西部邁12

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930考える名無しさん:2007/06/03(日) 13:15:29 0
どうでもいいけどいいかげん
「西部に批判的な輩」を「浅田ファン」という一点に収束するのやめない?
端から見てて恥ずかしい
931考える名無しさん:2007/06/03(日) 13:16:42 0
浅田ファン天皇不要論論争をみても、低レベルな意見ほどスレを荒らすものはないな。
932考える名無しさん:2007/06/03(日) 13:19:29 0
>>930
コテハン等付けない、西部を読まない煽りを多分に含んだ低レベルの意見を発する、
こういうやつは「レッテル」を付けられるのはしかたない。

とにもかくにも、意見がつまらなさすぎる。これが問題なんだよ。
933考える名無しさん:2007/06/03(日) 13:49:06 0
>>876
大学入試は総合的に学力が問われるほとんど唯一の機会。
大学入ったら良かれ悪しかれ専門学問に特化しなければならない
(教養課程はあるが、お粗末なもの)。
西部流の総合的知性を手に入れるための準備(あくまで準備)のために、
優秀な総合的基礎学力は必須とは言わないまでも、持っていることが望ましいと思われる。
学力の低いものが教養だの知性だのと言ったところで、行き当たりばったりの思念に終わることが多いしな。

そういう理由で、大学入試偏差値はその人の総合的知性を計る(甚だ不完全ではあるものの)
一つの指標にはなると思う。
934考える名無しさん:2007/06/03(日) 14:12:37 0
それはないんじゃないかな。
例えば、大学入学試の歴史の点がその人の歴史認識の能力を反映するか?
数学の点で数学的思考力が計れるか?
国語の点が言語能力の高低を計る指標になるか?
俺はほとんどならないような気がするなあ。
935考える名無しさん:2007/06/03(日) 14:56:08 0
>>934
その通り
936考える名無しさん:2007/06/03(日) 15:17:03 0
>>934
あくまで「準備」。
歴史の知識なしに歴史解釈もあり得ないわけだから。
勿論大学入試は総合的基礎学力を計る最善の方法ではないが、
今のところこの国にはこれしかない。

あと入試問題の質にもよる。
東大の入試問題は本質的な思考力や言語能力に比較的近い(あくまで「近い」)能力を計れると思う。

本当は大学の教養課程レベルまで含めた総合的学力を計る試験があればいいのだが、残念ながらない。
公務員試験とかが比較的それに近いのかな?
937考える名無しさん:2007/06/03(日) 15:22:04 0
>>930
「浅田ファン」に答えている方(レッテル張りしている方)もこのスレを荒らすのが目的
というか自演
938考える名無しさん:2007/06/03(日) 15:56:17 0
>>936
1割賛成だが、残りは残念ながら無理だな〜
そんな偏差値的世界観を主張の前面に押し出すのはまぁ2年生の4月までだろ。
準備としての大学受験でもね。

どうも納得しきれないな。
とりあえず君の言いたいことは分かるが、君の学問のあり方を聞きたいな。
あなたにとって学問って何ですか?
939考える名無しさん:2007/06/03(日) 17:46:35 0
私にとっての学問というよりも、一般的に学問や広い意味での真理(真・善・美)
というものが、経験からの前提の導出、前提からの命題の演繹、命題を経験的事実
に照らし合わせた検証という作業を経て発展するものであるとすれば、その間に前
提導出のための深い思索(またその手段としての言語能力)、演繹の手段としての
数学や論理学、検証の手段としての統計学が関わらないはずがないのであって、つ
まり基礎学力の充実していない者に学問も真理探究もほとんど不可能だということ
になる。問題は、その学力と大学受験で要請される学力が乖離していることがある
ということでしょう。確かにセンター試験なんかは論外で、こんな試験で高得点取
れようが学問のための準備にすらならない。しかし一方で東大や京大などの入試問
題が優れていることは間違いないわけだ。それでも不十分な点があることは認める
けれども、これほど大規模に国民のある世代の総合的基礎学力を問う機会は大学受
験しかないわけだから、学歴で以てその人の真理探究するための基礎学力の(緩い)
近似値とし、かつ真理のための手段(学力)と真理への接近度合が相関することが多
いのだから、学歴で以て真理への接近度合いの(これまたさらに緩い)近似値とする
ことは強ち不合理ではないと思う。勿論学力や真理の指標は他にも無数に(読書経験、
学術論文、人生経験etc..)あるし、指標としても甚だ不完全であることも認めるし、
しかもせいぜい受験終了後10年くらいしか持たない期限付きの指標に過ぎないこと
も認めるけれども、その規模と公平さからして決して無視はできないものでしょう。
なぜ偏差値や学歴だけ人間評価の基準として殊更除外するのか分からない、と受験を
終えて5年以上経つ私は思うのです。
940考える名無しさん:2007/06/03(日) 18:27:32 0
>>939
>真理(真・善・美)

美や善のどこが真理なん?

941考える名無しさん:2007/06/03(日) 19:15:28 0
西部氏の言葉の用法として、
真理=学問的「真」、宗教的「善」、芸術的「美」
ということ。
942考える名無しさん:2007/06/03(日) 19:37:39 0
> しかもせいぜい受験終了後10年くらいしか持たない期限付きの指標に
> 過ぎないことも認めるけれども、

10年は無理だろ。2〜3年ってところじゃね。
943考える名無しさん:2007/06/03(日) 20:31:46 O
>>929
でしたら国民の半分以上が天皇に愛着を持っている
という発言はどこから来たんですか?
定量的な判断が出来ないなんとなくのイメージで議論してるのでは話になりませんよ?
なぜ国民の半分以上が天皇に愛着を持っていると言えるのか
定量的な判断基準を挙げて下さい。
まぁあなたみたいな感情論者には無理でしょうけどねWWW
944考える名無しさん:2007/06/03(日) 20:39:14 O
>>927
西部は天皇を神と思い込むことを
as〜if(まるで〜かのよう)の理論とか言ってたような。
どこかの哲学者が言ったとか言ってたけど誰だったかな。
945考える名無しさん:2007/06/03(日) 20:43:54 0
>>942
東大と早慶の差は2、3年で埋まる
東大と日大の差は5〜10年で埋まる
東大と高卒はry)



946:2007/06/03(日) 21:19:41 0
久しぶり。
>>939
>5年以上経つ私は思うのです。
人間評価としての学歴、まぁ中には尊大なやつもいるし、控えめすぎて頼りないやつもいるな。
それを差し引いても、まぁ「しっかりしてるなぁ」という意味で学歴が関係している、中卒や高卒に
比べて大卒の方が「しっかりしてる」と思うことはまぁある。
しかし京阪神と関関同立に別に大して大差ないことも、確認しときたいわな。しっかりしとるやつは
大学に関わらずしっかりしとる。だから私にとって「何年通用する」といわれても、ピンとこない。
もちろん他のあなたの意見にはおおよそ賛成ですが。

ところでよく学問・芸術と並列に語られます。こないだ元アリスのチンペーさんのライブに
行ってきたんです。簡潔にいえば、谷村新司がこんな話するんですよ。
「私中国で大学の教授をやってまして、講義があるわけです、いろいろ喋るんです。
自分の紆余曲折のあった過去について延々と喋る。音楽のことなんて喋らなかった。だからついに受講者の
学生が聞いてきたんです。どうして音楽について語らないのか?って。で私言いました。
音楽にとって何が大切か、それは音楽以外のことなんです。」と。

思うに学問もそうなんですね。学問にとって何が大切かって、学問以外の家族や友人という人間関係や
自然に感動する感性やあるいは失敗したときの決断や成功したときの自制心等、そういった
人格形成に多大な影響を与えた蓄積が、学問に「よき」方向を与えるんだと。つまり今の社会に
何が大切(真・善・美)かを真面目にの探求をしはじめる。したがって学問以外が欠落してる人の
お勉強というのは、相手より知識を持ってるだとか、レフェリーつきの論文何本も書いて掲載された
云々、という浅はかな競争というか煩悩に陥りやすく、一言でいえば社会的に無益な研究が
行われがちとなりますね。

学問以外の豊かさが学問を「正しく」取捨選択させる、といいますかね。
西部に説得力があるのは、学問以外のことが豊かだったから、つまり無駄な学説をはじいて確かな学問を
探求できたから彼の学問内容が魅力的なのでしょう。私の学問観はそんなんですね。

こういう基礎的な「精神」論を自覚、あるいは無自覚でも宿している人が高学歴者たちにあればいいんですがね。
947考える名無しさん:2007/06/03(日) 23:01:45 0
彼の誤算は
哲学が商売になると思ったところである
948考える名無しさん:2007/06/03(日) 23:19:42 0
東大京大の入試問題はたしかに面白い。
ただ、あの問題を使って採点する人間の資質によっても「入試の質」が
左右されるから難しいよね。
949考える名無しさん:2007/06/03(日) 23:41:21 0
>>947
なってるじゃん。
西部ぐらい売れてる奴は少ないと思うよ。思想哲学関係では。
950考える名無しさん:2007/06/03(日) 23:53:12 0
彼の誤算は
哲学が商売になると思ったところであり
なってしまったところである
951考える名無しさん:2007/06/03(日) 23:56:14 0
:2006/01/07(土) 11:27:58
カール・R・ポパーの指摘では
われわれは自らの誤りを認めるために真理理念の存在を必要とする

ならば正義もまた
われわれは自らの行いを反省するために正義理念の存在を必要とするのだろう
普遍的な真理が得られないことと同様に、普遍的な善が得られないことに関しては相対主義も反証主義も同じく認めるだろう
相対主義は、普遍的な善の理念を放棄することにより、自らが善であるという独裁的態度に陥ってしまう

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480847154/qid=1124112632/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-4141619-1370726
952考える名無しさん:2007/06/04(月) 00:07:14 0
相対主義の相対は絶対主義である
つまり
すべて相対主義なのだ
953考える名無しさん:2007/06/04(月) 04:11:00 0
>>945
ケツの穴の小さい事言うなよ
東大とハーバードの差とかケンブリッジとの差を
どう埋めるか考えれば?
954考える名無しさん:2007/06/04(月) 04:33:42 O
西部邁死亡したって本当?
955考える名無しさん:2007/06/04(月) 07:46:31 0
天皇論争、反西部の惨敗だったなw
956考える名無しさん:2007/06/04(月) 08:11:03 O
>>955
いや?お前の負けだろW
957考える名無しさん:2007/06/04(月) 09:32:11 0
>>956
必死だなw
958:2007/06/04(月) 11:41:44 0
関岡「アメリカは消費者利益だけを誇張して政策を押し付ける、しかしそれに順応すれば大店法にみられる
     ように地域がシャッター商店街となり商店街の人々の職を失われ、大きな店に行くための道路と車が
     必需となり、商店街を中心としたコミュニティも消え去る。つまり消費中心に社会が崩壊していくわけですが、
     人は消費者としての側面もあるがそれが全てではないんです。」

宮台「それはスローフードとロハスという観点からも読み解けます。アメリカが効率性を重視した規制緩和を唱えようが、
    マクドが建ちならんでも欧州では違う。欧州はそういうジャンクフードに対して文化や家族や会話を抱え込んだ
    スローフードという一連の運動で対抗する。欧州にはそういうコミュニティを守るための反近代という態度がある。
    しかし日本ではスローフードではなく、有機野菜を食べることとして受け止められ、スローフードがロハス化した。
    マクドじゃなくモス、車は光岡自動車のビュートといった調子で、文化や会話、家族が欠落したただひたすら個人個人で
    有機野菜を食べたり、そういう車に乗るというロハス的なるものを志向することになった。
    つまり消費に一元的に還元されてしまった。これが日本人であり、欧州のように反効率主義をムーブメントに押し上げて
    反近代をやってのけるという土着の哲学がないんです、だから関岡さんのいうように簡単にアメリカの消費者利益論に
    ついていってしまうのです。」

959:2007/06/04(月) 11:43:17 0
@「ではどうして欧州人たちには、自分たちの社会は自分で守るんだという、一人ひとりが強かれ弱かれリージョナリストに
  なれるんでしょう。それはやはり「真善美の継承」が大きな要素として作用してませんか?つまり美しい田園風景なり他を
  圧倒する自分たちの文化、そしてすべての根幹である会話など、失われてはいけない絶対的な価値として世代を超えて
  共有されているからいとも簡単に全体的なムーブメントとなる。そう考えたとき、確かに日本にはそういう価値の継承がありませんね。
  風景や文化というのがもう息も絶え絶えですから、継承したくてもできないということですね。したがって絶対の雰囲気を知らない
  日本の子供たちが真善美を志向するどころか勢い相対主義的に陥り拒絶が生まれることも理解できますね。でも欧州人たちの
  失われてはいけない絶対的価値の感覚(志向)を私たちは理解できませんか。つまり天皇です。天皇ならなんとなく理解できますね。
  あるいはこれだけ近代化してる日本での京都での「景観破壊への抵抗」といいますかね(笑)、この京都の抵抗をより強めた形が
  欧州たちの抵抗の感覚なんでしょう。まぁ欧州というもの、文化相対主義をかざしつつも、やはり自分たちの文化には絶対的な自信がある。
  だから抵抗できる、とこういうことではないですか」
960考える名無しさん:2007/06/04(月) 15:06:29 O
今どき真善美なんて言ってる青臭いガキがいるスレッドはここですか?
 
2000年前の話ですけど?
961考える名無しさん:2007/06/04(月) 15:15:13 O
青臭いガキだと言われることを承知で言ってるんだけどね
962考える名無しさん:2007/06/04(月) 15:54:37 0
8 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/05/02(水) 18:04:09
二人とも、広義の左翼。
浅田は、ポスト近代志向。 宮台は、近代見直し志向。
二人とも、他人の知恵を利用するのが上手い。悪く言えばコピペ名人。
独創性は、宮台のが上。
文章力は、浅田の方が上。
行動力は、宮台のが上。
問題のチャート化能力は、引き分け。
思想に関する知識は、浅田が上。
全体的知識量は、宮台のが上。

私は、宮台に軍配を上げたい。
963考える名無しさん:2007/06/04(月) 16:02:06 O
宮台は自称真性保守だぞ?まぁ右翼に腰抜かした揚げ句の建前だが。
964考える名無しさん:2007/06/04(月) 17:46:09 0
>>941
>真理=学問的「真」、宗教的「善」、芸術的「美」

真理=宗教、芸術なん?

ここはいったい「何板」でつかw

965考える名無しさん:2007/06/04(月) 18:06:31 0
>>964
わざわざ学問を抜かした所を見ると
もしかして学問のみによって
真理を探究しようとしてる?
966考える名無しさん:2007/06/04(月) 20:52:42 0
>>964
〜によって真理が規定される、んだよ。

宗教的な真理など存在しないという立場は十分成り立ちうるけど
(宗教的真理のうち、意味のある部分は、倫理的なものに還元できるだろうから)、
宗教的善という言い方で指し示されるものが哲学の対象にならないという考え方は、正しくないよ。

「宗教」と「宗教的」、「芸術」と「芸術的」は別に考えなければいけないよ。

(私は西部氏の考え方に基本的に賛同するわけじゃないですが)

>>963
「・・・建前だが。」って、そこまで分かっててそういう書き方できるなんて、相当に鈍いんだね、君は。
967考える名無しさん:2007/06/04(月) 21:10:38 0
釣りに反応するなお
968考える名無しさん:2007/06/04(月) 21:14:32 0
>>966
「宗教」という言葉の後に「的」という語が付くと
「宗教」の意味は違ってしまうんでしょうか?
969考える名無しさん:2007/06/04(月) 22:17:21 O
>>960
お前は三国人だろ?
三国人は真善美なんて感覚ないからね
金が全てな哀れな能無しだなお前はww
970考える名無しさん:2007/06/04(月) 23:13:50 0
>>960
               _,,..-─.、.._  
            ,.‐´ミミ 彡シ'" ヽ  \、   ノi_
           r      __    レヽ _)`ー′
           / へ↓| レ´    | ア|   _ノ    キ
`‐、.        ├(,,・ )─( ・,,)-'"´( ノ   _) キ”   :
 ⌒ つ  ⊂  │u ヘ".ヽ`ヽ   │   _)  チ   :
    \     │ / │    \ u│  ⊃._)  ガ   キ”
      \    |./  │      ヽ│へヘ/_)  イ   チ
 ヽ.      `` ‐┤   ,‐' ⌒ ヽ   │    _)“ が   ガ
\ i、  │   /│\/     )  │ ‖_)  出   イ
 \i   ‖.| / │⌒`` ‐-- ‐´   │ │ _)  た “  だ
   \ ‖.|/  ゝ           / |   _)  ぞ   :
     \Y| >   \.、 _____ノ /   _).  |   :
       i、\    ト   人入  /  │ _)   |
        i、 \  │\/ヽ_/\/|  │ _) !!
        ヽ   ヽ .│    | |   │ /  )
        │   ヽ│    |│   │/   ⌒)

971考える名無しさん:2007/06/04(月) 23:32:05 O
西部の宗教価値観が不可知論であり
理神教と同じ立場にある事をわかってる奴が
ここのスレにはいない。
 
勉強不足。理神教でググってから来いよ馬鹿ども。
972考える名無しさん:2007/06/04(月) 23:52:37 0
>>971
理神論のこと?
973考える名無しさん:2007/06/05(火) 00:05:44 0
>>971
学問以外が欠落してる人のお勉強というのは、相手より知識を持ってるだとか、レフェリーつきの論文何本も
書いて掲載された云々、という浅はかな競争というか煩悩に陥りやすく、一言でいえば社会的に無益な研究が
行われがちとなりますね。
974考える名無しさん:2007/06/05(火) 01:16:59 0
10年以上前
彼は10兆の国の借金を子孫に回すのはいけない
と言っていた
それが今数百兆・・・
ニヒルになるだろうな
日本て薬中みたいになってしまったんだろうな
975考える名無しさん:2007/06/05(火) 03:14:00 0
>>946
> 学問以外の豊かさが学問を「正しく」取捨選択させる、といいますかね。
> 西部に説得力があるのは、学問以外のことが豊かだったから、つまり無駄な学説をはじいて確かな学問を
> 探求できたから彼の学問内容が魅力的なのでしょう
同感です。
西部氏が、専門人という類型を大衆人の見本として捉えていたその根本には
そのような洞察が、あるいは思いがあったのだとおもわれます。
976考える名無しさん:2007/06/05(火) 10:18:18 0
こんな浅田彰は嫌だ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1130836125/l50
【役割分担】浅田彰と宮台真司【総括】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1178027365/l50

あれ?アキラックススレが落ちてるぞ…
977考える名無しさん:2007/06/05(火) 16:33:31 O
西部は学問以外に何も知らないだろボケ
978考える名無しさん:2007/06/05(火) 19:10:44 0
せいぶが学問だと?

アホーーーーー!
いったいどんな学術的業績を上げたと言ってんだコラw
979考える名無しさん
>>972
そう理神論。不可知論を基本とする理神論はスピノザ的であり言わば左翼的。
 
『人間が超越への愛を抱くことでそこへ到達せんとする活力が生まれる。
それが宗教の存在根拠である』
という西部の宗教観はカントの認識論と同じ理神論。