■スレッド立てるまでもない質問11@哲学板■

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261E2 ◆igyenga13c
>>256 信念体系としての学問
とりあえず物理学を例にしてみます。まずは仮説を立て、その仮説による思考実験をし、仮説から導き出される法則性を確認します。次に現実との符合を観測により確認します。
確認がとれたらその仮説は確実性を増します。そしてその法則により未来を予測し、その予測通りの結果が得られたのであれば、より確実性を増してゆきます。
「(物理学においては)想像された原理から導かれた事柄が経験の示す現象に完全に一致するとき、とくに、その一致が数多くあり、さらに仮説から新しい現象を予見することができて、その現象がじっさいに見いだされたときに、その仮説の真実性はきわめて高くなる」
(ホイヘンスの言葉。「物理学史T」廣重徹著。「新装版物理のABC」福島肇著p.68より孫引き)

或る事象を因果的に説明しようとする際、さまざまな道筋が考えられることでしょう。物理学的対象が存在しこれを物理学的に解明する際には上述した形での解決が一応得られます。
「哲学的に解明する」ということは、言語により思索し言語により表現し、そこに論理が一貫しているということ。検証過程とは、他の批判を受けこれらに耐えていけるだけのものであること。
物理学的対象が存在しないので検証過程及び未来予測が行なえません。耐えて居続けていくことで真実性を増していくしかない。

「信念を持つ」ということは、仮説を立てそれを表明する際、責任を持つ、ということです。相対性理論の実証に日食現象を用いた話は有名ですが、そういう実証試験をしようとする気にさせないといけない。
明らかに「とんでも仮説」が無視されるのは、費用対効果が著しく低いせいでしょう。でも、シュリーマンのようなこと(トロイ発掘)があったりするから面白い。

>>259 「真理」と「真のもの」とは具体的にどうちがうですか?
【どんな質問にもマジレスするスレin哲学板】の方に書いておきました。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1175887027/337