1 :
考える名無しさん :
2007/11/18(日) 03:02:06 0 ニーチェ研究してるやつの発表聞いたんだが、あの発想は相当ヤバいと思うんだいろんな意味で。 どーよ?
2 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 03:51:35 0
2
3 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 10:22:45 0
またゆとりか
4 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 12:37:03 0
実はゆとりじゃなかったりする ギリギリで回避した世代 似たようなもんだろって言われりゃ終わりだけどさ いや俺のことはどうでもいいんだよ 問題はあのやばい無限ループのことだ ググっても「人間超えろ」的なことしか教えてくれない先生がいる
論理は無限ループを生む。 理屈は無限ループを生む。 真理は無思考を生む。 定理は無思考を生む。 考えない奴が哲学板で何をするのか?
俺的には外宇宙に物理定数の異なる宇宙が無数にあって 無限に違う宇宙が発生する派
>>1 die Ewige Wiederkunft を実践してたんじゃないの?www
8 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 16:07:46 0
>>5 堂々巡りと停止を同じものと考えるか別物と考えるかの違いだろ
むしろ哲学板にいる奴(俺含む)が本当に何かを考えているのかどうか疑問だ
比喩として受け取った方が良いと思うよ、永劫回帰は。 プラトンなんかもそういう語り口だが、抽象概念理解の助けとして、 比喩としての物語を使うのも一つの掲示手段だし。
10 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 17:47:59 0
ニーチェの永劫回帰は、”この性”の反復だから、 宇宙がビッグバンを無限回繰り返すとかそういう話とは関係ない。
そんなユニークな解釈誰がするんだw
12 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 17:59:19 0
13 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 20:52:49 0
>>10 現代思想はそう解釈するよね。
でもその解釈の不気味さ(を俺は感じた)ってなかなか分かってもらえない。
どれくらい不気味かって言うと、実は森の中を回っているだけだったとき気づいた瞬間くらい怖い。
そこに神々しさを見ることもできるけど、俺はやっぱ怖いわ。
だから
>>9 の言っていることはその通りだとは思うけど、
「比喩だよ」といってしまうことで失われる気分があるんじゃないかなぁ。
14 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 22:44:55 0
>>13 比喩と言うべきじゃないのは分かるが、その不気味さは分からない人には
やっぱり比喩としか受け取れないんじゃないだろか。
比喩以外でこの不気味さを伝える方法もないんではないか。
15 :
1 :2007/11/19(月) 01:29:57 0
そうだな、怖いっつーよりも不気味っていったほうがいいのかもな
実際そんな気持ちのほうが強いし
一瞬不安に駆られるわけよ 本当だったらどうしようって
俺が聞いたその発表者は
>>9 みたいに
「これは比喩だ」って言い切ってくれたから
その時の俺は何も考えずにただ聞いてただけだった
もちろんそのあとも、何事もないように過ごしてたんだ
所詮「例え話」だって それに抱く不安も、所詮杞憂なんだって
それでも、一度そんなことを聞いたら、それが例えだとしても考えちゃうんだ
俺はニーチェも何もあったもんじゃないギリギリゆとり回避の大学生だけど
それなりに何かを怖がるくらい、人間なわけでさ
俺も例え話使っちゃうけど、たとえば映画の『呪怨』みたいに
部屋の天井からいきなり本当に化け物が出てきて――とかいうものなら、
奥歯をがちがちさせながら怖がる。普通に怖がる。俺はああいう映画が嫌いだ
そんな映画は嫌いだ、って言ってしまえば、
そんなものと一生縁のない生活だっておくれる
だけど、ニーチェが俺に植え付けていった不安みたいなものは、
俺が怖がったり嫌悪したりする『当人』がいないんだよな
『この生の反復』とか言われて、それを嫌悪したり怖がったりできないし
16 :
1 :2007/11/19(月) 01:30:32 0
うん、そうだな。できないんだよな
『お前のその生は永遠に繰り返される』って言葉を不意に与えられて、
それに戸惑った俺がまず何をするかって、
まず後ろを振り向いてホラーチックなものがいないことを確認するだろ
次にすぐ隣にある時計をつかんで、
とにかくその手触りだけを感じようとする
で、飯を食って風呂入って寝てさ
たぶん午前九時に目覚まし時計にたたき起される
限界まで目を見開いても、どれだけ耳をすまそうと、
ふとその言葉を思い出しちゃえば、全部全部
「あれ?」ってなる
自分の家のはずなのに、天井を見上げながらこう、「あれ?」って
なんて言えばいいかよくわからないけどさ
いや、それ自体がわからないってわけじゃなくって
何か俺そのものが、目の前にある光景が空っぽになる気がしてさ
俺がここにいることを支えるモノなんてわからないけど、
たとえばそれが「たとえばなし」であったとしても、
その話を聞いてしまった瞬間に、息がとまるほど何かにゾッとして
とにかく何かが怖くなって、不気味さだけを感じて、
コーヒーが冷めていくのを感じながら、何も思わないで、何も考えないで
ただ『この生を永遠に繰り返す』って言葉だけを反復しながら
いつの間にか眠ってて、また目覚ましにたたき起されて学校に行くと思うんだ
厨二臭いことになってしまた_| ̄|○思春期乙w
でもまあ、この感覚はきっと
>>13 >>14 が言うみたいに不気味さなんだろうな
それがわかっただけでも、なんか安心したよ(´・ω・)長文スマソ
どちらかというとメンタルな問題の範囲 つじつまの合わない考えが恐ろしいとかそういうもの
18 :
考える名無しさん :2007/11/19(月) 02:16:59 0
狂ったアニメでそういう表現があったが怖いっちゃ怖い だから昔見たのに記憶に残っているんだろう
20 :
考える名無しさん :2007/11/19(月) 03:44:46 0
>狂ったアニメ kwsk
あー、とりあえず1は「ゆとり」が世代そのものを指した蔑称ではなく、 考える力のない「ゆとり的な人格」に対する蔑称であることを理解したまへ。 「永劫回帰が比喩である」の意味がいまいちわかってないし。 言葉自体が比喩であり隠喩であり換喩であり象徴なんだよ。 「お前の生が永遠に繰り返される」って言葉を額面どおり受け取って、 しかもその根拠を確かめもせず「怖い」とか行っちゃう短絡思考を「ゆとり」と言うんだ。 つーか私的な下らない悩みを書くのにいちいちスレッド立てるんじゃねえよ、ゆとりめ。 質問スレやニーチェスレがあるのにわざわざスレッド立てる心性がゆとりなんだよ。
パーフェクトアルティメットダイナミックダイナマイトデンジャラスディフェンスディメンションダイレクトアタック滅びのバーストストリーム皮肉な逆にゼノサーガ■エピソードVスリーでは永劫回帰が唯一の救いに為るのですよねー!?
23 :
考える名無しさん :2007/11/23(金) 09:54:43 0
井上ひさしは 仙台一高から一般入試で総計に受かったけれど経済的な事情で進学を断念したんだそうだ (東北大、東京外語大は受験に失敗) それで孤児院の神父の口利きで上智に入った しかし結局通う意味が見いだせず休学して働いたり、国立医学部の再受験をしたりしている (働いていた先が国立療養所だったから、その道に進もうとしたのだろうか) 復学してからも赤線に通い詰めて貯金を使い果たしたり 卒業間際もストリップ劇場の座付作家やっていていつのまにか上智を出ていた という感じだったそうだ
sage
25 :
裸の王様 :2008/01/08(火) 08:35:57 0
ギリシア人たちはどう受け止めてたのでしょうね。不気味と言えば唯我論や決定論も。 あと何ですかね。でも永遠回帰は考えても進展のなさそうなのが救い? 鈍くなさそうなある人へ問うてみました。いまあなたが生きているという 事実と死んだらそれっきり、この二つは両立すると思えます? 反応はやはり鈍くなかった。
26 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 15:03:19 0
指輪物語の指輪我は永劫回帰の象徴
無限ループっていったって、一周りするにも計り知れない時間がかかるんだから、実際的には全然どうってことないと思う。
単純労働では毎日のように何千回と同じ作業をしたりするが、それでも日々様々な変化がある。 無限ループの恐怖は想像上の恐怖である。 この恐怖は不変性に対する恐怖だとすれば、 これは反復よりもむしろ何も認識できないというような無において、あるいは真理の認識によって余程強烈に体験されるだろう。
日々いくら環境を変化させても、 変化を認識できない退屈な人間もいれば、 毎日同じ事を繰り返しつつも飽きずに楽しんでる人もいるだろう。 前者というのは死に瀕してて、後者を生き生きしてるとすると、 生命というのは変化の源なんだ。 いやいや、むしろ常識的に反復が生命の源か。 いやいや、反復には飽きるだろ普通。 いやいや、反復しか楽しくないような気もするぞ。 確かなことは楽しみたいということだな。 常識だよ。
最重要はどうすれば楽しめるのか。 これに限るね。 苦しみでさえ快楽の種であり、苦しみそのものが快楽ともいえないこともないし、ここに反復の快楽があるわけだ。 いやいや、楽しいことはいくら繰り返してもただ単に楽しい気がするが。 それでいて敢えてつまらんことも苦しいことも怖いことも選んでするのは何故だろう。 調味料になるからか…。 そうかもしれない。そうに違いないようだ。
31 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:26:13 0
D
32 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:31:23 0
返事はどうした?
33 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:32:05 0
返事はどうした
34 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:40:32 0
スナインコッコスマナラコッサーラ長老ですか?
35 :
かっぺ3 :2008/02/07(木) 02:06:39 0
ニーチェの言いたかったのは。 例えばインドのカースト制を例にとると、 最下層の人間が来世を夢見てがんばれたように。 人間誰しも満たされない思いを持つと思うけど、 そこで例えば、これで終わりといわれるのと、 今は“こう”だけど、“次”もあるのとでは将来(来世)に持つ意味が違うと思う。 だから、これを励みに虚無主義に陥るなと言いたかったのではないの?
ニーチェの解く永劫回帰が もしも真実であったとするなら 仏教の教える「輪廻からの解脱」 という考え方は幻想ということになってしまう ニーチェ思想の最も恐ろしいところは ここだと言っても良いのではなかろうか ゴータマ・シッダールタは 悟りを開いたかもしれないが それを悟りと呼ぶにせよ何と呼ぶにせよ 彼はいずれ悟りを開いていない状態に 戻ってしまうということである 仮に彼自身 「私は悟りを開いたのだからもう輪廻することはない」 等と認識していたのだとしたら その認識は勘違いだということになってしまう どんなに輪廻を繰り返して霊的な成長を遂げても いずれはまた全く成長のない未熟な段階に戻ってしまうことになる そうだとしたらこの世界は不気味すぎるとしか言いようがない
37 :
かっぺ3 :2008/02/07(木) 02:25:01 0
>36 仏陀の輪廻からの解脱如何は宗教てきだけれども、 輪廻そのものが永劫回帰とすれば問題ないのでは?
>>37 問題ないというか
それで世界の説明はつくけれど
人(霊魂)の宿命として不気味ってことだね
39 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 00:15:22 0
無限にループするという認識が間違っている気がしてならない。 確かに字面や額面上はそんな意味を汲めるかもしれないが、ニーチェはこうも言っている。 「如何なる場合も決して変わりようのない自らのこの瞬間、つまり無限回も廻ってくるこの瞬間に然り、と哄笑することこそディオニュゾス的な生への肯定である」 って。だから無限ループ―――端的に言えば、だが―――を怖がっている人たちには、永劫回帰は口に出すことすらおこがましいと思うのだが。 無限に廻ってくるかどうかは、先に何人かが言っているように比喩であって誇張に過ぎないにしても、何より先ず、生きているそのことへの最上肯定の意を示すために、永劫回帰が生まれたということのはず。 それを怖がる人たちは―――ニーチェの言う―――十字架的厭世主義、つまりキリスト教に呑みこまれ、同情と隣人愛に励んでろって思う。 死を肯定する信者ほどニーチェにとって関係のない存在はいないだろうからね。
40 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 01:13:31 0
永劫回帰はニュートン物理学から導かれるラプラス的な決定論に唐突に 気づいてしまって戦慄してしまったのではないかと思う。 今この瞬間は未来のどの時間の出来事とも等価であり、未来などこの瞬 間や過去の全部の瞬間を繰り返す事と等しいという事じゃ無いんですかね。 本格的に物理学を研究しようとしていたらしいし。 ニーチェが現代物理学を学べば永劫回帰の思想は棄却したと思う。
ニーチェは永遠回帰を物理学的な理論としても十分ありうることだと捉えていたようだね。
>>40 ニーチェは永遠回帰にフラクタル性―― つまり「どんな小さな部分をとって拡大してみても、それは全体像と瓜二つ」―― をもたせているがね。
瞬間と永遠を同一視している。
>>42 >「どんな小さな部分をとって拡大してみても、それは全体像と瓜二つ」
これはニーチェからの引用?
こんなこと書いてたかな?
記憶にない・・・
44 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 21:40:00 0
ただなぁ。結局当時の物理学の知識内での哲学的な帰結に過ぎないと思うんですよ。 当時の物理学からじゃ、過去の全現象をもって今この瞬間を構成しているし、今こ の瞬間は未来永劫に渡って全現象を規定している。 つまり瞬間と永遠が同一(というか等価)と見なし得るわけで、確かに究極のニヒ リズムだし、そりゃ吐き気も催しますわね。 でも現代の物理学じゃカミもサイコロ遊びをしますからね。
このスレでニーチェ批判してる奴はニーチェちゃんと読んでないだろ? 永劫回帰とか断片的な言葉だけに踊らされるから変な誤解をするお。ニーチェ読み込んだ人なら永劫回帰とかよりももっと別のところに意識をもっていくと思うけどねえ。
46 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 23:34:51 0
>>45 いやいやww
無限ループ(ニーチェ的な意味で)だったら永劫回帰以外になにがあるというのか。
スレ違い推奨乙w
永劫回帰は知名度高いし、論じるにはいろいろな人の意見が聞けて適していると思うのだが。
大方、ルサンチマンとかニヒリズムとか「神は死んだ」とかデカダンスとかっていうちょっと意味わからねえだろうなって思うような言葉並べて知ったかぶりたいんだろうことはわかった。
ニーチェ批判する人は、ニーチェを読み込んでないと出来ないと思う。
まさかニーチェをろくに読まずに「永劫回帰?ああ、知ってるwウィキで見たw」とかいうやつらが批判してるとは思いたくない。
読み込んだ奴→スレタイを見る→永劫回帰関連を連想する→ニーチェ思想とスレタイはやっぱり別物だと思う→レスしない。→終了。
48 :
考える名無しさん :2008/03/25(火) 02:50:37 0
まあ、レスしないなんて短絡的な結論を言ってしまうような人間がいるから、かの忌まわしき教育制度に癒着した考えることすらしない葦ばかりが生まれるわけだが。
↑48自身が短絡的という自己矛盾
50 :
宇宙の拡がりドットコム ◆sV8ysp3BiA :2008/03/25(火) 06:41:44 0
ニーーチェすきなんだけど
ニーチェがフラクタル性という概念のパイオニアなんじゃね。
52 :
考える名無しさん :2008/03/25(火) 07:24:02 0
>>51 ニーチェはそんなことを書いていませんが・・・
53 :
考える名無しさん :2008/03/25(火) 12:53:33 0
>49 はいはいワロスワロスw 堂々廻りするような揚げ足取りは中学生までにしましょうねww
どんなことであれ細大漏らさずに、全てが無限回繰り返されるということ、 瞬間と永遠の一致… こりゃフラクタル性だな。
ニーチェといえば一番重要なのはあのヒゲだけど、 あのヒゲでビールなんか飲むと絶対ヒゲがあわだらけになるよね。
輪廻と永遠回帰は大分違うよ。 前者は別に瞬間と永遠の同一性を説いてないし、 同じような人生が繰り返されるというだけであって、 全く同一の人生が繰り返されるというわけではない。 恐らくニーチェはフラクタルな世界観をを初めて提示したんだ。
ニーチェの永劫回帰はエントロピーの法則について勉強すれば机上の空論だということがわかるよ。 そういやJOJOの第六部の最後は永劫回帰か
まじで? 法則っていったって数学の定理のようには証明できないのに。 いくら実験したところで確からしさが高まるだけで。
まぁ量子力学とか物理学は概念の世界だからそうかもなぁ。 一応要点だけ言うと「エントロピーが増大する方向の世界では、秩序が現れるのはありえない」って感じ。
60 :
考える名無しさん :2008/03/29(土) 23:29:26 0
昔はエントロピーが不可逆的に増大し、いつか物理世界は必然的に 熱死と呼ばれる完全均衡状態になってしまう。と言われていたけど 現代の物理学じゃそうじゃないらしいっすね。
>>55 ニーチェはアルコールが大嫌いだからその心配はない。下戸と言うわけではなく、酒に依存することを忌み嫌っていた。
ただノンアルコールビールの場合にも同じ問題が生じるからな
63 :
61 :2008/04/02(水) 01:27:09 0
>>62 ニーチェの時代にノンアルコールビールは無いと思うが、とマジレス
64 :
考える名無しさん :2008/04/02(水) 10:54:49 O
>>36 輪廻イコール永劫回帰だとして
仏教の四聖諦の@苦がイコール輪廻だとすると
その苦のA集(原因)である無明(無知)をB滅する事で輪廻から逃れられる事となる。
実際に悟らないとわかりようもない事だけど永劫回帰から逃れるC道(具体的には八聖道)を仏陀は示したのではなかろうか。
65 :
剛田 武 :2008/04/02(水) 10:58:52 0
それじゃ駄目
66 :
考える名無しさん :2008/04/02(水) 21:32:28 O
剛田せんせい!
67 :
考える名無しさん :2008/04/03(木) 04:32:38 O
>>56 仏教では世界は無始無終ととらえるから瞬間と永遠は一致するんじゃないかね
68 :
考える名無しさん :2008/04/03(木) 19:51:18 0
あくまで量子論以前の古典物理学(ラプラスの悪魔)的な意味だと思うけどな。
69 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 22:45:49 0
ってゆうか、怖いから発狂したんだろ?
70 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 17:54:29 0
くりかえすーこのポリリズム
言葉で語りえないことには、沈黙しなければならない!
答えはこうだ。 生まれ変わっても前のことは覚えてはいない。 覚えていたなら、まったく同じ生を生きるとは言えないからね。 今の自分は前の生のことなど覚えてはいないだろ? 覚えてたら競馬の当り馬券でも買うんじゃないか? だとすればだ、飽きたり、またかよーと感じる事はない。 つまり、今生きている状態となんら変わりは無いわけだよ。 今のこの生を積極的に生きようと受け入れてる君たちは すでに永劫回帰を受け入れている。 これがニーチェの永劫回帰と生の肯定なんだよ。
ではなぜ、ニーチェはわざわざこんな事を言わなければならなかったかの? そこにはキリスト教的精神世界が当時はまだまだ強く生きていたということだ。 なにを言ってるのかは、みんな自分で考えてみてくれ。
74 :
考える名無しさん :2008/05/12(月) 20:29:08 0
僕は自分がわからない だけど ここにきた
その怖さは連続して続いてもせいぜいあと100年だ。
77 :
考える名無しさん :2008/05/12(月) 22:17:32 0
>>76 ある時、それらしき何かを無意識にながめていたのに
なぜか
彼の名だけが自分の中でぐるぐる回っていたみたいな感じ。
78 :
考える名無しさん :2008/05/12(月) 22:53:48 0
デジャブ=永劫回帰残像
ニーチェか?、それとも神の子か?
80 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 00:49:00 0
81 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 01:11:01 0
それなのに自分が何なのか全然わからない 接続詞は役立たず いつもその繰り返し・・・
82 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 01:43:44 0
83 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 12:02:53 O
ヘーゲルを否定しただけじゃね?
オレなんて自分が何者かを知る為に生きてるようなもんだぜ。
85 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 07:26:06 0
>>84 ありがとうございます
僕もニーチェのように生を肯定できるよう
生きてゆきたいです
86 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 12:06:42 0
自己完結すれば無限ループはない だが他と関わって生きていかなければならない以上 低脳者に「えっ?それ何?おいしいの?」って原点回帰させられると ループするわけだ。 おれが例を挙げて去ろう。 「ニーチェに踊らされすぎ自分の哲学を持て」
>>85 若いんだろうから言うと、
若いうちは自分なりにガムシャラに生きてみるといい。
そして2、3年後振り返ってみるんだ。
そしたら何かしら自分らしきものが少しは見えてくる。
不思議と未来の自分の姿に興味も湧いてくるさ。
自分なりに生きてみなきゃ、そりゃ解からんだろ?
無理はしなくてもいいけどな。
自分なりにな。
88 :
金曜日 :2008/05/16(金) 12:11:29 0
永劫回帰は宇宙が発生と終焉を無限に繰り返すという解釈が一番妥当だと思うけどな。 ニーチェの当時の宇宙論では考えられなかったけどな。ニーチェは解釈で悩んだとおもう。 無限の時間内での有限な物質のふるまいということでね。 でも永劫回帰自体についてはほんとうに信じていたと思う。 その点ハイデッカーにはじまるニーチェ解釈はある意味歪んでいるともいえる。 永劫回帰はある得ないという人がほとんどだけど 可能性ちおしてあり得るともおもう。 でもこんなことは証明不可能だし宇宙物理学などで将来可能性が証明されたって だれにもほんとうのことはわからないね。 でも永劫回帰は思想としておおいに可能性があるね。 神だって存在の証明は不可能だけど 思想としては神についておおくのすげれた思想家を生んだしね。
89 :
金曜日 :2008/05/16(金) 12:16:52 0
>>88 >可能性ちおしてあり得るともおもう
訂正
>この宇宙がすべての事象が全くおなじことを繰り返すという永劫回帰
として存在しているということが真実である可能性はあると思う。
>>88 発生と終焉を無限に繰り返すってとこ読んで閃いたが、要は創造と終末の否定ということをニーチェは主張したんじゃないかな?
でも、
>>78 のほうが現実の生活に関連していて意味があるな。俺もそう思うことがあるよ。
91 :
金曜日 :2008/05/22(木) 07:07:20 0
>>90 >創造と終末の否定
宗教特にキリスト教における創造や終末思想の否定ということは
当然ニーチェの思想(ツアラツストラ)の根幹でもある。
しかし宇宙的な解釈としての永劫回帰
(宇宙が発生と終焉を無限に同じものとして繰り返す。地球の歴史や人生も他の惑星の生命の歴史も)はキリスト教も仏教も超える。
天国の存在や輪廻という考え方を完全否定するからね。
92 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 08:37:51 0
発生や終焉は神の存在とは関係ないということですね。 宇宙というものの生成と消滅の自然な過程ということですね。 それでは永劫回帰と神は両立しないということでしょうか。
93 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 23:43:59 0
神はニーチェだってどのように考えていたかあいまいに思える。 キリスト教は否定したにせよ遺稿ではときおり神について述べているからね。 神=宇宙神か汎神論かわからないけど 永劫回帰と神については両立するかどうかではなく そうした幻想を思想としてどう深めるかだろうね。 いうまでもなくわれわれ人間存在からみれば信仰しようがしまいが自覚的な精神にとって 永劫回帰や神は不可知な領域に属する。 しかし宗教や信仰に陥らずに幻想領域の思想として深化することも可能だと思う。 ニーチェのツアラツストラはその発端にすぎないね。
94 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 13:41:21 0
仮に宇宙が発生した以前の宇宙が終焉するとしたら、 その終焉から発生までの時間は どのように流れているのですか?
95 :
金曜日 :2008/06/01(日) 22:43:36 0
>>94 本職の宇宙物理学者から笑われそうですが
素人の考えるイメージとしては
たとえば宇宙の終焉期にはブラックホールのようなものに宇宙が全て吸い込まれて
単一のものに統一されるということでしょうか。
宇宙の発生は無限小の点からビッグバンで宇宙ができます。
時間としては中断ではなく終焉から発生へと連続していると考えることも可能です。
そして終焉のありようが発生のありようへと受け継がれるということでしょうか。
永劫回帰は発生から終焉まで熱エネルギーを含む光子や電子など全ての素粒子
が定められた行程を旅するということになります。それを無限に繰り返すということですね。
偶然に思えるすべての現象は宇宙発生のときの条件に支配されているということです。
地球の出現や生命の誕生そして人類の歴史から滅亡までが偶然と必然の模様を織り成していながら
全ては永遠に繰り返すというイメージになります。
時間も空間も有限で宇宙終焉の時に時間はリセットされ宇宙は最初からはじまるのですが
終焉から発生を連続していると考えれば時間は無限ということになるでしょうか。どちらでもいいのですが。
でも私は無限なのは回数だとおもいますね。
宇宙人が他の惑星に住んでいたとして 彼らの歴史も永劫回帰ですか
97 :
考える名無しさん :2008/06/04(水) 23:57:29 O
98 :
考える名無しさん :2008/06/05(木) 03:34:30 0
時間の終わりとはじまりがみつかりません 時間って、流れていないですね
99 :
金曜日 :2008/06/05(木) 08:48:25 0
>>97 >>91 輪廻=永劫回帰とも解釈出来るのでは?
そのように解釈するのはニーチェの永劫回帰の誤解釈だとおもいますね。
そのように考えることも可能ですが。
輪廻は仏教以前のインドの宗教やチベット仏教にみられる転生など
のより古代の宗教感情に由来するものです。
日本の仏教にもそれはありますけど。
本来は仏教は輪廻などを断絶するための宗教ですから。
100 :
考える名無しさん :2008/06/05(木) 18:58:15 O
97
>>99 なるほど。勉強になりました。
自分は輪廻も苦、永劫回帰も苦という点で似たようなものだとおおざっぱな理解しかなかったです。そしてその苦の具体的解決方法を示したのがブッダだと。
実際輪廻があるかどうかはいまいちピンと来ませんが。
101 :
考える名無しさん :2008/06/05(木) 19:02:53 O
100ですが追記です。 輪廻は自由意思を認め、永劫回帰は決定論的といったイメージの違いが自分にはあります。
102 :
金曜日 :2008/06/05(木) 20:10:43 0
>101 そのように考える人は多いですね。 しかしわたしは逆に解釈します。 輪廻や転生という考え方は宿命とか運命とかいう個人の人生を背後で規定や拘束するものとして考えれば 個人の意思や自由の観念と逆立するものでもあります。 永劫回帰は把握の仕方や受け取り方によっては 自由をより拡大するものとしてうけとることも可能です。 ツアラツストラの言説を借りるまでもなく 一回=無限回数の人生だからこそ生きたいようにそして望むような人生をこそ生きるのだとね。 天国も地獄も来世もなくこの世の人生にのみ価値を見出して生きるべきということでしょうか。
101
>>102 たしかに輪廻と業思想はカースト制の下支えとなるような宿命論の面がありますからね。しかし輪廻がないとすると「悟りにいつかは誰もがたどり着きうる」から来世に向けて努力する動機付けがなくなる気もします。
ニーチェの言う永劫回帰が無限に繰り返される一回限りの人生だとするとこれは輪廻とは全然異質の発想ですね。
104 :
金曜日 :2008/06/06(金) 05:50:10 0
>>103 古代インドにはじまる輪廻や階級制度からの離脱は初期仏教(釈尊)の切実な課題でした。
解脱するには正しい行いをするとか現実的行動では出家という方法がありました。
まあ当時の社会からの桎梏からの開放はそうした宗教による方法しかなかったとういことでしょう。
この世の苦痛を生んでいるのは自然災害や貧困でもありますが社会制度=カースト制であるのですから
現代ではそういう制度を否定して平等な世界をつくるために革命ということになりますがね。
現代の仏教もそうした輪廻やこの世の苦痛からの離脱や断絶への願望があります。
でもそうした背景が現代日本の社会ではすべて虚偽だとしたらどうでしょうか。
現代の日本の仏教は葬式にみられるように死への不安からの離脱のために仏=無=死後の世界という
抽象的な世界を造形して命脈を保っています。
本当は仏教を生んだ背後の状況が現代日本では消滅しているのにね。
>>104 103
たしかに宗教運動は政治的対立抜きには考えられません。そして現在の日本仏教の大半は現在の国民の需要に答えてない気もしますね。
ただ自分としては歴史的限定を受けない普遍的真理への到達が少なくとも南伝仏教の修行法なら可能ではないかと興味を持っています。
106 :
金曜日 :2008/06/06(金) 22:24:19 0
>>105 それは仕方のないことです。とくに現代日本の社会では。
仏教でもキリスト教でも宗教は巨視的には人類の歴史から
衰退していく途上にあります。国家がいつか終焉して必要のない時代になり
社会だけがあるという状態では宗教は消滅するのだと思いますね。
あと100年以上はかかるでしょうが。
普遍的真理とかいうものは宗教やその修行によって到達するのではなく
あくまでも理知の果てに見出されるべきと私は確信していますが。
そして永劫回帰が普遍的真理だとしても
私は信じきれないですよ。神の存在が信じきれないように。
私の理知はそこに届いていないからです。
でも天国や地獄の存在はまったく信じてないな。
>>国家がいつか終焉して必要のない時代になり 社会だけがあるという状態では宗教は消滅するのだと思いますね。 ?? 理知て何? 普遍的真理は神は存在しないことだな
終わり?
109 :
考える名無しさん :2008/06/24(火) 00:44:26 0
元々の宗教は死や生、宇宙の真理探究の為のものだった それがいつの間にか政治利用されてしまい形骸化してしまった 本来の宗教=哲学と言っても差し支えない 宗教の消滅=哲学の消滅を意味するぜ
110 :
ラプラスの悪魔 :2008/06/24(火) 00:47:23 0
無限ループは寧ろ基本。和だよ和。 己の尻尾を食らうあれだよあれw。 あれが出て来ないなぁ。
111 :
考える名無しさん :2008/06/24(火) 00:49:47 0
まぁ
>>106 は形骸化された宗教の消滅の事を言ってるんだろうけどな
>普遍的真理とかいうものは宗教やその修行によって到達するのではなく
>あくまでも理知の果てに見出されるべきと私は確信していますが。
とあるが
仏教は理知の果てに見出されたものなんだがな
本当の宗教は科学や哲学となんら矛盾しないのだよ
ん? 仏教は本当の宗教になるのかな。 キリスト教は本当じゃない? イスラム教は?
↑ラプラスの悪魔さんもいるけど 同じ人ですか
↑ニーチェ十三 のスレのことです
ちなみにニーチェも仏教を肯定していて 永劫回帰を「仏教のヨーロッパ形態」であるとしたらすぃ
ニーチェが言いたいのは、どうせ一生を過ごすのなら 永遠に繰り返したくなるような人生を歩めということだ。 たしかに何度死んでも生き返るなら、破壊や殺人を繰り返すことも可能だが 殺した相手もまた生き返るのだ。いつかはその虚しさに気づく。 同じことなら、自分を高め、他人のために尽くし、人を愛し 人に愛される人生を選ぼうとするだろう。どうせ一度きりの人生だと思うから 自己を高める努力を放棄し、隣人を愛することをむなしい と思ってしまっているのではないだろうか。 永劫回帰して同じ人生を生きるものだと考えて毎日を生きることができたら きっと人生はまるっきり変わったものになるのだろう。
119 :
金曜日 :2008/07/04(金) 04:43:32 0
>>118 そうだな
それに
仏教やキリスト教でも救済が困難だった
誰でも感じる死後への不安が永劫回帰によって死後の無の世界がループして
再び自分の世界がこの世に出現するということで
不安が希望へと転換できるということだ。
自己の生命は自己にとって無限の価値あるものであるなら
人は永遠を望む。つまらぬ人生や後悔だらけでの自分の人生でも自己は肯定せざるをえない。
永劫回帰という幻想を真実として願うのが人の本能だはないだろうか。
>>118 勝ち組は永遠に勝ち組。負け組は永遠に負け組とかだったらイヤー。
無限ループって怖くね?
>>120 負け組人生でも、本当に素晴らしいと思える瞬間がありさえすれば、
もう一度繰り返す価値があるんだよ、
ってのが永遠回帰。
つまり、一瞬の幸せで満足しろ、ってこと。
無限ループ は全くこわくない
124 :
考える名無しさん :2008/07/25(金) 06:27:31 0
死への不安が過度な人間ほど永劫回帰を拒絶するのではないか。
125 :
ニーチェ :2008/07/26(土) 04:28:38 0
我輩はニーチェである。名前はまだない。
126 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 04:09:53 0
無限ループ これこそがこの世界の真実だとしたら 恐ろしいことになるのか 最後の審判に相当するのか?
127 :
考える名無しさん :2008/09/06(土) 05:13:39 0
久しぶりにここに来ますた。 無限=時間のはじまりもおわりもないこと。 実際、時間の起源をみつけることできません。 よって時間は有限ではありえない。 それはひょっとすると 「ループ」という概念の中に既に含まれているから? (だとしたら、単なる同語反復にすぎないかもです。) 寧ろ有限の方がずっと信仰めいてる気もしてきた。 確かにぼくらは宇宙の一部で在りえる。ように思えます。。 だけど 『宇宙の在る場所は何処なのでしょうか』 『「宇宙の誕生の3秒前」なんて時間はあるのでしょうか』 ぼくが無がくしゃだからだろうけど 全然分からない・・・。 >デジャブ=永劫回帰残像 もしかしたら、あれはそうだったのかもしれませんね。 でもどちらにしてもずっと不思議なのに変わりないです・・・。
128 :
考える名無しさん :2008/09/06(土) 21:06:45 0
怖くないよ。 思考することが自分を自分たらしめていると思ってしまうが、 似たような思考を他人もしているし、「自分」というものの存在なんてあいまいなものでしかない。 この世の事象は全て再現可能性があると思う。 あなたが永劫回帰を聞いて怖さを感じいることはあなた独自のものでなく 誰の頭でも再現可能なんだよ。 無限の繰り返しや死を恐れるのはあなたの意思ではなくて、 生存本能からきてる。「自分」が存在するというのは 気のせいで、そう思わされているだけ。「自分」は存在しないともいえるし、 普遍的に存在しているとも言える。 つまり永劫回帰なんて取り越し苦労だ。
泳いでも泳いでもどこにもたどり着かず底も知れない 無限プールよりはマシかと
生まれて10日で死んだら また生まれても10日で
131 :
考える名無しさん :2008/10/19(日) 20:42:03 O
その無限ループを脱するのが解脱じゃないの? でも何時脱したかなんて分からないし脱してないかも、元からループしてないかも。よく分からない。
132 :
ネオマトリクス :2008/10/19(日) 21:49:15 0
∞ループw 下らねえwwwww 君らは自由意思が足りん。 時間が無限で、物質が有限であった場合は、 可能性が有限であるから、有限の可能性を無限回繰り返す、 つまり主観的には有限の人生を無限回ってこと。 だが。 時間は無限だが、物質も無限なんだよな。 物質の存在の仕方も存在する量も、可能性は無限通り。 で、時間も無限。するとどういう現象になるか? 答えは、先が全く分からない、だ。 例えるなら −∞から+無限の数を、無限回引いてったらどうなるか? 自然数1が引かれるのは無限回か?有限回か?0回か?みたいな感じ ∞ループは脱出する必要はない。永遠に無限通りの快楽を感じられるからねwww 重要なのは、その中に『苦』があること。苦から脱却。 それが解脱。その為に、物事の存在と変化の原因を解明する
133 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/25(土) 09:57:37 0
∞の物質(笑)。www 最後はこの板独特の訳の 分からない文学で締め括る 所が面白い。
pppp ,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 从从 i 'ー三-' i l <高尚な文系は人間の生活、 ノ从ヽ._!___!_/ <生と死を哲学するんですよ。という〜 セイヤッセイヤッ ______________ /δ-=・=- 。/†::† /δ -=・=-。 /| ♪ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|<◎>| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
135 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 19:26:46 0
時間とか物質とかから考えるのもいいかも知れんけどさ。 小さい頃狭いところに入るの好きだったろ? でも逆に入れられたら(押入れとか?)怖かったろ? そういうことだと思うがね。
136 :
考える名無しさん :2008/11/04(火) 23:19:36 0
ルサンチマン→善悪は無価値→そもそも道徳が無価値→人のいう「進歩」も無価値 →世の中の変転は無価値。つまりこの世とは私たち個人の生を含め意味のないことの永遠の繰り返し「永劫回帰」である ってことだよね?
永劫回帰は生への強い肯定の思想であると同時に、「一回性の連続」という概念を念頭に置かねばならない。つまり、転生思想のように前世→現世→来世と‘生まれ変わる’ものでは決して無く、 人生とはカセットテープのように仮に生まれ変わったとしても‘その年その時その瞬間まで、まったく同じで再び繰り返す’というものである。 仮に2006年、あなたはブルーの服を着て、白いズボンを履いて14:45に目黒駅前の明治学院行きバス停でタバコを一服してたとしよう。命尽きて生まれ変わってたとしても、 2006年、あなたはブルーの服を着て、白いズボンを履いて14:45に目黒駅前の明治学院行きバス停でタバコを一服している。リセットしてカセットテープを巻き戻しただけの状態になる。 これが「一回性の連続」である。それを永遠に繰り返す。故に、己の人生に「否」(いな)と言わず、「然り」(しかり)と言う為、強い人生への肯定が必要なのである。 ツァラトストラは自ら育てた闇に食われて死して逝く幻影を見る。最高へは常に最深から。超人は神々の黄昏に力強く現れる。闇を知り、闇を破し、死してなお生への強い「然り」を繰り返す。 今、ここにある瞬間の己に強く頷く態度、それこそが超人への道であり、永劫回帰の根幹である。
138 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 05:12:08 O
俺が思うに、永劫回避とはある概念や思想で考えることには限界がある。 最大値100より、上にいけない。この100を101以上にするためには 既存の根底にある概念や思想を壊して無にして、新しい概念や思想を作り直さなければならない それしか以前のものよりも越える手立てはなく、またそれ以下になる可能性もある 上記のことを繰り返すことにより、より高い次元へと昇華する超人となり しかしその行いは、今と過去の概念や思想が被るときがあり 永劫回避という円の中で行われる。その円の中では極小の値を取ることが可能であり 超人となり、その中で最も高次元の概念や思想を見つけていくことが大事だと思うが間違ってるかな?
一回性の連続についてだけど たった一回でオワリ、その後永久の無、でも連続してても本人にとっては区別がつかないのではなかろうか あくまでも外から見て一回でオワリか連続してるか判別できるのであって
つまり結論としては無限ループや永劫回帰は考えるだけ無駄ってことでいいんじゃね
いくら繰り返したって前回のことを忘れて次回のことを考えなければ何も怖くありません 何も考えずにヘラヘラ適当に笑って生きるのが最強です ニーチェよりもニートの方が凄い
それただのバカでしょ(苦笑 考えなかった分、死ぬとき地獄を見るだろうな。死にたくねーって。
ずいぶんと根拠のないことを言うな
144 :
考える名無しさん :2008/12/19(金) 16:30:18 0
millerにこき使われてみたり。
>>139-140 だからむしろ、人生やり直せたらということにたいする批判だと思う
お前はいくら繰り返そうが同じ人生しか遅れないんだという
146 :
考える名無しさん :2008/12/26(金) 16:46:50 O
つまるところ
>>118 が言いたいわけだが、これを読んだ大半の人ってのは、どういうわけか
ニーチェは訳がわからない奴だの、そんなもんは自己満足に過ぎんだの、言葉遊びでしかない暇人の所業だのと言って、
要は否定ばっかりして良い部分を何も学ばずに
学術的に分析と評価をすることで読解したと思い込んでるようなのですよ。
なんだかなあ。そうじゃないでしょうに。
147 :
考える名無しさん :2008/12/26(金) 20:41:02 O
ニーチェは永劫回帰を本気で信じていた。 伊達や酔狂で言ってるわけではなかった。 自分の悲惨な人生が何度も繰り返されるという思想に耐えきれず、ニーチェは発狂した
148 :
考える名無しさん :2008/12/26(金) 22:30:38 O
>>147 永劫回帰を本気で信じてたソースが欲しいです。
それと、発狂したのは梅毒、今でいうエイズのような不治のウイルスに脳が侵食されたからでしょ。
149 :
147 :2008/12/26(金) 23:51:35 0
>>148 あなたは現代的なステレオタイプに陥ってるよ
そういう四角い頭じゃニーチェについて考えても虚しいだろうな
150 :
147 :2008/12/27(土) 00:07:46 0
要するに素直さが無いんだよな 連投スマソ
151 :
考える名無しさん :2008/12/27(土) 00:12:47 0
哲学は欲望を昇華できないから発狂したんだよね
152 :
147 :2008/12/27(土) 19:52:55 O
そう言われると難しいね。 ただ自身の哲学の方向性が幸せの方に向いてないと辛いということは言えると思う。
153 :
考える名無しさん :2008/12/28(日) 19:45:08 O
>>149 ちょっと待てw
>>146 と話が噛み合ってないぞ。
>>146 を書いた俺は、ひたすらに学を追求するつもりで著者や作品を分析したり評価を下しても、
実のところ著者やその作品から何も学べてなかったりする。だから分析や評価をするんではなく、
良い部分を学んで繋げて行こうと言ってるのに対して
>>149 はニーチェという著者を分析することを主眼としてるんじゃない?
ウロボロス!!
あんなエロオヤジとやってること変わらんハーレクインのくだらない漫画家なんかにネタ流し。 自然発生じゃなきゃだめなのに台無し。ハーレクインには斉藤先生の二の舞になってもらう。
156 :
考える名無しさん :2009/05/21(木) 22:49:11 0
354 :考える名無しさん :2008/10/06(月) 06:47:10 0 引きこもりではなく学習に励むしーちゃんはゼロアカ帝国 アダルトモドキの美少女 しろうと爆乳生幼女アニマル失禁タンポン濡れぬれクレポン淫行デリダ構築ハードコア変態マガジン編集者レズビアン雑賀ワギナ調教の妖精 おっぱいマッサージもしちゃうあずまん子潮吹きパイパンのしおね開脚パンチラエロい萌理論の内親王です。 _,......,,,_ ,、:'"::::: ``:...、 /::-=・=-:::::::::::-=・=-:\ ,../ `ヽ;_ i | / ヽ──ヽ / / ``'ー 、_\ ! ー=〓=-'`/ これが現代思想の成果なのかね? /ー 、_ `\:、_ :: / / ``ヽ、 ヽ`'7‐--'゛ __,,::r'7" ::. ヽ_ ゙l | :: ゙) 7 | ヽ`l :: /ノ ) | ヽ"::::''  ̄´.::;i, i `'' ̄ r';' }. |_____ ,,ノ(、_, )ヽ、 _____| . | \ || || / | |. ◎.\~ ||-====-|| ~/.◎ .| . |_二二二__. `ニニ´. __二二二_| | |古古||. H |×l]| H .||古古| | . |  ̄ ̄ ̄l=====l ̄ ̄ ̄ | |.____________.| ―//――――\\― ―//――――――\\― 355 :考える名無しさん :2008/10/07(火) 00:37:16 0 まさにそのとおりだよ
157 :
宅急 ◆MAJOUSOou. @株主 ★ :2009/07/03(金) 23:32:15 0
体質
158 :
ƒ ◆Falconwvy. @株主 ★ :2009/07/04(土) 03:25:53
神 0
159 :
餡 ◆R...../mNw @株主 ★ :2009/07/05(日) 14:37:39 0
160 :
宅急 ◆MAJOUSOou. @株主 ★ :2009/07/08(水) 06:02:41 0
161 :
宅急 ◆MAJOUSOou. @株主 ★ :2009/07/08(水) 06:23:01 0
すなわち逆用(応用の進化系)
162 :
考える名無しさん :2009/09/25(金) 00:55:35 0
利他の精神をもち 仏法僧に帰依し サマディーにはいらなければ何の意味もありません
解放感と、安心感のあるループ的思想を自身の中に構築することで、恐怖はなくなります ループすることで、働いてない状態にあるパーツが休まるというように考えるのです または、ハレとケのケの部分の深い味わいを感受することです
涼宮ハルヒの憂鬱。
おんなじ事の繰り返しよ
超強力永遠領域永劫回帰永久機関ウルトラスーパーハイパーアンリミテッドアルティメットインフィニティーエターナルフォースブリザードパーフェクトエンドレスエイト。
167 :
超人男 ◆aSaxWJY.NA :2009/10/02(金) 10:00:03 0
「わしゃわしゃだよ〜」 「わしゃわしゃ」 帰ってきたぞ 帰ってきたぞ 超人ー
168 :
超人男 ◆aSaxWJY.NA :2009/10/02(金) 10:01:32 0
「わ〜た〜や〜だ〜よ〜」 「いちゃいちゃ」 帰ってきたぞ 帰ってきたぞ 超人ー
169 :
超人男 ◆aSaxWJY.NA :2009/10/02(金) 10:03:43 0
「わしゃ〜わしゃ〜!」 「ぐへぐへい〜サカナが手に入ったぜ」 帰ってきたぞ 帰ってきたぞ 超人ー
170 :
考える名無しさん :2009/10/02(金) 10:04:52 0
四年たった
172 :
魚 ◆aSaxWJY.NA :2009/10/25(日) 16:14:29 0
173 :
魚 ◆aSaxWJY.NA :2009/10/25(日) 16:19:04 0
174 :
魚 ◆aSaxWJY.NA :2009/10/25(日) 16:20:22 0
175 :
考える名無しさん :2009/10/25(日) 16:21:46 0
中野重治君へ
ニーチェ自身が無限ループについて少なくとも2つの意味で使ってるよね 1つは、この宇宙の始まりから終わりまでとか、この人生が始まりから終わりまで自体が何度も 繰り返されたものであるってのと もう一つが、良くミュージシャンとかで誰々は誰々のパクリであるって感じの この宇宙、この人生の中でも代わり映えのないパターンの繰り返しがあるって感じ
シュタイナーによれば、 ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述 から永劫回帰の説のアイデアを得たと言う(『ニーチェ』p197)。 ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書にはニーチェの書き込みが残っているのだ。 現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点が(p195)スピノザよりもライプニッ ツに近いかも知れない。 以下、邦訳シュタイナー『ニーチェ』(p198-199)より <物質粒子とエネルギーに関し有限回の連関結合のみが可能であると仮定した場合、我々はまたもやニーチェの(同 一事象の反復回帰〉の考えを見い出すことになる。つまりデューリングの見解から採った、ほかならぬ正反対の結論が、 ニーチェによって弁護されている一節を、アフォリズム203(ケーゲル版のー二巻とホルネッファーの著作『ニーチェ の永劫回帰説』の中のアフォリズム22)の中に見い出すことができるのである。『エネルギーの総和は一定であり、 (無限)ではない。その種のいい加減な概念上の逸脱は慎もう! したがってたしかにこのエネルギーの状態や変化や 結合や展開の数は、途方もなく大きなものであり実際上(測り難い)けれども、やはりそれでもともかく一定であり無限 ではないのだ。すなわちエネルギーは永劫に同一であり永劫に動的である。ーー今のこの一瞬に至るまですでに一つの 無限が経過したのである。すなわちあらゆる可能な限りの展開がすでに存在したにちがいないのだ。したがって今現在 の展開は一つの反復であるにちがいなく、今を産んだ展開も今から生じる展開も同じことであって、未来も過去も果て しない反復の連続であるのだ(略)> まとめるなら、<シュタイナーの解釈によれば、(略)進化論からは「超人」思想を、そしてエネルギー総和の一定説 からは「永劫回帰」の思想を生みださざるをえなかった「同時代との闘争者」なのである。> (シュタイナー『ニーチェ』p217解説より)
178 :
追加 :2010/01/13(水) 02:50:52 0
<デューリングは、状態の永続的反復は人生にとって何の魅力もないと考えている。彼はこう述べているのだ。 『生に魅力が必要であるという原則は、同一形態の永遠の反復とは相容れないことがこれで自明のこととなった ("Nun versteht es sich von selbst, dass die Principien des Lebensreizes mit ewiger Wiederholung derselben Formen nicht verträglich sind. ")』と。 デューリングが数学的に考察し、その結果をありありと異様な像に描いてみせながら、自分でもおぞましく腐を そむけて否定し去った見解に、ニーチェは結局己れの自然観を通じて肯定的に到達したのである。>
腐→顔
181 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 22:09:14 0
このスレの住人には通じないかもしれないが 永久回帰ってのは心理学の水準で言われていた内容ではないかと思う。
ニーチェについてはずいぶん考えてハマった時もあったけど、 考え続けてみたれば、閉じられたエゴの中の超人思想なんだよな。 反キリストも、牧師だった親父への遅い反抗期にすぎない気がするし、 そのわりにアナーキズムまでは怖くて言及できない。 ニーチェはその生きた時代ではインパクトがあっただろうが、 「神は死んだ」というのはつまり自分の神も殺した。宗教じゃなくて人としての心の中にある神 (良心、道徳、他者との相互理解や共存、そのための責任感や努力)という意味で。極論すれば、 ヒキってヘタクソなヲタ絵描いて「おれの時代くるぜ」とか、根拠のないサクセス思考とか、 そういうのにつながる。なまけものの悪あがき。今はそういうふうに思うようになってきた。
お世辞にもちゃんと読んだ人の感想には思えないな
186 :
H ◆lcYtN7x.iM :2010/03/29(月) 14:48:50 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
187 :
H ◆lcYtN7x.iM :2010/03/29(月) 14:50:13 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
188 :
H ◆lcYtN7x.iM :2010/03/29(月) 14:51:24 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
189 :
H ◆lcYtN7x.iM :2010/03/29(月) 14:53:13 0
人の人生は限られている
190 :
考える名無しさん :2010/03/29(月) 14:55:06 0
ふたたびゼルダに
8等身のチンクルが主人公のゴアハードゲー
あれまw最近にーちぇスレひまだなぁ〜 なんて思っていたら こんな所で活動を (・∀・)ニヤニヤ
エンドレスエターナルエフェクト。