1 :
わ〜い:
豚とか牛は殺して食ったりしてんのに、
なんで人はダメなの?教えて!
3 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 18:44:38 0
>>1 社会の一員だから
以上、終了。
罪に問われず人を殺したいなら、どうぞ社会とは別の世界でやってくれ。
とめねーから。そのかわり自分の命の保証も全く無くなるけどな。
4 :
わ〜い:2007/08/18(土) 18:46:20 0
>>2 すいません、迷惑かけました。ありがとうございます
5 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 19:12:56 0
age
何故殺していいのか
殺していいと根拠なく言う奴…
出てこぃやぁぁ!!
いいなんて言ってないよ。
でも悪いっていう人は何故悪いと思うの?ってことでしょ
バカ?
殺してはダメな理由がわからないのは
殺してもいいと思ってるからじゃないかw
早く殺していい理由教えろやぁぁああ!!
>>8 殺したいなら殺せばいいじゃんってことでしょ。
寝たきゃ寝るし、やりたきゃやるし、
食いきゃ動植物殺してでも食うだろ?
なんでいけないの?
例えるなら
まず「なぜ人を殺してはダメなのか」と言う問いや疑問を立てたとしよう
この疑念はよくある事だが、この問いはいわゆる真理というものではない
物事の本質に迫ろうとする理性的な欲望だ
問いや疑問を立てると言うのは、高度な思考力を必要とする
「逃れたい、信用できない、理解したい、自由になりたい」
等の抑圧された感情の背後にあるのは、生理的(本能)な欲求の事だ
「人は殺しても良い、あるいは殺せるようにルールは出来ている」
これが自明の理である、ルールとして物質世界が可能としているものである以上
殺害も行動手段の一つであり当たり前の事だと言える
では、なぜ人間社会は殺しの自由をわざわざタブー視しているのか
絶対的に逆らう事の出来ない物質世界の法則をあえて、さからう、かのように「見えてしまう」のか
理屈的には奴隷道徳と共通した精神なのだが、そんな閉塞的な視野では納得がいかない、と思う
次に、人の動物としての立場から見た主体を考えてみようか
そしてそのまた、その上に人の社会的な立場の見解「ルール」がある、と言う風に
納得いくまで考えるといい
またバカがいるよ
人を殺していいんだと
人間失格だなw
というか、殺人とか、社会とか、自分の手に余るような大げさなことで考えるよりも、
もっと身近なことで、「いけない」とはどういうことかを考えてみるべきじゃないのかな。
13 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:21:16 O
だからさぁ、俺にだってムカつく奴をぶっ殺したいとか人の物を盗んで楽したいって気持ちはある。
たぶん、ほとんどの人がそういう気持ちを持っている筈だ。
だけどそれを認めてしまったらダメだろ。人をぶっ殺したり物を盗んだりすることが、いくらそいつの利益になったとしても。
世の中が無茶苦茶になるだろ。
前にも書いたが、食堂に入って金を払わないで外に出る。
で、店員に捕まって「なんでメシ食ったらお金を払わないといけないんですか」とは言わねぇだろ?
人殺しはいけないこと。
メシ食って金を払わないのもいけないこと。
14 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:27:45 O
俺が人を殺すとするだろ。理由は何でもいいよ。
金が手に入るとか、そいつの顔が気に食わないとか。
そいつを殺して臓器を取りだし、俺の大切な人に移植するとか。
で、「俺は自分に利益があるから奴をぶっ殺した。だから俺は正しい。悪くない!」ってのが通用するか?
悪くないって思ってんの俺だけじゃね?
15 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:41:36 0
16 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:44:32 0
共同体の規範で(あだ討ちなどの理由が無い)殺人を許容するのは、
間引き(暗黙な)くらいなものではないか?
個人幻想や対幻想が共同幻想と逆立するというのはそんな辺りじゃないか?
何故人殺しはいいの?
正当な理由以外は答えなどない
にも関わらず人を殺す人間がいるとしたら
それは本能に近いのかもしれない
理性では押さえられない
動物が縄張り争いをするのと同じなのか
人間だけが優れた思考能力を持っているのは縄張り争いするためではないだろう
「共存する」ことを理解できるのだから
縄張り争いするために与えられた能力なら
あまりにも酷い
神がいないとしたら酷いとしか言い様がない
いるとしたらあまりにも業が深過ぎるのではないか
私はアダムとイヴを恨もう
人を殺すことが正義の組織が実際にあるわけだし、それでも組織という社会は成り立っているでしょ?
人を殺したって別に社会は存在するでしょ。
ぶっ殺すのが悪くないなんて思ってるのは殺した本人だけだろうけど、
そんなにひがむなら殺せばいいじゃんって言われるかもよ?
>>18 >人を殺すことが正義の組織が実際にあるわけだし、
無いよ。
アルカイダは?
組織が消滅したという話は聞かないが・・・。
アルカイダにとって、人を殺すことが正義なら、
アルカイダのメンバは、互いに殺しあって、
組織は消滅しているはず。
にもかかわらず、いまだにアルカイダという組織が存在しているのは、
そうでない証拠。
仲間を殺す必要あんの?w
人を殺してる事実認めろよw
そして報復だ!どうのだ!言って自分達の正当性を主張してるだろw
てかその昔、日本も人をいくら殺したかで称えてた国じゃねーかw
よく人を殺しちゃいけないなんて言えるぜw
法律なんて無意味。罰しか与えられない。
え?
殺されたくねーから殺すな?殺す側からすりゃ、知ったこっちゃねーだろうよ。
してはいけない絶対的理由なんてねーの
個人が理由をつけてるだけだ。
ルールだって普遍じゃねーよ。その証拠に憲法変えようとしたりしてるだろ
戦争起きたらてめーらのうちのいくらかは戦争行って人殺すことになるんじゃねーの?
つまり、ルールに服従するものはルールを操ってるやつらに操られてんのさ。
わかったか、盲目法律信者が。
>仲間を殺す必要あんの?w
だって、正義なんだろ?
次の文読めよw
>人を殺してる事実認めろよw
そもそも、最初から否定してないが。
あっそうwじゃあおめーにはいってねーよ消えろカスw
>>24 概ね同意出来るんだけど、高圧的な態度がなければより受け入れられただろうね。
もったいない。
ええと、アルカイダは人を殺してます。
でもだれかれ構わず見境無く殺しているわけではないですね。
殺すことには理由をつけてます。
つまり、いみじくも、
>>24 が、
>仲間を殺す必要あんの?w
と言ったように、理由がなければ殺していけないわけですよ。
「殺すことが正義」などとはとうていえませんね。
もっと言いますと、彼らが人を殺す理由を大雑把にいうと、
世界は現在彼らがあるべきと考える状態になく、
あるべき状態にするためには、彼らの行っている殺人は必要な行為だということでしょう。
では、これらの殺人によって、世界が本当に彼らがあるべきであると考える状態に
なったとき、その世界で殺人は正義でしょうか?
彼らは、少なくとも表立ってはそのように主張しないはずですね。
>理由がなければ殺していけないわけですよ。
短絡的。殺してはいけないなんて書いてない。殺す必要があれば仲間であろうと殺すだろ。
必要がないなら殺さない。
お前は食う必要のないものを食うのか?
彼等にとって殺す必要があるものを殺すのは正義じゃねーの?わざわざ悪のためにやるわけではねーだろ。バカが。
出直してこいカスが
33 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 03:41:38 O
だから何で殺す側の視点なんだよ?
殺す側の主義主張はOKで、「殺されたくない。だから殺人はやめましょう」って人は無視か?
殺す側の利益のみを認める理由が分からん。
34 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 03:47:58 O
DQN達が家にやってきて勝手に冷蔵庫の物を食って酒盛りを始め、SEXして精液まみれのゴムを部屋の中に捨てて、ってやったらどうする?
DQN視点の主義主張をきくか?奴らの利益を。
きかねぇだろ。
35 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 03:51:55 O
「そんなことをしては、いけません!」って人の意見を無視するか?
人殺しはいけないこと、これは守るべきなんだよ。
世の中が無茶苦茶になる。
>>34 頭弱いのか?そんな強盗が押し入ってきたら迷わず「ぶ殺す」
お前の例では殺しを否定できない。
バカは出直して来い。
37 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:16:59 O
>>36 逆にぶっ殺されるかも知れないんだぜ?
なんでおまえの視点はいつも殺す側なんだ?
泥棒の主義主張は認めるけど、被害にあった奴は無視か?
人殺しは正しいのか?
泥棒は正しいのか?
なぜ被害者の立場になれない!?
38 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:20:28 O
こいつ頭と口悪い
確実に殺される弱者側だな。
39 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:20:29 O
人殺しや泥棒の利益のみをお前は認めるのか?w
それでいいのか?
40 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:25:06 O
>>38 人にバカとかいっといて、そりゃないだろw
41 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:31:22 O
人殺しがおKとなると、弱い方、殺さない方に確実に死が訪れるから。
42 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:32:11 O
アルカイダの目的は殺人じゃない。
43 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:49:10 O
ムカついたから殺した
でも
自分が正義だから
でも
りゆうなんて何でもいいし、りゆう無く殺してもいいってこった。
44 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:51:50 O
天気がいいから殺した
と言う強者に弱者はさからえない殺されたくなければ機嫌をそこなわない程度しか出来ない
力関係は逆転するか?それは難しいと個人的には思う
45 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 04:57:25 O
互角なら血みどろ。これは趣味にかかわる気が。力関係を理解出来ない弱い人はすぐ死ぬと思います。
46 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 05:00:45 0
別にダメじゃないよ
法的にはダメだけど
47 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 05:10:18 O
意外と人殺しを非難するよね〜。
48 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 05:16:17 O
ダメだと前提しつつ強者が弱者を殺しまくってるのが現状
弱者は見えないふり
善人に見えて思考停止
理解しつつ爪を磨ぐ
理性ある強者
まぁ色々よ。
それがお前という世界の正義なら
>>1 明らかな理由なんか無いよ。とにかく人を殺しちゃダメ。
理由を求めてる時点で人として終わってるね。自分のチンコと
肛門を切り取って食べる事はいけないの?悪なの?いけないなんて
決まってないし、悪とも決まってないよね。でも、自分のチンコを
切り取って食べる奴は人として終わってると思うよな。
理由なんかなくても、そう思うんだからそうなんだ、というしか
ないだろ。とにかく、いけないものはいけない。以上。
俺ほど説得力ある説明を出来る思想家は、日本でも数少ない。
51 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 05:49:45 O
世の中には人を殺してでも利益を得ようとする奴がいる一方で、誰かのために自分の命を投げ出す奴もいる。
自分の利益のみを追い求めるのなら前者が正しいということになる。
しかし自分の利益のみを追い求めることが正しいとの答えは出ていない。
みずからの遺伝子を残そうとする人間にとっての本能を越えて誰かのために死を選択した後者が正しいことだってあり得る。
もし本当に神がいるのなら、何が正しいことなのかを教えてほしいものだ……。
>>50 ぶっ殺そうと、肛門や性器を切り取ろうと、それを食おうと、
それがどうしてもしたいやつには、お前のその価値観は全く通用しないだろうね。
悪いとなんとなく思う、そのことだけが〜してはいけないのその人だけの理由になるっつーのはその通りだ。
しかし、理由としては脆すぎる。
53 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 08:16:23 O
社会って何すか?
55 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 08:48:50 0
法律には何故人を殺してはならないと書いてないの?
56 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 08:52:24 0
牛や豚は、ある特定の人間の中の秩序の外にあるから。だから、豚であっても
秩序の中に入ったものは殺したら問題になる(ペットの豚)
中世の貴族なんかが奴隷を殺してら、奴隷の秩序では問題だが、貴族の秩序
においては問題にならない。
未開世界の蛮族を殺して「開拓」するという行為もこれにあたる。
現在の価値観においては「人類は平等」みたいな流れがあるが、
いつの時代にも必ずしもそうであったわけでもない。
秩序を具体的なかたちにしたものが法であり、それに道徳とか
慣習などで社会が形成されていて、その中にいるのだから罪となる。
57 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 08:56:37 0
秩序が乱れるから殺人は悪である。
58 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 09:01:51 O
広大に広がる内面宇宙を破壊するからだろう。
60 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 09:03:04 0
たまにはデートでもしてこい
61 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 11:10:50 0
>>31 >短絡的。殺してはいけないなんて書いてない。殺す必要があれば仲間であろうと殺すだろ。
で、それはアルカイダにおいては正義なんですか?
>お前は食う必要のないものを食うのか?
そういう個人の必要、不必要で、やる、やらないを勝手に決めて、
組織がそれを意とがめない状態が、その組織で「やってもいい」
とされている状態ですよね?
つまり、日本では(おそらくアルカイダでも)、基本的に食い物を食っていいことになっているといえる。
では殺人はどうでしょう。
アルカイダでは、個人の必要、不必要で、殺す、
殺さないを勝手に決めて、組織にとがめられることはないのですか?
そういった組織が分裂して主導権争いになると、話し合いなんかはなく、即武装闘争になる。
63 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 11:24:51 0
つまり、組織が分裂して複数になるわけですね。
そうすると、正義も分裂することになる。
どんなに激しい抗争をしていても、敵対する組織の構成員である、という理由がなければ、
(分裂した組織であっても)組織において殺人が正義、ということにはならないわけです。
共産党の権力闘争は?
写真からも消される。
組織内の人殺しはなかった、そんな奴は初めからいなかった。
66 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 12:31:24 0
>>64 「殺すことが正義」なら、消す必要はないのではないでしょうか?
表向きにすると都合が悪いから、消すわけでしょう?
67 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 13:48:05 O
人殺しをよしとする奴の理由って何?
個人の利益?
68 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 13:49:43 O
人間は自分のためなら人殺しをする。
だから人殺しはOKってことなの?
69 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 14:59:45 0
まあ、その「OK」の意味しだいだな。
70 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 15:02:10 0
野良犬は、キャンキャン吼えたり、噛み付いたら保健所に送られるから
偉いやつの犬は噛み付いても揉み消したりするんでしょうね。
で何で殺すのは悪いの?俺はいいとも悪いとも思わないどっち付かずの立場です。
73 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:14:30 O
ジャイアンの理屈だろ。のび太の意見は無視。
俺の物は俺の物、のび太の物も俺の物。
なぜ強者の意見のみを認めるのかは、分からないが……。
74 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:16:57 0
>>72 いちいち何で荒らしたらいけないのか、と聞くようなもんだよ。
75 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:17:15 O
強い奴が弱い奴をぶっ殺して利益を手に入れる。
利益を手に入れた者が正しい。
なぜ?って感じなんだけど…
76 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:17:25 0
殺すのは悪いけど、殺してもいい。と適当に言ってみる
>>68 そうだよ。人のすることなんて大抵自分のためだろ
人を殺すのはいけないと主張する人が自分が殺されるのが嫌だからという理由と同じように
79 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:30:31 O
これはジャイアンとのび太の関係を強い村と弱い村、強い国と弱い国に置き換えて考えてみるといい。
利益を取ったものが正しいのか?
人殺しをしてでも。
なぜ?
判断するのは、強者?
誰?
80 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:38:58 O
>>78 ようするに両方が自分の為なのだといいたいのだろう。
しかし自分のために人を殺すのと、自分のために人殺しに反対するのは違うぞ。
前者は破壊的であり、後者は保身的だ。
世の中をうまくいかせるには後者の思想を貫徹した方がよい。
何が正しいのかは、強者と弱者とで分かれると思うが…
殺人事件のニュースを見る。
純粋に人を殺すのが快感という病気の人の割合は、どのくらいなの
か。俺の想像に過ぎないが、この種類の人は少ないのではない
だろうか。
自分の利益や優位性を確保するための一方法としての殺人
というのが、ほとんどではないかな。社会的な自分を安定
させる手段のなかの一つ。
後者は社会心理学的な問題のように思う。
前者は精神病理学的な問題ではないか。脳の器質異常のような。
裁判では前者と後者の扱いが、異なるように思う。
82 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:43:05 O
あー、もう単純でいいんじゃないか?
自分が殺されたくないから人を殺してはいけない、で。
ムカつく奴をぶっ殺したい気持ちは誰にでもある。
しかし自分がムカつかれて殺されるのは嫌だ。
ってこと。
83 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:45:48 O
ムカつく奴を殺してもOKにしたら、恐ろしいぞw
顔が気に食わんって理由だけで刺されたら、たまったもんじゃないw
84 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 17:02:46 O
まずは前提を取っ払うことだな。
人間は自分の利益のみを考えてる奴ばかりではないし、利益を追い求めることを正しいかどうかを判断するのも人それぞれ。
完璧な審判など存在しない。神でもない限り。
85 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 17:16:49 0
というか、現代の平均的な人間の追及する利益というのは、
「自分だけの利益」を追求することでは得られないものばかりです。
お金が欲しいとか、出世したい、などという欲求は、
社会が健全に機能してない限り意味がありません。
例えば、お金がいくらあっても、北斗の拳のような世界になったら、
意味ないでしょう。
>>82-83 殺されても構わねーよ。て人もいそうだけどね。
元ヤンキーの友達みてるとそう思うんだ。
殺してみろ、殺してやるから。って感じで。
社会のルールなんて彼等には通用しないよ。法律は守らない、てめえで守るって感じ。
そういう人もいるってことも覚えておいたほうがいいかもね。
まあ、地球が丸いって事を信じない人も、未だに地動説を信じない人もいるけど、
物理学や天文学の議論で、彼らの存在を考慮するってことはないよね。
なるほど、つまり少数意見なんてしったこっちゃねぇって訳ですね。
なるほど。納得した。
それが哲学なんだね〜。ふ〜ん。
なんか、自己完結な人のようなので、あえて説明はしませんが、
少数意見の話をしたわけでも、哲学の話をしたわけでもありません。
え?何の話をしたの?
91 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 22:48:02 0
>>86 社会のルールというより、特定の範囲の秩序といったほうがいいだろう。
たとえば君が、その元ヤンキーの友達の女(男?)を殺したら、そいつに殺されるだろ?
その時そいつに、なんで人を殺したらいけないのか?などと言って収まるはずがない。
ここには人を殺すことがいいなんていってる人はいないと思う。
人を殺してもいい と 人を殺すことは良い とは違うと思います。
人を殺すことは悪い(かもしれない)と思っているが、
人を殺してはいけないなんてこともないと思っている人がいるだけではないでしょうか?
つまり、人を殺すも殺さないも、そして善とするも、悪とするも、各個人の判断による。
悪い、いけないという方々は、人殺しは個人の悪というよりも、社会の悪であり排除すべき。と主張しているのでしょうか。
とまぁ私は勝手に解釈していますが、、、。
93 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 22:52:08 0
矢鴨や鳩の首にパイプが刺さってるの見てさ
これから死ぬんだなって思うと
同情するでしょ
>>93 矢がもー矢ガモだー!!
ママー!ほらー矢がもがいるよー!!かわいそう〜wwww
気持ち悪いからやめなさい
ってのが現実だろうなw
ぱいぷだったwwww
>>94 会社が倒産したり、理不尽なリストラに合ったりして、
健全な社会生活が送れない人が、
仕方なく殺したり、盗んだりするのは悪ですか?
やがももあったwwww
99 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 23:06:48 0
赤ちゃんは首の座りが悪いから、揺らしただけで、
後々の彼の人生に深刻な障害が残るよね、精神とかに。
これって、魂の殺害に入る?
>>97 あなたが「悪」という言葉をどのように理解して使っているかによりますね。
101 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 23:19:34 0
>>93 鳩がペットに近い存在だからそうなるが、これがカラスだったら話は違ってくるし、
熊やサルだったら単純にかわいそうで終わらない。
102 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 23:23:41 0
Bohemian Rhapsody を聞きなYO
>>100 私は個人が悪いと思ったことが悪だと理解しております、、。
法律やルールはあくまで善悪の目安と思っております。
しかし、正直に申しますと、私は社会という物がいったい何なのか理解できておりません。
社会というものがわからないが故に、個人個人の考えを尊重してしまう性質であります。
デブで不細工な女に矢が突き刺さりました。今にも死にそうです。
きめーw
おぇっ
早く死ねよ
そんな声も飛び交うでしょうね★
僕?僕はなんでしょうね、ただゲロを吐くでしょう。
105 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 23:39:38 0
バイ菌を散布するのは国際法で禁止されているから
駄目だ
>>104 究極の醜として、ある意味美しいかもしれない
>>103 >私は個人が悪いと思ったことが悪だと理解しております、、。
では、
>会社が倒産したり、理不尽なリストラに合ったりして、
>健全な社会生活が送れない人が、
>仕方なく殺したり、盗んだりする
ことが「あなたが理解している意味での悪」かどうかは、
各個人がそれを悪いと思うかどうかで決まりますね。
>法律やルールはあくまで善悪の目安と思っております。
法律はルールは、各個人が、その場その場でどう思うかを予測する事を目的に
作られているわけではないですからね。
>しかし、正直に申しますと、私は社会という物がいったい何なのか理解できておりません。
人が二人以上集まればそれが社会です。
>>85 は、「(平均的な)個人が欲しいと思うこと」の大部分は社会の存在に立脚している、
ということを申し上げています。
同様に、平均的な個人が一般的に悪だと思うことを無くすことについて、
大部分の人間はその多くを社会に立脚しています。
109 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 06:00:55 O
ジャイアンが周りのガキ共を集めて「のび太はぶっ殺してもいい」というルールを作ったとする。
この場合、正しいのはジャイアンの方なのか?
力が全て?
110 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 06:05:50 O
力のない者や少数派の言うことは、間違い?
それは「正しい」「間違い」の意味による。
平均って哲学的ではないんじゃない?
統計学とかそっちのお話しだからそっちいけば?
113 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 07:57:16 O
いや、だって「人を殺してもいい」って法律ができたら人は人を殺すもの。
だから人を殺してはいけないというのは間違いだ!みたいなことを言うヤツもいるからさ。
114 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 08:00:55 O
例えば俺が世界を制服してだよ、で、「あの国のヤツら殺してもいい」って法律を作る。
俺は正しいのか?
154 名前:考える名無しさん :2007/08/27(月) 04:32:36 0
クララが勃ったモノをネロネロすると白い液体がパトラッシュ
哲板では「多数派の意見が正しい意見」というのが多数派w
114が地球上の人類を洗脳しまくって多数派を形成すれば、
114が正しいという事になる。原理的に哲板の多数派に従って
言えばね。
哲学は多数決なのかwwwwww
笑えるwwwwww
哲学wwwwwwwwwwwwwwwwww
まぁどこかの国ように洗脳すりゃ殺しまくるだろうし、
植民地にするために原住民を虐殺するものだよ。
殺してはいけないなんてのも洗脳じゃないかな。
いつの時代でも殺し合いはあったようですし、殺し合いから自由を勝ち取ったりしてたわけですから、
あながち人を殺すことは悪くなかったりするかもしれませんよ。
今の日本という社会では人を殺すことは悪いらしいですが、それもまたいつ変わるかわからないですよね。
自分達の利益の為なら結局人は何でもするんでしょう。
119 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 09:48:03 O
>>118の言ってることがそうなんだよな。多数決。
ほとんどの奴らがやることは正しい、みたいな。
世界が戦争に向かっている時、何人かが「戦争反対!」って言ってもダメ?
力がないから、少数派だから間違ってる?
自分が殺されるという想像がないからそんな事が言えるのか
まぁ必ずしも弱者が間違っているわけでもないんだよねー。
モハメド・アリなんかその象徴ですねー。
哲学っていうのはそういう大多数の人が語る常識を疑ってみるものじゃないの?
それを結局多数決で決めてたら、何も考えずに多数意見を信じている人と同じだよ
考える必要もないわけだから、この学問は最早死んでいるよね。
>>112 平均的、というのは統計的事実です。統計的事実を導き出すのは統計学の問題です。
そのようにして導き出された事実を元にさまざまな考察を行うのが哲学です。
もちろん、哲学は事実を導き出す「手法」ではありません(統計学それ自体は哲学ではありません)
しかし、だからといって、そのような事実を哲学的考察に持ち込んではいけないということにはなりません。
むしろ、現代哲学は、科学技術の進歩に伴って発展するさまざまな手法により導き出された事実について
考察を加えることにその使命の大きな部分があるといえるのではないでしょうか?
えーっと、質問です。
多数決だから正しいのか、はたまた正しいから多数なのか。わかりません。
多数決が本当に正しいのかわかりません。
本当に正しいのであれば、正しくないと思っている人を納得させる事が出来ると思いますが、
多数決で決まってるから納得しろなんていわれても納得しないと思えます。
その正しさを考える、疑うのが哲学だと思っていましたが違うのでしょうか?
その前提を疑わず、どうして、正しいといえるのでしょうか?というのは正しいのか?というのは正しいのか?…(笑)
正しいというのは、要するに前提と整合が取れているということです。
ですから、多数決だから正しい、ということはいえないと思います。
例えば、「多数決で決める」というルールをみなが前提として認めているのであれば、
そのルールにおいて正しいとはいえるでしょう。
もしも、議論に参加するものの間で、何一つ合意できることがないとすれば、
「正しいかどうか」という議論は成立しないということです。
126 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 22:30:59 0
"汝殺す勿れ"とは飽くまで倫理であり強制力はない。
多くの国の法がこの倫理に従っているために強制力を持っているに過ぎない。
つまり、どうして人を殺してはいけないのか、という問いは、
"汝殺す勿れ"という倫理はどこから生まれたのか、という問いなんでしょうね。
ディエンビエンフーっていうベトナム戦争を描いた漫画があってそのセリフが分かり易いので引用。
「銃殺される罪人になんでわざわざ目隠しをするのか?」
「死ぬのが怖く無いように…?」
「バーカ。」
「そのほうが殺しやすいからに決まってんだろ?
殺す側にとって死に際に見返されることくらい嫌なことないぜ。
人ってもともと人を殺しにくくできてんのさ」
つまり、他者の抵抗が根拠なのかな、と思うのですが。
だから、倫理というのはとてもはかないものの上に成り立っている。
簡単に破ることが出来る。事実、絶えなく殺人は起こっている。
127 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 22:37:53 0
>>125 その前提と整合とやらを疑うのが哲学だと思うんだ。
それを疑って、わからないから聞いてみて、
そんなもの多数意見だからだよ。
で片付くものでもないだろう。
多数決が人間から考える力を奪ったと思えるがねー。
>>127 前提と整合は公理だと思うのですがね。
全てを疑うなら、どれだけ考えても何の結論も得られないのでは?
129 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 04:42:32 O
公理を前提にしたら、真理は時と場所によって変わってしまうのでは?
真理はひとつだと思うのだが…
狼だったら仲間と喧嘩しても噛み殺さないとか、先天的な決まりを
守るけど、人間は後天的に勝手に決まりを作って、勝手に決まりを
破る。なんか人間は頭良くてバカなんじゃないか、という気になる。
人を殺す奴はバカ代表で、法律を作って守る方が利口代表だろう。
人間にはバカ代表と利口代表がいるだけで、本当の正しさは狼が
知っているという事ではないか。そして人間は狼にかみ殺され、
狼を絶滅寸前まで追い詰める。真理へ至る道は長い。
>>129 真理が一つかどうかはともかくとして、
公理が変わるということは、問題自体が変わるということじゃないでしょうか。
問題が変われば答えも変わるのは、当然ですよね。
132 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 10:17:43 0
前提を疑わないのに哲学板にくるとは恐れ入ったw
公理の含めた全ての前提を疑がわなければならないとして、
思考によって有為な結論を導き出すことは可能でしょうかね。
可能だというなら、具体的な例を一つでいいですから教えてください。
殺すのは自己が生き伸びるための最終手段だしな。最終手段としては
まさに最終という意味で正しいのかもしれないが、最終手段に至る手前で
問題は解決すべきというのが正解だろうし、積極的に推薦すべき手段
ではないという時点で、正しさからはほど遠い消極的なもんと言えるね。
135 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 16:58:40 0
公理の含めた全ての前提を疑がわなければならないとして
何この前提wwwwwwwwwwwww
公理公理というけれど、公理が全くわかっていません
教えてください。
ウンコはくさいっていうのは公理ですね。
138 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 19:26:44 O
たとえば「人間はこういう状況下ではこうする」という公理がある。
しかし例外もあるわけだ。「こうゆう状況下でもそうしない」という。
戦争が起こっても人殺しをしない人間はいるだろう。人殺しをするくらいなら自ら命を絶つ人間だって。
そのような例外的な人間も含めて考えるのが哲学ではないかと思う。
必ずしも「ほとんどの奴らがそうだから正しい」とは限らない。
139 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 19:32:26 0
138のいう公理って、数学や論理学の公理じゃなくて、一般社会の道理
の事を言ってるのか。どっちの公理だ?
少し調べればすぐわかることですが、
そもそも、「○○は公理だ」と言った場合、この言明には、
「○○は正しい」という意味は、無いのですよ?
>>140 >>1じゃないけど、なぜ当たり前のように人を殺してはいけないといえるのかと、純粋に思っただけじゃない?
殺すこと、それ自体は殺す人の自由じゃない?ってこと。
まぁ殺していいっていうのは、殺す側の自由だからと言う理由になるのかな。
人を殺すなっていう社会も人を殺してるわけだよね
死刑はもちろん、貧困、自殺などで
あと過重労働とかもかな
強いやつや社会全体が殺すのは問題ない、人殺し皆で殺れば悪くない。
by日本人
146 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 02:44:38 O
赤信号みんなで渡れば怖くないwwww
>>142 >>1の思考を問いただしたわけではなく
何故人殺しはいいのかを聞いているんだ
読解力がみじんもないな・・・
>>143 だから、俺がお前を殺しても構わないとでも?
先に殺しちゃいけないのを答えてよ
筋が合わない
日本語で
152 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 07:54:42 0
>>147 >まぁ殺していいっていうのは、殺す側の自由だからと言う理由になるのかな。
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
155 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 02:14:38 O
憲法で生命の安全を尊重されてるから。
156 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 02:37:28 0
人殺しちゃいけないわけじゃないけれど、
人を殺す人をある種の狂気として定義した上で、それを迫害して
成り立ってる社会に生きていることは理解した方がいい。
つまり、人殺していいよ。一定数は必要なんだ、社会にはそういう狂気が。
同性愛者とか異教徒とかそういうのでもいいんだけど。
人殺しがダメなんじゃなくて、味方を殺すのがダメということだ。
敵とみなした者は平時でも社会的に許された形で殺すことがある。死刑制度だ。
何で味方殺すとダメなの?
安楽死させる医者は敵なの?
159 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 09:03:24 0
160 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 17:34:30 0
>>158 それが狂気かあるいは正常かのコンセンサスが完成していないから
どちらでもありうる。それが敵であるというコンセンサスを持つ集団にとっては敵。
人を殺しちゃいけないっていうのは単に共同体に於いて、非常に使い勝手のいいコンセンサスであり
狂気の区分である、って以上のものは無いよ。逆に言えば、敵は殺さなければならない。
え?敵を殺すべきコンセンサスがあるの?
ええ?
そりゃ〜知らんかった。
今まで何人殺したの?
自分はいざとなったら人を殺せるんだぞ、なめんなよ。
という主張のためだけに人殺しちゃう奴っているよね。
悪くは無いと思うよ。
殺せるんだもん。
バカだとは思うけど。
>悪くは無いと思うよ。
>殺せるんだもん。
イミフ
牛殺したりさ、豚殺したりしてんじゃん。
殺虫剤ばら蒔いて虫も小動物も殺しまくり。
食うため、生きるためっていうけどさ
そんなもん殺さなくたって食うもんあるだろーが。虫にさされたってしなねーよ
スズメバチはやべーけどな。
てかよ、なに殺した上に捌いて焼いて食ってんの?やってることは超えげつねーだろ
にもかかわらずだ、てめーらは、
人は殺しちゃいけない!殺されたくないでしょ?
はぁ?牛や豚にもきいてやれよバカヤロウが。
生きるためにころしてる?
それなら、生きるのに必要ならてめーらは殺し合うにちがいねーし。生きるために必要なら罪じゃねーんだろ?
豚だろうが牛だろうが人だろうが似たようなもんだ。
人を殺してはいけないなんていうやつは偽善者だ!くたばれ!
さーて明日は焼肉だ
>>165 >牛殺したりさ、豚殺したりしてんじゃん。
食べるためです。
>殺虫剤ばら蒔いて虫も小動物も殺しまくり。
蚊は睡眠の妨げになりますから。
>そんなもん殺さなくたって食うもんあるだろーが。
野菜ですか?私は野菜にも魂があると考えています。
>てかよ、なに殺した上に捌いて焼いて食ってんの?
美味しく食べるために調理をしているのです。
>はぁ?牛や豚にもきいてやれよバカヤロウが。
彼等は聞く耳を持ってくれないのです。
>それなら、生きるのに必要ならてめーらは殺し合うにちがいねーし。
それを自分が許すのなら。
>生きるために必要なら罪じゃねーんだろ?
それは社会が決めることです。
>さーて明日は焼肉だ
お供させてください。
名駅八時な
ところでよ社会ってなんだよつれてこいよばーか!社会に人を殺してはいけない理由を言わせてもってこいよ!名駅八時な!おくれんなよ?
ぶっとばすぞ?お休み!
169 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 10:58:08 0
よくわかんないけど、ここにいる人たちは人殺しをしない人v(^-^)
>>169 知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」について
「日本の文壇、論壇、学会の駄目さぶりを暴いた」と言うのがセコ厨の懸命な主張だが、
その内実が「文体がくどいから納豆ネバネバ文体」というような、まさに、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言であるので、それが、
「日本の文壇、論壇、学会の駄目さぶりを暴いた」と考えるにはかなり無理があり、
そんなものに自分のル・サンチマンを仮託してカタルシスを求める人間は、やはり、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにして
のであり、その結果、哲学板でバカにされ、論理で立ち向かうことができないので、
自作自演、騙り、擬似ウォッチスレ立て、あるいは、2ちゃんのクリシェに逃げ、
挙句の果てには意味の無いコピペを板のスレッド中に貼り付け、迷惑を掛けまくるのも、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにしている
当人自身知的ルサンチマン(=ル・サンチマン)に重篤に冒された人間の当然の成り行きである。
171 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 13:58:35 O
みんな殺されたくないから『人を殺してはいけない』というルールを作ってそれぞれ自分を守ろうとしたんじゃないの
172 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 15:33:20 0
殺人を悪と感じることには、社会の規約への順応とは別に、
生得的な原因もあるかもしれない。
同種の動物を殺すことを控える本能のようなものが人間にも
備わっていたとしてもおかしくはない。
ただ、人間の場合そうした本能はキャンセルもできるものでもある。
>>171 自分のあたまをつかいましょうv(^-^)
動物だって、もの刺したりしたら怒ったり、逃げたりするだろーが!
てめーらそれぶっころして食ってるくせに、殺されたくねーなんてよくゆーぜ!
殺してみろよ!殺してやるから!こういうやつしかもの食うべきじゃねーよ!
何かあれば、みんながどうこう、ってお前は小学3年生か!死ねよクズガキ!
よし焼肉だぞ!俺は残業あっから、8時までにまにあわぬーかもしれんからさきいっといてね!
よろしく!
175 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 21:59:00 O
>>173 自分のあたまつかってるよv(^-^)
>>174 なんでそうなるの?他の生き物を殺して食べたい…でも他の生き物には殺されたくないと思うのはごく普通のことじゃないかな?どの生き物も同じだと思うよ
なんで『殺してみろよ!殺してやるから!』って人だけが食べ物を食べられるの?人間が食べる動物の感情は考える必要がない思うよ?野生の動物が人間の肉を食べる時に動物は人間のことかわいそうだと感じるの?
人間は余裕があるからこういう発想ができるのかもしれないね
何で人を殺してはいけないのか。
人を殺すことは許されない行為だからだ。
誰が許されない行為だと決めたのか。
それは人が決めた。人は、人を殺すことを許さない。
つまり人にとって、人を殺してはいけないのは自明のことだ。
だって、自分で殺してはいけないと決めたのだから。
>1のような質問をする者は人未満の存在か人以外の生物だろうと考えられる。
多角的な視点から物事を考えることで認識は深まる。
何時決めたの?
時代が決めた。
>
>>174 >なんでそうなるの?他の生き物を殺して食べたい…
>でも他の生き物には殺されたくないと思うのはごく普通のことじゃないかな?どの生き物も同じだと思うよ
このバカは他の生き物じゃなきゃ殺されてOKなのか!
さっさと殺されて死ねよクズガキが!死ね!
理由:
人殺しは気違いだから。
気違いが勝ち残って、正常者が絶滅したら嫌だから。
182 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 17:34:29 0
>>181 フーコー曰くそうだね。
エピステーメーの問題。
主さんは
ニュース速報(VIP)板
なぜ人を殺してはいけないのか
に移動しました。
議論はここで終了してくださいです
185 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 20:44:12 O
>>179 人間は殺されたらダメに決まってるじゃん 基本的にこの世界は弱肉強食なんだから人間全体で協力して他の種族との競争で戦ってるわけだし他の人間以外の生き物は食べるために殺してもOKだね でも人間と人間に飼われている動物との関係は特殊だね
別に人間がいなくても動物はいきていくだろ。
人間こそ動物がいなきゃいきられんだろ
もっと敬えばかたれ
187 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 22:54:39 0
大多数の人間の本能が「文明を発展、進化させていく」事で暗黙の了解になってて
かつ殺人を大々的に解禁することが
上記の目的達成においてマイナスに働くと予想されたから
188 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 23:08:39 O
人が「社会」というものを確立させていきたいがためにできた世の理だと思う。
だからさ、本能に文明とか発展とか進化とかいう抽象概念があるわけないじゃん。
単純に「死にたくない、食いたいだけ食いたい、苦労したくない」というだけのことでしょ。
>>186 動物の命を敬うなんて動物を殺して食べるという事はそんなきれい事じゃないでよね?
そもそも動物は人間に食べられる為に生まれてきたわけじゃないのに人間側の都合で食料にされてしまう事と動物の感情や命を敬うことが矛盾してしまうんだよね
サバンナの食物連鎖の頂点に立つライオンなどの肉食獣は草食獣達のことを敬うのかな?
動物がいなくなることで人間が生活出来なくなるのであれば家畜として管理して数を調節すればいいんじゃないの?
食べる為の動物に容赦は無用
生きるために必要があれば人間だって殺したって構わないんじゃない?
正当防衛とかそんなもんじゃなくて
ただ、生きるために殺す必要がある場合が、通常あるか、
ということが問題じゃね?
さぁ?でも金がなくて食えないとするなら、他人から金取ったって別にいいでしょ。
生きるために容赦なく動物殺せてるんだから、物奪うなんてわけないだろ?
取ろうとしたところ、抵抗したら容赦なく殺したっていい気がするけどね。
殺すのはエゴ!殺すな!って言ってるやつもエゴだろ
結局は人間が作ったルール。
まあ個人的な意見としては殺したくもないし殺されたくもないな。
(ノ-_-)ノ~┻━┻
>>193 まあ、たかだか数万円を盗むのに、コンビニ強盗やったり、
強盗殺人やったりした奴がニュースで報道されることがあるけど、
「バッカなぁ〜」と思わん?
真面目に働けば、とりあえず食うぐらいはなんとかなるっしょ。
盗むほうが割がいい場合なんてあるの?
197 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 13:53:38 0
>>196 働き口も見つからず、食うや食わずで住居も無い場合、
刑務所入った方がまだましな生活ができるってもんだ とか
[理由]
基本的には、人間、牛、豚に限らず、こうですよ。
「社会の中で、社会に所属する者殺しを認めると、その社会が崩壊するから。」
以上。
まぁここは日本なので、そう限定しましょうか?
「日本社会の中で、日本に所属する者殺しを認めると、日本社会が崩壊するから。」
家族にしてみましょう。
「家族社会の中で、家族に所属する者殺しを認めると、家族社会が崩壊するから。」
要するに、社会に所属する人達が生きやすいように決めたルールなんです。
生きやすいようにって事は勿論、殺したらだめなんですよ。殺したら
死んでしまって、生きられませんからね。
まぁ一部の地域では、例えばAの社会とBの社会が殺しあってますが、
これはAの社会はAの社会に属する人達が生きるために、
Bの社会はBの社会に属する人達が生きるために、
別の社会から攻撃されないように、
別の社会に属する人達を殺してる、それだけです。
そういうのが好きでしたら、そこに行って英雄になるのも良いのでは?
199 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 13:58:42 0
>>189 死も抽象的概念だろう
そして不快を避けたいだけなら、どうひいき目に見たって文明の発展には繋がらない
不快を避ける為に楽な道具を開発しよう!なんてポジティブには考えないで
ひたすら目先の不快を回避し続ける生き方になるだけだ
現状の文明がある時点で前に進みたい?みたいな進化への欲求がある事に他ならない
と思うぞ
200 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 14:00:57 0
>>197 日本は世界に類を見ない福祉国家である。故に乞食というものは日本には存在しない。従って存在しないものをテレビなどで呼ぶのは禁止されている。っていうことになっているんだけどね。w
201 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 14:21:40 0
>>171 自分が殺されたくないから、人を殺してはいけないというルールができたのではありません。
そのようなルールは相手の同意無くしては成立し得ないものですから。
たとえば二人の人間がいたなら、おそらくは両方とも殺されたくはないでしょうね。
だからといって、相手が自分を殺したいと思っていたら、このようなルールは成り立たないのです。
殺されたくないというだけで、殺してはいけないというルールができるなら、
やはりヒトを殺す能力を持つ動物、トラやライオンやオオカミとの間にもこのようなルールがあって然るべきですし。
要するにこちらとの合意ができない相手、強制力が利かない相手に対しては有効なルールではありません。
大体これでは力関係で上位の者から下位の者に対しての「俺を殺すなよ!」というルールにしかなりません。
言い換えれば、「俺はお前を殺してもいいけど、お前は俺を殺すなよ!」ということです。
このようなルールも在りますが、これは件のルールとはまた別物です。
>>197 それについても異論はあるけど、結局、そういう
「特別な条件」を設定する必要があるわけでしょう?
つまり、「特別な事情がない限りいけない」ってことじゃないの?
>>199 >死も抽象的概念だろう
そうですね、本能レベルでは、自らの身体の欠損に対する恐怖のようなものでしょうね。
>そして不快を避けたいだけなら、どうひいき目に見たって文明の発展には繋がらない
>不快を避ける為に楽な道具を開発しよう!なんてポジティブには考えないで
>ひたすら目先の不快を回避し続ける生き方になるだけだ
ですから、歴史上、幾度となく停滞が生じたわけですね。
>不快を避ける為に楽な道具を開発しよう!なんてポジティブには考えないで
その段階で、既に、「本能」の域を超えてますね。
>現状の文明がある時点で前に進みたい?みたいな進化への欲求がある事に他ならない
>と思うぞ
我々は、文明の恩恵を十分知っていますから、そのような欲求を持っていますが、
それは、生まれつき持っている本能ではないですよね。
204 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 15:06:03 0
元来ヒトは群れで生きる動物ですから、生存・防衛の活動には協同して事に当たります。その方が有利ですから。
この場合自分が生きる為に協力してくれる隣人は、生きていて欲しい人、ということになります。
まずこの段階で自分の中にルールができます。「この人が死んでしまうようなことをしてはいけない。」
ならばこれ以前は「殺してもいい」という事ですが、それは同時に「殺さなくてもいい」という事でもあります。
つまり、殺す、生かす云々などは頭の中に無い状態ですね。これが「殺したい」とならなければ、人を殺すことはないわけです。
さて、勿論他の誰かに殺されてしまっても困ります。
そこで自分と利害関係が一致しているか、強制力が及ぶ群れの仲間にもこのルールを守るように要請するでしょう。
当然ながらこれは群れの中の誰か一人が思うだけではありません。各人が相互にこのようなルールを形成していきます。
自然、群れを守るための掟として、「人を殺してはいけない」というルールが普及するに至るわけです。
裏返せば、自分にとって生きていて欲しくない人間は殺してもいいわけですが(自分ルールでは)、
群れの存続と繁栄に反する行為(掟破り)を行った者は群れ全体からの制裁を受ける事になります。
制裁を恐れない、または制裁の害毒よりも人を殺す欲求が勝る状態にない者であれば、「人を殺してはいけない」というルールに従うことになります。
>>193 就職先がありゃ殺したりしないかもしれないが、実際に就職先がいない中年なんて腐るほどいるぜ。
自分の名前すら書き間違えるおっさんをまともな企業が雇おうとするかい?
そういうやつらには生きる手段が犯罪するしかねー場合もあんだよ
それでも殺すな盗むなっていうならよ、お前がそういうやつら救ってやれよ。
206 :
205:2007/09/02(日) 15:29:18 O
207 :
198:2007/09/02(日) 15:36:20 0
>>205 そんな理由で殺す人は日本の社会に要りませんよ。
殺しあえる社会に勝手に行ってください、としか言えません。
あなたが標的になっても、
>>205みたいな事言えるのですか?
言えるのなら、実際そういう人から殺されてみては?止めませんから。
208 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 16:02:47 0
修正
>>204 6行目
>勿論他の誰かに殺されてしまっても困ります。
→勿論他の誰かにその人(死んでほしくない人)が殺されてしまっても困ります。
209 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 16:32:20 O
>>201 ルールが成立するかどうか、そのルールが有効かどうかという理論は自分が殺されたくないから人を殺してはいけないというルールを作ったのではないという証明にはならない
動物との関係も提示してるけど
>>171の主張する「みんな」の定義が人間のみなのか人間を含む全ての動物なのかで意味が変わってくる
まぁ普通は前者の方だと思うけど
それと「殺してはいけない」は「殺せない」ではないよ
210 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 17:35:04 0
>>209 >>171の『人を殺してはいけない』の「人」というのは「自分」だけを指しているわけではない。
であれば、何故みんなは自分が殺されたくないだけなのに、「人」即ち他人迄をも殺してはいけないというルールを作ったのか。
「殺してはいけない」は「殺せない」ではない。つまり、相手の力が自らを凌駕している等の理由で「殺せない」のではない。
即ち殺すことができる、にもかかわらず「殺さない」というだけではなく、「殺してはいけない」という「ルール」を作った。
何故か。それが自身の利益に適うからに他ならないからではないだろうか。
でなければこのルールは「私を殺してはいけない」という形で止まり、「人を殺してはいけない」という姿にはならない。
「人を殺してはいけない」という「ルールが存在するのはなぜか」
と、
「なぜ人を殺してはいけないのか」は、別の問題じゃね?
212 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 18:14:39 0
>>1 もし人殺しがおkだとしたら
ちょっとコンビニ行ったら死体が転がってるかもしれない、臭い、嫌だ。
いくら自分が強いだからと言って死角から襲われたらミモフタナイ、いちいち警戒するのはめんどくさいし嫌だ。
だからいっそう人殺しを禁止にしましょ♪
ってことじゃない?
>>209 お前は本当にばかだな。
殺されたくないのと、殺してはいけないっていうのは違うだろ。
嫌いなものを食べたくない、と嫌いなものは食べてはいけないと違うだろ。
どうだい、
>>209よ、俺を殺してみるかい?
214 :
213:2007/09/02(日) 19:50:45 O
さらにみすったもうどうでもいいか
217 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 20:57:25 0
>>203 本能という言葉が気に入らなかったなら自分で差し替えてくれ
というワケで一部を除く大多数の生物には「進化への欲求」的なものがあるから
>>187や
>>188に繋がる、と。以上
218 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 21:15:41 0
>>216 もう人を殺してはいけないとかそんなことどうでもいいんだ。
殺してよくたって、俺は殺さねーしな
そんなことより、問題なのは俺の記憶力なんだ。
220 :
考える名無しさん:2007/09/03(月) 00:44:45 O
何故人を殺してはいけないか?
周囲に殺意を抱かせて殺されるかもしれないから
殺意を抱かせるような生き方をしなきゃいいじゃん
222 :
198:2007/09/03(月) 10:56:38 0
>>220 それだと
「いーよ、俺殺されても。だから殺す♪」
なんて言われれば終わりだと思います。
A「殺されたくないから、殺すのはいけないのだ」
B「うるせーばか!死ね!」
グサッ!グサッ!グッサー!
A「うぅ…。死ぬ」
A死亡
理屈でいくら殺すなって言ったって殺す人は殺すのです
224 :
考える名無しさん:2007/09/03(月) 21:37:04 0
ま、論理的に破綻してる理屈なんだし、しょーがないよ
ちゃんと殺すのをやめにするよーなうまみか、いたみかを提示してやんないとね
自分に何らかの形で深刻な害を与える相手がいるとして、
殺すリスク<殺さないでのさばらせておくリスク
になったら人殺しを止める手段は無い。
特にいいこと無しで荒んでいる人間は容易に
殺すリスク<殺さないリスク
という心理状態に陥りやすい。
いいことがあればいいんだ
じゃあ、止める手段は深刻な害なんか忘れ去って狂喜するようないいことを与えてやることだね
あらゆるリスクでも止めないんだったら、あとはそっちで頑張るしかないや
わずかにでも判断力の残ってる人間ならそれで何とかなるけど、壊れて人じゃなくなっちゃったら無理っす
あと、いいことってのが実現不可能なことだったりした場合も諦めるしかないかな
死んだ人間を生き返らせなきゃなんないとか
そうとも限らないよ?
A「何で殺しちゃいけないんだろ?」
B「俺は殺されたくないから、殺しちゃいけないと思う。」
A「俺は殺されたっていいよ。その代わり、俺もよ殺しにきたやつ殺すけど。だからその理屈は俺には通らん。」
B「そっか。殺すことはいいことなの?」
A「良くなきゃしないっしょ。誰がメリットなくてわざわざ人なんて殺すんだよ。
お前はどう考えてもデメリットしかないものを進んでするか?」
B「…しないね。でも社会がうまくやっていくにはやっぱり殺しちゃいけないんじゃないかな?」
A「何かするにもいちいち生きるのに社会の為を考えながらいきてるの?例えばお前が飯を食うのは社会のためか?」
B「いや、自分のため」
A「だろ?自分の為に人殺して何がわりーんだよ?」
B「さぁ?でもなんとなく悪いと思う。だから殺しちゃいけない。」
A「Bよ。人殺ししてよければ、人殺しするかい?」
B「ん〜余程の事が無い限りしないだろうね。」
A「うん。俺は思うんだけどよ、殺すことが悪いと思うんなら、
その思ってる人が殺さなきゃ良いだけだと思うんだ。
なんで殺しちゃいけないなんていうのかわかんねーや。お前の価値観押し付けるなっつーの」
B「でも法律があるじゃん。」
A「ああ、法律があるだけで、殺しちゃいけない理由にゃなんねーよ。」
A「何かするにもいちいち生きるのに社会の為を考えながらいきてるの?例えばお前が飯を食うのは社会のためか?」
C「でも、お前が飯を食うためには社会は必要だろ。」
D「別に人を殺したって社会はなくならないよ。」
E「大勢殺せば無くなるんじゃね?」
d「原爆でたくさんころされたけど社会はあるよね。核爆弾いっぱい投下すればできるだろうけど、あんまり現実的でもないなぁ。」
>>227 > B「でも法律があるじゃん。」
> A「ああ、法律があるだけで、殺しちゃいけない理由にゃなんねーよ。」
裁判官「判決。Aに無期懲役、執行猶予なし。」
233 :
考える名無しさん:2007/09/03(月) 23:58:34 0
法の裁きが無いと、
例えば、想像力が掻き立てるままに、人が殺されるにしても
人が死んだとしても、私は生きていける
むしろ、彼が死なないと、私が生きずらくなる
私の思いを押し殺してでも、彼は生かされている
こんなことは許すべきでないだろう
私が我慢するだけなんて甚だ不当なのだし
想像するだけで、彼が殺されるなんてあっていいはずない
そう思ってるはずだ
>>231 >原爆でたくさんころされたけど
F「そのころの話読んでみ、食い物が無くて困った話てんこもりだぞ。」
235 :
考える名無しさん:2007/09/04(火) 00:09:42 0
つまり、
このままじゃあ、私の人生の障害となるのに裳拘わらず、
私が我慢しているのに、彼がノウノウと生きているなんて、
法律で罰するべきだ
って考えているんだよ
人殺しが何故だめか。私が我慢しているなんて、不正だからだ。
普通に行ったら順風満帆なのに、邪魔になっているのは正しくないと理解しているからだ。
我慢して上手く行かないのは何だって不正だからだ。
d「社会なんてあっても食えない国もあるんだけどね(笑)」
貴方たちは人を殺していい社会であれば人を殺しますか?
F「社会がうまく機能しないと、食えないという実例だね。」
>>237 そんな社会には行かない。
日本が人殺しが許されない社会だから、私は日本に居る。
240 :
考える名無しさん:2007/09/04(火) 00:53:57 0
何故人を殺してはいけないか?結果として自分が損をするからでしょ?
唯我論者はこの問題にぶつかりやすいけど、それも諸法無我を理解すれば治る。
つまりは人は自分個人だけでは生きられないシステムになってるんだよ。
知識や生活する上での倫理観だって自分独りで身につけるわけじゃないし、幼い頃から自給自足でやってきた人間は滅多にいない。
母親の幻の胎内から生まれて、先生の幻に知識を貰って、料理人の幻に食い物の幻を食わせてもらって、
その幻が体の栄養になって、そうして自分だけが実体として構成されるわけないだろう?
唯我論者は食うに困らない生活感の希薄な奴が陥りやすい。
俺がそうだったからそれは断言できる。
いままでの論争で、いろいろ考えていたんだけど、
今のこの状態って泥沼だよねw。なんでだろ?
前に「それはエゴだろ」という発言があって、自分の中で「エゴ(エゴイズム)」の定義がはっきりしなかったからWikipediaで調べてみたんだ。
すると、功利主義というリンクが出てきて、そのページには「行為功利主義と規則功利主義」という項目が出てくる。
行為功利主義とは、それをすれば利益があるか?
規則功利主義とは、皆がそれに従えば利益があるか?ということ。
(詳しい説明はWikipediaに書いてあるのでそっちを読んでくれ。例題がある。)
今、争っているのは、この部分じゃないかと思うんだ。
哲学でなんとか上の2つの対立までは導きだせたと思う。
でも、それから先。
行為功利主義と規則功利主義のうち正しいものを1つ選べと言われたら哲学では答えは出ないことがある。日常生活にはそんな問題は山ほどある。哲学で人の思いまでは変えられない。そんな気がしてならないんだ。
というのが哲学の答え。
みんなはどう思った?
242 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/04(火) 03:27:56 0
理由は二つの原則から成り立ちます。
自分は死にたくないと言う本能と、他人を思いやる「共感」の感情です。
この両方の原則があれば「人は殺さない」と言う意識になります。
どちらかが欠けた場合は人を殺します。
功利的な面からの殺人の否定は現実的ではありません。
戦争は利害関係で始まるからです。
戦争が始まるときは「共感」の部分が否定される現象が起きます。
243 :
考える名無しさん:2007/09/04(火) 07:02:01 0
1よ、人殺しは死刑制度のもとで肯定されている。
人によって、裁き、殺すことを制度化するということは、
すなわち、人が人を殺すことを肯定することに他ならない。
人が人を殺すことは有史以来、絶えることはないだろう。
当たり前はなぜ当たり前なのか?
当り前じゃなかったら当り前じゃないからじゃないか。
うん。その当たり前はなんで当たり前になったの?
殺害というものが最も端的な敵対行動であって、
相手に敵対行動のそぶりを見せたら相手もこちらに対して敵対行動を取るようになるという事を
本能的に察知しているのではないかな。
そもそも
>>1の「ダメ」という表現が曖昧ではあるが、いくつかのパターンで答えるとするならば、
・殺害が人間にとって合理的な社会行動にならないのは何故か?→上記。
・殺害が社会的に容認されていないのは何故か?→社会は構成員の小さな利益を減らし、
大きな不利益を回避する方向に働くから。死は大きな不利益に当たる。
・何故君を殺してはダメなの?→僕は死にたくないから。
というあたりか。
子供が何で人を殺しちゃいけないの?っていうときは多分そんなこと思ってないんじゃないかな?
純粋に人を殺すことのいけない理由が知りたいのでないの?
そして247は1行目がその答えっていうのかもしれないけど
殺してはいけない理由には見えないなぁ
悪いことをしてはいけないのは何故か?
別パターン・何故彼を殺してはダメなの? かな。
冷静に考えたら社会的な制裁、あるいは報復、返り討ちのリスクが高すぎるから、ではあるが、
子供にそこまで説明できる自信はないな。
そもそも「いけない」という言葉は暗黙的に「倫理的に」という言葉が頭に付くが、
倫理というのは社会感情に対する潜在的なリスクを回避するための方便であると信じているので、
そのことを噛み砕いて説明し、煙に巻く事になるだろうか。
251 :
126:2007/09/04(火) 12:47:15 0
>>250 > そもそも「いけない」という言葉は暗黙的に「倫理的に」という言葉が頭に付くが、
> 倫理というのは社会感情に対する潜在的なリスクを回避するための方便であると信じているので、
> そのことを噛み砕いて説明し、煙に巻く事になるだろうか。
煙に巻くというよりは、
身をもって思いしらせると表現したほうが近いのかもしれない。
昔の家庭では子供が親の言うことを聞かないと、押し入れに閉じ込められたり、ご飯を食べさせてもらえなかったり、家から追い出されたりして、罰を受けたものだ。
親の言うことを聞かないと自分が困るという状態を強制的に作り出されていた。
倫理は論理だけでなく自分の体験からも産み出せるのではないだろうか?
253 :
198:2007/09/04(火) 13:49:17 0
子供に言うだけなら
「殺されたくない人たちが集まって、
人を殺してはいけないという決まりを作ったんだよ。
その決まりを破って人を殺した人は、死刑と言って殺される事もあるけど、
でも死刑は、単に人が人を殺すのでは無いんだよ。
『人を殺したい人は殺される』という決まりが殺すんだよ。
君が生きている人間の世の中は、皆が意見を出し合って決めた法律、
決まりで動いてるんだよ。
その決まりは変えることもできるんだよ。
皆が賛成すれば『人を殺してもいい』という法律を作る事もできるけど、
拙者はそんな世の中には居たくないなぁ〜、あはははは。
だから、他の国に行くね。
殺されたくない人たちが集まって、
人を殺してはいけないという決まりがある国にね。
そう、もし日本の決まりが嫌で、決まりを変えるように皆と話し合う
のも面倒くさいなら、他の国に行くこともできるんだよ。
それは、自分で決められるんだよ。
勿論、他の国に行くにも、決まりがあるんだけどね。」
みたいに言うかなぁ〜...。
254 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/04(火) 17:50:46 0
>>247 :考える名無しさん:
>殺害というものが最も端的な敵対行動であって、
そのとおり、本来相手を攻撃するのが自然。
>社会は構成員の小さな利益を減らし、大きな不利益を回避する方向に働くから。
これは「戦争」の例からみて当てはまらない。
>何故君を殺してはダメなの?→僕は死にたくないから。
これが正解。
この関係を結びつけるのは「共感」の感情である。
この感情は広く動物に見られる。
この感情がかけると平気で人を殺す。
戦争は「共感」が失われ、相手への「憎悪」に変わったとき起きる。
>>254 戦争は社会的に容認されているか?否。
というより戦争というものが国家間の社会性が一時的に失われた状態でもある。
256 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/04(火) 18:44:57 0
>>255 :考える名無しさん:
>戦争は社会的に容認されているか?否。
???どういう意味?
軍備は戦争が社会的に容認されているから予算が出るのでは。
逆だろう。軍備拡大は戦争を抑える方向に働く。
自分から戦争をけしかけるために軍備をしている国など聞いた事もない。
まあ少しでもきっかけがあれば大義名分にしようと虎視眈々な国なら知っているが。
258 :
考える名無しさん:2007/09/04(火) 19:58:59 0
もうすぐ、社保庁の職員の中で、公金を搾取したり横領した者を、
市中引廻しの上、磔(はりつけ)とし、さらに獄門に、
首を晒(さら)すような事を聞いたけど…。
聞き違いかな…。
259 :
ネコの味方:2007/09/04(火) 22:24:00 0
>>257 しかし一番の軍事大国である米国がこの半世紀、一番戦争をしてきたのでは
ないか? いまも、やっている。
予算がつけば、戦争をせざるをえなくなる。それが軍人の“良心”でしょう?
>>256 ここにいらっしゃったのですか。なんか突っ込んでみようかな?w
殺す人(事故を除く)、殺すことが必ずしも悪くないという人は、
殺してはいけないという道徳を考慮しかつ、そうしている、考えてるのでしょうから、
道徳でいくらねじ伏せようと無駄だと思います。
261 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 01:58:10 O
人殺しは人殺しの報復の連鎖を生むからダメだよ
↑なんで?
263 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 06:53:28 O
俺がたどり着く結論としては、其処にヒトの定めた秩序があるからだろうね
自分達の社会を守っていくために、自分達を守る規則を作ったわけだ
理性を持った人間だからこそ、憎悪で殺人を犯したりするんだろう
ライオンだって、自分達が食べる分より多くは穫らないよ
要は、道徳的(人道的)概念に反するからって事
264 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 08:12:16 0
自分がされて嫌なことは他人にしちゃいけないって言われて育ちました。
何でいいことはしなくちゃいけなくて、悪いことはしちゃいかんのよー
良い事をしなくちゃいけないというのは聞いた事がない。
例えば、電車に乗ってて目の前に老人がやって来た
席をゆずらなきゃいけないのはなぜ?
しなくちゃいけないと言う事はない。そのまま座っていても別にいい。
但しその場合は社会感情(=周りの乗客の感情)に対する潜在的なリスクを増大させる事になる。
そのリスクが表面化するか否かは、また別の問題。
「したらいけない」じゃなくて「したらどうなる」を議論しなさい。
道徳という社会規範をしなくていいなら、してはいけないことはないといえますね。
人を殺したって殺したい対象が死ぬだけ
>>268 >「したらどうなる」を議論しなさい。
> 但しその場合は社会感情(=周りの乗客の感情)に対する潜在的なリスクを増大させる事になる。
> そのリスクが表面化するか否かは、また別の問題。
正解。お前の言っていることは理解できる。
>>260 このスレでは、なぜ人を殺してはいけないか?を議論している。
お前は「どうしたら殺人を止められますか?」と考えている。
この、二つの問題は分けて考えなければいけない。
「どうしたら殺人を止められますか?」
答えは、
> 殺す人(事故を除く)、殺すことが必ずしも悪くないという人は、
> 殺してはいけないという道徳を考慮しかつ、そうしている、考えてるのでしょうから、
> 道徳でいくらねじ伏せようと無駄だと思います。
「止める方法は無い」というのが答えだ。
なぜ生命は他の生命を自分に取り込まなければ生きられないように出来ているのか。
植物等はその点、自己完結している様にも見えるが、結局は単独で繁栄できる生命な
んて無い。 生命は、存在するものは、全て他の存在に自己の存在性を負っている。
だから生きるとは、他の為に奉仕するのか、他を自己の為に奉仕させるかのどちらか
でしかない。 皆が後者を取ると最終的にはだれもが存在できない。前者だとうまくいく。
殺人も後者の理由で為されると駄目だが、前者の理由として為される場合は、消極的に
ではあるが肯定される事があるように思える。
>>272 いいかい?
殺す人、殺すことが必ずしも悪くないって人って言ってんだから、
別に殺そうとしているわけでもないし、止める必要はないでしょ。
彼等は道徳を考慮してその考えに至り、かつ殺してはいけないということに疑問をもっているのだから、
彼らに人を殺すことが悪い理由を道徳的に説明したところで、
道徳的理由で殺してはいけないと言っても無意味だということ。
そりゃまあ、未だに大地は平らだと思い込んでる人もいるし、
そういう人に、最新の宇宙論を納得させようと努力することはもしかすると無駄かもしれない。
でも、だからといって、「そのことを持って」宇宙を研究することは無駄だとはいえないんだろう。
違う。殺してはいけないとは思ってない人や殺した人は殺してはいけないという道徳を知ってるんだよ。
だけど、人を殺すことはいけないっていう道徳を守ることより、
人を殺すことの方が自分にとってより良い選択になりうるってことで殺したり、殺すことが必ずしも悪くないという考えに至った。
彼等の利己性が一般道徳を凌駕してしまったんだよ。
故に、いくら人を殺してはいけない理由を並べても、そういう人達には届かないんじゃないかな。
中学の時、自転車乗るときはヘルメットかぶらなきゃいけないってなってたんだ。
身を守るために被る人、先生に言われたから被る人、罰を恐れて被る人や、
被る人の理由をしってはいるけど、被らない方がいいと思い被らない人。
こんな感じに別れると思うんだ。
先生が思いっきり説教したりすりゃ、懲りて被るようになるかもしれんけど、
いわゆるヤンキーとかはもはや聞く耳は持つまい。
人殺しも同じようだと思うのです。
うまく伝わらないなぁ…。
>>276 ある事実を持って、ある行為を無駄だと言うためには、
その事実によってその行為の目的が達せられないことを示さなければなりません。
宇宙論というのは、
「未だに大地は平らだと思い込んでる人」に「そうでないことを納得させるために」研究しているのではないのですよ。
だから、
「彼らが納得しない」という事実を示しても、
「宇宙を研究すること」を無駄だとはいえないのです。
同じように「なぜ人を殺してはいけないか」というのは、
「人を殺す人を殺さないように説得する」ために、議論しているのではないのです。
ですから、
「彼らが納得しない」、という事実では、
「なぜ人を殺してはいけないか」を議論することを無駄だとはいえないのです。
うん、でもこの手の疑問をもつ人は殺してはいけないという道徳を知っていながらもつ疑問でしょ?
この問いに疑っている道徳で返したってイタチごっこになると思うのさ。
それでも、やはり道徳的な答えしか出てこない。
人を殺すことがいけない絶対的な理由があるのかどうか疑ってしまうよ。
279 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 21:08:06 0
>>278 道徳的な理由しか出てきませんか?
法律は無視ですか?
281 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 21:53:56 0
法律も道徳みてーなもんだろwアホかw
>>280 ヘルメットのたとえで、
>罰を恐れて被る人や、
ってあるから
>>278は法律も含めた倫理の話しているのかもね。
道徳無しで殺してはいけない法律って存在するの?
284 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 22:06:30 0
顔?(^^;
286 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 22:16:16 0
287 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 22:31:25 O
全ての道徳観念はイデオロギーの一部であり、普遍的な善悪、つまり「してはいけない」という事象は存在しない
って事で良いの?
普遍的な悪があろうとしてはいけないなんてことはない
と私は思うが
290 :
198:2007/09/05(水) 23:25:12 0
>>287 良いんじゃないですか?
皆人間の観念でしょう。
法律とかで決めているだけでしょう。
だから結局答えは「法律で殺してはいけないから」だと思いますよ。
あと、実際人殺しを認めるとしたらどうなるか?の現実的な面を考えて、
私は
>>198を書きましたが。結局似たような観念の人が集まって、
相容れない観念の人々を殺す分には肯定される事もある、というのが
実際だと思います。戦争等の形で。
あいかわらず、勘違い君がいるな。
戦争の目的は、政治目的を達することで、人を殺すことではないよ。
殺人は、目的において、必要だから容認されるに過ぎない。
292 :
198:2007/09/05(水) 23:55:30 0
>>291 >戦争の目的は、政治目的を達することで、
それを「相容れない観念の人々を殺す分には肯定される事もある」
としましたが、何か間違ってますか?
社会、社会うっせーよ
社会なんて個人がなきゃなりたたねーだろ
くだらねー
社会なんてものもあるようでねーんだよ。
294 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 00:25:58 O
私は殺されたくありません
295 :
198:2007/09/06(木) 00:28:27 0
>>293 くだらないと思うなら、どうぞ
「人殺しは何故ダメなの?」スレ社会から
哲学板社会から
2ch社会から
ネット社会から
日本社会から
出てってくださいw
社会をくだらないと言う人が、何故社会に参加しているのですか?
殺されたくないの?あっそー死ねよバーカwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前が出てけよ
>>296 ここは「人殺しは何故ダメなの?」スレであって、
「殺されたくないの?あっそー死ねよ強制スレ」ではありませんよ。
て訳でスレ違いです。
本当の意味で社会から出て行く事が出来るなら、それは人間以下のけだものか、人間以上の何者かだ。
>>298 お前の発言もすれ違いだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
うwwwwwwwwwwwwけwwwwwwwwwwwwるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
哲板バカ過ぎるwwwwwwwwwwww
社会は無くても個人は存在出来るけど、
個人が無くちゃ社会は存在できねーだろーが。
大事なのは社会より個人だろつってんの。
そもそも社会社会主張してるやつも、結局てめーの事が大事だからだろ?
所詮てめーらもエゴイスト。
302 :
198:2007/09/06(木) 00:41:37 0
とりあえず今のところは、
「人殺しの可否は社会によって決定される」
が私の結論ですね。
という訳で、社会の法律がダメと言ったらダメだし、
良いと言ったら良いんですよ。
それ以上でもそれ以下でも無いと思いますよ。
で、なんで良いか、なんで悪いか決めるのは、
皆の観念の集合の結果というだけでしょう。
>>292 肯定と容認は、同じようで、全く同じ意味ではないよ。
それと、そもそも「いい」「わるい」は、どこかの誰に、
肯定や否定「される」ことによって決まるものではないでしょ。
観念の集合そして調和でしょうね。
いや、厳密には社会のない所に個人は存在できない。
個人がそれぞれ新しい社会を作り出してしまうから。
もし社会がない所に「個人」が居たとしたら、俺はそれを「個体」と呼ぶだろう。
さらに、個人と社会を天秤にかけるのもナンセンス甚だしい。
一粒の飯と、茶碗一杯のご飯はどちらが美味しいかと問うような物だ。
また、社会の構成員たる個人はそれぞれが利己的な行動を行うというのはその通りだ。
ただし、その利己行動が愛という感情を生み出したとしても、その神秘性は何ら失われない。
この世で最も神を冒涜する言葉と、美を称える言葉は同時に存在できる。
306 :
198:2007/09/06(木) 00:49:25 0
>>303 肯定と容認の違いについてはごめんなさい、そうですよね。
>それと、そもそも「いい」「わるい」は、どこかの誰に、
>肯定や否定「される」ことによって決まるものではないでしょ。
私はそういうものだと思いますが、何か変ですか?
私が「良い」と思っても、他人からは「悪い」とされる事もあるので。
では貴方は良いか悪いか判断するときは他に聞いてから判断するのですか?
聞かれた人は、また良いか悪いかを他の人に聞いて、
さらに聞かれた人は、またまた…
さて、誰が良いか悪いか決めるのかしら?
308 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 06:56:57 0
>>307 だね。最終的には自分が決定する事になる。「必ず」ね。
>>241で行為功利主義と規則功利主義のどちらを選ぶかという話があったけど、
現時点で自分の今後を推測して、より利益があると判断した方を選ぶだけだ。
その判断が本当に得だったのか損だったのかは、後になってみなければ判らないのだけど、
その人の推測に関する能力が高ければ高いほど、その人にとっての良い選択となる可能性が高くなる。
決定論的世界を肯定するなら、推測が完全ならば最善の選択をする事ができる。
まぁ人はいずれにしろ損得勘定でいきてるよね。
結局道徳を守るか守らないかも、損か得かで選んでるのさ。
310 :
198:2007/09/06(木) 10:19:49 0
>>307 それを最終的に判断するのは、確かにスレ主ですよ。
でも、スレ主は
「人殺しは何故ダメなの?」
と、質問しているのです。
質問しているだから、質問に対して理由を挙げて
「良い」「悪い」を決め、返事をするのは、スレ主から見て他者ですよね?
私、スレの趣旨を間違えてますか?
311 :
198:2007/09/06(木) 10:40:59 0
>>301 >社会は無くても個人は存在出来るけど、
あなたは男性と女性の性交から生まれてきたのではないのですか?
もしそうして生まれてきたのなら、あなたは社会から生まれたのですよ。
二人でも、それは社会です。
もし何も無い所から生まれてきたのでしたら、失礼しました。
でも、好むと好まざるとに関わらず、あなたは今
「人殺しは何故ダメなの?」の一スレ社会に参加しています。
このスレが消えたとしてもあなたは2ch社会に、2ch社会が消えても
ネット社会に、ネット社会が消えても日本社会に、日本社会が
沈没しても地球社会に、地球社会が爆発したとしてあなたが
一人だけ生きていて、宇宙人が全く居なければ、あなたは
やっと社会から開放される訳です。でも、何を食べて
生きていけますか?太陽風等食べて暮らせればいいですね。
まぁ現在のところはとりあえず、やはり社会が無ければ、
あなたは存在しないと思いますよ。あなたが私と同じ種類の
人間でしたら。
社会も個人も概念
社会なんてないよ。
あると思い込んでるだけさベイビー
僕は誰からも生まれてない。
最初からあったのさ。
社会厨が沸いてるな
316 :
198:2007/09/06(木) 13:00:18 0
>>198 そうですね。社会は人間が決めた概念であり、
そして私が
>>302にも書いたのと、
>>304さんのご意見を
付け加えさしていただいて、
良いかダメかは、社会という概念の元に暮らす人々の
観念の集合と調和の結果だと思います。
まぁ具体的には、思考実験として、仮にAがNを殺したとしましょう。
すると
Z「お前警察に突き出してやる」
A「なんで?俺が殺したのとあんたは違う人間だから関係無いじゃん」
Z「俺もお前が殺したのと同じ人間だからな。人殺しはのさばらせておけない」
となると思うんですよ。人間を殺す者は、
同じ人間である自分も殺すかもしれない、
同じ人間である自分の知り合いも殺すかもしれない、
だから「ダメ」。という理由が一番多いのではないですか?
まぁもしかしたら
A「えー、でもNは△△人だぜ?」
Z「あそうか。じゃあいいや」
となるかもしれませんしね。やっぱりそれぞれの社会という概念の、
それぞれの個人の観念の集合と調和の結果、となると思いますよ。
余談ですが多分この後は
B「Aは殺人罪で逮捕、Zも関係者として事情聴取するからちょっと来い」
と、結局は法律に裁かれると思いますけどね。
どの「社会」が正しいの?
318 :
198:2007/09/06(木) 15:58:44 0
>>317 それは言えないでしょう。社会によって法律等違ってきますし。
ただ、確かな事は、2ch社会がネット社会の中にある事です。
私やあなたが、日本社会の中に居る事です。
という事は、2chの決まりが正しいと主張しても、その外の
ネット社会全体からは否定される事もあるという事です。
私やあなたが正しいと主張しても、私やあなたの外の
日本社会からは否定される事もあるという事です。
ただそれだけだと思います。
ならここで議論している人殺しはなぜダメなの?は、2ちゃんねるのこのスレにおいてしか通用しないものなの?
320 :
198:2007/09/06(木) 18:51:55 0
>>319 そういう事もあるでしょうね。
でも、受け入れられる事もあるでしょうね。
全ては相対的な事だと思いますよ。
ところで一番大きい社会って何?宇宙?
地球?日本?中国?アメリカ?
322 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 20:06:20 0
放火などは重罪になるでしょ。
どれだけの城や財産を築いても、灰になり、戻ってこない。
建物の梁だとか、鉄骨がむき出しになった消炭を前にして
犯人は死刑にしていいんだなって、財産築いた人は考える
と思うよ。彼等の築いた共同体の財産を失わせた人は生き
ている値打ちが無いと考えるでしょう。金持ちはケチだから、
火災保険なんて入ってないでしょうね。
だから、駄目なんてことは自明じゃないよね。
323 :
198:2007/09/06(木) 20:20:42 0
>>321 宇宙も何個もあるかもしれませんね。その宇宙を束ねる私たちが
知らない存在があるかもしれませんし。
それはともかく念のためですが、大きい社会=正しい社会、
とは私は思ってませんよ。
ただ、この世には私の他に他者が居て、私を取り巻く他者が構成する
社会があって、私もその社会に存在していて、他者や社会は私の考えと
同じ事もあれば、違う事もあり、そして私を取り巻く日本社会の法律では、
「人殺しはダメ」と決まっていて、でも人殺しをした人は死刑になる事もある
事を知っているだけです。
>>322 裁判で死刑と決まれば、いいんじゃないですか?
裁判で死刑と決まらなければ、殺してはいけないんでしょう。
それだけだと思います。
しかし「何で人を殺しちゃいけないの」と言ってるおかしな奴と協力して
生きていけるかね。そんな奴は信用できない。そんなのが警官や医者や
救急隊だったら嫌だ。料理人だったとしても、料理に鼻クソやツバやタンを
混ぜてそうだし。そいつが作った料理など食いたくない。
325 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 20:31:24 0
国籍が問題になると人間を殺してもよい。
昔は、或る人々を人囲いにしてクニと呼んでいました。「或」と「口」
でクニと読んでました。集落と集落の争いで簡単に人が死んでいたの
は皆さんよく知ってます。
戦国時代はその例です。
近代は、外国であることが問題になると、許可できるようです。
国家の境界を巡る争いになると、戦争です。
戦争は国内法が無視されてしまいます。
従って、罰が無く、殺人が起こるようです。
むしろ、沢山倒しますと、名誉がいただけるようです。
めちゃくちゃだな・・・
大学の政治学ではそんな変な事は教わらない。
327 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 20:40:04 0
君の頭はパズルででも出来ているんだろ。
328 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 20:43:15 0
後、何ピース足りないのかねw
>>323 いや、大きい社会が正しいなんていってない。
社会の中にまた社会があってまたその中に社会があって…。
個人は○○家という社会に所属し、会社や学校という社会に所属し、
はたまた2人以上になれば、また社会に所属し、インターネットを開いても社会に所属したことになる。
そして、各社会は異なった倫理が存在するってことでよろしいか?
330 :
198:2007/09/06(木) 22:02:45 0
>>329 その通りだと私は思っています。
少なくとも日本の社会の中では人殺しはダメで、
そして日本の社会では牛や豚は食べる対象ですが、
でも日本の中の菜食主義者は牛や豚を食べる事を禁じてたりもすると。
だからと言って菜食主義者が「牛や豚を食べるな」と言っても、
彼らを取り巻く日本社会の法律を変えない限りは認められないと。
そういう話だと思っています。
異なる倫理観をもつ社会が存在し、かつ、異なる社会とやらに同時に所属することがあると思う。
例えば、太郎君の家では門限が6時、しかし学校の掃除当番の為に帰りが6時を過ぎてしう。
どちらのルールにしたがうのが正しいのかしら?
何を正しいかとするは、結局個人が決めることでよろしいか?
正しいかどうかの判断がなぜ必要かによるのではないでしょうか?
>>331 その場合、
学校の規則を家族が知っているか?
→Yes 知ってて通わせてるなら学校の規則優先、気に入らなければ学校移れ。
→No 通わせるのなら学校の規則くらい把握しとけ、気に入らなければ学校移れ。
てな話になると思うので、従うべきは学校だと思います。
学校を選ぶのは生徒であり、家族なのですから。
選んでおいて、そこの規則を変えずに、そこに従わないのは筋が通らないでしょう。
334 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 23:58:08 0
哲学板の人はレヴィナスを読んでないの?
答えはレヴィナスのいう「顔」にあります。
殺そうとするとき、他者から受ける抵抗。
これこそが「殺してはいけない」という世界からのメッセージ。
そして「顔」を無視出来る人には殺人は容易く、
事実世界には殺人が絶えない。
このスレおしまい。
世界って誰?
336 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 00:50:29 0
>>310 スレの趣旨は間違えていないけど、矢張り
>>302のように突き詰めた考え方の方を聞きたいな。
「〜がこんな理由で困るから」っていう際限のない意見を延々と挙げ連ねられたら興味も湧かない。
まあ、個人的な意見で悪いけど。
>>302は言ってみれば、自己と他者との関係、状況・環境で判断しなさいよって事なんだろうけど、
これは何故ダメかというより、どう考えたらいいのかという事を答えているように思う。
こういう答えの方が、訊いた本人だって応用が利く。臨機応変に対応できる。より親切ではないのかな。
>>332 間違っていることを貴方は進んでしますか?
>>333が掃除で学校移る人間ってことはわかったよ。
対局の倫理をもつ社会に同時に属した場合、どちらの行動を選ぶかは社会が選ぶのではなく、
自分で選ぶということだろ?君が学校に従うことを選んだように。
>>337 >間違っていることを貴方は進んでしますか?
ええ、ですから、まず、目的を明確にしようとしているですよ。
もしかしたら、判断する必要なんてないかもしれませんよ。
だとしたら、無駄な労力を費やして、判断を下そうとすること自体が間違いかもしれません。
339 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 01:05:24 O
法律は殺人を禁じてはいませんよ^^罰するだけです^^
罰をうければ殺人はしたっていいのであーる(^○^)
そもそも死刑のある法律さんが殺してはいけないなんて言えるわけないじゃーん♪
殺してはいけないなんてのは都市伝説★
自分の子供が刑務所にぶちこまれるのがこまるし、子供のうちに人殺して賠償金請求されるのが嫌な親が子供にそう教えこんだのさ(^u^)
340 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 01:11:24 0
>>335 「私」を除いた全て。自分の体。それを取り巻くモノ。他者。生物。
抵抗がなんで理由なのかさっぱーりわからん。
342 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 01:27:54 0
>>302 >「人殺しの可否は社会によって決定される」
ここでのの社会というのは当然自分自身も含んでいて、自分にとっての人殺しの可否は
社会との関わりの中で形成された自分自身が決定するという事で良いのですよね?
何となく自分を含めない社会的規範(世の大勢を占める意見)が可なら自分にとっても可、
否なら自分にとっても否と、常時決定されてしまうような印象を受けてしまったもので。
>社会の法律がダメと言ったらダメだし、良いと言ったら良いんですよ。
同じ事ですが、社会の法律とは自分と誰かとの間にできた法るべき取り決めだと考えればいいのでしょうか。
他者と他者の取り決めによる是非は、必ずしも自分の是非とは一致しないものですし。
良いかダメかは集合の中の個々人一つ一つの観念によって決定されている筈です。
調和というのが集合が互いに影響を受け合う事を指しているなら、その結果個人の観念が決定を下すのですから、
集合の結果というのは、結果誰がしかが判断することを言っているのですよね。
>>316を見る限り、この理解で正しいように思えるのですが、
>>323に>他者や社会は私の考えと同じ事もあれば、違う事もあり
とあり、まるで社会は私というものを含めないで分離して存在しているものであるかのように書かれていますので気になりました。
「社会」が「私の考え」から離れて存在する所謂社会規範や成文法のようなものを指しているとしたら、
それ迄に書かれた事が全部疑問視される内容になりそうですので、説明を頂けると有り難いのですが。
343 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 01:51:27 0
>>341 理由というか「汝殺す勿れ」という倫理が生まれた根拠です。
前提として「汝殺す勿れ」は倫理ですよね。
そして、そもそも倫理とは、言ってしまえば「他者との共生の方法」です。
だから、他者との関係のうちに、というかそこからしか倫理は生まれ得ない、
他者抜きで、誰か個人の手に依って、考え出されるようなものではない。
ならば、「汝殺す勿れ」の根拠も他者との関係のうちにあり、
その関係とは、殺そうとするとき他者から受ける抵抗である、と考えられませんか。
344 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 01:57:37 0
>>343 それも理由の一つだと思うけど、それだけじゃあなさそうな
345 :
198:2007/09/07(金) 14:01:23 0
>>336 了解しました。でも、
>>302のようにまとめるの難しいですね。
努力はしてみますが。
>>342 >ここでのの社会というのは当然自分自身も含んでいて、自分にとっての人殺しの可否は
>社会との関わりの中で形成された自分自身が決定するという事で良いのですよね?
何故「社会というのは当然自分自身も含んでいて」なのに、
当然のように「自分自身が決定」となりますか?
社会とは「自分自身も含んで」いる訳ですが、同時に「他者も含んでいる」のです。
それを何故、社会の決まり、法律を無視して、勝手に「自分自身が決定」できるんですか?
社会に私と他者が居るという事は、私と他者で作った、または既に他者が
作ったものを私がそこに入って生活する事で認めた、社会の決まりや法律が
決定するというのが、当然だと思います。
>>310でも書きましたが、ここのスレ主は「人殺しは何故ダメなの?」と
質問している訳です。非常に広範囲な質問です。それに対して単に
「私が殺されたくないから」と私の観念だけ答えたり、
「私と同じように他の人も殺されたくないと思う」なんて私の憶測を答えても
意味が無いと思います。広範囲な質問には、できるだけ具体的、かつ
広範囲に応用できるように答えるべきだと思う訳です。そしてそれは、べつに
質問者の決定事項にならなくても良いと思います。ただ、「何故ダメなの?」
に対して広範囲に当てはまる答えを出すだけしかできないと思います。
以上から、
「人殺しの可否は社会によって決定される」
が、やはり答えだと思います。
長くなったので次に続きます。
346 :
198:2007/09/07(金) 14:10:21 0
>>345の続きです。
繰り返しますが、社会とは、私だけでは無い、勿論他者だけでもない、
私と他者が共同で構成する概念です。
という事は、私だけの観念、他者だけの観念で勝手に決めたら、
観念に同意しない側は反発しますよね?
それを防ぐ為に、口伝から始まって社会の決まりごと、法律を決めて、
それをお互い守る事で共同生活を行っているのだと思います。
ですから、「何故ダメか?」と聞かれたら、とりあえず社会で決まっている事を
言うべきだと思うのです。それが現実に合ってるかどうかの判断、
質問者がどう決定するかまでは、このスレの質問では他者が決められない
と思います。
長い割りにまとまらなくてごめんなさい。
まだ引っかかる、伝わってない事もあると思うので考えてみます。
法律は罰を与えるだけで、禁止はしておらんぞ
社会?なにそれ?僕とあなたたち?
へ?何の関係が?
351 :
198:2007/09/07(金) 18:39:18 0
えーと、実は私は実はあまり法律は詳しくなく、あと日本の最高法規と
される日本国憲法を元に書いていました。
日本国憲法第11条〜第13条があり、第98条があるからには、
日本国憲法の第11条〜第13条に違反する「殺人の権利」は認められないと
解釈できると思います。
認められないという事は、「やってはダメ」なんです。
あと、「公共の福祉に反しない限り」から、公共の福祉に反した奴は
知らねーよとも解釈でき、公共の福祉に反した殺人者は死刑に
なる事があるのも理屈が通ります。
と私は思ってるのですけどね。あー、なんか足りないと思ったら、
「社会が決める」だけではなく、日本ではこうと示すべきだったんですね。
あとこういう問題の肝は、「したくてするのは自分でしょ?」だと思います。
誰の影響を受けようが、強制されようが、最終的には自分の意思で
日本に居る訳です。
自分で決めて日本に居るのなら、日本の不都合になる事をしたら
不利益被るのは当然と納得しろ、嫌なら出てけって事だと思います。
これは私が身をもって思い知った事なんですけどねw
どんな理屈をこねても、その社会の不都合になると判断されれば、
容赦無く仕打ちを受けるのです。だから、「社会が決める」のです。
自分がどう思おうと、どうしようと。結局はそれだと思います。
352 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 18:42:59 0
>>344 私にとっては最も具体的で根本的で唯一の答えに思えますがねー。
少なくともこのスレで出ているどの答えよりも原始的に思える。
レヴィナスは他者を殺す事は不可能だ、とも言っています。
人が人を殺せるのは、その人を他者としてみていないからです。
例えば「異性」、「労働力」、「邪魔者」としてみている。
>>352 「所属する集団からの排除」というなら、なんとなく分かるけど、
なんで他者から「抵抗」されるのが倫理になるの。抵抗されても殺すべき
だと思えば殺すでしょ。
他者って全く関係ない人の事?
355 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 22:48:00 0
>>353 抵抗に強制力があるなんて誰も言っていません。
そもそも倫理に強制力なんてない。要求のようなもの。
>抵抗されても殺すべきだと思えば殺すでしょ。
もちろん。
ある程度の強制力のある法律すらも無視して殺人は行われていますし。
356 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 22:48:28 0
>>345 詳しく説明して下さって有り難うございます。
>何故「社会というのは当然自分自身も含んでいて」なのに、当然のように「自分自身が決定」となりますか?
殺人行為は日々頻繁に行われていますが、その際「今」「私もしくは誰か」が
ある特定の人を殺すのはダメかどうかは自分自身が判断しているからです。
経験・価値観等、その社会の影響下にある自分自身の判断で決定しているという事です。
この判断は自身の心中でしかできませんよね。誰かが判断して自分の躰が動くのではありませんし、
社会規範で善しとされている通りに人の行動が決定されるわけでもありません。
勿論自分の判断基準は社会との関わりの中で出来上がったものですので、社会と自分が無関係という事はありません。
以上は言われる迄も無い事かとは思います。では、もう少し別のところについて。訊きたかったのは
「自分にとっての人殺しの可否」は、自分自身が決定するというのについてはどう考えますか、という事です。
「社会にとっての人殺しの可否」は社会が決定して然るべきであると思いますが、
個々の殺人行為の可否を判断し決定しているのは個々人に他なりません。
>>316でAがNを殺す時に、社会が可否を決定していたなら、Nは殺されなかったでしょう。
しかし、現実にはそれはAによって決定されてしまった。
殺人という概念がダメではないとされたのではありません。AによりNの殺人がダメではないとされたわけです。
おそらく、ある程度まともな社会に育った人間であれば、概念として「人殺し」はダメであるという価値観を持っている筈です。
しかし、そうした認識を持ちつつも、個々の事例としての「人殺し」についてはダメではないと判断されるからこそ、
殺人は絶え間なく繰り返されているのでしょう。今この状況下で私が彼を殺すことはダメではない、殺すべきだ、と。
「自己中心的」という言葉を追加してみる。
358 :
356〜:2007/09/07(金) 23:19:54 0
>>345 >社会とは「自分自身も含んで」いる訳ですが、同時に「他者も含んでいる」のです。
>それを何故、社会の決まり、法律を無視して、勝手に「自分自身が決定」できるんですか?
社会規範、倫理道徳、概念上の殺人では、ダメかそうでないかは社会によって決定されるでしょう。
しかし、個別の人殺しについてダメかダメではないかを決定するのは社会ではなく個人です。
つまり、人殺しとはダブルスタンダードで考えるべき事象であって、これが煩雑さを与えている原因の一つではないでしょうか。
とすると「社会にとっての人殺しの可否は社会によって決定される」でしょうし、
「概念としての人殺しの可否は社会によって決定される」と言ってもいいかと思います。
しかし、「個々の事例としての人殺しの可否は当事者によって決定される」 というのも正しいと思うのです。
ですから人殺しという言葉が示すものの可否を決定するのは社会だけだと限定しないで考えて欲しいのです。
ともあれ、まとまった考え方を一つ教えて貰った事に感謝します。ヒトの思考は複雑ですね。
359 :
198:2007/09/07(金) 23:32:33 0
>>356 >「自分にとっての人殺しの可否」は、自分自身が決定するというのに
>ついてはどう考えますか、という事です。
殺すと言及した時点で通報等するだけですね。
殺さないと決めたのでしたら、べつに普通ですし。
その決定した人が社会的規範と照らし合わせて、
余りに逸脱した行為を行うなら、それなりの対応をするだけです。
その人の意思は、その人から見て他者である私は知りようも無いので、
その人の行動に反応するしかできません。
別の意味でしたらごめんなさい。
360 :
198:2007/09/07(金) 23:39:22 0
>>358 >つまり、人殺しとはダブルスタンダードで考えるべき事象であって、
>これが煩雑さを与えている原因の一つではないでしょうか。
そーなんですよねぇ...実は私も知りつつも、先のような答えを出しました。
>>359にも書いたとおり、相手の意思は、相手から見て他者である
私は知りようも無いので、相手の行動に反応するしかできないので。
相手の意思はともかく、社会的にはこうだよ、と言うしかできないと
思ったのです。あなたが良くても、社会的にはダメなんだよと。
「いい」なんて言えないんだよと。
>「自分にとっての人殺しの可否」は、自分自身が決定するというのに
>ついてはどう考えますか、という事です。
これには、もっと別の意味があるのでしょうか?あるのでしょうね。
なんか頭で引っかかってるのですが...またレスお願いします。
人間の精神構造として、「自分の仲間は人間。仲間外れは人間じゃない」
という論理回路がある気がするね。
人殺しは「こいつは人間じゃないよ」と考えて殺してるのだろうね。
となると、「人殺しは何故ダメなのか?」という問題の中には、
「脳の感情を司る部分が興奮すると、人を人として何故見れなくなるのか」
という問題もあるんだろうな。
362 :
198:2007/09/07(金) 23:46:42 0
>>361続き。
「私にとっての人殺しの可否」は、私自身が決定する
と置き換えてみますか。
そうしても、やはり私の場合、「社会がどうか?」です。
そして、社会がダメとしているのを、私は知っています。
もしかしたら、それを知った上で、殺す事もあるかもしれませんが、
でも「ダメ」という事は知っています。決して「良い」とは思いません。
社会が「ダメ」としているのですから、「良い」とはしません。
それは確かです。
人間の脳は抽象的で、どれが仲間の動物かという具体的な見分けがなかなか
つかない。ヤギや羊や鳥とも性交する人間がいるという(獣姦)。
それと同時に、どれが敵の動物かという見分けもなかなかつかない。
相手が無抵抗な人間でも、暴力的な熊や怒り狂ったゴリラのように
見えてしまう。だから人は人を殺してしまう。
脳の抽象機能によって、自分の仲間の集合範囲を脳内で広げる事が出来る
反面で、仲間を見分ける感覚的本能的な機能が非常に劣っている。
そのような人間でも、仲間を見分ける機能が完全に無くなった分け
ではないようだ。仲間見分け機能が強い者と弱い者がいる。その強弱は、
外見では判断できない。殺人犯は子供時代に、犬や猫やウサギを
無意味に殺す遊びが好きだった変な人が多いという話も聞く。
昔からある宗教の中には、人を殺すなという以前に、生き物全般を殺すな
と命令した宗教がある。その理由は、人は人を殺すときに、
人以外の生物だと思って殺しているからだろう。
人を殺すなと命令しても、あれは獣ですと言い訳がされてしまうから。
人以外の生き物は殺してもいいという宗教は、人間の大量殺戮を許して
しまう傾向が少しあるようだ。
日本が殺人を認めないから。これが正解なんだろうな。
それは誰もが知っている事だよ。
でも、
>>1が聞きたいのは(本当はどうでもいいんだろうが)、たぶんそうじゃない。
「何故、日本(社会)は殺人を認めないか」だと思うんだ。
まあ、違うんだろうけどな。そんなのどうだっていい。
俺がそう思い、書きたいと思った。だから書いた。それだけの話だ。
それはそうと、
>>198は自分の社会を人に押し付けすぎだ。
結局、自分で考えるしかないよ、君。
366 :
198:2007/09/08(土) 22:04:42 0
>>364 どのように受け取られても、
私も、今まで書いたレスのように思い、書きたいと思い、
だから書いた、それだけですけどね。
逆に言えば、それしかできません。
>そうしても、やはり私の場合、「社会がどうか?」です。
いや、だったら、「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要はないんでは?
368 :
198:2007/09/08(土) 22:58:28 0
>>367 えーと...よく意味がわかりませんが。
私が何かやる時は「したいか」「したくないか?」ですよ。
私の観念、私の欲なんです。
それを「いいか」「悪いか」決めるのは、私以外の他者や、
私以外の他者と共通に認識している決まりしかないでしょう。
私は「したいか」「したくないか」それだけです。
それをいいか、悪いか決めるのは、私も含む社会だという主張です。
もう少し付け加えると、社会が無ければ、他者が無ければ、
「いいか」「悪いか」なんて要らないはずだと思います。
主さんの本音が別スレで語られています。
以下、哲学板「社会って何ですか?」からの抜粋
> 僕はとても利己的な考えをもっていきているんだ。
> 何よりも優先させるのは自分。お年寄りを労る前に自分を労るし、
> 自分にとってメリットの無いことはやらない主義だ。
> 逆に自分にとって本当にいいことなら何だってするだろう。
> しかし、こんな僕でも社会ってものに属しているらしい。
> 社会を意識して生きていなかった僕には大ショック。
> 確かに僕は日本にうまれ、育ち日本語を喋る。
> でも、それは たまたま そうあっただけで、日本というや家族という社会に属しているという感覚はないんだ。
> 僕は誰からも生まれたわけではない。僕は僕として最初からあった。
> そして、僕は僕でしか考えられない。
> でも、社会は僕を含めたものであるらしい。
> そして社会は勝手にルールを作っていて、社会の人はそれに従う、というか社会の人もその通りだと思うらしい。(実のところよくわからないが)
> 僕は社会でモノを考えるということがよくわからない。だから、よく社会のルールにぶつかる。
> 僕の善いと思うこと社会の善いと思うことは少しずれている(らしい)
> 僕は利己的であるが故に社会的になってみたいと思います。
> しかしながら、社会というものが、やはりいまいちわからないので、わかりやすく教えてください。
> 社会とは何か?
> 社会は考えるのか?
> 等
> お答えやヒントを下さい。
>>368 まあ仮に、無人島に漂着して、たった一人で生活するとするとします。
そして、あなたは、死にたくない、生き延びたい、
という欲を持っているとしますよね。
その場合に、「いい」も「悪い」も無いんですか?
仮にそうだとしたら、どのようにして自分の行動を決めるのですか?
371 :
198:2007/09/08(土) 23:09:26 0
一応私の観念で考える社会のほかの理由として、
「人殺しをしてはいけない理由」を再度挙げさせて頂くと、
>>198なんですけどね。
欲望のままに動物を何種も絶滅に追いやった人間だから、
普通に人殺しを認めると絶滅するのは目に見えてますから。
限定した場所でのやりたい人同士で殺し合うのなら、
ありかもしれませんけどね。昔のコロシアムとか。
>>371 そうかな?人口が減って逆に住みやすくなると思うが。
勿論俺も無条件での人殺し解禁は賛成できないけどね。
373 :
198:2007/09/08(土) 23:14:49 0
>>370 えーと...単純に「死にたくない」「生き延びたい」
それだけだと思いますけどね。
「良い」「悪い」なんて考えている暇無いと思います。
まぁ、食べ物に関しては「食べてよいもの」「食べたら悪いもの」
くらいは判断するかもしれませんが。
>>369 あぁ、その引用は私です。全く同じです。
そういう戸惑いから、今まで書いたような事を気付いていきました。
今日はちょっと時間が無いので、後で該当スレに返事させていただこうと
思います。
>>373 逆に聞きたいんだけど、
>えーと...単純に「死にたくない」「生き延びたい」
>それだけ
を実現するために、必要な判断で、
>「良い」「悪い」なんて考え
ずにできることなんてあるんですか?
横やり失礼。
無人島で倫理意識を持ち続ける事の方が難しいと思う。
善悪について考える、というのが、倫理意識を前提にしていないというならば、そこの所を説明して頂きたい。
376 :
198:2007/09/08(土) 23:50:04 0
>>373 正直、あなたの質問の意味がよく分ってないのです。
そういう状況で何の「良い」「悪い」を考えるのかが思い浮かびません。
「死にたくない」「生き延びたい」という欲望があるだけではないですか?
その欲を「良い」「悪い」なんて...私は考えてる暇ありませんが。
あなたは「死にたくない」「生き延びたい」の前に、自分のそういった
欲が「良い」、「悪い」という判断をするのですか?
377 :
198:2007/09/09(日) 00:04:34 0
>>373 少し考えてみたのですが、
例えばこれは食べて「良い」物、これは食べたら「悪い」物、
の判断という意味でしょうか?そういう意味でしたら確かに
しますが。それでも食物という「他者」が居ます。
あー...こういう「他者」の使い方は反則ですかね?
ぶっちゃけ私以外は、知的であろうがあるまいが、全て「他者」ですw
例えば相手が植物でも、植物社会のルールを守らなければ
枯れてしまったりして、果物をもらえなくなったりしますしね。
>>376 >正直、あなたの質問の意味がよく分ってないのです。
>「死にたくない」「生き延びたい」という欲望があるだけではないですか?
欲望だけあれば、何も考えなくても、それが満たされるんですか?
>その欲を「良い」「悪い」なんて...私は考えてる暇ありませんが。
〜
>欲が「良い」、「悪い」という判断をするのですか?
とりあえず、欲「それ自体」の「良い」、「悪い」の話はしていません。
>>えーと...単純に「死にたくない」「生き延びたい」
>>それだけ
>を実現するために、必要な判断で、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>>「良い」「悪い」なんて考え
>ずにできることなんてあるんですか?
ということです。
>>376 例えば、迷路の中にいて外に出たいとしますよね。
道が二つに分かれていて、どちらを選ぶか
(右が良いか、左が良いか)の判断は、
「外に出る」という欲望を
>を実現するために、必要な判断
ですよね?
でも、「外に出たいという」
>欲が「良い」、「悪い」という判断をす
ることは、
>実現するために、必要な判断
ではありませんよね?
>>377 しかし、植物が枯れてそれをあなたが食べられないことが、
「植物にとって」なぜ悪いことなのですか?
381 :
198:2007/09/09(日) 13:44:48 0
>>378-379 了解しました。私は
「なんで無人島で自分の行動が良い悪いと判断しないといけない??」
と勘違いしてました。
>>380 そうですね...それは「私」が決める事ですよね。
私の根本の考えは変わりませんが、それを説明するのに「社会」の
一言でまとめ、「私じゃなくて社会が判断する」とするのは難しそうです。
とりあえず、私が行動するのは、私の「欲」なんです。それは確かです。
その欲が私にとって良いか悪いかの判断もしますが、結局
「良い悪いを判断した結果こうしたい」という「欲」が出るわけです。
だから、「良い」「悪い」で決めるのでは無い、「したい」「したくない」で
決めると主張するのです。私の体に悪くても煙草を吸う場合、
「吸う事が私の気分にとって良い」とも言えますが、そう言うより単に
「吸いたいから」という欲の一言で言うほうが、単純ではありませんか?
ちなみに私自身は煙草は吸いませんけどねw
その「欲で行動する私」と、その行動が「良い、悪い」を、他者との関連も
含めて改めて説明したいと思いますが、ちょっと今余裕が無いので、
時間を頂きます、すみません。
382 :
198:2007/09/09(日) 13:56:53 0
余談ですが、煙草を吸う知り合いに聞いたところ
「なんで吸うの?」
「吸いたいから」
「体に悪いよ?」
「いいの。たまに血の痰が出るけど。」
「美味しいの?」
「不味いよ」
「気分良いの?」
「ムカムカする」
「...何が良いの?」
「だから吸いたいだけなの。無いとダメなの。」
これは、
「吸う事によって後で吸いたい欲求が抑えられるのが良い」
と判断する事もできると思いますが...ただ「吸いたいから」の
欲の一言で説明する方が、良くないですか?w
>>381 >だから、「良い」「悪い」で決めるのでは無い、「したい」「したくない」で
>決めると主張するのです。
〜
>「吸いたいから」という欲の一言で言うほうが、単純ではありませんか?
前半のあなたの主張を採るのなら、
「生き延びたいから、体に悪いものは食べない。」
は、
「生き延びたいということから良い悪いを判断した結果、体に悪いものは食べたくない」
と言い換えなければなりません。
却って単純じゃなくなっているとしか思えませんが?
>>382 私の言っていることは、その点について、
何の疑問もさしはさむものではありませんが・・・。
あなたは、どうしても、「欲望」「それ自体」の「良い」「悪い」を論じたいようですが、
私は、最初から、その点については、一切問題にしていません。
やりたいことはやりたい、欲しいものは欲しい、
それでいいじゃないですか。
あなたは、自分でそう主張しながら、そのことに拘りすぎなように思います。
私の問題にしているのは、
やりたいことはやりたい、欲しいものは欲しい、
とした上で、
その欲望を実現するための
判断の話です、
「欲望」「それ自体」の「良い」「悪い」
は問題にしていません。(あなたはどうしても問題にしたいようですが)
その点について議論がしたければ、その点を問題にしようとしている人としてください。
386 :
198:2007/09/09(日) 17:32:26 0
>>385 うーん、多分私が根本的にズレてるのでしょう。
でも、どうズレてるかがよく分りません。
>>367の指摘からこっち、どう答えれば良いのかよく分ってないのです。
>>367の
>いや、だったら、「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要はないんでは?
は、
>>385の
>「欲望」「それ自体」の「良い」「悪い」
を問題としているのでは無かったのですか?
あなたの立ち位置が見えません。
あなたはどなたですか?私はずっと
>>367さんと話しているのですか?
多分これは、私の思考回路を再考する上でも、重要な事だと思うのです。
呆れずにお答えいただければ嬉しいです。
>>362 >もしかしたら、それを知った上で、殺す事もあるかもしれませんが、
>でも「ダメ」という事は知っています。決して「良い」とは思いません。
ダブルスタンダードとはこの事を指しています。
ヒトは様々な事象にそれぞれ意味や価値を関連付けして記憶しているものですが、
「人殺し」は貴方と同じくある程度以上まともな社会に育った人間であれば「ダメ」という価値観を持っています。
しかし多くの場合殺人を犯す者は、その価値観を捨てて殺人をするわけではないのです。
彼を殺して多額の保険金が手に入る事はよいことだ、リスクを回避する手立ても考えた、彼を殺すことはダメではない。
戦争なのだから彼らを殺さなければ自分が危険だ、殺すことで勝利にも貢献できる、彼らを殺すことはダメではない。
そう判断しても、つまり目の前の誰かを殺すことはダメではないと判断し決定したとしても、
概念として記憶している「人殺し」は「ダメ」であるという価値観がオーバーライトされてしまうわけではないのです。
たとえ戦争等で社会が人殺しを容認したとしても、人を殺したくないという価値観を持ち続ける人は多いでしょう。
特定の誰かを殺すことは「人殺し」には違いありません。それをダメではないと判断しても、
同時にその人の頭の中には「人殺し」はダメであるという価値判断も存在しているのです。
そしてダメの理由と人を殺すことで得られる報酬を基に今後の推移を考え、よいと思われる選択をするのです。
この時、その行為がダメかダメではないかを判断しているのは社会ではなく、
その人の内部での情報処理によって為され決定されている筈です。行為の可否を決定できるのは自分自身だけです。
「自分にとっての人殺しの可否は、自分自身が決定する」というのは、こうした事を言っているわけです。
388 :
考える名無しさん:2007/09/09(日) 17:35:32 0
>>362 例えば
>>359での>殺すと言及した時点で通報等するだけですね。というのは、「貴方」の判断決定です。
貴方が社会の要請をを汲み取って、貴方自身の価値判断の結果そうするのです。
社会の意向がどうであろうと、貴方がそうしようと決めない限り、何の行動もできはしません。
人殺し(に限らずあらゆる行為)の可否を判断し決定するのはその主体となる人間にしかできません。
概念上、社会規範上という段階での人殺しの可否を決定するのが社会だとしても、
実際に人を殺す時にその可否を決定しているのは当事者本人であり、社会が判断や決定をしてくれたりはしません。
社会は判断材料の一つとして当事者の記憶に在り、行為に修正を加えるはたらきはしますが、
判断するのも決定するのもあくまでも当事者たる人間個人がやっている事です。
社会に在る決まり事は人間が認識しなければ作用しません。
人殺しの可否を社会が決定し、その決定を認識した人間が人殺しの可否を決定するのです。
>>368 >社会が無ければ、他者が無ければ、「いいか」「悪いか」なんて要らないはずだと思います。
「よい」「わるい」を道徳上の善悪ではなく、望ましいか望ましくないかというように考えれば必要なのでは。
通常ヒトは望ましい状態(快)を追求、望ましくない状態(不快)を回避するように判断して行動しますので。
規則の根拠は、非言語的なものに根ざしているので、言語化できない。
言語化できないから、全ての規則に根拠が無いように思える。
だから何でも自由にやって良いようにも思える。それが近代社会の思想だ。
むしろ自由であることを主張しなければ自由でないのが現代
定期的にこの手のやつ立つね。
そりゃ普通は一度は考えるからなぁ。
テンプレでも作れないかな。
>>386 どうも、「「欲望」「それ自体」の「良い」「悪い」 」を考えなければならない、
という固定観念が「あなたに」まずあって、
それを基準に私のレスを解釈しようとされているとしか思えません。
私はそんなことは全然言ってませんよ?
>を問題としているのでは無かったのですか?
なぜ、そういう解釈になるのか全く理解できませんが、
もちろん違います。
>あなたはどなたですか?私はずっと
>>367さんと話しているのですか?
とりあえず、
>>367 と
>>385 はどちらもわたしです。
393 :
198:2007/09/10(月) 09:08:02 0
>>392 おっしゃる通りです。
実は、それ以外の考えが、今朝起きるまで気付きませんでしたorz
このスレタイを「あなたにとって、人殺しは何故ダメなの?」と置き換えた
だけでは、私の頭では自動的に倫理に関する事しか出てきませんでした。
その他の事が頭に霞のように出てはくるのですが、理解ができなかった
のです。
このスレタイを
「あなたにとって、『人殺しはダメ』という欲求が生まれるのは何故なの?」
と置き換えてみて、あなたの意図と合っているかは分りませんが、
ようやく分った気がします。
殺したい→私にとって殺すのが「良い」
殺したくない→私にとって殺すのが「悪い」
という、欲求の中にある「良い」「悪い」の判断は何故か?という事でしょうか?
とりあえず、これで
>>392=
>>367さんと話が通じているのか、レス頂けませんか?
394 :
ネコの味方:2007/09/10(月) 17:59:04 0
>>388 社会(共同体)の成員を殺すな、というのは遍く受け容れられている、
いわば通念である。このスレ主が問うているのは、なぜ殺人の禁止が
共同体の差異を超えて受容されるに至ったのか、ということでしょう?
なぜだと思いますか?
もう一つ、その通念を踏み破ってAが「殺す」としたら、それはAの
主体的な判断だ、と貴方は述べている。これは「殺人は当人の自由意志
によってなされる」という意味でしょうか。
>>382 欲の一言で全てを決定(肯定)するという事は、理性を放棄するという事なんじゃないだろうか?
人間の判断というより、むしろ獣の行動原理に近いというか...。
396 :
198:2007/09/11(火) 04:13:49 0
>>395 正直に言いますと、
私が行動を起こすのは「欲」(生理的欲求、保身欲等全て含む)、
その欲の判断基準は「倫理」
(自分の行動が周りにとって間違ってるか、間違っていないか?)
それだけです。
それ以外の行動基準というものが、言葉にできません。
そして
>>392=
>>367さんは、倫理の事なんか話そうと思ってない様子で、
となれば後は「欲」が残るだけなのです。
「欲」と「倫理」の他に、人間の行動基準を言葉にすると、
どうなるのでしょうか?
念のためですが、私は真剣です。真剣に分りません。
397 :
198:2007/09/11(火) 04:16:28 0
>>396を書いてから思ったのですが、
もしかして「感情」で良いのでしょうか?
日本人の対人行動を決める原理のひとつに「情けは人のためならず」という心理がある。
困っている人を助けるのは、いずれ自分が困ったときに助けてもらえるからという心理です。
これは、道徳や倫理によるものではなく、長い目でみた損得勘定で、将来の自分の利益を考えての行動です。
しかし、バブル崩壊以降の最近の世相は、この前提がいっきに崩れてしまった。目の前にある利益のみの行動が、情の薄い社会をつくり出してしまっている。
見返りが期待できない社会は援助行動も少ない。
399 :
考える名無しさん:2007/09/12(水) 02:24:24 0
>>394 欲求を満たすのに有利な条件である群れの仲間は殺さないものです(勿論不利益をもたらす者は排除されますが)。
欲求を満たすのに不利であるなら群れをつくる必要など初めからありません。その他、当然互いに牽制もしていますし。
殺人の禁止は通念としては群れに自然発生するものだと考えますが・・・共同体の差異を越える理由ですか。
(私の印象ではスレ主がそこ迄の事を訊いているようには思えないのですが・・・)
という事はつまり、利害の一致しない、協力関係を結べない、相容れない別の共同体の成員であっても、
殺してはいけないという考えを持つのは何故かという事でしょうか。
宗教や教育による倫理観の形成、文明の発達に伴う野蛮とされる行為の忌避、他の共同体からの圧力、
といったような理由が考えられますが、敢えて説明する程の事迄は思い付けないですね。
これについては社会、法、倫理、宗教等について詳しい方に尋ねられた方が良いかと思います。
400 :
考える名無しさん:2007/09/12(水) 02:56:43 0
>>394 >その通念を踏み破ってAが「殺す」としたら、それはAの主体的な判断だ、と貴方は述べている。
>これは「殺人は当人の自由意志によってなされる」という意味でしょうか。
いいえ、言うなれば分岐点の在りかです。殺してよい、殺してはいけない、という二つの進路が想定されるわけですが、
社会規範では進路を殺してはいけないという方向に定めています。
しかし、目下眼前の人間を殺してよいか、いけないかは人間という分岐点が方向を定めている、という事です。
いかに社会ではダメだとされていても、人間に備えられた分岐点がダメではないという進路に向かわせるなら、
通念に反して人を殺すという行動を採る事になるだろう、と。
ではこの場合、進路を決択しているものは何かと考えれば、加害者たる人間という分岐器であると言えるでしょう。
ボールを投げたら壁に当たって跳ね返るのと似たようなものです。万物は変化するものですから、必ずしも壁がボールを跳ね返すとは限りません。
僅か数千年も時が経てば朽ちたり浸食されたりしてボールを別方向に跳ね返す状態にもなる事でしょう。
人間も常に変化しています。身体状況や外からの情報、固有の性質、経験等様々な力が作用して分岐点の進路は転換されます。
分岐器を動かす原因は色々で無論外的要因もありますが、分岐器が在るのは何処か、何と呼ばれるものなのかと言えば、人間です。
自由意志によると考えると意志の理由が不明確になってしまうので、正否はともかく自由意志が在るとは考えません。
>>396 欲だけでいいと思いますよ。倫理に従うのも、それによって報酬を得られるからやっている筈なのですから。
402 :
198:2007/09/12(水) 11:00:08 0
>>401 >>396を書いてからしばらくして、私も同じ事を考えました。
まず欲があって、欲の為に「良い」「悪い」を判断する訳ですよね。
「何故殺したらダメなの?」は、結局殺したくないのですよね。
殺したら、自分が殺される。
殺したら、自分が迫害を受けてそこに居られなくなる。
そういう「殺されたくない」「迫害されたくない」という自己保身欲が
生まれるから、「殺すのはダメ」という判断が生まれる。
まとめれば、
「欲を決めるのは私だが、それが周りの欲と反すれば、
私は周りから抵抗を受ける」
ですかね。
「殺したいと決めるのは私だが、それが周りの欲と反すれば、
私は周りから抵抗を受ける」
逆に言えば「殺されそうになる、迫害される事への対抗欲」が
自己保身欲を上回れば、その人(仮にAとします)にとっては
殺すのが良いという事になるんだろうと。
そしてAは、周りがAの欲を望まないなら、Aが周りにとって望ましい、
又は最低限放っておける行動になるまで、Aは周りから抵抗を
受け続けると。
結局それだけの話なのかなぁ?
で、私としては、やっぱり
>>198に戻りますかね。
範馬勇次郎は多分その気になれば世界中の人間を殺せますが、
>>198を分っているから、崩壊しない程度に、自分のおもちゃが
なくならない様に、無差別な殺しはしないのだと思います。
なんで人を殺すことよしとするといきなりみんな殺し合いを始めることになるのでしょう
404 :
198:2007/09/12(水) 14:12:54 0
>>403 なりませんか?
私はなると、
>>371の理由で信じていますが。
今なんて、スイッチ一つで世界を滅ぼせる武器もありますからね。
無制限に殺しを認めると、それを使う者がきっと出るでしょう。
405 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/13(木) 03:54:01 0
>>396 :198:
おおむね貴方の言うとおりだと思います。
>>242 にも書きましたが、本能的生存欲と共感の感情です。
共感の感情は道徳の起源でもあります。
共感がなけれは人を殺してもなんとも思わない。
本能的生存欲求に支障が起きると自殺の可能性が生まれる。
406 :
ネコの味方,:2007/09/13(木) 09:35:12 0
>>400 貴方は「殺すべきか否かの判断・決断するのは主体たる個人だ」という主旨の
ことを述べている。が、ここでは人間という“分岐点”“分岐器”との言い方に
変えている。この分岐器を「殺す」か「殺さない」かのどちらかに振らせるのは、
当事者の主体性(自主性・責任)ではない、ということですね。
とすれば、殺人は社会的(法的)には裁かれるだろうが、本源的には“無罪”だと
いうことでしょうか?
407 :
考える名無しさん:2007/09/13(木) 11:27:18 0
>>405 そうですね。共感反応も共同体に関係なく人を殺してはいけないと思う理由の一つですね。
認知的共感性のみで考えると損得勘定絶対主義に陥ってしまいますね。反省反省。
感情的共感性はミラーニューロンのはたらきによって先天的にヒトに具わった能力ですから、
通常であれば人間は無関係な人を殺すのには抵抗感を感じる筈です。
ただし、これには条件がありまして、
自分にとって有益だと感じている人が苦しんでいるのを見た時には当然ながら共感を示すのですが、
自分にとって有害だと感じている人が苦しんでいるのを見ても、共感反応を示さないか非常に弱くなるようです。
(特に男性は全く反応せず、それどころか報酬系が反応する人が多いそうです。対して女性は弱い反応となる傾向が強いらしいです。)
>>242にある>戦争が始まるときは「共感」の部分が否定される現象が起きます
というのは、相手の事を傷つけても構わない存在であると見なして、共感反応を抑え込んでしまっている状態なのでしょうね。
408 :
考える名無しさん:2007/09/13(木) 11:28:28 0
>>406 >この分岐器を「殺す」か「殺さない」かのどちらかに振らせるのは、
>当事者の主体性(自主性・責任)ではない、ということですね。
振らせるのは当事者も含めた世界全体ですから当事者が無関係という事ではありませんよ。
自由意志で振っているのではなく、自身と環境の状態変化によって決定された意志によってです。
その意志の所有者は当事者であるわけですから、そういう意味での主体という事です。
ある殺人において人を殺すという方向に決めた分岐器を持っているのは
社会なのか人間なのかと考えれば、人間であるという事を言っているわけです。
>殺人は社会的(法的)には裁かれるだろうが、本源的には“無罪”だということでしょうか?
私は倫理や法には疎いのですが、罪というのは他人や法や道徳や教義に反する事を言うのではないのでしょうか。
とすれば、社会的に裁かれるというのは罪があるということになるのではないですか。
本源的な罪というものは社会的なものから離れて罪であるとされる何かなのですか。
例えばどういったものが本源的な罪に当たるのでしょう。申し訳ありませんが私には解りません。
409 :
考える名無しさん:2007/09/13(木) 11:55:38 0
何回も答えはでているはずなのに、なぜ議論が続くのか
過去ログを読まないアホがたくさんいるからです。
そも、何故人は死にたくないと思うのだろうか?
俺は只純粋に「死にたくない」という欲は、存在しないのではないかと思っている。
あるとすれば、その過程の痛み苦しみへの恐れと、
未来との断絶、つまりあらゆる欲が満たせなくなってしまう状況を怖れるのではないか。
死の恐怖が他の欲求を上回らないのは、それ自体が強い欲求なのではなく、
他の全ての欲を内包するからこそ、強く働くのではないか。
411 :
考える名無しさん:2007/09/13(木) 12:50:14 0
たとえば人を殺す
人には慣れというものがある
オナニーに飽きることも慣れが原因
人殺しに慣れ
死に慣れ
自分を殺すかもしれない
自分のために人を殺さない
412 :
考える名無しさん:2007/09/13(木) 15:30:53 0
>>408 >例えばどういったものが本源的な罪に当たるのでしょう。
敢えて言えば、集団内存在としてしか生存していけない人間存在そのものが本源的な罪(良し悪しの価値は含まない)でしょう。
413 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/14(金) 02:24:20 0
>>407 :考える名無しさん:
>自分にとって有害だと感じている人が・・・・共感反応を示さないか非常に弱くなるようです。
それは「反応」のレベルの話。
前にも言っている通り、「人を殺すな」と言うのは道徳でありその起源に「共感」の感情があると言うこと。
人間においては多くの本能的反応は先天的に未熟で生まれ、後天的教育で道徳心として完成される。
別の教育や洗脳で「共感」の感情がゆがめられ道徳心が育たなかったり弱められると殺人を肯定する論理に対抗できない。
殺しがいけないというより
殺すことによって持つ罪悪を超える喜びや必要性は基本的に存在しないと思う。
だから殺しが本当に必要な状態のなかでは法でも正当防衛や緊急避難法が適用されるし
食物を奪い合うような国には殺人者を裁くのに必要な法が整っていなかったりしっかり治安を守るものが配備させれないことによって、その行為が半ば許されている状態
そしてそもそも必要性もなく人を殺す人は完全に病んでいるといえる
だから法によって隔離して人があるべき精神の状態に戻す
つまり人を殺してはいけないのではなくて元々人は殺したくないという心を持っている
結論 人間は優しい
415 :
考える名無しさん:2007/09/14(金) 05:33:32 0
>>413 >それは「反応」のレベルの話。
>前にも言っている通り、「人を殺すな」と言うのは道徳でありその起源に「共感」の感情があると言うこと。
「共感」の”感情”、というのであれば、それは感情的共感性の事の筈です。ですから反応のレベルから考えてみたわけです。
然るべく道徳を学習する事により本能を制御できるようになる事を以て、道徳心が完成するというのが貴方の主張ですよね。
この学習が適切でない場合、つまり安易に人を恨んだり憎んだり蔑んだりするようなものであった場合、
共感の反応が起こりにくくなる。そうなると、それを基にして培われる筈の道徳心が育たない。
残るのは合理的?利益考量のみとなり、その結果殺人が肯定されたならそれを否定するものは何もなくなってしまう、と。
(道徳は誰にとっても絶対に正しいものとは限らないと思いますが、それは措いておいて)
生得的な性質を利用して社会規範を浸透させるというのは効果的な手段の一つであるような気がします。
などと思いはするのですが具体的にはどのような学習をすれば良いのか迄は判然としません・・・どのようにすればいいのでしょうね。
416 :
ネコの味方:2007/09/14(金) 22:32:22 0
>>408 結局、私という分岐器をして殺人に赴かせるのは世界全体ですか、それとも
世界に含まれる私(当事者)自身ですか。どちらの比重が大きいのですか。
もし前者なら、私にはどうすることもできず、殺人は起こるべくして起きた
ことになります…。殺人は善悪を問う以前に、必然的だったと言うしかあり
ません。
417 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/15(土) 01:51:37 0
>>415 :考える名無しさん:
>然るべく道徳を学習する事により本能を制御できるようになる事を以て、道徳心が完成するというのが貴方の主張ですよね。
「共感」と言う本能を完成させると「道徳」になると言うことです。
私の見解では本能を制御させるのが道徳なのではなく、本能を伸ばすことが道徳に近いと言うことです。
>この学習が適切でない場合・・・・その結果殺人が肯定されたならそれを否定するものは何もなくなってしまう
はいその通りです。
>具体的にはどのような学習をすれば良いのか・・・・
あまり詳しいことは分かりませんが、変な風にいじらなければ良い。
三歳までは親の愛情を注げばよい。
それ以降は放任が良い。
仲間と遊ばせる。子供同士の「遊び」が最大の教育。
それをさせないで「お受験」で他の子供と競争させれば「共感」が損なわれるのは言うまでも無い。
418 :
考える名無しさん:2007/09/15(土) 11:07:55 0
教育が無いと
ものわかりの悪い
依存的な人間になります
419 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/16(日) 00:13:09 0
>>418 :考える名無しさん:
物分かりの悪い依存的な人間は、幼児期の愛情欠如が原因。
世の中多数決ですよ
みんな殺しては駄目と決めたから
自分が殺されたくないから
421 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 00:18:34 0
>>416 >結局、私という分岐器をして殺人に赴かせるのは世界全体ですか、それとも
>世界に含まれる私(当事者)自身ですか。どちらの比重が大きいのですか。
殺人に赴かせるのは世界全体ですが、(比重という言葉の解釈にもよりますけど、)
殺人においての要点が何処にあるかと考えるなら当事者自身にあると思います。
殺人の(非自由)意思は当事者に所在しており、この有無如何で殺人が発生するかしないかが決まります。
もし、世界に当事者が存在していないのであれば、殺人の意志も存在せず、殺人の発生も無かった筈です。
当事者という個体の性質によって、社会の意向とは真逆の判断行為が為される事もあるのです。
>もし前者なら、私にはどうすることもできず、殺人は起こるべくして起きたことになります…。
>殺人は善悪を問う以前に、必然的だったと言うしかありません。
私にはどうすることもできないのですが、私がやったのです。
私には世界の諸条件を自由に変更することはできませんが、
どのようにしようという考えを持ち、実行したのは私なのです。
どうすることもできなくて何もしなかったのではありません。したのです。私が。
何が善で何が悪かは、必然的に起こる事象に対して評価者が判断するだけです。評価者にとっての善悪を。
因果の連鎖のどの範囲を悪と見なすのかも評価者次第です。場合によっては人類の誕生に迄悪の範囲を広げるかもしれませんね。
つまり世界で必然的に起こっている事を、誰かにとってはこれは悪、誰かにとってはあれは善だと評価しているに過ぎません。
誰かにとって悪だとされる行為をしてしまったのなら、その因果関係からはもう外れる事はできないのです。
その悪とされる事象を起こした因子の内、何を悪と判断するかは評価者に委ねられていますが、私が因子でなくなる事はありません。
この世界で起こる全ての事象に必然的ではないと言えるものがある事を私は知りませんので、そのように考えます。
因果関係を無視して生じる出来事があるのだという事が確認できたとしたら考えも変わるかもしれませんが・・・
422 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 00:19:19 0
>>417 私は本能とは無条件反射の事で、一世代の間では変化しないものだと考えていますから、
思わず制御という言い方をしましたが、制御というよりは解放されるようにすると考えた方がいいですね。
本能を伸ばすという事は、これがより発揮されるような学習をする事なのだと思います。
>仲間と遊ばせる。子供同士の「遊び」が最大の教育。
>それをさせないで「お受験」で他の子供と競争させれば「共感」が損なわれるのは言うまでも無い。
他の人間を大切なものだと感じるように育てよという事ですね。
競争相手、自分を蹴落とす敵、蹴落とすべき敵、居ない方がいい者などと思わせてはいけないというわけですね。
相手が人間だと思ったら殺せない。
相手は鬼や悪魔や猛獣だと思い込む事。
そう思い込まなければ、人は人を殺すことは出来ない。
人を殺すのは何故駄目なのかという前に、
人には人を殺すことは出来ないんだ。
424 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 01:39:06 O
1は人を殺したいの?
425 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 01:47:36 0
食べたいんじゃないの?
実際、ちょっと前までは世界各地で人を食べていたんだし。
あ、でもわざわざ殺して食うんだから、ソニー・ビーンみたいにそれで暮らしたいのかも。
426 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 02:09:45 O
食べる為に殺すのは殺すことで口減らしが出来て腹もふくれる社会じゃないと発生しなさそう。
427 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 02:14:41 O
今は世界各地で食べられてないような誤解を招く表現は止めれ。
先進国にも少なからずあろうもん。
428 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 08:08:15 0
>人殺しは何故ダメなの?
アホかw
駄目もなにも人殺しって毎日どっかでやってるじゃん
やってるのが国連多国籍軍か国家の死刑執行官か
一般人つまりおまえか他人か…って違いだけであって
上から下までみんなやってるのよ人殺し
みんなでやってるのを知っていながら「止めもせず」
指咥えて見てるヤツの聞くことじゃないだろ
人殺しの是非などw
429 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 09:22:41 0
>>425 そうでしょうねきっと。
彼は菜食主義の生活をしすぎて飢えているのでしょう。
430 :
ネコの味方:2007/09/17(月) 17:34:35 0
>>421 よくわかりません。
そもそも当事者が世界に存在しているのは、当事者の意志によるもの
ではない。いかなる意味でも彼は世界に存在せしめられたのである。
また、当事者にはどうすることもできずに何らかの事態(殺人)が起きた
とき、それを「やった」とは言わない。必然(因果)の連鎖のなかで「やら
された」と言うべきだろう。“世界の要請”によって彼は殺人を余儀なく
されたのである。
彼の役割は、主体的な当事者ではない。殺人の“場”を担わされた、と
言ったほうがよかろう。しかも、これとて彼の意志によるものではない。
こうみると、殺人は善悪で括ることができなくなる。貴君のこのスレに
対する立場はこれでいいですか。
431 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/18(火) 15:50:30 0
>>421 :考える名無しさん:
>何が善で何が悪かは、必然的に起こる事象に対して評価者が判断するだけです。
そんなことはないぞ。
善悪は常に本人の意識の中にあって人の行動を決める。
善悪の意識の無い(機能をそがれた)実例では、人はどう行動してよいか意思決定がほとんどできなくなる。
善悪の判断を自己以外に委ねるのは、一種の責任転嫁だぞ。
>>393 >とりあえず、これで
>>392=
>>367さんと話が通じているのか、レス頂けませんか?
どうも話がすれ違っているように思います。
とりあえず、
>>367 以降の話では、「このスレの質問をどう解釈すべきか」という点については論じてはいません。
ので、ここで、その点にまで話が飛躍してしまうと、どう収拾をつけるべきか困るのですが、
とりあえず、私とあなたの認識の違いを一つ指摘しておきます。
>>367 以降のあなたと私の議論の齟齬の一因の一つが、この認識の違いに、
起因していると考えるからです。
>という、欲求の中にある「良い」「悪い」の判断は何故か?という事でしょうか?
私は、「判断」を「欲求」の「中にあるもの」とは考えていません。
なぜなら、ある「欲求」を「実現するために必要な判断」はその「欲求」を
持っていない者にも可能であるからです。
「欲求」と「(その欲求を実現するための)判断」が不可分なものならば、
ある「欲求」についての「判断」はその欲求を抱いている当人以外には、
いかなる形でも下すことができないはずですが、現実はそうではありません。
ごめんなさい、やはりあなたの私への質問の意図が理解できません。
このすれ違いは、私が問題の原因でしょう。私は、私が意図する事無く、
常に周りと感覚や言動がズレてると指摘されますから。
私は独我論者〜スレの360です。そこにも書いてある通り、
私は、私が認識したその他の事に思い至る事は、非常に困難です。
そんな人間が他人とコミュニケーションを取ろうとする事が
そもそもの間違いだとは思うのですが、でも社会で生きる為には、
なんとかそうしなければならず、ですからそうしたいのです。
とりあえず、
>>367 >いや、だったら、「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要はないんでは?
何が「いけないか」を答えれば良いのでしょうか?
欲そのものでは無い訳ですよね?
>>370 >その場合に、「いい」も「悪い」も無いんですか?
何が「いい」か、「悪い」かを答えれば良いのでしょうか?
そこからして分っていません。
こんな人間にまだお付き合いいただけるなら、教えていただけませんか?
あと
>>405 私は、私の認識した世界の他に意識を向けづらいので、
共感の感情も乏しかったです。
でも私も「痛い」等の感覚や感情はあるので、私のそれらと、
周りの反応及び法律等が一致する事を頼りに、モラルを
築いてきました。これも客観的に見れば、共感と呼べるのでしょうか?
簡単に人を殺せるような精神の人間と
一緒に生活するのはちょっと怖いから。
近所に人殺しが居たら怖いから。
>>433 >>いや、だったら、「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要はないんでは?
>何が「いけないか」を答えれば良いのでしょうか?
私は、少なくともその質問では、
「何」かが「いけないか」を答えることを求めてはいません。
437 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/19(水) 00:55:35 0
>>433 :198 改め 脱独我模索者
>でも私も「痛い」等の感覚や感情はあるので、私のそれらと、
>周りの反応及び法律等が一致する事を頼りに、モラルを築いてきました。
たぶんこれらは共感とは少し違うと思います。
相互性、強調と呼ばれる理性的なものでしょう。
共感は感情移入とも呼ばれるものです。
感情が湧いてくる感じです。
これも本能です、幼児教育で醸造されます。
貴方の場合はそのような教育がなされなかったと考えられます。
人殺しはダメじゃない
だけど僕は敢えて殺さない
439 :
考える名無しさん:2007/09/19(水) 04:29:18 0
>>430 >当事者にはどうすることもできずに何らかの事態(殺人)が起きたとき、それを「やった」とは言わない。
これは第三者の目から見て当事者の動作や状況を表していると考えて下さい。
例えば、棒が倒れた、という事象がある場合も様々な力が作用して倒されたとも言えるわけですが、
第三者的な視点で見れば、どちらでも同じ事を表しているので拘る必要は無いかと思います。
たとえ当人にとってはやらされた事でも、その事象を観察している第三者の目には単純にAがBを殺したと映ります。
観察者の視点を何処に置くかで表現に違いが出るだけです。
と、その点は問題ではないのですが、私は「やらされた」だけであるとは考えていないのです。
>必然(因果)の連鎖のなかで「やらされた」と言うべきだろう。
>“世界の要請”によって彼は殺人を余儀なくされたのである。
“世界の要請”「によって」。つまり彼に人を殺させたのは、世界であるわけです。
そして当事者は世界に含まれているのです。ですから、
世界にやらされた。というのは、当事者にやらされた。という意味も具有しています。
当事者によって当事者がやらされた。というのは、当事者が自らに命じて殺させた、という事です。
自分ではなく世界にやらされた、のではなく、自分も含めた世界にやらされたわけです。
自分ではない、自分を除いた世界によって殺人が為されたのではありません。
自分も自分に殺人という行為を要請した諸条件に入っているのです。
440 :
考える名無しさん:2007/09/19(水) 04:30:47 0
>>430 >彼の役割は、主体的な当事者ではない。殺人の“場”を担わされた、と言ったほうがよかろう。
>しかも、これとて彼の意志によるものではない。
前にも言いましたが、彼には自分も含めた世界の諸条件によって規定された意志があると考えます。
いや、更に言えば、意志がなくとも主体的な当事者にはなりうるのではないでしょうか。
爬虫類以下の生物は意志を持たずに反射と本能で行動しますが、反射と本能というシステムで判断を下し、
獲物を捕らえ殺します。判断をしているのはその爬虫類の一個体である事は間違いないのですから、
行動や判断の主体であると言っても差し支えないと思われます。
>こうみると、殺人は善悪で括ることができなくなる。貴君のこのスレに対する立場はこれでいいですか。
評価者を定めずに善悪で括る事は出来ないと思います。
しかもその善悪の判断はその評価者にとってのものでしかありません。
評価者が違えば、状況が異なれば、判断もまた違ってくるでしょう。
評価者と状況を特定すれば括る事は可能だと思いますが、そうでなければ善悪はありません。そう考えます。
>>431 私の文章が拙いせいで、自分以外の何かが善悪を判断するような印象を与えてしまいましたね。ごめんなさい。
>>436 では、
>>367の書き込みは、私に対して何を求めたのでしょうか?
それとも、私の返答など求めておらず、ただの感想だったのでしょうか?
私は
>>367を
「いや、だったら、「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要は
ないんではないでしょうか?」
と付けたし、考え、先のような返答になりましたが、困ったことに
私の返答は
>>367さんにとっては会話になっていないらしいと
認識しました。とりあえず、改めて
>>367を読んでの私の返答を書きます。
「なぜいけないか」を考える必要はないんでは?ですか。
いえ、考えます。何故いけないかって社会がそう決めたから。
社会がそう決めて、私の欲がそれと違えば、私の欲が社会に
通るはずは無い、だから社会にとってはダメ。
そして、私が私の欲の赴くままに、社会にとってはダメな事をしたら、
社会は私に報復する。私は私の身を守りたいから、社会からの
報復は受けたくない。社会からの報復を避けるために、
私は、どうしても必要がある場合を除き、
社会がダメという事は自分がしたらダメという事にする。
仮に私が社会の報復を全て跳ね返す事ができるとし、私の欲の
赴くままに殺したとしたら、そのうち
>>198になると思われる。
それは私の望むところでは無いから、やはり私にとって人殺しはダメ。
となります。
>>437 確かに、「私に合う」教育が適切になされなかったという事は
できるとは思いますが、しかしそれは、私の器質がいわゆる普通人と
違う事に気づかず、普通人の教育をした為であって、原因としては
私の器質だと思います。
私は未だに、相手の感情を、私の経験や理性で推し量るしかないのです。
私も笑ったり怒ったりしますが、それは私の中だけの感情であり、
相手と共有しているという実感に乏しいです。
(多分少しはあると思うのですが)
ですから、決して親の教育が行き届かなかっただけ、とは思わないで
欲しいのです。親は親なりに、よく教育してくれたと思います。
私には理解不能だっただけで。18年間育ててもらいましたから。
重要なのは、個人の器質によって教育方法を180度違える必要が
ある事がある、という事を社会が認知する事だと思います。
>>441 >では、
>>367の書き込みは、私に対して何を求めたのでしょうか?
>>367 の意図を詳しく述べるのならば、こういうことです。
あなたの発言、
>そうしても、やはり私の場合、「社会がどうか?」です。
が事実なら、
「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要はない」
ことになると思われる。
この点を指摘することにより、以下の点について解答してもらおうというのが、
>>367 の意図です。
1.あなたは、この命題(「あなた」は、「なぜいけないか」を考える必要はない」)
を肯定するか、否定するか?
2.否定するのであれば、どのような根拠により否定するのか?
3.肯定するのであれば、なぜ必要の無いことを考えようとするのか?
>>443 なんか
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
て気分ですorz
そうですか、
>>367そのものが命題だったのですか...
「考える必要は無い」にまず回答すべきだったと、
こうですか?分りません。
いやふざけてなどなく、2chでよく見かけるこのフレーズそのまんまですorz
私は、脳内では
>>441のように考えるのですが、回答すべきこととして
「なぜいけないか」しか「頭にありませんでした」。いやーマジで何この脳味噌???
では改めて
『「なぜいけないか」を考える必要はない』が肯定か否定かと言えば、
否定します。考える必要はあります。その理由は
>>441です。
>>444 であれば、
>そうしても、やはり私の場合、「社会がどうか?」です。
は、違っていますよね。
すくなくとも、「社会がどう(判断する)か?」という意味ではない。
社会の自分への影響力を「あなたが」考えた上で判断しているのであって、
「社会がどう(判断する)か?」はあなたの意思決定においては、
副次的な地位しかない。
>>445 そうですね...考えを整理しますと、
1)私が普通だと思う言動に対して、社会が異常と反応する事が多い。
2)社会が異常と反応した事に対して、私が普通だと押し通しても、
社会は私を異常と判断する。
3)社会が私を異常と判断すると、私は社会の中で生きるのが困難に
なる事を認識した。それを避ける為には、社会が私の言動を異常と
判断したら、私は社会にその都度言動を合わせなければならない。
4)以上の経験から、
「社会がダメ」=「私が、社会がダメと判断する行動をする事はダメ」
という判断になる。
以上をすっ飛ばして
>やはり私の場合、「社会がどうか?」です。
だけ書いてしまったのが、
>>367=
>>445さんが困惑してしまった理由でしょうか?
「私は、私を守る為に、私以外の存在を尊重しなければならない。
何故ならば、私以外の存在を尊重せず、私の欲だけで動くと、
私以外の存在から報復を受けるから。
だから、私以外の存在が居る社会に合わせる。
だから、社会がダメな事は、私にとってもダメな事」
でしたらいかがでしょうか?まだ矛盾していますか?
447 :
考える名無しさん:2007/09/19(水) 18:27:54 0
せからしか!
448 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/09/20(木) 02:24:21 0
>>422 :考える名無しさん:
>他の人間を大切なものだと感じるように育てよという事ですね。
>競争相手、自分を蹴落とす敵、蹴落とすべき敵、居ない方がいい者などと思わせてはいけないというわけですね。
ううむ・・・・微妙に違うんですね。
要は「他人の痛みを感じること」なのです。
競争社会ですから他人蹴落とすことは自分が生きていく以上必要でしょう。
そのときに蹴落とした人の痛みを感じて自責の念を持つことです。
449 :
考える名無しさん:2007/09/20(木) 02:54:18 0
どちらがより種の繁栄に有効か・・・悩む悩む・・・
優秀な支配層は自分で殺さずに現場のチンピラに汚れ仕事をさせる。
これは人類の知恵なのかな。
殺す事に抵抗を感じないチンピラは生存競争に生き残って最強の勝ち組に
なるか、というとそうでもなく、やはり知能的に問題があるので
支配層にいいように利用されてしまう。
451 :
考える名無しさん:2007/09/20(木) 07:26:05 0
>人殺しは何故ダメなの?
だれも人殺しがダメなんて言ってないだろw
法律ですら「どう殺せば・・・どうなる」としか規定していない
もし人殺しがダメと規定してしまうと
死刑もダメ、侵略戦争で敵国兵を殺すのもダメ
自殺にも咎を課さねばならなくなるが、、、わかってっかw?
浮世離れしたトンデモ君ぐらいのもんじゃないの?
正当防衛も自己殺人も法で禁じることができるとカンチガイしてんのは?
もしこの問いが「法律の問題ではない」のだとしたら
「合法の行為」に対し
法を超える権威・権力の設定をこころみようとしてることになるが
「そうなのかトンデモ君?」
人殺しダメ派がいたら答えてみよ
452 :
考える名無しさん:2007/09/20(木) 07:27:39 0
侵略戦争で→ 侵略戦争を仕掛けられての意
453 :
ネコの味方:2007/09/20(木) 09:09:24 0
>>451 貴君の言うとおりだけど、その先が問われているのではないか。
「自己防衛的な殺人は許される」というのは常識であり、私も素朴にそう思って
いる。が、これは本当かというのが古来、(宗教的に)問われてきた大テーマでは?
読み間違いかもしれぬが、どうも偉人たちは「命を欲しがる者には、黙ってそれを
差し出せ」と説いているいるように思えるのだが、どうだろう? むろん、凡人には
真似ようがないけどね。w
つまり徹底的に殺人を否定する「殺すくらいなら殺されなさい」との“人殺しダメ派”
は存在するのではないか。
>>451 自殺しそうな人に自殺をすすめちゃったら法的に罰せられる
じゃないですか。
正当防衛の主張だって、殺してやろうという強い意図があって
殺したならまずい。罰せられる可能性が高い。
>>451 私は
>>351に書いた理由で、法的にも結果的に
「公共の福祉に反しない限り、他人の人殺しを強制する命令はできない」
=「人殺しはダメ」
と解釈しています。
>>446 論理としては矛盾はないように思います。
あとは、それをこのスレのテーマとどうつなげるかですね。
>>451 >法を超える権威・権力の設定をこころみようとしてることになるが
例えば、自動車でレッドゾーンを超えてエンジンを回していけない、
という法律は無い、でも、あえて回す奴はいない。
人間が法律そのほかのかなる規則をつくろうとも、自然法則には抗えない。
設定は、すでになされているのであって、新たにこころみようとしているわけではない。
458 :
考える名無しさん:2007/09/22(土) 17:37:58 0
法も自然法則の下でつくられるのであって、先ずは自然法則に従うのが道理
というか、自然法則には、
とくに意識しなくても自然に従っているわけだが。
460 :
ネコの味方:2007/09/22(土) 22:06:16 0
殺人は自然法則に基づくものなの?
461 :
考える名無しさん:2007/09/22(土) 23:23:04 0
人を殺してはいけないというのは倫理でしょう?
なら哲学板で語ることではないでしょう
462 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/09/23(日) 03:24:52 0
何故人を殺してはいけないのか?
もちろん様々な切り口があるとは思う。
だが敢えてこう言ってしまいたい。
其れは、残された者たち総てに納得がいく、
つまり、『美しい理由』を常に欠いているからではないのか、と。
今も、もちろん此の瞬間にも殺人は行われている筈だ。
そして、そこには各々なりの理由が述べられている筈だ。
曰く、狂気、欲望、貧困、政治、宗教、信条、法律、無知、正義、その他、、、、
あるいは其れらの混合されたもの、ましてや説明すらつかぬもの。
果たして、その何れかの内に私たちが納得し得るだけの理由があったか?
或は、子供を失った親に聞いてみるがよいのだ、其れで良かったのかと。
否、断じて否であろう。其処にこそ此の問いの答があるのではないのか?
そして各々自身に問いかけてみるべきではないのか?
464 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 08:19:10 0
あだ討ち・・親のカタキ/身内のカタキ/友のカタキをリンチにする行為は・・美しい♪
証拠が無いため司法で裁けない犯罪者を血祭りにあげるのは・・美しい♪
ひとをイジめるヤツを葬るのは・・美しい♪
465 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 09:49:53 0
何を美しいと感じるかも人によりけりか
>>463 我々が、納得できるかどうかが正しいかどうかの絶対的な基準になるとは思えないんだけど。
もし、そうなら、天動説にみなが納得していた間は、太陽は地球の周りを回っていたことになってしまう。
改めて哲学的に考えると...
結局他者の存在を認めるかどうかじゃないのかな?と思います。
他者の存在を認めない、
つまり独我に陥ったり、
他者の他者性を否定する行為(いじめ等)をしたり、
他者の存在を抹消する行為(殺人)をする存在に対して、
他者の他者性を認めて生きる人達は排除の方向へ動くと。
いかがでしょうか?
殺していいっていう社会だったら、自分もいつどこで誰に理由もなく殺されるか、常に
そういう殺される覚悟も持ってないといかんし、嫌じゃん。
469 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 16:42:57 0
なんで初期化しようとするかなw
470 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 17:01:25 0
安楽死は殺人か、−−−−
471 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 17:21:58 0
安楽死と殺人罪の関係は、深く考える必要ないと思う。
殺人にならない方法を技術的に開発すればいいだけの話。
体内に安楽死チップを埋め込んで、脳が安楽死すべき状態
まで弱まったとチップが察知したら自動的に死ぬように
プログラムしておけばOKっていう技術を開発する。
自分が死ぬために、人の手を借りるというのがいかにも下品だ。
自分が死にたいからって人に殺してもらう死に方は、迷惑かけ
っぱなしの死刑囚みたいで品格がない。
チップが誤作動して若い人が突然死というケースもあるかも
しれないが、そこはご愛嬌。
472 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 17:34:45 0
人間はある程度、野蛮な生き物で動物も植物も食うし。
CO2も吐き出すし、屁もこく。
たとえそうであっても
俺たちは・・・俺たちは・・・・
そういうことなんじゃないかなぁ
>>471 いや、それだとチップを患者の体内に埋め込む作業をした人もしくは、
埋め込む支持を出した人が殺人幇助罪になるんでないの?
殺人云々のほかに、
>脳が安楽死すべき状態
を判断する手段がないってことも、
安楽死における大きな問題の一つなんだが。
なんかSFじみてきましたなw
単純に脳内チップが、脳内の「死にたい」コードを一定時間以上
受信したら安楽死スイッチが入るとかだめかな?
それ、エグいなあ。どっちに転んでも遺族が救われない。
>>475 それやると、教師や上司に叱られたり、彼女に振られたり
といったことで、簡単に死んでしまうのでは。
>>477 そりゃ期間が短過ぎではw
せめて重度の鬱レベルに設定しないと。
...とかやってると、実際は正常機能で死ぬより、外部からのハッキングや
違法改造等で死ぬ事が多くなったりするんでしょうね、多分。
なんか話がずれてきたな。
つまり、殺人の禁止の例外として安楽死を認めうるか、ということだよね。
例えば、尊厳死、というような考え方の場合、殺人の禁止と同じルールの基盤を
共有できるんじゃないかね。
480 :
考える名無しさん:2007/09/24(月) 21:42:48 0
尊厳死という表現はおかしいね。どうも欺瞞ぽくて嫌だ。
治療を拒否する権利というなら分かるんだよ。スパゲッティみたいになる
治療は受けたくないから拒否するという権利。
治療をやめるだけだと、末期アルツハイマーで
糞尿垂れ流しの痴呆状態になって、
さんざ回りに迷惑かけて恥さらしまくって死ぬ場合もあるでしょ。
人殺しには自殺するのと同じくらいの勇気を要する。
しかしまあ自殺は一回しか試せない。それが事実ではないか。
生きていくにも勇気が必要だが・・・。
いやあ?要らないさ。現代では。
そしてそれも問題ではある。
ならなぜ自殺する奴がいる。
>>486 真面目な話ですが、単に「気が向いたから」ってだけの
人が多いとも聞きますよ。
どうしようも無い事情で自殺というのもそりゃあるでしょうけど。
死ぬ事で自分の覚悟、勇気を世間に知らしめる、なんて人も
居るのではないでしょうか?
あと
>>485さんの意図を解釈すると、
多分、今の世の中、私に関心を払う人なんて少ないし、
私に勇気を求める人も居ない。私なんて特別周りから必要とされない。
私も特別誰かを必要としない。私が居なくても変わりは居る。
ただなんとなく周りに合わせれば生きていられる、逆に言えば、
周りから外れれば生きてられない。
必要なのは私の勇気ではなく、私が周りに合わせる行為。
そういう事じゃないかなと思います。
>>487 単に気が向いたから、で、できるものなら、勇気なんていらないのでは?
490 :
487:2007/09/29(土) 04:59:36 0
>>489 ごめんなさい、前段と後段は別の話としてお考えください。
前段は、
>>488に書いたような理由で、生きるのにも死ぬのにも
適当で勇気等必要無い人の話、
後段はそのまんまです。
492 :
487:2007/09/29(土) 12:13:22 0
494 :
487:2007/09/29(土) 14:18:49 0
>>492 >>487で
「私は
>>485さんではありませんが〜」とまず書いて、
>>488の名前欄に487と書けば、
>>485さんでは無い私の意見として、すぐに分ってもらえましたか?
それだけでしたらごめんなさい。どうも、立場を書く事を忘れる癖が
あるので、気をつけます。
それとも、それだけでは
>>488を「私の意見」として認知しては
もらえないのでしょうか?無知で申し訳ありませんが、
こういった場合の正しい書き方とかありましたら、教えていただけませんか?
哲学以前の問題でごめんなさい。
>>494 1.自殺と勇気に関する
>>485 の意見
2.1.についてのあなたの予想
3.自殺と勇気に関するあなたの意見
>>488 は、2.でしょう?
2.と3.は必ずしも同じでなくていいはず。
意見の違う人の発言を解釈したり説明したりすることだって、
別に普通にできるでしょう?
そうでないとそもそも異なる意見の人の間で議論が成立しないわけだから。
496 :
487:2007/09/29(土) 15:13:53 0
>>495 あー、そういう風に取られてしまう訳ですか...「意見」ではなく「予想」と。
私は素で、
>あと
>>485さんの意図を解釈すると、
と書いただけで...今思えばこれにも立場の明示が足りませんね...
正確には
「あと私が
>>485さんの意図を解釈すると、」
と書くべきですが、こう書くことで
「私が
>>485さんの書き込みを解釈して考えた意見」
としていましたが...まずいですかね?素で分ってません、
ごめんなさい。
>>496 まあ、もっとぶっちゃけていっちゃうと、
仮に、
>>488 の内容では、これにに対して私が反論した場合、最終的に
「自分は
>>485 の解釈の仕方を説明しただけだ、反論なら
>>485 にしろ」
という逃げが打てるわけですよ。
あるいは、
>>485 が出てきて、「俺の意図は、
>>488とは違うよ〜ん」と言い出す可能性もある。
そうすると、真面目に反論するだけバカみたいじゃないですか。
だから、「〜は〜という意味じゃないの?」とか、「〜は〜と解釈すべきじゃないんですか?」
といったレスは自分は無視するようにしてます。
498 :
487:2007/09/29(土) 19:14:45 0
>>497 なるほど。勉強になりました、ありがとうございます。
499 :
487:2007/09/29(土) 19:21:58 0
何が勉強になったか書き忘れるなよ俺orz
>>497 相手から見て、責任を持って書いてると受け取られる書き方を
してるか考えて書くべきと解釈しました。
でも正直
>>497に書かれてる逃げの発想は私は全く思いつきもしなかった
ので、
>>488は本当に私の意見という事で良いですよ。
なんつーか、そんな受け取り方もあるんだという意味で目から鱗です。
500 :
485:2007/09/29(土) 19:22:03 0
何か話の当事者になっててなおかつ蚊帳の外な俺ガイル。
何となく腹が立ったので意図は説明してあげない。必要でもないだろうけど。
空気の澱んだこのスレに新たなる話題を。
自殺はなぜダメなの?
502 :
考える名無しさん:2007/10/01(月) 14:04:46 0
>>501 後片付けするやつの身にもなってみろコラ !!
他人に迷惑をかけちゃいけない、っていうのはつまるところ社会の構成員である限り
他の構成員に対して迷惑をかけたら後になって報復(だか報いだか制裁だか)
を受ける事になるから、割に合わない、という原理で抑制されているわけだけれども、
死体になった時点で既に構成員ではなくななっているよね。
いや、そんなに自殺したいんか。
馬鹿な事言う前に
>>1に「そんなに人殺しがしたいんか」って聞いてみれば?
∧_∧
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
507 :
考える名無しさん:2007/10/02(火) 07:35:18 0
ココデスカ、トキツカゼ ベヤノ スレ?
508 :
考える名無しさん:2007/10/02(火) 10:04:45 0
っていうか、殺していい世の中だったとして、
たとえば血まみれの他人とかかわりたいと思うか?
殺すのって、それ自体もその後も、かなりめんどくさいと思うよ。
そこをよく考えよう。
510 :
考える名無しさん:2007/10/03(水) 06:56:45 0
975 名前: 名無しさん@八周年 投稿日: 2007/10/03(水) 02:53:09 ID:3puSHkDb0
2007年6月25日(月曜日)
夕方6時ごろ
齊藤さんは土下座。親方は上から顔面踏みつけて「くそガキが!」とつ
ばを吐いた。
飲み終わったビールのビンで顔面5発。斉藤さん、大流血。顔面に入った
ときは鼻血。ここで鼻骨が折れた。どす黒い鼻血。最後の一発は額で割れて
血の海。親方はかなり酔っていた。倒れた斉藤さんに顔面蹴りを入れている。
耳がちぎれたのはこのときか?
親方「おまえらもやれ」。
2007年6月26日(火曜日)
午前10時、親方が兄弟子たちが”かわいがり”を命じる。(略)。倒れると親
方が「蹴れ」。「顔面だ」とも。
この間約2時間、親方はいつものようにビール飲んでいた。
「おまえがいりゃ、(相撲協会から)300万出るんだ。おまえなんかどうせ大成
しないんだから、いるだけで恩返ししろ」という言葉も。
稽古場には親方と斉藤さんの2人のみ。目撃者なし。
20分後。「ギャー」という悲鳴が3度。かなり大きかった。力士がかけつけ
る。斉藤さんは土俵の内側で血まみれだったのに、戻ってみると壁にもたれてた。
親方の手にはビールビン。返り血で真っ赤。服はもちろん、顔にまで血がか
かっていた。
「未必の殺意」傷害致死ではなく、殺人罪適用?
斉藤さんの顔は土気色。白目むいていた。
すでに死体?土俵は血の海。親方は土俵の血をなどを全部掃除させた。
http://www.mailux.com/mm_bno_dsp.php?mm_id=MM3CA3323935BAC&bno=20070930223434
殺していい世界であっても殺すかどうかは個人によりけり。
殺さなければいけないなんてことはない。
512 :
考える名無しさん:2007/10/04(木) 20:57:11 0
ま、今現在のような状態になるよね。必然的に。
513 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 07:01:46 0
人殺しはダメよ、お掃除が大変!
514 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 07:29:30 0
理由はない
簡単だろ?
理由はないんだよ
515 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 16:43:12 0
>>514 お掃除が大変なんだって言ってんだろがっ !!
516 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 02:36:37 0
>>1 人を殺すのは駄目だから、君は今生きてその書きこみが出来るわけですよ。
517 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 03:31:50 0
人を殺しちゃいけない理由なんていっぱいあるんだろうけど、
人を殺しちゃいけない、って君に教える理由は一つぐらいだよ
君に誰かを殺して欲しくないし、
君が誰かに殺される事なんて考えたくないから
あれ?二つあったw
殺人事件のニュースって、そんなことで殺すこと無いだろーと
思う事件が多い。
昨日も大阪でコンビニ店員、横浜でタクシー運転手が殺された
らしい。
絶対に越えられないと思う一線を飛び越えてしまう人間がいる
んだな。
みんなそんな馬鹿な事するわけないだろーと思って安心してる
がサクッとやってしまう人間がいるのが怖い。
頭悪い短絡的なのがいるんだ。
519 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 04:34:02 0
>>1 哲学にとってはどーでもいいことだから聞くな馬鹿
520 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 17:36:39 0
「哲学にとっては」ではなく「おまえにとっては」の間違いなんじゃねえのw
519=哲学
522 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/14(日) 01:04:39 0
>>442 :脱独我模索者
>原因としては私の器質だと思います。
其れは違うと思います、器質の違いはもっと極端に出ます。
私の言う「幼児教育」というのは、三歳児くらいまでの親の愛情ある育児の事です。
虐待や放置等の著しい場合です。
行き届かない・・・・程度の状況とは違います。
>個人の器質によって教育方法を180度違える必要がある事がある・・・
そんな器質は極めて稀です。
ほとんどの人間は同じような育児で大丈夫。
極例外として器質性障害なら、痴呆などPCを扱うのは難しい重度の精神障害となります。
>>522 スレ違いどころか板違いですのでくどくど書きませんが、
個人の器質...というか感覚のズレの方が良いですね...感覚のズレに
合わせて教育方法を柔軟に変えられず、親が子供に適切な愛情を
向けられず、困惑や怒りなどの感情を向けるばかりになれば、
あなたの書くような事で合ってるのでしょうね。
私の例もそうだったかもしれませんが、でも、私の妹は、同じ環境で普通に
育ったように私からは見え、私と妹と極端に差別された覚えも無いので、
やはり私の感覚が、180度とはいかなくとも、普通の人とは違ってるだけと
思いますね。
仮に、私は差別された覚えがなくても実は差別されてたとしても、
その差別を分らない感覚で生まれたというのは確かだと思うので。
524 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/15(月) 02:05:47 0
>>523 :脱独我模索者 ◆
>というか感覚のズレの方が良いですね
そのようですね・・
ならば後年からでも変えることは出来ます。
ポイントは「共感」です。
「他人の身になって考えること」この訓練をすれば、時間はかかりますが変えられます。
変える必要が在るかどうかは、貴方の決めです。
525 :
考える名無しさん:2007/10/16(火) 07:09:00 O
526 :
考える名無しさん:2007/10/16(火) 16:55:26 0
誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」
ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。
(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
これをみろ。
イウエオで「女性」問題が選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つも無いぞ。
おまいらは、こんな結果誘導的な調査に不満はないのか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない選択肢である。
この調査の結果を受けて、政策が決まってるんだぞ。
527 :
考える名無しさん:2007/10/16(火) 20:47:28 0
哲学っていうより人生相談だな
528 :
考える名無しさん:2007/10/17(水) 01:35:33 O
いいんだよ
ま、法律にも人を殺しちゃいけませんとは書いてないわけだし。
宅間みたいなのには何の効果もない。
530 :
考える名無しさん:2007/10/17(水) 10:28:04 0
なぜかダメなのさ
531 :
考える名無しさん:2007/10/17(水) 11:32:21 0
人間社会にとっては悪だってことだ。
つまり、人を殺してよいとする社会は淘汰され、
人を殺してはいけないとする社会が生き残っただけのこと。
当然、今の社会では、人を殺せば裁かれるし、
野蛮時代に逆行するものだと考えられている。
しかし、例外もある。戦争だ。
これはそれ自体を裁く法律がない為だ。
生物化学兵器を使わない戦争、
地雷を使わない戦争は禁止されているが、
逆に言えば、それらを使わない戦争は合法となる。
二択で答えを求めるなら
例えば「貴方が理不尽に殺されたとします。それはイイ事なのですか?それともダメな事なのですか?」
と考えればいいのではないでしょうか?
533 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 19:07:16 0
○○なら ←仮の話はヤメとけ 仮は哲学じゃない
534 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 19:22:17 O
長寿が歓迎されるのは平均寿命の短い社会
殺したきゃ殺せばいいじゃん
俺は殺さないけどね
だって面倒くさいじゃん
536 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 22:50:31 O
例えば食料危機で現在一億二千万人いるが、三千万人しか食料の確保が出来ないとなったら、どうなるのか?
殺し合いが始まるのだろうか?
537 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 06:51:52 0
>>535 >俺は殺さないけどね
人を殺しまくってるヤツが目の前にいるとして(世界にはいつもいるんだがw)
そいつを殺さないとトメられなくても殺さないのか?(次はオマエの番w)
そういう場合は殺すのだとしたら、
おまえには殺すのが「面倒臭い時」と「そうじゃない時」があるってだけの話じゃん
538 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 06:54:52 0
>>536 中国人は子供を困ったときの食べ物と考える者がいる
飢えがひどくなると時々生きたまま鍋に放り込まれる
だから一人っ子政策は彼らには頭が痛い
539 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 14:50:12 0
とりあえず
おまえが殺されてみればわかることだ
540 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 15:43:31 O
>>538 犬も食べるらしいが。子供まで食べるとは…。人体の不思議展の標本の人は、法〇◇の殺された人という情報もあるし。気味悪い国だ。
>>538-540 「複数の人間」が書き込んでいるというのが、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにしている
当人自身知的ルサンチマン(=ル・サンチマン)に重篤に冒された人間の主張なのだが、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにしている
当人自身知的ルサンチマン(=ル・サンチマン)に重篤に冒された人間1人が、
書き込みをやめるとパッタリと、知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパ
みたいなルックスの初老リーマンへの必死の援護射撃が全く無くなってしまうところが何とも、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにしている
当人自身知的ルサンチマン(=ル・サンチマン)に重篤に冒された人間クオリティであって、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにしている
当人自身知的ルサンチマン(=ル・サンチマン)に重篤に冒された人間の虚妄に充ちた人生を、
的確に表象していなくないと言えなくもない。要は、
知的ルサンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの
初老リーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言のごとき「思想批判」を鵜呑みにしている
当人自身知的ルサンチマン(=ル・サンチマン)に重篤に冒された人間の当然の成り行きなんだよね。
542 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 23:03:34 0
誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gender/1192459734/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html ーーー(引用ここから)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。
(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
ーーー(引用ここまで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全体的にひどい調査であるが一番わかりやすいQ3を例にあげました。
イウエオで「女性」問題のみが選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つもありません。
こんな結果誘導的な調査に納得できますか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない。
この調査により、女性不遇との結果が発表され、男性差別の政策がドンドン推し進められています。
543 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 23:45:12 0
誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gender/1192459734/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html ーーー(引用ここから)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。
(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
ーーー(引用ここまで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全体的にひどい調査であるが一番わかりやすいQ3を例にあげました。
イウエオで「女性」問題のみが選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つもありません。
こんな結果誘導的な調査に納得できますか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない。
この調査により、女性不遇との結果が発表され、男性差別の政策がドンドン推し進められています。
>>537 俺は殺さないよ。抵抗したって殺されるなら、あっさり殺されるね。
抵抗なんてめんどくさい。
俺なんて生きる意味がないも同然なんだから…
545 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 05:07:19 0
>>544 馬鹿かおまえはw
おまえが他人に殺されようが自分で死のうが
んなこた誰も気に掛けちゃいないよ
おまえひとりがそうやって自己の死に対し
執着を見せてるだけなのに気付けやドアホw
546 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 10:13:12 0
ここに居る方々は馬鹿ばかりですね。
547 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 19:00:11 0
殺人は不平等であるために悪である。
不平等とは力のある者、すなわち強者と力のない者、すなわち弱者の間に力の差があることである。
殺人を行うには力が必要である。力というのは
体が大きいとか動きがすばやいといった力、すなわち「体力」であったり、
人を罠にかけるという意味の力、すなわち「知力」であったり、
武器を持っているという意味の力、すなわち「武力」であったり、
食物を買い占めて餓えさせるという意味の力、すなわち「財力」であったり、
徒党を組んで仲間に命令してなぶり殺すという意味の力、すなわち「権力」であったりする。
素手の人はマシンガンを持っている人には勝てない。一人は集団と戦っても勝てない。乞食は国王には勝てない。
もし仮に殺人が容認されたとしても、万人が万人と殺しあうような世の中にはならず、
力のある者が力のない者を好きなときに殺せるようになるのみである。
弱者はそれに怨み、憤る。
弱者は殺人が認められている世の中と認められていない世の中のどちらを望むだろうか?
殺人が認められている場合は、自分らは殺せないが殺されうる。
殺人が認められていない場合は、自分らは殺せないが殺されない。
どうせ殺せないなら殺されないほうを選ぶだろう。
そのために弱者が多数を占める世の中では殺人を否定する風潮が生じる。
今も昔も強者と弱者の差別は存在するから殺人はどんな時代でも否定される。
「殺人は悪である」とは殺人を否定する弱者の感情を表すだけであり、「殺人は許さない」と言っているに等しい。
548 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 19:05:13 0
不平等の有無によって善悪を断ずることができる。
川の上流を占有し、川の水の使用料を取る行為は悪である。
川の下流に住む人は川の水によって生活しており、水がなければ生活できない。
水を渡さないぞと脅されれば生活するには仕方なく使用料を払うしかない。
そうすると住民は上流を占有した者に一方的に搾取されることになる。
住民は不平等だと思うだろう。ここに倫理がある。
物を売り買いする際にあらかじめ値段を隠し、取引が成立した後に値段を示す行為は悪である。
もしそれを認めると売る側が安いですよと嘘を言い、買う側がじゃあ買うよと言った時点で
異常に高値をふっかけることができる。
買う側が「安いって言っただろうそんな値段は駄目だ」と言ったとしても
売る側「買うって言ったんだから必ず買えよ。買わないなら約束を破った分違約金を払ってもらおうか」
と脅される。そうすれば買う側は必ずぼったくられて不平等だと思うだろう。ここに倫理がある。
549 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 19:53:37 0
ばかばっか
ばっかばか
ばかっばか
はっかばっか
551 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 20:04:48 0
>>549 自覚症状のない病気がある。
自分が常人と同じ思考をしているか分からない人もいておかしくないだろう?
552 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 20:13:29 0
553 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 22:02:45 0
嘱託殺人は法律で禁止するべきか否か?
554 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 01:55:37 O
人が創られた目的による
豚や牛の存在意義は人の役に立つ事で食べられる事も存在意義の一つで
無意味に「殺される」ためではなく意味がある「食べられる」ため
人間を殺してはいけないのは人間自体の存在意義に関わる事で
人は愛し愛されるために生きているから
殺す事は存在意義の目的に反するから殺してはいけないし
あなた自身の良心も生まれつきあなた自身に教えている事
「 なぜひとを殺してはイケナイのですか? 」
この問いかけにたいするかみあう答えはふたつしかない。
ひとつは 「 ひとを殺してもいけなくはない 」、つまり、 「 ひとを殺してもよい 」 である。
もうひとつは、「 殺してならぬワケはある。しかし、それを言葉にしてはならない 」 である。
このふたつのほかに、この問いへの “ かみあう ” 答えはない。
このふたつのちがいは、答える者の立場のちがいによっている。
前者はひとを殺してもよいとの立場である。後者はひとを殺してはならないとの立場である。
*
「 なぜひとを殺してはイケナイのですか? 」 と悪魔が天使にたずねた。
「 ○○○○だからイケナイのです 」 と天使はむじゃきにこたえた。
すると、この問答をハタできいていた人間はかんがえる――
「 なるほど。では○○○○でなければ殺してもよいのだナ 」
そして人ごろしがはじまった。
*
( つづく )
(
>>555 からのつづき )
どんな意見・かんがえ・ことばにも、まぜっかえしたり、
云い返したりすることができる。批判や反論というものもそれらのうちだろう。
そう。この 「 いいかえせる 」 とゆうこと。
これは 「 ことば 」 というものにおける 「 ひかりと影 」 である。
これがこの問題をとくカギである。
光があればかならず影ができる。影をつくりださないためには、
ひかりをなくさなければならない。光をなくせば影はおのずときえる。
天使は、ひとを殺してはならないと考えておりながら、
ひとを殺してよいワケをつくりだしてしまった。
そうであれば、ひとを殺してはならないと本当におもっているのなら、
「 わけはある。しかし、それをことばにしてはならない 」 とこたえるほかにはなくなる。
( つづく )
(
>>556 からのつづき )
考えのちがう人どうしのあいだで 「 かみあう 」 話合いがあたりまえにできていれば、
この 「 ことばをめぐる光と影の関係 」 のことを多くのひとたちがおのずとわきまえているハズだ。
したがって、「 なぜ人を殺してはイケナイのか? 」 とだれかに問われたとき、
うえのように答えるほかはないことを知っている人もそこらじゅうにいるハズだし、
うえの説明もスンナリ受けいれられるだろう。
しかし、この問いかけをめぐるありさまは、
ニッポン社会に 「 かみあう対話 」 がちッともないことを、
2ちゃんねるにこれまでたてられてきたいくつもの関連スレッドにかぎらず、
あらゆる場でのやりとりがしめしつづけている。
こどもっぽくもあり、単純でもあり、根源的でもあるこの問いかけを、
問うひとに問題があるのではない。逆だ。感受性のするどい年ごろなら、
この程度のことをおもいつかないほうがむしろヘンである。
この問いかけは、いつでも、どこでも、だれからでも発せられてよいし、
むしろ発せられつづけなくてはならない種類のものである。
「 そんなことはきくな 」 だの 「 じゃあオマエ殺されたいのか 」 などといいながら、
内心でうろたえまくるだけで、こんなカンタンきわまる正解をおもいつきもしないことのほうにこそ、
現代ニッポン人のオトナどものココロとオコナイの闇がよりよくあらわれている。
( おわり )
558 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 03:34:22 0
ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html ーーー(引用ここから)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。
(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
ーーー(引用ここまで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全体的にひどい調査であるが一番わかりやすいQ3を例にあげました。
イウエオで「女性」問題のみが選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つもありません。
こんな結果誘導的な調査に納得できますか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない。
この調査により、女性不遇との結果が発表され、男性差別の政策がドンドン推し進められています。
誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」 で検索してみて下さい。
559 :
考える名無しさん:2007/10/21(日) 10:13:42 0
>◆JLQ.DLLMQg さん
思うのですが、それは悪魔に
「 なぜひとを殺してはイケナイのですか? 」
と言わせたことによって、
ハタできいていた人間が
「なぜいけないんだろう?別に殺してもいいんじゃないか?」
と考えて、
そして人ごろしがはじまった。
となる事もあるのではないですか?
天使が「それをことばにしてはならない 」 と言った所で
悪魔の言葉を聞いた人間は考えて答えを出しますし、
仮に悪魔が何も言わなくても、言葉を覚えた人は、
何かしら言葉を出すのですから。
>◆JLQ.DLLMQg さん
肝心な質問書いてなかったorz
>>560のような原因で人殺しが始まっても、
天使の言葉は「正解」なのですか?
おいおい、冷静に考えれば支離滅裂なこと言ってんのわかんだろw
訊くだけムダだって
支離滅裂(笑)
564 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/10/23(火) 01:39:23 0
冷静に考えれば(笑)
(嘲笑)
嘲笑笑
フフフ(嘲笑笑)
568 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 20:50:22 0
ふふ(二ふ)=禁じ手なので反則負け!
暗がりで中学生がナイフもって「人殺しは何故ダメなの?」と
言ってるの見たら即警察に通報する。
570 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 19:35:53 0
そのナイフ持った中学生、警官が着くころには
もう殺されてるんじゃないの?
571 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 19:59:23 O
人殺しを容認するのは自分が殺されるのを容認するのと同じだから。
572 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 20:25:46 0
>>571 おれは容認するよ自分が殺されるのを
べつに容認しなくったって紙っぺらみたいに殺される世の中なんだけどさ、、 (^_^;)
つまり「自分が殺されたくないから殺しちゃいけない」←という理屈は、すなわち
「自分が殺されてもいいなら人を殺してもいい」←の理屈を容認するに等しいのに気付け!
いや俺が言いたいのはまず間違いなく世の中では
>>571が多数派だからその中で殺人が許容されることはないという理屈。
書き方が不十分でした。
まあそれを抜きにしても自分の価値観を押し付ける行為の究極である殺人は許されないと思う。
ここで言う究極は一度に対象の価値観のすべてを否定するという意味で。
ダメってのは、「許容されない」って意味なの?
575 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 22:15:01 O
そう言われたら違うな。
正直
>>572の可能性も考慮してなかったしなあ。
生きている以上は自分の生命を否定することになるので生命を冒涜することはダメだが食べないことで自分が死ぬのもまた生命を冒涜することになる。
そこで生き物を殺さなければならなくなるがここで人を殺すべきではない。
人の生命を断つよりも人外の生命を断つ方がより自分の生命を否定しないですむからだ。
というのを考えたがこれだと人以外食べるものがないときは人を殺してもいいことになるな。
いやむしろそういう場合は殺さない程度に食べるべきなのか。
何で人を殺しちゃいけないの問いは誰に向かって問ってんの?
577 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 22:37:10 0
↑外人の書き込みか? それともこれが噂の「ゆとり教育」の結果か?
578 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 23:46:05 0
>>1 スレが立ってから2ヶ月ほど経過したがそろそろなんで人を殺してはいけないのか気づいたかな?
ラスコールニコフさんよ。
殺しはダメだがいじめならいいかも
581 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:49:31 0
人間は集団を作り、社会を作る。その理由は色々考えられる。
その社会において殺し合いを認めてしまえば、社会自体の存在価値がなくなる。
582 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 15:01:31 0
哲学的に考えようとすると無理矢理感がでる。
普通に考えれば、当たり前のこと。
確かに、地球が太陽の周りを回ってるなんて考えると無理矢理感がでるよな。
普通に考えれば、大地が静止してて、
太陽や月が地球の周りを回ってると考えるのが当たり前のことだよな。
584 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 08:11:49 0
>>583 物事の「関係について」語ってるわけだが
物事の関係というのは「相対的にどうであるか」しか論じれないのよ
なぜか解かるよな?
「関係」←という概念自体が「相対を語ろう」という話なのよ
したがって「地球から見た関係」なら天動説が正しいし
「太陽から見た関係なら」地動説が正しく
「とある銀河から見た関係」では「どちらも動く○動説」が正しいということになる
585 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 08:31:09 O
殺した人間が夢に出てくんだよ
まぁそのたび
夢精してっけどな
586 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 08:51:00 0
>>585 コンドーム付けて寝るようにしたらどうだ
587 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 09:04:04 0
あ、すまん
小さいとすぐ外れるんだよなあれ
小さいのが小さくなってるわけだから極小、、
全部忘れてくれ m(_ _)m
588 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 15:48:29 O
善悪というものは道徳という洗脳によって培われた虚構であり、もし善と悪というものがあるとするならば、それは常に己の主観に基づくものである
つまり良い悪いの概念なんて存在しないわけだが
>>1 はなぜ人を殺すと捕まるのかどうかを聞きたいのかな?
>善悪というものは道徳という洗脳によって培われた虚構であり
君、物買うときにどうやって選んでるの?
590 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:25:06 O
というと?
例えば、さんまを一本買う場合に、
売り場に並べてあるさんまから、
自分の買う一本をどうやって選ぶかということ。
592 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:35:46 O
新鮮なのを選ぶよ
593 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:36:15 0
そりゃおまい、食通という洗脳によって培われた虚構で選んでるのさw
なぜ新鮮なのを選ぶの?
595 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:41:58 O
おいしいからだけど
それは、さんまを善し悪しで選ぶのとどう違うの?
597 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 17:40:08 0
その場合には普通「善し悪し」じゃなくて「良し悪し」っていうわな。
「良し悪し」と「善し悪し」は、何が違うの?
599 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:02:51 0
質問ばかりしてないで、少しは自分で考えてみようね、坊や。
600 :
おにぎり:2007/10/28(日) 18:16:49 0
かわいい子と不細工なのみたときの
俺の花ラッキョの反応は本能で洗脳じゃないとおもうんだけど。
花ラッキョが松茸に変化するのは虚構なんかじゃない!
本能的な良し悪しはあると思う。
601 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:35:34 0
>>599 いや、私の結論はもうでてるのよ。
善悪というのは、良し悪しといわれることもあるけど、
基本的には同じもので、人間は物事を選択するのにそれを使っている。
それは、買い物で品物を選ぶときも、自分の行動を選ぶときも同じ。
さんまは、時間が経つと鮮度が落ちて「悪くなる」だから鮮度の落ちた、
「悪い」さんまは選ばない。
しかるに、君は、それが、道徳という洗脳によって培われた虚構であると主張している。
つまり、鮮度が落ちた「悪い」さんまと、そうでないさんまの違いなどというものは存在しない、
虚構であって、新鮮なさんまも鮮度の落ちたさんまも、同じようにうまいということになる。
これは、私の知っている事実とは矛盾する。
だから、「君が」その辺りをどう考えているのか確認しているのだよ。
602 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 20:57:22 0
俺は君のいう「君」とは別人だが、「道徳という洗脳によって培われた虚構」
としての善悪を否定しても、自分に取っての利益・不利益の判断としての
「良し・悪し」は維持できるんじゃないかい?
603 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 21:03:58 0
つうか、善悪というのは利益、不利益のことでしょ。
善悪が、利益、不利益でなくて、道徳という洗脳によって培われた虚構」
と考えるから、おかしなことになる。
604 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 21:16:56 0
道徳的善悪というのは個人にとっての利益・不利益とは違うよ。
「関係者全員にとっての利益・利益の総和」ってことなら、
功利主義者にそうだろうけれどね。
この場合には、「道徳という洗脳」は、自分の利益ではなく
全体の利益を考えて行動することを促すものだろうね。
605 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 21:17:36 0
功利主義者にとっては
他人にとって良いか悪いかの判断も、結果的には、結局、自分とっていいか悪いか選んですることである
607 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 21:24:53 0
その「結果的には、結局」のところが怪しいw
他人にとって良いか悪いかと、自分にとって良いか悪いは別だろ。
「復讐で人を殺そうとしたけれども捕まるといやなので思いとどまった」
人は、「他人にとって悪いが自分にとって良いことをやろうとしたけれども、
結局最終的には自分にとって悪い結果になると判断した」ということだろ。
609 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 21:28:54 0
>>604 「道徳的」という「個人的」という前置きをつけないと区別できないということは、
要するに本質的には同じものということでしょう。
「関係者全員」、「ある個人」いずれについても、「利益、不利益」は存在するし、
それは、「洗脳によって培われた虚構」ではないですよね。
610 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 21:51:59 O
づれまくり
それとも本能にしたがった行動なら悪ではなく、
したがって人殺しはどっちかだから悪であるとかないとかいいたいのか?
だいたい観念的な話をしたいのなら
最初に善悪の定義を示さないとなんとでもいえてしまう。
611 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:18:16 O
612 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:22:15 O
他人にとって良いか悪いかで行動することが、良いか悪いか自分で選んでするんだから、結局自分にとって良いことだろ
615 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 23:28:29 0
宗教的に答える方法もある。
しかし、社会契約説がもっとも共感を得られる方法であろう。
616 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 08:54:38 0
>>581、
>>611-612 >その社会において殺し合いを認めてしまえば、社会自体の存在価値がなくなる
オマエの馬鹿なとこを指摘しといてやるな
↓
社会>人間
これを受け入れるのは共産主義マンセーか偉大な金正日タンまんせ〜の連中だけよw
617 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 09:23:20 O
結局日本も偽善国家
618 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:58:31 0
最後1人になって孤独になるから。
619 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:10:25 0
>>613 「何かを選んだってことは、それがその人にとって良いことだったんだろ」
というのは間違っていないが、そのときの「その人にとって良いこと」というのは、
「その人が選んだこと」とほぼ同義であり、そこからは人の利己性・利他性に関する
どんな結論も引き出すことはできない。道徳的考察に基づいてその人がそれを
選んだ場合には、「その人にとって良いこと」はその「人の利益になること」ではない。
620 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:20:43 O
な ぜ 殺 た し
621 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:28:21 0
殺人を禁止する法律があり、それに違反すれば処罰される社会であれば、
その処罰を避けるために殺人を控えることもあるだろうから、
そういうものがまったくない社会よりは安全だろう。
私は、どこに住むか選べるなら殺人を禁じる法律がある社会に住みたいが。
622 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:40:22 0
>>616 社会>人間
んなこたー言っていない。
ニュアンス的には、人間=社会のほうがまだ近い、違うけど。W]
論点とずれた所で抽象的な極論を持ち出してなにを言いたいのか解らん。
その極論をつめると、あんたは ルール<欲望 だと言いたいわけ?
あんたの脳内では
社会=社会主義=共産主義=金正日
となっているようだが教えとく、それはチガウよ。
民主主義国家だろうが独裁国家だろうがアフリカの小さな部族だろうが家族内だろうが、
そこには社会は形成されている。
あんたは「社会」という言葉に反発してるみたいだけど、それは言葉に縛られているにしか過ぎない。
だがそれは言い方を変えれば、「責任」ともいえるし、「思い遣り」ともいえる。
さらに言えば、社会の中に含まれる「ルール」という人を縛りつけるイメージに反発しているにすぎない。
もし本当に社会を否定したいのであれば、無人島でひとりで暮らすのは可能だし
欲望のおもむくままに生きることが正しいと考えるのなら
金正日のような限定的であれ絶対的な権力者をめざすべきである。
623 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:53:40 0
個人は、一定の社会の中で生まれ育つことではじめて、
自分を自分として認識できる「個人」となるんだろ?
また、そうした個人が集まって社会となるんだから、
個人と社会の関係は、ニワトリと卵みたいなもんじゃね?
624 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:03:06 0
>>617 感情によって行動を左右する人間であるかぎり、偽善的であることからまぬがれる人はいない。
地球上で偽善性を持った生命の頂点に位置するのが人間である。
それが人間らしさともいう
617は616か?
そんなことばっかりいっていると言われちゃうぞ、赤い人に
『甘えん坊だからさ』
625 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:12:17 O
法律は暴力の正当化でしょ
626 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:28:05 0
その前に暴力=悪と決めつけるのはなぜ?
>>588 >>601さんの食べ物の例を拝借して書きますが、
とりあえず、
「これは良い豆だ」と私が言っても、西洋の人は腐った悪い豆にしか見ない事もあるし、
逆に「これは良いチーズだ」と西洋の人が言っても、私が知らずにそれを見れば
「カビ生えてるじゃんっ!!賞味期限切れてる悪いチーズだ」となる事もあるでしょうし、
食べ物一つとってみても「良い」「悪い」は人にとって変わりますよね。
つまり、良し悪しも善悪も、人によって変わるとは言えると思います。
>>588さんは、そういう事を言いたかったのでしょうか?
そうでしたら、ただそれだけであって、虚構では無いと思いますが。
世の中で絶対的な善悪はありませんが、個人にとってそれぞれの善悪は、
その人にとっては確かに在るものだと思うからです。
まぁ、善いも悪いも無い、ただ認めるだけ、観念など要らない、
という話もありますが...私はそんな世の中は見た事がありません。
そして私もそんな境地にはなった事がありません。
>>625 それ以上の暴力を 法律が守っているのも然り。多面性があるということな。
>>626 彼には観の立場で物事を見る能力が激しく欠けているだけとおもわれ。
629 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 15:09:17 0
>>622 尻滅裂だなw おまえの馬鹿なとこを教えといてやるな
2度も教えてもらったこの幸せ者め、、結論だが
「社会自体の存在価値」が「人間の存在価値」を上回ることなど有り得ないのよ
蛇足:
@人が暮らしを営む(Hしたり、嫉妬したり、牛や人を殺したり)
Aその「人の暮らした結果の集合」を便宜上「社会」と名付けてるだけであって
Bあくまで「人の暮らし」が【先】、社会はその結果であるから【後】に過ぎない
つまり「社会のために人が犠牲になる」事を優先させるなどは本末転倒で論外
社会はあくまで人間のために
その都度かたちを変えながら【後】からついて来るっきゃないってこと
ここんとこ間違えると北朝鮮になっちまうんだよ
630 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 17:25:07 0
>>629 文章力が無いのはみとめるが。w じゃ、もうちょっと解り安く言ってみるね。
>「社会自体の存在価値」が「人間の存在価値」を上回ることなど有り得ないのよ
だからね、そうだとしたらなんだといいたいのかが解らないと言っている。
こっち説は、簡単に言うと「社会にとって人殺しは都合が悪いからダメ」と言っているのに
その反論は意味をなしていないんじゃないかということ。
人間>社会であったとしても(必ずしもそうだとは思わないが)、社会=悪とはならない。
それともあんたの言っている事を解り安く考ると
欲望>ルール(人間を個人の欲望に置き換。社会をルールに置き換)であり、
人殺しは欲望だから人殺しは許されるべきだといいたいの?ということ。
論点がずれているとはそう言うこと、
こっちは社会正義と個人の思いどっちが重要かなど一言もいっていない。
人の生活する上で重要なファクターの一つである価値観(社会)から見て
人殺しは悪であると言っているにすぎない。
ずれまくった所で揚げ足とりしているのなら、自分のバカを表現しているにすぎない。
あんたの為にもう一度言っとく、『だから何?』
631 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 18:23:42 0
>『だから何?』
おまえの頭の悪さは一流だなw
いいか、人はそれぞれの都合で生きてる
自分や自分達の都合で助け合ったり殺しあったりして生きてるのよ
このことは馬鹿なお前も例外じゃない
もしお前が人を殺さないのだとしたら
そのほうが 何かと「自分に都合が良いから」そうするのさ
それはおれが人を殺すとき「おれの都合でそうする」のとなんら変わりがないのよ
この自己都合・・自由とも言うがそれを否定しちまったら
そもそも人間自体を否定する事になる
国連がある国の内紛や国家間戦争に関与するばかりでなく、国連の都合で
国連軍を率い兵を送り込んで人を殺している
そうやって「殺してもよい」というのが世界200カ国の総意なのよ
また国連は国家が自衛もしくは同盟国家のために「人を殺しても良い」と認めてる
どの国家も実際そうするのよ
つまりお前のいう「社会」の国連や国家ですら殺人はOKだというのに
個人において何をか言わんや・・ってことぉ~♪
632 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 18:38:31 0
>>631 やっとなにをいいたいのか判ったよ。つまり
自由=善であり
規制=悪である
従って殺人を行うことは善であり、それを規制する社会正義は悪である。
といいたい訳ね。スッキリした。最初からそういえばいいのに。w
634 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 18:53:18 0
まあ、そうなのかもしれないけど。w
ついでに質問。
なぜレッテル張りしかしないの?
もしかして亀ファミリー
635 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 13:17:20 0
>>631 >〜個人において何をか言わんや・・ってことぉ〜♪
………………………………………………………………
………………………………………………………………
………………………………………………………………
………………………………………………………………
………………………………………………………………
………………………………………………………………
……………………………………結局、結論無しか。汗
人間1000人>人間1人
他人1000人<自分
この矛盾を調停するために社会契約というものがある。
社会契約で人殺しは原則としてダメと決まっている(例外もある)。
違反すると原則として処罰される(例外もある)。
こんだけの話だ。
637 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 13:39:45 0
>>636 ………………………………………………………………
………………………………………………………………
…………………たしかにそんだけの話でしかない。汗
638 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 14:08:14 0
問題は、こんだけの話が
>>581の説の反論に全然なっていないこと、むしろ認めているような気が…………
>>581は当たり前の話だ。なんで反論せねばならんのだ。
「その理由は色々考えられる。」とあるが、その理由は要するに人間(個人)
にとってその方が得だからだ。損得という以前に、人間は餌を確保したり
外敵から身を守って生きていくためにも集団を作り社会を作らないと
やっていけないような生物なのであって、別にそれ以上でも以下でもない。
この点は金正日だろうとヒトラーだろうと誰だろうと同じだ。
640 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 14:41:12 0
>>639 >581は当たり前の話だ。なんで反論せねばならんのだ。
…………………………………いやただ、こんだけの話の始まりが
>>616の威勢のいい反論スレからだったような気がするが。w
616 :考える名無しさん:2007/10/29(月) 08:54:38 0
>>581、
>>611-612 >その社会において殺し合いを認めてしまえば、社会自体の存在価値がなくなる
オマエの馬鹿なとこを指摘しといてやるな
↓
社会>人間
これを受け入れるのは共産主義マンセーか偉大な金正日タンまんせ〜の連中だけよw
>オマエの馬鹿なとこを指摘しといてやるな ←爆笑
641 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 01:47:56 O
らめええええええええええええええええええええええええ
642 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 02:28:28 0
>>642 いろんな意味で面白いなぁ〜...
他板で、しかも
VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、VIPで、
重複ですか??
なんか、バーボンとか騙し誘導なんかよりよっぽど面白かったw
644 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 17:27:39 O
645 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 19:18:58 O
何時も思うんだが、半端に宗教かじった奴が輪廻や魂の存在をを持ち出して人殺しを推定するよな
そんな奴らは慈愛を同時に学んだりしないのかね
646 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 19:26:32 0
なにがダメなんじゃい。
個人の自由やろが。
殺しやろが反則やろがようは勝ちゃーいいんじゃい。
ルールなんてくそくらえや。
647 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 19:39:02 O
殺人て自己防衛の極みじゃないのかね
普段は『人』と認識している事が『物』に変わると言うが、
最初から自発的に否定しておくから殺人が起こせるんだと思うんだ
無意識に相手を所有してしまう感覚とでも言うか
社会規範に見合う行動であるかどうかの感覚が麻痺するのは、そいつの潜在意識が倫理や道徳的な抑圧から逃れた一つの悟りだよな
命という真理を見つけたような喜びも同時に得ているような気がする
648 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 20:04:26 O
金で買えない平和は、人間同士の罰という倫理の鏡によってようやく平らになる訳だ。
何時になったら人間と名乗れるのか分からないまま、色々な制約や規則を作り、それを守れない。
『約束を守る者が人間である以上は無理だ』もうそれが答えになってるんだものね。当たり前か。
殺す前に死ねばいいじゃん
650 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 22:00:13 0
651 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 13:38:37 0
気に入らない奴は殺しても良いって法律あるといいのにな。
おれはころされるのがいやだし
おれをきにいらないとおもって
いるやつがいないなんておもう
ほどうぬぼれやではないので
そういうほうりつはいらない
653 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 19:36:24 0
>>651 人を殺すのに許可なんかいるかよバカタレw
>>653 その言い方だと、人を殺すこと意外なら、
許可が要ると思ってることが君にはあるようだが。
何?
655 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 20:02:55 0
>>654 バカヤロオオオ〜
好きになったお方に対し
「チューしてもいい?」って許可は絶対いるだろ!
657 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 21:24:46 0
>>656 アホンダラァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜 !!
俺が先だっ !!
658 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 23:21:54 0
香港は不倫に関して殺害を認めていたような希ガス
人が人を殺す時、それは殺す苦痛より殺さない苦痛の方が強い時だ。
また、殺さない快楽より、殺す快楽が強い時だろう。
一旦、殺人と善悪を切り離して考えると、
まず、殺人後、犯人としてばれるかどうかで分岐する。
発覚しない場合、己の良心と戦うか、のほほんと暮らすかどちらかだろう。
発覚した場合、捕まって刑に服すか、逃亡生活か、だ。
のほほんと暮らせる人は殆どいないだろう。
だから、そこまでのリスクを背負ってまで殺したい人がいない私は人を殺さない。
660 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 03:26:35 O
人がなぜ人を殺してはいけないのか。
人は偽善者だからだよ
661 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 06:16:32 0
人は殺してはいけないとみんなが思うからだね
あとは進化論っていうか自然淘汰の流れだよね
662 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 08:16:41 O
人殺しのない方が人類にとって得。
それが遺伝子操作からはかけはなれたレベルまで昇華されて道徳に治まっただけ
久々に思考実験してみました。
「人殺しは何故ダメなの?」
「そんなのいいか悪いかなんて場合によるでしょ」
「じゃ、どんな場合ならいいの?」
「○○な時とか、△△な時とか」
「じゃあ、場合によってはあなたも人を殺すの?」
「そうかもね」
「その場合というものは、自分で決めてもいいの?」
「君が決めるのは自由だよ。でも、それを他の人が認めるとは限らないよ」
「認めなかったらどうなるの?」
「ダメと言うだろね」
「ダメというのはその人の勝手でしょ?」
「そうだよ」
「じゃあ結局、人それぞれの勝手なの?」
「そうだけど、君が勝手にやった事を周りが認めるとは限らないよ」
「やるのは勝手て事?」
「やるのもやろうとする事も勝手だけど、やられる相手も君を殺すかもね」
「べつに殺されてもいいから殺してもいい?」
「だめ」
「だめと言っても殺すよ」
「じゃあ脅迫罪成立だから警察に行こう。こういう法律も
『殺されるのが嫌な人たちの為に作られた場合』なんだよ」
てなりましたが、どんなもんでしょうか?
ちなみにこの後
「違うよ、あなたを殺すという意味じゃ無いよ、場合によっては
ダメと言っても殺すよって意味だよ」
「じゃ、今はそういう場合じゃないんだね?」
「...うん」
で終わりw
>>663のバッドエンド(?)も。
「べつに捕まってもいいから殺すよ」
「じゃあ僕は『殺されるのが嫌な人たちの為に作られた場合』たる
法律を使って、君に抵抗するよ。これは正当防衛と言って
君が怪我をしなければ僕は無罪の上、人を殺す君を刑務所に入れて
僕は安心して暮らせる」
...て訳で結局最後は、自分がどれだけの力を持ってるか、ですかね。
>>脱独我模索者
「人殺しは何故ダメなの?」
「そんなのいいか悪いかなんて場合によるでしょ」
「じゃ、どんな場合ならいいの?」
「○○な時とか、△△な時とか」
「じゃあ、場合によってはあなたも人を殺すの?」
「そうかもね」
→「その場合というものは、自分で決めてもいいの?」
→「君が決めるのは自由だよ。でも、それを他の人が認めるとは限らないよ」
→のところはおかしい。殺してもよい場合は自分で決めてよいとするなら、
「○○な場合は殺してよい」という命題は「自分が殺してよいと思った場合は殺してよい」と同じことだ。
そうであれば殺す人の意思と善悪は常に一致する。
道徳は「〜したいと思っても〜してはならない」という形で、殺そうと思っても殺してはならないという形で、
意思と対立する禁止を行うものだ。
>>663のような推測が成立するなら道徳の出てくる余地がない。
しかしスレのテーマである「人殺しはなぜだめなの?」という問いは
「なぜ道徳に殺人の禁止が入っているか?」という問いに等しく、道徳を話に持ち出さねばならないはずだが、それがない。
>>665 なるべく応用できるように考えたら、道徳は無くなってしまいましたw
こんな私に、道徳が含まれるやりとりを教えてください。
667 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 09:31:13 0
もう人殺しはダメじゃないって結論出たじゃん
いつまでやってんのよ
668 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/11/12(月) 04:00:57 0
>>667 では、なぜ殺人罪の廃止を主張しないのでしょうか?
殺人罪廃止運動をなぜおこさないのでしょうか?
669 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 04:19:28 0
そりゃ、人間には感情を共有する力があるからでしょ。
その能力が欠如もしくはそれを意図的に遮断した時、人は人殺しに踏み切ってしまうんだろ。
670 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 01:39:46 O
>>667 あなたを殺してもいいですか?
と聞かれたらなんと答えるつもり。
善悪の問いではない。ダメかイイかの問いである。
あんたの言う通り結論は最初からでている。
生きていたいからである。
だからさ、お前が俺を殺してはダメだ、なんてことは、説明されなくても納得できるわけ。
俺が納得できないのは、俺がお前を殺してはいけない理由だよ。
672 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 10:00:17 O
あんたと同じく自分も生きていたいからというだけだけど?
あんたが納得できるとか、できないとか関係なく
理由としては、成り立つ。
まあ、あんたも生きていたいと考えているのなら、
なぜ納得できないのかが、こっちとしてもわからない。
お前が俺を殺すのは自由だが、俺は「それはダメだ」と言う。
俺がお前を殺すのは自由だが、お前は「それはダメだ」と言う。
「人間が人間を殺すのは自由だ」と決めるのと、
「人間が人間を殺してはダメだ」と決めるのと、
お前にとっては後者の方が有利だ。俺にとっても後者の方が有利だ。
たいてい誰にとっても後者の方が有利だ。
なぜなら、他人を殺す利益より、自分が殺される不利益の方が大きいから。
だから、多数決で「人間が人間を殺してはダメだ」と決めてある。
簡単な話だ。
674 :
俺:2007/11/13(火) 10:11:41 0
あほじゃねえの。
俺が納得できない以上、俺にとってはその理由は成り立ってないんだよ。
自分が納得できれば、相手が納得しなくても理由として成り立つなら、
セールスマンは何も苦労しなくても物が売れるだろ。
俺が求めてるのは、俺がお前を殺してはいけない、俺の理由だよ。
>>674 あなたが私を殺そうとしたら、私はあなたに様々な方法で抵抗するでしょう。
私が逃避したとしたとしても、私のように殺されたくない人の為に作られた
法律を用いて、警察にあなたを任せる事になるでしょう。
そして、恐らく私に限らず、誰もが殺されようとすれば抵抗する事は
推察できます。
あなたが「どのような抵抗を受けても良い」と言うのなら、
あなたにとっては人殺しをしてはいけない理由は無くなるでしょうね。
逆に言えば、抵抗を受けたくないのなら、
それがあなたにとって、あなたが他人を殺してはいけない理由に
なると思います。
私はこれしか思いつきませんが、他に何があるでしょうか?
676 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 22:40:33 0
>>670 >あなたを殺してもいいですか?
>と聞かれたらなんと答えるつもり
「 いいよ !! 」
で?
678 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 23:47:11 0
>>677 なんだよ その知とかってw
あんまり笑わすな!
知なんかそこら中に転がってるワイw
そこらに転がってるような知に興味は無いな
680 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 23:56:27 0
どの知もそこら中に転がってる
それが知である限り知に貴賎は無い
重要なのは自分の興味であって価値じゃないんでな。
682 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 00:00:24 0
拾ってまわれ、それがおまえの人生w
683 :
俺:2007/11/14(水) 00:27:14 0
>>675 >あなたが「どのような抵抗を受けても良い」と言うのなら、
>あなたにとっては人殺しをしてはいけない理由は無くなるでしょうね。
それと、抵抗を封じる方法を工夫できれば、それでも構わないわけだよな。
>>678 なんとなーく言ってみただけだプー(´・ω・`)
くぬぅ、お茶目さんめ( ´∀`)つ)・ω・`)
686 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 04:05:17 O
>>674 あんたが納得できないのはあんたの欲望の問題。
俺が生きていたいというのは俺の欲望でもあるが間にはさまってる命は俺の物である。
どっちが、ダメかイイか決めるのかは権利の問題である。
権利を持つ俺がダメならあんたの欲望に関係なく、
ダメな理由として成り立ってしまう。
セールスマンが苦労するのは相手が買うか買わないか権利をもつからだが。
それがなにか?
あいかわらずづれた所で揚げ足とってんだねw
>>676 おめでとう
あなたは殺されてもいい人になりました。
687 :
俺:2007/11/14(水) 08:40:47 0
>>686 ほんとうにお前はバカだなあ。
あのさ、質問をしているのは俺なの。おまえじゃないの。
だから、俺の質問に答えない限り、づれているのは俺じゃなくてお前なの。
>あんたが納得できないのはあんたの欲望の問題。
かもしれないけど、俺が聞いてるのはそのことなの。
>>683 それも、
どのような抵抗受けても(それを封じる用意があるから)良い
というふうに考えます。
まぁそれをいつまでも実践できる人は、漫画とかの創作物にしか
居ない気がしますがw
あと、今思いましたが、
「殺した後のメリットが多ければ、自分にとっては殺しても良い」
「殺した後のデメリットが多ければ、自分にとっては殺したらダメ」
とも言えるのでしょうね。今思えば私は基本的にこっちの考え方で、
私にとっては殺したらダメとしてますね。感情的、法的等色々考えて。
やっぱり道徳は出てきませんw
と言うか、道徳ってなんでしょう?
「私は殺されたくない、だから多分皆も殺されたくない、
だから殺したらかわいそうだ、だから殺さない」
も道徳になるのでしょうか?私にとっては、自分が嫌=相手も嫌と
推測しているに過ぎなく、だから自分が良い=相手も良いについつい
なってしまって問題がよく起きてたので、こういうのが道徳では無い
気がしますが...よくわかりません。
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>>666 「人殺しは何故ダメなの?」
「そんなのいいか悪いかなんて場合によるでしょ」
「じゃ、どんな場合ならいいの?」
「○○な時とか、△△な時とか」
「じゃあ、場合によってはあなたも人を殺すの?」
「そうかもね」
「その場合というものは、なぜ決まっているの?」
「道徳でそうなってるから。」
「なぜ道徳でそうなってるの?」
「道徳に殺していい場合と悪い場合が決まっていなかったら勝手に殺す人が出てくるでしょ。」
「どうして勝手に殺しちゃだめなの?」
「殺される人が一方的に殺されるから。」
「どうして一方的に殺されるのがだめなの?」
「殺される人にはどうしようもないから」
「どうしようもないから殺されるのがだめなの?」
「そう、犬の飼い主が犬を殴り殺すのは飼われている犬にとっては止められないこと。だからだめ。」
「どうしてだめなの?」
「ここからは理由は無いの。弱い立場の人を保護するのが道徳なの。」
「じゃあ道徳に従わないと言ったら」
「そのときはあなたは「悪」と呼ばれて敵対するしかないわ。」
こうなる。
「どうして殺人はだめなの」」
「殺してはいけないと禁止されてはいないよ、殺される覚悟があるなら殺してもいいよ。でも処刑されるよ」
と答えたところで
「殺してもいいのにどうして処刑されるの?」とか
「じゃあ殺しても処刑されない国家は殺人し放題だね、君は公安に拷問で殺されてもいい?」
となって話が進まない。
691 :
665:2007/11/14(水) 18:56:28 0
>>688 番号を入れ忘れたが
>>690も665だ。
>と言うか、道徳ってなんでしょう?
俺流の独断的定義は「道徳とは力の差による不平等を排除することである」。
殺人を例にとれば、殺人を行うにも誰でもかれでも可能なわけではない。
肉体が屈強であれば虚弱な者を殺すことができるがその逆は不可能だ。
銃を持っていれば丸腰の者を殺すことができるがその逆は不可能だ。
殺人には常に不平等がある。もし殺人を容認すれば体の弱い者、武器を持たない者はたやすく殺される。
そして殺される側は自分らが殺されることを許さず、殺すなと要求する。この主張こそ道徳だ。
道徳は殺されたくないという弱い者の感情に由来し、
感情以外に根拠を持たず、「〜するな」という否定の断言の形で表される。
692 :
665:2007/11/14(水) 19:39:41 0
昔、オロカイオス(orocaios)というギリシア人とウーソテュキーデース(ousotychides)というギリシア人がいた。
二人は同じ学校で学んでおり、あるとき善について論じた。
オロカイオスは言った。「善は言葉において常に真なることであり、真ならぬ嘘は悪であり、嘘をつく者は悪人である。」
ウーソテュキーデースは反論して言った。「善は優れたることであり、欺く者は知の優れたる者であり、欺かれる者は無知な劣れるものであり、嘘をつかれる者は悪人である。」
二人の言うことを聞いた師タイラース(thairas)は言った。「おー兄弟よ、汝らはいずれも善を語った。」
今、鈴木正義(まさよし)という男は言った。「嘘をつく奴は悪い奴だ。」
また高橋悪邪(あや)という女は言った。「騙される馬鹿が悪いんじゃん。」
そして白田客観(しろだきゃっかん)という人は言った。
「善悪なんて客観的じゃないしどちらが正しいなんて決められないよねー。」
さて昔のタイラースと今の白田客観ある人は二人の言うことを中立的に見ているように思えるが
実のところ嘘を是とするほうに肩入れしているのである。
「嘘をついてもよい」は嘘をつかない人がいてもかまわないと認める。
詐欺師は自分は嘘をつくけれども、世の人にみなさんどんどん人を騙して金を巻き上げましょうと勧誘することはない。
一方「嘘をつくな」は道徳の一種であるが、これは嘘をつく者を許さないということも含み、
嘘をつくことが悪であると思う者は嘘をつく人を排除しようとする。
これを「道徳の排除性」と呼ぶ。
道徳について論ずる際に中立を取るということは両者を排除しないということであり、
善を主張する側の排除を認めないことになる。これは中立とは呼べない。
俺は
道徳とは他人おもいを装った自己擁護をする際に用いる口実
だと思う。
もし万が一この意見に共感しても、これは間違いだと思ってください。。。
694 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 22:50:25 0
人を殺してもいいと思うけど、誰でも自分だけは殺されたくないと、たいていの場合思っているから。死にたいやつは別だけど。結局、私だけは殺さないでくれと、みんな思っているんだよ。実際のことは聞いてみないとわからないと思うけど。結局、人間はみんな臆病者なのさ。
>>688 人間には、個人の合理性による判断があるだけで、
道徳なんて本当は無いんじゃないだろうか、と俺は密かに考えています。
また、「殺人が法律で禁止されている理由」は、「殺人は道徳的に悪だから」ではなく、
「禁止しないと、日本全体にとって都合が悪いから」だと考えます。
たとえば俺が日本の王様になって、
「これから日本では、泥棒OKにします。法律で罰したりなんてしません。
泥棒は悪いことじゃないよ! 欲しい物は人からいただきましょう」
と、ピッコロ大魔王みたいなことを決めたとします。
そうしたら、人はみんな真面目に働くのをやめて、物を盗んで手に入れるようになるでしょう。
働くよりも盗むほうが手っ取り早いし、盗んでも捕まらない。
働いてお金を得たところで、盗まれるかもしれないし、法はそのお金を守ってくれません。
こうして誰も働かなくなり、日本のGDPは大幅に低下するでしょう。
やっぱり個人の所有権は法律で保証しておかないと、日本全体が弱くなってしまうと思います。
殺人を禁止するのもこれと同じように、国民に、お互いに殺しあってバタバタ死なれては、
「国益を損なう」から禁止しているのだと思います。
だからこそ、自分さえ良ければ臣民なんてどうなってもかまわないはずの
封建領主でさえ、基本的に殺人はご法度としていたのではないでしょうか。
696 :
俺:2007/11/15(木) 00:25:22 0
>>688 いや、はからずもバカが言ったけど、
>あんたが納得できないのはあんたの欲望の問題。
というのが本質じゃねえの。
どうもあんたは、もったいつけてまわりくどく考えてるだけのような気がする。
697 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 03:04:52 0
>>687 あんたのズレポイントの話。ヅラポイントではないから安心してくれ。
この議論は
>>667の「もう人殺しはダメじゃないって結論出たじゃん」と言う
あんたの主張への反論から始まっているんだが、(いつ結論がでたのかはしらんがw)
いつのまにか、あんたの欲望が何故他人に尊重されなくてもイイのか?という議論に
あんたは勝手にズレてしまっている。
どうやら人殺しはダメな訳は解ってもらえたようだから
その疑問も考えてみよう。
人それぞれ違った事情を抱え込んでるから。っていうのでどう?
反論されてもこれ以上考えるつもりはないんだがw
>>695 道徳はまぎれもなく存在する。
道徳とは人間の美意識が社会に認められた時になりたつ。
社会が変われば道徳も変わる。また
美意識を持たない人間は、悪意を持たない人間がいないのと同じく存在しない。
道徳が善悪ではないというところは、賛成だけどね。
善悪で考えると結論なんてでない。なぜなら
善悪の定義なんて誰も決めらないんだから。
698 :
俺:2007/11/15(木) 07:39:49 0
>>697 >この議論は
>>667の「もう人殺しはダメじゃないって結論出たじゃん」と言う
お前はおっちょこちょいだなあ。
それは俺のレスじゃねえって。
俺のこのスレでの最初のレスは
>>671 それ以降はステハンつけてるのでよろしく。
699 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 09:29:09 O
>>698 >最初のレスは
>>671 「だからさ」で始まる671の内容はどうみても
最初のレスになりえない事だけはつたえとく。
どうした?
ズレるだけじゃなく
誰でもわかるウソまでつき初めて。
強気だけが取り柄のくせしてw
>>690 まず道徳についてありがとうございました。要は感情に訴える事、と解釈しました。
でも、道徳でも結局説明を諦めて「こうなんだよ」と決め付けてる感じですね。
同じ決め付けるのなら、感情だけの道徳よりは、「この国ではこう決まっている」と
法律等で説明する方が、まだ話の筋が通ると思います。法律が社会によっては
口伝の掟等に変わるかもしれませんが。
あと「話が進まない」に続けてみると、私としてはこうなりますが。
「殺してもいいのにどうして処刑されるの?」
「人を処刑する為の法律があるからだよ。つまりそれが殺してもいい場合の一つ」
「じゃあ殺しても処刑されない国家は殺人し放題だね、君は公安に拷問で殺されてもいい?」
「そういうのが嫌なら、その国から出て別の国に行ってもいい。
なにも嫌々その国に居る必要は無い。
まぁ、そこから出られなかったり、それに不満な人が多ければ、また別の法律を
作ろうとするだろうね。その為に殺すかもしれないけど、それはその人たちにとって、
殺してもいい場合の一つになる。でも相手は認めないだろうから、いわゆる戦争とか
内乱とかになるんだろうね」
701 :
665:2007/11/15(木) 18:59:03 0
>>700 >道徳でも結局説明を諦めて「こうなんだよ」と決め付けてる感じですね。
>同じ決め付けるのなら、感情だけの道徳よりは、「この国ではこう決まっている」と
>法律等で説明する方が、まだ話の筋が通ると思います。
法律には目的がある。殺人者に対する処罰は殺人を禁止するという目的のために存在する。
殺人の禁止が目的であり、法律はその手段である。
殺人が禁止されている根拠を法律に求めるのは手段で目的を説明することであり誤謬に他ならない。
(1)
A:なぜ薬を飲むのですか?
B:病気だからです。治療のために薬を飲んでいます。
A:なぜ病気なのですか?
B:ウィルスに感染したからです。
(2)
A:なぜ法律で殺人者は処罰されるのですか?
B:殺人を禁止するためです。
A:なぜ殺人を禁止するために処罰するのですか?
B:殺人が道徳的に悪だからです。
(3)
A:なぜ病気なのですか?
B:薬を飲むように医師に説明されたからです。
A:なぜ薬を飲まねばならないのですか?
B:別に飲まなくてもかまいません。ですから私が病気であることに必然的な根拠はありません。
(4)
A:なぜ殺人は道徳的に悪とされるのですか?
B:法律でそう決められているからです。
A:なぜそう決められているのですか?
B:別に従わなくてもかまいません。ですから殺人の禁止に必然性はありません。
病気:悪、薬:法律、薬を飲む:法律による処罰、治療:殺人の禁止
と対応させて考えると分かるが、(1)は自然で(3)は不自然であろう。しかしなぜか(2)を正しいとせずに(4)を唱える人がいる。
>>1のスレタイはなぜダメなの?
と「ダメ」を前提に確認しているだけなので、答えはなんでもよし。
本人が納得するかどうか。
複数ある解答に解答者がそれぞれ争うのを見て楽しむ趣向でしょう。
人間が決めた制度や概念を基準に答えたところで
いくらでも価値を相対化できるので。
この手の「なぜ〜だとだめなの?」という形式の質問は
問われている内容が衝撃的なものであるというか
反対側にたつと社会通念上、非倫理的になるという
議論以前に感情面が出てきます。
改めて問うことは良いことですが、囚われすぎるのも問題です。
704 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 20:33:33 0
新聞読まないオマイラに もう一度だけ教えといてやるが、
国連は人殺しをして来た(コソボ位は覚えてるよな?)
国家もまた人殺しをして来た(侵略戦争ではガンガン、死刑、治安維持はアタリマエ)
個人にいたっては人殺しの無い日は無い
事実をよく見ろ
人殺しは実際行なわれており
実際起きた事柄が否定不可能なのは解かるな?
なんせ起こってしまった事柄は起きなかったことにはできないのよ
子供でも解かる話だ
じゃ、もう寝ろw
事実を提示するのはいいんだが、
なぜ駄目かという疑問に答えてないぞ
世界中で行われてると。事実はそうだ。
では国家や法律はなぜ禁止する?社会はなぜ容認しない。
それが質問なのだから。
706 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 20:47:09 0
>では国家や法律はなぜ禁止する?
おまえホント頭悪いなw
国家は禁止せず「自ら実行してる」のを おまえも705で認めたじゃん!
>社会はなぜ容認しない
だから国連も国家も個人も、つまり「社会」は容認してるっちゅのw!
>なぜ駄目かという疑問に答えてないぞ
駄目じゃないんだから駄目な理由なんかいらないだろがアホーw!
本気?それなら別にこれ以上言うことはないから、寝る。
708 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 20:59:28 0
>>707 お前の話には実証も無ければロジックも無い
なんもないのよw
さっさと寝ちまえw
本気でロジックで殺せると思ってるなら
思想上の確信犯になるから、まぁ世界にはそういう奴が多いから
君もそうなのかなと。
710 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 23:39:54 O
人殺しがダメなのは、現在の大半の国や社会は、所有という基礎のもとで成り立っているからである。
我々は金や土地と言ったようなものから、爪切りなどというものまで所有している。
所有物は排他的に扱える。
この所有という考え方なしには、今の社会は成立しない。
自分の命、体も、自己の所有物なのである。排他的に扱われねばならない。
711 :
俺:2007/11/15(木) 23:55:33 0
>>699 >最初のレスになりえない事だけはつたえとく。
まあ、それこそ、
>あんたが納得できないのはあんたの欲望の問題。
712 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 02:29:40 O
ステハン付けたり付けなかったり忙しくズレしているみたいだな。
そのズレっぷりもそれなりに面白かったが、さすがに飽きた。
また気が向いたらあいてしてやるから、
それまで一人でズレしていろ。
713 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 06:05:33 0
人を殺す人と殺さない人がいるのは何故ですか?ただ単に、殺さない人は恵まれているから、殺さないで済んでいるの
ですか?
714 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 09:18:33 O
自分が殺されたら嫌だから人を殺してはいけない。
豚、牛などは殺してはいけない国もあるが、日本人は旨いから食う。自然に関しても無関心だしな。人間さえよければいいらしい。
その先にあるものには目もくれずその場しのぎの国でオタオタしてる安定感のない国である。ある意味発展する可能性はある。大器晩成なのだろうか
715 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 09:44:42 0
私は43歳の無職でここ5年間くらい働いていません。お金も無くなってきたし、人生を終わりにしたいと思う。
でもそれでも人を殺してはダメだ、思うんですよね。この良心はどこからきたのか知りたいと思うのですが、
今のところ私が小心者だから、という結論になるのかもしれません。
犬を殺して食う朝鮮
それを非難しながら、イルカを殺して食う日本
朝鮮人も日本人も抹殺されるべき
誰が抹殺するわけ?そんな権利あるやついるの?
>私が小心者だから、という結論になるのかもしれません
あなたより度胸ある人がいたとしても、その大多数の人はしてないでしょう。
719 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 12:53:35 0
>>718 そうですね。人は追い詰められたとき、人を殺すより、自分を殺すことを選ぶ人のほうが多いですよね。
しかし、何故私が人を殺してまで生きようと思わないのか、裏返せば、人を殺してまで生きようとする人が
いるのか、は謎のままの気持ちです。
>>719 なぜか?をたずねて、もし、たった一つの答えしかないのだとしたら
もうそれを信じるか信じないかの選択になってしまうし、議論も
それから逃れる為の言い訳にしかならなくなってしまう。
むしろ、問いつづけることで疑問が生まれつつも、それを
己自身の戦いとして、生き続けたほうがいいと思いますよ。
721 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 13:37:17 0
>>720 私の場合、自分が自殺する根拠が人を殺すことが出来ないから、と短絡的に思ってしまっていた。
人を殺さないことを「良心」と勘違いしていたのかもしれません。
もう一度「良心」について考える必要がある。おそらくそれが働く、ということなのでしょうが・・・・
来週、ハローワークに何年かぶりに行ってみます。
生き続けてください。苦しんでいる人にとっては、これはとても
残酷な言葉ですが、死んでしまえば苦しむこともできなくなります。
苦痛を感じること、苦痛を感じる苦難の道を進むの生きてるからです。
やはり、人を殺すこと、自分を殺すこと、それは、幸せにしろ苦しみにしろ
何か奪い去ってしまう略奪行為かもしれません。これも一つの仮説です。
奪うよりは、自分で何かを生み出して手にしてみてください。
724 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 18:14:54 0
米国が、もし平和を望んでいないのなら、本当に各国を戦争で占領していくだろう。
シラク前大統領時代は反米だったが現在の大統領は親米派。
米国が日本に難癖をつけて無数の核爆弾で大量虐殺を実行し自国の親日派の人間全て処刑していくのではと思ってしまう。
米国はフランス・スペイン・ポルトガル・イギリスと同盟を組んで東欧・中近東・阿弗利加・露西亜・中国・濠太剌利・日本・韓国・北朝鮮他亜細亜各国を植民地支配して大量虐殺・・・。
そんな時代が来ないことを願うが米国の本音は平和を望んでいない殺人を肯定しているような気がする。
725 :
710:2007/11/16(金) 19:06:50 O
>>713 人を殺す人と殺さない人がいるのは、社会の根本的なルール(所有のルール)が、
社会構成員に徹底されていないこと、完璧な強制力を有していないことを意味する。
つまり、社会には例外が存在するのだ。いや、逆だ。
例外の集合体が社会なのである。人殺しをする人も、しない人も共に例外であり、
唯一の特殊的存在である。
ただ、そこにあるのは人殺しか否かの結果であり区別なのである。
そして、今我々が生きる社会では、他人の命という所有物を、犯すことは悪とされている。
人殺しがダメなんて 一度も聞いたこと無いぞ
だれがどこで言ってるのかカキコしてみれ?
727 :
710:2007/11/16(金) 19:18:43 O
>>714 自分が殺してはいけないから他人を殺してはいけない?
過程が抜けている。
他人の所有物を不当に盗んだりしてはいけないというのが、
現在の社会の前提なのだ。
728 :
710:2007/11/16(金) 19:28:06 O
>>715 勘違いしているようだが、貴方の良心とは社会によって規定されている。
人殺しはいけないと貴方に教えたのは、社会なのだ。
そして、無職が悪と貴方に教えたのも社会なのである。
無職は悪か?いや違う。年金生活者は悪とされてない。
日本は、年金受給年齢に達するまで、所得がなければ、負い目を感じさせるような社会構造なのだ。
729 :
710:2007/11/16(金) 19:35:21 O
>>721 早くハローワークいけ。日本の社会構造上、働かなければ食っていけないようになっている。
730 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 20:48:19 O
とらっふぐ♪らららん♪ とらっふぐ♪らららん♪ とらっふぐ♪ テュッテュッテュ〜♪
731 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 22:56:45 0
人は人を殺せるんだよ。
もし、人が人を殺せないのであれば、シマウマがライオンを喰わないように人は人を殺さないのだ。
しかし、殺せるわけだから、殺してはいかんと言うわけではない。
だから、戦争では人を殺すわけだ。
みんながいいとすれば、殺しても問題にならんな。
殺さない方が問題になる。
だが、みんなが駄目だとしている社会で人を殺せば、掟破りだ。
約束事を平気で破る人間は信用されない。
まして、気まぐれに人まで殺すような奴の横で誰か安心して眠れるか?
では、どうする?
そいつを排除するな。
社会から排除し隔離するか、抹殺する。
そうなりたくなくて、社会の中で自由に暮らしていきたいのであれば、人殺しは駄目だと言うことだ。
理解出来たかね。
くっくっく。
733 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 23:26:34 0
>>732 人に見つからなければ、人を殺すのは良いのだろうか?
というか、恨みから人を殺せば、体は拘束されるでしょうが、心は解放されるからこそ、殺人はなくならない。
>>731 私の主観では「人を殺すのは駄目」でなく「人を殺すのは嫌」
やっぱり、「合理的に考えて、損をするから人殺しはダメ」
(つまり、損しないならOK)、というのが究極の結論なんだろうか?
710氏は、社会のルールにより殺してはいけないと決まっているという。
しかしそれだって、「社会から排除されてでも殺したい」のなら殺したほうが得だし、
「殺したくない」または「殺したいが、社会から排除されてまで殺したくない」のなら、殺すと損という話。
結局、個人の損得による判断しかない。そこに道徳なんて無いような気がする。
合理的に考えて大丈夫だから
殺人を含むテロやっていいってことにならないだろ。
テロやる奴がいくら理路整然に語ったからといって
そんな奴の理屈を理解したいかね。
>>736 テロリストの理屈を理解する気は無いよ。テロされる側としては迷惑だから。
しかし、テロを例に挙げるんだったら、
テロリストの考え:「法律違反のリスクを負ってでも、テロをする価値がある」→テロOK
一般市民の考え:「テロ起こされたら迷惑。やめてほしい」→テロNG
って感じで、自分にとってテロを行うほうが得(損)だから、テロを肯定(否定)している。
何か道徳的な善悪の判断があって、殺人を肯定(否定)しているわけではない。
やっぱりそこにあるのは、個人の損得による判断だけだ。
「損するから人殺しはダメ」はあり得る。しかし「悪だから人殺しはダメ」とは、言えないのでは?
「損するから人殺しは嫌」
「ある社会において悪だから人殺しはその中で禁止される」
>>717 人は動物を殺す権利があって殺してるのかしら?
>>739 「権利がある」ってどういう意味で使ってます?
誰が与えたもの?
741 :
710:2007/11/17(土) 09:33:06 O
>>735 いや、道徳はある。その道徳は社会によって規定されている。
時々話に出てくるが、戦争では敵国の兵士を殺せば殺すほど、
もてはやされ英雄になれる。社会のあり方ひとつで、人殺しの意味が違ってくる。
人殺しは道徳的にしてはならないと、言う人がいるがそれは半分は正解で、
半分は間違いだ。正しくは「この社会が規定する道徳によって人殺しは悪」なのだ。
社会は可変的なので、道徳もまた可変的なのだ。
「自分が人を殺すかどうか」と
「自分が人を殺して得か損か」と
「自分が人を殺すことを第三者(殺す相手または一般社会)がダメと
判断するかどうか」は、
全然別のことだぞ。
「人殺しはダメだが、殺した方が得だと思ったから俺は殺した
(その結果実際得だった、あるいは見込み違いで損だった)。」
ということは、別に矛盾でも何でもない。
743 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 10:11:51 0
>>1 そもそも「ダメ」という言葉の意味があいまい。
最低限、「否定的な評価」を表わすのなら、「その評価をするのは誰か、
誰にとってダメなのか」をはっきりさせないと、議論にならない。
さらに言うと、「いつどこで誰が誰を殺すことが、誰にとってダメなのか」
をはっきりさせないと、確定的なことは言えない。
744 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 10:45:57 0
人を殺せば、いずれ自分も殺される社会になるのでダメなのでしょう。しかし、自分が死んでもいい人間も
いるんです。私もはっきり言ってそんな感じです。
自殺を肯定するか否定するか、が答えになるのではないでしょうか。
誰でもは生きたい気持ちも少しはあるはずなのだ。
生物は快を求め不快を避けるように設計されている。
多くの生命体にとって死は不快なことだから避けようとする。
ただし生が快ばかりであるとは限らない
747 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 10:59:42 0
私は喜びを人と共有することが出来なかった・・・・
喜びを独り占めしようとする人間はいずれ滅びる運命・・・
それは快楽ではなかった・・・
>>747 他者との喜びの共感があなたにとっての主要問題ならば
喜びを共感できる人を探すのが積極的な生き方だと思います。
殺されたら解るというのは間違いだ。
死んだら何も無い。
だから、残酷でない死刑というのにも意味が無い。
死への過程に十分な時間と苦痛を用意し、かつ、救いの無いことを実感させてから送ってやるのが、
親切というものだ。
死刑は死刑囚のために行われるのではない
751 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 12:22:42 0
>>748 多分、私は人の役に立つ人間ではなかったのだと思う。
これからも役に立つ人間ではないと思うので、大変だけれど頑張ります。
死刑囚が役に立たないのだとしたら、私にとって生きていて欲しいと思うが、
遺族としては・・・・
752 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 17:36:29 O
社会の存在価値上、殺人がダメなのは当たり前の話。
それで結論は出ている。
正義とか善とか道徳とか
定義のない変化していく価値に答えをもとめても
それは独善的な物からまぬがれることはできない。
それは宗教の類である。
>>752 殺人を良しとする社会があるとしたら、その社会には存在価値が無いということですか?
754 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 18:08:29 O
そうでない社会を俺は知らない。
有るかもしらんがw
少なくとも日本社会の存在価値の中には、
生存の為の相互扶助が有る事は疑問をもたない。
おまえら、ガンダム00でも見てこい。
くっくっく。
756 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 18:24:48 O
神さま
ライオンはシマウマに蹴られて死んでしまいますが。
ズレの匂いがプンプンする。
>>704>>706 小学生レベルの議論。「ダメ」とは、ダメとされていることが起きるならば、ダメと
されていないことになる、という意味で使われない。
704・706の議論は、将棋で二歩は「ダメ」としたとき、現に二歩を犯したならば、
二歩は問題ない、とか、正当防衛が認められるなら、殺人はOK、と論じているのと
全く同じ(そもそも殺人はOKでないから、正当防衛が問題になる)。
やたら自慢げに書いているが、話にならないぐらいの激アフォ、死んだ方がよい、
としか言いようがない。死んでくれ。
>>710 704みたいな死んだ方がよいアフォよりはマシだが、710は人殺しがダメな理由ではなくて、
人殺しがダメというルールが社会的に優位になる構造の説明。人殺しがダメであること、の
説明にはなっていない。
>>726 お前は、死ねばいいと思うよ。
>>735>>737 損得計算に、手段がからむとき、損得計算と手段の是非は別問題であるのは明らか。
例えば、ドロボウしてもうまくいかないならば、ドロボウはいけないとなるのではない。
ドロボウがうまくいく・いかないに関係なく、ドロボウはいけないとされうる。
735が「個人の損得による判断しかない」と考えるのは、損得計算だけをするという
全然自明でもなんでもない前提に735が勝手に嵌っているからに過ぎない。
737は、「テロをする価値」に判断しているだけで、「テロによる損害」を計算に入れていないから
善悪の判断が成り立たないかのように見えるだけ。735が超馬鹿ゆえに「究極の結論」に至るだけw
>>736はまともゆえに「穏当な結論」に至る・・・
>>741 出発点
>>710がおかしいから、結局馬鹿げた議論になったね。君は、ルールAが優位になる
構造A’があるとき、A’をルールそのものと誤解しているために、状況がB’になれば、ルール
A・Bの正否に関係なく、B’の下で支配的なルールBが正しい、と論じてしまう。
しかし、ルールが記述する状態、生起した状態に対する評価(よい/わるい)は、いずれも、
「個別的状況の下でどのルールが採用されるか」「現にどのルールが社会的に優位にあるか」に
関係なく成立しうる。ルールは、
・ある特定の行為(例:危険を及ぼす行為)に、
・不利益(例:ケガをすれば、悪い・避けたい状態と考える)が、
・一般的(例:左の危害→ケガは避けたい は、ほとんどの人が認める)に対応させられ、
・そこに不利益を避けるという意思が含められるなら、
当然に成立する。なぜ当然に成立するかといえば、それは、ルールという言葉が、
そのような意味に限定される仕方で使われ、意味を持つとされているからである。
これは、すべての言葉に言えることである。食べるとか、書くとかの言葉を使う場合、
意味はある範囲に限定されてくる。ルールもその例にもれない、というだけのことである。
759 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 19:24:05 O
>>753 答えがちっとズレたので再レス。
その社会に存在価値があるかないか俺が判断しても、
それは俺の価値観の話にしかなりえない。
以下
>>754につづく。
<758の続き>
具体的に、ごく個人的な約束の成立から考えてみる。
まず、AがBに、〜しないでね、と言い、Bはそれを守ることにしたとしよう。
のちに、Bは、「〜」してしまったとする。
そのとき、「〜しないでね」は、(例えば)二者間で成立しただけだから、約束ではない、
とは言わない(言えない)。なぜなら、約束とは、現にA・Bがかわした行為の、一般的な
表現であり、A・Bがかわした行為は、それに論理的に対応するからである。
Aは、「〜しないでね」に反したから、Bは「間違っている」という意味のことを言うし、
Bは理解する理由があるとみなされるし、たいてい理解するだろう。
ルールが「ない」かのように思えるのは、ルールそのものに、人の意思を拘束する機能が
ありうるかのような、奇妙な思い込みを前提とするからに過ぎない。
上の例で言えば、BはAに責められても、結局〜してしまったことについて、責任をとら
されるようなことが、(たまたま)ないかもしれない。しかし、「〜しないでね」というルールが
なかったことにはならない(事実の証明は問題になるが、事実があるならばルールは論理
必然的にあることになる、という意味)。
「人殺しは何故ダメか」(殺人禁止というルールが社会的に成立しているのはなぜか)?
それは、危険を及ぼす行為に付随する結果を、人は避けたいと考えることについて、
一般的に言及できるからである。ある人間がこのルールに反する考えを持ったとしても、
常に多数派が、わるい結果を避けたいと考えるだろうと論じられる。
多数派がわるい結果を避けたいと考えるのは、あくまで事実である。その事実が変わら
ないならば、また、変わりようがないから、人殺しがいけないという一般的ルールは、
上述の理屈により、論理必然的に変わらないのである。
>>759>>752>>754 >>757-758>>760の説明で言えているが、その考え方は間違い。
> 正義とか善とか道徳とか
> 定義のない変化していく価値に答えをもとめても
> それは独善的な物からまぬがれることはできない。
そんなことはない。定義のない変化していく価値とは、
そこに及ぼすことができる解釈が多様であると言い直せる。
ところで、ある語を使うということは、多様な解釈を一定の範囲に
限定するということである。つまり、正義とか善とか道徳とかの語が
意味する範囲を、抽象的・具体的に限定していくということだ。
この限定作業を行う主体は、一ではなく多である。
多数の主体が語の意味する範囲を、相互的に限定していくとき、
その限定された語は、「独善的」でないものになりうる。
759は、ある確定的な定義を下すことに対応する主体の意思を
なにかしら、固定的なものとしてイメージしているようだが、
そのような前提自体がまさに独善的である。正しくは、確定的な
(確定的とみえる)定義も、常に多数の主体による連続的な意思
作用によって存立しているところ、その作用が硬直的であるか
どうかが、独善的かどうかの問題である。
訂正:
>>757 最後から4行目
「テロをする価値」に判断しているだけで、 → 「テロをする価値」を計算しているだけで、
757の修正ついでに補足。
737に、「テロをする価値」を計算しているだけで、「テロによる損害」を
計算に入れていないから善悪の判断が成り立たないかのように見えるだけ、と書いた。
このとき、「テロをする価値」についていくら計算しても、「テロによる損害」を
なくすことにならないから、「テロをする価値」がどう見積もられるかに関わりなく、
「テロによる損害」は認められ、テロはいけない、という帰結となる。
(ただ、そもそも「テロ」という語は、「意義」のある/(威嚇のための)武力行使(悪)
である事実のうち、武力行使(悪)の面にのみ観点を集中させるために使われることが多い。
これは、武力行使の側面を、「武力行使」と呼ぶと、「テロ」とそれ以外の「武力行使」が区別
できなくて不都合な人々が、特に好む用法のようだ)
もう一つ補足。
>>760では、説明をわかりやすくするために、
「約束」として説明したが、同意はルールの成立条件ではない。
つまり、Aが「〜しないでね」と一方的にBに言うとか、Bが
Aがそう言っていると理解できるような行動をするだけでも、
ルールは成立する。これは、赤ん坊がルールに同意するか
どうかは、ルールが成立するかどうかの条件ではないと
言うのと同じである。ルールは、あくまで
>>758に書いた
条件を満たせば、成立する(し、その程度のものでしかない)。
現にあるルールが守られている状態になるかどうかは、
あるルールが明示的に成立しているかどうかとは、あまり
関係がない。
765 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 20:35:16 O
>>761 人をころす事うんぬんについては異論はないようなので、
そっちの方を議論しますか。
善とか道徳とかで判断すると独善的になるかならないか?
ちゃんと考えてからレスするけど、その前に質問。
「語」ってなんてよむの?コトバ、ロン。
解り安く置き換えるならならなに。あればでかまわんが。
>「語」ってなんてよむの?
ゴ
>置き換えるなら
単語
ですかね?
767 :
766:2007/11/17(土) 20:41:21 0
私、他人です
768 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 20:43:33 O
人が人を殺してはいけないのは、言い換えれば人が人を殺してきたから。
例えば隣人に「明日殺されるかも知れない」と毎日怯えて暮らしてたら身がもたないだろ?
そこで「お互いに殺すのをやめましょう」と約束する様になる。
「じゃあウチもその約束をしよう」とその約束事に参加する人が増えるだろ。
その約束事が広まって初めて「法律」という名前になるんだよ。
実は殺人が明確にいけない事と広まったのはここ140年くらいの話。
海外では未だに殺人を黙認する地域もあるしな。
日本で生きて行く以上、とりあえずは法律を守って生きていかなくちゃいけないんだよ。
感情論抜きで書いたけど、それでどうしても納得いかないなら日本じゃなく他の国へ行け。
>>756 > 神さま
> ライオンはシマウマに蹴られて死んでしまいますが。
>
> ズレの匂いがプンプンする。
ほう?
おまえはシマウマがライオンを殺すつもりで蹴りにいっていると思っておるわけか。
珍脳の考えることは意味不明だな。
くっくっく。
770 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:00:53 O
お前が意味不明w「くっくっく」てwww
771 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:05:37 O
さすが神さまです。
みごとなズレっぷりです。
772 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:17:30 0
>>769 >シマウマがライオンを殺すつもりで蹴りにいっていると思っておるわけか
アホかw
シマウマが「笑いをとる」つもりでライオンを蹴りに行くわけないだろがw
無駄な煽りだな。
痒いぞ。
で、なぜ人を殺してはいかんのか、理解出来たのか。
人は人を殺せるんだよ。
この事実は厳然とあるのだ。
わかったかね、珍脳集団くん。
くっくっく。
774 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:37:11 0
>>773 >で、なぜ人を殺してはいかんのか、理解出来たのか
人は殺して「いい」のよ、とっくにそう結論出てるが
まだワカランのか低脳w
>>774 論じることがある人は論じればいいし
もう結論が出てるなら君は来なければいいだろう。
煽ってないでな。
>>774 >
>>773 > >で、なぜ人を殺してはいかんのか、理解出来たのか
>
> 人は殺して「いい」のよ、とっくにそう結論出てるが
> まだワカランのか低脳w
儂は人を殺して「いい」などと言う、結論を出した覚えはないぞ、糞脳くん。
で、人を殺していいのであれば、おまえ人を殺すのか?
どうなんだね。
くっくっく。
777 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:51:10 O
神さま
「人は人をころせるんだよ」
さすがでございます
もはやスレタイと関連性など微塵もかんじさせません。
私もひとついかせてもらいます。
人はバカをみると優越感をもつものなんだよ。
クッククック
む、むなしすぎる・・・
馬鹿ばっかりか、このスレは・・・
お互いに優劣感を感じあえる関係
>>778 やけに粘着している奴がいてな。
まともなやつはみんないなくなってしまった。
>>765 一応答えるけど。
> 善とか道徳とかで判断すると独善的になるかならないか?
主語を書け。「善とか道徳とかで判断する」じゃ、フィーリングで一応意味
通せないこともないが、一義的に考えようとすれば全く意味不明な文だ。
お前、「善で判断すると独善的になる」という文の意味がわかるか?
「〜について善という判断を下すのは独善的だ」とかなら意味分かるが。
また、「〜という概念は独善的な概念だ」でも意味は分かるが、それは
〜という概念の解釈次第に決まってるだろう。
あと、「語」が読めないってどういうことだ??
>>766 うーん、乙。
置き換えの方は、「記号」がより正確。
782 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 22:03:55 0
>>776 >儂は人を殺して「いい」などと言う、結論を出した覚えはないぞ
ホント馬鹿だなオマイw
殺して「いい」としてるのは国連であり、国家なのよ
コソボで証明されたとおり安保理が決議すれば国連軍は現地入りして
抵抗する「人を殺して良い」と指令を出すのよ
ニュースも見ないのかオマイはw
また侵略を受けた場合、すべての国家は
侵入してくる敵国「人を殺して良い」と指令を出すのよ
「人は殺してよい」・・それが今のところの人類世界の決めたことなのよw
>>780 そうか・・・。
ていうか、このスレの問いって、答えるのが難しいって言われてるけど、
実際には全然そんなことないと思うんだがなあ。
まあ、書籍とか見ても全然ろくなこと書いてなかったりするから
無理もないのかもしれないが・・・。
>>782 > 「人は殺してよい」・・それが今のところの人類世界の決めたことなのよw
珍脳の結論はお気楽だな。
そんな生易しい考えだから、餓鬼が道徳を語るような事態で落ち着いてしまうんだよ。
人を殺してよいではない。
決定的に人は人を殺せると言う厳然たる現実があるのだ。
この事実に対する最終手段が、「人は人を殺してはいけない」と言う暗黙の掟だ。
但し、掟であるから例外を作り放題だ。
人殺しが駄目なのは、単に人それぞれが自己中だからなんだよ。
くっくっく。
自分は殺されてはいけないのだろうか?
786 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 22:26:59 0
>>784 おまえの頭の悪さにはあきれ返るわw
まず事実をみろ
国連も国家も人を殺して(よしとして)いる
何故そう断定できるかわかるか?
「人を殺してはいけない」と宣言してしまうと
自らの治安維持活動の対象(国連や国家に対する抵抗勢力)をも
制限してしまうことになる・・つまり軍事行動が起こせなくなるのよw
それじゃ国連加盟国の、あるいは国家の治安が守れないだろ
「人を殺してはいけない」・・だと国連や自国軍兵士に残されてるのは
自分たちが殺される機会だけじゃんよ、、、この意味わかるな?
わかったら馬鹿は休み休み言えw
野生動物は私を殺してもいいんだろうな。きっと
788 :
訂正なw :2007/11/17(土) 22:30:16 0
自らの治安維持活動の対象(国連や国家に対する抵抗勢力)をも
↓
自らの治安維持活動(国連や国家に対する抵抗勢力の掃討)をも
>>786 >
>>784 > おまえの頭の悪さにはあきれ返るわw
>
> まず事実をみろ
わからん低珍脳だな。
事実と言うのは、国家や国連が作っているのか?
ならば、人間が生まれてくるのも国家のおかげか、たわけ。
国家や国連如きがいくら「人を殺してはいけない」と宣言したところで、テロは起る、殺人はなくならないんだよ。
決定的に人は人を殺せると言う厳然たる現実こそが、真の事実だ。
おまえの言っておることは単なる脳内妄想なんだよ。
「人を殺してはいけない」と兵士に命令したところで、兵士それぞれが自分の身を守るのは、個人の責務だ。
すべての人間が盲目的に命令に従うのであれば、そもそも法律などいらんだろうが、たわけ。
くっくっく。
790 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 22:40:17 O
781
こまかいね。
主語はあんたの反論の所からすでに抜けていた気がするが。w
じゃあ、
「人を殺すことは、善とか〜」にする。
これでいいか?
記号という意味か。
理解力がいまいちなんで揚げ足とるつもりはない。
791 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 22:58:30 0
>>789 錯乱が激しいなw
事実というのは国家や国連「も」作っているが、それがなにかw
で、国家や国連の作ってる事実の1つにコソボで見たごとく
「人は殺して良い」という軍事行動の実施があるが、それがなにか?
なお、
>>786で教えてやったごとく、法律は殺人を禁止していない
殺人を犯したらどうなるかその罰則を定めているだけだ
法律が殺人を禁止していない理由は前述したとおりで
殺人を禁止してしまうと国家自身も死刑の執行ができず、侵略戦争
における対抗措置が取れなくなって困るのよw
もうおまえの小さな脳味噌はいっぱい一杯のようだから、寝ろw
792 :
737:2007/11/17(土) 23:07:22 0
>>757 超馬鹿か。そりゃどうも。
>「テロをする価値」に判断しているだけで、「テロによる損害」を計算に入れていない
ってなぜそう読めるんだ?
俺は、テロリストにとって、テロをする価値がテロによる損害を「上回る」から、テロを実行する
というつもりで書いたんだが…。
>損得計算に、手段がからむとき、損得計算と手段の是非は別問題であるのは明らか。
>例えば、ドロボウしてもうまくいかないならば、ドロボウはいけないとなるのではない。
>ドロボウがうまくいく・いかないに関係なく、ドロボウはいけないとされうる。
これもさっぱりわかんね。損得関係なしに「ドロボウはダメ。それは、○○だから」
という説明ができるんなら、人殺しは何故ダメなのか考える役にも立ちそうだが。
差し当たり、損得関係なしに「ドロボウは何故ダメなのか」教えてくださいませ。
俺のうちには泥棒は入って欲しくないと思うが、その理由は「俺が困るから」しか思いつかない。
犯人にとって、ドロボウは何故ダメなのか。「捕まるから」じゃ損得だし…。
国が泥棒を取り締まるのも、「国益のため」で、やっぱり損得だし…。
>>791 >
>>789 > 錯乱が激しいなw
>
> 事実というのは国家や国連「も」作っているが、それがなにかw
珍場蚊発見。
なんだ、もう開き直りか、三文脳くん。
そんなことだから、最初からシマウマを殺す気のライオンの殺戮行為とシマウマがたまたまライオンを蹴り殺してしまった偶然の違いがわからんのだ。
人を殺してしまった結果が同じでも殺人とは言わないんだよ。
「認識ある過失」と「未必の故意」の違いもわからんからそうなるのだ。
国家などが作る真の事実などない。大本営発表の類い程度の事実なんだよ。
殺人は禁止不能だ。
地球が太揚の周りを回っていることを禁止できない様にな。
決定的に人は人を殺せると言う厳然たる現実だけがあるんだよ。
くっくっく。
794 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 23:28:50 0
>>793 なぁ、ハシリ メシw 窮鼠猫を噛むって知ってるよな?
シマウマが後ろ足を蹴りあげてライオンを殺してしまうのは偶然でもなんでもないのよw
たまたま「じゃなく」自己防衛つまり「戦闘の目的(殺意を含む)」で蹴り上げた足なのよそれ
おまえって野生動物の行動、知らな過ぎw
んで、国家が人を殺す時というのは明確な「殺す意思」をもって殺すのよ
過失や未必の故意などとは根本的に異なる
あんまり「知らない用語」振り回さないほが「いいぞw 墓穴掘りすぎ!
またおまえのいう「真の事実」などというタワケた概念は無い
あるのは「事実」、真のという形容詞は事実にはつかない
なお国家の作る事実は国家誕生以来、毎日生まれてる
大本営発表はその中身は「嘘」であり嘘を発表したこと自体は「事実」だ
アタマこんがらがってきたかw そうならもう寝ろ!
また地球が太揚の周りを回らないようその運行に変更を加える事は可能だ
物理的に可能なことはその程度に比例した時間がかかるだけであって
いずれ狩野だって事、、、物理学の発達と人類の進化は「禁止できない」
あと、人が人を殺せるという事実は子供でも知ってることだが
それがどうかしたのかw がはははは !!
>>794 かなり苦しくなってきたようだな。
くっくっく。
> シマウマが後ろ足を蹴りあげてライオンを殺してしまうのは偶然でもなんでもないのよw
> たまたま「じゃなく」自己防衛つまり「戦闘の目的(殺意を含む)」で蹴り上げた足なのよそれ
> おまえって野生動物の行動、知らな過ぎw
偶然なんだよ。
後ろは見えないんだからな、理解出来たか幼痴脳くん。
それとも野生の王国脳か?
> んで、国家が人を殺す時というのは明確な「殺す意思」をもって殺すのよ
> 過失や未必の故意などとは根本的に異なる
> あんまり「知らない用語」振り回さないほが「いいぞw 墓穴掘りすぎ!
民主主義国家に明確なる意思なんぞないんだよ。
そんな国家は独裁国家だけだ、たわけ。
「認識ある過失」と「未必の故意」の違いがまったく分からんわけだな。
おまえの話は幼稚すぎるんで、儂がいたぶるには適切ではないな。
くっくっく。
>>794 > またおまえのいう「真の事実」などというタワケた概念は無い
> あるのは「事実」、真のという形容詞は事実にはつかない
> なお国家の作る事実は国家誕生以来、毎日生まれてる
> 大本営発表はその中身は「嘘」であり嘘を発表したこと自体は「事実」だ
> アタマこんがらがってきたかw そうならもう寝ろ!
おまえのアタマがこんがらがっておるんだろうが。混線脳くん。
大本営発表は、その時点では事実だ。事実と言うのは一つではない。
受手によっても異なるんだよ。
> また地球が太揚の周りを回らないようその運行に変更を加える事は可能だ
> 物理的に可能なことはその程度に比例した時間がかかるだけであって
> いずれ狩野だって事、、、物理学の発達と人類の進化は「禁止できない」
ヲヒヲヒ、大丈夫か?
物理的に不可能なんだよ。
くっくっく。
> あと、人が人を殺せるという事実は子供でも知ってることだが
> それがどうかしたのかw がはははは !!
だから、国家など関係ないと言うことだ。たわけ。
決定的に人は人を殺せると言う厳然たる現実だけがあるんだよ。
くっくっく。
797 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 00:04:25 0
>>796 わははw !!
さんざん時間かけてそれかよw
あしたまた遊んでやっから、もう寝ろ
798 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 00:21:58 0
ちょっと聞きたいのですが、人殺しは法律で禁止されていないのですか?
人を殺せば、罰として牢屋に入れられる、地域によっては死刑、になるわけだから、
これは、法律で禁止されている、ということではないのですか?
そういわれると、法律は罰則はあるが
それは行為に対して、その報いがあると言うだけで
駄目、という禁止ではないような…。
法律の罰則規定を知っていてもやるやつはやるので
強制力を持った禁止は、もっと法律以外のものではないだろうか…。
800 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 00:53:55 0
>>761>>781 >そんなことはない。定義のない変化していく価値とは、
>そこに及ぼすことができる解釈が多様であると言い直せる。
言い直しても、多様であるから万人の納得できる答えは出てこない、となる。
間違いの指摘になっていないみたいだが?少なくともここまでは。
>ところで、ある語を使うということは〜ということだ。
そうかもね。でもまだ反論は成り立っていない。
>この限定作業を行う主体は、一ではなく多である。
>多数の主体が語の意味する範囲を、相互的に限定していくとき、
>その限定された語は、「独善的」でないものになりうる。
限定していくというが、
みんなで語(記号)の意味を出し合い、それを足し合えば確かに独善的ではなくなるが
その語の意味するところは限りなく広くなる。
また意味しないところを引き合えば独善的になるし、相反すれば意味は何もなくなってしまう。
不可能な作業に思えるが?
>固定的なものとしてイメージしているようだが
そんなことはない、変化に伴う変更はありえる。
生存権を認めないで成り立つ社会があるのなら、殺してもイイとなる。
>そのような前提自体がまさに独善的である。〜独善的かどうかの問題である。
独善的の意味をあんたはまさに独善的に決めつけている。
あんたは不可能なことを前提にして話をしている。
違うのであれば、
善の独善的でない限定された範囲とやらを聞かせてくれ。
801 :
ヴェノム:2007/11/18(日) 01:02:03 0
自分は殺されたくないです。だから殺すのもよくないと思います。
後は、人それぞれの感情や思考や衝動や環境などの話ですのでよく判らないですが、自分が殺されたくない以上に友人や彼女、親が殺されるのは辛いです。ですから殺さない。それだけですね…
802 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 01:15:57 0
803 :
結論:2007/11/18(日) 01:46:57 0
752 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 17:36:29 O
社会の存在価値上、殺人がダメなのは当たり前の話。
それで結論は出ている。
正義とか善とか道徳とか
定義のない変化していく価値に答えをもとめても
それは独善的な物からまぬがれることはできない。
それは宗教の類である。
804 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 01:52:35 O
別に牛や豚なんか食べる分だけ殺しても数が激減するわけじゃないもの。
人間は自分達のことは考えられても他には目を向けない、または向けられない自己中心的な生き物だからだよ
805 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 02:00:46 0
それをいうなら人間にかぎらない方がいい。
しかも、だから何?
というか、人間が牛や豚を殺すのは食べる為の食物連鎖の一部でしょ。
例えば丸腰でライオンの中にいたら抵抗しても殺られるかもしらん。
でもそれも食物連鎖さ。悪いことを「何を以てそう考えるのか」に関しては、
宇宙規模での統一的な価値観、道徳心が確かに存在しているからとしか言えん。
統一されるのはせいぜい文化のなかでじゃないか?>道徳心
人間から知恵を取れば、都合のいい食料にしかならんな。
体力的には圧倒的に下位だ。
チンパンジーさえ、握力300kgだからな。
くっくっく。
>>797 >
>>796 > わははw !!
>
> さんざん時間かけてそれかよw
> あしたまた遊んでやっから、もう寝ろ
まるで池乃メダカだな。
そう言うのを、ゴマメの歯ぎしりと言うのだ。
辞書で引いてこい、たわけ。
くっくっく。
810 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 11:22:08 0
国に所属していれば、大文字の正義があって殺せるだろう。光市の母子殺害事件の被害者にしても、家族に
所属しているから正義を語ることができる。
しかし、孤独、無職、老年などがそろえば、自分を殺すか、他人を殺すかになってくる。
どこにも所属していないから。
役立たずは、殺されるべき存在からみずから死ぬ存在へ移行しようとするとき、
どんな言葉を聞くのだろう・・・
あるいは、言葉も無く殺されていくのだろうか・・・
>>768 あー、私もこういう事を書きたかったのでした。
その約束事を破った人は、例外として法律によって死刑で殺されると。
私は死ぬのは怖い、あなたもそうだよね、皆もそうだよね、
だからお互い殺さないと約束しよう、その約束事を破るのは「ダメ」なんだよ、
道徳としてね。だからその約束事を破った人は罪を受けるという事で
法律を作ろう。
その「約束事」を無視して私たちを殺そうとする人たちは例外として、
私たちを守るために法律で死刑にしたり、戦争で殺す事もあるかもね。
という事なんですよね。
812 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:00:39 0
>>768 >そこで「お互いに殺すのをやめましょう」と約束する様になる
わはは、オマエ「お互いに殺すのをやめましょう」なんて約束いつした?
誰としたんだ?
オマエの先祖でもいいぞ、ご先祖様は隣の誰と何と言って約束したんだ?
約束を違えた時はどうすると決めたんだ?
嘘つくのも大概にしとけやドアホw
>>811 >だからお互い殺さないと約束しよう、その約束事を破るのは「ダメ」なんだよ、
>道徳としてね
うはは、おまいもかw いつ誰と約束したんだよ?隣の「誰」だって?
んで、「約束を守るのが道徳」だとw?
約束破るたんびに死刑にされてたらいくつ命があってもタリンわいw
たわ言も大概にしとけコラ!
813 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:49:32 O
>>811 せっかく
>>752で簡潔に一行で現している事を、
わざわざ。だらだらとお子ちゃま風の余計な説明をしたがるかが
わからない。
だから、結論が出たことをつっこまれる。
814 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 17:13:42 0
殺人が良いとされる社会も、社会の存在価値上あたりまえのことなのでしょう。
戦争は国家としての存在価値を高めるために行われてきた。
国家が人を殺してきたのであって、本当に人が人を殺してきたのか私は疑問を感じる。
属性を持たない孤独な人間として人を殺せるのかどうか、おそらく人々の
自殺願望のネガとしてこの質問はあるにすぎない。
ただ単に、死にたくないから、こういう質問をしてみたいのだ。
切迫度の違いがあるのだとは思うが・・・
815 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 17:28:58 O
人殺し議論では、因果(合理)的か、それに近い説明がされるけども
哲学者が問いてるのは、そういうことではないんだよな
もっと存在論的というかなんというか
哲学・倫理学の看板をかかげている学者でも、たいていはここのところを勘違いしてる
>>811 「法律で人を殺す事が罪」→「罪とは悪い事」→「それが悪い事だと皆で決めた」
→「皆で決めた約束事=道徳」
という連想です。これで私は、道徳と法律がつながったと感じました。
民主主義的な道徳ですね
818 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 00:27:00 O
>>815 社会が存在する。
なぜ社会は存在するのか。
人間が存在するから。なぜ人間が存在すると社会が産まれるのか
確かに哲学的には浅い所で導きだされる解だけどね。
それだけに当たり前に正しいといえる。
その先にさらに深く潜れば潜るほど多くの解を得られる。
あんたは「もっと存在論的というかなんというか」と曖昧なことをいうが
それはなにか感傷的なヒロイックな答えありきで考えようとしているに過ぎない。
気持ちはわかるが、全然、存在論的なものにはなりえない。
あんたには宗教の方があっている。
819 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 00:37:54 O
就職の時、面接で倫理学でどういう事を扱うのかときかれて
「殺人がなぜいけないかといったこと」と言ったら
隣の面接者が鼻で笑ったのを覚えている
こういう問いに若干でも頭働かせているオマイラは同世代の馬鹿どもより若干でも高位にいる知的探求者だよ
820 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 00:48:32 O
人間には群れる本能がある
本能がなにかと言えば、その種の生物学的存在が完全にその存在の有する性質を発動させたとき現れる一連の行動ないし反応であって、具体的にはその種を統計学的に観察することによって知られる。
言葉や人の存在を前提しない議論にすごく興味あるけど
ついていけるか分からないんだよな。。。
822 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 00:55:25 O
群れる本能を有する人間にとり、群れの存在を脅かす行為もまた本能的に否定されるのであり、高度に発達した社会にあっては高度さゆえに必要とされる理性によって法および裁判という形式によって否定される
823 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 01:02:15 O
>>821 ならカントでも読んでな
アプリオリに満足出来るだろぜ。下らない
○∩
○→
ってことだろw
825 :
710:2007/11/19(月) 12:46:34 0
>>757 >704みたいな死んだ方がよいアフォよりはマシだが、710は人殺しがダメな理由ではなくて、
人殺しがダメというルールが社会的に優位になる構造の説明。人殺しがダメであること、の
説明にはなっていない。
そのとおり。私は人殺しがダメだということをただの一言も説明していない。
この社会構造状、「人殺しはダメ」とされているが、社会という衣を剥ぎ取れば
人殺しもダメではないのだよ。人殺しという物理的な現象があるにすぎない。
826 :
710:2007/11/19(月) 18:22:35 0
>>758 >出発点
>>710がおかしいから、結局馬鹿げた議論になったね。君は、ルールAが優位になる
>構造A’があるとき、A’をルールそのものと誤解しているために、状況がB’になれば、ルール
>A・Bの正否に関係なく、B’の下で支配的なルールBが正しい、と論じてしまう。
なかなか良い。しかし構造A’をルールそのものと誤解はしていない。構造A’は
ルールAの生みの親なのである。補足的に説明をすると、構造B’の住人は構造A’の
ルール(すなわちルールA)を理解することは難しいだろう。
>しかし、ルールが記述する状態、生起した状態に対する評価(よい/わるい)は、いずれも、
>「個別的状況の下でどのルールが採用されるか」「現にどのルールが社会的に優位にあるか」に
>関係なく成立しうる。
意味がわからないが、私なりに簡潔に考えると
「あるルールに対する評価は、社会に関係なく存在する」ということかな?
もしそうなら、全く逆である。社会が、そのルールに評価を下すのである。
悪い評価を下された現存するルールはその社会では廃棄される。
>ルールは、
>・ある特定の行為(例:危険を及ぼす行為)に、
>・不利益(例:ケガをすれば、悪い・避けたい状態と考える)が、
>・一般的(例:左の危害→ケガは避けたい は、ほとんどの人が認める)に対応させられ、
>・そこに不利益を避けるという意思が含められるなら、
>当然に成立する。
ここまで気づきながらも混乱がみられる。重ねていおう。
ルールは社会が作る。
上記の「一般的」はその特定の社会にとって一般的なのだよ。
827 :
710:2007/11/19(月) 18:23:16 0
続き
例えば「他人にケガをさせてはならない」というルールがあるとする。
その社会では自分の所有者は自分であり、他人の所有者は他人なのである。
しかし自分の所有が自分であり、他人の所有者も自分であるという社会なら
このルールは通用するであろうか。しないだろう。
おそらく、「自分の所有する以外の他人にケガをさせてはならない」と
なるであろう。自分の所有する他人にはケガをさせてもなんら問題とは
ならないだろう。ではこのルールは悪(ダメ)か?今、我々がいる社会では
間違いなく悪(ダメ)だ。考えられないし、許されない。
私が先に述べた「構造B’の住人は構造A’のルール(すなわちルールA)
を理解することは難しいだろう。」の例と思ってもらいたい。
では、彼らの社会、我々と全く異なる彼らの社会では、彼らのルールは
いったいどのように評価されるのであろうか?
そのルールは善(良い)と評価されるであろう。
彼らがどうしてそのように思うのかとても理解しがたいが、想像してもらいたい。
我々が「他人にケガをさせてはならない」というルールを善(良い)と思うように、
彼らもまた「自分の所有する以外の他人にケガをさせてはならない」とルールを善(良い)
と思うのだ。
>>757氏は「人殺しはダメだ」というルールに、かなりの執着心をもって固執
しているように思うが、それは全く当たり前のことだ。
>>757氏はこの社会の住人
だからである。
828 :
710:2007/11/19(月) 18:52:07 0
>>760 >「人殺しは何故ダメか」(殺人禁止というルールが社会的に成立しているのはなぜか)?
>それは、危険を及ぼす行為に付随する結果を、人は避けたいと考えることについて、
>一般的に言及できるからである。ある人間がこのルールに反する考えを持ったとしても、
>常に多数派が、わるい結果を避けたいと考えるだろうと論じられる。
>多数派がわるい結果を避けたいと考えるのは、あくまで事実である。その事実が変わら
>ないならば、また、変わりようがないから、人殺しがいけないという一般的ルールは、
>
>上述の理屈により、論理必然的に変わらないのである。
このような結論に至ってしまうのは、一般的なことが不変だという思い込みによるもの
である。何が一般的なのかというのは社会構造が決めるのである。
人殺しがいけないという一般的ルールは、特定の社会の一般的ルールなのである。
特定の社会の一般的ルールは、結局は特定のルールなのである。
829 :
710:2007/11/19(月) 18:52:43 0
続き
この特定の社会において戦争などといった状態に陥ると、「人殺しはいけない」と
いうルールは変貌を遂げるであろう。
今まではこのルールに含まれる「人」とは「全人類」を意味したが、
これからは「敵国の兵士以外」と条件が変わる。
これは法律が変わるとかそういう類の話ではない。
社会が変わったのだ。だから、この変貌した社会に適合した、
新たな法律やルールが決められるであろう。
貴方は「一般的ルールは論理必然的に変わらない」が明らかな誤解である。
社会は変わるのだから「一般的ルールは理論必然的に変わる」のだよ。
勘違いされては困るので言っておくが、私は人殺しを推奨しているわけではない。
830 :
710:2007/11/19(月) 19:03:18 0
>759は、ある確定的な定義を下すことに対応する主体の意思を
>なにかしら、固定的なものとしてイメージしているようだが、
>そのような前提自体がまさに独善的である。正しくは、確定的な
>(確定的とみえる)定義も、常に多数の主体による連続的な意思
>作用によって存立しているところ、その作用が硬直的であるか
>どうかが、独善的かどうかの問題である。
>>761は
>>759を「独善的」と批判しているが、自分の一度立ち直って
足元を見ることをお勧めする。多(一般的)もまた固定的なものでは
ないのだよ。
俺も暇だな。。。。。
831 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 19:31:54 0
アホかw
もう結論出たじゃんよ、人殺しはやっていいって
アタマ悪すぎだぞマイラ
簡単に人間の心が合理主義的に割り切れるとは思わないなあ。
いくら社会が敵国の兵士や死刑囚や正当防衛ならば人を殺しても良い
と認めても、幾許かの後ろめたい気持ちは残ると思うなあ。
敵国の兵士に妻や幼い子供がいて、敵国の兵士にも老いた父母がいてと
思うと、その人を殺したらどこか後ろ暗い気持ちになると思うんだがなあ。
殺さなきゃ自分が殺されるから恐怖感でしかたなく殺すのだろうけど、
そんな運命はなるべく避けたいと思うんだがなあ。いくら社会が認めると言われてもなあ。
>>832 人を積極的に殺したいと思う人がいるかどうかですか?
そういう人は淘汰されてきたのかもしれませんね
834 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 20:46:06 O
>>832 いいところに気が付いたね。そのとうり、人の心は簡単には切り替わらない。
手元にパソコンがないから携帯からで失礼する。
こんなことを書いてしまったら、先まで私が言ったことと矛盾を感じるかも知れない。
戦争などの急激な社会変化はルールを書き換える。社会に適合したルールに書き換える。
社会が書き換えるもので1番書き換えやすいものは法律、戦争が起きた場合、真っ先に変わるであろう。書いてある条文を書き換えるだけですむ、お手軽さである。敵兵を殺すことが法律によって肯定される。
それに比べて、善悪をきめる道徳はそうはいかない。過去を知る人の心や意識を変えるのは、時間のかかる作業だ。
しかし、その戦争を何年も続けて見ると、人々の道徳観はやがて変わるだろう。
戦争の過程で、戦友を殺されたり、家族が殺されたり、はたまた殺して勲章をもらったり、幾通りもの事実をもとに人々の善悪や道徳感は変化していくだろう。
敵兵を殺したくないと思うのは、旧社会の名残である。
社会変化から一般的ルール変化の時間差は、時に人間を悩ませると、締め括ろう。
835 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 20:53:35 0
「カキコの不明朗さはオツムの不明朗さに比例する」・・アインシュタイン♪
殺す事がいいなら人間だって殺していいし、悪いなら、動物だって殺したら悪い
「殺すこと」は良いこととも悪いことともいえない
PS 付帯条件による
839 :
710:2007/11/19(月) 22:00:37 O
841 :
710:2007/11/19(月) 22:09:10 O
では
人が人を殺す
人が動物を殺す
動物が人を殺す
動物が動物を殺す
どれ良くて、どれがダメ?
842 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 22:49:41 0
844 :
710:2007/11/19(月) 22:55:22 O
>>840 主語と目的語によって「殺すこと」の善悪が変わるなら、善の例と、悪の例を示してくれないか?
とは言っても善の例は4つ示されたから、悪の例でいいよ。
大佐!いけません!!
846 :
710:2007/11/19(月) 23:14:48 O
>>843 では、なぜ判断がつかないのか考えるのも面白い。判断つかない理由はなにか?判断つかないことが答えなのか?
こういう考えもできる。
人が人を殺さないこと
人が動物を殺さないこと
動物が人を殺さないこと
動物が動物が殺さないこと
どれが良くて、どれがダメか。
847 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 23:20:41 O
判断出来ない=コンテクストが不明瞭
>>846 「私は腕に止まった蚊を殺しても良いと判断した」
「カカロットはフリーザがクリリンを殺しては駄目だと判断した」
「フリーザはクリリンを殺して良いと判断した」
849 :
710:2007/11/19(月) 23:29:11 O
コンテクスト??
「ヒトラーはゲルマン人がユダヤ人を殺して良いと判断したらしい」
「釈迦は人が動物を殺しては駄目だと判断したらしい」
こんなにある「良い」の意味
1 すぐれている。
2 尊い。
3 美しい。
4 賢い。
5 効果がある。
6 快い。
7 親しい。
8 利益になる。
9 高価である。
10 正しい。
11 適している。
12 好都合である。
13 十分である。
14 同意できる有様である。
15 差し支えない。
16 然るべきである。
17 幸いである。
18 運がある。
19 自分勝手である。
20 むずかしくない。
良いの意味がこれだけあれば、いくつかは取りこぼしがあるだろう。
人を殺すことのやましさ、割り切れなさは、良いという意味の取りこぼし
がどうしても出てくるからだと思うなあ。
853 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 00:02:01 O
何故このような問いをたてたのか? だが、至極真っ当な問いの立て方である
ならば、「何故人を殺すことは善いことか?」という問いの立て方は?
少なからず違和感を覚える
違和感の根拠はどこにあるのか?
また、善悪という単純な二項対立的シェマへの問いは?
ある行為と容易に馴れ合う言葉=枕詞=ここでいう「善悪」
馴れ合い=枕詞の関係内実を貫く戦略とは?
人の存在が善であるという暗黙の前提に縛られてるんじゃないでしょうか?
855 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 00:41:41 0
710さん。
>なぜ良いとも悪いともいえないの?
「なぜ殺しては駄目か」に対する答えには二通りある。
@倫理的なアプローチ。
たとえば、「自分が殺されるのはイヤだから、人も殺してはいけない」
この場合は、良い・悪いが問題になる。
Aメタ倫理的なアプローチ
なぜそういう倫理が成立したかを考察する。
この場合は、良い・悪いという倫理的レベルでは語れない。
たとえば、社会(共同体)の存続のためには、
その社会を構成する者同士の殺しあいはタブーとしなければならない。
と同時に、その社会の存続を脅かす者(外敵・タブーをおかした犯罪者)は、
タブーの対象から除外される。
このタブーは、共同体の法や戒律として制度化されるとともに、
共同体を構成する人々の心にも内在化される。それが倫理、道徳、良心と呼ばれるものである。
856 :
855:2007/11/20(火) 01:05:43 0
ただし、「なぜ殺してはいけないか」という問いに対して
説得力をもつのは、やっぱり@のような倫理的なアプローチ
なんだろうな。
ぼくの考えを書くと
倫理の黄金率というのは、
「汝の欲せざるところを他人になすなかれ、汝の欲するところを他人になせ」
ということらしい。
これはきっとぼくらが自分ひとりでは生きられないからだろうね。
857 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 01:42:07 O
>>856 根拠を示さない、だれかの言った伝聞を信じてしまう。
あんたは教徒そのもの。哲学徒とはある意味、対極の存在。
ことばに酔っているに過ぎない。
858 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 01:50:43 O
同質あるいは同種の間で殺し合いが前提となると、コミュニティも作れないし強調もできないから、安定しないでしょ。
物理学的にも化学的にも安定を思考するから、生物もそうなんだろうね。
で、エントロピーの増大により殺しありとか、不安定を思考するヤツも出てくると。
859 :
855:2007/11/20(火) 02:10:24 0
>>857 「倫理の黄金律」は常識。無知は責めない。でも、
哲学徒云々と言うなら、ググるぐらいの努力はしなよ。
それに、いったいどこから、「信じる」とか「教徒」とか出てくるのか。読解力不足。
哲学に向いてないんじゃない? もっとも哲学なんて、下らないものの最たるものだけど。
860 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 02:39:34 O
確かに知らなかったね。
そんな黄金率とかなのる、ごたいそうなものがあったとは。
で、なぜそうなるかあんたは考えたことあるの?良かったら聞かせてくれる。
あんたにとって哲学が下らないかどうかは別にどうでもいいからさ。
861 :
855:2007/11/20(火) 02:50:26 0
きみって、面白いなあ。
それを856に書いたんじゃない。
もう寝ます。おやすみ。
862 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 03:17:14 O
おはよ
ごめんね。書いてあったかー。
おやすみ
戦争で殺すのはたとえて言えば殺し屋として雇われたから
職務の遂行上殺すようなもの。職務を遂行する事は契約だから
契約を守ったがゆえに良いと評されたということ。
しかし、それは緊急事態において仕事としてしょうがなくやるもの。
危機を回避する職務としてやるものだから、消極的な意味で良い
という事。本当は殺さないで済む状況であった方がより良いと思う。
アボリジニは狩られまくってました。
レミングは集団自殺するけど種として安定しているようです
人間のすることなんてされる方にしたら大概悪いことで、
する人間にしたら都合のいいことなのである
人間いないほうが生態系は安定するよ
868 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:25:57 0
おまいらはね、議論のための議論をしてる
つまりな、何のために議論してるのか考えてないわけ
それって、単なる作業、低脳がクダ巻いてるのと一緒なんだが、、
あ、ごめん、それで良かったんだよな、オマイラの場合w
なぁ〜んだ合ってるじゃん
>>868 わかってるならほっといてやれよw
隔離スレなんだからw
870 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:28:55 0
私の場合、40歳代の無職なので、自殺しないために考えたいと思っているんです。
自分を他者と考える仕方です。
871 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:44:47 0
>>870 >自分を他者と考える
だったら使いこなせばいいじゃんよ殺さずに
「考える」のは脳であって、つまりは「脳こそがおまえ自身」ってわけだろ
で、脳の下部に付いてる身体は「おまえ自身」から見たらただの地球人
車を動かすごとく命令して動かして操縦すりゃいいのよ
操縦マズって地球人(身体)に怪我させたり
予期せぬ事態に追い込まれたって気にするこたない
所詮はおまいから見たらただの地球人
怪我させながら手なづけていきゃいいじゃんよ
872 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:51:08 0
>>871 そこまでラジカルにのうを特化して考えることは今の若い人ほどはできないのかもしれないです。
のうも臓器の一種のように扱ってしまっているかもしれないなあ。
犯罪者ののうを調査すれば犯罪が減るような研究もあるようなのでのうの解明がまたれるのかもしれませんね。
よくかんがえてみます。
873 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 21:06:28 0
>臓器の一種のように扱ってしまっているかもしれない
もらい手無いかもしれないけど
いちおう臓器ドナーにおまえの脳を登録しといて
もらい手あったら供出しちまえよそんな糞みたいな脳はw
874 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 21:07:28 0
875 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 21:11:17 0
>>874 糞以下のようだな どうやらw
なんのヒネリも無い
ウィットもナンモ無いカキコしかできない脳だったねw
>>875 電話かけて来い
09024175471
非通知でかけてんじゃねえよ
ヘタレが
>>876 電話掛けたら、ヤクザだったらヤだな
電話掛けたら、呪われたりしたらヤだな
電話掛けたら、逆探知されたらヤだな
電話掛けたら、高額の通話料請求されたらヤだな
電話掛けたら、相手が童貞無職引きこもりニート廃人だったら……
879 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 21:55:54 0
>>878 あたなが匿名でしかひとを非難できない小心者だけがこのスレの真実、ということだよ。
あなたなんか殺したって何の得もないですよ。
880 :
710:2007/11/20(火) 22:05:20 O
>>868 議論を行うために議論することが馬鹿のすることなら、私は喜んで馬鹿となろう。多分、君にはこの感覚は理解できないのだろうね。
ところで、この板の誰かが倫理的アプローチが説得力があると述べたが、説得力云々は全く関係ないのだよ。
「議論の為の議論」て単なるレトリックだから気にしないで。
軍人も人を殺す為に人を殺して練習はしないでしょ。
携帯番号晒すとか・・・
さすが哲板くおりてぃーたけぇ・・・
>>1 殺人行為が問題解決の手段であるならば、
殺さずに問題解決が出来れば「より良い」と思います。
殺さないと問題解決が出来ないくらい極限状況になる手前で解決が
出来れば「より良い」と思います。
目の前に危機が迫っている緊急時は、平時と異なる規則で動くことになります。
緊急事態ではしょうがなく殺す事になりますが、それはしょうがない
からやるんです。早く平時に戻ることを望みます。良いとは思えません。
何故なら、非常事態が継続されると不信感、不安定感、復讐の連鎖、
憎しみの増幅、身体生命財産の危機その他もろもろの嫌な感じが強まる
からです。
もし殺人行為が目的であるならば、サイコかもしれなので治療してもらいたいです。
じゃあ動物を殺してくうんじゃねぇよ
殺さずに生きろクソヤロウ
>>883 それらの言説の最終的な根拠は9行目の「嫌な感じ」なんだね
人殺し自体が悪いのではなく、
それが行われる時代、環境、世界によるのでは?
887 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 18:45:35 0
>人殺しは何故ダメなの?
ダメじゃね〜ってw
人殺ししなきゃなんない必然性てのがわからん。
そういうことしなくて暮らせるぐらいにはみな賢くなったし豊かになったはずなのにね。
無責任なことを
890 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 05:18:23 0
地球という星の中から生まれた人類は英知を授かりやがて地球を統べる者になりました。そして人類は次の統べる者を生み出さないよう
人類以外の生き物を管理し始めました。人類は飽き足らず今度は人類の中で統べる者を決め出し合いました。
英知を授かってからの人間は地球の生態系をも壊し始めている。窮地に陥ると欲が働き救済措置を急に行いはじめる。
まったくもって人間は身勝手な生き物だね〜 欲の塊なんだよ。人類以外にもいえるけど欲がなきゃあ食べたり生き物を殺すって行動ができないんだよ
生き物が存在しあうまでは永久的に行われるもの即ち道理だね。
891 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 08:57:00 0
何いってっか分かるように書けや
892 :
藤堂平助:2007/12/02(日) 21:51:45 0
少し前まで(幕末等)では人殺しは平気で行われていたし
自分の思想のもとにそれをする事は正義だと考えられていた
だがそういう人間は自分も常に殺されるという危険が常に付きまとう
自分は、殺してはいけないという倫理感は自分が死にたくない、安全でいたい という感情の起因によるものだと考えている
俺は死にたくないし安全でいたい
自分にはそれを冒してまで
人を殺してまで守りたい
主義や思想も無い。
あまり現代では思想や主義をそこまで大切にする人はあまり見られない
だから人を殺してはいけない という倫理感が氾濫しているのだろう
非常に拙い文章で申し訳ない。
何で殺してはいけないかと自分で考えるんならいいが、
人殺しは何故ダメなの?と他人に聞いてる時点で、
他人から怒られたくない、他人から正しいと認められたい
という気持ちが透けて見える。質問した時点でもう答えは出ている。
答は・・怒られるからだw
麻原を死刑にしても誰も怒らんぞ。
いいや、今やったら弁護団が怒る。
896 :
.:2007/12/02(日) 22:46:13 0
897 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 00:02:07 O
人殺しに限らず善悪の根拠は突き詰めていくと、合理的な理屈では説明出来ないと思う。
また善悪に限らず、全て合理的なものは不合理なものを根底にしてあると思う。
何故人を殺してはいけないか?それは理由があろうとなかろうと、オレの良心がダメだと言ってるからだ。
898 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 01:19:39 0
>>897 >合理的な理屈では説明出来ないと思う
あのね、次の文章↓がおまえには合ってると思うぞ
「自分の場合、合理的な説明は理解出来ないと思う」
899 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 04:11:24 O
殺しなさい
ただしあなたも殺される
900 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 04:22:11 0
人を殺すことは、自由主義経済の法治国家では悪だ。
殺人は健全な社会と経済の発展に悪影響を及ぼす。
したがって日本のような先進国で殺人は許されない。
まぁ、あれだ。疑問があるなら南アフリカのヨハネスブルグに行って3ヶ月
生活してみろ。人を殺すことについて、あるいは法を守ることについて
>>1なりの解答を得よう。まぁ生きて帰ってこれればな・・・
901 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 05:52:44 0
>>900 しかし、無法地帯に行った
>>1が身を守るために人を殺して
生きることを選択するかもしれんしな。殺さなければ殺される
という土地で、そんなこと言ってる暇はないだろうよ。
>>901 殺さなければ殺されるという土地なら人を殺して生きるという選択は当たり前だし
それは
>>900も否定してないだろう。
それを踏まえて
>>1がどちらの国により住みたいかを選べば、
それが>>1なりの解等になるということじゃないか?
もちろん
>>1が殺意の波動に目覚めちゃたりして・・・
という可能性も否定できない。
903 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/12/03(月) 07:00:37 0
>>893 おもしろい。
これまでに見聞したなかでいちばんおもしろい意見だとおもう。
感心した。
904 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 08:09:05 0
働きなさいよ もういい歳なんだから
↓
905 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 18:11:30 O
(´・ω・`) ショボーン
906 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 18:16:36 0
だめはだめ
907 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 19:25:36 0
909 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 19:36:47 0
殺人は経済の発展には悪影響は及ぼしませんね
910 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 21:38:52 0
>>1 人を殺す自由か
モンテスキューは「自由とはすべての法律で認められた権利を行使すること」といっている。
法治国家に犯罪を犯す自由はない。
どうして人を殺してはいけないか、法律で犯罪と定められているから。
911 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 22:31:05 0
>>1 ちなみに「殺人=悪」ということを道徳、良心の観点から万人を納得させ
ようとしてもまず不可能。
「超越的な問題に、内存在的認識のために創られた言葉で回答を
与えようとすれば、矛盾に陥らざるえないのだ」byショーペンハウエル
だからこそ法律で殺人を犯罪と規定しなくてはならない。
>>909 十分悪影響あると思うが。
殺人OKのリアル北斗の拳社会のほうが、経済発展するのか?
>>911 法律で決まっているからダメ。というのなら大いに納得できる。
しかし子供の頃には、「法律や損得を度外視しても、明らかに殺人は悪」
というふうに教わった気がする。こちらは、よくよく考えると納得できない。
法律以外に何も根拠がないならそれでいい。
法律や損得関係なしに、道徳の観点から殺人を悪と断じる連中こそが
気違いじみている。それは間違ってないよな?
913 :
910-911:2007/12/03(月) 23:13:12 0
>>912 >しかし子供の頃には、「法律や損得を度外視しても、明らかに殺人は悪」
というふうに教わった気がする。こちらは、よくよく考えると納得できない。
言葉には話すほうも受け止めるほうも限界があるからね。
道徳や良心にしても個人によって解釈が違うから。
顕著な例で言うと十字軍とかね。
>法律や損得関係なしに、道徳の観点から殺人を悪と断じる連中こそが
気違いじみている。それは間違ってないよな?
「殺人は悪でない」と発言することに関しては、言論の自由で保障されている。
914 :
考える名無しさん:2007/12/03(月) 23:31:57 0
>>912 913を訂正
>法律や損得関係なしに、道徳の観点から殺人を悪と断じる連中こそが
気違いじみている。それは間違ってないよな?
法律の基づかない善悪の判定は不可能。ショウペンハウエルの言葉参照。
あなたが正しいとも相手が間違っているともいえない。
双方の主張は思想信条の自由、言論の自由で認められている。
915 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 00:38:12 0
自分が他人に殺される状況を考えれば、なぜだめかなんとなくわかるものだ。
916 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 02:30:13 0
>>915 日本ならそれも通用するけど、アメリカは他人が庭に入ってきて、
警告しても出て行かないなら躊躇なく撃つ。
もちろん撃たれた相手が死んでも無罪。
昔、その法律を知らなかった日本人留学生が殺されたよ。
917 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 02:37:37 O
すでに、社会の存在価値上殺人はダメと、
たいして深くもない解が示されているのに、
法律など持ち出して、何故さらに浅い方に向かうのか分からない。
さらに言えば社会の存在理由において、
経済の発展なぞ二次的三次的なものにしか過ぎない。
質問。人が産まれ落ちて最初に作る社会は何でしょう?
>>912 親が子に自分の価値観美意識を示す事は
別に非難することではない。
もしかしたら親にとってそれを伝える事が
あんたを産んだ意味かもしれない。
918 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 03:29:33 0
>>912 例えば
>>907の事件の社長なぞせいぜい3年、多分執行猶予つきますよ。
社長はすぐに復帰して稼げるわけです。
でもってもう会社にいちいち怒らないといけない作業員はいないわけです。
会社はウマー→経済発展に寄与。
919 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 03:35:33 0
>>917 >すでに、社会の存在価値上殺人はダメと、
>たいして深くもない解が示されているのに、
戦争、安楽死、中絶、死刑もあらゆる解釈しだいでは合法殺人になるが。
>法律など持ち出して、何故さらに浅い方に向かうのか分からない。
何を根拠に法律が浅く、哲学が深いということがわかるのか。
せめて自分の論拠を示したらどうか。
>さらに言えば社会の存在理由において、
>経済の発展なぞ二次的三次的なものにしか過ぎない。
それはあなたの意見でしょ
>質問。人が産まれ落ちて最初に作る社会は何でしょう?
意味不明。
920 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 03:35:48 0
>>912 >道徳の観点から殺人を悪と断じる連中こそが気違いじみている
悪いけど、お前のほうがキチガイ。
法的に許可されたら人を殺せて、法的に禁止されたら殺さないなんて、
そんな簡単に法律で頭のスイッチが切り替わる奴の方がキチガイだね。
もうそんなのは狂ったロボットに過ぎないな。人間じゃないよ。
俺は法律なんか関係ない。道徳的に見て殺すべきだと思えば殺すし、
道徳的に見て駄目だと思えばやらない。
922 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 03:54:48 0
おまえの道徳とやらなんだい
923 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 04:01:47 0
自分の道徳に許可されたら人を殺せて、自分の道徳に禁止されたら殺さないなんて、
そんな簡単に自分の道徳で頭のスイッチが切り替わる奴の方がキチガイだね。
もうそんなのは狂ったロボットに過ぎないな。人間じゃないよ。
俺は道徳なんか関係ない。法律的に見て殺したくても殺さないし、
法的に見て駄目だと思えばやらない。
924 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 05:10:29 O
>>919 >合法殺人になるが。
合法だからなんなの?
>法律が浅く、哲学が
別にこっちは法律と哲学を比べていない。
法律が禁じているからというなら、なぜその法律があるのか?となる。
その答えはすでにでていると言う意。
どうせなら、なぜその社会はあるのか?と進まなければ
議論として深くならないという事。
>あなたの意見でしょ
その通りだがなにか問題でも?
>意味不明
なら答えてもらわなくて全然かまわない。w
925 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 05:11:20 0
926 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 05:41:49 0
>>924 >どうせなら、なぜその社会はあるのか?と進まなければ
だったら最初のレスでそういえば、どう?
議論の前に自分の考え述べたら。
なぜその社会があるのかという説明を。客観的に。
あなたの考えがないと話にならんだろ?
927 :
926:2007/12/04(火) 05:58:17 0
>>924 >法律が禁じているからというなら、なぜその法律があるのか?となる。
その答えはすでにでていると言う意。
その答えというのはどの本に書いているんだ?確認してみたい。
どの出典とページ数を銘記くれないか。あなたの読んだ本でいいからさ。
928 :
912:2007/12/04(火) 06:37:12 0
気違いという言葉がやや過激すぎたようだ。
俺は、殺人は悪いことだと「思う」、と発言する人は別におかしくないし、普通だと思う。
例えば数学の定理は、それぞれ何故成立するか、納得できる根拠を教えてもらえる。
しかし、「1+1=2」である根拠は特に教えてもらえなかったと思う。
「そういうものだから」で終わりだし、それでみんな納得する。
殺人はダメだというのも、「悪いことだから」という説明で、特に根拠は教えてもらえなかったと思う。
だが、「殺人は悪いこと」ってそこまで明らかなことか?「1+1=2」と同じくらい明らかか?
根拠を示さずに、「殺人は『明らかに』悪である」というのは論理的でないし、納得できない。
「悪だと思う」なら別にいいが、「明らかに悪だ」という人間は、気違いというか、何も考えてない。
929 :
912:2007/12/04(火) 06:52:36 0
「と思う」が多くて申し訳ない。
でも、世間的には殺人は「明らかに悪」って言う人多いよな?
親も先生も、「(明らかに)悪いことだから」という説明しかしない。
このスレの
>>11みたいに、人殺しは何故ダメなのといっただけで
論理的根拠もなく人間失格呼ばわりするやつもいる。
俺は、そのような「明らかに」悪であるという説明が、論理的でないし、おかしいと思う。
先生とかに何故悪いことなのか聞いてみても、「人の嫌がることはしてはいけない」
みたいな、非論理的な答えしか返ってこない。人の嫌がることは何故悪なんだ。
論理的根拠のないものを信じるのは、宗教くらいだ。
それを押し付けるのは宗教の押し付けみたいなもんで、狂信者じみてる。
930 :
926:2007/12/04(火) 06:55:10 0
>>912 あなたは自分の意見を堂々と述べてるから立派。
自分の意見も述べないで批判する連中より100倍立派だと思う。
あなたに贈る言葉
「事実などない。解釈があるだけだ」byニーチェ
日の俺の書き込みは910.911.913.914.916.919.922.923.926.927
931 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 07:21:49 0
「解釈は人の数だけある。だが本質はひとつだ。」by俺
この題目に対する本質、それは死。
932 :
哲学初心者:2007/12/04(火) 10:45:22 0
個人にとって自分は他人より重要であるから、
もし人を殺してはいけないと言うルールがなくなったら
全国民が暴力団になる。自分の利益の追求のために殺しあうようになる。
自分が生き残るために殺しあうようになる。すべての経済活動が否定される事になる。
だからしかたなくルールを作っておいているだけ。
アメリカがイラクと戦争としてイラク人を殺すのいいのは
道徳的解釈による善が道徳的解釈による悪を滅ぼしてもいいと言うルールを作るから。
この時の悪の意味は善にたいして抵抗する者。つまり強者の理論。
んでなぜ殺してはいけないという事だけれども
別に殺してもいいと思うよ。だって人の欲望は果てしないんだもの。
俺は生まれたからには長く生きたいから嫌だけど。
933 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 11:06:44 O
納税者が減るからに決まってんだろ
934 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 11:35:00 O
殺してもいいよ
殺される覚悟があるならね
935 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 12:29:51 O
>>930 自分の意見を言えだのいいつつ
それはあなたの意見に過ぎないだの、書いてある本を教えろだの
言っていることが矛盾していることに
まず、あんたは気付くべき。
ちなみに哲学書は読んだ記憶がない。w
ナチス時代のドイツを思えば、法律なんて糞以下になることもあると分かる。
自分の家族がナチ党SSに強姦されれば法律違反だろうが殺す。
法律よりも上の価値がある。法律の奴隷なんて人間じゃねえよ。
937 :
藤堂平助:2007/12/04(火) 14:14:57 0
それは自分の危険を冒してまで守りたいものがあるからだろ
でも殺せば殺されるぜ?
938 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 20:54:10 0
912です。ちなみに
>>735で究極の結論(笑)を述べたのも俺です。
言いたいことは、
>>932に近い。
俺が殺人をしないのは、殺人による効用がコストを下回り、損をするから。
俺が殺されたくないのは、死にたくないからw
日本が殺人を罰するのは、そうしないと国益を損なうから。
>>936が言うのも、「ナチ党SS」を殺すことの効用が、法律違反等のコストを
「上回る」から殺すということだ。
つまりこの場合は、合理的に考えて殺すほうが、本人にとっては得だから、殺す。
以上のように、個人だろうが国家だろうが、殺人を否定する理由は損得のみであると考えている。
損得と手段の是非は関係ないと俺を批判した人がいたが、その根拠は教えてくれなかった。
損得を度外視しても殺人が悪だとする論理的根拠があるなら、喜んで受け入れようと思うのに。
論理的根拠もなく、「明らかに」殺人は悪だとする人間が気に入らない。
940 :
考える名無しさん:2007/12/05(水) 01:28:24 0
人殺しがダメなのは、未来への生活設計や展望、あるいは経験するであろう
体験を遮断する事に加え、多くの場合、死ぬまでに感じるであろう苦痛や
恐怖などの危害を加えることになるからダメなのではないでしょうか?
941 :
考える名無しさん:2007/12/05(水) 01:46:51 0
>>940 それは人以外にも当てはまるね。
食べるために殺すのと同じく、相応の利益があれば殺してもいいってこと?
>>940 人殺し=危害を加えること、ってことはわかる。
危害を加えることになるから→ダメ、のつながりについて詳しく説明頼む。
「相手は痛くても、わしは痛まない」からダメじゃない、
と言っても十分理屈が通るぞ。
943 :
考える名無しさん:2007/12/05(水) 10:07:35 0
>>940 思いついたとしても論理的欠陥がありすぎて誰も言おうとしない事を言ったな。
未来への生活設計や展望?
そんなの関係ねぇ!
経験するであろう体験?
そんなの関係ねぇ!
死ぬまでに感じるであろう苦痛?
そんなの関係ねぇ!
論破完了。
944 :
考える名無しさん:2007/12/05(水) 18:13:36 0
論破って、そもそも
>>940は論になってないだろw
それを論破したとなるとおまえの論は一体なんなんだよワハハハw
945 :
考える名無しさん:2007/12/05(水) 23:15:11 0
そんなの関係ねぇ!
946 :
考える名無しさん:2007/12/06(木) 00:42:24 0
>>939 それって道徳じゃないの?
何か功利主義っぽいね。
つーか、939って得とかコストとか言っても全然数字として
出してないし、
どういう計算式かも分からない。939はコスト面で数字的に
損であっても殺すこともありそうだし、自尊心の面から見て殺す
ことが得であるように見えても殺すことがないかもしれない。
となると939は嘘という事にもなるが、そもそも計算式も数字も
出さないのだから検証しようがないので、
939の意見は検証不可能であり感情的であり、論理的ではないと言える。
948 :
939:2007/12/06(木) 06:49:43 0
>>947 すまんが、数字を出さなきゃいけない理由が良くわからない。
それに、数字は出せない。「効用」や「コスト」には、金銭的な損失・利益だけでなく
本人にとっての感情的な損得や、刑罰を含む社会的損得等、何もかもが含まれるからだ。
どうしても計算式が見たいのなら
「X=殺人による良いこと−殺人による悪いこと」
となると思う。良い・悪いというのは、殺人をする(しない)人本人にとってね。
で、Xがプラスなら殺人を実行し、マイナスなら実行しない。
「良いこと」が例えば、「家族を強姦した憎いナチ党SSを殺せる」だとか、
「目の前の殺人鬼を排し、自分の命が助かる」とかのように極端に大きければ、
刑罰その他の「悪いこと」がある程度大きいとしても、Xがプラスになり殺人を実行する可能性が高い。
また、殺人が絶対にバレることがないような極端な場合でも、「良いこと」がゼロならば、
「悪いこと」が「殺すのがめんどい」という小さいことしかなくても、Xはマイナスになり、殺人を実行しないだろう。
要は「本人次第・状況次第」ということだから、検証はできないかもしれない。
しかし、それが論理的でないという理由がわからない。
949 :
939:2007/12/06(木) 06:56:42 0
>>946 道徳って呼ぶのかな、これ?
まあ俺は、「殺人はダメである。それは、○○だから」という納得できる根拠を求めていて、
「とにかく、明らかに殺人は悪なんだよ!」と全く根拠を示さない人が気に入らないだけだ。
「殺人には不利益大きいから」が理由であり、かつ、それを道徳と呼ぶのなら、それでも納得する。
活かす方が金も苦労もかかるから、馬鹿は殺された方がいいんじゃない?
>>948 お前さあ、効率主義のパラドクスって知らない?
現在は得だと思ってやった行動が、後から損として勘定される
ことがあるから、未来の価値は正確に計算できない。つまり効率主義は
一見上手く行くようで行かない。得だと思ってやった行動は、実は
その時点での思想と環境によって規定されていて、次の時点では
環境や価値観が変化しているから、その時点での価値と異なって
しまうというわけ。
よって943は全く論理的じゃない、ただの信念。個人的直観。
コスト計算なんか何にもしてないくせに、コストとか言い出してるから
インチキだっていうんだ。
これをやっておくと何か得かも〜何か得な気がする〜という
非合理的非科学的思想(雰囲気、直観)を信じているに過ぎない。
952 :
948:2007/12/06(木) 23:49:31 0
>"効率主義のパラドクス" に一致するページは見つかりませんでした。
google先生を超える知識などは、私、あいにく持ち合わせておりません。
あなたの博識さには、全く恐れ入ります。
951が言うのは、今得だと思ったことが、将来も得かどうか
わからないってことだよな。
>これをやっておくと何か得かも〜何か得な気がする〜という
>非合理的非科学的思想(雰囲気、直観)を信じている
というのもその通りなんじゃない?たぶん。しかし、今してるのは人殺しがダメな理由の話だぞ。
「効率主義」がうまくいくかどうかとは、関係なくないか?
お前の言い方で言うなら、俺は「人殺しをすると、何か損な気がする」から人殺しをしない。
それが人殺しがダメである唯一の理由である。これは正しいのかな、と言っているだけだ。
951の、「…価値と異なってしまう」と「よって…全く論理的じゃない」のつながりが俺にはわからない。
>>951 ついでに聞きたいんだけど、
「これをやっておくと何か得かも〜何か得な気がする〜」行動をするのって、
合理的じゃないのか?非合理的なの?
ってことは、100%、絶対に得をすることが明らかな行動をしないと、合理的じゃないってこと?
そんなことできないよな。「合理的」な行動をする人間は、この世にひとりもいないってこと?
「合理的」って、もうちょっとブレ幅があっていい言葉だと思ったんだが。
954 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 01:15:31 O
さて
人が産まれた時持つ権利はただ一つ、死だけである。
いきつづける為には、母親の庇護が不可欠。
そこに最初の社会が生まれる。
俺は母親いないけど
956 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 01:21:42 0
957 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 01:33:15 O
ここに二つの疑問がうまれる。
一つ目は何故生きるなければいけないのか?
言い換えれば何故生きたいのか?
二つ目はなぜ親は子を産みまたそだてるのか?
958 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 01:46:04 O
言う迄もなく
親だけでなく、なんらかの社会をつくらなければ生きられない
ということ。それが人さらいだろうと、狼だろうと。
以後白痴的な揚げ足にはめんどいので無視するから
気をつけてね。
959 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 03:54:24 0
>>942 ほとんどの人間は苦より快を求める。
苦を求める場合は苦に対する利益、
すなわち快があるからだろう。
したがって、ほぼ全ての人間は苦を求めない。
だから苦である危害を求めないからダメ。
こんなもんでどうだろうか?
>>941 動物も入りそうだね。
利益というより、お互いの合意があればOK
960 :
考える名無しさん:2007/12/10(月) 14:06:09 0
ま、法律でそうなってるから。
昔は動物を虐待しても別によかったんだけど、法律ができてだめになった。
961 :
考える名無しさん:2007/12/10(月) 22:38:30 0
聞くが、
「誰が」人殺しはダメと言ってるんだ?
962 :
考える名無しさん:2007/12/10(月) 22:40:55 0
人殺しは牢屋に入れられる。
つまり、人を殺してはいけないと社会が言っておる。
963 :
考える名無しさん:2007/12/10(月) 23:49:12 O
ボウヤだからさ・・・。
964 :
考える名無しさん:2007/12/10(月) 23:59:38 0
動愛法
(基本原則)
第二条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、
動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないように
するのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して
適正に取り扱うようにしなければならない。
動物は殺してはいけないんだね。
第199条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
人間は殺してもいいわけだね。
965 :
考える名無しさん:2007/12/11(火) 00:03:24 0
人って気づかないうちに
日常的に他人を殺しているようなものなんじゃない?肉体じゃなくて精神を
966 :
考える名無しさん:2007/12/11(火) 01:11:40 0
>>962 >人を殺してはいけないと社会が言っておる
社会って「誰」よw
「社会」がしゃべるわけないだろがこの唐変木!
大丈夫かオマイw
967 :
考える名無しさん:2007/12/11(火) 03:47:12 O
あんたこそ
誰が言っていれば
納得するんだ。w
968 :
考える名無しさん:2007/12/11(火) 23:47:58 0
>>966 お前の両親だ。
ここまで言えば気づくか?
969 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 19:02:12 0
>>968 社会・・がおれの両親のことだと?
アホかおまいはw
おれの父親は・・禁煙の場所でタバコをぷかぷかふかし
酒を飲んではだれかれ構わず女の尻をさわりまくる
母親のほうは負けずにアルコール依存症で入院中だし
飼ってた犬を餓死させたが、、
そんなのが「社会」だと?
そんなんがナニ言おうが、、そんなの関係ねぇ〜 !!
そんなの関係ねぇ〜 !!
そんなの関係ねぇ〜 !!
そんなの関係ねぇ〜 !!
そんなの関係ねぇ〜 !!
じゃね?
970 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 01:21:00 O
センスないね。ベタすぎ。w
ガキっぽいこと言ってるわりに昭和を感じる。
971 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 01:25:44 0
>>969 関係あるだろ。
お前みたいなバカでも親がいなければ、成長できなかったんだから。
あ、成長してないのか。
972 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 01:42:15 O
そもそも殺人は何故法律上禁止されるか
敢えて答えるとすれば社会の秩序を維持する上で無闇に人が殺されると、国家に対する信頼が失われ、人々は自分の身は自分で守ろうとして法律に関係なく武装したり、自警団を結成するようになる。
その上、信頼できない国の制度など誰も守らなくなる。
そうなったら秩序を維持できなくなる。だから殺人は禁止となっている。
973 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 01:46:15 0
>>972 >そもそも殺人は何故法律上禁止されるか
禁止はされていないような?
第199条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
だって、刑法は禁止を犯した者をどう扱うかを定める法律だもの。
975 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 02:38:00 O
汝、殺すなかれ
976 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 03:51:59 O
殺すのがダメなら正当防衛で殺すのもダメだよな?死刑もダメだろ?
本能で殺すのを否定して、罰で殺すのを認める制度などいらん。
殺そうとして殺すのも、自分の保身で殺すのも、死刑で殺すのも全部おんなじだ
ダメってなんだよ、ダメって。
親がダメと言ったらお前は一生絶対にやらないのかよ。
人がダメと言ったとか関係ない。自分で何がダメで
何が良いのか自分で考えろ。
978 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 19:42:03 O
↑バカ
例えば根本仏教でいえば、
基本理念である戒(シーラ)では
「生きとし生けるものは、均しく全てが仏子であり、どんな生き物の命も無闇に奪ってはならない」
というもの。理念上は人間と他の生き物は区別されていない。
これが教団組織を維持するための律(ヴィヤナ)では、
人間の命を奪ってはいけないと、人間が特別扱いになっている。
ようするに、理念と社会や組織を維持するための規則は別の基準が必要ということ。
宗教心の無い人間にとって、律法、ようするに法的な制約を無視すれば
「虫や魚などの命を奪ってもいいのなら、原理的に人間の命だって奪ってもいいはず」
といった考えを持つ者が出てくるのは必然。
980 :
考える名無しさん:2007/12/17(月) 09:57:02 0
本に高い値段が付けられてる場合、100%見かけ倒しでFA♪
↑?
982 :
考える名無しさん:2007/12/17(月) 23:04:23 0
人殺しは何故ダメなの?
この問いは、人殺しがダメな理由を問うている。
つまり、
>>1は「人殺しがダメな理由があるはずだ」ということを暗黙の前提としている。
これは、「理由という病」ともいうべきものである。
例えば、誰かが突然自殺したとしよう。この時、すぐに「何故自殺したんだ?」ということに
なってしまうのも「理由という病」である。
「理由という病」は、事実よりも理由を優先させるが故に病なのである。
行為が「存在したという事実」と、あるいは、行為についての禁止命令が「存在するという事実」と、
行為の「妥当性」(非妥当性)を混同してるな。
984 :
考える名無しさん:2007/12/18(火) 00:53:43 0
先生!
「病」病にかかっている患者を発見いたしました!