もう少し踏み込んでみましょう。
ぴかぁ〜の場合、理想の自我に近づく方法は、
まず、己を変えない事です。それが盗用や媚を売る、不正となって表れます。
これは、自分を努力して理想に持って行くのではなくて、理想の自我像の局所局所を
そのまま真似るというやり方です。
反対に純一の場合はどうでしょうか?
純一は理想の自我に近づく為には、ぴかぁ〜の様な方法は採りません。
まず、己を変えますが、ここで何か変な動きがある事が特徴です。
己を変えるという事は、それだけ己を変える動機が備わっていたという事でもあり、
それだけ、私純一は普段の純一に満足していない、つまりは現実に満足していない
という事でもあるからです。ですから、理想の為に努力するものの、現実には満足しない
という形になります。