資本とネーションと、時々、国家 2

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414純一
私純一のトークライブはいつかはやるべきものです。
最初の段階であっても、いつかは捨てるべきものであってもです。
社会と世間は、その実像を一挙に変える様な手法はなかなか受け入れ難いと考えられます。
もし私の統一理論が、社会や世間での核心となる理論的核心を更新できるとしたら、
それは政治的中心のような、政党の中でのみ、つまりは権力の中枢での効果を発揮すると
いったことが考えられます。それで良いのでしょうか?勿論、それは政党なり教団なりを
中心にして、布教活動をするといった視座にも立てるのならば、どんな宗教団体も、
布教をしており、小さなコミュニティーからの拡大を目指します。会社でも定款を作ってから、
実際に現実に効果を与えるまでは、長い道のりがあり、平坦なものでは無かったと思います。
ですが、こういう段階的な革命には腐敗が付き物であり、そもそも私達が変えようとした
現実の何を、目的を達成してから変えたと言うのか、現実をもっと複雑に、混乱させただけ
ではないのか?という地点にも必ず行き着くのです。ですから、私は現実の一挙変革、
そして、その全体の一挙変革、全ての一挙革命を謀る為の理論として我が純一統一理論はあるのです。