@可能性は全ての「存在」に先んじている。可能性は、存在を可能性にする。
Aある日常性のみがその存在に関して疑われる、ということは、その存在の周囲存在、そのものがそこに在ることで、周囲が周囲として
存在していたところの、あるいは、そのものが周囲と相互存在していたところの、関係が、危ぶまれる。
B因果は、可能性に飲み込まれる。それは、ある因果である、と可能性しているかもしれないからだ。
因を定めないことには、いかなる因果も見出せない
Cイメージは、時間におけるそれにおいても、装飾・抽象化ができる。
ベルグソンが引いた線は、一本のカラフルな進行する線だった。
D言語は、イメージ同様、いくらでも装飾ができる。まさにそのことからして、言語は常に不完全である。
イメージであり言語である文字は、イメージ的には有意味な装飾はできない(許されない)が、言語部分は言語と同様の扱いが可能である。
E現存在とは、存在論的には、必ずしも「ひと」を意味しない。何かの偶然ないしは必然で、ひとの形をしてその機能が十全であるならば、
それは現存在であるのだが、何かの偶然ないしは必然で、ひとの形ができなかったもの、ひととしての機能が十全でないもの-も現存在でありうる。
結論がないな
存在を可能性にするには取りあえず存在がないとならんけど、
可能性が存在に先んじてるなら、可能性が可能性である存在を可能性にすることにもなり、
こういった言語の存在もまた可能性であるから、その可能性は別の存在に先んじているので、
例えばある林檎の存在を可能性にすると、その可能性は言語の存在にも先んじるから、
林檎という言語の存在も可能性になるんだけど、
言語が存在しないと可能性という概念の存在も可能性として表現できないし、
表現という概念の存在もまた可能性なんで、可能性は言語に従属してることになるのかもしれないが、
概念の存在に先んじるのが可能性なので、ぶっちゃけ可能性みたいな?
「〜である可能性が存在する」というのは?
>>1 ていうか、日本語もろくに扱えないのにスレ乱立させんな馬鹿。
>>3 可能性可能性連呼するなよw気持ち悪い
可能性の可能性部分は空白なんだぜ?
もしその部分が一義的にしろ豊かな展開可能性にしろ、何かを既に志向しているなら、
それは「可能性としての存在」に先立っているとは言えないだろ。
でも、全く存在を含まない段での、可能性があると思うんだ。
読むのめんどいから否定できません
可能性が存在か否か、・・・
可能性の可能性部分は空白でも、空白の存在もまた可能性になるし、
存在しないから空白なんだろって言っても、存在しない概念の存在も可能性になるし、
存在しない概念が存在しないとなると、無条件にすべての存在を肯定しなきゃならないし、
ぶっちゃけ可能性が喪失しちゃったりなんかしたりして。
可能性は観念として観測者がいて初めて生じる
ゆえに存在は可能性に先行する
可能性は観測者の観念としてしか存在に先行しない
と読まずに書いてみたが反論されてもそれに反論するのが面倒臭いので反論しない
許してくれ
>>9 空白の存在があるとしたら、その構えは空白でない存在するものの構えとは異なっているだろうな。
存在しない概念の存在、この逆説的言い回し。
存在は1つの様相として捉えようぜ。
貴方は存在を第一義的なものと考えてる節がある。。
>>10 ・・・
叶姉妹が先にあって、ぶっちゃけ誰が二人であってもよかったんだ。
>>12 叶姉妹の「何が」先にあったんだ?
その存在?「誰が二人であってもよかった」これは叶姉妹という存在形式に、巨乳貧乳を問わず、それらを
あくまで様相として捉えた結果?
14 :
考える名無しさん:2007/07/22(日) 03:13:44 0
______
/ \ /\ 小泉さんの「北朝鮮制裁」は
/ し (>) (<)\ 確実に北鮮にダメージを与えたんだ・・・。
| ∪ (__人__) J | ________
\ u `⌒´ / | | |
ノ \ | | |
____
/ \ ─\ チラッ
/ し (>) (●)\
| ∪ (__人__) J | ________
\ u `⌒´ / | | |
____
/::::::─三三─\
/:::::::: ( ○)三(○)\
|::::::::::::::::::::(__人__):::: | ________
\::::::::: |r┬-| ,/ .| | 小泉時代の朝銀系公的資金投入 「ハナ信組」に公的資金4400億円
ノ:::::::::::: `ー'´ \ | |
北朝鮮系の国内在住者を主な取引対象とする朝銀信用組合の破綻(はたん)処理問
題で、政府は五日、受け皿四信組のうちただ一つ、経営の透明性・独立性確保のた
めの日本人理事長就任など公的資金投入の政府条件受け入れを拒否していた「ハナ
信用組合」(関東信越)に対し、約四千四百億円の公的資金を投入する方針を固めた。
http://ime.nu/nyt.trycomp.com/nenpyo.html
言語って不思議。
フッサールやソシュール読んでも、全然言語について分かった気がしない。
文字って不思議。
それ自体はただのイメージであるのだから・・・
難しく考えすぎだろ。ある日シックリとくる。
不思議に思えなくなる見方が出来るようになる。
可能性って可能されるであろうそれの前提が必須だから、可能性が存在に
先んじることはないんじゃね。
「可能されるであろう前提」が「存在」とは言えない
19 :
純一:2007/07/23(月) 23:21:59 0
暇なので、私純一が否定します。
20 :
純一:2007/07/23(月) 23:25:45 0
@〜E読んでみましたが、出典がどこか分からない用語が多いですね。
誰の言語観なのかよく分からないものの、あるところではハイデガーの現存在が
急に登場したりしてますね。ハイデガーの名前は出ていませんが。
>>18 よく読め。可能されるであろう「それ」の前提だよ。
それに言えないだなんて言っても、全く否定の理由になってない。
22 :
純一:2007/07/23(月) 23:50:35 0
出典が分からないので、出典から予想しましょうか。
ハイデガーに被れているのは分かるのですが、
若干、英米系(分析哲学)が混ざってますね。
それで、ウィトゲンシュタインとハイデガーに関係があるように見せかけて、
フッサールから分析哲学へといういつもの流れですね。
最初はポールかと思いましたが、同じような種類の人間でしょう。
23 :
純一:2007/07/24(火) 00:05:16 0
ポールの場合も似たようなことを言っていまして、
大森荘蔵の理論から、似たように現象学に目覚めたとか言ってましたね。
太郎かポールか忘れましたが、そいつもまた、ウィトゲンシュタインとハイデガーが
さも関係あるかのように語っていましたね。その後はお決まりのパターンで、
ウィトゲンシュタインだけど、ハイデガー読んでる的なポーズで分析哲学を
正当化しつつ、フッサールによって言葉(分析哲学)を基礎付けるというようなことをやっていましたね。
そして、数年、ポールや太郎は私純一と同じくニートになったということです。
純一さんはニートですか?
25 :
純一:2007/07/24(火) 00:49:34 0
そうです。
普段はあかねに自転車で通っております。
26 :
純一:2007/07/24(火) 00:53:12 0
つまり、
>>1の理論は、
始めに英米系分析哲学的な言語観を持っていたが、
その後、それに基礎論が足りないことが分かり、
フッサールで言語基礎論を固めようとしたが、
それでは西洋哲学が抜け落ちてしまうことが分かり、
事実上、ウィトゲンシュタインをハイデガーの用語で
適当に装飾しつつ、ハイデガー風に見せたウィトゲンシュタイン理論を語る
という具合だと思います。
存在するものが、内側から存在することについて、全容を観測することは論理的に不可能
28 :
純一:2007/07/24(火) 01:01:34 0
つまり、
英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → (ハイデガーに見せかけた)ウィトゲンシュタイン
という流れでして、
ハイデガー関係ないんじゃないか、というのが私純一の感想ですね。
29 :
純一:2007/07/24(火) 01:09:18 0
これはポールや太郎、飲み屋メンバーも同じパターンを辿っていますね。
30 :
純一:2007/07/24(火) 01:19:40 0
こうなると、
>>1がスレを立てて、他人の力を借りなければならなかった理由も予想できます。
即ち、分析哲学からフッサールという流れは案外簡単であると言えます。
問題はそこから先へ進む文献が、基本的には無いということですね。
では、その先はどうするのか?人に聞けば良いじゃないか、というのが
>>1の発想ではないでしょうか。
代わりに私が教えてあげましょう。この先は社会学のルーマンの領域になるのです。
ただし、私は認めていませんがね。こういう哲学の消費をしてきた人間は次に行き着くのは、
大体、こういう道しかありませんからね。でも、それでもこの
>>1の説にハイデガーは不要です。
装飾として使うのなら、素直にウィトゲンシュタインだと言った方が良いと思いますね。
>21
あーなるほど。ごめん。
「可能されるであろう」っていう発想からして、もう存在が可能性に先んじていることを前提としているじゃん・・・
>純一
わざわざ付き合ってくれるのは嬉しいのだが、私の態度を否定するのではなく、
>>1の言明を否定してくれないか?
>>26は全く当たってない、恥ずかしいよ?
貴方は他人の哲学の引用しかできないみたい。
私の思想を過去の哲学者を引っ張ってきて否定しようとしても、無理。
私ユニークの哲学だから。
だから貴方もそのユニーク性において、批判的態度を取らないと。
32 :
純一:2007/07/24(火) 17:53:55 0
>私の態度を否定するのではなく、
>>1の言明を否定してくれないか?
>
>>26は全く当たってない、恥ずかしいよ?
>貴方は他人の哲学の引用しかできないみたい。
>私の思想を過去の哲学者を引っ張ってきて否定しようとしても、無理。
>私ユニークの哲学だから。
>だから貴方もそのユニーク性において、批判的態度を取らないと。
>>1の@〜Eを再読してみたのですが、もう一度読んでも、
フッサール 〜 英米系分析哲学の系譜に、
ハイデガー風ウィトゲンシュタインを加えるという理論にしか見えませんね。
でも、こういう理論的立場を採る人は、私の周りでも
ポールや太郎等、割と多いのです。私が貴殿のホームページを見させて頂きましたが、
フッサールとハイデガーと分析哲学に関しては既に知っておられるようですので、
以上のように出典を予想して書きました。率直に言うと、以上の哲学の集合体のように見えますが、
これと同じ理論を私は、ポールや太郎の理論として過去何度も見た覚えがあります。
1つ疑問なのは、タームにハイデガーからのみのものと思われる用語が散見しているところですね。
純粋に私のユニークの哲学と仰るのであれば、現存在や存在者というタームが出てくるのは、
ハイデガーのタームを借用しているからではないのかと思います。
つまり、私のユニーク哲学と称するのであれば、他人から借用したタームが多く、
反対に、学哲だと称するのであれば知識が足りないという具合であると思います。
33 :
考える名無しさん:2007/07/24(火) 17:57:46 0
釣り師かそうでなければ
他人を貶めて自分は天才であるという優越感に浸りたい中毒者ですね。
これは治療が必要です。
治療しないと数年で分裂症を発症してしまうかもしれません。
34 :
純一:2007/07/24(火) 18:01:07 0
さて、もう1つ重要なのは、@〜Eは基本的に、
ここが解けないのだが、教えろ、という要旨であると思います。
私純一が教えますと、ここから先はウィトゲンシュタイン(
>>1にハイデガーは無関係です)の
後期ウィトゲンシュタインの理論があります。ここからルーマンへと接続するのです。
ルーマンはフッサールが読めるのであれば、貴方が好きな文章であることでしょう。
哲学では無く、社会学なのですが。
衒気
>純一
>@〜Eは基本的に、
>ここが解けないのだが、教えろ、という要旨であると思います
全然違うよ。。
これらは俺の中では解決済み。
それを揺るがすような大反論を期待してたのだが、
あなたにはその力はないようだ。
37 :
純一:2007/07/25(水) 08:21:45 0
>それを揺るがすような大反論を期待してたのだが、
つまりは、俺の理論はここで行き詰っているから、
反論して、これの進化版の理論を教えろということでしょう。
ですから、その先、つまり、大反論は社会学のルーマンです。
38 :
純一:2007/07/25(水) 08:25:23 0
つまり、
>>1の理論は、
英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → (ハイデガーに見せかけた)ウィトゲンシュタイン
ここで行き詰っているのですから、
後期ウィトゲンシュタイン → 社会学のルーマン
と、大反論という名の進化版を私純一が教えているのです。
39 :
純一:2007/07/25(水) 08:31:04 0
>後期ウィトゲンシュタイン → 社会学のルーマン
もし、これが分からない、読めないというのであれば、
柄谷行人の「内省と遡行」、「探究」を読みましょう。
40 :
純一:2007/07/25(水) 08:46:40 0
>英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → (ハイデガーに見せかけた)ウィトゲンシュタイン
>→ 後期ウィトゲンシュタイン → 社会学のルーマン
この系譜は王道ですね。
何の王道かというと、理系が哲学に嵌って必ず通る王道ですね。
ポールや太郎、飲み屋メンバーはこの系譜に属するでしょう。
ポールや太郎は良く自演をする癖があるのですが、この系譜と無関係ではありません。
例えば、
>>1も同じようにして、行き詰った理論に誰か反論を加えれば、次の進化版理論が
手に入る、しかも、反論なのだから、決して自分が頼んで教えて貰ったのではない、
という名目も確保できて一石二鳥ですからね。こういう手法自体、ポールや太郎が
良くやる手であって、性格もポールや太郎に良く似てるなぁ〜と思います。
全然行き詰ってないのだが・・・
てかスレッドの趣旨理解してる?
俺の分析するんじゃなくて、
>>1にあげられた諸問題を批判するんだってば。
42 :
考える名無しさん:2007/07/28(土) 16:52:00 0
否定されなかったものは、否定されなかったものだ。否定されなかっただけのことだ。
否定されないということが、何々よりまし、というふうな保証をしてはくれない。
何々よりまし、は、何々よりまし、でしかない。
真実とは真実のこと。他の半端な何かとツルんでやっていくはめになるようなものは真実ではない。
43 :
考える名無しさん:2007/07/28(土) 16:56:04 0
時間の無駄使いだ。それが否定だ。スローに君を襲い続ける。能書きマラソン頑張って。オンガク家さん。
44 :
考える名無しさん:2007/07/28(土) 17:06:07 0
可能性。枝毛人生か。
45 :
純一:2007/07/28(土) 22:38:14 0
>全然行き詰ってないのだが・・・
>てかスレッドの趣旨理解してる?
>俺の分析するんじゃなくて、
>>1にあげられた諸問題を批判するんだってば。
>>1は、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考の構成を真似て、
それをハイデガー風に装飾して書いたものなんじゃないですかね。
46 :
純一:2007/07/28(土) 22:46:56 0
>@可能性は全ての「存在」に先んじている。可能性は、存在を可能性にする。
>
>Aある日常性のみがその存在に関して疑われる、ということは、その存在の周囲存在、そのものがそこに在ることで、周囲が周囲として
>存在していたところの、あるいは、そのものが周囲と相互存在していたところの、関係が、危ぶまれる。
>
>B因果は、可能性に飲み込まれる。それは、ある因果である、と可能性しているかもしれないからだ。
> 因を定めないことには、いかなる因果も見出せない
>
>Cイメージは、時間におけるそれにおいても、装飾・抽象化ができる。
>ベルグソンが引いた線は、一本のカラフルな進行する線だった。
>
>D言語は、イメージ同様、いくらでも装飾ができる。まさにそのことからして、言語は常に不完全である。
>イメージであり言語である文字は、イメージ的には有意味な装飾はできない(許されない)が、言語部分は言語と同様の扱いが可能である。
>
>E現存在とは、存在論的には、必ずしも「ひと」を意味しない。何かの偶然ないしは必然で、ひとの形をしてその機能が十全であるならば、
>それは現存在であるのだが、何かの偶然ないしは必然で、ひとの形ができなかったもの、ひととしての機能が十全でないもの-も現存在でありうる。
可能性、存在、日常性、周囲存在、時間、現存在、存在論的、ひと ・・・ これらはハイデガーのターム
因果、装飾、抽象化、イメージ、線、言語、言語は不完全である(語りえぬもの)、偶然、必然、 ・・・ ウィゲンシュタインのターム
基本は、ウィトゲンシュタインの哲学の内容を、ハイデガーで装飾しているように見えますがね。
47 :
純一:2007/07/28(土) 22:54:52 0
面白いのは、ウィゲンシュタインの内容をハイデガーみたいに
語るという人は、全国的に多いということなんです。
以前、哲学徒に恋しましたというスレが立ったことがあったのですが、
そこで恋されている対象が、ハイデガーとウィトゲンシュタインを電車で読んでるという話だったのです。
>>1のホームページ見たところでは、お洒落な現代風若者という感じでしたので、モテるのではないでしょうか。
それとは別にしても、今にして思えば、ハイデガーとウィトゲンシュタインは全く関係ないということを、
知らない時代の話でした。ハイデガーとウィゲンシュタインは、サメとイルカみたいなもので、似ているのは、
その外見だけでして、中身は全く違うものなのです。つまり、良く陥る学説の誤解に思えますが、いかがでしょうか?
ウィトゲンシュタインはハイデガーを読んでるよ。
ウィーン学団のテクストにウィト自身の言及がある。
49 :
純一:2007/07/29(日) 01:23:12 0
それは知ってますが、理論に関連性は無いと思います。
\ 立 /
\ て ∧_∧ 糞 /
.\ る γ(⌒)・∀・ )..ス / ぅぉぇっぷ
スレ潰し↓ \ な .(YYて)ノ ) レ./ 〃⌒ ヽフ
∧_∧スレ潰し>
>>1\ っ | | | / / rノ
( ´∀`) .\! (__)_) / Ο Ο_)***
( /,⌒l \ ∧∧∧/ 『引き籠り精神病者・
>>1』
| /`(_)∧_0. \ < ま > 糞スレを乱立させる基地外。
(__)(゚∀゚; )⊃⌒⊃←
>>1 \ <
>>1 >毎日相手にされず、ウザい自作自演を続ける。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ < た >
―――――――――――――――< >―――――――――――――――――――――
___ オラッ! <か > ハハハ
ドッカン | | 出て来い悲惨な
>>1∨∨∨\ ∧_∧
∩∩ | | | ∩∩ /\ │ /\ ( ^∀^)<あほか
| | | | | | | | | | | / / ̄\ \ ( つ ⊂ )
..( ,,) .| | | (・x・ ) / ─( ゚ ∀ ゚ )─ \ .) ) )
/ .つ━━ロ|ロ ドカン l |U / .\_/ \ (__)_) (^∀^)ゲラゲラ
〜( / | | |⊂_ |〜./ / │ \ \ 『糞スレの総合商社・
>>1』
し'∪ | | | ∪ / 電波〜 電波〜 \毎日何処かの板で糞スレを立てる
>>1は
 ̄ ̄ ̄ ̄ / .∧__∧ ∧__∧ \糞スレを立てる事しかできない白痴。
>>47 俺の哲学は本に拠っていない。
もちろんデリダとかパトナムに影響を受けはするけれども、あくまでMy哲学だ。
ハイデガー用語を用いてることは認めるが、君がウィトのタームとして挙げているものは、
ウィト独特の言い回しではない。
まぁ、
>>1の内容だけで否定しろというのなら、
>>1に出てくる用語から引用元を類推して、それがどのような態度に基づいているか、これがなしうる最高の批判だろうな。
だから君の気持ちは分かる。
そこで、次の文は、
>>1と違って内容的にも否定が可能だと思われるが、是非ご意見を頂きたい。
現象は流れゆく。なぜなら、少しでも流れゆくものがあるとするならば、その変容を全てに対して関係し、そうして全てもまた流れゆくからである。
常に「そうであり続ける」ことは、現象の止めどない流れにあって、関係性の更新、様相の現象による変容により、不可能である。
ハイデガーは、諸現象にも関わらず、「そうであり続ける」存在を論じたが、その存在そのものが、様相に過ぎなかったら?
存在が、普遍性を全く持っていず、「その存在」「あの存在」としか言いようがなかったら?
存在は逆に、全く普遍性をもってないからこそ、優れた観念なのである。このことは、空間についても言える。すなわち、
空間は普遍できない、と。それは、それが絶えず諸様相に基づくからであり、カントとは別の仕方で、様相なき空間、といったものは
存在し得ない。しかしある延長から色を抜く、ということが可能である。それは観念における操作であり、現実に色を抜くこと―それは違う色に
塗りなおす、ということを意味する。なぜ観念においては、色を抜くことが可能なのか。それは延長に対する様相であるからであり、
しかし延長とはこれまた存在に対する様相であるし、最後に、存在とは「絶対様相」である。
それだから、カントにおける延長は、絶対的に様相であり、決して普遍性を持つものではない。
絶対様相とは、何を意味するか。それは少しの普遍も受け付けない。普遍であるということは、端的に、数えることができること、である。
数えられるものは、数えることにおいて、同一の環境に並べられる、というベルグソンの主張を思い出す。
何に関しての、同一の環境か。これはその都度数える数え方によって、異なる。同一の環境にあるからこそ、数えられるのであり、
その逆は真ではない。一般に存在は、ある環境そのものであり、そうであるから、決して普遍はできないのだ。
しかし環境とは、普遍的な概念である。あるものどもを数えられせしめる場を提供するのは、その都度の環境であるが、
数はそこにおいてなされるものだから、数によって、環境は普遍せしめられるのだ。それは数えることが、普遍している環境に依存するのではなく、
むしろ環境の方では己が普遍されているとは夢にも知らず、己の持つその都度の普遍的性格において、数は数えられる。
数えられた場としての環境は、こうして、数によって普遍化が改めて、なされる。そのとき、数えられる数は。1から順に数えられていく
数は、そのいちいちが環境の普遍的性格における普遍でないものとして、様相として、数えられる。様相は本来数えられるべきものではないから、
それが可演算化するためには、なお新たな普遍性が求められる。こちらの方では環境がそこにおいて数が数えられる普遍的性格を提供し、
あちらの方ではそれによってある普遍でないものが一律に数であるものとして普遍するところのものを提供する。
それはその全個性的様相を数に対応させ、しかもその個性が、数えられるという無機質な仕方によっても、むしろ数えることによって、
その個性の度合いが段々と変化していく、というものである。それだから個性の度合いという普遍において可視されないものは、数えることが
もう不可能なのである。
54 :
純一:2007/07/30(月) 22:09:08 0
>俺の哲学は本に拠っていない。
>ハイデガー用語を用いてることは認めるが、
本に拠っていないのなら、用語を用いることはできないでしょう。
55 :
純一:2007/07/30(月) 22:12:34 0
>もちろんデリダとかパトナムに影響を受けはするけれども、あくまでMy哲学だ。
それはMY哲学では無くて、分析哲学の系譜に位置づけられるものでしょう。
>君がウィトのタームとして挙げているものは、ウィト独特の言い回しではない。
ですが、
>>1の構成は論理哲学論考を真似ていますね。
それから、言語は不完全というところもまた真似ていますね、用語は通常用語と重なりますが。
56 :
純一:2007/07/30(月) 22:19:06 0
>>51-52を読んでみましたが、私は西洋哲学正史しか知らないので、パトナムとか興味無いですね。
分析哲学の流れで言うと、
英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → (ハイデガーに見せかけた)ウィトゲンシュタイン
ここで行き詰っているのですから、
後期ウィトゲンシュタイン → 社会学のルーマン
と教えたと思います。つまり、ハイデガーは関係ないのです。
貴方の哲学というのは、英米系言語哲学の流れなのですから。
57 :
純一:2007/07/30(月) 22:21:46 0
>そんな糞解釈で満足したいのですねw
ウィトは言及してた思いますが、ハイデガーはウィトに興味無かったと思います。
ウィトは形而上学入門のキーワードだけ抜き出して、無がどうとか論じていたと思うのですが、
全然解釈が的外れなものであったと記憶しています。ハイデガーが賛辞したのはバタイユであったと思います。
58 :
純一:2007/07/30(月) 22:29:28 0
英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → ウィトゲンシュタイン
まず、ここまで
>>1が来ます。その後、語りえぬものに行き着きます。
>>1の他、大抵の論者は、この語りえぬものが、ハイデガーの語る無と同じものと錯覚します。
英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → ウィトゲンシュタイン → ハイデガー?
すると、こうなるのですが、そもそもハイデガーはウィトゲンシュタインと関係ありませんので、
系譜を間違えているだけですね。本当の英米系言語哲学の系譜はこちらです。
英米系言語哲学 → 言語基礎論としてのフッサール → ウィトゲンシュタイン
→ 後期ウィトゲンシュタイン → 社会学のルーマン
59 :
純一:2007/07/30(月) 22:32:42 0
まずは、柄谷行人の「内省と遡行」、「探究」を読みましょう。
そこで、後期ウィトゲンシュタインと社会学のルーマンに至る流れを学びます。
そうすれば、ハイデガーの無知な理解等に陥らずに、英米系言語哲学正史の系譜に戻れることでしょう。
私の
>>4についてはレスはもらえないのだろうか。
仮に
>>1の仮説1が正しいとするとき、
「可能性がある」というときの「ある」とは何を意味しているのか?
っていうか1が何がしたいのかわかんないな。何が問題なのかが理解できない
たとえば@を否定するなら、@に至る道筋が書いてないから
存在は可能性に先じているって言えば良いだけじゃん。
1はまずなぜそれが否定できないのかを書かないと意味ないでしょ
62 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 21:35:30 0
図るなんて、図に乗りやがって
どんな話が焦点だと思うのか
63 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 00:16:09 0
>>純一さん
系譜がどうこうじゃなくって分りやすく
〜が〜なので〜は否定できます。
って言ってほしいな(´;ω;`)哲学の歴史や系譜なんて分んないお
@
>>1はパクリである
A
>>1の内容は哲学者Aのパクリだが、哲学者B風に見せかけている
B 何故、哲学Aのパクリを哲学Bの内容に見せかけるか?と言うと、
哲学Bの方が高尚なイメージがあるからである
C 純一は
>>1が、「哲学Aのパクリだが、哲学B風に見せかけている」と指摘した
D その上で、「哲学Aのパクリを、哲学B風に見せかけている動機は、
哲学Aに関してはkyrieは理解できるものの、哲学Bをkyrieは理解出来ていないからだ」と指摘した
E つまり、「kyrieは、哲学Aを哲学B風に見せかける事によって、哲学Bを知っているかの様に
>>1で書き、
哲学Bを本当に知っている哲学板住人に答えを書いてもらおうという卑怯な計画である」と指摘した
これで分かりますか?
age
66 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 05:56:03 0
【また純一か】【やっぱり純一】【さすが純一】
【はいはい純一】【純一丸出し】【純一なら日常】
【ヨハネスブルグ】【これが純一クオリティ】
【純一理論】【だって純一】【相変わらず純一か】
ヤレヤレ… 【純一だから仕方ない】【どうせ純一だし】
. ∧__,,∧ 【それでこそ純一】【まぁ純一だし】【常に純一】
( `・ω・) 【仮に純一とすれば】【純一すげー】【だから純一】
. /ヽ○==○【きょうも純一】【純一にとっては軽い挨拶代わり】
/ ||_ | 【いつもの純一】 【なんだ純一か】【純一だもの】
し' ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_))
67 :
佃煮マニア:2007/10/08(月) 06:51:21 0
@はあ、可能性は存在の付随的要素だけど、そう思うなら仕方ないね
A日常から断絶されたものの存在はしようと思えば否定できる範疇にあるよね 寂しいね
Bそりゃ可能性に飲み込まれるのは当たり前だ。でも因果は誰が決めてもいないよね
C「時間はカラフルな流線みたいだ」と無邪気に言われちゃ「ただの線ハァ?イメージ力スッカスカ」とか言えないんだわ
D装飾出来るから不完全なんじゃなくて、情報の入力でさえ人によってさまざまだからだよね
Eファンタジックだね(失笑)それは文学
ふう。めんどくさかったけどまともに設問を解いてみたよ 何点?
あぼーん
>>1あんたには哲学のセンスない。
ただ言葉遊び的に語を並べて何の内実もないようにしか見えない。
70 :
考える名無しさん:2007/11/27(火) 15:50:56 0
71 :
9重陽9:2007/11/27(火) 21:29:46 0
>>67 亀レススマソ
@
>可能性は存在の付随的要素
付随って?ハイデガーでは可能性のうちに現存在は自らを投げこむ、か。
かといって可能性が先行しているわけでもない。まさに0の速度で。時間を伴わない営み。
「どこかに」「投げこむ」という空間性をもって、存在の時間の不必要性が導かれる。
>>1で言う可能性とは、全て脳の妄想や想像や表象のたぐいとして書いた。
だが今はそうは思わない。脳裏のもろもろが、世界の極である、という考えは捨て去った。
A
全然否定になってない。
今にして思えば、日常性は常に諸世界と触れながら同期をとりつつ、あるわけで、単純に
分析哲学者のいう「コンテクスト」上に一義的に置くことはできない
B因果は時空に展開されずにはいられない。なぜか?生きる意味の多様が、時空のうちに解き分けられるからである。
この生きる意味が、やがては倫理へとつながる。
C時間の直線は、それと表現することによって、諸世界の、世界の表現の、その線がまさに接している諸世界に、
時間性空間性を解き分け・・・あーちょっとまってまだ考え中
D前半と後半の対比ができていない。情報の入力とは、なにをどこに入力するのか?
Eこれは取り下げます
73 :
考える名無しさん:2007/11/27(火) 23:23:01 0
D言語が不完全ならこの一連の文章が不完全だよ。
というか無意味。おわり。
>>73 D言語が不完全であることは、必ずしもマイナスを意味しない。
言語はその豊穣へと向かうスペクトルにあって、その豊かさのうちに、それぞれ世界を表現する。
表現された世界は、豊穣であるからより完全に近い、といったことではなくて、世界は極をもたず、
また表現された世界は、いちいち十分に完結したものである。
…あと何十年か哲学以外で悩んでもらってからもう一回問いたければ
どうぞ、でいいんじゃない?哲学自体は正義※系能力を必要とする
割りに(広義の)善系の能力しか伸びない難点があるから。
※人類の基礎=こちら岸から広義の善を渡った先。仏教用語というか、
古代エジプト語カーから古代ギリシャ語訳イデアとか仏教や啓示宗教の
理論的基盤になったような、広義の善=徳=VIRTUEに対しては適切な
「自在天(上下型評価尺度の元になる等価交換順序性)」アプローチ
に対する、正義ベースの世界に通用しないという事実の指摘と批判の話。
ようするに何かを考えたりする時のスタートであってゴールにはならないが、
「美のイデア」=達成の形容詞/空間/等価性は「こちら岸」評価視点であり、
この比率/単位〜移動系のイデアの視点で=現時点の成功尺度に対して
投入したコストを評価する、または多変量統計で使うベクトル空間操作系として
意味価値評価の基盤になるので、最初に固めるのもいいだろうと私は思うよ?
言語能力や心理世界に流用される物理世界などを取り扱う枠組は何よりもまず
物理世界内動作用に最適化され、それを組み合わせて他に流用される。
可能性の評価としての投機・行動系でもあるこの合成・分離系を最初に固める
ことで、例えば「燃費」形容のよくある混乱が避けられる。話が通じやすくなる。
費用対効果が高い=高価値=「高」燃費=「少」燃費(?)といったぐあい。
哲学も言語運用であるからには無用の混乱を避けられる状態が望ましいでしょ?
傾向性・性質の形容詞類が使う方位空間そのものは日本諸語文化環境でも
「い列語尾格」として使うけど、主語に当たる近接・焦点・集約型にも使われる
デフォルト文脈「お列語尾格」による到達と一緒には使わない(使えない?)。
離心系である成功尺度と組み合わさった「達成」の形容詞類実現空間定位は、
例えば「太ったひつじ(家畜)」=「美」とか「大成功・順調に進行中」などの意の
「ビューティフル」などにも使う、ごく普通の枠組。離心系の投射だけでは命中
しないというか、普通は「的を狙う」から、組み合わせて使うのは自然なこと。
日本諸語では焦点系が主格言語の主格=参照系の代わりに基礎になるから
方位系とセットには出来ないだけ。
77 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 01:24:31 0
@
@可能性は全ての「存在」に先んじている。可能性は、存在を可能性にする。
存在が可能性になったら、まずいんじゃないの?
言語が不完全なのは誰もが認めることだと思うけど
もう少し推敲して、他人が理解できる問いの形に洗練してもらいたい。
純一という男に文句を言いたい。
「内省と遡行」を取り寄せて読んでみたけど、
1,2ページ読んだところで、それ以上読む気が失せてしまった。
簡単な内容を、一般的にはあまり使われない語句を用いて、
必要以上に、回りくどく説いているだけだ。
これがよく言われてる「言葉遊び」ってやつなのか…。
偏差値の低い奴は、柄谷読んじゃいかん
永井均あたりにしとけ
偏差値は確かに低いけど、
高いからといってスラスラ読めるような文章か甚だ疑問だ…。
「戦争の記録」は読んだけど、この本は結局、
ネガティブな言い方をすれば、徒労に終わったわけでしょ…?
哲学的にどういう内容なのか解ってからは、
「言語ゲーム」を楽しむために読み進める価値は、
充分にあるという気にはなったよ。
84 :
佃煮マニア:2008/08/13(水) 15:26:24 0
なんとなく見覚えがあるスレなので開いてみたら、
ああ、一年前に書き込んでいたんだなあ。
kyrieにレスもらったけど、1と6は否定で来たって事かな。
もの好きながらまたカキコ。
>>72 付随:存在に先行する可能性という概念そのものが、観念論のつくりごとでしかないのね。
つくりごとでしかないという見地に立つと、可能性は存在の付随的要素になる。
2はね・・・日常世界の周辺との相互関係という設定自体がすでに、空論でしかない。
日常世界に外部は存在しない。
3はね・・・因果は常に一通りしか存在しないから、そこに可能性は含まれない。という考え。ほんとは同意
4はね・・・進行する線に対して、ハイデガーの「時は自熟し、空間化はできない」を持ってこよう!
5はね・・・言語の不完全性、追体験の不可能性は、まだ証明されていないから、断定はまちがい。
今度はどうだろう?
85 :
考える名無しさん:2008/08/14(木) 10:29:52 0
哲学者にはストイックさが無い。
探究心、向上心、正確性…全てに諸学を下回る。
それは何故か?
>>1は弁明とばかりにそれを言ってるが結局、踏襲すべき学問としての芯が存在しない、また解釈の上に成り立ったガラス細工のように脆い学問であるからである。
解釈において個人の研究も雨風に晒されることも無く、解釈において努力もさほど必要としない。
元々、単独の学問としてカテゴライズすべきではなかった。
今ある哲学とは歴史の名残であってそこに学問らしい学問など存在していない。
86 :
考える名無しさん:2008/08/14(木) 10:51:29 0
192 :名無しの笛の踊り:2008/07/19(土) 01:28:47 ID:WFDhGG8m
諏訪内の音はマジ薄っぺら
気が抜けたコーラみたいな感じ
日本人は小澤といい、どうしても西洋物真似になるからもういい。
アメリカでは諏訪内なんて名前誰も知らないから国際ヴァイオリニストなんて
見出しやめたほうがいいのではないか?
とりあえず無い格式強調するより身近にファンサービスしていかないとまずい時期だよ。
193 :名無しの笛の踊り:2008/07/19(土) 02:19:19 ID:4bw+o7xB
小沢は世界的指揮者かもしれないが、それはまちがいない。
しかしながら真に薄っぺら、そう、聴いてればわかることだが薄っぺらで
何も感じられないんだよな。諏訪内なんて世界だとか行ってるのテレビとか音楽雑誌の
ヨイショだけ。それでも不倫略奪婚まではそれでいいとおもっていたけどさ。
今は正体がいかがわしい人だと知れて人々の見る目も変わってきてるよ。
著名人へのメール招待の一件なんかも諏訪内の人間性の愚かさをよく知らしめてる。
演奏はたいしたことないんだから、これはヤバイよな不倫や略奪婚は。
プライベートサイトでも応援してるのはきんさんだけだしね(笑)
194 :名無しの笛の踊り:2008/07/19(土) 02:47:12 ID:rAkBwp/5
厳しい言い方をすれば、確かに国際ヴァイオリニストってのは嘘なんだよな。
日本人でも国際的な演奏家はこれがMidoriだ!とか内田光子だ!ってのがあるけど、諏訪内にはまだない。
世界的には才能と実績はあるのになんか燻ってる演奏家という位置付けなんだよ。
音楽的にどうしろとまで言う権利は、ファンであっても無いと思うから言わないけど、「もう一皮剥けてくれ」とは言いたいね。
一応、このままで終わって欲しくないファンとしての応援の言葉のつもりだ。
なんかハイデガーって好きになれない。
ウィトゲンシュタインは女にも好評だ。いや、名前が。
89 :
考える名無しさん:
>>88 逆にハンニバルさんが司るとしても、それほど不思議な時間を
「意思のオブクソップティ」してないかずいぶんと哲学不能でもかまわないのです。
「合理的観点から理解できない」としてもそれを
「止めることが出来ない構造(的要因)」・・・ということになります。
それが「合理的構造的要因」・・・ということになります。