@ そもそも純一は、本当にこの世の中に無条件の愛情等というものが存在すると思っているのか?
A 純一で問題なのは、「人との距離のとり方」であり、哲学とは関係無いのではないのか?
B では、そこが直れば、哲学は不要となるのではないか?
そうなりますと、@は違いますね。
@はそういうポーズをとることで、哲学理論精緻の為の動機付けとして、即ち材料として必要だから、
感情が丸裸であるかの様に振舞っているというだけのクレバーな純一と言えましょう。
ABはそれが無くなってしまうと、逆に哲学が出来なくなってしまうから、
やれるのにやらないといった流れであると思われます。ですから、
@ おそらく今は思っていないが、哲学理論精緻の為にはそういうポーズで
裏切りを待ち構える事が必要であるので、半分わざとそういうポーズをとる
A 処世術という位置づけでは距離のとり方の変化で十分であるが、
それでは哲学理論を生成できないので、わざとやらない
B 動機付けがなくなれば哲学する理由もまた無くなってしまうからである
こういうのが私純一の精神であると言えましょう。