資本とネーションと、時々、国家 2

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491純一 ◆Fn0dptrDJw
私純一がここに来たのは、2003〜2004年の事です。
その頃には、太郎やポールの全盛期でした。
その後、私純一とビガロ達がキキキ等と結託して革命を起こして、
全盛期は終わりを告げるのです。
私純一に感じる邪悪なものは、ズバリこの太郎やポールが作っていた
何かに対する破壊衝動であると言えるでしょう。
私純一は、実はこの太郎やポールが抱えている前提に関しては、
以前に、アメリカ、ヨーロッパ文明批判スレで書いた様に、
創価学会員との闘いで同種の詭弁を弄する姿を見ていますので、
そいつに対する破壊衝動であったことが大きいと思います。
ですが、本質的には太郎やポールの思想が哲学的であるとは
言えないのに、哲学的であるかの様に振舞っているという二重の問題が
最たるものであったことであろうと思われます。例えばこれを見てください。

【ルーマソ】酒井泰斗統一スレ【エスノ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1172314104/

私純一が良く馬鹿にするルーマン論者なのですが、
今度本を出す様ですね。この酒井は性格的には太郎やポールであると言えますし、
どうも創価系の臭いを感じます。ですが、出版は個人の自由としても、
何か腑に落ちないものがあります。まず、本上まもるや十川幸司も哲学板に
良く宣伝に来るのですが、こういうあらゆる売名行為の果てに出版というものがあったと言えます。
その周辺を論じてみましょう。