>>874,
>>876:哲学者最高位
>そこで言われる『観念』 の部分が、論理的に超越していますね
申し訳ないが意味不明だ。私の論が破綻しているという指摘をされているように
受け取れるのだが、「論理的に超越している」というのは、
何か先駆的な議論を私が展開していることを批判したいという趣旨なのだろうか?
具体的に私のレスの中のどの文章が問題なのか引用してもらいたい。
漠然と「観念の部分」と言われてもどういう問題なのか把握できない。
>「紙に書かれた内容」という意味ではありませんよ
>内容を認識し読み取っている主体が『観念』
>すなわち『自』でしょう
これはバークリーとヒュームの議論と重なる問題のようにも見えるが
趣旨がわかりかねる。
経験から種々の刺激を認識し観念を作り出している主体が
「観念」である、という趣旨で私は読んでしまうのだが、
これではおかしなことになってしまう。
それとも経験や種々の刺激又は認識という概念自体も観念にすぎず
我々はどのような客観にも到達し得ないという自明且つ深刻な
経験と普遍を巡るアポリアの話をしたいのだろうか?
仮にそうであるならば、懐疑論に対して哲学者最高位氏はどのような
対処をされるのかご教授願いたい。