>つまり、私はオールオアナッシングの白黒主義の人生を生きる中で、
>何度も何度も大きな裏切りを経験しますが、いつからか純一は、
>それを哲学の力に強制変換する術を学んだところがあるのです。
>即ち、こういう事です。最初は、親との関係で無条件の愛情を求めていた
>純一であったが、段々と裏切りを経験していく内に、そんなものは無い
>という感覚は身についてきたものの、裏切りがなければ哲学の動機は
>枯渇してしまう。だから、裏切りが必要であり、その為には無条件の愛情が
>この世の中に存在しているという前提で動かなければ哲学理論の精緻はできない。
>つまり、愛情を求めていたのが最初だったのに、今は哲学理論を作る為に裏切りを必要としているのです。
これは面白いですよね。
感情的な衝動が最初の動機であったものが、
徐々に理性によってコントロールされています。
そして、現在に至ってはその強力な感情の衝動を哲学を生成する材料としている。
材料が枯渇すれば、哲学は出来なくなるので、多数の裏切りを必要とするという
何とも歪んだ形になっていますが、これは面白いと言えます。