1 :
考える名無しさん :
2007/12/15(土) 15:40:18 0 100年も前の爺さんたちが書いた本ばかり読んでいて、恥ずかしくないのかい?
2 :
本人降臨乙! :2007/12/15(土) 15:43:15 0
ノ 7 ( 」 ―┐ll ( < _|_ (
: / > ) ―┘ て _、, ゚ 。 } ノ 」 Z,
: ‐┐ll ( ,,sr、Z ー { _猫j_ ノ ─ァ /
┃ ノヽ \L<,f ) 二.、 ( / ;lーl ` ) /ヽ {
・ っ /´ / )∠_ っ 「 C 」| | l Z っ (
( l / ,イ /.‐y-、 /⌒/~ ̄`-ヘイフ 'ァ-;__r⌒
⌒Y⌒Y´ ̄` | | | { ′_/ /  ̄ l |
L└ミ ト、 从 \ / l l __ __
l | `ヽ \ ノ⌒⌒\ て 〉 〉 | |_[][]┌‐'└┐ oo, 、
/ / \/`つ Vヽ └' | ┌┘  ̄|_「Ll </
/_/ /f ヨ z。ヽ〈 ー'^┘  ̄
〈_ノ l'_/盂ハ_ソ
↑
中沢(=
>>1 )
3 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 16:42:34 0
私も中沢先生のカイエソバージュと森のバロックが好きです。 スピリチュアル大好き。 江原さん、美輪さん、細木さん、出口王仁三郎さん、 アレスタークロウリーさん、ジュリアクリステヴァさん、 ミシェルフーコーさん、宜保愛子さんも好き。
4 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 17:12:26 0
/三ミミ、y;)ヽ /三 ミミ、ソノノ、ヾ、} ,':,' __ `´ __ `Y:} }::! { : :`、 ,´: : j !:! {:|‐=・=‐ i !‐=・=‐|:} r( / しヘ、 )j /三輪とは犬猿の仲なのよ! g ! ` !-=‐!´ ,ノg < こんど三輪の名前だしたら \._ヽ _´_ノ ソ \私が地獄に落とすわよ! __,/ ヽー ,/\___ |.:::::.《 ヽー/ 》.::.〈 //.:::.`\ /'.:::.ヽ\
オウムと繋がりがある人間はNGです
6 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 06:10:45 0
age
7 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 08:41:49 0
中沢さんって、吉本隆明の取り巻き・同伴者・腰巾着ってな 感じしない? つか、吉本隆明と中沢さんって異常にお互いを評価し合ってねーかい?
8 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 09:29:37 O
吉本と中沢は麻原を過大評価した仲。お互いが貶し合うのは政治的にまずい。
10 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 23:33:09 0
11 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 01:23:29 0
「なかざわしんいち」じゃと? おゝ、わしの若い頃、そういう三文文士がおったのぉ。 ん? 文士でなくて、思想家じゃったかな? 宗教家じゃったか? ・・・うーん、余りにも昔のことじゃから、忘れてしもうた。
12 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 01:41:41 O
カスタネダ(笑)
13 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 20:21:38 O
中沢読んでると白状するのは少し恥ずかしい。 でもみんなこっそり読んでるんだろ? 俺の大学入試の小論文の題文が中沢新一でした。 法学部受験の高校生に中沢なんか読ませて分かるわけないよな。 むしろ分かる奴が将来無事に成長する可能性は低い。 ニヒリズムとマルクス主義の傾向がない人には分からないからな。 何を期待して出題したのやら
100年以上も読者が居る方が凄いだろうが。 中沢は100年ももたん。
大学入試はリベラルな文化論の出題が多いんじゃない? この手のネタで出題すれば、受験生の思想傾向が分かる回答を 大学側が得られる。
16 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 20:52:39 O
今の世の中の様子からすると、だらだらと100年もつような気がするな。 論理性や実証性をすっ飛ばして感性でものを考え、論理をコツコツ積み上げていたのでは、とうてい到達することのできないレベルで思想をする。 当然皆にバカにされるけど、彼が言っていることに一定の正しさみたいなものが感じられるのも事実。
17 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 20:55:36 O
>>15 中沢はリベラルってレベルじゃないでしょw
正しさみたいなものを感じる
>>16 氏の感性が信用できるものか
どうかですね。
>>16 >論理性や実証性をすっ飛ばして感性でものを考え、論理をコツコツ積み上
>げていたのでは、とうてい到達することのできないレベルで思想をする。
ニーチェは『ツァラトゥストラ』で「自己の思想内容を論理的に著述し、論理に
よって読者に理解せしめる」こと自体(ソクラテス以来の西洋哲学の暗黙の約
束事)を根本的に拒否し、“芸術”(彼の場合は詩)によってこれを行おうとした。
ニーチェは後世の日本でさえ、高山樗牛など、多くの理解者を獲得するこ
とができた。(同時代のドイツの理解は得られなかったが。ツァラトゥストラ第
4部は自費出版に追い込まれたそうだ。)
永劫回帰という主題はインド思想に由来するものだし、超人思想はキリスト
教の神と人間の関係の逆転だし、聖書の詩篇をもじった詩は出てくるし、第
一、「ツァラトゥストラ」とはゾロアスター教の開祖のことだ。普遍的な読者を想
定して、グローバルな書き物を書いている。
それに比べると、中沢はいかにも中途半端だ。現代日本人の理解力をあら
かじめあてこんでおいて、そこに収まる程度にそこそこプッ飛んだものを書い
ていて、コマーシャリズムの悪臭がぷんぷん漂う。「100年後にドイツ人の理
解者を得ている」なんてことは、絶対にないだろう。単なる流行作家だ。
以前の中沢さんのスレッドは毎日のようにレスが有って伸びていたけど、 もう伸びなくなったね。
21 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 00:54:06 0
あげ
22 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 00:56:26 0
23 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 01:12:45 0
野生の思考(笑)
24 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 13:44:39 0
浅田スレが毎日盛況なのに、なんで中沢スレには誰も来ないの? 中沢のほうが著作が多い分、話すこともたくさんあるんじゃないの?
対称性思考を自分の身に引き付けて考えてみたいのだけど、なかなか難しい。 本当に非対称的な思考習慣にどっぷり浸かっていることを痛感させられる。 初期の中沢新一の著作が参考にならないかと思って読み返しているが、これは これでとても興味深い。資本主義と対称性思考の関係とかが気になる。
26 :
考える名無しさん :2007/12/22(土) 06:00:59 0
君ね・・・
金曜土曜に中沢スレが上がるのは読売新聞のry
28 :
考える名無しさん :2007/12/26(水) 01:51:49 0
だって中沢って哲学者じゃないし
アースダイバーはトンデモ臭いがおもしろい東京案内
30 :
昔の中沢 :2007/12/27(木) 16:44:18 0
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ <丶`∀´> < 俺、最新流行の思想家! ( 中沢) \__________ | | | 〈_フ__フ ======= |カ | |ポ| |. | |ス| |.ル| |.ト| |. | |モ| |.ト | |ダ| |. | |ン|
∧_∧ <丶`A´;> ( 中沢) | | | 〈_フ__フ ======= ヽ ヽ |ポ| ⌒∧_∧ ヽ ヽ. |ス| ´ ( ・∀・) ヽ ヽ |.ト| ( ̄ ̄=⊂/ 警 ) ガッ! ☆ |モ|  ̄ ̄ ○ 察 / / / |ダ| し.へ_ ) / /. |ン|
∧_∧ <丶;`A´;> ( 中沢) | | | 〈_フ__フ ======= ヽ ヽ / /| ヽ ヽ. / / ∧_∧⌒ ヽ ヽ / / (・∀・ ) ヽ > > ☆ ガッ! ( ソ ー ヽ⊃= ̄ ̄) / / ヽ ヽ ヽ カ ル ○  ̄ ̄ / / ヽ ヽ ( _へ.U || || ∧_∧ <丶`Д´> ( 中沢) ☆ ☆ | | | / = \×× ☆ 〃 = // 丶丶 ☆─ ××/─☆ ヽヽ ド ッ シ ー ン!
カルトに裏切られて カルトを裏切った島田↓ / l___l \ ||i | ● | | ● | |||i | ヽ / | ||||i \ ヽ/ / ||||i / \ |||||i | /\ / _ | |||||||i ヽ_/ Y / / / ∧ ||||||||i ヽ /__// ノ / 丶 ||||||||||i ヽ .(_______ノ ヽ / 丶||||||||||i / / / ノ ノ ガ 丶||||||ii / / / / ノ ッ ヽ 中沢↓ / / / / < ! > /\ /"""ヾ / / / / ノ \ /::.::.____/:::::::ヽ、 /;:;;:::''' | / / / / | | |||||||||iヽ /::. ______.::::::::::::: _ヽ_ | .| ⊂__/ / / | ./ ||||||||||||||||||i\ ./ ::::\ __丶\ヽv // / .| | / / ヽ_/ ||||||||||||||||||||||i ヽ // ̄ ̄√ ___丶  ̄ ̄\| | | / / ||||||||||||||||||||||||||||iヽ ∨| ::::::::: / / tーーー|ヽ .::::: ::| | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 三三||||||||||||||||||||||||||||i ヽ | .:::::. ..: | |ヽ ..::::::| / | / 三三|||||||||||||||||||||||i \ .| ::: | |ヽニ⊃| | ..::::::|ノ / ヽ _____ 三三||||||||||||ii \ | : | | |:::::T:: | !. ..::::/ /
34 :
今の中沢 :2007/12/27(木) 16:46:50 0
,, 〜 ∞ ゙ミ;;;;;,_ プーン ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,, i;i;i;i; '',',;^′..ヽ ∞ 〜 ゙ゞy、、;:..、) } .¨.、,_,,、_,,r_,ノ_∧ /;:;":;.:;";i; ',',',;i;;丶`∀´> < 俺、最新流行の思想家! ゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._:;.:; 、} ".¨ー=v ''‐;; .:v、,,、_,r_,ノ′ /;i;i; '',',;;;_~⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ ゙{y、、;:...:,:.:.、;、;:.:,:.:. ._ .、) 、} ".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ /i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ ゙{y、、;:..ゞ.:,:.:.、;:.ミ.:,:.:. ._υ゚o,,'.、) 、} ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
35 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 22:19:05 0
印税だけで年間1000万くらい稼いでるんじゃないかな。 日本の思想系で一番儲かってるんじゃない? 株とか不動産とかやってたら嫌だなあ。 定期預金くらいなら許してあげられるけど・・・
そんな売れてんの?
37 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 16:18:49 O
だって増刷すごいよ?
「九条を世界遺産に」だけでも30万くらいいってるらしいからな
39 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 17:22:44 0
お堅い本なんて、大学の学生に無理やり売りつけて、 2万部も売れたらすごい!な世界なのに。 どんな人が、なんのきっかけで読むんだろうね。思想系ファン意外にも売れてないと、あんなに重刷されないはずなんだけど。
40 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 19:03:02 0
>>39 コアな思想ファンが数千人なんであって、
もっとライトなスノッブ系思想ファンが潜在的に多くいるんじゃないか?
41 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 19:27:09 0
42 :
考える名無しさん :2008/01/08(火) 22:16:14 0
森のバロックと憲法九条を世界遺産にの2冊は、 100年に1回出るか出ないかの名著である。
43 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 02:01:40 0
44 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 13:30:30 0
中沢新一は外向直感型だと想う というのも、ありとあらゆる思想の森から、 直感的にエッセンスを汲み取り、融合させているように想えるからである 彼の仏教修行には、劣等な内向感覚の開発という意義があったのではないだろうか
45 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 15:06:54 0
同感だ 彼は知の宇宙から、瞬間的に仏のエネルゲイヤとでも言う物を つかみ取り、構造を脱中心化させていく創造性のテクネーを 光らせるのである 中沢新一のチベット体験は、ユング的な思想感覚の欠如を補う 内外対称性構造を持つのだろう
このスレに出会ったのも何かの縁 何か読んでみようかな
47 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 00:23:02 0
>>46 『カイエ・ソバージュ』全5巻(講談社選書メチエ)が良いんじゃね?
読んだが時間の無駄だったけどな
49 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 00:31:56 O
慈悲深い人たちをみるがいい、どこに近寄りがたい崇高なイメージがあるよ。本当はそういう人たちはみんなに近づいていったんだぞ。すべてのもののために汗と涙に暮れながら生きていった人たちだ。みんな悲しんだし喜んだし怒ったり泣いたりしたんだ
50 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 10:35:50 0
ミクロコスモスもおすすめ♪
>>7 弟子・知人の中で一番資質が近いんじゃないかと思う。
「新潮」の池澤夏樹との対談は面白かったですよ。「無人島のミミ」が完結 したんですね。単行本が待ち遠しい。
『イカの哲学』出たよ。感動しました。
54 :
考える名無しさん :2008/02/18(月) 23:54:53 0
>>53 最近、爆笑の太田さんがよく持ち出す
エクスタシーのこと書いてあるね。
55 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 01:38:17 0
とりあえず、 中沢の語る仏教は仏教じゃない、 とだけ言っておこうw
56 :
考える名無しさん :2008/03/03(月) 03:48:58 0
中沢新一さんって結婚しているの?
57 :
考える名無しさん :2008/03/03(月) 04:43:12 O
かなり前からしてる。
58 :
考える名無しさん :2008/03/04(火) 03:47:15 0
どんな人と?民俗学者?
59 :
考える名無しさん :2008/03/04(火) 07:58:30 O
ゴシップは芸能板へ
ニコニコに 浅田彰と坂本龍一、中沢新一、高谷史郎の組み合わせで トークイベントやっている動画がうpされてたんだけど、 中沢新一と浅田彰って、まだ交流があるの? なんかオウムの一件以降、仲が悪いイメージがあったけど。
61 :
考える名無しさん :2008/03/10(月) 21:51:49 0
無人島のミミはいつ出版されるのかな? はやく読みたい。
63 :
考える名無しさん :2008/03/12(水) 10:55:47 0
イカ臭い作家ですなホントに。困ったひとだ
たしか、フィロソフィア・ヤポニカを扱った文章だと思った。 昔中沢とあったとき、君の本のクラインの壜(壷ではなくて壜というのが中沢らしいと浅田評)と いうのが面白いねといわれたというのが冒頭にあって、 今度の本もインチキ臭くて決して本気にしてはいけないけど、とても面白い。 前から中沢のこういうところが好きだったんだみたいな。
カイエ・ソバージュのほうだったかもしれない
>>68 うわ〜読みたいな〜。
中沢そのものを扱った文章なんですね。
でも、いろいろ探してみたけど、残念ながらネット上にはないようだ。
71 :
考える名無しさん :2008/03/14(金) 06:57:35 0
【講演会】 ● MOT美術館講座 『生きている岡本太郎』 中沢新一 「日本のアヴァンギャルドとは何か」 2008年3月20日(木・祝) 15:00〜16:30 @東京都現代美術館 詳細は東京都現代美術館のサイトをご覧ください。
中沢の音楽批評や美術批評をもっと読みたい。 この人も浅田と同じく、批評の分野でのほうがイキイキするんじゃないだろうか? 趣味がよいのかどうかは判然としないけど、 対象の本質を直感的に感じ取り、 それを明快な言葉で表現する才能は他にはなかなかないものだ。
トーラスとクラインの壷――中沢新一の日本 2002.11.12b. 今"中沢 クライン"でみみずん検索したらタイトルは出てきた。 本文も見つかるかもしれない。
トーラスとクラインの壷――中沢新一の日本 11*12 もう20年以上も前、『構造と力』もまだ出版されていなかった頃、山口昌男 の主催するセミナーで初めて会った中沢新一は、私の『現代思想』の連載を 読んでいたらしく、「クライン壜の話、面白かったよ」と言ってくれた。 「クライン壜」という表現がいかにも彼らしいと思ったのを覚えている。 その頃から中沢新一は旺盛な執筆活動を続け、一貫してほとんど同じことを 語りながらも、よく言えば刺激的、悪く言えば嘘っぽいアクロバティックな レトリックで、そのつど私を含む多くの読者を楽しませてきた。 最近の日本文化論も例外ではない。 『すばる』に連載された田邊元論『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社) はさすがに数理哲学の読み替えが恣意的に過ぎるのが気になったけれど、 『群像』に連載されている『哲学の後戸』は金春禅竹の猿楽論などを題材に しているだけに自在な展開を楽しむことができる。 その最新稿(『群像』12月号)で、中沢新一は「いわゆる『日本的』な精神 の構造」を「異質な二種のトポロジーの二重並列的な共存」として明解な形 でモデル化してみせた。 「背後にはクラインの壷状のもの、その前面には空虚な中心をもつトーラス 状のもの」というのがそのモデルだ。 トーラスの「空虚な中心」には天皇が据えられたりもする。 だが、トーラスはそれだけでは活性を保ち得ない。 その背後にある「後戸」は「クラインの壷のくびれた口」であり、それは内 と外を連続的につなぐ無限の振動へとつながってゆく。 祭りの時に遊行の芸能者が演じてみせるようなその壷の振動を通じてこそ、 トーラスは権力を保ち得るのだ、というわけである。
これは明解なモデルには違いないが、問題も多い。第一に、トーラスとクラ インの壷が「並列」されているというより、日常的な秩序においてトーラス と見えているものが非日常的な瞬間にクラインの壷として現れると言ったほ うがいいだろう。 いずれにせよ、クラインの壷にあっては、日常的な排除の構造を活性化させ るものとして、もっとも周縁的な場所に排除されたものこそがもっとも中心 的な場所と通底するといった逆説的論理が見出される(それは山口昌男が天 皇制論で分析したヤマトタケルから蝉丸に至る流浪者たちの物語とも無縁で はない)。 それがきわめて興味深いものであることは、中沢新一の言う通りだろう。 だが、第二の問題は、そのような逆説的論理こそ、外部を内部化し単一体系 内に馴到するためのイデオロギー的メカニズムに他ならないということだ( たとえば中上健次の文脈で言うと、被差別民と天皇が背中合わせになってい るといった幻想のイデオロギー的効果を考えればよい)。 その意味において、トーラスを活性化させるクラインの壷という形で「日本 的精神構造」をモデル化するのはひとつの選択肢であるとしても、クライン の壷をいかがわしい魅力に満ちたものとして讃美し、そこへ通ずるという「 後戸」を排除することのなかった日本人の智慧を評価するだけでは、明らか に不十分なのだ。 それが日本文化論の終点であってはならない。 中沢新一が最後に言うとおり、「ここから現代を生きている私たちにとって の、本物の問いがはじまる」のである――おそらく彼の考えているのとは別 の意味においてであるが。
>>74-75 あいかわらず明快な批評だな。しかしこれって『精霊の王』のことだと思うが、
賢い人に聞きたいのだけれど、『精霊の王』の10頁足らずを抜き出して、どれ
ほど中沢に対する有効な批判になっているの? その後の章を見ると、その
クラインの壺やトーラスのモデルは、浅田のいう「外部を内部化し単一体系内に
馴到するためのイデオロギー的メカニズム」というだけでなく、それが生む国家に
よってそれ自体抑圧されてしまうものとして捉えられているように思えるのだが。
まったく見当違いの解釈だったら許されよ。
コピペしたのでうっかりしていたが、「馴致」だな。失礼。
中沢先生もチベット独立をテレビで訴えてください。 敵は一層増えるでしょうが、一部の若者の人気者にはなれるでしょう。
80 :
考える名無しさん :2008/03/16(日) 20:58:24 0
チベット仏教をネパールで学んだわけで
今こそ鎮護チベットの祈祷を行うべきだ
中沢さんの評論は、インチキくさくても大丈夫という、 学者として特異なありかたが面白いね。 また新ちゃんが面白い嘘をついてる、という楽しみ方ができる。
『ゲーテの耳』読んでるが、 カリタス・インディアって自伝というか中沢に本当にあったことなのかなぁ? それとも民俗学的創作? エロイなー
84 :
考える名無しさん :2008/03/18(火) 01:11:08 O
おい、中沢。チベットに恩返しする時がきたぞ。
85 :
考える名無しさん :2008/03/18(火) 07:21:26 0
>>84 あんな吉本自慰サンの腰巾着なんぞに何んもできへん、
つか、恩返みたいな発想も無いんとちゃうかな。
きっと中沢さんなりに何かやると思いますよ。 ただし、かっこ悪い事はやりたくない人なので、 坂本龍一のチベット何とかコンサートのエグゼクティブプロデューサー とか、テレビのチベット特集なんかに呼ばれてニコニコしながら ダライラマ頑張って〜と言うとか、そういう文化人として洗練された スタイリッシュな形でチベットを応援する事になるでしょうね。
はぁ? 今ごろ多摩美の研究室で鎮護チベットの祈祷してるよ。 テレビにて行われることが全てじゃねーんだよ。
88 :
↑ :2008/03/18(火) 09:21:32 0
オカルトキチガイ乙
チベット仏教なんて護摩焚いてなんぼだから祈祷くらいはしてるだろう。
そんな事しても、本人の罪悪感をゴマカス以外に何の意味も力もないよ
チベットどくりつ
92 :
考える名無しさん :2008/03/21(金) 16:14:32 0
イカ
93 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 10:54:21 0
オウムの石川公一って人が中沢新一の手先みたいだよね
苫米地も法皇官房と中沢の関係を主張してるよね
当初は仏教僧の体験をで説明するかなりの唯物論者だったらしい
オウム真理教に入った石川公一という、東大の医学部を出た内科医がいます。
ひょんなことでオウムに入ってしまって、サリンをまいたり、
東京都庁に爆弾を仕掛けたりしたんだけど、彼は中学高校のころは仏教に関心があったんです。
修学旅行で行った京都の名刹で、「修行を一生懸命していると仏さんの姿が見えてくる」と
お坊さんが言ったというんですね。面白いことに石川公一は、こんなことは脳内麻薬で説明で
きるんだと。睡眠時間を短くしたり、食事を取らないで断食を何日もしていたらそういうこと
があるんだと。こういうふうに意外と醒めた目で見ているんです。
仏教というのは苦しみを逃れるための教えでなくて、それをいただいていくための教えだと、
石川公一はわかっていた。だけど、オウムに入っちゃったんです。
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/takahasi.htm で、モスクワにいって「これから法皇官房の陰謀の時代だ!」だっけ?
その後、中沢のいる中央大学に通ったのも怪しいですね
94 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 21:24:19 0
Asso
95 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 10:09:01 0
よくぬけぬけと法要なんて出来るなコイツ。久々にむかついた
96 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 13:47:51 0
【ポモエリアン™にエサをあたえないでください】
97 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 10:44:58 O
苫米地のセミナー料金の高さもどうよ?w 高額セミナー、携帯のサブリミナル・ミュージック、中沢に負けず苫米地も商売うまいね!
ライフスペースも忘れないでねw ネーミングだけは秀逸 ライフフォース(スペースバンパイア)って映画があったが あれもミイラだったなw
中沢先生スレッド、2年まえくらいまで哲学板では人気あったのに。 太田と変な本だして島田ヒロの批判本が出てから、 急にスレがほとんど伸びなくなった。 中沢先生の本質は全く変わってないのになあ。
安藤礼二の『近代論』は最近の収穫だったが、この人って芸術人類学研究所 の所員なんだな。中沢新一のことは殆ど書いていないけれど、南方熊楠とか、 柳田國男とか、鈴木大拙とか、西田幾多郎とか、井筒俊彦とか、興味の対象が 中沢氏と極めて近い。
『古代から来た未来人 折口信夫』(ちくまプリマー新書)刊行。
102 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 22:24:47 0
橋下徹さんからのコメント 「このご時世、能狂言のファンっていうと恥ずかしいじゃないですか。 変質者っていうか」
中沢新一はよかれあしかれ宗教学者だと思う ネタが一部かぶるから哲学のあれこれについても無知ではない人だが 哲学としては言っていないと思う ご本人はレーニン論とかのラインをもうちょっと評価してもらいたかったのだろうが 吉本隆明に一蹴されて涙目ww
104 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 23:14:42 0
隆明はレーニンがお嫌い?
>>104 好き嫌いで言ったら嫌ってはいないだろうと思う。好きなんじゃないかな。
ただ思想については批判している。埴谷雄高との論争とか読んでみりゃわかる。苛烈きわまりないよ。
中沢のレーニン論はそこらへん露骨に避けて通ってる。し・か・も岩波だろ?
あれで吉本が怒らなかったら嘘だww
中沢としては「ちったあ目溢ししてくれないかなァ」くらいの目論見だったのかもしれないが
吉本にそれは通らんさ。そういうとこは本当にハッキリしてる人だ。
でも読むべきところはちゃんと読んで評価していると思う。
でなきゃ対談なんかしやしない。
106 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 10:36:28 0
中沢は吉本のアフリカ的段階を持ち上げてたな
107 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 10:51:30 0
つまらんな
108 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 20:45:08 O
アフリカ的段階は本当に酷い本ですね。 あんなものが存在するのかというくらい。
109 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 20:48:14 0
>>100 安藤を世に出したのは中沢だろ。
処女作の帯書いてる。
110 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 20:48:43 O
文体がネチネチ、ジメジメ、ウジウジしてるあたりが同じ苗字の吉本ばななそっくりで笑えるよなw 実は遠い親戚どうしとかなんじゃねーの?w
111 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 20:56:13 0
ウジウジした神話世界を描きたいから文体もウジウジしているんじゃないの?
112 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 21:12:44 0
うじうじした文体なのは、下町の路地に家があることも関係しているんだろうな
113 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 03:23:42 0
中沢さんのカイエソバージュ 圧倒的な非対称性の批判手段に狂牛病(伝達性海綿状脳症の一種)をもちだしていたけど、 対照的世界の食人儀式なんかが、 伝達性海綿状脳症の発病のもとになっていることを書かないんだよな。 中沢さんは、対称→非対称の流れを描くのが第一なんだよ。 これしか読まない人は、対称的世界を美化して 反時代的な考えを持つようになる。 人類が排除してきたことのよさについても考えないといけない。
中沢新一の書いたものなど 強引なこじつけの屁理屈ばかりで 論理的に滅茶苦茶というのは 分かりきっている事なんだがな。
115 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 10:18:44 0
論理はもとめていないが
116 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 01:28:40 0
安藤礼二さんの思想はないの? 世間話をまとめたようにしか。
>>1 >哲学板なのに中沢新一スレがないなんて・・・
>>115 >論理はもとめていないが
学問としての哲学において思考が思考として成立するためには、言語的論理によって媒介されていることが必要条件である。
論理以外(いわゆる「論理以前」も含む)の何者かによって媒介された思考は、もはや学問的知であることはできない。その「何者か」を共有しない外部の者にとっては、論理に媒介されない思考とその所産である思想体系は、原理的に理解不能だからである。
それは「何者か」を共有する者たちのエゾテリズム(秘教)ではあっても、思考によって理解することが出来る知の体系としての学問ではない。
そのような思想を「哲学」と呼べないのは当然であるから、彼を哲学者と呼ぶべきではないし彼は哲学者を自称すべきではない。
昭和17年に『文学界』誌主催で行なわれたシンポジウム「近代の超克」で小林秀雄は、論理以前の「古典に通じる道」をもっぱらつぶやくのみで、同席した哲学者たちの発言した今日からみても鋭利警抜を極める論理的な議論と全く話が噛み合っていない。
このような論理以前の何者かに媒介された思考は「小林流文芸評論」ではあっても哲学ではない。
そして誠に尤もなことには、誰も彼を哲学者と呼んでいないし、小林も哲学者を自称していない。
118 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 12:42:47 0
秘教じゃなくて、単なる思い付きをもっともらしく見せてるだけ。
120 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 15:24:05 0
そうだな、折口信夫も柳田國男も単なる思いつきだなw
121 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 12:00:56 0
レオナルドダヴィンチも単なる思い付き
122 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 12:26:46 0
平賀源内もお餅つき
中沢新一スレがあったんだね。 なんか気づいたことがあったらカキコしますね。
124 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 13:24:35 0
>>93 日本人を戦闘的無神論者にするための
手段に過ぎなかったとか→オウム
125 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 13:35:35 0
ラエリアンスレも中沢新一スレも哲学板にいりません
死後の世界を信じる無神論者か。何だか分からん。 何でもありだな中沢先生は。
127 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 14:43:17 0
ナショナル・ボリシェヴィキ、霊的ボリシェヴィキの次は・・・・・
128 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 18:20:19 0
オウムも「仏教的共産主義」とか「共産党宣言から真理へ」なんて言ってたな。 元祖カルトもこう言っている。 「お前達に素晴らしい暮らしをさせようと、私はがんばった。 だが、私がこれほど努力したのにもかかわらず、一握りの者達の偽りの報告によって、私たちが生きていくことは不可能になった。今日起こった出来事で、もう私たちの逃れる道はなくなってしまった。 我々は皆、火薬の樽に腰を降ろしているようなものだ・・・。間もなく今日出ていった仲間の一人が飛行機のパイロットを射殺するであろう。私には分かるのだ。これは私が仕組んだことではないが、 私にはこうなることが分かっているのだ。子供たちを一人たりとて後に残してはならない。まもなく彼らがここへパラシュートでここに降りて来るからだ。子供たちにはやさしくしなさい。老人たちにも 優しくしなさい。そして古代ギリシアの人々のように毒杯をあおごうではないか。これは自殺ではなくて、革命的行動なのだ・・・・お前達は兄弟姉妹から離れることは出来ないのだ。(泣き叫ぶ子供に 向かい)ヒステリックに騒がせるな!これは共産主義者の死ではないのだ。今までは私たちに選択の余地はなかったが、今なら少しは選択の余地がある。さぁ早く、早く、愛する子供たちよ。敵の手に落 ちることだけは避けようではないか。威厳を持って死ね、死は美しい、死だけが平和なのだ!」 最期の演説 ガイアナ人民寺院事件 ジム・ジョーンズ Jim Jones 1978/11/18
129 :
考える名無しさん :2008/06/02(月) 12:36:46 0
浅田彰との対談で「吉本隆明は脳軟化症」と言ってたのには笑った。 今やその吉本しか中沢を評価してくれない事実にはもっと笑った。
130 :
考える名無しさん :2008/06/02(月) 12:49:40 0
山田詠美には評価されてるかも
思想にうるさい奴はオレ中沢を批判ばっかしてくるからウザい。 だまされやすいアーチストやフィクション好きの奴を相手に 本を書いてれば気楽でいいや。
132 :
考える名無しさん :2008/06/02(月) 16:35:54 0
サマナ服はどう見ても人民服だろ。麻原が毛沢東に被れてたって弟の話は本当だろう。
133 :
考える名無しさん :2008/06/02(月) 21:09:44 0
中沢新一批判をしているやつって、具体的にどんな作家が良いって思ってるの?
134 :
考える名無しさん :2008/06/02(月) 21:30:32 O
中谷彰宏とか。
島田裕巳
中谷彰宏って俺は読んだことないな。何かましなこと言ってんだっけ? ググってみると、何やらろくでもなさそうなものがゾロゾロ出てくるんだけど。
137 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 02:39:48 0
恋愛評論家 秋元康と同じ
138 :
考える名無しさん :2008/06/09(月) 00:58:13 0
>>124 薬を使いまくるオウムのお陰で宗教=阿片という観念が優勢になったからな。
宗教=麻薬というのを行動的に示したということか。
人を殺すのが快感て・・・どうしようもないバカだな。
『狩猟と編み籠 対称性人類学U』(講談社IAA叢書)刊行。
141 :
考える名無しさん :2008/06/10(火) 15:33:42 0
屑本の山にもう一冊
秋葉原の通り魔についての考えは心に閉まっておくだろう。
144 :
考える名無しさん :2008/06/16(月) 01:13:16 0
エクソダス
エクソシスト
146 :
考える名無しさん :2008/06/16(月) 01:18:02 0
トルストイ
スットコドッコイ
天才的詐欺師に出会ったことがある。 立て板に水のように見事な作り話を延々と続ける。 本人は、嘘話が湯水のように頭の中にどんどん湧いてきて、 言葉が止まらないようだった。 ある意味で天才的な創造力である。
苫米地がしつこく批判しているが、寝た子を起こすようなことをせずに スルーしておくのが賢い態度だ。
150 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 03:43:26 0
>>138 高橋信次もマルクスのその言葉は正しいとしてたな。
高橋を追った麻原や大川、千乃はまさにその阿片だったわけだが。
マルクスの論文『ヘーゲル法哲学批判序説』より 「 宗教上の不幸は、一方では現実の不幸の表現であり、一方では現実の不幸に対する抗議でもある。 宗教は、悩める者のためいきであり、非情な世界における情けであるとともに、精神なき状態の精神である。 それは民衆のアヘンである。 民衆の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。 民衆の自分たちの状態についての幻想を捨てろと要求することは、そのような幻想を必要とする状態を捨てろと要求することである。 従って宗教の批判は、宗教をその後光として持つこの苦しい現世の批判をはらんでいる。」 マルクスの言いたかったことは「宗教は、苦痛の原因の根本的な治療ならざる、一時的な幻覚剤、鎮痛剤である。」ということであり、「一時的なゴマカシでない病気の根本治療こそが必要だ。」ということである。 「宗教は、罠としての快楽を与え、次第に依存を高めさせ、心身を蝕み、健康を破壊して死に至らしめ、経済的にも身ぐるみ剥がして破滅させる、悪質な麻薬である。」ということではない。
ポストモダン、電通 歯ね
「はじまりのレーニン」を今ごろ読んだ。 どういう立場で、って他人から問われるのは自分は嫌いなんだけど、ラストでトロツキーを引用しているところは、「どういう立場でこれを書いてるの?」と思ってしまったな。 正確には、レーニンの死に際してのある子どもの詩を、トロツキーが感動して論評している文章を、さらに中沢氏が引用している。 レーニンの思想、思惟を、ある子どもが直観し、詩にした。 そこまではいい。 それを、彼の同僚であり、まだ党内に多く支持者を持っていたトロツキーが(たとえ本気で感動したにしても)論じた。もちろんその子どもに直接聞きはしなかったろう。 それの、さらなる引用。 レーニン → ある子ども → トロツキー → 中沢氏 → 読者 この間で「誤配」はまったく無いのかな。 面白く読めただけに、こういう重箱の隅をつつきたくなったね。
俺なんか中沢について「はじまりのレーニン」しか読んだことないんだよな。 ハイデガーのピュシスです、で論がとまっていいのか、とか思ったが、 へえー中沢ってこういう論をやるんだ、面白いな、と感心するところがあった。 レーニンがヘーゲルの厄介なところに着目して、面白がるというのは実にいい視点なんじゃないかな。 情況の白井レーニン論特集では、佐藤優は「あの中沢の本はシェリング持ち込みたかったんじゃないかな」とまとめてたが。
訂正 面白がるというのは →最良の観念論は最良の唯物論に転化しうるというふうに、 ヘーゲルは死んだ犬ではなく凡百の唯物論者よりはるかに面白い点があるのだと レーニンがみなしたというのは 文意が誤解されそうだったので修正した。
156 :
考える名無しさん :2008/09/01(月) 04:42:31 0
中沢は適当なこと言いすぎだから哲学版で人気無いのも当然だろう 何が真意かよくわからんし、立場も何もあやふやだし
157 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 04:55:37 O
思想界の落合信彦
158 :
考える名無しさん :2008/09/30(火) 22:57:56 0
オウム真理教が出てきたとき「SPA」誌上で麻原と対談して ずいぶんと持ち上げてた。 間接的に信者を増やしたかもしれん。 こいつのやったことは社会的に非常に問題だ。
中沢先生は麻原被告にマインド・コントロールされて、 いいように利用された可哀相な被害者のように思われているが、 中沢先生もオウムを利用して自分の理想の一部を実現しようと企んで、 その魂胆を見透かされて、逆に教団に利用されたのだから、 一方的被害者ではないのだろうな。 幸いに育ちが良かったから、麻原ほど金と権力に対する執着が大きくなかった。 それが救い。 宗教に走ってしまう性格の人が、金や権力に執着ある家に育ってたら 麻原みたいになってしまうのかもしれない。
160 :
考える名無しさん :2008/10/08(水) 01:43:40 O
中沢を非難する苫米地は金と女(巨乳)に対する執着が凄いよなw 結構、育ちはいいはずだが。
161 :
考える名無しさん :2008/10/08(水) 02:23:21 0
中沢とオウムとの関係は 苫米地英人が 『スピリチュアリズム』 で裁判覚悟で明らかにしている。 むしろ裁判にして事実を確定させたい様だ。 中沢はオウムの理論的支柱だった、と述べられている。 中沢はチベット密教の経典が オウムは正統な宗教である証が 共に欲しかった。 謂わば共犯関係である というのが苫米地の見たてである。
162 :
考える名無しさん :2008/10/08(水) 02:32:08 0
よって哲学板に中沢新一のスレは無い事が正しいのである。 中沢スレが有り得るのはオカルト板か宗教板だろう。
中沢さんは学者じゃなくて小説家だったら良かったんだな。 アイデア先行型の人だから、いい加減なホラを吹きまくって、 読者を気持ちよくさせているだけなら良かった。 天才的な策士だと思うけど、やっぱり策士策に溺れる事になったのでは。
164 :
考える名無しさん :2008/10/08(水) 21:29:50 0
苫米地信者も、これ読んで少し頭を冷やしな。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/healing/1221016515/ もう絶版だが『CIA洗脳実験室』を翻訳していた2000年頃までは、評価すべき点はある。
しかし、それ以降は、内容の薄い本の大量生産。
事実誤認も多い。
脱洗脳の専門家が、現代催眠療法の父ミルトン・エリクソンとエリク・エリクソンと混同して、どうするwww
オウムがヨガサークルという枠組みを超えて政治化し、ハルマゲドンを謳い暴走したのは、チベット密教とも仏教ともあまり関係ない。
ロ○ア・北○鮮など極東の裏事情だよ。
なぜ、選挙に惨敗してから、組織が巨大化するかね?
様々な言い訳が可能だけど、道徳の欠如した基地○に破壊思想と金と権力を持たせたことが間違いだったつうのに尽きるよ。
それに尽きずに背後にあらゆる闇人脈がうごめいていたのは、中沢も苫米地も知ってるよ。 麻原は単なる駒に過ぎなかったんだよ。
権力欲をもうちょっと上手く隠せていれば、 大成していたかも知れない。
168 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 21:19:08 0
麻原は津村喬を目指してたらしいな 確かに風貌が そっくりだわ
169 :
考える名無しさん :2008/10/26(日) 18:38:15 0
津村喬って、高野孟の弟なんだね。全然知らなかった。
>>1 前はあったんだが、
100年前の爺さんたちのほうがレベルが高かったので
なくなりました。
中沢先生は思いついた話を他人に喋ってないと落ち着かない性格なんだろうな。
172 :
考える名無しさん :2008/10/26(日) 22:29:35 0
>>1 >>170 を読んで思った。
そういえば、俺が最近読んで気に入ったのは2500年程前の人の考えだった。
173 :
現役精神科医 :2008/11/09(日) 00:03:11 0
麻原の精神鑑定をした東大医学部の秋○波留夫って方が 民医連系であることは世の中の人は余り知らないよう棚 兄弟の秋○寿恵夫は共産系の出版をしていた元731部隊幹部
174 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 17:48:14 0
帰れ!イカフライ。おまいのやうな低脳が来る場所でわない。
京都で浅田彰主宰の公演がありました。 タイトルは「芸術人類学とはなにか」。 人類は理性的な言語をもつ。詩的言語は現在の人類から。 理性的な言語とは、コミュニケーションの手段。これは動物でももつ。 詩的言語は、違うものをつなげる。それが比喩。 埋葬をするのも今の人類。生と死をつなげてしまうので、それを切断するため。 人間は理性的な中心と、動物的な中心をもつ、楕円構造でできている。 動物的な中心が力を、理性的な中心が構造を作る。 浅田の突っ込みは、それだとクリステヴァと誤解される、そうじゃないと いうことを強調しないと、というもの。 あと、芸術と宗教というテーマでいうと、偶像禁止について。
176 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 13:49:58 0
イカフライ。何度言つたらわかるんだ!!ここはおまいのやうな低脳が来る場所でわない。とつととうせろ。でわ。
177 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 18:01:36 0
>>175 面白いですね。
そのお話の文脈だと、
>人間は理性的な中心と、動物的な中心をもつ、楕円構造でできている。
>動物的な中心が力を、理性的な中心が構造を作る。
というよりも、人間は理性的な中心と詩的な中心をもつ楕円構造で、
詩的な中心が力を、理性的な中心が構造を作ると
説明した方がいいような気がしますが、違うのでしょうか・・・
178 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 18:11:51 0
イカフライ。いいかげんにしろ!!ここはおまいのやうな低脳が来る場所でわない。うせろ!!でわ。
>>177 そう、そっちが正しい!
要約にしても、ちょっといいかげんすぎた。
もうちょっとちゃんと作成します。
「芸術人類学とはなにか」 人間についての学問の出発点はどこか? それは人類からはじめるといい。猿人類など、自然過程につなげられるから。 ネアンデルタール人も言語をもつ。しかしこれはコミュニケーションの手段。 ネアンデルタール人には芸術・宗教がない。 芸術の要素が言語に入ってきたとき、比喩が生まれる。 比喩は、二つの領域をつなげる。 コミュニケーション言語は分節・正確。 詩的言語は圧縮、おきかえ。フロイトのいう無意識に現れる。 すべての学問の出発点は、芸術におくべきではないか?
もともと人類学はいかがわしい。栗本しんいちろう。 こういうことを考えるようになったのは、1960年代後半のマルクスの読み直し。 マルクスは、人間の意識は自然史(経済・生産力)に規定される、と主張した。 人間の意識は、なにかとつながっている、という思想。 フーコー「言葉と物」が重要。 古典時代はアナロジーの体系化。きれいな秩序。 近代は不気味なものが基底にある。 アカデミズムは秩序を重視するので、土台がしっかりしていないものは排除される。ね、浅田さん! (浅田:僕は東山に隠居してるんですよ)
人間は楕円構造。合理的で矛盾を排除する軸と、比喩・圧縮・置き換えの軸。 たとえば埋葬。人間は生と死をつなげてしまう。埋葬で生死を分離する必要。 たとえばトーテミズム。人間の先祖に他の動物。 浅田は、秩序とカオスの二元論(クリステヴァ)と誤解されるのでは?と突っ込み。 楕円(二つの円ではなく)を強調。
彰と新一は仲直りしたのか。
>>184 坂本の新LIFEのとき、シンポにサプライズで来てたのが公式の仲直りかな。
出版デビュー前から仲良しだと言ってた。
実際仲良くけんかしてたけど、ギャラリーからみればライオン同士の甘噛みだな。
その中沢話だと結局二元論になるから、デリダの方がいいんじゃないか、と思えてくるな。 境界画定と脱境界画定の運動を軸にデリダ像を立て直したり、 死や喪の問題を持ち込めばそれで済むように思う。
>>186 なぜ二元論がダメかっていうのは、オウムのときに自分が「闇」側にカテゴライズ
されて、何言っても聞いてくれなかった経験がある、とはいってた。
その上で麻原みたいな人だって紹介する浅田すげー。
昔から浅田とは二元論批判をずっとしててね、みたいな話もあり。それはよく存じてますよ。
生温く注目してみます。
仲直りというよりも、浅田さんにとって話が面白い詐欺師の知人という位置ではないでしょうか。
ところで、新聞連載してた小説?物語?はいつ出版されるの?
中沢と浅田の対談はこの記事が興味深い。 「オウムとは何だったのか」『諸君』1995年8月号
191 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 14:03:49 0
偶像禁止について、はなんて?
192 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 14:51:47 0
あ
193 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 16:27:19 0
>>190 この時点であっ君、新ちゃんフォローしてた、
>>191 イスラムが一番徹底してる、とか。
194 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 16:36:42 0
こらっ、イカフライ。もういいかげんにしろよ!!ここはおまいのやうな低脳が来る場所でわない。うせろ!!でわ。
S.S.さん、貴重な報告、ありがとうございました。 浅田は「クリステヴァと誤解される」といったそうですが、 「合理的で矛盾を排除する軸」=秩序と、「比喩・圧縮・置き換えの軸」=カオス っていうのは、だいぶ違うようにも思われますが。カオスというのは、それら 以前のことを指すのでは。『構造と力』にも確かありましたよね。
196 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 17:42:09 0
>>175 >京都で浅田彰主宰の公演がありました。
>タイトルは「芸術人類学とはなにか」。
それって「普遍経済学について 後期バタイユの問題」(京都造形芸術大学大学院連続公開講座)のことですか?
197 :
193 :2008/11/20(木) 18:37:55 0
>>191 会場からの質問に答えて。
ここはちょっと内容が混みいっていて、うまく説明できない。
キリスト教は不純な一神教(軸が二つ)あるので、世界的広がりをもった。
イスラム教は純粋な一神教。他のもの混ぜない。突き詰めると偶像禁止。
現代思想の表象不可能性から表象禁止の話とつながるよい質問だ、と
浅田がコメント。
>>195 まあ、二元論と誤解されるっていうのがいいたかったこと。
「構造と力」は今手元にないのですが、それ以前にカオスを設定しても、秩序
とそれを活性化させる二元論になってなかったっけ?
>>196 この内容については群像連載参照。
ss君はかわいいなあ。君は彰に好かれるだろうに。ちょっと前までは そういう場もあったんだけどねえ。 >現代思想の表象不可能性から表象禁止の話とつながるよい質問だ、と 浅田がコメント ここが多分今回の一連の講義のポイントで、市田さんのときも、それ出てたよね。 中沢新一もこの課題を意識していて(したがってやっぱり中沢さんは優れている)、 それは「狩猟と編み籠」P65 〜71に詳しいよ。 もっとも結論は出ていないけど。 そこにも「クリナメン」が出てくる。高橋さんのときも出てきたでしょう。 それにミメーシス(模倣)がからむ。 中沢さんより、高橋さんの議論のほうがきめが細かいけど、中沢さんの本は 分かりやすいからお勧めだなあ。二元論云々は、もう中沢さんの気質だから、 仕方ない。あとミメーシスに関しては、環と岡崎乾次郎の「みすず」での対談がとっかかり にいいんじゃないかしら。 >ここはちょっと内容が混みいっていて、うまく説明できない。 中沢さんは、俺はどう突破する、っていっていたの?そういう質問しても面白いと思う。 「で、どーすんですか?」って。若さの特権だよ。今のうちしかできない。
200 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 12:22:12 0
こらっ、イカフライ。このあたりをうろつくな!!ここはおまいのやうな低脳が来る場所でわない。うせろ!!でわ。
201 :
193 :2008/11/21(金) 16:30:32 0
>>199 “突破”したのがある意味、麻原・栗慎・ビンラディンというか・・
いかがわしさと距離をとるために新ちゃん慎重な言い回しになるというか・・
レポ乙!!
>>198 キリスト教は不純な一神教(軸が二つ)…の二つの軸って?
>> クリナメン …他高橋悠治の時の要約も
もし分かればお願いしまつ
俺の想像だがイスラムは偶像崇拝を徹底排除してるから神に純粋で、 基督教は偶像崇拝に少し甘くて、マリア様とかキリスト様とか教会美術とか、 民間信仰的な不純物も入り込んでるから、神的なものを一つに絞り込まず不純てことではないかな。 イスラム教では預言者ムハンマドを聖者崇拝する事は推奨されない。 基督教では預言者イエス・キリストの崇拝は許される。
カトリックで崇拝されるのはイエスだけではないよね。各時代の聖者たちも、 また聖遺物すら崇拝される。中世の巡礼なんかを考えてみるとわかる。
キリスト教ではナザレのイエスは預言者ではないですよ。 イスラムでは預言者扱いだけど。 あとイスラムでも聖人崇拝はあります。 これが偶像崇拝になるんじゃないかって議論はあるんだけど。
>>199 あ、ありがとうございます…。中沢の本は読んでみます。
>>202 ちょっと忘れちゃった。
クリナメンは哲学者の名前。思考を突き詰めて壁にぶつかりそうになったら、記憶をたどってやりなおそう、みたいな話。
今まで自分が辿ってきた軌跡を元にして、可能性を探っていくという感じ?
クセナキスと歩きながら話してたら向こうが説明してきたって。
>>203 中沢は、あと利子の話もしてました。
ユダヤ教もイスラム教も偶像禁止(表象禁止)なのに、ユダヤ教は利子をとる。
イスラム教は利子をとらない。
ss君を馬鹿にしていないが、 「クリナメン」はエピクロス派の用語。 デモクリトスとの微細な差異という例のやつ。 高橋さんは、クセナキスとの会話で知ったそう。 ミシェル・ビュートルがナイアガラの滝の落ちるさまを見て、 「クリナメン」だ、言ったとイメージを説明していたね。 60年代の時代の話題の一つだろうね。 ドゥルーズの「意味の論理学」の「ルクレティウスとクリナメン」でも、詳しく取り上げられている。 高橋さんが執拗に、問題系をわずかにずれさせながら、 反復させて、違うところに到達しようとしている様には 感銘を受けた。「世界音楽の辞典」は北中正和といったワールドミュージックや ロックのライー(「ミュージックマガジン」系) と書いていて、もうその辞典では「ヨーロッパ前衛音楽の伝説」 といったイメージからは離れようとしている。 かって「ミュージックマガジン」編集長から、あまりにヨーロッパ中心主義的で、ワールドミュージックを馬鹿にしている、 とへたくそ、ひっこめ!とやじられたのにね。 最後のピアノも良かったなあ。あれまだCD化されていないんだよね。 だれか録音していない?ウプして欲しいなあ。
>>206 >クリナメンは哲学者の名前。
をいw クリナメンはエピクロスの概念だよ。
と思ったら、207がすでにまとまった指摘になってるね。 浅田とクリナメン言及については、ちょっと前に浅田スレで盛り上がったから、そっちも見ておくといいかも。 60-70年代の隠れた焦点の一つ。
>イスラム教は利子をとらない。 そのへんは、バーキルッ・サドル『無利子銀行』などが参考になると思う。
ユダヤ教も利子は信者の間では禁止だよ 色々政治的な事情があってああなったけど
中沢って以前から贈与論に関心示してたよね。 宗教学と人類学と哲学がそこで交差するからってのもあるんだろうけど。 無利子ってのは贈与と関係付けられて中沢は興味もってるんじゃないかな
>>212 それがさ、正直今の柄谷の関心と重なっているんだよ・・・
柄谷は最近人類学の本ばかり読んでるじゃない?
芸術人類学は田中純もシンポに呼んだり、確かにバタイユ=岡本太郎的なところは大丈夫か?と不安になるんだけど、あのやけに大衆性にこだわるところは、きにかかるんだよなあ。吉本隆明と対談しているし。
>>213 ピエール・クラストルとかも読んでるっぽいよね、柄谷。
クラストルは面白く、ドゥルーズ&ガタリのネタ元としての方が知られているが、
実際に読んでみると他の文脈にもいろいろつながりそうな接点がありそう。
あと、贈与論は大澤も大好きな問題なので、そんなに贈与論だからって気にしてない。
ちなみに、サドルの本は一時の柄谷も引用してたりする。
>芸術人類学は田中純もシンポに呼んだり、確かにバタイユ=岡本太郎的なところは大丈夫か?と不安になる
数年前にたしか映像人類学って銘打って共著で本出してたと思う。
港千尋も関係してて、港も人類学つながりで写真論やってたりするから馬があうんだろうな。
「確かにバタイユ=岡本太郎的なところ」は、今回の浅田対談にも現れたように
クリステヴァ(バタイユ)的二元論に落ち込むだろう。
うひゃあ、馬鹿にしてください。 完全にクリナメンって人がゆきつもどりつしてる姿を想像してました。
あと、ちょっと前に赤坂憲雄と浅田が造形でシンポやってました。 交換から贈与の見直しへ、みたいな話をしてました。 まとまって思いだせたら浅田か赤坂スレにアップします。
原則論的なことはわかるんだけど、二元論というか二項対立(区別した方が いいかな)をまったく認めないっていうのは、かなり不自由になるんじゃない? 実際二項対立なしで語るのは、ほとんど不可能だと思うけれど。大いなる 肯定の力とかいうだけで、不毛にならないでしょうか。
なります。二項対立は不可避です。ここで言われている二元論というのは、図式で語っている、ということだと思います。
浅田が昔と意見を変えていなければ、だけど 浅田が批判する二元論というのは、一見二元論に見えて 実はパンツを履くか脱ぐかだけのパンツ中心主義的一元論なのであって 構造と力の頃から、彼は絶対的かつ方法論的二元論は支持し続けていたよ
220 :
218 :2008/11/22(土) 20:35:23 0
思い出してきたけど、クリステーヴァの二元論は「深層/表層」つまり、表層はこうだけど背後に何か隠されているという形での二元論を批判していたんですよね? 絶対的かつ方法的な二元論を浅田が支持というのは初耳ですが、確かに浅田さんはひたすら二元論で整理していることは確かです。
大体そんな感じだと思います。 あと付け加えておくと、浅田氏は、一応栗本がテレビタレントになる前の地味な仕事は それなりに面白いと言っていた記憶があります。 自分は栗本が一般向けに書く以前に書いていたらしい論文は読んだことがないので、 そう言われても分からないのですが。
>>221 逃走論で書評かかれてる、「ブダペスト物語」(1982)とかかなあ。
たしかポランニー兄弟および一族に関する詳細な本だったとかような気がする。
よく把握してないけど、たしか初期栗本は経済人類学の人であり、
意外に今読めない水準でもないよ、ってことじゃないかな。
223 :
214 :2008/11/22(土) 21:25:41 0
二元論そのものが悪というよりは そのケースごとの二元論の危うさを指摘することになるんだろうけれど、 クリステヴァの二元論だと背後に隠れたる非理性=脱我の恍惚に向かおう、みたいな感じになるよね。 一種の一元論が志向されていて、仮に二元論のかたちをとるといったような。 弁証法は終わりなき二元論を産出しながら和解なく持続するものであり、 そうした意味での弁証法は浅田も評価していることを考えると、 また、柄谷ー岡崎がアンチノミーにアポリアのごとくこだわっているのを見ると、 二元論そのものを否定しているというわけでもないのだろうと思われる。
>>222 どうもありがとう。なるほど、そんな書評もありましたか。
ちょっと見直してみます。
>>222 ジョン・ジョセフ・グーの論文の訳を1983年にやっていたり、
浅田は割とそういったものにも関心を持っていたんだろうと思う。
そういう関心からDGにつながっていったのかな、と思ったり。
またミスった。逆ね224宛てでした。 なにやってるんだろう私は
二元論は道具みたいなもんで、使ったあとに捨てるためのものだと思います。 宮台が、中沢の二元論は客引きのネタだ、しかも使い方が抜群にうまい、と言ってました。 また、中沢は浅田なんかよりはるかに可能性があると昔も今も思ってる、と。
宮台はいいそう。そして 中沢にネタ意識あるというのもそうでしょう。 そして彰より誤配したり届く可能性も持っているというのも。
非日常/日常を軸にする宮台はまさにバタイユ〜クリステヴァのなかに生きてるんだから、 中沢にシンパシーがあるのは不思議でもなんでもない気がする。
231 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 19:53:26 0
鳥の仏教は明日発売ですね。
232 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 21:32:05 0
放送日 :2008年11月30日(日) 放送時間 :午前6:15〜午前6:45(30分) NHK総合 番組名 :月刊やさい通信
233 :
193 :2008/11/28(金) 15:06:26 0
18年前の栗慎&新ちゃんの対話でグノーシス主義やマニ教的な二元論 (スタティックでない、光が制するか闇が制するかが不確定な二元論) を論じてた、悪くない内容だった、かつての栗慎とか今の宮哲とか、 ポピュリズムの真っ只中に突入するってどうなんだろうな・・
>>229 とくにエコロジー発言がかなり唐突に入れられるよね。
「自然を大事にしているから素晴らしい」って、そんな無防備な言い回しでいいのか!?ってくらいの唐突さ
235 :
月刊やさい通信 :2008/11/30(日) 15:12:01 0
イトイといっしょにキノコ食ってた。
236 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 00:28:22 0
闘争心のないダウン症の子供たちとかに関心あるみたいだけど、 美しき村でも作りたいのかな?
>>230 宮台って、日常を突破するような都合の良い非日常なんて無いんだという、
二元論否定派かと思ってたが。
>>237 『サイファ』で聖性を語るようになっていたことを考慮すると、
彼の実存にはやっぱり二元論があったのではないかと。
(これは実存というよりは政治的実存への聖性の再投入といった方がいいかもしれないが)
あと、セックスもドラッグも慣れてしまい、つまらなくなっていく、とか、
沖縄の離島に行くことで調子を取り戻せている、と言ってるが、
これは非日常を手にするツールが磨耗するみたいなイメージで捉えると、
政治的言説などと切り離されたレベルではこの二元論内のループがあったんじゃないかな。
基本的には非日常志向ではないかと。
239 :
考える名無しさん :2008/12/07(日) 13:31:45 0
利子は奴隷制と通底するものがある
そういわれればそういう気もするな。是非その先を聞きたいな。 宗教的観念が利子の観念にどういうシーンで転換されて、 その気持ちをユダヤ的に巧みに数値化していったのか。
>>239 奴隷というか、取引に時間概念を挿入したのが利子じゃね
奴隷制における奴隷に主体の同一性なんか求められないんじゃ? 利子は現在と未来との自己のあいだに連続性を前提にしてるわけよね
利子と投資って一体じゃないのか? 例えば我々が銀行に預金して利子を 得るというのは、我々が銀行に投資しているわけだし、銀行が企業に 金を貸すというのも同じだろう。奴隷制? 奴隷を買うというのが投資と いうことかな。
244 :
考える名無しさん :2008/12/22(月) 15:16:16 0
無責任な奴の本を読むと損するよ。この中沢とかいうやつ、顔に無責任って書いてあるよ。
責任とっている奴って誰?
246 :
244 :2008/12/22(月) 23:41:05 0
つうか、読者が誤解しても「僕は関係ない」って感じ。エゴイスティックっていうのかな? つまり、この人の本を「真に受け」て失敗すると、 「そんな風に受け取る方が悪い」って言い放てる感じね。 普通の筆者は、読者の誤解を防ぐために書き方を工夫する。結果、つまんないものになったりするw なんでも、良心をオフにすれば、おもしろいことができたりするよねw
247 :
考える名無しさん :2008/12/22(月) 23:46:12 0
誤解するのは誤解する方が悪いと言うことは当たり前だろ。
>>244 古いんだよ。お前の思考は。
良心、責任、誤解。
お前のちんけでみずぼらしい道徳がなんぼのもんか。
すべては誤読で、書かれたものは作者を離れて開かれているべきだよ。
ばーか。
景気が悪くなると、経済学者の戦犯探し。 戦争負けると、戦犯探し。 奇妙な事件が起きると思想界で戦犯探し。 誰かのせいにしないと気が済まない。 いや、誰かのせいにすれば気が済むものだと思っているのかもしれない。 責任ということをいうのが好きなら、すべて「自己責任」でやってくれ。 もっとタフに生きないとね。 松本サリンの旦那や戦後の闇市の人間を少しは見らなわなければ。
250 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 13:52:04 0
>>248 >古いんだよ。お前の思考は
なつかしいね、その響き。
>すべては誤読で
お前もな
251 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 13:55:17 0
この人のやってる方向が間違ってるとは思わない。しかし、クオリティが不足してるのを感じる。 まあ、ないものねだりなんだけど、もっと優れた人にこいつを乗り越えていただきたいよ。
252 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 14:00:57 O
中沢ってどなた?
クレヨンしんちゃんだよ!
254 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 14:31:32 0
>>243 元来、投資とは、資本家が新規事業を起こす起業家へ資本金を投資することだと思う。
新規事業はチャレンジであり、リスクを抱えているが、
新規事業が成功すれば、社会的に価値ある有用な事業であり、社会貢献でもある。
資本家は資本を投資した見返りに、新規事業の利益から配当金を得る。従業員も利益から賃金を得る。
ただし、新規事業が失敗した場合は、投資した資本金は返ってこない。
つまり、投資家はリスクがあるかわりに利益を得るのだと思う。
一方、利子はお金を貸すことによって得られる利益である。
つまり、利子そのものは投資のように社会貢献するものではない。
もちろん、銀行が投資によって利益を得て、預金者に利子としてお金を払うという構造にはなっている。
直接投資と間接投資の違いみたいなものだが。
しかし、単純にお金に困っている人にお金を貸すだけで利子を得るという、
利子の考え方はなにも有益なものを生み出さないどころか、
富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなるという原理にも繋がる。
極端な話、富める者はお金を貸すだけで、労働せずとも生活可能となる。
(実際には、貸し倒れのリスクはあるのだろうけど、質ぐさを引っぺがすことも可能ではある。)
単純化したけど、おそらく、以上のような考え方ではないだろうか?
255 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 14:51:38 0
中沢新一を理解する上で必要な考え方は少なくとも3つあると思う。 一つ目はチベット仏教などの宗教思想だと思う。 二つ目はレヴィ=ストロースの構造主義だと思う。 三つ目はクリステヴァの記号論だと思う。 三つ目の記号論は意味生成過程の場に降り立って思考するというもので、 中沢新一以外にはあまり見られない感覚だと思う。 (中沢新一を理解するとき、意外とこの三つ目が軽視されていると思う。) 構造主義を俯瞰や透視の感覚だとすれば、記号論は素粒子や量子力学などの超ミクロの感覚だと思う。 ちなみに、クリステヴァ自身は初期と違ってラカンに行ってしまったが、中沢新一はまだこの感覚を体得しているのだと思う。 記号論を感覚で語るというのは危うい言い方だけど、一番、しっくりくるように思う。 この意味生成の場の感覚の有無が中沢新一の理解を難しくしているひとつではないかと思う。 中沢新一を批判する場合は、批判者もこの意味生成の場に降り立って批判しなければ、 あまり有意義な批判たり得ないのではないかと思う。
>>255 すばらしいまとめだと思います。
中沢さんの才能が最初に評価されたのは、1つ目の古くさい宗教や文化を
3つ目の生成論で新しい解釈として表現した所ですね。
2つ目にある構造主義の分析手法は、天才的な頭脳でないと無理ですから、
いい加減な性格の中沢さんには無理だと思います。
ですが、3つ目の生成の記号論は、妄想的で文学的でうさん臭いので
中沢さんの資質に見事に合っていて、それで面白い著作が次々と生み出されているのではないでしょうか。
257 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 16:17:29 0
むむ、中沢スレで久々ためになりました。255、256様、謝謝。
>>254 我々が銀行に投資して利子を得るのも、銀行が企業に投資して利子を得るのも、
構造的に同型ということだろう。社会貢献でも区別できない。なぜなら、貯蓄は
銀行を支えることによって社会貢献する。実際、日本の高度成長の要因として
日本の高い貯蓄率が挙げられることがあるのを見てもわかる。それから、銀行が企業に
金を貸すというのは、新規事業の場合に限らず、回転資金の場合も多い。とにかく、
金を貸すというのは、誰が貸そうと、資金の波及効果という店で同じだし、金を貸して
銀行を支えるのも企業を支えるのも同じだ。利子が有益なものを生み出さないという
のも変で、個人が利子を受け取るのと銀行が受け取るのも、構造的に同型である。
スレ違い失礼。
>>255 「意味生成の場の感覚」っていうのは、中沢がもっている流動性に対する
感覚のことかな。でも、記号論的なのは若い頃だけで、それもリジッドな
ものではないような気がするが。どちらかというと、記号論では救えない
ものを対象にしてきたのでは?
260 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 20:13:13 0
>>259 >流動性に対する感覚のことかな。
う〜ん、どうだろう…。流動性はまた少し違った表現だと思う。
中沢のいう流動性は意味の横断というべきものではないだろうか?
一方、意味生成の場の感覚は、なんて言えばいいのかなぁ、
言葉以前の言葉が生まれては消えてゆく心の深淵で生起と消滅を繰り返しているような、
言葉が生まれてくる空間というような感じだろうか。
また、通常のシンボリックな記号論とはちょっと違うんじゃないだろうか?
だから、記号論では救えないものを対象にしてきたというのは同感で、
そういった深淵な場に降り立って掴んでくる感覚が大事なんじゃないかと思う。
261 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 20:30:18 0
>>256 >2つ目にある構造主義の分析手法は、天才的な頭脳でないと無理ですから、
>いい加減な性格の中沢さんには無理だと思います。
いい加減は当たっているかも(笑)
ただ、中沢の言いたいことをくみ取るほうが有意義なものを得られると思う。
中沢の構造分析に関しては精確だと思いますよ、誰よりも。
記号論での分析がアクロバティックに見えるので奇異に映るのだと思う。
記号論の感覚的には他に類を見ない鋭敏さを持っているんじゃないかと思う。
ただ、いずれにしても、所詮、言葉に過ぎない。だから、中沢にはダダイストっぽい側面があって、
言語に対してちょっとニヒルなところのあるリアリストなんだろうと思う。
でも、希望のない冷めた言葉よりは、中沢のような希望のある言葉の方が有意義だと思う。
262 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 20:34:06 0
>そういった深淵な場に降り立って掴んでくる感覚 中沢さんの情熱は、多くの人間にその感覚をよみがえらせたい、っていうところにあるのかなと思うんですが、若手でその志を受け継ぎそうなのって、誰かいますか? 心当たりがあったら教えてください。
>>260 なるほど。リアルと触れ合っている境界面の場、とでもいう感じかな。でも、
「深淵」とか深層とかいうのはイデオロギー的に(?)ちょっとまずいかも。
それから
>>255 で思ったんだけど、『構造と力』ではないが、記号論と
構造主義って親和性があるんじゃない? 別々にできないと思うけど。
で、中沢だけど、ラカン風にいうと、想像界を軽視しないのが特徴じゃないかな。
ふつう想像界って、象徴界に対する否定的契機としてしか評価されないよね。
それは確かに一面的には正しいけれど、そうすると胡散臭い(!)ところを
殺してしまう。胡散臭いって褒め言葉のような気もしますが。
>>262 安藤礼二とかどうなんだろうね。『光の曼荼羅』はおもしろかったが。
ああ、曼陀羅か。失礼。
266 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 20:46:52 0
>>258 投資と利子ではちょっと意味が違うんじゃないかと思う。
極端に言うと、利子はお金がお金を生むという考え方で、
投資は事業がお金を生むという考え方ではないだろうか?
どちらもお金を生むから同じというわけではないと思う。
ただ、銀行は様々な業務が複雑に絡んでいるから同じように見えるだけではないだろうか?
動物の殺生もイスラーム法に則っての殺生とそうでない殺生では意味が違ってくるのだが、
結局、殺すから同じだと考えるのと似ている。
あまりに単純化してしまっては、意味の違いが見えなくなるのでは?
(かくいう私も「極端にいえば」と言ったりしているのだが(笑))
267 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 21:02:16 0
>>263 う〜ん、ひと言でいえば、言語アラヤ識じゃないのかな?
龍樹の中観とかの感覚に近いんじゃないかな?
「チベットのモーツァルト」や「大乗起信論」あたりじゃないかな。
ただ、中観のためだけじゃなくて、そういう感覚を持ち続けて、
様々な対象を分析できるところが凄いんじゃないかと思う。
想像界の話は間違ってはいないと思うけど、ただ、あまりラカンとか言い過ぎると、
意味生成の場の可能性が狭まるんじゃないかなと思う。クリステヴァみたいに。最近は知らないけど…。
あくまで、その感覚を持って、何らかの対象を分析するのに用いるものじゃないかな〜。
>>266 まあ、「構造的に」ということで、そこから見えてくることを言ったまで。
それから、「投資」と「利子」を二項対立にしてはいませんよ。「投資」
が「利子」と生む、と言っているのです。だから、当方が「預金」を
「投資」と同一視しているのを気にしておられるのでは? 投資によって
銀行が得るのは、「事業」ではなくて「利子」でしょう? また、預金を
もとに銀行が業務を行うのは「事業」ですよね。まあ、最近のサブプライム
ではないが、いわゆる「虚業」と「実業」の区別がつかなくなってしまった
のが最近の資本主義で、そこらあたりが気になるということもあるか。
269 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 21:05:26 0
経済学って、なにか同視しちゃいけないものを同視するこころに生命線があるんじゃないでしょうか。 GNPって、完全な虚構でしょ?排出権取引っていうのも、全くどうしようもないウソ話だと思うんです。
>>267 ああ、阿頼耶識という気はしていました(笑)。しかし、当方もさほど詳しい
わけではないが、阿頼耶識は「言葉」に限らず、心の働きのベースですよね。
だから、「言語アラヤ識」というのはちょっと気になるし、それから、それは
そもそも龍樹ではなくて、唯識じゃなかったっけ?
271 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 21:22:52 0
>>270 >そもそも龍樹ではなくて、唯識じゃなかったっけ?
似たようなものじゃないかな(笑)間違ってたらゴメン(笑)
井筒俊彦の「意識の形而上学 大乗起信論の哲学」か、
中沢新一の「チベットのモーツァルト」の「チベットのモーツァルト」か「病のゼロロジック」を読んでみては?
ともかく、その感覚が読者には欠如しているので、いまいち胡散臭く感じる原因のひとつになっていると思う。
ただ、本当に胡散臭いところもあると思う(爆)ただ、それは希望なんだと思うし、思考の自由や精神の強度なんだと思う。
>>271 アハハ、当方も生かじりですから(笑)。いちおう井筒も中沢も該当書を
読んでるけど、これも半可通ですからね。まあ、リアルは(あえて言えば)
表層にもあらわれるということは、確かだと思う。それにしても、今
『チベットのモーツァルト』が出てくるとはちょっと驚いたが、もう何もかも
崩れ去った現時点でこそ、意外に読み返すときなのかも。
273 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 21:50:34 0
>>268 う〜ん、だんだん分からなくなってきた…。私が間違っているのかなあ。
とりあえず、3つに分けてみると、
@投資は新規事業に資本金を投資して事業を起こし、事業の利益から配当金を得る。
A株の売買は、その配当金を貰える権利=株を買うのだが、現状は株の売買で差益を得ている。
B利子は、お金を貸すことで、利子を得る。
通常の銀行の業務は上の@〜Bを含む。
イスラム金融はBがないのでは?
次をA,Bの2つに分ける。
A.預金者が通常の銀行に預けると、@〜Bで得られた利益が利子として預金者に還元される。
B.預金者がイスラム金融に預けると、@〜Aで得られた利益が利子として預金者に還元される。
>投資によって銀行が得るのは、「事業」ではなくて「利子」でしょう?
@もしくはAに相当するので、利子ではなく、配当金や株取引の差益だと思う。
>また、預金をもとに銀行が業務を行うのは「事業」ですよね。
確かに銀行の事業だけど、Bを含まないのが、イスラム金融だと思う。
>最近のサブプライムではないが、いわゆる「虚業」と「実業」の区別がつかなくなってしまった
よくは分からないけど、ファイナンス理論を正しく適用しなかったために起こったと聞く。
投資資金は集まったけど、投資先が無かった。そこで、リスクの高いサブプライムを作ったが、リスクを低く見積もった、と聞いた。
よく分からないけど、どこかひとつ間違いを通すと、投資先が全体的にないものだから、集中して、輪をかけて拡大するんじゃないかな?
途中で抜けられたら、けっこう利益が出たと見えるかもしれない。それも結局は、後から考えて、だけど。
274 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 22:05:04 0
>>272 あらら…。読んでらっしゃいましたか…。
言語アラヤ識は「意識の形而上学」で説明があったと思ったけど、記憶違いかしら?
>『チベットのモーツァルト』が出てくるとはちょっと驚いたが、
>もう何もかも崩れ去った現時点でこそ、意外に読み返すときなのかも。
自分でも驚きました(笑)
久しぶりに「チベットのモーツァルト」を思い出したような気がする。
ええ本やわ〜
>>273 ますますスレ違いに驀進しているので、簡単に。
別にあなたの考え方でいいと思いますよ。当方は「配当金」や「差益」を
強引に「利子」と同一視して、構造的な同型性を指摘しているまでです。
「利子」と解釈することもできますよ、ということです。
それから、イスラム金融は意図的に無視しました。イスラム金融のことは
さほど知っているわけではありませんが、「配当」はよくて「利子」はダメ
というのは、「実業」はよくて「虚業」はいけないという精神でしょうか。
276 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 22:09:51 0
まぁ マルクスは本当に貧乏だったからな〜。 貧乏人思想って、どこか世界中で共通してるな。
277 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 22:17:19 0
>>275 あらら、これは失礼しました。私の勘違いだったようですね。
>「配当」はよくて「利子」はダメというのは、
>「実業」はよくて「虚業」はいけないという精神でしょうか。
う〜ん、どうなんでしょうね。私も分かりませんが、
当り前ですが、イスラーム教の考え方でしょうから、
実業とか虚業とかとも微妙に違うのかもしれませんね。
>>274 いま見てみたところ、『意識の形而上学』に確かに「言語アラヤ識」の語は
出てきますが、かなり特殊な意味で用いられているようですね。索引には
一箇所指示してあるだけです。それよりも井筒は、唯識的なアラヤ識と、
『大乗起信論』的なアラヤ識をはっきり区別していますね。もうめんどくさいし、
要約する能力もないので書きませんが。というか、この本おもしろそう。
目は通したはずなのに、あまり覚えてない(笑)。
279 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 22:56:56 0
>>278 >唯識的なアラヤ識と『大乗起信論』的なアラヤ識をはっきり区別していますね。
あ、そうなんですか。どの辺りのことを言っているのか、
もし良ければ、書名や該当箇所を教えていただければ幸いです。
もしかしたら、「意識と本質」での大乗仏教の本質虚妄説あたりの説明のことでしょうか?
起信論では「一切の法は・・・畢竟平等」と言っているのに対して、
唯識では三性構造(遍計所執性・依他起性・円成実性がどうたらこうたら…)と言っている違いでしょうか?
ああ、気になる、気になる、夜もオチオチ眠れない〜(笑)
>>279 いや、『意識の形而上学』ですよ。というか、いまページをペラペラめくって
思い出してきたのですが、唯識的なアラヤ識と『起信論』的なアラヤ識の
違いというのは、この本の大きなテーマのひとつですね。特にはっきりと
違いを論じているのは、第二部の最後の方(中公文庫版なら91頁以降)です。
唯識的なアラヤ識は意識と存在が既に分節的になっているが、『起信論』
的なそれは、プライマルな、無分節的になっている(心真如の)場も含む、
などという感じでしょうか。まあ、半可通が公害を引き起こす前にこれ以上は
やめておきましょう。
281 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 23:40:28 0
>>280 ご教示ありがとうございました。確認しました。
安心して眠れそうです(笑)。ありがとうございました。
282 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 04:35:44 0
高度なスレですな
さよう。 なにせ、発祥の地がチベットですから高度が違います。
284 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 11:17:51 0
中沢スレなのに井筒への言及が増えてしまったけど、中沢と井筒は縁がないわけではない。 中沢は井筒についていくつか言及した文章を書いている。 井筒の「神秘哲学」について書いているのと井筒の講演会に子供の頃聴きにいった話を書いている。 また、井筒と中沢の間で手紙のやりとりもあったらしいことを中沢はどこかで書いていた。 また、大江健三郎が、井筒の追悼文だっただろうか?、井筒の後継者は中沢だろうといった文章を新聞記事に書いていた。 それから、これは推測だけど、 井筒はデリダのエクリチュールに関して「書く デリダのエクリチュール論に因んで」という文章を1984年に書いているが、 その最後に、 中国人の漢字意識ばかりでなく、漢字を摂取して、平仮名、片仮名を加え、世界一複雑な文字システムといわれるものを 作り出した日本人の「書く」意識のなかから、デリダを超えて、新しいエクリチュール論が生まれなければならない、と、私は思うのである。 と書いている。 ところで、中沢の「イコノソフィア」の第1講に「書」という文章がある。 漢字を儒教と道教の両方を併せ持つものとして描き出している。 さらに「かな」についても日本独特の思想表現であることに言及している。 この「イコノソフィア」が刊行されたのは1986年らしい。 非常に短い文章ではあるけれども、平易ですんなりとあまりにも分かりやすい内容でになっている。 短く分かりやすい文章ゆえに井筒への回答とは言い難いかもしれないけれども、 井筒からの問いかけに中沢が答えた文章とも言えなくもないような気がする、 のは私だけ?
285 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 11:28:51 0
井筒のイスラーム研究の流れは、黒田寿郎の方へ行ったね。 折口学も井筒学の後継がほぼ絶えた慶応。orz。。。
286 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 12:13:01 0
井筒俊彦に関していえば、日本にイスラーム学を一人で築いた功績は大きい。 日本のアカデミズムは、この井筒の礎石をもとに、より専門細分多彩化して、 日本のイスラーム学を構築していけばいいと思う。 ただし、井筒の業績はイスラーム学のみにとどまるものではない。 井筒の最大の業績は東洋哲学の共時的構造化だと思う。(断片的になってしまったが…。) この東洋哲学の系譜で見た場合、中沢の業績はその東洋哲学にチベット密教を付け加えたことにあると思う。 中沢に関していえば、オウム事件を境に前期と後期に分けられると思う。 前期はチベット密教を主体とした宗教学、後期は野生を主体とした対称性人類学だと思う。 前期は内面の奥深くへダイブしてゆく探求だったが、後期は失われた野生を世界に回復するという事業だと思う。 芸術人類学研究所を創設して、多くの人材が交差する拠点として孤軍奮闘しているとも思える。 余談だけど、オウム事件で深く傷ついた中沢だったけど、それにもかかわらずに 爆笑問題の太田と一緒に出た広告「安倍さん、本当に憲法変えちゃう気ですか」は大きかったと思う。 通常はオウム事件で批判にさらされたので大人しくしているものだと思うのだが、 それにもかかわらず、あの広告のような政治批判にデカデカと出るのは大したものだと思う。 九条を守りたい人たちに大きなインパクトや勇気を与えたと思う。 中沢は単に頭が良いというだけでなく、その行動力には空海を彷彿させる。
287 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 12:50:45 0
yes
288 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 12:59:14 0
オウムの地下鉄サリン散布事件てたしか1995年3月だよな。 日本人は10年経てば禊が済んだと考えるから、もう許してあげようかという頃ではないか。
289 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 13:19:18 0
オウムが中沢を利用したのだと思う。 そもそも中沢自身はチベット密教を日本に伝えたに過ぎない。 オウムがそのチベット密教を取り込んで教団の宣伝に使ったのだと思う。 だから、中沢はオウムに悪用されたのだとも言えると思う。 いずれにしても、中沢が日本に請来したチベット密教の影響力は大きかったのだろう。 もちろん、中沢自身の魅力も相まって、その効果を高めたと思う。 オウム事件後、中沢はオウム事件について言及する臨増を刊行したと思うし、 プレイボーイ誌に元信者に呼びかける文章を寄せている。 オウム事件をケアするような手当てをしたのだと思う。 その後、オウム事件を転換点として日本社会は大きく変わってしまったが…。 いずれにしても、私がどう考えようが、 オウム事件について中沢に責任を問う声は無くならないだろうし、 それは不毛なことでしかないと思う。 ただ、世界全体を見回しても、いよいよ過去の叡智は死滅しようとしており、 それと同時に文化全体も収縮してくるだろうと思う。中沢も年を取ってしまったし…。 文化的には、これから長〜い氷河期を迎えることになるのかもしれない。
290 :
考えるな名無さん :2008/12/27(土) 17:19:30 0
>中沢も年を取ってしまったし・・・。 思想的にはむしろ若返ったんじゃないのか。 最近のミーハー化も前向きにとらえていい。 もともと昔から彼にはあった感覚だ。 前期とか後期とかも型にはめ過ぎだな。 オウムや東大事件の巻き込まれも、結局は彼の社会的存在の大きさだ。 思想的にも「カイエ・ソバージュ」シリーズ以降、すっきり分かりやすく目標がはっきりしてきた。 しかし、まだ道なかば、「所長」で満足していいわけがない。 世の中はたしかに長〜い氷河期だが、文化的には彼の「神話の時代」に向かうだろう。
井筒の前に大川周明の功績を忘れてはいかんよ。 大東亜共栄の思想のムードがあっての日本のイスラム学でしょ。
292 :
考える名無しさん :2008/12/30(火) 12:32:53 0
もっと高度を下げてマ―タリとやれよ。
オウム事件はニヒリズムの問題だと思うよ。 戦後のニヒリズムは「ドラッグ文化と倫理」を求める人を生んで、 60年代後半から顕著になった。 精神世界にひきこもって気分良くなりたいというのと、 正しい生き方は何かという倫理探し。 あれは、ニヒリズムからの逃走という問題で、安保闘争、新左翼、 新右翼、内ゲバ、新新宗教とニヒリズム問題が全てを貫いている。 その無理がオウムで爆発した。 悩み多き中沢さんも心理面を指導してくれるグルを求めて自分探しの旅に出たし。 ポランニーが、ナチスを生んだのは倫理を求める大衆の心がいびつな形で出た ニヒリズムの問題だと言ってたけど、同じこと。
虹の階梯の書き方はPL法違反。
295 :
考える名無しさん :2008/12/30(火) 17:15:58 0
>>293 オウム事件をニヒリズムの問題として捉えられる面はあると思う。
しかし、オウム事件はそれだけでなく、多くの問題を持っていたと思う。
だから、オウム事件はもっと多面的な複合体として捉えるべきではないかと思う。
概して、まだ日の浅い現実だけにそうなってしまうのかもしれないが…。
ひとつ感じるのは、西欧ではニーチェが「神は死んだ」と言ったのと同様のことが、
オウム事件のときに日本人のメンタリティに起こったように感じている。
極端に言えば、科学vs宗教との対立で、科学が勝利し、宗教が敗北した、
と日本人の多くが無意識下で感じ取ったんではないだろうか?
もちろん、近代化の中でどんどん科学が勝利し宗教が敗北しつつあったのだけど、
そのトドメをオウム事件が刺したように思える。
日本の多くの若者が宗教的な方面への思考を禁忌として回避するようになったように思える。
うまく説明できないけど、事件後、秋葉原が電子部品の街からアニメ絵の街に変貌したのも、
それに関係しているように思えてならない。
そして、昨今の江原や細木のスピリチュアルブームやニセ科学の流行とその排斥も、
それに繋がっているように思える。
なお、「神が死んだ」というのは理屈の問題ではなく、感覚の問題だと思う。
それを突き詰めると、プラトンとアリストテレスの対立にまでさかのぼるように思える。
う〜む、ややこしい…。
296 :
考えるな名無さん :2008/12/30(火) 22:09:42 0
う〜む。ややこしい???。 言ってる本人がその調子じゃ穴。
なんで二項対立図式で悩んでいるんだろ? 中沢は常にひっくり返しを面白がっているのに。
298 :
考えないアポ無しさん :2008/12/31(水) 00:36:12 0
単純な二項対立図式も「メビュウスの輪」となると こんがらかって頭がウニになる〜=!?△◇■▽
二項対立は、実は六項対立だという事に気づいていない人がほとんどだからな。 たとえば上部を右横に倒せば、下部は左横に移動する。 いきなりクラインの壺に飛躍して考える必要はない。 メビウスの輪やクラインの壺などを持ち出して考えるようになったら、 いい加減なフィクションになって、ある意味で終わり。
300 :
考えるな!名主さん :2008/12/31(水) 14:08:59 0
二項対立だの六甲対立だの、そんなものあるかよ。 ただ、話を混んがらかせたい奴がいるだけ。 破れ土壷があるだけよ。
301 :
考える名無しさん :2008/12/31(水) 14:35:27 0
破れ土壷など、諦めた人間の妄想だ。
302 :
考える名無しさん :2008/12/31(水) 18:42:15 0
されど妄想 されど現実
何を言っても口ばっかりで、 実際はまじめな教員一筋の人生なんだな。 青少年は、実際のとこをちゃんと見習えよ
「アースダイバー」をF1ドライバーとカン違いしている奴は、特にな。
浅田先生が家族から逃走しろと言って、 裏ではけなげに実家のママの介護してるみたいな事ですか。
「学長」は世間の目も気にせにゃならんのです。 たいへんなんです。わかってやってください。
アジれ 他人には我を捨てさせろ 話をそらして 自分は守れ
308 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 15:34:57 0
浅田彰と中沢新一に関して一言二言付言すれば、オウム事件の時に、 中沢の立場があまり芳しくないときに浅田が中沢と対談したことが挙げられる。 この対談については中沢の後輩にあたる島田裕己の著書「中沢新一批判」で批判的に言及されている。 中沢がチベット仏教修行時代に経験した宗教体験の体験談を語っている文章について、 浅田が対談の中であえてそのような宗教体験を真に受ける読者が良くないのだと言っていた。 しかし、これは中沢を擁護するために、浅田はあえてそのような曲解を示したのだろう。 島田はそれを指摘して浅田のいうようには中沢の文章は読めないと糾弾していた。 (もっとも中沢自身は浅田の擁護は有難迷惑に感じたのではないだろうか…。) 残念ながら、中沢を擁護した浅田のような友人が、島田にはいなかったのだろう。 オウム事件において中沢も島田も共に被害者であったろうと思う。島田は特に深く傷ついたのだと思う。
309 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 15:35:21 0
>>308 続き
また、中沢は多摩美大に芸術人類学研究所なるものを設立して人材を集めて独自の活動を始めている。
それに対して、浅田は若干遅ればせながら京都造形大にて大学院長の座について、やはり独自の活動を始めた。
中沢の活動が目的も比較的明確で独自性も高く、戦略的に展開して、中沢自身も広告塔の役目も果たして、
広く世間の耳目を集める活動を展開しているのに比べて、浅田の活動はやや控え目で曖昧に感じられる。
浅田は決して二流の学者ではなく、現代を代表する一流の学者のひとりであることは間違いない。
しかし、中沢の存在があまりにも巨大すぎて、その活動が霞んでしまうのだと思う。
かつて数学者の森毅が中沢の著書の誤りを中沢本人に指摘したとき、中沢がまったく平気だったことに、
森は驚き、もしこれが浅田であったなら悩むだろうと、その後の浅田の仕事の険しさを予見していた。
空海と最澄に対して、日本の近代のインテリは空海をあまり高く評価してこなかったように思う。
逆に最澄に対しては、最澄から始まる日本的センチメンタリズムには、多くの共感を生んだ。
しかし、仏教学者や海外の専門家からは、むしろ空海をこそ唯一最も高く評価したりする。
現代の多くの知的な読者や学者は、中沢を高く評価せずに、逆に極めて低く評価し、さらに揶揄したりもする。
だが、歴史ではしばしば起こることだが、後世においてはまったく逆の評価になる場合がある。
当時の彼の同時代人たちは彼をまったく評価しなかったが、それはその同時代人たちの愚鈍さに
原因があり、彼が先見的過ぎ・偉大すぎて理解されなかったのだと後世から評価されることがある。
中沢の仏教理解は浅いからな
中沢さんは、こういう時はスケープゴート一匹を社会が必要とすると知ってたから、 島田裕己さんにスケープゴート役をおっ被せて逃げたのだと思いますよ。 また、見事に島田さんがスケープゴート役にピッタリとハマってくれるんだ。 山羊みたいな顔して。 この山羊が、テレビ新聞で自分の代わりに叩かれまくってくれるので助かりました。 逃走を求めた中沢さんの人身御供かもしれませんね。
313 :
考えるななけ無しさん :2009/01/02(金) 17:59:48 0
「なべおさみ」はその程度の扱いでいいの。
314 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 20:50:08 0
>>310 >中沢の仏教理解は浅いからな
中沢の中では仏教を相対化できているのではないかと思う。
もっとも中沢個人の力量だけで成し得た知見ではないとは思うが…。
また、相対化されたからといって仏教の価値が下がるわけではもちろんない。
それに仏教全体としては現代社会にますます必要なものたりえるだろうと思う。
ただ、伝統的な仏教の相承系譜自体は途絶えるだろうけれど…。
ニコニコしながら調子よい事をペラペラ言える性格は竹中平蔵氏に似ていなくもない。 中沢氏も竹中氏も頭の回転は良いと思うが、性格的にどうなっているのだろうか。
316 :
考えるななけ無しさん :2009/01/02(金) 22:09:57 0
<仏教は宗教ではない> そう言う中沢はたしかにひとつの「到達点」に達した。 しかし、さっそく仏教とはサリンである、という奴がでてきた。 どういう化学反応が起きるかは「自己責任」。 とりあえずは書籍に「混ぜるな危険」とでも表示しておくか。(藁)
317 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 23:32:55 0
>>316 誤読になるかもしれないが、「仏教は宗教ではない」というとき、
世界に普及している宗教は一神教が多数を占めていると捉えるならば、その通りかもしれない。
実際に日本人の多くの反宗教的感情は「神の存在」への反発であるようにも思えるからだ。
そう考えれば、仏教は、信仰ではなく、自己変革を求めるトレーニングとも捉えられる。
また、
>>286 で述べられたように中沢の仕事を前期と後期で分けるなら、
前期は密教的であり、後期は顕教的ではないかと思う。
よって、後期に目指すものは簡単で、対称性人類学と称して中沢が取り戻そうとしているのは、
かつて未開社会にあった精霊信仰のようなスピリチュアルな感覚ではないかと思う。
ゆえに、仏教は関係なくはないが、直接関与する程の核心的な重要さはなく、
むしろ、未開社会の精神性(スピリチュアリティ)を持つような思想が重視されるのではないかと思う。
318 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 23:37:58 0
スピリチャルかなんか知らんが、そういうのを、驚きとか感動とか 素朴に言えないもんかねえ。うさんくさい。
大学にいられなくなるくらいちゃんと書く義務、を感じないのかねこの人 たのむから書いて死んでくれ 人並みに長生きしないでくれ
320 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 23:55:40 0
確かに胡散臭く感じるのは分かります。 彼が本物か偽物かを識別するのは読者個々人の判断に委ねられるでしょうね。 ちなみに「鳥の仏教」はとても素朴だと思いますよ。 仏教の基本的な考え方を押さえているようですし、とても可愛らしい素敵な書物だと思います。 この本は読まなくても置いてあるだけで、本からせせらぎやさえずりが流れてくるように感じられます(笑)。
きも
素敵!おしゃれな贈り物にどうぞ。
素敵w
324 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 10:50:50 0
ただ、島田裕巳に関していえば、 「中沢新一批判」を刊行した後は、島田の執筆活動は活発になったのではないだろうか? そして、宗教学者として新興宗教にチェックをかける機能として、その職責を果たしているともいえる。 (余談だが、近年、メディアに対する創価学会の影響力が拡大しているのではないだろうか?) いずれにしろ、オウム事件の教訓を社会に有効に生かしているとも受け取れる。 一方、思想家として中沢を捉えるとき、後世の批評家が当時を振り返るとき、 中沢も種々の批判にさらされていたことを見出すだろう。 先にあげた島田裕巳の著書、その名もずばり「中沢新一批判」がまず第一に挙げられる。 刊行された時期も芸術人類学が出発した時期に相当するので、タイミングもピッタリだ。 ネット上でも多くの評論家やジャーナリストやブロガーから批判されている。 ただ、中沢の同学の後輩であり、同じ宗教学者であり、オウム事件に巻き込まれた島田裕巳が、 外からも内からも、そして時代の潮流に同期する点からも最も中沢批判を展開するのに相応しいと思う。 何が言いたいかというと、 思想家として同時代人からもそれなりに批判にさらされているにもかかわらず、 なお、多くの同時代人の支持を得ているのであるから、中沢の思想は、無批判に持ち上げられたわけではない、 批判という検証に耐える強靭な生命力を持った思想だと思うのだ。 後世の批評家が当時の精神史を踏まえるとき、中沢に対するそのフェアネスが評価されると思う。
325 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 11:06:19 0
>>324 要は、中沢の思想が、同時代人に無批判に受け入れられたわけではなく、
無視されたり、手厳しく非難されたりするなど、それ相応の批判にさらされたと思う。
それは、言論のあり方としては、とても健全であり、時代精神のフェアネスが機能していると思えるのだ。
逆にいえば、いったい、この時代に中沢のような思想家が他にもいるだろうか?
近代文明社会のテクノクラートはいても、彼のような豊かな思想を展開する思想家はいないのではないだろうか?
人類の築いてきた思想は書庫の奥に片付けられて、我々はただ文明社会の一部として機能するだけになろうとしていないだろうか。
ただ、多くの人はそれで満足なのかもしれない…。でも、本当にそれでいいのだろうか?
苫米地による中沢批判が最も高度。
現代思想って対象への記号論分析と批判ばかりで、 では自らの思想がどのような倫理を導くのかという事には 無頓着だったと思う。 どのような倫理を導くことになったのか、 島田と苫米地(この人は何者かよく分からないが)が中沢批判を続けているのは 現代思想の弱点とも言うべき大事なポイントを突いているではないか。
328 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 14:27:30 0
島田が世間から叩かれたのは不当な非難だったと思う。 島田にしてみれば「自分が叩かれるならば中沢も叩かれて当然だ」という理屈になるのだろう。 ゆえに、島田の中沢批判は島田批判に基づく批判であって、思想的な根拠は乏しいと思う。 しかし、それにしても、島田に対する社会からの対応はあまりにも酷だったと思う…。 現代思想は分析哲学であって形而上学足り得なかった。これは仕方のないことだろう。現代哲学の限界ゆえに。 思想については冷戦崩壊に伴ってマルクス主義も共に崩壊したことと、人材が文系から理系に流出したことにあるのではないだろうか? (もっともソ連・東欧の社会主義国が崩壊したからといって、社会主義がダメだと決めつけるのは早計だと思う。) 倫理については西欧社会では急速にキリスト教の影響力が低下したのではないだろうか? もはや宗教の時代ではないという意識と実質的な社会的救済が宗教と関係のないNPOなどが福祉を担ったのではないだろうか? あくまで、いま思いついた想像で根拠は何もないのだけれど…。 日本はバブル景気のときにモラルが低下して、小泉改革などのグローバリズムのときに、いっそうモラルが低下したと思う。 東西冷戦時は社会主義国を見ることで自国を相対化したこともあっただろ。 ならば、今なら、さしずめイスラム諸国と見比べてみることで自国を相対化することができるかもしれない。
329 :
考えるなけ無しさん :2009/01/03(土) 16:16:45 0
中沢はもう自分を宗教学者だとは思っていないだろう。 「宗教」は見切ってしまった。 だからそっちからの批判は問題外だ。 「カイエ・ソバージュ」でも、仏教を「宗教」の上位概念においている。 ここでの「宗教」とはもちろん一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教に既成仏教も加わっている。 キリスト教、資本主義、精神病の三位一体の「構造」が、中沢お得意の「図式」に鮮やかに示されている。 面白いのは、上にある森毅による間違いの指摘された中沢の反応のエピソードだな。 まさしく<ブリコラージュ>を実践する中沢新一の面目躍如。 中沢はもう西洋的思考の「構造主義」も見切っているんだろう。(『野生の思考』の著者以外の) 前紀・後期というより、ようやく日暮れて道遠し、後に続くものに期待する立場になったともいえる。
理系の真面目な人間に拒否反応を与えるカルスタ陣営の一員という位置か
331 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 17:14:16 0
見切った見切ったって、それよりも中沢さんは自分を見切って欲しいよ。
332 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 17:21:48 0
その前に身銭を切れよ。
333 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 20:28:58 0
中沢が「自らの宗教学者の死」は一般的な意味での宗教の否定ではないと思う。 どういうことかというと、オウム事件は日本人の宗教観に決定的な破壊をもたらしてしまった。 もはや日本人に如何に宗教について訴えかけても彼等の心には届かないだろうと推測される。 オウム事件は日本人に宗教に対する警戒感を植えつけてしまった。100年くらいの時の経過を必要とするのではないかと。 だから、そんな日本に対して宗教学者と名乗って活動しても意味はない、そう考えたのではないだろうか。 だから、普遍的な意味で、宗教は今でもそれ相応の意味があると思う。 レヴィ=ストロースについては人類学者と一般には捉えられている。 しかし、彼は哲学で最優秀成績の学生であり、哲学教師から人類学に転向している。 おそらく、彼はすでに哲学の可能性に懐疑的だったのだと思う。 いや、すでに哲学に可能性は無いと見ていたのではないか。 彼の冗長な随筆風の文章からは想像し難いのだが、その文章の背後には高度な哲学的思考が隠されている、 のではないかと思えてならない。(何気ない言葉なのだが、百年も通用するような概念を潜ませている気がするのだ。) (そこまでいうと、やや買い被りすぎだと思えなくもないのだが、そう油断するとその後何度も彼には驚かされてきた。) ともかく、彼は肩書きは人類学者ではあるけれども、もはや哲学を超える哲学をその人類学の中に仕込んでいるのではないか、 当初、人類学が目指した哲学を越えゆく学問としての人類学を彼は人々の前に具現化して示したのではないかと思う。 ゆえに、この場合、彼と構造主義とはちょっと分けて考えた方がいいかもしれない。 また、一般の構造主義そのものは、ポスト構造主義などと言われるが、乗り越えられるものではなく、普遍的な手法であり、 補完的に記号論が動的過程や意味生成過程を解き明かすものとして活用されると思う。 とにもかくにも、芸術人類学に期待したい。
>>333 その言い方だと、裏を返せば中沢は、
日本が宗教ブームの時はカリスマ宗教学者として振る舞い、
日本で宗教が嫌悪されてしまったら、
今度は宗教を見切った(笑)アート評論家の仮面をかぶるという、
凄まじいお調子者と言っているようなものではないですかw
335 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 22:23:06 0
中沢が宗教を見限ったわけでなく、 聞く側が宗教を受容する態勢ではなくなったのが実情だろう。 まったく聞く気のない者にどんな言葉をかけても届かないだろう。 中沢が自ら好んで宗教学者の死を表明したわけではなく、せざるを得なかったのだろう。 ただ、別の見方で見ると、オウム事件の有無に関係なく宗教の時代でなくなったとも思える。 だから、むしろ、丁度良かったのかもしれない。人間万事塞翁が馬かもね〜(笑)
336 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 01:41:37 0
>宗教学者の死 とは、学者、平たく言えば傍観者の位置を放棄するという宣言じゃなかったのかな。 少なくとも私はそう思いました。 宗教の時代でなくなる時代に宗教に向き合う。それは戯れでも言葉でもない。 つまりは学者ではない、ということじゃないのかな。 でも週間プレイボーイでの宣言は威勢が良かったが、その後の動きはあくまで学者としてのものに見えた。 学者としてぎりぎりの線を行っていたとしても。 その中での所長は力業だ。 でもそれはあくまで学者であって、死んではいないのではないか。 中沢の著作を楽しみに読んできたがそこがひっかかりどころであった。 「鳥の仏教」 宗教学者の死に対する回答が現れた。 これは「虹の階梯」の続きでもある。 美しい。
337 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 01:48:15 0
よく知らないけど、あんま深く考えてないでうっかり言っちゃったのでは。 もう死んだーー、、なんちてウッソーとか言いそう。
338 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 09:08:54 0
宗教学者と名乗る以前の中沢は自ら宗教学者と名乗ることに違和感やためらいがあったのではなかったかと思う。 というのは、中沢はチベット密教を修行しており、宗教を内部から知り、また、その宗教に準じる生を考えていたと思う。 ところが、宗教学者の場合は外部から宗教を客観的に解剖して捉えるところがある。 中沢にとって宗教はいくらかの愛着あるものであり、また、内側からの理解なくしては本当の理解はないと考えていたのではないだろうか? ゆえに、宗教学者と名乗るには、いささか躊躇するものが中沢にはあったのではないかと思う。 しかし、中沢の学問のスタイルが学問ではないと外野から言われ続けたために、 中沢も宗教学者というスタイルをあえて取ることにしたのだと思う。いささかニュアンスを伝えにくいのだが…。 中沢は自ら宗教学者と名乗ることによって宗教と密着し、宗教の未来を自らに課す覚悟もあったのではないだろうか。 しかし、それはオウム事件によってあえなく潰えた。当分はもう誰も宗教に見向きもしなくなるだろう。 たとえ、中沢がいかに流麗華麗な言葉を尽くして宗教を飾り立てたとしても人々の心には届かないだろうと覚ったと思う。 ゆえに中沢は宗教学者の死を宣言して、宗教を誤解する輩諸々すべてを切り捨てたのだと思う。 中沢は華麗に自由自在に言葉を駆使する。しかし、彼は言葉に殉じる人ではないと思う。 言葉を十全に駆使するが、言葉の作り出す幻想の限界も知っているのではないだろうか。 彼はあくまでリアリストだろうと思う。彼の笑いに、時々、そのダダイズムが見え隠れするときがある。
339 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 09:23:26 0
>>338 いずれにしても時代は変わった。
日本人のメンタリティはどんどん変化している。
大切なものを失くさないように、大切なものを保持し続ける、
不撓不屈の努力をすることだと思う…。
どんだけ中沢さんが好きなんだよって文章だな。 そこまで中沢さんの事を考えてるなら、中沢さんが今なにをやってるかも的確に読めるんじゃないか。
341 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 09:46:49 0
中沢が、今、やろうとしていることは、明快で、芸術人類学だろう。 芸術人類学がやろうとしていることは、芸術人類学のサイトに掲げられている通りだろう。 個別には、中沢や芸術人類学研究所の活動によって知ることができると思う。 ありきたりだが、そうだろうと思う。ひと言、付言すれば、当り前かもしれないが、 「カイエ・ソバージュ」シリーズは芸術人類学の趣意書の要約として読めると思う。
単純に言うと人間には、狂気みたいなメチャクチャな面と、道徳みたいな秩序の両面がある。 だから宗教にも、狂気と道徳的秩序の両面がある。 オウムでは過剰な狂気と、スターリニズム的な過剰な統制秩序が暴走した。 そういうのは懲りた。 芸術は、安全な狂気の表現と、美しい秩序の表現という、こぢんまりとした形態だ。 宗教のように狂気と秩序の両面が暴走せず、芸術は狂気、秩序ともに大したことないから安全だ。 暴走しても大したことないだろう。だから安全な芸術にしておこう。 退屈して飽きたら危険な宗教に戻ろう。てな感じか。
危険度から言えば、政治>宗教>芸術 だと思うのだが、 どうやら現代思想はどんどん危険な現実から目を背け、退避し後退していっているのでは? これは冷戦構造の崩壊から民族宗教紛争の勃発とリンクしているように思う。 思想が、政治から逃げ、宗教から逃げ、最後に逃げ込む場所が芸術しかなかったという、 これは堕落した思想の敗北宣言ではないだろうか?
344 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 10:42:14 0
冷戦崩壊後の世界の文明社会は、西欧文明とイスラム文明に分けることもできる。 イスラム文明社会はイスラム教という宗教を根本に据えた社会だが、それなりに秩序だった社会を形成していると思う。 西欧文明とイスラム文明のどちらが理性的かは一概には答えられないと思う。 つまり、宗教は狂気といえるかどうか、特にイラク戦争以後はよく分からなくなったように思える。 米軍がイラクで行なった暴虐の数々が宗教に関係なく人間は狂気を持つものに思えるからだ。 また、平和な社会においても、イスラム教国の社会システムがどの程度のものかは分からないが、 それなりに、ある程度の人々の支持を得ているのではないだろうか?もちろん、不満もあるだろうけど。 国家権力で抑圧しているばかりではなく、それなりに一定の妥協をもたらしているのではないだろうか? (案外、西欧の資本主義国よりも良い面もあるのかもしれない。よく分からないが…。) ただ、日本では、そういった宗教は受け入れられないし、必要ないと思う。 たぶん、日本では、もう宗教ではなく、芸術なんだろうと思う。 日本の前衛って、自然素材をそのまま使うものが多い。前衛と自然が直結したりする。 たぶん、そんな感じではないだろうかと思う。神道ではなく、神社だけみたいな…。 だから、宗教は潰えて、芸術だけが残ると思う。
345 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 10:57:07 0
頭の固い奴のスレばっかだな
いやさすが、中沢スレだ。それぞれ大風呂敷がいいね。 皮肉じゃなく。 大穴小穴の破れ目があるかもしれんが、それは中沢の「大風呂敷」とて同じ。 しかしそれをプリコラージュ(有り合わせの材料)で縫い合わせていく それが「針子」中沢オバさんのいいところだよ。(藁)
>>344 日本の前衛(共産党でなく)芸術に関しては、事情はもっと屈折していると思いますね。
私が思うに、明治以降の日本人芸術家は欧米のずーっと猿真似で、
20世紀に入ってもダダイズムやシュールレアリズムなんかの西洋の流行をコピーして、
有名作品の出来損ないみたいなゴミ作品を積み上げ、日本人美術家は自らのオリジナル性のなさに
自己嫌悪してきました。まるでアメリカ人が歌舞伎をやるような滑稽さでした。
日本人が欧米人の真似をしても、みっともない亜流にしかならないと気づいて、
今までの欧米コピーをしてきた自己を否定する事によって、
強い自我や作家性や自己表現を捨てる方向に行ったと思います。
自己言及ってやつでしょうか。
今までの恥ずかしい作家性、猿真似の自己表現。これら余分なものを削り落として、
消していけば、最終的に自然の「素材」しかないという場に到達します。
そこまで到達した時に、あっそういえば神道や日本庭園なんかも自然の素材を大事にしてるよなーと気づき、
表現するネタが無くなって生き詰まった芸術家は、
じゃあアートっぽくお洒落に「自然の素材」をディスプレイして日本風に見せて商売して行きまショー
となった、という事情があると思います。禅とか言い出すと欧米人は喜んでくれるし。
あと、貧乏とか体力ないから大作を作れないのもあるかもね。
そういう、少数のバカをバカにするのが芸ジツ人類学?
>>285 亀だけど、井筒の正統後継は牧野氏ですよ。
ハディースの完訳なんぞという、根気だけが無駄にかかる仕事をやってくれた
黒田氏は完全にカウンターの立場にいる人
350 :
考えるなけ無しさん :2009/01/05(月) 22:43:42 0
9・11の衝撃が『緑の資本論』を書かせた。 ひとつところにとどまらないのが中沢的「流動的知性」。 「クレヨンしんちゃん」の「クレヨン」は50色や100色では、もの足りんかもしれんよ。(笑)
352 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 23:14:45 0
>>347 なんていうのかな〜 無意識下でマテリアルに向かう趣向があるというか…。
前衛に純化して行かないというか、抽象化して行かないというか…。
西洋の前衛と比べると中途半端に見えるけど、その根っこに何らかの素材への趣向があるように感じられる。
半分は、日本人特有の唯物論的リアリズムというか、具体的な思考というか、モノづくりが得意な性癖というか。
もう半分が、掘り下げてゆくと精神の地底と自然が繋がっているかのような精神風土にあると思う。
それが、自然と芸術がアニミズムのように繋がるんだと思う。
>私が思うに、明治以降の日本人芸術家は欧米のずーっと猿真似で
それは仕方ないと思う。日本って、短期間でもの凄い勢いで近代化したんだもの。
ほんの少し前まで、ちょんまげしてたんだよ(笑)ちょんまげから50年くらいで世界大戦だよ。
そんな大急ぎで近代化したんだもの、猿真似で当然、そこに誤解があっても仕方ないと思う。
ただ、確かに未だに偏光的な理解になりがちだけどね。
真似は得意だけど、コピーじゃない、本物とはどこか違う真似になっちゃう。
西洋建築は石、煉瓦とコンクリートで固めるのに対して、 アジアの建築は木を組んでるからじゃね。 それよりも、牛のウンコで作ったマサイ族やインド人の家の方がエコだな。 象のウンコは現地人に言わせると甘いらしいよ。 21世紀的に素材にこだわるなら牛や象のウンコを飾るのがお洒落だ。 21世紀はウンコを化学的に有効活用する時代だよ。
355 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 23:48:30 0
>>353 前衛とは違う例だけど、木の仏像とかも見方によっては2通りあるじゃない。
ひとつは、ツルツル系のお肌の仏像。なんていうか宇宙的な。宇宙からやってきたみたいな(笑)
もうひとつは、円空みたいな、木切れみたいなの。適当に目鼻を彫ったやつ。オレでも彫れそうな(笑)
神社の奥の奥にしまってあるのが、実は、木切れだったみたいな感じかな。
つまり、ツルツル系は抽象に行けてるけど、木切れ系はマテリアルに宿るみたいな。
で、本来、前衛なら、抽象に行ききって、マテリアルは考えなくていいはずなのに、
なぜか、日本の前衛ってマテリアルの息吹を残してるようなのがチラホラある。
最初は半端だなあ、不思議だなあ、なんでだろうって思ってたけど、
もしかしたら、作家は無意識に自然と繋がるのかもしれないって感じてるのかもしれない。
どこか抽象化や記号化を拒絶してるみたいで、反ユダヤ的(笑)。←そりゃ、ちょっといい過ぎだね。
木材って癖があるでしょ。 四季の変化も激しい。 乾燥したり湿気ったり10年後に、どのくらい板が反るか計算して造る。 西洋だと石を砕いて混ぜてっていう歴史が長いから、 化学反応で錬金術に向かう。 そういう違いってあるんじゃないの。
そういう荒っぽい唯物論って意味あると本気で思ってる?
358 :
↑ :2009/01/06(火) 07:36:18 0
KYなところがオウムの青年ぽい。
確かに自慰行為の邪魔するのはKYだよね。
360 :
考えない天の声 :2009/01/06(火) 09:57:46 0
中沢家が唯物論の家系であることを忘れるでないぞ。
361 :
考える名無しさん :2009/01/07(水) 01:45:16 0
KY w
362 :
し :2009/01/07(水) 02:54:11 O
連番。甲斐洋
363 :
に :2009/01/07(水) 02:58:24 O
ベンチフォーマー
荒っぽい唯物論だってw
>>357 馬鹿じゃないの?
365 :
考える名無しさん :2009/01/11(日) 19:15:47 0
数名言及されてますが僕も苫米地さんの意見に賛成です
ですよねー 木材だからとか石だからとか、馬鹿っぽいですよねーw
367 :
考えるへこ無しさん :2009/01/12(月) 17:28:00 0
そりゃ、しかたねえよ。 「はじまりの芸術」の材料は石や木からだからな。 紙の発明は、ずっと後なんだよ。
368 :
考える名無しさん :2009/01/15(木) 01:58:32 0
苫米地vs中沢 どっちも見事にトンデモですw トンデモ同士せいぜい潰し合っててくださいw
369 :
考える名無しさん :2009/01/15(木) 02:03:44 0
しんちゃんのトンデモ振りはセンノウなんかよりはるかに高いところをぶっ飛んでるよ。 そもそもしんちゃんは、センノウやなべおさみとは、住んでる場所が違うよ。
371 :
考える名無しさん :2009/02/05(木) 17:26:03 0
372 :
考える名無しさん :2009/02/05(木) 18:22:35 0
>>371 この写真は87年の『虹の理論』のときのものです。
367 :考える名無しさん:2009/02/02(月) 18:19:55 0 Pikarrrの日課 ・買い漁った哲学書のかっこよさそうな横文字が入った文を抜き出して 組み合わせてコテ付けてレスる。 ・格言集から手当たり次第に格言を抜き出して名無しで手当たり次第にレスる。 ・自分のレス〜コテ、名無し問わず〜にレスかます。 ・他人に割り込まれると、非論理と基地外AAで荒らす。
昔読んだ『虹の理論』のダンテのところの趣旨がいまいちわからない 要は?
NHKのチベット死者の書のDVDがジブリから出たね
376 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 09:13:12 0
まだちゃんと中沢さんの本を読んだことないんですが、 はじめて読むには何がオススメでしょうか?
377 :
考えるな なけ無しさん :2009/03/07(土) 11:43:30 0
講義や講演をもとにした本がオススメです。(です。ます。調の) そのほうが「中沢新一」の全体像がわかりやすい。 『カイエ・ソバージュ』シリーズ、『狩猟と編み籠 対称性人類学2』講談社 『芸術人類学』みすず書房 『芸術人類学』は時間がなければ「はじめに』と「芸術人類学への道』で十分。 それから興味があれば他の本や初期の本を読めばいい。 彼の思考や本の内容がどれも難解ということではない。 むしろ難解なのは彼の「立場」なのだから、 そこをつかめば初期の作品も愉しめるはず(?)
378 :
考える名無しさん :2009/03/08(日) 02:19:45 0
>>376 中沢なんぞ読む必要は無い
そんなもの読む時間があるなら
鈴木大拙と井筒俊彦を読むべし
379 :
考えるな 毛無しさん :2009/03/08(日) 09:45:51 0
そもそも中沢が読まれなければ、大説や居つつはもっと読まれんだろうて。
380 :
考える名無しさん :2009/03/08(日) 12:10:11 0
中沢新一=文学的ではあるが、落ちのないエッセイ 大拙・井筒=世界に通用する(実際通用しているが…)哲学・思想
381 :
考えるな無しさん :2009/03/08(日) 13:42:26 0
大拙、井筒に限らず、なぜ古典を読むのか? 動機、モチベーションの有り様が問題。 無目的ならどこぞの首相のように寝転んでマンガを読むのが一番。 中沢には現時点という「回路」がある。
現時点と言うなら、現行の新作は全て「優位である」という妙なことになってしまう。 比較判断の方法が完全に間違っていることに気づかないとは、お気の毒なお方ですね。
383 :
考えるな お気の毒なお方 :2009/03/08(日) 15:32:54 0
マンガだろうが、新作・古典だろうが、等級をつけることになにか意味でもあるのか? できるのは、せいぜい出来損ないのインテリ廚。 問題は、読む主体でありその動機・意識。 そうでなければ、過去の知恵もただのボロ切れよ。
384 :
(ーэー) :2009/03/08(日) 18:18:12 0
あーそー
中沢新一の入門書としては『アースダイバー』(講談社2005)もお薦め。 東京案内本としても実用的。 サイクリングで黄身達、たまには汗をかきたまえ。
中沢新一ちゃあ手品師ゆうけど、そもそもの専門が手品じゃないか。
387 :
考えるな へこ無しさん :2009/03/12(木) 13:58:34 0
手品師とは懐かしいな。 いまは洗練して、イリュージョン(イリュ―ジョニスト)と呼ぶようだ。
マギー新一なのよね。
389 :
考える名無しさん :2009/03/13(金) 13:43:11 0
たしかにルーキー新一という芸人はいたが、、、。
中沢さんは厳密な意味での哲学者ではない。 思想家っぽい人。自称人類学者。
一番確かな呼称は元宗教学者。 本当は「流動的知性体」と呼ばれたい?
宮沢賢治 バタイユ 西田幾多郎 レヴィストロース 田辺元 南方熊楠 折口信夫 河合隼雄 網野善彦 吉本隆明 カスタネダ 監督 中沢新一
393 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 15:08:53 0
脚色 ポケモン
395 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 16:30:59 0
題名『復活・ジジイ軍団の逆襲』
396 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 16:56:46 0
サワラギノイが、元宗教学者の中沢のところに入った。 やっぱり美術評論家から文化人に脱皮中なのかなあ。 まあ安藤礼二が、そうだけど、学問のバックボーンを もった文芸志向が集まっているね。
397 :
梅原猛 :2009/04/09(木) 21:14:09 0
ワシもジジイ軍団に加えろ。
398 :
西部遇 :2009/04/10(金) 08:43:46 0
オレも入れてくれよ。
あんたはダメ。観念フェティッシュをもてあそんでうっとりするウンチク好きしか入れません。
これサッカー布陣ね。 梅原猛はベンチ入りかな
401 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 23:17:21 0
麻原がいないじゃん。
レッドカードで牢屋
403 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 09:11:34 0
実況解説 糸井重里・タモリ
404 :
考える名無しさん :2009/04/20(月) 13:16:00 0
全員オンゴールしそう。
405 :
考える名無しさん :2009/05/13(水) 03:44:29 0
新ちゃんならミュージカルの舞台監督だろう。
406 :
考える名無しさん :2009/05/13(水) 11:01:03 0
もしかしたら、むかしオウムを賞賛した方ですか?
407 :
考えるな 名無さん :2009/05/13(水) 20:29:10 0
この布陣じゃ、またオウムゴールしてすまう・・・。
408 :
考える名無しさん :2009/05/16(土) 11:29:02 0
このスレ読んでて思ったんだけど 日本って本当の意味で肩書きに見合った人間っていないような気がする 学者もどき、デザイナーもどき、 で思いもしなかったところに思想家がいたりデザイナーがいるような 中沢さんは思想家もどきだと思った これは何となく感じたことだから批判してくれたり意見してくれると嬉しい
409 :
考える名無しさん :2009/05/16(土) 13:25:57 0
学者、政治家、タレント、その他これから肩書きだけで食っていける時代じゃないのは確か。
410 :
考える名無しさん :2009/05/23(土) 00:31:35 0
僕、叔父さんにあこがれているんです。 しんいち
411 :
考えるな 名無しさん :2009/05/23(土) 11:38:08 0
アミノ酸は命の源だからな
412 :
考える名無しさん :2009/05/23(土) 12:19:05 0
僕は立派な芸術宗教人類学者です。研究所の所長だぞ しんいち
413 :
考える名無しさん :2009/05/23(土) 15:26:56 0
なんの、僕はもっと偉い学長だぞ。 あきら
414 :
考える名無しさん :2009/05/23(土) 18:41:49 0
あきらさん、僕の経歴のほうが聞こえがいいと思います。 苫米地がこのごろ表に出てきたので、情緒不安定です しんいち
415 :
考える名無しさん :2009/05/23(土) 21:35:04 0
なんだ しんいち元気ないな ほれ ワシの持ってきた天狗茸でも食って精をつけろや くまぐす
416 :
考える名無しさん :2009/05/23(土) 22:14:15 0
ありがとうございます、くまぐす先生。 さっそく、信者にLSDの補助として与えさせていただきます。 僕は、箱庭療法がすきです。はやお先生のほうが権威がありますから しんいち
417 :
考える名無しさん :2009/05/24(日) 08:32:20 0
多摩という箱庭に篭っているのですね、わかります。
418 :
考える名無しさん :2009/05/24(日) 11:47:28 0
たまびの芸術学科は、僕の帝国。将来的には学長の座に座ろうかな 学部長は雑魚にまかせる。僕は、研究所もらってるから。横尾忠則さんも味方だし。 しんいち
419 :
考える名無しさん :2009/05/30(土) 16:58:59 0
僕はけがれた日本の良心です。ボランティアみたいなもんです。 しんいち
420 :
考える名無しさん :2009/05/30(土) 17:12:30 0
やまぐち良一
421 :
考える名無しさん :2009/05/30(土) 18:36:01 0
僕の思考そのものが芸術なんです しんいち
422 :
考える名無しさん :2009/06/01(月) 17:45:17 0
俺の嗜好そのものがマンガなんだ たろう
423 :
考える名無しさん :2009/06/19(金) 04:14:10 0
宗教色を前面に出すことは、それだけで拒否反応を起こす人が多い。 だから、芸術なんです。だけど、僕はこころから芸術を理解しているわけではないので、 シュタイナーは斜め目線です。そう嫉妬です。 しんいち
424 :
地元民 :2009/06/29(月) 14:25:50 0
なんかすごい強欲な相続争いしているみたいですが、情報ありませんか?
425 :
考える名無しさん :2009/07/03(金) 00:50:48 O
芸術的!
426 :
考える名無しさん :2009/07/05(日) 12:54:23 0
幸福実現党の政策の方が芸術的。 中沢はしょせん、愚民をポアしちゃおうだから。
427 :
考える名無しさん :2009/07/05(日) 15:47:20 0
自民党は愚民をプアしてきたのは事実だ。
428 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 22:54:34 0
こいつ、どんどん太ってく。いいもん食べ過ぎだろ。 学費かえせよ。ばーろー
429 :
考える名無しさん :2009/07/19(日) 13:43:47 0
ばかもん。 じぶんがかせいだかねでぷちってなにわるい。 しんいち
:.:/:.:.:/:.:.:./:i:.:.:.i:、:.\:.:.:.:.:il:.:.:.:.:.ヽ:.:.:.:.:ヽ:.:ヽ /:.:.:/:.:.:./:.:.:./i:.i:.:.:.:i:.:.l:.:.:.ヽ:.:.:.il:.:.:.:.:.:.l:.i:.:.:.:.:.l:.:.:! l:.:.:.:/:.:.:./:.:.:/il:.:l:.:.:.:.il:.:.i、:.:.:ヽ:.:.i|:.:.:.:.:.:l!:.l:.:.:.:.:l:.:.:l |:.:.:/:.:.:.l:.:.:./ il:.:i!:.:.:.:.il、:lヽ:.:.:.ヽ:.il:.:.:.:.:.:il:.:l:.:.:.:.l:.:.:l |:.:.l:.:.:.:.|:.:./ |:.!l:.:.:.:.:ilヾ! ヽ:.:.:.:l:il:.:.:.:..:.ij_:|:.:.:.:.|:.:.l l:.:.l:.:.:.:.|:.:/ l:i l:.:.:.i| i! ヽ:.:.:l:i!:.:.:.//´_`ヽ:.:l:.:.! |:.:l:.:.:.:.:l:/二ー-i! |:.:.:|ーli 二ヽ:i:i:.:.:// ,'::::::! l:.:l:.:l もしもし |:.:il:.:.:.:i:lヽ ト'`l`i l:.:.| '"´ト'`l`/li:// ,'::::::::i /:.l:.:l 警察ですか? l:.:!l:.:.:.:lゞ、_`ー' )-‐ヾi(´ `ー',)=l、/ ,':::::::://:.:.l:.:l イルミノイドが集結してるんです .!:i li:.:.:.l::l ` ̄ l i!  ̄ ̄〃 i、ヽ:::::::://i:.:.:.l:.:! l:! li:.:.:.l::l | /:::ヽ \ヾ!:.:!:.:.:l:.l . l! !:.:.:l:i:l ` ,/-‐、::ヽ V 7:.i:.:.l:.! i! |:.:.l:i:::ヽ、 ニニュ r'-‐‐=、 ヽj Y:.:.i:.:.l:| !:.l:.i:i:.:.:.i\ / ̄\ ` .l:.ヾi:.:l:! _,. |:.i:.:i:ii:.:i:l ヽ、 `ニ ̄ヽ l`ヽ、;j ,イ |´ |:.:.:.:i:.ii:.ll  ̄_,. -‐フ 〉 / `l ヽ、 / | ヽ、 |:.:.:.:l:.:ii:l| /,.-ー ノ`! /i / / \ ヽ ヽ、!:.l:.:l:.:ii:ilー// / ,.イ /:.:l / / ヽ 、 ヽ |:.l:.:.l:.ii::l/ / / l /:.l:l:l -‐ ' / ` ヽ、l:.:l:.:.l:i/ / | l:.:l::l:l:|-‐ '
作り話が大好きで、調子に乗って話が止まらなくなって暴走する人なんだろうな。
432 :
考える名無しさん :2009/07/28(火) 19:39:38 0
バルセロナ、秘数3で 4は3の内部から発生し、 とありますが、 どういうことでしょうか?
433 :
闇梨 :2009/07/28(火) 19:44:39 O
あまあまだな。おっまっえっわっ
434 :
考える名無しさん :2009/07/29(水) 11:51:38 0
多摩美の学生さん 著書 バルセロナ、秘数3で 4は3の内部から発生し、 とありますが、 どういうことでしょうか? わかりますか?
435 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 22:15:27 0
中沢新一は、現代の仏教布教家ナンバー1だと思う。
こいつが自分勝手に解釈した仏教は信用できない。
時々、ハイデガーにも触れてくるけれど、 きっちり一冊、存在論と生成論でハイデガーと対話する 基礎付け的な著作残して欲しい。 日本的な「もの」とギリシャ的な「存在」の対話がなされているような。
438 :
435 :2009/08/01(土) 00:55:37 0
>>436 信用できる仏教布教家を紹介してください。
リアルってなんですか
440 :
435 :2009/08/02(日) 22:38:33 0
「カイエ・ソバージュ」シリーズを再読した。 斬新な仏教観だと思う。仏教思想を、単なるひとつの宗教ではなく、3万年の歴史の 中に位置付けてる。
442 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 23:55:36 0
>>438 ダライラマ猊下、パユットー長老といったところか
>>440 それはナムカイ・ノルブ・リンポチェのパクリと思われ
443 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 01:14:53 0
>>442 パユットーという名前は初耳でした。調べてみると上座部仏教の僧のようですね。
442さんは日本仏教にはどのような評価を下しているでしょうか。日本人で信用
できる仏教者というものはいませんか。
444 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 01:51:30 0
>>443 日本仏教は、平安時代の本覚門がピークと思ってます。
弘法大師、源信さん、明慧さん、慈雲さんは間違いなく素晴らしいと思います。
現代学僧では水野弘元、片山一良、生井智紹のお三方をお勧めします。
445 :
考える名無しさん :2009/10/14(水) 09:42:35 0
中沢さんが書いてる「吉本隆明の経済学」はいつごろ出るの?
446 :
考える名無しさん :2009/11/20(金) 23:54:33 0
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501 スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
447 :
考える名無しさん :2009/12/06(日) 14:00:26 0
以前、大月隆寛が中沢新一の事をうっかりオウムに関与したばかりにあっぱれ天下の思想犯。立場的には226事件の北一輝と一緒って言ってた。
けど、かつて中沢新一がオウムを支持していたことは確かなんだよな・・・
中沢なんかの言うことを信じた方が馬鹿だな。 どうしてこんなのが信じられるのか不思議。
450 :
1月刊行 :2009/12/07(月) 14:10:39 0
『虹の理論』 講談社文芸文庫化
451 :
考える名無しさん :2010/01/08(金) 00:37:02 0
『森のバロック』は、文句なしの名著。 これだけは認めざるを得ない。
452 :
考える名無しさん :2010/01/08(金) 17:07:37 0
内田樹とのバカ話が楽しみだな。
453 :
考える名無しさん :2010/01/09(土) 01:06:54 0
ネーミングセンスが抜群。 チベットのモーツアルト 森のバロック サンタクロースの秘密 ケルビムの葡萄酒 ブッダの方舟 哲学の東北(帯の「夢見る大地の唯物論」なんて最高!) フィロソフィア・ヤポニカ カイエ・ソバージュ 虹の階梯 とか。
>>453 >ネーミングセンスが抜群。
それはそうなんだけど、みんなどこかメルヘンチックだよね。それが妙にあざとくも感じる。
ということは、学問としてみるならなんか胡散臭いw もちろん日本語の読み物としては
秀逸なんだけど、批評としてもベンヤミンやバルトのような文献学的な厳密さや鋭さがある
わけでもなく、永遠にそういうメルヘン的なエッセイの位置に留まると思う。
日本語使って、思想やっている人なんてある意味奇跡になるだろうね。
456 :
考える名無しさん :2010/01/09(土) 04:06:25 0
457 :
日本思想史 :2010/01/09(土) 04:17:37 0
中沢新一の思想には、二代目芸能人のような「親の七光り」的きらめきがあると言える。
458 :
考える名無しさん :2010/01/09(土) 05:54:14 0
語(騙)り口、それが二本語に合うのさ。 「思想」なんて横文字にまかせてやれよ。
459 :
考える名無しさん :2010/01/09(土) 06:22:49 0
>>455 >>458 おまいらどういう意味で「思想」って言葉つかってんだ?
見方考え方だろ。thought, idea 体系性のある思い・考え・論理とでも言うなら、日本にもあるがな。
『十住心論』を超える体系性はないと思うが、トマスだろうとアリストテレスだろうと。
それは哲学だね。体系を作ろうとしている。 西田哲学なんてのも哲学というよりは思想だと思う。
461 :
考える名無しさん :2010/01/10(日) 11:53:06 0
まあ,そうカリカリせんとカリント煎餅食えや。
462 :
考える名無しさん :2010/01/10(日) 15:08:46 0
文芸文庫版「虹の理論」を衝動買いしてしまった。 今更読むべき内容じゃないと思うけど、年譜や解説などなどの オマケのてんこ盛りかげんにぐらっときてしまったのが原因。 それにしても文体が若いw さすが30代の書だな。
463 :
考える名無しさん :2010/01/10(日) 23:06:43 0
『カイエ・ソバージュ』(全5冊)が1冊の書に合本されて出版されるとのこと。 今月末に江湖に出されるはず。
844 :考える名無しさん:2010/01/10(日) 06:44:19 0 中沢新一はちゃんとオウム事件の総括をしてから活動しろよ。 翻訳はできても仏教を理解できない中沢が陥ったカルト思想の流布は苫米地に手法諸共完全に論破された。 それにダンマリ決め込んで東と乳繰り合うとかどんだけ負け犬だよ中沢。哀れすぎ。
論破とか久しぶりに見た
中沢信者涙目かぁ
467 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 06:17:02 0
>>464 中沢さん翻訳も怪しいからな
しかし、苫米地さんも怪しいと思うが
むしろ苫米地さんは相手にされてないのではあるまいか?
山口瑞鳳さんとか袴谷憲昭さんみたいに
山口瑞鳳さんは完全に妄想家だからなw
相手にするとかしないとかって言い方は要するに 自分にやさしくしてくれる人とは話して、 厳しく批判してくる人やこいつには勝てないと思ったら怖くて逃げてるだけでしょ。
469 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 07:42:21 0
>>468 苫米地さんは知らないが、山口瑞鳳さんとか袴谷憲昭さんは相手にしても意味がないと思うよ。
まるで頓珍漢な方向違いの妄想家を相手にして不毛な論争しても仕方がないというのは立派な態度だと思う。
まあ、 袴谷憲昭さんはガチガチの実証家できっちり実証すれば間違いは認めるタイプだからこちらはまだ意味があるかもしれませんけど、
見てるところが違うから、袴谷さんとかはほとんど素朴実在論的視点で輪廻すら認めない唯の凡夫である近代人。
中沢さんは一応の境地に達した行者ですから、そんな素朴実在論などは全く認めない。
そういう人が素朴実在論的視点を確信する人を相手にしないというのは、オイラにはもっともで賢い対応に思える。
もっとも中沢さんはもうちっと細かい実証性も尊重すべきだとも思うし、
伝統仏教から見ると、ナムカイ・ノルブ・リンポチェの視点を薄めてフランス系思想で割ったようで、
かなり変だとは思うけどw
■苫米地英人 ・父は日本興業銀行常務、和光証券社長、祖父は英語学者、衆議院議員、叔父は三菱商事副社長、三菱自動車工業副会長、国際大学理事長 大叔父はNHK創設者で祖父と共に「放送」という日本語を作る ・父がニューヨーク支店長になり13歳でアメリカに。既にプログラミングも習得済 ・13〜14歳でアメリカ中高課程修了、レスリングにも熱中しミリタリーアカデミーでレスリング推薦が来る程に ・15歳でマサチューセッツ大学ディベート専攻に入るが帰国、理系だが通訳とチョムスキーに興味を持ち上智で言語学専攻 ・入学と共にサイマルにも入社。移動の30分で英単語3000語を丸暗記が日課。他に日本の大学ディベートリーグ総合顧問と全大会審判委員長を兼任 ・親の命で三菱地所にコネ入社。日本初の無担保ユーロ円建普通社債を出す。ロックフェラー買収で同行しデビッドロックフェラーと親密に ・フルブライト奨学金トップでイェール大学へ。2位は東大の医者 ・イェール大学でロジャーシャンクの弟子に。世界初の音声通訳システムを作りCNN出演 ・Tプログラミング言語で超並列処理システム等を構築し人工知能研究所と認知科学研究所の助手に ・通常2年の修士課程を1年で終え博士をと思ったらロジャーが1年間休養へ ・ネットが一部の軍関係者と研究者専用のアルパネットと呼ばれている頃メーリングリストで「ロジャーの弟子だが誰か呼んで」と言い カーネギーメロン大学から声がかかり移籍。Scott Fahlmanにも師事しLISPを極める。後に日本人初の計算言語博士号を取得 ・ハーバード大学医学部助教授、IBMワトソン研究所、AT&Tベル研究所のオファーを蹴って徳島大学へ ・巨乳になる着メロでディスカバリーチャンネル出演、日本で初めてアメックスプラチナカードを使う、RPGのモデルを作る、オウム信者の脱洗脳に協力 脳機能学者、離散数理学者、計算言語学者、分析哲学者、角川春樹事務所顧問、ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボCEO カーネギーメロン大学CyLab兼任フェロー、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、中国南開大学教授、全日本気功師会名誉会長 サイゾーオーナー、米国公益法人Better World Foundation理事、
471 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 08:40:51 0
>>470 そういうのはどうでもいいんですが。要は彼が仏教をちゃんと理解してるかどうか。
ゲルクの教えを最近受けたそうで、目出度いことです。
宮崎哲弥の仏教観には教えられる ここから現代思想にも脳科学にも繋がるよね
473 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 13:18:02 0
>>472 そりゃ最低だ。宮崎さんは妄想家の山口瑞鳳さんを典拠にしてるんだぜw
話にならんよ。始めに自分の妄想があって、それを根拠づける
あるいは権威づけるために仏教を利用してるだけでしょ。
批判してきたやつをキチガイだと言えばそれだけで勝った感じだよね
475 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 16:51:22 0
>>474 宮崎・山口なら簡単にどこが間違ってるか論証できるんだが。
ちなみに山口よりオイラの方がチベット語できる自信ありw
>輪廻すら認めない唯の凡夫 >中沢さんは一応の境地に達した行者ですから これだけで色んな意味で臭い
〜できるって言うやつに限ってなかなか始めてくれないから気をつけろ
>>473 でも釈徹宗とか瀬戸内寂聴とか玄侑とかより100倍ましだろ
ああいう影響力ある人でまともに仏教語れるのは宮崎しかいない
もっと質のいいのも探せばいるのだろうがタコツボ
このスレにこびりついてる統合失調症の方は輪廻を信じる人じゃなきゃ認めないみたいねw 間違ってもここで新興宗教の勧誘とかすんなよ。
輪廻はああ起こるとしか言えないというか 信じられない人は無理に信じる必要はない オカルトに利用されたりするし
宮崎って仏教信者らしいが宗派はどこなんだ?創価?
482 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 20:45:03 0
>>478 少なくとも宮崎さんより中沢さんのは100倍ましだな
>>479-480 仏教は輪廻がなかったら成立しない論理なってるから、それが理解できないのは相当非論理だぜw
例えば、輪廻なしに一切皆苦を受け入れたら自殺するのが論理的帰結だろ。
あらゆる現象・体験が苦なんだぞ。
>>481 恐らくプロテスタント神学系、
あるいはその影響で現代日本仏教学を作った和辻流の俺ちゃん派でしょw
やっぱ仏教理解に関しては宮崎が優秀だなぁ
484 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 21:14:10 0
>>483 それは誤解か信仰だろ。例えばどんなとこよw
病的な輪廻オカルト君が常駐してるw
486 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 21:40:25 0
オウム信者かエハラーってところかなこの人は
488 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 22:22:55 0
>>487 そういうのはワラ人形論法って言って姑息な詭弁だな。
仏教や思想を論じるなら、根拠を出して論証してみw
仏教のテキスト読んだことあるなら、宮崎さんは支持しないぜ。
要するに和辻劣化コピーである山口の劣化コピーだもんな。
その劣化コピーの支持者、所謂縮小再生産。
489 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 22:27:43 0
阿呆がいると聞いてw >根拠を出して論証してみ 論証したことないやつが何言ってんだwwwwwwwww
490 :
考える名無しさん :2010/01/11(月) 22:47:12 0
ちゃんと自分の言葉を投下しろよ。まぁできないってのはわかるけどw
まず宮崎山口が言ってる原文持ってくる、次にそれが解釈の違いを挟む余地なく間違いだと明確に示さないと。 大体解釈論になって終わるという結末は見えてるけどな。
493 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 06:54:42 0
>>491 それオイラの言葉なんだが。引用じゃないとこは。
>>492 では、山口瑞鳳チベット文法の特色である「二表現位相」がいかに間違っているか明らかにしましょう。
2ch. チベット語に書いたものを、簡潔に書き直したものですが、細かい点や煩瑣・不明だった点以外はほぼ同一です。
『概説チベット語文語文典』xxiv頁で「二表現位相」解釈の要点が次のように説かれます。
> 国語の「だ」「です」「であります」が補語をもつ文に付加されると、いかなる主格語に支配される文
> も表現主体位相の叙述になるので前者の種類に属する用法になる。
これはどういうことでしょう?
『概説チベット語文語文典』xxiv頁で彼が挙げる以下の用例を見てみましょう。
> 私はこのように考えた。(表現主体による自認、認定、判断などの叙述)
> 私はこのように考えたのである。(「である」を伴って対象的位相の表現形式に転換)
つまり、「だ」「です」「である」といった終助辞が加えられると、
主観的表現が客観的表現になると言っているのです。
このような文法現象は現代チベット語の終助辞のような人称接辞によって表される
自称モード、他称モードなどと言われものが、それに相当します。
つまり、yin/red の違い。それ自体は表現が異なるだけで何も問題ありません。
494 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 06:55:39 0
しかしながら、このチベット語人称接辞について、 優れたチベット言語学者・西田龍雄先生が『言語学大辞典』三省堂、1988、759頁で 原初チベット語には、たとえば、ギャロン語や独龍語におけるように、人称接辞による動詞句の人称 指示法が使われていたと推定できる。中古チベット語になると、どの資料をとってみても、確かに 人称指示という文法範疇はまったく認められない。ところが、いつの頃か確かめえないが、たぶん 口語としてはかなり早くから、中央部チベット語に、別の手順による動詞句の人称指示が成立してい たものと推測できる。 と言われるように口語のみに確認され文語には一切確認できないというのが通説です。 上で言う「中古チベット語」は7−9世紀初頭を指しています。 だから以下に見るように 「 rdzogs tshig とは、述部を主格補語として資格づけ、それと一体になって同格的記述を完成させる辞」 とし敦煌文献に、その用例を見る山口さんは通説に反するわけです。 そしてこれこそが山口文法の特殊性を示す「二表現位相」理論の根幹に他なりません。
495 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 06:56:37 0
当然、特殊なこの主張は論文によって論証されています。その論文が以下です。 山口1986:「rdzogs tshigの働きと用法の変遷 チベット語文典の不備」『チベットの仏教と社会』春秋社 これを以下の最終的理解が示されると思われる最も新しい文法書と共に見てみましょう。 山口2002:『チベット語文語文典』春秋社 山口2002で彼は rdzogs tshig を次のように解説します。 終辞の働きをチベットの文典家は「再摂」slar bsdu と呼んだ。その多様で、重要な用法 が十六世紀頃から退化したため、次第に単なる文末を示す辞と誤解されるようになった。 終辞を伴う語句は、終辞の接尾語としての元来の働きによって主格もしくは潜在主格と 同格の関係事象の表現として意識され、終辞が繋辞の働きを持つのが「再摂」の意味である。(207頁) これは、rdzogs tshig はという日本語で「だ」「です」「である」のような文を収束する意味を持つという、 一般チベット文法で認められる機能だけでなく、「重要な用法」機能がrdzogs tshigにあると言っているわけです。 つまり、山口1986で諸チベット文法学者が一致した見解を示す「文末を示す辞」を否定して rdzogs tshig とは、述部を主格補語として資格づけ、それと一体になって同格的記述を 完成させる辞である。(733頁) と断定した「二表現位相」理論的機能を山口2002でも堅持しているわけです。 その唯一の根拠は東大蔵外330の1928年成立のマイナーなチベット文法書です。 その他、彼が多くの用例を挙げているが、なぜそのように読まれるかという根拠は 私が確認した限り全く示されていません。
496 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 07:05:38 0
その唯一の根拠、山口1986は、東大蔵外330を以下のように引用し訳します。(702頁) sbyar bya'i chos de'i dngos po'i gnas skabs gsal bar byed cing skabs babs kyi don bsdu bas / sgra de dag la slar bsdu te rnam dbye dang po'i sgra yin par ni shes par bya'o / / 規定される筈のその首題の具体的なあり様を〔当該語は〕明らかにし、当面の意味をまとめ上げる。 それらの辞に対して「再びまとめる」〔の名が与えられるの〕であり、第1格の辞であると知られるべきである。 これを次のように解釈します。(山口1986:702-701頁) rdzogs tshig を伴う語は、何かを再説しているのである。何らかの首題についてその補語によって 同格的な内容を再説することが rdzogs tshig によって示されるのである。 これが第1格であるというのは、首題の第1格と補語とが同格で結びついていることを云う。 つまり、主格Aは「Bであるもの」として全同の関係で規定されているのである。 これは《'o》で終わるものをもって第一格、主格語として扱えることも意味している。 これはどういったことを言っているのか、彼自身の例を見てみましょう。 mjal dum gyi gtsigs kyi mdo rdo rings la bris pa'o / 会盟誓約の肝要は石柱に書かれているものである。(山口2002:208頁) <主格/mdo/石柱は 補語/rdo rings la bris pa/石柱に書かれているもの'o/ である>ということでしょう。 しかし、東大蔵外330 は本当にそんなことを述べているのでしょうか? 文を素直に読めば'oが付加された部分が主格を示すだけだと考えるが自然でしょう。 次にチベット文典を見てみましょう。
497 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 07:06:43 0
チベット文典は、7世紀の『トンミ三十頌』、11世紀のスムリテリィ・ジュニャーナキールティの 『マゴム・ツォンチャ』、15-16世紀の『シャル・ロチェン註』18世紀の『シトゥ註』が主要なものです。 山口さんも三つは参照しているが『シャル・ロチェン註』を見ていなかったことが誤解の元かもしれません。 あるいは見ていたが自分の理論に合わないので取り上げなかったのかもしれません。 以下に見るように彼はそういうことをする人です。『シャル・ロチェン註』は次のように説きます。 don re zhig rdzogs par ston pa ste / de'i tha snyad ni slar bsdu ba zhes bya bar ni shes par bya'o / / dper na 'di ni rtag go / 'di ni mi rtag go / [中略] mngon par rdzogs par sangs rgyas so / / zhes pa lta bu rnams ni slar bsdu rdzogs tshig can dngos yin la / bya'o snyam nas yod do zhes / zhes sogs slar bsdu ma yin pa yang yod de / de dag ni gtso bor rnam dbye dang po dngos po tsam brjod pa dang 'brel ba shas che'o / / [ rdzogs tshig は ]とりあえず意味が完結することを示す。その言い習わしは「再摂」と知るべきである。 例えば「これは無常である」 [中略] 「ありありと悟ったのだ」以上は完結する再摂そのものであるが、 「すべきだと思っているのであると」等、再摂でないものもある。 それらは主に主格である事柄だけの表明と大いに関連するのである。 sum rtags skor gyi dpe rgyun dkon po 'ga' pyogs gcig tu bsgrigs pa mu tig phreng ba, 青海民族出版, 1997, p.11-12 つまり、rdzogs tshig によって意味のまとまりが、そこで完結することを示す、つまり文が収束完結することを示すのです。 例外もあり意味が完結していない用例もある、それは「主に主格である事柄だけの表明と大いに関連するのである」 と言っています。つまり、東大蔵外330 で示されたことをより詳しく説いているのです。 これは「〜である」という意味で x という事柄、物事だけを示したという意味であって、 「述部を主格補語として資格づけ、それと一体になって同格的記述を完成させる辞」という意味でありません。
498 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 07:08:15 0
この主格説は17世紀の以下『ブラティ・ゲシェー・リンチェン・トゥンドプ註』で否定されます。 legs sbyar gyi skad la rnam dbye dang po'i gcig tshig sbyar ba na / ming tsam du ma bsdad par tshig tu grub pa yin kyang / bod 'dir ming tsam kho na la rnam dbye dang po zhes bya zhing / rdzogs tshig sbyar yang ming tsam las tshig tu mi 'grub bo / / de'i phyir bum pa'o zhes bya ba yang rnam dbye dang po'i gcig tshig kho na'o / / [sum rtags dgongs 'grel, 青海民族出版, 1980, p.21ff.] 梵語では主格だけで文を綴る場合、名詞だけを沢山並べて文として成立するけれども、このチベットでは 単なる名詞だけを主格といい、終辞を付けても名詞だけで文として成立しないのである。 それゆえ「瓶だ」というのも、[梵語では ]ただ主格だけの文である。 というようにブラティ・ゲシェーは主格説を否定していますから、 この主格説は文法家の間で異論があったことが分かります。 山口さんは異論があったことさえ言及していません。 1980年の中国出版である『ブラティ・ゲシェー註』は、 もしかすると1986頃の日本では入手困難だったかもしれません。 ですが、このような異論があったことを 山口さんも参照した『シトゥ註』では論じられてないのでしょうか? チベット文法書の白眉と言われる『シトゥ註』は、もちろん以下のように論じています。
499 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 07:09:37 0
'grel byed phal cher gyis / slar bsdu'i sgra 'di rnam dbye dang po'i don du bshad kyang shin tu 'thad par ma mthong ste / rnam dbye dang po'i gcig tshig gis ni don gyi ngo bo tsam las gzhan mi ston la / 'di ni sdud pa'i sgra yin pa'i phyir don gyi ldog pa ston byed du 'gyur bas kyang khyad par che zhing / khyod la'o / / 'di yis so / / slong mo bar ro / / 'byung khungs nas so / / bdag gi'o / / shing la'o / / rtag tu'o / / lta bu gnyis pa la sogs pa'i rnam dbye thams cad kyi mthar yang slar bsdu sbyar ba yod pas / / khyed ltar na de rnams kyang rnam dbye dang po'i don can du 'dod dgos pa'i phyir ro / / 殆どの注釈者が、この再摂辞を主格の意味として解説することも、あまり合理的には見えない。なぜなら、主格一 語の文は対象の本体以外に示さず、これ(rdzogs tshig)は結びの言葉であるから対象の捨象を示すことになるから、 違いは大きい。(khyod la'o ....の例は省略、原文参照)など他の格全ての後にも再摂を付けることがあるから、 貴方の主張どおりなら、それらも主格の意味を持つと認める必要があるからである。 karma si tu'i sum rtags 'grel chen, 青海民族出版, 1982, p.45ff. このように『シトゥ註』は明解に主格説を否定しています。この記述を山口さんは、論文で言及する必要があるはずですが、 無視しています。これが都合の悪い証拠を取り上げないという学者にあるまじき態度であることは言うまでもないでしょう。
500 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 07:10:25 0
以上の『シトゥ註』の示す用例は、 山口さんの rdzogs tshig 理解の反証として十分だと思われますが、より決定的な 例を示しましょう。『シャル・ロチェン註』に示された bya'o / です。これは「すべきだ」を意味するが「潜在的主語」 を想定しても「私/彼はすべきだ」であり、決して主格+補語の同格関係ではありません。山口さん自身も引用している、 slad nas kyang lo rgyus la 'bris par 'dod pa'i blo ldan dag gis dpyad par bya'o / 後に再び歴史として書きたいと思う智者達は〔それを自ら〕調べて見るがよい。 (山口1986:710頁、改訳して再掲山口2002:208頁) もっとも動詞・助動詞+ rdzogs tshig は「対象的位相に転換しない」(山口2002:209頁)として、 別の例を挙げ「文意が告白、告示、宣言、説明などの意味を帯びる」としています。それらの用例は、より詳細に 山口1986(723-713頁)に挙げられていますが、もとより動詞にそのような意味があるだけで、 rdzogs tshig にそんな機能はなく「対象的位相転換」つまり、主観的叙述から客観的叙述への転換もなく、 あるのは山口さんが厳しい口調で否定した主格説否定のチベット文法家やバコーがいう「まとめる」機能だけ であると考え、山口さんの妄想説「対象的位相転換」などを捨てれば非常に単純明快なのです。 「例外もあり意味が完結していない用例もある」というシャル・ロチェンの見解は、山口説に近く、 ナンミン・パンチェン・クンチョク・チューター(1646-1718)は、より山口説に近い説を表明していたことが、 『ブラティ・ゲシェー 註』に見られますが『ブラティ・ゲシェー 註』『シトゥ 註』に否定されています。 どちらにしろ「文意が告白、告示、宣言、説明などの意味を帯びる」や「対象的位相転換」の機能、 つまり、口語でいう自称モードや他称モードを転換する機能はありません。
チベット語に詳しいことはわかったが 宮崎哲弥の仏教解釈をわかりやすく 批判してほしい 宮哲の文章読んで 墓も戒名もいらないということがわかって かなり安心したのだが
宮崎の仏教解説ってどこで読めるの? 仏門に入るときに戒名っているんじゃないの?
503 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 16:13:12 0
以上から山口さんが自分の仮説に都合のいいように誤読して、仮説に都合の悪い記述は無視していることは
ゆるぎない事実です。さらに論証過程で自分の都合の良いように文を変換しているのには絶句しました。(山口1986:727-726頁)
最近では、月称菩薩から始まって龍樹菩薩、かつて称賛したジェ・ツォンカパまで間違っていると連呼して、
長文の論文を書いていますが、間違ってるのは自分の仏教理解だとなんで気がつかないのでしょう。
その妄想中観説は福田洋一さんに1994年に徹底的に批判されたにもかかわらず、
『チベット』下、2004年改訂版では、素知らぬ顔でなんの反響もないとか言ってます。
このような学者は全く信用できない妄想家以外のなにものでもないでしょう。
そのような人の説に依っている宮崎さんがお寒いものだと簡単に分かるでしょう。
>>483 なんで、そう言えるわけ?
言える根拠は三つほど考えられる。
一つは、覚っている。体験している。
第二に、伝統仏教説、聖者である師から学んだことから裏付けられる。
第三に、学問としてのテキストから裏付けられる。
以上の三つとも君の宮崎優秀説の根拠とならないことが分かる。
なぜなら、テーラワーダにしても大乗仏教にしても彼の説に合致する伝統説はない。
次に、梵パ蔵漢のテキストからも矛盾する。
以上の二つと別な覚っている、体験しているというなら、それは仏教以外の体験である。
それに宮崎って翻訳とか概説書読んで適当に語ってる素人でしょ。
なんでそんな人が仏教的に優秀だと主張できるのかと言えば、
君が何も知らず、ただ自分の思いに合致しているから優秀だと言っているのではないかと単純に予想されるわけだ。
504 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 16:21:31 0
>>501 勘弁してくれ。なんで劣化コピーの本なんかよまなあかんのや。
貴方が、彼の気になる箇所をアップしてくれれば、それについてコメントならするけど。
仏教が知りたいなら彼の本なんかよまんとき。以下を勧めるよん。
1.古坂紘一『宗教史地図 仏教』最も簡明で最も広範な仏教通史、しかも地図が豊富で、インドおよび日本については優れた知見を盛り込んでいます。
2.水野弘元『仏教要語の基礎知識』日本人学者で最も権威の高い著者が、原始仏教を中心に記述したもの、簡明でありながら見解も高い。索引が充実しているので辞典としても使用できます。
3.ダライラマ『智慧の眼をひらく』チベットの高僧が書いた大乗仏教入門書。本来、チベット語から訳すべきなですが、英語からの重訳なのが惜しまれます。
ですが、英訳者はテーラワーダの僧で和訳者は文献学者なので、
ちょっとした異仏教文化交流になっていてチベット語原書と対照すると面白い。
4.鎌田茂雄訳『八宗綱要』日本仏教の優れた入門書。他から丸写しの書き下しやフリガナは信用できますが、訳註は信用できません。余裕があれば平川彰訳の同書を薦めますが、そちらはもはや入門書の域を超えているかもしれません。 ハンディなのもいいです。
5.石飛道子『ブッダの優しい論理学』縁起が論理的に明解で非常に読みやすく書かれている。ほとんどなんの予備知識も必要ないように工夫されていてすばらしい。
6.末木文美士『日本仏教史』思想史的に書かれた簡明なもの。
7.中公文庫の大乗仏典シリーズと世界の名著『大乗仏典』
1.を始めに読むべきですが、それでも難しいかもしれません。
その場合、記述に問題があるが最も分かりやすい『岩波仏教辞典』を備えて読むのがいいかもしれません。『仏教学辞典』の方が安心して信頼できる伝統的な記述になっているが若干読みにくいと思われます。
以上を読めば次になにを読むべきか大体、分かると思います。以下で国訳一切経がほとんど読めます。
また、重要な洋書が結構読めます。上を読むとき註ででてきたら古い文献はたいていあります。
http://www.archive.org/search.php?query=kokuyaku
山口は語学が専門家に比べて拙いのか。 宮崎の仏教理解は優秀と。なるほど。
506 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 05:51:27 0
>>505 山口は知識は広い雑学者だが、妄想癖があって、
あらゆる分野で妄想している。歴史、語学、仏教。
特に仏教分野での彼の妄想は年々加速して留まるとこをしらない。
宮崎はそんな山口に多く拠っている素人、仏教についてはほとんど何も分かってないと思われる。
やっぱ宮崎の教養は本物か。
結局、宮崎を擁護するやつは、カマってちゃんの馬鹿w
宮崎さんは本格的に勉強したのではなく、 仏教関係の本を何冊か読んで雑学はまあまあ在る程度なのかな。
まあ、中沢のオーム批判レベルの書き込みぐらいしかできない輩なんだから、まあ相手にしてもねw
511 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 07:54:26 0
>>509 まあ、そんなとこでしょ。しかも山口とか並川とかドキュン学者を支持してるからな〜
よくある宗教学者批判で申し訳ないが 学問として宗教に詳しい人が宗教を「生きている」わけではない 宮崎は自分なりの仏教観を様々なメディアで広め多くの人を癒している 反社会性はないので有害では無いと思う こういう実行している宗教者こそ尊敬されるべきだろう ブッダやキリストが教養ゆえに敬われたわけではないように
結論としては宮崎は中沢なんかよりは優秀なんだね
514 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 20:24:21 0
>>512 現代日本では無害と考える人が多いかもしれないが、
ビルマやチベットなどのちゃんとした仏教国では宮崎ほど有害な人は少ないと言われるね。
そして釈尊もイエスも社会的だから尊敬されたのではない。
特にイエスは明らかに反社会的人間だろう。福音書を読む限り。
つまんない詭弁は止めよう。
知らないことを論じるのは止めよう。
515 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 20:32:54 0
>>512 >宮崎は自分なりの仏教観を様々なメディアで広め多くの人を癒している
>反社会性はないので有害では無いと思う
ということは、なんの根拠もない妄想でも社会的ならいいってことだ。
人が共感できれば。
それじゃ、少なくとも学、学問、科学ではないな。
ただの随筆、小説のたぐい、エンタメですなw
それなら、確かに正誤の問題じゃなくて好き嫌いの問題だから、
どうでもいいでしょ。議論・論理領域の外にあるわけだ。
> 反社会性はないので有害では無いと思う > こういう実行している宗教者こそ尊敬されるべきだろう > ブッダやキリストが教養ゆえに敬われたわけではないように なんなんだwこのおとぼけぶりは。
ここ見る限りじゃ宮崎は仏教の専門家として相当優れてるんだな。
だから単純にイエスが尊敬されたのはどこにも還元されない奇跡でしょ 同じように宮崎の影響力も教義や教養に還元されない奇跡なんだよ 信仰は学問じゃないんだよ
519 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 22:33:36 0
>>518 イエスが尊敬されたというか信仰されたのは、
復活を始めとする奇跡を示した以外のなにものでもないだろ。
そのぐらいしっとけよ。常識の類だろ。
>>519 いや復活なんて所詮は嘘じゃんw
しかもイエスの偉大さを復活に還元するわけにはいかないよ
それが信仰なんだってば
同様に宮崎が大衆を救済するのも単に奇跡
このへんが分かるかが学者と信仰者の違いだろーな
ここにいるオカルト坊やも宮崎苫米地辺りと論争したら軽くひねられるんだろうな。 何にもなれなかった負け組一般人のオカルト房が集まるところだから仕方ないかもしれないけどw
1行レス返しでやり返すしかない人は、どこまで妄想を 広げるんだろうなwww
確かにwww オカルトを批判する奴は大体ダメなやつw
524 :
考える名無しさん :2010/01/14(木) 06:23:22 0
>>520 なぜ、嘘と断定できるわけ?
学問的にはイエスの復活を信じた人がいたからキリスト教が成立したってのが定説なんだが。
学者と信仰者の違いではなく、単に素朴実在論・常識を信仰してるかどうかの違いだろう。
そういった素朴実在論・常識に基づく説こそ臆見で非学問的であることは言うまでもない。
君は単に宮崎が自分の思いに一致するから支持してるだけだということがよく分かるよ。
常識に安住してればいいんだよ。仏教とかに関わるなよ。
そう、俺たちオカルト組合。
宮崎の書いた仏教研究ってどれですか?読んでみたいんだけど。
っていうか、スレ違いだろ。宮崎スレで聞け。
>>524 嘘だよw
だって人は死んだら生き返らないものw
それは復活を信じる人がいることとは別の話
信仰とも別の話
復活なんて嘘じゃん、ってことと信仰は両立するんだよ
素朴実在論、常識とかはどうでもいいんだよ
ただ信じればいいの
529 :
考える名無しさん :2010/01/14(木) 23:24:37 0
>>529 だって信仰とは非論理的なものだもの
いいかえれば仏教の宗派なんていつでもだれでも作れる
成功した宗派は後づけであなたのような頭がいい人が
教義化してくれる
オカルト馬鹿にする奴調子にのるな。中沢スレなめんな。
532 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 07:23:16 0
この人しょせん、エッセイストでしょ。 独自の理論打ち立ててないよね。岡本太郎が大昔に言ったことの反復としか思えない。
それでいいんじゃね?
欧米のパクリ翻訳か、過去の遺産のまとめ役。 マスコミに登場する知識人ってこういう当たり障りない秀才タイプばかりだよね。 茂木とか中沢とか。
536 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 10:44:05 0
戦後生まれ世代は皆GHQ教育で魂抜かれて育ったから本物などいない。 岡本太郎の頃の世代は日本人にも凄いのが大勢いたけどね。
538 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 14:59:34 0
>>537 じゃその凄いのを何人か挙げてくれ、じゃないと話にならんは。
戦前の方が・・・まあいいやw
敗戦で教育や法律など育つ環境が激減したからね。誇りも失ったし....精神をあつかう哲学という学問で 誇りがないということがどれほど打撃か。 中沢と近い路線で戦前世代なら、鈴木大拙や西田幾多郎など。京都学派はドイツで 勲章もらってる哲学家多数居る。木村敏とかはフランスに研究学派まである。 日本のマスコミはサブカル秀才君ばかり持ち上げて、本物をことごとく無視してるがw実際難解だけどね。 岡本太郎は絵や彫刻など美術よりも文章、著作の方が凄いよ。 中沢新一の研究の殆どのアイデアの源泉は岡本だろ。 岡本は生前マスコミに嫌われていたらしいよ、本当のことズバズバ言う人だったからw 戦後教育や秀才君が大嫌いだったそうです。
> 中沢新一の研究の殆どのアイデアの源泉は岡本だろ。 この思い込みがすごいわw
その誇りのせいで戦争協力に向かっていった面は書かないんだね。
>その誇りのせいで戦争協力に向かっていった面は書かないんだね 中沢支持してる段階でマスコミ洗脳完了してる愚民だろうけど、 歴史のこと知ってるなら書いてみろよw
544 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 16:11:51 0
>>540 >中沢新一の研究の殆どのアイデアの源泉は岡本だろ。
仏教に関してはナムカイ・ノルブ・リンポチェとケツン・リンポチェなんだけど。
>中沢と近い路線で戦前世代なら、鈴木大拙や西田幾多郎など。京都学派はドイツで
鈴木大拙や西田幾多郎か。禅ね。
彼らより、井筒俊彦先生の方がいいね。
なんだ、君はただ評論家の書いた本受け売りしてるだけだろ。
きっちり、原典よめ。そんなしょうもないもん読んでないで。
中沢さんの本も読んでもしょうがないことは言うまでもないが
ドイツで勲章をもらい、フランスに研究学派まである。 ことに本物の価値を置いている時点で、戦前もなく戦後もない、一貫した日本近代の思考に縛られている 君の誇りのなさがわかるよ。
> 鈴木大拙や西田幾多郎か。禅ね。 > 彼らより、井筒俊彦先生の方がいいね。 俺は井筒さんよりは、大拙、西田だと思うんだがな。
547 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 16:37:19 0
>>546 そこらへんは、見解の違いだな。忘れてたが、その三人より石飛道子先生の方が遙かに偉大だな。
その三人は所詮、西洋の本質主義の論理で書いている。
石飛先生はそれを超えた縁起の論理を発見した。
これこそ西洋思想数千年の妄想を破る発見だよ。
これは間違いない。
ああ、その3人はそういう包括の仕方はありえるな。 二分法にとらわれているもんね。 解体する方向でいえば、田辺の懺悔道とか吉本の死に関する言説なんかも好きだな。
世界的に有名かどうかがすべてだよ。西田の圧勝。
550 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 22:02:43 0
>>549 ああ、くだらね。西洋人コンプ。世界じゃなくて西洋だろ。
ヒットチャートとか興業収益、発行部数、知名度で価値が決まるなら、
思想・哲学はほとんど無価値だな。
551 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 22:22:30 0
>>550 ニューアカやサブカル文化人こそ戦後西洋コンプを利用した広告代理店のお仕事
中沢が何か独自の思想打ち立てたというなら簡潔に書いてみろw マガジンハウスの軽薄雑誌にライトエッセイ書いてるぶんには害ないが、 何処が哲学なんだw
浅田柄谷-中沢なんかは超が付くほどの西洋コンプだな。あれは病気。
554 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 23:26:15 0
>>552 あなたが読めないというだけだろ。
とりあえず、「イカの哲学」あたりから読んでみたら?
宗教学者なのになんで哲学なの? 左翼思想なんとかならんのかね。
さあ、波多野さんは哲学者だけど、中沢は別に哲学者ではない。
557 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 03:21:24 0
中沢のことを哲学者なんて言っている奴はどこにもいないだろ。
>>555 「イカの哲学」のことを言っているのですか。
どこが「左翼思想」なのか説明してください。
コイツの哲学云々とかココでは云っている奴いるでしょw あと左翼だってさw どこまで馬鹿なんだか。さすが2ch。
559 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 04:29:51 0
>>556 波多野先生は文献学者だと思うが、
ほとんどの日本の哲学やってる学者は文献学者でしょ。
>>559 イカの哲学だって、タイトルがちょっと気取っているだけであって、別にエッセイだしね。哲学そのものではない。
まぁ交友関係的に見れば左翼は左翼だろうけど。
まったく表面的な理解としかいいようが・・・w
批判するにしても、一定以上の知識や理解がないと批判にならない。 そんな不十分な知識や理解では、逆に批判する方が自らの愚かさを露呈するだけになってしまう。 どうも読んでいると、批判するのに十分なだけの基礎知識に欠けていると言わざるをえない。 これは議論をするレベルではなく、議論をするに足るだけの基礎知識が欠けている。 こう言われた方が怒る気持ちは分かるし、受け入れたくない気持ちも分かるが、しかし、それは残念ながら事実だ。 これ以上、自身の無知をさらけ出して恥をさらすよりは、いったん、引き下がって勉強し直す方が得策と思う。 「名無し」という匿名によって恥をかいても、実際に気付かれることはないかもしれないが、 それでも恥ずかしいことを言っているという事実に変わりはない。 むしろ、匿名によって守られているからといって、いくらでも恥ずかしい言動をしても良いという、 あきれるばかりの厚顔無恥に陥ることの方が恐ろしいだろう。無知を恥と思わなくなるのだから。 誰だって恥をかいたり誤りを犯したりせずに一生を過ごすということはないのではないだろうか。 意地を張らずに、いったん、自身を顧みて、よく考えてみるのが良いと思う。 ずいぶん、偉そうなことを言ってしまったが、ボケ老人のひとりごとだと思ってくださいな。レス不要。
564 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 09:30:44 0
>>563 つか、批判・批評するには著者と同等以上の知識が必要なんだが。
例えば、中沢さんを批評するにはチベット語に通じて、ニンマについて彼ぐらい通じている必要がある。
それとフランス哲学だよね。彼の場合は。こっちは本人も訳ですな。
いずれにしろ、評論家の言ってること口まねしてるような人は話にならない。
翻訳でもいいから、原典をきっちりある程度理解できるように読み込まないとただの猿まねだから、
言ってる本人も本当は何言ってるか分かってないのが、
他人からすっとバレバレなんだよね〜
ってことだよねw
っていうかさ、この人は左翼だとか、哲学がないとか言っている人を 論破とか批判とかすることってそんなに大事なことなの?
>>563 恥をかくとか、別にいいから。
誇りとかもね。
>>564 一般の読者にそこまで高い基礎知識を要求するのは酷だと思う。
「学者同士でアカデミックに批判する」というのであれば、それは高い知識を要求されるだろうけど。
でも、「一般の読者が批判してはいけない」というわけではないと思う。
一般読者だって批判しても良いと思う。ただ、その一般読者でも、批判するには、やはり、一定の基礎知識が必要だと言っている。
まあ、高い基礎知識を持っていることはとても偉いことだとは思うけれど、
だからといって、それほど高くない知識しか持たない一般読者が批判することを禁じるのは良くないと思う。
>>566 変なプライドは捨てた方がいいけど、恥はそれとは違う。
恥を誇りと同じようなものと考えてしまうと、
例えば、自分は「恥なんて気にしないから」と思って恥ずかしいことをしても、
他人から見たら「あの人はバカなことをやっているね。しかも、それに気付いていないな」となる。
恥ずかしいと思わないのは、自分の無知やバカさ加減に気付かないことになってしまう。
「あの人はバカだね」と思われて実際にバカなことをやっているのに、恥ずかしいと思わないのはやっぱり良くないと思う。
568 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 10:26:28 0
>>567 それじゃ。知識がない人の批判とかわんないって。
学者同士の論争でも片方がお話にならないレヴェルだけどずっと吼えてるなんてのがそう。
中沢さんを批判した山口、袴谷、宮崎なんかがその例ですな。
>>568 う〜ん、どうかなあ。言わんとすることは分かるけど、
でも、理解の深さの違いはあるのは当然じゃないかなあ。
ただ、それがどの程度のレベルかってことで。
それによく勉強してても、専門細分化されていると、
その道の専門家でないと批判できないっていうのはどうかと思う。
それだとその道の専門家以外は口を挟めなくなるし、誰も興味も持てなくなるんじゃないかな?
下手をすると独りよがりな考えに陥る危険だってあると思うし。
まあ、ともかく、専門外からの批判を封殺するのは良くないと思う。開かれているべきだと思う。
ただ、それでも、一定の基礎知識は必要だと思う。曖昧な言い方になってしまうけれど。
厳密なことはとても素晴らしいことだけど、あまりガチガチになるのもちょっと考えものだと思う。
まあ、こういう議論は不毛だな
571 :
( ーэー) :2010/01/16(土) 11:03:35 0
あーそー
宮崎と苫米地は数十年前からの盟友で、 中沢はこのコンビによって軽々論破されてしまったからなぁ。 自称学者のオカルト中沢氏も堕ちたものよ。
573 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 11:09:26 0
>>572 まあ、中沢さんも問題だが、宮崎の仏教理解は話にならんからな、
それで論破と言っても、宮崎の言うこと自体あてにならんがな。
苫米地はどんな仏教理解か知らんけど。
憲法9条を世界遺産にwww
やはり不毛だな
578 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 11:26:16 0
>>577 文字ないの、動画みるのだる。
文字あれば軽く論破できるよ。
俺たちオカルトマニア程度の知能じゃ論破できないよ兄貴・・・。
>>577 陰謀史観炸裂のノベール賞候補科学者ということはわかりました。
>>581 体験談なら出てたが陰謀の話なんて一切出てないだろう
中沢の折口信夫感では、別に差別主義をあおっているとはとても思えないが。
584 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 17:23:54 0
585 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 20:59:48 0
オラだって宮崎あおい程度の仏教知識はある。
586 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 21:11:29 0
>>579 宮崎は問題外だが、苫米地が能力が高いのは分かるけど、
仏教はそんな簡単じゃないだよ。
それが証拠に200年の歴史を持つ西洋インド文献学者で仏教が分かってる人は一人もいない。
泰斗と尊崇されるフラウワルナーでさえ、お粗末な理解。
だから、ちょっとした秀才がちょっとやって分かるものではなんだな。
さすが宮崎もプログラミングで飯食ってただけあって苫米地の話を余裕で理解してるな。
588 :
考える名無しさん :2010/01/17(日) 18:03:16 0
憲法9条を世界遺産に ↑ 学者なら誤解を招く運動に加担しない。 マスコミを使って宣伝しても、お花畑か売国奴しか手にとらないよ。
589 :
考える名無しさん :2010/01/17(日) 20:07:04 0
>>588 ハイデガー、ラッセル、チョムスキーもいろいろ加担してたけどな。
中沢を擁護する気はないが、幼稚な言説は見るにたえん。
評論家のエンタメ読んで学問について分かった気になられてもね〜
590 :
考える名無しさん :2010/01/17(日) 20:10:06 0
どういう誤解のことですか。
591 :
考える名無しさん :2010/01/17(日) 20:16:13 0
憲法9条の論理破綻を見抜けない輩が哲学ってw
>>589 外国人が賞賛する事と日本人が賞賛する事はまったく違うよ
593 :
考える名無しさん :2010/01/18(月) 23:33:30 0
>憲法9条の論理破綻を見抜けない輩が哲学ってw 憲法9条が論理破綻しているというけど、具体的にどこがどう論理破綻しているの? 9条の解釈論に関しては、憲法学者をはじめ、内閣法制局などが様々な解釈を提示して いるけど、「論理破綻している」などという主張は聞いたことがないので、是非教えてもらいたい。 もちろん、法学のド素人の「いちゃもん」などはしにも棒にもかからない愚論は除いてという前提だけど。 つまり、「保守派」を自称する渡部昇一やらギャグ漫画家の小林何某らの愚論は除いて。 ちなみに渡部昇一はそもそも法解釈学に関しては無知蒙昧。ロッキード裁判批判のお間抜けな論説でその正体が 暴露されたしね(最高裁決定が渡部昇一の主張通りになったという馬鹿げた主張を見たことがあったが、渡部の 主張と最高裁決定とは全く中身が異なるのは法律を学んだことのある者ならすぐにでもわかろうもの。事実、渡部は 立花隆との論争においても、伝聞例外すら知らない有様だった。また最高裁は問題となった嘱託証人尋問調書の証拠能力に 関して、日本の刑事訴訟法に刑事免責制度を許容する規定を欠くためにたとえ本来の刑事免責とは言えない検察側の 不起訴宣明書による事実上の刑事免責の付与であろうともその前提のもとに得られた嘱託尋問証人調書の証拠能力は認められない とはいえ、被告人田中角栄の5億円収受の事実を認定した原審判断を受け入れている。 もっとも被告人死亡のため公訴棄却という結末になったが)。 またこの渡部が「東大の法学博士」と礼賛する小室直樹も博士論文は衆議院選挙区の特性分析であって、 いわば計量政治学の論文でしかないわけで、憲法や刑事訴訟法を専門的に学んだ者ではない。 その小室が出した憲法関係の著作で9条は13条に違反するなどという珍説を真に受けて9条批判する者もいるようだけど、 この類の暴論も全く以って話にならない。 それとは別に、中沢新一の著作で大好きな書といえば、 「森のバロック」と「精霊の王」かな。 「精霊の王」は「森のバロック」以来の衝撃だった。 もっとも服部幸雄の業績に負うところ大であるけど。
596 :
考える名無しさん :2010/01/19(火) 05:37:58 0
>>594 593じゃないが。
まあ、評論の受け売りで分かったつもりなんだから、
こんなことしか言えないでしょ。
597 :
考える名無しさん :2010/01/19(火) 08:36:46 0
中沢と同じくニューアカデミズム世代、心理学者 岸田秀の対談より 岸田 日本人にとって、なぜ憲法改正はタブーなんでしょうかね。 山本 これはもう精神分析の問題ですな。 岸田 精神分析から言えば、それを変えることがタブーであるという、 そのことが、ニセ物である証拠なんですよ。 神経症の患者の場合、意識的には偽りの理由を持っているので、その理由に断固として固執するんですね。 つまり、ニセ物であるがゆえに、変えられないんです。また、現実にそれを守り、 それにもとづいて行動しなくてもいいんですから、変える必要もないわけです。 山本 なるほど、なるほど。そうすると、日本国憲法はニセ物。
598 :
考える名無しさん :2010/01/19(火) 11:36:17 0
大日本帝国憲法は改憲されたからホンモノでしたね。
中沢と同じくニューアカデミズム世代、心理学者 岸田秀の対談より 岸田 日本人にとって、なぜ天皇制はタブーなんでしょうかね。 山本 これはもう精神分析の問題ですな。 岸田 精神分析から言えば、それを変えることがタブーであるという、 そのことが、ニセ物である証拠なんですよ。 神経症の患者の場合、意識的には偽りの理由を持っているので、その理由に断固として固執するんですね。 つまり、ニセ物であるがゆえに、変えられないんです。また、現実にそれを守り、 それにもとづいて行動しなくてもいいんですから、変える必要もないわけです。 山本 なるほど、なるほど。そうすると、天皇制はニセ物。
600 :
考える名無しさん :2010/01/20(水) 00:41:18 0
>>599 天皇制って言葉は極左用語ですよw
ネットキムチのお里が知れますねw
601 :
考える名無しさん :2010/01/20(水) 00:47:10 0
中沢新一の研究とは直接結びつかないけど(むしろある意味で正反対かもしれないが)、 最近読んだ荒井悠介『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮新書)は中々面白い著作だった。 渋谷のギャルやギャル男の構成するイベントサークル(イベサー)をフィールドとして、その生態を コンパクトに整理・記述している佳作。 もちろん不満がないわけではないが(分析がちと弱い面がある)、もっと押し広げていけば、 これまでの若者文化論の域を超えた現代共同体論として展開できる可能性があるし、東京論としても 読めるものになる。中沢新一『アースダイバー』とは違った魅力ある東京論にもなりえると思う。 もっとも、中沢が見つめているのは、共同体というより共同体の<他者>であり、表象体系に回収されえぬ <モノ>であり<リアル>であって、そこに根っからの「唯物論者」中沢新一の凄みがあるけど、荒井悠介は それとは別の方法で「イベサー的なるもの」の本質の追求から、<リアル>を露呈させてくれればもっと面白い 研究になるんではないかと思う。 軽い感じでかかれているけど、中々の好著なので是非読んで見たらいいと思う。
602 :
考える名無しさん :2010/01/20(水) 00:53:58 0
>>600 >>599 じゃないけど、「天皇制」という表現は今では別に「極左用語」なるものでも
何でもないだろう。
元々は、戦前の左派、具体的には日本共産党が使用し始めた用語だが、別に講座派マルクス主義
のみならず労農派も使用しているし、自由主義者だって使用していた。
というのも、社会科学の用語して概念規定する適当な用語がなかったために「天皇制」という呼称が
流通した事情がある。今では、君がいう「極左」(どこまでを極左というのか詳らかにはわからんが)だけでなく、
普通に使用されている。
谷沢永一やら渡部昇一など愚にもつかない連中の主張ばかりを鵜呑みにしてもいかんと思うよ。
>>601 バカ丸出しの長文w
自己愛の塊 恥かしいよw
>>601 その本は千葉雅也が絶賛してたね
彼はそのあとセクシュアリティ分析のほうにいっていたけど
605 :
考える名無しさん :2010/01/20(水) 12:51:59 0
セクシャリティ分析には行って欲しくないかなあ。 やっても、一時期流行った「ゲイ・スタディーズ」の末席を占めるか、フェミニズム的 言説に絡みとられてジェンダー論の優等生的作文になってしまいそうな気がして、荒井悠介の 持っている可能性がそがれてしまうように思われる。 確かにギャルやギャル男の世界にはゲイもレズビアンもいるしバイセクシャルの子ともなれば 潜在的には結構な数いると思うけど、実際には体育会系ホモ・ソーシャルな空間を形成して、むしろ そういうものを排除する機制が見られるのが実情じゃないか。 こっちは、むしろ縄文とギャル・ギャル男との関係?無関係?に関心があるもんだから(どうも三内丸山遺跡 の土偶とギャルが重なってしょうがないので)。もちろん千葉は優れた研究者と思うけどね。
606 :
考える名無しさん :2010/01/21(木) 00:14:07 0
セクシャリティのことで言うなら、「men's egg」では結構ゲイの読モを登場させたり(売り専やってた モデルも何人もいる)、編集部に明らかにゲイがいるんじゃないかと思われるぐらいの企画出したり(褌姿の ギャル男の写真とかバンバン出したりして、その他にもかなりきわどい描写が見られる)、ゲイやバイ、ビアンを 排除するような構成にはなっていないし、暴走族御用達の「チャンプロード」もメンエグとは路線が違うものの、 少年院経験者へのインタビューとかでゲイだと公言するゾッキー君を出してきたり、で相当変わってきている。 そもそも有害図書扱いしている地方も多いから、その内容は暴走族を全面的に出すより、最近では旧車会とかVIPカー の特集とかが紙面を覆っている。 それでもホモ・ソーシャルな空間の典型であった暴走族を取り上げる雑誌でもゲイを好奇の目にさらすのとは違って 真正面から取り上げるようになってきていることが何を意味するのか。 悪羅悪羅系を取り上げる「Soul Japan」は過剰な男性性を強調するけど、メンエグ系の子も結構読者層に取り込んでいて、 かなり横断性が見られるのも事実。 荒井悠介はおそらく、そんな現状は百も承知でありながら、セクシャリティについては前面に出さなかったと思われる。 地元では暴走族や旧車会でのナイツーを楽しみつつ、メンエグやメンナクを楽しんでファッションに取り入れている子も いるわけで、盛った髪にネイルとかもした暴走族もいる。昭和スタイルの暴走族の方はもはや存在せず、硬派に憧れる層は むしろ悪羅悪羅系になっているともいえる。 従来の類型化が通用しにくくなっているのが実情で、セクシャリティ分析といってもかなり込み入ったものになっているから 果たしてどこまで期待できる成果があげられるか。
607 :
考える名無しさん :2010/01/21(木) 00:36:41 0
千葉雅也はドゥルーズの研究者だけど、ドゥルーズの目指す普遍数学の志そのものは買える。 しかし、その方法がやはり杜撰といわれても仕方がないと思われる。 千葉雅也自身にその責任はないけどね。 小泉義之の志も同様にすばらしいと思うが、いかんせんドゥルーズと同様の誤りをしている。 特異点近傍の定性分析云々言ったって何も始まらないよ。 微分方程式を飼いならそうとするポアンカレって糾弾されてもなんだか。 そんなこといったら形態形成論のモデルなんでたてられやしないのではないの? そこから決定論と構造安定性について批判したところでこれまたわけのわからない方向に議論が 暴走してしまう。小泉もドゥルーズも同様に微分可能多様体しか考えていないように思われること。 多様体だからお約束のベクトル場を出して微分的なもの(ここまではいいとして)、そこから潜在性へと直結させてしまう。 潜在的なものの顕在化の議論だってベクトル場からリーマン空間やらユークリッド空間に具体的な方程式がたち現われる って話でしょう。 もう一つ。連続関数と微分可能性との関係をちゃんと理解しているのか少々疑問が残ること。 ほか色々突っ込みどころがある。ドゥルーズはシュワルツや佐藤幹夫を読んでいないわけだ。 彼の微分方程式論だって平凡な解説かあるいは明確な誤用にとどまっている。生命論として立論し、 なおかつ微分方程式論として展開したいというのであれば、きちんとトムの生物学とトポロジーに関して著した 1969年論文を直に読んだ方がいいに決まっている。 長くなってスンマセン。
608 :
考える名無しさん :2010/01/21(木) 15:22:39 0
中沢新一は図らずもドゥルーズに接近していっている。 でか、接近というか、唯物論という足場のみに定位しているから自ずと接近する。 要するにオランダコネクション? 「高原のスピノチスト」中沢新一、「千の高原」ジル・ドゥルーズ。 要するに金春禅竹。 『精霊の王』と『ミル・プラトー』を読み比べてみると面白いよ。
609 :
考える名無しさん :2010/01/22(金) 00:31:22 0
中沢新一もドゥルーズも国家批判の理論を構築しているが、日本にいる多くのドゥルージアンたちから なぜだかまともな国家論が展開されていない。 ドゥルーズの20代の思考の中心を占めていたのは、ある種の国家論であるにもかかわらず 誰もそこに目を向けようとはしない。 ヒューム論だって国家論として社会契約説批判として書かれているわけだし、 ドゥルーズの影響を受けたネグリだって「構成的権力」と言われ盛んに吹聴されてもいるが、 念頭にあるのは憲法制定権力のはず。 ヨーロッパの哲学者は特に法学・政治学的問題と緊張関係を行き続けているのに、日本では 高踏派を気取っているつもりなのか、あっさり無視している。 横断的云々いうにもかかわらず、憲法学の本丸には火傷することを怖れてか、誰も手を出そうとしない。 デリダがなぜ『法の力』を出したのか、なぜロースクール生に向けて呼びかけたのか、誰も本気で考えようとはしない。 デリダやドゥルーズとは方向性は異なるが、井上達夫の誠実さと比較して、一体ドゥルージアンは何をしてるのか? そもそもドゥルーズの日本への導入のされ方に不幸があったのかもしれない。 蓮實重彦『マゾッホとサド』が紹介されて本格的に日本にドゥルーズが広がり始めたのだろうが、 堅実な哲学史家として知見に基づいて思考を展開するドゥルーズのよさがあまり上手く伝わらなかった のではないか。蓮實の仕事はそれはそれで重要な仕事であったと思うが、それ以後の流れを見ていると、 やはり歪な姿になったのでは。『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』も蓮實でしかなしえない仕事だが・・・?。 弟子筋の松浦寿輝も期待以上の仕事はしていない。阿部良雄の弟子筋にもあたるけど、蓮實の影響がやはりでかすぎた。 『表象のディスクール』に掲載された確率論についての論稿は噴飯モノだったけど、「国体論」は異様な緊張感のある すばらしい出来映えだったし、『表象と倒錯』は、マレー論としては面白かったが、大森荘蔵への批判は大森を深く読み込めて ない底の浅いものでしかなかった。『官能の哲学』は名著。
中沢はアホ
中沢は多分西田に次ぐ世界的な思想家になる 少なくとも歴史に名を残すことは間違いない
612 :
考える名無しさん :2010/01/24(日) 23:50:00 0
そこまではないと思うけど、構想力は並大抵のもんじゃないと思う。 ただ、学的な詰めが甘い。そこが残念で、もしそこができてれば凄い学者に なっていただろうなあ。
>>611 ありえん。
戦後世代は京都学派への発言をなぜこれほどまでに避けるか考えてみろ。
>>613 単純に戦争のタブーだろ
あいつらの優秀さは自明
中沢は河合隼雄のバトンを受け取ったんだよ
中沢の田邊元論『フィロソフィア・ヤポニカ』は中沢にしては珍しく秀逸だったぞ。
>>615 その通り
お前優秀だな
中沢は京都学派を次ぐ男だ
基本的にどんな分野の信者スレでもこんな感じ
618 :
考える名無しさん :2010/01/25(月) 05:58:00 0
>>614 そうそう。政治と学問が分けられない人は何もわからないとおも。
政治的流行で話してもね。
>>612 たぶん、智慧はネパールから返りたての頃は凄くあったとおも。
でも、きっちり裏とらないんだよね。
そして、今は、智慧もあんまり感じられない。無常だな。
>>616 オマエらマスコミの情報しか知らないんだな。
中沢の研究なんて所詮エッセイで、他人の説を羅列して
評論の領域に留まってる、独自理論など何も打ち立ててないだろ。
ただマスメディアで顔が売れた有名人でしかないな。
京都学派の継承者は京都にちゃんと居るよ。
上田、大橋、木村敏、谷.....。
>>619 大橋www
柄谷と浅田にボコられて半泣きになっていたじゃんw
あいつの海軍と京都学派の本もデタラメすぎだろww
621 :
考える名無しさん :2010/01/25(月) 20:52:16 0
>>620 柄谷ってどこがいいわけ?
ただの屁理屈やが、宝くじあてて、そのままアイドルになっちゃったような気がするが。
別に京都学派や中沢さんを擁護するつもりはないが、
柄谷よりは両者の方がマシってかんじだな。
622 :
考える名無しさん :2010/01/25(月) 21:12:58 0
>>620 何処でどうボコられたか詳しくソースを出して、読みたい。
中沢が独自研究がなく、 レポーター止まりな活動しかしてないのは自明なんだが。
>>625 戦後世代は皆そうだけど、
戦前は独自性ある人が居たと思うよ。
628 :
考える名無しさん :2010/01/25(月) 22:53:14 0
629 :
考える名無しさん :2010/01/25(月) 23:27:20 0
京都学派が概して優秀であったというのは確かだと思う。 それと京都学派といっても一枚岩ではなくて、高坂やら高山みたいな誇大妄想的な 言辞を弄する連中もいただろうけど(とはいえ高坂のカント研究は世界的水準だった みたい。俺は読んでないからあくまで評判)、戸坂潤や三木清もいた。中井正一も広く 京都学派に含めてよいならその拡がりは多彩なものがあった。 それは京都学派についての柄谷の評価にもある。戦前の哲学の水準ってのは九鬼周造とかも 含めて相当なレベルであったのに対して、戦後は劣化したというのが柄谷の評価だったはず。 とはいえ、京都学派の「後継」は京大哲学科にはいないし、ましてや大橋良介なんかではないことも 確か。強いて言うならば、廣松渉こそ正統な京都学派の後継者であったと思う。 マルクス主義者であることを標榜しつつも、その実、廣松哲学のモチーフは、京都学派の問題意識の 延長上にある。
test
631 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 05:55:49 0
>>629 だから、柄谷なんか基準にならんだろ。
取るに足らん泡沫評論家としか思えん。
中沢新一なんてニューアカ全盛期でさえ精神世界系扱いだったよ
柄やんとかこの人って、何で犯罪系、オウム真理教とか円天市場に繋がるの?
634 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 10:00:18 0
中沢さんはオウムに疑いが持たれたとき宗教学者、あるいはチベット仏教の権威としてオウムを正しいと発言したから 柄谷は知らん。柄谷なんかアホでしょ、どう考えても。記憶力のいいヲタクにしか思えん。
柄谷は単なる読書家
柄谷の「近代日本文学の起源」は世界的な名著でしょ。 「トランスクリティーク」だって、ジジェクが絶賛しているぐらいだし。 柄谷読まないで的外れな揶揄されても、柄谷の名声は全く揺るがないよ。
柄谷は訓詁学者
638 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 10:27:49 0
>>635 だよな。ただの文学ヲタで漱石を左翼っぽく論じたのが偶々賞取っちゃって、
それを崇める文学ヲタがいるってだけで。
ロックヲタに岩谷宏とか山形浩生を奉ってるヤツがいるのと同じ。
639 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 10:31:10 0
>>636 シジェク以外だれがほめてんの?
たしかデリタが名指ししなかったが日本で井筒じゃなく柄谷が受けるのは分からんといってたが、
正にその通りだとしか思えない。
一度、読んだけど。あまりのくだらなさに途中放棄した記憶がある。
中沢の話しろよw
>>639 >たしかデリタが名指ししなかったが日本で井筒じゃなく柄谷が受けるのは分からんといってた
んなこと言ってないってw
それにしても、なに読んだの?
対談とか読んで判断しないでねw
デリダとか読んでることがそもそも分からん
643 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 11:21:37 0
>>641 君、アホでしょ。ないと断定するなよ。
相手にならんは。だから、柄谷とかありがたがっちゃうわけだ。
ナムって恥かしいよねw
645 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 12:10:08 0
柄谷行人が中心(または客寄せパンダ)で始めた社会改良を目指すコミューンまがいのサヨク宗教団体の一種。
革命めざして地域通貨 Q を導入してみたけれど、利用者がぜんぜんいなくて買えるものもないという悪循環の結果、
柄谷が「これはシステムを考えた経済学者の西部忠が無能だからだ」とちゃぶだい返し。
そしてこんどは、市民通貨 L がえらいのだと言いだして(大差ないのにねえ)失笑を買ったその舌の根も乾かぬうちに、どうも柄谷行人はやめちゃったらしい。
(やめると言ったけれどでもやめる手続きはとってないそうな)
ttp://www.kanshin.com/keyword/242439
647 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 12:41:22 0
左翼とカルトはコインの表裏。 得意技:自作自演 例:ネトアサ
648 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 13:30:24 0
>>646 ありがとうございます。酷い。流石柄谷らしい。
しかし、学者がみんな柄谷みたいだと思われると困る。
少数だけど立派な方もいますよ。
649 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 13:37:54 0
柄谷行人は文芸批評家では優秀な人だと思うよ。江藤淳レベルにはある。 もちろん哲学者だとは思わない。本人も「理論家」として位置づけていると 思われる。theoristとしてのKojin Karananiていうわけちゃ。 大橋とかは哲学者として論外だっちゃ。 京都学派の正統的後継者は廣松渉だろう。
>>649 大橋がどう論外かちゃんと説明してみてくれ。
こいつはドイツ語完璧だろ。
ドイツでシーボルト賞とかももらったみたいだし。
651 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 13:48:48 0
>>649 >柄谷行人は文芸批評家では優秀な人だと思うよ。江藤淳レベルにはある。
いや、それもヲタ・レヴェルだとおも。
>>648 >少数だけど立派な方もいますよ。
マスコミで顔売ってる奴はロクなのいないよ。
真面目な学者はそんなことより自分の研究に邁進するもの、よってなかなか
日の目を見ない。学者を芸能人扱いしだしたニューアカブームが諸悪の根源。
653 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 14:20:51 0
>>652 だいたい沢山、本書いてる人はダメですね。
出来る人に限って、本も論文も少ないと思う。
もちろん、例外はあります。
>>653 論文はいいんだけど、本出すと、
出版社や書店なんかがマスコミと結託して売り込みかけるからね。
新書ブーム便乗のなんとかトークオンデマンドとか胡散臭さ満点。
柄とか東の本なら、現役院生の論文の方がしがらみないだけまだまし。
655 :
考える名無しさん :2010/01/26(火) 14:40:47 0
>>654 >柄とか東の本なら、現役院生の論文の方がしがらみないだけまだまし。
この二人の本とか読んでる人は可哀想
>>649 広松はやっぱりオーモリの後継でしょ。
西田→田辺の関係は
大森→広松ににてるけど(マルクス入るあたり)
>>649 >>656 現代哲学史の結果論として言えば、どちらも的外れではないだろう。
ただし当人の自覚としては、やはり大森の認識論はバークリーの影響が強く、廣松の認識論は新カント学派の影響が強いと思う。
あくまで「血筋」というか、発想や叙述のスタイル・枠組みの受容としての話だが。
京都学派も大森も廣松も20世紀の日本という時代と環境で活動した哲学者たちだから、そうそう違った影響を受けて育ったわけでもなく、関係項など探せばいくらでも見つかる。
京都学派はひとまずドイツ観念論の洗礼を浴びているし、大森・廣松はフッサールを通過しているし。
「孔子→孟子」⇔「プラトン→アリストテレス」のような組み合わせなら、読書環境も時代背景も知識内容も全く違った世界での影響関係だから「系譜」はまぎれようがない。
しかし20世紀日本の哲学者同士なら、組み合わせようと思えばいくらでも系譜をつなげられる。
自己愛的文章は読んでて恥かしいよ。 柄谷なんて査定外。
660 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 06:32:18 0
>>659 柄自体恥ずかしい、柄ヲタはもう耐えられないw
662 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 10:48:45 0
>>661 勘弁してくれ。読むべきものは無限にある。
なぜ、この短い人生をそんな不快な駄文の妄想に費やさなければならないのか。
>>662 関心もなく読んでもいないなら柄谷を批判できる資格はないな。
それだけ。
664 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 11:20:29 0
>>663 だから昔読んだ。酷さに唖然とした。その印象しかもう残ってない。
たしか、柄谷が評価したなんとかいう丸山真男の評論した人の丸山論を読まされたことがあったが、
あれがまた酷かった。妄想なんだよ。その妄想に共感できるかどうかってかんじで、
柄谷もそんな印象がある。妄想が目新しくて適当な知識の裏付けがあればいいのかと思ったよ。
>>664 >だから昔読んだ。
何読んだの? その調子だと随分前のようだし
何読んだかも忘れたみたいな感じだね。
それに柄谷が評価したのとかそんなのいま関係ない。
とにかくそんだけでかいくちを叩くなら
『トランスクリティーク』少しでもまともに読んでから、
ものを言うべきだ。
柄谷の文章は、たしかに学術論文じゃないから、引用の仕方とか論証は
甘いが、鋭い洞察に溢れている。私は哲学を専門に勉強しているので
分かる。確かに学術論文としては多分査読に通らないと思う。
しかし批評としてみるなら柄谷の批評は、一流だ。
666 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 11:52:52 0
>>665 じゃいいよ。柄谷は素晴らしいってことで。
きっちりやるとなると、柄谷が引用したものも全部あたらないと話になんないからな。
そんなことやってられん。
667 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 12:08:12 0
ナムって恥かしいよねw
NAMは著作ではなく運動だからな。あれは偉大な失敗だった。
9条信者が哲学ってw
だから中沢の話をしろよw
ニューアカ現象を総括するって義務はあると思うぞ ソーカル事件だけで解決したと思ってるんじゃ甘過ぎ
だから中沢の話をしろよ
673 :
考える名無しさん :2010/01/28(木) 12:24:52 O
精霊の王を読みなさい。
674 :
考える名無しさん :2010/01/28(木) 15:18:05 0
>>673 「僕の叔父さん 網野義彦」のP177には「精霊の王」が出来上がり、療養中の
網野氏に速達で送り、「とてもよかったよ」と最後の声をふりしぼる場面が
書かれているが、このくだりを読むたびにいつも眼がしらが熱くなる・・・。
675 :
考える名無しさん :2010/01/29(金) 00:28:49 0
『精霊の王』は中沢の最高傑作といっていいんじゃない? 『森のバロック』と並んで。 『森のバロック』を読んだとき、もうこれ以上の傑作書けないんじゃないかなあ って思ったけど、どうしてどうして。『精霊の王』を世に出してくるなんて中沢新一 ここにあり! まあ、これは金春禅竹の『明宿集』の恐るべきテクストの濃密さとそれを見出して研究を 続けた服部幸雄『宿神論』の凄さの上に成立する仕事だけどね。 そこに網野善彦『異形の王権』などの大偉業が滑り込んでいく。 身が打ち震えるほどの読書体験は久しぶりだった。 筋金入りの唯物論者中沢新一のライフワークだね。
676 :
考える名無しさん :2010/01/29(金) 19:36:45 0
ナムってナムコ? 最近の中沢さんあんま面白くない。 今後どんな展開してゆくのだろう? 中沢さん周辺だと 細野さんは枯れちゃったし 坂本龍一はロハスで「ボクって宮藤官九郎さんのファンなんです」ってへらへらしてるし 何かみんなゆるい もっとドキドキするような仕事してほしい
677 :
考える名無しさん :2010/02/03(水) 00:21:27 0
中沢新一と坂本龍一で共著出すみたい。 キーワードは縄文。 楽しみでしかたがない。
ついに坂本のスピリチュアルにかかわるようになったかw
ついに坂本もスピリチュアルにかかわるようになったかw
理系の苫米地に一瞬で論破されたからなぁ。 中沢は何十年も生きてきて勉強しまくったのに一瞬ってw やっぱ理系とは地頭が違うんだろうね。 そういや文系って文系同士でしかつるんでないしねw
681 :
考える名無しさん :2010/02/18(木) 06:41:13 0
>>680 それってどこ。
中沢さんは大雑把なことしか書いてないから、
そりゃツッコミどころ満載だよw
上で褒められてる『精霊の王』の仏教理解も酷いもんだ。
『虹の階梯』も訳というより翻案だし、
講義内容があれってことは絶対ないと断言できる内容だもん。
>理系の苫米地に一瞬で論破されたからなぁ。 哲学板のレベルがしれるなw
683 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 03:03:27 0
中沢さんと坂本龍一は星めぐりがいっしょで節分で 天中殺を超えました これからの活動は攻めてゆくのではないでしょうか? 中沢さんは突っ込みどころ満載でもいいので 面白いことして欲しい!
684 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 06:58:40 0
>>683 つまり、作家として要望があるわけね、学者としてではなく
大丈夫、苫米地は論破以前にキャラクターが胡散臭すぎるから中沢以上に メディアには信用されてないだろう。 糸井重里や太田光・坂本龍一みたいなタレント文化人は中沢の悪評は知ってるだろうに、 オウムとの関わりを論じてるのが島田とか苫米地みたいな人間だから堂々と無視して 中沢と仲良くできるわけだ。w
苫米地を称揚とかw
687 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 13:15:26 0
つか、論破したって言ってありがたがってないで、 中沢の文a を論拠b によって論破した。 その論理c の abc を書いてくんないと、ただの幼児強弁と同じなんですが。
>>687 2chである限り、この流れは続きます〜
689 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 19:14:34 0
苫米地は中沢を論破というより、オウム信者と関わっていく上で 中沢がオウムの教義に多大な影響を与えているって批判してるんだよ。 憲法9条を世界遺産にとかの対談本で、中沢の言説の展開は自分を都合のいい立場に巧みに 誘導して殺人教唆してて危険だとかね。単に中沢の洗脳手法を批判してるわけだな。
690 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 20:07:15 0
>>689 そういう倫理的問題で責めるのは哲学・思想的には卑怯だと思うけどね。
ハイデガー・ナチスとかクワイン・軍とか。
影響を与えたというのは『虹の階梯』のことかな?
確かに影響は強い。それより訳自体にエゴイスティックな部分やいい加減な部分が多いことが思想的には問題だろう。
それに仏教的にはオウムが本物かどうか問題になった時、
中沢が本物だといってしまったことが問題だ。
これは倫理的にも問題だか、それよりも中沢の仏教認識が間違っていることを示していると思われる。
その認識誤りが『精霊の王』に見事に現れている。
問題は中沢が縁起・空、無我を理解していなことにある。
哲学板なら、こういう方向で責めないと卑怯だと思うよ。
>>690 ハイデガー・ナチスは中沢&オウムと全く違うと思うが・・・。
Dr.苫米地の主張で言えば、中沢はオウムの思想に直接の影響を与えた責任があるということで
逮捕されるべきだとか、そもそもがそういう見地からの批判だから。
それに苫米地は思想家じゃなくて変な商売してる脳機能学者だからね。
本当かよ。逮捕されるようだったら、それはそれで暗い世相だな。
参考人招致くらいならされてもおかしくなかったかもね
694 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 04:49:06 0
>>691 >Dr.苫米地の主張で言えば、中沢はオウムの思想に直接の影響を与えた責任があるということで
>逮捕されるべきだとか、そもそもがそういう見地からの批判だから。
>それに苫米地は思想家じゃなくて変な商売してる脳機能学者だからね。
アホじゃないか? それにここでそんな奴持ち出す奴は完全にアホだな。
>>694 いや、十分考えるに足る情報だと思うがな。ていうか
>>691 は
>>690 への説明だろ。
>>694 自身もアホとか言うのなら言葉での反論をしてみるべきだと思うぜ。
ただ結局のところチベットの思想や哲学で何を世の中に発信するのか、行うのかというところで
ミソつけちゃったわけで、中沢自身も挽回がほとんど不可能と判断してアースダイバーみたいな
別路線に行ってるんだと思う。
妄想もいいところだなw
697 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 10:31:41 0
>>695 哲学・思想に政治を絡める奴にろくなやついないよ。
やめとくよ、そんなもん読むのは時間の無駄だから。
698 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 16:16:07 0
中沢はそんな勘定はしない気がする、今でも求められればしゃあしゃあとチベット密教を 自慢げに語るだろうさ。
701 :
考える名無しさん :2010/02/24(水) 13:58:59 0
苫米地英人ってこんなこと言ってるのか? 779 名前: 名無しさんは見た!@放送中は実況板で Mail: sage 投稿日: 2010/01/01(金) 14:47:35 ID: f9acpeZ40 いま日本の最高支配者は薩長連合(鹿児島県、山口県)の田舎侍です。 ・坂本龍馬は日本をいまも破壊しているテロリスト薩長連合の工作員だっただけの者です。 ・織田信長の時代から戊辰戦争まで、鉄砲隊のガンパウダーはガンパウダー1樽につき、 日本人の若い娘50人を海外に売ることで調達していました。 ・自殺者3万人(実際は8万とも)は薩長連合が原因です。日本はいまだに武家社会です。 ・明治維新テロは薩長連合が海外の貴族やユダヤから金を借り(年利18%)て起こした国家転覆テロ。 ・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、 高知県、佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。 公務員は薩長連合の使用人です。 公務員は国民を支配する道具。国策捜査は薩長連合やアメリカのための捜査です。 ・日本経団連の企業は明治以前からの支配階級の関係者が興したものばかり。 ・アメリカを代表する洗脳の専門家アーネスト・ヒルガードは戦後来日して 「戦後日本の教育の非軍事化」のために働き、スタンフォード大学からその功績を讃えられます。 鳩山由紀夫もスタンフォード大学卒業です。洗脳はいまも続いています。 ・薩長連合は株式会社ゆうちょ銀行の郵便貯金を海外の貴族やユダヤに差し出そうとしている。 ・アメリカ財務省証券購入で日本人は毎年アメリカに30兆円以上差し出している。 ・日本人が貯蓄した金が海外にいき、信用創造で1000倍になりそれで日本の土地が買われる。 日本は破産し、IMF管理下でも 薩長連合は安泰で国民はIMFに感謝するように洗脳される。 (洗脳支配 苫米地英人 株式会社ビジネス社) 日本の政治家には朝鮮人がいます。安★部、小★泉、菅★、小★沢。 2ちゃんねるはトウ一きょう会が運営してIP集めや、自作自演して洗脳工作する場です。
■苫米地英人 ・父は日本興業銀行常務、和光証券社長、祖父は英語学者、衆議院議員、叔父は三菱商事副社長、三菱自動車工業副会長、国際大学理事長 大叔父はNHK創設者で祖父と共に「放送」という日本語を作る ・父がニューヨーク支店長になり13歳でアメリカに。既にプログラミングも習得済 ・13〜14歳でアメリカ中高課程修了、レスリングにも熱中しミリタリーアカデミーでレスリング推薦が来る程に ・15歳でマサチューセッツ大学ディベート専攻に入るが帰国、理系だが通訳とチョムスキーに興味を持ち上智で言語学専攻 ・入学と共にサイマルにも入社。移動の30分で英単語3000語を丸暗記が日課。他に日本の大学ディベートリーグ総合顧問と全大会審判委員長を兼任 ・親の命で三菱地所にコネ入社。日本初の無担保ユーロ円建普通社債を出す。ロックフェラー買収で同行しデビッドロックフェラーと親密に ・フルブライト奨学金トップでイェール大学へ。2位は東大の医者 ・イェール大学でロジャーシャンクの弟子に。世界初の音声通訳システムを作りCNN出演 ・Tプログラミング言語で超並列処理システム等を構築し人工知能研究所と認知科学研究所の助手に ・通常2年の修士課程を1年で終え博士をと思ったらロジャーが1年間休養へ ・ネットが一部の軍関係者と研究者専用のアルパネットと呼ばれている頃メーリングリストで「ロジャーの弟子だが誰か呼んで」と言い カーネギーメロン大学から声がかかり移籍。Scott Fahlmanにも師事しLISPを極める。後に日本人初の計算言語博士号を取得 ・ハーバード大学医学部助教授、IBMワトソン研究所、AT&Tベル研究所のオファーを蹴って徳島大学へ ・巨乳になる着メロでディスカバリーチャンネル出演、日本で初めてアメックスプラチナカードを使う、RPGのモデルを作る、オウム信者の脱洗脳に協力 脳機能学者、離散数理学者、計算言語学者、分析哲学者、角川春樹事務所顧問、ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボCEO カーネギーメロン大学CyLab兼任フェロー、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、中国南開大学教授、全日本気功師会名誉会長 サイゾーオーナー、米国公益法人Better World Foundation理事、
703 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 10:12:47 0
どう考えても苫米地の話は商売文句だろ。 金もってるエハラーとか陰謀論者とかの騙しやすい層を食い物にしたいだけ。
705 :
考える名無しさん :2010/03/04(木) 10:28:04 0
>>704 そういうなら、中沢さんも対象は違うけど結構似てるかも
まあ中沢さんの場合は白黒半ばってかんじだけど
商売入ってることは否めない
707 :
考える名無しさん :2010/03/04(木) 11:16:30 0
>>706 こりゃ、酷い。完全な詐欺師じゃないか。
欺されてる奴はアホだぞ。
今すぐ、本とか捨てろ、関わり断て。
こりゃ間違いないは。
↑エハラーはスピリチュアリズムを批判されるとこのように発狂しちゃいます
オカルト怖いっすなぁ
710 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 11:15:13 0
>>708 江原とか知らんが、苫米地は完全な詐欺師、ただの金権主義なのわからんのか?
たく、インチキ商法が無くならないわけだ。
やはり和みますな
>>710 完全に同意。苫米地は中沢と同罪だわ。。。
713 :
考える名無しさん :2010/03/06(土) 08:36:12 0
>>706 今どきチョムスキー言語学擁護する、英語学習教材って有り得ない。
中沢もいい勝負だが、苫米地は限りなく恥ずかしい存在ね。
714 :
考える名無しさん :2010/03/06(土) 09:44:11 0
ところでお前ら「カイエ・ソバージュ」の合本版って買う? メチエ版は全部持っているんだけど、一冊にまとまっていて、ハードカバーってのが、 魅力的だ(書き込みがしやすいし、全体が見えやすい)けど、6000円は高い!
当然買わないし立ち読みすらしない
>>715 買わない、読まないのにわざわざここまで来て御苦労なこったなw
>>713 確かに。スピリチュアルアーティストの江原さんを支持する俺達にとってはチョムもトマベチも敵だな。
許せないよ。
地下鉄サリン事件からもう15年が経ったんだね。 あれっ? 宗教学者・中沢新一ってまだ生きてるの?
むしろ、中沢オウム批判で生き延びている奴はいるね。 大した仕事もしてないのに、コメンテーターやら政治家なんかになったりしてwwww
苫米地が遂にダライと同じ袈裟を得るまでになったらしいね。驚いたよ。
721 :
考える名無しさん :2010/04/07(水) 02:07:13 0
多摩美tvって放送遅すぎない? 高木正勝との対談とか面白いのに 1年半前とかゆとりすぐる 他の放送とかustで次の日から見れるのに・・・
722 :
考える名無しさん :2010/05/13(木) 23:44:45 0
中沢新一って、今でも時々チベット行ってるんでしょ。
プカプカ飛んで行ってるそうだ。
ホリエモンって、後輩らしいね。