現実(外界)はそれを見る心(内界)の鏡

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423考える名無しさん
虐めに関するよくある勘違いと正しい見方 ver.0711

其の零「虐められる側にも原因がある」
 "原因の追究"を途中で止めた結果陥る、典型的な錯誤である。理由がどうあれ、数ある選択肢の中からその行為を選択しているのは行為者自身。当然の事だが、虐める側が虐め以外の選択さえすれば、虐めは起こり得ないのである
 被行為者に行為の原因を求めるのは行為者の甘え・責任転嫁でしかない。これは虐待、差別、嫌がらせ、暴行の他、思考、解釈、期待、信頼、なども同じである
 この錯誤を主張する者は「虐めの原因」と「虐め発生以前に起きた他の事柄の原因」とを混同している事が多い。また原因(客観)と理由(主観)の区別が付いてない事も少なくない
加害者へ上手く対処できない無能な教師が、教育責任を放棄する際の言い訳にも、しばしば使われる
 虐めの真の原因は結局は唯一虐める側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐、思いやり)の欠如に帰着する。つまり100%行為者(の心)に原因がある。第三者は行為者の言い訳を鵜呑みにしてはならない

其の一「学校を何度変わっても虐められる。これは虐められる側に原因がある証拠だ」
 この場合、本当の原因は「どの学校にも多様な個性を受け入れられない未熟者がいる事」である。「多数派は正しい」という誤謬を安易に盲信してはならない

其の二「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠だ」
 この場合、本当の原因は「虐める側に虐めたくなる理由・口実がなくなったこと」である。結局は行為者が変わらなければ行為は止まない。「被行為者が変われば行為を止める」というのは「自分が変わらずに済むための逃げ口上」でしかない
 これに似た勘違いに「祈ったら病気が治った→祈ったことが治った原因」等がある。目に見える事象のみで物事の因果は測れない

其の三「虐めは人格に問題がある者を矯正する手段」
 人格矯正に必要なのは広く豊かな経験や知識であって虐めではない。寧ろ却って人間不信・社会憎悪を増しかねず逆効果。この場合、矯正すべきは「虐め以外の手段を知らない」者の浅はかさである(躾と称した虐待や体罰も同じ)

これ張ってくれよ