1 :
考える名無しさん:
語れ
2 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 11:56:59 0
面倒でしょうが、グーグル検索してください。
c点による時空論
ここに書き込めればいいのですが、少し長く
なりますので、ご迷惑をおかけします。
無限と矛盾ーー有と無との同時存在ーーが問題
ですが、矛盾と無限と見ただけで、ナンセンス
として逃げないでください。現象は物理学ですが
本質は哲学の問題です。哲学による時空論では
物理学の宇宙とはギャップがありますが、概念
による宇宙と観測による宇宙との差だけはどう
することもできません。今後のテーマとなります。
若き皆様の検討をお願いします。
このc点による時空論のなかに、時間と空間
について書いてあります。時間と空間の問題は
哲学、物理学の大問題ですのであまたの議論となると
おもわれます。c点も参考にしてください。
おおぉc点による時空論最高だな
時間と空間が存在していない
まさにそれが答えだと思う
空間を有と見るか無と見るかでも、
かなり答えが違ってきますね。
5 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 14:05:24 0
4さんへ
空間は多様な能力をもっているとおもわれます。
これからの問題と思われます。−−般若心経では色即是空
とありますが空即是色とも書いてあります。現象世界では
空は認識できませんので、色のみの世界となり、現象である
私たちには日常性になんら変わりはありません。
空間は謎です。
6 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 15:15:40 0
3さんは
哲学が本質を研究するものとしますと、物質を超えた
ものを研究するとしますと、物質をなしで考えますと時間
も空間もミステリーになりますが、私どもの思考をこえ
てしまいます。若い頭脳で研究してもらいましょう。
アインシュタインの言葉で何か、すべての物質がなくなれば時間と空間もともになくなる
って書いてるの見たことがあります
一応役に立つかなって・・・
8 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 16:37:00 0
物質世界に生きている私たちは知ることができませんが
物質のない世界ーー非現象世界では時間も空間もないと
おもわれます。物質の変化が時間となります。私たちの
現象世界から時間という概念が生まれ、その逆はないと
おもわれます。
9 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 18:54:29 0
>>2 有と無の同時存在は当たり前の論理ですね。
日本でも昔からすべてのものの境界は輪郭線で表すが
本来この輪郭線は太さのない見えないものと理解され
ていた。
仏教で言う四句分別の論理ですね。
すべてのものは
1.非有=あるではない=ない。
2.非無=ないではない=ある
3.非有無=あるでもなければないでもない。
4.非非有無=あるでも無くないでもないこともない。
10 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 18:55:41 0
ベルクソンの論理は馬鹿だよ。
たしかに医学的に時間の感じ方はそれぞれ違うというが、
時間は遍く不変に流れている。
=ベルクソンの論理はアホ
11 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 19:46:24 0
「実在」とはどういうことかと「実在論」を調べた。
物事が観念として存在すれば存在することになるのが
実在論で別名実念論ともいう。
時間も空間も観念としてあることは何の問題もない。
「時間・空間が実在する」は哲学的問題にならない。
終わり
12 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 20:03:46 0
いわゆる矛と盾ーー最強の矛と最強の盾ーーとの
ナンセンスとは別に矛盾ではありますが、無限と
いうものを考えると、ナンセンスではない矛盾を
認めざるを得ません。新しい言葉が必要でしょうか。
9さんーーのような人ばかりだとよろしいですが。
13 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 20:10:29 0
11さんーー
参考になりました。
物質というより光のない場所、変化しない場所は時間の概念が必要ないから無である
と考えてます。
>>4変化と光のない無限のベース空間に突然変化を与える光が発生した。
あったものが無い時に有ったという記憶は空間性を伴うからです。
ビッグバンにしてもただなんとなく存在しているという考え方でも、前提を0から1ではなく
1から1だと思うんです。0から1と考える事は謎、オカルト、時間の無駄でわからない事だし、
事実我々は生前も物質として存在していたであろうし、死後も物質として存在し続けるであろう
というおおまかな感覚がある。1が絶え間なく変化しそれは全体として1であり続けるという感覚
イコール0と。
15 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 07:14:34 0
14さんーー
詩的な感性のようなものを感じますが、哲学と
してはよく分かりませんが。
16 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 08:18:30 0
時間と空間とはそれぞれ独立した存在ではなく合一
したものと思われます。物質の非変化という瞬間は
認識されませんし、物質の変化という持続が認識され
るのが現象せかいです。この瞬間と持続という矛盾
の成立により時間が成立します。この時空の成立には
無限というものを考えねばならず、ここに問題があり
ます。検討をお願いします。
17 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 08:53:33 0
時間と空間とを考えるとき、その本質までさかのぼる
時、どうしても無限と矛盾を避けてとをれません。
若い頭脳で検討してください。
18 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 09:14:57 0
もっとも厳密な論理に支えられた数学での時間と空間について。
時間は「時を数える」ということで「数」そのものの生成
と対応した概念であろう。
空間は幾何学の図形を描く「場」として生成された概念だろう。
時間を表す数も空間いづれも採取から「無限」と考えられていた
ことは間違いない。その「無限」をきちんと数学に取り入れられ
たのは極限を使う微積分学としてであろう。
時の推移を扱う時相論理はコンピュータの発展とあいまって
重要性を増してきた。
19 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 10:03:25 0
18さんーー
現象そのもの研究は物理学でしょうが、哲学は
本質の研究とはいえ限界をみとめざるをえません。
哲学では時間も空間も0や1以前の問題ともなり 、
プラス、マイナスの2進法でコンピューター処理
もできず数学とも直接にはむすびつけません。
ご意見参考になりました。
20 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 14:46:21 0
時空がいかなるものかを研究するのが哲学であり、
成立している時空を現象として捉え、現象をさらに
物理学的に解明する時の手段となるのが数学ではない
でしょうか。純粋な数学と現象を解明しようとする
物理学とは、それぞれに限界があると思われますが、
どうでしょうか。
うなんか。ゴールデンフィンガーのスラーみたいなやつらばっかでね
22 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 14:56:15 0
>>17氏
時間と空間とを考えるとき無限と矛盾とは何なのですか?
23 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 15:22:43 0
22さんーー
説明が長くなりますので、ご面倒でも
グーグル検索:c点による時空論
をお願いします。
24 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 16:16:44 0
空間は0ではなく、物質を生成できる質量をもつ、と考えればいいじゃん。
空間に対する一般的な概念を変えれば簡単に答えが出るよ。
そう考えたら一元論に繋がるし。
25 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 16:37:20 0
空間は多様な能力をもつと思われますが質量と明確
にいえるかどうか検討しますが。
26 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 16:54:09 0
一元論は結構面白いよ。
ゾロアスター教の、
「悪とは小さな善である」とか、
一元論らしい、いい言葉だね。
矛盾が存在すると思うのは、
二元論でものを考えたときだけだし。
27 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 18:34:44 0
哲学的な概念による空間と物理学的な観測による
空間とのギャプはどうすることも出来ないようです。
哲学、物理学それぞれに限界があるようです。どうでしょうか。
時空とは不思議なものですね。
空間は実在するが時間は実在しない、という立場を取ります。
そもそも、空間的同一性が「実在」だという前提を採用します。
可能性は未来におけるAかつ非Aの状態のことです。従って、
可能性と同一性は両立しません。時間は可能性を含みます。
従って空間は実在するが時間は実在しない、もっと正確には、
可能性を実現する時間は実在しない、という結論になります。
空間→実在(同一)
時間→可能(矛盾)
上で言ったのをまとめると、
たったこれだけのことです。
30 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 20:45:21 0
>>19 「数」と結びつかない「時間」「空間」とはどのようなものであろうか?
「数」の概念が無く「時間」「空間」が考えられるであろうか?
「数学」とはその名前の示すとおりその「数」についての学問であろう。
「数理哲学」またの名を「数学の哲学」という哲学がある。
「数」とは何かを問うことは「時間」とは何か?、「空間」とは何か?
を問うことと同値であると考える。
それほど「時間」「空間」と「数」は密接に結びついている。
数えることから時間・空間ははじまった。
31 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 20:54:51 0
>>28 >空間は実在するが時間は実在しない、という立場を取ります。
ふむふむ。
>空間的同一性が「実在」だという前提を採用します。
時間的同一性も「実在」だという前提を取らないのはどうしてでしょう?
空間的同一性とは距離のない空間すなわち数学的「点」でしょうか?
それしか「実在」しないなら確かに距離は無く移動も無く時間も無用でしょうね。
0次元空間のみを認める前提ですか?
概念なんてちっぽけなワードよりそー
労力、能力ってゆ えば いいのだ
>>31 >時間的同一性も「実在」だという前提を取らないのはどうしてでしょう?
過去の時間的先後関係は実在していると言って構わないでしょう。
江戸時代の後に明治時代が来て、逆ではないのは歴史的事実です。
未来の出来事については、まだ生じていないので実在していません。
>空間的同一性とは距離のない空間すなわち数学的「点」でしょうか?
違います。さしあたり常識的な三次元空間を想定しています。
空間的同一性とは、空間内における位置の同一性です。
物体Aとそれが移動した後の物体A'の位置が異なっていても、
それぞれの時間において、空間的同一性は成立します。
今カップが机の上にあり、かつ、ないのは矛盾で、同一性がありません。
そして、今カップが机の上にあることと、後で流しにあるのは矛盾しません。
しかし、未来の机の上に、カップはあるかないかどちらかではありません。
34 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 22:09:38 0
時間は物質の変化と非変化、つまり持続と瞬間という
矛盾した両者の同時存在のうえに成立してをりなす。
現象世界では変化は認識されますが、非変化は認識され
ません。それゆえ現象世界では矛盾としてのトラブル
はありません。時間と空間の同時存在が可能であります。
35 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 02:16:22 0
果てしない空間が果てしない過去からあった。
という文章を書くと時間が存在する。
俺はこの2行の文章の”果てしない”を考えると気が狂いそうになる。
36 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 04:42:05 0
>>35 過去って時間の概念の1つのように思うんだが(ry
果てしない空間とあるが。計れない、確認できないという意味の
単に確認でないだけの果てしない空間であれば、
時間と何が関係あるのが説明してもらえいないか?
37 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 08:55:11 0
過去は懐かしいものです。ひとつしかありません。
そして未来もひとつしかありません。過去、現在、
未来と流れています。未来から過去を見ることが
可能なら私たちは一本の道を未来も含めて歩いて
いることになります。歴史が逆に進まないように
未来も決まった道を歩いています。だが未来は認識
されません。過去の無と未来の無とにはさまれた
現在は有ですが、無の性質を備えているとおもわれます。
ここでも矛盾を肯定することなしに考えをすすめることは
できません。現在という瞬間は有と無との同時存在を
必要とするからです。過去は持続として現在から未来に
関係してゆきます。現象世界が一筋の道しか歩けない
のは厳しい現実ですね。
38 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 09:40:01 0
時空の研究では、哲学と物理学ではまだまだギャップ
があり、時間と空間はこれからがたのしみですね。
本質を哲学、現象を物理学が研究しておりますが、道は
厳しいですね。哲学ではタブーへの挑戦が必要です。
矛盾とか無限とかセイエキなしで進まないと明日は
開けないとおもわれます。
39 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 11:28:56 0
30さんーー
時空の本質を研究する哲学では時空そのものの
存在をふくめて検討します。時空の現象を研究
する物理学では数学は不可欠でしょう。数学的
思考即物理学的現実とは行かないのではないで
しょう。数学は純粋に理論のみで現実にすべての
現象を対象としてはいないのではないでしょうが。
数学的時空論では時間と空間はどうなりますか。
40 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 13:07:02 0
数学も物理学も分からない部外者の試みた字空論です。
グーグル検索:c点による時空論
時間と空間について書きました。哲学にはすぐに数学が
必要とは思われません。検索の上検討してください。
41 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 14:05:06 0
未来も過去も所詮は概念ではないでしょうか?
時間が直線的に進むことを認めてしまえば、
さまざまな矛盾と問題点を抱えることになりかねません。
42 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 14:14:01 0
c点による時空論を読ませてもらいましたが、
あの理論は完全に無であるという空間を否定しているのでしょうか?
43 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 15:53:57 0
42さんーー
現象世界より哲学を始めました。物質より考えて
みましたので、完全に無である空間にまで考えが
及んでいません。
理論的には、私どもの現象世界とは別の現象世界
があるかも知れません。これはミステリーですね。
純粋な無も考えられませんでした。
>>2>>40 気になって見てみましたが、これはいわゆる疑似科学ですね。
>(…)C点が、どうして重力、電磁波力、強い力、弱い力となり、
>素粒子となり、原子となり、分子となり、物質を作るかは解りません。
>C点は有と無と両方の性質を持つと言う哲学的、または宗教的存在〜
科学(物理学)として主張するなら、実験等による証明が必要です。
哲学・宗教だとしても、科学的言説と適当にミックスしてはいけません。
45 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 18:24:49 0
>>33 >空間的同一性とは、空間内における位置の同一性です。
空間内の位置は大きさのない一点で示されるんではないですか?
空間内で位置の同一な点は一点しかない。一点では空間にはならないでしょう。
すなわち空間的同一性とは無意味な概念と思えます。
空間とは一点とそれと異なる他の点との「間」のことでしょう。
一点には「間」はない。一点は「空」です。
46 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 18:31:12 0
>>39 >数学的時空論では時間と空間はどうなりますか。
時間を1次元、空間を3次元合わせて4次元時空間と捉えるのが
定説です。5次元以上11次元くらいまでの時空間論もあります。
数学ではN次元でも無限次元でもかまいません。
数学はそれほど自由です。
>>45 >空間内の位置は大きさのない一点で示されるんではないですか?
>空間内で位置の同一な点は一点しかない。一点では空間にはならないでしょう。
物体全体の位置は、一点ではなく無数の点の集合で示します。
当たり前ですが、コップの取っ手と飲み口の位置は別です。
ふひはけみいちめ
>>45 量子物理学で人間の99%は空間であると言われていますよ
物質と空間を区別するのは難しいと思います
50 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 22:19:25 0
>>49 物質と空間を区別できないなら人間の99%が空間もいえないだろ。
2行の文中で矛盾があっても気がつかないの?
物質のあるところにも空間はあるだろ。人間は100%空間にある。
宇宙空間中に真空がどれだけあるか、ならどうか?
51 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 22:34:33 0
>>47 無数の点の集合など示しようがない。
取っ手と飲み口の境も示しようがない。
物体の位置ならその存在範囲で示せる。
山より大きいイノシシはいない。
質量だけが関心事なら重心で示すことも有効な手段だ。
>>51 >無数の点の集合など示しようがない。
>物体の位置ならその存在範囲で示せる。
ある範囲を示したとき、その範囲に無数の点が含まれています。
例えば0-1区間の線分なら0.1とか0.2とかの点が含まれている。
でもそれは中心的な主題ではなく、論理レベルの空間で十分です。
「コップが机の上にある」と「コップが机の上にない」が両立しない。
53 :
名盤む:2007/10/20(土) 23:06:20 0
ヒッピー、p、ワッチなしい?かいや
わちずぺいやい
>>50 いやいや矛盾はないですよ
現代の物理学で分かる範疇ですから
>>54 カント純理
時間と空間は直観の形式
その実在性とは、
「批判期カント哲学において実在するものは、あえて分類すれば
次の五種類に分かれる。
(1)物自体
(2)道徳法則
(3)純粋直観である空間に位置する数学的対象
(4)時間・空間において観察可能な物理学的対象
(5)統覚」(中島義道「カントの自我論」p42)
56 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 01:42:25 0
>>50 あなたにはあなたの考えがあるのでしょうが、
私は完全な真空は、空間、スペースとしても、存在することが出来ないと考えます。
なぜなら、実在性がまったくなく、無が具現化したことを認めることになるからです。
はっきり言えば、無と有の同時存在は有り得ないと。
57 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 08:51:40 0
c点による時空論ーーー分からないようですね。
ここで論じられているのは矛盾そのものですから、わからない
のが当然かもしれません。
しかし矛盾ーー最強の矛で最強の盾を突くナンセンスーーとは
違います。
時間における、物質の変化と非変化の同時存在という矛盾
空間における、物質の有と無の同時存在という矛盾
この矛盾を認めなければ時空は存在しません。
この2たつは、時空の本質にかかわる哲学です
現象世界では、非変化も無も認識されませんので、矛盾による
トラブルは生じません。
c点の問題ですが、それぞれの立場またそれぞれの基準で意見
があるようですが、哲学による概念の作り出した時空と物理学
の観測から生まれた時空とには大きなギャップがあることは
どうしようもありません。
c点に関する皆さまのご意見は参考にさせていただきます。
哲学以前、宗教以前とのご意見もありますが文学としてお笑い
ください。
とにかく矛盾を論じておりますので、ナンセンスとして拒否
反応が多いのは当然と考えております。
58 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 08:56:14 0
群盲象を触るーーー
59 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 09:00:09 0
哲学ではなくポエムですね
60 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 09:07:07 0
c点による時空論では矛盾と無限がテーマですが、
時間と空間の合一を考えています。
61 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 09:53:36 0
>>52 >「コップが机の上にある」と「コップが机の上にない」が両立しない。
時間の同時性を無視すればこの二つの命題は矛盾しない。
「同一の物体が同一の空間を占有すると同時に占有しない」は
排中律を前提とする古典論理では矛盾となるでしょうね。
それを矛盾としない論理も可能でしょう。
「有でなくかつ無でない」を認める仏教論理なら「ありかつないこと」はある。
62 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 10:05:39 0
>>52 >ある範囲を示したとき、その範囲に無数の点が含まれています。
これは線分の連続性を家庭したときだけ成り立つ。
整数だけからなる数空間なら「1」と「2」の間には何もない。
デジタルとはそういうこと。
>>61 もちろん、同時の空間では矛盾するが、
別の時間においては矛盾しないという話です。
また、実在物に排中律を適用するというか、
それが実在の定義の一部にしています。
>>62 もちろんそうです。稠密な空間がモデルの完成形です。
が、さしあたりは論理空間でも構わないでしょう。
デジタルかアナログかは主題的に考えていません。
>>57 >だがAと非Aとを分けるものは存在しなければならない。
>B面はAであり、同時に非Aである。
>Aと非AはこのB面により分割される。
>この矛盾したB面を認めざるを得ない。
>それなしには、空間は成立しないのである。
「矛盾」は論理的なものなので、
境界が実在する必要はありません。
「ビール」と「ビールでないもの」の境界を
実体化しても仕様がないですよね。
さらに例えば、偶数と非偶数(奇数とか)を
分けるものは何か。これはそもそも数が
概念的なものなので、境界も概念です。
>例えば静止しているような1個のリンゴを考えても、
>地球が自転しているので、円運動をしており、
>(…)と考えたりすると宇宙の総ての物質が流動しているのである。
それは物理学的には、単なる観測系の違いでしょう。
電車の中にいると乗客も吊革も止まっているように見えるけど、
電車の外では電車と一緒に動いて見えるのは、矛盾でも何でもありません。
>A(正)、非A(反)、A´(合)と考えられる。
>人間(正)そして酸素(反)を取り入れた人間(合)
>と言ったように総ての変化は説明可能なのである。
弁証法も論理的なもの(対立する命題の統合)なので、
酸素や食物を取り入れるのは、化学で説明する方がよいでしょう。
>>61 >「同一の物体が同一の空間を占有すると同時に占有しない」
いわゆる弁証法的唯物論によると、それが「運動」の定義だそうです。
67 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 10:32:40 0
>>63 排中律は論理の規則です。実在物が同じか違うかの判別には
使われるんじゃないかな?
古典論理には時間は存在しない。常住不変の論理だけを扱う。
「コップが机の上にある」ならいつでもそれが成り立たなければ
ならない。時間が存在しないから変化は許されない。
時間と空間の概念より「実在」の定義のほうが問題みたいだね。
存在と実在も違うようだし。
>>66 とりあえず私の立場では、運動が成立するには時間が必要です。
>>67 >「コップが机の上にある」ならいつでもそれが成り立たなければ
>ならない。時間が存在しないから変化は許されない。
右側からの視点では机の上のコップが見え、かつ、
左側からの視点では机の上のコップが見えない、
というのは矛盾ではありません(物の影に隠れているとか)。
そして、一時間前にコップは食器棚の中にあって、
今はないというのも、矛盾ではないと考えます。
>時間と空間の概念より「実在」の定義
空間的同一性を持つのが実在で持たないのが非実在です。
概念や可能性は非実在物ですが、フィクションとしては
存在するという解釈です。むろん他の解釈もありえます。
69 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 10:52:15 0
弁証法的唯物論なら「正」→「反」→「合」の推移であって
同時じゃないでしょ。物体の運動を弁証法に当てはめただけ。
弁証法における「正・反・合」の推移が、
視点変化的なものなら無時間的ですが、
実在物の運動には時間が必要という解釈です。
71 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 11:13:25 0
>>68 >空間的同一性を持つのが実在で持たないのが非実在です。
「実在」は「モノ」だけである。「コト」は非実在である。
「モノ」でも空気とか水とかの気体や液体は空間的同一性を
持たないから非実在である。こういう「実在」の理解でしょうか?
実念論=観念実在論のように観念の実在を認める立場は否定する立場ですか?
なら、時間も空間も観念であって実在しない。
>>55 空間と時間はわれわれが対象を認識するために悟性・感性が
依拠する形式で、これなくしてはひとはなにも知ることができない。
空間は眼の視野の中から物を見るための必須の形式で、
机の上のりんごは空間があってはじめて見ることができる。
時間とはなにか。一つの時間の今がつぎの今につながり、
その時間の中にある私という存在に依存して、つまり
私が過去が想起するとき、時間は現実のものと実感される。
73 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 11:24:38 0
> 古典論理には時間は存在しない。常住不変の論理だけを扱う。
> 「コップが机の上にある」ならいつでもそれが成り立たなければ
> ならない。時間が存在しないから変化は許されない。
大昔の弁証法原理主義者の記号論理学批判みたいだな。w
>>71 >「実在」は「モノ」だけである。「コト」は非実在である。
大体そんなところです。自動車は実在するモノですが、
その所有者や事故の責任などは人間が決めるコトです。
ただし、例えば音は空気の振動として実在する現象です。
>「モノ」でも空気とか水とかの気体や液体は空間的同一性を
>持たないから非実在である。こういう「実在」の理解でしょうか?
違います。液体・気体は水が相転移しているだけで、
実在物に変わりありません。これは雑な区分ですが、
質量があるものは実在物です。数に重さはないでしょう。
75 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 11:33:48 0
65さんーー
スタート時点から感性が違うようですね。
69さんーー
現象世界の説明には弁証法は便利ですね。
76 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 11:58:12 0
>>74 人間が感覚で知覚し認識できる物事は「実在」する。
科学的実在論よりは素朴実在論に近い立場でしょうか?
科学的実在論なら直接知覚できない時間や空間の実在は前提でしょうから。
原子もクオークも物理学的実在ではあるだろ。
インド哲学のヴァイシェーシカ学派のように知識手段として「知覚」と
「推理」のみを認めるのかな?
>>76 人間が認識できなければ実在しない、というのは、
(素朴)実在論というより観念論に近い立場ですね。
原子は観測機器で人間が観測することが可能ですね。
従って経験的記述であると見なすこともできるでしょう。
認識の外部が実在するかどうかは決定不可能で不可知で、
しかし、言語の虚構内で概念や可能性といった存在を扱え、
可能性を実現する時間性をそこで捉えようという立場です。
78 :
名盤む:2007/10/21(日) 13:38:34 0
いってくうるぞといさましく
79 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 16:01:43 0
自分自身も含めて私たちは、現象世界に生きております。
そこには矛盾はありません。しかし時空をかんがへますと
本質は矛盾と無限になりました。
グーグル検索:c点による時空論
若い頭脳で今一度検討してください。科学の分野では矛盾
は否定されますが、本質の研究では、つまり哲学の分野で
はナンセンスとして逃げる必要はないと思われます。
>C点による時空論
超越的ななにものかをを立てて、
森羅万象の起因をそこに求める思考は、
現代の哲学者ならまずしないでしょう。
物体が燃えるのは燃素があるからだ、
という説明から酸素説に移っていったように、
科学が説明できる部分は委譲します。
未知のXが森羅万象の要素になっている、
というのは誰でも言えることなのです。
81 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 18:59:28 0
哲学じゃなくて宗教をやってる身ですが色即是空の空は無ではなく神を指す言葉ですよ
82 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 19:21:07 0
>>81 空は無ではない。これは正しい。
空は神である。これはウソである。
色即是空の空は無ではなく有でないことを示す。
色とは眼で捉えられるすべてのもの、そのもの自体
は存在しないことを「空」という。
83 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 19:33:27 0
色は働き、違いの象徴ですよ
空は起点、色はその延長線上にある働きです
宗教論争は嫌いですよ
哲学より収拾がつかないですから
84 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 20:13:16 0
>>83 色即是空の色はふつうのものの「色」のことですよ。
ものは先ず「色形」として捉えられる。
人を構成する要素すなわち五蘊(色・受・想・行・識)の一つです。
モノの働きなら「行」のほうが当てはまるでしょう。
「色は匂えど散るぬるを」や「花の色は移りにけりな」の「いろ」です。
85 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 20:17:51 0
まぁ伝統を重んじるならそれでいいですよ
しかしその言葉の意味は現世のみ通じるものではないということを覚えておいてください
それを理解すれば言葉の深み、なぜその言葉を唱えると良いかが分かります
その言葉は神に直接通じているからです
86 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 20:25:27 0
c点による時空論:とりあえずB面は設定不要だと思われます。
87 :
名盤む:2007/10/21(日) 20:33:19 0
けいばってんいそがしいがいしきやのうて
88 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 06:09:23 0
86さんーー
理論というより感性の違いでしょうか。B面は実在します。
89 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 06:30:12 0
それぞれの人にそれぞれの般若心経ありですね。
信仰とはそういうものですね。
90 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 07:02:04 0
>>88 んなことはない
B面はありえない、だがD面が実在するのは証明済み。
91 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 12:35:38 0
般若心経は信仰するものではなく読んで理解するものだね。
92 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 13:02:28 0
>>77 >人間が認識できなければ実在しない、
確かに人間の認識には唯識論では8種に区別する。
五感による認識と意識、マナ識、アーラヤ識でマナ識やアーラヤ識は
観念の作り出したものでしょう。それ以外の六識は実在としてよいの
ではないか?
唯識ではその識だけが実在であり識をもたらすものはない、という立場です。
その「実在」に近い立場かな。この実在は現実に基づく判断だから現量という。
それに対し思考による推理で判断するコトは比量という。
理論は当然比量に基づくものです。
>原子は観測機器で人間が観測することが可能ですね。
「原子」を見た人は誰もいません。原子は五感で捉えられないものですから
実在しません。
物理的観測については「理論負荷性」といって何らかの理論に基づいて
その証拠となるものを観測してだけです。
「原子の像」はこの理論が作り出した像であって「原子」ではありません。
仏像が仏でないのと同じことです。
原子が実在なら時間も実在のはずです。
哲学は門外漢ですが ちょっとだけ参加させてください。宇宙と時空間の妄想が好きなオヤジです。
なるだけ場を壊さないようにするので 痛ければスルーでお願いします。
時間って不思議ですよね。時間は運動だけでは説明しきれないと思うんですよ。なぜってあらゆるリズムが
非常な精密さで相関してるんだから。てんで勝手に運動していたんでは時間って成り立たないと思うんです。
厳正な法則が成り立ってますよね。「時間」ってあるのかないのか分からないですが 例えば時間がだんだん
遅くなっても我々はそのことに気が付きませんよね。時間が止まっても気が付かない。時間が逆行しても
気が付かないかも。
c点による時空論 ちょっとググって調べてみましたが よく分かりません。でもB面ってのは観念的概念としか
俺には思えないです。私は学生時代 専攻は金属だったんですが 金属は顕微鏡で覗くとちょうど細胞みたいな感じで
結晶の粒がすき間無く詰まっているんですよね。それで結晶と結晶の間のことを「粒界」と言うんですが これは別に
膜があるわけでも何でもなくて ただ結晶方向が異なっているというだけなんです。AとA以外を分けるのに膜みたいな
実体が必要というのはわたしにはナンセンスにおもえます。でも上の例でいうなら 「しかし粒界という概念があるじゃないか。」
といわれれば そういうことになりますが。
c点というのは体積を持たない点だ と言う理解でいいんでしょうか。これはしかしミクロの世界の話ですよね。
これをあくまで哲学的手法で解析していけば 何かが生まれるかもしれませんが・・しかしそれでもちょっと危険な
予感がします。なぜってミクロの世界に通常の思考概念を持ち込んでいるように思えるからです。上の方にもありましたが
AとA以外が同時に同じ場所に位置する粒子(ボーズ粒子)もあります。ミクロの世界に常識を持ち込んで思索を深めると
真理から遠くなってしまうのではないかと危惧します。思考の可能性をためしているのだというなら ゴメンナサイです。
96 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 18:17:52 0
「C点による時空論」は物理論ではないし数学論でもないし哲学論でもない。
論理学の論考でもないね。論理を無視した形而上学のようなものだろ。
>>92 >その「実在」に近い立場
「実在」の言葉の使い方が異なっていますね。
人間の認識から独立している実在物が存在する、
というのが実在論です。そして、認識不可能な実在は、
あるかもしれないけど分からない、不可知論が私の立場です。
>「原子」を見た人は誰もいません。
>原子は五感で捉えられないものですから実在しません。
むしろ、私たちの五感で捉えている現実を構成しているのが
原子だという立場においては、既に見ていることになります。
>物理的観測については「理論負荷性」といって何らかの理論に基づいて
>その証拠となるものを観測してだけです。
それが、理論負荷性は、非実在性の直接の根拠にはならないんです。
うさぎにもあひるにも見える多義図形があるとして、複数の視座が
存在するということと、図形の実在性については、別の話でしょう。
>原子が実在なら時間も実在のはずです。
そうとは限らないんですね。時間の定義によります。
例えば、ノートの端にパラパラマンガを描くとします。
個々のマンガ絵の実在と、そのアニメーションは別です。
>>93 >てんで勝手に運動していたんでは時間って成り立たないと思うんです。
物理学的には、物体がどう運動しても(光速に近づかなければ)、
時間の流れは常に成立しているという前提に立っていますね。
>例えば時間がだんだん遅くなっても我々はそのことに気が付きませんよね。
>時間が止まっても気が付かない。時間が逆行しても気が付かないかも。
時間が止まっても誰も気付かないとか、一時と二時の間が長くなっても、
誰も気付かないとか、そういう系の問題なら、基準が何かが問題ですね。
空間で言えば、(この世界の外部から見ると)1メートルが伸びたり縮んだり、
といったことは、測りようがないことですよね。長さの長さは分かりません。
時間と空間の実在は心の仕組みみたいで
なぜ生まれ美貌や哲学、性教育を受け、質問の要約に
何っとかエロとか言葉説明でうんざりしたりヘーゲルデカルトカントの違いは
どこにあるのか強さはなぜ馬鹿なのかモンテーニュの死についてどうなの
レーニンどうよで名言を考えなにを間違えたのか嗜好に過ぎない哲学だとおもおよ
100 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 20:30:51 0
>>97 >人間の認識から独立している実在物が存在する、
そんな「もの」は「ない」よ。人間が認識してそれに
名前が付けられて初めて「実在」となる。
物自体は存在しない。
「存在」するとは「論理矛盾」が無い物事である。
矛盾する物事は存在できない。
>原子だという立場においては、既に見ていることになります。
いいえ、森を見ている人には木は見えません。
木を見ている人は森は見得ません。
原子と物体には理論が無ければ何の関連もありません。
物体は原子から構成されるという原理を通して見ているだけです。
101 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 20:37:32 0
>>98 >時間の流れは常に成立しているという前提に立っていますね。
物理学的には時間は可逆でしょ。相対論でも量子論でも時間の向き
(流れ)はない。時間の現在・過去・未来は人間の意識にあるの
ではないか?
>>100 >人間が認識してそれに名前が付けられて初めて「実在」となる。
やはり全然別の意味で使っていますね。それはそれでいいのですが、
人間が認識して名前を付けても実在しなかったものがありますね。
また、それまで人間が認識せず名前を付けなかったものは実在しない、
というのでは、昔は酸素は実在しなかったのか、という話になります。
>いいえ、森を見ている人には木は見えません。
森を見るということは、個々の木の集合を見ている、
ということになります。印刷物やモニタ(この画面)は
細かい点の集合であって、それは意識はしないけれども、
細かい点によってこの画面の文字が構成されています。
個々の点には注目せず文字の意味を追っていますが、
それは、うさぎ-あひる図で、片方だけ見ることはできず、
意識的に注目していない、気付いていないだけです。
>>101 ところが、熱力学の第二法則は非可逆なんですね。
104 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/22(月) 21:06:08 0
おお レスが付いている。
しろうとさん まさにあなたが言われた 熱力学第2法則 これは運動がてんでばらばらではない
ってことを主張してるとはいえませんか?
別の話になるかもしれませんが 過去は記憶やあるいは痕跡として蓄積されていくと思うんですが
物体の運動に秩序がなかったら 記憶の定着も痕跡も残らないと思うんです。そうすると運動はあっても
前後関係が消失し、このとき時間も消失するとわたしは考えています。
>>104 >熱力学第2法則 これは運動が
>てんでばらばらではないってことを主張してる
いや…どちらかというと、
運動というかエネルギーが時間と共に散逸していく、
ということを記述しているのだと、私は捉えています。
>物体の運動に秩序がなかったら記憶の定着も痕跡も残らない
>運動はあっても前後関係が消失し、このとき時間も消失する
「記憶」というのが人間の記憶なら、記憶が消えても
(過去の)時間が消えることはないでしょう。
記録が残っています。記録も消えた場合、
認識できない過去が実在するのかという、
やはり認識と実在の位置付けの話に戻ります。
ここでも、記録が消えた過去はあるかもしれないけど、
不可知だという、無難な立場に立っておきます。
106 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/22(月) 21:52:43 0
>運動というかエネルギーが時間と共に散逸していく
なるほど!そうか・・・・。いや ちょっとまってくださいよ・・んー
世界の物体が素粒子レベルで無秩序だとすると、その時点で宇宙はすでに平衡状態とは考えられないでしょうか。
つまり 熱力学第2法則はこの世界では存在しないと。散逸する前に散逸してしまっていると。だとすれば
この世界で時間はどのような意味を持つんでしょう。それでも時間はある という主張だけが残る気がします。
>>106 最終的に宇宙の熱的死のような状態になるにしても、
散逸するのは一瞬ではなく、時間の経過が必要です。
でもお最近0も出ない。00は一回だけ。000だと死ぬし。
なんなのかなあ。訓練でいつでも出せる人っているかなあ。
0と00の間。
109 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 07:24:59 0
時間とは物質の変化と非変化、つまり、持続と瞬間という互いに
矛盾する両者の同時存在からなりたっています。哲学の本質論です。
しかし、現象世界では非変化、つまり瞬間は認識されません。それ
ゆへ私たちは、変化と持続のなかに生きていますので、矛盾による
トラブルはありません。しかし、本質は矛盾であります。参考にし
てください。
110 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 10:26:51 0
>>109 持続と瞬間は矛盾しない概念だろ。
瞬間を集めたものが持続だから。
111 :
あめのみやつこ:2007/10/23(火) 21:50:33 O
かむやまといわれびとのみことがすべてを見方につけた時も藤原氏が勢力をもっていた時期も源氏が武力をもって天下を掌握してきた時も上から下に降りてみんな痛い目みてきたんだな。俺は今それをくらってるよ。
112 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 22:04:02 0
>>110 で、冲の最小単位なんかあったりするの?
0 + 0 = 0 は、どんなに足しこんでも 0 だけど、
積分すると形になって見える錯覚があるから、不・思・議
無限に細かく切りきざんだ瞬間てどんなの?
113 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 22:06:25 0
空間と時間に判れている概念を実在はどのように扱うのか。
一貫する概念と考えるのか、どちらにも属する概念と考えるのか。
114 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/23(火) 22:21:00 0
>>112 物理学では 一応存在します。プランク時間と言います。
時間の最初単位 Δt=10の−43乗です。
115 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/23(火) 22:24:41 0
失礼 時間の最小単位 Δt=10の−43乗(秒)です。
116 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 22:26:13 0
>>114 いや、それは人が原理的にそれ以上は計測できない最小時間って話だけなんじゃないの?
プランク定数から出しただけだと思うし
ループ重力量子理論なんかでは使ってるらしいけど、そういうのを
117 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/23(火) 22:37:30 0
>>116 なるほどそうかもしれません。しかしこれより短いの時間の導入は 物理学的には無意味なのだと思います。
それより短い時間を哲学的に考えるのは自由です。「無意味である」ことを哲学が重視するか軽視するか興味深いところです。
118 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 23:26:33 0
>>117 でも、プランク定数が最小だと信じちゃうのは危険だと思うよ
物理学的に無意味な問題じゃないし
本当に物理を勉強されたことあります?
むかーし書いたような繰り返しになるけど、
ズレクとウータースはなにを確かめようとしたんだろうね?
たとえ、実験そのものが駄目チンだったとしても、どういった教訓を残したんだろうね
それを知ってれば、ふつうはそんなこと書かないよ
119 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/23(火) 23:32:35 0
>>118 ズレクとウータース。 それは知りませんでした。できれば少し教えてください。
120 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 23:45:22 0
何度も説明するのがめんどいので、会話の内容を読んでください
???????が私です
113 考える名無しさん 2006/11/28(火) 20:04:28
>>98 >必ず最小単位は何なのか
h。
121 ???????? 2006/11/28(火) 22:00:30
>>113 なんで、そういいきれるの?
ズレクとウータースは何を測定しようとしたんだろうね…
161 考える名無しさん 2006/11/29(水) 19:25:19
ズレクとウータースによる測定は〈一原子〉測定器によって粒子の通路
を見ることができるかどうかということだけを調べたのである。
彼らの分析は”一原子”測定器では粒子の通路測定はできないと解釈す
べきものである。
完全な通路測定を与える測定器は巨大な数の構成要素を含むマクロ系で
なければならない。その意味では、〈一原子〉測定器によるズレクとウ
ータースの測定過程は不完全な測定であった、との意見を支持したい。
121 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 23:45:54 0
169 ???????? sage 2006/11/29(水) 20:48:05
>>161 だから、不完全測定だったとかいう話じゃないんだけどねえ…
ここでの議論は、そんなこと、どうでもいいんだって
彼らは、とにかく、なにを確かめようとしてたの?
説明するのが大変そうだから、他人様の HP を拝借するね
記号は他人様の HP の付図通りです
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity314.html > この不確定性は干渉縞の山(または谷)の> 距離Rλ/Dを越えてしまい、明
> らかに干渉縞を破壊する。
> 干渉縞が破壊されないためには、ΔxΔpがプランク定数hに比べてずっと小
> さくなければならないが、これは不確定性関係に矛盾する
「ΔxΔpがプランク定数hに比べてずっと小さくなければならない」
というのを、まず頭の隅にでも置いておいてくださいまし
で、あなたは、
>>113 > >必ず最小単位は何なのか
> h。
といったわけなのだよ
プランク定数が最小単位だと…
それに対して、俺は、
>>121 > ズレクとウータースは何を測定しようとしたんだろうね…
といったのはいいよね
(続く)
122 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 23:47:02 0
123 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/23(火) 23:58:21 0
なるほど 説明のホームページもありますね。量子カオス系ではプランク定数の内部構造も存在すると。
いや ありがとうございました。勉強してみます。
「未来」も「過去」も存在しません。存在するのは「現在」のみ
未来は「妄想」(フィクション)に過ぎないし,過去は個々の思い込みにすぎません。
「時間」がながれてると感じるのは錯覚でしかありません。
125 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/24(水) 00:18:56 0
現在を認めると 過去も認めることになりませんか?そうでないと現在を認知した自分を
次の瞬間否定することになるような気がします。
>>110 瞬間の集合が持続というのは、上で書いた、
点の集合が線分というのと同じ構造ですね。
物理学的には、プランク時間のように、
測定上の下限も出てくるでしょうが…。
>>124 過去は実在し、未来は非実在、という立場を私は取ります。
すると、現在は実在するのかしないのか、が問題になります。
これは、過去の確定記述の束に還元できないのが現在、
という風に捉えていて、経験的認識の限界に位置します。
128 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 08:53:12 0
>>126 瞬間というのは「またたく間」だから数学的な点ではありません。
時間において点に相当するのは「時刻」でしょうね。
「時刻」と「時刻」の間が時間になる。
時刻は寄せ集めることは出来ない。
瞬間は数学的には無限小に相当するのではないか?
無限小は寄せ集めることで有限の値になることもある。
瞬間を仏教の「刹那」のように有限小数とするのも人間的だね。
人間には有限の時間しか直接認識できない。
129 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 09:05:56 0
>>127 過去が実在するとはどういう意味でしょう。
過去の物事は実在したかもしれないが現在もある
とは限らないから「実在」はしないではないか。
過去の記憶や記録や痕跡を現在認められるだけでしょう。
客観的存在でなければ「実在」でないと言うなら
過去の出来事の記憶など実在しないというしかないでしょう。
どうして過去は実在で未来は非実在と分別するのか
その根拠を教えて頂きたい。
130 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 09:14:14 0
過去と未来の境界が現在ですね。
過去も未来も存在しないならその境界も存在しないから
現在も存在しない。
これはまさに仏教の空理空論ですね。
仏教は「諸行無常・諸法無我」としていかなる存在も
認めないから。あるのは実在・実存だけ。
>>128 仏教の刹那を1つの定義として扱う時点でなにも仏教を理解して
いない。
それはごく小さい単位のように説明するのは分かりやすくするだけに
すぎず、状況によって意味が可変することに最大の意味が隠されている。
仏教の教えは相手の力量や価値観にて意味自体、表現自体を定義しなおし
相手の立場で説明する。それだけを見て全てがわかったと思う君は
何もわかっていない。
まずは自分が何もわかっていないことを自覚することが重要だろう。
132 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 11:43:35 0
おいおいおもろい本があるんだ
宗教的な本だから哲学好きには興味がないかもしれないが
ゲイリーRレナードの神の使者って本なんだが
時間と空間だけじゃなく宇宙自体を否定してるんだ
現実は夢の延長線上に存在する妄想だとよ
おもろいから一回読んでみてくれよ
133 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 18:45:31 O
>>127 でもさ、過去の方がもおどおでもよくね。どうにもならんし。
そう言う意味では未来の方が現実的。
134 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 18:54:57 0
量子論を哲学と絡めて論じる人間も腐るほどいる
そうした本を一度、読んでみればいいだろ
>>128 時刻と呼んでも構わないですが、
限りなく無に近い微小なのかどうかは、
難しい問題なので、保留しておきます。
>>129 >過去の物事は実在したかもしれないが
>現在もあるとは限らないから「実在」はしない
過去の実在は現在から独立しており、
後から変えられないという立場を取ります。
もし関ヶ原の戦いが実在するのであれば、
現在がどうあれ過去の事実は動きません。
現在残っている記録などの痕跡が事実を
正しく伝えていない場合がありますが、
それは認識が不完全なのであって、
過去の事実自体は変わらないという立場です。
>どうして過去は実在で未来は非実在と分別するのか
過去は変えられないが、未来は変えられる、
という解釈から区別しています。
過去 → 一
未来 → 多
これだけのことです。
>>133 どうにもならないからどうでもいい、
というのは実在していることと両立する主張ですね。
未来が現実的というのも、可能性があることと両立します。
136 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 20:34:19 0
>>135 >過去の実在は現在から独立しており、
これは因果則の否定ですね。
あれがあるからこれがある、を認めない立場です。
科学の法則もありえないという立場です。
明日は明日の風が吹くということでしょう。
歴史的事実は過去を現在から見ての過去の事実の評価ですから
どんどん変わります。南京事件や従軍慰安婦がいい例です。
現在の視点に応じて異なった歴史的事実があります。
現実の事実も当然主観によって捉えられた「事実」です。
唯一つの事実などありません。
過去の事実は記憶の忘却と共にどんどん変わります。
>過去は変えられないが、未来は変えられる、
これもおかしな考えかたですね。
過去も未来も自分の妄想です。どうにでも変えられる。
未来もいつかは現実となります。
過去が一なら現実が多であることはないという立場でしょう。
未来が多であるのは妄想です。未来も一でしょう。ただそれが
分からないだけ、というなら分かります。
なぜなら因果律を認めないのだから、未来は勝手です。
因果律を認めるなら未来は決定しています。
「存在」とか「実在」という言葉に我々の限界を感じます。
まるでなにかそこに「在」るかのような感覚を覚えるからです。
絶えずカタチを変えてながれる「時空」はほんとに「在」るのでしょうか?
>>136 >これは因果則の否定ですね。
違います。因果関係は過去→現在と作用し、
現在→過去と先後関係が逆転しないという意味です。
>歴史的事実は過去を現在から見ての
>過去の事実の評価ですからどんどん変わります。
これも違います。
カエサルがルビコン川を渡ったか渡らないか、
後世の認識が変わっても事実は変わりません。
本当は渡っていないのに渡っていると認識していれば、
それは単に偽の認識で、事実が複数あるわけではない。
>過去も未来も自分の妄想です。どうにでも変えられる。
その方が「おかしな考えかた」だと思います。
なぜなら、現実か虚構(妄想)かの区別は、
時間の前後の区別とは別のことだからです。
>因果律を認めるなら未来は決定しています。
これは機械的決定論の立場であればそうです。
私は可能性と行為の自由を認める立場なので、
未来は決定されていないという解釈を取ります。
139 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 10:28:57 0
>>138 因果律によって時間の流れが決まるわけではない。
時間の流れを前提して原因と結果と呼んでいるだけ。
原因と結果に相関性があり独立ではないと言うことが因果律や
因果の法則だろう。
「火のないところに煙は立たず」なら火と煙はどちらが原因で結果か?
因中有果説という因果論もある。
時簡に対して可逆の因果もあれば不可逆の因果もあることは物理学の
認めるところだろう。
歴史的事実は一次的には史料すなわち書き記された記録にから判断される
「事実」だね。だから教科書から「聖徳太子」は消去された。
すなわち聖徳太子は実在した人物ではなくなった。
厩戸皇子が実在になった。
ひのね。ひないだね。ひいえいざんへいてね。ひふで2ほんめでね。
ひえいざんこうこうのね。ひゆうね。
>>139 >時簡に対して可逆の因果もあれば
>不可逆の因果もあることは物理学の認めるところ
原因と結果が逆になりうるのは、
具体的にどんなことでしょうか。
>教科書から「聖徳太子」は消去された。
>すなわち聖徳太子は実在した人物ではなくなった。
>厩戸皇子が実在になった。
同一人物に対しては、名称が変わっても、
人物の実在性には影響しないと考えます。
142 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 21:10:15 0
>>141 >具体的にどんなことでしょうか。
ニワトリと卵
>同一人物に対しては、名称が変わっても、
同一人物ではなく聖徳太子が実在しないだけ。
>>142 >ニワトリと卵
面倒な例ですが、少なくとも、
卵Aから鶏Bが生まれた、
鶏Bから卵Cが産まれた、
という個物の因果関係は不可逆ですね。
>同一人物ではなく聖徳太子が実在しないだけ。
人物Aの名称が実はBだとしても、
人物Aの実在に影響ありません。
ここでは指示は実在ではなく言語表現だと考えます。
例えば、名前がない人物も、もちろん実在します。
144 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 22:47:42 0
卵からニワトリになるのが同じ個物といえるのでしょうか?
ニワトリとその生んだ卵は同じ個物ではないでしょう。
ヒトは何時からヒトになるのでしょう。
私と思ってる私の身体はほとんどすべて細胞が入れ替わって
別の物体で構成されても私は私です。
桃太郎やかぐや姫も実在するのですね。聖徳太子も同じ存在です。
普通、物語の中の虚構人物は実在するとは言いませんね。
>>144 >卵からニワトリになるのが同じ個物といえるのでしょうか?
論旨が不明確ですが、卵と鶏は別の個物だと考えます。
卵Aから鶏Bが生まれたという事実があるならば、
鶏Bが卵Aから生まれたと逆にできないという話です。
>桃太郎やかぐや姫も実在するのですね。聖徳太子も同じ存在です。
>普通、物語の中の虚構人物は実在するとは言いませんね。
虚構の人物と過去の人物は、区別する立場です。
普通、歴史上の人物を虚構の人物とは言いませんね。
もし虚構だとしたら、歴史上に登場しなかったのです。
147 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 21:44:11 0
過去の事物の実在なんか証明できるでしょうか?
記録にあったことは実在性を証明するものではありません。
歴史的事実の捏造はいつでも可能です。
それより人間の過去の思い出の実在性のほうが確実です。
人間の過去の想起はその時点で新しく脳の中の現象として
実在します。
未来の希望についてもそれを想像しているのは現在の脳の
現象であり実在するのは確かでしょう。
実在の証拠はありありと意識しているという物事でしょう。
148 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 22:08:09 0
聖徳太子は実在していたかどうか曖昧になったから消えたのでは?
それこそ物語の虚構人物のように。
鶏は元々微生物であり、進化の過程で鶏になった。
と、考えれば卵Aから鶏Bでなく、鶏Aから卵Bと考えられるのでは?
話の腰を折ってすいません。
149 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 22:19:04 0
聖徳太子が歴史上の実在人物ではなく虚構の人物で
あったというのが現在の日本史の定説ですね。
だから教科書から聖徳太子が消去された。
生物進化論からニワトリと卵の後先を結論するのも
進化論という理論が元になってのことですね。
だからどちらも「実在」とはいえないという
コトでしょう。
>>147 >記録にあったことは実在性を証明するものではありません。
だからこそ、歴史的事実と呼ぶんじゃないかと思います。
151 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 22:33:07 0
>>150 史料に記載された事実がすべて歴史的事実であることはない。
>>151 史料に記載されたものも事実と呼ばれるんですか?
歴史的事実はどのようにして認められますか?
153 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 23:02:48 0
歴史的事実は確固たる証拠が存在すれば認められるのではないでしょうか?
例えば科学的根拠とか。
史料に記載されているだけでは「可能性がある」程度しか考えられないと思います。
ウンコなら 最初から ウンコ と 家 。
155 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 03:32:52 0
やはり時間は物質の変化と非変化という矛盾する両者の同時存在と
いう合一からなりたちます。非変化は物質の変化が無いため時間は
成立しません。ゼロであります。瞬間はゼロでありゼロをいくらプ
ラスしてもゼロであります。ここに最小限の変化、10のマイナス
43乗秒よりももっと小さくかぎりなくゼロに近いゼロすんぜんの
変化を認めますと持続となり時間が成立します。この相容れない
変化と非変化とが同時存在することにより時空は成立します。
過去は過ぎさったもので存在しません。未来はいまだ来たらぬもので
存在しません。過去という無、未来という無このふたつの無にはさ
まれた瞬間は無であります。だが現在という瞬間は認識されなくとも
時間は存在します。それは無限にちいさな変化を認めざるを得ません
。それにより、変化と非変化という矛盾する両者の合一をみとめざる
を得ません。この論理を超えた非常識をどうすればよいのでしょう。
156 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 07:32:13 0
現在という瞬間は物質の変化と非変化の、詰まり有と無とが渾然一体
となたもの、有でもなく無でもなく空とでも表現すればよいのでしょうか。
157 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 07:58:06 0
実在の必要条件
1.本当性:みかけ(仮象)でない本当の物事
2.独立性:主観から独立した客観的な物事
3.全体性:すべてに通用する普遍性のある物事
4.無矛盾性:矛盾がない物事
5.現実性:ありありとした現実感が伴う物事
これらの条件を満たす物事が実在する。
しかし条件同士で整合性がない矛盾した条件もあるから
実在の条件としては役に立たないな。
1・4・5くらいを満たせば実在としてよいのではないか。
158 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 08:17:29 0
持続と瞬間と矛盾する両者が同時存在しても、瞬間は意識
されず、この現象世界では持続のみが意識されますので
矛盾によるナンセンスは生じません。
しかし、本質は矛盾は矛盾であります。この矛盾をどうしたら
よいのでしょうか。若い頭脳で検討してください。
哲学の限界ぎりぎりのような気がしますが。
159 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 08:46:56 0
現在という瞬間はゼロと考えるのは無理か。
160 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 09:40:30 0
現在が「今」ならその「今」には相当の時間的な
幅がある。「今、何時?」と聞かれて答えるまでの
間は問題にされない。瞬間でないことは確かだ。
瞬間は意識される最小の時間と考えられる。
仏教の刹那は75分の1秒といわれる。
眼の残像はこの倍くらいの時間持続するのではないか?
この残像が運動を生み出す。
161 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 19:58:09 0
時間が時間のみで存在するかどうかを考えるから、矛盾するのでは?
題にものっているように空間と時間を共に考えれば解決すると思います。
空間は明らかに実在している。
瞬間が時間的に考えてゼロだとしても、空間は存在している。
162 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 20:07:08 0
時間が持続するものである場合「ゼロ時間」は存在できないだろうが。
よく考えてモノを言え。
163 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 20:16:52 0
>>161 空間における「位置」は実在するかな?
時間における「時刻」は実在するかな?
位置も時刻も大きさが0と見做される。
0は実在するかな?
数学において0は存在する。
数学者において0は実在する。
164 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 20:27:54 0
>>161 >瞬間が時間的に考えてゼロだとしても、空間は存在している。
時間が0なら空間も0というのが相対論の言うところだろ。
どちらもゼロになるがそれでも存在しうる。
165 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 21:07:49 0
>>164 そんなこと相対論で言ってるの?そいつはどういうことかちょっと説明してもらわんと。
166 :
161:2007/10/30(火) 21:07:59 0
162>>
なぜ存在できないのかわからない。知識不足で申し訳ないが、確かに存在する有と無を考え、そこに別の有が無の中に確かに存在すれば、二つの内一つが無であっても存在を証明できる。
と考えました。
しかし、163
>>164>>
の意見により僕の意見は否定された。
この三人の方丁寧に説明して頂きありがとうございます。
167 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 21:16:27 0
>>166 1秒をどれだけ細かくすれば0秒になるのか考えてみるといいよ。
「絶対に」0にはならない。
逆に「瞬間=0秒」が成立している場合、瞬間(=0秒)を
どれだけ積み重ねても0秒だね。
つまり前提そのものが成立しないんだよ。無矛盾で終了。
168 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 21:24:08 0
ちと言葉が足りなかったかもしれない。スレ汚しかと思うが再投。
1秒をどれだけ細かくすれば0秒になるのか考えてみるといいよ。
「絶対に」0秒にはならない。
逆に「瞬間=0秒」が成立している場合、瞬間(=0秒)を
どれだけ積み重ねても0秒だね。
つまり持続する時間は0秒を内包せず、瞬間(=0秒)は持続する時間を作れない。
前提そのものが成立しないんだよ。無矛盾で終了。
169 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/31(水) 00:36:15 0
>>168 解析上 そんなことはない。例えば 0から1までの間に無限の実数が存在する。
実数は数直線上をすき間無く埋めており 稠密である。
しかし各実数そのものには 数直線上での「幅」などない。
幅の無い瞬間(0秒)の集まりにより 稠密な持続する時間を形成することは可能であると考える。
170 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 00:47:58 0
>>169 お言葉ですが、それはあまりに都合のよい解釈です。
確かに0−1秒の間には無限に積み重なる時間があると考えられます。
しかしながら1秒間を無限に細分化してもそれは無限に0に近づくだけの話です。
貴方が例に示した様に、数直線上にあるのは「実」数なのです。
無限小は0そのものではありません。
171 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/31(水) 00:52:56 0
数直線上の実数そのものに幅などありません。時間でいえば時刻のようなものです。
無限小とかとは関係ありません。数学上の数の連続性を言っています。
172 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 01:20:56 0
無限論でいう実無限ですかね。
私はどちらかといえば可能無限の立場ですので、そこの部分では折り合いが悪い
部分が出てきてしまうでしょうw。
さて、数学上の実数には幅などないとのご意見ですが
実数は数直線上の一つの「点」、哲学で言えば「実在」とでもなりましょうか。
これに対して0は「無」であるといえます。
貴方の論に合わせるならば「無」=「実在」が成立するはずです…が
これはおかしいですよね?。
173 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 08:43:28 0
>>172 >これに対して0は「無」であるといえます。
ゼロは無というのは文の意味が正確ではない。
ゼロはその内容としての「数が無」であるということで
ゼロが数ではないと言うことではない。
ゼロは数として実在します。数としてはゼロよりもっと少ない
負数も実在します。
174 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/31(水) 08:57:11 0
>>172 いや ごめんなさい 「実無限」かどうかは私は知りません。
実数を「点」に比喩化できるのかも私には分かりません。
またその「点」を「実在」と断定する根拠も私には分かりません。
0(秒)を「無」と断定できる条件も私には分かりません。
空気を悪くしてごめんなさい。ちょっと気になってしまい解析学上の考えを紹介したいと思いました。
失礼しました。上記のこと できれば少し教えてください。
175 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/31(水) 08:59:00 0
176 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/10/31(水) 09:01:07 0
あれ。 いや 172 でOKでした。すいません。
177 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 09:30:17 0
数を直線状に大きさの順にならべたいわゆる「数直線」
の上で一つの数は「点」で示されることは比喩ではなく
ただしい数学上の概念です。
ちなみにこの数直線上に有理数すなわち整数の比で示される
数は「稠密」にあります。どんな短い区間にも有理数は無限に
あります。
実数はその稠密にある有理数の間に「連続」してあります。
稠密より連続のほうが無限の度合い(濃度)が大きいのです。
178 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 09:34:43 0
>>177の補足
数直線上で実数まで考えるときは数を数直線上の点というより
数直線を「切断」した位置に対応させるのが普通の解析でしょう。
デデキントの切断で調べてください。
179 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 11:30:49 0
物質の存在のみ、非変化で時間はゼロ。
物質の変化、無限小で最小時間で時間は有。集まれば持続。
物質は非変化ーーつまり、瞬間ーゼロにをいて変化する、
変化しない、の同時存在があり始めて時間が生ずる。
わりこんでゴメンナサイーーーー
180 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 12:41:29 0
物質が変化するから空間と時間が生じる。
すべての物事は変化する。
変化しない物事はない。
人間が変化を認識できるのは記憶があるから。
181 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 18:41:53 0
横からすまんが0と∞は考えない方がいいよ。胃に悪いからw。
182 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 20:36:50 0
ゼロと無限大は実在しないとな。
実在しなくとも存在はするかな。
実在と存在の違いだろうね。
私にとっては実在は存在の部分集合だけどね。
ん、微妙に違うような気もする。
実在の条件はありありと感じられる、が外せない。
「存在」と「有る」はどう違いのかな。
これは言葉の遊びに過ぎないか?
183 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 02:28:09 0
やはり、ゼロはあると思うよ。
184 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 06:34:30 0
まるでゼノンの背理だね。
極限を設定して、0を放逐しないとどうしようもないんじゃない?。
185 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 06:46:50 0
つ【時間量子】
186 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 07:36:03 0
現在という瞬間はゼロだと思うが、それでは時間がなくなる。
現在に無限小だが変化があり、無限小だが持続があり、それは
ほとんどゼロに近いが、そこに時間が生まれる。無限小は有だ
が、無限小を無限に終わりなくゼロに向かってゆくと、ゼロに
なり、無と合一する、これは無理か。有イコール無。
187 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 08:02:21 0
色即是空
188 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 12:02:08 0
時間はゼロでも時や時刻はある。
時間がゼロの時は時点であろう。
時間がゼロでなければその時間の端
となる二つの時点がある。
その二つの時点を前後とか後先と意識するのが
時間の始まりだろう。
それは物事の変化を認識することから意識される。
189 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 12:26:34 0
なるほど。しかし「前・後」の順番をいかに認識しているのか。
「変化」の方向に原理的相違を意識が見いだせなければ 結局 時間の存在を前提にしていることになる。
190 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 12:42:33 0
「前後」の順番は学習により習得した概念だろうね。
脳内記憶の前後は空間的な位置の違いでまさに空間の
前後として区別されるのだろう。
191 :
189:2007/11/02(金) 12:57:41 0
なるほど。しかしどうなのだろう。空間の「前」と「後」の区別は時間に依存しているのではないだろうか。
そうでないと空間の前後に原理的差違を見出す精神活動が必要ではないだろうか。
またその話では 空間が変化するのに「時間」に準じるものが必要と考えられる。そうでなければ無限段階の変化も
一瞬で終了することに対して矛盾がない。変化のタイミングを律速する原理が必要となる。結局それは時間と何ら別の物ではない
ということになりはしないだろうか。
192 :
189:2007/11/02(金) 13:21:53 0
もう少し対話したかったが時間がない。また来ます。189=抄録。
193 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 13:30:34 0
空間の前後は身体を基準にして前後左右を決めたのではないか?
時間と関係付ける必然性は無いのではないか。
もちろん空間での「もの」の運動を意識するときには当然、時間が
意識されるだろうが。
昼と夜、すなわち日の出と日の入りはどちらを前後にしても周期現象
だからかまわないのではないか?
「始めに光があった」というのも固定概念だろ。
194 :
189:2007/11/02(金) 16:56:38 0
>>193 なるほど。しかし190さんの言う「空間の前後」はいわゆる空間配置ではなく「最初の位置」→「次の位置」だと
わたしは勝手に解釈していた。もし違うのであれば190さんの言っている意味は私にはよく理解できないが
確認できますか?
195 :
189:2007/11/02(金) 17:08:10 0
日の出と日の入りの話と「始めに光があった」云々は 何に対する疑問なのかよく分からない。説明希望します。
そもそも、時間も因果も閉じた理屈の範囲だけで考えるからこそ、
それが常に一定の法則のように考える、これは全ての論理は神の式で
表したという人間の驕りではないか?
仏教ではこの時間も因果も通り越す時間の要素は時間以外の未知な何か
が含まれる、すべての法則も同じで確実なものなどなにもない。
法則や定数や完璧な論理という論で物事を捉えるからこそ、何かの基準を
欲する。
つまり意味の世界でしか物事を考えないその態度と立場と概念によるもの
だろう、全ての現象、全ての法則、全ての概念が揺らぎ曖昧なものだと
いう概念を持ったことがないからこそ、理論の中の狭い場所から抜け出せない。
それは閉じた思考というやつにすぎない。
197 :
189:2007/11/02(金) 17:53:21 0
>>196 なるほど。しかし現代物理学も物質の存在状態を「確率振幅」という振動で記述するようです。
また「不確定性原理」という人間の(観測の)限界を主張する原理もあり、決して確実な法則を
盲信しているわけではないと思います。しかしそれも閉じた思考であるとするならば 仏教はその
限界を突破するのにどのような意識の変革を要求するのか できれば少し語って欲しいです。
198 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 21:35:22 0
聖徳太子とか出してくるから、わけわからんのじゃないの?
そんな歴史解釈みたいな問題はスレの本質からずれてるよ。
今日びビデオ取ってれば昨日が実在したなんてこと疑うことがナンセンスだろ。
その延長上で、千年前も二千年まえも実在したと考えるのが素直な思考でしょ?
ビデオテープはただのビデオテープでしかない。
そこに何が記録されていようとも、それは「過去」そのものではない。
200 :
198:2007/11/04(日) 22:28:06 0
そのビデオテープの記録が過去そのものでなくてもいい。
でもそれが過去が確かに実在した証拠だと考えるのがおかしいかな?
そこは認めていかないとと何一つ前に進まなくはないかね。
201 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 23:44:31 0
>>193 光がなければ時間を定義することができない というか光によって時間などという得たいのしれない概念を
固定化できるのだからこれは画期的なこと。最終的な本質は光でないかもしれないが 光でなくてもそれに
準じる時間と独立した存在が時間の存在を考えるのに必要と考える。
202 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 23:53:47 O
どーしよー 使っちゃいけない金 スロットにぶち込んだ
203 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 23:59:52 O
あれ?スレ違いだ−
204 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 06:03:58 0
物質の現在は変化、非変化、つまり持続も瞬間も、また物質の
存在も非存在も、渾然一体となり、一元的なものである。これを
空というか、神というか、不可知と言うか、それぞれの自由で
ある。これがC点ではないだろうか。C点ーーやはり、宗教か。いや
文学かもしれない。
205 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 12:39:51 O
何故、渾然一体なのに別々に区別さるのかについて。
206 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 13:04:00 0
「過去」は在るのではなく、「在った」と認識できるだけ。
どうやら「在る」のは「現在」だけっぽい。
207 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 13:44:33 0
しかし「現在」は「定義できない」という致命的欠陥がある。
何をもって現在とするのか。
208 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 14:45:10 0
過去は無、未来も無この二つによて囲まれた時点を
現在とします。物質は非変化で時間は存在せず、無
であります。ゼロです。しかし、きわめて0にちかい
ですが、ほとんどゼロにちかいのですが、物質の変化
があり、有があり時間が成立します。あるのは現在
だけです。過去は過ぎさったもので存在しません。未来
はいまだ来たらぬもので存在しません。10のマイナス
43乗秒が最小の瞬間、つまり現在と物理学は考えて
いるようですが、哲学ですのでさらにちいさな時間をかんがえて
います。そこでは有と無とが、渾然一体となっています。
209 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 15:21:03 O
>>208 だから不思議なんです。
今もとても小さな時間の積み重ねだとしたら、渾
然一体の状態のはずなのに区別されているのが。
210 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 15:38:30 0
209さんーー
現象世界では無は認識されません。それゆえ
私たちは有のみの世界に生きてをりますので
矛盾によるトラブルはありません。どうで
しょうか。
211 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 15:50:27 O
212 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 16:14:51 0
わからないかなーーー
213 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 16:23:58 0
>>208 そうだと仮定して 時間の何が解決するの?
時間の空間的普遍性にも言及できない。
相対論にも連動しそうにない
未来が決定か非決定かの判断材料にもなりそうにない。
俺が知りたい時間の秘密に何も答えてくれないよそのアイデアは。
214 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 16:51:45 0
213さんーーー
哲学の、常識的思考の限界と思われます。
215 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 18:04:30 0
>>214 常識的思考の限界とかナンセンスなこと言わないでください。
あなたはC点が云々言ってる人ですか?それって哲学ではないでしょ。
哲学なら科学を無視しないはず。
どうして皆は分からないのだろうと思ってるの?
そのイメージをあなたに要求するのはどんな思いなの?悟りなの?
わたしには208さんの言ってるのは夢想としか思えません。
216 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 23:53:22 0
時間を基に考えるからこんがらがる。
物体の運動に時間をあてはめているのだとすれば問題ない。
そもそもプランク時間とは、大雑把に言えば観測可能な最小時間単位の事であって
それ以下は物理的に意味がない、というだけの事なのだ。
217 :
龍宮:2007/11/06(火) 00:58:56 O
移り変わること自体が本質であり時間が止まることはない。静止は固まってある状態。五蘊皆空なりと照見して一切の苦厄を度したまう。宇宙の真理が何なのかはわからないが一つと時間と分離と結合が抽象概念の最小単位だろう
218 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 01:29:07 0
>>216 だからその運動を律速してるのは何だってことですよ。
状態Aから状態Bに無条件に変化できるなら 全ての段階の変化が一瞬で終了する。
それはおかしいだろと言っているのです。
その本質が「時間」でなくてもやはりそれに準じるものが必要となるのではないですか?
219 :
龍宮:2007/11/06(火) 01:29:26 O
最近は人間は物事を即物的に考える風潮が強い。科学者の影響だろうが少し考えればわかるとおりそれでは人間が本来もつ神秘への渇望が無いものになってしまう。そもそも人が交じわってもう一度結合して形になるのは神秘に他ならない。つまりもう一度がありえるのだ
カントの時空論を理解してからレスせよ
221 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 09:55:53 0
カントなんか持ち出したら 時間の本質は不可知ってことになるだろー。
222 :
216:2007/11/06(火) 21:25:58 0
>>218 基準はあるよ勿論。
「SI単位系」もしくは「国際単位系」で検索してほしい。
現在我々が使用している時間というものが、
ある特定の「物質の運動を基準にしている」事が理解してもらえると思う。
223 :
218:2007/11/06(火) 22:45:07 0
>>222 時間の単位が特定の光の周期によって決まっていることは私も知っています。
しかしそれは時間を計る基準を与えてるだけ。
正確な時計を指定したにすぎない。
あなたは時間に関し「物体の運動に時間を当てはめただけ」だと言った。
その運動は時間と独立に存在していなければならないはずだ。
時間を前提としない運動は可能とあなたは考えているのだろうか。
それを仮定するなら時間の概念を抜きに「速度」を定義し直す必要がある。
224 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 23:54:12 0
>>223 んだから時間(t)の代わりの基準を何とでも取ればいいんだよ。
例えば俺の呼吸「吸う→吐く」という運動を基準にしたっていい。
これを「俺呼吸」単位としようか。
この場合、速度=距離/俺呼吸で出るわけだな。
ある物体が100m動く間に「俺呼吸」が3回ならば速度は33.333…m毎俺呼吸だ。
それだけの事。
ちなみに古代ギリシャ(うろ覚えだが確かヒッパルコス以前)では脈拍を基準にしたりした。
なんで国際的に時間の単位を定めたかといえば、皆が皆テキトーな運動を基準にしていたら
比較するのに一々互いの単位に変換するのがメンドーだからだ。
俺呼吸なんて誤差もデカいしなw。
ちと先走って書いておくが、物体の運動が比較しようがない場合時間の概念は無意味だ。
つまり物体の運動が先にあって初めて時間は意味をもつ。
わかってもらえると思うがどうだろう?。
225 :
218:2007/11/07(水) 00:32:37 0
>>224 なるほど。それはつまり時間tの変わりに 回数 を単位にしようということだね。
そして宇宙にある全ての物質の運動状態を ある基準となる「回数」との比較で決定すると。
しかし その回数とやらは1回1回が同質である必要があるのではないだろうか。
あなたの例えで言えば 脈拍の1つ1つが同質であると判断したのは人間だろう。
そのギリシャ人は1回1回の脈拍にかかる時間が(ほぼ)同じと判断したわけだ。
これは時間を前提にしていないだろうか。
また運動が比較しようなければ時間の概念が無意味というのはいいすぎではないだろうか。
放射性元素の崩壊(寿命)なども時間に依存しておりこれは運動の比較とは別のものだと思う。
226 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 07:21:55 0
時間は空間における物質の非変化詰まり瞬間と変化詰まり持続
という互いに矛盾する両者の同時存在より成立してをり、時間
と空間とは合一してをり、切り離せないものではないでしょうか
時間は時間、空間は空間と切り離して考えるのはどうでしょうか。
過去は過ぎ去ったものですが時空の変化は一つしかありません
この一つしかない過去は現在という時点でいまだ来たらざる未来
に、未来は知られざるものですが、なんらかの影響をもち因果
関係があります。未来は全くの自由でわなく、ここに私達が未来
にたち、未来から現在を振り返ってみることが可能であれば、私
たちはただ一つの空間の変化しかないとおもわれます。私達は
過去の記憶をもとに思考し未来に向かいますが、未来の道はただ
一つです。未来は過去現在におけるもろもろの条件によりその自由
さを制限されています。
227 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 09:19:44 0
原子時計を使おうが計測される「時間」は人間が
理論に基づいて決めた時間の基準であって人間が
観測できる実在する時間だね。
長さ(距離)の基準も「時間」と「光速」に基づく
物で人間が観測する実在する空間だね。
物理では時間や空間は理論の前提として与えられる
パラメータに過ぎない。
人間にとっての時間・空間は生きる前提として与えられた
世界に過ぎない。
この世界は一人ひとりの個別の世界だ。共有する部分世界は
あっても異なる個人にまったく同一の世界はありえない。
228 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 19:24:47 0
>>227 結局何が言いたいのか分からんが・・・真理は不可知とでも言いたいのだろうか?
世界の認識が個人個人により異なるのはもちろんその通りだろう。
しかしその断定の先には何の可能性も感じない。
個人の認識の差違もあるが 共有できる世界概念は存在している。
これは偶然ではなく 人間が世界の一部分であり 世界から影響を受けていることの結果でもある思う。
非常な天才が想像した概念も 結果として凡人にも共有できるのだから。
逆に そのような概念でなければ真理と認めない として科学は真理(らしきもの)を
吟味し 選択し 発展させてきた。
時間と空間についても個人を越えてその存在のありようを記述する方法はあるはずと思う。
229 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 21:30:43 0
>>228 >時間と空間についても個人を越えてその存在のありようを記述する方法はあるはずと思う。
だから物理的な時間の基準(秒)や空間の長さの基準(メートル)は
社会的に通用する普遍的な測度だろ。
また世界標準時や地球の緯度経度も規約による社会的な時間・空間の実在根拠だろ。
「時間・空間は実在する」で問題ないじゃん。何も不可知ではない。
230 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 22:03:21 0
>>229 時間と空間がただあり、その尺度を議論してるのではなく
どのようにあるのかが問題だろう。
このスレの主旨はそのようなことではないのか。
あなたにお聞きしたいが 未来は決定か非決定か 現在の時間の知識で説明出来るのか?
231 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 08:09:41 0
理系、文系すべての変化、つまり時間は弁証法的発展をする
と考えられます。
232 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 18:01:16 0
>>230 >どのようにあるのかが問題だろう。
だから「時間・空間は実在する」で問題ないじゃん。
これのどこが問題なの?
>未来は決定か非決定か
未来は現在いまだ来ていない時ということで決定してるだろ。
他の定義があるのか?
未来のある出来事(事象)が起きるか、起きないかを知りたいということか?
これはどういう出来事と未来の何時ということで確率が違うがたとえば
「明日も地球は動いている」というのはほぼ確かに決定してると俺は信じてるよ。
233 :
230:2007/11/10(土) 19:19:24 0
>>232 >だから「時間・空間は実在する」で問題ないじゃん。
これのどこが問題なの?
例えばあなたは 振り子時計とクオーツ時計ではどちらが正確と思いますか?
クオーツと答えるでしょう。しかしそれはどうしてですか。標準時計に近いからと
考えますか?その標準時計はどうして正確と見なされているのでしょう。また
その時計は宇宙のどこでも正確なのでしょうか。ただ「時間は実在する」と叫んでも
このような疑問に答えてくれないと思うのです。
>未来のある出来事(事象)が起きるか、起きないかを知りたいということか?
概ねそのような意味です。
>これはどういう出来事と未来の何時ということで確率が違うがたとえば
「明日も地球は動いている」というのはほぼ確かに決定してると俺は信じてるよ
つまりあなたは未来は確率で決まっているということですね。明日の天気予報で雨の確率50%のとき
確率は50%だが実際には現在の世界状態から明日の天気は「決定している」のではとは考えませんか?
人間に予測できないだけなのではないのかと考えませんか?わたしはそのどちらなのだろうかと考えて
時間のありように興味があるのです。
C点なんたらぐぐってみたが、「無限に分割」の時点でそれ科学じゃねーべ
あと今議論されてることは哲学的にはカントの純粋理性批判で終わると思うんだが……
そもそも「実在性」って何使って証明すんの? 現象学の妥当でも使うの?
自然科学と哲学の思考をごっちゃにすると絶対話まとまらんぞー
235 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 20:04:29 0
>>233 物理的な時空間論については今のところアインシュタインの相対論の仮説があるでしょ。
それはまだ反証されてないから通用する学説だろ。
それとも時間・空間についての形而上学がしたいの?
世界は決定論か非決定論なのかも形而上学的問題だね。
236 :
230:2007/11/10(土) 20:10:20 0
>>235 君は232と同じ人?
>物理的な時空間論については今のところアインシュタインの相対論の仮説があるでしょ。
どういうことだろう。それについてもう少し説明してくれないか。
237 :
230:2007/11/10(土) 23:59:29 0
ちっとも返事がないね。
アインシュタインの特殊相対性理論は「電磁波」と「時間」と「空間」を関連づけている。
一般相対論は「重力」と「時間」と「空間」を関連づけていると俺は理解してるが、しかし
これは「時間」の尺度を電磁波と完全にリンクさせている。このことであらゆる場合でも
時間の「計測の」定義が可能だからだ。しかしこれは時間の「本質」とはならないと俺は思う。
過去と未来の差違も説明されないし、なにより直線的に流れる時間の有り様を「前提」にしている。
相対論をもって時間の実在を示しているなどと俺には全く思えない。
238 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 18:35:57 0
>>237 >しかしこれは時間の「本質」とはならないと俺は思う。
時間の本質って何?それが分かってないなら時計で計測される
時間は時間でないなんて言えないだろ。なぜそれが時間じゃいけないの?
>過去と未来の差違も説明されないし、なにより直線的に流れる時間の有り様を「前提」にしている。
過去・現在・未来の差異なんて誰でも間違えようがない。
時間が直線的かどうかは時間を見たことないから分からない。
時間の有様の形而上学の一つとして仏教のアビダルマ思想として
「三世実有 法体恒有」でその根拠が「刹那滅」というのがある。
これは現代物理学の基本的立場ときわめて近い考え方だろうね。
239 :
230:2007/11/11(日) 19:26:43 0
>>238 時間の本質については 俺も分からない。しかしだからといって 時計で計測される時間が
時間であると言い切るのはおかしい。いったいどの時計が「時間」と一致していると考えますか?
地球の自転と原子時計のどちらを正確と判断しますか?時計が示すものこそが時間だと言い切るなら
時計がなければ時間も存在しないと言うことなのか?
>過去・現在・未来の差異なんて誰でも間違えようがない。
あなたは現在の0.1秒前の過去を「過去」として認識してるの?
それとも現在と認識するの?
最後の仏教の話は知らない。唐突に仏教用語を出すならどのような内容か説明してもらいたい。
240 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 20:10:20 0
>>239 現在の時間の基準の規約によって地球の自転・公転周期より
原子時計の時間のほうが正しい。だから閏秒などの補正操作が
おこなわれることもご存じないか?
時計がが無ければ時間が存在しないなんど子どもでもいわないよ。
時間が存在するから時計で測るのだ。何の問題もないだろ。
>あなたは現在の0.1秒前の過去を
すでに「過去」と認めてるのだから過去で問題ないだろ。
何がいいたいの?
241 :
230:2007/11/11(日) 20:28:25 0
閏秒というのは地球の自転・公転周期が「秒」の完全な倍数になっていないから行われるもので
この話と関係ない。
>すでに「過去」と認めてるのだから過去で問題ないだろ。
何がいいたいの?
君は現在と過去は間違えようがない と言ったね。しかし現在を間違いなく「現在」と確認する方法は
あるだろうか?あるなら教えてもらいたい。
242 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 20:35:48 0
>>241 >地球の自転・公転周期が「秒」の完全な倍数になっていないから
そんなことないよ。「秒」を完全な倍数に決めることも可能だよ。
江戸時代の変時制をしらないか?同じ「ひとつ」の時間が季節に
よって変わる時間の決め方なんだよ。
それにあわせた大名時計も有る。
>「現在」と確認する方法は
あるよ。「現在」と思う「とき」はいつでも現在だ。
ワープする宇宙598ページ
空間と時間は幻想だと、私はほぼ確信している
244 :
230:2007/11/11(日) 20:49:12 0
>>242 あなたは238さんとは別の人ですか?
江戸時代の話は取り合えず置いておいてもらえませんか。話は興味深く拝聴します。
>「現在」と思う「とき」はいつでも現在だ
現在と思うときはすでに過去とは思いませんか?現在を認識するのに時間が必要と思います。
瞬間を認知するのは不可能と思っています。
245 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 22:15:32 0
>>243 >空間と時間は幻想だと、私はほぼ確信している
幻想は幻想として実在するとは思えないの?
246 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 22:19:00 0
>>244 >現在と思うときはすでに過去とは思いませんか?
いや、現在と思うときは現在だ。それが日本語のお約束。
現在だと思ったときは過去であっても。
現在だと思いつつあるなんて現在進行形でもいいのかな?
ナーガルジュナの中論みたいな議論だね。www
過去と現在も時間の軸では計れない。
それは光速不変であって、時間は相対なものにすぎないから
それの因果関係で過去と現在を比較しても時間が一致しない
ものを比較している時点で痛い。
248 :
230:2007/11/12(月) 23:05:20 0
>>246 >いや、現在と思うときは現在だ。それが日本語のお約束
もし真面目に言ってるのなら それは「現在」の言葉の定義が不十分なのだ。
>>247 日本語がよく分からない。
過去と現在も時間の軸では計れない。→過去と現在「も」は何に加えて「も」なのか?
それは光速不変であって、時間は相対なものにすぎないから→「それは」の「それ」は何なのか?相対なものは何に対しての相対なのか?
それの因果関係で過去と現在を比較しても時間が一致しない→「それの」の「それ」は何なのか?
ものを比較している時点で痛い。
249 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 23:25:44 0
>>248 >それは「現在」の言葉の定義が不十分なのだ。
「現在」でも「今」でもいいけどこれは基本的な言葉
だから無定義語とせざるを得ない。
ちなみに新明解国語辞典では
「現在=主体が何かをしている、その時またはその時に近い
過去や未来。」
または移行は「現在」に幅をもたせたいからという説明だろうけど
「過去」「未来」がなにか分かっていないと意味不明だ。
で、「過去」を説明するには「現在より以前のとき」とでもせざるを得ない。
結局、「現在は今であり今は今と思うとき」より詳しい定義にはならない。
大体これで「今」という概念を了解してきたと思うがいかが?
「現在は過去と未来の境界である」という定義でも同様の困難性が有る。
かえって「境界」とは何か?という問題を背負い込む。
250 :
230:2007/11/12(月) 23:54:30 0
>>249 >結局、「現在は今であり今は今と思うとき」より詳しい定義にはならない
なるほど。結局そうなのだろうか・・。それ以上は人間には突っ込めないのか。
俺は必死で時間について神経をとぎすませて 科学の勉強もしながら
その正体を掴もうとしてきたんだが・・。それも無駄なことなのか。
もしそうなら俺を打ちのめすさらに強力な証拠を突きつけて欲しい。
そうしたら俺も諦めることができるかもしれない。
251 :
230:2007/11/13(火) 00:10:25 0
わかっていただきたいが 俺は言葉遊びには興味がない。
地球上最強の知性を持つ人間が時間の本性すら掴むことができず
「時間はあるに決まっている」「時計で計れるから問題ないじゃん」
などという認識で満足することが悔しくてならない。普段は別の板の住人だが
哲学者が集うこの板で何か掴めるのではと思ってきたが 場を荒らしただけだったかもしれない。
いや申し訳なかった。また機をあらためて参上したい。
252 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 10:16:52 0
「今と思う時」は時計で測られる物理的な時間ではない。
「思う」のは自分だから自分に意識された時間が「今」だね。
この今は瞬間でもなく相当の幅を持った時間だろ。
この「いま」を基準として経験された出来事の記憶をもとに
過去を想起し、これから起こるべき出来事を予想して未来を想起する。
これが人間の意識により認識される心理的時間だろう。
この心理的時間の進み方は時計の示す物理的時間とはあきらかに
ちがうと感じられる。
253 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 10:57:00 0
ヒトに「時」を感じる感覚器官があるだろうか?
意識の根すなわち脳が無ければ「時」は感じられないのだろうか?
腹時計は体が感じる空腹感ではないのか?
細胞分裂は細胞自身の時計で遂行されるのではないか?
柱時計がボン、ボン、ボンと「時」を打つときその順序を認識
するのは耳識だろうか?
時間と空間も概念でしかないとしたら
議論に矛盾が生じるのは仕方のないことだと思う
根源的能与のことか。
256 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 21:52:28 0
すべては空虚
時間も空間も人間が便宜上作った概念
キャハハ
257 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/19(月) 22:51:55 0
時間に始まりと終わりがあるか?
考えられる可能性は4っつ。
1.時は無始無終:無限の過去・未来があるか循環している永遠の時間。
2.時は無始有終:始めは無いが終わりはある考えにくい時間だ。
3.時は有始無終:始めがあって終わりは無いこれも考えにくい時間。
4.時は有始有終:始めがあって終わりがある線分のような時間。
先ず時の始めについて考察。
1,2は時の始めは無いから考察不要。
3,4について時の始めとはそもいかなることか?
絶対温度のように物理的な絶対時刻があってその時が0となることか?
相対的でない絶対的な物理時間はどう決められるか?
物理時間は物の変化に即した時間であるからすべての物が変化しなくなったり
すべての物が無い時を絶対時刻0とすることが考えられる。
原子論のように物の始めを原子とするなら原子がはじめて生成された時が
絶対時刻0となる。物の始めを素粒子やクオークにするならまた別の時刻だ。
>>257 先生
一般相対性理論によると光速度で移動すると時間は進行できなくなるようですよ。
重力波の影響で時空が歪むのは観測結果から実証されているらしいです。
困りましたね。
259 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 08:51:13 0
>>258 一般相対性理論で現在から時間を逆に過去に追っていくと
宇宙がどんどん収縮するんだろ。
そのままならそれが0に成るところが時間の起源として
問題ない。ところがそうは行かない。
それが今残されている問題だろ。
まぁ常識的にはほとんどゼロとしていいプランク時間以下まで
追い詰められるんだけどね。
ゼロではすべての物理学法則が崩壊してしまうから物理学
を元に時間ゼロを決められない。
まぁ物理学は物の理だから物が無ければ意味が無い。
物に即した時間はゼロまで追い詰められない。
唯物論ではダメだね。
話がかみ合っておりません
>ゼロではすべての物理学法則が崩壊してしまうから
全ての物理学法則なんて知られてない。
古典的一般相対性理論は間違いなくそこ(特異点)で成り立たないが、量子力学などによって修正されている最中。
すまん、ざーっとスレ読んできて疑問に思うのだが実在って哲学で語れるの?
存在論になっちゃうから、多くの哲学だと実在の話ってあんまりしなくない?
基本的に自然科学の領域でやってもらう事柄というか、哲学じゃ対応できない話題な気がするんだが
>>259 先生
偏在ですよ。
時空連続体は切り離して宇宙全体の時間を語っても矛盾するだけらしいですよ。
時刻を語るときには空間上の座標も同時に語らないといけないらしいんですよ。
困りましたね。
時空連続体もフィクションに過ぎない
265 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 16:59:43 0
>>263 時間の起源、時刻の絶対的な始めの問題なんだが。
相対的な時間の話じゃない。
>>265 先生
宇宙に時間が終わっている空間はないのですか。
時間が停止しているだけだとすればいつ再び時間が起動するのでしょうか。
絶対零度で冷却した魚が再び泳ぎ出すのとはわけが違うと思います。
・・・神でしょうか・・・
267 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 17:09:00 0
>>267 まぁミクロな部分では連続でも不連続でもよいと思ってる程度です
そもそも相対論では光の観測によって時間が定義されるので
それが出来ない領域では時間の定義を考え直さねばなりません
270 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 17:29:35 0
プランク時間より細かい時間があると考えてるんですね
それ以上の分割は科学ではなくなると思いますが
273 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 18:08:52 0
誰だよテキトー言ってるのは。
哲学でも科学でも「無」「0」や「無限」を克服できた論なんぞ
聞いた事がねぇよw。
>>273 そーゆーのわかってる人は書き込まずに黙ってニヤニヤしてあげるのが作法だろw
知識人の議論っぽいことしたいだけの非アカデミックな人間にマジレスしてやるなよw
あれだ、喩えるならば特撮ヒーローごっこしてる子供に「あれはテレビ番組なんだよ」と諭す行為だw
275 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 20:31:02 0
>>273 一応数学では「無」「0(空)」「無限」を克服できたね。
276 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:34:48 0
妄信
>>275 通りすがりの親切な俺が説明してやると、それは克服と言わない
数学はあくまで形而上のルールゲーム
哲学で言うところの実在としての無限や無は克服できてない
ってか、無限も無も観念であって実在するものじゃないことに気付こうな
279 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:37:22 0
>>278 あなたは 「克服」をどういう意味で使ってるの?
>>276 >>279 支配下に置く、捉えるってことだよ、こういう場合の克服は一般的に
矛盾を説くとか、問題をクリアする、って意味だね
科学なら再現性の確保とか理論の成立、哲学なら矛盾のなさそうな原理の確立を指す
べ、べつにあなたの為に教えてあげたんじゃないからねっ! 勘違いしないでよっ!
281 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:48:01 0
>>280 無や無限について「矛盾」のなさそうな原理の確立ってのは試みられてるの?
だとしたらどんな方法があるんだろう。あるいは手も足も出てないの?
これって無や無限の実在を示せればOKなの?
282 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 20:49:45 0
哲学が形而上学で無いとは始めて聞いたな。
数や図形や論理が実在すると思ってるのが数学者だろ。
唯脳論の養老先生に聞いてみなさい。
>>281 臆面のない教えて君っぷりに心打たれたので答えてやるか
とりあえず次からは答えて貰ったら一言お礼言うと今後もレスを貰い易いって覚えとけ
で、俺は専門が自然科学じゃなくて近代哲学なので哲学の場合を
ってかここ哲学板だったな
まず、哲学はカント以降、無限とか神とかについては考えるだけ無駄ってのが一般的
んで、フッサール以降、実在については考えるだけ無駄ってのが一般的
一応ハイデガーが存在論やってるけど、難解すぎるせいなのか破綻してるのか、謎が多い
つまり、哲学は「実在」については考えないのが基本スタンス
あえて考える場合は存在論と呼ばれる
そう言う意味で、こーゆー「〜ってほんとにあるの?」系スレは板違いに近い
ほんとはプラトンの時点で哲学は人間にとっての意味を考える学問にスライドしてるんだけどな
実在すると考えられているものの法則とか仕組みは自然哲学→自然科学の領野なのが現状
>>282 >数や図形や論理が実在すると思ってるのが数学者だろ。
お前はそれでいいやw
>>282 先生
数学って本当に形而上学なんですか。
286 :
281:2007/11/20(火) 21:10:22 0
>>283 レス おありがとうございます。
「〜が一般的。」ってことは哲学のどんな結論もその根拠は希薄ってことかしら。
哲学がその体たらくじゃ 哲学的手法など 数学に頭あがらないじゃん。
プラトンやフッサールやハイデガーの思考をあなたはたどれたの?
その上でその考えの妥当性を判断してるのかしら。
俺は哲学は 「概念・智恵の想像」ってことが重要と思ってました。
287 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 21:17:25 0
>>285 数学が形而上学だなんていった覚えが無いが・・・?
数学はもともと数学だったんだろ。
日本の学校では算数から数学になるのかな。
我々が論文を読むとき(人によっては書くとき)論文を読むための書斎もあり読むべき
論文の記述された書物(またはPCでも)がありとにかくそれらの占めるべき空間があり
字面を追うにはそれなりの時間が必要です。
故に時間も空間も私の身近かには確かに存在しています。
時間、空間は物質の持つ性質を説明するための概念としては存在すると思う
>>287 先生
>>282 > 哲学が形而上学で無いとは始めて聞いたな。
こうおっしゃったからそう思ったんですよ。
>>289 正解。それがわかるならこのスレに書き込む意味がないのはわかるよな
おめでとう、糞スレ卒業だ
>>286 体系として成り立ち得るならOKでしょう。
ときには破綻して過去の遺物、若しくは消えていくこともあり得る。
>>286 先日、数学の証明が検証されたらしいですが(読んでない)証明方法が予想を超えててショックが
大きかったという記事を読みました。
学問でも予想=流行という認識がいいんでしょう。
294 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 23:12:41 0
>>290 うん。
哲学は形而上学だったね。
数学と哲学は違う。
数理哲学という数学の哲学はあってもそれは数学じゃない。
数学のもともとの語源は「学問」ということみたいだね。
「学問に王道なし」の「学問」は数学・幾何学だっただろ。
>>294 知ったか厨房の極みだなあんたwwwwwww
それで成人してるなら専門教育受けてないのが丸わかりwwwww
296 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 23:20:41 0
282 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 20:49:45 0
哲学が形而上学で無いとは始めて聞いたな。
数や図形や論理が実在すると思ってるのが数学者だろ。
唯脳論の養老先生に聞いてみなさい。
ツッコミどころが多すぎてどこからツッコミ入れればいいのか迷う
297 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 23:22:20 0
数学と哲学は確かに違うね。
というか、哲学は個別の学問とは全く性質が違う。
ただ、現在の「哲学」に批評以外のどういった意味があるのか・・・
なかなか判然としない。
「数や図形や論理が実在する」と、理性で思っている人はあまりいない。
ただそう感じざるを得ない体験をしている人が多いのだろう。
神様本気で信じる人と似た様なもんなんですかね
>>298 ねーよw ID出ないからって匿名で自演すんな見苦しいwww
>>300 は?
俺は296見てちょっと書いてみただけだが?
小平さんなんかは、かなり本気で実在すると思っていたらしいが。
ま、このスレでピーチクパーチク言ってる「実在」と同じかどうかは知らんがw
高校生なのか高卒なのかは知らんが、まともな数学者で「数や図形が実在する」
なんて言ってる奴も思ってる奴もいねーよwww アホかwww
そーゆー誤謬を犯して変なパラドクス発明するのは数学者じゃなくて馬鹿な自称哲学者だけだww
「数や図形が実在する」 というときの「実在」を
パンや石ころが実在するとかいうのと同列にしてる馬鹿がいるなwww
さすが哲板www
>>289 それは最初からあたりまえ。
問題は、時間や空間の持つ性質が、はたして観測者たる我々の精神と独立に存在しているかどうか
という点だ。
実在の定義なんか一つしかねーよwww
異説があるのはお前の頭の中だけだwwwww
なんか笑う通り越して悲しくなってくるな……
これが情報弱者とか知的弱者って奴なんだな……
この板来てる高校生に言っとくが、Fランクでもいいから大学だけは行っとけよ
こんな風になっちゃうからさ……
>>305 それを考えるのを存在論っていうんですよー
無知な人は喋れば喋るほど馬鹿を晒すので気をつけましょうねー
実在の定義なんか一つしかねーよwww
異説があるのはお前の頭の中だけだwwwww
↑wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
存在論(爆笑)
香ばしいスレ
Fランクは大学じゃないので念のため
堵愚慧螺簸轡くらいは押さえておけよwwwwwwwwww
実在OL
>>305 スピノザは無神論者ではありませんので「観念論者」に分類されます。
彼に代わって「その分類」に抗議されるのは「(あなたの)勝手」ではありますが、
スピノザが(「鍛冶屋さん」のくせに)当時の「科学」についていささかなりとも
「知識らしきもの」を持ち合わせなかった・・・ことは「事実」だと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
315 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 08:15:39 0
ウィキでいいから「実在論」がどういう意味か調べてからレス
しても遅く無いよ。
「実在」の定義も出来ない連中が何を言っても無駄。
「物質は有限個しかない」は確からしい仮定
それに付随する時空も有限、不連続
>316
>「物質は有限個しかない」は確からしい仮定
それに付随する時空も有限、不連続
観察する時点を1点とし、それだけで区切れば、という前提が必要だろ
時間を実数で計る必要は無い
有限個の浮動小数点数で計算しても十分実験結果を説明できるし
319 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 12:43:01 0
>>318 例えばでいいので その「実験」と「計算」を示してちょ。ついていけないんで。
>>318 別に同意しなくていいよ
否定できないだろうし
321 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 19:27:02 0
>>298 >「数や図形や論理が実在する」と、理性で思っている人はあまりいない。
「実在」するか、どうかは理性が決めることなのかな?
理性というなら理屈で「実在」を決定できるということになる。
遂に21世紀に再び普遍論争が再燃した。
日本の哲学ってそんぐらい遅れているってことか・・・トホホ
324 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 20:00:18 0
>>322 ちゅうは理性・悟性・感性の区別がよく理解できないし
それらを区別する必要性もよく理解できません。
唯識じゃだめなの?
ただ「実在」と判断するのはしいて言えば感性かな?
「ほんとうにありありとある」と感じられること、
それが実在する物事だと思う。
だから「数」だってありありと思えるときは「実在」と
感じる。
原則的には五感に出来るだけ多く影響を与える物事が
「実在」と判断する。
>>324 実在て普遍論争で出て来る用語としての実在じゃないの?
似たような言葉で実存とかあるけど意味がだぶらないようにわざわざ区別して命名してるに過ぎないから
それを尊重する限りにおいて実在論の話かと思って読んでた。
僕は唯名論なのでただ単にあなたの「実在」と僕の「実在」が別の何かなんだろうなということぐらいしか
わからない。
現象学のフッサールだったら上にも書いたけど根源的な能与作用があるとか時間を特別視してたけど
それと関係ある?
実在するっていうことは我々の外に確実に存在していて我々がそれを認識しているということでしょ?
例えば猫さんだって我々が猫と名付けた動物の種が存在するんじゃなくて単に猫という単語(名称)が
あって個別の猫をとりあえず猫という括りで分別しているらしいと思っているのが僕の立場。
それに対して実在してるって主張は猫という動物(の種)は確かに存在していて形相として個々に具現化
してるって発想なんじゃないの?違う?
つまり僕は「実在論=実念論」として読んでたわけ。悪い?
話を戻して氏は「数が実在だ」と主張してるんだからやっぱり実念論の立場みたいだけどOK?
前提があやふやだから適当にauの何でもOK方式ということで。
蛇足かも知れないが僕のようなバカからするとスレタイの付け方がそもそも理解不能。
時間と空間の実在性を語れと言われても先ず先に時間とは?空間とは?と考えるから。
ある種の人にとっては時間も空間も当たり前に存在(認識されている)わけですが
運用に当たってどう扱うべきか悩ましい概念でもあるから。
(何も考えてない人は返って気楽に実在すると答えると思う)
327 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 20:50:04 0
「時間が実在する」という場合、それは万物に対する「絶対時間」の存在を
想定しなければならないだろうね。
ガリレオ、ニュートンの時代ならともかく、現代には必要ない概念かもしれない。
>>325 282 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 20:49:45 0
哲学が形而上学で無いとは始めて聞いたな。
数や図形や論理が実在すると思ってるのが数学者だろ。
324 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 20:00:18 0
>325
ちゅうは理性・悟性・感性の区別がよく理解できないし
それらを区別する必要性もよく理解できません。
こんなこと言ってる中学生にマジレスする虚しさを感じて頂けたで御座いましょうか?
貴方の仰るとおり、「実在」という言葉は哲学においては「主観の外に確かに存在する」
という意味以外に用例がありません。ですが彼はそれすら知らない門外漢なので御座います。
変身ヒーローごっこに興じるお子様にアカデミックな領域から対話を試みるのは徒労というものです。
>>326 せっかくまともな知識をお持ちの方がいらっしゃったので、少しだけレスを付けて見ましょうか。
>蛇足かも知れないが僕のようなバカからするとスレタイの付け方がそもそも理解不能。
>時間と空間の実在性を語れと言われても先ず先に時間とは?空間とは?と考えるから。
それが哲学を知る人間として当然の反応で御座います。
ですが現在の哲学板は現代哲学が何を対象とした学問かを知らず、
勝手なイメージで期待した若人達が押し掛けて暴れる場所なのです。
そういった方々に哲学の文脈で最低限必要とされる作法を期待するのは無理で御座います。
>ある種の人にとっては時間も空間も当たり前に存在(認識されている)わけですが
>運用に当たってどう扱うべきか悩ましい概念でもあるから。
>(何も考えてない人は返って気楽に実在すると答えると思う)
これまたまったくもって仰るとおりで御座います。
フッサール現象学におけるエポケーの対象である実在とは、
その高弟であるハイデガーが後期に存在論で乗り越えようとした領域、
すなわち主観を越えて客観(実在)に達しようとする超越論の課題でございます。
これをもし解けたのであれば、間違いなく哲学史に名前が残ることでしょう。
このように、実在に触れることがいかに難問であるかは哲学の教養が僅かでもあれば、
誰でもわかることでありますよね。
ですがこの板はそういった目の前の山の高さを理解しない故に臆することのない若人の跋扈する空間なのです。
330 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 00:07:52 0
「主観の外に確かに存在する」
こんなことばで満足できる学問もどき(w
331 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 04:54:05 0
■東中野修道(亜細亜大学教授)、名誉毀損で敗訴!!■
http://www.asahi.com/national/update/1102/TKY200711020441.html 南京大虐殺本「被害者と別人」 名誉棄損認定 東京地裁
2007年11月02日22時48分
いわゆる「南京大虐殺」の生き残りとして体験を語り続けている中国人の女性を「生き残った少女とは別人だ」と指摘した書籍「『南京虐殺』の徹底検証」をめぐる訴訟で、
東京地裁(三代川三千代裁判長)は2日、書籍が女性の名誉を傷つけたと認め、著者の東中野修道・亜細亜大学教授(60)と出版社「展転社」(東京都文京区)に対し、
慰謝料など計350万円を女性に支払うよう命じる判決を言い渡した。
※重要なのは以下の部分
三代川裁判長は、解説文中の「銃剣で突かれた」という意味の英語を東中野教授が「銃剣で突き殺された」と訳したために別人と誤って解釈したと認定。
「通常の研究者であれば矛盾を認識するはずで、原資料の解釈はおよそ妥当ではなく学問研究の成果に値しない」
とし、教授の指摘は「真実であるとする理由がない」と判断した。
332 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 08:44:54 0
>>325 私はとりあえず「実在」を
>>324のような意味で使いたい。
観念でもなんでも言葉で表されるものはすべて「ある」という
立場です。
「〜がある」の問題なら存在論、「〜である」の問題は認識論。
「ある」の否定は「ない」。
すべては「ある」けどその有様(ありよう・ありさま)が問題になる。
「存在」は時間的・空間的に「ありつづける」普遍的な「ある」。
「実在」は空間的に実際に本当にある。すなわち外在であり客観的。
「実存」は時間的に現実としてある。すなわち心理的というか意識的。
インド哲学のヴァイシェーシカ哲学に近いかな?
333 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 08:54:32 0
>>326 >時間と空間の実在性を語れと言われても先ず先に時間とは?空間とは?と考えるから。
それはそうだけど、すべてをいっぺんに考えることも出来ないから、まずは
「実在」とはどういうことから考えてみた。
時間の実在性については、そのものずばりの
「時間は実在するか」(講談社現代新書 入不二基義著)
という本がある。別に宣伝する積りじゃないけど・・・。www
>>332 誤解させてしまったみたいです。
「実存」は実存主義の実存ですよ。
同様に「実在」は実在論とか普遍論争の文脈で意味を持ちます。
どちらも存在をわざわざ区別して存在の多義性を回避するためにそう呼んでいるだけです。たぶんね。
こういう場所では面倒くさいからお互いにコンテキストから類推して相手がどういう意味で
使用しているか適当に推理して質問するなり返事を書きます。
>>324だと例えばヘレンケラーはどうだったかというのが先ず腑に落ちない。彼女が赤いバラ
と聞いたとき果たして感性でその言葉を把握しているのでしょうか。(理性)
それと実在性を問題にしているのに時間的にとか空間的にというのはおかしいです。
つまり「よくわかんない」です。
335 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 11:07:12 0
>>334 >誤解させてしまったみたいです。
いや、
>>332は俺流の勝手な定義ですから気にしないでください。
「実在」「実存」に別様の定義が有ることは了承しています。
>どちらも存在をわざわざ区別して存在の多義性を回避するためにそう呼んでいるだけです。たぶんね。
同意します。
ヘレンケラーといえば「水」に触らせて「水」という概念、「水」という
言葉そして言葉はその概念との結びつきだということを理解したときの
エピソードが有名ですね。普通の視覚・聴覚のある人には何の苦もなく
学習できたことでしょうけどね。
>それと実在性を問題にしているのに時間的にとか空間的にというのはおかしいです。
確かに空間の実在性は俺流「実在」の定義と矛盾しないが、時間の実在性に対して
「実在」は時間的ではない、というのは引っかかりますね。
しかし、ベルクソンのように時間は「持続」であってそれを物理的な時間のように
「空間的」に把握することは間違ってるという主張もあります。
「時間と自由」(岩波文庫 ベルクソン著)を参考までに。
なら「持続」を実数あるいは数直線という数学上の概念と完全に対応できるかどうかってのはわかるの?
数学でいう実数の連続性が時間にもあるかってことだけど
>>335 スレタイのことですよ。時間的空間的あれ?何の実在性?
ところで・・・
木は何本揃えば森になるのでしょうかね。
森と木は違うのですかね。
人は何歳までが子供で何歳以降が大人なんでしょうかね。
例外はないんですかね。
風景が移り変わるように名前は移り変わりますけどそれは車窓から見た自分がいるからですよね?
335 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 11:07:12 0
>>334 >誤解させてしまったみたいです。
いや、
>>332は俺流の勝手な定義ですから気にしないでください。
「実在」「実存」に別様の定義が有ることは了承しています。
>どちらも存在をわざわざ区別して存在の多義性を回避するためにそう呼んでいるだけです。たぶんね。
同意します。
前言ひるがえしすぎててワラタw
無知な独学未満の人間が知ったかでディベートごっこするオナニーの集積が哲学板の惨状の直接的な原因だなw
340 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 15:03:12 0
>>334 ヘレンには聴覚がなかったので「赤いバラ」と言われても聞こえません。w
彼女が括弧つきではあれ、『実在』に触れ、そこから意味(概念)に到達
しえたのは触覚という窓が開かれていたからでしょう。
彼女の味覚はどうだったのですか。
341 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 16:03:41 0
>>339 >前言ひるがえしすぎててワラタw
私なら前言ひるがえしたわけじゃないぞ。
ただ別様の定義も知っている、といっただけ。
自分の主張をするだけではディベートにもならない。www
342 :
710:2007/11/22(木) 20:51:23 O
時間は存在しているのは明らかである。
なぜなら我々は動いているからだ。時間に関する考察はこの事実から出発せねばならない。
次元について簡単に示そう。
一般に数学では一次元つまり直線はx軸方向への拡がりと示される。
二次元つまり平面はx軸方向への拡がりがy軸方向へ重なり、
拡がった状態である。さらに、三次元つまり立体とはx軸y軸方向への拡がりが高さをもち、
z軸方向へ拡がり重なったものである。さらに四次元とはx軸y軸z軸方向への拡がりがt軸方向へ重なり拡がったものである。
t軸とは時間軸である。時間軸がなければ、静止した世界に閉じ込められることになる。
一般的に次元に関する誤解を以下に示す。
ここでは話を簡単にするために、二次元の世界を用いる。ただし、x軸y軸の平面上に拡がりをもつ二次元ではない。
x軸がt軸の方向に拡がり重なっている二次元である。
x軸のみをもつ直線の一次元世界では、x軸上にある点aは移動することはけしてない。
移動とは時間が存在しなければできない。だから静止した世界である。
しかし、x軸とt軸(時間軸)を有する二次元では時間が存在するので動的な世界である。
343 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 21:06:52 0
>>342 >なぜなら我々は動いているからだ。
静止していても時間は推移する。
空間がなくても時間は存在可能では無いか?
344 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:25:07 0
>>343 それは 思い過ごしだと思う。何の動きもない静止した空間で時間が存在しているとして
例えば 1時間前 と 2時間前 に全く差違がない。人間の精神活動も停止している。
そのとき時間の存在を示す現象は何一つ思いつかない。時間存在を認める足がかりがない。
345 :
710:2007/11/22(木) 21:32:50 O
続き
ところで、我々は三次元を自由に移動できるがt軸(時間軸)方向には、プラス方向にしか移動できない。
我々は右、左に移動できるのに、時間軸は過去から未来にしか移動できないのはなぜか。
先程のx軸とt軸を有する二次元世界にもどろう。
まず、数学でいうxy平面を思い浮かべてもらいたい。この平面には縦方向(y軸)と横方向(x軸)がある。
この平面では、縦軸および横軸の単位は、センチメートル、フィート、尺等で示される。
次に、xt平面を考えよう。横軸(x軸)と縦軸(t軸)の平面図である。横軸の単位はセンチメートル、尺等かわらないが、縦軸(t軸)の単位は、分、秒、週、年等になる。
今、x軸上の点aが一時間かけ10q移動した。これは、t軸上の点aが10qを一時間で移動したということに等しい。
では、皆さんに質問です。この点は横軸を右左どちらの方向に動いたのですか?縦軸を過去未来どちらの方向に動いたのですか?
絶対に答えは出ないだろう。事実はその点はある一定で特定のx軸t軸方向に動いたということである。
我々は錯覚しているに過ぎない。実はt軸と同じようにx軸も一定方向にしか移動できないのである。
346 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:43:22 0
>>345 >x軸上の点aが一時間かけ10q移動した→点は横軸を右左どちらの方向に動いたのですか?
これは ベクトルは 斜めに向くんじゃないの?
347 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 21:51:34 0
>>344 ということは「時間」は人間の意識の産物だということ?
人間がいなければ時間は存在しないという人間原理に基づくわけ?
科学では人間どころか生命の発生前から時間は存在していたとされるね。
348 :
710:2007/11/22(木) 21:53:22 O
>>344 惜しい。時間自体は存在する。時間軸(t軸)がないけれども、x軸が存在するように。
ただ、x軸がない以上、あなたの言ったように、時間の経過がない静止した世界なんだ。
ちなみに時間軸とは経過を表すものではないんだ。二次元のy軸はx軸方向に対しての拡がりや重なりを示すのと同様に、時間軸(t軸)もx軸がt軸方向に重なったものにすぎない。
少し難しくなるが、時間概念があるx軸、つまりx軸上を点aが移動するようなx軸とt軸からなる二次元があるなら、
逆にt軸がx軸方向に重なったものともいえる。
>>347 というか時間を認識することは可能であったり不可能であったりするんですよ。
時刻はあくまで間接的にしか知り得ない。つまり「お前が考えている時間は錯覚だ」と言われても
直接的に反論する術はないです。
そういう時間ではない?あら、それは失礼というお話。
だけどそういう時間に対して実在を求めて何か意味あるんですかね。(素朴な疑問)
ヘレンケラーに手紙を書くようにもっと思弁的に。
350 :
344:2007/11/22(木) 22:09:26 0
そうではない。人間がいなくても時間は存在するだろう。しかし空間内の全ての動きが停止したとき
時間の存在を保証するものは何もないのではないか。例えば仮に空間内の動きが無くても時間があるとして
今 空間内の全ての動きが静止し、1時間後 動きが再開する。この静止した1時間は宇宙に何らかの痕跡を
残すだろうか?このあいだにも時間が進行していたことを示す何かがあるだろうか。私の言い分は人間原理なのだろうか。
そもそも科学が人間の意識・認識から成立しているのに ちゅう氏の言い分では科学そのものが人間原理という論理だ。
なのに「科学では〜とされる。」などというのは 話が混乱している。
351 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 22:12:43 0
>>349 >そういう時間ではない?あら、それは失礼というお話。
いいえ、そういう意味の「時間」なら「実存」する、という表現
がぴったりですね。(
>>332の定義参照)
意識する時間は実在ではないが実存するでいいでしょう。
>>350 えと、ここは哲学板のスレなので哲学的にどぞー
スレタイ変なんでアレですけど。
>>351 えと、「実存」というのは喩えとして例示しただけで全く不適切だということ。
(同意して頂いたはず?)
354 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 22:19:11 O
>>346>>347 少し違うな。
過去を過去とし、未来を未来としているのは人間なんだな。
例えば、我々は、xyz方向きに自由に動けるがt軸では過去から未来にしか動けないと錯覚している。
例えば時速10qで飛ぶボールは、x軸y軸z軸方向に自由に行けると思ってはいない。
ボールに心がないとかじゃなくて、一時間後に自分(ボール)が何処にあるか、正確に知っている。単純な物理の法則だね。
ところが人間だけは、物理の法則を破って、xyzの様々な方向へ自由に行き来できると思いこんでるんだ。だからこそ移動という概念が生まれる。
そして、移動に対応した時間の概念が生まれる。
355 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 22:27:14 0
>>350 >しかし空間内の全ての動きが停止したとき
だから論理的には時間を前提にしてはじめて「全ての
動きが停止した」といえるのではないか?
「停止」は時間の概念を含んでいるんじゃないの。
時間抜きで運動・停止や変化・無変化は語れないでしょ。
「科学では・・・」は「物理学的な時間」ではということです。
人間の意識する時間と別に考えているということ。
この物理学的な時間は時計で測られる時間でちゅうは以前のレスで
物理学的時間は「実在」する、としています。
相対性理論では4次元時空で時間と空間は結局一体のものだから
空間が実在するなら時間も実在する、でちゅうの定義でも矛盾は無い。
356 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 22:29:53 0
>>353 意識する時間は人間の生と一体だから「実存」でいいじゃない?
永遠の「いま」です。
357 :
346:2007/11/22(木) 22:31:15 0
>>354 単純な質点の2体問題ならともかく ボールの運動を人間が正確に予測できるわけではない。
明日の天気さえ 人間には正確に予測できないのだ。未来が決定か非決定かは現代科学でも不明だ。
358 :
710:2007/11/22(木) 22:34:13 O
>>344 時間とはx軸と同じようにあつかわれねばならないのだよ。なぜなら全部次元なのだから。
t軸とx軸について考えよう。
もしx軸しかなかったら、x軸上の点aは移動しないね。なぜなら時間がない。だから、静止したままなんだ。
同じようにもしt軸(時間軸)しかなかったら、t軸上の点aは移動しない。なぜなら、移動する距離が存在しない。
時間が存在するかしないかは、その次元が時間軸に特定されてるだけで、x軸が存在するかと問うてることに等しいのだよ。
359 :
344:2007/11/22(木) 22:38:18 0
>>355 >「停止」は時間の概念を含んでいるんじゃないの。
もちろんそうだ。だから「時間があるとして」と仮定している。その上で
ちゅう氏の主張には根拠が無いといっている。つまり「運動が停止したときに時間が存在しない」
ということを反証できない と 俺は言っている。
360 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 22:39:04 0
>>354 >過去を過去とし、未来を未来としているのは人間なんだな。
確かに人間は「過去はあった」「現在はある」「未来はくるだろう」
と時間の流れを意識しているね。
しかし物理的な時間も宇宙の膨張する方向とか熱力学の第二法則の
時間の矢で時間の流れの方向を決めているね。勿論これは人間の意識の
時間の流れの方向と一致している。
361 :
344:2007/11/22(木) 22:46:27 0
>>355 相対論は空間と時間が一体だと主張していないと俺は理解している。
相対論は 空間の電磁場・重力場と時間とを関連付けているだけ。空間と時間の存在はその前提として
必要とされる。空間があれば時間も存在すると主張しているわけではないと思う。
362 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 22:48:59 O
>>357 うーん、違うな。
運動するボールは、理論上ではあるが、正確に一定時間後の位置は予測できる。
本当に単純なモデルなら予測できる。
それに比べて、天気予報は複雑なモデルだ。まだ科学は完全なモデル構築ができていないというのが正しい。
そして、人間のモデルとなると、はなはな複雑であるのはいうまでもない。人類が何億年かけても解明できない。
ただ、解明できないのと、物理的法則が存在しないのとは全く別なのだよ。
話それたが。
>>361 空間と時間は互いに独立して語れないという証左では?
寧ろ今日的には空間と時間を分別して別に扱うのは便宜上の概念操作(捨象抽象)。
空間を語るとき時間がむくむくと湧いてくるし
時間を語るとき空間がもわっと広がる。
これでいいと納得してたけど間違い?
364 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 22:51:45 0
>>359 単なる論理の問題だよ。
>「運動が停止したときに時間が存在しない」
この文には矛盾が有るから間違いだろ。
停止した「とき」といいながら「時間」は存在しないとは?
時間が0とうい意味?停止したままなら0じゃないよね。
365 :
346:2007/11/22(木) 22:56:05 0
>>362 複雑うんぬんの前に 質点が3体になっただけでその運動は完全に正確には計算できない。
ところでここで無謬に語られている座標らしき概念はどこを原点にしているんですか?
特異点?
367 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 22:58:11 0
>>361 相対論で時間と空間を結びつけるのは光速一定の原理だね。
観測事実からはハッブルの法則と宇宙背景放射などから
相対論を基にしたビッグバン宇宙論が定説になっているね。
これが正しいとすれば時間を遡れば空間も小さくなるね。
時間と空間は一体だろ。
368 :
344:2007/11/22(木) 23:02:27 0
>>364 「とき」は条件を意味している。意味を汲んでもらえることを期待する。
「時間が存在しない」とは「時間が停止する」と修正したいが それでどうか。
369 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 23:04:05 0
>>368 >「時間が停止する」
おい、おい、あわてなさんな。
時計は止まっても時間は停止しない。
370 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 23:04:20 0
>>366 ああんw、それまだ言っちゃらめぇww。
371 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 23:05:10 0
相対論では、時間と空間は全く独立した次元ではないよ。
大雑把に言えば観測状況により時間が空間にシフトしたりする。
373 :
710:2007/11/22(木) 23:06:47 O
>>360 宇宙の膨張の方向もすべて、人間がつくった時間という概念の話のなかにすぎないのだよ。熱力学もしかり。
そのなかで人間は未来は変えられると信じ込んでいる。
結局これはxyz方向へ自由に行動できるという思い込みから生ずるものなんだ。
374 :
344:2007/11/22(木) 23:17:08 0
>>367 >これが正しいとすれば時間を遡れば空間も小さくなるね。
時間と空間は一体だろ。
時間をさかのぼることで 時間が小さくなっているのならその論理もありだろうが
ちゅう氏は「時間を遡ること=時間が収縮する」との考えなのか?
375 :
710:2007/11/22(木) 23:24:45 O
>>344 そのとうり。相対論は重力等と空間の存在を関連づけたんだ。
でもなぜそんな面倒くさい作業をしなかったか分かるかい?
それは時間という次元をメジャーで測れなかったからなんだ。
我々は一般に3次元に住んでいる。時間は別として。我々の世界は縦横高さはメジャーで計れる。
二次元(時間軸は別として)の住民を見てみよう。彼らは縦と横は測れる。でも高さは計れないんだ。z次元は理解できないんだ。
でも、彼らは本当は3次元の住人なんだ。xy平面と時間軸(t軸)の住民だね。なぜなら、彼らの世界は動いている。
だから、かれらは第3の次元(時間軸)を調べたんだ。
我々も同じだ。第四の次元はメジャーでは計れなかったんだ。
376 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 00:13:35 O
誰かが言ったが、空間も縮小すればすれば時間も縮小するね。
誰かが言ったが、座標の原点はどこ?と。君自信だよ。
以上のことは関係ない。私が言いたいのは、時間が進んでいるように感じているのは、貴方は思い込みが激しいということである。
本当に簡単に述べるなら、あなたの今の行いは、物理法則に乗っ取った一現象にすぎない、ということである。
その科学的現象を、あたかも自分は科学的法則から独立した存在だと錯覚し、
あたかも自分は未来を切り開けると思うのは人間特有である。
もし、貴方が全速力で路地を走っていたとする。見通しの悪い曲がり角から、少女が飛び出してきた。貴方は避けれますか??
運命とは何か?
物理法則、科学法則である。
貴方はきっと少女に激突する。激突しないのは貴方に都合のいい条件が整ってあるからにすぎない。
377 :
344:2007/11/23(金) 00:17:43 0
>>369 だから「運動が停止すると時間が停止する」を反証できないと 俺は主張している。
宇宙のあらゆる動きが停止しているとき 時間だけは進行している根拠は ちゅう氏の信念に過ぎない。
378 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 00:38:53 0
宇宙のあらゆる動きが停止しているなら再び動き出すプロセスも当然停止している。
となると時間は停止していると言いうる。
宇宙外部の神の一突きなどを考えないならば。
ここでは 所謂 哲学的な だるまさんがころんだ 遊びをしている
みなのやりとり見ていると子供の頃からの疑問を思い出すんだが
どーしてもビッグバン理論が理解できなかったんだよなあ(今でもだけどw)
宇宙誕生前に時間はあったのか?という疑問と
無の状態なはずなのに何がビッグバンの要因になりえたのか?という疑問とで
それだけなんですけどねw
382 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 06:46:47 0
>>381 貴方の疑問はまっとうなものだよw。
だ〜れもわからないから、ひもだM理論だとみんな苦労してるんだw。
383 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 07:56:38 0
>>377 >宇宙のあらゆる動きが停止しているとき
こっちのほうが実際に「ありえない」妄想だと思う。
だから、そのとき時間がどうなろうと知ったこっちゃ無い。
384 :
344:2007/11/23(金) 08:02:10 0
>>383 では
>>343の君の主張「静止していても時間は推移する。」
これは撤回すると言うことだね?
385 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 08:03:21 0
>>381 もっと素朴な疑問もあるね。
宇宙が膨張してるってその外には空間が有るんだろうか?
何も無いところへ空間が広がっていくんだろうか?
空間が有限ならその境界は有るんだろうか?
空間が無限ならそれ以上考えようが無いからいいんだけど。
落語の「浮世根問い」を思い出すね。
386 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 08:07:23 0
>>376 >もし、貴方が全速力で路地を走っていたとする。
「全速力で走らない」という行動の選択も出来ると考えるのが自由意志だね。
それが選択できない物理法則でも有るの?
387 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 08:11:29 0
>>384 「知ったこっちゃない」はかっこつけて言えば「不可知」ってこと。
分からないことには沈黙する。
388 :
344:2007/11/23(金) 08:13:17 0
哲学と物理の違いがわからない香具師ばっかりだな。
このスレは。
390 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 08:25:33 0
物理も昔は自然哲学といったね。
たいした違いがあるわけじゃなだろ。
というか、そんなこといちいち分けるのも
面倒なだけで無意義だろ。
391 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 08:32:57 0
>>388 ちゅうとしては撤回する必要を認めないね。
あしからず。
392 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 08:38:06 0
無知な独学未満の人間が知ったかでディベートごっこするオナニーの集積こそが
まさに歴史上で唯一、哲学と呼称されてきたものなんだよ?
甘いな。
物理学、心理学、化学・・・違うんだよ。
物理と哲学の違いがわからないとプロとはいえないよ。
394 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 09:04:23 0
すまんなw
俺はM理論の専門家だよ
395 :
711:2007/11/23(金) 10:00:20 O
>>386 物理法則といわれるもので彼は全速力で走ったわけではないが、彼の周囲に存在するあらゆる事情が、彼を全速力で走らせた。
彼の周囲に全速力で走らずにはいられない状況が整い、彼は走り出した。彼の意思が走るように仕向けられたのである。
逆に彼がその場にとどまったとしよう。彼がその場にとどまったのには、そうする理由があり、その理由等によって彼はとどまらざるをえない環境が整っていたからだ。
あたかも自分自身に自由意思があるかのように錯覚しているのは人間固有だ。
ところで、あなたは昨日夕食を食べましたか?もし食べたなら、貴方が夕食を食べるその以前から、
貴方が夕食を食べるように、貴方と周囲の環境が整っていたはずである。
そして、貴方は強制的に夕食を食べさせられた。他の可能性など存在しなかったはずである。
396 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 13:20:43 0
>>395 結局「彼を全速力で走らせた」動機は不明ということですね。
それが時間・空間の実在性にどう関係するの?
397 :
344:2007/11/23(金) 13:32:24 0
>>396 横から口出して悪いが
>>395の言ってることは 未来が決定か非決定かという
時間の有り様を考える上での重要案件ではないのか?
自由意志がどこまで自由なのか、あるいは自由と感じてるだけの幻想なのか
ちゅう氏は疑問には思わないのだろうか。
398 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 13:38:57 0
>>397 因果の法則を考えるなら既に時間という概念が前提
されているのではないか?
時間が虚構なら因果の法則も虚構だと言いたいのですか?
決定論のことなら別のスレがあるでしょ。
399 :
344:2007/11/23(金) 13:48:13 0
>>398 因果の前提に時間の存在が必要かどうか俺には分からない。
時間の前提に因果が必要といえる可能性もあると感じる。
後半の「時間が虚構なら因果の法則も虚構」は何の話なのか?
時間が虚構など俺は言っていない。
400 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 15:46:14 O
>>396>>397 話は多少それた感は、本来は時間も空間と同じように扱われなければならないと言うこと。
因果関係は時間を前提としているし、忘れてならないのは空間も前提としているところなんだ。
我々の住むこの世界は、因果の法則によって成り立っていて、時間と空間が前提として存在しなければならない。
>>398 それはあくまで思弁的な時間。実在の時間とは無関係。
そもそも時間の実在性を問う事がナンセンスなのだが。
逆にヒュームが指摘するようにそこに因果を見て人が分別しているに過ぎない。
402 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 16:31:54 0
根拠のない断定とか 過去の哲学者の名前とか 説明なしに哲学用語とか出してる時点で
哲学としての作業を放棄してるんじゃねーの。
403 :
400は710:2007/11/23(金) 16:32:17 O
まぁ、簡単にいうなら、因果関係のある出来事は、時間と空間がなければ起こりえないが、逆に因果関係のある出来事があなたの目の前で起きているなら、そこには空間と時間がある。
404 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 16:38:53 0
>>403 空間と因果の結果、時間が「生成する」とはいえないのかな?
405 :
710:2007/11/23(金) 16:51:26 O
空間と因果を想像してもらいたい。
空間だけなら、どんな物質も移動できない静止した世界になってしまう。
誰かがいったが、時間の実在性を考えるのはナンセンスだと俺も思う。
ただ、なぜ考えずにはいられないのかという問題には興味があるな。
406 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 17:38:02 0
>>401 >そもそも時間の実在性を問う事がナンセンスなのだが。
これは「時間は実在しない」ということですか?
「実在の時間とは無関係」、と言ってるから「時間は実在する」
でしょうね。
「時間の実在性」を問うことはナンセンスとは「イルカは
歩けるか?」と問うような質問で無効だということですか?
これだと時間と実在性がカテゴリミステイクと思われるかな。
「時間は実存する」ならどうですか?
単純に「時間はある」「時間がない」と言うのは問題ないですね。
「時間が存在する」も問題ありそうだし。
407 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 17:43:17 0
>>406 時間は現象から独立しては存在していない。
例えば物体が静止しているのを観測したと仮定する。
それは時間が進行しているにも関わらず物質が静止しているのか時間が停止しているためか
判断できない。
判断できると主張するのはこちらが時間が停止した状態では観測できないだけのこと。
>>406 つまり素朴に実在は時間と空間を前提しているに過ぎないということ。
前提をその命題関数で解くことは無意味だと思う。
で、物質が存在しているということは物質に空間上の広がりがあり大きさがあるということ。
大きさのない座標原点は便宜上そこにあるだけ。
我々が宇宙と呼ぶときそれは内側からしか見ることはできない。
外側はどうなっているのか観測しようがない。
それにも関わらずこの宇宙を含むもっと大きな世界がありそこから見て宇宙には
時間も流れているし空間も実在しているはずだと言っても何も言っていないのと同じ。
412 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 18:14:42 0
ちょっと前までは宇宙の果てなんて未熟な人が信じているだけの空想だと思われていた。
宇宙は果てしなく無限に広がっているはずだとする宇宙論からはこの空間に果てはないと
信じられていた。
でも空間のない世界(宇宙の果ての先)も想定しなくちゃならなくなった。
414 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 18:21:31 0
「空間が実在する」は物質が実在するからで問題ないですね。
空間については実在性よりそれは有限なのか無限なのかという
こと我問題でしょう。
有限ならなんでその外側が見えないのか?
無限なら「限りの無いものが実在するとはどういうことか?」
が問題になるでしょう。
「時間が実在する」ことについてはやはりそれが外在する、すなわち
私たちの意識や感覚とは独立に時間が存在していると確かめようが
無いことが問題になります。
>>412 時間や空間が実在していると主張することは宇宙が実在していると主張しているのと同じ。
だから実在性を肯定し得るかと言えば答えは否。
何故ならば宇宙の実在性の為には時間と空間を前提しなければいけないから。
宇宙の実在を説明するときにこの時間のこの空間に実在していると言うしかないから。
実在している宇宙がある時点で実在していなかったりある時点で消えたりしても問題
ないのは実在性が時間と空間によって規定された概念だから。
それから実在論でいう実在は我々がここで直感的に「実在」と呼んでいる概念とは逆。
実在性というときは実在論の用語であることが前提されている。
ヘレンケラーに手紙を書くように。
ここが本当は一番大事。
418 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 19:53:21 0
>>418 それを規定してから始めないと無謬に素朴実在論を主張されても意味がない。
議論の前提として素朴実在論の実在という観点で単に意見交換している。
ただそれは哲学ではないのでわざわざ実在と書いて存在と区別する必要はないものと思われる。
で、時間や空間の実在性がナンセンスだという理由は何か実在するものを分解して
時間や空間が出て来るかという問いと同じ。
このように実在の部分ではないのは明白だ。
その上で残るは独立した時間や空間というものが実在するか否か。
そんなものはない。
我々が時間というとき抽象的な概念として使う場合を除いては時間とはこの時間あの時間
というように個別の具体的な時点(時刻)を示すしかない。
同様に我々がこの空間あの空間というとき空間上の位置を示すしかない。
では空間を宇宙空間に置き換えればどうか。
それは存在していると考える。
何故ならばその宇宙空間は無ではなく物質に満ちあふれていてしかも境界線があるからだ。
つまり最も巨大な物質全体を示しているに過ぎないと言える。
時間も同様。
つまり物質と結び付いて何やら独立して実在しているような気になっているだけ。
420 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 20:58:47 0
>>419 文章が上手くてよく分かるんだけど やっぱり最後の所で「実在しているような気になっているだけ」ってとこが
このスレを通してなんだけどずーっと曖昧で 何故 また どういう様態で 精神は「実在しているの気になる」のかって
ところを教えて欲しいなーって思ったりして。
>>420 「独立して」というところが重要でして。
即ち簡単に言えば時間も空間も存在していないはずだとする宇宙の果てのその先も
頭では考えることができるということが重要なんだと思います。
我々が抽象的な概念として直感的に把握している時間や空間というものは依然果てがない。
これがここでよく挙げられるビッグバン宇宙論とかいう話に沿った意見。
素朴な実在としては根拠なく時間や空間を前提しているけどそれは物質が実在するため
だし上に挙げた頭の中の無限の時間や空間が宇宙の時間や空間をすっぽりと飲み込んだ
としてそれぞれの差異を我々は決して区別しているとは言えない。
依然として位置と時点を示しているに過ぎないのですから。
実在と認識との差異が明確にありしかもその差異を上手に説明できないけどそういう概念を
前提して(或いは観念として前提して)我々は考えているんでしょう。
だから僕は時間や空間は実在の前提と考えるようにしています。
422 :
420:2007/11/23(金) 21:26:55 0
>>421 ですます調で書かれると 恐縮しますです ので である調でOKです。
で
>時間や空間は実在の前提と考えるようにしています
これはつまり 「実在」を考えるには その前段階として 時間・空間が「道具」っていうか「入れ物」っていうか「条件」
として必要って意味で良いのかしら?
>>422 はい。
その理由は単純に何かが実在するということは位置と時刻が限られているから。
万物流転。(ですます調は気にしないで下さい)
424 :
420:2007/11/23(金) 21:44:09 0
でもね 人間が世界を把握するために作った道具って空間・時間に限らないでしょ?
数とかさ これは宇宙には「実在」しないものってことでOK?もしそうだとして
図形とか言葉もそうかも。数とか図形とか言葉に対して空間・時間っていうのは
そのありようとか レベルっていうのか そういう差違はあるのかしら?なんて思ったりして。
ま独り言なんで 受け流してちょ。
425 :
420:2007/11/23(金) 21:48:42 0
>>423 おっ ありがとうっ。
レス無いと思って 独り言書いちゃったよ。ま無視してちょ。
いい線行ってるのもちらほらいるが、基本的におまいら哲学に興味ないだろ?
最低でもカントかフッサールを論破した上でないと実在について語る方法はねーだろーにw
自然科学だって別に実在について語ってるわけじゃねーし
そもそもハイデガーですら乗り越えられなかった超越論をお前らに構築できるわけねーwww
427 :
420:2007/11/23(金) 21:57:01 0
>>426 おおっ ビッグマウス!よっし 哲学者はもっと謙虚でないといかんよ。
君は 全然 いい線行ってないよ。
>>427 そんな定番の煽り返しされても嬉しくねーよw
だいたい謙虚な哲学者なんかどこにいるんだかwww
まあ議論だけが目的の、哲学書を読んですらいない奴等に言ってもわからんだろうがなw
否定するならカント以降、実在そのものについて語ることに成功してる哲学者の名前を挙げてみー
フッサール、ハイデガーが接続試みて繋げられなかったのが実在なんだぜ?
議論好きのニートでもこの問題解けたら歴史に名前が残るから頑張れwww
429 :
420:2007/11/23(金) 22:11:33 0
>>428 ふふっ君は哲学史には詳しそうだが(といってもカント・フッサール・ハイデガー程度だが) 哲学はできないんじゃない?
文章が 頭悪そうだもん。君みたいな文章書く奴がピンクチャンネルにいっぱいいるよ。
ひょっとして風俗業界の人?
>>429 この程度のレスに「君は哲学史に詳しそう」とか言っちゃう自分の無知さを恥じろよwww
そーゆーのが哲学板をニートの喋り場レベルにしてるって気づけwww
ま、実在について語ることができてる哲学者の名前を挙げられない時点で敗北と見なすよwww
頑張ってマイ哲学という名の自慰を見せ合う変態の集いで生きてくれやwwww フヒヒヒw
>>428 その辺りは読んでも参考にならない。
ここで議論されている枠組みが超越論でもなく実在論でもないから。
時間だけは根源的な能与があるという話も関係ないとスルーされて今日に至る。
>>431 それじゃ哲学でもなんでもないじゃまいかw
いや、隔離スレだからわかってるけどさw
ただ、時々そうやってスルーされてるツッコミの中にまともなのがあるから、
こうやって誰が哲学やってる奴で、誰がやってない奴なのかを焙り出したくなるんだな
>>432 永井均の「子供のための哲学」をおすすめする。
>>433 永井はニーチェ理解に異があるので避けてる
その本は読んでないから知らんが、存在論の話だっけか
ま、機会あったら読んでみるお
つか、スレ違いになってきたな。消える
こいつ 多分 俺の知ってるやつだな。
436 :
420:2007/11/24(土) 09:55:05 0
永井均の「子供のための哲学」にはこう書いてあるよ。
「哲学といえば、たいていの人は、ソクラテスやプラトンからデカルト、カントをへてハイデガー、ヴィトゲンシュタインに
いたる西洋哲学史上の人物を思い浮かべるようだ。そして、哲学を学ぶとは、そういう人たちの書いたものを読んで、理解
することだと思っている人が多い。しかし、そういうやり方で、哲学の神髄に触れることは、絶対にできない。・・・
・・・他人の哲学を研究し理解することは、哲学をするのとはぜんぜん違う種類の仕事である。
哲学というものは、最初の第一歩から、つまり哲学なんてぜんぜん知らないうちから、何のお手本もなしに、自分ひとりで
はじめるのでなければ、けっしてはじめることができないものなのだ。つまり、哲学の勉強をしてしまったら、もうおそいのだ。
勉強は哲学の大敵である。」
このスレは いろんな価値観があって いいスレだと思うよ。俺も自分の知性を信じてるよ。
437 :
710:2007/11/24(土) 10:27:27 O
素朴実在論?
携帯環境なので、調べられん。あと始めに言っておくが私は哲学をかじったことはない。
直感的に物質が実在するというのが素朴実在論?
素朴実在論ではない実在論は、物質が実在するかから始まるわけ??
もしそうなら、前に、時間の実在性を問うこはナンセンスと言ったが、取り消そう。
直感的に実在する物質も認めなかったり、空間も認めないなら、当然時間も問題になりうる。
438 :
710:2007/11/24(土) 11:29:13 O
実在論(???哲学しらんので検討違いかわからんが)について考えてみた。
究極的に実在論は、自分を含めた現象が実在するかどうかということ??
「自分は実在する」から始まってるの??
「我思う。故に我あり。」????
私の周りの出来事、現象は、その現象が実在するか否かに関係なく、私が理解しているにすぎないということ??真に実在しているのは自分自身だけ??
いや、違うな。無理がある。私自信すら実在している根拠がない。私が実在するか否かに関係なく、私が思い込んでるだけだな。
出発点は、私自信の実在性だ。そして、理論を構築して時間の実在性に到達するだろう。
いやこれも違う。私も現象の一形態にすぎない。特別視するのは科学的ではなく、宗教的だな。
現象の実在性を考えてみよう。
切り口がわからんな。。
現象について考えよう。ある現象の観測者は私だ。その現象には二つの可能性があるな。
一つは現象が実在している可能性。もう一つは私がその現象を実在するか否かに関わりなく思い込みによって、直感的に実在していると感じている可能性。
後者が、素朴実在論???
前者なら、そもそも問題にはならない。これ以上立ち入る必要はない。
我々が問題としているのは後者だ。さらに後者を見てみよう。
439 :
710:2007/11/24(土) 12:17:50 O
後者。「私がその現象を実在するか否かに関わりなく思い込みによって、直感的に実在していると感じている可能性。」
後者はさらに二つの可能性がある。一つは、「現象が実在し、私が直感的に実在すると思い込んでいる」可能性。一つは、「現象が実在せず、私が直感的に実在すると思い込んでいる」可能性。
前者の可能性では「実在する現象が、思い込ませる存在」として実在するから問題はない。
しかし、後者の可能性は甚だしく問題だ。
実在しない現象を、実在すると思い込むことは可能か?
実在しないなら、いったい何が私にそう思い込ませるのか?
二つの可能性がある。
一つは、「かの現象とは独立した何かが実在している」可能性。この場合、「何か」とは、「かの現象」とは異なる「現象b」に他ならない。「かの現象」を「現象a」としよう。
この可能性では、現象aが実在するかに関係なく、現象bが「私にそう思い込ませる存在」として実在する。
二つ目の「私はそう思い込める存在」として実在する。
ここまでで解ったことは、様々な可能性があるが、この世界には何かが実在することである。
440 :
420:2007/11/24(土) 14:10:50 0
>>439 おおっ すごい。
でもさ その「現象a」と「現象b」が世の中に「ある」として
ある現象がそのどちらなのか それを見分ける方法 あるいは そんな方法があるのかないのか
ってのも重要なんじゃ・・ って言ってみたりする。
>>437 素朴実在論て一般的に信じられている外の世界はあるっちゅう考え。
哲学というより常識の世界のこと。
哲学はかじるもんじゃなく対話するもんじゃけん。
哲学書を読んで勉強したというより著者と対話することが大事じゃけん。
単に実在といった場合哲学者でも恐らく検討が付かない。
>>438 話は横道に逸れるが「我思う」の「我」を思う「我」は先行してある。それが実存。
キルケゴール、ニーチェ以降からはそういう流れ。
ここで議論されてる実在性はたぶんそれとは全く関係ない。
ちゅう氏は解説本を盛んに読んであれこれ書いているけど恐らくそれら解説本をきちんと
理解してないからあれやこれやと疑問ばかりが膨らむ。(疑問が膨らむこと自体はOK)
ここで注目。現象の対義語は本質であるということ。(国語)
そうそう後者だ。(ということにしておかないと議論のしようがない)
>>439 例えばある人が正常なのか気が狂っているのかをどうやって判断したらいいのか。
445 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 18:46:59 0
>>439 >ここまでで解ったことは、様々な可能性があるが、この世界には何かが実在することである。
楽しんで読ませていただきました。
「この世界には何かが実在する」は確かに素朴実在論です。
でも「世界」とは「世=時間と「界=空間」と同義語でつまり
「時間・空間は実在する」を前提しています。
ただ「何が実在するのか?」と考えることは「実在論」です。
ここで議論したいのは時間・空間が実在するか?
だから「世界は実在するか?」や「宇宙は実在するか?」と同じ
問題です。
「私は実在する」でもいいでしょうね。
デカルトのように私の本質は思考・精神とするなら、その産物の
「観念こそ実在する」となる観念実在論でしょうね。
>>445 ツッコミ失礼。
デカルトのは彼自身が言うように心身二元論という概念(モデル)かと。
447 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 19:23:35 0
>>446 でもデカルトにとっての「私」の本質は「心」じゃないの?
「我思う故にわれあり」が第一原理だから。
448 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 19:29:01 0
>>444 それは簡単なことだ。
「酔っ払い」に限って「俺は酔っ払って無い」という。
それと同じことだ。
ちゅう氏の頭の中のデカルトは物質の存在を否定しているんですね。
450 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 19:31:41 0
>>449 「二元」論と言うことを理解できないの?
本質が二つ有るから二元論でしょうが。
452 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 19:38:42 0
>>451 ごめんなさい。
酔っ払ってるのはちゅうでした。
あるちゅうのちゅうとも言われた。
本来は中論好きのちゅうだけど。
453 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 19:54:28 0
>>409 >つまり素朴に実在は時間と空間を前提しているに過ぎないということ。
「実在」をどのようなことだと思ってるの?
つまり「本当にある」と言うことは時間と空間に関係なく「いつでも・
どこでも、ある」物事こそ「実在」とは言うめれ。
係り結びがおかしいか?
455 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 20:12:04 0
>>419 >つまり物質と結び付いて何やら独立して実在しているような気になっているだけ。
「物質と結びついて、実在しているような気になっている」のが「時間・空間」
であるが、それらは独立して、すなわち物質を離れて時間や空間だけで実在する
ことは無い。
だから「時間・空間は実在しない」と言うのがあなたの結論ですか?
>>455 素朴な実在論で考える場合、ここでの文脈上、少なくとも時間や空間は単なる前提で
扱うべき実在とは区別せざるを得ないということ。実在するとは時間上かつ空間上の
どこかに実際に存在していることだから。
それでも空間や時間の実在性を問うのであればもっと別の考え方が必要。
例えは悪いけど最初に第一原因の神が存在していて時間や空間を先ず用意しました
という考えるのなら別。摩訶不思議だけど。
相対論とか量子力学とかどこまで理解して書かれているか知れない科学的(?)
な話題がときおり出て来るけどその宇宙も
>>419で書いた通り有限だと考えられて
いるし我々の悟性が想定し得る時間は有限などではないわけだから。
457 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 23:49:26 0
>>456 >実在するとは時間上かつ空間上の
どこかに実際に存在していることだから。
この「実在」の定義だと「時間・空間」がまず「あって」
はじめて(ものこと)が実在する、と言うことですね。
そしてその「時間・空間」の有様は「実在」ではないと。
また、ある時・ある所に偶然何かものがあっても、その
ものは「実在」するというわけですね。
そして常に時間・場所を指定しなければ「実在」は示せないと。
なにか「実在」と「現実」を同じと考えているようですね。
現実なら現在だけで過去も未来も無いと思うがそれでも時間と
言うのかな?
458 :
420:2007/11/24(土) 23:54:31 0
>>456 うーん。深いね。胸にぐっと来た。その知性でもう一歩前に進んでそこの景色を我々に見せて欲しいです。
それとも 人間にはここが限界だ と明確に示すのでもいいけど。
空間・時間が 世にある「存在」の前提だとしても どうして空間は3次元で人間に把握されるのだろう。
単なる入れ物とは言い切れない特徴を持っているような気がする。時間についてはよく分からないけど。
459 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/25(日) 10:30:59 0
>>458 時間・空間を前提しないと物事の実在は示せない。
その理由は万物流転。
「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」
これはこれで徹底するとかなり切ない実在論になります。
「いま・ここ」の実在しか認めない、唯識の刹那滅論みたいな
「実在」のあり方でしょう。
「いま、ここにリンゴがある。」が「実在」の記述です。
で、それが本当のリンゴかどうかはにおいをかいで、かじってみる
自分の五感を総動員して確認して初めて幻ではなく「本物」
となる。
物事が夢か現か幻か?と区別することは人生にも必要な知恵でしょう。
で、それを可能とするのが自分の直感ですね。
ところで「いま・ここに」と思うのは自分の意識ですね。
「リンゴがある」と認めるのは五感であるにしても、五感だけでは
「いま・ここに」は感じられないでしょう。
そして「いま・ここに」と思えるのは「さっき・あそこに」という
「記憶」があったからでしょう。
すなわち、時間・空間を前提するということは「いま・ここ」と
思える意識を前提にするということ、「意識」が無ければ「実在」
はないとなります。
460 :
420:2007/11/25(日) 13:33:19 0
ええっ ちゅう君 俺にレス付けてるの?いや俺456にレス付けたんだけど・・。アンカー間違ったのかな?
ま 俺で良ければ ちょっと独り言わしてもらうけど。全体の結論がよく分かんないだけど 結局 こういうこと?
「存在の前提である時間・空間は意識を前提としている。」ということかしら。
>すなわち、時間・空間を前提するということは「いま・ここ」と
思える意識を前提にするということ、「意識」が無ければ「実在」
はないとなります。
>物事が夢か現か幻か?と区別することは人生にも必要な知恵でしょう。
で、それを可能とするのが自分の直感ですね。
って言ってるけど これって直観がある現象を「現」と判断したら それは「現」ってことなのかな?
それはちょっとちがうと思うのよね。「現」は「現」特有の特徴があるんじゃないのかな?現象の再現性とか
持続性とか明確性とか精密性とか法則性とかさ。俺はねこれらの特徴は人間の外側にあるって立場にしておくよ。
意識がなければ人間は世界を把握できないのは そうだと思うけど、「意識が無ければ実在が無い」って
言っちゃうのは 身も蓋もないっていうか 言葉遊びだと 俺は感じるよ。
ま俺のレスなんてちゅう君は期待してないと思うんで 無視してよ。今日は天気がいいんで 俺は 夕方まで出かけるよ。
あっと 一つだけ ちゅう君は「意識」は「実在」だ との立場なのかな?気が向いたらレスしてちょ。
>>459 それは実在とは違い実在に対する認識の問題。
認識上の時間や空間はキャンバスのようなもの。
認識上の時間や空間は常に有限の実在+1と仮定していい。
すっぽり入る。
無限ではないし連続ではない。有限だし部分的。
462 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/25(日) 23:39:34 0
>>460 >アンカー間違ったのかな?
ごめんなさい。
>>459は
>>456へのレスのつづきです。
>「存在の前提である時間・空間は意識を前提としている。」ということかしら。
ちょっとちがうかな。
元々は「時間・空間を前提として事物が実在する」だったから、それは
おかしいんじゃないかとちゅうは思う。
「事物が実在するなら時間・空間は存在する」ではないかと。
まず事物が実在してるのを直感して時間・空間と言う概念が想定される
のではないかと。
>あっと 一つだけ ちゅう君は「意識」は「実在」だ との立場なのかな?気が向いたらレスしてちょ。
そうですね。ちゅうは「意識も時間も実在する」と言う立場です。
ちゅうとしては「意識も時間も実存する」のほうが表現として好きです。
463 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/25(日) 23:42:53 0
>>461 >それは実在とは違い実在に対する認識の問題。
そうです。実在する事物を直感で認識することが先で「時間・空間」が
意識により想定されるということ。
464 :
420:2007/11/26(月) 00:26:30 0
>>462 >まず事物が実在してるのを直感して時間・空間と言う概念が想定される
のではないかと。
なるほど。「事物」が先か「空間・時間」が先か・・・ニワトリとタマゴみたいだね。
これは決着がつくのかね?同時にってことじゃ駄目かね?ま俺の言うことは無視して進んでちょ。おやすみ。
>>463 何かがそこに今確かに実在していると思うということはそれが突然
その場から消えてなくなる心配はないと確信しているから。
ということは実在とは時間的かつ空間的にそこに連続してあるという
感じでしょ。
時間は日が昇り日が沈みその経過を感じているだけだし空間も
飛んできたボールを避けるときに感じているだけでしょ。間接的。
実在も感じ。時間も感じ。空間も感じ。
あるときあるところであるものが存在しているってだけの話。
もちろん時間も空間も認識できるんだから実在でもいいと考える
のはいいんだけどものと違って捉えどころがない。
時間と空間の感じはものの状態とか運動の方向とか同定したり
区別するのに便利なもの。そのものずばりは感じ取ることは無理。
僕が時間や空間を実在と区別して使うのは実在の前提になって
いる点と無限に広がった何もない空間とか無限に続く果てしない
時間なんて直観できないと思うから。もちろん理性ではそれらしい
ものを掴んでいるつもり。
466 :
考える名無しさん:2007/11/26(月) 08:01:42 0
おまいらはいつまで18世紀までの考えに囚われているのか。
467 :
420:2007/11/26(月) 08:33:43 0
>>466 君には ヤスパースの次の言葉を捧げるよ。
「哲学的思惟には、科学のように、進歩発達の過程という性格がないのであります。確かに、私たちは
ギリシャ時代の医者であったヒッポクラーテスよりもはるかに進歩しています。しかし私たちはプラトーンよりも
進歩しているとはいえないのです。私たちは、プラトーンに利用できた科学的認識の材料に関してだけなら、
彼よりも進歩しているといえる。しかし「哲学すること」それ自身に関していえば、おそらく私たちはもう一度
かれの水準に到達することはほとんどできないのではないでしょうか。」
ほんとうのことを求めて思考するのは すてきなことだと思うよ。君にもぜひ参加してほしいよ。21世紀の考えも聞きたいです。
468 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/26(月) 12:00:38 0
>>46 すべて了解しました。
要は「実在感」の違いみたいですね。
ちゅうははどちらかと言うと観念実在論のほうで
「数が実在する」といったらバカにされたプラトニアンです。
だからむしろ時間・空間を問わず「いつでも・どこでも」ある
事物のほうが本当の「存在」にふさわしいかと思ったりします。
もちろん「実在」というと実物が実際の場所にある時刻において
「ある」、というほうがぴったりです。
469 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/26(月) 12:04:01 0
>>468 科学的実在論では光が問題になりますね。
こんなのはちょっと遮ったら消えてなくなるから実在ではないとか。
いや粒子に違いないとか。
今日的にはそのどちらの性質も併せ持つ量子として実在しているとされている。
こういうのも時間上空間上での在り方の議論なわけです。
我々の共有していると思っている素朴な実在論(実在感)さえも地平線の向こうはあやふやってことでしょう。
471 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/28(水) 09:28:39 0
ここのスレでは「時間は実在する」派が大多数のようです。
「時間は実在しない」を支持する人は「しろうと」さんとか
ほんの少数派ですね。
哲学者ではちゅうが参考文献としてあげたマクタガードの時間論
を始めウィトゲンシュタインでも「時間は実在(存在)しない」と
しています。
ウィトゲンシュタインが「時間、そんなものは存在しないよ」と
断言する(論理哲学論6.3611)理由は分からないが、
マクタガードは「時間は矛盾する存在だから実在しない」としている。
ちゅうは実在する、しないを決めるのは論理ではないとは思うが、
一方「矛盾するモノ・コトは存在しない」は理解できるのでやはり
時間が矛盾する存在であることには納得できない。
>>471 哲学に関しては単純に「信じられる」ということと「疑わしい」ということの他に
「全く理解できていない」というのも第三者的に指摘できるわけです。
ちゅう氏は他者に対して常に「全く理解できていない」と指摘する立場にあらせられるが
客観的に見てちゅう氏自身はいかがなものかと。
我々の知る限り「理由がわからない」とか「納得できない」とかいうものを参考文献にして
そこから主張を展開するのは無理なんですよ。
つまり「教えて」ということでしょ。
473 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/28(水) 18:22:53 0
>>472 第三者的に理解できないなんてちゅうには理解できない。
教えてといえばいいのか?
時間も数も人間が勝手に作り出した概念。
|←これが1本の棒であると数えるのが固定概念。
なぜ1という数字に例えて数えなければならないのか。。
‖←なぜこれを2本と数えるのか。。
一本増えたから?増えるとは何?〈数が増える〉これも完全に概念。
この固定概念を無視できれば
時間、数の無限も矛盾なく成立する。
人間という生き物は、この世に勝手に独自の概念をつくり、
それに皆が皆、当たり前に従って生活している。
だから気がつかないし、わからない事だらけ。
自らわからない事を生産している事になる。
ちょっとスレチ気味だけど、おれの意見です。
475 :
420:2007/11/29(木) 19:05:42 0
>>474 半分賛成!だが半分異論があるよ。
「数も時間も人間が作った概念」って言うのは賛成。でも人間が「勝手に」独自の概念をつくるってのはちょっと異論有りよ。
数とか時間に限らず抽象概念てのは 人間独自の性格が含まれているとは思うが しかし てんで勝手ではないと思う。
数についていえば 人間は数を使って「計算」をすることができ、その結果が観察と一致することを驚きとともに了解し、
数の概念が強固であることを確認してきたのではないだろうか。抽象概念は個物のように直接その存在を感覚に伝えないが
しかし 存在がでたらめなのではない。人間がその概念を共有するのは「人間の外側」でその「あり方」が決まっているとは
言えないだろうか。その「あり方」のとらえ方には人間独自の枠組みが必要なんだろうけど。ただこの「枠組み」も、人間が
宇宙内の存在である限り 自然(宇宙)と無関係ではあり得ないはず。まあだけど宇宙から人間、人間から宇宙、なんていう
堂々巡りの話になるかもしれんが・・。
時間についても抽象概念として「存在する」と言えるかもしれんが ただ時間の場合はその「ありよう」が複雑で どこか
欺瞞に満ちている感があるね。 それでこのスレでもケンケンガクガクやってるのかな?時間は流れるのか 過去は確かに存在したのか
過去はどこへ行ったのか 未来は決定しているのか 現在とは「いつ」か・・とか考えると頭おかしくなりそうだもんね。
「実在」とか「実存」の定義も重要だろうけど 時間の不可思議な性格も話題にしながらでないと 実在を議論する意義も弱いかも
なんて言ってみたりする。
>>475 確かアメリカの心理学者で生まれつき数の概念を把握できない人がいた。
477 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/11/29(木) 19:19:04 0
数、時間、空間等は、直接、感性と交感する質量や悟性の創造の産物等ではなく、統覚の辺りで、認識を整理しなおすための形式であって、なにがしかの内容がそれら自体に内包されるものではない。
478 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/11/29(木) 19:29:02 0
>477
Materieは、質量より「質料」でした。
479 :
420:2007/11/29(木) 19:44:20 0
>>477 わっ それってカント?カント大先生 出されちゃ いったん黙って引き下がるしかないね。
でもさー その「時間」が「形式」であっても 実際の「時間に相当するもの」とその「形式」の性質に
乖離があるのではないのかしら。それで新しい枠組みが必要ってことはないのかな?形式を越えてさ、
なんて言ってみたりして。これ以上は頭がついて行けなくて語れないんだけど。
480 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/11/29(木) 19:48:55 0
>479
トートロジーに聞こえるかもしれないけど、「時間に相当するもの」が、「認識するための」形式としての時間。
481 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 19:54:25 0
時間とは基準運動と対象運動との比に過ぎんのだよ。
482 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 19:55:03 O
実在しないとか形式しないとか言うには
物理学が強すぎて説得力を持たないんだよな
483 :
420:2007/11/29(木) 19:58:18 0
>>480 そっかー・・。じゃ時間は「形式」でもいいや。いや ちょっと待って・・。
たとえば時間の性質についての認識の変更を迫られているとして これはどこまで行っても
「形式」の変更としてしか扱うことが出来ないのかな?これは立証可能なの?wisteria-1 君ちょっと
詳しそうなんで 聞いてばっかりでごめんなさいなんだけど。
ちょっと俺 出かけてくるけど すぐ戻るよ。
時間に性質なんてあるのかな?
時間は当たり前のように目の前を流れ続けてる。
でもそれを実在すると言わないのは実在が時間と空間を用いた考えだからに過ぎないわけだし。
夢が実在しないと言えるのもその時間と空間の前提が非連続だからわかるわけで。
目覚めなきゃ現実と変わらない。
485 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/11/29(木) 20:37:45 0
>>483 変容する時空「自体」に、なにがしかの実在性が伴うというのは、それを認識する主体/観察者にとっての、認識の形式の変容でしょう。
時空が変容し、変容した時空「自体」が、観察/思考/考察/計算/計量する視点/認識等々から解き放たれた世界を想定可能であるとします。
そのとき、その世界の実在性/内容とはどのようなものになるのか。
それは、「私(たち)の認識の形式」を越えた、何かそれ自体で実在しえるような「内容をそれら自力で備えたような何ものか」、でしょう。
486 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/11/29(木) 20:40:51 0
>485
「内容をそれら自力で備えたような何ものか」→「内容/実在性をそれら自体が自力で備えたような何ものか」
487 :
420:2007/11/29(木) 20:54:12 0
>>484 時間の性質ってあると思うよー。例えば普遍性とかさ。日本でもインドでも時間の流れかたは同じように観察されるとか。
時間が計測可能だってのも不思議といえば不思議。時間が正確である必然性ってすぐに思いつかないんだよね。
普遍的って言ったけど 局所的な所もあるかも。互いに運動する系の事象の同時性を定義できないとかさ。
こんなんじゃだめ?
>>485 っでー、ごめん。やっぱ俺じゃむりだわ。ついていけん。正直言ってその文章は、俺にはカントより難解だよ。
>>487 それは性質とは言えないんじゃないかな。
後普遍性はないと思われているらしいよ。
同時刻性と言えばトートロジーだしね。
489 :
420:2007/11/29(木) 21:10:15 0
>>488 性質とは言えないかい?そう思われたんじゃ仕様がないけど・・どういったものが性質かな?
普遍性は無いと思われているってのは物理学によるとかい?
同時刻性とトートロジーの関係も俺にはちょっと何の話か分からないんだが・・質問ばっかでごめんよ。
もうちょっとだけ詳しくお願いします。
490 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/29(木) 21:13:44 0
時間といってもいろいろあるね。
国語・算数・理科・社会・・・の時間割とか、じゃなくて。
物理に即した物理学的時間。これは起源と最終どうなるか
がまだ問題だけど比較的よく分かっている。
>>481もこの時間だよね。今は原子時計が基準となっている。
ちなみに空間の長さもこの時間と光速の関係から基準が
設定されている。
生物の生きる時間もまぁ物に即した時間と言うことでしょうね。
どんな生物でも時間は感知できるのだろうね。時間と共に成長
するから。
木の年輪なんかもこの時間の経過の証拠だね。いろんな木の年輪
から過去5000年くらいを実証できるようだね。
暦で表される社会的な規約時間というのもある。計画スケジュウル
や最初の時間割見たいなのもこの時間だね。
あと一番問題なのが人間の意識する時間だろう。
>>489 時間を説明するために時間を使わないと説明できないんですよ。
認識とかそういう話じゃなくて。
492 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/29(木) 21:29:52 0
>>491 そうですよね。時間を説明するために物事の変化や運動を
持ち出すとそれは時間が前提にあってのことだとなり
循環論法となってしまう。
循環論法はダメという論理では時間は生成できない。
493 :
420:2007/11/29(木) 21:31:51 0
>>491 それってさ 「説明につかわれる時間」と「説明される時間」は同じものではないのではないだろうか。
「説明につかわれる時間」は「前提」のようなものかもしれないが それによって「説明される時間」の
全てを含んでいないと思うんだよ。「説明される時間」を ある「前提としての時間」を使って説明しても
矛盾は無いのではないだろうか・・と思ったが・・どうかな?
>>493 それってマクタガートの時間論とかの話に繋がって来ないですか。
僕は頭の中で考えている時間とは別に外界にあって感じられる時間なんてのは
とりあえずあるとは思うけどそれを実在って尺度で測るのは無理だと考えている。
だって厳密に言えば人の記憶があるから時間が流れていると感じているだけで
あるのは今しかないわけでしょ。未来はその経験から自動的に導かれたその先
としか言えないし。
495 :
420:2007/11/29(木) 21:59:47 0
>>494 マクタガートについてはA、B、C系列って名前ぐらいしか知らないんで・・よく分かんない。
あと 時間が あるのかないのか には 俺あまり興味なくて・・いやごめんよ。俺はさ 時間がどのようにあるかってのが
知りたいんだよね。あと時間を感じてるのは記憶だけだとは俺は思ってないんだよ。記憶も時間を認識する道具とは思うんだが
しかし記憶が時系列を認識する必然性が思いつかないんだよ。あと記憶そのものの中にも時間が含まれてるだろ。俺はね
この瞬間の動的な時間の「流れ」らしいものを感じてるのは 意識の情報を「処理する感覚」と思うので
まあこれが記憶とどう違うんだって突っ込まれると1年ぐらい悩んじゃうんだが。
時間に性質なんて無いだろ っていわれちゃうと悲しい限りだが 腹減ったんで 飯食うね。
時間&空間=ディアルガ&パルキア
>時間がどのようにあるか
時間は運動(変化)と切り離せないものだろ
様々な運動(変化)を観察、理解するのが一番じゃない?
>>495 それを言ったらお終いじゃないかな。
それなら別スレ立てて対話を重ねればいいわけで。
499 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 22:59:03 0
そーだの。
科学史的にはニュートンからアインシュタインまで、と言った所か。
虚時間とかは机上の空論だしな
501 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 23:14:08 0
しかし虚数は面白い。
歴史的に見て虚数には数学、物理学、哲学が密接に絡み合ってくる。
デカルト、ガウス、ライプニッツ、リーマン、カントール等々。
語り合うにはちとホネが折れそうだがねww。
無理数も虚数も代数計算に有用って点では似たようなもんだ
虚数空間に放り込んで圧縮圧縮。
世の中フラクタルにできているらしい。
504 :
420:2007/11/29(木) 23:59:18 0
>>498 えーっ そうかーやっぱりそう言われるかー。じゃ しょーがねー。とりあえず退散するわ。じゃ。
風景描写オンリーだと映倫が通さないんだろう。
キャラクターファクターも字幕同様にできるはずだよ。
時間があるかと問われればあると答えるけど実在するかと問われればわからないと答える。
507 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 00:47:30 O
俺は、時間があるかと聞かれれば、今忙しいと答える。
実在するかと問われれば、腕時計を見せてやる
508 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/30(金) 11:33:46 0
人間が「今」を意識しているとは意識できる。
♪今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと・・・
♪「思う」まもなくトンネルの闇を通って広野原
これから「今」が流れるコトも意識される。
この「今」は自分が「今」のままで外界が流れていく感じ
から時の流れを想定している構図だろう。
「往く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」
この水に託す「今」は自分が固定していて上流(未来)
から下流(過去)に向かって「今(現在)」が流れていく
想定だろう。
川の中に舟を浮かべてそれに自分が乗り込めば上の
汽車旅と同じ経験となる。
「時の流れ」を意識できることも確かだ。
509 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 12:10:40 0
>>508 それは運動の認識、経験の蓄積に過ぎんよ。
汽車や舟の前方を向いていたら未来を見てる事になるのかい?。
後方を振り返れば過去を見てる事になるのかい?。
510 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/30(金) 13:49:47 0
>汽車や舟の前方を向いていたら未来を見てる事になるのかい?。
前向きに進んでる限りはそうなるだろうね。
511 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 14:04:55 0
悪いがそれはありえない。
未来を認識する、という事は未来の位置にいる自分をも実在として認識するという事だ。
つまり時間が実在するとしてそれを認識できる、とした時
我々は過去、現在、未来を同時に実在として認識する事になる。
昼は夜であり、晴天は雨天であり、入れたてのコーヒーは冷め切っている…等々
ありとあらゆる状況がそこに在るとしなければならないのだ。
それはおかしいだろう?。
512 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 15:05:55 0
時間の認識が時間の概念を崩壊させるというのは面白い。
513 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/30(金) 15:15:58 0
>未来を認識する、という事は未来の位置にいる自分をも実在として認識するという事だ。
因果の法則を信じて行動することは未来の自分の実在を確信しているからだ。
これから宴会に出るため家を出る予定だ。
未来は可能性として「実在」するのだ。
実は時間とか空間というものはそもそもどこにも存在していない。
ただ人があると錯覚しているだけ。
現実ではその錯覚を信じ、夢ではその錯覚を楽しめばいいと思います。
逆かな?
その錯覚を信じると、そこは現実となる。
516 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 17:38:30 0
>>514 錯覚だとも立証できない。あなたがそう思いこんでるだけ。
錯覚だから立証できないんだ。
518 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 17:41:44 0
>>517 立証できないなら 「錯覚」と断定など出来ない。
はいはい。
神様はいらっしゃいます。
頭の中で妄想したことはたとえ目の前になくても世界のどっかにあるはずです。
520 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 17:48:41 0
>>519 神様がいるなどと言ってもいない。
また錯覚と妄想の区別もつかないのか?
妄想をあると信じることを錯覚という。
522 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 18:25:43 0
錯覚(さっかく、英illusion)とは、感覚器に異常がないのにもかかわらず、
実際とは異なる知覚を得てしまう現象のことである。
対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚であり、
存在しない対象物を存在すると見なしてしまう幻覚とは区別される。(wikiより)
正常だと思い知覚もしていないものをあるなぞと放言するから妄想と呼ばれる。
あなたが知らないのか、それとも、本当にそうなのか
その知覚とやらの間接証拠すら共有できないのに立証立証と言っても詮ないことです。
まず実在することを立証せねば。
立証もされてないものを実在するとか実在しないというのは信念でしかないんだからさ。
立証されてないものは実在してると言えないと言っただけであたふた。
客観的な方法を求めているんですね
研究室に行ってください
527 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 18:43:09 0
>>523 それはその通りだが・・だからなんだというのか?
時間は「錯覚」という前言を撤回するの?
時間は「妄想」だと 発言を修正するの?
時間が錯覚だなんて誰が言ってるのやら。
時間が実在するというのが錯覚だと書いてある。
知覚が時間空間に依存してるんだからしゃーないわな。
人同士はテレパシーで繋がってたりしてw
530 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 18:51:30 0
>>528 >時間が実在するというのが錯覚だと書いてある。
どこに書いてあるのか?
531 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 01:52:17 0
>>513 因果律や可能性、確率を持ち出しても同じ事。
時間の実在とその認識を可能とする限り、
実在としての過去、現在、未来の同時認識、という
言わば「固定化された時間の流れ」を受け入れなければならない。
そしてそんなものはありえないのだ。
目の前に缶コーヒーがある。これを「今」としよう。
手を伸ばして掴もうとする。
手を伸ばし、掴む。これは「未来」か。否、これもまた「今」なのだ。
時間の流れなど存在しない。全ては「今」という状態の変化に過ぎない。
時間は「わたし」だからね
当たり前だ
533 :
420:2007/12/01(土) 09:03:14 0
>>531 横からごめんなさい。
意識というのは「今」この瞬間をとらえているのではないと思うんですよ。
「今」そのものに状態の変化が内包されている。
そのうえで 意識が この「今」を分析(微分)して「今この瞬間」の概念の生成が可能であると精神活動している。
これはしかし ある時間の「間隔」を前提とした作業だと考えます。
すべてを「今」に還元させて、「今」をとらえようとする方向は 俺も賛成なんだが しかし「変化」という
概念を受け入れるのなら「過去・未来」の存在を抜きに思考するのは困難と俺は感じています。
534 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 11:01:36 O
>>533 > これはしかし ある時間の「間隔」を前提とした作業だと考えます。
俺はその考えも意識だとおもう。
535 :
420:2007/12/01(土) 12:35:41 0
>>534 おおっ・・・いや もちろんそうだろうが・・すまんがもうちょっとだけ詳しくお願い。
君の思いが全くつかめない。
536 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/01(土) 18:40:33 0
過去・現在・未来と言うのは意識する時間の属性だね。
ある出来事が過去であり、また他の出来事は未来であり、
今の出来事は現在であるということは同時に成立する。
また一つの出来事が未来・現在・過去とその出来事を意識
する時点によって時間の属性を変えることも矛盾ではない。
時間は意識によって過去・現在・未来と区別される。
その時間(時)のありようを論理で区別するため、
過去の「時間」は「あった」
現在の「時間」は「ある」
未来の「時間」は「あるだろう」
と「時制」を論理に持ち込み時相論理を使わなければならない。
過去とか未来は単に名前を付けて今と区別してるだけ。
538 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 18:50:27 O
過去はどこにもないからとりあえず記憶と記録で今確認するしかない。
未来は予測してみたり計画するしかない。
540 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/01(土) 19:10:46 0
意識の流儀で時間の流れが生じる。
541 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 19:15:52 0
過去と現在が必ず1本の因果関係で繋がっているという
概念こそ間違え。
大域でみた事実がそれに近似するだけであり、速度などでの
時間の流れが違うものが1つ速度に合わさった場合に
同じ流れであるはずがない。
時間とは因果の積み重ねに思えるが、因果は時空間によって
全てが因果している訳ではない、因果の果てが存在して
そこを越えれば因果は成立しない、つまり観測できない。
時空間の存在と時空間の存在が一緒にはなれない、因果できないわけ。
542 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 19:19:11 0
未来が可能性として存在するのと同じで過去も可能性として存在する。
それぞれ現在に対する情報にすぎない。認知の違いにすぎない。
自分が観測できる範囲で過去と現在が一定の流れに見えるだけ。
過去になればなるほど妖しくなる。
存在と存在の因果は平面ではなく、多次元的に存在する無限次元の
なかにこそ存在する。
543 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 19:32:36 0
ニコニコ動画を再生している時の時間について
>存在と存在の因果は平面ではなく、多次元的に存在する無限次元の
>なかにこそ存在する。
ヒルベルト空間のことですか?
無限次元である必要はあるの?
n個の粒子系についての運動量、位置空間。
6n次元必要。
>過去はどこにもないからとりあえず記憶と記録で今確認するしかない。
現在の殆どが過去の結果だということをお忘れなく。
547 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 20:31:46 O
>>545 nを無限とする必要性は確かめられませんね
ひつようふきそきなことなんやでっていっかいかんがえて
こぴぺをみてるほうのね0
550 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 21:12:25 0
人間の言葉でよろw。
551 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/01(土) 21:47:48 0
未来の出来事は可能性だけど、現在および過去の出来事は必然性だね。
その出来事が起きたか起きないかは決定している。
過去の出来事が不明でもその出来事は起きたか、起きなかったかであり
生起確率(可能性)の問題ではない。
>>551 量子論のコペンハーゲン解釈では過去の出来事についても
決定しているとも決定していないとも言えませんがどう思いますか?
sレガセケンガクトイウモノタダデ
トルナ
554 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/01(土) 22:05:59 0
来年と言う未来が実在しないならば来年のカレンダーが市販されて
実在するのはなぜだ?
誰も「未来は存在しない」なんて思って無いからだろ。
555 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/01(土) 22:09:05 0
>>552 観測された事実が複数になることはありえない。
>>555 観測された事実だけを過去というならすべて決定されてますね
557 :
考える名無しさん:2007/12/02(日) 11:21:35 O
観測されない事実の真偽は不明です。
558 :
420:2007/12/02(日) 12:23:43 0
観測されない事実っなんて言い出したらさー もう 人間の観測してることなんてほとんど0だと思うよ。
だってさ 空気中の分子の1つ1つの状態なんて特殊な実験室でもない限り 全く観測してないじゃん。
だからって事実の真偽(←?)は不明って言っちゃうのはさ 何というか 味気ない。
例えばさ 台風が日本に接近に近づいてくるとするとき この台風の内部の空気分子1つ1つの挙動について
その状態が不確定だからといって 台風そのものの挙動にどれほどの影響があるだろうか?俺はこれについては
ほとんど影響はない いやあるいは 全くない と考えるよ。人間が観測する対象をどのレベルにするかのよって
事実ってものの見方も変わると思うよ。空気中の1つ1つの分子の状態が人間にとって有意であることは ほとんど
ないだろう。
あとバタフライエフェクトってあるだろ。僅かな不確定が時間と共に影響が大きくなるって話だと思うけど、しかし
不確定なのは1つの粒子の状態だけではなく 全体なのだから ミクロの不確定はマクロでは相殺されて全く(ほとんど?)
有意な「事実」としては現れないのでは と考えてみたが どうだろうか?
>>558 現実の一部分をはぎ取って理想化してわかったと言っても意味ないんだよね。
560 :
420:2007/12/02(日) 13:13:48 0
>>559 おお そうだね。
しかし現実の一部をはぎ取って理想化するのが哲学・科学ではないのかな?
それを「意味無い」と言ってしまうのは ニヒリズムと感じるが・・君の真意はどうなんだろうか?
>>558 バタフライエフェクトか、
ところで人間の行動ってのは不確定に発生する一つの電気信号やイオンの動きにも影響されるんじゃないかな?
一つの素過程が全体に影響することはしょっちゅうあると思うよ。
>>560 >>559じゃないけど、理想化、抽象化自体は無意味では無いと思うよ。それを適切に適用する分には。
562 :
420:2007/12/02(日) 19:05:49 0
>>561 おおーっそうだね。その「素過程→全体」っていう増幅作用こそ歴史をつくってるのかもしれんなー。
しかしさ、たとえば俺が今 飯を食うか 風呂はいるかの決断をしたとしても大きな歴史には全く影響ないかもしれんね。
大きなシステムを動かすには なにか「鍵」になるところがあるのかな。「時間は物質の運動だ」って意見も多くあるけど
すべての運動・結果が同等の価値を持つのかどうか・・どうなんだろう?これは時間の話とずれちゃったかな。ごめんよ。
要は人間がどう見て解釈して結論を出すかだとしか言えない。
ところでここは時間と空間の実在性云々のスレだよね?
(直感≒論理)→哲学
565 :
420:2007/12/02(日) 19:20:19 0
ごめんごめん。しばらく引っ込むよ。
「しばらく」という時間はいくつか他の人の書き込みを挟んで(つまり運動の観測の後)という
意味と了解しました。
>>561 精度の限界とか許容誤差範囲とかそういうのがある。
568 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/03(月) 08:46:07 0
「世界は事実の総体である」としても私はそのすべての事実を知る
必要も無いし多分知ることも出来ないだろう。
しかし「私は今ここにいる」と意識している事実は誰にとっても観測
出来る確実な事実だろう。それすら意識できないならボケ老人であろうし
若い人なら若年性痴呆だろう。
「私は今ここにいる」という意識の流れが「時間の流れ」を生成している
コトは確実な事実じゃないか。
だから意識される時間は実在する。
569 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 02:39:13 0
意識が「時間」というモノサシを観測した事実(今)に当てはめているだけの話さ。
だから時間も長さも基準を1単位とした場合の対象との比にすぎんというのに。
そもそも時間の有無を語ろうというのに、時間の存在が前提にあるとかもうね。
>>568 >しかし「私は今ここにいる」と意識している事実は誰にとっても観測
出来る確実な事実だろう。
美談はやめようよ。本当にそんなことを、いちいち意識しているか?
ただ、曖昧に、そこに、了解された限りでの(つまり観念的な)空間にいることを、無意識に了解しているだけ。
>それすら意識できないならボケ老人であろうし
若い人なら若年性痴呆だろう。
つまり時間は、事実を意識する能力に拠っているということならば、とてもそれが実在しているなんて言えないよ。
>「私は今ここにいる」という意識の流れが「時間の流れ」を生成している
コトは確実な事実じゃないか。
まんまベルグソンだね。でも本当に、意識は流れているのかい?表象される言葉の(あるいじゃ全知覚の)非連続性が、
意識の連続性を損ねているように思える。
571 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/04(火) 11:52:26 0
>>570 >意識の連続性を損ねているように思える。
意識に連続性は無いだろ。深い眠りに落ちたとき意識が無いことは誰でも
経験している。意識の流れと連続性は関係ない。断続であっても流れは流れだ。
それとも「流れとよどみ」といわなければ気がすまない人か?
572 :
420:2007/12/04(火) 17:17:04 0
>>569 >時間も長さも基準を1単位とした場合の対象との比にすぎんというのに。
それはさ 無理があんだよ。だってさ 例えばよ 長さの基準は 今は光学的に決めてるけど もともとメートル原器だろ?
長さの基準はやっぱり「長さ」なんだよ。質量だって基準はキログラム原器だろ?質量の基準も「質量」なんだよ。
時間についても もし 時間の基準を決めたとして それはどういう物理量だろうか?いかなる概念も「時間」と交換することは
できないのだよ・・なんて言ってみたが どうかね。
大丈夫。
電波(帯域)は売買の対象です。
水も商品化に成功したし空気も商品化している。
574 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 19:48:11 0
>>572 >時間の基準
「セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位の間の遷移に対応する
放射の周期の9 192 631 770倍に等しい時間」
らしいね。放射も光だけど、結局
「〜の周期の〜倍」という概念を「時間の長さ」という概念の基準(1秒)にしてる。
「長さ」という概念の基準も「光が1秒に進む距離の〜倍」という概念で決めてるし、
「〜の質量」だって概念に過ぎない。
これは
>時間も長さも基準を1単位とした場合の対象との比にすぎんというのに。
の通りだと思うけど。
相対性理論はとりあえず時間と光の速度を交換したら出て来た。
576 :
420:2007/12/04(火) 20:06:25 0
>>574 ノーノー!!
「周期」ってのは時間の概念を含んでるんだと思うのよ。時間抜きに「周期」を定義できるだろうか?
基準の倍数ってのは「数」でしかないと思うよ。それは長さや質量についても同じだと思うが どうだろうか。
577 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 20:13:34 0
>>576 >「周期」ってのは時間の概念を含んでるんだと思うのよ。時間抜きに「周期」を定義できるだろうか?
だから「周期」も「時間」も概念でしかないわけです。
「周期」は「時間」を特殊な場合に言い直したに過ぎないと思います。
物理で「記述」されるものは全て概念だと思います。
>>576 相対性理論の時間は同時刻は告げられるがそれ以前の過去の時間もそれ以降の未来の時間も
別の地点で厳密に一致していないということ。
この前提で考えてみるとおもしろい。
1時間前というときこの空間上の1時間前と言わなければ正確ではないということ。
もちろん均質な宇宙絶対時間というものが別にあればいいんだけどね。
579 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 20:15:56 0
より正確には記述される対象じゃなく記述そのものが概念
580 :
420:2007/12/04(火) 20:35:43 0
>>577 ノーノーノー!!!
時間も周期も概念だってのはその通りと思うが 同等の価値を持ってるわけではない。
周期というのは時系列に位相の繰り返しが発生するとき 初めの位相からその位相にもどるまでの「時間」なのだ。
カロリーとジュールのように言い換え・変換が可能な概念もあるが 周期と時間はそのような関係に無い!・・
と思うが どうだろう?
581 :
420:2007/12/04(火) 20:48:33 0
>>578 俺は均質な宇宙絶対時間などは あるとは思わない。だが完全に局所的とも断言できず 悩んでいる。
>>581 それは簡単。
とりあえず空間上で言えば地続きだと信じられてるから。
実際行けないけど残像は望遠鏡で見えるしスペクトルの違い見れば宇宙の果てはどこらへんで
あったか予想してみることは可能。
今日的には時間と空間は不可分なもの。
人間の感覚は未熟だから別々に現象から抽出したに過ぎないということかと。
583 :
420:2007/12/04(火) 20:55:13 0
>>582 君は多分 レスする相手を間違えてると思うが どうだろう?
584 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 21:22:20 0
時間は変化。空間て何だ?
585 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/04(火) 21:43:09 0
>>580 位相て時間あたりの状態だろ。
だから位相変調できるで信号送れるわけだしそんなのが乱れてたら意味ないじゃん。
587 :
考える名無しさん:2007/12/05(水) 16:12:19 0
588 :
420:2007/12/06(木) 18:48:45 0
>>586 >位相って時間あたりの状態だろ。
意味をくみ取りにくいが・・・いや位相ってのは振動や波動を数式で表すときに「角度」として表記される
なんというか「位置」みたいなもんだと思う。
つまり周期ってのは ぐるっとまわって 最初の位置に戻るまでの時間だと俺は理解している。
この周期を時間と独立させて基本物理単位として利用するのは 俺はできないと思う。前にも書いたが
周期というのは時間の概念を前提として成り立つものと思うからだ。周期が乱れるとか言う話も時間を前提として
成り立つ話と思うが・・・だめかね?
589 :
考える名無しさん:2007/12/06(木) 19:35:57 0
運動と時間なら運動の方が上位に位置すると思う
そもそも運動を対象化し記述する際に時間と空間の概念が生まれた
時間それ自身、空間それ自身が自立して存在するわけじゃない
運動という現実、から枝分かれした認識のための枠組みが時空
それから運動には意識の運動も含まれる
意識の運動、思考の一連の流れこそが時間の概念の始まりだとかんがえる
590 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/06(木) 20:01:43 0
モノが運動するためには運動場(空間)が必要だ。
モノが有る距離を運動するなら速度が有限で
有る限り時間が必要だ。
モノの運動と共に空間・時間は必要となる。
人間が空間・時間の概念を認識することとは関係ない。
時間・空間と言う名前はなくてもその名前で指示される
「存在」はモノの運動と共にある。
591 :
420:2007/12/06(木) 20:18:32 0
>>589 おお なるほどなー。いや俺も それを言下に否定はできないんだけど・・。
だけどさ 人間てね 「今」しか生きてないわけよ。そこんとこが悩ましいというかさ。そう思わない?
つまりね 人間が仮に時間を越えて存在していれば 物体が時系列で空間内で「運動」している と言うことも
できると思うんだが しかしそうではない。「運動」の発生は実は人間に頼っている・・・いやちがうか。
そう、「運動」とは人間が自然の何らかの性質を「再構成」したもの と俺は考える。これは時間より上位かどうかって
難しいなあ。おれはほとんど「同値」だと思ってるけど。(ほとんどってのは 厳密には思考できてないからなんだけど。)
どうかね?
>>588 単位がない(つまり何にも関連付けられていない)時間というものを先ず示してみよう。
593 :
420:2007/12/06(木) 23:28:37 0
>>592 うおっ そんなこと 俺にはできないけど・・・できるなら教えてくれ。
594 :
考える名無しさん:2007/12/06(木) 23:42:29 0
単位は人間が作った尺度なので、時間の長さはまず、
「まだか?」「遅いな」とか、
「日の暮れるのが早くなったな」「そうですね」
とかいう主観的印象あるいは共同的印象として経験された。
これを何らかの方法で客観化するため日時計などが考え出された。
江戸時代の「一刻」はおよそ2時間前後であるが、季節・昼夜に
より長さが異なった。これは「不定時法」というものである。
595 :
420:2007/12/06(木) 23:49:55 0
>>594 そうかー 君が592と同じ人と思って話すけど つまり「何にも関連づけられていない時間」っていうのは
主観的・共同的印象である ってことでOK?
596 :
420:2007/12/06(木) 23:59:21 0
もう寝るわ。「時間は第1義的に主観的印象」ってのに 俺は異存無いよ。おやすみ。
597 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 19:55:48 0
時間は移動。空間は座標
598 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 23:11:21 0
「実在」の典型は「石」であって、つまり確固たる「モノ」なのである。
そこから見ると、水や空気は頼りないあやふやな「モノ」でしかなかった。
「時間」となると一層あやふやで「河の流れ」のようなものであり、
「回転する車輪」のようでもあった。
599 :
考える名無しさん:2007/12/08(土) 08:02:15 0
石も原子レベルでは絶えず振動してるけどな
振動してるからこそ観測できる
絶対静止しているものは多分観測できないはず
物質として存在することは運動なのだ
600 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/08(土) 17:55:38 0
>>598 確かに日時計では時間は影の存在だね。
影の動きで時を知る。
つまり時間なんてモノは実在しない。
たまたま実在するモノの周期を活用して時間を仮設しているだけ。
光は実在するが観測したらすぐに消滅するから連続性は担保しない。
603 :
考える名無しさん:2007/12/08(土) 18:52:51 0
>>601 それって もし周期が世界に無ければ 時間の概念は存在しないってことでOK?
少なくとも時計を作ることは出来ないだろうな。
605 :
603:2007/12/08(土) 19:02:36 0
そうだね
607 :
603:2007/12/08(土) 19:03:57 0
じゃ 時間はあるじゃん。
>>603 時間の概念が存在しているのは疑ってないぞ。
ただ実在しないと言っているだけ。
時間がどう流れているかなんて今いる時間の中での経験的推論から実感できないしね。
>>605 水時計も砂時計も落ちる周期を使ってる。
周期に限らずとも何か決まった運動が実在すれば
その途中に基点を二つ設定すればいいんだろう。
611 :
603:2007/12/08(土) 19:12:58 0
>>610 運動がその基点を正確に通過することは 担保不要なの?
>>611 正確さが求められるのはより正確な測りがあるときだけ。
613 :
603:2007/12/08(土) 19:45:12 0
>>612 運動Aと運動Bのどちらが正確か 周期の無い世界でどうやって判断するのか?
>>613 ほら、それ自体が正確な時間を前提しないと考えられないでしょ。
少し考えればわかる矛盾なのさ。
615 :
603:2007/12/08(土) 19:50:07 0
>>614 ん?なにが矛盾なのか 教えてくれ。まじでわからん。
616 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/08(土) 20:25:25 0
>>601 >つまり時間なんてモノは実在しない。
時間はモノじゃないだろうけどコトとしては実在するだろう。
今の出来事とさっきの出来事の区別は実在する。
>>616 そのコトてのは何だ?
概念は存在していると書いたぞ。
618 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/08(土) 20:33:43 0
>>617 概念もコトニふくまれるね。概念は実在しないの?
>>618 概念てのは人によって内容が違うだろう。
大切なのは「計算」がでることだよ。
622 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/09(日) 20:07:40 0
>>619 人によって内容がちがうコトは実在しないのか?
実在に対するコトは虚構じゃないのか?
人によって実と虚が違うコトがありうるだろうか?
>>622 神と言ったときクリスチャンとユダヤ教徒と仏教徒では違う概念かも知れんぞ。
それらを統一すべきだとちゅうさんは主張してるわけだな?
624 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/09(日) 20:25:20 0
>>623 で、「神」は実なの虚なの?
先ずはそれからだね。
>>624 そうではない。
神という概念は確かに存在するがそれは文脈によって意味内容がまるで変わる。
ここがポイントだ・・・orz
626 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/09(日) 23:33:28 0
存在するけれど実在しない概念があるだろうか?
628 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/10(月) 08:57:15 0
リンゴやみかんと言う物の名前も「概念」だろう。
リンゴやみかんも概念として存在するのかな?
>>628 目の前のリンゴをリンゴという概念だと認識せにゃならんのか。
630 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/10(月) 10:42:29 0
そうだね。それなら唯名論の立場として理解することが
出来る。
物事の名前は名前があるだけで実在しない。
実在するのは個物だけだという立場だろ。
概念は一切実在しない、と言うことだね。
物理学のエネルギーや質量や温度なども
概念であって実在しないということだね。
それなら時間・空間も実在しないという道理
で論理は一貫している。
>>630 そう簡単な話ではないと思いますよ。
唯名論に関しては全く理解していないというのがわかりました。
wikipedia依存てのは間違えの元。
エネルギー、質量、温度が、時間が実在しないのと同じ意味で実在しないというのは同意
633 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/10(月) 14:31:16 0
物理学は実在しないものに対する学問なんだね。
自然科学は科学的実在論ではないと言うことですね。
635 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/10(月) 18:11:45 0
実在する事物の属性は実在じゃないか?
>>635 ちゅうさんの論法は相手が違うと言っても相手はきっとこう考えているに違いないと固辞したまま
勝手に推測を膨らませるから厄介です。
いいですか。
唯名論とは普遍論争の時代に成立している。
その頃は外の世界は当然あるのが前提。
どっかの超越空間に名辞されたものの典型としての実体(普遍だ)が既に存在していてそれを類として
認識しているという主張に対してそうではなく名前は人間が勝手に付けているに過ぎず存在
しているのは外の世界の個体の方だというのが唯名論。
そっから展開される論理が今日的にも通用するのは木がたくさん茂っているのを見て林とか
森とかいう。そういうのの境界線て厳密に設定できないだろということ。
今日的には認識と存在の関係だから唯名論に対峙した立場を実念論とか呼ばれちゃうわけだ。
以降、そういうことを厳密に考え出したのはデカルト辺りが走り。
そこらへんの概念の構成も今では形式論理以降きちんと整理されているからやれ内包だの外延
だの属性だのと親切に書いてあげているわけ。
これでも大不正解だというのが理解できないんだったら匙なげた。前にもやんわりと何度か説明
してる。科学的実在論と対立するように書いてある記事もあるらしいがそれは恐らく対立している
争点が量子力学が示す状況証拠に基づく存在とか多次元空間とかでこれは科学哲学。
637 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 11:05:19 0
>>635 唯名論についてのちゅうの解釈とたいして変わらないジャン。
「物事の名前は名前があるだけで実在しない。
実在するのは個物だけだという立場だろ。」
ちゅうは唯名論でもなく実念論でもなくしいていえば科学的実在論
の立場が一番しっくりするな。
物事の境界設定が大変なことは理解するがちゅうは余り関心が無い。
しいて言えば境界は空だね。
計算できないものは存在しないんだよ
「私」は存在しないと申すか
>>637 ぜんぜん違うよ。
唯名論では既に実在しているものに名前を付けているから実在と非実在は区別できる。
ただネコという名前は人が付けただけなので実在しない。当然それが指し示すであろう
実体などないという考え。
だから実在しないとする対象を錯誤して実念論(唯名論の対立立場)の実在をちゅうさん
は盛んに展開して理解できたと騒いでいる。
だから結論が逆でおもしろい。これだけ説明されても理解できない人は正直めずらしい。
科学的実在論というのはもっと曖昧。哲学の論争とは違い実用的な観点から実在そのもの
を自由に仮設して推論しているのが現状。観測不可能な物質は実在していと言えるのか
どうかが争点。
641 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 16:10:03 0
>>640 >当然それが指し示すであろう
>実体などないという考え。
これを主張するのは仏教の空の哲学だけだね。
インドでもギリシャでもそのほかの哲学では実体はある
としか考えていない。
カントでは実体は有るけど人間には認識できないまで
進んだんだけど実体が空とは言わなんだ。
諸法無我はやはり仏教の法印にふさわしいとちゅうは考える。
642 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 16:11:33 0
>>639 それを諸法無我という。一切法空でもいい。
643 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 16:43:56 0
>>638 >計算できないものは存在しないんだよ
この対偶命題は「存在するなら計算できる」だね。
あなたにとっては世界のすべてが計算だね。
そういえば昔「とかくこの世は計算さ!数と数との絡み合い♪」
というコマーシャルあったね。
ちゅうも古い人間でございますぅ。
>>641 万物流転というのは誰の言葉でしたっけ?
645 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 17:20:18 0
万物流転は諸行無常とおなじ意味でしょうね。
諸法無我とは違う。
647 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 19:44:18 0
>>646 「実体」はあるか、ないかの問題だろ。
それしか書いて無いけど。
>>641 この場合の実体への批判は観念としての実体(本質)が実在する個物に先行して実在していて
個物は実体の影に過ぎないとする主張への批判。
理性のみが捉え得るとする神様の存在が密かな前提として思考するから同じく理性が捉える実在
も同様に回りくどい段取りを踏んでいると仮定せざるを得ない事情が背景にあったと推測。
余計なことがいろいろ書いてあるみたいだが見当外れとしか言えない。
649 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/11(火) 21:47:16 0
>>648 で、「実体」は有るの、無いの?
うやむやにしないでね。
>>649 あるとも言えるしないとも言えますね。
それを曖昧というのでしたらちゅう君哲学的には定義次第。
だってちゅう君哲学では定義という用語は任意に定立され得る規約なのだから。
但し残念ながらそれを我々は哲学とは呼んでいないというだけの話。
では。
実体のニュアンスは、
現象の根本にある永遠不変で本質的な実在で
その存在が他に依存しないようなものを言う。
が、そのように永遠不変なものは無く、絶えざる生滅流転が世界の
真の姿であるというのが仏教の教えである。
説くところであり、
652 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/12(水) 09:34:22 0
>>650 定義を任意に設定するのはかまわないけどそれはその議論を
通じて制約となる規律でしょ。
定義の違いで議論が紛糾するのはばかげたことだと思うから
お互いの定義を述べてコミュニケーションを図ることは
必要でしょう。
ここのスレは「実体」の問題ではなく「実在」の問題だから
これ以上は止めましょう。
653 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/12(水) 09:40:40 0
>>651 そうですね。
同じ諸行無常であり万物流転である現実を見て
ブッダはだから実体はないといい、ヘラクレスは
見えない実体が有るという。面白いものですね。
ちなみに実体が見えるようになると実体は見えないもの
に還元されるようですね。
物理学で原子が素粒子やクオークに考えされ、物体・物質
がエネルギーに還元されたように。
ブッダのように最初から「実体は空だ」のほうがカッコよくねかな。
655 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/12(水) 09:47:37 0
テーブルの上のグラスに何やら赤い液体が満たされているのを見て
赤ワインに違いないという人がいるとそこへ通りかかったブッダの弟子
の末裔がグラスだと言い張る。
その弟子は赤ワインに違いないと言う人にでは飲んでみろと言う。
飲み干して赤ワインだとわかった人が赤ワインだったと告げると
ブッダの弟子の末裔はほらグラスしか残っていないだろと言い返した。
終わり。
>>656 遊びで書いただけなんで仏教をアホにしているわけではございませんので悪しからず。
ピタゴラスだろう
「万物は数」といったのは
660 :
ネコ:2007/12/12(水) 15:05:47 0
こないだネコにレスさしたったら、またさしてくれやゆうて
きてんけど。こらワシやで。
661 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/12(水) 17:49:30 0
>>658 >ヘラクレスが何か言ったのか。
おやま、ヘラクレスは神様ですね。
ヘラクレスじゃなくヘラクレイトスでした。
ごめんなさい。>ALL
663 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/12(水) 19:32:00 0
↑自作自演じゃないだろな?www
664 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/12/14(金) 20:12:06 0
こっちに書かしてもらおう。いやこのスレッドの420はワシです。
こっちはすっかり実在の定義論争のようだね。
「時間」がどのようにあるのか、あるのかないのか ワシも分からん。死ぬまでには分かりたい。
時間は運動だという主張もある程度理解できる。
過去は記憶だ・・・というのもそうかもしれん。
未来は確率だ・・・ある意味確かにそうだろう。
運動に不可逆な要素があるなら そこに時間の要素の一端がある気もするんだが・・どうだろね?
「感性的直観の純粋形式」というだけでは つまらない話と思うが。
内側(観念論)からばかりでなく 外側(物理学など)からも攻めるって方法でどうだろ?
物理学の観点から哲学的問題への解答が可能ならどうぞ。
僕は以前にも説明しましたが両方の概念は単純にモノサシを介在しないと説明
できないから実在性への信頼は持っていません。
また空だという意見もありますが上記赤い液体の満たされたグラスのように入れ物
概念だと理解しています。空の原義は確かそのようなもの。
時間は空間と同様に拡がりを持つ。
過去は離れた場所にある。
>>664 ではどうぞ。
物理学の観点ではなくオリジナルの観点でも結構ですよ。
668 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/12/14(金) 20:52:33 0
わ 反応はやっ
じゃあさ まずさ こういうのどう?
1)五感が全て無くなっても「時間の感覚」は存在するか?
2)人間が(自分が)いないと 時間は「なくなる」のか?
>>668 1.は興味深いですね。
1) 夢はどうか
2) 果たしてそのような状況で誕生し成長することが可能か
夢に見るように記憶が後に統合され記述され得る(物理的な連続とは異なる)ことから
心理的時間はいい加減。問題はその統合の在り方が経験依存だと仮定すればその
ような在り方で生存は無理かも知れない(感覚遮断実験)。
2.は神のみぞ知る?
>>668 1)五感を失っても時間を司る脳機能が働いていれば、
時間を感じると思われる。
(時間を司る脳機能がどこにあるのか分からないが)
2)観測者が存在しなくなれば、観測される対象(の存在)が、何であるかが分からなくなる。
671 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/12/14(金) 21:36:11 0
おお・・2)はなんか否定的な感じだねえ。哲学板らしい。
じゃあ 2)で人間はいるんだけど自分はいなくなる。でも自分はもう一人いるってのはどう?
このとき もう”一人の自分”に観測を託す。そしたら時間は無くならない・・・ってのはナンセンス?
>>671 観測されて初めて時間の存在が明らかになる。
それには(観測装置ではない)観測者が必要であり、観測者のみに観測対象が時間であるということが分かる。
>>671 2)は曖昧だから相手の解釈に依存するんだろうね。
僕はこの文を他者の存在を一切前提しない自分一人だけが存在していたとしてその自分が
死んだ後に時間は続くかというように解釈した。
その場合、自分を僕自身に当てはめるとそれは自分の時間観を語るしかないがそもそも
それがわからない。
物理学では観測者のいないときは時間は存在しないというように考えるのですか。
今までの流れだと哲学では時間を計る一切がない場合には時間は確認しようがない
という考え方もあるはずなんですよ。
無我の境地(座禅)とかもそういう時間感覚ですね。長い時間でも短い時間でも自在に
移り変われる(らしい)。この場合外部的な時間は関係ない。
経験的には夢中になっているときには時間は忘れてます。気が付くととんでもない時間
が流れていたり、逆に集中しているとほんの1分間しか経っていないはずなのに1時間
くらい集中していたような錯覚に陥る。
675 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/12/14(金) 22:22:45 0
物理学者でも「人間が観測しなければ 月は存在しない」っていった人いたと思う。
ワシはね 観測者がいなければ〜は存在しない ってのは 気持ちは分かるし、そういう思考も
時々はするんだけど、発展性がないもんで保留しちゃうね。時間の現れ方を無邪気に考えつつ
時々自省して、観念論っぽい形式で考えたりするよ。ま哲学素人だけど。
「時間に性質がある」ってこのスレで書いたら 「そんなの性質じゃない」っていわれて
その気持ちがいまだによく理解できなかったりする。
基本 人間も物質で 宇宙の一部で 自然に生かされてるので 宇宙が必要以上に人間をあざむいてはいないはず・・
っていう信仰みたいなもんはあるのよね。信仰なんで根拠なしだけど。
また来ます。
>>675 根源的な思索は様々な考え方があるとしておいた方が良さそうです。
信仰がない人はたぶんいないでしょうね。無神論者にも信仰はあるはずです。
利己的に実利的に振る舞うならば学問はそんなに必要ないです。
ただそういう在り方ってのは信仰の裏返しで信仰とは何か純粋な動機の原因
なのではないかと愚考します。
哲学するのも出逢いがあって交流があって楽しいからですね。
677 :
龍宮:2007/12/15(土) 07:41:46 O
人間はいつでもいつの時代でも人間関係を閉じる傾向にある。グループや村を造っていい人たちだけで閉じてしまった。昔の人も集まり暮らしをその関係のなかに閉じてしまったのだろう、しかし物事の道理として何でもそうだが閉じきることはできない
678 :
龍宮:2007/12/15(土) 07:46:18 O
いいものだけの世界、天国や浄土はそれが出来上がったとしても必ず外の世界からコミットがある。国際的に永年閉じていた江戸幕府の鎖国も閉じきっていたわけではなく限定したかたちで外部と貿易を続けていた。どんなに閉じていても外部との繋がりは必ず保たれる
679 :
考える名無しさん:2007/12/15(土) 07:54:11 O
80年代はこの閉じるという行為によって悪を排除しようとしまがこれが失敗に終わった。つまり不良は地下に潜らずに表に戻って閉じてしまった善良な人たちにコミット(恐喝)し続けた。自分の世代はこれを嫌った。つまり閉じずに悪を内部に取り入れて態度に出すようになった
680 :
龍宮司:2007/12/15(土) 08:07:33 O
ちょうど自分の世代に昼夜が逆転して悪が上にいい子が下になったわけだ。その繋がりにおいて若い人間はいつでも価値を止揚している。相変わらずみんな悪の扱いは下手糞だがそれでも勧善懲悪は時代遅れのものになりつつある
681 :
龍宮:2007/12/15(土) 08:50:40 O
閉じても繋がりは消えず常にすべてのものとは繋がっている。この繋がりが縁起の意味だ。一見繋がりが薄い縁遠い人でも必ずどこかで繋がっている。また繋がりというものは物事と同じ妙なもので一本の線では捉えきれない。街を行く人の顔をよくみるがいい
682 :
考える名無しさん:2007/12/15(土) 18:54:12 0
犬の鳴き声は日本語では「ワンワン」と書くが英語では「バウワウ」である。
本当は文字に書き表せないのである。
683 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 05:39:28 O
ユルゲン ハーバーマス「遅ればせの革命」
684 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 09:30:41 O
ふじみ野市の聖夜
685 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 09:50:57 O
フロイトの快楽原則は生物の根源部分であり生物は常に生きる上で充分なポジションを求めて動く。人間も例外ではない。しかし人間は複雑に発展を遂げたために時間に余暇を得た。つまりは輪廻して止まない快楽原則を捉えはじめて意識は方向を自由に行き来するようになった
686 :
あめのみやつこ:2007/12/16(日) 09:57:02 O
意識は時間を超えでたものではあるが大きくみれば時間はあくまでやはり識の域をでない。ちょうど無意識に当たる阿頼耶識の部分は大まかな時間の(制約されたなかで)自由な流れである。このところをみると人間は自由でありその遺伝的要素に支配され続けている
687 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 10:01:19 O
それをみれば人間の意識(方向)とは制約されているのである。どうあがいてもみんな選択肢は限られている。もしこの選択肢を超えでてよい方向に向かうことが可能なのであればそれこそ仏の域であろう。それが可能であったとしても我々は人間をよく知らなければならない
688 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 10:15:26 O
人間を知るとはつまりその繋がりを解明していかなければいけない。その縁を各々が通ってきた道を知らなければならない。阿頼耶識が繋いでいるすべての根源である糸をたぐりよせなければいけない。人間は歴史からある種の愛と平和に到達した(菩薩業)
689 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 11:33:57 0
ピントはずれでごめんなさい。
現在は瞬間でありゼロですが、無ではありません。過去から現在にいたる
瞬間でマイナス0と現在から未来にいたる瞬間プラス0との同時存在で
プラスマイナス0のような存在で、有と無との同時存在ではないでしょう
か。物理学ではなく、哲学としてはどうでしょうか。矛盾の肯定になりま
すので、ナンセンスでしょうか。時空の本質は矛盾と思われます。
>>689 言葉の意味をよく考えずに使っておられませんか?
プラス0とかマイナス0なんて数が実数として存在すると考えてるんですか?
それに数学上のモデルと現実は違うと思いますよ。
691 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 11:45:56 0
>>690 批判するなら、まずはあなたの意見を述べてからにしませんか?
あなたはサルじゃないでしょうw
692 :
考える名無しさん:2007/12/16(日) 19:35:27 O
現実は現実。運命はある。しかし運命はその星のもとに生まれたという意味以外の意味をもたない。現実はどのような方向へも向く。どこへ行き着くかは決まっていない。相手も決まっていない。みんな最もよい場所はある。そこに行き着くも行き着くことなきも自分次第
693 :
考える名無しさん:2007/12/18(火) 10:00:34 0
時間は物質の変化の流れであります。物質、つまり空間のないところ
では、時間は存在しません。時間と空間は合一しています。
694 :
考える名無しさん:2007/12/18(火) 13:10:25 0
物質とはエネルギーの一形態
E=mc²→m=E/c²
Δmは、E=Δmc²のエネルギーに変換される
物質をつきつめると、質量のないものにつきあたる
何故、物質と物質は引き付けあうのか
アインシュタインは「時空のゆがみ」で説明しようとした
反物質の存在が確認されているのだから、いつか反重力装置が開発されるかもしれない
エネルギーの単位kg·m²/s²に、時間が含まれているわけだから
時間、物質、エネルギー、これらは密接な関係がある
ただ現在のところ、これらを物理計算に使うことはできても
正体は説明できていない。
わかっていたら、重力を制御できるだろうし
過去にも未来にもいけるかもしれない
695 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/18(火) 14:54:37 0
>>694 >わかっていたら、重力を制御できるだろうし
地球の重力に逆らって宇宙ロケットは飛ぶしその速度を
制御して人工衛星を軌道に乗せる事も出来るでしょ。
人間は重力を制御できるということじゃないの?
696 :
考える名無しさん:2007/12/18(火) 15:38:27 0
重力を制御するというのは、
電磁力を制御するように、重力場の強さを変化できなくてはならないわけで
そもそも重力場を自由に発生させたり、消滅させたりできないのが現状
アインシュタインは時空を「ピンと張った布」ようなものとしてイメージし
そこに物体がのっかると「ひずみ」ができ、そこに向かって小さな物体が転がり落ちる
そんなことを想像したらしいけど、現実にどういうことなのか、さっぱりわかっていない
そもそも物質が何なのか、わからない
エネルギーの一形態であることは、水素爆弾が証明しているが
エネルギーというもの自体謎めいている
光子には質量はないけど、エネルギーはあるんだろうね
質量とエネルギー、関係式で表現できても、やっぱり正体はわからない
重力を受けている状態は加速している状態と等しい(等価原理)。
従って加速すれば重力場が変化すると解釈できます。
698 :
考える名無しさん:2007/12/18(火) 17:23:31 0
電磁力の場合、電気の流れる方向を変えることで磁力の方向を変えられるわけで
重力を制御するということは、重力加速度の数値を変化させるだけでなく
方向も変化できないと、完全に制御していることなはならない
ただ、重力加速度gを半分にする技術があるなら、方向性も逆転する技術がありそうだけど
電磁場はベクトル場、重力場はテンソル場の性質を持っているため、
重力場は電磁場と同じようには考えられない。
ところで重力加速度gを半分にする技術ってなにさ?
700 :
考える名無しさん:2007/12/18(火) 19:02:39 0
ベクトル場とは, 直感的には「超曲面の各点に接ベクトルが付いているもの」であり,
例えば地球上の各点に風向きを対応させたものなどはベクトル場である. 物理学の電場・磁場・重力場などもベクトル場の重要な例である.
つまり重力場も、電磁場同様にベクトル場の性質も持っているわけで
実際、重力加速度gは方向性を持っている
重力加速度gを半分にする技術とは、ゆっくり物を落下させる技術であり
まだ開発されていない。
つまり、重力場の正体がわからないから、制御もできないのである。
>>699 >ところで重力加速度gを半分にする技術ってなにさ?
難しい質問だ。この問題の解決のためには単にテクニカルな分析だけではなく、社会的・政治的なアプローチもまた必要となってくる。
まず新らしい単位 nkg(new kg, のきが)を考えたとき、これを
1kg=2nkg(いち きろぐらむ、いこーる、に のきが)
と定義してみると、ノキガ単位系においてGの値がSI単位系の半分になるが故に・・・
>>701 100cmは1mの100倍の長さなんですね!!
決定論は盛り上がってるなあ。このスレってワシが初めて哲学板に来た時のスレなんだが
今じゃすっかり閑古鳥。
時間の正体はしかし 決定論と繋がるはずだね絶対。
ラビ君の決め台詞「決定論は過去が存在するのと同様に信仰に過ぎない。」ってちょっと考えちゃうね。
過去ってのは信仰なのか・・。1000年前は信仰のような気もするが 昨日も信仰かね?
懐疑主義者ってのは 昨日の様子をビデオにとっておいても 昨日が存在したことを疑えちゃうんだろうね。
今見ているビデオは 現在のものであり過去ではない・・・とか言ってね。
しかし昨日と一年前はどちらも現在ではなく幻のようだが 同じではない。しかしどちらも実体ではない。
現在は実体かっていうとそうとも言えず・・時間についてここでこっそり考えてみるか。
時間について悩ましいのは 「現在」こそが時間の本質であろうと直観してはいるんだが
現在は恐らくどうやっても掴むことができない。そこで「過去」を観察するんだろうね。
現在は流動しているが過去は固定化することができるからね。しかし固定化できる ってのも
ある意味まやかしかもしれん。人間が分かるようにしか分からないのだから。
しかし過去を解析することにより科学は成功した。未来の予測も相当可能だ。しかし時間の
不可思議の源泉は「現在」にあることは間違いない。これは絶対だ。多分。大森正蔵も中道義道も
くそくらえだ。ワシは「現在」時間の本質とするぜ。現在から逃げては時間は捕まえれんよ。多分。
>>703 決定は時系列上に起こる現象だから当然時間が前提なのだから当然だね。
でも何が決定しているのかわからず何もかも決定していると言われても正直理解できない。
対象の欠落があり地獄を形成している。
>>704 現在については誰も何も考えていないから思い出に浸っているか将来を予測したり計画を立てたりしている
ことを考えていると言っている。
時間がおもしろいのは人間はいつか死ぬとかいう100%の可能性で起こる確率を論じたりしてしまう点。
100年後には死んでいると言われても80年後に既に死んでたら後の20年間は死んでいる状態が
持続しているように聞こえて気持ちが悪い。
ワシへの突っ込みは歓迎だが ワシは勝手に妄想させてもらう。
世にある物理法則は全て人間の歴史の中で作られたものだろ。もちろん人間の勝手に作ったものではない
人間は物理法則を「発見」したのだ。それが自然を記述するのには十分ではないとしても しかし自然と
無関係ではなく 一定のあるいは条件付きの対応状態が存在する。
これら物理法則は確定した(であろう)「過去の解析」から人間の能力の範囲でモデル化・数式化できた歴史上の
遺産ということもできるだろうさね。
さてしかしこの物理法則なるもの 過去の分析からの産物だが もはや過去には何の作用ももたらさない。
物理法則が実際に「活動」しているのは「現在」である。この現在において しかし物理法則はそのままの
形で適用されているのだろうか?過去と現在はその存在は全く異なる・・気がする。しかるに現在という
とどまることのない連続動態において「真の物理法則(そんなものがあればだが)」が世界に作用され続ける
・・のか?ここにはしかし飛躍がないとはいいきれんな。
>>707 こういうのは初心者質問スレッドでどうぞとしか言えない。
世界を記述するのにニュートン力学だけでは当然不十分だ。しかし「ニュートン的世界観」が世界の完全性を
示唆する。世界が全て物質であり、その位置と運動量だけが世界記述の全てであるような気もしないではない。
しかし世界は物質だけでは決まらない。ワシの得意分野ですまんが 鉄ってあるだろ。鉄っていうのは通常
使われる際は炭素を含んでて「鋼」となる。さてこの鋼だが 723℃以上の温度では結晶構造が面心立方だが
常温では体心立方となる。鋼の場合 常温ではフェライトとセメンタイトに分離するのが最も安定な状態となる。
しかしオーステナイト→フェライト+セメンタイトの変態には 原子の拡散が必要で これには時間を要する。
非常にゆっくりと冷やしてやらないといけない。しかしよく 刀とか作る時に 水で急冷させるだろ?あれは急冷すると
鉄原子の拡散が間に合わずに しかしそのままでは状態が不安定化するので 急激な動的遷移が発生し、
マルテンサイトとなる。刀はこの性質を利用して硬度を得る。冷却速度(エネルギ流速)が変わるとその結果は異なる
って例を示したかったんだが・・どうでもよかったか。
何が言いたいのかっていうと 世界の状態を決めているのは物質の位置だけではない。エネルギの流れとその状態が
決定的に重要だ。しかしエネルギそのものの位置や状態を記述する方法はワシは いまだ聞いたことがない。それは
エネルギは「量」でしかなく動的解析の対象ではないからだ。とあえて断言してみた。
量子力学は現代でも最高の「精度」をもつ理論だが、量子力学で「物質」と呼ばれるものの状態を全て記述できると
仮定してみても 世界を完全に網羅して記述するのには全く不足しているように思われる・・・なんてね。
時間論も決定論も まだ物理の問題ではなく 哲学領域の問題なのだろーかなあ・・と思った今日でした。
>>709 純粋な鉄は意外と柔らかい。
炭素と結び付くことにより硬さが増す。
これは古代中国でも言われていたこと。
合金は理論的に組み立てられて鋳造されたというより偶然出来た工程と成分が全て。
だから資料がなければ戦艦大和の鋼材がわかっても同一のものは作れないらしい。
自然科学でもバイオの有用な新種バクテリア発見というのは偶然性に支配されている。
つまり実験のプロセスが最も重要ということ。
まだわからないことがたくさんあるっちゅうこっちゃね。
>合金は理論的に組み立てられて鋳造されたというより偶然出来た工程と成分が全て。
どうでもいいが こりゃ言い過ぎだぞい。
頑張ってマクタガードを解読ちう…
物理学んできた私には屁理屈を並べたような文章だが、
なんとか実感できるとこまでやってみるお
動く物体は時間が遅れる、しかし感じる時間は同じ。
だから時間は相対的なものなんだろ?
宇宙のどこかでは一つ一つの物体の時間が極端に違う所もあるかもしれない
時間の概念が絶対的から相対的にかわった時代があった。
次は「個々がもつもの」に変わるって事でいいんじゃね?
C点による時空論では、時間を次のようにかんがえます。
時間は、過去、現在、未来とながれています。
過去は過ぎ去ったもので存在しません。無であります。
未来はいまだ来たらぬもので存在しません。無であります。
現在は有として存在しております。
過去より現在に至る瞬間をマイナス0とします。
現在より未来に至る瞬間をプラス0とします。
現在はプラス、マイナス0であります。
過去は決定されたもので、かえることは出来ません。マイナス0は非変化です。
プラス0は、過去および現在から条件ずけられていますが、幾分の自由度が
あり、変化もあります。
現在という瞬間は0ではありますが、持続もあり連続してゆきます。
数直線上の0と1は、無限という概念を入れることにより、0は1まで連続します。
時間の連続性も同様に考えられます。
物理学の瞬間は10のマイナス43乗秒とか、C点では、0秒まで考えます。
物質の変化、非変化の同時存在により時間は成立しますが、現象世界では、
非変化は認識されませんので、瞬間を認識することは出来ません。
蛇足ながら、追加しておきます。
715 :
考える名無しさん:2008/03/18(火) 08:07:21 0
哲学の時空と物理学の時空とは、大きなギャップがあります。
観測から生まれた、論理による時空とロッジクによらない思考
による時空の差であります。
現象世界を研究する物理学と現象の奥に潜む本質を思考する哲学
の差であります。
この差はどうすることもできませんが、哲学として思考の限界に
挑戦しております。
>>715 おおむね賛成だが、
時間論は「私の人生」を死というものから論じるという
視点も加えたいね。
過去は現実に存在したものだ。
過去=内的経験が現実に実在したから、「私」がある。
私の過去を想起することの不思議さはどう?
717 :
し:2008/03/20(木) 19:49:55 O
時間に実在性などない。時間とは生成と誕生、存続と清浄、荒廃と消滅、これを繰り返しているに過ぎない。空間こそが実在性
718 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 20:24:17 0
空間など時間無しには縮退して虚無となるしかないわ。
719 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 00:02:53 0
C点の話読んで見たがよくわからない。
一番の矛盾は空間をいくら砕いても2次元の世界にはならない。
そこがなぜかするーされている。それが哲学ということ意味なのかw
720 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/03/24(月) 19:31:15 0
>>717 >時間に実在性などない。時間とは生成と誕生、存続と清浄、荒廃と消滅、これを繰り返しているに過ぎない。空間こそが実在性
おお ひさしぶりに覗いたら 少し進んでたわい。
あのよ 時間が「変化」を説明するための「便法」だとしようや な。
で 例えば 状態A→状態Bへの変化があると。
これ状態Bの「前に」状態Aがあるって考えてる時点でもはや時間の実在を確信しているのと
同値なんじゃねーの。
「時間」を「時間以外」で再構成しようとするなら「変化」って言葉を使っちゃダメだ。
もっととんでもない概念をひねり出さないといかんわい 多分。
そんなことできるのか???誰かヒントくれ。
721 :
考える名無しさん:2008/03/25(火) 19:41:53 0
いや「時間」そのものがそもそも基準となる物体の運動と
対象となる物体の運動の比較で発生する概念にすぎないんで…。
物体の状態変化を一連のものとして記述すんのに時間っていう
言わばモノサシを使うと便利ですよ、っていうだけなのだが。
722 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/03/25(火) 20:28:47 0
>>721 その「運動」って言葉を使ったらもうダメだろ。
運動って変化の1つだ。
運動にはもはや順序が内包されている。
順序の概念は時間が前提となってしまう。
時間の「単位」はもちろん物理的な関係性により定義できるが
時間の存在そのものは運動によって定義されない。
前後関係をその内容に含んでいる概念は時間を解体・再構成するには全く役に立たないと思う。
723 :
考える名無しさん:2008/03/26(水) 08:08:55 0
ピントはずれの妄想ですが、お笑いください。
ハーバード大学のリサ、ランドール博士によると、核破壊実験中に偶然、素粒子
の一部が消えたといいます。5次元の世界に飛び去ったとのことです。しかし、
まだ確認はされていないようです。だがそれが事実としますと、5次元ではなく、
C点ーー計測できない概念の存在ーーに変わったと、考えますと4次元で説明可能
と思われます。まったくの妄想ですので、お笑いください。
マクタガートもそうだけど、
時間の本質に「変化」を求めるのが納得できない
「永遠の現在」を想定しても、
頭に何かしらの情報があれば時間を実感してしまうんじゃないか
なら変化なんて必要ない
残るのは物理的な時間の矢
725 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/03/27(木) 17:23:56 0
>>725 論理的じゃないかもしれないけど、もうちょっと書くと
過去を認識できるのは過去がかつてあったからじゃなく、
頭の中の情報から過去を拾い出してるだけだよな
だから過去の経験がなくても脳内の情報があればそれを過去と認識する
もし時の流れが存在しない、つまり永遠の現在が時間の本質だとしても、
記憶しているものを過去、記憶にないものを未来となっていれば、
あたかも時間が流れているように認識されるんじゃないかと
これだと時間の本質に変化は必要じゃない
マクタガートを一生懸命読んだら、彼は時間の実在を「変化」を前提にして矛盾を導いてる
俺は物理屋だから哲学書の読解力はあてにならんが…
ただカント的な観点だと、認識している=実在している、とも言えそうだから、
「実在」の定義をはっきりさせないといけないと思う
駄文すまん…
727 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/03/29(土) 00:13:36 0
>>726 おお ありがと。
んー。過去を全て記憶と脳内情報に還元するのは ラッセルだか誰だかの 世界5分前発生説に通じる物があるな。
しかし過去を脳内情報に還元するのは 結構無理があるぞ。このラッセルの例え話も5分前だから何となく
騙されちゃうが これ世界が1秒前に発生したって言われたら ちょいと戸惑うぞ。何故ってどんなに単純な思考でも
1秒以内に完結する思考ユニットって考えにくいでさ。乱暴な話だが ある1つの概念を想起するのに2秒かかるとしてだ
この概念を想起する1秒前に世界が誕生したとすると その概念の前半1秒分は世界の誕生した瞬間に存在するってことだろ。
つまり概念の分裂が発生するてのか?単純な概念は分裂したりくっつけたりできるものだろうか?
同様にして 過去を記憶に還元するってのも ワシ無理が多いと感じとるんだ。過去を想起するのは記憶の助けを借りてるかも
しれんが しかしそれだけではない。「現在」の時系列を認知するのと近似する過去の時系列を想起している。
「現在と“同じような”感覚が過去にもあった。」という確信が時間の認識を強化している。
そこで 貴方の時間論は時間が静止したものとして そこからの「情報を取得する作用が時間を形成する」って感じなのかしら。
その情報を取得する作用はしかし意志によっては行われない。人間は従動的な存在だと。んー
しかしな 人間は自分の記憶にない過去も想起可能だぞ。恐竜の化石とかを見てさ 石ころとは思わず 1億年前の生物って想起する
わけだろ?これって脳的な錯覚かね?ワシはとてもそのようには考えられん。いや貴方の考えを誤解してたらスンマソン。
しかし時間とは不可思議じゃのう。ワシも もう訳分からん。おやすみ。
728 :
考える名無しさん:2008/03/30(日) 09:44:56 0
729 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/03/30(日) 16:08:03 0
>>728 そう!因果だわ!!・・・なんてね。ほんとかい?
因果によって時間を再構成するにはいくつか条件があると思うわい。
先ず 因果に因と果の最小のユニットが必要と思われる。つまりだな 因果A=「風が吹く→木が倒れる」というような
いわば文学的な因果は さらに細かく分解され「風が吹く」=「空気流動」=「窒素分子、酸素分子・・の位置、運動量、回転・・・の総体」
=「原子状態、電子状態・・・・」=「さらに根源的な要素の極限状態」と分解する必要がある。できるかどうかは分からんが。
次に その因果の最小単位の因と果はそれぞれ有限のパターンを持ち、また有限の「因果の組」を持つ。つまりだな 極限物のある状態は、物と状態を
セットにして有限の「極限相」を形成する。ある特定の極限相Aと極限相Bはセットの関係にあり「極限相A→極限相B」を究極の因果とする。
さてここで時間を再構成するためには「極限相A→極限相B」の中から時間要素を排除せねば成らん。ここが一番困難だ。「極限相A→極限相B」を
最小の単一ユニットとして、「最小時間」に相当する何かをを割り当てる必要がある。ここで時間を排除して別要素で表記せねばならない。
「何も無い。無である」ってのは許されん。それでは時間の存在感を説明できない。しかもその別要素は 現状観測できる「時間」に一致する必要があり、
ワシには思いつかん。
結局 時間はそのまま時間とする方がワシには楽だが・・・。誰かヒントくれ。
難しすぎてついていけない。
例えばA地点からB地点を車が通過した時間と物凄いスピードで新幹線が通過した時間とでは
新幹線で通過した時間の方が勿論短いはずであるがなんらかの法則が加わると
車が通過した時間の方が短くなったりして・・・なんて事ある!?
ワシの言葉など 思いつきのハッタリだ。ほとんど意味は無いから理解しようとするだけ無駄だ。
しかし また面白いでまかせでも思いついたら書きに来るわい。
貴方の車と新幹線の例えは そんなことが起こらないのが時間の不可思議なところじゃねーかしら。つまり非常に強力な普遍性がある。
相対論なんかで語られる 相対速度を持つ系の間の時間の関係は 系の間の時計の合わせ方にトリックがあるかと ワシ思っておったが。
しかし 例えば ミューオンって素粒子はβ崩壊するらしいが ミューオンを加速器内で高速で運動させると半減期が延びるって結果は
確定してるらしいわ。光速不変の原理によって誘導される相対論的時間が なにゆえ素粒子の崩壊時間にまで影響するのか全く不思議だ。
やっぱり時間は実在するのかもしれんのう。なんてね。
ちなみに 現状、時間の「単位の」定義はセシウム原子の基底状態の超微細構造間の遷移に伴い発生する光の周期の
9192631770倍を1秒と決めておる・・らしい。いや 何のことだか ワシにはさっぱりだが。
しかし単位の定義可能性は 時間の性質の1つに過ぎんしのう。過去も未来も現在も説明できんし。ワシもう、よう分からんわ。
732 :
730:2008/04/01(火) 21:35:01 0
例えばそんな事が起こった場合では過去、未来、現在の中にいるので過去も未来も現在も説明できないw
>>731 ほんとだわ。
現在・過去・未来ってのは局所的・個人的なもんかのう。世界を統一してはおらん気もするのう。
例えばよ 日本じゃ今 午後10時過ぎだ。イギリスじゃ昼の1時過ぎだ。時計の指す位置は違えど
同時刻に生きてるという確信はあると思うんだよ。
しかしだ 例えば10光年先の恒星αを観測する場合 この星の光は10年前に放射されたものだって説明がされるだろ。
ってことは 「現在」の恒星αについて考えることは虚しい事なのだろうか。「現在」というのが局所的であり ワシ個人にのみ
依存する認識であるとすれば 恒星αの現在について語ることはできないってことになるかもしれん。イギリスと恒星αの間には
どこで飛躍が発生するのだろう。イギリスの現在を考えることも無意味なのだろうか?いやワシにはそうは思えんわ。だとすると
恒星αにも 「現在」が「ある」と考えていいのかのう・・・。
知り得ないものについては語らない ってのが正しいのかもしれんが しかし 宇宙のいかなる場所であろうと そう 時間が
遅れようが どうしようが 「現在」に相当する「何か」があるとするワシのような考えは 間違うとるのかもしれんのう・・。
もうよう分からんわ。
恒星αもこっちの「現在」を知ることが出来ないんだから、おあいこだな
>732 その現在を知る事の出来ない時と空間に何かがある様に思える。
それを次元というのかもしれないな。
736 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 08:06:30 0
3次元の空間、1次元の時間ーー現象世界にそれ以外の次元などない。
4次元の世界がこの現象世界のすべてである。
737 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 19:05:57 0
本の題名にすると
「猿でもわかる時空論」=「数式なしの時空論」=「涙なしの時空論」
=「一日でわかる時空論」=「早分かり時空論」=「彼女に格好つけるための時空論」
=「哲学的時空論」
だな。
彼女に格好つけたいという需要があるということ目をつけたマクタガート等はたいした男だ。
こういう本が売れるわけはわからんでもない。
しかし、真面目に時空を追求するなら、こんなうまい話があるわけないだろう。
志ある者なら、数学と物理をしっかりやってから「時空」を語れ。
738 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 20:34:21 0
煽るしか脳がないのか?ん?
少しは自分の言葉で数学と物理をしっかりやってからの
「時空」とやらをを語ったらどうだ。
739 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:03:46 0
>>737 哲学一般に言えることなのでは?
彼女に格好つけるために、哲学ってあるんだよ。
だから、哲学は永遠なんだ。
彼女も哲学をやったりしてw
時空は時間+速度でOK?
計算するまでの知能もって居る人っているん?
>>729 私は私の内的経験の諸系列を随時想起する。その内的経験の諸系列は
記憶と呼ばれる。その記憶が収められている脳の場所は海馬と言われている。
その海馬を切り刻み、顕微鏡で見たりしても、それはたぶん、単なる肉片であり、
たんぱく質でできた物質だろう。その海馬から鮮明な過去の記憶を取り出し、
過去を想起することができるのは、生きている私である。
時間とは実は、現在ではなく、過去の内的経験の諸系列ではないか。
私は過去の中にしか現実
的に実在しえない。では現在の私は何か。現在の私はこの私の固有の過去
(内的経験)のちょうど
いまと呼ばれる切れ目の先端にある。だから、もちろん、未来とはいまの先で
しかなく、未来は現実的に実在しえない。未来とは、1年前の私からみた半年後
の私のことであるに過ぎず、いまの私には未来は存在論としてありえない。
>>741 その貴方の「過去中心主義」ってのを否定はしないんだが なんというかよ ちょっとこじんまりしててさ
巨大なる時間の謎を記述するにはちょいと物足りない気がするんだが・・。
時間が過去の内的経験のみに依存する諸系列だとするとだ しかしこれ ワシの知らない事象については系列化することが
できないってーことになるだろ?ならねーか?時間ってそんなに個人に収まってしまうもんだろうか?ワシが生まれる前の
時間については考えないってことだろ?そいつだけはワシ どうしても認めることはできない。
時間を個人の生涯に限定することで ひょっとして哲学的な困難を回避できるのかもしれんが しかしワシ
時間は個人の経験を越えたものであるのを前提としてしか考える気がしないのよね。時間を個人に限定すると
例えば 1000年前とされる事については、
「私が生きている間に想起し得る 1000年前に起こったと 私が信じている想起」
って感じになっちゃうだろ?いやそこから時間の不可思議を突破できればいいが 何も生まれない・・気がする。
単なる緊急避難としか思えん。
桶の中の脳とか 世界5分前発生説とか ワシにはそこには何の可能性も感じられん。認知と論理の欠陥を突いた欺瞞としか思えん。
同じように 時間を個人の経験に収斂させるのは・・・・・なんか直感的に嘘くさい。
ま 単にワシの思いこみであるというのは自覚してるんだが。
しかしそれでも 素朴な時間のあり方とか絶対時間とかは方便であるはずだ。つまり現在・過去・未来って記述は不正確だ。
さらに根元的な 単一の原理で記述可能であるはず・・多分。しかしそれは「運動」でも「変化」でもない。では何でしょう?
・・・ワシには絶望的に分からん。
>>742 (中島義道「カントの自我論」岩波現代文庫121ページ)
「いかにして私は、ある出来事E1−−例えば広島への原爆投下−−が過去の
現実の出来事であることを知りうるのか。それは、私がE1についてのさまざまな
資料・証拠・伝聞などを寄せ集めて、
(・・・)」現在の世界状態と矛盾のないものとして捉えることができるからだ。
その過去を私は直接想起することはできないが、別のところで、過去の出来事
に直接出会っている。直接の過去を想起できるからこそ、間接の過去も理解できる。
「想起の形式は内官(感官)の形式である。」(123ページ)
>>743 おはようございます。
中島義道さんの「時間論(ちくま学芸文庫)」なら読んだことあるんだが、
面白いし 否定もしないが しかしこの先生の「時間論」は ワシからみると「時間認識論」って感じするね。
またそのうち 書きに来るくるよん。
745 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 17:25:01 0
時間というものは、それ単独で存在できるんだろか?。
単独でも存在するならば、その流れを認識する事はできるんだろか?。
どーも俺には科学史におけるエーテルの様なものにしか見えないな〜。
746 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 19:30:31 0
>>745 何を今更言ってるんだか。
相対性理論で時間・空間は4次元の時空間として一体化されてる。
747 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 00:44:25 0
>>1 内的時間・空間と外的時間・空間の区別はどうやってするの?
>>747 言ってる意味わからん。
時間と空間は直観の形式
「人間は先天的に空間と時間を直観する能力が与えられている。
直観が集めてきたデータを分類し、判断するのが悟性である。
この悟性に与えられた先天的な概念が、カテゴリーと呼ばれるものだ。」
(762 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2008/03/20(木) 00:54:50 0)
時間や空間に外的内的と分類する意味がわからん。
時間と空間は一つである。そうでなければ、認識そのものがうまく
可能にならないだろう。
>>746と748に共鳴する
4次元の時空の中で速度があるかも知れない、それが時間となって行く様な気がする。
例えば一本の川の水は非常に遅く、もう一本の川はすごく早い川があっても時間は同じだと思う。
もう、ようわからんw
時空に速度があれば当然宇宙へ行く場合速い方が速く着く
宇宙には速度が無いのでロケットの速さのみで行き着く
ということでタイムマシーンは夢物語w
751 :
考える名無しさん:2008/04/26(土) 03:06:33 0
>>747 >
>>1 > 内的時間・空間と外的時間・空間の区別はどうやってするの?
カントは間違っているんだよ。
752 :
考える名無しさん:2008/04/28(月) 19:47:37 0
>>751 なんでカントなんだ?
カントなら時間空間は思考の形式じゃないか。
カントは「時空間は感性」
といってるが
「空間は感性、時間は悟性」
と思うが、どうかな?
754 :
考える名無しさん:2008/05/01(木) 16:21:01 0
未来の事は判らないけど空間の長さが時がたつにつれてちじまり
現在と未来の間の時間が接近して、未来が来る様な気がする
実在性が現在で、個人によって異なる・・・なんちゃってw
>>754 見たぞい。
「タイムマシンは作れるのか?」
どうなんでしょう。
しかし出演していた松井先生は「光速を越えれば過去に戻れる」なんてことを簡単に言ってるが
これ 光速は越えられないと確信してのおちょくりなのか
それとも本当にそう思ってるのか どうなんだろうね。
地球の周りを光速を越えてぐるぐる回るためには地球の重力がメチャクチャ強くないとだめだぞ多分。
いやその前に光速越えができるかどうかって話だが。
そこをすっとばしても 重力以外の力で宇宙船の釣り合い保とうとしたら
回ってる人間にものすごい慣性力が発生して無事ではすまんと思うが。
そのあたりまで考えてるのかなこの松井孝典さんはよ。
それらを全部すっ飛ばして過去に行けたとして その過去は誰にとっての過去なんでしょう?
ドラえもんのタイムマシンを使ったようなストーリーではありえんと思うが。
・・・・ワシにはわからん。
757 :
考える名無しさん:2008/05/13(火) 17:02:55 0
それが何であるにせよ、空間にある。
エネルギーの状態が、波にせよ、振動にせよ、熱にせよ、電気にせよ、磁気にせよ、
特徴的なはずです。
空間にある全てを検出する装置にかければすぐにわかるはずです。
或いは、ある程度遮断する物を用意して、遮蔽物に遮断されるものに含まれるものとか、それ以上であるとか、
判明するはずです。
これを繰り返すと、何であると結論します。
問題は物質の知識が足りないのと、ほとんどの人が信じないという課題がありますね。
信じたとして、例えばエネルギーが巨大化するならば
分散させて被害を縮小する方がまだましかもしれない・・・なんちゃって!
時間は本当のところ実在(実在にかかわる概念)ではないのかもしれん
宇宙の時間発展演算子が位相同型だとしたら
(少なくとも既知の物理法則に関する限りはそうだと思えるが)
物理学が時間の実在性を云々しなければならない理由は、究極的にはない、
ような気がする
…とは、ただの思いつきだが、俺には今これより先を考えるだけの知識がない
さしあたり物理屋のコメントを貰いたいのだが、
板違いかな?
760 :
考える名無しさん:2008/05/24(土) 22:19:30 0
時間も空間も見えるかぎりあるじゃないか!何の疑問がある?
761 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 00:25:33 0
時間も空間も見えないし。
762 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 00:31:10 0
見ようとしない者には見えない。
763 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 05:05:07 0
>>155 >変化と非変化という矛盾する両者の合一をみとめざるを得ません。
多世界解釈そのものじゃん。
ググっていきなりきたんだけど、何なのこのお馬鹿なスレは?
なあなあ、過去って確定してるのか?
未来は?
過去はないよ!から・・・やってしまってからでは遅過ぎる^^
769 :
永遠の幻想 ◆UNIVERSEok :2008/05/30(金) 07:38:27 O
時間も空間も制限としての機能を持つが、
それは我々が物体的な制限の檻のなかに閉じ込められているから。
我々、存在者が夢を見るのは、時空を超えた永遠に向かうための練習である。
最後の飛翔が死そのものである。
770 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/06/16(月) 20:48:01 0
ちょっと思いついたんだがな
「世界5分前創造説と決定論的世界は矛盾する」
って気が付いた。うそかまことか聞いてくれ。
世界5分前創造説ってのは、つまるところだ、
「過去に起こったと現在認識可能な事象は全て現在状態に圧縮され、意識上で展開され得る」
ってのとほぼ同値だろ?
ところでだ、世界が決定論的であったとすると、過去から未来までの状態の全てが一本の対応腺で結ばれることになる。
それを因果と呼べるかどうかはちょいと分からんがな。
だとするとだ、実は未来の状態も現在に圧縮されていなければならない。
つまり「未来の記憶」が現在を生きてる我々に存在するはずだ。
そうでないと現在状態そのものであるワシらが過去を想起可能であることと矛盾する気がするのだよ。
これおかしいだろ。どこがおかしいって、それはこれから考える。
きみは誰なのか?
測定者なのか
測定者を測定している測定者なのか
どちらなんだ。
というところかな。
772 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/06/16(月) 21:01:42 0
773 :
759:2008/06/17(火) 00:03:50 0
>>770 俺の考えで行けばまったく矛盾しない
時間発展演算子が位相同型=物理宇宙の一瞬に全時空が圧縮されている
実際、未来の記憶を我々は持っているとも言えるが
その場合我々は自分の未来の姿(身体)について
不断に拡散しながら幾重にも位相的に歪んで行くような
途方もないイメージを持つことができなければならない
それができなければ未来は想起できないし、
現にできないというわけだ
過去についてはそれができる、というのは我々の身体イメージがだいたい
空間的な小領域を密に占めるような格好で成立しているからだ
これが俺の考える(当否はまったく保証しない)時間と時間の矢の根拠だ
そんな小領域を規定する根拠は物理法則の側にはない
そもそも時間は我々の意識の上でのみ成立するもので
物理としての実在性は疑わしい、ということになる
意識がそうできている、というのは、意識というのがそもそも
生物学的な個体=小領域の維持的な過程から沈殿した
もやもやして物理的な境界条件を定め難いアトラクタだからではないか
という推測はとりあえず可能だ
774 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/06/17(火) 01:03:59 0
>>773 おおおおっ
もう寝ようとしてるのにすごい書き込みが・・・・。
ほとんど何言ってるか分からんが。
ちょっと説明してもらっていいかしら?
>不断に拡散しながら幾重にも位相的に歪んで行くような
この「拡散」の主体は何でしょう?
あと位相的にひずむってのは分かりやすく言うとどんな感じかしら?
つまり何に対して歪んでるのかしら。進んでるとか遅れてるとかではないのね?
>小領域を規定する根拠は物理法則の側にはない
これはつまり、人間が空間内の限定領域を占める事に関して、それを説明する物理的手段が無いってことかしら?うーん。
>意識というのがそもそも・・・・・境界条件を定め難いアトラクタだからではないか
意識がアトラクタであるってイメージが全然わからん。つかアトラクタが分からん。
ローレンツアトラクタ・・みたいなもんですか?意識がアトラクタだとする根拠も分からんが
なにゆえ意識が上記のような性質ならば意識上で時間が成立可能となるのか・・・?
もし、ワシに理解できるように説明可能と判断してもらえるなら、かみ砕きつつ前に進みたい。
その為に貴方の宇宙についての認識を披露願えれば本当に嬉しい。
宇宙の時間発展演算子からお願いします。これは量子力学の演算子?
いやワシ、本当は世界5分前創造説と決定論の両方を否定しようとする目的で
>>770の考えを開始してるんだが、それ「全く矛盾しない」って言われると、また最初から
考え直さんといかんじゃんか。えらいこっちゃで全く。
ん?嫌われたかな。
759さんの「時間発展演算子」が意味するところは、ワシにはよく分からんが、しかし、非常に高名な物理学者でも
世界には「全宇宙の状態ベクトル」の類が存在し、それは量子力学の演算子に従って決定論的に変化する てなことを言う人もいるみたい。
はたしてそうでしょうか?「全宇宙の状態ベクトル」なんていう「神の目線」からみたようなもんが実在するのかね?
ワシの頭では追いつかんけど、しかし量子力学そのものは静止系での適用を前提としており、宇宙全体というような 絶対静止系の
想定が困難な対象に対して「全宇宙の状態ベクトル」など、実際にはもちろん、理論的にも想定可能とはワシには思えんが どうなんでしょう。
ま、また書きに来ます。
777 :
773:2008/06/18(水) 00:09:53 0
>>774 ホントは
>>773は最初の1行だけ書いてやめようと思ったんだが
悪い癖でついテキトーに書き散らしてしまった。
状態空間(相空間phase space)の時刻aの状態s_aから時刻bの状態s_bへ遷移するのを
s_b=g(s_a)などと書く、このgを時間発展演算子(time evolution operator)という
ただそんだけのものなんだが、状態空間が位相空間(topological space)であって
gが写像として位相同型であったとすれば、任意のa,bについてs_aとs_bは同型つまり
「見た目は違うようで実は同じ」と見なせる。ドーナツとコーヒーカップのあれ。
>不断に拡散しながら幾重にも位相的に歪んで行くような
これはタバコの煙が拡散して行くようなイメージを字にしてみただけ。
>小領域を規定する根拠は物理法則の側にはない
ひらたく言えば、空間のどこからどこまでが「身体」であるかを決定する基準は
物理のどこにも存在しない、ということを言おうとしたもの。
>もやもやして物理的な境界条件を定め難いアトラクタだからではないか
これはもうまったく適当に書いているので、我ながらデタラメだが、言わんとしていることは、
生物体の生理過程をコンパクトな領域内で記述したとすると、
それに対応する意識の記述は空間的にコンパクトな台を持たないと予想されるが
意識が意識であるためには、ある変換fによってコンパクト部分空間に写像できなくてはならないだろう、
というようなこと。
俺もそんなによく判って書いているわけではないので、あまり深刻に受け止めないでいただきたい。
決定論的な物理と意識(自由意志を含む)の存在はどうしたら両立させられるか、
いま俺の持ってる(ものすごく漠然とした)見通しを書いてみたまでだ。これをどう思うかは、任せるよ。
>>770はどこまでが物理でどこからが意識(哲学)なのかはっきりしないところがあって
そこらへんの曖昧さから「世界5分前創造説と決定論的世界は矛盾する」という妙な結論を
導いているようにも思える。つまりこれだけだと本当はコメントしようがない。
そこらへん明確になってくると、俺ももう少し明確にコメントできるかもしれない。
778 :
773:2008/06/18(水) 00:17:52 0
>>776 別に嫌ってなどおらんよ。
仕事から帰ってきてすぐ
>>777を書き出して、やっと書き上がったというわけだ。
で、もう寝ないといかん。また今度な。
>>777 なるほど、トポロジーか!?うーん。
しかしトポロジーを決定論に適用するってのは既に行われているんですか?
知ってるならちょっとヒント下さい。
>>777は長々と書いてあるが、実はたいしたことは書いてない
あまり期待をもたせて電波を発生させないようにしてほしい
長々書きたいならブログでやってくれ
781 :
773:2008/06/18(水) 00:44:14 0
>>780 たいしたこと書けないのは判ってるからブログなんてのも冗談じゃないと思ってる。
しかしまあ、連日の長文で迷惑をかけているようだから今後は控える。
>>780 きびしいなあ・・・。
しかしよ、ガロアの論文も理解できる人間がいなくて発表が遅れたと言うぞ。
電波でもなんでも発生しよう。ここももはや過疎スレだ。
・・・駄目かい?ま、いいや。おやすみなさい。
書くのは楽しいだろうが、読む方が時間の無駄。だから電波はキケンってこと。
いやこのスレを開いて読む人間がまだいたってことが驚きだわい。
書くのは楽しいって言うけどね、書くのも大変よ。
ワシも2chのルールはよく知らんでな。
ワシも他板の自スレが落ちちゃったもんでさ、つい気楽に書きに来た。ま、書くな言われればもはやここには来るまい。
結構、長いことお世話になっちゃった。ん。おやすみ。
うむ、デジャブかと思ったら前から存在していた^−^
初めてきたけど
なんかワクワクするスレなので続けて下さい!
787 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 20:23:26 0
おれは頂点に達したとき感じた
時間と空間の存在を
それだけだ みなさんは考える前に感じなければならない
だから俺のほうが優れてる(笑)
788 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 20:41:14 0
時間論は不眠症の俺に聞いてくれw。
寝てるか起きてるか分からないような状況で、
目を閉じ物音一つしなければ時間の経過を殆ど
知ることが出来ない。
明るくなって時計を見て今日も寝てないなぁとビビルだけw。
789 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 20:42:24 0
つまり、時間とは出来事なんです。
790 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 21:04:43 0
空間とは人が動き回れる領域のことです。
電子なら金属原子中が空間になるでしょうが、
電子陽子の大きさとその距離間をもう一度
調べてください。
この世は空間ばかりです。物がある世界こそまさに空間です。
791 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 21:08:57 0
それは3次元の話だろ
ま おれも4次元を完璧に理解してるわけじゃないが
792 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 21:23:12 0
福岡・宮田のトヨタの工場が800人削減だって
スタグフレーション
すごい時代に入ってきました
ニートもかなりヤバイよ
793 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 21:30:39 0
>>792 たかだか800人削減してもこの世の絶対空間は狭まらない。
>>791 時間軸を空間の要素に加える4次元は数学じゃありませんね。
794 :
@:2008/08/06(水) 21:47:01 0
>ラプラス
不眠症とはつらいな
酒もいいが、バナナ食うと眠くなることもあるぞ。
あと、ちょっと濃いめの熱いコーヒー飲むとかえって寝れたりする。
あと難しいこと考えずに女の裸を思い描け。俺はこれが一番だ。
795 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 21:51:02 0
>>794 寝る前に温かい牛乳ってもあるらしいが、
とりあえず薬物療法で数週間実験して
みようと思う。
駄目なら診療内科だが、大して期待して
ないしなwww。
毎日眠いよねw。
796 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 21:57:39 0
今日はワイン一ビン空けちゃったねぇ。
週に二度のお楽しみタイムじゃ。
またキチガイかw
798 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 22:05:19 0
お前がキチガイだろw。
しかし、「電波」って便利な言葉だよなw
800 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 22:16:23 0
さぁ、それはどうだろうなw。
801 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 22:18:09 0
宇宙を感じたことがあるんだが
絶対時間は確実に存在すると言っておこう
刻み続けている 地球が終わっても続く
それから空間とは意識が存在する
存在するというかいるというか
これもオレの脳の錯覚かもしれない
だから理解するため仙人になる(笑)
802 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 22:19:45 0
以降、神秘学の時間らしいですねw。
803 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 22:20:14 0
波 って字が抽象的なイメージに合致しやすいんだよ
感覚がね
805 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 22:23:18 0
>>804 お前がアフォだろ。つまり、お前が消えろよw。
806 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 22:24:03 0
>>801 世界に砂時計だけが存在しているとしよう。
(こういう設定なので 空気は? などという揚げ足は無い)
砂時計の砂が落ちている。
すべて落ちきった。
落ちきった今、時間は動いているか?
807 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/06(水) 22:27:12 0
>>806 砂時計の砂が落ちきった次に何が起こるかによるな。
808 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 22:56:04 0
砂時計とは物であり
時間の実体ではない
実体を確定するというのも3次元的ではあるが
809 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:10:53 0
空間とは?
我々は何万年前の星の煌きから、ほんの数万分の1秒前の自らの手を
時系列(ぱらぱら漫画のようにw)に見てそれを空間として認識している
それが4次元時空(時空連続体)の本質
つまり我々は時間軸を光速で移動していると、アインシュタインはいった
らしいが、つまりそういうこと
このモデルさえ理解していれば、光速列車などとわけのわからないものを
考えなくても、簡単に相対性理論の時間の遅れる理由が理解できるよん
810 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:21:49 0
訂正 ぱらぱら漫画のたとえは違う
何万年前に起こった過去の事象から数万分の1秒前の自らの手
を見て空間として認識しているといったほうがいいかな
811 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:29:40 0
つまり我々は、光速で時間軸を移動している(アインシュタイン様談)
我々は光速で時間軸を移動しているから、移動すれば当然時間が遅れる
ことが説明できる(ローレンツ変換式で簡単に時間の遅れが計算できる)
812 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:37:55 0
我々は移動することにより時間軸に対して光速以上の
ベクトルが発生することになる、つまり移動することにより
時間の進み方が遅れるってことになる
これが、特殊相対性理論の本質
以上w
813 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:40:49 0
ごめん、光速以上は移動できないから、時間が遅れる
ことになるだ
814 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:48:47 0
>>812 じゃ、反対方向に動いたら時間は速く進むじゃん
815 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:56:34 0
ふむ 哲学板にカキコするべきじゃなかったかorz
時間軸に方向なんてない
816 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 01:59:46 0
>>815 じゃあ「光速で時間軸を移動してる」てのは貴方の脳内のみで通用する比喩なのね?
817 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:01:31 0
ちがう
818 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:05:21 0
たとえば、じっとしていても、時空の中を光りの速さで移動している
819 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:05:52 0
>>817 いやそうですよ
「時間軸」に方向がない、といいつつ「光速で移動」なんておかしいですよ
あと時間軸と光速度の単位をどうやってそろえるの?
820 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:07:12 0
Super Neet Time ☆
821 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:07:42 0
>>818 そのじっとしていても移動する「光の速さ」に方向はないの?
822 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:10:16 0
空間を移動すれば、時間移動成分が小さくなる
例えば反対にうごいてもそれは、それは相対的にみればどちらでもいっしょ
823 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:14:47 0
>>822 だから「空間を移動」→「時間移動成分の縮小」は
「時間の方向と空間の方向との関係性」を示せなければ貴方の頭の中の空想でしょ?
相対的とか絶対的とか関係あるの?
この手のスレは、いつも、相対論を齧っただけの生半可な知識の奴が来ると
余計に混乱する。
825 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:22:08 0
>>824 んなこたあ分かってるんだよ
馬鹿相手に遊んでんだ
いままで放っておいたスレの心配なんかすんな
826 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:22:46 0
ローレンツ変換しってる?
一方から他方を眺めたときの相対的なはなし
しらないなら、それから説明しないと
わからんかなorz
哲学板に投稿するんじゃなかった、説明するのしんどいな
827 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:33:02 0
馬鹿はオメーラだろ!
こんなスレに投稿した俺もアホだった
連続投稿で引っかかる さらば
こちらの速度が上がれば上がるほど、そのほかの物体の時間は遅くなってゆく。
というやつだべ?
んまぁ、物理は言語と式の両方からアプローチ出来るから、凄いなぁ。と、よく思うんだが、
それはともかく。
>我々は光速で時間軸を移動しているから
とした時の、基は何処なのだろう。。。
例えば、宇宙は膨張し続けている。とされていて、しかし、そうだとするならば、全く膨張しないある基点。
(ビックバンが発生した場所。)があるはず。
それと、同じように。光速で動いている。とした時に、動いていない基点が必要になるのではないだろうか。と、
色々なSF映画を見ていると。
ほぼ光速で移動し続けた、宇宙船が地球に戻ってくると、驚くほどの時間が経っていて、サルの惑星でした。
人間が奴隷になっていて、NO---------!(これは、ある意味、ざまぁw)
ゴリラが軍事的で、NO---------!(ゴリラの半分はやさしさで出来ています。)
自由の女神がNO---------!(USAざまぁw)
・・・だけど、上の説明をよんでいると、「すでに我々が光速で運動している。」という。。。
それは?
地球が、とある基点又はとある星から見た場合は。光速で動いている。という事?
よくわからにぃ・・・バカなので。
うぐぅ。多少乗り遅れたワン・・・orz
830 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:54:27 0
このスレは時間と空間のスレだと思ってカキコしたんだが
我々の感じている空間というのは、4次元時空(時空連続体)なんだけど
例えば、我々は数万年前の星の煌きから、数万分の1秒前の目の前の手を
見ている
つまり我々は時間軸にそって光りの速度で見ているというわけそれが4次元
時空
831 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 03:18:23 0
よく、相対性理論の解説書にでてくる、光速列車の話で時間の遅れ
を理解するより、4次元時空さえ理解してれば、時間の遅れは簡単に
説明できるといいたかったんだが、よけいなカキコだったorz
要約すると、童貞だからセックスしたいわけですね。
833 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 04:24:16 O
光の速度で時空間を移動してる
834 :
@:2008/08/10(日) 10:20:18 0
>>826>>830>>831>>833 光速で時間軸(または時空?どっちだ?)を移動してる・・・・????
気持ちは少しだけ分からんでもないが、いや、やっぱり分からんが、
しかしすっ飛ばしすぎだろ。
単に「移動」って言っちまったら、通常の三次元空間の想定が必然となる。
さらに光速って「速度」に言及すると時間そのものを前提とする。
これで理解しろって言う方が無理があるぞ。
貴方の想定している(だろう)特殊な時空4次元ベクトル空間内で「光速度」がどう記述されるかを説明してから
持論を展開したらどうだろうな。
835 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 12:57:35 0
正確な表現で伝えるとしたら 時空の中を光りの速さで移動している
これは、俺の持論じゃない時空のイメージの本質
簡単な図と数式でも説明できる
836 :
@:2008/08/10(日) 13:13:32 0
>>835 じゃ 数式でいいから書いてみてくれ。
理解不能ならギブアップする。
837 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 13:42:27 0
今という時空は、わたしとあなたの顔の周りのほとんど点の状態
しかない
わたしの身の回り全て、過去の歴史をみている
ここまではわかるよね?
宇宙が誕生した瞬間、ほとんど点の状態だっただろうといわれている
インフレーション膨張が始まった瞬間、その直前の地平線距離は
10-25乗だったといわれている
宇宙が誕生して100年後、100年前の宇宙誕生の瞬間は、100光年先
の場所に見える、その先には宇宙はまだない
つまり光速で遠ざかる宇宙の地平線
点であった宇宙の始まりは、時間が経つと我々の周りに球面状
になって拡がり、光りの速さで遠ざかって見える
宇宙が誕生した時の時空も点だったし、今という時空も点
そしてその今は、光速で球面状に遠ざかり過去となっていく
最後にこの説明は、某HPの時空に対する説明をそのまま引用させて
もらって勝手な解釈で書いています すいません;;
838 :
@:2008/08/10(日) 14:01:41 0
>>837 ん?中途半端なところで終わってるが、もういいのか?
引用もいいとは思いますけどよ。あのー・・・
貴方は「時空連続対」の概念を用いれば相対論を理解できると断言した。
なら 貴方がその考えをある程度理解出来ていると、こちらは考えるだろう。
自らの理解程度を認識しつつ論理展開するのがいいのではないか?
ちょっと教えて欲しいが・・・
「今」という「時空」は点であり、光速で球面上に広がっていく・・・と。
この球面上に広がっていくのは何ですか?「空間」ですか?実体的なもの(物質)ですか?
またその光速で拡大する「点」に対して、我々の「立ち位置」「目線」はどこにあるのでしょう?
839 :
@:2008/08/10(日) 14:03:29 0
ああすまん「時空連続体」だったな。
840 :
@:2008/08/10(日) 14:05:24 0
ああああすまん「球面状」だったな。
841 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 14:40:09 0
立ち位置???
全ては我々の今が宇宙の中心でもあり、どの点も中心でないといえる
842 :
@:2008/08/10(日) 14:45:26 0
>>841 では我々が高速で移動する場合も、その拡大する「点」の原点は常に我々に同行するとのイメージでよいのか?
843 :
@:2008/08/10(日) 14:49:06 0
あと「広がっていく」のは何か?の回答もお願いね。
844 :
考える名無しさん:2008/08/10(日) 16:02:15 O
広がっていくのは時空間、空間
宇宙の始まりは点でありいまの我々も点であるから直線で結んでも問題ない
つまり光速で時空を移動している
風船をイメージすればわかると思うけど
その表面は全て中心ともいえるし中心がないともいえる
時空をイメージすれば簡単な数式で時間の遅れを説明できるけど、相対性理論を
理解するうえでとても大事なローレンツ変換を理解しておく
必要がある
845 :
@:2008/08/10(日) 16:38:48 0
>>844 おお、まだやるのか・・・。
ローレンツ変換は知ってるから遠慮するな。
数式も好きなだけ出しちゃっていいだろ、行けるところまで。その方が早いだろ。
貴方の言説をまとめると
「時空あるいは空間が時空あるいは空間の中を光速で移動している」となる。
何がなんだか分からんぞ。どの時空がどの時空なんだ?
そろそろ規制になる。さらばだ。
現在の宇宙では、時間は1秒、2秒というように普通の時間、つまり実数の時間で経過しています。
しかしホーキングらによれば、宇宙のはじまりは1i 秒2i 秒というように時間は虚数で経過していた
というのです。i は虚数をあらわし、虚数の2乗はマイナスになる、すなわち
i × i =−1
になると覚えておいてください。
時間が虚数であることのもつ意味を理解するには、アインシュタインの相対論をもちださなけれ
ばなりません。アインシュタインの相対論で最も基本的なものは「時空の距離」という概念です。
2点間の距離というものは誰でも知っています。しかしこの「誰でも知っている意味での距離」を
計算するときには、2点での時間のずれは考えに入っていません。
しかし相対論では、空間的には同じ点でも時刻が経過していれば別の点であると解釈したうえで、
時刻の経過まで含めた「新しい意味での距離」というものを考えます。それを式で示しますと、
〔時刻も位置もずれている2点の距離(略して「時空の距離」)の2乗〕
=〔空間的な距離(従来の距離)の2乗〕 − 〔時間の経過の2乗〕
となります。この式から、特殊相対性理論のもろもろの不思議な現象がすべてみちびかれます。
この式は
〔空間的な距離の2乗〕 = 〔縦の2乗〕 + 〔横の2乗〕
というピタゴラスの定理に似ていますが、「ミンコフスキー計量」というのが正式名称です。
足し算であるピタゴラスの定理とちがって、「時間の経過の2乗」の部分が引き算になっているという
点を頭に入れておいてください。
ミンコフスキー計量の式と宇宙の歴史との関係を考えてみましょう。あたりまえの話ですが、
われわれの宇宙は空間的な広がりがあり、また時間も刻々と経過しています。同時刻で空
間的な広がりだけを考えれば、「時空の距離の2乗」はプラスです。一方、空間的には動か
ず時間だけが経過したとすれば、「時空の距離の2乗」はマイナスになります。このように、
空間方向と時間方向がことなるのが我々の実数時間の宇宙です。
しかし実数時間の宇宙では、はじまりの距離だけは特殊です。宇宙のはじまりでは空間の
大きさはゼロですから、空間方向などというものはありません。しかし宇宙がはじまったの
で時刻だけは経過でき、その方向の「時空の距離の2乗」はマイナスです。つまり実数時間
での宇宙のはじまりは、「時空の距離の2乗」がマイナスという方向しかないという意味で、
宇宙の歴史の中で特殊な地点です。
849 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/11(月) 21:51:05 0
ところが時間の経過が虚数だとすると話がちがってきます。虚数の2乗はマイナスですから、
虚数時間が経過したときのミンコフスキー計量の式の「時空の距離の2乗」を計算すると、
「時間の経過の2乗」の部分はマイナスの数を引くということで結果はプラスです。プラスとい
うのは空間方向の距離と同じです。つまり時間が虚数だと、時間と空間の区別が本質的にな
くなってしまいます。
その結果、空間方向がなく時間方向しかない宇宙のはじまりも、特別な地点ではないことにな
ります。つまり時間が虚数ならば、宇宙のはじまりはなめらかで歴史の端ではないということです。
そして宇宙自身がなめらかなら、その中の物質のふるまいも宇宙のはじまりでなめらかであると
考えることにより、宇宙がはじまったときの物質の状態を決めようというのがホーキングのアイデアです。
>>849 時間とは点であり事の連続ならば、因果律はどう説明します???
852 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/11(月) 21:55:04 0
しかも時間は一方向にしか進むことが出来ない?。
>>851 そのような因果律を説明してみてください。
853 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/11(月) 21:59:03 0
北島・・・金やったね。
久々に興奮したぜ。
北島金おめw。
>>852 時間が一方向にしか進むことが出来ないのではなくて、
人の心が一方向にしか感じ取ることが出来ない。
北島金メダルおめでとう
856 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/11(月) 22:17:12 0
>>854 そうとも言えるが、
俺も誰かに言われたことがあるが、
人間心理なきところに時間(概念)は無い。
そこまで後退して全容を見渡しちゃうと
話が進まなくなっちゃうかも?。
857 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 22:42:46 0
時間と因果
どっちが先なの?
858 :
@:2008/08/11(月) 22:58:25 0
>>847 俺もミンコフスキー空間は衒学的にしか知らないし、本質など理解していないが、しかし、
>〔時刻も位置もずれている2点の距離(略して「時空の距離」)の2乗〕=空間的な距離(従来の距離)の2乗〕−〔時間の経過の2乗〕
この式は時間と空間の関係が逆ではないのかな?
正しくは、
〔時刻も位置もずれている2点の距離(略して「時空の距離」)の2乗〕=〔時間的な距離の2乗〕− 空間の経過の2乗〕
ではなかったかと思う。違ったらスンマソンだ。
>>854 >時間が一方向にしか進むことが出来ないのではなくて、
>人の心が一方向にしか感じ取ることが出来ない。
こいつには俺は同意できないのだ。時間には人間を除外しても方向がある。
物理の理論式が時間に対して対称であろうとも、それは時間を完全に記述しきれていないからだ。
なぜなら
1)物理理論式に現れる時間「t」は現在の特殊性を全く示せない。
2)現在状態から認識可能なのは過去のみであり、未来の痕跡を見いだせない。
3)そもそも宇宙内存在である人間が時間の方向性を感じてるのは、時間の非対称性の現れと考えるのが妥当である。
・・・・信仰にすぎんかもしれんがね。
859 :
@:2008/08/11(月) 23:02:21 0
ああああすまん。
>>858 正しくは、
〔時刻も位置もずれている2点の距離(略して「時空の距離」)の2乗〕=〔時間的な経過の2乗〕− 〔空間の距離の2乗〕
でした。
>>858 >時間には人間を除外しても方向がある。
時間を認識する意識がなければ、時間という概念そのものも無いのかもしれません。
時間の実在性には、「意識」が深く関わっているのでは??
量子力学でも、「意識」が鍵となっているでしょ?
861 :
@:2008/08/12(火) 00:02:42 0
>>860 >時間の実在性には、「意識」が深く関わっているのでは??
そうだろう。しかし俺は「唯物主義者」なのだ。(唯物論なる論は持ち合わせていないが)
だから比喩的に言えば、意識も宇宙の支配下にあり、
意識が宇宙から構成するいわゆる「時間」は、その素となる〈時間〉が宇宙内形式としてあるはずだと信じてるのだよ。
量子力学の鍵が「意識」かどうかは俺には分からんが・・・
量子力学もね、意識なる主体がミクロに影響を与えるというのは表現として良くないなあと思う。
「私」は「私」を含め外部と影響し合っているのだから。そこから純粋なる「私」「意識」を抽出するのは無理がある。
しかし俺はエヴェレット解釈は全然信じてないがね。これも信仰ですけど。
862 :
考える名無しさん:2008/08/12(火) 00:16:52 0
訳のわからん論理展開で訳のわからん話してんなw
オグシオが男にまけたのでw数式で説明その前に
その前によくイメージしてほしいけど、空間というものがあって、それとは
別に時間が経過しているんではない
我々の前に拡がっているのは、実は宇宙の空間ではなく、宇宙ができてから
今までの時代ごとの風景が時系列的に並んで見えているだけ
時間と空間は常に絡まって存在する
ということで、相対論の教科書では時空をまとめて座標系として表現
する
最初にこの4次元表示を考えたのは、リトアニアの数学者ミンコフスキー
よってこの図のことを、
[ミンコフスキー空間」という
863 :
@:2008/08/12(火) 00:20:55 0
>>862 んんん?ひょっとして てめえは昨日の奴か?
遠慮せず勝手にガンガンやれ。
俺はもう寝る。さらばだ。
超ひも理論とかでは、この世界は11次元とかそれ以上の次元とか・・・
1秒前の貴方は存在していたか?
1分前の貴方は存在していたか?
1時間前の貴方は存在していたか?
それを感じ取るのは、意識の中の記憶だけで、
実際に存在していたかどうか確かめる手段はない。
この瞬間に1m先にある物体が存在しているか?
この瞬間に1km先にある物体が存在しているか?
この瞬間に1光年先にある物体が存在しているか?
それを感じ取るのは、意識の中の想像だけで、
実際に存在していたかどうか確かめる手段はない。
仏教には「心色不二」という言葉がある
宇宙があるから心があり、心があるから宇宙がある。
どちらもお互いに依存しあっている。
多世界論というのもありますね
868 :
考える名無しさん:2008/08/12(火) 01:06:50 0
>>866 ある物理学者がいってたけど、人が存在するから宇宙がある
宇宙を認識できなければ、宇宙は存在しなかったっていってたが
「心色不二」 と同じことをいってるのかもね
869 :
ネオマトリクス:2008/08/12(火) 01:13:26 0
そこで否定不可能の理論により
唯識論&独我論が残る、という結果になります。
まず、『意識は観測不能で証明できず存在しない』論を言う。
で、反論する人には「じゃあ、目の前で証明しろよ」で終わり。
要は、「相手に証明させる側の論」なので
唯物論者が神や悪魔を否定するのと同じ感じ?
意識は無い派の論>意識はある派の論
なので、万人は意識の無い哲学的ゾンビ。
で、人類の問いは終わり。自分たちに意識はないざまし。
全て素粒子の運動。
しかし。ここからが重要。今のこれは残る。
記述すると『この思考とこの感覚』。つまり、唯識論と独我論。
で、終わりでございます・・・・・・
時間は過去現在未来という一方通行の1次元ではなくて、
立体的な広がりを持っているかもしれません。
過去も現在も未来も複数、無限に広がっているのかもしれません。
多世界論的な立体多次元としての時空間があり、
心がその時空間の中を光の速度で移動しているのかもしれません。
心の持ち方によって、違った時空間に進むのかもしれません。
数学的に把握される時空間ってのは正しいのかな?
いまいち理解できない負け惜しみってのもあるがw
872 :
考える名無しさん:2008/08/18(月) 21:24:42 0
時空という概念は相対論の基本
記憶とは、いったい何?
874 :
考える名無しさん:2008/09/09(火) 17:19:13 0
時間と空間は一体である。(時空間)
空間と時間を区別することは、「時間」とううものがあるかのような錯覚を生む。
時間は常に錯覚の産物である。
時間の存在を仮定する自然科学にはすべて無理がある。
主観を排した本当の自然科学を作るには、時間を追放しなければならない。
875 :
考える名無しさん:2008/09/09(火) 21:32:39 O
実在とは何か?ということだろう。
人間に観測出来るものが実在するものの全てではないと疑問を抱くのは結構だが、では全てを観測出来る観測者とは誰だ?ということ。
動物によっては色を認識出来ないものもいるが人間は色が認識出来る。
しかし果たして色は実在しているのか?
光の波長により人間にはそう写っているだけのことかもしれないし、可視域が拡がればまた見え方も変わるだろう。
要するに動物としての一つの特徴が「有る」と感じさせているだけで本質的な「存在」では無いと言うことも出来なくもない。
では「本質的な存在とは何か?」という問題にぶちあたる。
876 :
考える名無しさん:2008/09/10(水) 10:36:01 0
>>875 >「本質的な存在とは何か?」という問題
本質的な存在とは昔言われていた「実体」という概念かな?
すべての物事に実体はない、という仏教の考え方ではだめかな?
877 :
考える名無しさん:2008/09/10(水) 13:27:47 O
>>876 例えば人間が色を自分では認識出来ない動物だったとすれば永遠に色を理解出来ないであろう。
物質の実在性においてそういったことを置き換えることも出来る。
それを理解する術もなかろう。
878 :
考える名無しさん:2008/09/11(木) 15:44:55 0
時間と空間はローレンツ共変でどちらかを切り離して論ずる事は出来ない。
エネルギーと運動量についても同様。
どちらかの実在性を否定するなら両方の実在性が否定されるし、逆に認めるなら
両方認めるしかない。
哲学と物理を混乱しているスレですね。
>>879 お、じゃあ哲学と物理をどう分離できるか、それを教えてくれ。
論理実証主義の挫折を君は乗り越えたのか。
881 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 22:07:06 0
過去も未来も直接見ることもできないし、感じることもできない。
人はただ過去や未来を想像しているだけで、過去も未来も実在しない。
882 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 22:09:33 0
過去の世界はどこか別のところに実在している。
未来の世界もどこか別のところに実在している。
>>881 多分こういう感じだ。
直接感じることができるのは「過去」のみだ。
現在は過去の延長上にはなく、時間ですらない。
眼前に開闢する世界は現在ではなく、〈なにものか)から構成される秩序化された過去だ。
それゆえ、いわゆる0.1秒前といわゆる0.2秒前はほとんど同値と言える。
この〈なにものか〉は物質かどうかは分からない。連続性と動的法則性は備えていると予想されるが
大きさや質量があるかどうかは分からない。
〈なにものか〉により生成された「過去」はその〈なにものか〉に含まれ、動的変容を受ける。
・・・しかし時間を消費しない「動的変容」を想起するのは困難だな。俺の理屈もまだまだだな。
884 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 22:33:41 0
未来の世界は見れないけど過去の世界は遠いところを見れば
距離に応じた過去を見れる。
5光年先の星の光は今見ても5年前の過去でしかない。
885 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:23:57 0
遠いところを見るのは、過去を見ているのではなく、
今現在自分の目に届いた光を感じているだけ。
過去に撮ったビデオを現在見ることと大きな違いはない。
直接過去そのものを見ることはできない。
886 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:28:51 0
そういう意味では、現在という時間さえその存在は怪しい。
逆に、現在の「意識」そのものが「時間」なのかもしれない。
「意識」のないところには「時間」は存在しない。
つまり、過去にも未来にも「意識」は存在しないから
「過去」も「未来」も存在していない。
時間の実在は意識の変化
887 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:29:53 0
>>885 >過去に撮ったビデオを現在見ることと大きな違いはない。
それが過去を見ることだろう。
過去に行くことなどとはいっていない。
過去のすべての事象がビデオに記録されていれば過去を見れるだろ。
888 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:35:38 0
たとえば、音楽を聴いているときには、人間はどの時点での音を認識しながら聞いているのだろうか?
現在という瞬間的時間しか存在しないのならば、メロディーやハーモニーを感じることができるのだろうか?
脳の中での時間はある程度のタイムラグがあるというのを読んだことがある。
889 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:37:48 0
>>887 記録、記憶としての過去を認識することは可能だが、
過去の時間に存在し、過去の世界を経験することは不可能。
890 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:38:50 0
意識する時間は「今」しかない。
今は瞬間ではなく「永遠の今」だね。
♪今は山中、今は浜
♪今は鉄橋渡るとぞ・・・
これらはすべて「今」のできごとだね。
891 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:40:36 0
892 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 23:43:57 0
「今・現在」とは過去が形成される際に派生するおまけみたいなもんだ。
適当な言葉でいうと「存在が薄い」
894 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 00:04:06 0
過去はいつ発生するのか?
現在と過去が分離するのはいつなのか?
過去とはどこか別の世界に存在しているのか?
895 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 00:06:41 0
世界は5分前に、正確にその時そうあったとおりに、まったく実在しない過去を「想起する」全住民と共に突然存在し始めたという仮説に、いかなる論理的な不可能性もない
>>894 >過去はいつ発生するのか?
「過去」は「いつ」を含めて常時「連続的に」発生する。・・この説明で納得出来るわけもないだろうが。。。。
結局、哲学的に説明してもカントを超えられない。時間形式を前提にしないで説明するのは今の俺には無理だ。
も少し時間をくれ。
>過去とはどこか別の世界に存在しているのか?
過去は常時存在している。開闢する世界の全てが過去だからだ。これは直接には光速の有限性の問題ではない。
しかしこの「常時」を「今」とするには抵抗がある。「今」といってしまうと「ただ今のこの世界」の意味合いが強すぎる。
「今」は消滅し、なにものかに吸収されるものと考える。
897 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 08:59:45 0
>>895 それを聞いてから5分以上たった。
それでも未だその仮説はただしいの?
898 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 09:26:28 0
>>894 >過去とはどこか別の世界に存在しているのか?
相対性理論では時間と空間は一体で世界(宇宙)は4次元時空間となる。
別の世界はない。
ちなみに現在過去未来はいつでも実在するとアインシュタインは言っている。
899 :
quitteretsu ◆WMFZ.cJdcM :2008/09/13(土) 12:53:49 0
>>897 895氏ではないですが、そもそも「5分前に895を読んだ(5分経った)」という経験の
記憶自体が5分前に創られたものだとする仮説です。もしくは、897氏が895を読ん
だことを周りの人もみんな認めたとしても、そのように認める(想起する)ための過去
の記憶自体が5分前に創られたということです。(この仮説自体はラッセルの「心の
分析」に登場します)。
900 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 13:10:46 0
>>899 5分前にそれを読んだときにすでに世界はその5分前に出来た
と書かれていた。だからそのときからさらに5分過ぎたらその仮説は
間違いとなるだろ。
ラッセルの仮説のまずいところは「5分前」とすでに過去の時間の
存在を認めてし合っていることだろう。
これなら仏教の刹那滅思想のほうがよっぽど合理的だろ。
人間には時間は常に今しかない。永遠の今だ。
過去も未来もない。しかし現在は瞬間ではない「今」だ。
901 :
quitteretsu ◆WMFZ.cJdcM :2008/09/13(土) 15:49:37 0
>>900 >5分前にそれを読んだときにすでに世界はその5分前に出来た
>と書かれていた。だからそのときからさらに5分過ぎたらその仮説は
>間違いとなるだろ。
「あらゆる過去の実在を示す証拠と記憶が5分前に創られた」という仮説ですので、
「「5分前にそれを読んだときにすでに世界はその5分前に出来た」と書かれてい
た」ということ自体も5分前に創られたものである、というわけです。ですので、
「そのときからさらに5分過ぎた」と語ることを可能にする記憶も5分前に創られた
とされます。
902 :
quitteretsu ◆WMFZ.cJdcM :2008/09/13(土) 15:57:08 0
>ラッセルの仮説のまずいところは「5分前」とすでに過去の時間の
>存在を認めてし合っていることだろう。
これは「過去は実在しない」という仮説として受け取る場合の反論ですね。
この仮説はそういう主張ではないと思います。
この仮説の問題は、「過去は実在しない」ということではなく、「いつも5分前に「実在する過去」と「実在しない過去」とが分裂して「実在しない過去」をあらゆる証拠から信じ込まされている可能性が論理的に成立する」ということが提起され
ています。そこに「過去の時間の存在を認めている」云々と言っても、反論にはな
らないでしょう(そもそも過去の時間を前提にして、それが偽である可能性を語って
いるわけですので。ちなみに「なぜ5分前か」や「なぜ過去の存在を認めるているの
か」というのはこの仮説を考える上では重要な問題であると思います)。
>これなら仏教の刹那滅思想のほうがよっぽど合理的だろ。
仏教思想については詳しくないのでよくわかりませんが、これは仮説(思考実験)で
あって「この思想が合理的だから受け入れろ」ということを強制するものではないでしょう。
×この仮説の問題は
○この仮説では
904 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 18:09:14 0
たとえば記録ディスクに蓄えられたデータというのは、過去そのものではない。
人間の脳に蓄えられた過去の記憶も過去そのものではない。
10年前の過去のデータが、実は5分前に創作されたものであっても
それを否定することは人間には不可能。
905 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 19:49:45 O
パラレルワールドとか理解して言ってるんだろうか
906 :
ラプ魔:2008/09/13(土) 21:18:39 O
誰がパラレロワレド発見したの。
907 :
考える名無しさん:2008/09/14(日) 18:06:45 0
>>904 現在有るものはすべて過去に作られたものだけどね。
存在しない、で終了だろうに。