>>934 >両立するのでは?
はい、そうですね。両立すると思っています。(百尺の竿頭は、歩を進めて初めて竿頭たるw)
ただ、今(このスレで)は、そこへ行く手前の話がなされているわけで・・・。
古人の語録のように、煙に巻くように言い捨てることは簡単です。
また、ある程度仏教の素養がある人との間なら、たいして説明は要りません。
けど、ここはそうではない。室内でもなければ師家の提唱でもない。
(勿論今は、室内でも提唱でも解説はされるわけだが、それでも、
このスレでなされているようなものではない。ここまで煩瑣ではないw)
事細かな、現代社会の語彙・語義に則したところから進んでゆかなければ、
下手するとふざけてると思われるだろうw 誤解・誤読されるリスクの方がはるかに大きいw
(また、ピンポイントで済む所を、一つ一つの用語の解説を逐次・同時にしていかなきゃならない。)
で、結局、屋上屋を架すが如く解説に解説を重ねなければならない。
だったら、最初から(なるべく仏教用語を使わずに)一つ一つ石を積み上げていくように
相手の理解を確認しながら言葉を重ねていっても同じでしょう。(その方が自分の勉強にもなるしw)
最高位氏はともかく、ネコという害獣(w)もいますので・・・w
また何より、ここは仏教スレではないので・・・・。
(もっとも、仏教で用いられる手法は有効だと思うので、
仰るように(仏教という枠を超えて)両立させてゆくことも可能とは思いますが、
そういう西洋哲学(或いは思想)はどんなものがあるんでしょう。歴史的に有名なのは誰?
部分的に、ここは誰某ここは誰某というのは聞くが、シンクロする人は・・どうなんだろう・・?)
>君のように、“確たる客観世界”を「ないと見做して生きる」って言うより、
逆ですよw 私は「あると見做して生きましょう」と言っているのです。
ただ、「縁起という世界観」を把握した上で、「見做している」という自覚をもって、
敢えて見做しで生きてゆく、とでも言えるでしょうか・・w