資本とネーションと、時々、国家 2

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321純一
ですから、簡易にするとこうなります。

ぴかぁ〜の表層的な意識に現れる面

B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

ぴかぁ〜の深層的な意識に潜んでいる面

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

ですから、ぴかぁ〜の理論というのは、オタクとしてのコンプレックスを
どうやって、知的権威で覆い隠すかという為に仕立てられた装置でしかないのです。
ところが、@〜Aを分析しないので、知識の並べ立て(データベース的、動物化)になるだけです。