そもそも進化論は「種」の変化をめぐる話だろ。
個体間の比較では、優勝劣敗(強い個体が生き残る)は誰でも
知っている事実だ。
資本主義の優勝劣敗は個人や企業の競争で強者が勝ち残る、という
ことで、どっちかというと個体間の話なんだから、進化論とは
関係ないんじゃないの。むしろ資本主義においては自然の場合と
違って「獲得形質が遺伝する」ことの方が問題だろ。
953 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:07:40 O
ごめん馬鹿だった
ダーウィンは論争中に自然選択説で説明不可能な問題に出くわした時は、
「現時点では不明」というような態度は取らずラマルキズム(獲得形質の
遺伝)を援用したらしい。
そもそもラマルキズムはダーウィン以前から異端的な学説としてあったの
であり、「進化論」と云う概念はダーウィンの自然選択説より、本来はこの
ラマルキズムにこそ相応しいものだった。
最初からダーウィンはラマルキズムを援用するつもりはなかったんじゃない
かと思う。だから、初期の版には「進化論」と云う言葉がなかったのだと
思う。
ダーウィン死後、まもなくダーウィニズムから確証性の曖昧なラマルキズムを
排除すべきという提言がなされた。スペンサーが「パージ」されたのは
この時。
※P.J.ボウラー『チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響』参照
>>942 >>944 正常な人であれば誰も
>>939の『』を引用だとは思わない。
正常でないからこれを引用だと決め付けて突っかかるのだと思う。
皮肉もユーモアも分からない人たち=カルト共産主義者
956 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 22:18:48 0
『』は勝手な脳内妄想ってことで乙
自分の解釈をいかにもそれらのソース元の人物が述べているかのように書いて、
勝手に批判した気になるというのが、ダーウィンにしろマルクスにしろ多すぎる。
じゃ、進化論で資本主義を正当化して暴虐の限りを尽くしてきた
豚野郎どもは皆殺しでオッケーだな♪
新自由主義の奴らのことだが。
959 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 23:49:10 0
>>954 エヴォリューションという概念の生みの親はダーウィンではなく
もしかしてラマルク? ラマルクのほうが先に用いたの?
ところでスペンサーもしくは社会生物学者というのは、獲得形質の遺伝論者
っていうふうに理解していいのかな?
それとも
>>932や
>>935が書いているように、
後天的な獲得形質だと思われているもの、例えば財産やそれに基づく社会階級
といったもの、つまり家系は、実は獲得形質ではなく、生得的な個体の性質が能力
に反映した結果であって、社会という有機体(生態系)への遺伝的な適応度の優劣
を表しているんだと、そう解釈したほうが合っているのかな?
960 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 00:16:36 0
例えばこういう解釈は可能?
スペンサーは、社会有機体説の立場から、社会を自然物のように見なした。
それゆえに、自然選択説をそのまま社会に流用して社会選択説を唱えた。
A:
「社会」という名称は使っているものの、スペンサーにとっては社会は自然その
ものであり、自然環境の一部、あるいは生態系のようなものに過ぎないので、
個々の人間主体がその環境の中で占める地位は、その環境にどれだけ適応的
であるかどうかということによって決定付けられる。
社会選択説は自然選択説の自然概念中に単に人間社会までを含めたに過ぎない。
B:
個々の人間の後天的な能力(獲得形質)とされているものも実は先天的、遺伝的
なものであり、自然の一部である社会環境のなかで選択された適応度の優劣を
表現している。社会階級の発生もまたその考え方にもとづいて説明されるだろう。
ってなふうに。
AとBは一体である必要はないので、どっちか片方だけでも構わないのですが。
961 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 00:26:20 0
スペンサーはどうだったか知らないけど、最近の社会生物学者というのはもちろん獲得形質の遺伝
という概念は捨てていると思うんだけど、ただし、後天的に獲得する能力と遺伝との間には相関性が
あるんだという方向から迂回してきて、獲得形質の遺伝という発想の中にあった似非ダーウィニズムを
遠回しのやり方で復活させているところがある。
これもダーウィンの完全な誤用だと断言しちゃってもいいのかな?
そう断言してもダーウィニストから反論を受けない? どうなの?
>後天的に獲得する能力と遺伝との間には相関性がある
単なる詭弁だろ。生物学を政治や経済の正当化に援用するなよ。
マルクスの科学は弁証法科学とでも呼ぶべきもんで、単にダーウィニズムが
もたらす近代的世界観に飛びついただけで、弱肉強食の思想に結びつくような
影響は受けてなかった。
マルクスの思想はヨーロッパのヒューマニズムの思想的伝統から切り離して
理論だけ他所に移植したりすると、例えばポルポト派みたいなことやっちまうだけで。
963 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:09:14 0
マルクス自身は、ダーウィンの説がそのまんま適用できるのは人類史の黎明期までで、
それ以降は自分の経済発展段階仮説が適用できるはずだと、ダーウィンの説と自分の説
とをいちおう切り離して考えていたようで。その点はオパーリンの考えとも一致している。
社会や経済が段階的に発展していくといったふうな社会発展史観は、べつにマルクスとか
スペンサーとかに限られたものでも、彼らが考え付いたものではなく、当時においては全然
珍しくもない、ありきたりの説であったと思いますけどね。現在でもこの考えは主流では?
構造主義及びポスト構造主義がこの史観に正面から対向したことがあるくらいですか。
964 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:20:32 O
政治思想にダーウィニズムをちゃんと適用したのはナチだよな。
指示を受けて電車に乗って立派な遺伝子の持ち主のところに交配しに
出掛けるような世界。人間の品種改良。
966 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:42:13 0
エンゲルスやマルクスなら、人類が遺伝子操作をするようになる社会の発展段階を
どのように解釈することだろう? ダーウィンの進化学説からの人類の解放というのか?
968 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 03:03:37 O
>>965 緑茶や味噌汁にガン予防効果があるってようなのと同じような話さ。
世間は俗説だらけだ。
969 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 03:08:41 O
緑茶や味噌汁にガン予防効果があったら和食を大事にするだろ?
アタマの悪い奴が早死にするのが科学的に正しいなら、エリートは
戦場に出なくとも良心の呵責に悩まされることなく戦争体制を支持
出来る。
970 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 08:49:20 0
971 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 08:51:04 O
俺は白い鯨を追いかけるのに忙しいのだ。
972 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 09:18:47 0
エンゲルスもマルクスも間違ってはいない
彼らは最初から独裁・階級差別・テロ・虐殺を究極の目的とする学問体系を素直に研究しただけだ
それに心を寄せたレーニン、スターリン、毛沢東、金日成、ポルポト、チャウシェスクらがそのまま実践した結果が
ソ連・東欧の自滅であり、中国と北朝鮮の独裁体制である
もともと社会主義・共産主義は、国民支配と大量虐殺を正当化するために生まれた”狂人の狂気”が正体で、
その結果がこれだ
社会主義のせいで出た虐殺犠牲者数
ソ連共産党 2000万人
中国共産党 6500万人(チベット侵略により更新中)
朝鮮労働党 200万人(日常的粛清・強制収容所で更新中)
ベトナム共産党 100万人
ポルポト 200万人
※「共産主義黒書」(恵雅堂出版)より
973 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 09:23:06 0
今時、必要なのは誰が見ても『資本主義黒書』さ。
そもそもマルクスは『資本論』を半ば、そのつもりで
執筆したわけだが。
974 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 12:59:57 0
ダーウィンの言うevolutionには変転という意味しかない。
発展とか進化とかと受け止めたた時点でダーウィンを誤解している。
ダーウィン自身、誤解が広まっているのを迷惑がっていた。
マルクスも進化論を誤解した自然科学音痴の一人。
975 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 18:32:34 O
976 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 21:35:30 O
マルクスの時代にボーダーの存在は知られていたの?
977 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 23:13:44 0
そんなことは良いから、ラ・マルセイエーズ聞こうぜ。フランス国歌のさ〜
http://www.youtube.com/watch?v=NsYFFsoFgHI 1番
いざ進め 祖国の子らよ
栄光の日は やって来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
奴らはやってくる 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの女子供の
コーラス
武器を取れ 市民らよ
組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう! いざ進もう!
汚れた血が
我らの田畑を満たすまで
978 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:38:38 0
>>975 「マルクス自身は、ダーウィンの説がそのまんま適用できるのは人類史の黎明期までで、
それ以降は自分の経済発展段階仮説が適用できるはずだと、ダーウィンの説と自分の説
とをいちおう切り離して考えていたようで」・・・
こんな説初めて聞いたが。文盲なんで・・・誰の珍説なの?それともまた何かテキストの
改竄とかが訂正されたとか?
979 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:45:33 O
資本論と自然選択説は余り関係ないのは一目瞭然だろ。
980 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:52:57 O
まぁ、ダーウィニズムは資本主義の経済エリートの自己正当化にゃ
何かと便利な理論ではあるわな。
981 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:53:32 0
>>972 マルクス主義の教条主義に反する実践行動をとった人たちをマルクスの正統な後継者・信奉者
のように仕立て上げて、そこからマルクスを頭っから全否定するというのは学問的にどうかと思うよ。
それはマルクス主義者に対する偏った人名列記の仕方だし、彼らの実践はいずれもマルクスらの
もっていた社会経済発展史観をむしろ教条的に継承して「いない」ところにその共通項があるくらい。
彼らはマルクス主義の正統継承者というよりは、あえてこの表現を使えばむしろカルトだった。
話をロシア社会民主労働党にかぎっても、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの対立は有名だったし、
欧州の社会主義労働運動のなかではメンシェヴィキほうが人気があったともいわれている。
(メンシェヴィキはロシア革命をブルジョア革命と位置付けていたようだからソ連は資本主義国になる!)
レーニンがカウツキーやヒルファーディングといったマルクス主義者を執拗に敵視していたのは有名だし、
レーニン死後のソ連でもスターリンとトロツキーとの対立があった。一国社会主義と世界同時革命。
マルクスとエンゲルスが『ドイツイデオロギー』において、グローバルな、インターナショナルな革命しか
共産革命と認めていなかったことを思うと、どちらかと言われれば、トロツキーのほうがマルクスの
教条主義的な信奉者と呼ぶにむしろ相応しかったと思える。
ボリシェヴィキ派的路線とはべつに、マルクス主義には第二インターナショナルのカウツキーの流れを
くむ社会民主主義としての系譜があることも見逃せない。社会民主党を名乗る政党ばかりでなく、
日本を含めた西側諸国で今日でも共産党を名乗っている政党もこの系統の一種と言ってよいと思う。
982 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:04:02 O
ダーウィンはハクスリーやスペンサーのような社会進化論の
信望者と協力体制を組みながら自説を開陳したから自然選択説が
誤解されやすいのは仕方ない。ダーウィンには生命論的な考察
から、生命現象そのものに不可知論を認めざるを得ない点には
考えが及んでいないから、ラマルク的なイデオロギーでそれを
補わざるを得なかったと言える。ダーウィン死後に彼の説から
ラマルキズムを不用意に排除したから、以後は生命機械論が
蔓延してしまった。
984 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:32:13 O
ダーウィンのお爺さんのエラズマスが進化論の研究者だったの。
自然発生的な概念だろ。社会進化論は近代科学の技術的な発達
から起きてるだろうな。
ピーター・シンガーの『現実的な左翼に進化する』あたりはどんなん?
ネグリ『未来派左翼』プッ!
987 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:25:55 0
生物学的なものであるか否かはともかく、社会進化論は差し当たりヨーロッパでは
キリスト教の終末論に取って換わるものだ。終末論はキリスト教世界における時間の
終わりのことだ。
時間意識の円環性、つまり始まるも終わりもない世界というのは、近代主義的な
偏見に凝り固まった頭をほぐして考えれば、人類文明にとって、それほど奇異な
ものではない。
ニーチェの永劫回帰も、ダーウィニズムが終末論を追い払った後の代用品のような
ものだ。
始まりのあるものは、終わりがある。進歩思想は終わりのない始まりの世界だ。
そこでは時間は常に人々を盲目的に未来に追い立てようとする。
988 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 08:54:57 O
人間の進歩とは、それぞれの人間が一度きりの人生において
それぞれ一から始め達成すべきことであり、社会はそのために
好ましい環境を提供出来るだけだ。両親が立派なら子供も自動
的に立派に、或いはそれ以上に優れた人物に成長するとは限ら
ない。当たり前のことだ。
しかし進歩主義に侵された人々は過去の人物をただ過去の人物で
あるという、ただそれだけの理由で自らより劣った存在であると
見なしがちになってしまう。
>>963 > 構造主義及びポスト構造主義がこの史観に正面から対向したことがあるくらいですか。
吉本隆明とかは、たしか、構造主義をマルクス主義の最高形態みたいに言っていたはず。
990 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 11:26:40 0
>>981 >インターナショナルな革命しか共産革命と認めていなかった〜
それが、果たして可能かどうか。
>>972の挙げた人名は、そのインターナショナルな
革命が不可能だから、とりあえず、一国でやろうとした人々だと思う。できもしない
ことを言ってたマルクスと、形を変えてやろうとした独裁者たち、どっちもどっちだ、
て気がするけど。「マルクスはそんなこと言ってない。」という、できもしないことを
主張し続ける学問的姿勢こそ、他の経済学や社会科学から、マルクスが馬鹿にされる要因だと
思うけど。
991 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 11:33:14 O
他の経済学って新自由主義とか新自由主義とか新自由主義のこと?
992 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 12:43:03 0
993 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 12:47:45 O
資本主義の犠牲者なんて奴隷貿易から勘定したら気が遠くなりそうだな。
994 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 12:52:33 O
日本の中国侵略だって防共の旗印でやってるからには犠牲は
資本主義が生んだようなもんさ。
995 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 13:29:21 0
>>990 だからそのロシア革命は、社会主義でも共産主義でもなく、せいぜいブルジョア革命に
過ぎなかったというのが、当初からメンシェヴィキの肩をもった人たちの認識。
マルクスやエンゲルスは、共産主義の前には資本主義の段階があると考えていたし、
共産社会も資本家的生産様式の発達過程を根拠に、プロレタリアートの大衆化とか、
いま流行りの言葉でいえば生産様式のグローバル化とか、生産諸力の飛躍的な増大・
効率化というのを史的条件に共産社会の可能性が開かれるのだと論じていたわけで。
当時で言えば、イギリスのような段階にあるところでまず未熟な段階の共産革命が実現
されうるということを論じたの。だからグラムシだってロシア革命を資本論に反すると喝破
したのだしね。
マルクスを少なくとも学問的なレベルで批判するつもりなら、まずマルクスがどういう条件
のもとにみずからの結論を導いたり、予測を打ち立てているのかを、考えないと意味がない。
どんな実験でも条件が違えば結果が違ってくるのは当たり前なのだから。それらを一緒くたに
見なすような検証の仕方は学問的でもなんでもない。イデオロギー的裁断に過ぎないよ。
996 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 13:45:15 O
ブルジョア革命のボナパルティズムについてだが、例えばダーウィンと
同時期に名乗りを上げたルナンの人種主義的な国際分業体制は、市民革命に
連なるものとは異質なものに思える。ナポレオンには人種主義は基本的に
なかったのではないかな?
997 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 15:17:17 0
>>995 >生産諸力の飛躍的な増大・効率化というのを史的条件に共産社会の可能性が開かれるのだと論じていた
飛躍的生産力を持つ、生産手段を、武力もしくは、選挙で、労働者の管理下におくわけだよね。
武力だと、国家警察や、軍隊に太刀打ちできるかね?選挙の場合、おそらく共産党が躍進することが
前提だと思うが、一旦、生産手段を国有化したのはいいが、次の選挙で、自由主義経済を掲げる
政党に政権をとられると、再民営化というものになりかねない。
仮に、共産革命が成功しても、共産主義者同盟が発行する、貨幣(紙幣)があるわけだよね。
その貨幣(紙幣)が、資本に転化しないの?金や銀などの貴金属が、貨幣として流通してしまう
可能性もあり、G→W→G’やG→G’といった資本の運動が、ひそかに起こるかもしれない。
学問的に考えると、共産主義は実現不可能だと思うが。
999 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 22:39:22 0
>>938 ただ、ダーウィン自身が『種の起源』のなかで、
「生存闘争」という表現を比喩的、便宜的に用いるとした上で、
その論拠としてマルサスの学説を引き合いに出して自身の説を論拠付けている
箇所があるんだよなあ。マルサスの人口論を動植物の世界に適用したものだとして。
生物はほっとけばどんどん繁殖して子孫を増やすけど、自然環境が生物に与える恵み
(厚生経済学でいうところのパイ?)は限られているから、そこで生活のための「闘争」が生じると。
選択、生活のための闘争ないし競争、そしてマルサスの人口論。
ダーウィンに経済学のアナロジーを読み解くのは、ダーウィン自身も自伝に書いているとおり、
あながち間違ってもいないように思えるんだけどもね。
あるいはまたフーコーじゃないけど、
19世紀的エピステーメとして学際的に共有されていたものがそこにはあったのだろうか?
1000 :
考える名無しさん:2009/03/22(日) 00:46:55 0
エンゲルスは『フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終わり』でダーウィンに言及しているね。
18世紀の自然科学を出来上がった事物に関する科学、
19世紀の自然科学を事物の起源と発展、発生と成長の科学というふうに大雑把に捉えた上で、
19世紀の三大発見の一つとしてダーウィンの学説について触れていて、
ここでエンゲルスはたしかに、
自然的産物に対して史観の概念を採り入れた新たな認識論であるということを論じているね。
さらに、自然科学上のこれらの偉大な発見によって自然哲学の役目は終わったと論じつつ、
同じく人間社会の歴史に関しても、ヘーゲルらの歴史哲学に代わって、一般的ないし支配的な
運動法則のようなものの発見に達することが課せられた仕事である、というふうに書いている。
しかし、社会のdevelopment史と自然のそれとは本質的・原則的に異なる点が一つあるんだと
エンゲルスは言う。単純化していえば、社会の歴史においては、その主体が意識的に関与し、
一定の目標に向かって努力すること、言い換えると、合目的性がある点が自然と違うんだと。
とはいうものの、それはミクロの問題で、マクロ的な歴史の一般法則のようなものを否定する
ことにはならないと。ミクロな目的意識は、マクロでは意図せざる結果に結びついてしまうし、
同じに見えても別種のものだと。ざっと要約するとこんなふうなことをエンゲルスは書いている。
1001 :
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