【小説家】東浩紀スレッド83【デブー】

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48第三の波平 ◆v97jOX.oqY
思想地図 第二弾作品

■なぜ汚職はなくならないのか

貨幣交換と互酬

貨幣交換と互酬(贈与と返礼)の違いは、貨幣交換は相手が誰であろうが、等価として交換
するという、その場だけで成立するものです。近代以降の流動性の高い社会では、多くの
初対面の人と交換を行う必要があります。そこではその場で成立する貨幣交換の「無時間
性」は重要である。

それに対して、親友のためになにかをするのは、誰でもよいのではなく親友だからであり、
またいつか同じだけ返してもらうためでもありません。親友としての関係性に価値があり、
それは親友と過ごした時間、あるいはその家族、子供へと継続した時間に開かれていま
す。たとえば親が子供を育てるのは将来、子供にその分を返してもらいたいからではなく、
その子がまた子供へ贈与することを期待します。ここには未来に開かれた親密な関係があ
ります。

これを言語論につなげると貨幣価値は論理的です。誰に向かって、あるいは歴史に関係な
く、コンテクストに関係なく、コンスタティブに意味が伝達されます。しかし実際の言語意味
はコンテクストから切り離せません。相手が誰か、そして歴史の中で、パフォーマティブに意
味はあらわれます。だから純粋な論理的な意味は存在しないといえます。そして純粋な貨
幣交換はありません。そこには必ず「互酬性」が混入します。
49第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/09/07(金) 14:34:36 0
互酬制の強さと貨幣交換の弱さ

互酬制の重要性は、人はコンテクスト(人間関係)から切り離されていきてはいけないという
ことである。人は場(コンテクスト)に埋め込まれ、変化を読むことで生存します。だから自由
主義のもとに、貨幣交換の純粋性を高める(相手が誰であろうが等価として交換する)とい
うことは、とても危険なことなのです。自由主義を受け入れるには、場から切り離されても生
存可能を保証するような権力基盤が必要とされます。

ボクたちは日々、当然のように貨幣交換を行える裏には、貨幣交換を管理する強力な管理
者として国家の存在があります。この場合の国家は1国だけではありません。国家は世界
を網羅し、協力体制にあります。たとえば貿易では国家間の協力体制が働いています。

ネット上で貨幣交換が活発でない理由の一つは国家権力の機能が作動しにくいというもの
があります。ネット上で発生した不正を突き止めるのは難しい「無法地帯」と言われます。た
とえばi-modeなどでは課金システムがうまく作動しているのは、ドコモの管理体制内で決済
がおこなわれるという安全性からです。そしてネットはむしろ互酬制が中心であるのもその
ためです。その場、その場の信用によって交換が行われます。

互酬性が生存に根ざした強い交換であるのに対して、貨幣交換というシステムは、国家権
力という秩序を保つ強い権力による保護を必要とする弱く、繊細なシステムなのです。
50第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/09/07(金) 14:35:18 0
自由主義の徹底の困難さ

自由主義は、「相手が誰であろうが、等価として交換する」という純粋な貨幣交換による活
発な経済活動をめざします。しかし貨幣交換に互酬性が混入してきます。というよりも、もと
もと「親密な関係を重視する」互酬性の方が基底としてあり、純粋な貨幣交換は国家権力と
それに伴う教育によって徹底しなければ発展しません。

自由主義が未発達な国では、国家権力に近い場でも贈賄・収賄が行われ、経済の自由な
活動を疎外します。中国などでも問題になっていますが、自由主義が未発達な国では、純
粋な貨幣交換とともに知財という概念も希薄であり、互酬制を基盤としてコピー商品が悪意
なく作られます。

最近のネオリベラリズム(新自由主義)では、自由にすれば「自然に」格差が生まれるのは
仕方がない。それが競争に繋がると言われますが、どこまで純粋に自由主義が実現されて
いるかは疑問です。特にグローバリズムとして世界に広がる市場経済の周辺(未発達な
国)にいくほどに、自由主義をうたう企業が、国家権力を内包した勝ち組内の互酬制を活用
していることは、容易に想像できるのではないでしょうか。
51第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/09/07(金) 14:36:09 0
下部構造としての互酬性の蠢き

あるいはソ連などの共産主義(国家社会主義)の失敗も互酬性を払拭できなかったに大き
な要因があるのではないでしょうか。平等な分配というイデオロギーのもとに国家権力が機
能していたはずが、そこには「親密な関係を重視する」互酬性が蠢いていた、ということです。

最近の安部内閣閣僚の辞任を出すまでもなく、自由主義国家でも汚職はあとをたちませ
ん。たとえば国の公共工事を入札する場合、談合などの不正がないように純粋は入札が
求められます。しかし一般消費者が商品を購入する場合でも、商品は価格だけでは決めま
せん。生産者は誰であり、そして生産者との歴史など、そこには互酬性が混入します。それ
でけでなく、むしろ互酬性を排除し、価格だけで決定することは、むしろ危険ではないでしょ
うか。ここに純粋な貨幣交換の難しさがあります。(終)