それはアンチキリストのニーチェ的なるものでもある。
全ての価値の転倒の試み…
とはいえ価値のあるところには差異があるわけだが、この差異は微分的なものである。
つまり価値の認められる差異はそれ自身との差異であり、それ自身に向かう反復であり、
すなわち生の躍動のステップバイステップであり、自己超克の歩みなのである。
>>931 要するに釈迦>>>イエスといいたいだけですか。
差異が小さいからこそ比較するのも面白いわけだな。
934 :
考える名無しさん:2008/11/11(火) 19:10:48 0
>>932 言葉が難しすぎて解らんです。あなた大学教授?
インテリなんですなあ。トリックの上田次郎みたい。
100円のTシャツと10000円のTシャツの差異は価値である。
価値はこのような些細な差異にある。
なぜだか些細な差異を享楽するという音楽的精神が価値の源である。
しかもこの些細な差異を巡って争い、悲劇を生みだし続ける人類は笑うべきものであると。
>>934 >
>>932 > 言葉が難しすぎて解らんです。あなた大学教授?
案ずるな、実は私もわかっていないのだ。
何故にとりわけ勝敗のわからない五十歩百歩の争いによる勝利を好み、
何故に音楽は音楽なのか…
この些細な差異を享楽する性がある限りみんなが仲良くするということはできない。
しかしこの性がなければ、音楽は消滅する。恐らく芸術が消滅する。
そもそもこの世がある一つのものから演繹的に派生したものであるならば、
つまりその一者自身の差異と反復であるならば、
些細な差異を享楽するという音楽的精神は神聖なる性であるといえ、どうしようもないものである。
938 :
考える名無しさん:2008/11/11(火) 20:09:47 0
ところで皆さんは人格神は信じますか?
神に感情などあると思いますか?
これはアンケートのサイトありますよ。
僕は信じないに一票入れたけど、
ごくわずかだけど信じるが上回っていました。
この現代に信じている人のほうがわずかに多いとはびっくりしました。
ニーチェの「神は死んだ」も人格神を信じていたのかなあ?
結局、僕もニーチェ派じゃないってことですね。
無限の自然真理を考えていたデカルトやニュートンのほうが
近代的だと思います。ニーチェも時代遅れですなあ。
人間理性で解っていることは全然、神の無限真理にはかないません。
未来永劫に人間が神に追いつくことはできないと思います。
>>938 その前に「神」ってなんですか?
貴方なりの神の定義をしてください。
例えば「神」の定義が民族全体の潜在意識による共同主観なら、
人格神というのは存在して当然です。
941 :
考える名無しさん:2008/11/11(火) 21:18:34 0
>>940 938ですが、デカルトの物心ニ元論では神=無限の自然真理です。
人間理性は有限です。
スピノザの一元論は自然自体が人間理性を含めて神です。
自然科学の神と宗教の神は違います。理科系と文科系の違いです。
940さんは自然科学の真理が有限だと言いたいのですか?
ニーチェは宗教の神が死んだと言いたかったのではないかと思います。
アインシュタインも人格神は信じていません。
ウソだと思うなら 「アインシュタイン」 「人格神 」 で検索してください。
僕なりの神の定義は天才(何の功績ものこしていない)ではないからできませんが、
近代の先駆者はほとんどそうです。
942 :
考える名無しさん:2008/11/11(火) 21:53:28 0
>>940 それはあなたが人道的やモラルや良心が人格神が存在しないと
人間社会になくなるという社会的な考えではないですか?
ご心配なく、それは人格神がいなくても無くなりませんよ。
それを僕に言うならば簡単な言葉でわかりやすく。
あなたなりの人格神の定義をしてください。
943 :
考える名無しさん:2008/11/11(火) 22:26:21 0
>>940 人格神を信じて救われなくて、
オカルトに巻き込まれた人はどうなるんですか?
>例えば「神」の定義が民族全体の潜在意識による共同主観なら、
人格神というのは存在して当然です。という言葉は僕には難しすぎます。
当然ですと言い切るところがわけわかんねぇや。
それこそ大衆迎合じゃないですか?
>>942 >人間社会になくなるという社会的な考えではないですか?
アホですか?
私はアインシュタインと同じように、この世には時空連続体があるだけと言う立場です。
ただ、その中の世界の一部を切り取って人格神を定義することは可能でしょう。
別に私は人格神の存在を望んでいるわけではないので、そういう定義をしたいとは思いませんが、
定義もできないのに存在を否定するのは馬鹿だと思いますね。
>>943 人格を持つように定義すれば、持つのは当然でしょうと言ってるだけですが。
宇宙自体を神と定義すれば、神が存在するのは当然というのと同じです。
946 :
考える名無しさん:2008/11/11(火) 23:54:24 0
942ですが、そうだったんですか、アンケートのサイトを見かけたので
思いつきで書き込みました。
じゃあ、僕も馬鹿ならそのアンケートを作った人も馬鹿なのですね。
あなたが人格神の存在を望んでいるわけではないなら、OKです。
イチャモンつけてすみませんでした。話しが高尚になりすぎですね。
キリスト教はこの世の不条理な苦痛を罰であると同時に贖罪であるとする。
実際、快楽を追求すれば生は劣化するのであり、
なんにしろ上達、成長は楽に達成されるものではないのである。
非現実的な話ではないのだ。
別に生を否定するものではない。むしろ不条理な生の擁護であり弁護である。
擁護を要するのがデカダンスという人は勝手に孤独に生きればいいのだ。
ニーチェというのは「反ディオニュソス的なるもの」という敵が欲しかったのであり、キリスト教を形式的に敵役に抜擢しただけではないか?
敵を欲しがるのもまた意志の弱さではないか?
敵がいたほうが頑張れるものだ。
そうニーチェは正直な話、自称デカダンスであった。
デカダンか。 たしかワーグナーの場合の序文に書いてあった気がする。
キリスト教社会に生きていない我々にニーチェの苦悩や愉しみはわからないよ。
日本のクリスチャンはまがい物だから関係ないし。ほんとは自覚してるでしょ?
ドゥルーズは自殺したらしいし。
ニーチェとは違って、いささか痛みを舐めてたのかもな。
ニーチェの痛みに対する耐性は常軌を逸しているのだ。
ニーチェが「もっとも過酷な苦悩」「拷問」などというとき、これは文字通りの話なので正常な人は気をつけねばならない。
彼はそれをさえ肯定しようという変人なのだ。
それと覚悟していたはずのドゥルーズもビックラこいて自殺してまうというね。
そんな痛みを肯定するというニーチェ。
実に孤独な変態である。
ブッダやキリストでもビックリするだろう。
まったく痛みなど歯痛で十分というものだ。
歯や歯茎の痛みというのはほっとくとまるで生き物のように内部に転移していき果ては頭痛に繋がるというなかなか大変なことになるものだ。
歯は命ともいうw
どうも1ヶ月以上の眠れやしない苦痛に耐えられる器でないと一線を越えられないのだろう。
苦を罪と罪滅ぼしと慈愛と解釈するのは不当ではなく妥当である。
この解釈によって、やらねばならぬことの理由と意味と価値がわかるのである。
苦が生を改善するメカニズムがわかるのだ。
ニーチェというのは半ば拷問に耐えつつ悟ったようなものなんだから、
この解釈を不当だとするのはおかしいのではないか。
951 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 04:52:34 O
旧約聖書は昔の神話からいろいろパクったものの寄せ集め
キリストは存在していなく作られたもの
本来は、ユダヤ教の派生宗教でユダヤの民だけを保護する神。万人の神など意味不明
952 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 05:02:16 O
人格神とかの人格は人々が作り出したに過ぎないだろ。
人間が神に色づけした時点で偽りになる。本来は自然ね恵みの感謝や、厳しさの恐れの寓意
自然が神であった。
確かに拷問を肯定できないかぎりは奴隷ではある。
英雄、自由などにはほど遠い。
しかしだ、仏教やキリスト教の非暴力の教えは、デカダンスというよりは進化なのである。
脊髄反射的に戦うことより遥かに難しいだろう。
それは一方的にありとあらゆる虐待、拷問を受けること、そして殺されることを覚悟していなければできない。
これは奴隷道徳ではない。
むしろ奴隷になるぐらいならば死を選ぶ勇ましい覚悟なのである。
相手を敵と認めない高貴さを実証する格別の軽蔑でもあるのかもしれない。
これは果たして退廃の徴候だろうか?
人間から猿への?
逆に野蛮な猿から人間への進化を促すものではないのか。
そういえば非暴力はヤバいな。
ニーチェも発狂しちゃったしな。
ニーチェよりブッダ、キリストの方が大人なんじゃないの。
ヘーゲルがショーペンハウアーを黙殺してるのはいい戦法だとショーペンハウアーは解説していたっけw
生の退廃が認められてきていた時期に、ショーペンハウアーなどの無神論者も出てきていたわけで、
ニーチェも神は死んだなどと言えちゃう状況になってたわけだから、
生の退廃によって認識能力が落ちたからこそ、
宗教離れが進んだといえるのかもしれないな。
957 :
市民:2008/11/12(水) 06:44:29 0
958 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 07:27:34 0
神殿前の屋台をさんざんぶっこわして非暴力もないもんだw
田川建三の解釈のようなイエスなら好きになるけど、
その時点でキリスト教からは遠ざかるんだよなー
959 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 08:21:28 O
イエス・キリストの布教期間はわずか3年。
衝動的に過剰報復を行い、無礼討ち、切捨御免などの適用、無罪放免を望むような凡夫はキリスト教どころではないかもしれない。
彼らは裁きの日に地獄の業火に焼かれるのだろう。
地獄の業火というのは決して誇張表現ではない。
キリスト教は機会は与えるが強制はしない。
信仰のないものは残酷にも見捨てるのだ。
その慈愛を包み込む恐るべき冷ややかさ…まさに自然のようである。
あくまでも厳格なる上から目線なのである。
冗談の通じない自然の掟、メカニズムを人の言葉で表現しているのだ。
そう言えば、神というものは、淘汰圧の擬人化だという人もいるね。
キリストは自然の擬人化であるといえる。
十字架はまた己の身を削っていく太陽、自然の象徴である。
963 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 19:21:57 0
世界救世教の『明主様』(岡田茂吉)こそが、
キリストの再臨なのである。
しまった知れば知るほどヤバいのがわかってくる知る人ぞ知る世界に生まれてきてしまったんだY(>_<、)Y
「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。
わたしは平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」新改訳 マタイ10-34 (((゜д゜;)))
食物連鎖仕組んじゃうやつって絶対ヤバいし。
967 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/11/12(水) 21:52:45 0
十字架に架けられた後復活して昇天
という事を見て分かるように
安全な自己犠牲で王になれるのです
簡単でしょ
たしかに食物連鎖がリアルであるという恐るべき現実があるんだからとんでもないことだ。
人間の想像力を超えたありえないような話がなんと現実なんだからな。
完全なる神は悪に関しても完全なんだろう。
いやはやキリストはリアルですね。
すでにキリストのキャラ自体がこの世界のキャラを象徴している。
釈迦との差はその教えよりむしろキャラにあると思いますね。
キリストはまさに神の子と呼ぶに相応しい超人というところでしょうか。
キリスト教が邪教ならこの世は邪境ですな。
972 :
1:2008/11/15(土) 00:46:08 0
梅
974 :
考える名無しさん:2008/11/24(月) 13:49:03 0
過疎だな
みんなデートか家庭サービス?
給料前の連休はきついんだよ
膿め
977 :
考える名無しさん:2009/01/27(火) 10:06:50 0
979 :
考える名無しさん:2009/02/22(日) 12:23:25 0
キリストの奇跡って それまでの神話伝説をくっつけただけじゃねぇの
980 :
考える名無しさん:2009/02/22(日) 12:29:13 0
イエスが旧約聖書で予言されたメシアであることを証明するために
捏造、あるいは歪めて解釈されている可能性は高いでしょうね。
981 :
考える名無しさん:
狩猟民族で 陸続きで他国家との戦乱に明け暮れてた西洋の思想から生まれた宗教が
好戦的なのは当然のこと。農耕民族の宗教のように寛大に受け入れることもない。