968 :
考える名無しさん:
生きているのがつらいなら
少し死んで見ればいい by 直太朗
969 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/25(金) 22:22:51 0
可哀想だから愛しているよwww
970 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 01:31:36 0
>>968 何を言ってる。今までみんな頑張ってきたんだ。だからこんなにひどい状態になったんだぞ。
公害で溢れ温暖化の危機が迫っている。これはみんなが頑張ったからだ。つまり、頑張る
ことは悪なんだよ。頑張ることは過剰な破壊に繋がるんだ。そして頑張った本人も体を壊す
という報いを受けるんだ。これは頑張るという愚かで間違った行為に対する天罰だ。
971 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 03:21:20 O
頑張るはそういうことじゃないんだよ。
頑張るというのは戦前の日本人みたいな精神を言う。
みんなのために捨て身で頑張る。
戦後の日本人は自分だけのためにやってきたから次世代がトンデモナイ悲劇を被ってる。
972 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 04:25:52 0
>>970-971 頑張る・・を他の言葉に置き換えてみ?
英語でもいいが、、
よく意味が解かってないだろ?
973 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 04:28:15 0
>>972 そんな美化された記憶しかない老人の話を真に受けてどうする。
974 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 04:31:10 0
975 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 04:44:51 0
みんな知ってるか?
我慢には、耐えることという意味と、
他を軽んじて高慢になって我を張る事、そして入れ墨という意味もあるんだ。
976 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 04:48:14 0
頑張るという言葉は、我を張るという意味もある。
必ずしも他人のためでなく、むしろ自分のためなんだ。
「我を張る」の当て字が頑張るになったのだ。
977 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 05:47:00 0
我を張るのはよろしくないですね。
978 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 10:33:07 0
税金、年金、健康保険、ちゃんと払っても役人がちょろまかす
おかしな運営をする
払ってるのがホントいやになる
異常に高い家賃
なんでも値上げするメーカー
消費税のアップ
もう生きてるのが嫌になった
自分はニートじゃない。年収は700万円くらい
それでもこうなる
都心に住む自分の家から杉並区より以西の都下のビルが見えない。富士山は見えるのに
新宿のcafeからみた遠景が途中でなくなって空がホリゾンみたいになってる
なぜ見えない
どうなってるこの世界は
生きてるのがホント嫌だ
979 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 11:34:25 O
最近の日本を見てると、国家と言う奴隷制度に見える
ま、日本自体、アメの経済的な植民地みたいなものだからな
と、奴隷が言っております
981 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 12:47:21 0
人生は楽しんだ方がいいのは確かだけど、苦痛を忍耐できるほうが
断然重要だと思う。
982 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 13:34:49 O
この世は夢なんだから何でも有りなんだよ
寝ている時の夢も色んなことが起きるだろう
この世が夢と思えなくて苦しんでいる者は
もっと心を浄化したほうが良さそうだな
983 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 13:37:41 O
>>981 苦痛に耐えてることにより、何かが改善されるなら、それは、良い手段だと思う。
でも、断続的に苦痛が続き、改善される見込みが無ければ、苦痛に耐えることは、愚かな手段だと俺は思う。
耐える行為は、目的を達成する為の手段と、捉える方良いと思うよ。
君の苦しみは、脳の反応なんだよ。
不安にさせる物質が、不安な考えを引き起こすのさ。
ある心理学者は、笑顔を作る事で楽になるよ、という。
それを続ければ、脳の反応も次第に変わっていく。
鬱病は現在、薬物療法が主流だ。
同じ理由でね。笑顔を作るのではなく、薬物で脳の反応を抑える。
君の絶望感は脳の反応なんだよ。だから思想を巡らすよりまず先に
行動しろってのはある意味正解なのさ。
なんにもしていないならなんかをしてみる
なにかをやりすぎているならやめてみる
けっこうこれだけでも心のふたんがちがうよ
>>984 そうだな、苦痛をもたらす仕組みの中にあって、苦痛を感じてないか、耐えている奴から見れば、
仕組みの中に「君」を組み入れることは、仕組みが仕組みであるために必要だという意味で大正解だな
仕組みの破綻が明らかになったら、苦痛を感じてない奴は苦痛を感じなければならなくなるし
苦痛を耐えていた奴は、何のために苦痛に耐えていたのかの意味が失われ、死にたくなるからな
是非に関わらず「君」を仕組みの中に組み入れなくてはならないw
仕組みが「人(「君」ではない、「君」が感じる苦痛は、本当は大多数の人のものだ)」に苦痛を
もたらすなら、まずは「人」の苦痛をもたらす原因を除去しようと考えるのがまっとうな反応というものだ
物質的に豊かでないときは、物質的に豊かにすることが解決だという道が見えやすかった
おいしい食べ物、洗濯機や掃除機、車、テレビ、いろいろなものを沢山つくれば、それでよかった
しかし、それらをつくって生活水準を向上させても、そこでなしうることに、心や体を向かわせることを
楽にすることまではできなかった
それは、動けば気力・体力はどうしても減る、それは若いうちは個人差はあれどごまかせるが、
長い人生を考えれば、どうともできないという条件がまずあった上で、
生活水準が向上しても、残念ながら、人の性格が穏やかになり、無駄に闘争・競争しなくなるようにはならなかった、
むしろ、物資的に豊かになるために必要だった要素が、大衆文化として生活全体を規定するようになり、
現在の生活水準を維持する「規範」として、ほとんど絶対的に近いものになった、
そのような状況の下では、人間の条件に照らして、どうしても不全感は避けられないのに、
そこを誤魔化す以外に、現在の社会は方法を見つけていない、ということがある
多くの人は、闘争的・競争的な文化に、程度の差はあれ内心疑問を感じている
しかし、生活水準の高さがつくられた条件として、そういう文化が必要であったこと、
維持されるために必要だといわれれば、それに反対する十分な理論を持っていない
まとまった批判をする機会や余裕は小さい頃からの教育を通じて排除され、
日々「生き残る」ために文化を守らざるをえない状態にある、という現状がある
確かに「君」が「君」のままであることは、何も変えない、だから、上のような社会であっても、
「君」は動かなければならない、というのは、その通りなのだろう
しかし、そのように考えることには、社会に対する厳しい批判が伴っていなければ、
結局現状を追認するために、「君」を騙すことにしかならない
「君」が騙されることによって、主観的に幸せになりえないとは限らないことが、問題を複雑にしている
981には「戦後の日本人は自分だけのためにやってきたから」に重ね合わせられるかと思って、
わざと
>>971を含めたんだけど、やっぱりちょっと違うかな?
「捨て身で頑張る」美意識が、戦後の「自分だけのためにやる」ことの美風を作った側面もあったからね
会社人間なんて、そのことの典型的なあり方だよね
みんなの範囲が相対的に戦前より戦後の方が狭まったんだよね、それにより表面的な自由が広がったから
戦後は自由になったと思っていたんだけど、実際には思想的に深い部分では、何も変わってなかったことが、
21世紀に入った今の、なんとも言いがたい閉塞感の実質として指摘できると思う
「自分だけ」は、本当は自分の周りの人とか、日本とか、自己と同一視できちゃう何か、と受け取った方が
実態とあっていて、そういう意味では、戦前も、形は違えど、戦後とあまりかわらないんだよ
981じゃなくて
>>988だった、すまん
ついでなんでさらに書いてみる
>>983は、多分
>>970の人だと思う。「君」の方向性はとても正しいと思うが、
983の「耐える行為は、目的を達成する為の手段と、捉える方が良い」は、混乱しちゃってると思う
まず、「耐える」ことを手段とみなすことは、日常的に言われそうな程度におかしくない表現だとは
思うけど、常識的に考えただけでも、手段として考えるにはあいまいすぎる
手段は、目的が設定されて、それを実現するために必要な条件として決まることだが、
単に耐えることが目的達成に役立つという場面は、実際には考えにくい
むしろ、問題の解決を先送りすることで、目的に付随する副次的なメリット(給料とか、社会的承認とか)が
得られることの「手段」になっているに過ぎないんじゃない?
983が「苦痛に耐えてることにより、何かが改善されるなら、それは、良い手段」というときの手段には、
多分「社会をよくすることに直接携わっている人」とか、そういう人を支援する方向で表現活動してる人とかの
イメージがくっついてると思うんだけど、そこで手段になってることって、あくまでそこにある改善方法や表現で、
苦痛に耐えるのは、単にそうしないと改善方法や表現ができないからだと思うんだよ
ただ、そこで改善方法や表現を高度に提供し続けられるタイプの人は、苦痛と感じられてもおかしくないことを、
苦痛と思わない素質に恵まれていることが多い気がするけど(それが学習できるのかは、正直よくわからないけど、
深く考えてみる価値はある問題かもしれない)
>>990 俺が考える『耐える』って言うのは…
何かを変えようとした時、必ず変化する期間ってものがある。
その期間、結果を急がず『機が熟す』まで耐える…って意味と。
相手(苦痛を与える側)に苦痛に耐える自分の姿を見せることで、その罪に気付いて改善するのが目的。(言葉で語るより、この方が効果は大きいです)
この方法は、相手が自分と、しっかり向き合ってくれることが条件になりますけどね?
それと、俺は
>>970じゃないよ
>>989 「実際には思想的に深い部分では、何も変わってなかったことが、21世紀に入った今の、なんとも言いがたい閉塞感の実質」
今書いたのを読み直してて思ったけど、これを一言で言い表す表現があるね、「空気」ってやつ
戦前は「日本」とか「天皇陛下」が「空気」を規定する機能を持っていたけど、
もちろん、規定される「空気」の中での日本や天皇陛下だって、「空気」そのもの(ある場にいる、
「空気」を信じる人々の発想と言動)だったのだが、対立する意見のどちらが「空気」かを決める
権威としての機能は、「空気」によって覆されなかったということね
簡潔には、「空気の上位にある審級として機能した」
戦後(20世紀末より前、オウムとか阪神淡路大震災とかが起きたあたりまで)は、
「日本」にそんな機能を持たせることは反動的だと考える勢力が十分強かったし、
もちろん、その強さの示し方は十分にうまくはなかったが・・・
(ただ、とにもかくにも、大まかな方向性としてはマシな面があったとはいえる)
「天皇」は「人間宣言」しちゃったから、内心はどうあれ、誰も権威とすることはできなくなった
でも、何かすることを正しくする基準を持ち合わせず、「空気」(「周りの目」「世間」「社会(「世間」と同義の)」
などに沿って決める発想に問題があることが、広く意識されるには至らず、それと、
>>987に書いたような
構造が、マッチングして大きな動きになることで、社会的な機能不全を引き起こすことは、21世紀に入って
からしばらく立つまで、ほとんど自覚されてこなかったっぽい
日本語でこみいった批判しようとすると、すぐに「場」に「あわない」とみなされ「空気を読める」「大人」
でなく、「現実」をよく理解しておらず「常識」がなく、「民主主義」を弁えておらず、「独善的」であり、
「バランス感覚」に欠け、「建設的な批判を不可能とする」、「ムダな話を蒸し返す」・・・といった発言を
見ることになる。建設的な批判を無条件に潰してでも集団的に自己弁護する、本来ならば最低扱い
されてしかるべき態度が、まるでまともであるかのように見せかけるのに好都合な表現が山ほどある
これでは、それに従おうが、従わなかろうが、閉塞感が漂うのは当然なわけだ
>>991=
>>983 そういう意味なんだ
しかし、そういう意味だとすると、仮に「理解」されたとしても、理解は伴わないよね
だから、理解が伴わなくても「理解」されればよい、ベタな言い方をすれば
「体制的」な表現において、多用されているわけで
機が熟すまで耐えているうちに、死んでしまう可能性大ですね
それでよいということなのかな?
だとしたら、まあ
>>986-987で批判した「君」を騙す人、
>>984と同類ってことになっちゃうね
(同じ人なのかな?)
994 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 17:01:21 O
最近ミニにタコで犯罪しそうで恐いです
995 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 17:05:45 O
>>993 耐えることで改善されないなら、良い手段だとは言わないよ?
物事には順序があってね?
右を向いてる人に、いきなり『左を向け』と言っても反感をかって、道のりが更に遠のくだけだよ?
>>992を書いているうちに、最近「日本」の話を含め忘れちゃった
992は、戦前は「日本」や「天皇陛下」が、「空気」の上位にある審級として機能したけど、
戦後に入ってからは、政治的にそれらが権威とならないよう制度が定まった
制度の運用の実態においても、1995年前後あたりまでは、わりあい、戦後的な見方
(いわゆる「戦後民主主義」的な見方。この言い方にはいわゆる「右」派的なバイアスが
入りがちだけど、)が影響力を保持していた
しかし、根本的なレベルにおいて「空気」は批判されず、
>>987に書いた構造とあわさって、
現在の社会的機能不全に至る・・・という流れでした
・・・で、最近では、当然、社会的機能不全の原因探しが始まったわけだが、その原因として、
「戦後民主主義的・個人主義、自己中心主義」的な「戦後」を挙げ、実質的には「戦前」と
同じ方向に戻す動き(か、利害計算に基づいた、便宜的な体制設計)の象徴的な表現として、
「日本」が一部で台頭してきている、と
「天皇」は、そこにあてはまる人達の見識によって、今のところ、そうした動きと距離をとっている
ようだけどね(「(国歌斉唱についての)やはり、強制になるということでないことが望ましい」
発言とか、最近の東京五輪誘致活動の流れとか)
>>995 問題は右・左どちらを向くかではなく、足下を見ろという話なので、そこで道のりがどうとか
言われても、そんな話してないし、としか言いようがないなあ、こちらとしては
997 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 17:23:12 O
>>996 あ、そう?
じゃあ、このままオナってれば?
あと、
>>985についてだが、一言で言えば、糸井重里的問題を感じる
そのようなやり方は、本質的に何の解決にもなってないことを、
本質的にすべてが解決されることのように思い込ませようとする。
そのようなやり方は、「『ひと』と、『しゃかい』」を本質的に「よい」ものとし、
そのことによって、「人と社会」を本質的に「悪質な」ものとするが、
その本質的な矛盾に、まったく目を向けさせず、「むじゅん」として解消しようとする。
>>997 >>992の最後に、「オナニー」という例も含めておくべきだったかな