1 :
考える名無しさん:
それでも「おお、この運命よ、よく来た。また来てくれ」などと言えるのだろうか?
ニーチェの『ツァラトゥストラ』におけるツァラトゥストラは少なくとも
そういう極限的な痛み、苦しみ、不幸に襲われていない。
そういう痛みに襲われた他人に対して言うのは容易で、自分が襲われた場合、
やはりヨブ(聖書の一書)のように運命を呪ったり神に異議申し立てしたり
あるいはそれ以上に神を(仮にそれが神によるものではないとしても)
罵ったりするようになるのではないのか?(ツァラトゥストラはただでさえ
キリスト教の神や似たようなものを罵ってはいるが、ここで言いたいのは
自分のあらゆる失敗や悪さえ、神のせい、神の責任であるかのように言うこと。
これはヨブさえ言っていない。)
2 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 19:48:30 0
ツァラトゥストラは神の存在を認めてるのか?
認めてないなら、神を呪うことはできないよな。
ストア派的に運命に耐えるしかないだろ。
3 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 19:52:00 0
それでも「おお、この運命よ、よく来た。また来てくれ」って言えるから、
「人間」じゃなくて「超人」なんじゃないのかな?
ツァラトゥストラなら
神が苦難を与えているなら神を倒そうとするんじゃないか?
運命なら耐えるしかないが、ニーチェの場合は神=運命では無いしな
5 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 20:51:06 O
面白いな
少しニーチェを見直した。
6 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 21:31:36 O
神を倒そうって神をウルトラマンに出て来る怪獣だとでも思ってるのかw
インドでは苦行を極めた修行者=仙人(超人の元ネタの一つw)はその蓄えた
熱力で自分に逆らう神様を脅したり、痛めつけたり平気でやっちゃうんですがw
中国の仙人も似たようなもんだしなw
つーか各地の神話では英雄(これも超人の元ネタだなw)が自分に悪さを
する神様に痛い目見せる話はゴロゴロ転がってるしな
キリスト教も人間による神殺しによって成立した宗教w
ニーチェはマゾだったということちゃうの
9 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 17:11:43 0
ニーチェは運命に耐えられなくて精神を病んだんでしょ。ツァラトゥストラは耐えられてもさ。
俺もツァラトゥストラ読むといまいち信用できない気がしてしまう。
でもこれ書いた人結局最後は狂い死になんだよなと思って。
運命を呪ったり罵ったりするのは容易だが・・・・
「おお、この運命よ、よく来た。じゃあの」と言える道に進むのは困難だ
ハイデガーもニーチェ講義でニーチェよりもツァラトゥストラの方が偉いって書いてたから、
それでいいんじゃないの。永遠回帰はニーチェ自身には語れないから、ツァラトゥストラを
創造したんだろうって。
超人>>ツァラトゥストラ>ニーチェ
みたいな感じだったと思う。
13 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 19:52:19 O
>>10 俺らのような輩すれば、狂っていたからこそ書け
るのであって、最後は死んだに過ぎん。
それについては、狂人も人も同じだ。
残念だね。
ハイデガーもニーチェは存在忘却してるとおっしゃてたけど
ちょっと見方を変えて、狂死するのが正道だとしたらどうだろうw?
狂死するという運命を雄々しく受け入れたとも言えるw
ガハハ
死ねや死ねや
18 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 06:47:22 O
ラオウみたいだな
ヨブの神ってアニミズムと哲学者の神の混合物っつうか
感情的な必然的存在者みたいなもんだから、
仮にやっつけることができるとしても、
やっつけちゃったら世界が滅ぶだろう多分。
まあ多幸状態のときにはどんな苦痛がきても世界を肯定できると思いがちですな。
実際に苦しんでるときにはなんでそんなこと肯定したんだって後悔するわけだが。
家族殺されて自分も半身麻痺にさせられて、それでも愛を唱えるなら
凄味があるな。そういう人は大勢存在するが、たいていそういう
人は宗教を信仰している。
21 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 09:13:05 O
しかし何故人間はやせ我慢無しに運命を肯定出来ると考えたのかね
一切が繰り返すから?変な理屈だ。
例えば娘が事故死したとする
運命よまたやってこいと言えるか?
言えるとしたら何故言えるんだ?
超人だからと言うのでは理屈になら無い
22 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 10:26:46 0
そうだな。
超人に娘がいてそれが事故死するっていうシチュエーションを想像すると怪しいもんだな。
例えば娘が集団レイプされたあげくリンチされて生き埋めにされた親父に向かって運命よまたやってこいとニーチェ信者がいってみたとする。
どうだろう?
私はそのニーチェ信者に向かって運命よまたやってこいといってみるだろう。
永劫回帰のもとではあらゆるシチュエーションが無限回起こるからかもしれん。
バッドエンドがほとんどの激ムズアドベンチャーゲームでも、
一つでもウルトラスーパースペシャルハッピーエンドがあると信じられるなら、
それを夢想しつつ楽しめるみたいな。俗っぽいが。
25 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:08:32 O
>>23 そのシュチュエーションは嫌だからダメだってこと。
そんなに世の中(哲学)甘くないでしょ。
それが嫌なら宗教もあるでしょう。
26 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:08:50 O
絶対、娘を失った超人に「またレイプされて殺されるといいね」と言ったら怒るだろう
それとも超人はおお運命よ、また娘をレイプして殺してくださいと言うのか
ところで私は10代の頃、熱狂的なニーチェ信者で永劫回帰をマジで信じて居た
丁度大学受験に差し掛かっていて
無謀といわれていた大学に合格した。
しかもその合格を蹴ってしまったのだ
何故蹴ったかはさておき
人生を絶対肯定できるような歓喜を求めて居た俺は実際に超人にしか味わえない歓喜を味わった
しかし、超人の喜びというのは後先考えない絶頂体験みたいなもので
その体験の後、俺は廃人になってしまった。
人生を繰り返したいか?と己に問うと
絶頂体験を含めて御免こうむりたい
27 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:22:57 O
そこでニーチェと関係あるかはさておき24で述べて居るように目的論を導入したらどうかと思うんですね
例えば今勤めて居る企業の社長になると言う目標を設定する
すると人生の様々な試練が超難解アドベンチャーゲームに取り組んで居るような、病み付き的楽しさに変質するんじゃないかな
超人はそんなことじゃ怒らないんじゃないか。というか怒ったら超人じゃないっぽい。
その例は永劫回帰のもとではバッドエンドのひとつに過ぎないんだろう多分。
そのバッドエンド人生と他の人生には因果的な関連はないにせよ、
多くの人生がセットにはなってるんだろう。
29 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:35:43 O
ニーチェ的世界ではバッドエンドもハッピーエンドも偶然な訳でしょう
また娘の生命を犠牲にしてまで得られるハッピーエンドって??
なんか一つの人生の内部で考えちゃってるんじゃないか。
娘が犠牲になったのと他の人生で娘の幸福が実現というか妄想されてるんだろう。
31 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:45:43 O
どうもニーチェのニヒリズム的世界観は19世紀的唯物論が土台になっておりそのまま受けとるのはどうかと思う
ニーチェ思想を継承しつつ批判的に発展させた思想家にユングが居るが
32 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:50:09 0
あえてそのまま受け止めて検証してるのがこのスレなんだよ
33 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:56:25 O
現に今を生きている俺にはそんなお遊びに付き合ってる暇はないのだ
日々起きている現実の出来事を一体どのように解釈すればよいのか
唯物論的解釈
心理学的解釈
哲学的解釈
宗教的解釈
34 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 12:05:11 O
例えば、皆さんはどうしている
ある日、恋人が死んだとしよう
人間には大脳新皮質の理性判断の機能があるので
物事を事実として受け取るだけではなく
解釈する機能がある
永劫回帰思想と関連付けて解釈する人も居るだろうし
第一原因を想定する人も居るだろう
皆さんは、世界をどのように解釈して居る?
35 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 22:57:23 0
ニーチェの永遠回帰というのは、幸福がベースにある。幸福だからこそ、不幸も乗り越えられる、という考え方だよ。
不幸な状態では永遠に回帰などしてほしくないだろう。
ふりかかる苦難が大きければ大きいほど
それに耐えるツァラトゥストゥラはまた自分の大きさを知る
37 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 02:37:34 O
ではどのようにして幸福という状態は維持出来ると?
自己の強さを愛することで
もしくはその泰然とした高貴な姿が、やがて来るであろう超人に繋がると考えて
つまり
「苦難に耐えるオレって激萌え(はあと」
って思想なんだよな。
40 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 11:10:05 O
我々仏教徒から見ると実にキリスト教的発想と言う気がする罠
41 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 11:24:29 0
「よーしパパ全てを受け入れちゃうぞー」
って思想じゃないの?
永劫回帰をありのまま受け入れて、当然の流れとして超人へ、みたいな。
ちがった?
これって極めて仏教的な気がするが
そもそもショペンアウアやニーチェの系譜は仏教大好きなんじゃないの?
ニーチェの好きなスピノザも仏教思想に似てるし。
幸福がベース?それは倒錯でしょ。
超人にならなければ永劫回帰には耐えられない・・・ということ。
ただ永劫回帰に対する想像力が我々にはない。
生の仏教とニーチェはそんなに近くないだろう
ただニーチェの理想は東洋思想でいえば日本の鎌倉〜近世初期の
まだ荒削りな武士道に近いのではないかという気はする。
宮本武蔵なんて結構ニーチェ的だよなとふと思ったりする
なんといっても日本語の悪(党)に強者の意味があったなんて知ったら
歓喜してたんじゃなかろうかと思うw
運命に左右される幸福は、本当の幸福ではないというようなこと
考えた方はおられませんかね。
つプラトンその他の本物
46 :
考える名無しさん:2007/09/03(月) 09:59:12 O
アリストテレスは
幸福や不幸をもたらして居る究極原因に対する洞察が哲学の目的でそれを知ることによって我々の人生は良くなると考えた。
今、現在たまたま幸福な人はたまたま幸福なのであってその理由を知らない
たまたま幸福な場合
たまたま不幸になる場合もある
47 :
考える名無しさん:2007/09/14(金) 00:04:32 0
たまたま幸福な人の幸福は「幸福」と呼ぶに値するものなのでしょうか。
幸福とは、たまたま失われる場合もある「不安定な状態」を言うのだと?
アリストテレスの言う「幸福や不幸をもたらして居る究極原因」が何なのか
私には分かりません。
しかし、それが運命に左右される何物かだというのなら、不安定なものについて
いくら洞察しようとしても、洞察自体が不安定なものにならざるを得ないのでは、
とか考えるのですが。
48 :
考える名無しさん:2007/09/15(土) 08:38:34 0
もう少し本嫁
sage
51 :
考える名無しさん:2007/12/02(日) 22:07:42 O
上げてみたい
様相実在論と永劫回帰の巻。
53 :
考える名無しさん:
超人は風呂屋にいる。