462 :
純一:
毎回言ってることなのですが、ぴかぁ〜や太郎やポールの哲学というのは、
この自演や媚を売るという方法が根本的に本質であると思います。どういうことか?
つまり、ぴかぁ〜が哲学の知識を手に入れる方法も、太郎やポールが哲学の知識を仕入れる
方法も、知識を持ってそうな人に媚を売るという方法であるということが分かります。
ところで、この知識の仕入れの仕方そのものには疑問は差し挟まれないのでしょうか?
そうです、差し挟まれないのです。それが彼等の哲学の限界であると言えます。
私純一が彼等、ぴかぁ〜や太郎やポールを見てて思うのは、下衆だなということなのです。
そして、私の周りのリアル友人にもこういうタイプは多いですね。他人の持ってる知識や、
他人が何が良い物を持っている時に、それを盗用するという人ですね。私純一もそうですが、
まともな職に就いている可能性は低いと言えます。ぴかぁ〜は最初は松本人志のように、
勝手なことを言っても、周囲から賞賛されるという自我像を松本人志に転移していました。
この点をラカン理論に応用すると、本物のラカン理論が見えてきます。この板で言われているのは
偽ラカン理論ですね。