アメリカ及びヨーロッパ文明批判

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118純一 ◆Fn0dptrDJw
どうも、今日は珍しく、純一自身の生い立ちを交えて、
純一自身の性格を分析してみたいと思います。
119純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 11:08:36 0
私純一は、某県出身の夫妻の間に生まれた第一子なのですが、
父親が酒乱の気がありまして、母親は適当な性格をしております。
私純一は、精神医療の中でも心理学の知見を殆ど信用しておりません。
ですが、今回はその中でもある程度純一の精神の形成に確実に影響を
与えているものをピックアップして論じてみたいと思います。さて、

 日本では統計的にほぼ毎日純アルコール量で150ml(日本酒約5合半、ビール大瓶約6本、
 ウイスキーではダブルで約6杯)以上飲む習慣のある人を「大量飲酒者」と呼んでおり、
 厚生労働省でもこの大量飲酒者をアルコール依存症とみなしているようである。一方で、
 厚生労働省では健康日本21で掲げる適正飲酒という概念があり、これは1日平均純アルコールで
 約20g程度である。中年男性の3割以上が適正外飲酒に相当し、その多くはほぼ毎日常習しているので、
 アルコール摂取のコントロールが失われており、問題視されてきている。

この基準で行くと、家はこれに該当する事になります。
120純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 11:36:41 0
 原義は「アルコール依存症の親のもとで育ち、成人した人々」を指す言葉
 (Adult Children of Alcoholics, ACA, ACoA)である。1970年代、アメリカの
 社会福祉援助などケースワークの現場の人たちが、自分たちの経験から得た知識で、
 名づけて呼び始めたものである。学術的な言葉ではない。したがって背景にある社会や
 現場の状況の変化にともなって、定義が少しずつ変わってきている。

残念ながら、これに私純一がかなり当て嵌まるのです。
興味有る方は調べてみると良いと思いますが、私純一の性格の核はここにあると言えます。
ですから、そういう意味では、私純一の理論というのは、この性格を核にした、
一種のプロテクトであるとも言えますね。
121純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 11:54:17 0
何故、純一のこの様な脆弱な核を守るプロテクトが、
ぴかぁ〜や太郎やポールを打ち負かす程に協力な理論足りえたのでしょうか?
それは、私純一の以上の様な成育環境が影響していると言えます。
つまり、私純一は、酒乱とその影響で形成されたACの症状から、
簡約すれば、客観でしか物事を考えられなくなっているという人間なのです。
酒乱の下でのACの性格形成は、子供の自由な行動の自由を奪いますが、
それは、言わば親の意向にのみ従わせる様に予め精神を形成されているからですね。
ですから、純一はそもそも主観が無いと言えます。皆さんが純一と接していて感じる、
あののっぺりとした印象はここから来ていると言えます。
122純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 12:08:59 0
 つまり、私純一は、酒乱とその影響で形成されたACの症状から、
 簡約すれば、客観でしか物事を考えられなくなっているという人間なのです。
 酒乱の下でのACの性格形成は、子供の自由な行動の自由を奪いますが、
 それは、言わば親の意向にのみ従わせる様に予め精神を形成されているからですね。
 ですから、純一はそもそも主観が無いと言えます。皆さんが純一と接していて感じる、
 あののっぺりとした印象はここから来ていると言えます。

親の意向のみに従わせるというのは、少し違いますね。
酒乱は頼りないので、子供が世話役を買って出なければならない環境と言えば正しいでしょう。
そんな訳で、私純一の精神はかなり変に形成されていると思います。
エゴグラムを前にこの板でやって、公開した事があったと思うのですが、
そのテスト結果でも、予想通り、 A=adult(大人の心)が高くて、FC=free child(自由な子供の心)が
かなり低かったと思うのてずが、リアルでもそんな感じですね。
123純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 12:30:12 0
すいません、間違えました。
A=adult(大人の心)は普通でしたが、
CP=critical parent(批判的な親の心)とNP=nurturl parent(養育的な親の心)
それにAC=adapted child(順応した子供の心)が異常に高かったです。
FC=free child(自由な子供の心)は一番低いですね。

詳しくはこちら
http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/aabca.htm

 性格
  自分の為に生きて居るのか、他人の為に生きて居るのか、考えれば考える程、
  良く判らなくなって来る、と云う風なタイプです。人に迷惑を掛けたり、冷たくしたり、
  我儘に振る舞ったりする事を、極度に恐れるタイプで、自分自身の自由に振る舞いたい感情を、
  何時も堪忍袋の中へ押し込めて仕舞っているタイプなのです。ではそんな、面白く無い生き方は
  捨て去って、自由奔放に生きれば良いのではないかと云う話になりますが、理想主義者で、
  使命感や権力志向がかなり強い為に、そう都合良く変身する訳には行かないのです。

124純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 12:52:19 0
 対人関係
  もう少し自由闊達に振る舞うべきです。貴方に不足している最大の物は、
  自由な感情の湧出と、その表現力なのです。趣味や娯楽を通じて、唯、
  遊ぶ為だけの人脈と云うものも、貴方にとっては、貴重な人生改革の為の援護者となるような気がします。

これはなかなか無理な注文ですね。
以上の様に、単なる性格形成にも色々と家庭事情が絡んでいるので、
それを急に変えるのは難しいのです。
125クニ:2007/08/02(木) 17:09:31 0
>108
「日本独自の思想として考えてみましょう。」
地球の至る所で人間は生きるにあたって、その場所で生きる知恵はかならず
生み出される。
それが長い年月思想として培われるのだが、それは人類文化の一組成物ともいえる。
人類文化の要素の一つなのである。
そのことについて特段の優劣などありようはずがない。
どれもこれも大切なものなのである。
その心構えで、日本独自の思想という枠組みで考えようとするのに、
いたらねばならない。
アメリカ及びヨーロッパ文明では万物の創造主思想によって
「進化している、していない」という枠組みで必然的に論じるという限界を
感じ、つまらない分析に終始するのがいままでであった。
126クニ:2007/08/02(木) 17:25:37 0
権力者
この考え方は、選民的考え方からきているとみる。
この考えはアメリカ及びヨーロッパ文明内の人々に影響を与えているのだが。
一方日本では、分業が先にあるきで
志した場所で一生懸命遣り通す思想である。
そこには選民的考えは及ぶことはなく、
江戸時代のある隠居した殿様は
どの身分にせよ長寿の人を敬い
宴会を開いてその後光にあづかりたい
という気持ちであったという。
127クニ:2007/08/02(木) 17:31:40 0
下衆の思想
上下を示しているのではなく
人間嫉妬やヤキモチなど曇ったこころで考えたものをいうのである。
気持ち基本主義の日本ならでわの言葉である。
これを固定的身分的に考えることそのものが下衆な考えといえよう。
128クニ:2007/08/02(木) 17:35:59 0
日本には社会はない
これを心に留めて論じなければ
空論となる。
私はそれゆえ「世の中」という言葉を使うことにしている。
129純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 21:42:16 0
何回見ても、CP=critical parent(批判的な親の心)とNP=nurturl parent(養育的な親の心)
それにAC=adapted child(順応した子供の心)が異常に高いですね。
それに比べて、FC=free child(自由な子供の心)は一番低いですね。

http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/aabca.htm

酒乱の親を持つと、こういう純一の様な世話する親の様な人格が形成されるという
事なんであろうと思われます。ですから、客観でしか動けないし、またそういう思考しかしない。
つまり、私利私欲で動く事は殆ど無いと言って良いでしょう。
130純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 21:51:28 0
 @ ぴかぁ〜 「思想をしなくても権力者に媚を売れば良いんや〜」
 A ぴかぁ〜 「思想をしなくてもズルをすれば良いんや〜」
 B ぴかぁ〜 「思想をしなくてもパクれば良いんや〜」

こういうFC=free child(自由な子供の心)な振る舞いというのは、
私純一にとっては、酒乱の親を想起させるか、あるいは、
CP=critical parent(批判的な親の心)かNP=nurturl parent(養育的な親の心) 、
即ち、親(純一)が勝手な事をやっている子供(ぴかぁ〜)を叱るという気持ちである事でしょう。
131純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 22:07:22 0
ですから、反対に考えると、
この世の中に、私純一の精神的な親というものは存在しない事になりますね。
実際の親は酒乱であり、子供に何時、危害を加えるか分からない存在であり、
母親は適当なのであまり頼りにならず、しかし、兄弟も守らねばならないという。
おそらく、私純一は父親の様に、自由奔放に振舞う事を恐れていると思います。
これは自分が嫌な思いをしたからでしょう。
そういう意味では、哲学のみが私純一の精神的な親か支柱であると言えましょう。
ですが、哲学は人格を持たず、理論として存在する為、結果的に自分のみを信じる
という事になってしまうものと考えられます。
132考える名無しさん:2007/08/03(金) 01:14:10 0
そうかぁ・・・
家族が非擁護、虐待の傾向がある教育環境では、
その子供は日常への関心や自己の内面への関心が鈍磨する傾向があるのは避けられない所だけど、
その環境さえ抜ければ、そして魂の救済方法を知っている今なら、
過去がどうあれ徐々に性格のエグさは消えていくんじゃない?
でもこんなぺらぺらの占いめいた診断結果に惑わされてはいけないよ
133考える名無しさん:2007/08/03(金) 01:59:15 0
特殊能力がほしくてASみたいに演じたい庶民、ぴかぁ〜と、
OE(過度激動)のリスクも知らずに特殊能力保持者の上辺だけ真似たいぴかぁ〜が非道に思える
家族の援助と環境に恵まれなかったギフテッド、純一。

といったところか。

ギフテッドの苦悩は、ルサンチマンなどで漠然と言い表せるものじゃないからなあ。
庶民にウケる特殊能力には賞味期限が発生するけど、OEは生きてる間は続くわけだし。
下手に庶民と一緒くたにされて、ひとつの精神障害と扱われても納得するはずもない。
第一違うわけで、庶民にそれはわからない。

結局、孤独に庶民大衆と戦い続けることになるんだよな。スタミナ持たないよ。
134純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 02:22:12 0
>家族が非擁護、虐待の傾向がある教育環境では、

別に暴力とかがあった訳では無いので、
今から考えると、アルコール摂取量が多かったのかなという程度です。
比べるものが無いから、どれだけ違うのか良く分からないんですよね。
家の場合は、まず、帰ってくると必ず飲みます。飲まない日は無いですね。
そこに何らかの暴力が介在する事は無いのですが、とにかく絡む、絡むという程度です。
ACが疑問視されるのは、こういうのは多くの家庭で見られる現象だからでしょう。
ですから、どの程度、家が依存症と言えるレベルなのかは良く分かりませんが、
家の場合は、身体的な依存症の特徴が良く考えてみればありますので、
依存症には違いないでしょうね。ACと言われる人の場合、この子供に何らかの影響が
出ると考えられる訳ですから、それだと家はこの絡む、絡むが原因なんじゃないかと思ったまでです。
135考える名無しさん:2007/08/03(金) 02:26:34 0
何百冊の哲学書よりただコードギアスDVD−BOX一つのほうが
強烈なヨーロッパ批判だよ
136純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 02:52:43 0
さて、そんな幼少期も終わりに差し掛かった頃、また、私純一の転機が訪れます。
それはズバリ、転校であります。生地を離れて、別の似た様な場所で暮らす事になりました。
これもまた私純一の精神の形成に多大な影響を与えていると思われる出来事です。
移転が完了した後、私純一には新たな感覚が加わりました。それは異邦人的感覚です。
幼少期からの自我の目覚めの様なものもあったと思いますが、第三者からどの様に見られるか?
という審級が私純一の内側で覚醒したと言えるでしょう。印象に残っているのは、この頃から、
私純一は自分が何か恥のある存在であるという認識があった事ですね。
これもまた奇妙ですが、生地を離れた事によって新天地で洗礼を受けて、恥という感覚が
生まれたものと推定されます。それまでは割とボケボケだったのですが、時期的な問題もあってか、
大人しい性格になります。そこから、中学位までは特に何も変化はありません。単なる優等生といったところです。
次は激動中学編です。
137純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 03:06:50 0
さて、進学してまず気付いたのが、私純一がまともな関係性を築けていないという点でした。
周りの人達の関係性の有り様というのは、冗談を言い合ったりする仲であると思われます。
ですが、純一の場合、こういう関係性が築けていないという点にこの時点で気付きました。
私純一が築いていた関係性と言えば、言わば表面的なものだけであり、深い関係というものが、
何1つ無いとその当時は認識しておりました。ですから、その事に気付いた私には、ある観念が
生まれます。それは、本当の関係を求めるという衝動であったと思われます。これが、現在の
私純一の、哲学での真実を求める最初の動機となったきっかけであると思われます。
ですが、その本当の関係性というものは、その当時、全く築け無かったと記憶しております。
それが何故かは分かりませんでしたが、今になってみれば、そもそもそういう素地が無かった
からだと言えましょう。どうあがいても、あの当時、冗談を言い合う様な関係性が私純一に築けたとは思えません。
138純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 03:21:17 0
さて、そんな中で、私純一は当然の如く、かなり暗い性格になります。
自分が今まで築いてきた関係性が、表面的なものだと悟った感覚と、
また一方では、冗談を言い合う様な、正常な本当の関係を築け無いという点です。
私純一は、もはや優等生だった表面上の嘘の関係性には戻りたく無いと強く思いました。
そこからは、私純一は今までの行動の全てを見直して、嘘の関係性であるところの
全てのもの、即ち、成績であるとか、その他の全てものを廃棄処分にすることにしました。
かくして、今の純一に繋がる、無気力な精神が形成されて行きました。
ですが、私純一の無気力な精神は全てを放棄します。ですから、
周りから良くは思われませんから、色々と嫌がらせを受けます。純一が面白いのは、
ここで妨害を受けたからといって、止める性格では無いことです。
表面上の、私純一が嘘と考える関係性に戻るのは簡単なのですが、それでは、
私純一は乾いていく一方なのです。そういう理由で戻りませんでした。
次は穏健高校編です。
139純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 03:37:44 0
さて、妨害もあり、既にこの時点で精神的に疲弊し切っていた純一ですが、
高校で再スタートを切ろうとします。どんな方法によってか?それは
元の様に、全てを表面的な関係性に戻すという方法でした。
それは、妨害の影響が大きいものでした。予想以上に精神的ダメージが大きかった為、
一時的に表面的な関係性に持ち込んで、そこで内面的な安寧を確保しようとしました。
成績も元に戻しましたが、それによって相手の対応が全く変わったので、更に疑惑が深まりました。
ここである一冊の本に出会います。最初はそんなもんか、という程度の感想でしたが、
その当時は私純一の思想は、完全に行き詰っていて、その本を読んでメモを書く生活が始まりました。
それが17歳の頃ですね。それ以前にも全く関係の無い本は読んでいましたが、
哲学板で名前が出てくる様な本を読んだのはそれが初めてでした。以後、哲学に嵌って行く事になりました。
次は再び激動大学編です。
140純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 03:51:08 0
大学に進学した私純一は、もう表面的な関係性を続けたくは無いと思っていました。
そういう事をやればやる程に、本体である主体は乾いて行き、離人症の様になってしまうからです。
ですが、それが失敗でした。私純一の本体である主体は、世間と非常に折り合いが悪く、
直ぐに何となく排除される結果になってしまいました。
私純一は頻発するトラブルから逃げる様に、学校、友達、その他の関係性全てをキャンセルしました。
それが引き篭りに昇級したきっかけですね。この時点では、まだ働いていましたが、ここで更にトラブルのです。
ここまでには実際、かなりの年数がかかっており、短い様ですが非常に長いのです。
そこからまた色々あり、そして皆様御馴染みの哲学板に流れ着きます。それが2003年〜2004年頃の事です。
141純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 04:17:21 0
思想的な遍歴を申しますと、17歳の頃に創価学会員と良く論争というか、喧嘩をしていました。
当時も今も、創価学会員は哲学板で言うなら、ポールやkyrie位に詭弁を弄する人が多くて、
論駁するのに非常に苦労しました。彼等が学会員かどうかは知りませんが、当時も、
ぴかぁ〜の様に、人の為にならない思想や一部の利益を反映する様な詭弁が多く、
それを壊して行く事が今も昔もライフワークになっております。
142純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 04:24:04 0
引き篭もりを始めた時、どうせ引き篭もるならと哲学書を良く集めて、
読む→書く→寝る→読む→書く→寝るを繰り返していました。
これが現在の純一統一理論の基礎となっております。
その時にも、読んで理解するというよりも、新しい哲学体系を作る為の
材料として、哲学書を仕入れていました。体系の基本構想が出来上がったのは、
2003年〜2004年位で、そこからは体系を精緻して行く事になります。
143純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/03(金) 04:32:38 0
では、私純一の哲学のやり方を皆さんに御教えしようと思います。
用意する物は、ペンと用紙です。用紙にペンで哲学書を読んだ時や、
何かアイデアが浮かんだ時に、用紙にメモします。次に幾つかそれが
集まった時に、それらの関連性を考えます。こうして、2〜3枚の用紙を
1枚の用紙にまとめ、また別のアイデアを2〜3枚の用紙を1枚にまとめます。
こうしてこれを繰り返していくと、そのうち哲学体系が出来上がるのです。
144クニ:2007/08/03(金) 08:31:07 0
>139
「ある一冊の本に出会いました」
その本の表題、著者名、出版社名など
示してください。お願いします。
145クニ:2007/08/04(土) 07:39:46 0
精神の歪み
政治資金の出入りが不透明の場合、「領収書を公開しろ」
という主張に対し
「法律に則って対処しています。」
この発言が繰り替えされている。
ところがわれわれは小さいときから
「法律はだれでも守らなければいけない最低のきまり」
こう言い聞かされてきました。
最低な人間を政治家に選んだのではない。
ところが、アメリカ及びヨーロッパ文明では
国会議員は法律をつくるのが仕事
こう位置づけられている。
ところがわれわれには
「法律云々を言っているんじゃない」
この精神も共有している。
言いなれば、法律でわれわれを支配する国
それとは違う「世界」で生きている場所がわれわれにはある。
そこでの話しだ。
この気持ちがある。
アメリカ及びヨーロッパ文明において
近代においては、教会などもすべてが国の支配領域に入れた歴史がつづられている
いる。
その考えに侵されて「法律には違反していない」
このようなわれわれには合点がいかない主張をする。
政治を志した者が、政治を命がけでするというわれわれが培った精神とは
明らかに異なるものが横たわっている。
この根本の分析をせず、
「法律には違反していない」
この発言をする。
これぞ精神の歪みであると判断する。
146短パン:2007/08/04(土) 08:23:05 0
自分語りに終始したか。純一。。。
147短パン:2007/08/04(土) 08:24:09 0
見えないな。おまえの台詞の総てが・・・
148クニ:2007/08/04(土) 17:50:20 0
モラルハザードと、田中康夫など知識人や文化人がよくシャレていう。
単にその事実をいうだけで
その言葉を使うことにより、ある程度の問題の所在、解決法などが頭に浮かぶ
ことはない。
レッテルを貼っているだけ、宙に浮いている言葉、
私は勉強しているから、
勉強してアメリカ及びヨーロッパ文明を学んでいるから
こんな先進的な言葉を知っている
このように見せびらかしている目的にだけあたかも使っている様子が
手に取るようにわかる。
何も生まない言葉である。
アメリカ及びヨーロッパ文明は究極においてすべてのものを空洞化させる
こんなことを訴えているようである。
彼ら知識人や文化人、教養人には及びもつかない結論であるが
官僚が白書の中でやたら英語を使うのと同じである。
149クニ:2007/08/04(土) 17:55:17 0
そんな彼らにバブル崩壊が14年以上日本を苦しめるなどとは
考えも及ばなかった。
彼らのえばる源泉であるエリート意識が
実際には役に立たないものであることが
わかった今日この頃である。
150純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 18:52:55 0
>自分語りに終始したか。純一。。。

自分語りは昔から良くやっているのです。
ビガロにも人生相談したりしていました。

>見えないな。おまえの台詞の総てが・・・

今回、私純一の人生を振り返ってみたのは、
私自身が私の存在を理解していなかったので、
人生振り返ったら、何者か分かるかと思ったからです。
これから私自身を分析してみたいと思います。
151純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 19:15:01 0
>親の愛情が、無条件の愛ではなく何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。
>これが継続的に行使される家庭では、子供は親の愛を受けるために常に親の意向に従わなければならず、
>親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。
>主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子供の精神を支配する手段として愛情を制限する。
>この手段は子供が成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子供(Adult Children)の精神を支配する。
>実はこの状況は非常に多くの家庭に存在しており、子供は常に不健全な状況にさらされている。
>しかし、第三者からは一見してこのような家庭はなんら問題のない普通の家庭として認識される場合が非常に多く、
>「条件付きの愛」は普通と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であり、最も基本的な精神的虐待である。
>しかし現実に、無条件の愛を常に実行できるかというとこれはきわめて難しく、健全な家庭を目指すには、
>いかに「条件付きの愛」を減らせるかという程度問題に注視されるものである。

アダルトチルドレンの項目ですが、恣意的な感覚を受けますね。

>純一の洞察力と文章をまとめる力には感心する。
>鋭すぎるから敵も増えていくのだとも感じる。
>テンポ良く流れる文章には清々しささえあり、続きを読みたくなる。
>でも、何か邪悪なものが後ろをつけてきて詮索しているのも気になる。

この邪悪なものというのは、私純一の分析では、
上の引用文と同じく、親からの無条件の愛情という幻想から来ているものだと思われます。
私の人生振り返ってみて思うのは、この無条件の愛情というものがあると信じ込んで、
人生駄目にしていく純一の物語とも言えますからね。
152純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 19:18:20 0
>この邪悪なものというのは、私純一の分析では、
>上の引用文と同じく、親からの無条件の愛情という幻想から来ているものだと思われます。
>私の人生振り返ってみて思うのは、この無条件の愛情というものがあると信じ込んで、
>人生駄目にしていく純一の物語とも言えますからね。

例えば、これがそれに当たります。

>さて、進学してまず気付いたのが、私純一がまともな関係性を築けていないという点でした。
>周りの人達の関係性の有り様というのは、冗談を言い合ったりする仲であると思われます。
>ですが、純一の場合、こういう関係性が築けていないという点にこの時点で気付きました。
>私純一が築いていた関係性と言えば、言わば表面的なものだけであり、深い関係というものが、
>何1つ無いとその当時は認識しておりました。ですから、その事に気付いた私には、ある観念が
>生まれます。それは、本当の関係を求めるという衝動であったと思われます。これが、現在の
>私純一の、哲学での真実を求める最初の動機となったきっかけであると思われます。

また、これがそれに当たります。

>大学に進学した私純一は、もう表面的な関係性を続けたくは無いと思っていました。
>そういう事をやればやる程に、本体である主体は乾いて行き、離人症の様になってしまうからです。
>ですが、それが失敗でした。私純一の本体である主体は、世間と非常に折り合いが悪く、
>直ぐに何となく排除される結果になってしまいました。
>私純一は頻発するトラブルから逃げる様に、学校、友達、その他の関係性全てをキャンセルしました。
153純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 19:23:51 0
アダルトチルドレンに特徴的な思考の中で、私に該当するものです。

>白黒思考
>オール・オア・ナッシングで、自分の中にいつも二者択一の選択肢しかない。

これは次の部分に当たります。

>ですから、その事に気付いた私には、ある観念が
>生まれます。それは、本当の関係を求めるという衝動であったと思われます。これが、現在の
>私純一の、哲学での真実を求める最初の動機となったきっかけであると思われます。

>自分が今まで築いてきた関係性が、表面的なものだと悟った感覚と、
>また一方では、冗談を言い合う様な、正常な本当の関係を築け無いという点です。
>私純一は、もはや優等生だった表面上の嘘の関係性には戻りたく無いと強く思いました。
>そこからは、私純一は今までの行動の全てを見直して、嘘の関係性であるところの
>全てのもの、即ち、成績であるとか、その他の全てものを廃棄処分にすることにしました。
154純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 19:29:23 0
さて、私はアダルトチルドレンや共依存や境界例は、
それ程深刻な病状とは考えないのですが、
純一の人生はひとまとめにすると、つまりは、無条件の愛情がこの世のどこかに
存在するという、そういう幻想に突き動かされている人生だと言えます。
例えば、白黒主義はそういう本物を求める流れで、贋物を排除しようという流れです。
創価学会員や太郎やポールやぴかぁ〜の流れでも、贋物を排除しようという、
そういう哲学の動機から来ている事が分かると思います。これが純一の哲学の
核であり、そこに邪悪なものを感じるのは、この無条件の愛情を得られない怨みを
彼等にぶつけているからではないかと思いますね。
155純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 19:41:13 0
さて、ここまで来て、純一の人生に私から幾つか疑問が生まれます。

@ そもそも純一は、本当にこの世の中に無条件の愛情等というものが存在すると思っているのか?
A 純一で問題なのは、「人との距離のとり方」であり、哲学とは関係無いのではないのか?
B では、そこが直れば、哲学は不要となるのではないか?

これは、私純一にも面白い問いかけの様に思われます。
次の引用は、共依存の目次からの引用です。

>患者自身も、相対する相手のことを大切にしたいと思うのであれば、一定の距離を医療・福祉従事者が
>とることの意味を理解し、支援を受けることに感謝しつつも、過度の感情移入を避け、自分自身の
>置かれている境遇をまずは素直に受け入れて、「自分の人生は自分で切り開いていくしかない」と
>冷静に自省することが結果として患者自身のためになると思われる。
>また、通常の人間関係においてもほどよい適度な距離を保つことも生きていく上ではとても大切なことである。

重要なのは、最後の一文ですね。
私はこの「ほどよい距離」を保つ事ができないのです。
オールオアナッシングであり、白黒主義が哲学の動機となっているからです。

>A 純一で問題なのは、「人との距離のとり方」であり、哲学とは関係無いのではないのか?
>B では、そこが直れば、哲学は不要となるのではないか?

これも当たっている様に思われますね。
確かに、白黒主義を無くせば、純一に哲学の動機は無くなりますから、
哲学は不要となります。
156純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 19:52:48 0
>@ そもそも純一は、本当にこの世の中に無条件の愛情等というものが存在すると思っているのか?

答えに困るのは@ですね。
私純一は頭では、そんなものが世の中に存在するとは思っていないのですが、
純一の人生を観察すると、それに突き動かされている事が分かります。
私純一の人生で特徴的なのは、必要以上に相手に共依存して、
そこで大きな裏切りを何度も何度も経験することです。
これは日本の有名な近代小説の中にも登場するものですね。
ですが、私純一の哲学の本質というのは、決してこの世の中で無条件の愛情が存在している
という感覚だけで突き動かされているものではないという点です。
私純一に感じる、

>でも、何か邪悪なものが後ろをつけてきて詮索しているのも気になる。

という感覚は、次にお話する事象がその根本であると思われます。
つまり、私はオールオアナッシングの白黒主義の人生を生きる中で、
何度も何度も大きな裏切りを経験しますが、いつからか純一は、
それを哲学の力に強制変換する術を学んだところがあるのです。
即ち、こういう事です。最初は、親との関係で無条件の愛情を求めていた
純一であったが、段々と裏切りを経験していく内に、そんなものは無い
という感覚は身についてきたものの、裏切りがなければ哲学の動機は
枯渇してしまう。だから、裏切りが必要であり、その為には無条件の愛情が
この世の中に存在しているという前提で動かなければ哲学理論の精緻はできない。
つまり、愛情を求めていたのが最初だったのに、今は哲学理論を作る為に裏切りを必要としているのです。
157考える名無しさん:2007/08/04(土) 20:02:27 0
>>83
きちんと学問的訓練を受けていない人間の言説は
読むに耐えない。
まず、ちゃんとした東洋史を知らない。(黄文雄でも読め)
また、文明を語る前に、イスラム文明と西欧文明のこと
西欧中世の封建制(古臭いことを封建的というが、学問的には
全く違う。古代に対する先進文明だった。)を勉強せよ。
東洋的専制主義についてはウィットフォーゲル。
西欧文明の個性についてはM.ウェーバー
妄想は読むに耐えない「便所の落書き」
158考える名無しさん:2007/08/04(土) 20:06:12 O
純一さん、外国に行ってみれば?
多分性格的に向いてるよ。
ワーキングホリデーとか利用して。
159純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 20:16:59 0
>純一さん、外国に行ってみれば?
>多分性格的に向いてるよ。

そうですか?
160考える名無しさん:2007/08/04(土) 20:25:17 O
そう思いますよ。
色々行ったけど、どこの国の人達も、驚く程
コミュニケーションが直球なんですよ
日本に文化的にも近い、お隣り韓国で出会った人達もそうでした。
161純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 21:01:41 0
外国に行く事は何回も考えていますが、
逃亡するというよりも、居直って闘う方針でいきたいんですよね。
ですから、一生日本に居るんじゃないですかね。
162考える名無しさん:2007/08/04(土) 21:12:52 O
たまたま(この板的には必然か?)日本に生まれただけじゃないですか
この人とは合わないから、あの人と付き合ってみる。
この位の感覚で良いんじゃないでしょうか?
163純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 21:52:51 0
確かにそんな気もしますね。
日本生まれの日本育ちなのに、適応出来ないというも変ですね。
さて、そんな純一の生い立ちを振り返ってみましたが皆様いかがでしたでしょうか?
私自身も良く分かっていなかったのですが、私純一の哲学には、
感情的な痛みが必要なのでしょう。その為には何か裏切りを経験しなければならず、
その裏切りを最大級のものとするには、感情的に丸裸の状態でいなければならない。
そうすると、最大の哲学の動機付けが手に入ると、こういう流れだと思いますね。
164考える名無しさん:2007/08/05(日) 07:15:05 0
確かに純一は、人種の坩堝のような外国に行くことで、「大衆」を意識せずに暮らしていくことができると思う。
だが、今までの「裏切りを生産力に変換する」システムのバランスが崩れるという混沌が生まれることも考えられる。
困ったことは、あちらで目にする人間殆どが、自分とは別種の気合いの入った変人であることが多く、
「標的」の見つけ方や調理の仕方を再度作り直す手間が生まれるかもしれないことだ。

また、永住権を持たずに外国に居続けるということは、
「虚無」を別の角度から自分のペースと関係なく、えぐり返されることになるかもしれない。
しかし、それでも自分の本当の故郷を新たに見つけることになることも大いに予測できる。

ちなみに俺の場合、住む場所の緯度が変わると、自分の思考傾向も変わることに気がついた。
それは哲学の動機というよりは、生存の動機が変化したということかもしれない。
緯度なんかで影響を受けるという、環境ではなく緯度であることに、「虚無」が故であると感じた。