこか痛々しさをかんじますね。見当違いかもしれないが・・・。
325 :
金曜日 :2008/01/22(火) 21:43:53 0
『力(権力)への意思』はニーチェの妹達による捏造の書物でもあるが 書物とみなさないで これを「生成の無垢」とあわせて遺稿としてあつかって 読んでもいいのではないかと思う。 ちくまや理想社の『権力への意思』は簡単に入手できるからです。 そこにも『道徳の系譜』以降の思考がちりばめられているからです。 まあ妹達の意図をある面見ることもできる。
>>292 >>318 何故にフランス語はこうも心を打ち、しみじみと心に響き渡るのか…。
フランス語自体が芸術作品ではなかろうか。
フランス人は目覚めている限り多少なりとも酔っているにちがいない。
そのインテリは泥酔とその副作用を免れることができないのだろう。
>>325 確認したいんですが、「権力への意思」がネーミング、書物共に捏造ってのは知ってました。
しかし、「力への意思」自体も後世の人が勝手につけた名称なのですか?
ニーチェ自体は「力への意思」という言葉を生涯使わず、そういうタイトルでの論文発表予定もなかった、ということでしょうか?
言語は第二の親なのか。 しかし思春期と英語勉強し始めた時期が一緒だったから英語の影響がよくわからんな。
>>327 ちがうちがうw
力への意志はニーチェの中心思想。
妹たちが編集した『権力への意志』っていう本も、
捏造とは言っても、ニーチェの遺稿の重要なものを
並べただけのもので、内容はおそらく改竄していない。
だから、重要な遺稿だけを読みたい人にとっては、良い本だよ。
330 :
高級ぺてん :2008/01/23(水) 21:03:30 0
最近、ニーチェの『人間的な、あまりにも人間的な』の上巻を読んでいる。 ちょっと、宗教や形而上学云々はなじみがないから読み流したけど、 「交際における人間」や「女性と子ども」の章のアフォリズムによる洞察は恐るべしものがある。 共感できた部分が多い。 彼の哲学の深さもそうだけど、言葉がうまいよね。 『この人を見よ』の「教養俗物」だの「高級ぺてん」だの、「居酒屋的福音」 だのよくもまあ簡単にこんなうまい表現がでてくるもんだ。
331 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 21:16:39 O
助けて欲しければ波に乗れ
冬の女サーファー見ると死にたくなるらしい いい感情だわ
>>328 ある外国語を極めれば、それは第二の母語として、またそれは第三の親として機能する。
そしてそれを極めることは、気にいる親を一覧から選び、育て、生み出していく子育て子作りならぬ親育て親作りの行為である。
裏切り者!!
親が身勝手に生み育てた子供を裏切らないとでもいうのか? 結局アヒルの子は白鳥にはなれないのだ。
英語が人間に与える影響の研究がなされてないままに教えてるのではないか? 身につかないのが普通である以上、問題なかろうが、 感覚的にものにすれば人が変わるだろうに。 そしてかの大西氏は生の似非哲学に則り英語の感覚を捉えさせようと試行錯誤しているのだ。 彼はちょっとした革命家ではないか? ちょっとちょっとで済むのかしらんがね。
価値は無意味である。 生の価値は生が無意味であればこそあるのであり、 生の哲学は無意味な価値の探求であり、似非哲学である。 意味は無価値である。 《永遠回帰》は生の無意味な価値の似非理論的象徴なのだろう。
338 :
金曜日 :2008/01/24(木) 07:47:01 0
>>337 《永遠回帰》は生の無意味な価値の似非理論的象徴
逆だね
『ツアラツストラ』を読めば
生を価値あるものとしてのモチーフが全編をつらういているではないか。
価値がないのはキリスト教の価値観であり市民の既成の価値観などではないか。
ニヒリズムを誤解してるのは
339 :
金曜日 :2008/01/24(木) 10:09:27 0
訂正 全編をつらういて は 全編を貫いて です
340 :
金曜日 :2008/01/24(木) 10:16:22 0
ニヒリズムを誤解してるのは
>>337 君ではないでしょうか
フランス文学、特にその詩の無意味な価値がわからんようだな。 日本語ではたとえ詩人や文学者が訳したところで訳しきれず半殺しにされてしまうのがフランス語の無意味な価値である。
非論理性とは、根拠をそれ自身がもち、他に根拠を持たず結果をも持たないという実在性を意味する。 因果律の彼岸に実在性があるのだ。 哲学が理性的、論理的であるべきものならば、 それは実在には到達しえないものである。
永劫回帰によって神は死んだことになるのか 僕にはどうもよくわからない 誰か教えてください!
344 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2008/01/25(金) 22:40:24 0
もしニーチェが内密に告げ知らせようとしていることが全ての読者に本当に あからさまな格好で余すところ無く伝わってしまったと仮定すれば、その土壌 の上で生きることに耐え得る性能的条件を満たしている読者はおそらく全読者 の千分の一といったところである。 そして実のところこれは絶妙な手心というものをわきまえている。 彼は決して絶滅者ではなく、やはり根っからの神父であり教師であらざるを 得なかったというわけである。 彼の奇特なおしゃべりの全ては、がなり立てるような喧騒によってうまく隠蔽 された彼の囁き声の部分を聞き取ることの出来る、私や私と似通った種類の人間 が陥りがちな「ある種の余計で危険な懸念」を全て取り払い、綺麗に洗浄してく れるので非常に重宝するのだ・・。
ニーチェコードより真央ちゃんが必要な時だ。真央ちゃん…
ニーチェより永井均が凄い
生の似非哲学≒死の似非哲学
348 :
337 :2008/01/25(金) 23:51:45 0
>>344 wwwそれって自分はその条件を満たす”特別な存在”だっていいたいだけだろ。
で、344の知り合いの後の99人は耐え切れずに死んだわけ?
事実的根拠がないのなら断定形で発言しないで欲しいんだけど。。。
それとも誰か評論家の文章のコピペ?
原因を持たないものは結果をも持たない。 なぜならば、結果を持つためには原因を持たねばならないからである。
原因を持つものは結果をも持つ。 したがってこれは過程といえる。 過程の原因は結果をもち、結果を持つものは原因を持つのだから、 過程の原因は過程である。 過程の結果は原因をもち、原因を持つものは結果をもつのだから、これまた過程である。 過程の原因と結果は過程である。 言葉は実在性のない過程を記述するに止まる。 もし過程の連鎖が実在性を持つとすれば、 それが始まりも終わりもない輪を形成し永遠に反復されるようになっていることで自己同一性を備えている時である。
自演スレの永井均が来てるのか 自演に飽きたからといって ここにこなくてもいいよ
永井がキモイ
>344 意識的な人で表現にも慣れていそうなので、是非教えてほしいが、 ニーチェの絶妙な手心の具体例をもう少し膨らまして説明してください。 また、「ある種の余計で危険な懸念」と「綺麗に洗浄」 の具体例もそれぞれひとつ教えていただきたいです。 こんな板で只で頼むのもあつかましいと思いますが、よろ
金曜日と永井って人は知り合いなのかい?
355 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 22:04:05 0
質問なんだが、ニヒリズムのそもそもの原因って言うのは何なんだ?
356 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 22:38:51 O
何かしら考えぬいたことのあるひとにしかニーチェは受容できないよ
357 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 00:29:45 0
曙光ってどこの物がいいですか?
ニーチェってイスラム教については語らないな
>>349-350 自己同一性といえば『私』だな。
金曜日の毛嫌いする永井の私でもあるわけだ。
『私』は絶え間ない変化を続けているようであるにもかかわらず、自己同一性を保つ『私』なのである。
ならば『私』はまさに円環なのではないかな?
ニーチェは生の思想の方では「私」をよく訴えるが、 認識論の方では「私」は迷妄に過ぎない、解釈の結果に過ぎないと言ってるように思われる。
迷妄にしろ感覚にせよ現象にせよ反復する限り事実は自己同一性、実在性をもつ。 事実は無限に反復される限り実在である。 『私』は少なくとも実在性をもつ。 実在性を持つことは存在することである。 存在することは実在することではない。 無限の反復が実在することを意味する。 無限にそれ自体を反復するものが実体である。 永遠回帰が正しいならば『私』も含め全てが実在である。
『私』が差異を包含しつつある自己同一性を保つという円環であり、尚且つ永遠回帰が成立するとすれば、 世界全体の神的な『私』があるはずではないか?
>>361 おい、聞こえないぞ。
大地の鼓動が聞こえるはずじゃないか? その脈に触れることができるはずじゃないのか?
その呼吸を、その息づかいを感じとれるはずじゃないのか?
リズムがない。 何もないじゃないか。
歩め、歩めばいいのか。歩めばそこは道となり川となる。行けばわかるのか。
川を下って海へ辿り着きさえすれば。
そうそう。文芸的にいこうぜ。
『文芸的な、余りに文芸的な』って芥川の本だったっけ?
文芸やるには弱くならんといかんよ。 弱くなって、敏感にならんといかんよ。 ニーチェみたいに。
うむ、負荷を上げてもいいだろう。 いや、負荷を上げる努力をするよりないのだ。 考える葦も力強い馬鹿も御免蒙る。 とはいえ三島由紀夫のように、切腹する勇気など全くないわけだが。 なんて虚栄心なんだ。
そんな長文書いてるようではエリートにはなれんぞ。
そういえば三島ってエリートだったんだよな。
>>368 読んだよ。
ニーチェに劣らず、素晴らしい文章力の持ち主だ。
非常に血と肉で語っている。
(といっても、言葉の背後の内臓の揺れを『体感』しなければ、
意味がないんだけどね。本人も言うように。体感のない者から見れば、言葉は残骸でしかない。)
ひさびさに生の『生きた言葉』に触れて読みいってしまった。
早君は本当に広大な海をもってらっしゃる 私なんぞはそこらの河川に過ぎんな
海か。 俺は河川どころか泥沼で腐れ果てては干からび塵々になる運命なのだ。 何かを得ようとして惑い苦しんでは、失っていくばかりだった。 これからも蜃気楼をみつつ砂漠に向かうばかりだろう。
砂漠の星空に見とれながら永遠に眠ってしまいたい。 寒さと感動に打ち震えつつ。
想像するだけで興奮したw
>>373-374 いざという時の選択肢の一つに採用してあげよう。
376 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 02:32:18 O
>>368 心の仕組みドットコム化してるんではないかというのが感想かな。
反復の重要性はヒトラーも指摘したところではある。
半永久的に反復されるものは存在し、
永遠に反復されるものは実在する。
>>368 前書きだけ読んだけど、冗長すぎて後を読む気になれなかった。
文章を書く時は、「君は一言でいうと何が言いたいの?」という問いに
明快に答えられるようにしたいね。
そして自分の書く文章の全てが、その「一つの言いたい事」に向かって
集中していくような文章を書きたいものですね。
378 :
377 :2008/01/30(水) 15:10:13 0
ブログの、ニーチェに関する他の文章も少し読んでみましたが同じ感想でした。 言いたい事の中心が、どこにあるのかわからない。 悪く言えばその場の思いつきで書いている印象です。 たくさん書くことよりも、むしろ何も書かないで、 考えを頭の中で熟成させることが必要なのではないかと思いました。
何かを言いたい時は、その主題をまず観点に置いてそれに従って 文章を書いていく?そんなものだろうか? 少なくとも、この早さん?の文章は全て自分の体験から語っており、 非常に独創的な言語を内臓から編み出していて、読んでるこちらも力はいるし、 彼の言葉を媒体として、自分の中に様々な世界を描かせてくれる。 (ニーチェが彼や他の読者にそうさせているように、彼自身の文章が歌っている。) しかも通常言いたいこと=テーマを伝える時に、そのテーマを伝えようとすればするほど 文章は枠組みなんぞというチープな檻からあふれ出て、歌うように謳歌するものだと思う。 かといって決して伝えようとするテーマ事柄自体は抜け落ちておらず、根底にしっかり流れている。 とってもいい文章で、すごく自分の内面からニーチェってものを『自分』で体験している。驚きです。 ニーチェが所謂「聴覚上の錯覚」(この人を見よ)といっているものを、 とっても綺麗に説得的に説明してくれている。 個人的に、ニーチェを概念だけで把握するより、自分で書物も何もかもはなれて 色々経験して、苦しんで、それでふとニーチェを読んでみる方がよほどためになる。 (そういう意味で、大学の研究論文にニーチェを扱っていること自体、末期文化の兆候。 反吐が出るよ。)
380 :
377 :2008/01/30(水) 16:41:47 0
>>379 あなたがそう思うのはあなたの自由なので、何も反論しませんが…
ただ、ニーチェ自身は、論文形式でも書ける人ですよ。
ニーチェがアフォリズムという形式を好んだのは、時代的な制約が大きかったと思います。
これはキルケゴールやショーペンハウアーの文体にもある程度共通することですが。
まぁもっとひどいのはいくらでもいるから。 早は2chではまともなほうだ。
主体性のあるなしはかなり人として重要だと思う。 でも早君みたいに若い段階から自分の考えを強く持ってる人は珍しいんじゃないかな
>>376 円環をなす過程だけが実在、『過程と実在』というと、ホワイトヘッドだな。
完全なものは永遠の過程であり、循環であり、反復なのだ。
>>376 >>377 批評ありがとうございます。参考にします。
たしかに詩やツァラトゥストラを読むのに慣れていない人には、わかりにくい文章です。
詩を読むときの感覚とは。
まず、適当な一まとまりを、音楽を聞くように読む。
読み終わると、その一まとまりの印象を思い出して、一枚の絵のように視る。
こんな感じです。
一度頑張って「魔術師」の章の詩とその後のツァラトゥストラの言葉で、
全身で激情発作を是非起こしてみてください。
本気でニーチェLOVEになります....
>そして自分の書く文章の全てが、その「一つの言いたい事」に向かって
>集中していくような文章を書きたいものですね。
もちろん反論するつもりではありませんが。もしお若い方なら。参考に。
収束的な思考よりも、拡散的な思考の方が、少なくとも若い頃は、はるかにお勧めです。
拡散していくような感じを意識しておくのに慣れると、
関心とか興味が爆発的に広がっていって、きっと百科事典とか前におくだけでワクワクするようになります。
>>380 もちろんニーチェは論文形式で書けた人ですが、
ニーチェがアフォリズムを選んだのが時代制約だというのには反論します。
ニーチェの気分、精神状態が、そうさせた以外には考えられません。
危ないほど震えている白熱した寸言、麻薬の香りさえする文芸の極みを、
時代がどうとかそんな外的などうでもいいような要因などが生むはずはなく、
生命感情がつきあがってくるような高揚とか興奮とかみたいなのが原因でなければ考えられません。
その生命感情とは時代に縛られたものではなく、大地を愛した人になら普遍的にどの時代でも起こるものです。
一度、忘我になって詩的散文を実際に書いてみたら、このことが分かります。
うまく説明できなくて失礼しました。
>>高級ぺてんさん
熱いレスさりがとうございます。後日ブログのコメントでお返事します。
早君は、全然進歩がないなぁw 一年ぶりぐらいに見てみたら、一年前と同じだw
>>386 あなたは、私が進歩しているかどうか評価できるだけの秤をもっているのでしょうか。
でしたら、そんな一文でなく、しっかり評価して下さい。
私は一年前、本当に死に掛けていました。
精神的な苦痛が文字通り骨にまで達していました。
文字を書いても、5分後に自分のを読めば、なにがなんだかわからないような錯乱でした。
2chで暴れることで救われました。
ああ
>>385 ミス。さりがとう→ありがとう
《拡散的な思考》が進歩を阻んでいる原因かもよww
>>387 >でしたら、そんな一文でなく、しっかり評価して下さい。
苦痛だったが、一頁だけ読んだよ。ここ↓
http://hp.kutikomi.net/beatrice/?n=column11&no=16 ここで君が言いたいことは、たぶん次の部分だろう。
(タイトルは「解釈」となっているが、なぜ「認識」ではなく
「解釈」なのかという理由は書かれていないからね。)
【決して、「私」や「彼」のような人称名詞的なものや、その他名詞という概念として
固定された後にあるものがあってはじめて、二次的な動詞的な現象が起こるのではない。
ニーチェにとっては逆なのである。動詞的な動いている状態、つまり生の流動、そのなかに
諸力があって、次にそれが概念として定着して固定されてようやく、名詞的なものができる。】
このことを言うために、君はニーチェの文脈を離れてぐちゃぐちゃ書いているけれど、
もっとニーチェに即して簡潔に書けるはず。ニーチェに即して書いた方がいいというのは
俺が一年前にも書いたことだが、その時君は反省しているような様子だったが…
ニーチェに即して書けば、たとえばこんな感じになる。
「《働き》の《モノ》化」
ニーチェは「稲妻が光る」という言い方を「我々の悪癖」であるとしている。
なぜなら《働き》と《働くモノ》とが主語と動詞として分離しているからである。
「光る」という《働き》を離れた「稲妻」という《モノ》はあり得ない。
しかし我々の言語に深く根ざしたこの悪癖によって、「稲妻」と「光る」は
切り離されて、「稲妻」が「光る」ことの原因であると見なされてしまう。
(これは君の「力への意志5。原因の捏造。」に直結する)
かくして「稲妻」は、《働き》から切り離された《働くモノ》となってしまう。
このことを裏返して考えれば、ニーチェは《働き》と《働くモノ》との同一性を
主張しているのだということが分かる。たとえばそのことを述べた次のような
断片がある。「一つの《モノ》は、その作用の総体である」。
ニーチェはこの根源的な《働き》を「力への意志」と名づけるのだが、
こう付け加えることを忘れない。「意志という《モノ》などないのだ」。
要するに、「苦痛を理解しろ、そうすれば生を謳歌できる」ということを書いているわけだけど、 酷いのが苦痛に関しての意味、解釈を過剰に行い、ダラダラ読ました挙句、「〜そうすれば生を謳歌できる」と結びつける度し難い論理ね。 要するに、早はニーチェの最良の読者ではない。こいつは苦痛がどうとか、恐怖がどうだということを書きたいだけの重力の魔にとりつかれた奴なんだな。 ニーチェは深さについて語ってはいたけど、根源的な恐怖なんて言っていないし、そんなことを言い出す奴を嘲笑していたのに、そのことについて自覚的でないようだ (そのくせニーチェの侮蔑の対象になっていることを自覚しない人に対して、念を入れて攻撃しているのが、なんとも・・・)。 それはともかく、ここまで反面教師だと笑えてくるわw これからも苦痛や恐怖について頑張って格闘してください。
>>390 >要するに、「苦痛を理解しろ、そうすれば生を謳歌できる」ということを書いているわけだけど
そういえば、一年前見た時「リスカ」がどうのこうのとか言ってたなぁ。
苦痛も快楽も、随伴現象であって本質的な問題ではないんだよね、ニーチェによれば。
弱者はそれを本質的な問題として捉えざるを得ないということなんだが。
>>390 >酷いのが苦痛に関しての意味、解釈を過剰に行い、ダラダラ読ました挙句、「〜そうすれば生を謳歌できる」と結びつける度し難い論理ね
[ダラダラ読ました挙句]。
これは真剣に早さんの文章を読んでないのではないでしょうか?
だらだら読ましたんじゃなくて、だらだら読んだだけでしょう。
(どれ、何を言いたいんだ?って感じで読む前に、言葉ひとつひとつ
汲み取るように読んでみると、非常に言語想像の豊かさ、比喩の豊富さ、
ニーチェ論の心的鋭敏な洞察、ただの読書ではない読者感と早さんだけの
想像力がたくさん盛り込まれている。)
長いのを忘れるくらい、ニーチェってものに接近してるという感想を受けるよ。
ニーチェって人物が語る言葉からの印象は各自の心情や知性の度合いで
違ってくるし、またその時々の気分でも違ってきます。
「ニーチェ」っていう偉大な権威に漠然と囚われすぎた先入観があって、
ニーチェの言っていることはこうだとかああだとかの前に、私は素直に
ニーチェ感を独自の言葉で体験して、表現して、心理的アプローチを試みながら
歌うように論説している早さんの文章はすばらしいと思うし、素直に評価できます。
彼流のニーチェ解釈論が展開されていますが、私自身が受けた印象や洞察を含んでもいるし、
さらに進んでニーチェの言葉から、色々な世界を心情から汲みだして、言葉にしている。
個人的にとってもいい論説だよ。
拡散的思考なのではくて、生によって突き動かされる思考が拡散的なんですよ。
個人的に思うのは、早さんにはずば抜けた文章の才能あります。
それって、皮肉なの? 「高級ぺてん」だからなw
>>390 レスありがとうございます。
批評は嬉しいのですが揶揄的な言葉遣いは止めて欲しいです。
不定のものとか一般性とかを激しく犬儒することは、多数を敵に回すことになるけれど
創造的な結果に繋がることが多い。一方、特定の人を揶揄したり中傷したりしても何も得られるものはありません。
>要するに、「苦痛を理解しろ、そうすれば生を謳歌できる」ということを書いているわけだけど、
私の主張は
「ニーチェは多くの心理学者と違ってどんな苦痛な心理でも感情移入して体験的に洞察していた」
「そんなニーチェの最高傑作は、感情移入すればするほど、象徴は生命感を帯び、様々な心理を強く体験できる」
というようなものです。
(その主張をまさにツァラトゥストラに徹底的に感情移入して激しい情動に憑かれ、
自分のニーチェに関する感性的体験を一気に思い出し そういうときにしか出てこない比喩と文体を駆使して、
書いてみたかったのです。
でもやはり文章が粗野すぎたせいで、文章を文芸的に味わえる人以外には伝わりにくかったみたいです。)
そしてツァラトゥストラやその他登場人物達に感情移入すれば、
もちろん読者が超人か神か仏か何かでないかぎり、必然的に激越な苦痛が伴う、ていうことです。
でも「苦痛を理解しろ」なんていうことはほとんど書いていません。
自分では反面教師になったつもりはさらさらなく、
興奮から溢れた狂言的比喩は多少許し(それでもだいぶ削った!)ましたが真剣に書いたつもりです。
>これからも苦痛や恐怖について頑張って格闘してください。
いつまでもツァラトゥストラに感情移入して苦悶しているべきだ、とは一言も書いてはいません。
読んでいるときや、読んだことによる影響を克服するまでの間、くらいのことです。
そしてそれを克服するときに自己認識は深まります。これこそがニーチェ読本の最も大きな喜びだと思います。
>>391 >>389 どうでもいいことだけれど、たぶんあなたが私にレスしたのは半年くらい前だと思います。
血というのは本当にぞくぞくと霊感をそそり本能を刺激し、ある意味感性の源泉です。
そういうのを求めるちょっと危険な冒険心や好奇心もニーチェ理解や芸術には多少寄与するかもしれません。
理屈ではなく、ようは「生」をどれだけ深めるか高めるか、それが最も大きな強弱の指標であると思います。
認識論に関してですが、ニーチェに即して書こうにも、ニーチェは認識論を体系化しないから、
断片ごとに全く違うこと相矛盾していること書いていることもあり、
どれにどう則ればいいのか全く分からなくなっていたというのもありました。
とにかく断片的すぎるから、人によってニーチェの認識論をどう表現するかは、
ばらばらにならざるを得ないと思います。
でもあなたの表現の方が、読む人によるかもしれませんが、かなりわかりやすいと思います。
>>392 感想たくさん頂いて、高く評価していただいて嬉しいです。
私は自分の文章が客観的に一体どうなのかわからない(から不安になって批評に晒してみた)のですが、
あなたがそれだけ価値を感じたのは芸術や自然を愛する感性があったからだと思います。
ニーチェの雄大な感性、芸術的天稟、表現力というのは、本当に心惹かれますよね。
>>395 正直、圧倒されましたよ。同時に非常にニーチェの言葉から自分の中に血の沸騰
を起して接近していますよね。
ニーチェに関する洞察もすばらしいものがありました。
(時間みつけていくつか各所つまんでみたいと思います。ただ私は早さんほどの血の沸騰がないので
私のテンポでですけど。)
思うに早さんは生の根本的なエネルギーが半端じゃなくあふれています。
私は年齢的にも心情的にも早さんのような活気はない人間なので、あんなに即興的に
言葉から自分を揺るがし、心情の泉からあふれんばかりの形象を言語化できる早さんに
うらやましいという感情とちょっとした嫉妬さえ抱きました。
恐らく言葉による自己内情的運動作用が私などより数十倍もあるような気がします。
その即効性ゆえに、無限大の拡散的な表現になるのでしょうが、じっくりかんで読めば
洞察力の半端じゃない深さがしっかりちりばめられているし、言いたいこともちゃんと根をはってます。
(私は誰かが書いたニーチェ論を読んだこともないし、いろんな人が語るニーチェ像は聞いてきたけどどれも陳腐な感じで、
ここまで言葉というものに揺さぶられて、それでいてけっして自己の陶酔などではなく、ニーチェやその他の言葉から
あれほどの諸感情の体験をし、その体験をあれほどの文章で表現できた人物ははっきりいって未だ、お目にかかっていません。)
最近ニーチェに興味を持った初心者です スレ全体を通して読んだんだが、失礼だとは思うが狎れ合いって感じがニーチェのスレとしてふさわしくない気が・・・ 文章は上手かったりカッコ良かったりするけどさ・・・ 相互鑑賞自慰って感じ 思想哲学ってのは、自己確認として他者から評価されたくなるものだなとは思うんだけど お互いに褒め合ってる姿は気持ち悪さを感じちゃうんだよな ニーチェにおいては高みを目指さんとする事が(初心者なんで解釈違いは勘弁)大切なんじゃないのかと思う それってニーチェヲタからしてどうなの?
そんなもんさ
>>397 他者から評価されたいという願望なんてニーチェを深く深く読んだ人なら普通感じないと思われますが。
そんな笑うべき青臭い悩み、中学生のすることです。
ニーチェは自分の脳髄が滅んでもいいから、とにかく生を掘り下げたいと思っていたでしょう。
「思想」によって人類の生を高めたいと思っていたかもしれないと私は思います。
そうするには多数から独立するほかない。
>>396 高級ペテンさんは、今葛藤している状態にあるのだと思います。
つまり私かニーチェに感情移入しています。
私の経験では、最初は自意識的な葛藤ですが、それが限度を超えると、
普遍的な領域に達します。骨がいたくなったり、頭がわれそうになったりはあたりまえですが。
ウィリアムコリンが理解したところのものの実存主義とか、その他下らない文学は、
たいてい自意識に幽閉されているだけの青春人です。
でもツァラトゥストラはその青臭い葛藤の力動をわくわくしながら「利用」して、もっと地下、大地の生そのものに達しています。
私はその領域に達するために、自意識的な葛藤によって心理的力動を引き出したりしています。
まあ比ゆ的に言うと、水草の塊があって、根を下ろす作業は自意識の問題、実存主義的牢獄、青臭い青春的自己陶酔ですが、
根を下ろしてからは、神話や大地のダイナミズムになります。
根を下ろすには、一度は多数から独立して自己認識への道を歩まなければ成らないということです。
400 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 23:05:33 O
比喩の続きをいうなら、
最初の段階は水草の塊の一員として一般性に頼っているが、
一度は自己認識の未知を歩んで、隣の水草から離れてでもいいから根を下ろすことに専心し、
(それは
>>387 さんのいうようなもの、いわゆる自虐とか自己愛とかですが)
そうすることによって始めて川の水底、生の基盤に自分の意識を固定することが出来る。
(神話的大地的根底と繋がる)
いち根を下ろしてしまえば、もう隣の水草がなくても大丈夫だということです。
純文学と大衆文学の違いは、まさに地へ根を下ろしているかどうかです。
>>399 397です、そうですかね?
自分のブログを紹介するって時点で賛同なり評価を求めている気がしますが
哲学は青臭くなければ出来ないというのも、認めなくてはいけない一面だと思うのですがどうですか?
2chに書き込むこと自体が表現方法の一つで有る訳であり、自己顕示欲以外の何物でもないと感じます
それを認めないのは、己を理解していないのでは?
ニーチェを含めあらゆる表現者は、表現しなければならないという使命感や
ある種の改革や革命を啓蒙するだけで行っている訳では無いんじゃないかと思いますよ。
多数からの独立と言うのはよく解りますし、思想による人類の生を高めるということについても
多数が目にする書物に書き記す以上、青臭い理想論(内容のレベル問わず)が根底にあるのではないですか?
あなたが2chにコテハンで書き込む理由とブログを紹介した意味はどこにあるのかお聞かせ願いたい
それは意外と大事なことだと思います
つまり自己顕示することによって、他人から批評されることに依って、 心理的に葛藤し、もっと悩みたい。そういうのもあります。 もちちろん、心理的に葛藤しているときでは「青臭い青春人」になっているかもしれません。 そのときは葛藤の「利用」ではないかもしれません。 でも後になったらその青臭い自分を「利用」すればいいんです。 若い間、男女とはず多くの人が、たぶん男の方が多いのかもしれませんが、例の「青臭い」葛藤を経験すると思います。 でもそれは「中二病」なんていう、どこぞの芸能人の陳腐な造語、神話には登場しないような意味をもった言葉ではなく、 命の原理でもあるつまり神話に登場する意味や価値であると思います。 一般性から離れることによってはじめて得られる生に対する認識があるはずだということです。 だからそういう「青臭い」悩みも若い間にずっとしといたほうが、 ツァラトゥストラ的な大地とか生命の根底に、自分の意識を根ざすことができると思っています。
挫折か。他人が挫折して痛がってるのを見るのは悪くないものだな。
>>405 言い方が悪くて「痛がっている」と勘違いさせてしまったかもしれません。
上手く説明できなくて申し訳ありません。もう少し言い方を変えてみます。
(文学や思想の導きによって)多数の人が自分自身を深く認識するだけ、
「全体的に」人の生は意義あるものになる。
その人のその過程だけを「個別的」にみれば
(だいたい大衆的言語という糞のせいで、人は個々にとらわれダイナミックな世界の捉え方をわすれていくんだ!)
その過程は自己陶酔的に思えますが、
そういう葛藤によるを個々人が多くすることによって「全体的」視点からみたら、
それは普遍的に生にとって意義のあることだということです。
(でも下らない概念の普遍は本当の普遍でなく抽象的紙切れで逆に個々をわすれさせるからよくない)
(普遍的かつ個をも捉え逃さない優れた概念がもっとも意義のある概念。二重の主張失礼。)
下から4ミス そういう葛藤によるを →そういう葛藤による自己認識を
野郎、パクってやがったか! 「私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を噛みつづけることによって鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせている最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。 相反するものはその極致において似通い、お互いにもっとも遠く隔たったものは、ますます遠ざかることによって相近づく。蛇の環はこの秘義を説いていた。 肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、この地球からやや離れ、白い雲の蛇の環が地球をめぐってつながる、それよりもさらに高方においてつながるだろう。」 三島由紀夫 『太陽と漬け物石』より
>>404 >>390 は、少し言葉は悪いけれど、たぶん本質をついていると思います。
「苦」に関するニーチェの考えは、>391に書いたように、「快」も「苦」も随伴現象であるということ。
「勇気があり創造力のある人間は、快と苦を決して究極の価値問題とはみなさない。快と苦は随伴現象である。」(8[2])
随伴現象、つまりそれは、何かを達成しようとする時に必然的に伴うものであるにすぎない。
随伴現象としてのこのような「苦」の大きさは、それがそのまま創造力の強さを示しています。
「現在の個人にとっては、彼が未来を決定する力を多く持っていればいるほど、苦しみが生じる。
これが苦しみについての最も深い解釈である。すなわち、形成する諸力がぶつかり合うのである。」(26[231])
ところがニーチェによれば退廃的な者たちは、随伴現象にすぎない快と苦を究極の価値問題と見なしてしまう。
それは彼らの苦しみが、「力の蕩尽による不快」(14[174])であって、上のような「形成する諸力のぶつかり合い」
としての苦しみとは種類の異なるものだから。
そしてニーチェによれば、このような二つの種類の「苦」に対応して、創造にも二種の創造があります。
「私はあらゆる個々の場合においてこう問う、『ここで創造的となっているのは飢餓なのか、充溢なのか?』と。」
ここから、飢餓と充溢、退廃と健康、弱者と強者という二分法によってニーチェによる弱者批判が展開されるわけだけれど、 弱者と強者という視点からよりも、むしろ、『人はいかにして自己が本来あるところのものになるのか?』 (『この人を見よ』の副題)という視点からニーチェを読んだほうがいいのではないかと思います。 『自己が本来あるところのものになる』というテーマは、「駱駝」→「獅子」→「子供」の三様の変化をはじめとして いろんなバリエーションで繰り返し現れてくるテーマだから。 ツァラトゥストラは『贈与する徳』では次のように言っている。 「君たちはまだ自らを捜し求めないうちに、私を見いだした。およそ信者なる者は、そういうやり方をするものだ。 それゆえ信仰なるものは、たいそうつまらぬものなのだ。今や私は君たちに命じる、私を失い、自らを見いだせ!」 ニーチェと仏教の類似性がよく指摘されるけれど、この箇所は『ダンマパダ』の160を思い起こさせます。 弟子の阿難が釈尊の最期が近いことを知り「私はこの先、誰に頼ったらよいのでしょうか」と泣きながら訴えた時、 釈尊は答えた、「阿難よ、汝自らを灯火とし、汝自らを依り所とせよ。他を依り所とするな」と。 「自己の依り所は自己のみなり」。『スッタニパータ』にも、「他に依止する者は、動揺す」とあります。 この辺はたぶん早君の「感情移入忘我説」(よくしらないけれど…)への批判にもなっていると思います。 ニーチェは「無私」や「無我」を盛んに批判します。そして「我欲」については肯定的に書いている。 ニーチェが肯定する「我欲」はもちろん所謂エゴイズムとは異なるものであって、存在そのものへの 畏敬の念へと深まった「我欲」です。 『自己が本来あるところのものになる』という場合の「自己」とは何であるのか?という問いに答えるのは難しい。 「自己」を「身体」と言い換えても「力への意志を体現する者」と言い換えてもいいけれども、 むしろ、次のような箇所を参考にすべきだと思う。 「人間の偉大さを表わす私の定式は運命愛である。すなわち、何事によらず、別様であってほしいなどとは決して 思わないこと。…必然的なものを耐え忍ぶだけではなく、…必然的なものを愛すること」(『この人を見よ』)。
ついでに… 上の、運命愛についてのニーチェの言葉とよく似ていると私が思った仏教の言葉。 曹洞宗安泰寺六代目住職、内山興正の言葉。(道元の思想) 【自己の真実として大切なことは、逆境を捨てて順境に赴くことではありません。 かえってただ、今自分が出逢っている生命の実物通り、まっすぐに生きる姿勢こそが大切です】 すばらしいね。
>>410 早君がいってるのは、快・苦の概念についての考察じゃなくて、
ニーチェを読んだ時に本人が受けた快・苦を表現のひとつとしているだけで
ニーチェが快・苦を伴う読書を勧めたとは一言も書いてないと思うのだが。
確かに、快・苦に関する、ニーチェとブッタの言葉による説明は合理的で筋が通っているけど
、肝心の早君の文章そのもの批判になってない気がする。
まあでも批評は批評だから。
色々と頭使えてよいな。この議論。
>>408 それはツァラトゥストラの言葉ですね。
でも三島くらいのやばい天才であれば自分の言葉であってもおかしくはないかもしれません。
対立物の結合の一点をとりまく蛇の円環、こういうぞっとする象徴は、
たぶん詩人や神秘家なら共通してたどりつく表現、自分の命からの知らせで出てくる表現だと思います。
>>390 私は快苦が究極の価値問題だとは一切思っていません。
価値を創造するには究極の快苦が必要だとは思っています。
つまりこのことに関してはニーチェに全面的に同意しています。
いきなり狂言かもしれませんが、
私はイエスキリストの愛は、隣人愛ではなく、自分が名づけている言葉では「生命愛」と呼んでいます。
男性では他にベルクソンと尾崎豊がこれに至っています。
ユングは大事な直観的なことに関しての言葉がめちゃくちゃすぎてわかりません。
上手く説明できませんが、イエスの生命愛を、
隣人愛ととりちがえたところにキリスト教の大きな罪があるのだと見ています。
それは決して非利己的な状態とかではなく、ニーチェの嫌った意味での「無我」「無私」ではなく、
「全」生命を愛している状態です。
私はある一点のみにおいてニーチェを憎悪したいくらいに批判したいことがあります。
(もちろん今の知性と学識でそんなことするのは身の程知らずだとは自覚していますが。)
それは、根源的一者であろうとしつづけたことです。
つまり超人というのは、人間のくせに神になろうとして破滅した人です。
私の言う、忘我、生命愛、感情移入などいうのは、一者になっている状態のことです。 この状態が続くと、恐怖感と恍惚感で瀕死になります。 私はまだドラッグを服用したことはありませんが、 恐怖の発作がおこっているときに骨がいたくなったりとにかく錯乱します。 ニーチェはそれをやりすぎて、しかも一者になっているのに自分が一者になっていることに気づかず、 ツァラトゥストラと自分を長い間同一視しすぎて、自分は人間ニーチェだと言い張ったところに、 神経が耐えられないほどの破壊的心的力動があったのです。 だから一者的な忘我(無我ではない。人によっては「無」であるかもしれない)の状態で感じたことを、 後で知性によって洞察することこそが最も重要だということです。 私やニーチェを愛するのではなく、全ての命、全宇宙を愛して下さい。 私やたとえばこのスレの住人を嫌うのではなく、全ての命、全宇宙を憎んで下さい。 現代思想でいう「人称なき主体」というのはこういう状態です。 愛憎の感情が少ない人ならたぶん「無」になるのだと思います。 口先だけで人称なき主体とかいいつつ、恐怖を知らないで、特定の人を嫌ったり愛したりするのは、 馬鹿げて無様な神経を晒すような笑うべき嘘です。 ただ言葉の上で観念操作してるだけの空虚な思弁、いわゆる言葉遊びです。 「非人称的主体」とか「根源的一者」とか「無」とか「カオス」というのは、 恐怖や恍惚を伴う境地以外の何物でもありません。 哲学者(天才的な人に限る)の場合、その恐怖感や恍惚感を哲学的直観でじわじわ人生で味わい続けている。 詩人や神秘家の場合、ある瞬間に一気にそれを味わうというのが人生で何度かある。 ベルクソンは生命愛をじわじわ感じ続けてたけど、 尾崎豊は短い間に神経を破壊するほど感じすぎていたということです。
>>413 の安価ミスです
>>390 →
>>410 >>410 >>412 つまり簡単に言えば、
破壊的にでも感情的にでもいいからとにかく徹底的に快苦を求める。
そして冷静になってから、その快苦の中で感じたこと認識したことを知性によって洞察したりしつつ、
世界を価値評価するということです。
>>412 >肝心の早君の文章そのもの批判になってない気がする。
早君批判が肝心なわけではないんだけれど、たまに来て書き込む際に、
話だすきっかけになるものが、他にないから…
まぁでも、早君には自己喪失願望みたないものがあると私は思いますよ。
>>409-411 で私が書きたかったのは、
『自己が本来あるところのものになる』→
>>411 (運命愛)
>>412-415 意味不明なところが多いんですが…
前に来た時も書いたと思うけれど、「根源的一者」のようなものと一体化
しようとする願望を、ニーチェは弱さよる願望だと批判しているんですよ。
早君については、「他に依止する者は、動揺す」という感じが、私はします。
>意味不明なところが多いんですが…
>前に来た時も書いたと思うけれど、「根源的一者」のようなものと一体化
>しようとする願望を、ニーチェは弱さよる願望だと批判しているんですよ。
つまりニーチェのその批判をいつか批判したいと思っています
ニーチェはたぶんここ2千年くらいでトップ5くらいにはいるくらい快苦を味わい、
根源的一者とほぼ完全に合一したのに、さらにその根源的一者的思想を批判してしまうことでさらに快苦をつきつめて、
誰よりも完全に近い大地との一体化に近づきトップ1くらいになってその快苦のさなかに発狂した、
私のさっきの水草の比喩
>>399 でいうなら、ニーチェは根を大地の深くにつきさす方向ばかりに傾きすぎて、
だれよりもつきさしたのはよかったけど、発狂したということです。
だからニーチェの批判は間違っていない。ニーチェは人類の他の神秘体験者誰よりも神秘体験をしていた。
それを神秘体験を批判しつづけることによってさらに神秘体験を極めようとする方向に動き続けてしまい、
そのさなかに狂ったということです。
一者との合一とはもちろん程度であって、完全に合一することが死です。
もちろんまだ私の表現が極端で飛躍的で狂言染みているということは自覚しています。
418 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 07:58:48 O
ニーチェに関わるときには安全第一を忘れないようにな
>>417 >ニーチェは人類の他の神秘体験者誰よりも神秘体験をしていた。
>それを神秘体験を批判しつづけることによってさらに神秘体験を極めようとする方向に動き続けてしまい、
>そのさなかに狂ったということです。
そのように考える理由が分かりませんが、ニーチェの思想はもっと《現実》に密着しようとする思想だと思いますよ。
運命愛とは、「必然的なものを愛すること」であると書いているところでニーチェは、
「すべての理想主義は必然的なものを偽り隠す嘘だ」と書いています。ここでいう「理想主義」というのは、
彼岸的なものへの憧れのことであって、「神秘主義」も含まれます。
他の箇所では、ニーチェは運命愛を「例外もつくらず、選択もせず、あるがままの世界に対するディオニュソス的な肯定」
であると言い換えています。
これは
>>411 の【今自分が出逢っている生命の実物通り、まっすぐに生きる】ということそのものだと私は思う。
仏教も、本来は現実に密着した思想なのです。
420 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 08:19:23 O
真理/∞遠点にその焦点を定めた瞬間にひとは死ぬ 芸術が信仰される瞬間でもあるがな 汝は二度死ぬ
421 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 08:28:48 O
ちなみに早というひとのニーチェ理解は適切だよ。 気をつけて。
>>419 私達素人が宗教家や神秘主義を簡単には批判してはいけない。
(その前に「自分自身に」徹底的に批判を向けて宗教家より自己認識を深め命を体験しなければならない)
でも宗教家がニーチェを批判することは、その宗教家がニーチェより強い生の力を持っていない限り、
絶対にできない。
(ドラッグとか精神病とかだけでは意味も価値も無い、価値の強さは「文体」に現れる。)
私は、趣味としてのオカルトなどではなくて
本当に真剣に神秘主義を深めた人なら、それはけっして現実逃避とかロマン主義へいくのではなく、
まさに自然人になると思います。
私はニーチェや神秘主義を読み始めてから、たとえば自然のものを美しく感じる能力が格段に飛躍しました
神秘主義を知らない一般人、都会人は、自然をある程度歪曲して捉え、
自分が感じているのは不自然なのにそれが自然だと思い込み、
そういう思い込みのとらわれたものを現実だと見做している。
何にも一切とらわれず、本当に生という現実を直視した人は、
無限の死の恐怖と生の虚無にさいなまれ苦痛に呻くはずです。
ひかるさんの言葉を勝手に引用させてもらうと「宇宙は虚無の恐怖である」
それにくらべたら都会的現実なんて甘いものです。
都会的現実というのは、人類の心の次元での自然破壊が、行動にうつって、
都会という不自然なものを作り上げ、それになれきったものを現実だとみなしているところのものです。
古代人の死の恐怖と生の虚無という最も自然な心理状態と神話は密接に関わっています。
仏陀やニーチェは、一般的な宗教家を批判できるくらいまで、恐怖と虚無にさいなまれそれを徹底して直視している。
だからといって、私たち素人が宗教を批判するのはよくない。
その宗教家よりも深い自己認識をもっていないかぎり本当の意味では批判できない。
もう受験勉強しないでいいのかい?
僕はあなたが嫌いなんですよ早さん。 生理的に嫌いなんですよ。 太宰も、ニーチェも…。 三島由紀夫は太宰の前で太宰が嫌いだと言ってくれました。 そこで僕もあなが嫌いだと言うことにしたわけです。ええ。
僕は宇多田も生理的に嫌いなんですよ。 臭いもんでして。その音楽ではなくて。詩は嫌いですがね。ええ。 もし、ばったり会ったら一言言ってやりますよ。 あなたが嫌いですと。面と向かって言ってやりますよ。
>>419 >ニーチェの思想はもっと《現実》に密着しようとする思想だと思いますよ。
『曙光』を読んだけど《現実》に直面しまくった後の認識を介して得た忘我のような神秘体験のようなものをニーチェは
感じている気がした。もっとも俺の感性では追いつけないようなものけっこうあったけど、
ぼんやりとだがニーチェってのは《現実》を直視していた思想家だと思うぞ。
427 :
426 :2008/02/01(金) 15:07:13 0
説明不足だった。 《現実》を直視していた思想家だからこそ、認識を介して忘我に達して神秘的な体験を 味わっているように思うから、ニーチェから嫌った『理想主義』が『神秘主義』を含んでいるとは 思えないということ。《現実》を相当の力でもって認識した結果の忘我・神秘感を感じる。
>>422 >私達素人が宗教家や神秘主義を簡単には批判してはいけない。
素人が批判してもいいんですけど、神秘主義を批判したのはニーチェであって、私ではないですよ。
たとえぱ『道徳の系譜』では、ヴェーダンタの「凡我一如」を、「深い眠り」であると批判している。
>何にも一切とらわれず、本当に生という現実を直視した人は、
>無限の死の恐怖と生の虚無にさいなまれ苦痛に呻くはずです。
ニーチェの言うニヒリズムは、「なぜ?という問いに対して答えがないこと」、あるいは
「生存の無意味さ」のことであり、その生存の無意味さに直面した時に、
>>410 に書いたような、
自己が『本来あるところのもの』になっているかどうかが、問われるのです。
「どこまで事物のうちに意味なしでいられるか、どこまで無意味な世界のうちで生き耐えられるかが、
意志力の測定器である」(『力への意志』585)。
しかし無意味な世界といってもそれは見かけ上のことで、たとえば次の文では「あたかも…かのように」
と書かれている。「今やニヒリズムが現れる。…あたかも生存には全く意味が無いかのように、すべてが
無駄であるかのように見えてくるのだ」(5[71])。
「あたかも…かのように」である理由は、ニーチェにとって「世界」は力への意志の作用連関であり、
その力への意志は解釈作用、つまり意味を置き入れる作用そのものであるのだから。
そして『本来あるところのもの』となった自己は、常に既にその解釈作用連関の『内』に生きている。
解釈作用としての力への意志の作用連関の同じ布置が永遠に回帰する「あるがままの世界」。
この「世界」を、もし作用連関の『外』から見れば、それは「円環」として空間的に表象されてしまう。
しかし、「あなたがた自身もまた、この力への意志である」ということを自認しつつこの「円環」に入り込ん
で戯れる者(超人)にとっては、「力への意志の瞬間性」(1885年の遺稿)のみが有り、
「私自身が永劫回帰の諸原因の一つなのだ」(『ツァラトゥストラ』回復しつつある者)と自覚される。
これが、「もし全ての事物が一つの運命なら、私もまた全ての事物にとって運命である」(29[13])という、
「運命愛」としての永劫回帰です。
ここで、「自己」と「運命(世界)」との間に乖離があれば、運命愛は、決定論的宿命論へと変貌してしまい、
「最高の肯定の定式」としての永劫回帰は、「恐るべき思想」へと変貌してしまいます。
だから
>>410 に書いたように「苦」について考える場合には『人はいかにして自己が本来あるところのものに
なるのか?』という視点から考える必要があるのです。
>>427 ニーチェがいう『理想主義』は、だいたいは「二世界説」という意味であって、
その二世界説を真の意味で脱却できるのは、上の、《「円環」に入り込んで戯れる者(超人)》です。
ニーチェがヴェーダンタの「梵我一如」を、「深い眠り」、「神秘的合一」と批判するのは、
「梵我一如」と《「円環」に入り込んで戯れる》こととが全く異なるとニーチェが考えるからです。
(「神秘体験」をどういう意味で使うかによりますが、ここでは根源的一者との合一
のような意味で使ってます。特に後期のニーチェは、そういう思想に対しては批判的です。)
「梵我一如」については、ニーチェは「無への憧れ」とも批判している。 「深い眠り」であり「無への憧れ」である「神秘的合一」だから、 つまり「梵我一如」においては自己が『本来あるところのものになる』 どころか、自己喪失しているとニーチェは考えているわけでしょうね。
432 :
426 :2008/02/01(金) 19:38:33 0
>>409-411 確かに《神秘体験》や《神秘主義》っていう言葉自体からどんな連想をそれを享受した個人が
連想するかで違った意味になってくるね。
私的にはニーチェが云う《神秘体験》は、『曙光』のような文章で現したあの未曾有の世界解釈・認識による
力による恍惚感のように思っているから、そう捉えたと仮定すれば、彼自身を神秘主義者だと思っているし、
神秘体験をしているし、通暁している。
(これは俺の推測でしかない。体験が欠けているからなんとも)
ヴェーダンタの『梵我一如』も、『「円環」に入り込んで戯れる者(超人)』という比喩で現した概念自体が
未だ掴めてないし(ヴェーダンタ哲学自体読んだことないから批評はできないってことね)、掴もうと思って理解できるものでもないわけでその辺は
ニーチェをやヴェーダンタ(及び仏教関連)をじっくり読んでみないとなんとも言えない。
でニーチェが「深い眠り」「無への憧れ」「神秘的合一」を批判しているのは、
快・不快を克服するのではなく、人間が何かを欲したりすることで随伴的に伴う快・苦をそれ自体を
完全に自分の中から抹消しようとして、「無」を欲することで誤魔化している自己欺瞞を
「深い眠り」「無への憧れ」「神秘的合一」などの表現で批判しているだけだと思う。
(これは道徳の系譜だったような気がするな。)
>>417-422 >だからニーチェの批判は間違っていない。ニーチェは人類の他の神秘体験者誰よりも神秘体験をしていた。
>それを神秘体験を批判しつづけることによってさらに神秘体験を極めようとする方向に動き続けてしまい、
>そのさなかに狂ったということです。
そう結論づけるにはまだ判断できないけど、「ニーチェは人類の他の神秘体験者誰よりも神秘体験をしていた。」
って印象を抱くね。
>神秘主義を知らない一般人、都会人は、自然をある程度歪曲して捉え、
>自分が感じているのは不自然なのにそれが自然だと思い込み、
>そういう思い込みのとらわれたものを現実だと見做している。
神秘主意を知らない一般人に属すると俺的に自分を思っているから、
これには反論できないな。
>>424 ちとニーチェ評からずれるが。
>三島由紀夫は太宰の前で太宰が嫌いだと言ってくれました。
これは実際はどうなのか知らないけれど、wikiによればそう書いてあったね。
俺的には三島は小説の内容は好きではない。
(でも書物としては『不道徳教育口座』がけっこう楽しめた。)
太宰やニーチェは大好きだね。
太宰がで笑えるのが、小説の中の道化によるおちゃめな発言もそうだけど、
(でもこれがすごく悲しいものを伴っている。)
中原中也を「ナメクジみたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物じゃない」っていう表現自体が
笑えるし、中也の写真を見るといつもこの台詞思い出す。
輪郭や印象を捉える力とそれ言葉にする力がすごいあると思うよ。太宰は。
太宰の力は認めますが、吐き気がしますね。 この吐き気は何らかの自己嫌悪に基づくものでしょう。無意識的な自己嫌悪に。 この自己嫌悪は愛されるということにも吐き気を覚えさせるものだと思われます。
どうも自分をぶん殴ってしまったようですが、 尾崎は愛に殺されたのかもしれないと思いつきましたよ。
436 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 22:44:18 O
勝ち組と負け組の反転 価値尺度の根源的見直し 以上 ニーチェ講義は終了
尾崎といえば『ダンスホール』の詩がいいな。 『安いダンスホールは たくさんの人だかり 陽気な色と音楽と煙草の煙に巻かれてた ぎゅうぎゅうづめのダンスホール しゃれた小さなステップ はしゃいで踊り続けてるお前を見つけた』 この単調そうな言葉から情景とそれを表象しながら深い愛を抱いて近づいていくような尾崎(またはそんな自分の気持ち)が浮かぶ。 言葉ってすごいと思うね。 (まあ俺だけが勝手に尾崎の台詞に酔ってるのかもしれんが。) うん、なんかカラオケいって尾崎歌いたい気持ちになってきた! まあ、CDで我慢しよう。 (尾崎の『誕生』は傑作だと思うね。)
青臭いシチュエーションの事を『オザキしてる』というらしい
愛というのは肛門の中まで写真にとって保存しようとする。 恥部にこそ頭を突っ込みたがるものだ。 醜悪なる部分をこそ可愛いがるわけだ。 ニーチェはそんな愛を嫌っていたようで、 「悲劇の誕生」は別としても醜悪なる部位の研究に没頭したのである。
>>434 >太宰の力は認めますが、吐き気がしますね。
どうやら『大いなる嘔吐』ではない『吐き気』らしいね。
神が人間の失策にすぎないのか? 人間が神の失策にすぎないのか? 書きたい衝動が病気なのか? 病気だから書きたい衝動が起きるのか? 書きたい衝動そのものが病気なのか? 書きたい衝動でもって病気を味わいつくして病気を治癒するために書くのか? 原因はなんだ?結果はなんだ? 結果が病気なら、原因はいったいなんだ? それは衝動か? 生の衝動か? 生は病気だ! 大地の周りに群がる何かに盛られた有毒なものからの回避と自由への衝動・・・ この忌まわしき血の色彩の疼きが、内部で踊り、わが身を牢獄へぶち込みつつ、 牢獄を抜け出そうと葛藤する。 これは病気であり、麻薬であり、治癒であるのか?
ちょっと今の首相をニーチェ的に評価してみませんか? まず私から。 「偉大な人間というものは、最高指揮官が人々を犠牲にするように人々を犠牲にする権利を感じているのだ。−あんんらかの「理念」に奉仕しているからでなくて、支配しようと欲しているからなのだ。」 「国家の頂点には高級な人間が位置しているべきである。一切の諸形式は、この高級な人間のおのずから明白な権威のなんらから代用品を与えようとする試みなのだ。」(権力への意思) 今の首相からは支配欲はみじんも感じられません。こじんまりした欲はありそうですが。 私の嫌いなJWBには結構当てはまりそうですが。
443 :
440 :2008/02/02(土) 08:02:15 0
【私の『ツァラトゥストラ』の第一部を書くにあたって、 「10日もあれば十分だった。」と言ったけれど、部分的に本当で、部分的には本当ではない。 あの文章そのものの構想、語らせる形式、言葉の数々を「活字にした」行為自体は10日で書いたけれど、 あの言葉を生み出すに至る諸認識とその言葉は何度か過去に頭に浮かんだり、 紙に書いたりもしていて、かといって紙をいちいち見ながら書いたわけで(も)ない。 上記の側面では10日で書いたことは確かだ。 だが、認識による結論とそこから溢れる言葉は記憶に残り、私の脳髄の引き出しに仕舞いこんでいたらしく、 色々なことをして過ごしている間に意識からはしばらく消えていたが、散歩中にツァラトゥストラの根本構想が 私を襲って、その根本構想はまさに「襲った」のだけれど、まったく認識した覚えのない言葉は 書いている瞬間に浮かんできたばかりではなく、記憶の引き出しから勝手に溢れ出てきて、 それでいて書いてる瞬間にも同時に沸いてきてた。 この言葉を生み出すまでの源泉という意味では当然ながら10日ではない。 (私の過去の書物を読んでくれた読者諸君ならこの点は理解して頂けると思う。) もちろん推敲も含めてだ。 21世紀の諸君!誤解を与えてすまない。 これが私の『インスピレーション』の詳細である。諸君は私を人間ではないと思っているらしいが、 ご覧の通り発狂して今墓の中にいるわけだから、当然人間である。人は神にはなれない・・・】 とニーチェの代わりに言ってみた。
とニーチェの代わりに言ってみた。 まで読んだ
445 :
440 :2008/02/02(土) 10:35:53 0
【私のワーグナーへの攻撃は一種の嫉妬と羨望と憐憫すら含んでいた。文字通り、彼は 現にその時代の大衆を魅了して熱狂させ、十字架の前にひれふしたことに。と同時に、私が彼の俳優的天分を攻撃したのも この大衆を魅了して人類を病気にした点にでもある。そして私自身が俳優でもあることが ワーグナーへの憐憫であり、友誼への印である。そう私はワーグナー以外誰一人所有していなかった。 これは既に生前に述べておいた。そして、もうひとつ秘密を明かそう。私の俳優的天分よりも彼の俳優的天分の方が、 女性に魅力を感じさせたこと(これゆえにトリスタンに酔いしれるメス豚共が日本にもなんと多いことか!)への羨望であり、それゆえに私は、ゴジマも所有したかった。 もしかしたら、ゴジマの乳房を見たいがために哲学していたのかもしれない・・・・】 愛しのアリアドネへ ディオニソスより
446 :
440 :2008/02/02(土) 11:09:24 0
【私の俳優的天分・ディオニソス的天分は非常に読者を誘惑し、陶酔させ、苦しめ、陰気にさせ、 朗らかにし、恍惚にも至らせる。私の言葉を読み取るだけ読み取って生を謳歌させながら、 違った言葉を晩年にはしめした。(もっとも、言葉の矛盾自体は『反時代的考察』で既に看られていて、なんら特別なことではない。)それは認識というもがもたらす脱皮・生への衝動によって脱ぎ捨てられる残骸という 言葉がただ概念であり、比喩でしかなく、それを私の言葉で反芻しようとする点において これだけ熱狂させているのだと思う。それは私の哲学の欠落ではなく、人間の欠落であるかもしれない。 今、こうして私を模造して語っている狂人のごとき人間も私に痛めつけられ、魅了され あらゆる感情の体験と認識衝動をおこさせ、それで私に近づかせるからである。 (といってもどちらかというと私の理解よりも、私のアメーバらしいが・・・) 見よ!この似非ニーチェの語調はニーチェそのものになってきて、道化芝居じみているではないか!】 ああ、だめだ。狂ってきている・・・ あらしてすいません。
447 :
440 :2008/02/02(土) 11:53:16 0
大爆笑・・・ 笑わせる人間には、彼特有のある特徴があるのがみられる。 第一に、表現する時に語調のテンポが何か面白さを秘めていること。 第二に、笑いを起させる対象である当の物・言葉そのもの(又は言葉の連結)が意味する処が それを聞いた他者に想像力と解釈を強いさせ、その度合いが強ければ強いほど、つまりその解釈へ他者が用いる認識力の度合いに比例して、 当の人間が笑いの大きさも強くなるということを無意識的に行っていること。 第三に、身振りがあること。これはまさに運動的な意味での身振り・ジェスチャーが備わっていること。 以上の三要項を自然に備え、場面に応じて調和させて無意識にだせる人物こそ笑わせる才能の持ち主である。 彼は他人に『筋肉痛』を起す者である。 『人間的なあまりにも、人間的な』下巻 ○○4
>>440 本は吐き気を感じたら投げ捨てることができるからね。
だが尾崎のようにメス犬の大群にけつの穴の中までむさぼられたとしたら、
死なざるをえないだろう。
一匹でも大変なのだから。
449 :
440 :2008/02/02(土) 12:09:54 0
>>448 それがニーチェの本は特にそれができなんだよね。
何かかきたくなる衝動に駆られるし、本当に超人になりたい気を起させ(られている・そう思い込んでいる?)。
だからこんなに、書いてしまったって感じ。
ホント『安眠の妨げになりかねない』。
もう駄目。寝る。
また早があらしてるの?
人の趣味をどうこう言いたくないけど このスレで尾崎豊って・・・ 商業主義じゃんあれ、知性とか洞察とか感じないよ それこそ吐き気だな・・・
オザキしてる?
>>450 荒らしてるというか荒れてるんだ。
本望だろうよ。
早くんには「荘子」を読むことをお勧めする
ひかるは病院通ってるけど、早はどうなんだろ。
ひかるぐらいになると素直でかわいい感じがするよ。(アナルオナニーしているひかるの姿を想像したくはないけど。日記に書くなよ、ひかる)
457 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 03:23:05 O
>>424 普通嫌いとなると、いわゆるいじめというようなねちねちとした肝たらしい形態をとり、
死ねとはいえども嫌いとは口が裂けてもいいそうにもないものだが、
その点、三島は非常に潔よかったね。
当時殆ど無名だった三島が名声を欲しいままにしていたかの太宰に向かって、
嫌いですとはありえんな。
流石に切腹するだけのことはあったよ。
君が宇多田に「あなたが嫌いです、あなたそのものが」と面と向かって言い放ってはそそくさと立ち去るというのもテロリスト風味でなかなかイケてると思うね。 非常にといってもいいくらいだ。
459 :
440 :2008/02/03(日) 06:03:43 0
ふう。やっと治まった。 あれから今までじっくり寝たよ。 しばらく、ニーチェその他の文学を読まないで休もう。 読書は麻薬だ・・・
460 :
440 :2008/02/03(日) 06:11:05 0
今日は日曜ではないか? もうそんなになってしまったか? 金曜の昼から私はどっかへんな世界を迷い込んでいたようだ。 明日から仕事だ。 まじ読書は休もう。
仕事?
深遠なるなんちゃって貴族たち 時に選ばれし者
>>いつもの「ええ。」さんへ 私には、今は一人を除いて(もうすぐ縁が切れそうなのですが!)、 人を嫌いだとか好きだとかはありません。 でも認識するために嫌いになったり好きになったりすることはあります。 あなたにはこのことがわかるはずです。 私は死の恐怖を無くすためになら死ぬことと人殺し以外ならなんでもやる。 そういう死の恐怖を無くす境地から得られた言葉で、詩や小説を書きたい。 ただそれだけです。
>>450 >>453 私は意味もなく名無しで書くことはありません。
「意味」もなくというのは、言葉の意味もなくであり、生きる意味もなく、です。
私はまだ「ええ。」さん以外には言葉の意味をあまり感じたことがありません。
>>440 さんと
>>448 さんへ
書きたい衝動というのは意味を創りたい衝動です。
そのかはり下手すると自己破壊にも繋がります。
だから衝動と理性の拮抗がいちばん大事です。
おちついた状態で一度、たくさん勉強や読書してからなら、
どれだけ今あなた達が感じている衝動を解放してもたぶん大丈夫になります。
>>455 >>456 病院は通っていますが抗鬱剤もらうだけです。
ひかるさんは私よりずっと天才性があります。でも私の方が知性ははるかに上です。
また、自嘲的ユーモアは、美をなくしてしまいます。
ひかるさんは私よりユーモアがありますが、私の方が美的な表現力は上です。
465 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2008/02/03(日) 18:55:49 0
総合的に見て並より上出来な性能を持つ個人は、ニーチェが内密に告げようと する暴露的な内容を聞き取ることで恐怖を覚える。自らの置かれた立場と環境 が明らかにルサンチマンの無自覚的な憎悪の標的に当てはまるということが 否応無く了解されてしまうからである。そこには何ら抽象的な倫理観としての 「精神的に深い価値観」は存在しない。全てはただもう裸の王様よろしく あからさまに裂壊されたむき出しの尺度でしかないのだ。 そこではもはやあらゆる欠陥的人間の無意識的本能的な手管をもって尺度を 捻じ曲げることの一切が不可能となる。例えば私はアルフレッド・アドラー という人物が、ニーチェの言わんとする真意の爆撃をもろに受けていかに自分 自身の逃げ場を剥奪され悶絶したかということを秘かな学術的関心を持って 常に意識している。 つまり上記のような事柄に対して戦慄しつつ理解することが必然的な者で あれば、貴方は私や私と似通った者たちと同じ苦悩を、憂慮を強く含んだ具体的 根拠を了解することで身に引き受けているいわば「同胞」であると確実に認可 されているということなのである。そしてこれは確かに栄誉なことではあるの だが、せっかくの目出度い喜びもそれを完全に帳消しにしてしまうほどの悪意 の視線に対する痛ましい警戒心によって興冷めしてしまうのだ。
>>464 誤解を生んでしまったらしく申し訳でないです。
最近ニーチェを読んで文字通り嵌まっています。
(熱狂させられたり、苦痛を強いられたり、なんか虐めを受けたり、誘惑されたりしてる見たいです。)
でこの掲示板にきてみて衝動的に、何か書いてみたくなったのです。
それで荒らしてしまって申し訳ないです。
今度から真面目に自分が書いたものをここで述べたいと思います。
>「意味」もなくというのは、言葉の意味もなくであり、生きる意味もなく、です。
これは勝手ながら私を傷つけまいとする配慮だと受け取りました。
繊細なお気遣いありがとうございます。
>書きたい衝動というのは意味を創りたい衝動です。
>そのかはり下手すると自己破壊にも繋がります。
>だから衝動と理性の拮抗がいちばん大事です。
おっしゃるとおりです。どちらかというと自己破壊に向かってたのだと思います。
気をつけます。
あと、447で書いたアフォリズムは実際に『人間的な、あまりにも人間的な』には
ございませんので。あれは私が『人間的な』風に書いたもんです。(って誰も読んではくれてないと思うけど・・・)
>私は意味もなく名無しで書くことはありません
ちょっと、私も色々と真剣に議論に参加してみたいので
だれか名前考えてもらえませんか?
↓467
467 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 19:14:40 0
じゃあ「円楽の彼岸」で
・・・もう少し選り好みしてくれてもいいんだぞ
>>440-441 です
じゃ自分できめました。
エドワード・ノートンが好きなのでこれにします。
そうか なかなかセキュリティが固そうな名前でいいんじゃないか
ファイト・クラブへようこそ
473 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2008/02/03(日) 20:30:32 0
弁証法を人間にまつわる普遍的な無上命令として打ち立てようとした ソクラテスは、それ以前のギリシャの価値尺度からすれば天地をあべ こべにひっくり返すような大罪人と見なされるべき者であった。彼は 事実上、伝統的な古代の価値尺度にたいする反逆罪として処刑されたの である。 つまり、ソクラテス以前には美しい容姿や力強い筋肉の殺傷力あるいは 途方もない感覚器官の性能の発達つまり身体的な機能そのものが社会的 に見てより一層影響力を持つ尺度であると見なされていたのであって (古代ギリシャにおいては、生後三ヶ月経ってなお身体的に発育の良く ない幼児を荒野に捨てるという掟があった)、その一方で主に理詰めで 納得させ了承を得るという性質がその特性の大半を占めているような 者は何か非常にけしからぬ堕落であると看做されていたのであり、 そしてそのような性質を持ちつつも古代世界の価値尺度内部で生きなが らえようとする者は、前者のような純然たる身体的な尺度を持つ者達の 器用で知性的な道具であることに甘んじていたのである。 末期ギリシャ文明において、ソクラテスのようないびつで悪質な復讐者 が台頭することができたのは、すでにそのころには貴族の間においても 上に述べたような意味での純然たる古代的尺度が事実上萎縮し退廃してい たからに他ならない。つまり貴族自身が形骸化し、その身体的威力による 有無を言わせぬ具体的説得力の大半を失ってしまっていたのである。
474 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2008/02/03(日) 21:16:12 0
私の言わんとすることが諸君にはお分かりであろうか? このような類の事柄を明け透けに無垢に、そして積極的に「つまり衝動的に」 語るという危険な遊戯の許されている者が諸君の中にもしいるのであればそれ はほぼ奇跡に近い巡り合わせである。 どうだろう? 今この瞬間における、永遠の立会人としての君自身は?
私はソクラテスとニーチェを同時に尊敬することは可能だと思う でも今は血糖値が下がってて頭が働かないので ちょっとチョコレート食べてきます。。。
476 :
名無し募集中。。。 :2008/02/03(日) 23:03:11 0
( ´∀` )
ニーチェの視点そのままの拡大解釈 ソクラテスに駆逐される貴族の頭は子供だった 結局、ニーチェの後に身体的威力と貴族の復活が生んだものはナチズムだ
》認識するために嫌いになったり好きになったりすることはあります。 あなたにはこのことがわかるはずです。 いや、わかりませんがね。 好き嫌いに理由も目的もないですよ。 少なくともあって欲しくないんですよ。 ええ。 あってたまるかというものです。 あってはならないことです。いけません、いけませんね。ええ。 好き嫌いの話はよしましょう。 こんな汝自身の話はもうよしときましょう。
「ええ」 と呼ぶのはやめていただきましょうかね。ええ。 勝手にキャラ指定すんじゃねーよボケが。
480 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 00:03:00 0
ちきしょうめが。こちとら物まね芸人じゃねえんだよ。ふざけやがって。 まじ頭きた。
>>478 >好き嫌いに理由も目的もないですよ。
>少なくともあって欲しくないんですよ。 ええ。
言語崩壊や批判や美しい表現だけでなく、単純な言葉遣いでも怖くなり得るということを教えてくれます。
あなたのぎりぎりの言葉をみて思ったことをぎりぎりにでも単純に表現してみると。
好き嫌いが完全になくなればそれは死。
目的や理由がある好き嫌いはニーチェに批判される。
好き嫌いに目的や理由がなくなれば磔。
一番短く行っちゃえばそういうことです。
もっと気楽に言えば、脳みその原子が動かない状態が好き嫌いのない状態で、
でもそうしちゃったら死ぬことだというだけのことです。
でもこういうことには、唯物論的には気楽で大丈夫だけど、精神的には近寄ってはいけない。
だからもう、表現者か何かになりたくない限りは、
山を歩くか図鑑を眺めるなどで関心を自然へと外向させるか、心理学を勉強することにして、
(良すぎる心理学者の穏やかな感性をもった追随者の本か、良い心理学者の本が、
丁度いいと思います。良すぎる心理学者は、ニーチェ同様強い力を持ち合わせてしまっている)
ニーチェに関心を持つのは、言うとおりもうよしときましょう絶対やめるべきです。
あなたの1,2ヶ月前の言葉はぎりぎりのを感じました。
呼び方が気を悪くさせてしまってたのでしたらごめんなさい。恐らくきりがないのでこれを最後のレスにします。
《無限の前で腕を振る・・・》 すごく悲しいく切ない。 自分の所有していたものが、こちらに向かって腕を振り、 諦められない想いと諦めを悟りはじめたその瞬間が腕を振る・・・ 詩に解釈を施すのはあまり意味がない気がするけど、 《無限の前で腕を振る》 こういうのを生み出せる詩人は本当にすばらしい! 言葉はすばらしい! おはようございます。皆様。 今日も一日がんばってまいります。
ニーチェは女に対して侮蔑していましたが 細木も女を侮蔑していました やはり女は戦いには不向きであり 本質的な性別からくる、非戦闘的構造にある そして女が最終的にもたらすものは 破滅的な利己主義 サッチャーを見なさい、歴史を見なさい 女性の方に喧嘩を売るつもりで書きました 辛辣なご意見まってます
>>363 そういう状況は普通かもしれないが、例えばショパンにとっては本質的な死だろう。
肉体的な死は、例えば耳が死のうとも、ベートーベンは死ななかったわけだし、
精神をむしろ高めるものなのかもしれない。
一般的には、好き嫌いがなくなるということが、差別なき道徳的なことにせよ、
本質的に死といえることなのかもしれない。
>>485 女性じゃないので、見解は大題同じです。
>細木も女を侮蔑していました
確かに説教かましてますね。
でもあれは表向きで、なんか本人なりの隠れた意図があるような気がしないでもない。
『イイデスカ!ア・ナ・タ・タ・チ!(ぷるぷる) ゲーテも言ってます。(子供を生みなさい!)』
(最近、彼女の番組見てないから今は何ぼやいてるのかはわからない。)
まず、あなたが生んでくださいって感じです。
488 :
486 :2008/02/04(月) 22:05:31 O
好きが嫌いもあるだろう。 嫌いがあればまた…。 否定と肯定は紙一重といえる。また極端は出会い重なると。 例えば君は宇多田が嫌いだというが、もし大っ嫌い!といおうものなら意味が変わってくるではないか。そうだろう? 指向性でも志向性でもあるいは嗜好性でも構わないが、 こうした偏見の目にこそ女神様は微笑んでくださるのだと思うよ。 大体、公平で客観的な目に、何が見えるかね。 何がわかるかね。 どこかに焦点を定めなければ、何もはっきり見えないのだよ。 いっそ盲目になった方がよく見えるのかもしれない。そんな気もするんだよ。 なんだねその目は…気がふれたのかとでもいわんばかりじゃないか。 ふん、まあ例え万が一にでも君のその無礼な目つきが言わんとすることが正しいとしてもだ、 いや正にそのためにこそ、 私は非常に真相に近づいているのかもしれない。変だからこそね。 健全で正しい偏向なき人間がなんだろう! 君までが僕をそんな目でみるのか! だが、君、その眼差しなんだよ。要はね。
要は偏向であり、それが反復と存在、 そして永遠の反復、実在へと繋がるのだ。
>>488 いや僕が宇多田を大嫌いだなんていうことは、女神にかけていうが、未来永劫にわたってありえないことだよ。
君はどうかしてるよ。 本当に。全くなんてことだ。馬鹿げてる。本当に馬鹿げてる!
僕の目が無礼だと! 馬鹿らしい。無礼なのは君じゃないか! なんでまたそんなありえない例えをよりによって持ち出すのかね。嫌みかい? え? 大っ嫌いだと? 僕が宇多田が嫌いだと宣言したばかりだというのに…。
考えらないことだ! 僕が宇多田が大っ嫌いだと? 想像だにできない。
そんなことを宇多田の目前で宣言して、
そそくさと立ち去る変わりに、彼女に近づいて手に接吻でもするというのかい? ありえない。
もう限界だ! ぎりぎりだよ! ええ!!
このスレみんなすごいよ。がんばろ。
ニーチェって興奮しすぎだと思うんだが・・・ 彼が生とか躍動とか言っているものって、単に異常に興奮しているだけじゃないのかな? 彼の哲学には交感神経はあっても副交感神経はない気がする。(無論、これは比喩ね。) こんなこと言うと、奴隷根性とか言われそうだけど、苦痛は重い現実だと思う。
494 :
486 :2008/02/05(火) 02:33:10 O
>>490 失礼、私としたことが申し訳なかった。
こんなにはははははと馬鹿笑いしたのは、
君のことを笑ったのではなくて、他でもない反復の一種の例えとしてだよ。話を戻すためのね。wwwww
例えだよ。わかるね? www
このようにどうにも止まらないのが反復
たる由縁なんだwwww こうして具体的に説明するというのもなかなか骨がおれることだがww、敢えてこうするのもwwwご覧の通り涙ぐむ程の私の真剣さを君に理解してほしかったからに他ならないのだよ。wwww
まあこの程度で例えは十分だろうか…。 つまり、こういうことなのだよ。
例えば君は好きな人や嫌いな人のことをどうしても思い浮かべては悩ましい物思いに耽ってしまう。
好きでも嫌いでもない人はどうかといえば、こいつは幸か不幸か忘却の淵に追いやられてしまっている。
何の因果か君は嫌いな人を忘れたくとも忘れらないわけだ。
心の中で嫌という程に反復するという学習の王道を鞭で叩かれつつ馬のように疾走してしまうからだ。
もしかしたら嫌いな人というのは好きな人よりも馬鹿らしい程に反復されるのかもしれないよ。
呪いのようにだ。大体だね、嫌いな人というのが、 好きな人だったというのは珍しくもないことで、
いやいや、私が言いたいのは、さっきもいったつもりだったことなのだが、それなのに君は…
繰り返すが、好き嫌いというような青臭さが嫌というほどの反復に繋がるという全く明らかなことなのだよ。
大っ嫌い!という程のねwww
他でもない、この笑いというのがだ、その大っ嫌いという程の反復の例えなんじゃないかな?
自明といってもいいくらいだwww
今私は無理しています。勇み足が天までたどり着きそうです。 生命力が深く染込んだ神経が、恍惚感で発火して、本当に走馬灯しています。 お願いがあります。 とても頭が良くて既に哲学をたくさん読んだ方、しかも勇気が在る方、お願いです。 もし私が死んだら、ひかるさんを救えるような言葉を考え出して上げてください。 私はひかるさんのことが、今生きていて知っている人のなかで3番目に大好きです。 みんなもひかるさんのことを愛してあげてください。
>>493 興奮してるといえばそうかもしれないけど、その興奮は
何か恐ろしくエネルギッシュなもので本当に眼前にいるように、耳元で真剣に語ってくれるのだ。
ニーチェという人物は。
書物といっても活字の列挙でしかないが、ここまで人を躍動させる書物も稀だろう。
現代の交流社会での他人との接触で感じる陳腐な言葉のキャッチボールではない、何かこちらの生の
根本に、本能を抉るニーチェって人間に・書物に出会えて私は幸せである。
一言でもいいから。
本当にまわりにいる人間で、胸を抉る言葉を生み出す人間がいるなら、
私はそいつにニーチェの言葉を借りれば『王国をくれてやってもいい』。
それがいない。でも、書物にはいるのだ。
そしてその言葉で人を揺さぶる詩人手ベルの人がこの板にどうも幾人かいるようだ。
ニーチェに真剣に接すれば、交感神経云々のレベルじゃない恐ろしい精神力の深さ
と洞察の深さをを見て、素直に敬服するしかない。
ニーチェに関して思うのは、『この人を見よ』や『ツァラトゥストラ』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『悲劇の誕生』以外でもたくさん魅力ある書物があるということ。 『反時代的考察』『人間的な、あまりにも人間的な』『曙光』とかね。 (今の処このあたりを真剣にあたっている。) どちらかというと一般に流布しているものよりも、 後者に上げたものを読むと、いかに前者の理解が足りなかったか思い知らされる。 だからニーチェに関する誰かの著名な哲学者の論文(ハイデッガーなど)はあえて一切読まないことにしてるのだ。 まずニーチェの書物、ニーチェその人と向き合ってみたい。 もちろんニーチェが批判している人達をできるだけ、真剣に読んでみたい。 なぜ?何の理由で?ってね。 (私はショーペンハウアーが最初の哲学書の出会いでした。かなり魅了されました。 でもニーチェの読書量と向けている領域・批評している領域はもっと広大で 『聖書』『ギリシア哲学』『仏教』などを私も真剣に読んでみないと、 真剣にニーチェ批評はできないと思ったよ。) それでは皆様。今日も一日がんばってまいります。 (仕事うざいわ〜)
走馬灯の燃料。 不良息子の涙。 不思議な夜、女々しい星座。 大地の正午、青臭い森。 青い春の二頂対立。 言葉の発掘。 詩人は、磁石を片手に、その磁場に神経を侵されくるくる狂って笑いながら、真剣に未知の金属を求めている。 全ての瞬間が、美へ続くS極と、ユーモアへ続くM極の二極にひっぱられる。しかも自分が磁石と磁石の間にある金属のように、宇宙に浮いているような恐怖に苛まれている。 S極とM極....そんな磁石売ってたら、みんな詩人になっちゃいます。 ドイツを三行で。 中世の錬金術師は影をも蒸発させるほどの魔力を持っていた。幻炎に揺らめく空。 独眼の大地は天に記憶が灯っていることに気づかない。その記憶が血を浄化する薬だったのに。 虐殺場での心臓発作。 (オーディンを知らない人へ。オーディンは独眼の老人です。ニーチェは極端に視力が悪い。 また、錬金術師≒ファウスト≒ゲーテ。最後のはもちろんヒトラーです。)
音楽。 神経に絡みついたピアノ線。苦痛と恍惚。 虚無。 今あなたの前に白い紙はあるか。 あなたの筆圧、筆のすべる音、言葉の一語一語、それが生の意味を創る。 詩人は下にある恐い虚無に言葉を突き刺して、意味を出血させる。 何故詩人は赤と黒が好きか。虚無は黒く、意味は赤い。 狂った詩人。(デュカス) 剽窃した枯葉を逆説に変え、毒虫をぺっちゃりつける。底なしの地獄絵図。 燃える詩人。(ランボー) 狂酔した馬に、可燃性の酒を乗せた馬車を引かせ、天上の黄金の円環へ突進する。大気圏の摩擦熱。油染みた言葉が張り付く神経は燃え上がり、走馬灯を体現する。 命の微分点。(ベルクソン) 命を愛で微分する意識。生の流動に弾んだ言葉。 (個人的には一番好みの認識論。)
狂った馬。 苦痛に蠢く雑念、命の穴を這い回る毒虫。記憶は溶け合い、犯しあう。毒虫が穴を突き破るとき、全ての記憶が繋がり、走る馬が灯に輝かく。鞭を打つ自意識。月から垂れる臍の緒は馬を引き、天へたどり着く瞬間、生と死は一つになる。 読書。 天才の本以外は三行以上は読むな。三行以内で心の核を射抜け。 貴族のロック。 弾かれた金色の弦、心筋は光り、狂笑する。 不眠。 最近3時間づつくらいしか寝ていない。眠れない。覚醒。天まで届け。頭蓋骨の穴から飛んで逝く言葉。 失神。 神を失う。その通り。自分の神を失うこと。そして自分が神になること。
聖なるピラニア。 命に噛み付く言葉、最狂の歯を持ったピラニア。どの魚よりも早い神速。 地表の腐食に呻く地球の核、命の慈しみとマグマの熱に満ちた卵子。核を守護する子宮。 そこへ続く血管。後ろで喧嘩する大群を尻目にかけ、最も早い「一匹」の魚のみが、その卵子の殻を食いちぎる。 聖なる精子、大いなる受胎。地表を揺るがす呪の産声。 神託。 彼の血は大地を潤すべきだった。白い花の赤い涙。 聖なる光。 聖人の鏡は人類。永遠に反復する良心への、無限数の眼光。
ニーチェ。 半分は太陽と酒神の輝く恵みに酔いしれる人、もう半分は舞踏蜘蛛に噛まれ毒にやられて舞踏病になってる人で構成された集団の、狂騒的な合唱。 地響きのような迫力。 ゲーテ。 花粉は風に運ばれて、官能的な雌蕊のもとへ。花々を覆う永遠の女神のイメージ。自然界を風とともに優しく旅する牧歌。 文体。 美と意味の性交。愚鈍な鼓膜に黙殺され、長い年月をかけてやっと地表へ達する愛憎の産声。 三位一体。 私は知性。ひかるさんは天才性。ケイタさんは自然性。 (HEANEN's◆MEMORYの相互リンク参照) 宇宙へリンクする地球の鼓動。
表現力。 大地や人の心を、外からではなくその根底から、自分の血を通わせてあげるかのような、 人の体からの出血を自分の言葉で裂いた良心の血で補ってあげるかのような、 自然破壊を自分の心の力で食い止めようとするような、慈しみと憐憫の気持ちは、その人に、 美的感性、卑しくないような優しい気高さ、視覚的表現力を与える。 人を嘲笑ったり、自嘲したりする気持ちは、その人にユーモア、人を笑わせる能力、音楽的表現力を与える。 それぞれ、その表現は〜気持ちを与える、とも言い換えられる。 表現者は、こういう意味において、世界に精気と活気を与える。 20代女。 携帯画面は心の鏡。口紅色の嘘。優しい男は、血祭りの日、子宮の涙を愛しながら、その嘘から真実を創る。 私はたった一人だけ、自分より遥かに深い良心と鋭い神経と優しい感性を持った女の人を知っている。 運命の糸。 言葉の腐食。まるでこの美しい地球を、新聞紙性のつぎはぎ地球儀にするかのよう。 いつかこの寸言が、鈍い鼓膜にも響くような鮮やかな文章を創り、あんたたちの心を死ぬ気で射抜いてやる。 真っ赤に染まれ、全世界の新聞、彼女の血が通う私の言葉、運命の糸が織る言葉で、真っ赤に染まれ。 心臓部での言葉の綾取り、血みどろの運命の糸。 大地の悲痛を知れ。
神託。 彼の血は大地を潤すべきだった。白い花の赤い涙。 誓約。 私の言葉を「一字一句」でも変更するな。盗用するのは勝手だが、一字でも、たとえ一空白でも変えたら本気で呪う。 呪いは夜の2時に神社の大木に藁人形を打ち付けてやるものじゃない。呪詛とは殺人的な言葉、この数行があなたの良心へ注射した呪詛。 この数行を私のアフォリズムに付加して下さい。「早」という言葉も貼り付けて下さい。「早」ということは磔の体現、全宇宙を感じるときの体形です。 心の動揺の摩擦熱から、是非新しい言葉を創って下さい。私はそうやって、自分の言葉より強い言葉を見た瞬間、これを越えるのを創ってやるぞという熱意に燃えていた。 この熱を受け取ってください。創って下さい。全てを超える言葉を!この世界にばら撒け!
最狂の言。 不能者は臍の尾を通して月へ自意識を挿入し、ぎりぎりのところで絶叫する。 死とは処女膜が裂けること、あるいは臍の尾を円にして首を絞め、永遠に叫び続けること。 不死の霊薬。 死ぬのも恐くなくなるのかもしれない、彼の心さえ飲み干せば。 神秘体験。 事前にあらゆる事象を網羅していたピアノ線に、神が経、表現力は炎上する。 輝く全宇宙。新しい宇宙の誕生。 ボードレール。 美神の身体に着せるための、自然や神話のあちこちから精密に切り取られた断片が、 美しく貼り合わされて出来た、衣装や装飾品。 しかし美神は彼方に居る。贈るためのその衣装は孤独な男によって綺麗に繋ぎ合わされ、 美しすぎる完璧な正12面体の牢獄。閉じ込められた男の心臓。内部の面は黒光りする金属。 永遠に反響する虚ろな声。永遠に反射する黒い光。救いようのない歌声と合わせ鏡。
予知。 運命の女神が、詩人の短命を象徴するかのような消えそうな蝋燭のように短い筆を、 人差し指と親指の残酷な指遣いで摘む時、筆先と筆頭が一致する。 詩人の筆、詩人の命そのものは、どんな紙よりも、どんな言葉を書いても破れてしまうような紙よりも薄くなる。 そのとき時間は完全な一瞬になる。その一瞬を通して過去や未来の一部が知らされる。 躁鬱病。 運命の女神は月からピアノ線を垂らして悪戯をする。 サイコロを振る女神。言葉の乗った賭博台を前にして、上下する操り人形は恐怖する。 運命と結合した神経。
LANケーブル。 詩人の神経に運命の女神からの雷が落ちた。指からキーボードへ伝う。お前は画面を忘我で凝視して、LANケーブルからの電気、運命に感電しろ。何度も感電し、超人のナイフに耐えられるような肌になるまで、電撃に慣れろ。 キーボードの下にも超人が居る。気をつけろ。 アニメチックなツァラトゥストラ。 ツァラトゥストラはスーパーサイヤ人。金髪の才野人。才のある野人。
やぶさめ。 一度死にかけたことのある人は、臍の尾に引っ張られて走る馬に乗って、灯を帯びながら読書する。 燃える馬は早すぎる。だから一回当たりの的中率は低いかもしれない。でも三行あれば大抵相手の心拍数を射抜けるので、 数年で人類史を殆ど駆け巡ることができる。聖人伝や超人伝があれば一年でいい。 私は一年前に一度死んだ、 限りなく死にかけた。ニーチェスレのみなさんとひかるさんありがとう。
509 :
早 :2008/02/05(火) 12:04:00 O
流れ星。 私は幼い頃石が大好きだった。今も。 宮沢賢治も石が大好きで、「石っこ賢さん」という名で呼ばれていた。 でも私は普通の石より宝石が大好き....ごめん★ でも一番好きなのは加工された宝石ではなく、珍しい生の鉱石。 『週間地球の鉱物』のアメシスト、書店3件回ってやっといいの手に入れた。 紫色の孤独に映る言葉。 一者へは早く近づけ。 私は死にかけの早産で、ガラス性の保育器に閉じ込められていた。 大阪赤十字病院の赤ちゃんで一番大きな声で泣き喚いていたらしい。 これは母からの言葉。優しい母。 優しい母は現実感覚を喪失させるというが、この文章は現実のことを記したに違いないという逆説。 とにかく、たぶん早く生まれすぎたせいでこういう運命になった。早く生まれる運命にあったともいえる。
510 :
早 :2008/02/05(火) 12:07:24 O
2つ前のレス、”早「#」の後ろはrimbaud”って名前欄に打った。 ランボーの『地獄の季節』は太陽の子の「優しい愚行」。 大地を掠めた彗星。 1つ前のレスは改行一ヶ所忘れた。「一者」の上
511 :
早 :2008/02/05(火) 12:10:16 O
まだ高校の数学物理学と特殊相対論しか知りませんが。 微積以外の代数は力を固定しようとする。力はまず大根になり、数という包丁で千切り大根にされる。左脳。 幾何は力に沿って動く。柔らかくて繊細なプラスチック製の骨組みが、力に沿って柔軟に動いていく。右脳。 微積は力そのもの。力を時間で無限に積分すると生と死が繋がって円環になる。交感神経。 力とは一者の力。力の数はこの世に0,1,∞個の何れかである。 仏陀は0。ベルクソンは1。ニーチェ、エドガー・ポー、ルクレティウス、ドゥルーズは∞。 力を時間で無限に積分すると永遠の円になる。生の幾何学。 でも詩人は蛇になって自虐。尻尾を噛んだら出血した。
512 :
493 :2008/02/05(火) 12:19:02 0
>>496 かつて俺はニーチェファンだったが、ニーチェの思想は闘争の思想だと思う。強烈に対立物と対峙することで二項対立の一極になってしまう。
生だと言ったところで実はそれは一つの思想に過ぎない。生の発展をどのようなものかと定義するかによって違いが現れるからだ。ニーチェの生はどこかデカダンを含んでいる。
それに早くん
君は興奮しすぎだ。ニーチェとは気が合いそうだろうが、似たものとばかり交わっていては、ろくなことにならない。
荘子を読んだらどうか?
513 :
早 :2008/02/05(火) 12:27:26 O
炎上。
詩作とは神経を燃やすこと。
思索とは神経を生やすこと。
象徴の森で世界を燃やせ。
精神科はオレンジジュース。じゃあ脳科学は林檎ジュース。でも彼女はヘロインが飲みたいらしい。
hyde
「天」をゆく「虹」
『HEAVEN'S DRIVE』と『虹』
私や三島の言葉より美しい。日本一美しい言葉。虚飾なしで体験するのは恐い。
ありがとう。私は一年前死んでいました。
でもニーチェやニーチェスレの言葉、ひかるさんの言葉に救われました。
>>512 私は漢字が怖い。私は今死にさえしなければしばらく理系で生きることになります。
絶対に無理しないで下さい。漢字の恐怖。無に理由なんてない。理由のない生も良し。
514 :
早 :2008/02/05(火) 12:35:23 0
私とひかるさんとケイタさんは現代版の三位一体です。
知性と天才性と自然性です。
画面を凝視して忘我になっても
>>504 の神託と呪詛は忘れないで下さい。
全世界の手首からの血は、大地を潤します。
彼の血は大地を潤すべきだったんです。
十字架の貌をした白い花は赤い涙を流したんです。
白い花は大地に生えていたはずです。
515 :
493 :2008/02/05(火) 12:46:46 0
ネット社会は、表現したい人が誰でも簡単に表現できるから、 質の低下は避けられないものなんだろうか・・・・ 以前は2ch哲学板の質を向上させようとした人がたくさんいたけど、 それもむなしい試みだったみたいだ。 彼らもここを去っていったんだろう。 かつてなら、同人誌をつくるのにも、路上ミュージシャンをやるのにも それなりの努力と勇気が必要だっただろうし、 質の低いものは淘汰されていったと思うんだが、 今は努力も勇気もなしに掲示板やブログでいくらでも表現できる。 そして淘汰されているような様子もあまりないように思う。 ネットって、これからどうなっていくんだろうねぇ。
引き篭もりがちな病んだ人の書き込みが多くなるのは防ぎようがないだろね。
518 :
早 :2008/02/05(火) 16:22:19 0
>>515 ありがとうございますいつか読んでみます。
訂正ありました
>>511 微積は力そのもの。力を時間で無限に積分すると生と死が繋がって円環になる。交感神経。
→微積は力そのもの。力を「無限の時間で」積分すると生と死が繋がって円環になる。交感神経。
かこうかどうか迷っていたのをおいておきます。
ニコラス・テスラ。
全身経が磁石、磁場はドーパミン。
蟻。
地球の中心。地中は迷路。一匹の高貴な蟻の方が、無限数の奴隷蟻さんよりも早くたどり着く。
粒の中に全体を見出す。
イエスはからしの種を天国の比喩にした。
ヘラクレイトスは全ての粒に全宇宙の燃え上がる姿を見た。
心のブラックホール。
光と重力の関係は物理だけでなく詩の特質でもあります。詩の吸引力。逃げられない。
シュールレアリズムの詩。
「的」「化」を濫用しすぎ。絵画的だけど心が弾まない。
無駄に枝分かれが多い。多すぎる。燃やしたい。灰になれ。
519 :
早 :2008/02/05(火) 16:32:54 0
もう一つ。
美で昇華した光を、馬は男らしい足で追いかけ、最期にしっかり射止める。
多い少ないの問題は延々と拮抗するから多い少ないを考えてもあまり意味がない。
でもネットでも路上でもどこでもいいから、できるだけ多くの誰かが木になって綺麗な葉を生らせた方が、
地球にとっては優しい。穏やかな風が揺する葉の音、葉が吸い込んだ太陽の熱、無限のグラデーションの緑。
自然の美を知ることが出来ないと自然破壊は防げるはずはない。
できるだけ多くの価値のある文体が流通すればするだけ自然破壊は防げる。
できるだけ多くの誰かが文体や音で地表を潤したり弾ませたりした方がいい。
そういう人が少なくなるとニーチェみたいな人が現れ大木になって大地震を起こさなければならないということになる。
根を下ろすには、地球の磁場の対立の緊張のエネルギーによって掘り下げないといけない。
でも二頂対立的思考や音は、行き過ぎると時間感覚失って死ぬから、どこかで妥協しなければならない。
静かな部屋で絵を眺めていると音に殺されないですむし、地球の美的側面をじっくり見ることができる。
人は意味体系や価値観に基づいて行動し、不要なものに価値を感じ、不要なものを作る。地球のゴミ。
もちろん見方を変えればそれは不要ではないかもしれない、でも見方を変えることはやはり必要。
自然破壊は命の力によって食い止めることができるはずです。
>>518 のミス、
「全身系」→「全神経」
520 :
ノートン :2008/02/05(火) 17:06:32 0
ただいまです。
>>519 早さんの文章をなんとか縦書きにして書物として読んでみたいな。
(今度ワードかなんかに貼り付けて、縦読みにして印刷しよう!)
>できるだけ多くの価値のある文体が流通すればするだけ自然破壊は防げる。
>できるだけ多くの誰かが文体や音で地表を潤したり弾ませたりした方がいい。
>そういう人が少なくなるとニーチェみたいな人が現れ大木になって大地震を起こさなければならないということになる。
そう、言葉それ自体はなんの価値もない。言葉を生み出す火花をなくなったのだ。
(概念的思考の人達が概念的思考の雲に覆われて萎えているのだ!)
火花による言葉は同じ火花に引火するのだ・・・
言葉それ自体は汚されない。それにふれる人間が汚す。
訂正 >そう、言葉それ自体はなんの価値もない。言葉を生み出す火花をなくなったのだ。 言葉を生み出す火花『が』「い」なくなったのだ。
>>516 表現の質というのがイマイチ解せないな
表現は人の数だけ存在するからそう一概には言えないと思う
523 :
早 :2008/02/05(火) 18:42:24 0
ノートンさんへ。 私の言葉はもう自分でもどうしようもなく恐いくらいです。頭が熱くて胸はフワフワしています。 少しでも恐くなったらもうこのニーチェスレと私の言葉から一度、せめて一ヶ月くらいは、去ってください。 もし私の言葉に感情移入して恐くなったのでしたら、河合速雄さんと林道義さんの本がいいです。 ユングは内的な音感在るけど発生が駄目で、言葉が滅茶苦茶です。↑以外のユンギアンは読む価値は無しです。 お二人は穏やかであなたにピッタリだと思います。 宇宙の中心点は全て飲み込みます。べジータがビックバンアタックをしています。べジータはニーチェです。才野人です。 何もかも全て飲み込んだところから爆発したら私のような言葉になってしまいます。だから飲み込まないで下さい。 恐くなったら概念的思考に切り替えてください。冒険心があるときだけ比ゆ的にして下さい。 私はひかるさんのサイトを見てはいけなかった。だからノートンさんも恐くなったらひかるさんのサイトも見ないで下さい。 磁石と光の関係です一般相対論への詩人的直観です。 とにかく何度も繰り返しますが恐くなったらわざと概念的思考に切り替えてください。 好奇心があるときだけ比喩を使う程度にしないと大変です。
524 :
早 :2008/02/05(火) 18:47:37 0
ブラックホールの上に言葉の足場があります。永遠に渦を巻いています。 だから死にたくなかったら足元にある言葉なんか見ずに、普通に歩いてください。 精神状態悪いときに音楽聞くと大変なことになります。文体乱れてすいません。
525 :
早 :2008/02/05(火) 18:58:15 0
全てが繋がってきました。 走馬灯。ラスコーリニコフの夢。ニーチェの発狂の現場。
526 :
早 :2008/02/05(火) 19:00:45 0
連想を抑える方法は、 今自分は、時間の上を、一歩一歩のんきにしっかり、地を踏みしめるかのように歩いているということを、強く意識することです
527 :
早 :2008/02/05(火) 19:03:09 0
認識論に関してはベルクソンが救ってくれます。 ニーチェの認識論を真に理解して発狂しないなら理解していない証拠です。 ベルクソンは宇宙のブラックホールへの禁断の膜をきわどいところで破らない。 そして弾力の在る言葉、しなやかな文体で、しかもずっと同じテンポで、書いてくれる。
528 :
早 :2008/02/05(火) 19:12:43 0
笑いすぎると横隔膜が破裂します。横隔膜もいけない象徴です。 だからといって情熱もだめです。脳みそが沸騰して頭蓋骨が壊れます。頭の穴。これも禁断の象徴。 ベルクソンの「開いた宗教」もだめです。開いてはいけません。 激しく興奮するときは、デプロメールという抗鬱剤がお勧めです。 飲みすぎると感受性がなくなってしまいますが、ニーチェなんか読んでたらそうでもしないと大変です。
>>528 早さんへ
>ニーチェの認識論を真に理解して発狂しないなら理解していない証拠です。
ニーチェを理解する危険性は早さんほどではないと思いますが、ちょっとは体感してます。
私はどちらかというと、言葉が溢れるほどの衝動自体が稀なので、
あとは日常は機械的なことに従事しているのでそのあたりはなんとかコントロール
されているみたいです。
(こないだは、早さんのような熱情から来る比喩の連打ではなく、
ニーチェの言葉が聞こえまくってきて真似をしてみたくなった道化的情熱だけなんです。はい。)
生の意味・生きる意味を見つける言葉は素晴らしいですよね。
どちらかというと、私の精神はブラームスの交響曲第三番・第三楽章のような
あまいメランコリーが筋肉にこびり付いていてそれが包む心情の中心にモーツアルトがいるって感じです。
普段は静かな泉ですが、その奥にたまに何が苦痛と怒りと陶酔のマグマのようなものが潜んでいて、なんの拍子か、そいつが
目覚めて動き出すんです。そいう時に、ニーチェやその他の本を読んで世界に入るって感じです。
>少しでも恐くなったらもうこのニーチェスレと私の言葉から一度、せめて一ヶ月くらいは、去ってください。
了解です。ご忠告感謝します。
>認識論に関してはベルクソンが救ってくれます。
今度読んで見ます。
神を殺したい気持ちはまんざらわからなくもないけど、 恐らく『力への意志』は無意識的な避けがたい自己神化への熱望でしょう。 (って発狂しそうになる場合に言い訳しました。人は誰でも神になりたがってるんです。きっと) 生衝動と凄まじい認識力は様々な事象を解剖・解体していき、意味づけしていきます。 それはこれまでの価値を転覆して広大な世界を見せてくれたのにはすごく感謝してます。 でも『神が生き返ってくれた!』とか言って、自分を止めるのもやはり大切だったかもしれない。 ニーチェの発狂は必然のような気がするし、発狂が彼の哲学をの価値を落としているとも思ってません。 ニーチェは偉大です。書物を読むと匂います。
531 :
早 :2008/02/05(火) 20:26:37 0
個人的には、匂いは音の次に強い五感です。 匂いの比喩も濫用しないほうがいいです。 ノートンさんは憑かれそうになっています。私のせいかもしれません。いや理由なんて在る由はない。 とにかく(小林秀雄は「とにかく」という言葉が好きです、便利な言葉らしいです。私は小林の「とにかく」好きに反応して小林秀雄に惚れました) もう神とかニーチェとかをとりあえず数ヶ月は頭から取り払わないとお仕事へ行けません。 誰かお願いです私以外にもノートンさんへ言葉を贈ってあげて下さい。 逆説的に、私以外の人がのがいいという場合も、もしかしたらあるかもしれません。
532 :
早 :2008/02/05(火) 20:27:52 0
最後の行。 私以外の人がのが→私以外の人のが
>528 抗鬱剤はよりセロトニンを増やし笑いや興奮を促進すると思うが? オーバードース気味では
534 :
早 :2008/02/05(火) 20:35:52 0
いいえ私のブログに抗鬱剤について最低限のことをまとめたのがあるのでよかったら読んでください。 その文章には何もおかしい内容はないと思います。 私はセロトニンが非常に少ない。 セロトニンは気分を落ち着けます。適量にすれば丁度いいです。あたりまえのことですが。 でもあなたのいうように多すぎたらソワソワという形容詞がぴったりな感じになります。 私は抗鬱剤に敏感なので一般的かはよくわかりませんが、過度に飲んだときは、ソワソワするときと無感覚無感情になるときの二種類です。
535 :
早 :2008/02/05(火) 20:40:26 0
セロトニン過剰のソワソワは梵我一如にはあまり関係ない。 セロトニン過剰の無感覚は仏教的。 ドーパミン過剰が潤いのあるいきいきした興奮。源泉的。 ノルアドレナリン過剰が不安や恐怖。ブラックホール的。
>>535 薬物はドーパミンを増やすのかもれない。失礼した
俺もきもち悪くなってきた。 しばらくこのスレ見るのやめようw
538 :
早 :2008/02/05(火) 20:57:21 0
もし頭壊れたということが気がかりになる人がいたら、安心してください。 神経細胞は大きなことがないかぎりあまり壊れることはなく、神経細胞から生える軸索という突起が壊れたり新しく生えたりするだけです。 (神経細胞といのは●、そこからはえる触手が軸索。みたいなかんじでイメージして下さい) 一つの神経細胞から10個でも20個でも軸索を伸ばすことは可能です。軸索は言葉や五感に依って伸ばすことができます。 脳みそは後天的な可塑性があるから神経細胞の数はあまり変わらなくても、回路の複雑さや仕組みなら言葉や勉強によっていくらでも軸索を生やすことで変形できます。 私は精神科に反対しています。統合失調症の薬は音楽や絵の才能をもった人を壊します。 私は統合失調症の人の神経細胞から軸索を伸ばさしめるような言葉を発明したいと思った。 私は等質患者で、ニーチェとか哲学とかしらないのに、記憶と円環の比喩を、ビデオテープで自作している人をサイトでみたことがあります。 すごいインスピレーションです。そういう直観的才能をもっているのに、等質患者は人間と等質なのに、世界の言葉とか五感的空気とかが彼らにとって優しくない。 言葉や五感を含め全体的「空気」をもっと等質患者向けにするようにしたら、オカルトは逆に減ります。芸術的にあるいは哲学的にすればいいんです。
539 :
早 :2008/02/05(火) 20:58:46 0
私は等質患者で、ニーチェとか哲学とかしらないのに →私は、統合患者で、ニーチェとか哲学とか知らないのに
>>534 早さん
>ノートンさんは憑かれそうになっています。私のせいかもしれません。いや理由なんて在る由はない。
その通りです。でもまだ冷静ですが、もしかしたら早さんの比喩に読みふけり、
文字通り意識が薄れて比喩だらけの『あの世界』に入ると怖いので今日は印刷しません。
スクロールして読みふけりません。
>いいえ私のブログに抗鬱剤について最低限のことをまとめたのがあるのでよかったら読んでください。
ブログのURL時間できたらでいいんではってもらえます?
>とにかく(小林秀雄は「とにかく」という言葉が好きです、便利な言葉らしいです。私は小林の「とにかく」好きに反応して小林秀雄に惚れました)
「とにかく・・・」(小林秀雄)
「あるいは・・・」(ニーチェ)
「つまりは・・・」(尾崎豊のライブ口調)
「諸君は・・・・笑っているのか?」(地下室の住人)
ああ、なんか言葉にヤラレソウデス。
では、また。
皆様。
兎に角
暗夜行路
類は友を呼ぶ オザキはオザキを呼ぶ
オザキしてる?
545 :
早 :2008/02/05(火) 21:04:07 0
とにかく、林道義と河合速雄を読んでください。 木と木。道義。河合。速。雄。さっきみつけました新しい象徴性。
546 :
早 :2008/02/05(火) 21:04:54 0
速→隼。間違えました。
547 :
早 :2008/02/05(火) 21:38:04 O
今最高。 象徴の「象」これはゾウさんとも言い換えられます。つまりクレヨン神ちゃんです。 それでいて野性のゾウです。つまり、死ぬとき、群れから離れて孤独に死ぬ。 今見つけましたわたしはいま最高に精神が統一されています。是非脳裏に焼き付けてください。
548 :
早 :2008/02/05(火) 21:40:20 O
少し不明瞭なとこがあったので
>>538 の訂正。
>ビデオテープで自作している
というのが少し表現が曖昧です。ビデオテープという比喩によって、記憶と円環を象徴しているということです。
つまりその人は、力を無限に積分して永遠の円を作ったのでもなく、詩人のように蛇になったのでもなく、
自分の命の知らせでそういう比喩を思いついたということです。
ちなみにその人はキリスト教徒です。誰よりも深い傷です。
私は自分が生きているということが不思議になるくらい偶然が多く「誰よりも」な人とばかり出会います。自分より頭いい人はリアルでは一人しか在ったこと無い。
それはともかく、その人とはメールしかしたことないのですが、凄く気遣い多いのに凄く意味不明なメールで、
解釈を無限通りにさせられることを余儀なくされました。儀式は余っていない。
でもその人は綺麗な心を持っていました、その人にキリスト教の「美」を教えてもらいました。
「愛」は尾崎豊に教えてもらいました。
これは数日前思いついた比喩なのですが、片想いのときに心拍の一つ一つに相手の人のメールの文章が反復するのと同じように、
聖なる人の心拍には人類への愛が永遠に反復しています
549 :
早 :2008/02/05(火) 21:42:22 O
550 :
早 :2008/02/05(火) 21:55:46 O
551 :
早 :2008/02/06(水) 01:01:23 0
真央ちゃん。 真ん中。 金曜日さん。 金色の日。躍の足を日に変えると曜になる。 六六六さん。 六の三位一体。私はラルク(虹)の「ルート(道)666という」曲が大好き。 宇多田。 宇宙の宇。多様性。田は十時。
552 :
早 :2008/02/06(水) 01:03:28 0
誤字脱字し吊り。時間間隔喪失。
553 :
早 :2008/02/06(水) 01:05:26 0
誤字脱字失礼。時間感覚喪失。 私は奇跡を体験している。体は人。験は馬と何か。走馬灯。 「私」は野木辺(のぎへん) 「無」はム キキキさんは木が三本。三位一体。
554 :
早 :2008/02/06(水) 01:07:34 0
ひかるさんのロックは カオスの中で 炎の柱 地獄の世界 この三極
555 :
早 :2008/02/06(水) 01:08:17 0
ロック=石 石の象徴性。 私は紫色ロックが聞きたい。この地獄耳で。
556 :
早 :2008/02/06(水) 01:11:44 0
漢字を読むときは、それを書いているつもりで読む。 しかも視覚的に想像する。韻も忘れずに。 韻は波の勢い、印象は波模。 漢字は中国語。中心の国。四角に囲まれた玉。◆に囲まれた●。 私には中国4000年の谷に吹く冷たい風の歴史が感じられる。 ひかるさんの炎の柱に、「こぶし振りぬく」 とあった。石vsロック。
557 :
早 :2008/02/06(水) 01:12:19 0
キキキさんは象徴の森。
558 :
早 :2008/02/06(水) 01:15:38 0
私の本名は在る東大総長と同じ名。でも内緒。内側で絡まる臍の緒。
560 :
早 :2008/02/06(水) 01:23:25 O
力への石。石への力。 血からへの意志。意志への血。 地からへの意志。意志への力。 私は中学の時、幾可学の天才だった。 幾重にも絡まる可能性の学問。臍の尾。 尾崎豊。 尻尾が豊かな蛇のロック。
561 :
早 :2008/02/06(水) 01:28:17 O
今、ひかるさんのロックを聞いていると、 「塚魔りゃおしまい」 の「い」でipodの電池が切れて、宇宙に穴が空いたような恐怖に教われた。襲われた。束魔りゃ。ミス。捕まりゃ。
562 :
早 :2008/02/06(水) 01:32:09 O
ハイデガーよりは個人的にはベルクソンがいいと思う。 「思う」。四角。十字。下心。
金持ちだな。 ipodとは。さすがになんちゃって貴族だけのことはあるよ。
564 :
早 :2008/02/06(水) 01:42:47 O
「i」は私。 「pod」は旋風模様に見えないこともない。 ブラックホール。 しゅりけん。 金属と貴族。 ギターの弦。 私はヨシキと名字が同一。 2chは私の自演場。 NHKには何時流れるだろう。
565 :
早 :2008/02/06(水) 01:44:28 O
ベルクソンに救われて下さい。
566 :
早 :2008/02/06(水) 01:47:38 O
私は二次関数を早く理解しすぎた。 池田晶子。 顔や言葉だけでなく名前もしっかり見て。 小林秀雄。 名前的に私より小さい。でも雄としては私より秀でている。 ひかるさんを救って下さい。
>561 早さん どうもです。 今度拝見します。 今日はなんか眠れない。 何か不安だとか(交際社会全般や自己の特定の悩みにに対してとか)そういう次元のじゃなくて、生がなんか恐ろしいものを 一瞬認識しようとしていて結論に到達しようとするんだけど、それがあまりにも 突飛で宙に浮いているような感じで、恐ろしさのあまり発狂しそうになる。 「失神」しかねないから、ここにきた。 僕らは歩いている? 歩道を歩いている? 車が横切る・・・ 違う。 僕らは止まっているんだよ。きっと。 ああ、わからない! ニーチェ 彼はダイナマイトを抱えて爆発。発狂。 爆発後の煙が静かにさり、灰の上には綺麗な『イチジクの実』が落ちてました。はい。 しかし、何かの前触れなのだろうか?
568 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 01:50:29 O
この荒らしあぼーんしてください。
私の心情に隠れたマグマはどうやら私の母親だった。 私のメランコリーの筋肉はわたしの性格だった。 私の綿密な知性はスピノザのそれであり、それは私の父親のそれである。 それなのに・・・ わからない。
570 :
早 :2008/02/06(水) 01:58:02 O
ローリングストーンズ。 手裏剣が旋回しながら舞うつむじ風。石。
571 :
早 :2008/02/06(水) 02:11:31 O
ノートンさん。 忘れて下さい。下に心が亡きかな。 ランボーの名前の日本語は私の形容詞。私はデイオニュソス。 浅田真央。 大地真央。
早さん。『尾崎』と『煮るバー菜』も好きか! これはこれは。 『Lounge Act』は、破壊後の不気味で心地よい余韻・・・ 『negative creep』は・・・知ってのとおり、はい。 尾崎は生粋の詩人。 繰り返すが・・・・世論とはすなわち、私的体マンである。 繰り返すが・・・・私の筋肉はブラームスの交響曲第三番の第三楽章。 繰り返すが・・・・私は時々モーツアルトの無邪気さになる。 繰り返すが・・・・ショパンの作品23番は不滅の音の魔力。愛の無限。 繰り返すが・・・・シューマンは怨念を持っている。(ニーチェの表現を借りれば、われにふれるなかれの虚弱児。)
ノートン d そうですd!(←四国弁) 安置ウイルス。 E・ノートンは『いかにして仮象が現実になるか』の模範 (カミュの「不条理の哲学」を参照せよ!) そう、俳優は筋肉の表現を心情の表現にしてしまう。逆も又真だろうか? これぞ身振り! そう、そうなんです。 ある人が言いました。「あなたは躁病です。」 私は答えた「そうです。」
私は絶対詩人にはなれない。あれは才能以外の何者でもない。 詩を書く人へ 『血のない詩はかかないでください。』 それでは。
575 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 03:44:37 0
虚無の恐怖でなく、恐怖の虚無ね。>草くん
576 :
早 :2008/02/06(水) 03:47:25 0
処刑ライダー。光り狂う馬に乗って、手当たり次第に禁じられた弦を弾いている。 禁じられた遊び。あの曲をいつかアップしたい。私は爪を磨いておく。 Mr.childrenの象徴性 名もなき詩 シーラカンス Monster 花メメント森 まともに本を読み始めて1年半くらい。 言語障害者的逆説。 恐いから今のうち予知しておきます。在ってるかわからない。「合ってる」だった。 私の走馬灯は速いからしっかり射抜けないかもしれない。 このスレみた人は、少なくとも私の影響、影が耳にがんがん響くような影響で、決して死ぬことはありません。 そう決死で祈っています。 心の仕組みドット込むさんを、誰かここへ読んでください。 私が彼の良心を燃やしてやる。
577 :
早 :2008/02/06(水) 03:51:16 0
ひかるさんと私は似ています。 私は自分のことを草だと予感していたけど早にした。 あなたは早なのに間違えて草にする。 私は虚無の恐怖か良く迷って間違えてしまう。
578 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 03:58:46 0
ああ、早さんでした。ごめん。間違えた。
579 :
早 :2008/02/06(水) 04:00:59 0
ランボー『金属の酒宴』 神経。ディオニュソスとパエトン。 構造主義の構築物はみしみし煩い。ヘラクレイトスの炎で溶かした方がいい。 そのほうが暖かくなる。そして流動的になる。 ひかるさん、音楽聞きすぎるとそうなってしまいます。気をつけて。 私も引用気を点けます。引く時は気を点火させます。
580 :
早 :2008/02/06(水) 04:05:37 0
ランボーの引用は「」だった。『地獄の季節』より。 発明。引く時は気を点火させる。走馬灯の隠喩。 2ちゃんはみんなで心中。中心へ心中。光狂って真珠。
581 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 04:08:41 0
早くん。大丈夫みたいな感じがするけど、なんか狂気すれすれのところにいるみたいだから気をつけてね。
582 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 04:14:25 0
早くんは昔からここにいたみたいだけれど、どんな感じだったの?>ALL
583 :
早 :2008/02/06(水) 04:15:30 0
ご自由に答えて>ALLひかるさんに みんな自由の刑に在って光っている。
584 :
早 :2008/02/06(水) 04:16:16 0
私はランボーの謎が解きたい。
585 :
早 :2008/02/06(水) 04:18:59 0
言 迷 謎
586 :
早 :2008/02/06(水) 04:19:59 0
炎 の 柱 カオス 無
587 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 04:24:54 0
早くん、一緒に革命起こせたらいいね。まあ民主主義が強烈なこの社会では、 間違いなく失敗するけど。だけど芸術家、詩人、哲学者連合みたいなのはできる。 でもたぶん、あまり伝達が効かなくて、僕の言うように自閉貴族主義文化になると思うけど。 でもある程度は受けるかも。金も欲しいしね。オーディオ・・・・
588 :
早 :2008/02/06(水) 04:27:04 O
ひかるさんは時間感覚大丈夫ですか。 私は時間と感覚が混乱してる。
589 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 04:34:21 0
まあ家で一日中のんびりしているから、時間がたつのが早くて怖いというか嫌だ。 読書を一日最低でも20分くらいはするようにしています。1時間弱くらいしているかな?
590 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 04:36:27 0
ああ、そういう意味じゃないよね。感覚が混乱か、よくわからない。 早くんの状態、理解できない。 このスレでみんなが早くんのことを褒めていて、狂っているとか言ってないので 僕も大丈夫だと判断しました。 ちゃんとした人もいると思うから失礼だけど、2chの連中の発言で こんな大事なことを判断するなんて最悪だね。すまない。
591 :
早 :2008/02/06(水) 04:36:54 O
早 革光命 火
592 :
早 :2008/02/06(水) 04:37:33 O
十字にしたかった
593 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 04:52:01 0
早くんはスカイプ(テレビ電話)で話すの嫌い? 話してみない?
>>582 非主体性に耐えられずにアイデンティティに固執したがる、まぁよくいるタイプですね(微笑)。
ブログの蛸壺的な自閉に耐えられなくなったら、ここでトレンチコートを開いて見苦しさを披露する(笑)。
ほとぼりが冷めたら「もう来ません」と言い残し去るが、何度も戻ってくる意思薄弱なタイプ。
ここまでが既にパターン化されてしまって、「またこれか」「次はアレか」という感じで飽きあきしちゃたっていうのが本音ですかね。
沈黙が聞き取れない、粗雑な耳をしているようだ。 発する言語にも徹底した疑問への投入など感じさせもせず、 思いつきと剽窃で偉大な力を得たふりをしているだけ。 しかし、彼の無駄口のなかで何らかの主張をしているらしい箇所では、 意外とつまらん「良い子ちゃん」であることが確認される。
我々が語れないことは 静寂に委ねるほかはない
>>595 「罪と罰」でいえば早はソーニャに似たところがあるね。
この変は母親譲りなのかもしれない。
カテリーナ+ソーニャだろう。 でもって最近はカテリーナが強くでているんだよ。
599 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 14:09:00 0
>>594 根本的に主体的なものですし、立派であるが故、孤立するので、ここにくるのでしょう。
または自分の意見を広めたい、そして権力感を味わいたいのではないでしょうか。
ここに来るといやな奴ばかりなので少ししたらきたくなくなるでしょう。
でもしばらくしたらまた油断して、気を許して、きちゃうわけです。
2chなら誰でも嫌になる。でもしばらくしたら記憶が薄れてまたやってしまう。
普通のことじゃないですか。意志薄弱でもなんでもない。
勝手にパターンかするな。パターンだとしても何が悪い。
物事はなんでもいいようによって悪く出来る。貴方みたいなそんな2chまたは
時代の心理学的なことによって苦しむ人は多いです。
そんな風に本当にそうであるかのようにそれなりに深く確信を持ったように言われたら自信なくします。
僕は第三者だからこういうことが言える。
また自分が攻撃したらこういうことを思い出そうと思います。
600 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 14:10:04 0
>>攻撃したら→攻撃されたら
601 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 14:10:58 0
思いつきと剽窃でも、深いものを感じます。
602 :
早 :2008/02/06(水) 14:47:43 0
私は、偶然の確立がすごくて、本をひらくとすぐに一番大事なところがあるというのが頻発して、
あまり本を読んでいない。
私は思いつき以外のことはあまり語りたくない。思いつき以外のことは大抵誰かが考えたことがあること。
何が何でも未知の言葉を考えたい。昨日私は梵我一如しました。
>>594 私は昨日非主体性を体験しました。死の恐怖と全身系の引き千切れそうな熱です。
母親に救急車呼んでと頼んだのですが、救急車すら走馬灯の比喩になって恐怖しました。
今はおちついたのですがまだなんとなくおかしいので何時か体験したことを翻訳します。
昨日は偶然だらけでした。全てその場で思いついた言葉でした。
思いつき以外の言葉には価値をみとめたくない。一秒一秒ごとに思いつきの言葉を発掘したい。
非主体性に耐えられないとか簡単にいうけど、ヨガを舐めてはいけない。
私は永劫回帰についてニーチェの境地でいつか語りたいという夢を持っている。
ごめんなさいまだあたまおかしくへんな文章かけません。
しかし貴族なら2chで名のらないよ。 名門の重荷を背負っているからこそ、 重荷を下ろしに来るんだから。 君はなんちゃって貴族なのだよ。 僕か? 僕は…虫けらだなんてことは言いたくはないよ。
>>602 激しく荒らしたんだから、謝ってもう来ねえよといったらどうなんだこら?
605 :
早 :2008/02/06(水) 15:03:22 0
↑へんな文章しかかけません。の間違い。 昨日ごめんなさいひかるさん。 私の感じていることはひかるさんの感じていることだと信じてしまっていました。 危ないものを感じて思いやってくださってありがとうございました。 深い関係でなく、ふつうのコテハン同士の関係くらいにしときましょう。
606 :
早 :2008/02/06(水) 15:05:53 0
>>605 の↑は
>>602 の最後の行のことです。
>>603 私は神秘体験するためなら何でもやります。
>>604 どうせ私は約束破ります。出来るだけこないようにします。
でも本当に荒らしてしまって申し訳ありませんでした。
さもないと救急車呼ぶぞ! 救急車だぞ!? いいのか? 呼んでいいのか? 救急車を!! わかった神様の代わりか。冗談かと思ったよ。
608 :
早 :2008/02/06(水) 15:10:55 0
狂ってしまったひといますか?
609 :
早 :2008/02/06(水) 15:12:32 0
○ 一 ∞ この形で部屋を歩く習慣をなくしたほうがいいみたいです。 この形で歩くことは、たぶん現代の人全てが行いうる儀式みたいなものです。
ちっ、このカテリーナめが。
611 :
早 :2008/02/06(水) 15:19:19 0
ひかるさん 私はこういう人なんです。もう衝動につきうごかされてどうしようもない。 私はひかるさんのように自嘲する気持ちはあまりない。2chを利用してまで神になりたいという傲慢さはある。 縁切るなら今のうちにしますか?それとも私の衝動にこれからもつかってくれますか。
612 :
早 :2008/02/06(水) 15:22:38 0
昨日分かったこと。 ひかるさんや私のように、本を断片的にしか読まないひとにとっては(私は小説なら通読します) 思いつき以外の言葉はまったく無価値。
「申し訳ありませんでした」と言っても、また同じ事をやるに決まっているので、 その言葉には血は通ってない、その態度になんら美意識はない、ということまで明晰に理解されてしまっている。
614 :
早 :2008/02/06(水) 15:28:17 0
私は2chでは 私とひかるさんと「ええ。」を良く遣う方以外の言葉に意味を感じたことはない。
「ひょっとしたら、ほんとうに監獄のほうがましかもしれん」 このラスコーリニコフの考えは現代の日本では珍しくもない考えだろう。 懲役は1日12時間以上やらせなければならないのだ。 なぜなら通勤時間に残業を入れると12時間以上というのはごく普通だからだ。
616 :
早 :2008/02/06(水) 15:41:50 O
救ってくれる認識論はベルクソンですが(「開いた宗教」以外) 最強の認識論はマッハの認識論、音速の走馬灯です。
>>616 早君の言葉や文章は、まじ『匂う』。(サイト見ました。はい。)
『匂う』んだよ。
つまり・・・・
『匂う』んですよ。
その匂いを嗅ぎたい者はだれかあるか?
よろしい!
では私が彼の言葉の裏にある『香水の香り』をお披露目しよう!
『彼は物事を捉える際、既に単に物事や単なる概念ではなくなっている。 彼が言葉を見ると、言葉と同時にその言葉の「絵」を見て、さらにその絵が 彼自身に向かって「あの世界」がこびてくる。 彼においては、言葉を口ずさむことは、音を感じることであり、言葉にすることは 音を他人に伝達することなのである。 そうなのだ、言葉を見ること、言葉を口ずさむこと、口ずさんで音を自己内の血流 で恍惚を感じることが全て同時なのである。 すなわち・・・・
言葉を見る=言葉を口ずさむ=音を感じて伝達する衝動の『三位一体』であるらしく思われる。 我々概念的思考に慣れた人間にはできない、彼特有の「早」という字のごとく 生の裸体と五感で以って大地に深く根を下ろし、手を広げて空気を吸い、 あらゆる森羅万象を比喩化する情熱の(生の情熱!)の化身であり、権化である。 彼の象徴に接する態度(彼の生そのもの)がどうやら、私とは部分的に同じだが、 部分的に違うようだ。繰り返すが、私はブラームスのようなあまいメランコリーに包まれて普段は静かな泉だが、その泉の底の底にマグマが潜んでいて、そいつがある日突然私を襲うときにのみ、書物に感情移入する。それ以外は機械的で概念的思考の『土砂』に埋もれている。 だが彼は感情移入そのもの、文章の書き手そのものになりきってまで 文章家の文字の世界に入り込んで行こうとする姿勢があるのだ。 つまり、彼は並々ならぬ熱情の爆発性による瞬時の認識であり、 私のそれは上記のような感じの場合もあるが、どちらかというとより静かに接している。 例えば、洞窟の奥底までもぐりこんで辿りつくことが、認識しながら結論づけることであるならば、 彼のその歩みは、洞窟の奥の奥の奥・・・にあるものを味わいつくしたい過激な足取りであり、 しかしながらその瞬時性の認識作用は、油の塗ったレスラーのごとく、洞窟にいるカマド馬、転がっている岩の数々、眠っているコウモリどもを退かしてある結論を探るのだ。 私は、臆病な手で懐中電灯を持ちながら、岩・カマド馬・コウモリどもをひとつひとつ退かしていくという方なのだ。 すなわち・・・・ 彼の事象の接し方は詩人のそれであり、私の接し方は単なる批評家のそれであると云える。 そう、早君は詩人なのである。』 すなわち・・・私は早君を好きであるのである! どう思う諸君は? ↓
>>615 そうでなければならないのだ。
監獄の方がましでなければ更正にはならないんだからな。
規則正しい反復に形成作用があるんだ。
621 :
早 :2008/02/06(水) 16:11:01 O
ノートンさんは鋭いです。 でも穏やかさを忘れないで欲しいで。 私の文章を読んで得た感想は、認識するときに利用するだけにして下さい。
622 :
早 :2008/02/06(水) 16:12:09 O
誤字脱字です。 一つ「で」が多かった
>>622 ちょっといつものニーチェ口調で語ってしまっておふざけに見えて
気を悪くさせましたらすいません。
昨日のメタファーの嵐を実はひとつひとつかみ締めて読んでみたのですよ。
サイトの論文もひとつ読みました。
「中原中也論」
>でも穏やかさを忘れないで欲しい。
>私の文章を読んで得た感想は、認識するときに利用するだけにして下さい。
はい。そのようにします。
ついでに、私も宇多田好きです。歌より顔がですが・・・
>>620 ピカァーがいう流動性の中にも社会があるかぎり規則性はある。
無規則な社会はいわゆる無秩序であるが、またこの無秩序には自然の秩序がある。
人間は社会的動物であるという。
人間が人間である由縁はむしろそうした秩序から己を切り離しうる非社会的動物でもあることにあると思う。
このいわゆる絶対孤独が「死」なのであり、死の恐怖というのは、この非動物的な死に対するものである。
永劫回帰というのは、その死の床で育まれた希望なのだ。
625 :
早 :2008/02/06(水) 16:30:42 O
心配要りません。 私のレスで対話が終わりになっても気にしないで。 火が欲しくなったとき以外は思い出さないで。 とりあえず頑張って下さい
>私のレスで対話が終わりになっても気にしないで。 >火が欲しくなったとき以外は思い出さないで。 >とりあえず頑張って下さい どうもです。
627 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 16:38:13 0
>>613 パラノイアというのは同じパターンを繰り返すことで動的な安定を保つものだからね。
「何度でも同じことを書いてやる!」という迫力で押し切ろうとするのが退屈なんだけど、
本人はその行動自体が目的なんだから構わないんだ。
詩は死んだ。
629 :
早 :2008/02/06(水) 16:51:28 O
分かったことと言えば、マッハ的な梵凡で時間が狂って一瞬になったまさにその時に知らされる直観以外は全て、 限りなく全てが盗用であり無意味。女性の方が遥かにこの直観が強い。 円柱の時間が押しちじめられて薄いスクリーンになって波打つとき、 その波の戯れれのうちに過去の五感や未知の五感が発声する。 これが私が昨日マッハの認識論に感じたことです。 是非ヨガして下さい。 情報化社会には足りないもの。みんながヨガした方がいい。 お願いです。
早さんは624を読んでどう思いましたか?
631 :
早 :2008/02/06(水) 17:02:58 O
あまり意味はかんじませんが、私の言葉の影響で新しい認識を得て下さいったのなら嬉しいです。 なんか私が感想一語でも書いてしまえばその人に影響を与えてしまいそうで怖いです。 とにかく火が欲しくなったとき以外は私にレスしてほしくないし思い出してほしくない。 もちろん後で人間にもどりましが今私はまだ火です。
632 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 17:23:53 0
早くん。深い仲でいようよ。もしそれがうまくいかなければ自然にいい感じで付き合えばいい。 僕は自嘲しませんよ。ほとんどは。プライド高くて、だけど、世界に対してもそうだけど、自己への懐疑で苦しんでいる。 僕も神を目指しています。ルシフェルを。
633 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 17:26:22 0
尾崎スレでも立ててそこでやれよ、この最低のカス
>カテリーナ
だが
>>624 はええをよく使う人なんですがね。絶対に間違いないよ。絶対にね。
いやはや全く大した感性だ!
635 :
早 :2008/02/06(水) 17:36:38 O
「神の謎を解きたい」ひかるさんもそう念じて下さい。 ひかるさんお願いです。 少し恐くなってきました。また熱く攪乱しています。 わたしはみんなが神秘体験をして欲しい。ひかるさんはそう思っていると思います。 私が自分を冷ますために沈黙している間はこのスレを沈黙させるかみんなの熱を冷ましてあげて下さったら嬉しいです。 ひかるさんしかいません。あと私はまだ心の仕組みドットコムさんが分かりません。
カテリーナで思い出した。 カテリーナ・イワーノウナと言えば、カラマーゾフだ。 個人的にはなんかフョードルの親父に魅力を感じてしまう(笑) (実際いたら身近にいたら嫌だけど・・・) 彼の暴言は真理を含んでいる。 例えば女性の観察なんか。 あの親父、地下室の『彼』とそっくりだ。
>>624 『彼はあてもなくさまよった。太陽はしずみかけていた。
近頃の彼はある言い知れぬさびしさをおぼえるようになっていた。
そのさびしさには刺すような、焼きたてるような、特別の鋭さはなかったが、しっかりこびりついて永遠にはなれないような気がして、
この冷たい、死を誘うようなさびしさの救いのない状態が何年もつづき、《足二本がやっとの空間》に永遠に立たねばならぬことが、予感されるのだった。
日暮れどきになるといつもこの救いのないさびしさが、ひときわ強く彼を苦しめはじめるのだった』 工藤誠一郎訳の「罪と罰」から引用
これはどうだろう? 大いに関連性があるようだが。本も私も強制はしない。
だってこれはそれこそ《足二本がやっとの空間》上の問題かもしれないわけで。
深みにはまってラスコーリニコフみたいになってしまったら洒落にもならんじゃないか。
638 :
早 :2008/02/06(水) 18:03:03 0
お願いです。書きたい衝動を抑えて下さい。 「その場での思いつき」というのは大切ですがそれは表現者にとってのみです。 神の謎を解きたい、そのためには神にならなければならない、そして命の全てを表現したい。 そういう衝動が表現者です。でも本気で表現者になりたくない限りはこの衝動は禁物です。
単純にさ、ニーチェスレで「私の詩」とか、その他私的すぎてどうでもいいことを書き続けることは場違いでかっこ悪い、 という最低限のマナーさえないのが凄いよなぁ。 リアルでいったら、スプレーで壁に落書きをしている輩のメンタリティと変わらないんだが。
640 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 18:13:02 0
しかも本人はなにかと戦っているつもりでいる・・・ ┐(´ー`)┌
>>119 助けてください。神様。悪魔からひかるさんをお守りください。
これでいいかな?
119:考える名無しさん :2007/12/27(木) 07:50:15 0 [sage]
>>116 ???????????
救急隊員は困惑したようだ。こんなこと常識だよソーニャ。笑わせないでくれよ。
643 :
116 :2008/02/06(水) 18:39:33 0
どこかのサイトでニーチェの立体画像を見たから カキコしたんだ。犬や猫の静止画像を左右にずらすことで 立体に見えるのがあるのでね。みんな知らないのかな。
ツァラトゥストラ第二部まで読んだけど頭が爆発しそうだよ… 集団に属さず独立した考えを持つこと 今までの価値観を破壊し、新しい価値観を創造すること 新しい価値観を創造しようとするもの又はしたものは超人である 集団(国家、宗教など)は個人の特徴をなくして、価値観を統一しようとするものだ こんな感じのことを繰り返し述べていると感じた 俺理解できてますか?
645 :
早 :2008/02/06(水) 20:30:02 0
>>639 >>640 私は亡き月の王です
お望みなら
私の言葉を全部読んでください。
そして全部燃やしてください
646 :
早 :2008/02/06(水) 20:32:24 0
私には予知の能力が在る。 先ず、その人の言葉を1〜3行だけ心臓に焼き付ける。 そして昂奮するとその言葉が燃え上がり幻が浮かぶ。 そこに五感が集中する。 私の狂気を止められるのは、結婚してくれる優しい人だけです。 でも私は気難しい。
647 :
早 :2008/02/06(水) 20:33:10 0
予知。 予め知っている。 私は全てを予め知っている。
よちよち
649 :
早 :2008/02/06(水) 20:34:00 0
予知というより感情移入と行ったほうがいいかもしれなかった。 でもぎりぎりのところでは感情移入と予知は同じこと。 予め知っている。 私は全てを予め知っている。
次のG1でどの馬が来るか教えてくれないか
651 :
早 :2008/02/06(水) 20:35:57 0
馬はいけない象徴です。
652 :
早 :2008/02/06(水) 20:36:56 0
書き込み欄半分〜全部くらいまであなたの感情を生々しく書き込んでください。 もしかしたらいけるかも。
653 :
早 :2008/02/06(水) 20:40:46 0
Gは重力 1は一者 G1の馬
654 :
金曜日 :2008/02/06(水) 20:45:21 0
しばらく静観していたが 早君だいじょうぶかい 予知なんていうとあやしいな ちなみに金曜日はどんな人かわかるかな ひかるさんのサイトをみたけど 彼はおもしろい人だ わたしは苦笑してしまったが
655 :
早 :2008/02/06(水) 20:46:51 O
金曜日さんとひかるさんは、まあ一億光年くらい離れてます。
ひかるさんのサイトってどこ? つーかひかるさんって何 そして金曜日って何
とりあえず予知の一つくらい聞かせてくれないと
658 :
早 :2008/02/06(水) 20:51:53 0
今昂奮してないからあまりできない。 だから絶対的中する的を置くとして、 そこにぶれる手つきで矢を放つなら、 今これを読んで本を開いたひとの1〜3割くらいは、 どこかの本を開いてそれを読むというか視線でぱっと射抜くと「早」が出てくる
659 :
早 :2008/02/06(水) 20:55:43 O
少し日本語間違えた。 二回目の「どこか」は一回目の「本」の前につけるべきだった。 そして、 二回目の「どこかの本を開いて」は不要でした。
660 :
早 :2008/02/06(水) 20:58:21 O
パソコンがある時代に生まれるべきじゃなかった。 誰か 心の仕組みドットコムさんを呼んで下さい。 とめられるのは彼だでどす。
661 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 20:58:35 0
お笑いスレになってきたな
662 :
早 :2008/02/06(水) 20:59:20 O
彼だけです
本を開いたら「早」という字が目に入るということ? 何度もやってみたけど全く出ないね 上の「私の狂気を止められるのは、結婚してくれる優しい人だけです」 という文面は過去に夢で見たような気がするけど
止められるのは心の仕組みドットコムさんだけ とか書いてるけど 僕でも止められたようだね 君の予知能力とやらもたいしたことがないな 僕は心の仕組みドットコムという人じゃないよ
あら、早君。 言語の『円柱苦行者状態』かな・・・ >パソコンがある時代に生まれるべきじゃなかった。 古代ギリシャに我々行くべきではないだろうか? で私はサテュロスになってニンフを追いかけたいのだ!
666 :
早 :2008/02/06(水) 21:39:03 O
私はレスしたら可哀想だと思うとレスしない。 時間関係の言葉を乱用するのはよくないです。 本、文、字、目 も駄目。 お願いもう誰も痛めたくない。 私がめちゃくちゃな時は、心の仕組みドットコムさんを呼んで欲しい。 二人は対極な意味で滅茶苦茶。
ふふっ
ソーニャはますますご指名を賜り共用され始めてる。 これは、諸兄がラスコーリニコフ化してきてるからに他ならない。 全く危なっかしい人たちだ。
>>656 このスレの住人みたいです。
そして・・どうやら私も住人化しつつある。
670 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 22:00:09 0
671 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 22:04:33 0
ノートンさんもトリップつけたら?
673 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/06(水) 22:07:53 0
早くんは、精神医学の立場から見れば、統合失調症の結構危ない状態にある。 それを多く否定するわけではないが、やはり危険な状態だ。 前衛的というか、いやそんな下らないのとは違うのはわかっているけど、そこまでそういう風に徹底する必要はない。 まあ精神医学なんて下らないけどね。でも役にも立つからね。 薬くらい少しは飲んでもいいんじゃないかな。ちょっと早くんは極端すぎる。 観念を薬で抑えても、表現などが今より悪くなるということは余りないと思う。 精神状態は変わるだろうけどね。
>>668 老人を狙う犯罪者が増えたのかどうかはわからんよ。
報道ばかりが増えたのかもしれない。
>>672 トリップ?
それは何かよくわからないんですよ。
>>671 ひかるさんのサイトも見ました。
扉言葉燃えた。
処刑ライダーなら、どう解釈するだろうか? 『…なんでもかまわん、たたかったほうがましだ!』 このラスコーリニコフの言葉を。
早くんのことはそっとしとけばええやん 薬に頼るのはあまり良くないよ
統合失調症で哲学できるのかね 草間彌生みたいな芸術家ならまだ分からんでもないが ヴィトゲンシュタインは思索で抑え込んだとも聞くけど
ひかるさんのサイトを少し読んだけど 日記には興味がないので途中で読むのをやめた 興味を持てる部分を探すのが面倒なので
682 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 22:35:33 0
正直、4次元戦士には痛いのが多すぎるんだよね。
683 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 22:40:12 0
ひかるさんのアナルオナニーは実に興味深かった。
早君はいつ寝てるんだろう。 大丈夫なのかな・・
受験勉強しながら思索するのはどうなんだろうかw 本人は本当に進学するつもりなの?
近頃は娼婦の需要と供給って増えてると思うんだがどうだろう? これからも増えるだろうし。 てかドストエフスキーって娼婦好きなのか? 好きというかその人類の苦悩を前にして跪いてしまうわけか。 てかドストエフスキーこそ娼婦より余程苦しんだのだと思う。それこそ人類の苦悩だ。
ドストエフスキーは 中島義道が「頭が悪い」と言ってたな
中島義道が「ドストエフスキーは頭が悪い」と言っていたな と書いた方がいいな
光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフ』が1年ちょっとで60万部も売れたらしい。 しかも買ったのは女性が多いらしい。 僕は米川正夫訳で2回、原卓也訳で3回ぐらい読んだが、光文社の新訳はまだ読んでない。 どうしようかな。
カラマーゾフの主人公も娼婦にアタックするんですか? いやいや、いいです。 自分で読みます。
娼婦のグルーシェンカにアタックするのは、アリョーシャの兄のミーチャ。 僕は『カラマーゾフ』でイワンがアリョーシャに接吻する場面が好きだな。 アリョーシャはちょっとできすぎ君だけど。。 ドストエフスキーは、美しい人を描こうとするといつもああなってしまう。 アリョーシャも、ソーニャも、ムイシュキンも、みんなできすぎ君。。。
>>688 それはきっと、人類の苦悩なんかより、糞尿を我慢し続けていた私の苦悩の方が余程耐え難さを極めるものなのであり、
彼は真の苦悩を知らない気取りやの坊やにすぎないんだという意味でしょうね。
そーにゃのか
つまりロシアパブにドストエフスキーを研究するために行くことは合理的なことらしいな。 前々から行こうとは思っていたんだが… 漸く正当な理由が見つかって、実に嬉しいよ。
>>689 きっと、それを読み度肝を抜かれ心臓を貫かれヘロヘロになってしまった売春経験者の口コミ情報でそれだけ売れたんでしょう。
ドストエフスキーの売行きは売春婦の数に比例するんですね。
早くん、君はニーチェを読むべきではないよ。なぜなら、そのことで興奮をおこして抗鬱剤を多量に服用することを余儀なくされるのだからね。 俺は前、荘子を読むのを勧めたけど、君の場合何も読むべきではないのかも知れない。だから荘子を読むにしても慎重にして欲しい。 ただ、どうしてニーチェを読むのだね?君は君の精神状態を改善してくれる本だけを読むべきだよ。
>>696 あなたは、やさしい人だ。
「ほっとけ」と思っている人がほとんどだと思う。
698 :
金曜日 :2008/02/07(木) 00:41:58 0
早君に薦めるめるのは 吉本隆明の『心的現象論序説』かな。 高校生には無理かもとおもうが早君の知性なら 読みこなせるかも。 この本が理解できたら きみの心の不安定さにたいして自覚的な対処の方法が 自分でみつけられるかも知れないとおもう。 ベルグソンなんかよりずっといいと思うけど。 まあ受験を放棄するなら読んでみな。
>>698 早君は受験生だけど、20才だよ。高校生じゃないよ。
20才だからそれほど早熟というわけでもないと思う。
あと、自分でコントロールできる程度の病状なのかどうか、疑問だなぁ。。。
ドストエフスキーの「悪霊」は読んだの? まだなら読んだら
早君が『悪霊』を読んだら、スタヴローギンLove! になって ますます抗鬱剤が必要になるにきまってる。。。。
キリーロフの真似して誰かを噛んでやれ
>>701 なんで愛することで鬱になるんだろうね。
愛されることで鬱になるのはわかるが。
わかった、同じことに対してなんだ。
ということは愛し合うことで苦悩も喜びも倍増するということだな。
705 :
早 :2008/02/07(木) 01:58:00 0
もし、頭に熱感がしたり神経がびりびりしたり、死の恐怖がやばいくらいまでいったら、 文字通り頭を冷やしてください。 氷を頭の上に乗せてニット帽を被ってください。 あと洗面器に顔をつけて冷やすのも効果的です。 頭を冷やすとき以外は文字通りで意味を解釈するのはやめてください。 文字通りに意味解釈してしまうのが言語障害者です。 詩人や哲学者や物理学者はみんな言語障害者の傾向があるせいで、 幸にも不幸にも多数決的現実から疎外されて、誰も知らないようなものを創ることになるんです。 衝動が止まらないようになったり、危なくなったりしたら、 凝固、水が凍る印象、冷気、こういうのを想像して下さい。 頭に氷をのせてニット帽を被るというのが一番効果的でした。 自然を愛してください。でもランボーは読まないで下さい。オカルトは絶対だめ。 ニ頂立的的な思考は「凍らせて」下さい。 お願いです私に対しての関心をなくして下さい。 そしてもし私のことを心の中で嫌っても呵責を感じないで下さい。 たまにはこういう人もいるもんだ、ということだけにしておいて下さい。 死に際の熱感を示している認識論はマッハで、 ぎりぎりのところで救ってくれる認識論がベルクソンです。
706 :
早 :2008/02/07(木) 02:17:35 0
意識がはっきりしてきました。 私はネットがある時代には生まれるべきではありませんでした。 申し訳ありません。心のなかで嫌ってください。 でもその気持ちに呵責は感じないで、その気持ちについては書かないで下さい。 こういう人もいるだけのことです。 私が言っていいのか分かりませんが、 ひかるさんのサイトの言葉も危険です。 二人の言葉は二頂対立の極みにあります。 オカルトやシュールレアリズムなんかよりずっと危ない。 もう一度繰り返しておきま。 危なくなったら「凍る」印象、「冷える」印象を想像して下さい。 文字通り頭を冷やしてください。それ以外は文字通り解釈はだめです。 忘我になったらとにかく冷やしてください。
707 :
早 :2008/02/07(木) 02:18:30 0
もう一度繰り返しておきますが。の間違いです。 とにかく冷やしてください。
『ああした若々しい熱のこもった最初の試作というものが、私は大好きなんです。 なんと言いますか、その、恋人みたいに好きなんですよ。 けむり、霧、霧の中からひびいてくる弦の音色とでもいいましょうか。 あなたの論文は不合理で空想的ですが、 そこになんとも言えないひたむきな誠意がひらめいています。 毅然たる青年の誇りがあります。 必死の勇気があります。』「罪と罰」 これは35歳という設定の男の台詞だ。 ふん、いかにもオヤジ臭いね。 絶対情熱的に賛同するようになる、これは間違いない。今でさえ結構…。 もうオヤジか。もうオヤジか。 いやいや、思春期は良かった。 実に良かった。思春期の恋は絶品だったな。 「初恋」 ツルゲーネフ ってどうよ? やっぱり初恋最高!って話だろうね。当然だよ。
「ひらめいて」 ってこれ誤植じゃないか? ひしめいてだろ。
>>694 風俗いってばれたら、ドストエフスキーの研究の一環だよっていうべきだろうな。
で、馬鹿じゃないのと軽蔑されたら、
ドストエフスキーは娼婦をよく知っていたんだ。だから僕も知らねばならないんだよと語りかけ、
そこで「呆れた最低」と下司扱いされたら、
もしおまえにも売春の経験があるならいく手間が省けるんだがと畳かけるんだ。
711 :
早 :2008/02/07(木) 09:17:37 0
運命の糸はみんなを繋いでいます。 ぎりぎりのところでは自他の区別がなくなります。 熱感のときや恐怖感のときは限りなく他人になれるんです。 自分のだけでなく他人の未来他人の過去も、感情移入さえすれば、 その人のことを本気で好きになって愛しさえすれば、 幽かにですが印象が揺らめく。 もちろんそれが完全にその人が体験した印象と同一ではない。少しだけ違う。 でもそういう印象が揺らめいたときというのは、その印象が命にとって重要な印象だとい証なんです。 私はランボーを読んで昂奮していたとき、オレンジ色の恍惚感と白い聖水が神経を潤す感覚を体験しました。 もちろんそれはランボーが感じたものではないかもしれない。 しかし限りなく近いものだとは思っています。 私は2,3日前の2ch嵐で、中国4000年の谷の冷たい風を感じている、と書き込みました。 つまりそのときに浮かんだ印象派、完全には中国4000年とは一致しない、 けれどその中国4000年をかぎりなく上手く表現してくれている、ということです。 しかもそのときに象形文字が計り知れない感動を呼び起こしました。 予知というのは完全にはできない。 でも人類にとって意味をもつ大災害であればあるほど成功率をもつ。 今から通院しにいきますので、少し家を離れることになりますが、 もしよかったらスカイプというのをやりませんか? もしよかったら、この掲示板にスカイプというの繋ぎ方を示しておいていただけたら
712 :
早 :2008/02/07(木) 09:18:36 0
これはさっきひかるさんとコメントしたものです興味あったら読んでみて。
金曜日さん、納得していただけると嬉しいです。
大丈夫なときは、命の謎を解けば解くほど、苦しくなる。
でも本気で苦しいときは、命の謎を解けば解くほど、快癒への可能性が増す。
>>708 >>709 その誤植は、意味のある偶然、限りなく必然に近い偶然です。つまり運命です。
いやだよ。通院なんて言葉。 昨日のひかるのブラクラのような日記を読んで鬱気味で気分悪いのに。 なんだよ。沼のようじゃないか。わずかなひかりの片鱗もない。 才能が病気だって。光が沼だ。なんだよ。酷酷酷酷酷いじゃないか
ますますドットコム化してきたな もう手遅れだ
ワロスwww
ニーチェスレでひよわな奴がガタガタ抜かせば嘲笑されるに決まってるだろw バカじゃないの、マジで。
718 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:27:32 0
自我について、とか、永劫回帰について、ちゃんと 思考してないからそんなに舞い上がるんだよ。 そしてドット混む。
719 :
早 :2008/02/07(木) 13:41:12 0
ひかるさんへ。 いまからヘッドセット買いに行きます。 このスレ見ておいて下さい。 「スカイプ」しましょう。 さっき病院への道を自転車で走っているときに車輪を眺めながら思いついたことは、 「スカイ」へのパイプです。 「you」「tube」 「ニコニコ」動画 ひかるさんにこの象徴の恐怖を感染させてあげます。 よかったら、2chで一緒に死にましょう。NHKのニュースにこの画面を焼き付けましょう。 私はさっき強い統合失調症の薬をもらいました。 ひかるさんもいちおう抑える薬手元に置いておいて下さい。 永劫回帰について思考したら死ぬにきまってる。 だれかドット込むさんを連れてきて下さったらとても嬉しいです。
720 :
早 :2008/02/07(木) 13:50:20 0
スカイプと2chって、パソコンのハードとソフトの性質からして、同時にできるの?
薬に頼らないと読めないというのは、 器が小さかったということだわ。 問題はキモスの代わりにエロスを見いだしことだろう、 このために薬に頼ってまで読んでは淫蕩に耽ってしまったわけだから。 その挙げ句の果ての《心を仕組もうとするドットコム化》なのだ。
お前何なんだよ。どうせなら、睡眠剤でも打ってもらった方がよかったんじゃないか。 思想でハイになるんじゃない。平静をもたらす思想を読まんか。どうせなら読むならエピクロスとか荘子とか読め。 君はネットサーフィンすると、統合失調の大波にさらわれるからしないほうがいいね。
もはやドットコム化というのも、ドットコムに失礼なんじゃないか?
724 :
722 :2008/02/07(木) 14:09:19 0
やっぱ荘子を勧めるのやめとくわ。
いやいや、まずは、浪人生という一応まともな範囲内の身分さえも失って、 仕事もせず平日の昼間からひきこもって2chを堂々とやるぐらいの《虫けら》にならんといかんのだよ。 こんなことを考えている以上、私もまだまだ器が小さいのだが! ぴかぁーを見るがいい! あの堂々たる雄姿を! あの荒涼とした大地に降り注ぐあの眼差しを!
726 :
早 :2008/02/07(木) 14:51:07 0
>>722 その「やっぱやめとく」という心の動揺を大切にしてください。
でも私の脳ではもう、「大切」という言葉すら臍の緒の大いなる切断の象徴になって恐いです。
>>721 私は9歳か10歳で「はい」をクリックしましたが、
その数年後には、痴態が無様に陳列された腐肉処理場、噴飯すら厭わしい、
計れる米粒でどれだけのアフリカ人の命が救えるか、という連想に至ってしまいました。
今は心のブラックホールにまう手裏剣が良心をいためつつ、それはその重力でこちら側へ引っ張るので、
もう、何をクリックしても何も感じません。
ひかるさんいますか?
727 :
早 :2008/02/07(木) 14:57:55 O
計れる、じゃなかった。 吐かれる、だった。 秤。私は天秤座。 私のブラックホールと ひかるさんの光の、結合で、 新しい象徴を出産し、産声を響かせたい。できるだけ遠くまで。 動揺は認識のためだけにに使って下さい。
728 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 15:08:48 0
なんだかすごく面白くなってるねー、すごいすごい! と、思いたくなって、ついついこの思いを書き込みたくなって、 書き込んでしまいました。 べつにすごいと思おうと思うまいと、そしてその興奮を、 書き込もうと書き込むまいと、自由であるという現実の中で、 してもよいししなくてもよかったのにしたのはしたかったからかなー、 などど思いながら、私にとって活殺自在のみなさんの書き込みを読んだ後の、 排泄行為でした。 みなさんどうも、ありがとうっ!
日本の世間というのはキリスト教よりもある意味厳しいだろう。 この世間は信じる信じないという意識上の問題を超えた絶対的なものであって、 いわば神自体なのだが、 キリスト教は人間を介したいわば間接的な神なのだ。 信じる信じないと問いうる《問題》だからである。 ニーチェの領域に踏み込むのは日本人にとってみれば容易ではないと思う。 というのも恐らく、その領域に至るに越えるべき障害は、 ニーチェにとっては主にキリスト教だったとすれば、 日本人にとっては主に《世間》だからだ。
730 :
早 :2008/02/07(木) 15:18:00 0
つまりひかるさんや私のように、脳みそが独特だったせいで根源的一者に近づいた人、 でも一般的な統合失調症患者躁鬱病者よりはるかに頭のいい人。 そういう人は物凄い確率で「偶然」が怒って、韻や比喩が一瞬のうちにいくらでも浮かんでくるのですが、 そういう人が象徴や音楽的文体を世界に垂れ流すんです。 ひかるさんは音楽的で、私の言葉は象徴的です。ドットコムさんはまだ理解できない。 そういう人は「一瞬一瞬」が神からの知らせで言葉や行動が決定されている。 だから、世界は、そういう人、根源的一者に近づいた人の表現物によって、彩られるし揺り動かされる。 世界は限りなく根源的一者の表現物に近いというわけです。 私もひかるさんも「空手」をやっていました。 3日前におもいついた象徴は、空手とは空の臍の雄を切るチョップ、ぎりぎりCHOPです。 ちなみにB'zというのを少し強引に変化させると、石になります。 賢者の石、愚者の石。 私は、今、偶然か必然かは知りませんが、 どの本をみても宗教関係の言葉しかみつからないし、宗教か性に関する言葉しか連想できない。
なんというかそれはドットコム的な広告にすぎないと思うよ。 しかも問うまでもないが内実を問いただそうとしても広告の他には虚無の恐怖しかでてこないわけだ。
貴族主義連合というのは言葉の誤用であり、これでは同類相哀れむだけに終わるだろう。 社会に影響を与えようとするならば、 例えばそれこそ言葉使いを正しくして《駄目連》などと自称せねばならないのだと思うね。
純一の言葉使いというか、言葉の選択には痛々しいほどの正当性がある。 だがこれは広汎な影響力を持つためには欠かせない必要条件、前提なんだ。基本なんだよ。 で、逆に不当な言葉使い、専門用語などは、排他的な組織作りには欠かせないわけだ。
734 :
早 :2008/02/07(木) 16:25:28 0
そうそう専門用語は駄目です。何もかもを自閉的にします。 だからといって音楽的文体は人の心を弾ませるし、象徴的文体は人の心を溶かしてしまう。 とにかく、正当性のある言葉なんて一切無い。 言葉なんか燃えろ。消えろ。骨抜きの枯葉。 個人的には ひかるさん>ええ。を良く使う方>ドットコムさん>ピカァさんや純一さん みたいな漢字。
735 :
早 :2008/02/07(木) 16:26:39 0
だからといって音楽的文体は人のこころを弾ませすぎるし、にした方がよかった。 最後のは「感じ」の間違いです。
736 :
早 :2008/02/07(木) 16:29:25 0
あと六六六さんの言葉も好きでした。 来て欲しいです。止めてくれるかもしれない。
737 :
早 :2008/02/07(木) 16:36:21 0
ひかるさんを、私から、全世界から、救ってくれるような言葉を、 誰か、誰でもいいから編み出して欲しい。 もうそれだけでいい。
738 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 16:49:10 O
>>730 の初めの節ならば、例えば次のように表現せねば社会的影響力をもちえないだろう。
《私やひかるは生まれつき病に犯されていた。心の病気だ。いや脳の病気だろうか? 心が脳の働きに還元できるとするならばだ…。
ふん、馬鹿馬鹿しい、どっちだってかまいやしないじゃないか。 ともかく私と彼は生まれつき精神が異常だったのだ。
この病故に僕らは幸か不幸か、この宇宙の神秘、魂とでもいうべきものに触れることが出来たのだ。そう確信している。
しかし精神病患者ならば誰もがその深淵に達することができるというわけではないだろう。
それは僕ら二人がその中でも飛び抜けて頭が良かったからこそ可能となったことなのである。
とはいえ精神病患者全国一斉テストが開催されたわけではないのだが… 》
739 :
早 :2008/02/07(木) 16:53:17 0
私は、今は2chのコテハンが大抵はまりこむような、そしてひかるさんが特に深くはまり込んでいるような、 深遠にいるけれど、戻るつもりです。ひかるさんと一緒にもどりたいんです。 でもひかるさんは深すぎて、もう時間が混乱してしまっている。 私のように時間に感覚がまざるような神秘体験はあまりしないみたいだけれど、 ひかるさんはとにかく時間が混乱してしまっている。 誰かひかるさんを救って欲しい。
740 :
早 :2008/02/07(木) 17:02:23 0
でもそうやって深遠にいこうとすればするほど、 2chを荒らしてしまってみんなの足つかんで毒の沼へ引っ張っていってしまう。 私はひかるさんとリアルの関係になりたい。文字だとお互い悪い方へいってしまう。 このすれに、言葉の、毒や電撃や合わせ鏡を、たくさん放出してしまう。 ひかるさんと合いたい。それを許可してくれたら私はもう2chこない。 許可して欲しいからもうどこにでもひかるさんLOVEと書いておきたい。 ひかるさん、ブログにもメールにも入れておきましたが、見てたら御返事下さいひかるさん。
>>738 こうなると結構びびるね。
このように書かねばお話にならん。
742 :
早 :2008/02/07(木) 17:57:27 0
ひかるさん、お返事が無いのでどの画面みているかわかりませんが、 今日だけでも絶対的に私を信じてください。
743 :
早 :2008/02/07(木) 17:58:06 0
時間が狂ってしまう前に御返事下さい。
744 :
早 :2008/02/07(木) 18:07:44 O
衝動や思案から妙なことばかり書いてしまって申し訳あらません。 ひかるさんに何ていえばいいかわからない。 ひかるさんを救えるような言葉だけを案出してあげて欲しいと思ってます。 そういう言葉を考えることはきっと本人の神秘体験にも繋がります。 神秘とは特定の人の特権ではなく、好奇心や強い感情や畏れの気持があれば誰でも体験できるはず。 そういう強い感情は脳を変えることもできる。 一者に対してや、脳みそが独特だったせいで一者へ近付いた人に対する、憐れみや畏敬の気持は、脳みそを独特にしえます。 私は烈しい憎悪ならあたりまえですが、人を皮肉ったり揶喩しようとしたことはほとんどないです。 単なる皮肉では、神秘へとは近寄れないし、生き生きする象徴は産み出せないと思います。 私を憎むのは神秘へちかづくには効果的かもしれわせんが、皮肉ってもあまり意味はなく、時間の無駄です。 社会を皮肉る私のことを皮肉るとかするよりも烈しい憎しみのほうがいいです。 一者へ近付いてしまったひかるさんへの憐れみの気持を、絶対忘れないで下さい。
ひかるにふられたらどうなることやら。 ここで発狂の過程を僕らは眺めているのかもしれない。 ニーチェに興味を持つ者として僕はそうなることを期待せざるをえないな。
ただいまです。 皆様。 あら、また早君。 言語宇宙の『円柱苦行者』状態じゃないですか。
というか、精神病患者が演技をするのをご存知ないですか? 早が何を喋ろうがそれはただの演技で、どちらにせよお決まりのパターンを再度なぞって行くだけなんですよw もちろん、このようなレスをすること自体が共犯関係を成立させてしまっていることを自覚していますけどw
748 :
早 :2008/02/07(木) 19:00:08 0
演技なんてしたことありません。
自演もないです。
わたしがいままでやってきたのは言語上の誇張だけです。
わたしは大丈夫です。
ひかるさんの
カオスの中で
炎の柱
地獄の世界
この三極のお陰の梵我一如のときに、一度ぎりぎりの恐怖を体験したので、
もうよほどのことが無い限り死ぬことはありません。もちろん滅茶苦茶に荒らして申し訳ないです。
みなさんも体験して下さい。奇跡というのは自分の信念で起こすものです。
>>745 的な皮肉では決して何も出来ず、畏怖とか愛憎の年がないと駄目です。
>>ノートンさん。
ノートンさんあぶないです。きっと畏怖とか気持ちが、今のノートさんの体質を越えて強すぎます。
気をつけて下さい。言語宇宙の円柱苦行者、という言葉は、密度が濃すぎて、たぶんお経に匹敵するくらい危ない言葉です。
とにかく、皮肉とか馬鹿にするとかみたいな小さな感情ではなく、
畏怖とか憐憫、慈しみのような、大きな感情の方が、神秘体験へ連れて行ってくれることはたしかです。
でもそのためにはなれておかないといけない。
ひかるさんを慈しんで上げてください。
749 :
早 :2008/02/07(木) 19:04:14 0
精神病患者が演技するときの気持ちくらいとっくに感情移入して知っています。 私は精神病患者のほうが、精神科よりもずっと好き。 もうちょっと世界を「緩衝」させなければならない。精神病の人が可愛そうです。
早くん。 体やすめてくださいな。 音が溢れすぎてる状態だよ。 ヘルダーリンみたいに、幽閉されたら詩作できなくなっちゃうよ! ちょっと最近きたからわからないけど、 誰かなんとかできないのかな? >>ALL
>>747 私はよく知りません。
精神医学については全く知らないんですよ。
昨日もパラノイアについてあなたか誰かがレスしていましたが、
ふむふむ、13へエかな などと反応しようと思ったぐらいでして。
752 :
早 :2008/02/07(木) 19:29:56 0
>>751 大丈夫ですか?少し危険そうです。
パラノイアというのは、極限まで意識が高まったときです。
こういうときになら、故意と偶然が一致します。こういうときにインスピレーションがわくのですが、
なれていないかぎり、ずっとそういう状態で居るのは本当に危険です。
そうなったら構わず逃げてください。
私は、みんなが、生きているということに恐怖できるくらいまで、
豊かな精神を持って欲しい。ひかるさんは、そういう気持ちが強い人です。
とくに国際貴族主義連合の一番新しい詩はほんとうに危ない詩でした。どうしようもないくらい。
ひかるさんのような、人を畏怖できるような強い心をみんなが持って欲しい。
ひかるひかるっていうが、知らんがな。 携帯だから彼のホムペも見れないし。 しかし音沙汰がないね。光速で届くはずの声なんだが。おかしい。これはおかしい。 どうしたもんだろ? 泣いてみたら?
簡単にいえば自分にとって都合のよい鏡であって欲しいという欲望があるわけ。 そのことについてラカンは鏡像段階といった。鏡像段階は子と母の関係のことだけど、古くから言われている通り電子メディアこそ都合のよい母の代理になる。 2chでいえば、コピペ荒らしや同じ内容を何度も書き込む奴なんかがそうで、幸福な鏡像段階を生きるためには、まず差異を抹消し、同一化を打ち立てる必要があるってわけ。 だから、どうしてもパラノイア的な運動をすることになるわけだけど、そもそもそんなことであるべき自己が立ち上がるとしたらそれは虚像に過ぎない…ってことを、 わざわざニーチェスレで強調するこ必要はないですよね。
755 :
早 :2008/02/07(木) 19:53:16 0
言葉が危ないです。 ニーチェ関係で狂わされたのなら、助けてくれるのは河合隼雄・林道義・ベルクソンです。 本当に断言できます。彼らの言葉は、優良、という形容詞がぴったりな言葉です。 あるいは代数もお勧めです。 このスレから目を背けてください。 私は、時間とか感情移入に関しての才能だけは本気で自負しています。 だから断言します。逃げてください。私のこと嫌ってください、なんの呵責もいらない。 好奇心旺盛な人、「謎を解き当てたい」(ツァラトゥストラの言葉)という人以外は、本当に逃げてください。 認識のためなら何でもやるという人以外は、 ニーチェを読むのもそれに関するものに興味持つのも、絶対禁物です。
電子メディアの中でぬくぬくやってる糞ガキならではの発想だな。 2chのスレを監視・管理しようとすることが恥ずかしいw
757 :
早 :2008/02/07(木) 19:54:14 0
もし今狂っていても、真面目にしっかり治すことができれば、その治す過程はかなり創造的です。 色々なことに気づかされてくれます。
758 :
早 :2008/02/07(木) 19:55:33 0
>>756 私は幼稚かもしれませんが、リアルでも2chでも自分で頭よりいい人はみたことありません。
2chで私より天才な人は、ひかるさんだけです。
759 :
早 :2008/02/07(木) 20:01:35 O
自分より頭のいい人、の間違いでした。 ひかるさんは、現実では敬語で話されたり、何者?ていわれたりするような本当に孤独な人なんです。 私くらいしか同じ境遇な人がいないんです。 ニーチェの深遠にはこういう人しか入っていけないんです。 ニーチェやそれ関係に、興味のない人は、去っていただけると嬉しいです。
>>754 そういえば私は永遠に反復するものは実在すると考えてますので、
パラノイア的運動は実在への憧憬に基づく運動であり、
虚像を実在に着実に変化させていく執念だと思います。
少なくともそれは虚像を実像に変化させるでしょう、私的な存在に。
761 :
早 :2008/02/07(木) 20:12:39 0
おねがい ここから逃げて。 もう逃げてください。文字通り死ぬ気で認識者を目指す人、神秘体験をしたい人以外は、 逃げてください。ベルクソンの言葉に救われてください。
762 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 20:44:23 0
逃げてもいいし逃げなくてもいいという現実
763 :
僕は太田寿 :2008/02/07(木) 20:52:49 0
僕は太田寿だ! ウィリアムフォークナーだかサッカレーだか知らないが、お前はベンハーで僕に勝 った気でいるらしいが、それではアメリカ南部のゴミクズどもと一体何が違うのか! 枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘! 僕はグラディエーターだから天王寺の交差点でいつでもかかってこい!
764 :
僕は太田寿 :2008/02/07(木) 20:56:10 0
僕は太田寿だ! 山田太郎だか山田花子だか知らないが、お前は多数決で僕に負けた気でいる らしいが、それではアメリカ南部のゴミクズどもと一体何が違うのか! 枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘! 俺は一人の修羅なのだ。
765 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 20:58:00 0
風景は涙に強請れ
ひかるは有り難や有り難やと逃げることにしたかもしれない。
767 :
早 :2008/02/07(木) 21:11:27 0
もし言葉が恐くなったら、絵や写真を特にお勧めします。 ぎりぎりの熱感がきたら、本当に文字通り頭を冷やしてください。
768 :
早 :2008/02/07(木) 21:23:51 0
最近調子よかったから
スカイプと2chつかったら精神交感起こせると思っていた。
>>719 書いたころはもしかしてこのスレの住人も一緒にやれるかもしれないとか期待してた。
実験したくてうずうずしてた。ごめん荒らして。
強烈な象徴でこのスレの全体的な心の動揺起こしてみたいという冒険心もあった。
ひかるさん、って神秘体験したいと思っている人ではないんですか?
>>768 早くん、スカイプと2ちゃんは同時に使えないよ。
ひかるはアナルセックスでという条件付きでなら神秘体験でも一者との融合でも望むところだろう。 ただ名前にしては早に比べて電波ではないんということだろうね。 ちょっと様子見てるに違いない。 それが懸命なんだ。 いきなり深く交わるのも、いきなり捨てるのも早に対しては特に危ないことだ。 それこそ九死に一生を得るということになりかねないんじゃないかな。
心理的方法で発狂に導いてみようと思いましたが失敗しました。 発狂するに至るプロセスがわからないので無理なことですがね。 しかし彼は発狂しなかったことで結局荒らしに終わると同時に去ったわけです。
772 :
早 :2008/02/07(木) 23:09:19 0
>>711 私は誰とメールしても同じようなことになります。いつ言葉の返しあいを終わらせるか、延々と続く。逃げてください。
>>769 ありがとうございます。ノートンさんも逃げて。
本当にヨガしたかったらぜひこれを眺めてください。
渾然の象徴です。
これを書くときは、中国の印象と、太陽神話の印象以外は、本当に過去や未来の感覚がはっきりみえたというわけではありませんが
「全て」の記憶が言葉となって書かれた円が燃え上がるような印象に胸が焼かれそうでした。
この象徴を書くためだけに生まれたという気持ちで書きました。
でも恐くなったら本気で逃げてください。
太陽天酒神
星臍馬炎音
一緒革命速
マッハ(音速)の認識論
梵我一如「キター」
2chで神秘体験
負けず嫌いだな。 勝手に勝利宣言されたのが気にくわなかったのか。 ところでニーチェってナポレオン好きだったのかな?
774 :
早 :2008/02/07(木) 23:44:22 0
ひかるさんと電話してますw
775 :
早 :2008/02/07(木) 23:44:44 0
すかいぷ
>>773 ヘーゲルなんかはナポレオンに心酔してたみたいだけど。
ニーチェなら尚更だろうね。
777 :
早 :2008/02/08(金) 00:06:21 0
ひかるさんどうやってスカイプにかきこむの
778 :
早 :2008/02/08(金) 00:07:23 0
ごめんあたまいたい
779 :
早 :2008/02/08(金) 00:08:49 0
チャットで何か書いてくださいおねがい
780 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/08(金) 02:05:07 0
早(はや)くん。面白かったよ。今日はどうもありがとう。君の精神構造というか、そんなものが見えたときは、 とても良かった。都会のコンクリートはソクラテス。ホメロス的アポロンの場合は大地のディオニュソス対木。お見事。
781 :
早 :2008/02/08(金) 02:05:41 0
気にしないで。 ちょっと昂奮してただけ♥
782 :
早 :2008/02/08(金) 02:06:19 0
ありがとう 恐かったんです
783 :
早 :2008/02/08(金) 02:06:47 0
うれしかった昂奮しすぎてあたまくるくるしたw
784 :
早 :2008/02/08(金) 02:07:41 0
おやすみなさい
785 :
早 :2008/02/08(金) 02:17:02 0
森森森森森森森アポロン ソクラテス都会都会都会都会 --↑根---根↑----- --------------- 地地地地地地地地ディオニュソス地地地地地地地地地 ↑は栄養。
786 :
早 :2008/02/08(金) 02:32:32 O
ひかるさん 饒舌一方通行失礼しましたw つぎはしっかり話聞きます。 またいつかお願いします、特にここが大変になったとき.... ノートンさん もうかなり大丈夫になりました、しばらくは安定します。安定している私を想像して感情移入して下さいw おやすみなさい。
787 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/08(金) 03:47:46 0
早くん、また話そうね。電話は苦手なのでスカイプでお願い。緊急のときは電話でもいいよ。
>お門違いのバカップル 「あ、何をする、そんなもの、ここじゃいかん!」 「どうしてここじゃいかんのかね?」 「つまり、ここはそんな場所じゃないからだ」 「いや、きみ、そんなことはどうでもいいんだよ。いい場所じゃないか。もし君が聞かれるようなことがあったら、アメリカへ行くと言ってた、とそう答えなさい」 僕はね先ほどから泣いてましたよ。
ニーチェって人間的に器が小さそうだから、家族持って子供が出来たら虐待しそう。 自己中心的で包容力のなさのしわ寄せが子供に向かう、畠山鈴香タイプだと思う。
790 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/08(金) 07:33:25 0
ニーチェは器小さくないよ。何にもわからないやつが適当に言うなよ。
791 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :2008/02/08(金) 07:34:34 0
「十九歳の勝利」 深夜一時 寒さに打ち勝ち 外に出て走り出す ジョギングの最初の寒さと息の荒れは少し走っていると治まってくる 歩いたり走ったり また歩いたり 闇の中とにかく走る 駅の向こうを抜けて滝ノ宮神社まで 深い意味でもあるのだろうとお参りをして 口を漱いでいると 駅の方から聞こえてくる僅かなざわめきと静けさの中 僕はこの世に勝利したのだと確信する 帰り道は高層マンションの前にて 靴をずらすように蹴るように歩き 静けさの中に響く大きな音を悪戯心に楽しむ 僕は十九歳にして最高の思想を身に付けた 力こそ全て 全てに勝利すること 神になること 僕は有頂天に永遠に努力する事の勝利に酔い痴れる by ひかる 2007/11/29 おそらくは僕の中では最高傑作です。
>>754 初期のニーチェはアポロンとディオニュソスを対峙させていたけど、後期になるにつれそれを放棄していくんですね。
アポロンとディオニュソス、つまり秩序と混沌、光と闇、といった弁証法の劇ではない、と。
永劫回帰の面白いところは、このような双対すらまるごと回収してしまう点にあると思いますね。
つまり、混沌に耐えられない奴が秩序ある同一化を求めるのも、その同一化を侵攻するのもどっちもどっちであって、
そのような共犯関係の罠に陥るヘタレすら許容してしまう。ただし、永劫回帰の下位において。
ニーチェの勧誘はヘタレではなくエリートになれ!といっているわけですね。
ニーチェはより高く飛翔しようとする力の運動を距離のパトスといったけど、その先にはニーチェが描いた超人の下書きがある。
しかし、あくまで下書きであることが重要であって、超人のあるべき姿を発見してはならない。
話を元に戻せば、今日的な電子メディアに蹲るヘタレは既にコントロールされていて、外にでる契機を奪われているという問題がありますね。
密室空間の中でルサンチマンを増幅させたヘタレを強引に外に連れ出せば、突然キレたり、あるいは機能が停止して故障したりもする(笑)。
「遠方からの愛」を実践している者の意見としては、このようなヘタレが暴走しないために、2chやブログやSNSといったコミュニティの認証フラグを提示させてやって、
適当な共通感覚を享受させておくという管理社会は大万歳ですね(笑)。全員が全員エリートになれるわけじゃないんだから。
>>790 家族を持って子供をしっかり成人になるまで責任もって
育てない男は弱虫。ニーチェも弱虫の屁たれ。
ちいちゃい男。チンチンも小さそう。
女を満足させる自信がないから売春婦しか関係を持てない卑怯者。
>>733 >純一の言葉使いというか、言葉の選択には痛々しいほどの正当性がある。
>だがこれは広汎な影響力を持つためには欠かせない必要条件、前提なんだ。基本なんだよ。
そうだね。切れ味もある。けっこう疲労状態だったみたいだけど。
よくこれだけのスレに適切に対応できているね。でもそれが健康を害しているみたいだから
なんだか。
>>772 早くん
読書やすみなよ。少し。
>>773 ナポレオンのこと好きだったみたいだよ。
ナポレオンの天才性は認めるけど、自分の天才性に自惚れて他人に排他的になって破滅したって考察を書いてたね。
これは納得いった。
(『人間的な、まりにも人間的な』か『曙光』のどちらかに書いてたような。)
795 :
考える名無しさん :2008/02/08(金) 09:15:05 0
>793 ニーチェの方が名無しのお前より1億倍えらいお
>>791 いい詩ですね。
鼓動の伝達と情景がぱっと浮かぶ。
後で縦書きにしてPDF化して読んでみたいですね。
797 :
はや :2008/02/08(金) 09:57:40 0
罪なことしてしまったかもしれない。 だから僕の書き込みで言っておきます。 (「私」というのはノートンさんのいう「言語の円柱苦行」のためのものです) 本気で命への認識を深めたくない限り、謎を解き当てたくない限りは、こういうことに関わるのはよくないです。 僕は使命感のようなものを感じていたんです。 人に、オカルト的にではなく、限りなく詩的に哲学的に、神秘を体験させてやる、という。 死ぬ気で神秘体験したくなったら、 「マッハ」「ニーチェ」「早」「走馬灯」「円」「時間」「位相幾何」「ヨガ」 「ブラックホール」「ひかる」「ヘラクレイトス」「ランボー」に関するものを連想してください。 死ぬ瞬間は、↑の連想をして、私のことを思い出してください。 あとこれだけは忘れないで下さい 「彼の血は大地を潤すべきだった。白い花の赤い涙。」 渾然の象徴です。 それ以外は ご自由に「はい」をクリックして、どんな衝動でも解放してください。 恐くなったら「ベルクソン」に関するものを連想して下さい。
798 :
はや :2008/02/08(金) 09:59:36 0
命令調でごめん。 まだちょっとあたまあつかった。 また気が向いたらくるかもです。
799 :
はや :2008/02/08(金) 10:07:52 0
>>791 ひかるさんへ。
あの高層ビルで美少年が上昇する詩も、かなりインスピレーション受けました。
>>791 や↑が、現代的かつ象徴的な詩です。
僕の書き込みは少し古代の方へ傾いていたみたいです。
とにかく、気楽に生きましょうw
800 :
はや :2008/02/08(金) 10:39:47 0
あと、僕が浪人生で20才、天秤座、頭がいい、2chではひかるさんと同じくらい天才、一瞬一瞬が偶然だらけ、恐怖感に苛まれている、というのは本当ですが、 他には言語上の誇張ならいくらでも容赦なくやっていました。ごめん。 ここの住人が、2ーch好きのニート、だからって少なくとも僕は何も怨みません。 素直になるとか誠実になるとかは、命への認識、のためだけにするのがいいと思います。 お仕事就けるようにがんばってw
801 :
はや :2008/02/08(金) 10:54:34 0
そういえば昨日、自分が生まれた大阪の赤十字病院にデパケンもらったんだった.... みんなもこういう偶然が多くなればなるだけ、きっといい人生になります。 でも偶然が多すぎると大変なことになります。僕のような偶然だらけの人もたまにはいなければならない、ということです。 恐くなったら僕のブログにきてください。もう恐い返事はしない。現実への方向性を重視した返事をします。
バカだから浪人生なんだよ・・・。 頑張って大学に受かろうとしている時点でただの凡人であるいい証。
早君は「はや」って読むのか オレはずっと「そう」って読んでた んで、いつ早君は「創」君になるんだろうと待ち侘びていたんだが ちょっと期待しすぎてたようね
804 :
はや :2008/02/08(金) 10:59:35 0
>>803 期待すればするほど、いい体験に繋がります。
ひかるさん、あとはよろしく。
正気のつもりか。
スレ読んでないけど共依存(狂依存)?
807 :
考える名無しさん :2008/02/08(金) 14:25:52 0
荒らしの書き込み読んで食欲無くなった。 俺はニーチェの地中海的なところが好きなんだよ。 良い詩、書物は食欲を増進させる。
しかし、悩み、抑圧され、半ばでき損ないで、病的で、自分自身に不満な種も存在する。 ・・・彼らが特に互いに適応しあうことによって、そこに“一段低い”が、いっそう生命力のある類型が生まれる。 たとえば今日のヨーロッパ人や、中国人。人間の“矮小化”である」
ただいまです。 あら、早くんのサイトみれなくなちゃってる。 彼が感情移入を危ない危ないっていうほどじゃなくて、いくつかいい論文書いてたから 興味あったんだけどねえ。 (ちょっとしか読んでないけど、非常にいいとさえいえるのもあった。 ただ感性が高まってるから繰り返している部分もあったけど、若さゆえでしょう。 「中原中也のこと」なんか鋭かったよ。詩人的な視点で批評してる。) 早くん! 体ゆっくり休めてくださいな。あとランボーは駄目だよ。読んじゃ。 落ち着いたら、また見せてね〜 (このスレ自体にもこないのかな?)
810 :
考える名無しさん :2008/02/08(金) 21:42:12 0
学歴も職歴もない33歳ひきこもりんなのですが バカでもわかる入門書ありますか?
>>810 最高の入門書といえば『ツァラトゥストラはかく語りき(ツァラトゥストラはこう言った)』ですよ。
岩波文庫訳をお勧めします!はい。
特にその中の『市場の蝿』なんかいいのではないでしょうか?
「わが友よ、のがれないさい、あなたの孤独の中へ!」
>学歴も職歴もない33歳ひきこもりんなのですが
ああ、じゃもう逃れてるんですね。。
でも上に上げたのが『入門書』です。
さて、そろそろニーチェの話でもしたらどうかね
あ
>>738 そのように誤魔化さずに語ることが血で書くということだな。
閲覧パスワードは教えてくれるのかい?
>>814 ニーチェ自身、自分について血で書くことができていただろうか?
その点、純一以下だと思われるんだが。
発狂に至るプロセスとして誇大妄想の反復、いや一般的にいえるだろう、 つまり妄想の反復による、 妄想の私的現実化というのがあるにちがいないのだ。
『ツァラトゥストラ』はニーチェの主著だけど、ニーチェの入門書としては、むずかしいでしょ。 いろんな背景を知らないと、ほとんどニーチェの真意は理解できないから。 あれが聖書のパロディだということも知らずに、あの文体で興奮しちゃうような人が多いし。 ニーチェ入門は『道徳の系譜』がおすすめ。ニーチェ自身もそう書いていたと思う。
>>818 そうかもね。
でも
>>810 さんの言っている『入門書』はニーチェを解説してくれている
誰か哲学者なり、日本の学者が書いた『ニーチェ哲学に入るための解説書』って意味かもしれないね。
もしそうなら、わたくし的にそういうのは読んだことないからわからないなあ。
>>816 ニーチェはよく言えば男らしく泣き言はいわなかったみたいだね。
>>818 ならば血で自分を語ることができない、自分を誤魔化す子供っぽい悪癖をもつぴかぁーが努力を続けることができ成長してくることができ、
自己像と自己の差異を縮小し、
現実を変えることによって悪癖を単なる癖に直しつつあるとすれば、
それは彼が妙な人気をもち、侮辱する人間ばかりはことかいたことがなかったためなのかもしれない。
その妙な人気がもしなかったとすれば、彼は今頃、ある意味早以上だったのかもしれない。
821 :
820 :2008/02/09(土) 00:34:02 O
そもそも《33歳ひきこもり》さんはニーチェなんて読まないほうがいいかもしれないね。 今まで多くの人(ナチスもその一つだが)は自己を正当化するためにニーチェを自分勝手に読んできた。特に若い人が。 若い人がニーチェを自分に都合よく読んでしまうことを、西尾幹二が『ニーチェとの対話』で批判していた。 ニーチェを読むには、精神の健康が必要なんではないかと思う。 西尾幹二はあんまり好きじゃないけど、あの本は辛口で面白かったよ。
《精神の健康》はニーチェが最も重視していることの一つだからね。 『ツァラトゥストラ』の主人公としてニーチェがゾロアスターを選んだ理由の一つにもたしか《精神の健康》があった。 《精神の健康》の反対は《デカダンス》。 ニーチェはデカダンスを「意志の分散」と書いてた。今で言えば「統合失調」かな?
見つけた。『この人を見よ』に書いてあった。ツァラトゥストラの生理的前提は《大いなる健康》で、それは 「幾度も犠牲に捧げ、捧げねばならぬものであるから、単に所持しているだけではなく、また絶えず獲得し、獲得せねばならぬような健康である」だと。 こうも書いてある。「ツァラトゥストラは道徳というこの最も宿命的な誤謬を創造した。しかしまた、だからこそ彼はこの誤謬を看破した最初の人であるに違いない。 誠実さゆえの道徳の自己超克、・・これが私の口においてツァラトゥストラなる名前の意味するところなのである」 《大いなる健康》が、自己超克のために必要なんだね。
>>824 私の自演の文脈からすると必要なのは誠実さだよ。
それが大いなる健康ではないか?
>>822 ナチス(特にヒトラー)は恐らく『権力の意志』あたりだけを、自分の
国家主義に都合よく正当化してたんだろうと思よね。
他のニーチェの本読むと、ユダヤ人をかなり評価しているし、
もっと驚くのはユダヤ人が20世紀になってヨーロッパから迫害を受けざる得ない
自体に至るところまで予測して、その時にユダヤ人から受け継いだ文化的遺産は
計り知れないから、寛容にならないといけないとまで書いてたから。
(イエス、スピノザ、ハイネとかのユダヤ人を上げてた。)
ぴかぁ的には必要なのは『物語』なのだ。 というのも彼は不誠実だからである。 彼のいう『物語』は負債を帳消しにしようとするものである。 彼の不誠実さをもだ。
>>825 >私の自演の文脈からすると
??
>必要なのは誠実さだよ。
>それが大いなる健康ではないか?
そうなのかもね。
でも《誠実》であるためには《大いなる健康》が必要なのではないか? w
>>826 >他のニーチェの本読むと、ユダヤ人をかなり評価しているし
ユダヤ人に対しても、ニーチェはアンビバレンスだよ。ユダヤ人批判をしてるところのほうがたぶん多い。
ニーチェがユダヤ人を評価するのはたとえば、ユダヤ人排斥主義者を批判したい時とかw そういう場合だね。
ニーチェっていつもそういうやり方するからw
キリスト教を批判するために仏教とか進化論とかを評価したりするんだよ。
で他のところでは仏教や進化論をこてんぱんに批判するw
だからニーチェを読むのはむずかしいw
いやニーチェは『誠実さ』を『大いなる健康』と不誠実に表現しているのだ。
『血をもて書け』でホントに自分の手首切って文字書いたりする人でてきそうだから怖い。 サカキバラがニーチェの影響を受けてたって話を聞いたときちょっと思い出してしまったよ。 まあ、彼は手紙を「赤インク」で書いたんだろうけどさ。 (それとも本物の血かな?)
ナチスが障害者を多数抹殺した時も、ニーチェの思想を自己正当化の根拠とした。 ニーチェには、ナチスに利用されるだけのがあるんだよね。 ニーチェをあんまり美化しないで、そういうところも認めることができるのが《誠実さ》だね。 「子を産むことが一つの犯罪となりかねない場合がある。強度の慢性疾患や精神薄弱症にかかっている者の場合である。」 「社会は、生の受託者として、生自身に対して生のあらゆる失敗の責任を負うべきであり、またそれを贖うべきである、 したがってそれを防止すべきである。しかもその上、血統、地位、教育程度を顧慮することなく、最も冷酷な強制処置、 自由の剥奪、事情によっては去勢をも用意しておくことが許されている。」『力への意志734』
しかしぴかぁの不誠実さ自体が物語だな。 ニーチェの不誠実さ、大言壮語だってそれだ。
つまり、物語によって何らかの転倒を目論んでいるわけだが、 この目論みが成功するのは物語が物語られる限りである。 ツァラトゥストラは同様のことを語った。 忘れたが、彼の元を離れるものが彼の元に行くというようなことだ。
西尾幹二が批判する《ニーチェを自分に都合のいいように読んでしまう若い人》なら、>832みたいな部分はたぶん読み飛ばしてしまうんだよ。
とするとニーチェの『この人を見よ』というのは、 まさに物語られるためのもの、 目論みを成就させるための書だといえる。 確か彼は同時代の読者は当てにしていなかった。 するとこれはニーチェが目的を果たすために発狂さえも厭わなかったことを意味する!
ニーチェは故意だ。奴は故意に発狂した!
まぁ、今更「ナチスとニーチェ」なんていう古臭くて結論が分かりきっている問題を語りだすのもどうかと思うけど・・・w
>>838 >結論が分かりきっている問題
結論は?www
『罪と罰』で一番感銘を受けたのは、 スビドリガイロフの自殺に至る場面であった。泣けた。 解説によると彼はニヒリストである。 ざまーみろというのが普通の感想かもしれない。 だが私は文字通り涙を流したのである。 煙草の煙りが目に染みたのかもしれない。
841 :
考える名無しさん :2008/02/09(土) 05:05:59 0
>>837 ニーチェの発狂はあくまでも運命。
だが、彼はその運命を知りつつ突き進んだのです。
ニーチェという作品にオチを付けるには、あれしかなかったのです。
ネオコン分析。なんて、やるわけないじゃないですか。フランシス・フクヤマなんて読んだこともねえよ。 ただまあ言えるのは、政治に反映されてやってることが失敗の域を全く出ない限りにおいては、矮小なナチもいいところだということですね。 そりゃハイデガーは哲学の操作をさせたら天才だったかも知れんさ。でも彼が支持し得たどころか積極的にそうしたのは、ヒトラーごときですぜ。 ここに常に出てくる知的に高い人の悲劇がある。時代のせいにはできないと思うんですよ。 よーするに人間のコントロール能力=政治能力、ニアリーイコールのコミュニケーションにおける破綻です。 ハイデガーがキリスト教? ジークフリート神話? 笑わせるんじゃないっての。でも彼の周りはその程度でしか動かない。だから殺っちまえになる。 頭のいい人間の正しさがサチュレイションに達すると「おしゃべりをやめたく」なる。ニーチェも一説には読んでいた罪と罰。 ラスコーリニコフだって、金貸し婆殺せばナポレオンになれるなんて自分でも思っていないんですよ! 彼はただ、生きたかっただけ。そして「老婆を殺したんじゃない、自分を殺したんだ」。 ネオコンさんや「バカ白人」をちょっとだけ弁護すると、あったまいい奴も多いわけでね。 ところがこれからの歴史は彼らが戦争無能力者、資本主義無能力者だったことを証明するでしょうさ。ハイデガー同様。 資本主義があらゆる論理形態の統合体で自分を超えて超えていくものなら、ネオコンごときが計算する通りに行くわけないんですよ。機能するのは例外の理論だけ、つまり理論じゃない理論だけですよ。 ねえ、哲学って正しさを追求するんでしょ。じゃ、バカ白人追っかけてもしょうがないでしょう。彼らは端的に間違えから入っているのに、公理系がないのに、喚いてるだけですよ。 サチュレイションに達したら創造をしましょう、殺すのはバカだ。想像の次元でいくら殺してもタダですから、本も読む、映画も観る、何でもする、資本主義をする。そう、清く正しい資本主義。ただ正しくないことはしない。わらい。 負性は借金でしょう、ネガテビティでしょう、憎しみの産物でしょう。それ自体では売れませんよ。はは。ワイドショーネタは売れる? ええ、あなたの負けの憂さ晴らし。「人々は敗者が好きだ」(ジム・キャリー)。
だからユングの集合無意識というのは、何度も言うように遺伝情報では女も男も喩えなんですが、 そういう生命のはずみを失って元型がどうのと言い出すと、ナチなんだよな、もう。 だから私はユングは「学者」としてはたいしたことはないと。ナチの協賛者ですからね。 「そうだ、『神話的な女性』を入れよう!」とか、どんな大江健三郎贔屓の作家さんでも思わないでしょう。 そうすることが自分のストーリーを導くのに都合がいいからという理由だけで用いてられている無意識の作法を、人間の構造にしちゃうのは、実体主義だと言ってるんです。
わけわからんなw
ニーチェとナチスには共通点があった、だから利用された。そういうことを認めるのが《誠実さ》だよ。
ニーチェには
>>832 みたいに障害者排斥の思想があったのは事実だし、
ニーチェがユダヤ人を批判したのもまぎれもない事実だから。
「キリスト教は、ユダヤの根からはえ、この地盤から生じたものとしてのみ納得のゆくものだ」『偶像のたそがれ』
「ユダヤ人とともに、道徳における奴隷一揆が始まったのだ」『善悪の彼岸』
「それは種族のなせるしわざである。 〜 三度繰りかえしてみてもユダヤ人である」『反キリスト者』
こういうことをちゃんと認めた上で、そういう部分に対する自分の態度を決めないとね。
848 :
考える名無しさん :2008/02/09(土) 12:21:07 0
ルサンチマン?
情報化社会ってのはニヒリストの社会かもな。 ドストエフスキーもニーチェも、ニヒリストを物語りイジメやがるんだよ。 悪霊退散!ってな。
日本ってのは、欧米の情報化社会をさらに情報化した社会かもしれん。 ニヒリスト大国で自殺大国なのよ。 終わりの社会だ。
ユダヤ人のやることといえば金貸しだよね
>>847 ・・・それで、《誠実》なあなたは、どう表明するんですか?
>>810 引き籠もりならニーチェよりユイスマンスの「さかしま」がいいと思うよ
ドストの長年の友人ストラーホフは、ドストの性格について、 「彼は、意地悪く、ねたみぶかく、みだらで生涯を非常に興奮して過ごしました。…彼に一番似ている のは、『地下室の記録』の主人公、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『悪霊』のスタヴローギンです。」 と1883年11月28日付けのトルストイ宛の手紙に書き記している。 ただし、ストラーホフとドストは晩年、関係が悪化してたから、この手紙の言葉もそのまま信じるのは危険だけど。 若い頃は、2人でイタリア旅行に行ったりして、胸襟開いて語り合った仲だったんだけどね。
>>854 ドストエフスキーは誠実に表現したみたいだな。
実際に会って話したこともない人のことについては何も知らないし何も言えない
一方の極限からみると、みんなの意識は一者の夢であり、さらに物質はその夢の比喩である。 全ては一者に仕組まれた運命であり、個人の故意なんてない。 予知や時間操作は一者と融合した人によって可能である。 もう一方の極限からいうと、唯物論が絶対正しい。 ということです。 数年くらい禁欲して死の瀬戸際くらいまで意識が高まると、前者の視点に限りなく近づく。 それで僕は迷惑にも神秘体験を2chでした。 たぶん数年後、2ちゃんは無くなります。 前者の視点からいうと、早のせいで。 後者の視点からいうと、未来になってみないとわからない。 ランボーが詩人の中では前者の視点に一番近付いてる。 もし発狂しそうになれば、洗面器をぐるぐる回るメダカの大群が、 水が凍ることによって止まる印象を想像するのがいいです。 ひかるさん パソコンこわしちゃったので、 (僕は誇張なら容赦なくしますが、有りもしない物理的な事実を書き込んだことも無断引用や盗用したこともない。 しかも、今はすっきりして後者の視点に近付いています。名無しで書き込んだのはこのスレで1回。>>ALL) お電話かここでしか連絡できないのですが、 とにかく、リアル会いたいです。
不誠実だ。神秘体験したのではなく発狂したというべきかもしれんよ。 ともかく、リアルでひかるに会って死んでも離さないことだ、ソーニャ。
スヴィドリガイロフっていまいちどういう奴かわからない書かれ方じゃなかったっけ?
いいおっちゃんだったよ
861 :
はや :2008/02/10(日) 10:57:33 O
多大な迷惑をかけつつ、2chで発狂しそうになりました。
書いてるときはみんなのためだと思っていました。
でも今は、自己中極まりない行為だと自覚し、
罪を大きく感じています。
警察には出頭しませんが、誰か通報して、アクセスの解析などで逮捕されても当然だと思ってます。
僕は男で、20才の浪人生です。たぶん今年は落ちて、社会には関心をなくし、
40才のときには世界を転々としながら小説をかいています。
ひかるさんへ
http://13hp.jp/page.cgi?id=beatrice&pn=5 鍵は僕の本名の下の名前のローマ字です。
ブログの鍵は明日開きます。アドレスはこのスレにあります。
引用や盗用するときは、一字一句変えないで下さい。
なお、コメントは気が向いたときしか返せないかもしれません。
ニーチェ関係への関心や、誠実や逆に我慢、神秘への好奇心は、
死ぬ気で認識を目指すとき以外はやめた方がいいと思いました。
本当にご迷惑おかけしました。
名無しさんも、ノートンさん六六六さんも金曜日さんも、
ほどよくいい体験をしながら、いい人生を歩まれることを心からお祈りします。
862 :
842 :2008/02/10(日) 11:04:18 0
先日の続き。思い出した話が一つあります。 ニュー・イングリッシュ・リテラチャーの先駆けである、南アフリカの女性作家ナディン・ゴーディマー(ノーベル文学賞受賞)の短編に、 ”Town and Country Lovers”(邦訳の存在は知りません)があります。どんな筋書きか。 白人の鉱物学者と黒人の女性(職業は失念)が「恋愛」に落ちる。女性は将来彼の傍らにいる自分の姿を夢見るようになる・・・”Like his wife.” しかし人種差別政策の下では白人と有色人種の通交は法律違反です。2人のもとに憲兵が乗り込み、後に女性の母親は何と語ったか。 「私は二度と自分の娘を白人の奴隷にはしない」。 そういう話です。 この小説の巻末の解説が完全に間違っていると私は教授に告げました。2人の間に通常の恋愛が存在し、権力がそれを踏みにじったという「読み」は嘲笑ものだと。 この二者は差別するものとされるものという関係の前提のもとでしか「愛し」合えないのです。・・・”like his wife.”その意識の中の差別の存在を、警察権力が暴露するという皮肉。それがこの物語です。 私の手紙は教授に誉められ、無断で学部中に配布されました・・・情けない(本当に)思い出です。
NHKの、何と大江健三郎(この人の文学者としての力量は素晴らしいものですが、私が大嫌いな小説もあります。『人生の親戚』。読めたものではありません)までゲストに招んでの偽善的な番組を見終えたばかりです。 日本人の若者のコメントの幼稚なこと。9・11、特攻隊? 前者はともかく日本人が考えねばならないのは、20万以上の無辜の民を殺させた東京大空襲であり、8月15日に戦いを終えていない捨石にされた沖縄戦であり、2発の原爆です。 そして一説によれば故意に日本に宣戦布告をさせなかったUSAの狡猾さ、全面降伏を原爆の実験まで許さなかった狡猾さ、何よりそれと密約していたであろう日本政府と当時の元首の狡猾さと愚かしさです。これ以上何を言えばいいのですか。 アラブ諸国がどれほどの憎しみをUSAに対して抱いていることか。アラブに行けばタクシー運転手の殆どは難民ですよ。日本語と英語とドイツ語がペラペラのインテリが無職なのですよ。宗教は平和のためにある? イスラム教は神のために死ぬことを善としているのです。 「君はおぼえているか/あのときの我々にとって/無償の死は/何よりのあこがれだった」(吉本隆明)。日本人にもそういう時期があったのなら少しは想像力をはたらかせるべきです。彼らが何故サダム・フセインのクウェート攻撃まで弁護するのか。考えてみたことがありますか。 USAのマクドナルドとコーラによる攻撃がどれほどの経済的・文化的犠牲と屈辱を人々にもたらしているか。何故世界の3分の2が飢えているのか。日本人はローマ教会とカトリックの偽善と虐殺の歴史を学んでから、それらを信ずるかどうか決めるべきです。 ゴダールを観る前にフランス人の保守性を知るべきです。・・・ 何と情けない。偏見は無知なり、か。
864 :
842 :2008/02/10(日) 11:12:00 0
盂蘭盆会。何故この日に日本は自称「終戦」したのでしょう。柳田國男の「山の上に祖霊が宿るという信仰は日本特有のものだ」という説は、今では間違いであることがはっきりしています。中国に同様の信仰があります。「盆」という名称も中国からのものです。 京都の祇園会は大乗仏教と共に伝来した形式を今でも備えています。豪族や大王(飛鳥浄御原令以前に「天皇」は存在しません。「推古天皇」などという中学高校の教師がいればその人は無学無知です)の墳墓は朝鮮半島形式です。・・・それを柳田のような大学者まで誤った。 「日本古来の信仰」という虚構のために数え切れない命を犠牲にして終戦記念日を設定した! 私は沖縄戦が終わっていないこの日を、終戦むしろ敗戦記念日としても尊重しません。盂蘭盆会を信ずるのは結構。ですが私は祖父母の墓には自分の行きたい日に行きます。「もともと」というならこちらでしょう、日本人はそうしていたものです。
書く衝動は、認識を深めたいときだけにするのがいいと思います。
善悪の永遠の反復や、色々なものの回転が止まらないとき、
世界や自分の終わりや発狂の予調がするときは、
川が凍っていく印象、回転するメダカの洗面器が凍っていく印象、
などを想像し、頭を氷で冷やすこと以外は文字通りの理解は控えるのがいいです。
あと、あらゆるものを「塞ぐ」のも効果的です。
この書き込みより後のトリップなしの、かつ、このトリップ以外の「早」的な名前は、
僕じゃないです。
本当に発狂しそうになった人、しかも救急車が怖い人は、
>>857 のリンクに従って、進んで、僕の携帯に電話お願いします。
本名はこのスレの中盤から特定できます。
ノートンさん
無理しないで。
ブログは、2日前、発狂しそうだったので「塞」ぎました。
コメントは無しにしますが明日開きます。
本当にご迷惑おかけしました。今となってみれば卑劣さを自覚しています。
認識を深めたいとき以外は、僕のことや他の誰かのことを嫌っても、
呵責は感じないで。命令ごめん。
もう一度
>>861 >>857 を繰り返しておきたいです。お元気で。
スビドリガイロフは脇役ではあったがドストエフスキー自身を投影したキャラだったためか、 私の中では『罪と罰』の主役として位置づけられている。 ラスコーリニコフは、ドストエフスキーの思想活動の投影であり、その理想はまたナポレオンに投影されている。 この理想はニーチェにとっての超人に対応している。 ドストエフスキーは『罪と罰』の中でニヒリストとしての自分自身を理想を追求しつつ責めさいなんだ。 ニーチェも病弱なキリスト教徒として自分自身を、理想を追求しつつ責めさいなんだ。 つまりスレ違いではないわけです。 悪霊買ってきたから、これから読んでみます…。
867 :
842 :2008/02/10(日) 14:30:10 0
仕事の傍ら人権問題を勉強している立場上、常に呟く言葉があります。 There's a time when you're right, and then you know you must fight. Who's laughing baby?(Leave Me Alone, MJ) 昨日の続き。しかし「戦わねばならない」場所を勘違いしている人々が増えてきている。中国に喧嘩を売ればいいというものではありません。 確かに戦争責任問題で中韓とくに中国には、多額の有償無償の経済援助を迫られてきた(まず中国は返しませんとも、未来永劫)、「内政干渉」も受けてきた。 従軍慰安婦問題には虚偽の申告があるとの噂も。しかしこれ全て日本の政治の責任です。田中角栄が周恩来に子供扱いされて(毛主席は御出ましにはなりません)恥さらしの帰国をする以前からです。 戦争責任問題を(それは責任はあるのですから! まずそれを否定したい人が多いのですが。侵略戦争でない? 日本はどこで戦争をしたのですか。沖縄でさえ前琉球王国のれっきとした一文化圏です。 アジアが独立するのに日本が役立った? 事実です。しかし役立ったと言うのは知識と地図と道路を利用されただけのこと。日本人がその主体だったことは一度もありません。華僑と白人に這いつくばる現地人は多い。 しかし独立当時からの支配層とASEAN代表の顔触れを見るべきです)解決するには手は一つだった。それをマッカーサー、大統領にすらなれなかった男に勧められて避けただけのことです。 金でも、謝罪でも人の命は償えません。絶対に。何人殺しましたか。 「象は忘れない」(アガサ・クリスティー)と言います。韓国ではあと1000年経っても豊臣秀吉は決して肯定されないでしょう。まして60年前の戦争。誰が忘れますか。 しつこく書きますよ。以上。
842さん。ドゥルーズについてはどう思いますか?
現実問題を踏まえてニーチェの思想のアクチュアルティを探るほうが断然面白い。 少なくとも中学生日記レベルの私的な独白よりは。 842さんの文章は刺激になります。
ニーチェとナチスを語る場合、日本人が対岸の火事のように思ってしまうのはバカだよね。 ニーチェが日本に輸入されたとき、どういう反応があったか知っている人はいんのかな。 そういうことを知らずに向こうのことばかり知ってても・・・恥ずかしいだけ。
>>870 この世界を一元化した上で物事を考えれば現実問題が当然重要になる。
それを括弧に入れて哲学だけを語ろうなんて無謀なんだよね。そういう奴はニーチェを読めてない。
ブログにでも書いてろよ
一元化すると当然、現実は一者の夢になるはずです。
善悪の彼岸とは一者以外の何者でもない。
超人は一者に近づきすぎて滅ぶ人です。
現実はあきらかに二元的で、精神的には安定しています。
そして一元的視点と二元的現実的視点のバランスが大事だと思います。
もちろん、一元的視点に傾きすぎること、それをやりすぎることは悪いことです。
人を揶喩することは、何の認識にも繋がりませんが、
現実を意識の比喩にしてまで独白することは、色々な認識に繋り、
後になってその認識したことで現実へ価値を与えることができます。
あと、僕はこれまでこのスレで一回名無しで書きました、他の名前で書いたことはないです。
これからはどのスレでも名無しやこのトリップ無しで書くことはないです。
>>861 >>857 >>865 を繰り返しておきます。
命への畏怖を忘れないで欲しい、って中学生の日記的かもしれませんが、叫びたい!
荒らして本当にごめん。
例えばナチスは悪だと常識的に決めつけてるような正しい人間にドストエフスキーもニーチェもわかるわけがない。 スレ違いというより板違い。
しかしそういう正しい常識的な人がこのスレにき始めたあるいはレスし始めた今日このごろというのは、 正しい書き方、誠実さというものが注意され始めた頃なんだな。
正しい人間の言葉使いが正しい言葉使い、 いわば自然な言葉使いである。 自然のルールに従うことで始めて、人々は自然を支配しうるようになるのである。
879 :
842 :2008/02/10(日) 17:33:40 0
こにゃにゃちはー。はーい、やりますぜー。 ちくま学芸文庫の『ニーチェは、今日?』を読んでたんですが、ドゥルーズの「ノマドの思考」という講演の、素晴らしいこと! 畢竟、「ああ、私の知ってることしか言わないな」というリオタールとは、格が違うと言っては、失礼(笑)? でさあ、これを参考書にして、というかそれこそ「テキスト」にしてね、以下の私の雑文を読んでくれると、非常に面白いと思うわけ。マジ。 もう始めてますよ。で、ああそうか、そもそも、ニーチェとドゥルーズを読んでないとだめなのか。どっちも、今は、じゃあ、いいです(笑)。 まず最初に、今日において、ニーチェ的な人間とは何か、ね。ドゥルーズの挙げている一文がいいですね。「生きることは、生き延びることではない!」 これねえ、ドゥルーズが、自殺するときにも自分に言い聞かせた科白だと思いますよ。ヲレ、病床の彼の自殺には感動したもん。 「外から見てどうにか説明することのできるのはただ、ニーチェが自分自身のために、そして同時代の、あるいは未来の読者のために、 反意味(コントルサンス)を享受するある種の権利をどのような仕方で要求したかという点にかかわっている、ということだけです。」 え、すでに意味不明?マルクスはマルクス主義になると国家による再コード化。コードとは一定基準でくくること、くらいに思ってください。 フロイトはフロイト主義になると家族による再コード化。要するに、新たな国家や家族が出現するだけと。 ニーチェはそうではない。脱コード化といいます。本文読んでよ、タイプするのが面倒。
コード化の道具について。法と契約と制度。狂気をコード化するには、病院施設(法)か、精神分析(契約)か、政治的野心(制度)か。 「そして、このようなコード化のうえに私たちのもろもろの官僚制が花開いているわけです。」 ニーチェは再コード化しようとはしない。あらゆるコードをもつれさせる。しかしまあ、ドゥルーズはなぜかここでいつもカフカにこだわる。 カフカは非常に古典的な隠喩の文学だと、私なんぞは思ってるんですが、ドイツ語のできるドゥルーズにはそうじゃないんでしょうね。ああそうか、まあ、隠喩と言っちゃいけない。やらしいですね、この言葉は。 ニーチェのアフォリズム(箴言形式)の特徴。うわあ、これタイプするのか。でも大事だからやりますよ。 「とても美しい絵、あるいはとても美しいデッサンとは何でしょうか。ここになにがしかのガードル(額縁=枠)があります。アフォリズムにしても、また枠に組み込まれています。 しかし、どのような瞬間から美しくなるのでしょうか、そのガードルの中にあるものは? それは、その運動が、額縁におさめられたその線が、よそからやって来るということ、 その線が額縁の内側で始まるものでないことがわかり、そしてそう感じる瞬間からなのです。」 「線は額縁の上方、あるいはその脇で始まり、線は額縁を横切るのです。」 ここでドゥルーズはカフカの万里の長城を引きますが、ドゥルーズの言ってることだけ読めばいい(笑)。 「このようなテクストは、外からやって来るなんらかの運動、本のページから始まるのでもなければ前にあるページから始まるのでもなく、本の枠には収まらず、普段、 言葉を通して読者の頭の中で起こっているような表象の抽象的連動や概念の抽象的運動とはまったく異なる運動によって横切られているのである」。ニーチェにもそれがある。
ナチスを悪だとみて多数決な価値観に則ること自体は忌むべきものではない。
でもナチスやオウムに(あくまで価値観として)賛成してまで、
"命への認識"を深めることも忌むべきことではない。
"命への認識"のために"自分の中で善悪を戦わせる"ことをする人が増えれば、
"現実の事件"としてナチスやオウムのような悲劇が起こることは少なくなるはずです。
842さんの訴えから伝わってくるような、
命に対する強い"畏怖"があれば、絶対、人を殺そうなんて幽かな衝動さえ出てこない。
自己への猜疑や善悪の葛藤が限界まで深まったり、物理的禁欲が何年も続くと、
『人間的な』次元を越え、「超人的な」ものをかんじはじめ、
そのときに、『ツァラトゥストラ』の比喩が生き生きしてきて、神話を読むことが喜びになり、
草木や花や鉱物などの森羅万象に感情移入できるようになる。
でも、超人的でいること、超人的な人を支持しすぎることは、
神経の破綻や発狂に繋がる。
>>857 >>861 >>865 >>875 を繰り返したいです。
酷い饒舌ごめん。
荒らし続けてキリがないので、
このスレを見るのは絶対最後にすると誓います。
とにかく、少しでも読んで下さってありがとうございました。
外部が問題なのだ、と。哲学として独立しているか云々なんて言ってる人に聞かせたいね。 独立とか、物語とか、そんなものは、幻想だし、模倣なのよ。自分が一番よく知ってるでしょうが(笑)。 次はニーチェのアフォリズムと強度との関係。強度を表象と交換するな、と。ドゥルーズを踏まえてるんじゃないのよ。霊感に忠実であればこうなるのよ。 アフォリズムのユーモアとイロニー。ニーチェを読んで笑えない奴は読んでいない、と。これはドストエフスキーもそうですねー。 カラマーゾフの2巻なんてさあ、どんなお笑いよりも腹抱えて笑うもん。私、人生であれより「笑える本」、読んだことない。罪と罰でスヴィドリガイロフが登場する時の言葉とかもね(笑)。 次は超コード化と、官僚機械対戦争機械=ノマドとの関係と。超コード化は両者を含むんですね。 超コード化というのは、要するに中央集権的国家がまあ一番のモデルですが、大和王権にもなくはないよね。。 天皇制ができちゃって中世になると、朝廷がサムライをどうにかしなくちゃいけなくなる(笑)、っつだけの話です。 恐らく平家は、日宋貿易で、朝廷を凌駕しちゃったんでしょう。で、遷都させますよね。ただ、朝廷の中枢は、ここで平家を滅ぼしにかかる、と。 いえいえ、源氏が平家を滅ぼした? 冗談じゃない。源頼朝は、北条の傀儡なんですよ。自分では戦争も何もできないの。だから「義経」が必要になる。 北条にとっても、朝廷にとってもですよ! 「義経」が牛若丸と同一人物かどうか、そもそも源氏かどうかね(笑)、全然興味ありませんが、続けますよ。 木曾義仲、まあ、特に重要じゃないので、とばします。
で「義経」がね、天才的な戦争屋だったことは事実ですよ。一個の天才が率いないと戦いにならない。ただね、一ノ谷、屋島、壇ノ浦、どれを取ってもさあ、 現地の山民や海民から情報をリークされてることが明白なんですよ。それなしに作戦の立てようがない。そして「義経」を山の民や海の民と繋がらせることができるのは、京都に残ってる方の朝廷でしょうよ! だから、予定調和。平家は一応滅びる、安徳天皇と二位尼はいらない、西日本は朝廷、東日本は北条が仕切る。そのためには、「義経」を平泉にわざと(ですよ)逃がして、藤原秀衡を暗殺して、一気に奥州をつぶす、と。 逸れてないですよ。引用:「戦争機械をもつノマド的生活者は、行政機械をもつ専制君主と対立します。・・・専制君主の課題はノマド的戦争機械を統合し、内在化することであり、 ノマド的生活者の課題は征服のなったその帝国になんらかの行政機関をつくりだすことになるでしょう。両者は、双方が混じり合うその場で終始、対立し合うのです。」 ところで、「しかしながら、ノマド的生活者とは、必ずしもだれか動く人というわけではありません。すなわち、その場におけるさまざまな旅行、強度における種々の旅行というのもあるわけで、 歴史上においても、ノマド的生活者は移民のしかたで移動する人々とはかぎらず、反対に動かない人々こそそうでしたし、コードを逃れながら同じ場所にいつづけるためにノマド的生活をとりはじめる人もいたのです。」 蛇足だったか。一応。
早はどうもひかる相手にはソーニャでいられないのかもしれない。 ひかるはこんなはずではなかったと思ったことだろう。 そしてこんな疑念に身を凍らせたかもしれない。 俺は光というよりはむしろ闇なのか? 聖霊というよりは悪霊なのかと。
早君は男だったのか? 女なら興味あるが男なら全く興味はない あの文体は絶対女だと思ったんだけどな
今回の早の騒ぎは全くの汚らわしき荒らしであって、 今まで繰り返されていたものとは質が違っていた。並々ならぬ汚らわしさだった。 ラズミーヒンなら早を『この悪霊に取り憑かれた豚畜生!』と表現するところだったろうか。
>>885 ソーニャじゃなかったら彼はラズミーヒンだったんだ。
興味がなくなったとすれば早がどちらでもなくなったからだろう。
とはいえこの変化はまだひかるとの距離に呼応しているようだが、
距離が0になった時に不可逆的な変化が起こるかもしれない。
いや、俺は単に女の方が圧倒的に好きなだけだ
そうか。
脱コード化のためには当のコードにしたがう必要がある。 ソクラテスが対話で行ったのは正に脱コード化だといえると思う。 相手に従いつつ、相手に逆らう。蛇に自分の尾に噛みつかせる。 産婆術という名の死に神。 ニーチェは「悲劇の誕生」で、このようなソクラテス主義に対して脱コード化を目論んだが、 思うに《ソクラテス主義にはソクラテス主義を》でなければならなかったのだ。 宗教には宗教を…ツァラトゥストラ…
昨今の事例を挙げればソーカル事件がこれである。 まるで一種のスパイのようにして彼は扮装し、哲学者たちの秘密を暴露したのである。
892 :
考える名無しさん :2008/02/11(月) 14:35:35 0
ポストモダンざまぁw
>>865 あら早君PC壊しちゃったのか。
ネットカフェからかな。。。
>>842 なんか非常に面白いこと書いてる。
あとでじっくり読んでみよう。
842は話が飛びすぎてて全部中途半端だな。そういうのが今のはやり?w
感想文的なところが早に似てる。
知らんが
>>842 はひかるって奴だったりしてな。
ひかるが悪霊かもしれないみたいなこと書いてからこなくなったし。
まあね、俺が奴だったらと思うと怖くなったよ、きっと悶絶するはめになるからな。
…そんなはずはない。そんなことがあってたまるか。俺が悪霊だと? 馬鹿が。
何も知らないくせしやがって。ふざけんな!
…震えてる、俺は震えてるのか?
何だこの怒りは… クソ、煮えくりかえるようだ… 苦しい、苦しい…
なんとかしてくれ、くっくそっ、はぁはぁっ、うっくっ、どうにかならないものか… うはぁっ…がっくっくっ、うおっっふぃ〜 く、苦しい まじ無理だこれw
もはや笑うしかないのかw
ダメだ…これはもうどうしようもない
うおぉぉっ超苦しいぜ…
842はコピペ。マジレス乙。ググってみな。
ちょ、だからスレ違いだと。全くいわんこっちゃないぜ
ポストモダンにはポストモダンを。 何故に目には目を、歯には歯をという古の英知は有効に機能するのだろうか? これは、認識体系というのが、認識と解釈を限定する排他的かつナルシスティックな性質をもつ《注意》だからであるが、 それにしても、それは目のように鏡なしには己自身を認識することができないからである。 己自身を認識していないということこそが、それに活気を与えている。 己自身を認識すること、自意識は、己自身に噛み付く病であり、己の尾に噛み付いた蛇である。 そうなると、アスファルト上のみみずのように干からびていくのである。
ニーチェ独自の(認識体系)は非体系であり、非限定的である。 永遠回帰といって上記の病的状態、認識体系の死を認識の基本に据えたからである。 これは注意しないことによって、全てに注意しようとする無謀なものである。 認識の限界を追究するものである。 太陽を直視すること、接近することがどういうことか、そんなことはわかりきっている!
全てが永遠回帰するということは、 何も注意に値しないということである。
回帰嫌い。レーシングでもサーキット状のは嫌い。空しい。
死にいたる病だからね。
絶望病もニヒリズムも中二病も
死にいたる病にかかったら死にたくなるだろう。重苦しくなるだろう。 そこでこそ敢えて生きようだなんて、気違いのようだ。 ただ、死にいたる病も進行するとふと楽しくなってくるだろう。ふと、身軽になる。 貧乏だって酷くなると失うものは何もないとなって気楽になり元気になる。 「失うものは何もない」これは一種の幸福である。悪魔的な。 人間何にでも慣れてしまうものだろうか? 拷問にも? 人殺しにも? 流石に頭が良く、学習能力が高いだけのことはある。 学習は鈍感になることでもある。 だからこそ、人は死にいたる病にもかかるのである。
ゾンビだ。 永遠回帰なんてしてたら、おまいらみんなゾンビだわ。
907 :
考える名無しさん :2008/02/13(水) 12:51:10 0
何様(*^_^*)あば〜
しかしドストエフスキーの描く女は魅力がないな。いやに陳腐だ。 事実上、一般的にデファクトで女はゾンビだからなのかもしれん。
自分を捧げるのが女の幸福だとすれば、 女はデファクトで死にいたる病にかかっているということだろう。 ニーチェやキルケゴールは女のような弱虫だった… ニーチェは気高いにしろ。それもまた女っぽいわけだが。 どうもこいつは女の幸福を求めたんじゃないか? 実存って女じゃね?って感じだ。 近頃の日本男児は女々しいというが。
「どうしてまた、あの熱狂的な社会主義者、共産主義者という連中が、その一方では揃いも揃って信じられないほどのけちん坊で、業つくばりで、私利私欲のかたまりなんですかね、 しかも、その人間が社会主義者であればあるほど、その度が進めば進むほど、私利私欲の程度がひどくなっていくくらいだ… これはどうしてですかね? これも例の感傷癖から来るものなんだろうか?」 (江川訳 ドストエフスキー著 悪霊) 死に至る病を癒やす実存的な自己犠牲は希望であり、注意であり、私利私欲だからだ。
911 :
考える名無しさん :2008/02/13(水) 19:24:00 0
ジュンク堂行ったら 絶版だったハイデッガーの『ニーチェV』が 復刊されてたから買ってやった
>>908 確かに魅力がない。
性的魅力がないw
でもそれなりにゾンビ的観点での女性とは言える。
たぶん、ドストエフスキー自体官能的観点から女性見る目が少なかったのか?
女嫌いだったのか?
ニーチェは(ボコス族は女をハイエナだと言っている・・)
『道徳の系譜』にこんなつぶやきがあってボコス族って一体?
(ニーチェって笑っちゃいけないけど、笑ってしまう。
太宰やドストエフスキーと一緒だね。このへんは。)
913 :
考える名無しさん :2008/02/13(水) 19:36:52 0
可愛い子が自分を好きになってくれれば すべて解決!
ノール、コール、ポールと韻なんぞ踏んできりがない! (この人を見よ) ここで爆笑してしまったよ。
ニーチェて随筆っぽいね。
なんだかんだ言っても太宰みたいに一緒に情死してくれる女もいないだろ 俺もいないけどね
>>912 女が女を描いたところでああした女たちになるよ。
魅力的な女は想像上の女か、鈍い女なのよ。
しかもこれはある程度の肉体的な魅力を前提にしての話なんだけどね。
女が女を描いたら殆どが女弁護になる
鈍い女というのはある意味想像上の女だな。
「生は苦痛です、生は恐怖です、だから人間は不幸なんです。いまは苦痛と恐怖ばかりですよ。 いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。そういうふうに作られてもいる。 いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている、ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。 いまの人間はまだ人間じゃない。 幸福で、誇り高い新しい人間が出てきますよ。 生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なんです。 苦痛と恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。 そして、あの神はいなくなる。」 (江川訳 ドストエフスキー著 悪霊 キリーロフ氏)
「覚えておきたまえ、きみは報告の義務があるんだから」 「そんな報告などぺっぺだ、ぼくはどこのどいつにも義務なんか負ってないぞ」 (同書) 私はやはり「ぺっぺ」というような具体的な表現がお気に入りである。 非常にといってもいいくらいだ。 今は亡き早君はこのような具体性の心の豊さへと私の目を、三度否、私の心を開き導いてくれた。 ありがとう。そしてさようなら…。
922 :
考える名無しさん :2008/02/14(木) 03:03:28 O
「何も失うものはない」という状況は満足を人に与える。 何故か? それが完全性の属性といえるからだ。 不可侵性:これは完全なる「あの神」の属性である。
無論、この不可侵性は永遠回帰の属性でもある。 永遠回帰する世界においては何者ももはや敵ではないわけだ。「あの神」でさえも。 何者も介入できない。奇跡は起こらない。 「あの神」は消える。死んだに等しい。無力だ。蟻一匹にも手出しできない。 その世界は完璧である。 「あの神」さえ侵入できない完璧な城である。
とはいえこの永遠回帰という完全な城と完全な「あの神」はまさに矛盾するわけだが。
ふむ。まあ、ニーチェはツァラトゥストラ執筆後にアンチキリストを執筆してるしな。 処刑ライダーなら矛盾とは永遠の闘争だとでもいうかもしれんな。 俺は、永遠の戦士、処刑ライダーだと。 無限の戦士、処刑ライダーだといってもいいくらいだと。
>>925 カッコイいいなそれ。
ぺっぺとされても構わない。はっきりいわせてもらおう。
俺は無限の戦士、処刑ライダー2世だ! かかってこい、永遠にでも戦ってやろう。
俺は伊達に無限の戦士を名乗ってるわけではない。
君らの中に永遠の闘争に耐えられるものがあるか?
…ふん、弱虫共めが。
まあ許してやろう。 こちとら眠いんだ。おまいらと戦ってる暇はないんだ。
ではさらばだ。アディオス!
それにしても・・・ 女性の性器の位置ってのは、本当に『いい位置』にある。 あの『位置』にあるのがごく当たり前のようだが、やっぱり『いい位置』にあるのだ! 男根はかく言った。
女の又の力は『努』らしい 男はこの溜めに努力するとか
》 「きみ、子供は好きですか?」 「好きです」とキリーロフは答えたが、かなり気のない調子だった。 「じゃ、人生も好きですね?」 「ええ、人生も好きですよ、それがどうしました?」 「ピストル自殺を決意していても?」 「いいでしょう?なぜいっしょにするんです? 人生は人生、あれはあれですよ。生は存在するけれど、死なんてまるでありゃしません」 「きみは未来の永遠の生を信じるようになったんですか?」 「いや、未来の永遠のじゃなくて、この地上の永遠の生ですよ。そういう瞬間がある。その瞬間まで行きつくと、突然時間が静止して、永遠になるのです。」 《 同書
悪霊のその会話はある映画でも引用されてる
》 「あなたがこう言ったとかいうのはほんとうですか、何か好色な、獣的な行為と、 たとえば人類のために生命を犠牲にするような偉業との間に、 美の差異を認められないと断言したというのは? あなたがこの両極のなかに美の一致、快楽の同一性を見いだしたというのはほんとうですか?」 「そう言われると返事ができませんね…返事をしたくない」 スタブローギンは、いかにも立ちあがって出ていきたそうな様子を見せながらこうつぶやいたが、立ちあがりもせず、出ていきもしなかった。 「なぜ悪が醜く、善が美しいのかは、ぼくにもわからないんです。 でもぼくは、この差異の感覚が、なぜスタブローギンのような人では摩滅され、失われていくのかはわかるんです」 《 同書
>>931 いずれにせよ、男根的行為、種の繁栄のための自滅的な行為であって、とてもじゃないがエゴイスティックな行為とはいえんわな。
本人はそのつもりでいてもだ。
しかし、人類のために生命を犠牲にする偉業は善であり美であるというラスコーリニコフ流の恐るべき認識が、 ここではもはや常識的に語られているんだな。 これは今尚この瞬間にもある種の人々を導いている生ける認識だろうよ。
やはりこれは、「あの神」が最強の矛ならば、ニーチェというのはそれに対抗して永遠回帰という最強の盾を編み出したといえるのだろう。 ニーチェは女々しい。
アンビバレンス 矛盾は矛盾のままでロジックは無用
936 :
考える名無しさん :2008/02/15(金) 13:58:36 0
Z
937 :
考える名無しさん :2008/02/15(金) 13:59:13 0
あはは
いひひ
早君の新しいサイト早く始めてくれよ
940 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 00:02:53 0
早君、楽しみに待ってるんだよ
>>934 事件は現場で起きてるんじゃない。
脳内で起きてるんだ!
942 :
蝶々の巣 :2008/02/16(土) 03:23:28 0
943 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 03:24:16 0
重複失礼しました
神とか永遠回帰とか、善悪とか自由とか平等とか権利とか、すげー脳内だよね。 小説ばっか読んでると、世界がすげー脳内物語だという気がしてきたね。 いやいやまじ脳内だよ。うん。
明らかな間違い、物理的にあり得ないことを書いてしまったものがありました。 (言葉としておかしいことならいくらでもたくさん書いてしまいましたが… 物理的に有りもしないことがひとつありました。) もう見ないと誓ってしまいましたが(本当に見てません)やはり正しておきます。 神経細胞から軸策(神経繊維)が生えている、 そしてその軸策は読者や勉強によって10本でも20本でもに成りうる、 と書き込みましたが、これが間違っていました。 軸策(神経繊維)は神経細胞から一本しか生えません。 こちらが事実です。 でも思考や勉強によって軸策は伸びて、他の多数の神経細胞と連結したりします。 つまり神経細胞から生える軸策は一つだけですが、その軸策によって10個でも20個でも他の神経細胞と連関しあえる。 刺戟が少ないまま思索や読書しないままでは、一つの神経細胞それぞれはあまり多くの他の神経細胞と関連し合わないけれど、 しっかり頭つかうと、一つの軸策(神経繊維)が他の神経細胞と連結する度合いが大きくなり、 神経ネットワークは密になっていく。ということです。
物質の耐えられない軽さ
ニーチェにやられれたら、無理矢理にでも色々なことを考えさせられます。 しかも、大脳皮質上だけでなく、大脳辺縁系や、ツァラトゥストラに至っては自律神経にも刺戟がきます。 普段は意識できないはずの神経領域にまで、ニーチェの言葉は届く。 しかも皮質も同時に刺戟する。 つまり原始的かつ知的。 ニーチェにやられればやられるほど、 身体の神経全体を使って思考したり感じたりできるようになると思います。
>>939 >>940 一応受験受ける予定で、しかも今パソコンがないので、
1〜2ヶ月後になりそうです。
一二週間前のこと謝罪します。
不特定多数の方へ多大な迷惑をかけてしまったかもしれません。
あるいは影響を受けたのは一部の人で多くの人は白けていたかもしれません。
混乱して衝動を止められませんでした。
私のことはどれだけ嫌っても絶対ひかるさんのことは嫌わないでください。
異常な状態の私が勝手にひかるさんの感性や作品に狂信していただけのことで、
実際のところとは全く違うかもしれません。
もし悪い影響を受けてしまった方がいたら、嫌悪感、不快感、毒、言語感覚の混乱などは是非、 あたらしい認識を得るために「利用」して下さい。 どんな嫌な感情でも認識と表現のために利用するのがニーチェのやり方だと思います。 ニーチェにとって、認識とは、生に対する新しい遠近法を創ることです。 非日常的な混乱した言葉から得られる利益が少なくとも一つあるとすれば、 それは、今まで感じ得なかっただろう情緒や感覚や観念を呼びおこすことだと思われます。 未知のものを感じながら色々な物事に対して思考していると、 新しい遠近法がうまれ、それによって今までとは全く違ったように生を捉えられ、 生に対して新しい意味付けを為すことに繋がるかもしれません。 乱れた言葉とくに比喩表現を読むことの利点が他にあるとすれば、 大脳偏縁系や自律神経を強く刺戟することです。 神秘主義やツァラトゥストラや象徴派詩人の言葉などが、 私の支離滅裂な言葉よりは洗練された形で、神経の原始的な領域を刺戟してくれます。 激しい情動状態にあればあるほど、原始的言語に対する感度は上がり、 深く本能へ認識が繋がります。
また、認識論も、一度カオス的な状態を経験した後に読むと、 (混乱しているそのときに読むと誤読してしまうかもしれません) 認識論が単に知的なものなのではなく精神構造とか命の在り方に関するものだ ということを具体的に実感します。 私は、死や、宇宙が在るということに、酷く恐怖しています、 もしこの恐怖感が感染した方がいたら是非認識欲の原料してください。 命や宇宙に関する根源的な不安や恐怖は、命の深みに根ざした認識に繋ります。 自分の書き込んだ言葉に利用価値があることを訴えて荒らしたことを正当化したいのではなく、 もし悪い影響を受けてしまった人が数人でもいたら、 嫌な心理状態にも利用価値があるということを示しておきたい、という意図です。 メンタルな心理状態は、ニーチェ関係では増幅されるばかりです。 河合隼雄さんや林道義さんの心理学は、深層心理を分かりやすい言葉で表現してくれていて、薬になります。 林さんの方が学問的です。 もし私に罵倒されたという方がいたら本当にごめんなさい。 道化にすらならない愚行でした。 酷く荒らして不特定多数の人を不快にさせてしまったことをお詫びします。
いいですよ 気にしないでいいです
あら、早君、ひさしぶり。ネットカフェかな?
早君のブログに何度かコメントしたけど、
反映されないようになってたね。
>>948 >異常な状態の私が勝手にひかるさんの感性や作品に狂信していただけのことで、
ひかるさんのサイトも見てるよ。
(日記は苦笑してしまったw でも箴言は別。)
要するにだな、永遠回帰というのは完結した物語でありながら、終わらない物語として、全てを物語にしてしまうものなのよ。
それは悲劇かね喜劇かね
通常、物語は終わることによって夢物語として認識されるんだが、 永遠回帰が意味するのは現実が終わらないというだけで物語だということである。
956 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 20:13:30 0
永劫回帰ってそこまで執着する価値ある? 神秘的だから好きな人が多いけどね
ニーチェは世界を終わらないが完結してる物語、劇として、見るように誘導しているといった方がいいな。
>>954 どちらでもいいのだ。
誘導された人間はどう生きるだろう?
どう生きるも決まっているわけであり、
知らないだけであり、
何をやるにしろ、
あらかじめ決まったものとして正当なんであるから、やったことに対して後悔は不用であるし、
やろうとすることに対して怯む必要もない。
何でもやっていいのだし、何にもしなくてもそれが決定されていたことなのである。
>>956 金曜日が永遠回帰について語ろうといっていたので、
出来れば語りたくはないんだが、
なぜだか、語ってしまっているんだな、これが。
煉獄極まりない。その前後に天国地獄もない 悲観から抜け出せない人は何処までも受動的
永遠回帰するということ、全てが絶対的に必然的に無限回同様に生起するというような証明できないような思想を持ちださなくとも、 我々には何の自由もないとはいえるだろう。 なぜならば普通に経験されることだが意志自体は任意ではないからだ。 我々の意志は我々のものではない。誰のもの? 誰のものでもない。 意志は非主体的なものである。 意志なき主体はない。 主体は意志をもっていなければ主体とはいえないが、その意志は非主体的である。 ならば主体とは何か? 非主体的なるものである。 非主体的なるものの行為は非主体的である。 その行為に責任があるとすれば非主体的なるものにある。 誰もが非主体的なるものなのだから誰もいない。 実際には非主体的な主体しかないのである。神でもなく一者でもない。 何者でもないものがあるのみ。特定できないものがあるのみ。 これはいわば「無者」といえるだろう。 我々は我々として非主体的な文法に基づいて物語られているだけである。 誰に? 誰でもない。いわば無者に。
からくり武者?
962 :
僕は太田寿 :2008/02/17(日) 11:52:05 0
日本国民に告ぐ。 僕は太田寿だ! ヤックルだかナックルだか知らないが、お前はいい気になっているらしいが、それ ではアメリカ南部のゴミクズどもと一体何が違うのか! 僕はつんぼだから天王寺のラブホでいつでもかかってこい!
963 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 11:53:07 0
ロリータ
964 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 13:38:48 0
永遠回帰を認めているとしても、 未来を知ってるわけではないのだが。
965 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 14:40:26 0
い〜こと考えた
966 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 14:42:06 0
ライトを破壊しろ
967 :
中上 :
2008/02/17(日) 15:18:37 0 枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘!