>>326 理由は
>>308に尽きるでしょう。
もっとも、この場合の「世界」は、一般的に言われる「(空間を有する)世界」でなく、
あくまで、「その人に知られた、知覚された世界」ということ。
たとえて言えば、
外界そのままでなく、間に一枚フィルターがあり、そのフィルターに映っているもの、とでもなりましょうか・・。
そして、この考え方の極限は、「人は、そのフィルターの向こう側を知ることはできない」という、
大きな断絶を抱え込むこととなります。外界というもの自体が懐疑の対象となります。
大胆に言えば、自分が水槽の中の脳なのか肉体を持っているのか、ロボットなのか、判らないということです。
類推によって「おそらくこうであろう」と推定するしかありません。
ですから、類推によって「私と同じように、田中さんにも鈴木さんにも、それぞれを中心とした世界があるであろう」
と想定するのです。
とまあ、偉そうに書いてきましたが、(参考にはなってますが)私のスタンスではないので、
まさに、想像・憶測でw述べてきました。
あってるかどうかは、詳しい人の降臨をお待ちください。 m(_ _)m