【私】を記述してください。【私の存在性】 2

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>>643
>一方、「実存」という視点に近いところでの「私」というのが何を意味するか、
>というと、私の理解するところでは、上記のような問題意識とは全くかけ離れた
>疑問ではないかと思われます。「私」と「世界」がどんな関係にあろうと、
>「私」を生み出しているのが「神」だろうと「絶対精神」だろうと「統覚」だろうと
>「物自体」だろうと「物質」だろうと「霊魂」だろうと「生物としての人間」だろうと
>「生産関係」だろうと、その疑問にとっては何ら問題ではありません。

〈「私」の定義〉という言い方を見て思ったが、そのように「定義」することが
できないのが「実存」だと思う。
「私とは、○○○のことである」といくら定義(本質規定)したところで、
それは「ほんとうの私」からはズレている。なぜなら「私は○○○である」と
言っている私、言いつつある私の方が「ほんとうの私」(実存)だから。
普遍的な概念の中に含まれている自分を見ている自分、それはもはや
その中には含まれていない。
つまり実存はいつも答える側にあって、答えられる側にはないものであって、
それは客観的には扱われえない。

「私」と「世界」との関係については、昨日もちょっと書いたけれど、
デカルト〜カントにおいて決定的に確立された主・客対立を乗り越えようとすることが
現代の哲学の課題の一つだったと思う。
ハイデガーとニーチェがともにソクラテス以前の哲学や東洋思想に共感したのも
そういうことだと思う。
彼らは、人間が世界の「外」に立って世界を「対象化」することによっては、
世界は顕わにならないと考えた。