1 :
考える名無しさん:
繋がりの社会性(北田暁大)によると「2ちゃんねる」には
ただ繋がりだけを求めて「2ゲト!」と言う意味のない書き込み
などが多く観察されるそうだ。
2ゲト!
3 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:17:37 0
【まっとうな】 【死相書】
は見たかった
3げと
このスレタイは前にあったな
5 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 06:57:45 0
前スレ埋め立て乙あげ
6 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 09:11:20 0
乙。
前スレ最後のほうにあったけど、「拡散と浸透」テラナツカシス
久々に聴いたわ
7 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 09:24:27 0
なんつー浸透圧と溶液濃度www
ブログ更新
クール・ジャパン…
ところでラジオはどっかにうpされたのか?
ラジオ聴き逃した! ウプ来ないかな〜
もう…粉絲思います…
そんなことよりも絶対に新スレ遅れさせて
【夏バテ】 【裸の汗デ(ry】
とか思いっきり失礼なスレタイにすりゃあよかったと小一時間
わるのりして白い目で見られることが多い人間なので
あとで申し訳なさそうになってしまうことがたたあります…
15 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 14:22:56 0
ニートステートの住人らしくていいと思うよ
16 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 14:24:40 0
東浩紀を消費するオタク
大阪市の登下校見守り自販機が事業化へ
http://slashdot.jp/articles/07/06/23/006226.shtml > この自動販売機は、無線ICタグを取り付けたランドセルを背負った小学生が一定の距離内に近づくと
> 保護者に携帯電話メールで通知する仕組み。また見守りロボットの近くにいる際に児童が危険が迫った場合、
> 児童がICタグの紐を引くことで、自販機が警告音を発し、監視カメラが作動して周囲を撮影するのだそうです。
> 事業化にあたり、総務省が5000万〜1億円を補助すると記事は伝えています。
なんというか、まぁ。。
18 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 14:37:00 0
>>17 子供を狙った犯罪は多発している!!
ニートステートの外は、とっても危ないの!!
って想像しちゃう総務省のアタマの中って、危ないんだろうな
サブカル厨の氾濫で性犯罪が増えている。
キモオタが自己主張しすぎた帰結です
>>19>>20 性犯罪は減少中で、そうでなければ微増
監視の目がなかった昔の方が、今の何倍も多かった
ニートステイトだって。うまいねw
そういえば2chでID.NEETが出たの知ってるか?おまいら。
東浩紀は――個体しても、群体としても――増殖している
監視の目がなかった昔のほうが、今の何倍も少なかった
しかしこのスレほんと伸び率いいな。オタクがそれだけメジャーってことだよな。
都市のワレオタ効果
たくさんのオタクがいたるところに分布している。
ガリバー旅行記や1984年みたいな思想書が書きたいって
あずまん小説執筆フラグとみていいの?
ギートステイトの事じゃないの?
アンチオイディプスが書きたいんじゃないの?
ファット・ブラザー
エロゲ作るとよろしいある。それがいまの、まっとうな思想書。
で、僕等の音楽で今度は誰と対談すんの?
ID:NEETか
ロフトプラスワンイベントの声優出演の噂が非常に気になるのですが
35 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 19:08:03 0
前はライプニッツみたいな哲学者に
なりたいとか言ってなかったっけ?
最後に持続しない思いつきの努力目標を書くのが流儀なのかね
あずまんの夢は儚い夢
あずまんの漫画レビューどっかで連載してほしい
闇金融ウシジマ君とかどう分析するか興味ある
うお、急にスレ伸びて次スレに・・・と思ったらワレオタかよw
ポエムもほどほどにしてくれ
>>35 あずまんの「今後の意気込み」を
間抜ける読者は馬鹿。
しかし、あずまんもさすがにおっさんになってきたから
最近目標を書くときは「どうなるかわかりませんが」という類の
エクスキューズを書くようになってきた。
>>39 > 間抜ける読者は馬鹿。
真に受ける読者
42 :
考える名無しさん:2007/06/24(日) 00:39:17 0
ギートステイト程度でスウィフトとかオーウェルとか
恥ずかしくないのかねえ
43 :
考える名無しさん:2007/06/24(日) 00:48:27 0
声若いな
45 :
考える名無しさん:2007/06/24(日) 01:03:28 0
そのまた前はオールタイムベストがカラマーゾフの兄弟で
ディック論も書くぜとか言ってたよ
「計算主義的想像力をめぐるSF評論」をいつか書きたい
って東浩紀コレクションに書いてある
題材は神林・ディック・イーガンetc
駕篭真太郎の「万事快調」や
もひろんの「ぼくらの」もその評論にいれとくれ
48 :
考える名無しさん:2007/06/24(日) 05:15:55 0
「東 浩紀」
画数:東(8) 浩(10) 紀(9)
天画(家柄) 8画 中吉 強靭な精神力が持ち味
地画(個性)19画 凶 好き嫌いが激しく情に不安定
人画(才能)18画 中吉 エネルギッシュな親分肌
外画(対人)17画 中吉 負けず嫌いな頑固者
総画(総合)27画 吉 プライドが高くおせっかい
評価 : 44.0点
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http://n1.mogtan.jp/?s10495)
>>42 だまれワレオタ!お前にセカイの不幸が癒せるのか
このスレって結局オタクスレなんだ。
やっぱり浅田もそうだけど、なんか喋りテンション高いですよね。
俺はオタクじゃないよ
ハルヒは全巻もってるし、fateはフルコンプしたし、ギアスは毎週見てたけど
本書刊行を機に、ぐっと飛躍したいものである。(文学環境論集journals P837)
この怒濤の出版ラッシュをステップにして、2008年にはぐっと飛躍したいものです。(渦状言論5月30日)
最近のキーワードは「ぐっと飛躍したい」
「浅田 彰」
画数:浅(9) 田(5) 彰(14)
天画(家柄)14画 凶 浮き沈みの激しい波乱運
地画(個性)14画 凶 浮き沈みの激しい波乱運
人画(才能)19画 凶 好き嫌いが激しく情に不安定
外画(対人)23画 大吉 弁舌さわやか、頭角を現す
総画(総合)28画 吉 身内に頑固でわがまま
評価 : 17.5点
モバイル姓名判断(
http://n1.mogtan.jp/?s10495)
>>53 つまり、停滞してると自分でも感じているわけか。
ガンガンズイズイグングン飛躍
夢に向かってフゥパゥワーーーーーーー!!!!
>52
もともとアニメは一般に開かれているから、誰でも見てる筈だよ。ガンダム
だってそうでしょ?アニメは「オタクのもの」じゃなくて子供のものだから。
だけど、例えば「アイドル声優」とかどう思います?声優の大半は「ただの人」
で、「アイドル」とは違うでしょ?田中真弓さんは「アイドル」ではない。
つまり、アイドル業界やTVやそれに群がる健全なる男子どもとは異なる価値観で
生きてるわけだ。「美人」でなくても僕にとってはアイドルなのだ。
声優という裏方に「価値」を見出したが、それは美人だからではないしアイドル
とも違う。
WAREOTA
「アイドル声優」ってのは、そういう世間の価値観(見かけの可愛さが大事)
との妥協の産物で、声優さんの大多数は可愛くもない。
それでいいんで、俳優であり演技力であり、ミュージカル俳優に近い。
「声の綺麗な俳優」という特殊な価値がそこにある。
それは、他ジャンルでは発見できなかった価値なのだ。アイドルは腐るほど
いるがね。
>>58 じゃあ18禁アニメは存在しないってわけだ?
アイドル声優はアイドル声優だろ?
なんでアイドル声優とカテゴリされてないものを持ち出してきて、
>「アイドル」とは違うでしょ?
って、当り前じゃないかw 何をいってるんだ(;´Д`) どんな論理だ。
>61
声優はもともと裏方で、「アイドル」とは違うが、世間が求めるんだよアイドル
を。だから、無理して「アイドル」やったわけでしょ、林原さんとか椎名へきる
とか。しかし、主流はそれと違う。
あくまで一般向けのパフォーマンスだから。
「18禁」ってなによ?声優さんは仕事選ばないからなんでもするけど。
飯島愛みたいに可愛い人がいるか、ということ?じゃ、飯島愛が声優できる
か??
アイドル声優いじりは女子アナいじりとともに、ナンシー関の得意分野だったな。
AV女優は「音楽力」も「俳優力」もないからつまらん。芸能界とも違うし
そこが面白いわけだが。
例えば、林原めぐみのアイコラヌード写真なんて、コミケで出回ったことはない
し、ネットでも見ないでしょ?それを求めてるわけじゃなくて、「音楽性」と
「俳優性」の融合を求めてる。
決められた肢が道なら、
エロゲに萌えるのも愛かなあ?
上のワレオタさん発言を要約するとこうかな?
世間には「アイドル声優」と呼ばれるものがある。
さて、「アイドル声優」を「主流」と仮定します。
ところがアイドル声優は主流じゃないのだ。
声優とは裏方であり、一般向けのパフォーマンスだ。
「アイドル声優」を「主流」と仮定した奴はバカなんじゃないか?
>「18禁」ってなによ?
>>61じゃないけれども下のことじゃないの?
>もともとアニメは一般に開かれているから、誰でも見てる筈だよ。ガンダム
>だってそうでしょ?アニメは「オタクのもの」じゃなくて子供のものだから。
「アニメ」カテゴリからア・プリオリにそれを排除してしまっているということ。
オタクといって軍事オタクや女のオタクや……を排除してるみたいに。
ワレさんはいつも見たくないものは見ない。だから何も見えない…。
そして今度はアイドル声優を排除。ワレオタ主義国では全てガス室送りだ。
声優を、
>あくまで一般向けのパフォーマンスだから。
とするとき、非一般的である声優アイドルのパフォーマンスは誰向け?
あなたのお仲間の「オタク」向けじゃないの?
声優アイドルの存在の供給が嫌なら需要をとめなさいな。
>例えば、林原めぐみのアイコラヌード写真なんて、コミケで出回ったことはない
>し、ネットでも見ないでしょ?それを求めてるわけじゃなくて、「音楽性」と
>「俳優性」の融合を求めてる。
なんでコミケに飛躍したのか論理展開が謎ですが「声優コラ」は出回ってるんじゃない?
もちろんコミケじゃないよ。でもなぜコミケ…?
コミケに声優以外のアイコラヌード写真が出回っている事実があるなら、
論理として理解できますが。
あと当然だけど声優コラを求めているひと(オタク)は、「音楽性」と 「俳優性」を
求めないんじゃないかな?
求めてるのと、求めて欲しい(これはワレオタさんの願望)のとは区別しないと。
そうしないと排除排除の偏狭なひとになるだけ。ワレオタ主義国では全てガス室送りだ。
おまいら果てしなくスレ違い
ワレオタは自分のオタ論を開陳したいのなら自分でブログ開くなりスレ立てるなりしてそっちでやれ
「柄谷 行人」
画数:柄[9] 谷[7] 行[6] 人[2]
天画(家柄)16画 大吉 凶も吉にしてしまう希有な強運
地画(個性) 8画 中吉 強靭な精神力が持ち味
人画(才能)13画 大吉 創造力豊かで人気者
外画(対人)11画 大吉 家庭も仕事も順風満帆
総画(総合)24画 大吉 無一文から成功する出世運
評価 : 98.4点
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http://n1.mogtan.jp/?s10495)
すごい!!さすが、占いおたくだね。
これ100点のやつ知ってるか?
占いおたくってなんだ
>>71 自分の本名でやったら100点になったw
占いは信じないし、成功とは対極にある人間だけど…
うpろだ男はいくつなんだ?いってみろよこらw
柄の本で、
占星術(学?)について書いてたのは何だったかな・・・
催眠術についても書いてあったような
「ワレ オタ」
画数:ワ[2] レ[1] オ[3] タ[3]
天画(家柄) 3画 大吉 知的で誰からも愛される性格
地画(個性) 6画 大吉 情愛深いがお人よし
人画(才能) 4画 凶 努力も空回りの挫折運
外画(対人) 5画 大吉 行動力抜群!ツキの多い性格
総画(総合) 9画 凶 身勝手ゆえ争い絶えず
評価 : 26.7点
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すまん、ワレオタって何?
ワレワレはオタク。
私の妄想は現実と同化する。抵抗は無意味だ。
81 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 10:46:53 0
という幻想をここに書き込むことで
自分をなんとか支えている人です
しっかりスルーして応援してあげましょう
>>70 読んだ。w
それから北田スレ覗いてみたら過疎スレだった。
でもこれにワロタ。w
196 :名無しさん@社会人:2007/02/05(月) 19:51:35
哲学板の東スレはレスいっぱい
あずまんは、あずまんと言われてるけど、
das Manなる、ハイデッガー用語をおもわせて、
よく出来てますね。
84 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 13:24:07 0
azu Manとは、オタク世界に頽落した存在のことを指す。
人間存在の本来性を取り戻させるために、肉体労働が有効とされる。
アズマはCHIASMA(キアズマ)
das Man に通じる azuman における欠落した d は、 dis や de という否定副詞の d 。
したがって、ハイデガーが「世人=ひと」の概念によって否定しているのは浩紀である。
ひとでなし、それは、「動物」にほかならない。
>>82 レスいっぱいワラタ
暁大に足りないもの、それはワレオタ・・・
過疎なんだ。はてブはいっぱいついてるのにね。
88 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 13:51:09 0
2ちゃんについて論じてる割りには過疎スレなんだね。
>>71 >家庭も仕事も順風満帆
家庭はかなり崩壊させたんじゃないの。
>>70の読んでも結局2ちゃんねる批判がしたい!が本音ですよねこれ。w
でも細部で議論すると負けるのが分かってるからメタで語るしかない。
メタには、内容が無いヨウ
ヘタレリベラル最高!
92 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 14:14:46 0
「メディア(の提供する情報・世界像)を疑う事によって相対化すること」に耽溺して、逆に
ある単独のそういう相対化されてない世界観に視座が固定化されてるってのは、確かに
ウヨとかサヨとか嘲笑されるような対象にはよく見られる。
結論部分には別に異論無いが、そもそも「メディアを疑う」ってのはメディアリテラシー教育の
端緒でしかなく、そこから先、より「メディアを知る」事が目指されるはず。
最終段で否定されてはいるが、中段での「メディアを疑う≒メディアリテラシー」みたいな要約は
端的にミスリードだと思う。膾炙した誤解だとは言え。
とかマジレスすればいいの?
不毛なポモ的相対化における剛毛なイデオロギー戦略として脱構築があるわけだけれども・・・
もうメタにはお腹一杯(つまり消費されて)というか。
>>93 中立的なメタ(?)を装いながら完全にそうは成りきれてないから
「立ち位置系」なんじゃないの。
「エロ漫画」の話は面白いけど、唐突に「2ちゃんねる」が出てくる
からこれが本意だなと読めてしまう。サブリミナルナントカみたいな
手法ってやつ。宮台真司なら「朝日新聞」も批判するんだよね。
いやこのスレ伸びすぎだからほんと。
・6/25(月曜日)、読売新聞朝刊文化欄にもインタビューが出ます。
誰かうp。
98 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 17:18:45 0
いや、東のアゴ伸びすぎだからほんと。
99 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 17:20:57 0
北田スレは沖縄みたいだね
ゆっくりと時間が流れててさ
じゃあヨミウリ新聞でも買ってくるか。売ってるかな。おみゃーらもかってコーよ。
102 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 19:00:54 0
インタビューじゃねいじゃんあれw みどころはあずまんの丸い顔だけだw
北田が2chに言及しても2chネラーは静かなのに、
あずまんがオタクに言及したら気狂いみたいなのが寄ってくるという事実。
「類は友を呼ぶ」
「泣きっ面に蜂」
「弱り目に祟り目」
お久しぶりです。
東浩紀『動物化するポストモダン』は、主に二つの主張がある。
1. ポストモダンの文化はデータベース化する
2. ポストモダンの人間は動物化する
1(の背景になる時代変化)はともかく、
1→2の展開と結論があまり納得できない。
1. ポストモダンの文化はデータベース化する から検討する。
現代ではメディアにおける複製技術の進歩によって、
作品がアーカイブ化され、物語の引用・参照時には、
作家単位ではなく、(キャラの)要素単位で行われる。
つまり、物語の生成基準が作家から要素に移行した。
しかし、『動ポモ』に寄せられた意見は、賛否共に
「物語がパターン化した」と捉えていることが多い。
それでは、通俗的な主張の焼き直しになってしまう。
よくある論争で、パターンとオリジナリティは両立可能だ、
というところが落としどころだろう。それではつまらない。
どんなジャンルでも成熟すればパターンの繰り返しになる。
しかし、それはジャンルの終わりではなく真の始まりなのだ。
記号の組み合わせは天文学的に広大で、終わることはない。
「〜は終わった」というのは、特定のパターンに還元できる、
という程度の意味であることが多い。しかし、それは還元が
行き詰まっただけだ。還元は有限なのでやがて終わりが来る。
しかし、細部に降りていけば際限がない。優れた作品は、
曼荼羅のような、単なる装飾ではない、深い細部がある。
そこで、読者が認識の限界を作品の限界に転化してしまう。
歴史に残るような古典的な名作は、何度鑑賞しても新しい。
対して、マンネリな作品は、一回目から既にマンネリである。
マンネリかどうかは、本質的に作品の数や量の問題ではない。
〜続く
期待。wktk
物語の生成基準が作家から要素に移行した、というのが『動ポモ』の主張だ。
その変化は確かに感じるが、だから動物化した、という主張は賛同できない。
それでは、やはり通俗的な、作品か商品か、という素朴な作家主義に見える。
そこに、順列組み合わせや神経的主体や工学の話を加えても変わらない。
『動ポモ』の定義では、環境と調和するのが動物で、環境を否定するのが人間だ。
作家から(萌え)要素への移行は、作家主義から市場主義へ、更に読者・視聴者の
好みに応じた作品が提供されるから、環境と調和して動物だ、という流れになる。
しかし、ここでもやはり細部に注目することで、環境とのズレが出現するのである。
特定の要素さえあればいい、というレベルもあるが、特定の要素を条件にした上で、
どこまでも細部を追求することは可能だ。ゲームやスポーツにはルールがあるが、
規則があるから不自由なのではなくて、むしろ規則は自由の追求の条件なのだ。
規則の限界内で無限に複雑化する現象をカオスというが、そのような世界である。
作家性、あるいは固有性はどこにいったのか。細部に潜在/遍在している。
例えば、作者/読者の二項対立を解体して、読者の作家性を見てもよいし、
近代的個人を横断して、(例えばコミケで)集団的な作家性を見出してもよい。
そして、物語とマグカップが並置されたとして、マグカップにも作品性がある。
「限界芸術」という言葉があるが、ポストモダンの文化は常に限界的である。
ここでの限界というのは、複数の界が接した、差異を生産する場所を指す。
ポストモダンでは、中心/周縁という図式ではなく、全てが中心かつ周縁だ。
限界は周縁ではなく、終わりでもない。ただこれは少し抽象的かもしれない。
限界から始まるとは何か。例えば陸上競技やモータースポーツを見てみよう。
そこではコンマ1秒で勝負が決まる世界だが、その微妙な部分に面白さが潜む。
成熟した分野では微小な差異で勝負が決まるが、その細部に神が宿るのだ。
大差だから良いというような、量で決まる問題では、本質的にないのである。
〜次回に続く
どうせなら続編も踏まえた批判にして欲しい
本当にしろうとは読書をやめちゃったんだろうな
しろうと著 『『動物化するポストモダン』まとめ』 より抜粋
脱北者が帰ってきた
後出しメタ大好きな裸ずまんにまとめで対するは
いい戦術かも。
>>109-112 ちょっとふるやんの批判を思い出す
結局束さんは作品が読めないってことなんだろうな。
すみません。束さん(たばさん?つかさん?)って誰でしょうか?
そのまんま
斎藤環「生き延びるためのラカン」。
世の中、ラカンでなければわからないことが多い。例えば、電車で携帯で話してる人って、
すごくむかつく。でもなぜ? 誰もまともな解を与えてくれない。
これはラカン風に考えればいたって簡単なんだ。こういう人は、独り言をいってる人に似
てる(外見上は区別が付かないよね)。独り言をいうような人をラカン派では「気違い」と
言うんだ。気違いはみんなが気味悪く思うものなんだ。嘘だと思うなら、フーコーの「狂
気の歴史」なんかも読んでね。
この本には本当に教えられた。僕はどうしても声優にこだわってしまうんだけど、声って、
「対象a」なんだ。対象aって「欲望の原因」なんだよ。だから、こだわってしまうんだね。
あずまんと、声優の縁の深さは、次の引用からだけでも明らかだよね。また、ウォンとも。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
平野綾74 [声優個人]
新谷良子 39 [声優個人]
平野綾75 [声優個人]
ちょっと皮肉っぽい書き方になったど、すごくいい本なので、みんな読んでみてよ。
筒井康隆おじいちゃんに軽くあしらわれてるようにしか見えなかった
なんか無駄に突っ込んでるのが鬱陶しくみえたって感じる人もいるかと感じた
うーん。たしかに明らかに勇み足踏んでる気配が漂うのは否定できないんだけどね。
放心状態の赤ら顔ワロタ
2. ポストモダンの人間は動物化する の検討に移ろう。
『動ポモ』では社会全体の共感や連帯が失われているから動物化だ、という論調だが、
一億二千万人が一つの曲を聴けば人間だが、一億二千万人が一億二千万の曲を
聴くのは動物的に消費している、ということもないだろう。数や量の問題ではない。
しかも、最近の方がメガヒットの規模が大きい。昔の歌謡曲はよいが今のJ-POPはダメ、
美空ひばりはよいが宇多田ヒカルはダメ、では「昔はよかった」式の通俗的な話になる。
政治的でなく趣味的だから動物化しているというのはどうか。昔の学生運動などは、
そもそも大学進学率自体が低かったので、もともと全体で共有していたわけではない。
安田講堂の放水シーンをTVで繰り返し映す、というのが人間の根拠では心許ない。
イデオロギーが失墜したからといって政治はなくならない。利害分配としての政治は、
共同体がある限り存続するし形骸化もしない。形骸化してるのは民主制だろう。
カルチュラル・スタディーズの潮流を、中心のない「限界政治」と形容してもいい。
東は『郵便的不安たち』では、特権的な中心はなく価値観が林立するという状況に
こだわっていたのだから、『批評空間』は読まれていないと驚く必要はないはずだ。
だから例えば、『批評空間』を読まないから動物だ、ということもないだろう。
今の時代・世代は動物化しているが仕方ないと、強調する実存には共感できない。
『存在論的、郵便的』における、潜在的な様相の問題は、確率というモチーフを経て、
データベース論では統計的大数において誤差を抹消する方向に向かってしまった。
複雑系における初期値の微差は単なる誤差ではない。むしろ系の分化を産み出す。
体系から剰余するものが体系自体を生成するというのは、否定神学的なロジック
だとして拒否するかもしれない。それは単数的な体系の話である。どういうことか。
『存在論的、郵便的』は郵便的脱構築、あるいは複数的超越論性がテーマだった。
しかし『動ポモ』のデータベースは、単数的超越論性の袋小路を避けた代わりに、
複数的超越性の袋小路に陥ってしまった。つまりデータベースが最終審級になる。
下部構造決定論のような、分かりやすい話になってしまう。ではどうすればよいか。
〜続く
>しろうと
動ポモ2の単行本は読んだのかどうかレスよろ
ついに「ネットワーク全体で一人の、天使的な作家」への本格的反論が読めるのかな。
手塚に諭されてたような気もするが、まあいい。
どんどんやってくれ。
「動物化」って従来からの慣用では「機械化」と表現されていた意味だよね?
なにそんな初歩的な議論なのこれ?
>>129 ドゥルーズ=ガタリもこの二つは似たような文脈で使ってるから。
ただ、彼らにとっては動物に「なること」が重要で
動物か人間かって話じゃないと思うけど。
データベースとシミュラークルの二層構造論によって、
表層の様相から深層の階層へと注目が移ったわけだが、
二層の二元論、更にデータベースの優越による一元論化は、
図式を貧しくしてしまう。ポストモダニズムは多元論的だが、
その「多」は数の多さではなく、数に還元不能な根源的「多」だ。
数や量の問題ではなく、動的生成の概念が重要な論点になる。
東のデータベースは明示的な定義がないが、確定記述の集合らしい。
シミュラークルはそのパターンの組合せと捉えるので、静的な体系だ。
しかし、例えば、全ての演奏は楽譜に還元されるとは、私は考えない。
楽譜は演奏に先立って在るが、演奏家の作家性を否定するのではなく、
むしろ演奏家の作家性の条件になっているのではないか。そしてさらに、
楽譜も無数の演奏から産み出されるのであって、演奏を超越してはいない。
データベースが自律的に作品を生産するという擬人化を受け入れたとして、
データベースを生産するところに作家性が見出せるのではないか。
演奏の差異や楽譜の発生を偶然と見なしてしまうと、大雑把な話になる。
データベース化するに従って作家性が減少するゼロサムの関係ではない。
データベースが作品を産む一方で、作品から遡及的に産まれるものだろう。
さらに、根本的疑問として、そもそもデータベースは一つに還元できるのか。
どうも一元的な還元の根拠は、神経的主体や近代的工学の優越らしい。
しかし、ハードウェアの存在はソフトウェアを否定するのではなくて、
先立つ条件なのである。例えば計算をするときに記号を表現する
媒体は必ずあるだろうが、媒体に論理構造が含まれている。
コンピュータに移行したところで、計算の構造を決定するわけではない。
電子回路はプラスの正当性を保証しない。クワスの回路も作れるのだから。
以上、駆け足で述べたが、続編の『動ポモ2』についても少し触れることにしよう。
〜次回に続く
あずまんは圧倒的
圧迫的
>>111 どうもです。
>>113 >>127 ファウストの時点で読んでますが…。
動物化の図式は基本的に代わってないですよね。
ファウスト周辺だけメタで作家性があるよ、みたいな話で。
でも自分としては、人間=メタの図式だけではなくて、
オブジェクトの細部に降りていく人間性を考えます。
>>114 真面目な話、一度きちんと要約してみたいと思ってます。
>>115 北じゃなくて東ですよ。
>>118 偽日記は細部の注目と感覚の表現がスリリングですね。
>>121 携帯=狂気はネタでも言い過ぎでしょう。むしろ正常さの複数性でしょう。
どういうことかというと、話の途中で携帯を掛けられる切断の不快感と、
いきなり他者の話に巻き込まれそうな接続の不気味さの対だと思う。
>>128 反論というか展開ですね。以前天使的作家と言いましたが、
今は星座的作家と言いたい。例えばアンソロジーコミックで、
特定の(萌え)要素の元に、無名の同人作家が集まった形態。
>>129 東の用語だと、「動物化」するのは主体で、
「機械化(工学化・情報化)」するのが環境(社会)です。
>>131 ドゥルーズや蓮實のいう「動物」は、官僚制をすり抜ける、
欲動の機械的流れを体現した野生動物ですね。東のそれは家畜。
>>136 東は作家性じゃなくて作家の神話性がなくなったといってるんじゃないの?
ポストモダンでは消費の形式が変容して個々の作家が重要視されなくなったという主張なんだから、
未だに作家は個性的だなんて言っても的外れなんじゃ……
>>137 「作家主義」についての補足が必要ですね。
作家を神格化する必要はありませんが、
固有性を指示する対象が作家なんです。
例えば、映画は監督の名で語られることが多いですが、
別に監督が超人的に全てを決定するとは思ってないでしょう。
現場では多数のスタッフがバラバラに動いているでしょう。
しかし、素朴な現場主義は、「あのとき誰々がケンカして〜」とか
業界の裏話の集積に堕してしまう危険性も抱えています。
そこで、全体を指す代理・表象として監督の固有名を使います。
これは、例えばオーケストラの演奏でも同じ事情があるでしょう。
指揮者の指揮棒が全てを決定する最終審級ではありません。
むしろ、事前の練習において、演奏者たちの協調を形成する
合意のプロセスこそが指揮の実体でしょう。そして、一流の演奏では、
楽譜や指揮からの微妙なズレは、誤差ではなくて、演奏の豊かさです。
作家主義にしても、単に作家の名前だけを重視しているわけではない。
それで、作家主義から要素主義への流れはあるでしょうが、そこでもなお、
複数的な固有性があります。複数で固有とは矛盾したような形容ですが。
確かに、作家が固有名で単数なのに対して、要素(属性)は一般名で複数です。
しかし、それは何か固定した実在ではなくて、対象の指示の方法に過ぎません。
例えば、実はある作家は四人組で書いているかもしれませんし、一人だとしても、
複数の作品に影響されています。実は原理的には完全に区分できません。
王は、王と認める家臣がいなければ王でいられないように、
読者の信用が、作品を「知っているはずの主体」としての、作家を産み出します。
作家性の源泉はその認識の視座にあります。だから、作家が凋落しているのは
そのように見る読者の視線が変化しているのだろうけれども、過剰なものは残り、
必ずしもただ動物的に消費しているだけだ、という方向だけではないと思います。
取りこぼした論点ですが、ちゃんと書くと結構面倒くさいですね…。
ハルヒ全巻持ってて、ギアス毎週見てて、fateフルコンプしたような
本物のオタクってこのスレにはどれくらいいるの?
安心しろ。
ワレっちが乱歩全巻持っていて、俺がらき☆すた毎週見てて、しろうとがfateフルコンプしてるだけだ。
なんといったらよいのだろう……ノスタルジー?
身体の内部、臍の下のあたりが細い糸で引張られる感じ。キュンキュンする。
おそらくこのノスタルジーには快楽だけでなく、享楽がある。
東スレはスレッド番号ほどに進んでいないのではないか。
むしろそのナンバリングこそが――エレア派のように――停滞を強調するかのようだ。
それは歴史の否定だ。カウントが増えても万歩計は歩みを表さない。(脂肪だけが増えてゆく。)
「動ポモ」を<いま>読むということ――つまり、書き換える=更新する作業(wikiにするように)は
決してなされない。
なぜか。
読んでいる当の地点が<いま>ではないからだ。
それは永遠。終わりなき日常。反データベース世界。
動的なデータベースに反して、静的で、ピンで留めたように固定されたセカイ。
それが東スレであり、ワレワレ東スレ住人のセカイである。
オタクと評論家は、似ている。正確には、共に、おぞましい変態、変質者に似ている。
彼らは、自ら発情することができない。不能者だ。
ゆえに、発情する者(作家)の言葉に、割り込み、あるいは、身を寄せて、
発情者の発情を味わおうとする。おぞましい。
ふるやんがエロゲ以外は全部やる。
だから東のはそもそもそういう感性を持った「人間」が少なくなっていく筈だという主張なんじゃない?
「このような傾向(=動物化的な新たな社交性の台頭)は、九〇年代においてはもはやオタクたちに限られたものではなかった」
と動ポスにあるように
そこを反駁するにしても不十分というよりズレて見える。
補助線程度に「動物化」の概念を持ち出してるのかも知れないけど一応ツッコんどきました
>>144 まなびストレート見始めたのには笑った。
和歌や短歌の世界では、本歌取という手法があって、遅くとも新古今、
乱暴に言ってしまえば、改ざんコピペのこと。(いや、ポストモダンな鎌倉時代)
ハリウッド映画なんかでも黒沢へのオマージュとかなんとか、ありふれてるし、。
あずまんは、漫画やアニメをネタに、萌えのデータベースがどうのこうの言ってるけど、
元来、表現つうのは、裏側からみれば改竄コピペの競い合いな一面もあるワケだろ。
一般人にとってはなじみの薄い工学用語を取っ払ったら、一体何が残るんだろね?
動物化でもポストモダンでもなんでもいいけど、
インタネの普及や発達で、浅田型知性が駆逐されつつあることへのささやかな抵抗としか思えない。
オタク評論家=東的感性はおぞましくて、少なくなっていてささやかな抵抗、というまとめでいいか。
デリダを読み解いた若きあずまんの知性は、「浅田型知性」とは異質なもの。とだけ。
>>145 特定のタイプの人間が多いか少ないか、という数の問題ではなくて、
社会の変化によって、文化の表現の可能性がどう変わったかが問題です。
そしてそれは、物語を決定するのは作家かデータベースか、という押し問答が
したいのでもなくて、有限の確定記述に還元できるかどうか、ということなのです。
>>147 当然、どの分野も表現にはパターンがあるし、参照や引用の網の目があります。
しかし、データベース論は、メディアが発達してアーカイブに蓄積されることで、
今までは一回性を持っていた視覚・音声芸術の分野も参照できるようになった、
というところが新味なのです。近代以前だと再生型のメディアはほぼないでしょう。
あと、確かにネットと検索があることで、中途半端な教養の価値は下落しました。
でもググってすぐ出てこない知識の価値はかえって高まっているように思えます。
まあ「教養型知性からまとめ型知性へ」というコピーはちょっと考えました。
ネットのように流動的な媒体では、ストックよりフローの情報に需要があります。
>>149 浅田は整理する知性で、東は解読する知性でしょう。
はてな村におけるまとめの鬼、それは、雛見沢村における鬼の二次創作だ。
そして『ひぐらし』のTIPSが本編に割り込み、スタッフルームも物語の一部であるように、
東スレを侵蝕する。
これがしろうと的実践である。(後年、これはワレオタ的実践と対比されることになる)
だから、いきおいそれはメタ言説にならざるをえない。
『動ポモ』まとめの言説は当然ワレオタの登場が期待されている。
したがってこのゲーム盤に、ワレオタは駒として登場するだろう。
登場しなくてはならない。彼は必要なカケラなのだ。
むろんメタ言説はない、と同時に、「お子様ランチの旗」に描かれたように、メタ言説しかないのであるが。
しろうとは、そつなく無意味にまとめる知性だね(笑)
まとめ力(笑)
はてなで鍛えた俺のまとめをみせてやるっ・・・!!
アフィ自重すればいいのに
もう
>>147の文章自体が、なつかしい。
昔からあったじゃないか。本歌取りとかあったじゃないか。という。コピペにしか見えないなw
156 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 01:59:27 0
エロサイトなみのアフィ厨だもんねえ
いっそエロのまとめサイトでもやればあ
月10万もいかんでしょ、あの程度じゃ。
>>126>>132 工ヱぇェゑΣ(・ω・ノ)ノいきなり登場びっくりした
あとさ、筒井康隆に対して上から挑戦目線で鼻のところが汗でテカテカしてるらしく見えなくもないあの写真については言わずもがなうわなにをするけしてでbとはいってな(ry
>>157 月何万もいかんでしょ、てのがポイント。モラルといいかえてもよい。
ポエマーさんはしろうとさんが嫌いで、ワレオタさんが好き。
しろうとさんには何を言ってもまとめられてしまう
これは北田的ポジションに近い
あるいは精神分析
何を言ってもそれは分析の対象
そこへくるとぼくたちのワレオタさんはちがう
これは被分析主体に近い
何を言っても字義通りにとる
コノテーションを知らない
たとえて言うなら、前者は機械であり、後者は動物である
と、このようにまとめるのが前者であり、字義通りにとるのが後者である
はやく人間になりたい
名付けて動物愛護詩人
>>131 その「動物」ってのは環境(構造)を変革する動物(動態的主体)って意味でしょ?
>>136 > 東の用語だと、「動物化」するのは主体で、
> 「機械化(工学化・情報化)」するのが環境(社会)です。
その場合、主客の区別をする必要はない気がする。
まあ主客の二軸をひとまず導入した方が、権力のありかたを語りやすくなるともいう
しろうとさん、完全復活ですね。
しろうと、手塚、ぴか、このうち1人位いないと、ここは持ちません(これ、本当に)。
しろうとは大学卒業しちゃったんじゃないかな
理論書関係に対する情熱の下がりっぷりがちょうどそんな感じ
反論してたけど、「批評飽きた」のエントリと似たような気分はあるんでしょう。
>>165 一人でも複数形の方がいらっしゃいますよ
315 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/06/27(水) 03:28:52 ID:???0
原作者くずれで頭のイカれた政治的意図をもつサヨクの売文家やら
頭こそ良くてお勉強はできてもセンス悪くて哲学はできない思想家やら…
そんなヒトタチが馬鹿に本を売りつけるために「神アニメ」に祭り上げてしまったエヴァ
虎の威を借りて他のアニメをくさすエヴァ信者は放置に限るんだけど、
プロパガンダに踊らされない、ほんとうのエヴァファンはカワイソス
自分のレスをコピペすんなよw
付論. 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』
(以下「動ポモ2」)を検討する。まず要約しよう。
「動ポモ2」は主にライトノベルについて述べている。
ラノベでは物語に人物が登場するというよりむしろ、
自律化したキャラクターが無数の物語を横断する。
キャラは「ツンデレ」など更に下位の構成要素を持ち、
キャラと要素はラノベ作家(更にマンガやアニメ)の間で
共有される。前作のデータベース論と同じ構造をしている。
そして、大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」と
対比される、表題の「ゲーム的リアリズム」を提起する。
この「ゲーム」は、複数的な(メタ)物語という広義の意味だ。
一般的な物語と異なり、ノベルゲームや一部のラノベでは、
メタフィクションによって読者・プレイヤーが感情移入する
という構造があり、そこに新たな表現が見出せるのだという。
『動ポモ2』は、主に二つの主張がある。
1. ライトノベルのキャラはデータベース化する
2. ライトノベルのリアルはメタフィクションにある
1(の背景にある市場状況)はともかく、
1→2の展開と結論があまり納得できない。
ゲームやゲーム的小説ではメタ構造こそが感情移入を強化する、とは言っていても
ラノベが必然的にすべからくメタフィクションになる、などとは言ってないんじゃない?
つまり東自身1→2を主張してるとは思えないのだけど。
と、しろうと同様動ポモ2は連載版しか読んでない漏れが言ってみる。
>>173 >ラノベが必然的にすべからくメタフィクションになる
全てのラノベがメタフィクションになるのではなくて、
1のようにデータベース化して動物化したラノベで、
リアルな表現を可能にするのは、一部の作家による
メタフィクション(ゲーム的リアリズム)だ、という話でしょう。
しかし、ライトノベルのリアルはメタフィクションにある、といったとき、
この命題においてライトノベルは全称化されているわけだが・・・
>>175 「ライトノベルのリアルはメタフィクションに(少なくとも一つは)ある」
ということですね。「メタフィクション以外には全くない」は含意しません。
1のデータベース化については、前論の繰り返しになるので省く。
2の「メタリアル・フィクション」(ファウスト掲載時の表題から)を検討する。
ライトノベルやノベルゲーム(以下「ゲーム的小説」)においては、
プレイヤーは複数の物語を俯瞰するメタ(的視点)をリアルに感じるという。
結論から言うと、私は全く正反対の方向で考えている。
「メタリアル」に対比すれば、「フィクションオブジェクト」とでも言える、
享楽の核としてのモノが、複数の物語を超えるリアルな幻想をもたらす。
東理論では、それはまさにデータベースの動物的消費に見えるのだが。
(以下、「ひぐらし」のネタバレ)
「動ポモ2」では割と好意的に書いてあったが、正直、
「ひぐらしのなく頃に」の後半(罪滅し編以降)の展開
は面白くない。鬼隠し編(「嘘だ」以降)が一番面白い。
並列世界を俯瞰しだすと、なんでもありで興醒めする。
安直に「羽生」のような超越者を出すのを契機にして、
後半になるほど設定の風呂敷を広げて陳腐化するが、
それに反比例するかのように、読者の幻想空間がしぼむ。
幻想空間は設定の数やスケールの大きさとは関係ない。
なぜ鬼隠し編が面白く、感情移入するかといえば、
まさにメタ的視線で俯瞰していないからなのである。
そしてまた、これは動物的消費ではない。だいたい、
萌え要素が多い序盤は退屈だ、とネットでも評判だ。
しかし、その退屈さは必要不可欠な要素でもあるのだ。
日常化したキャラの、恐怖の対象への生成に恐怖がある。
「オヤシロ」のような不在の対象という物語装置は凡庸だ。
それよりも、キャラの動的生成が魅力を形作っている。
「ひぐらし」の成功は、(メタ)並列世界を出したことにはない。
序盤があまりに退屈だから怖い、という反転が画期的なのだ。
特筆すべきは、流麗でない絵も、類型的な音楽・効果音も、
そのある種の平凡・平板さが、怖さに繋がっていることだ。
なぜ平凡さが恐怖に転化するかといえば、
不気味なものになりうるのは、日常の親和的対象だからである。
レナの背後に伺える超越者のオヤシロが怖いのではなく、
レナの表層の変化自体が怖いのである。
〜続く
しろうとさんの連載が読めるのは東スレだけwktk
「羽生」は保坂の文庫化記念誤変換ですか。
そういえば前半から後半への反転を、お疲れ様会ではツンデレに例えられてたけど、
ツンデレは共時的な変態だから例えとして間違っていますね・・・。
その反転の蝶番にトミーの存在があるけれども、それはゴットン・ゴーの爆死と同じで、
ZZもその箇所から舵取りしなおしてますね。
>>179 「羽入」でしたね。保坂の文庫(「羽生」)は、
文庫化する前に読んでますが、買いました。
「ツンデレ」は共時も通時もアリだと思います。
>>178 お前の面白い面白くないポイントなんてどうでもいいんだよ
ここで、根本的な疑問を提起しておこう。
実はひぐらし後半の並列世界には複数性がない。
あるいは、作者と羽入の特権的な視点から眺めた
超越的複数性でしかない。物語のご都合主義とは
別の水準で、ゲームのご都合主義を感じるのである。
ミステリの推理可能性がないからダメなのではなくて、
メタフィクションとしても退屈だからダメなのだ。
ひぐらし後半では、物語の可能性を並列してみせることで、
かえって結末への予定調和の単調さが増してしまった。
それはいわば、ゲームでルールを突然変更可能にすれば、
ゲームの結末は恣意的なものにしか感じられないということだ。
実はマジックだったという風に、モノを好きなように変えられる
時点でゲームは終わる。ゲームは唯物論的なものだからだ。
後は「仲間」だとか「幸せ」というような精神論的説話だけになる。
逆に鬼隠し編では、潜在的な複数性が恐怖の源泉になっている。
選択肢があるかどうか、並列世界を俯瞰するかどうか、ではなく、
系を分化させる限界的な特異点があるかどうかが問題なのである。
レナの「嘘だ」は、悪い出来事を予感させる印象的な兆候だろう。
しかも、真に恐ろしいのは、後半のキッチュな陰謀論ではなくて、
むしろ慈愛的な顔をした母なる超自我なのである。どういうことか。
ひぐらしは後半ほど巨大な力が出現するが、全くリアルではない。
むしろ、鬼隠し編の、ちょっとしたことをサトリのように見抜き、
嘘や約束破りを責めるレナや魅音は、圭一の超自我を体現する。
もちろんそれは圭一の被害妄想的な強迫観念が投影したものだ。
それは羽入のような超越者ではなく、むしろ自己の内在的不安の
転移である。だから、読者は恐怖と同時に魅了されるのだろう。
〜続く
しろうとさん、この連載はブログでまとめるんですか?
しろうとがんばれー。
きれいなあずまんスレを汚してんじゃねえよ
便所紙にでも書いてろ
突発的にこういう長文を書いてこそ
しろうとだよなぁ。
まとめサイトなんか他人でもできるようなことは
誰かに任せて長文を頼む。
しろうとさん自演うざいです^^
正直、東論としてよりひぐらし論として結構面白いんだが
浜砂の砂ほどもあるというひぐらし論をあんまり読んでないからそう感じるのかな?
まあよくある分析(多数の人が辿り着いた結論)ならそれはそれで信頼性が上がるからいいか
話は変わるがついさっき放映した漫画夜話の時かけの回で
筒井康隆があずまんの「ゲーム的リアリズム」を紹介しててびびった
(結構詳しくてテロップまで出てた)
この話題以前に出てたっけ?
公録行ったやつなら書き込んでいそうなもんだが
>>109 未出だと思う。
つかそんな話出てるんだったら見とけばよかった orz
ニコニコ見れねぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ!!!!
ゲーム的リアリズムについての内容はなかったな・・・
「むう」
「筒井はちゃんと今について行こうとしてるんだな」
「大したもんだ」
「↑東スレから出張?」
あずまん信者の気持ち悪さを知った
宇野が東批判からはじめてあずまんにほめられたからしろうとも東批判か……。
しろうとはメタレベルでもオブジェクトレベルでも人真似しかできないんだな。
しろうとの東批判、というか東への異論はもう何年も前からだよ。
そもそも東論の中身を理解してない的外れな批判レスがあまり多かったので、便宜上
スレでは東論の解説や誤解に基づく批判への応答役をやってただけ。
こういう態度は動ポモ前からの批判的読者(のスレ住人。まだ居ればだがw)にはある程度共通してる。
にはある程度共通してる。
↓
なんかにもある程度共通している。
198 :
考える名無しさん:2007/06/28(木) 08:21:31 O
だからしろうと=宇野=善良な市民=ヘルシー女子大生だって!
あっそ
200 :
考える名無しさん:2007/06/28(木) 09:16:50 0
筒井さんの解釈はどうかとw
つーか素人の東批判は論点がずれすぎているだろw
冗談でやってるとしか思えないw
ひぐらし解釈なんてオタクが遊びでするだけなのになぜああも必死なのかw
しろうとのアフィを正当化するためには、
「ひぐらし」のようなタイプの作品を褒める必要があるから。
しかも多くの萌え関連グッズにまみれながら。
>>132 データベースと想像力を切り離して考えれば下部構造決定論的な話になるが
データベースという環境と想像力は果たして切り離して考えることはできるのだろうか?
答えはNOだろう
なぜなら環境に汚染=混交されない「想像力そのもの」といった単純なものは想定されていないし
もし想像力から環境を取り除こうものなら理論は完全に破綻してしまうからだ
つまり、「大きな物語」というツリー的なものと結びついてきた想像力は
環境の変化によりデータベース的想像力となったというわけだ
そして、ツリー的想像力がしばしば当のツリーから逸脱してしまうのと同様に
データベース的想像力もまた「図らずも」データベースという環境を逸脱、拡大させてしまう
環境の変化は物語のありかたを大きく変えてしまうとはいえ
想像力がデータベースに一方的に支配されているという見方は一片的である
データベースを逸脱、拡大させる想像力というのは
環境=所与において「炸裂(サルトル的だ)」している想像力であるとも取れるのだから
>>177 「日本文学におけるライトノベルの台頭が、単純に新しい現実や新しい文学の出現を意味するだけではなく
むしろ、文学が現実を描写する、というその前提そのものに隠されたある屈折を暴くものであることを明らかにしたい」
(東浩紀 『動物化するポストモダン2』講談社新書 P82)
ここで述べられている「屈折」のひとつは、当の物語を逸脱し
複数の異なった物語を生成してしまう想像力の隠蔽ではなかったか
だから、ラノベでは「自律化したキャラクターが無数の物語を横断する」のではなく
データベース的想像力がキャラクターを通して無数の物語を生成している、と言うべきではないだろうか?
(この点は『動ポモ2』P125に述べられていることを参照しよう)
また、ポストモダン的状況に置かれ、データベースと結びついた想像力においては
データベースの動物的消費と創意はほとんど紙一重であり、二つは明確に区別できない
なぜならデータベースを消費する想像力とデータベースを逸脱し、拡大させる想像力に対して
理論的なレベルで斜線を引くことがなされていないからだ
(私見だが、世の中にあふれているデータベースの動物的消費に対する批判の多くは
この二つを明確に区別できるという素朴な観点に基づいているように思う)
>>171 『動ポモ2』の見通しを良くするためには、『動ポモ2』の「自然主義的リアリズム」の批判の観点を忘れてはならないと思う
言い換えれば、単純に「まんが・アニメ的リアリズム/ゲーム的リアリズム」という対立でもって考えるべきではないということだ
「自然主義的リアリズム」
・これは(柄谷によれば)明治期に作られた制度である
・これは<誰かが見るもの>と<誰かが語ること>を峻別していない
「<誰かが見るもの>は語られうる」という前提(フーコーを語った文章の中で、G・ドゥルーズはこの前提を明確に否定した)に立っており
言語を「透明」なものとし、主体と世界が直面できるかのような錯覚を与えた
・これは一種の「コミュニケーションの普遍相(これもドゥルーズが嫌った概念だが)」であり
実際、ある時期には(また今日でも)とても効率のよいものだった
・これは(大塚によれば)「私」を必要とし、この「私」という機能が描写および読解の基点となる
{自然主義的リアリズムにおける「私」という機能は、それと同時に、想像力が当の物語を脱線して
複数の異なった物語を(半ば自動的に)生成し、流転させていくことを隠蔽する}
当の柄谷は、そんなものは自分やポモの批判とは関係なしに、市場の力とIT系テクノロジーに
よってあっさり死んだ(だからいまさら批判しても意味がない)といってるわけだけど。
「ひぐらし」は解までやったけど、あれってさあ、
予定調和をつくってゆく話じゃなかったの?
最終的に、オヤシロ様のメタファーであるプレイヤーは、
彼女同様に傍観者をやめ、創り手になることを促される。
予定調和(予定調和の打破という予定調和)を打ち破れるのは創り手だけだ、という。
「実はひぐらし後半の並列世界には複数性がない。」
としろうとさんは言うけれど、
散文は複数的な並列世界を描くことができないんだよ。
言語学的隠喩が便利なので使うけれども、
並列世界は、範列だが、物語は連辞ということ。
イメージして欲しい、横に並べた範列を横から通過する歩みを。
物語ははじまりからおわりへと読まれなければならない。
つまりそれは連辞だということ。
208 :
続き:2007/06/28(木) 12:18:53 0
そんで、このとき重要なのは文脈。
前の世界がこの世界の文脈になる。そしてこの世界が次の世界の文脈になる。
(ここにはディシプリンがある。例えば富竹の死にプレイヤーは過敏になる。)
これは散文の原理的なもの。もっと言えば身体的なもの。
だって読者はそこに文脈を読みとらざるをえないのだから。
で、この機構に対して物語内で言及が行われれば、それはメタフィクションと呼ばれる。
例えば作中人物が前の世界の記憶を「読者同様に」覚えていることなどがそれ。
因みに「強い意志が運命をつくる」とある作中人物が言っていたけれども、
まったく同じセリフが舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』で言われている。
舞城は近作のいくつかのメタフィクション作品で「文脈」を主題に据えている。
やはりそれらの並列世界は範列ではなく連辞として意識的に描かれている。
そんで、『ディスコ』は予定調和(悲劇的決定論)を打ち破ろうと苦心する物語だ。
東の時代錯誤の文学論を真に受ける中高年の言論人、だかを
宇野が皮肉ってた気がする ゼロ年代の想像力第二回
立ち読みだから記憶は曖昧だが
210 :
続き:2007/06/28(木) 13:33:25 0
アサマシエイトに対してはどの板でも手厳しいなあw
正当化できたらいいんだけど、その論理はつねに空転する。
そうした正当化がむしろ浅ましさを強化するかのよう・・・
>>209 市場の要請に従った物を使って自然主義を批判するというのは、まんま80年代だよね。
浅田彰がコピーライターを持ち上げたのと一緒。
宇野はこのさい考慮しなくていいんじゃなかろうか
214 :
213:2007/06/28(木) 14:23:18 0
207-208さんの言ってることに特に間違いがあるようには思えないけど、大半のユーザにとって
ひぐらしは終わりになればなるほどつまらなくなるってのは確かだと思うよ。
215 :
考える名無しさん:2007/06/28(木) 14:48:13 0
どうでもいいし
しろうとの不気味な必死さ・・・・・・・・
ちんぽ
217 :
続き:2007/06/28(木) 15:58:42 0
>>213 面白かったですよ。裏エンドも含めて。
おそらく私がラノベほとんど読まないし、ゲームあまりしないからかもしれない。
(つまり解釈のフレーム、規範、それこそ文脈を共有していないということ)
が、後半の世評がよくないという雰囲気は分かります。ひぐらし評は読んだことないけれども。
保坂和志の言い回しじゃないけれども、後半と〆だけが描かれたわけじゃないから、
切り取って、前半は良かったとか後半は良かったとか言ってもあまり生産的じゃないなと思う。
だって切り取れるってことは必然性がないんだから。
そんで、ひぐらしの前半ってのはノベルゲームであることの必然性が薄いんじゃないかなと思う。
もちろん全くないわけではないよ。可能世界はルートなんだから。それに隠喩としての「選択(肢)」。
私が言ってるのは例えばアニメなどに移植をして失われてしまうもののこと。
翻訳不可能性のこと。
218 :
続き:2007/06/28(木) 16:01:39 0
レナの豹変はたしかに怖い。それが面白いというのは同意します。或はハァハァします。
でもそれとヴィジュアルノベルと何の関係が? アニメだっていいじゃん。コミックだってラノベだって。
もちろん理由などなく描いたっていいんだけれども、とすれば必然性がない。
でも「ひぐらし」を、物語についての物語、ノベルゲーについてのノベルゲーというメタ的解釈のフレームを選んだとき、
必然性を見てとらないなら、「ひぐらし」についてなんも言ったことにはならないのでは。
だって、それなら「ひぐらし」じゃなくたっていいんだから。
どうして「ひぐらし」は物語を終えることができたのだろう。さらに、どうして物語を始めることができたのだろう。
などといった問いを問い、答えなくてはならない。メタフィクションはそれらを物語に組み込むだろう。
「ひぐらし」はそうした問いを問い、回答している。
というような点も含めて後半も〆も面白いと思いました。
とはいえ、(ローティを追悼しつつ、)解釈が利用するための解釈とすれば、
しろうとさんも哲学的に解釈=利用したらいいのにと思う。
だって哲板である「必然性」がないんだからね。
ひぐらし、アニメしか見てない。
これって、3000枚×8くらいの長さがあるとか言う話し聞いたんだけど、
読む暇ありますか?
まとめのまとめがいる。
しろうと、のまとめを、だれかしてくれ!!
100時間かかるとか聞いたな
222 :
考える名無しさん:2007/06/28(木) 16:53:52 0
東スレの論理学
ローティ読むような奴がギャルゲをする
それは小飼弾が「人類は衰退しました」を読むようなものである
そしてしろうとは小飼弾のようにアソシエイトでウハウハを目指している
したがって、
東スレの小飼弾、それはしろうとである
223 :
考える名無しさん:2007/06/28(木) 16:58:16 0
>>続き
「続き」はワレオタさんの特許なので侵害しちゃだめなのです。みー。
>>183 東スレに書いたものは、後でアスペクトブログでまとめたいです。
>>190 筒井が「ゲーム的リアリズム」に言及するとは、宣伝になりますね。
>>196 その通りです。
>>203 想像力が環境を逸脱するというのは、動ポモにない論点ですね。
どちらかというと単純に想像力がデーターベースに回収される話。
>>204 >ラノベでは「自律化したキャラクターが無数の物語を横断する」のではなく
>データベース的想像力がキャラクターを通して無数の物語を生成している
その二つは両立可能でしょう。同じ事態の裏表ではないですか。
>データベースの動物的消費と創意はほとんど紙一重であり、二つは明確に区別できない
確かに創作と消費は、表裏一体の書く-読む関係で、
自分もその方向で考えていますが、(動ポモ時の)東なら
企業がグッズでオタクに金を浪費させるという卑俗な
現実を持って、市場の消費性を強調するでしょうね。
>>205 そう。自然主義というか近代的リアリズム一般が、
客観・中立的な記述であるかのように装い、その実、
代理・表象のシステムは常に特定の語りに依存しており、
透明な言語の普遍的な相などありえない、というのは、
ポストモダニストのよくある論点ですね。それはその通りです。
でもまあ「動ポモ2」は現代思想をあまり持ち込んでないですから。
222も「続き」の奴か?
>>207 >予定調和をつくってゆく話
最初にミステリを装っている点が批判の的になっていました。
>最終的に、オヤシロ様のメタファーであるプレイヤーは、
>彼女同様に傍観者をやめ、創り手になることを促される。
作者の竜騎士〜オヤシロ〜プレイヤーという回路に
ゲーム的リアリズムは感じないです。どちらかというと、
ドラクエで何回「いいえ」を選んでもループするような、
複数性の否定に近い。全然ゲーム的ではないです。
予定調和のゲームほど退屈なものはありません。
>>207 >散文は複数的な並列世界を描くことができない
>並列世界は、範列だが、物語は連辞ということ
「なぜ一直線の物語で複数性が可能か」というのは、
ちゃんと説明すると面倒くさいので、ポリフォニックな
小説がありうるんだ、と前提にしてしまっていますね。
さしあたり、読者には先の展開が複数読めて、
もしそれが一本道なら、例えばミステリは成立しない、
という読者の視点から見た、簡素な説明をしておきます。
>>208 >前の世界がこの世界の文脈になる。そしてこの世界が次の世界の文脈になる。
>で、この機構に対して物語内で言及が行われれば、それはメタフィクションと呼ばれる。
これがまたつまらない。「動ポモ2」の「九十九十九」もそうだけど、
次の世界が前の世界を包含していく直線的なメタ化というのは、
(ちょっと戻ったり脱線したりしてみて)複雑なようで、実は安直です。
だから、頭が良いと感心はしても、心から感動はしないかな。
実際にはプレイヤーの視点が圭一から段々遊離していって、
例えばよく死ぬFateの主人公と同じ、主人公にイラつく構図になります。
>>217 >ひぐらしの前半ってのはノベルゲームであることの必然性が薄い
>>218 >でもそれとヴィジュアルノベルと何の関係が?
それが全く逆なんですね。竜騎士のインタビューにも少しあるんだけど、
章(編)と章は全く無関係に並んでいるのではなくて、章αで人物Aが
場所aにいると発言したのに、章βではそうなっていないだとか、
そういう視差によって立体視するかのように、多面的に構成しようという
発想のようなんです。つまり、横から見ているんです。しかし後半では
上から俯瞰してしまうために、章ごとの差異はほとんど無意味になる。
レナの豹変については、アニメ版は怖くないですね。
代わりに恐怖マンガ風の絵柄と声で補ってますが、
原作ノベルゲームの序盤のクドい描写がないから。
アニメは尺を変えられないので、同人ゲームのように
ダラダラ日常を書けないんです。コミックもほぼ同じ。
では単に長さの問題かというと、圭一の視点の表現は
文章メディアでないと難しいですね。あとTIPS。
アニメでは客観的なモノとして見られてしまうので。
>>219>>221 ボリュームはありますが、そこまで大長編ではないです。
ボイスが入っていないので、速読力があれば早く終わります。
>>220 それは後でやるつもりです。最近ちょっと忙しくて放置してました。
>>226 Fateやハルヒもあったけど、ゲームやアニメの実写は鬼門ですね。
速読力無いです><
ひぐらしをメタフィクションとして見るときに、実は、
後半の展開よりもむしろ前半の方が評価できる。
まず、章ごとに同じ事件を反復するという構造だが、
作者の竜騎士によると、章ごとの視差によって
立体視するかのような構成になっている。
この横から見た過剰性は、俯瞰する後半では消滅する。
もう一つ、「TIPS」は一見すると地味だが、後半の茶番よりもよほど
上手い仕組だと言える。前半の本編は圭一の視点一辺倒だが、
その窮屈な視界を離れることでメリハリが出る。TIPSがなかったら
退屈過ぎて投げてしまう。だがTIPSは単なる補足に留まらない。
話者が入れ替わり立ち替わりし、次第に雛見沢の場所性が
出現するのが面白い。鬼隠し編で、中立的な安全地帯の
ように思われていたTIPSが、圭一の思考に汚染されてしまう
場面(スーパーの回想)が、一番効果的だと思われる。
この反転もそれまでの単調で禁欲的な記述があればこそだ。
そろそろ整理しよう。ひぐらしの罪滅ぼし編ラスト以降は、
いわば「エヴァ」の最終二話を念入りに構築した印象だ。
念入りならいいかといえば、エヴァが明らかに破綻したことで
視聴者が別の展開を補完する余地があるのに対し、ひぐらしは、
中途半端に辻褄を合わせようとするため、かえって退屈になる。
東はかつて『不安たち』で、エヴァは最終回だけではなく、
むしろそれまでの方が優れたメタフィクションだという認識で、
また、最終回の破綻を逃避だという大塚に対して、むしろ
完結した虚構の方が逃避であるという「ねじれ」を指摘していた。
しかし、『動ポモ2』では、ひぐらし後半のメタ化を安直に肯定する。
私は、どうしてもそこに東の理論的後退を見てしまうのである。
〜ひとまず結
〜裂
以降、私たちはそのような想像力のことを「メタリアルフィクション」に対比する言葉として、
「フィクションオブジェクト」と呼ぶことにしよう
で結んでくれ
>>225 「キャラクターがメタ物語的な結節点として与えられているがゆえに
あらゆる物語に対してべつの物語への想像力が半ば自動的に開いてしまう・・・
・・・特定の物語を読みあるいは観ているときも
同時にそこに登場するキャラクターがべつの物語に登場する光景をたやすく想像することができる」
(東浩紀『動物化するポストモダン2』P125)
データベースへのアクセスがこうした事態(メタ物語生成)を可能にするのですが
この際に想像力がアクセスしている(かのように見える)データベースは
メモリー・バンクでもサーバーでも検索エンジンでもないでしょう
ですから、「単純に想像力がデーターベースに回収される話」という切り口は明快なのですが
その切り口はデータベースがあたかもメモリー・バンクやサーバーのようなモノでしかなく
それが想像力を支配しているんだ、という短絡が生じかねないと考えます
また、『動ポモ』から『動ポモ2』にかけて現代思想の用語がだんだん使われなくなったように思いますが
それだからといって手法が現代思想的ではないということは必ずしも言えませんよね
>>234 例えばハリウッドの映画がCG全盛になったとして、
CG制作の作家性はあるし、更に言えばそもそも
CGのソフトやハードの技術が作られる時点でも、
作家性とまでは言わずとも創造性があるでしょう。
自分も全てがDBに回収されるとは考えていませんが、
あの文章は東への批判なので、その立場が前提です。
なんか5年前くらいの議論
>>233 そういえば、ついひぐらしの話に終始してしまって、
「フィクションオブジェクト」の話がなかったですね。
フィクションオブジェクト(虚物)は大雑把に三種類あって、
これもひぐらしで言えば、「オヤシロ」のようなマクガフィン、
「レナの鉈」「おはぎ」のような強迫観念の具現化、
「悟史の金属バット」のような他者の痕跡、があります。
「レナの鉈」と「悟史の金属バット」の違いに注目しましょう。
前者は「レナの台詞(嘘だ)」と同じ不透明な恐怖なんですが、
後者は不在の悟史と圭一の不思議な連帯の道具になっています。
その効果は雛見沢の歴史の反復とその非整合性に由来します。
悟史の金属バットを圭一が継承する場面が好きなんですが、
それは「仲間の信頼が大事」と反論できない説教をする後半と違い、
運命に復讐する武器なのか、それとも単なる罠なのか、
(この時点ではまだ)曖昧で両義的な性格を持っているからですね。
これらの虚物、虚構を構造化する物質は、メタリアルとは異なり、
モノなので非人称的な次元に留まりますが、単なるデータベースの
要素でもないし動物的・神経的な消費でもありません。虚物は
交換可能・不可能の中間に位置しています。どういうことか。
これらのモノは他者に転移するための中継点に過ぎず、
別に野球のバットじゃなくてゴルフクラブでもいいわけです。
しかし一方で、なんでもいいわけでもありません。
悟史が野球部だからバットで、虚構全体と連関しています。
こうした虚構の細部、単独ではないが固有性を持つモノは、
コミュニケーションを媒介する物質的な条件を作ります。
222 :考える名無しさん:2007/06/28(木) 16:53:52 0
東スレの論理学
今、必要なのは、ロリの論理学。これである。
ロリオンリーは、ロンリー。これだ!
まとめるしろうとさんに突き刺さる住人の横槍
しろうとさんはまとめが遅々として進まない
進んだぶんだけ投げられる横槍
突き刺さったぶんだけ槍を抜かねばならない
しろうとさんはまとめが遅々として進まない
アキレウスと亀
飛ぶ矢は留まっている
そしてついに
投げつけられる槍に飛ぶ矢の方向が逸らされる……
これがギートステイトの抱く理想だった
これは我々東スレ住人にも理想だった
ギートステイトに我々が期待したことだった
我々にギートステイトが期待したことだった
ギートステイトは『電車男』になりたかった
「ガードレール」(これはデリダの言葉)は用意してあります。
まあポエマーさんが最大のスピアヘッドではあるな
ひぐらしが終盤に向かって失速して面白くないという評は良く聞く。
あずまんだって最初(「ソルジェニーツィン試論」の頃)は面白かったさ
「もしある人間が婚姻生活で急に肥満になったとしたなら、それは彼が過食になったのではなく、
その内部にあった過食の性質が以前にはその必要がなかったが、婚姻生活のなかで単に表れ
はじまたためではなかろうか?」
流石に受けなかったか。若きあずまんの言葉を冒涜するつもりはさらさらない。
ひぐらしのメタフィクション化が読者の感情移入をそそらないってのは、
単純に(過去のメタ要素入ったエロゲとかと違って)分岐さえ皆無の完全一直線の作品だから、って訳ではないの?
いまから全作すんの面倒すぎ、やった人レス頼む
>>228-229 脱構築ごっこには興味ないですw
で、哲板と関係ないようだからちょっとだけ。
>「なぜ一直線の物語で複数性が可能か」
そんな話じゃなくて……並列世界を書くにしても、それぞれ一文字目から
終わりの文字まで順番に書かないといけないっていう唯物的なことですよ。
だからこそ、最後に描かれる並列世界がもっとも重要にされてるんではないの?
(だからこそ、例えば途中の世界をもっとも重要にすることだって考えられるんでは?)
>次の世界が前の世界を包含していく直線的なメタ化というのは、
>(ちょっと戻ったり脱線したりしてみて)複雑なようで、実は安直です。
と思ったら指摘されてました。
この指摘は誰もが安直に思いつくことなのでしょう。
そんで、メタ的解釈というとき、それは「直線的なメタ化」ではなくて、
さっき言った唯物的な理由で物語は線的なのだから、
またそれ自体を物語にすることがメタ化なのだから、
直線的にならざるをえないのでは? という、
私はその意味も含めて「メタ」という語を使ってます。
つまり文の意味は後望的に得られるのだから、こう言ってよければ読者がメタ化している。
そしてメタフィクションにおいては、そのこと自体が物語化される、という意味で。
しかしまた、途中の世界をもっとも重要にしてみたところで、それは、続けられる物語、
次に描かれる世界の文脈になってしまう、という話です。
おそらく純粋な反復を書くとしたら、ニーチェのように書くしかないんじゃないかな。
あと、しろうとさんが、どんな「ひぐらし」の物語(複線的な?予定調和でない?)を
夢想しているのか知りたいところではあります。
実際、作中人物から作者へと転移してゆく視点の「ドラクエ」的進化は、
最終的には、能動性が求められ、別の「ひぐらし」を描き出すことが促されているわけですし。
>>249 >別の「ひぐらし」を描き出すことが促されている
誰が描くの?
同人作家じゃない?
252 :
考える名無しさん:2007/06/29(金) 10:35:32 0
しろうとのはしゃぎぶりすごいね・・・・・・・・
ひぐらしはトリックのないミステリーみたいなもんで、読者が
「これはトリックのないミステリー」と読んだ時点で終わり。
それ以外の面白さは皆無だからよほどの物好きじゃないと最後まで見ない。
突き詰めれば、作品の意図を外してパロる二次創作を小説にしたものといえる。
メインストーリーを虚構化してサブがメインを侵食する外伝の要素を
構造的にはっきり意識したところに一定の評価はできるかもしれないが、
これはベタにやってるから誰でもわかるというだけで、表現として語る
つもりがないのであれば、作品ではなく企画書を書いてるのと同じだろう。
表現として語らないから企画書と変わらないっていうのは、あずまそんの書く、
全てエヴァ以降の批評にも共通することだな。
ラノベ全く読んだことのない俺にとっては意味不明
東はオタクのオタクによるオタクのための言説に終始せずにもう少し一般化して欲しい
あれは好き。これは嫌い。
プロフィールに記載する。
エントリーに取りあげる。
2ちゃんねるに書き込む。
それはあなたの趣味嗜好の告白。打ち明けられる性癖。
「ここがおもしろいとおもうんだ」とあなたはいう。
あなたの好き好き大嫌いは
わたしに何の意味があるのだろう?
(「お前の面白い面白くないポイントなんてどうでもいいんだよ」)
わたしに何を求めているのだろう?
あなたの好き好き大嫌いは
これが好き。あれが嫌い。
それはわたしに対する脅迫。あなたを承認することの要請。
――他者よ、どうかわたしを認めてください。趣味嗜好を異にする他者よ。
「ところがそこがつまらないんだ」とあなたはいう。
――他者よ、俺を認めろ。趣味嗜好を異にする他者よ。俺はおまえらを認めない。
それでもわたしたち他者は
あなたがたの求めに応じましょう。
それでもわたしたち他者は
求められるがままにあなたがたを他者として、
受けいれますん。
ユリイカでやれ
ごめんね素直じゃなくて
>>248 >並列世界を書くにしても、それぞれ一文字目から
>終わりの文字まで順番に書かないといけない
確かに文字は、一字ずつ順番に書かれ・読まれますが、
記号の表現は線条的でも、意味上の順番は可変です。
a. 昨日は池袋に行った。今日は新宿に行く。
b. 今日は新宿に行く。昨日は池袋に行った。
aとbは同じ意味ですよね。これは文のレベルの話だけど、
刑事コロンボ(古畑でも)のような、ミステリの倒叙形式に、
エピソードの順番を変えるプロットの効果が見られます。
c. 明日は渋谷か原宿に行く。
文は一直線でも、読者は渋谷に行く未来と原宿に行く未来の
二つを理解できるでしょう。これは文のレベルの話だけど、
ミステリならAが犯人かBが犯人か、という予想をすることは、
ミステリを読む動機になっています。実際の結末は一つですが。
d. 左の道を進む
e. 右の道を進む
ノベルゲームの場合は、ゲームなので操作できます。
ただし操作上の複数性と物語上の複数性は別ですが。
グラフィックは現示的なので、YU-NOのように画面上に
フローチャートを示せば、文字の制約も免れるでしょう。
そして最後に、読者が情報を順番に受け取るため、
結末が一番重要になるという性質は理解できますが、
ノベルゲームではマルチエンディングが可能なので、
EDを並置できます。クリアの順番の影響は多少ありますが。
>>249 >あと、しろうとさんが、どんな「ひぐらし」の物語(複線的な?予定調和でない?)を
>夢想しているのか知りたいところではあります。
ひぐらし原作は「ドラゴンボール」のように、死ぬことに意味がなくなってしまったので、
「JOJO」のように、物質的な条件にあくまでこだわって欲しいですね。元々ミステリだし。
本編での作者の竜騎士と超越者のオヤシロと読者のプレイヤーの三位一体の展開は、
気が利いたメタな仕掛けのようで、実際はひどい予定調和であって、全然感動しない。
安直な形で超越者に一元化せずに、神が宿るような細部が欲しいですね。
誰が誰に会うとか、微差が増幅して、その後の展開が全然異なるという風に、
雛見沢という現象=場所の複雑なシミュレーションが見たかったかな。
毎回トミーが死ぬんじゃなくて。終盤の「かけらむすび」は一直線の物語の再現だし。
262 :
考える名無しさん:2007/06/29(金) 19:38:23 0
全然感動しない
とかもういいよ
>>252 一時的なものですよ。アフィできない場所には長くいられません。
アフィとは魔法のようなもので、グーグル神やアマゾン神と契約し、
大地(DB)や風(流行)からエネルギーを得ることなのですから…。
>>253 >ひぐらしはトリックのないミステリーみたいなもんで、読者が
>「これはトリックのないミステリー」と読んだ時点で終わり。
そうそう、ブラフが面白さの九割を占めていると思う。
>アフィとは魔法のようなもので
しろうともついに立派な基地外になったようだ
ひぐらしの終わり方は割合不評だな。
その理由を探るのは、単なる好き嫌いを超えて意味がある。
>>255 ラノベ全く読んだことのない俺だが「ゲーム的リアリズムの誕生」は読めたよ。:-)
>>260 うーん。本当に通じてないのかなあ。わざとやってるのかなあ…。
すぐずらされてしまう。
私が言ってるのは線状的だからそれが文脈になるってことだよ。
>a. 昨日は池袋に行った。今日は新宿に行く。
>b. 今日は新宿に行く。昨日は池袋に行った。
>aとbは同じ意味ですよね
この例だったら、私が言っているのは、aとbの対比ではなく、aとabの対比。
そのとき受取られる意味が同じだってもちろん構わない。
だってそんな話してるんじゃないもの。
>読者には先の展開が複数読めて、
>もしそれが一本道なら、例えばミステリは成立しない
と上のほうで書かれているように、読者が「先の展開が複数読め」たり、
先の展開を複数期待できたりするためには、誘導される必要があるわけです。
>>267 文字がa,b,c…と直線的に並んでいるから、
読者の情報量もa,ab,abc…のように増えていき、
従って一番最後が一番重要になる、ということ?
その構造はあるけど、それだけでは単純だと思う。
読者の記憶容量に限界があり、前の文脈を忘れて、
だから読み返して伏線を発見したりすることがあります。
(特に短編)小説の一つの定石として、冒頭と結末を繋げる、
あるいは冒頭に結末の次の言葉を書く、という方法があって、
そこで物語は直線から円環になります。『ドグラマグラ』とか…。
>>266 じゃあラノベを読んだことのない俺に内容を説明してみてくれ
>>269 あー上のは最後が重要とかいう話をしてないです。
前に出したのは例えで、並列世界ものの場合、一般に最後が重要視されてるんじゃないくらいの意味。
例えば「鬼殺し篇」が最後じゃだめだし、カケラ紡ぎを最初にしちゃだめなんんじゃない?
そんで、そうした観念をメタフィクション的に取り込んだら、くらいの意味です。
実際、トゥルーエンドよりバッドエンドのがいい、なんてよくある評価なわけで、
最後が重要とかいう話は忘れてくれていいですよ。
>読者の記憶容量に限界があり、前の文脈を忘れて、
>だから読み返して伏線を発見したりすることがあります。
そうですね。そのとき前の文脈を忘れ、それを踏まえて読まれなくてはいけませんね。
>そこで物語は直線から円環になります
だからー。円環小説も直線として読まれなきゃならないって話をしているわけです。
そんで、それをメタフィクション的な寓話にしたら「砂の本」になるんじゃないの?
失われた時〜、フィネガンズ〜、プヴァールと〜、ファルサロス〜、とか
なんでもいいけど。
例えば『ひぐらし』で残留思念みたく前のシナリオを覚えていること。
覚えてるのは読者でしょう。
>>270 簡単にまとめると
新しいリアリズム=感情のメタ物語的な詐術
>>272 横から悪いが、サッパリ分からんくて吹いた。
>>271 物語は終わりが肝心、終わりよければ全てよし、位の意味ならそうですが、
物語単体ではなくジャンル全体からみれば、読み手や書き手にとって
重要なのは冒頭になります。ここではむしろ、結末近くは既に文脈が形成
されているから楽と捉えます。読者はタブララサの透明な状態で読み始める
わけではなく、既にジャンルの様々なパターン・フレームを記憶しており、
それを組み替えていかなければなりません。そしてもし、退屈だと思われれば、
容赦なく他の作品に乗り換えられてしまいます。市場の複数性ですね。
おかげで、マンガ・アニメ・ラノベでは、結末が重要というお題目は忘れられて、
最初で読者をいかに掴むかに力を注ぎます。それが表現には非本質的とも限らない。
ついでにガンダムで喩えてくれ
277 :
考える名無しさん:2007/06/29(金) 21:55:00 0
>>276 新しいリアリズム=「あんなのは飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ」
(ジオングに脚が無い事をシャアに尋ねられたときの曹長の台詞)
279 :
271:2007/06/29(金) 23:22:08 0
>>274 どうしよう!
しろうとさんが何の話をはじめたのかわからない。
>物語は終わりが肝心、終わりよければ全てよし
どうしてそんな風にまとめてしまうのかわからない。
しかしそのように「まとめ」たがる「文脈」はなんだろう?(なんちて
>読み手や書き手にとって重要なのは冒頭になります。
>と捉えます。
>なりません。
そんなこと言われても……
よくわかりませんが、もしかして、上で「アサマシエイト」と書いたことにご立腹して
おられるのならすみません。あやまります。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
>>279 自分も271さんの意図を掴みかねているんですよ。
1. 文章は順番に読まれる
2. 従って、結末の方が重要視される
という常識的なことを言っているなら、基本的にその通りだけど、
ノベルゲームでは1の順番を複雑化させるし、2も常にそうとは限らない、
というだけの話です。ひぐらしで言えば、文脈が形成されていないからこそ、
嘘だ以降の鬼隠し編は注意深く読むわけで、怖さの成功もそこにあるでしょう。
途中で羽入が出てきてからは、結末が重要という気は、失せてしまいました。
しろうとの趣味や着眼点の筋は良いけど、着地はいつもグダグダだという自嘲じゃね?
282 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 00:07:28 0
>>266 それはすごいw
俺はあずまん理論でしろうとがひぐらしを語ってるのか
ひぐらしを使ってしろうとがあずまん理論を語ってるのか、それすらわからない
両方なのかもしれない
ガンダムでは喩えられないけども、体位でいうなら69だと思う
>>282 まあね。
俺の国語力はなかなかもものさ。
駅で「日暮里」を「ひぐらし?」と読んで睨まれたことあるよん。
神楽坂を「はぐらかし?」と読むやつぁいない。
中学のとき、図書館で「栗と栗鼠」は何て読むの?と尋ねられたので
辞書で調べて「クリとリスだよ」と親切に教えてあげた俺はエロい人。
静かな図書館に俺の声が響き渡ったよ\(^o^)/
286 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 02:04:13 0
「感動のサプリメント」だっけ?ナンシー関が指摘して北田暁大も取りあげていたのは。
私を感動させてほしいと期待→感動できなかった→激しい怒り
こんなプロセス。水泳の選手を例にした分析だったと思うが。
>>261を読んでふと思い出した。
しかしみんな感動に飢えているんだな・・。
まあこのように腐したいからこそ、夢想を求めたわけです。
> 「実はひぐらし後半の並列世界には複数性がない。」
> としろうとさんは言うけれど、
> 散文は複数的な並列世界を描くことができないんだよ。
これがしろうとさんと271の食い違いの原点だろうな。しろうとさんはA地点に
おけるプレイヤーの視点から未来への予期に対して複数性を読み込んでいるのだ
が、271は神の視点から複数性を否定している。そしてテクストの唯物性を重視
する立場からか、テクストに現れない可能世界はそもそも考慮していない。
でっていう
ほんと、でっていう
(俗流)精神分析批評を揶揄するときの「尖ってたらなんでもちんぽ」と同じで
だからなんなのっていう
ひぐらしはメタですオヤシロさまがマクガフィンです並列です円環ですおもしろい感動できないつまらない
でっていう(笑)
しらんがな
オタク談議を科学や疑似科学の鍵語で権威付けして高尚にしてみるサブカル批評の典型
>>288 なんだ単に可能世界の定義の問題じゃん。
A地点がB地点に影響を与えるような可能世界はおかしいと271。
影響(文脈?)があるから言葉のパラディグムのようにB地点とA地点とを純粋に取り替えられないと。サンタグムだと。
他方、予期による複数性の実現として読者それぞれ複数の解釈があるよとしろうと。何この懐かしさ。こんなの紋切型として登録済みでしょ。今更何をw
たったひとつの正しい読み(の否定)。いつの議論だよw
どうでもいいよ。瑣末すぎる。そんなのよりそれらを考慮することがどういうことか考えたほうがいい。
もっといえばある批評的立場をとることがどういうことか。感動した、できなかった、つまらなかったとかの自分語り批評じゃなくてさ。
批評によって読み換え=書き換えられたテクストはどういう意味かを考えたほうがいい。
どうして自分はそのように書き直すのか。それを語る自分の意図を反省的に見るといいよ。そうしないと単にきめえオタク談議。
ひぐらしの眼鏡かけた医者がメイド萌えについて語ってるのとなんら変らんだろ?
<ポストモダン>とは何だったのか(PHP)を読んだ。
まとめの快楽、これはとてもとても、強いものですね。
本上某氏に、独創性はあまりない気もしますが。ということは、
しろうとさん(まとめの快楽の元祖。)のほうがまだ独創的ですから、
しろうとさんは、単著「まとめの快楽」にまた一歩、近づいたといって
良いのではないでしょうか。
ポエマーもさすがに意気消沈。
「これが俺のエヴァだ。おまえのはちがう。間違ってる」と彼らは言った。
あれから10年。
今日6/30から「ヱヴァ」の予告編が劇場で流れはじめる。
今日6/30も東スレはこんな調子だ。
「これが俺のひぐらしだ。おまえのはちがう。間違ってる」
東スレは時間が流れていないのだろうか?
東スレは今日も学園祭前日なのだろうか?
この終わりなき無限のループには堅固な意志を感じる。
「強い意志が運命をつくる」(ひぐらしの作中人物の言)
だが誰の意志か。
「これが私たちの東スレです」
まー、東が「間違った現実」(巫女みこサイボーグから、自然主義文学に至るまでな)を前提に立論しがちである以上、
このループは常に繰り返される。それはある程度やむを得ないだろう。
一見さんから脱会信者の固定までが、それを口にするということは、それだけ普遍性のある批評だといえる。
東のエヴァ論が読みたくて郵便的不安たち♯を買った
オタクから遠く離れてに笑った
後書きで「削除を検討した」とか書いてたけど
むべなるかな
東の立論だとゲーム的リアリズムではメタフィクション化が読者の感情移入を強化するはずなのに、
ひぐらしはメタフィクション化したはずの終盤こそが酷評を受けている、これはどういうことか?
ってのがそもそもの話でしょ。
と動ポモ2をまだ買ってない漏れが言ってみる。
さすがに買ってから言えよ
感情移入が基準だと、批判の拠り所が好き嫌いに終始してしまう
ファウストvol4までは買ってたんで連載の4回目までは読んでるんだけど、やっぱそれじゃダメか…
わかった、ふんぎりついたし買って読んでみるよ
だね。しろうとさんが面白くないと言ったのは(嫌い、ではない)、
東理論的に後退してて面白くない、ということ。表現的におかしい部分はあるが、文意はそういうことだろう。
誰かが「諸君わたしはひぐらしが大好きだ」と言い出したせいで、ポエマーさんが好き嫌いの話と勘違いしてしまった。
301 :
271:2007/06/30(土) 15:14:08 0
>>280 まとめられてしまった!
そう、常識的なことです。でも1の前提から2の結論を導いてはいないのです。
だって順に読まれることと複雑化させることは違うし、常にそうだとも私は言ってない。
だからそんなふうにまとめられて異議を申されても……と戸惑ってしまう。
>>271のはじめにもただの例えで忘れていいと書いているんだけどなあ。
なんでその文脈を手離してくれないのだろう……。
いまだけ、手をこう、ぱっと開いてくださるといいのに。
補足しておくと、しろうとさんが「結末が重要という気は、失せ」たかどうかが問題ではなく、
というのはしろうとさんの嗜好の話をしているわけではないからでこれにも戸惑ってしまう。
こう言ってよければ、つまらん、感動した、の主語は「ひぐらし」ではなく「しろうとさん」でしょう。
ところが私はしろうとさんについて話をしているわけではないのです。
……って言い方だとすみませんネガティヴな響きがありますが他意はないです。
(むしろ「まとめの快楽」?には興味があります。切断と縫合からなるサディズムを感じます。)
302 :
271:2007/06/30(土) 15:16:00 0
そんで、「メタフィクション的解釈」という思いのほか曖昧な語で私が言っているのは、
例えば結末が重要という観念があるとき(くりかえしますが「例えば」です、他にもあるよと言われても困る)、
その観念自体がテクストに取り込まれるでしょう、っていう解釈のフレーム。
(舞城の主人公が「また俺は文脈を読みすぎているのか」と自問するのが典型的な例でしょうか?)
それは、
>>288さんの「まとめ」を利用すれば、「テクストに現れない可能世界」それ自体が、
テクストに取り込まれること、具現されること、回帰するということ、というフレーム。
ポモ用語を使うなら、記号の漸進的横滑り、シニフィアンとシニフィエの螺旋をイメージしてくれてもいいです。
「また物語の物語か。また作者や読者が主人公か。まーた書くことについて書くのか」
といった類のメタフィクション作品への批判は聞いたことがあるでしょう?
ところがその批判はメタフィクション作品の作中人物のセリフである、といったような螺旋形。
>どうして自分はそのように書き直すのか。それを語る自分の意図を反省的に見るといいよ。そうしないと単にきめえオタク談議。
まず、一連の流れをそのように書き直した意図を教えてくれよ。
批評のユートピアのような所からアジテートするだけで内容はゼロ。
オタク談議がきめえからじゃない?
>>304 つまりただの趣味談義だと。
ワレオタがアジテートで武装したようなもんなんで一層タチが悪いな。
モノホンのオタクを目の当たりにして引くという。
おま、こんなんで引いてたら「美少女ゲーwキモいっすよねwwww」言われただけで
チャリ鈴木馘首したあじまそんはどんだけなんだよ。
きれいな独裁
動ポモ2amazonで注文したよww
しろうとと271の話はそろそろついて行けなくってる
誰か297の問いにマジレス頼む
もともとしろうとはそれについて書いていた/書こうとしていたようにように見える。
>買ってから言えよ
と言われて文字通り買ってから言ってる
>>309の素朴さにキュンとした。
どうかんがえても読んでから言えよの意味だろがwww
「美少女ゲーwキモいっすよねwwww」
「フヒヒヒwwwww左遷www」
>>300の言うとおりで、今回のひぐらし読みも
『動ポモ』よりも『存在論的〜』の方が面白い、という
しろうとがここ数年東スレで展開してきたこととおんなじスタンス
『ゲーム的〜』読んだけど、やっぱり昔の方がいいよっていう
>>271の読み方は東スレの住人がひぐらしをプレイしたら
10人中9人はこういうことを思うだろうな、というような穏当な感じ
しろうとの批評はいい意味でも悪い意味でも研究者的で
東浩紀オタクしか喜ばないんじゃないかっていう文章だな
メタ的なゲームをメタ的に読んでどうするのさ
っていう穏当さ・退屈さがあるね
ジジェクがヒチコックやブニュエルを読解するの同じ退屈さ
でも『斜めから見る』なんかはラカン入門(ジジェクのラカンだが)にはいいかもしれない
同様にしろうとの文章は東浩紀入門(しろうとのあずまん?)にいいのかもしれない
しろうとがあずまんに転位して自分の感動ポイントとか混ぜだすと
しろうと入門(しろうとのしろうと)になる
「後期東」(というタームがこのスレにはあった)がダメじゃん!というのは
しろうとだけでなく手塚らアクティブな固定・名無しにはほぼ一致している。
明確に肯定していた奴といったら……「向上委員会」くらいしか思いつかんw
ひぐらしの反応がどうなるか? 言わずもがな。
>>288>>291 >>207に戻って言うと、「並列世界は、範列」だとか
「横に並べた範列」とイメージするのも読者でしょ。
読者に複数性を読める力がなかったら、そもそも
パラディグマティックな面があること自体分からない。
文字を書くのは単数でも読むのは複数なんです。
>>301 >「結末が重要という気は、失せ」たかどうかが問題ではなく
いや問題ですよ。なぜなら、
>>302 >その観念自体がテクストに取り込まれるでしょう、っていう解釈のフレーム。
といっているのだから。
解釈のフレームは読者の関心がなければ成立しません。
例えばひぐらしはミステリのフレームで開始されているので、
結末には謎解きが来ると期待しても途中で崩壊したので、
結末に向けて解釈フレームを構成する気は起こらない。
解釈のフレームが作者と読者の螺旋に巻き込まれるのは、
関心によって可能になり、ひぐらしの場合は興味が失せた
(それはさしあたり私の感想に過ぎないが、ネットでも多い)
ので、螺旋にはならず、単一の予定調和があるのです。
東浩紀の理論的変遷まとめ
『存在論的、郵便的』
「郵便」(複数的超越論性)
↓
『動ポモ』
「データベース」(複数的超越性)
↓
『動ポモ2』
「メタリアル」(単数的超越論性)
メタリアル(ゲーム的リアリズム)って結局、
作品全体とプレイヤーが対応するから、
否定神学的で単数的ではないかと思う。
更に言えば、ひぐらしの終盤は単数的超越。
どうしても前期東の郵便の時代からの
理論的後退をみてしまう。とりわけ、
複数性(DBの組合せの多様性)か
超越論性(主体の否定によるメタ)か
どちらかという二択の図式が貧しい。
個別の解釈フレームなんて存在しない
全てはワレオタさまが決める事だもの
ポエさん、ワレさんに転移しすぎだよ…
>>316 >結末に向けて解釈フレームを構成する気は起こらない。
気は起こらないとか言われても!
しろうとさんの気分を私に仰られても困ります。正直、もてあまします。
それと「解釈のフレーム」という言葉ですけれど、
「ミステリのフレームで開始されているので結末には謎解きが来ると期待する」
「結末に向けて解釈フレームを構成する気は起こらない」
これがしろうとさんの採用している解釈のフレームです、というような意味で使っています。
予想する、謎を解く、推理する、とかそういうことじゃないですよ。
要はネオプラグマティストたちの言う意味で使っています。説明不足でしたすみません。
『ONE PIECE』をやおい的に読んでそこにやおいを見出す腐女子もいるでしょう。
この例は『テヅカイズデッド』だったかな。
カフカを寓話として読めば寓話的に読むことができるでしょう。
これは保坂和志の例だったかな。保坂はカフカ的に読むわけですが。
しろうとさんも「ひぐらし」を読みたいように読んだのじゃないの?
だから、繰り返しますが、しろうとさんの気が失せたかどうか、感動しなかったかどうかは、
私の関心にないので、私に告白されてもどうしたらいいのか……。
あー平野綾ボコりたいわ
しょこたんはどうかね
しょこたんはかわいそうだな
新谷良子てのもあるな
>>320 横槍だが、実際ひぐらしの後半はつまらないという意見が多くでているのだから
なぜつまらないという意見が多くでているのかを分析しない限り議論が進まないだろ。
反論するのであれば、つまらないという意見が多くでているが、それはしろうとの
考える理由とは別の理由であるという形でないと。
気が失せたの主語は「読者(しろうとを含む)」。
つーかもう相手にするのはどうかと。
結局好き嫌いを言い合ってるだけにしか見えないんだが。
自分の好きなものを嫌いと言われて怒ってる人と、
自分の嫌いなものを好きと言われて怒ってる人の。
実際ひぐらしの後半はつまらないという意見が多くでていて、
しろうとの感動するポイント=多くの読者のポイントであり、
多数決が分析の正当性を決めるんだから、しろうとが正しいだろ。
はてなダイアリー かわいそうだな
>>328 つまらなさの分析にしたって幾通りも在り得るでしょ。
>>326が言ってるのはそういうこと。
明らかに
>>326=
>>328なんだがw
多くの人がAと解釈しているからAと主張する素人は正しいとかw
いい加減にしてくれよ
>>320 関心がなければ、途中でプレイを止めて
作品のことを忘却する場合もあるわけですが、
私が採用した解釈のフレームは、「途中で
プレイを止めたから批評する資格がないと
言われると嫌なので、義務的に最後までプレイ
しよう」というもので、結末が重要だとは思わない。
いや、批評する資格を与えるのだから、やはり
結末が重要なのだ、という形式主義はありえますが。
結末が重要というのは順番に読まれることが
前提になっていますが、例えば今のアニメは
放映本数が多いので、最初の一〜三話だけは
何が何でも見て後は尻切れトンボ、という視聴形態も
多いでしょう。そういう横断的な視聴においては、
作品同士の範列的な側面への関心が高まります。
順番に読む、というコードもアプリオリに決まっている
のではなくて、読者の関心に応じて構成されることです。
このような読み方は、特殊ではなく、
YouTubeなどで今後も増えるでしょう。
私自身の関心はどうでもいいけれども、
「関心」が「解釈」の地平を成立させると
考えています。無関心な対象に対する
解釈フレームの形式的構成は仕様もない。
>>331 328の言い分はアレだが、おまいの日本語読解力も相当だぞ
なんか盛り上がってますなぁ
>>334 自分には語尾の「だろ。」しか共通点が見えなかったです
盛り上がり方がアレだけどね。
ぼくたちは格言を覚えておこう。
――最後にひとこと言わずには気が済まない人達によって、スレッドは伸びる
これは闘争だ。メタの取り合い。「相手よりも上へ! もっと上へ!」 終わりなき会話。無限後退。
すなわち、メタ・ゲーム。
ニコニコで「らき☆すた」が見れなくなっちゃったよ。アイマスはまだ見れるけど。
アメリカのドラマでは、#1〜#3だけようつべで「正式に」見れるのがある。
京アニとナムコの対応は正反対になったが、勝負はどっちに転ぶかねえ。
340 :
考える名無しさん:2007/07/01(日) 00:39:23 0
しろうと < しょこたん < 新谷良子 < 平野綾 < 東浩紀
多数決でいったらこうかな。
みんなメタつぅか一人二人べたなのがいるだけだな。
東の「環境分析」はメタ物語のメタでおk?
そう書いてしまうと、身もふたもないな。
どうやら一周まわってアズマンの腕(かいな)に抱かれた、ぼくたちの寓話。
――ワレワレは自分で解釈している。自由意志だ。餌付けされてるわけじゃない。
――ワレワレの関心で解釈している。自由意志だ。関心させられたわけじゃない。
・7/1、産経新聞の「私の本棚」欄に寄稿します。
うp頼む
あずまんの著作権はきれいな著作権
そういや動ポモ韓国版の反応はどうなのかな?かな?
271
・ひぐらしの前半はノベルゲームであることの必然性が薄い
・後半もメタフィクションとしての問題を回答していておもしろい。
・後望的に意味を抽出するような傾向が優位。芸術を効果として受け取るプラグマティックな態度。
個々の強度分析には興味がない。
しろうと
・視差の演出、尺、TIPSの効果があることから、ノベルゲームであることの必然性はある。
・神が宿るような視差は横から見ることによって可能になる。
これを維持するためにも上からの視点(超越的視点)はエヴァのラストのように壊れているほうが良い。
・横からの視差に幽霊を感じ、それを増殖させる傾向が優位。郵便本を踏襲している
こりゃ噛み合わないね。ある解釈フレーム自体に幽霊を宿すか。宿さないか。
そこから分岐している。
ひぐらし談議はもういいよ。ワレワレとともにNG登録しておこう。
つまり、後半を楽しめた271はひぐらし消費者のなかでは少数派の人間だ、ということだな。
確定的なことはこれだけだ。
どっちが正しいかはわからない。
つうことでおわり
多数とか少数とかどうでもいいよ。正しいとか間違いとかも。
(メタを楽しんでいるはずの)オタ(の多数)がなんで面白くない言うてるのかを、どう説明するのかて事でしょ。
東スレのリセットボタン(リセットしたい方は指で押す)
↓
●
このボタンを押すと「東浩紀スレッド01」からやり直せます
俺の理解ではひぐらしはゲームじゃなくて小説。
ノベルゲームのインターフェイスを使った小説。
だからノベルゲームの必然性を指摘するのは見当はずれ。
もし指摘するならノベルゲームのインターフェイスを使ったことの必然性なんだぜ?
俺の理解ではひぐらしがゲームならふつーのミステリ小説だってゲーム。
作中人物と同じく読者も推理して予想して謎を解きあかしてゆくゲーム。
ひぐらしのゲーム性とやらはそういう意味じゃないのかな?知らんけど。
271はノベルゲームの必然性を指摘しておきながら、
自分はメタフィクション小説についてしか語ってないことに気づかないのかな。
引き合いに出してるのが舞城とか小説であることに気づかないのはミステリー。
しろうとはアニメ版と比較しながら語っているのはアニメの必然性で、
さて小説との差異はどうかしら。
>・視差の演出、尺、TIPSの効果があることから、ノベルゲームであることの必然性はある。
と
>>348がまとめているけれど、それらは全て小説でできるから必然性ないな。
けれど俺の理解ではひぐらしはゲームじゃなくて小説。
つまりノベルゲームのインターフェイスを使った小説。
だから「それらは全て小説でできる」ではなくて、それらを小説でやってるんだぜ?
空の軌跡3rdほんとつまらない。
>>351 それも含めて、しろうとの説明でいったん収束してると思う。
メタだから即評価-批評の対象になるって段階はとっくに終わってるワケで。
(終わってないのはワレオタ-ポエマーだけ)
じゃあメタ手法が有効な訴求として成立するのはどんな(東理論的)条件下なのか
……という所までやって欲しいね。しろうとサンには。
もともとしろうと-東の分析は、
「ノベルゲームを社会学する」ことで、文学や哲学することではないよ。
ノベルかどうかということは別の議論。
いま、問題はどのように読者が消費しているかなんだから。
多数のオタがひぐらしの後半は糞だという。これは事実。
彼らがどのように、どこに反応(消費)してるかという、
需要のされかた・読者の反応、それを分析し、きちんと説明することが必要。
当然、それには帰納的な作業が必要になるのに、
メタ・フィクション化が東の感情移入を強めたら、
メタ・フィクション化が読者の感情移入を強めることが導かれてしまう。
オタに東-しろうとは含まれている、その事実から、
東-しろうとの反応をオタク一般(我々多くのオタク)として提示してもダメ。
まあ、ひとことでいうと、実証的な作業がなさすぎる。
自分の声だけでなく、オタ(の多数)が後半を面白くないと言っている声をもっと聞け。
ほんとに「フィクションオブジェクト」みたいな構造主義-新批評的な分析が必要かな。
こうして東へのいつもの批判に落ち着くわけだが。
(でも、とんでもな・突飛な視点を提示しないと批評がつまらないジレンマも理解するが)
もともと分析じゃなくてエッセイ
しろうとも動ポ2まとめをブログに書けば
アフィの売上増えるのに
ノベルゲーを語れないのは語彙が不足してるだけだと思われ。
ゲーム批評読んでもストーリーやキャラについての批評しかない。
メタゲーなんてなおさら語れないよ。
マイ・フェア・レディを見た。
オードリー・ヘップバーンの花売りはやりすぎではと思ったものですが。
ピグマリオンなんですね。オードリーは、人形めいたところがありますから、そういう
ところは日本人好みなのかもしれませんし、役にも合ってるのかも知れません。
最近、ミスユニバースに選ばれた日本人というのを見ても、何もいいと思えない。
「ウンコしてる姿が想像できる子」というような喩しか思い浮かばない。
これなら、中原麻衣(リアル時)のほうがまだましだ。
かわいい子にはかわいそうな目にあわせよ。これが現在のピグマリオンというものだ。
ひぐらしでいえば、田村ゆかり?
>>355 ちゃんと読んだのか?
オヤシロサマのようなメタフィクションに対して東は肯定的だが、
しろうとは否定的だろ。
360 :
考える名無しさん:2007/07/01(日) 20:13:09 0
きもいよ、おめら。
あずまんとかひぐらしとかどんだけくさいんだよw
メタ要素がプレイヤーの感情移入を強める?
バッドエンドをくり返し体験した読者が、悲劇のない、
幸福な世界、皆が救われる予定調和の世界をプレイヤー
が望み、「カケラ紡ぎ」によって実現すること?
エヴァ後のアニメ界の停滞を想起させるな。
カウボーイビバップ>>>>>>>>>>攻殻機動隊SAC
ということが認められなかったためにアニメ界は停滞したのだ
平野綾もかわいそうだ
そりゃ秋葉原も解放されるわ
>>366 萱野稔人はアウェーで戦っていて偉いな。
>小林氏と同席しただけで「友人の何人かは口を聞いてくれなくなる」と悲壮な決意で参加した萱野氏。
まぁ確かに思想業界はそういうところではあるが。
北田なんかもけっこう対談相手や登場媒体を選んでいるところがある。
あずまんも最初は選んでいたけど、あるとき吹っ切れたのかゲームラボに登場したあたりから
けっこうオープン(?)になった。
前期東と高貴東のメルクマールだな
対談が、あるときから自己目的的対談になった
>>364 ビバップはカッコつけたカッコいいアニメではあったが、(日本の)アニメならではの過剰さや異常さが
ほとんど無いんだよね。
そういう意味ではあんま批評として取り上げる所が少ない気がする。
あと、SACは別にそんな強く高く評価されてるわけではないでしょ。別にうんこってわけでもないが。
劇場版の関係で知名度が抜けて高いから話題になりやすいだけで。
>>366 今見てる
宮台は必要性を感じた時の空気の読み方はホント半端ないな。
こんだけ相手の立場立てつつ上手く転がせればそりゃロビー活動とかも上手くいくだろうって感じだ。
>>371 私も見てる
小林よしのりに敬語使いまくりの宮台なんてイヤです!><
373 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 02:01:25 0
攻殻機動隊SACはオタク向けというよりマニア向けと呼ぶのが相応しい
>>368 親玉の柄谷は西尾幹二と対談したり、佐藤を子分にしたりとやりたい放題なんだが。
>>372 自己レス。面白いけど長いよ〜
宮台のホストぶりは本当にうまい
小林の相づちの入れ方もこの人はとても聞き上手だなぁと思わせる
(喋り好きの宮台とはいいコンビかも)
萱野はひたすら自論を展開、宮台が話をふってもまた自論を展開する
話は思想から時事まで多岐に渡ってまとめるのは難しい
宮台は左翼がだめぽな理由として「批判」が自分へ返ってくる質のもの(自己言及性、ブーメラン)
ではなく「批判」を「他者への攻撃」の道具として用いている点を指摘する
そこで宮台は2ちゃんねるの言葉を引用して「オマエモナー」視点が左翼には無いことを問題視する
そこからワレワレオタクとは「オマエモナー」が飽和したあとの異空間かも知れない、と私は考えた
まだ最初の1時間しか見てないけど、話の密度は濃い
そんなわけで東と萱野の対談のうpお願い!
前半終盤
小林がヘンな方向に応答したときも臨機応変に話題を変えたなw<宮台
>>376 アメリカが本当に脅威なのか、それとも、日本人の側にアメリカは脅威だとみなす「共同幻想」が
強く働いてるのかの話のところ?
しかし、もし東と小林が対談したら何の話になることやら。┐('〜`;)┌
オタクって本当に動物化してるの?
しろうとみたいなのって単純に「ひぐらし」を消費してるのとは別で、
長々と(大半の人が興味ない)「ひぐらし」語りをして誰かに承認されようとしてる
ハリウッド映画を見終わった後に「すげえよな!」とか言って終わってる人とは違うじゃない?
オタクの作品批評・自己語りは聞いてもらえる他者がいて初めて成り立つし、
そこでは言い負かしたいとか納得させたいとかっていう欲望が働いてる
これはすごく人間的なことじゃないの?
ひぐらしのなく頃に part478(同人ゲーム板)
ひぐらしのなく頃に祭 vol.23(ギャルゲー板)
ひぐらしのなく頃に Part.10(エロパロ板)
ひぐらしのなく頃に〜声優編〜(声優総合板)
ひぐらしのなく頃に総合スレッド 夏近し編(大学生活板)
【ひぐらし】羽入スレなのですwwあぅあぅwww(アニキャラ個別板)
ひぐらしのなく頃に祭part54(家庭用ゲーム板)
ひぐらしのなく頃に解〜カケラ1つ目(アニメ板)
「ひぐらしのなく頃に」で忘れられている事(アニメサロン板)
漫画「ひぐらしのなく頃に」総合スレ 20(少年漫画板)
ひぐらしのなく頃にのエロ画像12(半角二次元板)
「ひぐらしのなく頃に」の音楽(ゲーム音楽板)
すげー
萱野って人よく知らないけど 宮台や浅田や東の高校時代レベルの議論をしていると思ってしまった。
萱野、東は難しいことを分かりやすく説明するのが上手い。
簡単なことをいかにも難解そうに説明する輩よりはマシ。
あずまんに「友人」と書かれ嫌そうな顔をする北田萌え
コソボとハーバーマスの話って、批評空間が率先してやってなかった?
もちろんハーバーマスを馬鹿にする文脈で。
386 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 13:08:32 0
昭和46年生まれって紹介されるの珍しくね?
そっかあ、昭和で言うとすごい旧い人に見えるなあ。
388 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 16:26:24 0
>>378 そらそうよ
動物はアフィしないしブクマを集めに必死にならん
これはすごく人間的なこと
そもそも動物的でなく乖離的なんだろ
391 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 16:43:03 0
>動物はアフィしないしブクマを集めに必死にならん
>これはすごく人間的なこと
人間はアフィしないしブクマを集めに必死だが
動物化は反射的にアフィしないしブクマを集めに快感をえる。
この違いは、他者の位置にある。
アフィしないしブクマの向こうの他者の承認を求めていれば人間。
アフィしないしブクマそのものを集めていれば、動物化。
微妙だなぁ〜w
392 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 16:51:10 0
東曰く、オタクは、作品に対しては、反射的にである点で、
動物"化"しているということでしょ。
動物"化"できるのは、人間だけだからなあ。
そしてだいたい若いヤツって、みんな動物化していると思うけどね。
ハリウッド映画大好きだしね。
ボクも、オタクは人間くさい、むしろ動物化に逆らう人々に見える。
そして、オタクの「動物化」って、自虐的選民思想じゃないのかな。
対談する相手の承認を求めていれば人間。
対談そのものを求めていれば、あずまん。
でおk?
>>332 これは面白いね。最初のほうだけ観た。とか、最初とオチだけ観た。
ってのは普通にある視聴形態だよね。テレビでも中盤特集はしない。
あ、でもそれだと関心よりも前にアプリオリなコードがあることになるのか。
そんな範列的関心を作品にするとアニメのハルヒみたいになるのかも。
395 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 17:53:13 0
>>393 最新のJIS規格では以下のようになっていますね。
動物化指数AT(%)= A/(A+B)×100
A:他者の承認を求める
B:対象そのものを求める
精神病 20%以下
動物化人間 40〜20%
平均的人間 40〜60%
ばたくさい人間(良性転移) 60〜80%
ストーカー(悪性転移) 80%以上
396 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 18:08:37 0
例題1
あるエルメス大好き女性は最新作をみると、いてもたってもいられず買ってしまいます。
そしてほとんど使わずに質屋に持っていきます。彼女の動物化指数ATを計算しなさい。
>>397 バックナンバー見てみ。
その欄は元々そういう欄。
>最初のほうだけ観た。とか、最初とオチだけ観た。
>ってのは普通にある視聴形態だよね。
1話だけ。押井守は、1話だけでエヴァが
すべて分かったらしい。
>>378 『動ポモ』だと、ネットのコミュニケーションはいつでも降りられるので、
形骸化しているという話です。ただ、社会を動かす力にならないのと、
人間性は別で、特にユーモアのある雑談は人間的だと思いますね。
>>394 テレビは視聴率が取れれば中盤特集もするでしょう。
更に言えば、Webの文章は断片的に読むのが常態です。
>>399 すげw
スカイクロラも一章だけ読んで作って欲しい
>>400 ですな。アニメだと断片的に観るのが常態にならない。
視聴率も取れない。
ネットのテクストが持つ複数性について考えてみよう。
テクストの途中でリンクから他のテクストへ移動する。
Webはリンクを辿ればどこまででも読め終わりがない。
用意された結末で終わらず、読者が適当に打ち切る。
それでも必ず読みは直線的だと言えるかもしれない。
だがこれは一回の読みについての話であり、複数回
を通してみたときに確率的な形で範列性が出現する。
更にトラックバックではリンクは作者の外からなされる。
そもそもWWWにおけるハイパーリンクは、
テクストをハイパーテクストにするが、
この「ハイパー」は文章の量や質ではなく、
横断することによって生じるハイパーなのである。
修復できない人間関係も
複数性によって修復できたらいいな
人生は過去に向かって直線的に伸びてしまう
古いエントリにつけられるコメント、トラックバックのように、
作者の外側から過去を変えてくれたらいいのに
しろうとは活き活きしてるなw
そもそも他者の承認を得ずに生きていられる人間なんているのか?
>>405 人と関わらずに暮らせる環境は着々とできあがってきている。
他者の承認どころか(目に見える形での)他者自体を必要としない時代は来るよ。
そのときにはもう人間=動物なのかもしれない。
407 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 23:15:21 0
>>406 残念ながら他者の承認は物理的な他者との関わりとは関係がないなあ。
>>405 平野綾と新谷良子だけいれば生きていける人がいる。少なくともこのスレには。
波平へ 巣へ孵れ!
>>382 >友人に勧められて、同世代の法学者、内藤淳の『自然主義の人権論』を読む。
>最近の思想界には、団塊ジュニア前後の書き手が多数現れている。ちょっとした
>現代思想ブームかもしれない。
萱野稔人に触れた「東浩紀ジャーナル」もそうだけど
(新創刊する思想誌の宣伝でページを私物化するのは
よくないと思います)
あずまんはなんか「同世代」に敏感すぎ。
話が通じる、問題意識が共有できる、とそのうち自身が批判していた
上の世代と同様の「仲良しゲーム」(対談とか)をやりだすことまちがいなし。
>>406,407
最初の他者=母親/父親
この接触は避けられないし、他者からの承認欲望はここから生まれるのでは
つ【コインロッカー・ベイビーズ】
つ【赤ちゃんポスト】
それを言うなら、おっぱいが最初だな
つ【「私たちは欲望機械と器官なき身体との間の対立から出発した」】
417 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:15:03 0
>>413 他者って言語ですよ。
言語をインストールされるということは他者をインストールされるということ。
そこには他者の承認を欲望するが仕掛けられているのです。
そして動物化というのは、言語を解さず、直接生理へ、ということ。
ハリウッド馬鹿映画のおもしろさは、ドキューンと直接、神経を刺激する。
あんな握力は犬だって吠える、ということ。
418 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:16:00 0
握力→迫力
なぜハリウッド映画なの?
AVとかJホラーのほうが直接、身体に作用するよ
エロゲーはどうなん?
420 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:38:01 0
精神分析的にいっても、エロティシズムは本能、動物的に見えても、倒錯的で人間くさいよ。
斉藤環が、東にオタクが動物化しているというなら、オタクの倒錯性を説明して見ろ、と
いって、東はなにもいえなかったしね。動物は倒錯しない。ただ生殖するだけ。
Jホラーも日本文化的なんじゃないかな。
犬はJホラーのジメジメに吠えるかな?
やっぱハリウッド的なドキューン、バキューンにほえるでしょ。
> 東浩紀の理論的変遷まとめ
>
> 『存在論的、郵便的』
> 「郵便」(複数的超越論性)
> ↓
> 『動ポモ』
> 「データベース」(複数的超越性)
> ↓
> 『動ポモ2』
> 「メタリアル」(単数的超越論性)
上からしろうと、271、第三波。
合体すれば東誕生。
422 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:43:43 0
いまだに、複数的超越論性ってのはわからない。
超越論に単数とか、複数とかの分類に意味があるのかな。
まあ、すでに言われている批判ではあるが。
わからない
「ドキューン、バキューン」はリアル社会で起きたほうがずっと怖いよ
なぜハリウッド映画なの?
斉藤だったらオタ文化はもちろん、ハリウッド映画のことも人間の方に入れると思う。
425 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:55:51 0
ハリウッド映画って世界中で受けないといけないからね。
人類共通の生理に訴えかける「ドキューン、バキューン」で作られるからでしょ。
まあ、イラクとか現実社会で「ドキューン、バキューン」な所では、必要とされないだろうけどね。
426 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:57:59 0
斉藤もオタクが動物化しているのは否定しているわけではないでしょ。
まあ、東がいうのは、オバーだと思っているだろうけど。
動物化って程度だから(
>>395参照)
そしたら動物いなくなっちゃうやん
428 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:01:39 0
だから環境にやさしくしないといけないんだね。
「ドキューン、バキューン」が銃声だとして、人を撃つ・撃たれる間柄にも人間劇があるのでは?
話が混乱してると思う
問答無用で人を撃つ(無差別殺人)のことを言われてるのなら、それと同質のエロティシズムは
強制(レイプ)ではないか?
>>425 現実社会で「ドキューン」を必要としてる人がいる
真のDQ-Nである
彼らは環境による管理、生きる意味を欲している
戦争が起きれば、戦時下という環境において初めて生きる目的を見出せるのだ
ドキューンバキューンはスペクタクルな映像だったり展開だったりの比喩だろ。
人を撃つとかそういうことを言ってるんじゃないよ。。
>>426 > 斉藤もオタクが動物化しているのは否定しているわけではないでしょ。
いや、動物化とか象徴界が衰退しているとか
そういう主張を認めちゃったら
精神分析が成り立たないから、
その論点に関しては、
対談しても馴れ合わずにかなり抵抗している。
433 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:04:50 0
>>429 話をややこしくしすぎだよ。
A 画面で大爆発が起こる
B 画面に巨乳が映る
犬のポチはどちらは反応するでしょう?
434 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:07:22 0
>>432 斉藤がそこまでガチガチなら東にシンパシーは感じないでしょ。
そもそも対談する必要もない。
精神分析として、ツッコミはするが、もっと柔軟だよ。
そこが魅力でしょ。斉藤本読めばわかる。
>>431 「スペクタクルな映像」に犬が吠えるのか?
>>433 要するに音量でしょ?
試しに音だけ消して犬で試してみたらいいよ、どっちにも吠えないよ
436 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:11:08 0
東スレだからしかたがないけど、「動物化」を深刻にとらえすぎだな。
動物は動物化しないよ。動物化するのは人間だけ。
動物化とは、最近どうも精神分析的な人間では説明しにくい傾向が、
ちょっと見られる気がするなあ、っとこと。
数十年で人間が動物になるわけない。少なくても数十万年必要だね。
437 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:13:10 0
>>435 音も含めて。音は音量だけはないでしょ。
効果なんだから。
犬がいないから、実験頼む。
『ひぐらし』の最初の話はホラーサウンドノベルのパロディ。
続くシナリオのはミステリーのお約束を踏襲。だから前半が受けたんだね。
ベタなんだよ。消費者が。
ハリウッド映画もJホラーもそう。期待通り展開する。だから倒錯できない。
快楽的であって享楽の要素がない。
そうやって動物のタームに回収されていくんでしょう。
単数的超越論性のが人間的だよね。ただ動物と対にならないと思う。
『時かけ』をリセットなしの人生を獲得する主題と見たり。
複数性は最後に拒否しなきゃいけない。『ひぐらし』も予定調和も肯定される。
現実が一回ぽっきりだから当然でしょうというヒューマン。
動物化の後にくるものは人間化しかない。これもプラン通りの展開。
439 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:21:15 0
>>438 このあたりにニュアンスになると、東ワールドだからついていけないな。
そもそも、ベタだろうが、なんだろうが、動物に物語は存在しないからね。
物語があるのは人間だけど。
ハリウッド的なドキューン、バキューンの比喩は、
物語を離れたて、スペクタクル場面のことだからね。
>>437 実験するまでもないよ
逆に映像を消して音だけ流せば「ドキューン」の突発音に犬は驚く
AV女優のあえぎ声でも同じ
「ハリウッド」は全然関係ないよ
441 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:33:59 0
ボクが前から言っている、動物化解釈は、
人間が動物化しているのではなく、社会システムが、
人間を動物のように扱おうとしているということ
これが環境管理に繋がるわけだけど。
注意するより、椅子を固くする方が、マックにとっても、客にとっても
楽な社会になっている。
動物のように扱う/扱われるのがお互いに望んでいる社会。
オタクの動物化ってのは今ひとつわからない。
オタク的な若い人々は特に自閉的で、
社会の動物化を歓迎すると思うけども、
オタク趣味ってのは、倒錯的でとても人間くさいように思うんだけどね。
これを言っちゃうと、このスレが成り立たなくなるので、別に良いのだけど。
442 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:36:51 0
>>440 なんで話をややこしくするかな。
まあよいよ。
ハリウッドは犬でも驚く「ドキューン」の突発音を多用する。
犬はAV女優のあえぎ声には驚かないよ。
獣淫系のビデオ見ろw
> オタク趣味ってのは、倒錯的でとても人間くさいように思うんだけどね。
昔は教養的だったり倒錯的だったりしたけど、
第3世代以降はパターンどおりに倒錯している商品を消費しているにすぎない、
というのがあずまんの主張。
444 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:39:12 0
しかし東スレっていうのは、いつ来ても哲学板一番の人間くさいスレだな。
もっと動物化してドライにいこうぜ。
人間が反応するのは、「ドキューン、バキューン」だけど、
オタク=動物の生理に訴えかけるのは、「くぱあ、ひぎぃ」だよ。
しかもこの音はリアル社会で鳴ってもだめなんだな。
446 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:41:08 0
>>443 その手の議論は、このスレのパート25当たりでやったなあ。確か。
>>442 だから音量だよ
AV女優のあえぎ声を突発的に大音量で流せば犬は驚くよ
無駄に比喩を多用して話をややこしくしてるのは誰?
>>441 「マックの固い椅子」の話は都市伝説だよ
>>442 だから話をややこしくしてるのは(ry
448 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:47:04 0
これもなんどもいってるけどね。
要するに、オタクの「動物化」ってのは、
人一倍人間くさくて人間関係ベタのオタクが、「私は動物になりたい」という願望なのよ。
東が「動物化」しているということに、救われるのよ。
だいたい動物が「動物化」という言葉に異常に反応するっておかしかろ。
社会的にオタクって不気味って人々で怖がられているだろう。
東は、オタクは「動物化」しているといって、みんなを安心させ、お金も入ったわけ。
「動物化」って蔑視言葉だかね。
オタクはこれで救われる。そしてみんな幸せになる。
449 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:50:34 0
>>447 AV女優のあえぎ声が突発的に大音量になれば、
それはもうハリウッドホラーだろうw
素直に考えろよ。
音で驚かすのも、ハリウッドの手法だろう。
なんでAVが音で驚かす必要があるんだよ。
どういうフェチw
>「マックの固い椅子」の話は都市伝説だよ
なことはわかってんだよ。
過去ログ嫁w
450 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 02:55:09 0
あと、ハリウッド馬鹿にしすぎだな。
音をでかくすれば、よいって、失礼に程があるな。
スズメでも、畑の鉄砲音を数回聞けば、慣れるちゅうねん。
生理に訴えるのはそれはそれで、大変なんだよ。
ハリウッドにつっかかってる奴はあずまんの本読んだことねーだろwww
なんでこのスレきたんだよwww
452 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 02:59:09 0
ずっとロムってたけど
>「マックの固い椅子」の話は都市伝説だよ
これにはコーヒー吹いた
452 考える名無しさん New! 2007/07/03(火) 02:59:09 0
ずっとロムってたけど
>「マックの固い椅子」の話は都市伝説だよ
これにはコーヒー吹いた
波平見てると昔のぴかぁを思い出すな
456 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 03:18:11 0
しかし、AV女優のあえぎ声を突発的に大音量するフェチっていうのは
はじめて聞いた。
チャンネル握って音量調整しながらAVみて興奮するのかね。
普通は出るモンも出ないと思うがw
今後のこのスレは、
「ワレワレオタクはちっとも動物化してないよ!
ねえ、もっとボクらを見てよあずまん!
ボクらは人間なんだ!人間だって認めてよあずまん!」
と必死に訴えていく方向性で。
>>456 もういいよw
ネットで調べてみたらオタクはハリウッド映画なんて見ないということが分かった
459 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 03:35:28 0
>>458 AV女優のあえぎ声に犬は発情しないことを学んだだけでもよかったなw
460 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 03:36:30 0
「動物化するオタク」というのは、一つの文脈だからね。
東周辺でしかわからない文脈だけど、
それを楽しむことがこのスレであり、東ワールドの趣旨であるわけで、
それを否定するつもりはないよ。存分に楽しいでほしい。
でもボクの場合は、東の情報関連、環境管理などの方に興味があって、
そういう話もたまにはこのスレで許容してほしいということかな。
再度いえばこういう事ね。
441 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/03(火) 02:33:59 0
ボクが前から言っている、動物化解釈は、
人間が動物化しているのではなく、社会システムが、
人間を動物のように扱おうとしているということ
これが環境管理に繋がるわけだけど。
注意するより、椅子を固くする方が、マックにとっても、客にとっても
楽な社会になっている。
動物のように扱う/扱われるのがお互いに望んでいる社会。
オタクの動物化ってのは今ひとつわからない。
オタク的な若い人々は特に自閉的で、
社会の動物化を歓迎すると思うけども、
オタク趣味ってのは、倒錯的でとても人間くさいように思うんだけどね。
これを言っちゃうと、このスレが成り立たなくなるので、別に良いのだけど。
環境管理うんぬんは「動物化」が前提で話が進むはずなのにその前提がハテナの状態
オタクに関しては
>>378のいうように自分語りで欲望を満たそうとしているように見えるのだから
なのに動物化は進行しているという都合のいい解釈で環境管理を持ち出されても納得いかん
>動物化は進行しているという都合のいい解釈で環境管理を持ち出されても納得いかん
動物化の進行というとき、その主体を見ても進行してるようには見えないよ。
たとえば動物化の帰結を妄想するとき、そのディストピア的環境が問題になる。
そういう論理。それが「動物化は進行している」というキャッチフレーズの意味。
だからまあ、ぴかのいうように動物のタームに引きずられ過ぎではあるよね。
>>462 そうそうその通り
だから「ひぐらし」は大多数の人が後半は〜うんぬんは実際どうでもいい
主体がどう感じているかなんてのはどうでもいい話なんだよね
消費社会の中でこういう消費物が流行った・・・というのが分析対象
実際どうでもよくないよ。
それだと議論の形式さえ成り立ってない。
後半は〜が正しいかどうかは後半は〜を前提にした形でないと否定も肯定もできない。
なぜならもし前提を使わずに否定されたとしても、後半は〜が否定された理由が正しいのか
どうかを判断できないだろ。
ってこの話もう何度もでてきてるけど、ここまで書かないとわからないくらい
東スレは馬鹿が多いのか?
しろうとと応答してた人がそこら辺のレスは全部スルーしちゃったから。
動物化うんぬんは分からないけど「動ポモ2」では「環境分析」と「作品論」を
併記することによって、うまくまとめられてたと思う。
だから「ひぐらし」の後半がどうこうって話は、「環境分析」に関心がある人に
とってはどうでもいい話だけど、「作品論」においては重要になる。
しかしここは「ひぐらし」スレではなく東スレで、「ひぐらし」は東の本で知ったよ
という人も見にきてたりするわけで、その辺の配慮があってもいいかなと思う。
>東スレは馬鹿が多いのか?
. 。o(オマエモナ)
467 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 07:57:20 O
>>464は全然次元が違うでしょう。
後半を否定しようと肯定しようと、プレイヤーの感想はどうでもいいんです。
個々の問題という話ではなくて、仮に後半を全プレイヤーが否定しようがどうでもいいんです。
そうした主体の変化を読み取って論理付けするのではなくて、要はひぐらしは売れたと。
東はその事実とひぐらしのゲーム内容から、主体がどうなっていくかを書いているだけ。
後半は〜が正しいかどうかも問題ではないんですよ。
お前らは別の解釈をしようと俺はこの解釈をしたよ、というオタク特有の自己語りで片付きますから。
作品の解釈なんてそれこそテクスト論でどうにでもなるでしょう。
だからあずまんの理論は強い(笑)
468 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 08:48:35 0
>>461 >環境管理うんぬんは「動物化」が前提で話が進むはずなのにその前提がハテナの状態
環境管理は人間の管理方法で、動物化が前提ではない。
他者の承認もわからないし、性の倒錯性を動物化につなげるし、
東の言説だけのサラ読みだけで話をしているんだな。
しかしこのスレのレベル落ちたなあ・・・
469 :
「近代の終わり」の意味:2007/07/03(火) 08:50:24 O
ポストモダンインテリが「近代の終わり」と言っていたのは「民主主義を終わらせる」という驚くべき本音だった。皇族や鎌倉や京都のお公家さん集団は民主主義が我慢ならなかったらしい。「貴族階級によるファシズムを実行してやる」という幼児的な願望だったらしい。
あほか!
>>468 環境管理は前近代が強いコミュニティによって、近代が教育・内面化によって果たした役割と
代わるものとして東は掲げている面もあるわけで、動物化が前提であることと関係してる。
なぜ環境管理が必要な時代になったのか?ということ。
471 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 09:39:08 O
東が動物化と環境管理をどこから持ってきたか考えればわかるだろう
もしかして昨日から馬鹿が常駐しているのか
スレ全体のレベルがさがったのか
>>471 東の本を発行順に読んできた世代と、そうではなく途中(そのときどきの新書)から読みはじめてた
次の若い世代もいるわけで。
わかるだろう?知ってて当然だろう?そんなことも知らないのに東スレにくるのか?なんて他者感覚
の欠如だよ。
473 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:06:43 0
>>472 環境管理って、フーコーの生権力からの流れできてて、
動物化はコジェーブの流れできてて、基本的には別の流れでしょ。
東はこれらの関係性を考えるわけだけど、
さすがに、「環境管理は動物化が前提である」というほどに、強い関係性を
言っていないと思うよ。
ポストモダンでは相補的な関係で流れる、という程度ではないかな。
だからボクはこのようにいったんだね。
人間が動物化しているのではなく、社会システムが、
人間を動物のように扱おうとしているということ
これが環境管理に繋がるわけだけど。
注意するより、椅子を固くする方が、マックにとっても、客にとっても
楽な社会になっている。
動物のように扱う/扱われるのがお互いに望んでいる社会。
東に閉じないで、いろいろ勉強するとおもしろいと思うよ。
あと、自分の実感を忘れないでね。
こんな感じでよい?w
474 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 10:10:16 0
民度低くなったな波へぇ
475 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:12:51 0
>>474 誰もがいつまでも子供のままじゃいられないのさ
476 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 10:23:18 0
環境管理型権力というか、環境管理への流れが強まることに対して
あずまんは肯定的でも批判的でもない。傍観。個人的にこれはつまらん。
そこで、環境管理の事実自体を否定するんじゃなくて、環境管理に進む社会は好ましくないと
はっきり非難しているような人って誰かいる?
477 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:23:29 O
でもこの二つをつなげたのはアガンベンが先でしょ
でもあくまで、生権力を動物を作り出す装置ととらえたわけで、
東の新しいのはそれをさらにコジェーブの動物化という充足的イメージにつなげたところだよね。
動物で悪いか。そしてオタクにつなげた。
478 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 10:28:58 0
最近ソファーのあるマックもあるけどな。
479 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:29:53 O
環境管理は情報化技術の発展に関係するから、単純に否定はしないでしょ、フーコーでさえ
ただその弊害に注意せよとみんながいってる。
だからさ・・・マックのイスなんて比喩以上でも以下でもないんだよ・・・
デザイナーズチェアの大半は座り心地わりいんだよ・・・
481 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:32:54 O
落ち着け、マックの椅子の話がネタなのは誰でも知ってるよ。
「ジャスコ・テーマパーク」には北田・仲俣なんかは反感示してるが空回ってるね
工学を前に人文は何も出来ない感じが対談読んでて伝わってきた
483 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 10:40:22 0
冷静に考えると座り心地のいい椅子がある店の方が少数派だろう。
東の本によってマックの環境に敏感になりすぎてしまっているのなら、
気の毒だな。
>>482 そうか?
仲俣が下北沢で空まわっていたのには同意
北田はどっちつかずだったような気がする
うろ覚えだがw
東:環境管理には逆らえない
仲俣:昔ながらの街並みを
北田:環境管理に逆らう気はないが、制限された中でも個性を
485 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:47:34 0
>>482 >工学を前に人文は何も出来ない感じが対談読んでて伝わってきた
そりゃそうでしょ。いまにはじまったことじゃない。
マルクス、フロイト、構造主義だって、科学的アプローチが最初でしょ。
いまどき社会学、哲学、精神分析に興味ある人がどれだけいるか。
最近の流行りは、環境管理的、アーキテクチャー化、動物化からの反転
動物的充足に耐えかねた人たちが暴走することだね。
鈴健も「反転」本だしたし、宮台、、ベルナール、波平など、みんなが注目しているよ。
2ちゃんねるはその暴走を吸収する装置じゃないのと言われているし、
オタクもそうじゃないかなと思う。
東だけが、動物に充足でいけるよ、といっている。
だからボクは2ちゃんねるなどのネットの炎上、暴走が重要だと思っている。
工学に還元されない残余。これがあるから、社会学、哲学、精神分析は
語り続けられる。
>>473 >こんな感じでよい?w
いや、別に僕は自分の考えを書いたまでで。
マックの椅子の件でも、店員が注意する前に客が店が混雑してきたら席が空くのを待ってる人のために
席を空けてあげて早めに店を出るとか、そういうモラリティ(内面)があればマックは椅子を柔らかくしても
何ら困ることはない。「環境管理」の問題は、身近な生活でのモラリティ意識が消失へ向かうことかも。
487 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:50:42 0
>>483 些細なネタにマジになるな。
みんな商店街より、コンビニ行く。
ファーストフード、コンビニなど、みんな他者回避しやすい環境へ向かう。
これが、マックの固い椅子の比喩で言いたいことなんだよ。
>>485 結局「暴走」しなきゃなんないのは分かるんだけどさ、
その暴走すら環境によって提示してもらいたいわけよ。
それこそ戦争が起こって欲しい
>>430みたいな奴がいる。
戦争は起こすものじゃなくて、
なんか知らんが勝手に起きて我々は勝手にその状況下に置かれるってスタンス
暴走の象徴としての戦争ですら与えられるものだと思ってる
489 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 10:58:28 0
>>486 環境管理、動物化も問題はどこまでも「他者」
人間/動物の人間とは、(ヘーゲル的、ラカン的)精神分析的な人間なんだね。
これは「人間は他者の欲望を欲望する」というヘーゲルの言葉に尽きる。
これが理解できていないと、環境管理、動物化も語っちゃいけない。
すべては、他者との関係の問題。
これは最低でも押さえてほしいんだよね。
>「環境管理」の問題は、身近な生活でのモラリティ意識が消失へ向かうことかも。
モラルによる管理=規律訓練は、他者を内面化すること。
みんなでこれより、これ悪いと共有すること。
環境管理は、みんなでの共有(大きな物語)をあきらめて、
小さな物語をもつバラバラの人々が、社会的に秩序を
保つ方法。
マックの椅子の硬さには、大きな物語はいらない。
490 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 11:01:28 0
>>487 比喩というのはわかるけど、一方で今は揺り戻しも起きているでしょ。
やっぱり人情のある商店街の方がいいとか、地域を活性化させようとか。
東のような評論家は、社会の最も極端な方向へ論陣を張らなければ
営業上やっていけないわけで、それに素直に付き合うのはどうかということ。
動物化OKというのも、そうした評論家としての強弁でしょ。
491 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:03:56 0
>>488 暴走っていうのは、管理できないから暴走なわけだ。
東の究極の動物化は、暴走さえも管理される。
たとえば、権力者が、2ちゃんねる、ひろゆきを放置するのは
2ちゃんねるで暴れる程度なら楽だから。
それがフランスみたいに暴動になるとめんどくさい、という噂がある。
>>490 このスレには珍しくナイーブな人だな
人情ある商店街なんて幻想が綺麗に見えるのは工学化されたアーキテクチャのおかげだし
工学化によって得た利便性を捨てきれないのは見えてる
だから所詮そういう地元商店街的なものはテーマパークとして生き残るに過ぎない
地域性だとか歴史だとか、今更そんな物語を作り出して誰が信じるの?
必要としている人間はいるの?下北沢で騒いでいるのは単なる石原アンチの祭りじゃないの?
494 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:10:53 0
>>490 揺り戻しも「反転」わけだけどさ
たとえば、もう流行りに流されるのつかれた、これからはのんびり「ロハス」でいこう!
という流行り。ということが起こっているわけだね。
「反転」なのか、「反転」という管理なのかは、難しい。
極端にいえば、工学は人をどこまで充足させるか、ということ。
これは、元をただせば、デカルトの心身二元論までさかのぼる。
デカルトは身体は機械であるといって、機械(工学化)に還元されないところに
心=コギトをおいた。
精神分析的人間も結局この構造があって、(工学化)に還元されない心=コギトが
あるのが、人間としたわけ。
動物化の究極は、身体一元論で、全て工学で管理されて、
マトリクスのように、全部が幸福に管理されるわけ。
東は極端にはこれを指示し、他はみんな人間には工学化されないコギトが残るって
いっているわけだね。
495 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:14:47 0
東もポストモダンの二重解離構造といってるよね。
あれは、デカルトの心身二元論なわけ
身体、動物、機械、工学、、環境管理
心(精神)、人間、他者、精神分析、規律訓練
496 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 11:16:58 0
>>493 東とか見てると権力に上手く利用されている感じがするんだよね。
若い奴はここまで動物化に耐えられるのかと。
地元商店街的なものの需要は団塊より上の世代で実は多いよ。
動物化に耐えろというストーリーに慣らされているのは団塊ジュニア世代が中心だね。
都市の背後に工学化されたアーキテクチャが存在しているというのは、
今に始まったことじゃないし、構造だけをザッハリヒに露出させるのか、
共同体的なシステム構築に使うかという選択権は工学の利用者側にあるんだ。
497 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:19:37 0
「揺り戻し」の重要なのは、ネグリの帝国/マルチチュード
これも動物/人間
「揺る戻し」のマルチチュードとはだれか?
テロリスト?フランスの暴動?商店街?オタク?
>共同体的なシステム構築に使うかという選択権は工学の利用者側にあるんだ。
これは環境管理の本質が見えていない。
設計は利用者には見えないから環境管理
マックの椅子は固くなったことに気づかさないことがミソ。
>>484 北田は空まわってたけど「東京から考える」読んだ人のブログ見ると、東=怖い人、北田=いい人
みたいな感想が結構あって面白かった。
でも学者が同情されたらおしまいだな。w
>>489 「環境管理」→「人間の多様性を許容する」だったかな、東説では。
499 :
短パン:2007/07/03(火) 11:30:54 0
>>486 そっかーーーー。
モラリチーの話は、まるでワカランのだけど、マックって、マクドナルドの事?
・・・。っつか、ファーストフードだよな?アレ。
回転率で、業績を見込むっていう発想だぞ?
誰が、おまえなんぞを丁重に扱うか!てぇ話じゃねぇのか?
なんで、たかが100円バーガー買いに来た古事記如きにソファーを用意してやらなアカンねん。
っつぅ話じゃねぇの?
旧ぴかぁーの集客率も、なんだか良くないにょw
俺様に座布団位出しなさいな。。。w
『何の事でしょう。』
旧ぴかぁーでは無い。とでも?
『誰ですか?その旧ぴかぁーとかいう人は。』
尻尾隠してなんとやら。。。
辟易してんのは、むしろ、こっちの方なんだがな・・・。
『例え、そうだったとして。だからなんなのでしょうね?君は。』
純一の所在を他人に委託してしまっただろう?
『はぁ。』
あっそ。
『話は、、、、それだけでしょうか?』
そぅだね。。。それだけだ。
『でわ。』
サヨウナラ
500 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 11:31:35 0
>>497 設計が不可視で環境管理が自動運転されるというのは、ストーリーとしては
分りやすいが、実際はどうだろう。
他の論者のようにコギトが残るとした場合は、主体が何らかの形で残存するわけでしょう?
東が主体を全て排除すると言い切ってしまった時に、その根拠はどこに担保されるのか?
最近流行りの脳還元論のように、トートロジーのようにならんかね?
>>496 >都市の背後に工学化されたアーキテクチャが存在しているというのは、
>今に始まったことじゃないし、構造だけをザッハリヒに露出させるのか、
>共同体的なシステム構築に使うかという選択権は工学の利用者側にあるんだ。
マックの固い椅子でも待ってる客のために席を譲れる人(モラリティのある人)にとっては、
余計な工学でしかない。「自分が」席を譲るかどうかを選択する権利があらかじめ奪われて
いる、消去されるのが「環境管理」。
また選択権が「国家」にあるのか「市民」(利用者)にあるのか、その辺も東は言及してたと思う。
502 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:33:01 O
さらに時代は「反転」も古いか。
最近のはやりは、どう環境設計を設計するか、設計を監視するか
東もISEDでこれをめざしたけど結局人文屋はごちゃごちゃうるさいって結論だし
宮台もがんばって、将来的に猪瀬みたく副知事になりたいのかな
503 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:44:33 O
>>500 今世紀、科学は大きく挫折してるよね。不確定性、不可能性、あるいは認知科学、人工知能の失敗
科学は不完全だし、心を記述できないから、工学化は限界がある。
ということがあるんだけど、東が認知限界で指摘すりするのは、人間を完全に記述するひつようはない。人工知能はいらない。
ただ計算処理速度が早くなるだけで充足しているようにだますことは簡単にできるだろうということ
504 :
短パン:2007/07/03(火) 11:50:12 0
(・・・よく見りゃ、此処って別にぴかの巣屈じゃねぇのな?
やや誤爆だけど、昼からぺろんぺろんなので、自分ルールでよしとする!)
505 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 11:50:26 O
速度の問題だね。人間は充足してめすぐにずらして不満がでる。そこにすぐに満足をあたえる。
不満を完全になくさなくても満足をあたえるのがはやければ充足、動物化するだろう。
506 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 12:20:44 0
速度と言い切ってしまうのであれば、それは計算可能であるわけで、
不可視ではないよね。
その場合、設計が見えているわけだからアーキテクチャはいくらでも分断可能である。
509 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 12:38:19 O
やっぱ馬鹿発言に耐えるのつらいよw
不可視は計算不可能でなく、だから「計算不可能性を設計(計算)する」だろ
サバサバってw
きみ、昨夜からドキュ発言つづけてるやつだろう!コテにしろ
>>509 スルーって手もあるよ。
それから
>>506はクルーグマンの収穫逓増の話じゃないの?
詳しくないけど複雑系科学ってやつで計算可能だよ。
「計算不可能性を設計する」って語義矛盾してるような。
それともポストモダンの二層構造、計算できない層(多様性)とそれを支える設計された層(アーキテクチャ)の意味?
>環境管理って、フーコーの生権力からの流れできてて、
>動物化はコジェーブの流れできてて、基本的には別の流れでしょ。
そう、これを混同して主体の問題にしたい人達がいる。
だが東の分析対象はその主体をつくるもの。環境のほうだ。
人間を文化的人間として、文化が分析対象になるのと同様に、
動物化の動物も文化的動物なんだよ。動物はいたって人間的だ。
問題はその主体をとりまく文化のほう。
しろうとの分析はどう受取られているかの研究で、
作品を主体の「関心」によって主体が解釈するものという立場だが、
その主体の関心を作り出す「環境」にある権力性が東の仕事。
512 :
短パン:2007/07/03(火) 13:39:12 0
>やっぱ馬鹿発言に耐えるのつらいよw
オマエモナー。
513 :
短パン:2007/07/03(火) 13:44:02 0
(8レス回避すんのも必死だぜ。こんにゃろめw)
>>507 だから、あんんだっての?
そんなに自分を珍重されたきゃ、金持ちに成れや。
「毎日キャビア食ってますw」位エラクなりな?
好きにしなよ?(マンドクセから。)
514 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 13:53:14 0
>>510 今回は初歩から説明できたのでまあよいよ。
>「計算不可能性を設計する」って語義矛盾してるような。
>それともポストモダンの二層構造、計算できない層(多様性)とそれを支える設計された層(アーキテクチャ)の意味?
「計算不可能性を設計する」は宮台の最近の本の題名。
そう、ポストモダンの二層構造みたいないこと。
世界は計算不可能なわけ。そこにいかにシステム(計算)を導入するか、ってこと。
再度言えば、最近の現代思想の問題はだいたいこれに集約できる。
@設計できない心の残る。それがマルチチュードとして暴走するのでは。
(東は速度で押さえ込めると考える。)
A設計する一部のエリートが勝ち組になる。監視せよ。
たとえばグーグルなど
>詳しくないけど複雑系科学ってやつで計算可能だよ。
勉強しなさない。
ヒント「命がけの飛躍」
515 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 13:55:17 0
おかげで、昨日からの流れは、本上まもる『ポストモダンとは何だったのか』よりも、
現代思想入門になったのではないかなw
低能のクソコテのオナニーは他でやって下さい
ほんと、波平が来てから一気にレベル落ちたよな
>>513 酒くせぇぇぇw
>>514 >命がけの飛躍
浅田くせぇぇぇw
もしくは宇野の「決断主義」かだな。
519 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 14:28:43 0
波平荒らすな空気嫁
>>519 あ、そっちだっけ?スマソ
現代思想の初級編はこれで終了かな?
着いて行けない人のための東浩紀スレッド77流れまとめ
ワレオタ(動物)のアイドル声優論
↓
しろうと(アフィ厨)の「動ポ2」まとめ
↓
波平(ぴか厨)の東理論ってさ〜
↓
?
523 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 15:01:20 0
>>521 では、試験に入る。
第一問 人間は欲望すると動物は欲求するのはなぜか。説明しなさい。
第二問 なぜ若者は商店街よりコンビニで買い物をするのか、説明しなさい。
第三問 なぜ宮台は世界の底が抜けている(世界は計算不可能である)といったのか
説明しなさい。
第四問 東がいう「ポストモンダンの解離的二重構造」について100文字以内で説明せよ。
1000の現代思想とバックベアード
>521
東が「現代思想の復活」とかいうタイトルで対談するんだとさ。もうがっかり。
アニメやマンガとはなんの関係もない、朝日・読売・岩波。カルチャーセンター
みんな「権力」側ばっかり。「教科書」もそうだ。
それは、朝日にとっては都合がいいだろう。近代権力に奉仕してるだけだ。
こんなヤツだとは思わなかった。
ついに教科書にまで、「動物」扱いがのるようになった!!
人権侵害で告訴する予定だよ。いい弁護士いない?
527 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 15:14:35 0
>第一問 人間は欲望すると動物は欲求するのはなぜか。説明しなさい。
日本語がおかしい。
弁護士業界にはまるで知り合いがいないが、東の本は明らかに教科書採択
には不向きだ。だけど、なんでオレがこんなバカ(東)のせいで裁判にまで
持ち込まなきゃいかんの?
ここまで手間かけさせて・・・・・。もう許さんよ。
529 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 15:18:14 0
>>509 途中まで計算可能であったものが速度を増すごとに徐々に計算不可能性に達するというように読める。
それは複雑系の話に似ていて、現実の場ではシミュレーションを幾度も行なって
計算不可能な領域を予測するということにしかならない。
そこに新たなクリティカルポイントがあるようには見えないのだが。
コンスタティブな領域とパフォーマティブな領域を命がけの飛躍でつなぐ
というのも眉唾だよ。
>名誉毀損は社会的評価を貶める行為なので、多数の人または不特定の人に
>知れ渡る可能性のある方法でおこなわなければ、名誉毀損にはあたりません。
弁護士によればこうらしいが、教科書は「不特定多数」に知れ渡るよ。
どうしたら、いいんだね。アニメみてるだけで、「動物」扱いだよ。
許さんよ、東。
531 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 15:22:25 0
教科書って何のこと?
>>522 > ↓
> ?
で、ワレオタかよ。これが東スレ名物のループか。
しろうとよ、やはり現実には予定調和のオヤシロ様が必要じゃね?
>531
東のホームページに出てるよ。教科書の副読本の指定だそうだが、「教育」
とは人種差別の無いものでないといけない。とにかく弁護士に相談して
みるよ。
>>523 試験かよ。w
回答欄一
人間は他人の欲望に欲望するが動物は欲求しかない。
しかし人間のそういう性質が社会を形成する原動力となったのだとレヴィ・ストロース先生が言った。
回答欄二
商店街は概ね駅前に形成されるので、郊外化が進んだ地域では駅前まで出向くより近くのコンビニ
で買い物したほうが効率がいい。また、コンビニはIT化が進んでいて、消費動向に合わせた商品を
数値化・分析し、徹底した商品販売が可能なシステムが構築されている反面、商店街では高齢化が
進み、若者のニーズに合った商品が販売されてなかったり、非効率な店舗経営から、価格的な優位
を得ることも難しく袋小路に陥っている。また商店街の人間臭さを嫌う若者も増えている。
回答欄三
知らん。「底が抜けている」は5年古い。
ホンマタカシは10年前から言ってるけどまだ抜けてない。w
回答欄四
>>510に書いた。
回答欄五
Not only Higashi but also Azuman
偽ワレさんかと思ったが、
>>525の入り方は他の人には真似できない。
全然そんな話をしてないのにアンカーをかけてワレオタ時空に引き込む。
やけに自分のキャラを意識した書き込みだが、
気狂いのふりをすることで気狂いじゃないと確信する戦術にかえたのかな。
>532
あなたは差別だと思わないのか?とにかく僕ではもう判断できないので、
どうにかするしかない。出版差し止めか。名誉毀損か、教科書負不採択
行政取り消し訴訟か、なんだろうね。法は国民に使いやすいように
出来てないからね。
どの条文を適用すりゃいいんだね。
>535
本人だよ、バカ。もっと早くやってりゃこんなことにはならなかった。
東は線路に落ちた時に、死ねばよかったんだよ。とにかく法に詳しい
人に聞いてみるよ。
539 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 15:52:37 0
>・『ちくま評論選』という高校生のための教科書副読本に「動物化するポストモダン」の一節が収録されました。
これか。
副読本だから出版社の自由がききそうだね。
540 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 16:09:05 0
>>529 一段落したらから、書くのめんどくさくなった。タームから理解してくれ。
世界の計算不可能性とは、
ゲーテルの不可能性定理、ゲーテル(柄谷)的脱構築、柄谷の「命がけの飛躍」、否定神学、ラカンの現実界
宮台「社会の底が抜けている」
人間/動物の対立にあるところの「人間」、すなわちラカン的な人間とはなにか。
言語を使う→象徴界→しかし象徴界には穴が空いている→現実界
現実界を隠す空想→対象a・・・欲望の対象であり原因である。
人間(主体)は、穴が空いていて、それを埋める終わりない運動=欲望する。
どんなに科学が発達しようが、穴をうめることはできない。
これが、まず基本!
東→穴を埋めることができなくても、その欠如が人間の生理現象であるなら、
その神経の反射よりもはやく、適切に、欠如をうめることはできるのでないか。
あるいは、郵便、幽霊として主体が揺らいでいるなら、もはや1穴への強い欲望は
働かないのではないか。
具体的には、ハリウッド、ゲームのような大量の快感刺激、アマゾンのようなほしいだろうモノの
予測した提供などなど・・・→環境管理の充実
(精神分析的)人間は動物化するのではないか。
みたいな流れ・・・
541 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 16:11:48 0
訂正
第一問 人間は欲望するが、動物は欲求するのはなぜか。説明しなさい。
第二問 なぜ若者は商店街よりコンビニで買い物をするのか、説明しなさい。
第三問 なぜ宮台は社会の底が抜けている(世界は計算不可能である)といったのか
説明しなさい。
第四問 東がいう「ポストモンダンの解離的二重構造」について100文字以内で説明せよ。
542 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 16:13:14 0
複雑系はまったく関係がない。
科学である以上穴が空いている。
そもそも複雑系みたいなオモチャは使い物にならん。
543 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 16:19:38 0
>>540 結局東は資本主義肯定論者なわけね。
柄谷と喧嘩したのも当然だな。
544 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 16:22:51 0
>>543 動物化の元祖コジェーブは、歴史の終焉論者だから、
当然だね。
柄谷の世界共和国についていくのは東でなくても
むずかしいけど。
柄谷も東も社会に対する見通しはあんまり変わらないよ。
ただ柄谷は、そういうものを批評の対象にしてもしかたがない
っていってるだけ。これは柄谷にとっての文学とその批判が
どういうものだったか追っていけば、筋が通ってる。
笙野頼子が終わったのはあんたにとっての文学だろ
みたいに噛みつくのも、また筋が通ってる。
柄谷の土俵に乗ったまま批評を続けようとする東は、筋が通ってないと思う。
547 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 16:39:37 0
>>546 たしかに、社会に対する見通しという意味では、みんな変わらないよね。
浅田だろうが、北田そうろうが、宮台だろうが、波平だろうか・・・
いまなら、
>>514のような感じかな。
ただアクションのそれぞれに立ち位置がある。
東・・・なすがまま
柄谷・・・ドリーマー
宮台・・・エリート主義
北田・・・?
波平・・・ヘタレ擁護
548 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 16:43:43 0
高校の時の現国副読本に柄谷・木村敏・養老タケシなんかが載ってておもしろかった記憶がある。
>>541 おいおい。
>>534で試験答えたのにこれをスルーかよ。w
あとで模範解答UPしといてな。ノシ
でもまあ、あのまま付いていってもやっぱり文芸評論家としては上手く
行かなかっただろうなとは思う。しろうとさんが批評空間が読まれてない
と驚く必要はないみたいなことを書いていたけど、結局時代の流れの中で
柄谷的批評は役割を終えたわけだし。それを直感的に察知して離れたのだと
したら、東は鋭かったとはいえる。でも、宇野さんが時代錯誤と書いてるように、
やっぱり転向が中途半端なんだよ。自然主義批判なんか忘れて
>>382 こっちの方向性に行くべきだと思う。
551 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 16:55:43 0
今日本屋でみたな『ナショナリズムの由来』
読み終わるころには、腕力がついているような本だな・・・
>>545 >政治哲学者の萱野稔人さんと朝日カルチャーセンター新宿教室で対談を行ってきました。テーマは「国家と自由」。
>これがけっこう出色の出来だったんだけど、どこか活字にしないもんでしょうか。
読みてぇぇ、活字にしろよボケカスがぁぁ
そろそろ、オタク話をしたいころだろうから、おいとまするよ。
>>402の続き
Webで流通するハイパーテクストのハイパー性は、
ハイパーリンクのネットワーク性によって生じる。
この構造を他のポストモダン文化に適用してみたい。
『動ポモ』では「萌え」はデータベース的な消費行動に
過ぎなかったが、ここでは「萌えのハイパー性」を捉える。
萌えるための必要条件は何か。複数性を有していることだ。
キャラ萌えが生じるときにはキャラクターに複数性がある。
同じキャラクターが複数の登場人物として別の作品に出る。
この複数性・多重性・不確定性が、萌えの享楽を可能にする。
『動ポモ』の構図との相違を明確にしておこう。
データベース論では、DBが組合せたシミュラークルを
動物的に消費するという図式だった。静的な体系である。
一方、(フィクション)オブジェクト論のOBJは動的に生成する。
それは速度の概念を取り入れることで可能になる。どういうことか。
ここで先に述べた「演奏」の概念を更に発展させよう。
アニメーションは一定の速度で画像を交代に見せることで、
動いているように見えるわけだが、まさか東もマンガよりアニメの方が
動物的だとか、セル画がDB的本体で動きは錯覚だとは言わないだろう。
そしてまさに、一定の速度でキャラクタを交代に見るときに視聴者に生じる、
運動や生命(アニマ)の感覚こそが、動的に生成する萌えの現象なのである。
〜続く
556 :
455:2007/07/03(火) 17:46:31 0
ゲロゲロ
昔のぴかぁみたい、じゃなくてぴかぁ本人かよ!
データベース論では、ポストモダンの作品はDBの断片
のように捉えられているが、オブジェクト論ではむしろ、
OBJを分析(批評)することでデータが事後的に生成する。
オブジェクト論での作品は、単なる確定記述の束ではない。
そうではなく、矛盾が潜在した具体的なモノとして捉える。
そして、読者が観測した瞬間ごとに、一定の輪郭を取る。
これはどういうことか。例えばネットの文章でしか知らない
人物にオフラインで会えば、仮想的人格と本人のイメージ
のズレを感じることだろう。本来はどちらも本物なのだが。
概念でしか知らないモノを現実に見たとき、「実物」を知ったという。
「虚物(フィクションオブジェクト)」は、これと対照的なモノである。
あるキャラクターのフィギュアは、キャラの「実物」なのではない。
もし神話のユニコーンと同じ特徴を持つ生物の化石が発掘
されたとしても、ユニコーンの実物として扱われないだろう。
だが、神話はこの実物が元ではないかと疑うことはできる。
虚物は、唯一の実物になりえないが、「現物」にはなりうる。
享楽の核として、虚構のネットワークを一時的に中心化する。
あるいは流動的な同一性を実現するコーラ(空虚な容器)になる。
近代的な永遠の愛、属性を捨象した固有な個人への愛に対して、
ポストモダンの萌えは、表層の属性への刹那的な感情ではある。
しかしそれは、動物的な消費ではなく、可能世界の恋愛感情なのだ。
〜続く
萌え文化のキャラクターは波動と粒子の両方の性格を持つ。
設定や(二次)創作の集積は増殖し波動(流行)を形成する。
だが作品として表現し、読者が観測するとき、一つに収束する。
(ノベル)ゲームでは、この多重性を選択肢で可視化する。
選択肢一つで登場人物の生き死にが分かれる場合がある。
データベース論では、選択肢は組合せの装置でしかない。
ところが、選択肢にはプレイヤーの「関心」を集める機能がある。
関心は解釈のフレームを変える。この特性を活かした分野では、
例えば推理ものがある。ミステリでは細部に犯人が宿っている。
総当たりや攻略によるプレイが退屈なのは、CG・回想コンプリート
という完成図から俯瞰して、個々の選択肢に注目しなくなるからだ。
さらには、選択肢によって焦点化される細部への注目も弱くなる。
だから、ノベルゲームのハイパー化は選択肢にあると言える。
しかし、トラックバックのスパムでリンクが使い物にならなくなるように、
選択肢は形骸化する。ドラクエで「いいえ」を選ぶ無限ループだとか。
「ひぐらし」は形式的にはゲームではないが、実質的なゲーム性はある。
選択肢はないが、それは「http〜」をあえて「ttp〜」で表記することに近い。
後は「ひぐらし祭」でどれ位違いがでるか、という問題になるだろう。
ゲームは選択肢があるので、プレイヤーは、郵便的不安とでもいうか、
オルタナティブな選択の存在を感じる。コンプリートして事後的に見れば、
単なるDBの順列組合せに確かに見えるが、プレイの最中はそうではない。
(攻略なしの)プレイ中の視点では全体を把握できず、先行き不透明なので、
ゲームの実際の規模よりも迷路的に複雑化する。そして、それが転移の条件になる。
〜続く
> 波動と粒子
誤解しか招かない無駄に疑似科学的な比喩表現使うな
はやく続きかけ
DB論の作品はDBの順列組合せに過ぎないが、
OBJ論の作品はデータの組合せに収まらない。
これは、全体が部分の総和を超えるだとか、または、
海岸線の長さが測定基準で変わる現象に似ている。
そして、この文脈の複雑化が転移の条件になる。
東は神経的主体の薬物的反応として捉えるのだが。
他者の剰余を、「知っているはずの主体」に転移する。
これは、陰謀論や被害妄想の、幻想的な悪役と同じだ。
例えば、「エヴァ」の綾波には、エヴァのあの複雑な謎が
背景にあるから転移するのであり、単に属性だけ借りて、
学園物に似たキャラを登場させても効果が弱いだろう。
ハルヒの長門がある程度成功したのは、謎があるからだ。
物語の文脈抜きにDBの属性の組合せだけでは限度がある。
ひぐらし鬼隠し編でレナに転移するのも謎があるからだが、
それはオヤシロのような超越的なモノだけではない。むしろ、
前半のハーレム的な女子集団が監視体制へと反転する
ところが恐怖の源泉で、これはエロゲのパロディでもある。
言動が筒抜けだとという疑心暗鬼の状況は後半で薄れる。
閉鎖空間における転移現象は、「ストックホルム症候群」
などで解釈することもできるが、ここでは記号の流動的
同一性を満たす容器としての人物の役割として捉える。
この人物の表面下には分子的な欲動の流れがある。
それはDB的な確定記述とは異なり、物質的・具現的で、
論理的に表現できない記号の断片が流通するのである。
〜続く
最初は久しぶりにあずまんスレにしろうとが来てくれて
うれしかったけど、そろそろウザくなってきた
>>559-560 流れがツンデレ。
波動と粒子は郵便の良い比喩だと思うけどね。
理系の人に説明するとき、実際に役に立った。
THINK HEALTHYと江國香織が言ってた、
それはそうだろう。ヘルシー女子大生とかも
たぶん、そういうことが言いたくて命名した
のだろう。
565 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 23:12:48 0
/ ̄ ̄\/´ ̄ ̄ ̄` ‐ 、
/ / ̄> \
/ / / / / │ l ヽ
│/ / / / h l 丶 〆 l
∪ 凵 ││l 」へ」vヘノ \l │
│∨´ ヽ/ ( ゚ ) │ ││ まだまだいくよぉ〜〜〜!!
│ │(゚ ) │ │ ││
│ │ ヽ │ ││
││\ ι二つ │ ││
│││\ イ | ││
│ 丿 「`―ー´ │| l ハ
」´ /卜、_ 丿レ´\ ヽ
シロウ=ト[Sirou To]
(1977〜 日本)
特にエロの入った二次創作なんかでは、背後にある謎とかは関係なくなってくるよ。
エロマンガスタディーズには動ポモの成果がいっぱい入ってるらしいけど(読んでない)、
薬物反応みたいな話は、ポルノ論としては良く出来てるよ。
小説でも漫画でも、最近は属性だけで勃起させる話が多い。
俺は謎が属性としてDB登録されてるのかと思ってたよ。
>>566 俺も読んではないが、基本は「でじこ」(デ・ジ・キャラット)なのだでおk?
あずぅぅまんの「物語消費」から「データベース消費」で見た記憶がある。
>>568 自己レス。でじこは「動物化するポストモダン 」に出てた・・恥ずかしす。
大きな物語→小さな物語→データベース(動ポモ)→実存・リアリズム(動ポモ2)→まとめ(しろうと)の流れでおk?
570 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 10:53:30 0
>>561 目次を先に書いてくれ。全体像が見えない。
しろうとは「例え」を書かないほうがいい。ややこしいから。
572 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 13:27:00 0
>どうなんでしょう。本当に僕はよくわかりませんが、まあそういうイメージはありますよね。
>ケータイ小説は、刺激の方程式だけで人間を泣かせる、もう何もいらない、みたいな(笑)。
>もしそうなのだとすれば、いま本当にラジカルに動物的で、現象として面白いのは、純文学の
>外に広がるキャラ萌えの世界ではなく、さらにその外部であるケータイ小説なんでしょう。
>ただ、僕はそれはもう、単純に年齢的についていけないものがある。サブカルチャーというのは
>スポーツみたいなもので、残酷に肉体の力で限界が来るものだと思うんですよ。(東)
http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html あずまんの体力は限界です。><
115 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/04(水) 13:16:24 ID:MvWjnfDI0
『DQNが感動しまくって120万部も売れたケータイ小説の一部』
「ギャ!グッワ!待ってくれ!待ってくれ!」
オヤジは、叫んだ。
「許してくれよ!入れたかっただけなんだから」
「バキッ!ボコッ!」
ケンはかまわず殴り続ける。
「ヒッー!助けてー!助けてー!」
オヤジが悲鳴に近い叫び声をあげた。
「お前みたいな奴がいるからいけないんだ!」
ケンが叫びながら殴り続ける。
「ギャー」
オヤジの血があたりに飛び散った。ケンのコブシも血で染まっている。
「世の中!狂ってんだよ!狂ってんだよ!」
ケンの形相は、もうフツウではなかった。その様子を見ていた、ミクも従業員も言葉を失ってしまっていた。思わずミクが言った。
「店長!それ以上やったら死んじゃう!」
「ガッシ!ボカ!」
ケンには、まったく聞こえていない。オヤジも失神したのか動かなくなった。
「キャー、やめて!」
ミクが叫んだ。
「あっ……はい」
従業員が後ろからケンを押さえた。
これが本当だとしたら俺も体力の限界を感じるwwwwww
ガクガクブルブル((;゚Д゚))ガクブルガク
>>445と全然違うんだな…
限界感じるのは体力じゃないだろw
>>574 これは流石にギャグだと思う
>「バキッ!ボコッ!」
>「ギャー」
>「ガッシ!ボカ!」
でもマンガ的表現と捉えることもでき・・・
>>572 >小説を携帯電話の画面上で読んだり書いたりする「ケータイ小説」が、女子中・高校生を
>中心に人気を呼んでいる。
>書き手、読者とも10代前半から20代前半が中心で、大半が女性だという。
東浩紀より宮台真司の匂いがするw
豚にはもう無理
大江を良心的と言ったりする知識人とどっこいどっこいだな
ケータイ小説に好意的かと思ったんだがお前ら違うのな
やっぱ中高生、次世代がアニメ離れしてくのがつらいんか?
オタク仲間減るもんなぁw ざまぁ
>>580 >25 名前: なまえないよぉ〜 [sage] 投稿日: 2007/07/03(火) 15:24:38 ID:PzRFCNnh
>涼宮ハルヒは??
だなw
>>579 女子文化だからね。年齢よりもそっちのほうが大きい。
セーラー服とブルマとケータイ小説…
ケータイ小説にお前らがついていけないように、
ニューアカはラノベについていけなかった
ただそれだけ
ひぐらしとかについていけてるワレワレは極一部のニンゲン
>>580 子どもはハルヒを理解できません。
オタクにとって長門はある程度成功しました。
その事実からオタクの分析ができます。
17 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/03(火) 20:54:39 ID:zF4tLB/U0
萌えがアニメを殺した
つまりアニメを殺したのはお前らアニオタだよ
動物化してキャラ要素さえあれば満たされるような消費行動がアニメを殺した
どう責任とってくれんだよ
ところが萌えアニメはマイノリティにすぎないのだから、アニメが死ぬわけがない。
ケータイ小説が小説を殺せないようにね。
ひぐらしの場合、
そんなマイノリティ世界の中心で、前半は多くのオタが同じように退屈した、などといってそれを分析する。
そんなことして何になる?
こうして「何か」にするために、「世界は動物化している」のように世界規模の現象へと飛躍せざるをえない。
自分の趣味と関係ないオタク分析は不誠実な態度(ワレオタ的態度、関心がないなら黙ってろ)
自分の趣味と関係するなら自己分析(しろうと的態度、アリバイとしての多数派、多くの読者を含む私)
よってオタクは自分語りにならざるをえない(あずまん的批評態度)
分析結果、理論の発表は<私>の身体性の告白。
自分の分析、理論を否定されることは存在を否定されるのと同意。
だから全身全霊を賭けて反批判せねばならない。
相手の意見には絶対に説得されてはならない。
>>590 ところがアニメの作り手が萌えアニメ消費者なのだから、アニメは死んでしまう。
受け手と作り手の立場が二次創作も含めてフラットになってきている。
ケータイ小説読者がケータイ小説を書き始めるようにね。
そして文学は死んだ。アニメも死んで萌えアニメが隆盛を極め、萌えアニメも死ぬ。
後半は意味不明なのでスルー
アンパンマンみたいなものは死なないんじゃないの。
ハイジみたいな物はたしかになくなったね。
対して、文学は死んだけど、ラノベにもケータイ小説にも
オール読物的なものは殺せない。
「文学は死んだ」なんて台詞は100万回聞いたことがあるのだが。
あと何回死ねば本当に死ぬんだよ?w
それは柄谷(浅田、東、福田、源ちゃん、あと大江)のいう文学に限った話。
その分野の表現の特性を生かした政治運動みたいなもの。
それが社会的な影響力を失ったという意味では確かに死んでる。
>>578 そのスレ面白い。
「ミンキーモモ」って何だっけ…
かつては年長の人間はラノベを読んでないと批判してたのに、
携帯小説は体力がないからフォローできないって
こいつ人のことなめてるの?
>>597 いずれフォローするんじゃないの?
>>572の記事読むと、結構、あずまんの守備範囲っぽい気がする。
そうとうご立腹のようだ。クールジャパンねえ。
携帯小説の本質としては特に触れるべき点はないはずなんだけど、要するにコンテンツメディアの一形態としての需要を果たしているっていう点なんでしょ。
だからラノベについてメタリアルという概念を提起するのとは、ちょっと論点が異なるんじゃないですか?
>>572 野島伸司あたりがさきがけじゃないかという気がする。
>>592 ところが萌えアニメは少数なんだよ。
アンパンマン死なないんだぜ?
ケータイ小説読者がケータイ小説を書き始めるように、
萌えアニメ消費者は萌えアニメ作って、萌えアニメ殺してるだけなんだぜ?
ところであずまんは「ミステリアスセッティング」に言及してましたっけ?
>>572 そこにある、
>>574これとウンチ出ちゃうのコピペとの融合とかが凄く秀逸だな。
こういうものがあるから、2chはまだまだ侮れない。
604 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 17:02:53 0
携帯小説で発信されてるラノベってないのか。
オタクだってケータイ使えるよ?
>>589 今時萌え以外のアニメなんてどう放送すんだ?
スポーツ物なんてやったらPTAからボッコボコだろ
「指導」が暴力だ!とか体罰だ!とかw
パンチラも乳首も出まくってたのに規制された中で見出した活路が萌えなんだろw
萌え要素は上の世代にとって意味不明でしかないから規制できない
ケータイ小説はエロとか暴力とかに接触したい人が読んでる
規制のないケータイ小説では自由に書けるからね
ある意味アニメの萌えと一緒
ケータイ小説にも規制が及べば、萌えのようなコード化がされて新しいケータイ小説が生まれる
>>600 ラノベがキャラクターを使うのは「効率」がいいからだと「動ポモ2」に引用されてたけ。
携帯小説は、違った意味で「効率」がいいメディア。
>>572の記事に「東京都内に住む中2の女子は「恋人が難病にかかるなど似通った展開が
多いけれど、語り口が 自然なのでつい引き込まれてしまう」と魅力を語る」とあるけど、つまり
携帯小説では書き手と読み手がほぼ同じ(年齢とかが)なので、いわゆる自然主義文学や
ライトノベルが選択した「効率」のよさをきれーにすっ飛ばしているところが面白そうかなとか
思ったけど、携帯小説はぜんぜん読んでないからやっぱやめとく…。orz
>>604 オタクは消費社会の中でしか生きられない
だからお金を使わないケータイ小説は書けないし読めない
オタクの基本はコミケ=金儲けだから
>単行本フィクションの部で「赤い糸
>(上・下)」(著者・メイ、計100万部)と「もしもキミが。」(同・凛、40万部)が1、2位になるなど、
>ケータイ小説5冊が10位までに入り、関係者を驚かせた。
東ヲタが読んだ場合の感想文を、読んでみたいものですが・・・
二次創作では無料で読めるウェブ小説がいっぱいあったわけだけど。
特にエヴァ。本田透もここ出身。
>>606 語り口の自然さというか、語彙の簡単さが「効率」の良さを作っているんじゃないの?
これって環境管理に結びつく大事なことだと思う。
「言葉」自体が分かりやすいことが必要なんだよ。
ポストモダンの難解な言い回しを一々辞書やウィキペディア使って調べる苦痛を必要としない、
「あぁ、わかるわかる」という気楽感・快感がケータイ小説がウケる要因では?
こうして飼い慣らされた動物はもう文学には戻って来られない。
/ ̄ ̄\/´ ̄ ̄ ̄` ‐ 、
/ / ̄> \
/ / / / / │ l ヽ
│/ / / / h l 丶 〆 l
∪ 凵 ││l 」へ」vヘノ \l │
│∨´ ヽ/ ( ゚ ) │ ││ ワレワレはまだまだ侮れない
│ │(゚ ) │ │ ││
│ │ ヽ │ ││
││\ ι二つ │ ││
│││\ イ | ││
│ 丿 「`―ー´ │| l ハ
」´ /卜、_ 丿レ´\ ヽ
シロウ=ト[Sirou To]
(1977〜 日本)
あずまんの元友人の阿部和重先生が、ケータイから
投稿された「プチポエム」なるしろものを、
添削されてました(書籍かされています)。
こういうのならいいかもしれません。短いし…
本田透先生のようなSSは、コミケあたりでも
売られてるんでは…
偉大ですね。彼は。名前が残るかもしれません…あずまんとならんで。
稲葉は本田とあずまんを並列扱いしてたのにはニヤニヤ
>>604 オタクは文学的なものに憧れを持ってるんじゃないのかなぁ
だから物理的に(環境的にw)長文を書くのが出来ないケータイ小説に価値を見ない
>>610 >>574は僕には衝撃的だったけど携帯小説は読んでないからこれ以上はまだ何とも言えない。
あずまんが携帯小説読んでその「作品論」を書くことはないだろうけど、少なくともその「環境論」
とかは書くでしょうね。
しかし携帯で「ブログ」も「2ちゃんねる」も見れるのに、なんで携帯小説なんだろ?
自分を小説家に見立てる「ごっこ遊び」的感覚が楽しいのかな?
ふつうに「創作」する行為を楽しんでるのかな?
それとも共感可能性(ローティ)の文脈へ繋げることができるのだろうか。。
その作品はしらないけど、Yoshiって人のディープラブは女子高生用の人生相談サイトの
コンテンツの一つだよ。そういう下地の活動があるからあれは受けた。
ケータイ小説を媒体にしたメンヘラや中ニ病はこれからくるよ
こいつらは萌え要素以上にデータベースが充実してる
さらに
>>615のいうような下地もできてる
さらにさらに東にオタク域を独占されたポスドク達が今頃必死に研究している
これはいいケータイ小説の表現
353 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/04(水) 17:31:00 ID:weJmZTrV0
ケータイ小説ってドラクエの戦闘場面みたいな文章なのか?
スライムが現れた。
勇者の先制攻撃
スライムをたおした。
勇者は薬草を手に入れた。
みたいな?
354 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/04(水) 17:35:30 ID:Zgau/xR40
>>353 スレを読んでるとどうも
スライムがあらわれた!
「ギャギャーン」
「シュッッ」
「バシュッッ」
って感じらしい。
ブログ更新
また色々あったようだ
文化庁ワロス
>>616 > さらにさらに東にオタク域を独占されたポスドク達が今頃必死に研究している
なるほど。
それならちっとは期待できそーだ。
今のエントリは要保存だな。
また穏敏な表現に書き改められる可能性大だ。
これは怒って当然だな
東側に事前に一言断りを入れなかったその編集者が無能なだけで、特段に
大上段に文化庁批判に繋がる話じゃないと思うが。w
>>566>>567 ミステリだと密室の謎(トリック)はDB化されていますが、
「属性だけ」ではなくて、属性の類似を通じた参照があるという主張。
>>570 まあ目次も含めてブログに書いた方が色々読みやすいですね。
本家ブログのまとめが終わった後で、ブログに書きます、たぶん。
>>572 東は割とオタクを見てDQNは見ないけど、
ケータイ小説の方が消費されそうですね。
>>574 書く方と読む方の差異がないという意味で、
限界小説なんでしょう。無内容ということなら、
コミケで売れているのも相当薄っぺらいし。
ただ、絵の技術は供給と消費を分けますが。
>>589 他のアニメが死んだから萌えアニメが代わりに
見られるようになった、という因果関係もありうる。
萌えアニメを全部なくしたら、ゴールデンタイムの
家族団欒アニメが復活するという話でもないでしょう。
>>600 『動ポモ2』の「コミュニケーション志向メディア」みたいな。
>>604 あるでしょう。ひぐらしも携帯の小説を出していますね。
>>605 規制はあります。視聴者が高年齢化してかつ規制されたという事情。
>>606 いや、そもそも明治頃の言文一致の効率の良さの追求と
それ以前の古典教養を忘却する流れは一貫していると思う。
確かにケータイ小説は内容も文体も粗雑な感じがするけど、
一応「バトルロワイヤル」みたいなあの系譜かもしれません。
>>614 だからケータイ小説はブログや2chと同じコミュメディアなんでしょう。
言論の弾圧と戦う東センセイカコイイ!
約1000字で稿料が50kですか…。さすが。
もし自分なら修正されてもスルーしますね…。
ああ、「独特のスタンス」を取っているな、と思って。
原稿料を暴露したあずまんはナイス
「文化庁レベル低すぎ!」
ってのがいいね。
著者近影の顔して怒って当然だな
あーこれはワレさんに、
「体制側につきやがって!訴えてやる!!」
と脅されたから、慌ててお上に楯突いて見せたんだろう。
ないない(aa略
ケータイ小説の元記事をじっくり読んだが、要するにこれは女子向けエロ小説だな。
「ケータイ小説」と銘打っておけば、BL本やレディコミに抵抗ある年頃の子も、手を出しやすい。
ケータイだから利益率も高いし、親バレしにくい。
萌えアニメ・マンガが童貞オタのライト・エロであるのと一緒。
セカイ系≒中二病≒ケータイ小説
>>634 少女コミックとか全然知らない?
あとレディコミは知らんけど、BL本とか余裕で中高生とか手を出してる。
年齢確認なんてほっとんど機能してない。
>>636 性コミ買ってるのはオタ男性という話もあるしな…。また別の世代、層ジャマイカ。
それともより過激なのか。
>>631 写真といえば、ブログのお子さんの写真どうなんでしょうね。
有名人なのに、家族の写真載せて不安はないんでしょうか。
以前は赤ちゃんだったから個人の特定できなかったけど…。
>>634 ケータイ小説って活字を読まない層が読んでそう。
メールと同じ感覚なので、あの文体なんでしょう。
それで、BLはオタク女子でレディコミはDQN女子で、
ドリーム小説は前者、ケータイ小説は後者の系譜。
>約1000字で稿料が50kですか…。さすが。
>もし自分なら修正されてもスルーしますね…。
「もし自分なら」と、すっと転移できるしろうとに感服した。
たしかにそれはいつも不思議。
でも残念なことにあまりかわいいとは;lcp:ddうわ、あずまんやめれ。
文体の洗練が求められてないからこうなのか、あるいはむしろ逆に
このような「酷い」文体じゃなきゃ受け入れられないからなのか。
そりゃスピード感でしょう。
ケータイ小説って声優ラジオと好対照を成していて、
どちらも恥ずかしいけど、受け手とリスナーの間で
親密な関係が出来ているので、自閉的に快楽が
生産され、消費されている。ただ関係を奇形的に
洗練させていくオタクたちと違って、件のケータイで
読める小説にはその欠片もない。
>>639 そうそう。ケータイ使えてもPC使えないらしいな。
モバゲー・タウンで遊んでいる子らと、ネトゲおたくは層が明らかに違う。
消費スタイルはまったく同じ、動物化だがな。
>>643 つまりあれがある種の洗練を経て到達した文体であると。
うへ。。
いや違うでしょうよ、オタクは動物化という現象(一応笑)とはあまり関係が
ないと思うな。オタク第三世代をボロクソに叩¥いたのが、あずまんの失敗。
可能性の中心を見てあげなきゃw
スピード感ってジェットコースターじゃあるまいし。
アニメ・ゲームオタクの第四世代は生まれなかった
仮に生まれたとしてももうメインストリームにはなれない
そこに代わって表れたのがケータイ小説・・・ということでおk?
動物度でいえいば、舞城なんかが意外に凄いと思う。というか多分ケータイ小説
って、ある意味では舞城の系譜じゃないか。不思議なほどのひねりの欠落とその
結果の煽りによる大衆への擦り寄りみたいなアレ。らきすたを消費できるほうが、
まだ知的に思うな。
難しいのう。オレはあずまん子が、過度にオタクを動物化の代表視するのは誤りだと思うが、
(ぴかぁ平のオタク=まだ全然人間説には同感)、動物化そのものは間違いないと思う。
まあ難しい議論はしろうとさんに任せるわ。
え、それが結論なのw 第四世代以前に第三世代が全然駄目じゃん。
滝本とか西尾とかオタクのメインストリームではないぞ。
モバゲータウンやゴッコのような最大手携帯電話網ポータル・SNSが
積極的にケータイ小説の公募、書籍化をやってるな
日記のように小説を書いて読者の反応が即座あって
それが繋がっていって楽しい、みたいな感じか
しろうととかが第三世代の悪い好例と思ってみたり。
ハイエナのごとくまとめて、アフィリエイト星人だったり。
俗情との結託ならぬアマゾンとの結託ねえ。呆れた。
元祖まとめ王で稼ぐあじまんなんてどうなる。
>>640 仮定ですから。でも自分にはそんな機会絶対ないから、
「絶対断りますよね!」と書いておけばよかったですね。
>>642 読者が活字慣れしてないし、そもそも難読漢字はケータイで読めない。
ブログもモバイルブログは似たような感じでしょう。写メとか貼って。
>>644 ケータイ小説は誰でも読めるのに対して、
声優ラジオは凄く内輪の文脈を読むのが必要ですね。
>>648 ジェットコースター(テーマパーク)だから100万部売れたんでしょう。
ハリウッド映画のCGってジェットコースターそのものじゃないですか。
ちなみに自分の「まとめ」のコンセプトは「コンビニエンスストア」です。
もっと情報が膨大なサイトはあるけど、そこまで行くのが面倒みたいな。
>>616 > ケータイ小説を媒体にしたメンヘラや中ニ病はこれからくるよ
> こいつらは萌え要素以上にデータベースが充実してる
> さらに
>>615のいうような下地もできてる
> さらにさらに東にオタク域を独占されたポスドク達が今頃必死に研究している
マジで期待しとく
電子ブックとかPDAとかさんざん政府の金まで使って開発してたが・・・
♀ガキのエロ小説が「電子書籍」をあっさり実現する時代か・・・
みんなiPhoneとか使う気ある?
>>646 洗練というのとも違う。最初からこれなんだから。
読者も作者も早く結論が欲しいからこうなる。
> 「セックス」「妊娠」「レイプ」「死」「リストカット」
これらはどれも、直接的な身体感覚をフックにしてるように思える。
萌え要素とかのDBとは違うんでないか?
>>649 >アニメ・ゲームオタクの第四世代は生まれなかった
第一世代…60年前後生まれ〜
第二世代…70年前後生まれ〜
第三世代…80年前後生まれ〜
『動ポモ』のオタク世代論の分け方だと、
第四世代(90年前後?)は、
成人してないので、まだこれからでしょう。
>>653 >ケータイ小説の公募、書籍化
ブログ書籍化の前例があるからでしょう。
でもちょっと変わった嫁・彼女をネタにした
ブログ本って一回読んだら終わりですよね。
「偽日記」くらい濃いブログを書籍化して欲しい。
>>654 エヴァのシンジは好きだけど、実利主義に転向して、
デスノートやコードギアスの(通俗的)決断主義
みたいなことですね。内面は欠落したままで、
他者を操る(操られる)ゲームのスコアを稼ぐと。
>>661 でもエロゲとかだとそのままDBになってますよね。
偽日記はカウンタが付いてないのでどれほどの需要があるか見込めないからな。
本人も決して有名人ではないし。過去ログがはてなに上がるけど、ペースが遅すぎるし。
ケータイ小説の文体って、要はマンガの「吹き出し」の羅列だろ。知らんけど。
実は漫画の画っていうのはそれほど重要ではなかったってことだな。
>>661 これらの要素が幼馴染、猫耳、ツンデレ、等々と並べられて存在してるのなら、確かにそう。
だが記事通りに、その中からもっぱら身体感覚を伴うもののみ目立っているのならば、それはむしろ
DBの不在を感じさせる。
667 :
666:2007/07/04(水) 21:40:31 0
とりあえずインフォバーンに突撃すればいいの?
動ポモ1の動物じゃなくて、
情報論以降よく使ってる、より生物学的な意味の動物に近いね。
>>662 >ブログ書籍化の前例があるからでしょう。
それとはちょっと違うような気がする
2chやブログで人気をはくして書籍化されたものって
だいたいどれもすごく面白くて一般的な読書人でも楽しめる魅力がある
だけどケータイ小説でベストセラーになっているタイトルは
普段から本を親しんでいる者にとっては読めたもんじゃないってのがほとんど
これはニコニコ動画のランキング上位作品が誰でも楽しめるものではないのと同じで
SNSや会員制サイト的(アーキテクチュアル)な閉塞感がある
>>670 vipの声優CDの祭りみたいな感じ。
ケータイですでに読んでる子供が投票感覚で買ってるんじゃないかな。
>>663 偽日記はベタなウケを狙わないですからね。
ドローイングは素人には理解不能な領域だし。
>>664 今まで文字の文化がなかった層が、ケータイのメールを
読み書きするようになって、そこに需要ができたと考えます。
>>666 オタクの要素が自覚的なリミックスなら、
ケータイ小説は無自覚な即興演奏とか、
その違いだと思う。パターンはあるでしょう。
>>670 2ch書籍化・ブログ書籍化・携帯小説は、
どれもそんなに大差はないと思うけど…。
「一般的な読書人」が「ゆとり」化してる、
という面はあるかもしれません。
その全レスやめろ。病的で見ていて気持ちが悪い。
さあ、お前らならなんて答える?
52 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/04(水) 20:05:24 ID:y48Kive10
どういう要素があると萌えアニなの?
59 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/04(水) 20:06:36 ID:38lwTB820
>>52 アニメに30歳以下の女性が出れば全てw
75 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/07/04(水) 20:10:08 ID:ntNH4Ip/0
>>52 乳揺れ
81 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/07/04(水) 20:10:53 ID:rhQ2FFvh0
>>52 そこはかなり曖昧で、アニヲタでも正確には言い切れん
100 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/07/04(水) 20:16:16 ID:jms2BVk30
>>52 主要な登場人物の半分以上が20代以下の女だったら萌えアニメ
通常の作品なら女は「紅一点」とかそういうポジションだが、
設定上の必要以上に女を出そうとするアニメはそう認定しても問題なかろう
OP、EDなんかも判断基準になる。
男女共学の学園モノなのに、
主人公(男女問わず)の周囲男女分布率において
有意な統計学的偏りがあるもの。
>>660 いやこれから洗練されていくのかもしれない。
平野啓一郎あたりはきっとその可能性を見てとってるに違いない。
俺は見たくもないが。
>>677 平野がそんな目論見たててるのか。たしかにやりかねない感じはするよな。
>>676 糞つまんなかったんだが
しろうとうざいよいい加減
平野はメディア論的?に考えてるんだろう
媒体による主体の変容っていうあれ
東と対談したら面白そうだが、それは叶わぬ夢・・・
681 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 23:22:18 0
スピード感、結論にいかに到達するかが求められているものがわかる例
こち亀の1巻と150巻読み比べ
ちょwwwwしろうとって萌え理論の人なの?wwww
MA☆JI☆DE☆?
684 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 23:35:36 0
>>676 ははははははは、しろうとはこんなまともな文章書けたんだ。。
ってか、しろうとが風呂敷開きすぎて、飽きてトンズラはいつものこと。
メタモなんとかも、最初にでかいこと言って、
2年間、「アスペクト、アスペクト」ってうわごと言ってただけだし。
素直に自分が思うほど才能がないことを認めて、
気楽にやればよいのよ。
散逸構造論か?
しろうと、ぴか、ワレオタ
さあ、カーニバル的展開になってまいりました
(もちろん東スレの予定調和は無限ループですが)
>>687 Maybe-naは誰なの?ぴかって人?
波塀とワレオタのブログはないの?
萌えオタブームもそれを引っ張ってきた団塊Jrの高齢化で市場が頭打ち。
>>578と微妙に被るな。
「文化庁レベル低すぎ!」のはてブが物凄い勢いで増殖中です
波平はぴか。ぴかのはてなIDはpikarrr
哲学板にはぴかとしろうとの専用スレもあるんだよ。
汐音たん大人気だな
>>688 並兵はぴかぁ。
>>689 東は自分じゃ若い世代を対象にしてると思ってたんだろうが、同世代だったんだな。
>そんなことより東浩紀の娘に萌えた。気を付けないとid;kagamiさんあたりにソーシャルハックされちゃうよ
wwww
>>690,693さん、どうもです。
波平=ぴか=pikarrr、把握です。覗いて見ます。
上で貼られたブログはコテのブログではないってことですね。
ぴかとしろうとのスレも覗いてみます。
止めとけ。ブラクラより脳が腐る。だいたい、東や宮台のブログを読めば事足りる。
いや、そもそもなんか雑然としてて読みにくい。
メタモなんやらいう、しろうとのスレの最初の頃のは面白い。論者のレベルが高い。あくまで最初だけな。
過去ログはしろうとのブログにあったっけ?
東は中原昌也についてはどう分析してのですか?
「僕の阿部ちゃん盗られちゃった」
「汚れつちまった悲しみに」 中原中也
汚れつちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れつちまった悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまった悲しみは たとえば狐の皮衣
汚れつちまった悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまった悲しみは なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまった悲しみは 倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき
汚れつちまった悲しみに なすところもなく日は暮れる・・・
702 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:33:33 0
動物化する情報化社会
ムーアの法則による情報処理速度の向上→情報の低コスト化→情報(生産物)の氾濫
→逆に人間の認知側(消費)に限界→より消費を引きつけるコンテンツの重要性
→人の時間の取り合い→よりすみやかに楽しめるコンテンツ→欲望からすみやかな欲望の消費
→限りない欲求に近い欲望→動物化
たとえば作り込まれた笑い→エンタ的な瞬間の笑い
たとえばYouTube的な動画
2ちゃんねるはすみやかに「他者」を楽しめる
PCからケータイ
PSPよりDS的ゲーム
703 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:34:58 0
重要でないことはすみやかに済ます。
めんどくさいことは他者回避。
ファーストフードで食事、コンビニで買い物
704 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:39:40 0
たとえば2ちゃんねるをするヤツは暇だなと思うが、
2ちゃんねるをするということは、ほんのわずかな好きも楽しみたいのだ。
すみやかにかまってもらうために煽る。すみかやに他者を関わり、
すみやかに退避する。とてもせき立てられて行為である。
現代はわずかな時間も楽しむことをせきたてられている。
「生きる意味」もまたせきたてだ。
無駄なことはすみやかにすませる。マックでの食事。
まーしろうととぴかー仲良く喧嘩して盛り上げてくれ。
このスレはなかなか面白かったよ。
703 名前:第三の波平 ◆v97jOX.oqY [] 投稿日:2007/07/05(木) 00:34:58 0
重要でないことはすみやかに済ます。
めんどくさいことは他者回避。
ファーストフードで食事、コンビニで買い物
じゃあなんでいちいちスレに書き込むの?スレを見にくるの?
しかもコテまでつけて読むのも面倒な長文書き込んだりするのはなんで?
重要なことなの?2ちゃんねるではすみやかに他者を楽しめる?
他者を楽しむってなに?書き込んで反応見ることが他者を楽しむことなの?
自分に興味持ってレスつけてもらえるのが嬉しいの?
気持ちいい?
707 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:43:05 0
>>706 欲望とは他者への欲望である。
だから人の究極の楽しみは他者である。
ゲームだろうがなんだろうが、他者との関係なんだよ。
708 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:47:04 0
すると不思議なことがおこる。
マルクス的にいえば、守銭奴はお金を持つことが優位な位置で
あるために、終わりなき金儲けに走る。
お金を溜めることそのものが楽しみなのである。
しかし楽しみが過剰なのだから、それほどお金への執着がなくなる。
下流の特徴の一つがここにある。
お金を稼いでいるひまはない。貴重なのは時間なのだから、
楽しまなければ。
究極の他者は、オッパイであり、おのれ自身だろ?
ぴかぁ〜とか、しろうととかは、きっと、母親が貧乳で、オッパイが足りなかったんだな。
>>627 > 約1000字で稿料が50kですか…。さすが。
朝日とか読売新聞の書評委員などの外部執筆者の場合、これぐらいの相場だよ。
あと、文化庁のサイトは「出版物」じゃなくて「広報活動」だから、
出版における原稿料の相場は当てはまらない。
広告のコピーライターのギャラがライターと比較できないのと同様。
はてなブックマークの連中が、娘とか原稿料にばかり
反応しているのでワロタww
711 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:59:38 0
これでけ大量に無駄な労力が注ぎ込まれている2ちゃんねる
その原動力が他者以外になにがあんの?
やってることは、いまどきちまちまテクスト書くだけのことだぜ
原始母神としてのオッパイ、原始太陽は、オッパイであったオッパイ以外に何がある?
他者への承認欲求の始まりは、母と子のオッパイを巡る駆け引き、冒険からなんだよ。
つまりね、ぴかぁ〜たちが、ほ乳瓶育ちなもんだから、フェティッシュとしてネットに嵌っているのさ。
はてなで盛り上がってたのを今見てとんできますた
ちなみにあの写真は「まなび」をイメージしてるそうで
言論を弾圧された!とか
盗作された!とか
そういう話題だとやっぱ食いつきいいよね
しかも締めの文章が「国家」批判だからなw
サヨ系大喜び
>>706読んで不覚にも吹いてしまった
「気持ちいい?」
これは流行るな
……気持ち悪い
>>717 ん? インフォバーンと文化庁の担当者批判だろ。
どこが「国家」批判なわけw
721 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 02:24:57 0
ていうか独特の〜ってのはどちらかよくわかんないけど元の文よりもましな文に読んでみたらなってた気がするんだけどそれは気のせいなのかな
>>720 >インフォバーンと文化庁の担当者批判だろ。
>僕たちが住んでいるのは、こんな国ですよ。
なんでインフォバーンと文化庁担当者がなぜ国家に直接結び付けられなければならないのか
違和感を持たずに読めたならお前も立派などうb
>>722 おいおいw
「僕たちが住んでいるのは、こんな国ですよ。」なんてたいした意味のある
フレーズじゃないだろw
リテラルに受け取ってどうする。
ちょっと身の回りでイヤなことがあっただけで「これだから日本(人)は……」と
愚痴るような人っているだろ。それと一緒。
このスレに書いたらヲチしてるアホが喜ぶかもしれないけど
一応書いておく。
ネギまの作者(赤松健)のアシスタントが、
「PLANETS」VOL.3をわざわざ注文して読んでいたw
「ゼロ年代の想像力」も喜んで読んでいたw
あずまん、始まったな。
ヲチしてるアホとかいうなよ
だって、このスレを情報源にしているブロガーを何人か知ってるもんw
727 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 03:42:10 0
>>724 どこのソースだよそれwwwwwwwwwwwwwww
そんなのどこから流れるんだww
>>726 そういうブログ晒してくれw
見に行きたいw
自分はたまにそのまんまここのスレのレス、メモとしてコピペしたりしたことありますが…
そういえば大学のキャンバス歩いてたら
どっかのサークルだか講演会だかの看板に
この時代をサヴァイブするためのぼくらの本当のリアルがここに云々
とか書いてあってどこの宇野シンパだとおもた
僕たちが住んでいるのは、こんな国ですよ。
醜い国、日本。
美しいスレ、あずまん。
あずまんスレレベル低すぎ!
僕たちが住んでいるのは、こんなスレですよ。
>>723 あずまんそうやつだったのかw
その辺気を付けてそうなかんじだったんだけどな
あずまんのわずか1,000字の原稿に50,000円も出せるなんて
税金徴収ならびにばら撒きシステム(国)はやっぱ凄いな
やっぱ他人の懐から抜いた金だから気前がいいね
天下の文化庁官僚様も出世のためには、こういう小役人らしい振る舞いが求められるんだろうね
嫌な世の中だね
改竄してんじゃねえwwwwwwwwwwwww腰抜けデブwwwwwwwwwwwwwwwwwww
原稿料たかいよね
普通は1500字で1万円ぐらいじゃないの?
739 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 13:04:34 0
動物化=欲望の高速化
現代は消費者としてちやほやされる。これはマルクス的な金持ちが優位の位置であるが、さらには情報
化はたいして金をもたなくても楽しめるようになった。いやネットはかぎりなくただで楽しめてしまう。ある
意味で消費者は王様になったのだ。ただで楽しめる。これは資本家にとって脅威である。著作権、コ
ピーの問題はここにある。しかしグーグルはただで楽しむ人から金をとる方法を考えだしてしまった。こ
れはある意味ですてきな共存である。
欲望とは本来ズレるものである。みんながよいからズレる。それがコントロールできない流行というもの
である。たとえば大量生産は低コスト化につながるが、人々は少量生産品を欲望する。だから商品は多
様化している。しかしネットにおける一局集中は大量消費とは異なる。多様になりすぎ、多様そのものに
価値なくなっている中で、重要なのは意図の差異ではなく、時間の差異=速度である。いかに短い時間
で大量に消費するか、楽しむか。欲望的なズレは位置ではなく、時間的差異に求められる。いかに早く
のっかるか!ネットで行われていることはこれである。高速化において、人間的な欲望は動物的な欲求
のようにみえる。
たとえば東がいうデータベース化において重要なことも速度である。高速な情報化によって大量の反復
がある対象に収束させていく。たとえば「萌え要素」は今まで以上に大量の反復の中で収束したもので
ある。そのような要素がデーターベース化するのだ。動力が欲望であってもその速度故に欲求のように
見えてしまう。ワンパターンなものがズラされるのでなく、いかに早くつぎのワンパターンに向かうのか。
その速度の差異に欲望が生まれるのだ。
あずまんのわずか1,000字の原稿に50,000円。相場なの?フリーライターでも
生きていける?
ホームページで200万使ってた行政法人(?)。
そういう美味しいところだけでしょ。普通の原稿料はとても少ない。
特に連載物なんかは。
現代思想とユリイカは400字1000円だそうな
やっぱブロガーはいつか自分も本を出そうとか文壇にとか思ってんだろうなw
そうでなければ金のネタにこんな食いつかねえよw
きめえw いつまで夢見てんだよw
村上龍が昔長嶋茂雄(凄い取り合わせだ)との対談でいってたけど、どんなに出世しても
原稿料は変わらないらしい。
>>743 ブロガーもそうだがこのスレ住人も同じだろ。もしくはスレ住人=ブロガー。
未だに金の話題で盛り上がっているこの現状…。
波ヘイヘーイがせっかく長文レスしてもスルーだしね。
僕たちが住んでいるのは、こんなスレですよ。
まあ僕たちっていうのはあずまんと汐音だけを指すんだけど
波平=ぴかぁ〜は空気読まずに連投するか、ただのコピペ荒らし野郎だろ。
おっと、しろうとの悪口はそこまd
東スレの空気は酸素レベルが低いんだよ。
しろうともワレオタもぴかも名無しも、
突発的に、あたかも発作を起こしたかのように書きこみをはじめる。
僕たちが吸っているのは、こんな空気ですよ。
じゃあ、もっと優しい書き込みをすればいいわけか。敬語で話してみますか。
文化庁っすかぁwww
大枚はたいてもあずまんが空気なんて読むわけないのに…
俺だったらあの5万で汐音にポケモンのぬいぐるみを買ってあげるだろう。
>>682 そうです。
>>698 過去ログを貼ると膨大になるので、
エッセンスだけ抽出したいですね。
>>710 確かに反応しすぎですね。東センセイに非はない。
ただ稿料の話をしたのは失敗かもしれませんね。
みんな興味がある話題だからそこにばかり目がいく。
シンクタンクなんかが官公庁に出すレポートが
数千万するという話があって、でもスケールが
近い方が高く見えるということなんでしょう。
>>724 読んだだけじゃなくて、感想がないと始まらない。
>>742 あれは載ることによる権威に価値があるでしょう。
>>746 >波ヘイヘーイがせっかく長文レスしてもスルー
いや、それは昔からの哲板の推奨デフォルトです。
studiovoice原稿料は
400字 4000円
原稿料暴露スレはココですか?
つか書き手のランクによっても額変わるぞ
400字で4000円ってことは、スタジオボイス原稿一つで一ヶ月の生活費くらいは稼げるってことか?
君の乞食生活なら十分稼げる
娘かわいいって言われて調子のってるに100億はてな
>>758 正直まとめエントリを書いてアフィリエイトしたほうが楽
ま、娘はかわいいからな。これはどうしようもない。
>>761 いや、まとめは全然楽じゃないし儲からないですよ。
リンク主体なので字数じゃなく時給で考えるとして、
最低賃金(都は719円)にもまだ達してないですね。
後でアクセスが伸びたり効率化する余地があるので、
続けようと思ってますが、現状は手間が掛かりすぎ。
>>758 そういうものっていうのは、毎回お呼びがかかるわけでないからこそ高いんだろ。
連載とか長編は基本的に安いはず。雑誌特集の短い原稿に毎回声がかかるような
書き手は、それはそれで特有の才能が必要なんだろ。
小田嶋隆とか、山崎浩一みたいな、ワイドショー系。
ハルヒ二期決定よあずまん!
766 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 21:08:00 0
>いや、それは昔からの哲板の推奨デフォルトです。
ごらぁ〜しろうとの分際で生意気だぞ!
失せろ屑
768 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 21:14:14 0
まともにはじめなさいよー!
3人組(デリダフーコードゥルーズ)はドストエフスキーを
どう思ってるの?あまり言及してない気がするけど…。
771 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 21:35:49 0
ドスト好きいえば、ヴィトでしょ。
ドゥルーズはカフカかアンチオイディプスかミルプラトーで大文学(もちろん悪い意味で)の例に
挙げていた。「ニーチェと哲学」の中ではニーチェがドストを評価してたことに倣って
評価してたところがあったと思う。
そんなことよりハルヒ二期決定について語ろうぜ
僕らの住み着いているスレは、こんなスレです。
話題が多すぎで迷うな
唐沢?誰
778 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 22:06:13 0
原稿料は安すぎるな。
大家以外は、小説だけでは食えないらしい。
あずまんが必死に本出す気持ちもわかるね。
でも内容いろいろ被るところあるからなあ。困っちゃう。
包帯買う金もないんじゃよ
>>773 自分は東を支持するけど、盗作疑惑が出たから、
ここぞとばかりに唐沢を叩こうという気はしないです。
唐沢の仕事のうち、昔の貸本や東南アジアの
キッチュな漫画を紹介するというのはとても良いと思う。
それがパロディで、好奇の視線に晒すことだとしても、
とにかく埋もれていたものを掘り出すということでは、
売れてるだろうトリビアものとか更にトンデモものより、
良い活動だと思う。ただ弟のなをきのツッコミがないと、
抑圧的、つまりネタでテキトーからマジでエラソーに、
変わる面があると思う。この抑圧的な面は東もあるけど。
音楽ライターなんかは十年前と原稿料が
変化していないのですよ・・・・
十年前と原稿料が変化していないのは日本経済において
特別なことではない、ということも分からないから音楽ライター
なんだよ
媒体によるけど、原稿料が安いのは安くても
書き手が集まるからという需給の問題がある。
それで、前に文芸誌で読者より新人賞の応募の方が
多くてげんなりという話があったけど、それはむしろ書き手
からお金を取る形にすればいいんですよ。カラオケみたいな。
そもそも2chもmixiもブログもカラオケみたいなものでしょう。
>>763 儲かっていなかったのか……。
しかしこのスレでは、アフィ乞食扱い。
イメージって大変だな。
> それで、前に文芸誌で読者より新人賞の応募の方が
> 多くてげんなりという話があったけど、それはむしろ書き手
> からお金を取る形にすればいいんですよ。カラオケみたいな。
毎月、新人賞応募券をつけて応募原稿には6か月分の応募券添付が必須、
とかやったら部数アップ間違いなしw
あずまんはハルヒアニメ版について何か言ってたっけ
Airは絶賛してたが
>>786 こういう簡単に出来そうなことを何でやらないんだろう。
>>788 全文芸誌が一斉にやらないと効果がないからだろ。
一社だけ行なった場合、他社に応募者が流れる。
>>786 掌編部門を作って何百作も載せればいいと思う。
で、ゲーム攻略誌のハガキ投稿スペースみたいに
自分が載ってないかみんな虫眼鏡で探して読むという。
カラオケでカタログパラパラめくってるのに近いですね。
>>788 「作家は先生、文学は文化」
という伝統意識があるからでしょう。
それに部数を増やさなくても、
文化事業みたいなものだから
編集部員は首にならないという。
ラノベに媚を売るよりはマシだと思うんだけどな。
ラノベは露骨に流行り廃りが激しい。
オタクが嫌っているファッションと同じ原理で動いている。
桜庭一樹が直木賞候補だってー
枕営業のうまい奴だなー
ブクマ400件…
2007/06/29(金)〜07/05(木) のスレ別書込み数調査
東スレ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□547
浅田スレ□□□□□102
萱野スレ□□□69
柄谷スレ□□□65
北田スレ0
(※宮台スレはスレ乱立の為、測定不能)
グラフがずれてた
2007/06/29(金)〜07/05(木) のスレ別書込み数調査
東スレ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□547
浅田スレ□□□□□102
萱野スレ□□□69
柄谷スレ□□□65
北田スレ0
(※宮台スレはスレ乱立の為、測定不能)
>>789 女性誌では「読者投稿コーナー」のページを増やしたら販売部数が増えた。
ファッション誌でもスーパーモデルよりも読者モデル(読モ)のほうが人気があるみたいな。
東スレ内訳
第三の□□□67
しろうと□28
その他□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□452
×:クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った
○:小説家は嘘つきだと東浩紀が言った
>>797 東スレ ニートステイト
萱野スレ 人気赤マル上昇中
北田スレ 死亡確認乙
>>803 読んだ。確かにこの東スレでも「動物」の定義がバラバラで混乱が見られる。
大杉は北田を援護射撃したかったらしいが、最終兵器が「皇居」なのにはワラタw
>>803 超乙
しかしamazonレヴュー程度だな・・・ブログの書き殴りレベルというべきか
厳しく批判してたって書いてたから結構期待したんだがw
「脱構築が見くびられすぎている」だってよw
>>805 ま、俺はでも、まっとうな批判だと思ったよ。
ブログ的な文章であることは認めるが。
こう批判は、あずまんは話が噛み合ってないと
受け流すんだろうか。
東浩樹レベル低すぎ!
>>806 時間があればどうまっとうな批判なのかできれば解説してもらいたいな
動物の定義が混乱してるのはこのスレ内の話で、あずまん自身は混合して使ってないし、
そもそもが大杉の言いたいことがわからないんだが・・・
脱構築はもっと凄い可能性を秘めてるんだぜ?程度じゃないの?
大杉のしている動物(言葉自体)批判は、人間を動物と呼ぶな!くらいナイーブなものとして映った
>>803 北田ですらあんな回避しかできなかったのにまともな批判はできないだろ…。
なんて先入観があったせいか、個人的には
>>805と同じ感想を持った。
てか、
皇居が壊されなければ土地は脱構築されてると言えないと結論付ける一方で、
誕生すら簡単に脱構築されるというのは…皇居を脱構築したいということなのか。
40過ぎのおっさんが「ハヤテ」にハマるという事実を確認できたのが良かったです^^
ちなみに809は大杉重男を知りません。
>僕がはたしてセカイ系=ひきこもりの言説を代表していたことがあったのかどうか、
>本人としては疑問がありますが、
これは言うと思った
まぁ代表と見られてるのは確かかも
>>808 >動物の定義が混乱してるのはこのスレ内の話
そうなのか。orz
(時間があれば)動物の定義の解説お願い。
「脱構築」については東はまったく正しい使い方してる。
>>808さんのおっしゃるとおり、大杉は「脱構築」という言葉の言霊を崇めてるっぽい。
しかし大杉の文の最後の一段落はひどすぎる。ある意味、東論を肯定してないか。w
大杉は「下北沢で再開発するのなら皇居でもやれ」と言ってるのか「皇居では絶対に
再開発なんてされないだろうから、東浩紀が「土地がいくらでも脱構築」されるなんて
言うのは間違いだ」と言ってるのかもよく分からん。
>>808,809,812
確かにw
誕生は脱構築できないだと?脱構築を見くびるなと言い
皇居のような場所は脱構築されないんだ!と言う
それから
『東京から』で北田が反論しているのは動物に侮蔑的なニュアンスがあるからではなくて
動物化を脱構築する手段がないか模索しているためだろう
波平が上のほうで科学に人文が勝てない流れを説明していたように
北田も勝てる見込みがないものにどう立ち向かうかを考えていたように思う
もっと単純にコジェーヴの動物/人間概念はどこに行ったんだってのもあるw
動物の定義が混乱しているのはこのせい?
>>808 デリダは、ハイデガーに残存する人間主義(ナチ関与の遠因)
を批判するために動物を実体化しているハイデガーの動物論
を脱構築した。
初期東はデリダに倣って、実体的でない動物論の路線を模索
していたが、最近の東京論では、単に実体化した動物概念を
肯定してしまう。これでは、デリダが脱構築したハイデガー
の動物概念と同じで、初期の議論から退行している。
勿論ハイデガーでは動物は肯定されないが、動物/人間
の対立を実体化して捉えている点では、ハイデガーも東京論
の東も、どちらも人間主義の対立図式の枠内を動いている
ことには変わりはない。
というか、今の東はハイデガー以前で、人間工学に基づき、
人間の本質を、人間主義以前の動物に引き戻して捉えよう
しているのだから、ハイデガーも言わないような、ベタな
人間の動物化論、ナチも真っ青の優生思想に近づいている
とさえ言える。もし今の東が、人間は、工学的に環境管理
される以外にないと考えているとすればだが。
人間主義も動物主義も、言うまでもなく、デリダの脱構築
の対象であり、大杉もそのことを言おうとしているように
見えるんだが、いかんせん文章が分かり辛いな。
自分の場合、デリダのことは良く知らないので、デリダに
即して説明できないんだが、ラカン(つうかジジェク?)
の読者としては、ラカン的視点からも、上のような批判を
今の東に向けることはできる。
>その時東は「動物」の側に共感を表明するが、同時に侮蔑的ニュアンスをそこに込めるので、
>北田から無用の人間主義的反発を引き出して不毛な対立を引き起こしている。(大杉)
この一文の意味が分からない。「共感」してるの?「侮蔑」してるの?
>>814 あんがと。m(_ _)m
飛躍かも知れないけど、東は「人間」を脱構築している、とも言えますか?
>>815 >東は「人間」を脱構築している、とも言えますか?
脱構築の意味が、人間も動物も実体化することなく、
人間/動物の対立図式自体をずらすということだとすると、
今の東は「人間」を脱構築しているとは言えないと思う。
東京論での東の動物概念は、北田の人間主義の単なる
裏返しにしか見えなかった。
昼休み終ってるんでこの辺で。
大杉って2chの優良コテレベル以下のアホだろ。
大分前に貨幣そのものの価値が下がると恐慌になるみたいな、
マルクスの恐慌論を真逆に理解してる(当然柄谷もろくに読めてない)のを
2chで晒されてたよ。
818 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 13:25:52 0
>>808 >動物の定義が混乱してるのはこのスレ内の話で、あずまん自身は混合して使ってないし、
これって動物と動物化の違いなのかな。
動物の使い方は一定だが、動物化という方向性の使い方がいい加減、ということ。
完全なる人間が存在しない以上、誰もが動物化することはあるわけで・・・
たとえば脱構築でいうと、言語の特性上完全な(コンスタティブな)文は不可能でなわけで、
脱構築される可能性がある。
すなわち精神分析的人間=否定神学的人間という文は、かならず脱構築され、
動物へとズラされる。すなわち動物化される。
東の使い方の一定は程度じゃないかい。
819 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 13:28:25 0
あとは人間主義というか、社会学的(心理学的)な漠然としてタームとして
使っているよね。明らかに。
この漠然さ故に、流行語大賞に入選できたわけで。
820 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 13:34:42 0
人間/動物って哲学そのものがもつ形而上学的二項対立でしょ。
アガンベンはこれを人文機械と読んで、哲学と同じ元の考えている。
哲学って、人間が特別であることを前提に成り立って来たわけで。
ここでいう動物は、獣だけでなく、奴隷とかも含めてね。
動物化とは、人間/動物の脱構築なわけだけど、
いまさら東にデリダ的な哲学的使い方=倫理的な使い方を期待する方が驚きだな。
821 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 13:43:24 0
だから北田が人間主義というのは、フェアーではない。
完全なる人間=否定神学的人間はもともと近代の幻想なわけで、
北田は動物化(動物への方向性)の反動としての人間化(人間への方向性)
人は動物化しつつ、はたまた人間化する、揺れる〜想い〜体じゅう〜感じでぇ〜♪
事故か、自殺か・・・そんな二項対立で判断するのは良くないから、脱構築か
>>816 たとえば東が「下北沢はサブカルのテーマパークだ」と言うのは、下北沢を何か特別な場所、
地霊が宿るような聖地だと思わせるような前近代的な集団(サブカル)を近代的に実体化して
みせた後で、どのような「人間らしさ」が可能であるのか?という問いを発するためである、と
捉えることはできないだろうか、の意です。
東にはたとえどんなに都市の「工学化」が進んでもベタな前近代には帰らないぞという決意が
あって、その可能性の一つとして、屈折した「まんが・アニメ的リアリズム」があるとか、更には
「ゲーム的リアリズム」もあるとかを、「動ポモ2」で書いたのではないか、と思います。
東の東京論は、北田の人間主義の裏返しかも知れませんが、同時に、北田的な人間主義の
実体を明らかにすることでサブカル連中が想い抱いてる霊力(魔力)を無化する狙いもあった
のではないかと思います。
そして、その魔法が解けたとき目に見えたのが「工学化」する世界であったというオチが、東の
東京論なのだと思います。
>昼休み終ってるんでこの辺で。
どもです。あんがとです。
>>818 どもです。
ちょいと考え中。
823 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 14:39:48 0
要は「ゲーム的リアリズム」っていうのも本気じゃないんでしょ。
蓮實が映画以外の批評対象を絶対視しないように。
東 「僕の家にデリダの本たくさんあるよ、遊びにおいでよ」
北田「そうですか、では今から伺います」
ガチャ・・
(東は北田を檻に閉じ込めた)
北田「なにするんですか」
東 「これが工学化された世界だ」
北田「出してください」
東 「それは正しくない、僕は君を下北沢のテーマパークから出してあげたのだ」
こんな感じかよ?
825 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 14:54:57 0
東 「僕リバタリアン。ポストモダン・リベラルの北田君はすでに収監したからね」
>>818 つまり、「オタク=動物」ではなく「人間が動物化していてその最先端にあるのがオタクと呼ばれる人々である」
と言うことでおkですか?
同様に「ヤンキー=動物」ではなく「人間が動物化していてその最先端にあるのがヤンキーと呼ばれる人々」。
>>800 ぶっちゃけ宇野のような自己批判にかけるボンクラは無視してもいいと思う
あいつサバイバルとか言ってるけどチキン体質
828 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 15:11:07 0
>>826 動物化とは、ひとつの傾向だから。
情報化社会の中で人々が動物化する傾向がある、と言えるとして、
それ以上の表現は良くわらないね。
なににおいてオタクが先端なのか。
だから僕は
>>473のように考える。
コミュニティの復興っていったって、
人口密度が高く、趣味のコミュニティが集中している東京と
それ以外の地方ではまったくことなるんだけどな。
宇野の評価するよしながふみなんかずっと阿佐ヶ谷在住だ。
同様に、あずまんが創造するリバタリアン的未来予測も
結局東京圏だから、人口密度の高い都市部ならではの
サービスが発達している。
では、人口密度の低い地方ではリバタリアン的未来が
なりたつのか、という疑問がある。
そして、大都市圏と地方とでライフスタイルとサービスがまったく別物に
進化してしまった場合、政治的経済的に
なんらかの対立が勃興するんじゃないの、と疑問。
>>824 続き
北田「水ください、喉が渇いてカラカラです」
東 「自動販売機を檻の中に置いてやるよ」
北田「お腹すいたのですが」
東 「コンビニを檻の中につくってやるよ」
北田「檻の中は退屈なのですが」
東「TSU-TA-YAを檻の中につくってやるよ」
北田「椅子に座りたいのですが」
東 「ふかふかのソファを檻の中にもってきてやるよ、ここはマックじゃないからね」
北田「あの・・オナニーしたいのですが」
東 「僕はギャルゲーいっぱいもってるからね、それはただであげるよ」
北田「結構、ここ快適ですね(笑)」
東 「あはは」
一1年後―
北田「あの・・お金がなくなったのですが」
東 「そうか、それじゃ檻から出してあげるよ」
シュールすぎたかな
831 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 15:17:40 0
あと
>>739 動物化=欲望の高速化
情報関係で語るときに東もこのようなことを言っていると思う。
これがオタクとの繋がりが良くわからない。
東が、しろうとが真似ているような、オタク分析としての動物化を語るときは、
半分ネタじゃないかとも思っている。
832 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 15:26:15 O
東がプログラマーならそれを、ロックずきならそれを、たまたまオタク周辺に詳しいから、オタクについてかたっているのかと
>>828 いまいち東にとっては「人間>動物」なのか「人間<動物」なのかよく分からないんですよねぇ(私が)
それゆえに「脱構築」なのかも知れないけど。
図式化すれば「新しい人間>動物>古い人間」なのかなぁ、とか考えてみる。
>>829 現状を見る限り、東京圏の人口が増加して、その他は人口減・高齢化が加速してます。
ギートステイトの2045年では地方は完全にゴーストタウンになっているという設定ではないでしょうか?
>>803 >「姜先生、自由なのに息苦しいのはなぜですか?」
>「お金」を持っている人は勝ちですか?
>「仕事」は私たちを幸せにしてくれますか?
>どうしたら「平和」を守れますか?
>私たちの素朴な疑問に姜尚中さんが答えます。
>姜尚中「ニッポン・サバイバル―不確かな時代を生き抜く10のヒント」(集英社)
サバイバルかよw
>>827 >どうやら彼(宇野)は、このさき、セカイ系の作品(キミとボクの世界しかもう書けないんだよ)と決断主義
>の作品(とにかく決断だよサバイバルだよ!)をともに批判し、「『社会や歴史が共同体を裏付けてくれない
>世の中』=『ポストモダン状況下でのファスト風土』で、人々が積極的に選び取った共同体のもつ、意外と
>高い強度が描かれている」「新しい共同体主義」の作品を高く評価する方向で連載を進めるようです。
>つまり、社会全体を覆う大きな物語が書けなくなったからこそ、小さな人間関係から出発して少しでも大きな
>認識に到達しようという、身の丈にあった成熟の物語を応援したい、ということですね。(東浩紀)
ということらしい。
大きな物語→小さな物語→データベース→実存・リアリズム→サバイブ→小さな成熟&大きな現実
「小さな成熟」流行りそう。
836 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 16:30:21 0
>>833 では動物化を二つに分けて考えましょう。
@ コジェーブ的動物化
コジェーブはハイデガーの現存在を繋ぎつつ、ヘーゲルの人間/動物の形而上学的二項対立から人間を考えます。
ラカンがコジェーブを師と仰ぎ、フロイト+コジェーブ(ハイデガー、ヘーゲル)として、精神分析的人間を思考したのは
有名です。そしてコジェーブは消費文化に埋没するアメリカ人をみて、ヘーゲル的人間というよりも、動物のようだと
考えます。形而上学的動物化です。
Aデリダ的動物化
デリダは、このようなヘーゲル的、ラカン的人間/動物を形而上学的二項対立と考えて、脱構築します。
人間が動物化しているのではなく、人間はそもそも人間であり、動物である、ということです。
これは倫理的な動物化です。
では東の動物はどちらか、まず脱構築されたところのデリダ的動物化の意味を持つでしょう。
そもそも精神分析的な強い人間は存在しない。だから人間も動物もどちらが正しいということは
脱構築されているでしょう。
それとともに、コジェーブ的な動物化でもあります。これが人間分析的な動物化です。
そこでは、人間/動物の形而上学的二項対立をもとにしています。
だから東の「動物化」という言葉は、つよい力を持ちます。
たとえば、勝ち組負け組、山女壁女と同じ、神的な力をもつのです。
そしてオタクはそれに感染しています。
東の「動物化」にある種の選民性の匂いを嗅ぎつて、東をオタクの救世主として奉る。
>>831 それは本田透のせいじゃないかと思う
あれだけ突飛でネタとしか思えない奴を
どんなに理論付けて後追いしても、どうしてもネタとしか思えない
まぁネタとみなすことで距離を保ってますよ的なアイロニーな態度しか取れないんだろうな
838 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 16:34:38 0
こりゃわしええこといったな。
>>803よりすばらしい批判だ。
> 『社会や歴史が共同体を裏付けてくれない世の中』=『ポストモダン状況下でのファスト風土』で、
> 人々が積極的に選び取った共同体のもつ、意外と高い強度が描かれている」「新しい共同体主義」
> の作品を高く評価する方向で連載を進めるようです。
特定の"小さな成熟"を称揚するってのは、そのような成熟ルートへのアクセサビリティの生まれ育ちの
手持ち資産差を考慮に入れた場合、一歩間違えると酷く反動的な振る舞いを帰結しかねないようにも思える。
昔の宮台みたいに
教育による世代効果で問題解決!旧世代のオヤジ供は悶えて氏ねww
とかいうのならともかく。
840 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 16:36:54 0
>>831 いや、動ポモが受けた。それに尽きるでしょ。
あれがこれほど受けるとは思っていなかったでしょ。
あれで、東はオタクのマスターになっちゃったのよ。
あれが受けなければ、もっと違った方向にいってただろう。
>>835 引用元教えてくらはい
>>836 デリダ的動物化の
>これは倫理的な動物化
という部分が理解できない
…むしろここでしろうとさんに聞きたいね
ぴかのここまで詳細な東分析は、今度は誰のパクリなんだい?
いや面白いからもっと続けてくれ>ぴか
843 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 16:56:10 0
>>841 そもそも、人間/動物の形而上学的二項対立は、ヒエラルキーの構造にあるわけです。
哲学ではずっと動物とは違う人間とはなにかと考えられてきた。
たとえばアフリカ奴隷があれほど、悲惨に扱われたのは、彼らが人間ではなかったからです。
これはほんの最近の事ですよ。
18世紀の産業革命後に世界博覧会などで、チンパンジーなどの頭の良い猿が
欧州に持ち込まれたとき、彼らは人間か、真剣に話し合われました。
あるいは有名なジューンゲルグ「七日間世界一周」では、人は生まれか、育ちかと議論されますが、
これはようするに、人間とは生まれてなるのか、教育してなるのかと
議論されます。
あるいは最近の遺伝子研究でも、生まれ、育ちの話がありますね。
ここにも人間/動物の形而上学的二項対立は、ヒエラルキーの構造、
すなわち選民主義が働いているのです。
デリダが、人間/動物の形而上学的二項対立を脱構築するというのは、
このようなヒエラルキー、選民主義を挫くと言う意味で、倫理的なのです。
しかしオタクが「動物化」に熱狂する姿をみると、いかに脱構築するということが
難しいかわかります。精神分析はこのような人間が脱構築に逆らい、
人間/動物の形而上学的二項対立に執着する(欲望する)ことを示します。
北田の人間化を僕も支持をしているわけですが、このような「動物化」を脱構築する
意味ももつも思います。
動物化がデリダ的からコジェーブ的に転倒すること、それが人間化なのです。
844 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 17:01:22 0
だから北田の人間は、人間主義なのではなく、
動物化がデリダ的からコジェーブ的に転倒することに人間化をみるという、
コジェーブ的動物化を挫く、脱構築なのです。
東はこれに対して、さっとデリダ的動物化に退避し、
逆に、北田が人間主義的であるように見せるのですね。
すげー進んでるなw
>>803を読んだ俺の感想としては、
人間主義うんぬん、動物の実体化うんぬんは的外れもいいとこ
動物って言葉に過剰に反応してくれるこういう人達がいるおかげで
(それを利用して)動ポモは流行語をつくることができたわけだ
人間工学による管理、動物化は着実に進行している
誰も抗えない、むしろ喜んでいる
北田や
>>803はこうした流れになんとなく抵抗がある、でも抗えない
この状況下で本来なら動物化する流れを止めたい大杉が唯一できるのが東の言説批判
概念の批判、形而上学的批判、不毛な批判
彼は動物化を食い止めたいんだろうに、それが無理だと知るやいなや、事実から目を背ける
そして的外れな思想批判をする
思想的「退行」とかなんとか言ってレッテルをはる
「で?っていう」
>>836 分かりやすい!感動した。
もっぱら「動物化」と言われてるのはコジェーブのほうでしょうね。しかし、そこ(二項対立)に「神的な力」があるってのは
面白いです。
コジェーブのアメリカ人的な「動物化」は経済的な充足を経た後での「動物化」なわけで、その文脈から東はリバタリアン
を自称してるのかも知れませんね。
それから「神的」って、「神的」と「神話的」を区別してた本読んだ記憶があるけど思い出せない、
神的=ユダヤ、神話的=カトリックでしたっけ? でも日本人(オタク)がそれに反応(感染)したのはなぜなんだよぉ?
847 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 17:13:38 0
>>846 コジェーブのアメリカ人的な「動物化」、歴史のおわり→フクヤマ「歴史の終わり」、リベラルな資本主義の勝利
→東 動物による充足、自由至上主義リバタリアン?
>それから「神的」って、「神的」と「神話的」を区別してた本読んだ記憶があるけど思い出せない、
ベンヤミンですね。
神的・・・(強烈な)脱構築的
神話的・・・ 形而上学的
みたいな感じでしょうか。
848 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 17:17:06 0
ボクが
>>836でいった「神的」はベンヤミンとは関係がなく、
単に信仰的、ドグサ的、形而上学的という意味です。
コジェーブにおけるポスト歴史の人間というのは
語り続けるが行動しない「賢者=死すべき神」、「本来の人間の決定的な無化=動物」であり
動物が所与を否定する規律を生き、その規律において死ぬことが出来ない以上
「スノビズム」という生の様式もまた人間的(動物的でないから)であるのだが
実際のところこれらすべては所与をことごとく無化し、他人の欲望を欲望して
命を保存することを否定さえするイデオロギー闘争に参与すると規定される「人間」ではない
850 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 17:28:21 0
>>843に言いました、
>精神分析はこのような人間が脱構築に逆らい、人間/動物の形而上学的二項対立に
執着する(欲望する)ことを示します。
ここでデリダのラカンの否定神学批判の微妙があります。
デリダは、精神分析人間は否定神学である。だから人間/動物を脱構築しつづける必要がある、
ということですが、
ラカンがいったことは、否定神学のさらにメタ位置にあります。
脱構築しても脱構築しても、否定神学へ向かうそれが人間というものだ、ということです。
はたしてラカンがいうことと、デリダがいうことは違うでしょうか。
東と北田の構図もこれに近いものがありますね。
851 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 17:33:53 0
>>849 大塚がいうようにボクもオタクは動物よりスノビズム的だと思います。
>>841 http://blog.moura.jp/geetstate/2007/07/post_406f.html >>845 確かに、大杉は東批判に必死で「工学化」批判をすでに忘れてる。ww
>>843 つまり、デリダ的に読めば、いわゆる一般人がオタクを差別するのはおかしいのだ!となるけど、ところが、
差別されてたはずのオタクの側が「動物化」に熱狂した。
一般人がオタクを差別してるのではなく、じつは、オタクも一般人を差別したがったのであって、そこに闘争
に似た何かの暴力的な香りのする力が言葉としての「動物化」に化身されて、予想に反して(?)東浩紀が
オタクの救世主に祭り上げられた(しかも東はゲームおたくであった)。こんな感じかな?
>動物化がデリダ的からコジェーブ的に転倒すること、それが人間化なのです。
ここの意味は分かりません。解説おながい。
>>847 ベンヤミンでしたか。
確かにユダヤ人は金儲けが得意なわけで、ナショナリスト(ナチ)に虐殺されたのも頷ける、頷く話ではないか。
でも東がリバタリアンな理由が鮮明にはなってきた。
>>850 デリダ―脱構築―倫理的―東
ラカン―否定神学―人間的―北田
でおけ?
853 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 18:13:29 0
>>843 >デリダ―脱構築―倫理的―東
>ラカン―否定神学―人間的―北田
このような対立で考えると良くなくて、動物と人間の間を揺れ動く
ようなイメージでとらえるとよいでしょう。
そしてデリダは人間化を動物化へ引き戻し、ラカンは動物化を人間化へ引き戻す。
ともに倫理的には、どちらに落ちてはいけないよ、ということです。
これがデリダとラカンが裏表というようなことが言われる理由です。
(精神病)<動物> A←動物化(揺れる想い)人間化→B <人間>(否定神学、神経症)
このザード理論で考えると、
>動物化がデリダ的からコジェーブ的に転倒すること、それが人間化なのです。
デリダ的動物化としてのA方向が、熱狂しているうちにコジェーブ的動物化B方向へ転倒している。
オタクの否定神学の中心に東がいる。そして神経症的に東に転移している。
このスレでの東への粘着ぶりをみればわかります。しろうとは、まるで東ですね。
>>803 関係ないが、最新号の浅田の対談が面白そうだ。
結局波平も含め、工学化に対しての批判は不可能なのか。
これは絶望的だ。
と思うのが人間で思わないのが動物。
俺理論。
856 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 18:44:42 O
工学化が動物化へ作用している、そして反動で転倒が起こるということも、誰も否定しません。
しかしなんとかなる、オタクは楽しくやってるだろというのが東です。正確にはこれはオタクの動物化というか動物化に順応する人間だとおもいます。
反動を問題にするのが北田、宮台、波平などです。2ちゃんのネットウヨや、オウム的な感染、小泉フィーバーなど
すなわち帝国とマルチチュードですね。マルチチュードとはだれか?
>>839 確かに反動的な振る舞いに帰結しかねないところはあるけど、でもこのまま「ファスト風土化」する新自由主義が
進行してよいのだろうか?とも言える。
格差社会で苦しむ人が自らを救うかも知れない可能性を潰すのは、結局「手持ち資産」が多い側の金持ち連中を
喜ばせるだけで、彼らはいわゆる「高みの見物」してるだけでいいって話になりかねない。
だから、何らかの新しい連携は絶対に必要なのは間違いない。でも宇野にそれができるかどうかは到底無理な話。
>>853 >ザード理論
http://www.youtube.com/watch?v=srifzwHNL7o コジェーブ的動物化とラカンの関係がいまいちピンときません。
ラカン=大きな物語ではなかったでしたっけ?ゆえにデリダリアンの東浩紀は批判したわけでしたよね?
またラカン的な人間化では、いわゆるネットで見られるメタ・メタ・メタ・・・ゲームへ突き進むだけのような気もする。
また北田のメタ・メタ思考回路を東は批判してたと思う(「東京から考える」で)。
自問自答は自分のブログでやってくれ
デリダでもラカンでも自分で読んでみたらいいのに
東が否定したラカンは、人間の底には穴があるって部分だろ。
861 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 18:56:45 O
一時期、宮台のウヨ発言が話題になりましたよ。あれはラカンと似た作戦なんですね。悪性に転倒し変な宗教などに走るのは、
日本には正しい転倒先、サイファがないからだ、と考えました。
宮台は日本人のサイファは天皇だろうということでウヨ発言したのですね。
最近は作戦をかえて工学、アーキテクチャをよく作り替えれことをめざしていますね。
>>814 動物の話については大雑把にそんな感じです。
東は優生思想を支持してはいないと思うけど。
>>817 貨幣と言えば、恐慌では資本主義は死なず、むしろ、
ハイパーインフレで解体するのが岩井克人の『貨幣論』で、
それと、ラカンは沈黙することで主の権勢を高めるが、
デリダは発言を加速することで解釈の共同体を内破する、
みたいな東の郵便本の話の構造が似ていて面白いです。
>>824>>830 なんともいえない味がありますね…。
>>835 >「小さな成熟」
それって、ファウスト「小説の環境」で福嶋が言う、今の時代は
小さな共同体としての家族が描きやすい、みたいな話に思える。
>>836 >デリダは、このようなヘーゲル的、ラカン的人間/動物を形而上学的二項対立と考えて、脱構築します。
>人間が動物化しているのではなく、人間はそもそも人間であり、動物である、ということです。これは倫理的な動物化です。
これはひどい
>>838 冗談(笑)
864 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 19:17:17 0
>>857 東がリバタリアンであるという詳細は知らないのですが、
良くも悪くも彼らしいなんとかなる的脳天気さがでていますね。
言われるように、リバタリアンは理念としてはわかりますが、問題は、
結局、ネオリベ化して格差を生む。金持ちは連帯して、都合の良い
アーキテクチャーを作りあげて、貧乏人を排除しますよ。
問題は、やっぱりリバタリアン化できないところをいかに
補うかでしょう。普通の考えですが。
東ヲタのラカン理解はたぶん「郵便」本でしょうから。
仕方がありません。あのラカンは構造主義的理解です。
デリダも、東も自ら、限定的な理解と言っています。
ラカンは難解で、時期的に資料が出てきませんからね。
「郵便」のラカンはベタな否定神学ですが、ほんとうのラカンは
メタ否定神学とでもいうものです。
>またラカン的な人間化では、いわゆるネットで見られるメタ・メタ・メタ・・・ゲームへ突き進むだけのような気もする。
>また北田のメタ・メタ思考回路を東は批判してたと思う(「東京から考える」で)。
だってそれが人間でしょ。マンガ「東京大学物語」的でしょ。
865 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 19:21:41 O
しろうとは、大杉の東批判を読んでどう思った?
>>853 そこで「工学化されない残余」へつながるのかい?
867 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 19:22:30 0
>大杉の
>>803のアホな東批判も「否定神学」のなせる業では?で、そのメタに神はいるの?
否定神学批判のくだらないところは、ジジェクがデリダにつこんだ「おまえは強迫神経症か!」
ということでしょう。否定神学は人間の特性の一部です。このスレでも東への熱い思いに
現れています。普通のことです。これを無理に批判することが一種のノイローゼです。
というようなことが、ラカンが言いたいメタ否定神学です。。
大杉といい、西部といい、鎌田は身内に甘すぎる。
アンチ・オイディプスの中に、ドストエフスキーあるか探したけど(索引で)
なかった。おまけに、本を落としてしまって、レンタルしてたCDのカバーを
割ってしまった。まあ、文句言われないと思うが。
870 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 19:27:28 0
本上まもる『ポストモダンとは何だったのか』より、現代思想の勉強になったのでは
ないでしょうか。そろそろオタク話をしたい頃だと思うので、おいとまします。
市民(宇野)が言う(粗雑な)決断主義って、
デスノやギアスよりも前にバトルロワイヤルや
スクライドとかで既にその兆しが出てたけど、
エヴァから前進してるようにも見えないですね。一方、
>小さな人間関係から出発して少しでも大きな
>認識に到達しようという、身の丈にあった成熟の物語
「新しい共同体主義」も随分ベタな回帰ですねえ…。
ジジェクが言う前近代・近代・後近代の三すくみを、
新共同体)・セカイ系・決断主義に縮小した構図。
転叫院も指摘するように、市民はベタ・メタ・ネタの
三すくみで、常に上空から後出しジャンケンをし続けて、
(オヤジのベタ・酸っぱい葡萄のメタ・時代遅れのネタを批判)
今は新共同体がたまたまよく見えるから乗っかったんでしょう。
「萌え理論」は厳しいとかいうから突っついておきました。
>>870 大変あんがとです。m(_ _)m
勉強になりやした。
> 貨幣と言えば、恐慌では資本主義は死なず、むしろ、
> ハイパーインフレで解体するのが岩井克人の『貨幣論』で、
> それと、ラカンは沈黙することで主の権勢を高めるが、
> デリダは発言を加速することで解釈の共同体を内破する、
> みたいな東の郵便本の話の構造が似ていて面白いです。
岩井はそれをいいことだとは思ってないし、起こるとも思っていないだろうけどね。
否定神学とは呼ばれてないけど、OFWも似たような批判を岩井にしていた。
貨幣の起源を問うと、序盤で書いてるけど、問う気なんて最初からないじゃないかって。
874 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 19:43:02 0
しろうとは、「工学化」についてはどう考えるの?
前半はしろうとが引っ張ってくれたけど、
後半はややぴか平に軍配が上がるかな、このスレ。
ぴかの東理解-批判は東のパースペクティブ含めて
まるごとやってるからメタ批評になっているけど、
しろうとは東がなぜ単数的超越論性まで後退していったか、
その力動的な部分の説明まで達してないため自己語りという難癖を
つけられたのが惜しい。まあ単に手数(書き込み数)の問題かな。
でも面白かったです。二人ともありがとう。
いちいち指摘しないがぴか〜の言うことは間違いだらけなので
決して真に受けてはならない。
小共同体・セカイ系・決断主義の三すくみが
市民の図式だと思うんだけど、じゃ自分はどうか。
昔、マルチチュードとアスペクトの話をしてたんですけど、
大きな物語と大きな共同体は、流動的なものとして捉え直す、
人間的なものは遍在している、というスタンスを取ります。
どういうことかというと、貨幣に実体がないように、実は、
(規則の)共同体には実体がないということを踏まえて、
移動的で横断的な大きい共同体を構想します。
宮台は多様性と流動性を区別して、現代は前者を
尊重しているように見えて、実は後者の資本の論理で
前者の共同体を破壊する、という話をするんだけど、
その一番の弱点に見える流動性において、柄谷的な
労働運動から消費運動への反転がないとダメだと思う。
動物化論ってある意味素朴な疎外論で、人間と人間の
関係がモノとモノの関係に外在化しちゃったよね、だから
動物だけど、資本主義の時代の流れだ、みたいな話です。
だけど、むしろ自分はモノによって人間化すると考えます。
貨幣が常に実体を乗り換えていくように、人間の人間性も
その場その場のモノの関係を乗り換える移動でしか示せない。
結局、複数的超越論性の話なんですが、具体的に何かといえば、
東が情報自由論で言うような環境管理の抑圧ですら、反転して
共同体を組織するテコになりうると考えています。一読者としては、
ギートステイトもそういう方向で進んだら面白いなと思います。
「演奏」の論理の延長で、情報が管理されている前提の元で、
偽の情報で共同体が組織される、みたいなのを考えてます。
ひさびさに来たのにあずまんって、まだ人気あるのかい。不思議だ。
ものすごい古い話題だが上の方の唐沢へのリンクで
動ポモ2を唐沢が褒めたとあったので、興味をそそられて調べてみたら
べ つ に ほ め て な か っ た
879 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 20:03:49 0
だって動ポモ1ってテクノ系からの反響が大きかったらしいじゃない。そこからもうすでに、ズレちゃってるわけよ。
ふと思ったが、ぴかーの言う、リベラリズムが動物管理化を推進するアイロニーって
(まあ本当はアイロニーでも何でもないんだけど)、「近代の徹底化によるポストモダン」という
テーゼへのアイロニカルな反証というか、事実提示になってるな。浅田の問題意識に東は
それこそ身を呈してポモの現実を見せてやったということか。
ま、浅田はアノミー全開なリベラリティをモダンとは認めないだろうけど。
882 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 20:08:04 0
>>877 >だけど、むしろ自分はモノによって人間化すると考えます。
>貨幣が常に実体を乗り換えていくように、人間の人間性も
>その場その場のモノの関係を乗り換える移動でしか示せない。
しろうとがこれいっちゃ誰が東擁護するんだよw
ぴかぁのレスに一々ツッコミ入れてたらそれだけでスレが埋まっちまうぞ
>>877 >動物化論ってある意味素朴な疎外論
この場合の「動物化」は誰の定義?
既出ではハイデガー、コジェーブ、デリダ、ラカン、東、あと大杉か。
それから
>>865 >>874はカレーにスルーする?
別に構わないけどさ。
あーおれもしろうとにそれ聞きたい。ぴかーに対抗するってわけじゃないけどさ。
しろうと贔屓としてはね。
886 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 20:31:30 0
>>877からしろうとも、波平派入ったことは明らかだな。
東派 東、ひろゆき
波平派 波平、宮台、大澤、北田、しろうと
>>865 焦点は動物の話になりますが、
東は最初、「想像界の短絡路」として
動物を位置付けていて、そこに運動や生成の可能性もあるのに、
欲望の次元がない環境と調和した動物、というコジェーブを経て、
今ではメタか動物かのほぼ二択になってしまった。
その図式はやはり貧しいとは思います。
>>874 工学化と人間性はゼロサムではなくて、
むしろ新しい人間性の条件だと考えます。
例えばいまTVで「太田総理」とやらが選挙後の連立政権が云々
とか言っていたけれど、まだニコ動の外山の発言の方が面白い。
それで、政党や政治家に入れる動機がない、
政策に対して票を入れる仕組があればいい、
という東のアイディアがあって、これは自分も賛同しますが、
それも工学化(電子投票とか)によって可能になるわけだし、
国会での言語ゲームが人間的(で良い)とは思わないので、
政策という細部に注目した流動的共同体に可能性をみます。
>>884 >この場合の「動物化」は
(段々ラフに使うようになった)東の用法です。
今の世の中どうなってるか大きな枠組で考えようよ、
という提案は賛成するけど、動物化しちゃってるという
現実を(同世代のスノッブな連中は)分かってない!
という批判はあんまり共感できない、といったところです。
大きな枠組を提供するなら、私怨は禁欲すべきだと思う。
"新しい"人間性ね。
まぁその理路だとそう言うしかないわな。
>>887 >今ではメタか動物かのほぼ二択になってしまった。
この主語は誰ですか?東?大杉?
>この場合の「動物化」は
>(段々ラフに使うようになった)東の用法です。
>>804にあるように「動物」の定義の混乱は避けたいので、できれば具体的に願います。
>>889 んーそう言うしかないから言ってるのではなくて、なんというか…。
『資本論』とか本当は難解で分からないけどアジってみるのが、
大きな物語で人間だけど今は動物、という構図は何か違うと思う。
例えば、昔は人間的な共同体(ゲマインシャフト)があったけど、
今は形式化している(ゲゼルシャフト)、というのは幻想だと思う。
例えば、昔は子供をたくさん産んだけど、「子宝」というのは
極めて即物的な意味であって、産み過ぎれば間引きするし
労働力として売った(奉公に出したり)わけで、非人間的です。
いま少子化してるのは、子供の労働を禁じる一方で高学歴化し、
しかも高学歴なら終身雇用されるとも限らないという状況だからで、
人間的な権利を保証する義務が重くなっているからだと考えます。
だから、動物化する(=人間性が貧しくなる)というよりもむしろ、
人間化が加速して内破している状況だと捉えます。やたら条例を
増やしたり監視カメラをつけるのも、人間性(権利性)の過剰です。
>>890 メタと動物の二択は東。自分からすると、東のいう動物化は
むしろ人間性の条件にすら思えます。想像界の短絡路は
例えばフロイト的な失言や機知、更にはラカンのシニフィアン連鎖に
繋がって、今の萌えDBとかはその無意識を外在化したモノでしょう。
東の言う社会の工学化と人間の動物化の対は、昔からあるSFの
機械が発達して人間が家畜化されちゃうよ、みたいな図式に思えます。
確かにその危うさは必ず伴うけれど、機械と人間はゼロサムではなくて、
機械が人間性の条件を変えていくのだと思います。テクノやCGやゲーム
なら動物、では単純だし、そもそも小説も昔は下らないものだと思われていた。
>>886 おまえがその話題を先に書いただけだろが。
しろうと、意気盛ん。
895 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 21:18:48 0
>>894 これが、意気盛んか?
泣いてるのか。なにかあったのか・・・
東批判であると共に、完全にいままでの自己否定じゃないか。
>>892 たとえば
>>877では
>「演奏」の論理の延長で、情報が管理されている前提の元で、
>偽の情報で共同体が組織される、みたいなのを考えてます。
と書かれてますが
>>892では
>東の言う社会の工学化と人間の動物化の対は、昔からあるSFの
>機械が発達して人間が家畜化されちゃうよ、みたいな図式に思えます。
と書かれてます。
また「ギートステイト」は必ずしもユートピアではなくディスピアでもある可能性を東は
言及してるわけで、「しろうと」さんと東の何が対立してるのか、何のことやら、あれぇ?
>やたら条例を増やしたり監視カメラをつけるのも、人間性(権利性)の過剰です。
何となくですが、数学でいう「対偶」を言っていて、論理的には「しろうと」さんと東は
同じこと言ってる気が、あれぇ??
>>895 >東批判であると共に、完全にいままでの自己否定じゃないか。
え?そうなん?
ますます、何のことやら、わけわかめスープ
>>896 なんで。発言が矛盾してますか。
「東の言う社会の工学化と人間の動物化の対」
の図式が抑圧的だから、その間隙を縫うような
自由を考えるため、「演奏の論理」を出したわけです。
また、情報自由論で言う動物の環境管理が基本的に優勢で、
ギートステイトは単なるシミュラークル、の構図ではつまらなく、
むしろせめぎ合うスリリングな関係がいいなと期待したのです。
自分は東の図式を反転・転倒させる戦略を取っているので、
確かに表裏の関係にはありますが、対偶で同値ではないでしょう。
東は動物化(人間性の欠如)で、自分は人間化(人間性の過剰)です。
念のために言うと、上の二つはただの折り返しではなく非対称的です。
東的な人間=メタ化は単一化しますが、自分の人間=オブジェクト化
は複数です。上へ行くと一元化しても、細部に降りる方は際限がない。
ではなぜ際限なく拡散する細部に人間性(超越論性)が宿るのか、
というのは、疎外論の反転で、流動的なモノとモノの関係こそが
人間の条件だと上で言った風に、東とは定義が違うからです。
なんか柄谷っぽいな。
>>898 要するに、家(工学)に暮らす動物にはなりたくないから、
レゴ(楽譜)買ってレゴの家を組み立てましょうってことですかそれ?
>自分は東の図式を反転・転倒させる戦略を取っているので
反転させたものを転倒させたら「対偶」になります。
ただ厳密に論の展開をおったわけでなく、何となくそう思ったというていどです。
>東は動物化(人間性の欠如)で、自分は人間化(人間性の過剰)です。
「波平」さんの
>>739の「動物化=欲望の高速化」と「しろうと」さんの
>>892の
「動物化する(=人間性が貧しくなる)というよりもむしろ、 人間化が加速して
内破している状況だと捉えます」は同じことを言ってるようにも見えてくる。
まあそれ言ったら「波平」さんの反感くらいそうだけど。
象徴界(人間)、想像界(動物)、現実界(石)の分類を用いれば「オブジェクト化」
とは「石」(現実界)のことなのでしょうか?
とは言え、アタマが混乱してきたので今日はオチます。顔洗って出直します。
m(_ _)m
柄谷で言えば、郵便本は『探求I』のモチーフを継承していて、
内省=遡行の図式から他者との関係に移行すべきだという。
ところが、動物本ではいつの間にか他者不在だから動物だ、
という図式になってしまった。他者は複数体系が条件で、
東の動物は、柄谷的な(否定神学的でない)他者だと思う。
ところがここで、他者との直面を回避する信用の体系が
東のデータベースに相当し、書く-読む(教える-学ぶ、売る-買う、など)
という関係の「命がけの跳躍」を抹消する装置として働きます。
東は作家性をデータベースの領域に移して、工学で根拠付けます。
確かにオタク文化ではDBの約束事の共有が強いですが、
むしろその信用の過剰が作品性を産んでいると思う。
例えばグレンラガンの作画崩壊とか、東には動物的な欲求不満に
見えるかもしれないけど、自分には作品への信用が強すぎるために、
またキャラへの転移が強い(こんなカミナじゃない)から起こっていると思う。
ついでに言うと、ラガンもガイナックスなんだけど、エヴァ的不信に対して、
「お前を信じる俺を信じろ」という、ネットワーク的転移関係を出してくる
あたりが面白いと思います。まあ深読みでもありますけど。
人間性のあるなし度合いで動物か人間かが決まるってことなのに、
その人間性の定義があやふやすぎじゃないかお二人とも。
だから
>>890で「「動物」の定義の混乱は避けたいので」と書おた。
「しろうと」さんのおっしゃる「人間化」は別に「動物化」と呼んでも何ら変わらない気が
します。
でも、もうアタマがダメ。修行してきやす。m(_ _)m
904 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 22:07:03 0
どっちが言ってたたか忘れたが、ゼロサムゲームではない。度合いではない。
あえていうなら、度合いのように見える/図式にはまっているのが東。
906 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 22:10:15 0
たしかにしろうとは「人間」のさわっているからよくわからんな。
人間/動物では、人間が基準として固定されているから、
議論として成り立つが、
>東的な人間=メタ化は単一化しますが、自分の人間=オブジェクト化
>は複数です。上へ行くと一元化しても、細部に降りる方は際限がない。
人間までさわると、よくわからんな。
オブジェクト化、複数って何?精神病?
東の「動物」じたいが変わっていってるから名。注釈無しで。
いまの「動物」なんて、ほんとただの動物に近い言い方。
複数ってのはあれ、阿部ちゃんの「IP]の話。
おいおい韓国語版がでたよ。
韓流終わってるのに・・・
>>900 >レゴ(楽譜)買ってレゴの家を組み立てましょう
その喩えだと、レゴブロックの組み立てにも作家性・作品性を
見出していくのが自分で、設計図に還元して考えるのが東。
少し脱線。VIPで内藤(ブーンのAA)のレゴとかあったけど、
素朴な疑問として、DBはいくつになるんでしょうかね。
VIP・AA・レゴ…『動ポモ』の図だと複数あるようだけど、
情報自由論の一元管理と違って、DB自体が無数に
あるんだったら、誤配が起きてもよさそうなものです。
DBのDB、メタDBはないし、作っても際限がないでしょう。
ちなみに、XMLは論理形式の規約で、意味は還元し尽くせません。
「日本語には文法があるから作家性は不可能」はありえない。
>反転させたものを転倒させたら「対偶」になります。
>何となくそう思ったというていどです。
(;´Д`) 論理的じゃなくて連想的に読んでるんですか。
>象徴界(人間)、想像界(動物)、現実界(石)の分類
間違っているわけではないけど、誤解を招いていそうですね…。
三界の区分は位相的区分で、人間でも言語の特に表現形式は
象徴界に属し、言語の意味(論)や、顔など身体的イメージは想像界、
生殖など象徴界に還元できないモノが現実界に現れます。
それで「オブジェクト化」は私独自の言葉なので別の話ですが、
想像的OBJ・象徴的OBJ・現実的OBJと全部考えています。
912 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 22:28:14 0
NEET STAY
そういえば嫌韓流の話を今日HNKでやってたぞ。。あれは読んでないが。
914 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 22:29:59 0
>>910 韓国人には日本のアニメ好きが多いんだよ。
宮崎アニメの話を延々聞かされたことがある。
>>836 ぴかぁの議論に付き合って時間をムダにするつもりはないけど、
哲板もこのスレもゆとり化したので、見本として書いておきます。
>人間が動物化しているのではなく、人間はそもそも人間であり、動物である、ということです。
「人間は人間だけど動物でもあるよね」みたいな常識的な話は、大昔からあって、
ヘーゲルもラカンも分かっているし、デリダはそんなことを言いたいわけではない。
特に、動物を人間に構成するのは何か、ということをラカンは考え抜いていた。
鏡像段階とか、移行対象をアレンジした対象aとか、そういうモチーフ群もそう。
しかし、(構造主義的に読まれる)ラカンは、言語=象徴界の普遍性と単一性を
前提にしており、デリダは言語の物質的な条件=エクリチュールによって批判する。
デリダの動物は、想像界の(短絡的)通路で生じ、人間中心主義を脱却するもの。
これがデリダの脱構築、否定神学批判のモチーフで、人間の条件の位置づけの話。
ラカンにとって人間性を保証する言語の場所においても、
動物的なものが欲動の流れの中で回帰し、更に他者も混入するという、
動ポモ以降の東が言う、神経的主体=動物とは全く異なる話。
>>844などは勝手な連想ゲームを繰り広げていてもはや意味不明。
昔からそうだけど、難しいことは分からないけど難しいことを言いたい、
思考は単純だが表現を複雑にして、深遠さを装う思想的詐欺の典型。
>>846 >
>>836 >分かりやすい!感動した。
とか書いているのを見て危うさを感じますが、鵜呑みにしないでください。
更に言えば、私の説明も簡略で乱暴なので、鵜呑みにしないでください。
>>915 ぴかぁよりもしろうとの方がわかりにくいんだけど。
特に、動物を人間に構成するのは何か、ということをラカンは考え抜いていた。
鏡像段階とか、移行対象をアレンジした対象aとか、そういうモチーフ群もそう。
しかし、(構造主義的に読まれる)ラカンは、言語=象徴界の普遍性と単一性を
前提にしており、デリダは言語の物質的な条件=エクリチュールによって批判する。
デリダの動物は、想像界の(短絡的)通路で生じ、人間中心主義を脱却するもの。
これがデリダの脱構築、否定神学批判のモチーフで、人間の条件の位置づけの話。
ラカンにとって人間性を保証する言語の場所においても、
動物的なものが欲動の流れの中で回帰し、更に他者も混入するという、
動ポモ以降の東が言う、神経的主体=動物とは全く異なる話。
意味不明。
>>916 ぴかぁが分かるというのは、元の話が分かっていないということです。
予備知識がなければ分かりにくいというなら、それは仕方ない。
一から説明したら一つの単語にスレ一個使ってしまうでしょう。
918 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 23:46:50 O
俺にはしろうとの言うことは手にとるように分かるよ。
初期東の著作と関連文献をある程度読んでいれば明快この上ない。
それに引換え、波平のはどうしようもないデタラメ。
こいつは概念の関係性が全くわかってないんだよね。
郵便本を読んでればこれでもわかりそうなものだけど、単に文章が
わかり辛いんでは。人間中心主義でないと先に出て、人間の条件の
位置づけの話というところにつながったり。もちろん読んでればすぐに
わかるはずだけど。
920 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 23:54:59 0
., , メ-‐'" _"',| .、、._,i.""│._、
._,,,/`,イ―'' ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
.,,,-,i´,―--―''" 、、,!冖'"`、_、,,,/'゚,,."゙l-‐''
_,,,,,,,,,,,,,、 _,,,,,--''"`'",/゙ 、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、
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`''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"° `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、
`゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃 " /^゚"'广 ,/ .,/゙゙゙'''ヶ―''''″ `
`゙^""""''"'" ` ′ ′ ."
動ポモ1.2しか読んでいない私にはコジェーヴの動物概念しかわかりませんまじでw
だから大杉がデリダとか持ち出しといてコジェーヴに触れてないのは本当に意味がわかりません
922 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:07:06 0
>>916 ここでしろうとがいっているのは、ボクがいっていることと
だいたいにおいて同じでよいと思うよ。
ただ相変わらずしろうとのラカン理解が東を経由しているためか、意味不明。
>ラカンにとって人間性を保証する言語の場所においても、
>動物的なものが欲動の流れの中で回帰し、更に他者も混入するという、
>動ポモ以降の東が言う、神経的主体=動物とは全く異なる話。
この当たりは意味不明だな。
デリダ、ラカンで繋ぐならば、否定神学で繋ぐのが一番わかりやすい。
なぜならハイデガーで繋ぐことになるから。
しろうとは、ラカンの現実界は、欲動、生殖という物質的なもので考えてる
ようだが、簡単には、ハイデガーの「ないことである」から来ているという、こと。
実際、この当たりが一般的なラカン理解のむずかしさだと思うんだけど。
でもラカン理解できないとポモを語るときは致命的なんだよね。
>東的な人間=メタ化は単一化しますが、自分の人間=オブジェクト化
>は複数です。上へ行くと一元化しても、細部に降りる方は際限がない。
さっきも聞いたんだけど、人間の複数か?って、これも
ラカン理解不足から来るトンデモないかな。
923 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:10:29 0
>>918 ほんとかよ。じゃあ、しろうとのいう人間の複数について
説明してくれよw
925 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:16:57 0
>「人間は人間だけど動物でもあるよね」みたいな常識的な話は、大昔からあって、
>ヘーゲルもラカンも分かっているし、デリダはそんなことを言いたいわけではない。
これも半分ネタというか、なんくせというか、
何度も人間/動物は形而上学的二項対立っていっているのに、
まるでボクが生物学の話をしているような言い方だなw
ぴかぁは放置で、あと一つだけ。
今日の話で市民(宇野)については、
デスノのギアスの決断主義の話は、
凄く分かりやすいし、セカイ系に飽きた層に
魅力的な提示をしているなと、実は思ってました。
メタな皮肉も多いけど、コピーの提示は上手い。
もちろん、本当はそこに粗雑な面があって、
偽日記でも、人間関係だけが複雑化するけど
パッチワークの継ぎ接ぎなので終盤破綻しそう、
みたいな予言(放映直後でないのが惜しい)をしてて、
こっちの感想の方が細部を見ていると思いました。
でもやっぱり市民の図式の方がキャッチーだと思う。
連載の新共同体の話も含め、はてなでも小流行してるし。
目立つ切り口としてはとても上手くて参考になります。
928 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:27:22 0
動物化は、ポモの文脈で語られる必要があるわけだよ。
これが生物学ではないことが大前提ね。
この文脈とは、ポスト構造主義が、ラカン的人間を越えることを
基本にしていること。
だから東の動物化もこの流れで語られる必要があるんだけど、
東が、工学化との絡みの中で、生物学的なところに混ぜるような
ところがある。たとえば神経系がどうとか。
だから斉藤でも、北田でも良いが、東の動物化批判には、
どうしても「おいおいポモの文脈を無視するなよ」というニュアンスが
いつもある。あるいみ東は自由人だからね。
広く考えると、現実を語るときには、確かにポモの文脈にこだわる
必要などないんだけど。
それを言っちゃうと、この言語ゲームがなりたたないわけでさ。
しろうとも同じように、文脈を無視しているところがあるように思う。
だからだれも言っていることが、わからないw
ぴかぁはブログで自分以下の無知相手に管を巻く分にはボロ出ないんだから、わざわざ
哲板に出張してくることないぜw
930 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:36:26 0
931 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:41:06 0
いまだに、「ないことである」現実界という否定神学
この超越論的を複数化するという、「郵便本」の理屈が良くわからないんだよな。
現実界は作用であって、数えられるものではないと思うんだけど。
むしろ作用だから強度だと思うんだよ。
郵便的、幽霊は、強く収束することをズラして強度を弱めるようなことでないの?
コジェーヴの動物が生物学的な動物と同じ意味としか思えないから。w
>>931 そうやって、素直に分からないことを質問していけばよろしい。
知ってる範囲のバラバラな知識のデタラメなパッチワークに基づいての自信満々な断言・放言は、
同程度以下に無知かつ無恥な読者以外からは失笑しか買わない。
ま、
そいうことを過去哲板で散々に散々に散々に散々に繰り返した挙句に今のスルー推奨コテに
成り下がったわけなんだけどね。
934 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 01:01:22 0
冷やかし荒らしが来ているようなの、最後に。
たとえばジジェクは、同じようなことばかり書いていると良く言われるけど、
ラカンのジレンマに入り込むと、あまりの強力さに抜け出せない。
ボクもそうで、実は同じようなことばっかりいってる。
その意味では、北田、宮台、特に大澤とか、柄谷もそうかも。
実は結局みんな同じ事言っていよね。否定神学。
ポモ経由すると、多かれ少なかれ、ラカンのジレンマに囚われる。
現代思想って、結局ここから抜け道を探すことなんじゃないかと思う。
そんな中で、東だけが囚われていないように見える。
なんで、人は動物化して充足できると、平気でいえるの?
越えてはいけない線越えてる気がする。
それを許しているのが、科学的な言説だよね。
工学化、オタクの心理分析など、
ほら実際に動物化しているだろうということで、許されているような・・・
破壊者として新しいといえば新しいが、浮いちゃうんじゃないかな
オタクの心理分析?w
そんなのがあるかどうかは知らんが、工学化に対抗できるモノがないだけ
工学化を脱構築してくださいと言いたい
ラカンを絶対視するか否かでは違うけど、
結論の部分では同じことを言ってる。
スレのあまりのゆとりっぷりに、あやうくしろうと擁護のレスを
書きかけるとこだった。このスレを2000年頃から読んでいる
身として、まさかそんな日がくるとは思いもよらなかったよ。
(
>>915が意味不明ってなんだよ)
しろうとも外野の野次を気にしないで、いつも通り持論を
展開していったらいいと思う。
ぴかはデタラメばかりだが、ときおりおもしろい発言を
することもある。例えば以下。
>ポモ経由すると、多かれ少なかれ、ラカンのジレンマに囚われる。
>現代思想って、結局ここから抜け道を探すことなんじゃないかと思う。
>そんな中で、東だけが囚われていないように見える。
確かに現在の東はラカンの人間観(=ドイツ観念論の強度)に
縛られていない。動物化のモチーフ(アディクション等)を見つけて
斎藤環と対談を始めた頃(不過視なものの世界だっけ?)は
まだ常にそれを視野に入れて発言していた気がする。
それはおそらく、大学内部での人文科学の権威失墜によるところが
大きいんじゃないかな。実際に21世紀の大学ではドイツ哲学のような
教養が軽視されているからねえ。国際教養みたいなことをうたってる
学部も(時間差でまだ開校していたりするものの)すでにブームを
過ぎた感があるし。
938 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 01:50:45 0
>>937 残念ながら、トンチンカン。
要するに、東チルドレンには、どこまでいっても
ラカンのジレンマはわかんないだろうな。
結局、ポモの文脈を超越して生きているからなあ。
ヒガシオタクポモという、独自の文脈だよ。ってこと。
さっさとラカンなんか抜け出せよ(笑)
抜けようとしても抜け出せないことに安心してる
それは終わらない日常
それはry
>>937 >スレのあまりのゆとりっぷり
郵便本の読者はスレから消えて(だいぶ年が経つし)、
動物本の読者の方が増えたというのもあるでしょう。
原著を理解した上でぴかぁを支持する人を見たことがない!
悪いけど、文脈を一から説明してぴかぁの文を添削するのは
何年も前からやっているんで、もういい加減繰り返したくない。
ぴかぁ派はみな口を揃えて「デリダ(ラカン・ジジェク…)は
分からないけど、ぴかぁは分かりやすい」と言うんですが、
誤読で理解した気になるより、分からない方がましです。
字面から連想するだけの相手と議論するのはナンセンスです。
郵便本ですらデリダの本の一つの演奏・変奏で、
それが唯一の読みというわけではないのでしょう。
だから別に自分が理解してるとは全く思わないけど、
(むしろ自分の読みを鵜呑みにされる方が気になる)
ぴかぁが誤読してる位のことは分かります。
東自身が離れてしまったんだから仕方がない。
無駄な抵抗だとは思うけど、離れる気持ちはわからないでもないし。
ぴかぁを支持する人は、ぴかぁの誤読を指摘できない。
ある程度理解している人は、自分の誤読を指摘できる。
理解している人は、ぴかぁの誤読は面倒で指摘しない。
勝手読みというレベルじゃなくて、連想ゲームに近い。
ぴかぁは、意味がよく分からない単語でも、
字面から連想した発想を、自分でもよく
分からないまま書いて、それを思想だと
言い張る権利があると思っている。
しかもそれをもって他人を批判したり、
「わしは〜を超えた!」と威張ったりする。
人文系で誰でも書ける環境だと、
こういう隙が生まれるという教訓。
昔の哲板だと、うかつに書けば「それは違う」みたいな
指摘がすぐ飛んできて、切磋琢磨の余地があったけど、
ゆとり化した今ではぴかぁの誤読も受け入れてしまう。
理論書に興味がなくなったわけではないけれど、
ディシプリンの身近な環境がなくなったので、
弛緩した面はあります。自分が言いっぱなし
できてしまう状況自体あんまり良くないと思う。
>>943 面白い試みだと思います。
電子投票は直接民主制を物理的に可能にするけど
「直接民主制は衆愚政治になる」みたいなことを必ず言われて、
でも例えば納税時に(その職業の分野の)使い道を決められる、
とかなら、各自その道のプロなので衆愚にはならないと思う。
945 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 08:35:06 0
もうしばらく前からしろうとは人格攻撃しかできなくなった
さびしいががこれが現実・・・
しろうととぴかの罵りあいもどこか懐かしい。
こうやって時間が過ぎてゆくんだ。
あるいは時間がまったく流れない。
それはビューティフル・ドリーム。
僕たちが住んでいるのは、こんなスレですよ。
947 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 09:37:58 0
ってか、ポモ後継の現代思想の見取り図、立ち位置を
わかりやすく図式的に示しているだけなんだけど。
東チルドレンも位置づけして、世界観を広げてもらおうと・・・
だから細部をごちゃごちゃ言うほどのものでもない。
しろうとはこの見取り図がわかっていないだけ
しろうとの原著って郵便本だろw
しろうとレベル低すぎ!
どうみてもぴかぁがズレてるwwwwww
そりゃ8年もスレに粘着していれば、
すべては、いつか見た風景」にしかならないでしょう、
お爺ちゃん。
次スレたてろ糞ども
お爺ちゃんは癇癪もち
【粘着爺さんと】東浩紀スレッド゙78【懲りない面々】
ポエマーさん、2000年頃からもう居たの。すげえwww
7年も8年もなにやってたんだろ・。
アサマシエイトの自宅監視員
見事なスレスト・・・。
【桃栗3年】東浩紀スレッド78【ポエマー7年】
8年じゃないの!?
960 :
950:2007/07/07(土) 19:07:17 0
ちょwww勝手に立てないでwwww
【僕たちのあずまんは】東浩紀スレッド78【こんな東ですよ。】
【いつか見た】東浩紀スレッド78【デじゃブ】
存在論的〜の東 忘れたれた存在
動物化1・2〜の東 賛否両論の存在
情報自由論の東 SFな存在
>>935 >工学化を脱構築してくださいと言いたい
>>507 >工学は無意味でドライでさばさばしたものだよ。言い方を変えればとても開放的。
工学は脱構築できません。
×工学は脱構築できません。
○工学化は脱構築できる。
>>911 これが「しろうと」の散逸構造か。w
自らを実験台にしてるところが柄谷っぽいかもねぇ
967 :
考える名無しさん:2007/07/08(日) 00:33:19 0
ぽむぽむ
>>853 http://www.youtube.com/watch?v=srifzwHNL7o 揺れる想い 体中じゅう感じて
君と歩き続けたい In your dream
夏が忍び足で 近づくよ
きらめく波が 砂浜潤して
こだわってた周囲(まわり)をすべて捨てて
今 あなたに決めたの
こんな自分に合う人はもう
いないと半分あきらめてた
揺れる想い 体中じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
青く澄んだあの空のような
君と歩き続けたい In your dream
・゚・(⊃д`゚。)・゚・
>>951みたいな無駄に口の汚いレスを見ると「ああ、2chだなぁ」と安心してしまう。
しろうとがコテつけてこのスレに頻出するようになる前から東スレにいるわけだし。
いやぁ、2ch愛してんなあ、俺。
東のことを知ったのも10年位前になるわけか。
年取ったよなあ。
>>970 さあ、いつだろうねえ。わかんない。
俺がちゃねらになったのは東が「広告」に連載を持っていた時なんだよね。
ネオ麦以降(今の人はネオ麦知らないか)。
だからもっと古い人はまだまだいると思うよ。
俺が2chはじめた時、ほぼ同時に哲学板には行ったと思うけれど、
俺が来た時にはなんスレ目だったんだろうな・・・・・・。覚えてねえや。
ただ少なくとも、今よりずっと話は堅かった。
オタネタ振りづらかったもの。当時もオタネタはあったけれどね。
でも今よりずっと哲板っぽかったよ。
ま、他のスレに比べれば当時だって東スレはオタク臭くて、哲板から出てけよみたいな感じだったが。
>>971 「ネオ麦」知りません。あちゃぁ。
オタネタ振りづらかったんですか、想像できませんよ。
このスレも半分は「ひぐらし」ネタですし・・「哲学」と「オタク」を繋いだのが東浩紀なのかも知れませんね。
オタク抜きに哲学は語れない!なんてことはないはずなのに、それが(少なくともこのスレでは)当たり前
になっている今日このごろ。
社会学・哲学関係にはエヴァ厨しかいないんだよw
>>971-972の為に過去ログ漁ろうとして、
makiko.toが消えたから"過去ログをスレタイで検索"ももう出来なくなった事に気づいた。
初期の東スレは"そのデリダ解釈は正統派じゃない"とか
あんた仏語どんだけ出来んのよ?的な語学力へのツッコミとか
仏蘭西語はじゅて〜むしか知らないよん。相当ハイレベルだったんすね。
逆に言うとそれだけ「哲学」に確信が持てた時代がうらやましいかな?嫉妬。
「しろうと」さんの何とか理論、セックス公開義務化?は過去ログで見て面白そうだなと思いました。
でも今の「しろうと」さんは何言ってるのか分からない。
>972「哲学」と「オタク」
東自身が繋ぎたがったからね。それが「共同体を横につなぐ」実践なんだ
そうだ。誰のせいでもない、東自身のせい。それで彼(東)は何を得たのかは
知らんが。
哲学とオタクと両方から嫌われる結果になってもなおやめない。
「オタク抜きの哲学」は島宇宙なんだそうだ。とにかく誰の
せいでもない。
オタク側は、東批評や批評空間から得たものは何もない。
哲学側だってそうでしょ?
・・・ワレオタがアレなのは即わかりそうなもんだが、
なぜ数ヶ月以上、伊藤剛が注目していたのかよくわからない。
同病同士というモノは、お互いはよくわからないものなのか。
「なんのために」その批評を行なうのか、理由も話さないでやり続ける
んだから、困惑するわな、皆。初期のデリダ評と「動ポ」とどうつながるのか
の説明も、ついになかった。
「ポストモダンとはー」の本上まもるもそこはわからんらしい。
推測でしか話せない。
自ら説明しない以上、憶測が憶測をよび、何が正しい読み方かも
わからんよ、東批評は。
この段階で、「オタクは東を誤読してる」とか言われても、どうしようも
ない。
本上まもるにだってわからんのだから。
そういう書き込みには「本上は単なる馬鹿」とでもレスっておけばよい、それでお終いになる。
不毛。
980 :
???:2007/07/08(日) 03:26:48 0
>なぜ数ヶ月以上、伊藤剛が注目していたのかよくわからない。
>同病同士というモノは、お互いはよくわからないものなのか。
なんのことですか??伊藤さんのホームページは見てないのでね。
伊藤さんがボクに注目してた??
ああ。「エヴァンゲリオンを理解できないオタクの代表」、みたいな書き方だったぞ。
ワレオタが「オタク(=ワレ個人)はエヴァやパプリカを見ていろいろ考えたんだ」
なんて自己紹介していたのを、どう思っていたのかな。
ローカルに保存してじっくり読めばよいでしょう。
984 :
???:2007/07/08(日) 03:44:54 0
>981
お答えありがとう(笑)。庵野監督は「典型的なオタク」としてコミュニ
ケーション不全の、対人恐怖のキャラクター・シンジ君を造形して、オタク批判
をしたわけです。
伊藤さんはそんなシンジ君に「これって私!」を見たんですね。
「ボクは80パーセントシンジ君なんです」と唐沢に言ったとか。
ところが、あのオタク像(シンジ君)は、対人関係が苦手なボクから
見ても、過剰なまでに元気のないキャラで、大多数のオタクの「平均像」
からはズレてたと思いますよ。
シンジ君に「これって私」を見ないからといって、オタクでないとは
言えない。
既出だが、ワレっちは東に似ている。そして伊藤にも似てる。
つまりはただ、そういうこと。それだけのこと。
ワレオタもあんまり、典型的なオタクとはいえないね。
エバにのめりこんだ伊藤(や、昔のこのスレなら比ヤング)もそうなんだけど、
オタクとしては規格外な人のほうが「わたしはオタクである」という、
強烈な自己認識を発散するのは、いつも不思議に思いつつ見ていた。
かれらにとっては「あの人はオタクである」と言われる方が、まだマシなのかもしれない。
……「あの人はアレである」と、はっきり言われるよりは「自分はオタクなのだ」という認識に
埋もれていた方が。
>>983 保存しました。m(_ _)m
うは。。100ページ以上ある。
989 :
???:2007/07/08(日) 04:26:38 0
>986
「精神病理」だっつーこと?だけど、心理出身の人間には精神病理への
偏見はないので、仮に伊藤さんがなんらかの病気でも、差別対象には
ならんですよ、ボクの中では。
芸術家ってのは、ゴッホとか精神病的人間が多くて恥ずべきことでは
ないからね、それは。
いや、お前の話をしてるじゃん・・・・・・と言ってもワレには通じない。
芸術家と一緒だからセフセフ理論か。
小学生の言う、「○○君だってやってるもん」理論の派生型である。
東君だってやってるもん
982みたいな糞は本当に死んで欲しい
>951とか>933は割れ以下
933->993
997 :
考える名無しさん:2007/07/08(日) 11:35:07 0
アンカくらいマトモに打てw
うめ
うめ
うめ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。