230 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/07/15(日) 18:39:31 O
言語自体の主体はあるの?
232 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/07/15(日) 18:58:56 0
>>230 馬鹿かw
主体のない言語なんて意味なさないじゃんよ
これですか?
それともこれですか?
269 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2007/07/21(土) 16:21:07 0
「我思う、ゆえに我あり」について疑問があります
「我あり」っていう結論が出てないうちに「我」を使うのはなんだかおかしいと思ったのですが、どうなのでしょうか。
「魚は泳ぐ、ゆえに魚は存在する」みたいな感じ。
あるいは、一つ目の「我」と、二つ目の「我」は違うもののような気がします。
一つ目の「我」は「我」の本体から離れて「『我思う』って思ってるなあ」という考えから出ているもので、
二つ目のは思考する「我」本体だと思います。
ちゃんと本を読んだ上でも、ましてや哲学を勉強してるわけでもなくてあれなのですが、ふとそう感じたので。
>>269 「我思う、ゆえに我あり」についての疑問
思考しているときは、生物としての自分含めて客観視しているわけですな。
そして、思考は何段階でもメタ化できますからね。小説やまんが、アニメとか自己作品への突っ込みを同一作品内で
やっている例も多いし、これらからも容易にイメージできるだろう。
デカルトは哲学を神学の範疇から引き剥がす役割果しましたけど、彼自身「神の存在証明」やってますからね。
それに彼は貴族だ。下々の存在あってこその生活してたからねぇ。
そういう階級社会の恩恵受けて生きてたわけだから、「思索の上位性、現世社会の蔑視観」ってなところから
脱却できなかったんでしょうな。そいえばニーチェも似たような境遇に生きたんだっけかな?