純一をYESや釈迦になぞらえるのも変なのですが、
YESは磔にされて早々と死んでしまいましたし、釈迦も入滅後は
彼等の思想通りに事が進んだとは思えません。
つまり、純一が死んだら理論は主体から離れて行ってしまい、
害悪にしかならないという事が十分考えられます。
歴史から言っても、こういう入滅後や磔後のつまり死後の理論というのは、
教祖の主体から離れるので、思想家が登場しなかった頃よりも、
更に強力なイデオロギーとなって鎮座するのが定石と言えます。
難しい話になりますが、YESと釈迦とソクラテスの理論だけ取り出すと、
それが如何に権力化、即ち、イデオロギー化を防ぐのに巧妙な理論や
実践であったか分かります。釈迦はどんと理論を置くのでは無くて、
相手に合わせてアドバイスします。YESもそんな感じです。
ソクラテスもそうなのですが、これは後々相当なイデオロギーとなって君臨します。
この過程を上手く見越しておかないと、思想を単に捨てるというだけでは済まない
とも言えます。