資本とネーションと、時々、国家 2

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733純一 ◆Fn0dptrDJw
森山: 民主グループの話は最後にしたい。あなたが“暁に祈る”を行った事実を認めるかどうかについて答えてもらいたい。
吉村: “暁に祈る”とは何ですか?
森山: それは営内のあの電柱にしばりつけ一晩中立たせた処罰だ。
吉村: あれは全部命令によってやった。逃げるからしばりつけたのだ。
命令である。
3人: .....
吉村: もう、これ以上水かけ論をしたくないので終わらせてもらう。
(一方的に席を立つ)

「“暁に祈る”とは何ですか?」 とは何ですか? つい先日の報道記事で記者に対しては、答えていたはずだ。
元隊員を前に平然とこう答える吉村の人間性とは一体どんなものだったのだろうと疑問に思う。
吉村に対して同情的な意見を持つ人は少なくないが、私は、こういうあからさまなとぼけ方をする人間には
好意を持てない。むしろ鼻持ちならない。この言葉には、“疑惑”を“確信”に変えてしまうほどの不誠実さが
表れているように思う。相手をバカにしているとしか思えず、図太さを感じるのみである。
吉村のこういう人間性も、隊員たちにより憎悪を抱かせた原因のひとつであると思われる。