資本とネーションと、時々、国家 2

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327純一
ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代の言う、
ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きる、という状態は、

B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

このように、B〜Cにしか触れないことを、ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代は、
ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きる、と言っていることになります。
でも、私純一に言わせれば、これは勘違いの産物です。
ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代は、はデータベースの中を戯れで生きていける程に
強くは無いのです。本当は何故、データベース論を必要とするのかという理由は、

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

という人間臭い理由でしかないのです。
つまりは、人は動物のように見えたとしても、動物にはなれないのです。