『哲学』から『哲楽』へ
知者(ソフィスト)を超えるために哲学(フィロソフィア)が構築された。だがしかし、『知を愛す
る』というレベルにまでは高められず、言わば『知を恋する』レベルで終わっていた。知を理
想化し、偶像化し祭り上げてしまっただけ。
僕は『知を楽しむ』ことにより、初めて『愛する』ことが可能になるのだろう、と思う。ゲームを
楽しむためには、参加者各々が参加者各々の目的意識に応じ、そのゲームに対する愛を
ゲームプレイを通じて表明することで、ようやくその場が成立し得るのだ。
音楽と称しつつ、音学に成り果てているクラシック、音学に向かおうとした/しているジャズ。
これと対比することで、僕の言わんとしている『哲学→哲楽』のイメージも伝わるのではない
か?
悪名高い(笑)2ちゃんねるの哲学板で僕は『哲学は難しすぎる』スレッドを勝手に引き継ぎ、
現在はその後継スレッド『哲学は難しすぎる【2】』を開いた。なぜか? 敷居が高すぎると思
われている哲学の本質を暴くためだ。@「難解なる表現」とはつまり、文法的に未熟なだけで
あり、A「難解なる概念」とはつまり、たどり着きようもない「言葉の意味する内容」の厳密な
一致を果そうとしてあがいた結果であり、概念の先験性という神話を奉じた結果でもあるのだ。
これらを明らかにするため、特にAを証明せんがための手法として、絶えず第3者の目がそ
の時その場にあり、そして第3者の発言介入が全面的に許されている、2ちゃんねるという場
が僕には必要なのだった。
新しいメディアというものは、勃興期において必ず非難の目で見られるものである。小説然り、
新聞然り、映画然り、まんが然り、ビデオ然り。そして性欲やら各種欲望を喚起することでそ
の市場を拡大し、そしてそこに新しい価値を見い出す者達によって普遍化一般化するものな
のである。2ちゃんねるも同様の道を歩むことになるだろう。
『知を楽しむ』ということを具体的に例示しようとする作戦を現在進行中である。自由連想法を
ベースに論理を弄びつつ、しかしそこに壮大なる世界が構築されている、ってなやつね。まあ、
大法螺こいているわけだが(笑)(笑)