>>901 >対象の差異(意味)は、・・・・
この( )書きの時点で、論点先取とはならないのだろうか・・?
(と、自分の論点先取部分を棚に上げてツッコんでみるw)
ま、それはともかく、
貴方は「差異」を「意味」である、と言う。
私は、「差異」は「差異」である、と言う。
(意味こそが、感受された後に(主観によって(或いは主観の内に))形成されるものではなかろうか?・・と。)
微妙だが、大きな違いだと思う。
>“確たる客観世界”はあるの?ないの?
我々は、「あると見做して生きてゆく」ほかに術を持たないのでは?
「ないと見做して生きること、ないと見做した場合の日常」がどのようなものとなるか、想像はなかなか困難だ。
(※私は、唯識思想には詳しくないし距離を置いているので、今の所は触れずにおく※)