進歩的なおばちゃんがそんなことをテレビでいってたのをみたことある
いったいなんだろな
文化や社会によっての相対的なもんだろか
あるいは生まれながらに持ってる絶対的なもんだろか
女が狩猟を担当し、
男が化粧して女の気をひく、っていう民族もいるらしい。
3 :
考える名無しさん:2007/09/18(火) 11:34:46 O
身体的といえばいいのか肉体的というのかそこは絶対的に違う
精神的なものは生まれてからまわりの人間にあなたは男だあなたは女だど区別されて自分が理解する。
らしさについては自分が理解してからその性別はこうだっていう自我がそうさせるものじゃないか
結論「人によって違う」
糸冬
>>1は何歳だ。進歩的なんて言葉を使う奴って何歳なんだろ。
>>5 つい最近、ニュース板に進歩派と保守派と脳の神経細胞についてのスレが立ったことがあるんだよ。
7 :
考える名無しさん:2007/09/19(水) 05:09:39 0
アタシは何でも「らしさ」といのが好きなゲイ(オカマ)よ
男は男らしく 女は女らしく そして…オカマはオカマらしく それはあくまで一般論相対的なモノが基本よね
力強い=男らしい 太い凛々しい眉毛=男らしい 筋肉=男らしい
柔らかい=女らしい お花好き=女らしい 長く艶やかな髪=女らしい
でも最近は男らし過ぎると女にモテなかったり変な世の中よね日本って
アタシ筋肉も太い眉毛も大好きなのに女がマッチョはキモイとか言うからか細いひ弱な男ばかり…
韓国のドラマ見てると「らしさ」が解かりやすくていいわ
男は強くて優しく情熱的 女はおしとやかで控え目で可憐… そんなものじゃないかしら
8 :
考える名無しさん:2007/09/19(水) 16:04:23 0
「らしさ」も空気嫁で解決する事なのかもしれないなぁ・・
青が男
赤が女
俺が思うに男が青なり黒なのは体毛の事で
女が赤なのは生理、月経のことなんじゃないかな?
11 :
考える名無しさん:2007/09/21(金) 19:59:04 0
Wikipedia様に拠ると、
男らしさ=男性が「自分らしさ」を追及した際に発露される雰囲気、またその身体的・社会的特性
女らしさ=女性が「自分らしく」している際において、自然に醸し出される雰囲気や立ち振る舞い
だとよ。
男らしさ女らしさの発祥はジェンダーではなくセックスだということだろうか
12 :
考える名無しさん:2007/09/22(土) 02:48:57 O
規範的固定観念だね。
女らしさにも歳による差異がある。
ちなみにいい歳した女が少女らしさを発揮することがあるわけだが、
私はその気恥ずかしい微妙に滑稽な空気が好きである。
>>9 先日どこかのニュースで見たが、人は基本的に青系統を好むらしい。
ただ女性は、そこに「血色のよさ」などを意味する赤みが入るとより好ましく思う。
結果、青みがかったピンクなどを好むことになるようです。実際、真っ赤が好きって
いう女はあまりいないのでは。つまり単純な赤と青の対比じゃないようだ。
無理に「らしさ」を否定することもないよな。
自然に生きてれば自然に出てくる「らしさ」ってあるんだよ。
それまで否定するからフェミは嫌われるんだ。
15 :
考える名無しさん:2007/10/01(月) 05:29:07 0
age
16 :
短パン:2007/10/01(月) 09:16:11 0
・・・男ってのは、それ自体が奇形だと言われるな・・・。
しょうがない(性的な意味で)から、出来てる。とも。言われるね?
Y染色体の関係で、男女が決まるというけれど、生まれて育って、
「そんなで、納得できる?」
・・・。さて、意見を聞こうか・・・
たまたまおとこだった。それだけのこと
18 :
考える名無しさん:2007/10/05(金) 04:31:37 O
女は感情的であるが男は情熱的である。 感情の強度が違う。
男にはその情熱的な激しい感情という危険、苦悶を免れるべくして理性が発達する。
情熱的であることと理性的であることは両立する。
それどころかなんといったか、それらは車の両輪なのであり、両立するよりほかないのである。
いわゆる頭のいい男の危険性は彼らの哀れなほど悩ましい激情にあるのであって、
頭がキレるからこそ危険なのではない。
頭がキレるからこそまだ安全なのである。
そのキレを鈍らせないようにせいぜい注意すればいい。
思春期が悩ましい時期であるといわれるのはまずもって程度の差こそあれ激情が備わってくるからである。
いやはやそこでつくづく悩まねばならないのだ。
そうやって理性が芽生え育っていくのである。
ここで十分悩まねば制御不能に陥ってしまう。
男は一般的に理性という安全弁、安全装置、冷却装置を装着しなければならないほどに熱いので火傷には気をつけたいものだ。
とくに秀才とか、低脳ならぬ高能とか。 熱すぎw マグマ溜めてやがる。
いつ憤慨というか噴火するかわからん。
本人にもよくわからんからな。
出世が逆に命取りになったりするわなだから覚悟して出世しよう。
21 :
考える名無しさん:2007/10/05(金) 05:33:09 O
>>1 噛み砕いていうと、
男らしさとは信念。(言葉としてあまりいい意味ではないが思い込み)
女らしさとは、礼儀と品格
男らしさ 暑苦しさ
女らしさ 冷たさ 涼しさ
女は理性と同様に男をクールダウンする機能があるので理性的であるといえる。
非理性的な男は女を要する。
彼らは女がいなければ己の情念の炎に飲み込まれ焼死しかねない。
そのために滑稽にも女の尻にしかれてしまうのである。
つまり女に魅力を感じる間は理性が十分発達を遂げていない未熟な状態にあるということだ。
とはいえ情熱の強さに理性の発達の余地、可能性の大きさは比例するので、
未熟ということは自分のその可能性に対して未熟ということである。
情熱の炎を強くすることは理性の可能性を広げることになるわけだが、
さてどうしたものだろうか。
他人の情熱の炎に焼いてもらうことが一番だろう。
魅力的な人間に見えるための曖昧な指標でしょ。
おいしそーとかまずそーとかと同じで印象の話。
まずそうで本当にまずいのはカンベンなので、
せめておいしそうにしようよという考えがそこにあると思う。
一般にはWikipediaにあるような意味で機能してないだろ。
26 :
旭 ◆VI7sg3/D46 :2007/10/06(土) 23:08:59 0
武士らしく在ればそれで良し。
27 :
短パン(酔):2007/10/06(土) 23:34:06 0
お酒投下ーーー。
ドゾー
28 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 23:49:33 O
男…ちんこらしさ
女…まんこらしさ
旭
7月23日生、25歳。右翼。モテ男。
口調は2chでは殿様言葉、ブログとリアル社会では現代日本語。
本拠地は男女板。残忍、冷血、ヤリチンなコテとして超有名。
30 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/10/07(日) 00:49:12 0
男らしさとは堂々とする事だ
女らしさとはつつましくあるという事だ
31 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 11:18:56 0
684 名前:旭 ◆VI7sg3/D46 [sage] 投稿日:2007/05/19(土) 19:46:18 ID:Lud5Lamd
>>683 有無、その通りである。
特に遺伝的欠陥を持つ者は死すべきですな。
旭@泥酔中 ◆VI7sg3/D46:「障害者は全員死ね
512 名前:旭 ◆VI7sg3/D46 [sage] 投稿日:2007/05/13(日) 11:24:27 ID:r4D9df79
不覚にも、またも衝動買いをしてしまった・・・。
ttp://www.toukenhataya.jp/goods/sword/sword_s106.html である。
まぁ、買い得感はあるのであるが、槍の拵の制作費を考えるとこの出費は痛いですな・・・
32 :
短パン(酔):2007/10/07(日) 11:50:13 0
お互いが、お互いを拒否してるのに。
なぜだか、結ばれる。。。。
それで、いいだろ・・・・。
ん。
女が男をクールダウンするということはパワーダウンをもするということ。
情熱を弾き飛ばすと同時に、理性の必要性、可能性を引き下げ、理性をも弾き飛ばしてしまえるのである。
女は男を弱体化させる消極的な力を持ってして男の上に君臨することができる。
男が女に惚れるのには情熱の炎に焼かれているという前段階がある。
つまり男は女で情熱を燃やしているのではなく、情熱の炎を鎮火させているのである。
身を焦がす高熱を逃がしているのだ。
本来、理性でもって制御し、制圧すべき情熱なんであるが、
理性が弱いと恋に落ちてしまい、女に跪いて、女神として崇拝してしまうというわけである。
確かに彼女は彼を猛火から救い上げているからだ。
女に頭が上がらない男の信者的な弱々しい真剣さには苦笑を禁じえないものだ。
社会の階段を上がるにつれそこに渦巻く情念の波は激しさを増していく。
出世するにはその波を越えていかねばならない。
恋に落ちるということは、その波に弾き飛ばされその階段を転げ落ちるということである。
出世を志す身ならば、一夜の気晴らし程度が許容範囲だろう。
旭は本当は「あきら」と読むらしいが
初見の人は絶対に「あさひ」と読むだろうから、そのまま「あさひ、あさひ」と呼んであげよう!
情熱を恋や酒で代謝する変わりに、
猛烈に勉強して代謝するのが学者である。
これを私は無酸素勉強と名付けたいと思うが、これは俗に糞勉強と呼ばれている。
これはいわゆるガリ勉の比ではない、
異様に激しい勉強である。
無酸素勉強を生涯続ける男は偉い先生になるものだ。
39 :
やみ:2007/10/07(日) 18:10:47 O
女には志しを求める主義
「苦しいの、息もできないくらい」
このくらいの思いがなければ無酸素勉強は続けられんわな。
41 :
やみ:2007/10/07(日) 18:17:14 O
最近は出会いもいくつかある。意識が内向から外向性に移行したせいかでも一行に到達点がない。静岡にはヒエラルキーはなく人情はあるがパワーがない、その点東京は力がある。本当はここに多く出会いを求めたいんだが色好みも高揚するしw
42 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 18:30:17 O
本を読まなくなって1年になる。縁というものに対して後悔したのも1年以上前だ。あれからどんな人でも連絡を切らないようにしてきた。会う用があればなるべく会うようにしてきた。会社のイベントや誘いは断らないようにしてきた。しかしいつまでたっても到達点がない
43 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 02:17:45 O
人間の行動の原理は「苦には苦を、毒には毒を」という苦を苦でもって相殺せんとするものである。
宗教的にいえば苦行なのだ。
快楽とはこの相殺に他ならず消極的なものである。
「努力」を主語にしてみよう。
積極的に得る努力の苦しみは受動的に得ていた苦しみの強度に近づかねば後者を相殺しきれない。
(正確には紛らわしきれないというべきだが。)
受動的苦の強度に努力の強度は比例することになる。
だからほとんど生得的ともいえる偉大な苦悶の持ち主たちは幼い頃から自暴自棄的な糞努力をせざるをえないだろう。
猛烈な活動の苦しみの中、快楽を浮かべる童顔、実に悪魔的である。
そんな彼らが社会に君臨するエリートである。
苦しみを苦しみで紛らわすことが快楽なのだ。
快楽は錯覚である。
苦は存在する。
苦しみの苦しみによる苦しみのための行為の快楽には色々あるので、
反社会的な方面で大いに暗躍する連中もエリートと同類なのかもしれない罠
ともかく大いなる苦しみをもつもの、彼らが社会に同調的な者にせよ反動的なる者にせよ大いなる存在なのである。
苦しみが力なのである。
彼らは単にその力の方向性の違いで悪名高くもなるんだし、英雄視されもする。
この力の向きが即ち意志なのであり、気まぐれなものなのである。
極端な苦・楽を否定した、仏陀の教えをもう一度振り返ってみることも良いことかもしれんよ。
まあ「ブッダはこういわれた」というのは決まり文句なんだけどな。
ブッダやキリストなんかがいう極端な苦しみなんて御免だわな。
40日断食なんてありえん。
4日の断食でも一般的には、極端な苦しみ、拷問とさえ呼ばれるほどの苦しみだろう。
そういえば先日断食3日でギブアップしたわ。
何のために断食なんかすんの
すげえ不健康
頭に栄養いかないし、苦痛でまともな思索もできないんじゃ?
断食とかいってだんだん痛くて苦しくてやってらんなくなるわけだが、
この苦痛に襲われるのが持ち前の苦痛を断食による苦痛が上回った時なんじゃないかと思う。
とすると俺の苦は、キリストの苦の10パーセントに満たないというわけだ。
しかし植物みたいな変な人間もいるとはいうが。
>>50 断食しても2日間ほどなら大して苦しくはならない。
むしろ注意を散して持ち前の苦を紛らわすことができるというわけだね。
ああ、苦悩を晴らすためにやるの?
何か悟りを得るためかと思った
54 :
やみ:2007/10/08(月) 06:15:56 O
仏陀は断食が悟りを開く道だとはいっていない。そもそも断食は時間の流れを静止させるための実験的な試みでしかない。サティ(元々我々は悟っているそれに気づいていない)を知るための手段であって目的ではないんだと
55 :
やみ:2007/10/08(月) 06:27:42 O
食べたい時にたべ食べたくない時には食べないのが一番いい。食べても食べなくてもいいが食べ物が目の前にあるときは極力食べないか時間の経過を待つのがよかろう。身体と対話しよくよく考えて外部から栄養を貰うべきかは知っているのだから
56 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 06:54:33 0
それはおんなの理論だね
食べたくなくても目の前に食べ物がある限り食べるべき、はおとこの理論
57 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 07:26:05 0
それはおばちゃんの理論だね
食べたくなくても子供が残したものや冷蔵庫の賞味期限来たものは
全部食べてしまうべき、はおばちゃんの理論
58 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 07:45:16 0
食べ物を食べ物だけとしてみるとたしかにこれはおばちゃんだな
じゃあこれを言ったおとこ26才ははおばちゃんだったのか
おとこは本音おばちゃんである。
59 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 08:22:12 O
秋空か
60 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 10:38:14 0
秋空か 食い気と色気が かみあわぬ
61 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 10:50:00 O
一世代前に求められる魅力
間違いじゃないとおもう
62 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 11:20:17 O
永い人生だな。
63 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:59:48 O
俺はもうお前のことなど忘れたわ
64 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 18:40:58 O
まるでノルウェーの森みたいでしょ
>>53 でも風呂に入りながら悟ったぞ。
存在は苦である。
現実は虚構である。
現実という虚構の意味、価値、意志は存在忘却にある。
即ち苦しみから逃れることにある。
限定的に社会という現実について考えてみよう。
いかに苦痛から逃れるか、これがその目標であり価値なんであり意味なんである。
天才、英雄などを先頭に苦痛をものともしないような人間もいる。
苦行、これは例えば火の中よりも、砂漠の方がましだというにすぎない。
苦しみの強度には限界がありそうもない。
それは無限の存在でありながら無意味な存在である。
そりゃ虚構にしか意味があるわけもないわな。
苦痛を感じないというのは、目標の達成であり、
そうなれば現実は無意味無価値に思えるようになる。
苦痛あっての現実の意味と価値だからだ。
苦痛の忘却、存在の忘却に成功すれば虚構を生み出す衝動、能力、創造性はなくなる。
だが無論、忘れているだけであるので非力さを嘆くことはないのだ。
ちゃんと潜伏している。
弱いからこそ苦も弱い。
弱き者は幸いである。
苦痛がありすぎて、社会の与えうる手段では手に負えなくても社会は無意味に思われる。
そういった場合、苦痛という必要性が彼を鼓舞することになる。
ともかく要は苦だわな。
これがなきゃ始まらんよ。
70 :
考える名無しさん:2007/10/09(火) 13:53:01 0
無生物は苦しみを知らない。それどころか、喜びや怒りも無い。
生物は、感情の激しい炎を得るために生まれてきたのでは・・・。
すなわち感情を失うというのは、進化の系統図を逆行していることに他ならない。
71 :
考える名無しさん:2007/10/11(木) 22:25:06 0
男により、与えられるものは何か
最近の戦士は切腹できんのか。
やっぱ随分劣化してるんだな。
73 :
考える名無しさん:2007/10/12(金) 03:11:26 0
>>72 昔の日本人は、シーボルトをして
「彼らは恥をかかぬためには死をもいとわない」
と言わしめたそうだ。
今の日本男児ときたら、まったく恥を気にしない。
今頃猛烈に恥入ってるんじゃないかな。
安らかに眠っていたとしたら、幸せな人だねと言ってあげたい。
女の平均的一生
0〜12歳→ 若い 若すぎる 非常
13〜24歳→ 若いがプリプリさに欠ける 非情
25歳→ 若くてプリプリ ちょっと感情的
26〜30歳 顔から老化し始めはするが依然としてプリプリ 感情的
31〜45歳 全体的に萎み枯れていく ヒステリック
46歳〜 体はもはや原型を止めていない。
体が燃え尽きていくのに呼応するかの如く、その心も熱を帯びてくる。
宇多田の一生
0〜12歳→いきなりヒステリック
13〜25歳 → 情熱的
26〜30歳 → 感情的
31〜 → 非情
女は肉体的であり現実的であり動物的である。
勝手に熟れるし枯れ落ちる。必然的である。
男の場合、間抜けな労働、運動、トレーニングなどをせねば肉体的には熟れてこない。
だがそれらを続ければ枯れ落ちるのをある程度防ぐこともできる。 可能性がある。
心身ともに可能性が比較的大きい。
女より現実的にもなれれば非現実的にもなれる。
女より情熱的にもなれれば非情にもなれる。
この可能性、不完全性、非必然性が男の長所であるし短所でもある。
生き物としては女の方がよく出来ていて幸福だと思われる。
男は可能性こそあるが、この可能性は神との距離がアプリオリにあることを意味する。
その距離の増減にも可能性があるだろう。
この距離の大きさは生物としての不完全性を意味する。
近代以降、その距離は開いているのであり、
ニーチェは神は死んだと述べたてた。
男性器の可動性が伸縮性が、
男の可能性というものを象徴していることは否めないことである。間違いない。
まさか男性器の大きさが男の可能性の大きさをも象徴しているという話がありうるのだろうか。
確かなことは間違いないとは言えないということだろう。
女性が占い好きなのは合理的だ。
彼らは必然的で動物的な存在だからだ。
とはいえ老化を迎える頃から、必然性の揺りかごからゆっくりと押し流され始めはする。老化と同じペースだろう。
ここで男の思春期のようなものに足をやっとこさ踏み入れる。
この女性版思春期は更年期まであるいは一生涯続くといえるだろう。
これは老化し始めてから肉欲が強くなっていくという男性にとっては恐るべき事態であるといわざるをえない。
概して25から30歳ぐらいまでの女はあたかも青少年のようであり、
肉体的魅力と精神的魅力を不完全ではあれ兼ね備える時期なのであり、一石二鳥になる貴重な時期だ。
つまり女の旬なのであり、お買い得である。
青春は麗しい。
端から眺めやれば麗しくしばしば悲喜劇的で魅力的な青春だが、
本人にとってはひどく苦々しい真に迫りくる残酷なものだ。
青春は天才的な役者たちの芸術的殿堂である。
レイプが残酷なのはいわゆるレイプが一種の拷問の始まり、仕掛けにすぎないということにある。
いずれ被害者は唾棄すべき衝動が自分の中で高まりいくのを認めざるをえない。
この煩悶を想像したり眺めることがむしろレイプ犯の目的だろう。
拷問学というものがあるならばこれは伝統的かつ華麗な技の一つに数え挙げられることだろう。
前レスでは男が加害者と想定しているが無論逆バージョンもある、つまり少年を大人の女が犯すというものだ。
この被害者が倒錯を起こし、男色家になることはよくあるだろうが、
これは逃げられたのであり失敗である。
しかし男と女の青春のタイミングが合ってないんだよね。
勘違いじゃなければ、概して女の青春がいわば時代遅れなんだよ。
おばさんと呼ばれかねなくなってから高揚し始める愛欲って無駄だろ。
無駄ではないか。
あくまで苦しみを忘れんがための盲目性なんだから。
男が冷めていく時期に女は盛り上がっていくわけで、
同年代では全然すれ違うわな。
青少年と20代後半の女のカップル、これがベストマッチだろう。
女はおばさんになってくると10年若ければと嘆くもんだ。
盲目的になるのが10年遅い。
宇多田はなぜか早すぎなので多分、物心ついたとき私は既に恋してた、とかぬかすにちがいない。
89 :
やみ:2007/10/28(日) 19:14:56 O
女はわからん
アフリカの原住民がペニスケースをつけて男らしさを誇示したり、
首に輪を沢山つけていき女らしさを表しますよね。
日本じゃいまさら男も女もないな。
中年以降ばっかりなんだから。
んで街は汚いし大体空ぐらいしか見るものがない。
精神活動を限り無く抑制するか極度に働かせるのが枯れ果てた冬の時代への適応である。
白痴か狂人いずれにせよ盲目的になるのがお幸せであり現実的なのだ。
現実が悪夢であるならば、
自ら夢見る住人になっていわば冬眠しているのがいい。
盲目性が現実性であるから、現実逃避もまた現実である。