私純一も最近思うのですが、私もいずれは働かなければなりません。
ですが、私の思想を世間に公表したところでどうなるのかとよく考えます。
私純一の思想は非常に突飛且つ反抗的な理論であり、
社会性を必要とする我々の日本社会では邪魔にはなるが、
有用とはならない様に思います。そもそも、社会に風穴を開ける為に作った理論
である部分も大きく、哲学を一通り見知った人であっても畏怖する内容であると言えるでしょう。
世間に公表したところで流れて行くだけであると思いますが、これは私純一のこれからの
行く末もそんな流れだと思います。つまり、私と同じく私の思想も同じ様に流れていくのでしょう。
社会は思想の領域でも、ある種のイデオロギーを必要としているどころか思想そのものが、
そのイデオロギーに操られている状態だと言えますが、純一統一理論ごときでこのイデオロギーを
一挙に変えるなんて事は無理に近いと思います。それでは、残った理論はどうするのか?
即ち、この処分の方法に困っているのです。