ニーチェ 八

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1早 ◆yxoSe0qFeA
場違いで非情な棘のある書き込み、特に最後の書き込みなど、本当に申し訳ありませんでした。
自惚れたような飛躍的表現ばかりしかできませんでしたが、恐怖から逃れるために読書と思考を日々必死で努力した結果です。
多くの人にとってはゴミかもしれない、一部の人にとっては害毒(本当にごめんなさい)になったかもしれない、でもとにかく
どうしても!体験告白や自己主張を通じてでも、神話の力を絶叫したかった「少年よ神話になれ!」
これからものを書くことのない、ある青春的人物の、独りよがりの燃焼だっただけです。
恐怖、怠惰、絶望、に陥った時は、とにかく哲学や芸術鑑賞。ニーチェは哲学の起爆剤。
必死の哲学は、生の燃焼。
前スレのゴッホを愛する誠実な方がおっしゃったように、作品だけでなく、
ゴッホの日々努力やニーチェの不断の認識欲は、美しく輝く炎です。

ニーチェ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1057392559/
ニーチェ 二
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1103805487/
ニーチェ 三
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1121174060/
ニーチェ 四
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1125748788/
ニーチェ ゴ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1137290430/
ニーチェ 六
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1157204370/
ニーチェ セ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1172057256/
2考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:19:39
世界も末だな
3考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:23:38
早=心を仕組む君
4考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:32:01
>>3

つまり人を自分に都合よく変えようと企む輩は、
宣伝ばかりして、何も身のあることを語らないということだね。
5考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:35:50
世に言う中二病とかいうやつですか?
芸術家や思想家ってみな中二病だよね。
学者は大人になったふりしてるだけ。
6考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:39:48
ぴか一二代目か
7考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:59:29
何言っていたか殆ど覚えてないが、
哲学について言ってることが、
早自身によく当てはまってると思われるね。
こんな陳腐な指摘にはうんざりする人が多いことだろう。
哲板で起こることも何かループしてきてる。

いざ未開の地へ! たどり着いた早々、ループが始まっている。
いざ未開の地へ! ここにもループが・・
いざ未開の地へ・・ルルルルル♪
未開の地への希望と絶望のループは生まれた当初から始まっていたねのだ。

ループがあって初めて経験が生き、知性が生きる。
こうした巡回、循環が生の基盤であり、そこに安定と安楽がある。
8考える名無しさん:2007/04/13(金) 20:04:59
ぴかーは宣伝してるけど、哲学的なこともよく述べていた様に思う。
早や心を仕組むドットコムは宣伝ばかり。
9考える名無しさん:2007/04/13(金) 20:17:02
本人乙
10考える名無しさん:2007/04/13(金) 20:20:40
ループにおける刺激のない生活の倦怠感は何よりもまず、
深い谷の間を綱渡りするが如く、一歩間違えば死ぬという状況に身を置くことで和らげることができる。
そのことについて無意識にも人は没落を志向しがちである。
人には死が必要である。
死を見据えていなければ、時間と労働に規定された単調な生活には耐えられず、
互いに善意を秘めた悪意を向け合い、危険を召還する。
11考える名無しさん:2007/04/13(金) 23:48:07
ある意味壮大な冗談である仕掛師ワーグナーに対する、
別の大真面目な冗談への試みだったのだろうと思う。

正に権力ゲーム。

その冗談から駒を狙おうとして、失敗したのがニーチェ。
本人はそれを冗談と言う雰囲気以上に感じなかったのが不幸だったのだろうと思う。
「嘘」がないし、趣味が良すぎたのだろう。

ワーグナーが生き残ったのは、物語の中で何もかも全てを破滅へと導いたから。
音響効果によりそれら全てを飲み込ます事ができた。

12哲楽者大勲位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/04/14(土) 08:55:12
>>11
音楽こそ私の宗教なのだと言っていたヒトラーは
ワーグナーに心酔してましたね。
自身も国家社会主義も破滅したが。
13考える名無しさん:2007/04/14(土) 09:00:02
>>1当初は「少年よ凶器になれ」だったらしいです。
14考える名無しさん:2007/04/14(土) 13:31:34
>>1
なんかドストエフスキーをはじめて読んで感化された中学生みたい
いまだにいるんだな、この手のタイプ
15考える名無しさん:2007/04/14(土) 13:37:59
戦前には結構いたタイプみたいだね。
16考える名無しさん:2007/04/14(土) 15:31:52
前スレ閲覧してた人に質問。
早の言葉みて、
生きる価値なくなった、死にたくなった、ていう人、どのくらいいます?
正直に書き込んで下さい。
17考える名無しさん:2007/04/14(土) 15:38:31
死にたくはないが
価値観の違うというものが明確になったというか
物の見方を変えることも時には必要なんじゃないかってことは理解しといた
18考える名無しさん:2007/04/14(土) 16:25:47
死にたくなりました
彼のように思索しても救いがない
19考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:12:05
交通費を浮かせようと散歩してきました。
春のそよ風が、のどかで心地良かったです。
地球は広いな〜と実感しました。
人間だけが異質な存在なんだと思いました。
人間の作りだしたものは、一掴みの土の繊細な作りにも遠く及ばないんだと思いました。
人間が滑稽に思えて、笑いながら散歩してきました。
20考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:18:22
超人・・・プププ
21考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:39:25
口にくわえたキセル魂、そいつをちょいとよこしゃんせ。
22考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:40:11
何もとりゃあしませんて、煙管がちょいと、吹きたくて、規則階級恩着せがましい。
23考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:40:58
煙管をちょいと吹いただけ、金を取るぜといいやがる。
24考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:42:36
こちとら農奴、金もない。
25考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:43:18
こちらの御人はしたり顔して、夢見心地で旅をして、死出の旅だと言いなさる。
26考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:44:37
死にたきゃ勝手に死になされ。
27考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:45:24
芸もなけりゃあ頭のない。ついでにいやあ金もない。そんな貴族がどこぞにおるか
い。いねえいねえそんなのいねえ。
28考える名無しさん:2007/04/14(土) 18:46:36
芸ならあるぜといいなさる。説教話を初めなすった。死んだ御霊がうんたら、かん
たら、死んだら何も残りゃせん。
29考える名無しさん:2007/04/14(土) 19:02:19
餅着け。自分を見つめるスレにいくんだ。
30考える名無しさん:2007/04/14(土) 19:18:56
早くんは尾崎好きになった理由あるの?
ミーハーに聴いてるだけじゃないよね
31早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/14(土) 19:27:16
>>28さんにノッてみる
死んだらなにも残りゃんが、生きてる今もニヒリズム
ニヒルな幽霊ふらついて、煙管の煙にふわふわふわ

僕はとにかく考えを爆発させたい欲求から、最低最悪なエゴイズムをぶつけてしまった。
>>16は僕です。殺人はしたくない。僕は中二病にも心を仕組む者にもなりたくないと願っていた
でももう偏執狂にしかなれないこと自覚したから、思想関係は最後にしたかった
でも余りに酷すぎた。抑えられなかった。不特定多数見ていること考慮しない、汚染者かもしれない
何人か深く傷つけてしまった。毒を感染させてしまった。僕は浄化しているのに・・・最悪な行為

今からユング関連の知識を引き合いに、ニヒルの底や、死にいたる病から這い上がるれるような言葉を、
もし「死にたい」「ニヒル!」という方がいれば、書きます。真剣に呵責を感じてきたので、自己主張はしません。


ふわふわふわした煙のようなニヒルな方、炎になりたい方、ユング的な言葉に浄化されて安定したい方、いれば、板違いかもしれませんが、
責任とって僕が書き込みます。
誠実なニーチェをひねくれさせた出来損ないの偏執狂のような印象しか残せませんでした。その印象だけ残って早という印象が人の心に強く染み付いたままだと、その人の人生はニヒルになってしまう可能性がある。
もし「早」の人格的印象が取り付いて病んでしまっているという人が多ければ、その印象を、「助かる方法は絶対あると宣言している早」という印象に変えておきたい。
僕自身は幾らでも果てしなく病気や自家中毒に対する耐性が強力なので、ニーチェとか超人とか詩人とかから離れようと肝に銘じれば動揺して暴言やエゴを吐いたりしない。
ニヒルになったり深く病んでしまった方、ループの中にも創造性や生の価値があるということを訴える言葉が欲しいという方が何人かいれば、
遠慮なくここで言って欲しいです・・・ゆっくり落ち着いて書き込もうと思うので大分頻度は少なくなりそうですが、責任とって真剣に書き込もうと思います・・
その時はニーチェから離れて落ち着いて書き込みます。反対する人、もう早の言葉は絶対みたくないて人いれば、去ります。
本当に異常な行為しました。ごめんなさい

32早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/14(土) 19:29:02
>>30
高校の時から熱愛していました。かなりしつこく聴いています・・・・声も歌詞も大好きです
やはり歌詞とライヴ映像の凄さなどに心酔し憧れてしまいました。
本当に大切なことを主張したために、愛を歌ったために壊れた人、という印象が僕に憑依しました。
33考える名無しさん:2007/04/14(土) 19:31:35
散歩は最高
幸せに気分に浸りたい人は機会があれば10キロ程散歩するといいですよ。
34考える名無しさん:2007/04/14(土) 19:39:43
ニヒリズムの底は、その深海は、穏やかで平和である。
35考える名無しさん:2007/04/14(土) 20:03:58
もうすげぇ幸せ。いつ死んでもいい。いま有り得ない幸福感。
ニーチェなんかどうだっていいよ。哲学が必要ない人間が哲学したって何も解けない。
むしろ、悲しいは。偉人達も悲しんで、天国で猿と踊ってるわ。
散歩は最高だよな。わかるぜ。
ニヒルになったら、心のヌリカベのようになるからな。俺には無理だ。

躁 っ て や つ か な ............
36考える名無しさん:2007/04/14(土) 20:12:05
そうです。
そうなんです。
37考える名無しさん:2007/04/14(土) 21:25:01
宇宙に比べれば、悩みなんてちっぽけなもの

とかいうが、宇宙飛行士や池田ではあるまいし宇宙とまではいかないまでも、
山や海、風や土の視点に立てば、気分がよくなるようだ。

ニヒリストはエスによって肯定されるのではないのか。
超人もエスの前では無に等しい。
38早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/14(土) 21:38:41
数日間このスレ見ずに(変に反応するとまたいけないから)、外向的な文献、哲学よりも心理学についての文献、数日間徹底的に読み漁っておきます・・
常に極端な内向から逃れることは、僕には絶対に不可能なのですが、読む本を安全な薬のあるものに限定すれば、少しの間は安全な生存志向で心理学的な考えになれます
数日後このスレ見て、僕の書き込みが毒になった、そうでなくてもとにかく死にそうニヒルだ恐怖のどん底、という人が何人かいれば書き込みます
特に問題なさそうなら、
奇怪な神経を持った早は痛々し過ぎる泣き言や持て余し過ぎた自意識を2ちゃんに残して思想や言語表現を諦めて燃え尽きた病人だった
ということでさようならです・・・思想なんて一生書きたくねぇYO!
毒っぽいの感染してしまった人ほんとにごめんなさい・・・
39考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:12:25
ところで、Was ist das Es ? とかいう哲学本ないですか?
ところで発音してみてくださいこれ。
どうぞお願いいたします。
Was ist das Es ?
Was ist das Es ?
Was ist das Es ?
素晴らしい。
40考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:27:41
一つ!人間は心して聞け!
41考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:29:09
二つ!深い真夜中は何を語るか!
42考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:29:53
三つ!私は眠っていた!
43考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:30:38
四つ!深い夢から私は目覚めた!
44考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:32:42
五つ!目覚めたらチソコが立ってた!
45考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:37:06
六つ!無駄無駄無駄無駄から無視された!
46考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:39:55
七つ!世界の苦痛は深い。
47考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:40:56
八つ!快楽は心の悩みよりもさらに深い。
48考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:41:36
九つ!苦痛は語る。過ぎ去れ!
49考える名無しさん:2007/04/15(日) 00:02:20
でも僕は決してオチはつけないよ
50考える名無しさん:2007/04/15(日) 00:14:51
とお!しかし快楽は永遠を望む。
じゅういち!深い永遠を望む。
じゅうに!
51平下流:2007/04/15(日) 01:02:36
>38
前のスレでランボーについてよく話していましたが、
ボードレールはどうですか。
52考える名無しさん:2007/04/15(日) 04:01:17
話題変えようか。

ところでエレファントカシマシってニーチェ的だよな。
「奴隷天国」とか
53考える名無しさん:2007/04/15(日) 06:59:44
>>51がガードレールに見えた。

そろそろ寝るか。
54考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:25:52
早はいかに終わりを飾るか、いかに見えるべきかばかりを考えており、
哲学なんて真っ平という。
哲学や宗教、学問芸術を一方の極とすると、早は他方の極といえるだろう。
あまりにも肉体的、あまりにも虚ろで儚く、花火のような感情行為思考を抱き続けるナルシスト。
一般的にナルシストは激しく自己否定をしているものである。 そのうち燃え尽きそうになる。
そこでどうするかは早にとっては重大な選択となる。
55考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:42:35
あるいは早は自分を一つの作品にしようとしており、そのような芸術家を目指しているのではなかろうか。
その芸術家は己自身を刻み込み、形造り、彩色していくのである。
とすればニーチェに惹かれたのも必然的であるといえるだろう。
56考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:43:36
早はもういいよ・・
57:2007/04/15(日) 08:52:06
どうせ燃え尽きる運命ならば、早々と気高く鮮やかに、そして鮮烈に燃え尽きたい!
僕は烈火を愛する! 烈火の如く愛する!!
干からびるよりはむしろ、自らを炎に包み込み、のた打ち回りつつ、灰と化することを欲するのだ!! 僕を見よ、大衆共、この僕の生き様を! この死に様を!!
58考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:54:25
>>56
あぁ、そう?
59考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:55:30
早ってネタだよな
60考える名無しさん:2007/04/15(日) 09:50:45
>>57
そんなふうにプラットフォームで叫んで、
ダイブしたら、凄いな。
61考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:01:19
早ってw
62考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:58:10
この世の果てに死せる魂
63考える名無しさん:2007/04/15(日) 21:04:55
ハヤは言葉に詰まると逃げるからな
昔からそうだ
都合のいい理由を捏造しやがる
64早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/16(月) 17:52:07
悪影響を受けてしまった恐らく2,3人の不幸な人へ
自己批評の試み。病気による負を、此処で示しておきます。
病気の産物であることを示して今までの書き込みが悪く作用しないように。
もう青春の熱病や、恐ろしい内向、持病の意識障害、などの状態の中での書字は、贋預言者になりたくないから、
あれを最後に一生終わりにしたいと心に決めていたので
理性一点張りで書き込みます。本当は、病的状態が一番ひらめいて書きたくなるんです・・・
>>51ボードレールランボーニーチェは止めておきます。まだ醒めきってないので、彼らについて今かくとまた神経が興奮してしまいます。
側頭葉てんかんの症状を少しだけ程度発病させていたみたいです
数日間あまり眠らず、夢を毎日見て、起きてるときも半眠り状態だったような気がします
・過剰書字(自伝、神話的宗教的、哲学的)
・記憶の噴出
・言語の奇態(他人の言ったことの意味を余り理解しようとせず、自分の内側からの言語発現衝動の奴隷になる)
・時間感覚の欠如
・性欲拒絶(その反作用の一時的爆発や狂恋を伴う)
などが側頭葉の異常により起こる
側頭葉の過剰発火により、皮質と辺縁系あるいは脳幹などが直結し、皮質上で合理的に処理されるべき言語や概念が、
感情や本能と繋がってしまうそうです。だから言語感覚が不自然になる。
しかし現代の情報化しすぎた言語観(これが現代人の脳を情報化している)に対するアンチとして、
現代の言語が絶対でないことを示すためには、僕のような神経構造と、優れた知性や理性を、両方持ち合わせた人が、
活躍することが不可欠

父親不在は、自己愛や幼児性の原因になり、小さな教祖を生むそうです・・・

かなり自分を神話化している
今までの自分の体験の中から、特殊なものだけを書いている
ラスコリーニコフの可愛い真似、神話的芸術家達の名前の羅列、彼らに対してのしつこい愛着、
娼婦など妙な女性関係、瀕死の神経壊滅の経験、エクスタシー発作の経験など
しかし、このような悲劇的あるいは喜劇的で過度に扇情的なものが重要であることは現代知識人は知らないので、
たまには僕のようなある程度の哲学的表現力を持ち合わせた半狂人が世界には必要かもしれない・
神話の重要性は、理性が回復してきた今でも、とにかく叫びたいです・・
65早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/16(月) 18:49:35
>>63
現代の合理的思考方法や学者達の議論が、どれだけ空疎な欠点を持っているか、神話や詩の「象徴」の力に熱狂してきた人物がどれほどの言語力をもっているか、それをとにかく示したかったんです。
半分理性を失って書いしまいましたが、僕の逆説的な発想で、情報化社会的言語観、大衆的価値観や知識人的価値観のパラドックスをとにかく徹底的に攻撃したい欲求に取り付かれていた。
少し、書き込んだ人に対する皮肉や、異常な自己誇示があったことは、とても反省しています。でも決して嘘を捏造しているわけではありません。

何人か、死にたい、虚しい、と書き込む人がいたので・・・
あらゆる価値観に強烈に反抗し続けてきた僕の言葉のせいで、神経症や鬱病の世界へ追いやられてしまった不幸な人がいれば、前スレを無意識への門だと思って下さい。
無意識の世界へ吸い込まれると、はっきりいって最初は誰でも悶え苦しみ、病気になる。メンタルサイトや神秘主義を称揚するような発言を僕はしましたが、
あまり露骨な暗黒は最初は避けた方がいいと思います。ある程度哲学的安全さをもったものを無意識への門へとした方がいい
逆説、というのは普段気づかなかったあらゆるものを気づかせてくれます。僕の言葉を「利用」して下さい。
現代的価値観では黙殺されている無意識の世界の苦痛に耐え、病を克服すれば、世界観は変わります。
66考える名無しさん:2007/04/16(月) 19:03:18
またいつもの自己解説か。
67考える名無しさん:2007/04/16(月) 19:23:46
巨人の愛情でブチュッと絞められて肋骨いかれた訳ね
何でも自分のせいなの!私がいけないの!ていう妄想は
体に毒なので程々にしておいた方がいいですよ
68考える名無しさん:2007/04/16(月) 19:26:05
わかったよ、おまえの言うことを信じるなってことか?逆説なんだろ?
じゃあ、反面教師の無益な言葉として滝のように聞き流すぞ
69考える名無しさん:2007/04/16(月) 21:56:10
飲んで戻してまた飲んで、酒に酔ったら少し楽しい。
70早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/16(月) 21:58:21
早の言葉のせいで死にたい、鬱、ニヒル、ていう書き込みがない限り、去りますね。数日間ここ見ておきます

賢い人は考えが叡智になるまで胸で暖めておくものです。もう僕は言語を真剣に相手にすることはない。諦めた
孤立したり病んだりして思考感情感覚直観などが極端に内側へ向かうと、社会が忘れてしまっていた普遍的なところを認識する
行き過ぎると神話的領域へ。しかし神話的なまま表現すると現代社会において真実味を有する表現ができず、ただ単に自分の内向を表現しただけの自己満足的になってしまう。
その神話的な領域を、現代社会へ表現するには、高度な知性や、言語表現力を磨く絶え間ない努力が必要
結局理性忘れて妄想や皮肉のようなことしか表現できなかった

>>51
ボードレールは、恐ろしいほど耽美的ですね。
美を自分の内側の最深に見出して、完全に排他的な世界を創っていると思います。
彼がその凄すぎる表現力で明かした世界においては、悪魔とか狂女だとかが、大げさな表現ではない。
ほんとうにそういう世界へ正確な認識がとどいている。
彼の凄いところは、いかにも「詩人的」な素質を持ちながら、明晰すぎる自己批評力をもっていたところだと思います。
だから、芸術家的生活や官能的生活を送りながらどれだけ下の下の底の方の世界へ認識や内的感覚が届いても、完全に孤独な自己を壊れず(最終的には発作に倒れたけれど)保っていられて、
その底の世界を美的な表現にかえて描き出す。美神を自分の「肉体」とともに表現する。
でもランボーのほうが、美的ヴェールが少なくて、生の青春の肉体、自己の深層に眠る神話、不思議な感覚というようなものを
露骨に赤裸々に表現しようとしていて(しかし支離滅裂で晦渋)、詩がもつ力、未知のヴィジョンを創る力を純粋に無邪気に狂信している。
ボードレールの詩集は、憂鬱な読者を、美と恐怖で満たされた牢獄へ引きずり込みます

情熱や恐怖というのは、たぶん破壊や生命の危機のように「死」に関するものへ向かっている
>>10さんの言うように生の循環の退屈を逃れ、根源的なものを認識するには、破滅と紙一重の精神状態が必要かもしれない

一部の人に精神的汚染をしてしまったこと、多くの人に目障りな荒しになってしまったこと、心から謝罪します・・
71考える名無しさん:2007/04/16(月) 22:24:45
野人になればいいということか。
72考える名無しさん:2007/04/16(月) 22:25:39
>>70
三行にまとめてから書けや
73早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/16(月) 22:36:04
>>68
逆説、パラドックスの定義はややこしいですが
逆説は、一見道理に背いているようでよくよく見ると真であるもの
僕の頭ではパラドックスは背理と定義している。理にかなっているようで実はおかしい。見えない矛盾。

僕の考え方には、もちろん、直観や感情が暴走して飛躍し過ぎてどうがんばっても真実でないことも含まれているだろうが、逆説的に真実であることもたくさん含まれていることを願っている。
社会機構や教養人的価値観のなかでの様々な因果関係や言語使用は、人間の生命にとって空疎なもの害のあるものが含まれていて、
その因果関係になれきってしまった人には、人間の生命にとって何が一番大事かが分からなくなってしまう。
つまり真である当然であると見做されていることが生命感情に対しては背理であったりすることが多い
その表面的因果律や言語観から逃れたものを表現するには、逆説的表現が必要である。と僕は思う。
僕が神話の重要性を叫びたいのは、言語や観念を出来るだけ媒介せずに、象徴的イメージや音などで神話や芸術に感情移入すると、
大切なものが直接心に触れるような快感に近い実感を味わえるからです。
その生命感が、人間にとってとても重要であると思う。
信じたいものだけ信じて下さい・・完全に信じると僕が体験したような病域を仮想的に体験するようなことになる可能性もある
・・・完全な虚無にならない程度に、信じて下さい、利用して下さい。
74考える名無しさん:2007/04/16(月) 22:51:24
野人は通常、社会に去勢され排除されてしまう。
埋め合わせに社会は人間の野人願望を満たすために、
時々戦争というものを企てて実行する。
75考える名無しさん:2007/04/16(月) 22:55:27
キャーヤメテ!!!
76考える名無しさん:2007/04/16(月) 23:00:52
社会の圧力鍋の中で野人になり切れず、その鬱憤を晴らしに叫ぶ>>57
77考える名無しさん:2007/04/16(月) 23:04:58
早って幼いですね。
78考える名無しさん:2007/04/16(月) 23:16:37
確かに象徴主義や神秘主義は人を魔道へと誘い込むよな
くわばらくわばら
79考える名無しさん:2007/04/16(月) 23:26:30
超人と野人は人間の両極端である。
超人がシュワルツェネッガーならば、野人はゴリラである。
両極端は似ているものだ。
ちなみに私はゴリラが好きだ。
80考える名無しさん:2007/04/16(月) 23:46:12
神話とかより、普通に雨に濡れ、風に吹かれ、土に触れ、日光を浴びればいいだけじゃね?
81考える名無しさん:2007/04/17(火) 00:31:55
早、これ聞いてくれ
落ち着くだろ?
http://www.youtube.com/watch?v=83PDO_iLn_E&NR=1
82中上:2007/04/17(火) 00:43:29
枯木灘!
枯木灘!
枯木灘!
枯木灘!
83中上:2007/04/17(火) 00:48:13
和歌山県の潮ノ岬から白浜辺りまでの海岸線を車で走ったことがあるだろうか?そ
の海岸線を、人は枯木灘海岸と呼ぶ。
84考える名無しさん:2007/04/17(火) 00:58:01
前スレの早さんの言いたいことがうまくわからなく混乱しています。。
助けて下さい。。芸術や音楽に最終的に行き着くまでの苦悩や葛藤に感銘を受けました。
しかし、少しも早さんの哲学的な学術が理解できません。
もう少し、言葉の羅列を簡単にしてもらいたいです。
85考える名無しさん:2007/04/17(火) 01:03:17
人間は弱い生き物だから言葉を使うんだよ
いや、言葉でしか伝えられないんだよ
86考える名無しさん:2007/04/17(火) 03:43:05
ツァラトゥストラはなぜ山を降りる必要があったのか?
87考える名無しさん:2007/04/17(火) 06:43:23
山から釣り針を降ろすことを学ぶため。
88早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/17(火) 08:34:45
>>73に加えて。パラドックスは辞書によっては、逆説、を指すみたいです。
論理学的には、パラドックスは、
一見成り立つように思える言語表現などが、それ自体に矛盾した内容を
含んでいて、論理的には成り立たないこと、あるいは、その種の判断
らしいです。

社会のパラドックスというのは正確な表現ではないかった、社会に潜む矛盾、がいいかもしれない

哲学原典などから離れた末端的な文献や社会評論文を読んでみると、とにかく僕の変な脳味噌には、
その著者の頭の中では筋が通っているんだけれど、言語上ではあっているんだけれど、やはり何か人間の本質にそぐわないというのが
何となく感じられるんです。

>>84
僕はどちらかというと、芸術文学神話音楽しか「内側」から人を(少なくとも僕のようなタイプの人間を)満たすことはできないない、と自分の中で確信してから、
出来るだけ哲学的に説明しようと骨を折っていた、という感じです。
何時も言葉での思考よりも本能的情動や直観的イメージが先に動いてしまって、全然上手く言語化できないんです。
混乱してしまっていたら、とりあえず僕の(少々病的な状態で書いた)支離滅裂を含んだ言葉から離れて、
ニーチェユングベルクソンのような、直感的でしかもかなり明晰な哲学者心理学者の言葉に浸ってみるといいかもしれません・・


>>80
そうですね。日常的に自然に浸れる人は、それが一番いいですね
神話というのは、
自分の内部に自然界がある、もともと人間は野人だったんだ、
ということを教えてくれるような気がします
89早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/17(火) 13:50:43
>>84あるいは>>他の悪影響が未だ響いている方
心理学を読みながら反省しているのですがだんだんと、egoisticな独りよがりだっただけでなく、自分が書いたことが感じやすい信じやすい人にとってはきついような
気がしてきました。
もうすぐ分裂病域にいくような「境界例」かもしれない。境界例的表現といえばアニメでいえばたとえばエヴァンゲリオンの最後の方のような。
青春日記よりは、未熟な狂人日記に近いかもしれません
現代の物質的合理主義的一面性を補うためにその対極にある、逆の意味で極端に一面的な考え方、と捉えてください
理性を取り戻してきたので、1週間くらいなら安全で客観的書き込みできそうなので、不安なところ難解で不可解なところなどあれば、
部分的にでも全体的にでも、個人的な意見でも何でも、思いつくままに書き込んで下さると嬉しいです。
ゆっくり考えて安全なレスをします・・
90考える名無しさん:2007/04/17(火) 15:20:33
山から釣り針おろすと深海魚がつれた!
91考える名無しさん:2007/04/17(火) 16:05:46
時に我々は傷つけ合うことによって、
愛し合うよりも、より強く結ばれるものである。
92早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/17(火) 17:32:03
1週間だと、さすがに多くの人にとって迷惑そうなので今日含まず3日と約束します。
それ以降は絶対来ないと約束します。何か不可解な点があったら今のうちお願いします
5月20日で、早は2ちゃんから完全に消えて>>78の魔道や音の世界へ(あくまで精神生活的には)直進するかもしれないし、
思想的な言葉を書いて人に見せることは、きっとなくなります
3日以内に>>84にわかりやすく答えれるような一まとまりの文章を書いてみます
>>81その音楽、落ち着くというよりうっとりします、とても好きです
93考える名無しさん:2007/04/17(火) 19:43:01
こんなに自己PRが好きな人も珍しいね。
94考える名無しさん:2007/04/17(火) 21:03:41
最近、ニーチェの生活記録とかいうのを読んだんだけど、
発狂前のニーチェには、なんつーか「がっかり」してしまうな。
発狂を「病気」と捉えれば、仕方のないことではあるのだけど。
なんか、チェーザレ・ボルジアの晩年に感じる思いにも通じるものがある。
……別にこういう話してもいんだよね?
95考える名無しさん:2007/04/18(水) 20:45:28
所詮人間だからな。弱いものさ。
自分の弱さというのは受け入れないと駄目だ。
96 あだち:2007/04/18(水) 20:49:10


    失礼します
       「こころを強くするメッセージ」のご案内
 
   ■□■□■□  「幸せを得る最大の秘訣」  ■□■□■□

   幸せの秘訣、それは簡単なことです。まず毎朝早く起きることで
   す。この簡単・単純なことをなおざりにしているから「幸せ」をつかむ
   ことができません。
  
   ところで、あなたは朝早く目をさましたら何をしますか。「徳」ある人
   は朝をこのように「得」あるものとします。

    まず「見える」ことに感謝します。「聞こえる」ことに感謝します。こ
   の世には見えず聞こえず 何の感覚もない大勢の人がいます。

    あなたは五体正常で新しい朝を迎えることができるのです。
    何はさておいても心から感謝する事です。感謝の積み重なりが
   「幸福」という形になってあなたに還ってきます。

   ===== http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/ =====
97考える名無しさん:2007/04/18(水) 22:05:28
                         トイ
                            トイ
                            トイ
                           i三i
                          〃   ヾ、
                         / ̄ ̄\  ヾ、<俺も・・・
                       /  _ノ   \   ヾ、
                     〃|   ( ●)(●)__ ヾ、
                    〃 | /// (__人__) ⌒  ⌒\ヾ、
                    ||  |    ` ⌒´ | ●)  (●)\  
                    ||  |         }::⌒(__人__)⌒:::::\
                     ヾ, ヽ        }            |  
                     (⌒)ヽ     ノ、_         _,(⌒) 
                    / i `ー=====(⌒)====一'i ヽ
                     l___ノ,、       _ノ       ,、ヽ___i
                      l        |         l
98考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:30:25
早君の自演も含めてさわがしいスレになってしまった。
10代の青年だろうね。
彼が20歳を超えていたらどうしようもない馬鹿なのかも。
以前にもどって永劫回帰についてでも語ろうよ。
六百六拾?さんの「2001年宇宙の旅」の話はよかったが。
彼も去ってしまったのか。
99早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/19(木) 18:19:29
だんだん頭が醒めてきました。
この書き込みか、次くらいで最後にします。

>>98考える名無しさん、ではここの16と90以外では投稿してませんよ。

もし僕の、意味不明な暗号みたいな言葉の羅列を解読してみたいという好奇心旺盛な方や、
早のせいで言語感覚が狂った、哲学不信になってしまった、という方がいたら、
僕が今まで読んだ真剣に読んだニーチェ以外の哲学的な本は、ユングの「タイプ論」後半と、
「元型論」前半(どちらも林道義の訳)と、ショーペンハウアー「知性について」だけ(だからあまり僕の言葉をそのまま信用はしないで下さい)
なので、それらを参考にして、何らかの解決を得て下さい・・・

誰も僕の奇態な言語を理解してくれる人がいなかったら本当に哲学やめて神秘主義に行こうと思っていましたが、
症状が起こってそれが収まるたびに自分の脳味噌に対する自己批評力が格段にアップしてるみたいで、しかも知的好奇心が爆発して、
哲学を続けることができそうです。

どうしようもない状態の僕の相手をして下さった方に、感謝します、ありがとうございました

ラスコリーニコフの真似衝動とか女が発狂したとかそういうのが起こらない限り、
幾何学の問題解きまくったりカントに洗礼を受けたりしてみて、一度、自分の全体的な考えを論理的に精確に纏めてみます。
数ヶ月以内にサイトにupしてみます。結論は芸術と神話なのは変わりませんが、首尾一貫して書いてみます。
あとランボーについても大量に書いてみます。
宣伝はしたくないので、興味のある方は、前スレの何処かのリンクから見てください、と言って置きます・・
100早 ◆yxoSe0qFeA :2007/04/19(木) 19:14:03
>>93とても反省しています。
でも、僕は自己PRよりもまずとにかく何よりも、現代の、記号的概念しか扱えなくなりつつある陳腐な哲学者の連中から黙殺されている、
芸術や神話が人の「内面に直接与える力」、の重要性を叫びたかったんです。人間の心が機械的に概念化されると、心の生命力は絶対失われます
情報を扱ってるつもりで、結局、情報に扱われているようにしか見えないんです
途中から調子に乗って神経が興奮して、暴走してしまいました。本当に荒らしてしまったこと謝罪します。
もう、絶対2ちゃんこないことにします。

たぶん世の中に、芸術家、哲学的狂人、天才思想家、カリスマロックンローラーがいなかったら、
人間は、
計算、飲食、生殖、カルト、最近の邦楽みたいな音楽、
以外にはなにもしていなかったでしょう。
僕には、教育制度が機械化工場に、哲学者心理学者達が計算機に、なりつつある予感が何となくしてるんです


僕がこれだけ芸術や神話の重要性を連呼したいのには理由があります。
瀕死でもう諦めかけていたとき、聖なる娼婦、ランボー、その他の純文学、ギリシャ神話、キリスト教に、本当に命を救われたんです。
自分は、心の一番底では幾千年の人間の魂とどこかで繋がっている、という大きな力に支えられ、生きる欲求が爆発したんです。
芸術家達や神話には、とにかく有り余るほど感謝していて、少しでもそれが現代にも未来にも生き残って欲しいという願望や
自分はいつかそれを受け継ぎたいという妄想的使命感に、全身憑依されていたんです。
知性も表現力も無力を自覚していたから、此処で暴れてとにかく叫びたかったんです。

明日までにある程度>>84に答えれそうな纏まりのある文章書けたら書き込みにきます・・
そうでなければ、去ります。変な影響うけてしまった人いたらごめんなさい
僕に暴言を受けた人、ほんとうにごめんなさい
相手してくれた人に感謝しています。さようなら
101考える名無しさん:2007/04/19(木) 19:18:49
100点取ったことありますか?
僕はありません。恥じる必要はないでしょう。
なにしろ僕は誇り高き100ゲッターなのだから。
今日も僕は伝説を更新するんだ。
さあ、栄光の100ゲットの時はきた!
100ゲット!!!
102考える名無しさん:2007/04/19(木) 20:48:19
ピラニア?
103考える名無しさん:2007/04/19(木) 20:53:33
>>53
夜昼逆転かよ、土日しか出来ないなァ。w
104考える名無しさん:2007/04/20(金) 21:10:36
早さん早く...
105考える名無しさん:2007/04/20(金) 21:12:15
焦るな!
106考える名無しさん:2007/04/22(日) 17:53:37
早は死んだ
107考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:48:42
神は死んだ!なぜだ!
108考える名無しさん:2007/04/23(月) 16:50:02
神話を扱ってる哲学書って結構あるね
レビ・ストロースのなんとかとか、カッシーラのなんとかとか、
最近岩波文庫で出たホルクハイマーの啓蒙の弁証法とか。
神話と理性は調和し、両立しうるものであるということだろう。
極理性的な人間が、一般的に宗教的でもあることは別におかしいことではなく、
どうせむしろ理性と神話宗教芸術は同時に出現したのだ、これらは両立するか、さもなければ、いずれも成立しないのである、
両者は一見最も相反するようであるが、事実上それらは一精神を形式的観点と意味内容的観点から分析したものでしかないのである、
とかいう話で、例えば早のように一方を排し、他方を拝むという精神は紛い物ということだと思われる。
109考える名無しさん:2007/04/23(月) 17:04:38
>>93
早にぁぁぁああああ謝れ!
110考える名無しさん:2007/04/23(月) 17:20:23
>>108によると、早は存在そのものが矛盾している。
したがって早は存在しない。
早は架空の登場人物に過ぎない。
111考える名無しさん:2007/04/23(月) 17:26:11
人は理性を訓練することで、悟性も感性も共に育むことができるのである。
112考える名無しさん:2007/04/23(月) 21:41:41
神話、詩、宗教、芸術はすべて形式的でなければありえない。
また最も形式的であるところの数学や形式論理学が神秘的に美しい一種の神話であり芸術であるともいえ、
彼が主張するように相互排他的なものではないのである。
113考える名無しさん:2007/04/23(月) 22:01:24
内容と形式の神秘的完璧な調和は自然に見いだされるべきものであるが、
最近の若い者、特に都会育ちの平成生まれはそれがわかっておらず、
一見成長が早く見かけは大人っぽいようでも、
地に足がついておらず、その心は脆く危ういもので、
私としては日本の将来を非常に危惧せずにはいられないところである。
彼等が神話や芸術ばかりに目を惹かれ、理系離れ、学力低下に陥るのも無理はないことで、
我々大人としては、美しい日本の自然を守り、蘇らせていく努力をしていくことが肝要なのでしょう。
彼等を彼等にした一番の責任は他でもない我々にあるというのが認め難い事実なのですから。
今になって我々は野や山を駆け回っていた少年時代の貴さを知ったのではありますまいか?
114考える名無しさん:2007/04/24(火) 08:41:16
ニーチェのスレにへーゲリアンみたいのがきました。
拝聴いたしますだ
115考える名無しさん:2007/04/24(火) 09:49:19
ttp://www.godlikeproductions.com/
とくと神業を御覧あれ! 
116考える名無しさん:2007/04/25(水) 10:48:13
年上だったんだな。倒錯といえば倒錯かも知れない。
今も耳元でずっと「キモい、キモい」って呟く声はみずきなんだろうか?
っていうか、東京に行った時に上野公園に居た人はパパだったんだろうか?
そして、大人の男性に混じってぼくを見た女性はみずきだったんだろうか?
そして、太田寿は何が言いたくて、何がしたくてみずきを殺したんだろうか?
「文脈にそぐわない」って超人計画にあったから文脈に沿ったのに。
ニーチェもまた不合理。
117考える名無しさん:2007/04/25(水) 16:08:52
ずっと二人でいられたらいい。
118考える名無しさん:2007/04/27(金) 22:27:00
ニーチェの思想って何でニヒリズムって言われてるんだろ。
むしろニヒリズムとは対極にあるものだと思うのに。
119六百六十六:2007/04/28(土) 00:10:03
理由は簡単だ。「ニヒリズム」への更なるニヒリズムを徹底するならもはや能動的たらざるをえないと
いう事を看過して(このことが最も重要であるにもかかわらず)ニーチェ=ニヒリズムとなっているのは、
彼が凡俗たるものへの侮蔑を徹底的に断行しているからである。
つまりは「彼を受け入れない者たちへの逆恨み」としてしかニーチェを扱うことが出来ない人間がそれだけ
多くいたということの証左である。
それは病的な心理学者の権威が全ての人間の根底にエログロを横たえ、(多数者の論理において)凡人を
価値基準の尺度とし、強壮な人物の健康さえ病的な「過剰さ」として価値顛倒させるのと同じことである。
彼はそれ以上を視野に入れていたにも関わらずだ…
120考える名無しさん:2007/05/03(木) 06:04:33
サロメをバックから犯したい。
121考える名無しさん:2007/05/04(金) 00:53:25
ニーチェに関するディープな議論でも見れるかと思って覗いてみたらなんですかここは
と言う具合に当惑している私ニーチェ初心者
122考える名無しさん:2007/05/04(金) 10:49:55
≫113
若者への典型的ルサンチマン
ニーチェ的高貴さは全くないな
俺にもないが
123考える名無しさん:2007/05/04(金) 11:21:29
果たしてそうかな?
アイドルに田舎育ちが多いことを忘れてはいけません。
田舎においてアイドル業に堪えうる魅力と体力が磨かれるんですよ。
都会は良質の人材が育つ場所ではありません。
124考える名無しさん:2007/05/05(土) 05:42:53
田舎だ都会だとこだわる時点で田舎者(笑)

ニーチェは仏陀と同じ境地から、真逆の価値観を創造したよね
125考える名無しさん:2007/05/05(土) 09:14:07
価値観の創造なんてしてないと思うが。
既成の卑俗な価値観を詩的に表現し、賛美しただけではないかな。
彼は病気だったので、彼には普通が素晴らしきものに見えた。
でも普通のことが普通であるとは認められなかったのだ。
ニーチェが好きな人は多分凡人なのであり、
ニーチェによれば超人なんだと思う。
病気のニーチェを通して、普通でいられ自分の価値を認められるならば、良いことなのだろう。
126考える名無しさん:2007/05/05(土) 09:31:43
仏陀やキリストと逆の境地から、
その逆の価値観の優越性を説いたのが
ニーチェだろ。
健全でなければ貧しさの喜びは味わえないものなんだよ。
したがって貧しさを志向させるのは、
必然的に健全さを模索させることになる。
半病人であるのが普通だが、それでも病人であるよりはましだと思わせてくれるのが、ニーチェに違いない。
127考える名無しさん:2007/05/05(土) 09:48:11
私としたことが、つられて間違えたよ。

狂人→ニーチェ→凡人→ブッダキリスト→神

健全性は矢印の方向に向かって増していく。
ニーチェと凡人は←に向かわせる世界観を持つため、この点で聖人と逆であるが、
価値観からすると聖人と同様に→側を善良で超越的だとしているわけだ。

ニーチェは間違ったのだ。
128考える名無しさん:2007/05/05(土) 10:06:59
←側に進ませる世界観はニヒリズムと呼ばれて然るべきである。
というのも、あるがままの世界に価値を認められずに否定しようと、
世界に自ら価値を付与していこうというのだから。

ちなみに国会で使われる用語にイズムというのがあるが、これを援用すると、
イズムの違いは世界観の違いによるもので価値観の違いによるものではないと云えるだろう。
つまり、価値観には普遍性があるのではないかということだ。
129考える名無しさん:2007/05/06(日) 09:06:22
そうえばニーチェって作曲してたらしいけど曲残ってないよね?
音楽は才能なかったのかな。
結構詩人だし耳さえよければ向いてそうなのに。
130考える名無しさん:2007/05/06(日) 11:12:38
デードリッヒ・フィッシャー・ディースカウのバリトンでCDでてるよ。
131考える名無しさん:2007/05/06(日) 20:49:12
早は高校生なの?
だったらお友達になってください!
あなたは天才だ
132考える名無しさん:2007/05/07(月) 12:06:23
ニーチェの狂人化は彼の巨大な凡人的思想の邪悪さを証立てるものである。
133考える名無しさん:2007/05/07(月) 12:17:12
なんだこのニーチェとかいう天才的不良は。
こういう生徒は反面教師とすれば学ぶところは大きいだろう。
てかこんなやつはドイツ語の教材に使うのが正しい扱い方だろ。
134考える名無しさん:2007/05/07(月) 12:57:45
実に哀れなひねくれ者だな。
価値の創造も破壊もできやしない。
それは存在の恒常的性質だからである。
ただ言葉の上でのみ疑い、否定しうるだけである。
彼の疑いは実に衝動的である。
方法的懐疑ではなかった。
そのために彼は彼の疑念に疑念を抱かずに、真理に背を向けたまま歩み続けてしまった。
135考える名無しさん:2007/05/07(月) 13:04:45
彼はあまりにも他者に批判的であり、
それは素晴らしいものがあるが、
あまりにも自己に無批判的ではないか。
136考える名無しさん:2007/05/07(月) 14:28:37
自己批判に欠ける者は、その他者の批判、批評にも欠けるものがあるが、ニーチェは上手ではある。
秘められたる自己批判の歴史の賜物だろう。
その歴史に終止符を打つことは己の可能性の限界を自ら定める絶望であり、
その後には止まるか、退歩しかなくなってしまう。
137考える名無しさん:2007/05/07(月) 21:06:53
自己認識に欠ける者は、偉そうであり、批評にも欠けるものがあるが、君がそれである。
そもそも、方法的懐疑を疑ったのが、ニーチェと言い得る。
なぜ真理ではなく、誤謬を求めてはならないのか?
ただその上でのみ疑い、否定しうるだけである「言葉」を弄する君は、何がしたいのか?
138考える名無しさん:2007/05/07(月) 21:24:50
プ
139考える名無しさん:2007/05/07(月) 21:33:12
137が誤謬を求めて発狂するのを止めはしないから、
餅ついたらどうかね?
140考える名無しさん:2007/05/07(月) 23:36:07
ニーチェが発狂したという事実だけでニーチェの哲学を否定した気になれる奴はおめでたいな
141考える名無しさん:2007/05/07(月) 23:40:54
ニーチェの思考を導いた主たる衝動は、逃避衝動だろう。
病に犯されていた彼は、その苦しみからどうしても逃れたかった。
精神だけでも楽にするために、若い頃から仕入れてきた邪魔な思想、先入見を打倒しようと疑ってかかった。
その批判、否定、嘲笑これらが目的であり、
後はいかにしてそうすることを正当化するかが問題だった。
彼は仕事を成し遂げた。己を許せた。
誤謬に救いを求める自分を受け入れ、
狂気に身を預けていったのだ。
142考える名無しさん:2007/05/07(月) 23:43:47
>>140
おめでとうございます。
143考える名無しさん:2007/05/07(月) 23:54:44
恥ず対人論証を恥じない恥じ知らず
144考える名無しさん:2007/05/07(月) 23:57:58
×恥ず
〇恥ずべき
×対人論証
〇対人論法

だろうが
145考える名無しさん:2007/05/08(火) 00:02:52
早君再登場?
それとも誰か暇な自演ごっこ?
まともなニーチェ論はどこへ行く?
2ちゃんだから仕方ないか
146考える名無しさん:2007/05/08(火) 00:45:57
発狂するというのは稀にみる強い逃避衝動によるものであり、
それがニーチェの思想の礎石になっていると、私は信じる。
というのも私は認識への衝動が哲学の父であるとは信じないからだ。
むしろ他の衝動が認識をして働かせているのだと信じる。
哲学の正体は何であるか、それはその創始者が意図せずに欲っせずして出来上がった一種の自己告白だからである。
147考える名無しさん:2007/05/08(火) 00:49:33
×自己告白だからである
○自己告白なのである
148考える名無しさん:2007/05/08(火) 00:54:41
実にニーチェ論ですね。
149考える名無しさん:2007/05/08(火) 00:57:20
ニーチェの、ニーチェによる、ニーチェのためのニーチェ論
150考える名無しさん:2007/05/08(火) 01:00:10
本読めよ。
151考える名無しさん:2007/05/09(水) 18:17:39
ニーチェを読んでいて気付いたのが、前期のニーチェがやってたことって要するに西洋思想の独りよがりみたいなもんで、
勝手に古代ギリシャ後の価値観を強烈に膨らませて、イデアだ、純粋理性だ、と騒いでいたのをニーチェは「それは誤謬だ!」と反覆したわけでしょ。
価値反覆した瞬間、ニヒリズムに襲われ、仏教の影がちらつくわけだけど、そこでニーチェはディオニュソスという神を引っ張り出してきた。
仏教的な退廃的ニヒリズムに対抗するために、後期のニーチェは「超人」や「永劫回帰」「力への意志」といった概念を提示し、能動的なニヒリズムを打ち出す必要があった。
ちょっと昔に中沢新一がチベットの死者の書を「三万年の死の教え」と紹介したけど、それこそ西洋思想は三万年の歴史を無視してやってきたわけで、
これから数百年、数千年先に今という時代を振り返ったら、今という時代はなんとも矮小な時代なのかと回帰せざるをえない気がする。
ニーチェが死んで100数年しか経ていない今という時代が、西洋思想から見ればやっと一神教を脱した(まだ全然ともいえるが)という“程度”、
人類史という視座から見れば、ある意味やっと人類は本来のスタートの位置に戻ってきたという、たったそれだけの意味しかない時代というわけだ。
こういう西洋の長い自作自演がニーチェによって終わりを告げた、ということがバカらしくて仕方がない。真面目に読んできた西洋思想ってこの程度だったのか、と。
ともあれ、ニーチェは生を肯定し死を遠ざけてきたけど、生と死は当然背中合わせであり、良く生きるということは良き死を迎えることでもあるわけで、
ニーチェの軽蔑を背にしても、これからは仏教的価値観を掘り下げる必要性があるんじゃないだろうか。死を潜った先でディオニュソスと対面するのかもしれなのだから。
152考える名無しさん:2007/05/09(水) 20:33:27
本読めよ。
153考える名無しさん:2007/05/09(水) 22:26:54
ニーチェって要は麻薬だろ?
154処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:29:10
本読めよ。
155考える名無しさん:2007/05/09(水) 23:36:22
希少性に価値はない。
ありふれたものにこそ価値が備わっている。
真理は最もありふれているものであり、本来追求する必要はないはずだ。
非理性的には…。
最も通俗的であるものから、
最も遠く隔たっているのが理性なのであろう。
とすれば最も無価値なものは理性であろう。
156考える名無しさん:2007/05/10(木) 20:09:00 0
ちくまの全集で「この人を見よ」読んだらとても良かったのですが、
別のバージョンでおすすめありますか?
岩波と新潮があるの?
157考える名無しさん:2007/05/11(金) 02:10:46 O
翻訳にしろ原文にしろニーチェは非常に言葉巧みなので、
少なくとも言葉の勉強にはなるから、
読んで損はないようだが、
果たしてどうかな?

自ら経験し、観察し、思考することが哲学的には大切であるが、
これらの活動に言葉は重要な役割を果たしているわけであるから、
本読めというわけだ。
命令されたからといって、読めたものではないが。
脳の好み、気分次第。
脳が抵抗するにもかかわらず、
無理やり勉強したところで近い内に吐き出されるだけで、無駄だろう。
非理性的ながむしゃらな勉強が最も効率的だと思われる。

ちなみに私は理性的すぎるせいか、
勉強が不得意であると自己主張しておこう。
このように一体誰に語っているのか? と猜疑心を生じせしめるような自己主張が好きな人は珍しくはない。
ニーチェも例にもれない。
自己主張ではないのかもしれない。
ただ聞き手がいればいい、想定されていさえすればいいのである。
言葉は本来、コミュニケーションを前提にしたものであるために、
恐らく、思考するにも聞き手を想定したほうが都合がいいというわけに違いない。
対話形式の思考が恐らくは最も自然なのであり、
最もはかどるものであり、
思考を物語化、体験化し、印象を強め、消化を容易にし、記憶に残しやすくすると。
158考える名無しさん:2007/05/11(金) 02:18:43 O
痴人の夢ですな
159考える名無しさん:2007/05/12(土) 01:02:43 0
自分自身こそルサンチマンの塊ニーチェ
160考える名無しさん:2007/05/12(土) 18:42:09 0
だから書けるのさ
161考える名無しさん:2007/05/12(土) 20:59:42 0
それではほとんどドーピング
162考える名無しさん:2007/05/12(土) 21:06:20 O
批評家としてはニーチェを超える奴はいないだろう。
163考える名無しさん:2007/05/13(日) 01:26:27 O
文芸の巨匠だな。もう麻薬の香りがプンプンする。
164考える名無しさんと虚無主義銀河鉄道の深淵:2007/05/13(日) 02:44:58 0
ニコラ・テスラ総統!ゴモラの諸君!お元気かな!怨念戦隊ルサンチマンに環境大破壊戦隊マクドナルドナンジャー!
サラバ宇宙戦艦ゴモラ愛の狂人戦士たち!と宇宙戦艦Zゴモラ(宇宙戦艦ニーチェ)ゲゲゲの鬼太郎はニヒリズムボーイ!
165考える名無しさん:2007/05/13(日) 03:07:01 0
「うわっ」て感じのカオスモーズ(内面性)だな
166考える名無しさん:2007/05/14(月) 09:44:20 O
 
167考える名無しさん:2007/05/14(月) 09:47:49 O
ニーチェの思想はアニミズム的なの? 自分はそう感じる。
168考える名無しさん:2007/05/14(月) 12:43:40 O
たしかに
169考える名無しさん:2007/05/15(火) 00:22:42 0
アミニズム的で多神教的で仏教的かな・・・

ニーチェの思想って日本人にあってるよね。
170考える名無しさん:2007/05/15(火) 16:27:25 0
171早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/15(火) 20:50:13 0
「僕は愛です」という電話が世の中のあらゆる家庭にかかってくる象徴的な不安夢を見た
ジョンレノンの「LOVE」が流れていたのでとても感動した
その矢先に母が「ニュース、17の少年が母親を殺し生首をもって自首した」とヒステリックに僕に泣きついてきた。
こわくて狂いそう
ポエムしたくて、たまらない衝動・・再三板違いスレ汚しごめんなさい。書き込ませてください、もう書き込みません
>>157対話がいいというの、共感します。
でも人が自分の中で考えることを忘れて、他人と過度に思考が共有されすぎると、個々の心の現象が概念や名辞で一般化されすぎ、
思考内容は心の地盤から離れた根無しの植物、言葉は生気を失った枯葉、風に飛ばされるような空虚な記号のようになってしまう
逆にニーチェの言葉は、一人歩きしすぎて、別の世界の言語、ニーチェの思想は、
異界で自己完結した、麻薬的な葉っぱをたくさん生い茂らせた不思議な大木
みたいになってるような気がする
しかし、そういう人がたまにいて初めて、強力な思想がこの世に生まれるのでしょう。
>>167同意。特にツァラトゥストラでは、精神的なもの全てが具現化されすぎている。尋常じゃない。
>>155希少性自体に価値はないけれど、一度通俗から離れてでしか得られない生命感溢れる発想で、
ありふれたものをとらえるということをしないと、通俗的なものはだんだん生気を失ってしまう
>>151現代は、キリスト教の感動的で豊かな象徴的財産だけ無くなって、
結局、ニーチェが批判したソクラテス後キリスト教後の思考方法が急速に進んでいる
心の表面でしかものを考えられない。心を海だとすると、人は波の模様くらいしか見ていない
ニーチェが麻薬的なのは、海の中全てを見るような思考をしている。本能で認識する傾向がある
ニーチェはルサンチマンというよりほとんどカオス
ニーチェを本当に「体験」するには、結局、自分がカオスになるまで読んで、発狂するしかないかもしれない
カオスな人ってのは以下にあるような詩を一日最低10個くらいはポエムするような偏執狂のことでしょう

172早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/15(火) 20:52:27 0
主神の怒り

大都会
人は神の御心を忘れ 神々の悲劇も忘れ
物質という化粧で彩られた 空虚の中で生きている

人間の血管を通るのは
記号や情報ではない 安い刺激でもない
人間の血管に脈打つのは 愛と美を纏った言葉と音楽

人の心の中に潜む
破壊と創造を体現する力動 物語と音楽で発露する血液
それを忘れた空漠の俗物の群れが
蟻のように蠢く都会

「私達は永遠の生を神に約束されていることを信じます」
というキリスト者に対し俗物は言った
「永遠の生?そんなもんあるわけない」
怒りに満ちた天来の声が降ってくる
「神話の力を直視しない人々
 彼らはまるで 自分達に 死 があることを
 全く感じていないかのようだ 永遠の生を否定できる謂はない」

主神はついに都会の御座興を見過ごすことには堪えかねた

若い青年の過敏な神経を 運命の糸で操って
悲劇を現実の上で実行した

少年の持つ生首は 主神の怒りの媒体
173早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/15(火) 21:36:57 0
不快を与えるような書き込みごめんなさい、
愚劣な行為です。勝手に書き込んで勝手に独り反省してます
母親の生首、にひどく動揺してどうしようもない不安感、後先考えず衝動的に
自分の内で解毒すべき葛藤を、抑えきれずここに吐いてしまいました
神々の悲劇的な世界を無視しすぎると、精神的な調和が乱れ、代わりに現実で惨事が起こる
という飛躍的な考えが、形象化されないまま野蛮な状態で衝動的に書き込んでしまいました
罵倒するか無視するかして下さい
いつも反省してます
罵言暴言ばかり、本当に申し訳ないです
たいへん失礼しました
174考える名無しさん:2007/05/15(火) 22:45:36 0
>>173
自分を責めないで・・・
175考える名無しさん:2007/05/16(水) 00:28:23 0
>>174
バーカwww
176考える名無しさん:2007/05/16(水) 00:44:09 O
早が犯人かもなっとちょっと思った。
177考える名無しさん:2007/05/16(水) 01:38:37 O
哀れなる母! 汝は苦を生む者なり。
偉大なる苦を授かりし者なり。
愛故に汝は苦しむのだ。
苦しむがよい! 愛すがよい!
然らずんば、吐き出すがいい。
戻るがいい。空虚へと、女へと。
178早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/16(水) 22:22:27 0
>>176
17は、記憶ある限りでは、はじめておねしょした歳。
最期の音楽、尾崎かモーツァルトかどちらにしようか迷って尾崎にして、
何本も瓶飲み干して、目が覚めたら、おねしょしてた。まぁ、17というのは、一番、難しい歳でありましょう。
17才のカルテって映画大好きです。

鳥越アナウンサーが、表面的な解釈しかできない人達を前にして、
いいこと↓のようなこと言った。
こういう犯罪は、合理的に解釈しても、本質は見えない。

ああいう犯罪は、心の深海に逝ってしまったような悲しき青年のすることだから、
心の波の模様だけみてるような理論家達が何言ったってどうしようもない。もっと、全体的に見る視野がいる。

僕は、たとえばラスコリーニコフを愛することで、多感な青年の犯罪がどういうことなのか、
しっかり考えたのでなく「感じて」、そのおかげで、小説の中で苦悩を「消費」できました。
作家は小説書くために苦悩して葛藤して書いているのだから、こちらが深く感情移入することで、似たような心的体験ができる。
小説の主人公との心的同一化は、どんな教育よりも大切なことです。
神話をしっかり味わって読むことで、神話の世界で、人間の恐ろしい根源的真実を「体験」できるような気がする
ギリシャ神話でも聖書でも、読書の体験は、生きる精神的土台になるような大事なこと教えてくれる。

ごめんなさい、僕はとにかく反抗するために、自分から毒を飲んで、自分の中で戦わせることによってパワーアップ、
精神的に脱皮する。ちょっと、背伸びしすぎて無理に脱皮しようとして、出血したのが、この情報の海に、
一滴ぽとんと混じったようなものです。母の生首、って余りに衝撃的、こわい。
自分の思索課題にも引火してしまい、衝動抑えれず書き込んでしまいました

ルサンチマンというのは、きっと消極的反抗、殻に逆らえず泣き言たらすことで、
力への意志というのは、積極的破壊、殻をぶちやぶって、自分の精神的領域広めることでしょう
179考える名無しさん:2007/05/17(木) 02:14:50 O
>>178
演じる才能があれば楽しいだろうし、学ぶとはそういうことだろうね。
人間社会も劇みたいなもんだし。

母の生首というが、しかし、彼女は母ではなかったんだよ。
彼はむしろ母を守るために、誰かを殺してやっただけなんだ。
彼女は誰でもよかったんだ。
180考える名無しさん:2007/05/17(木) 02:35:34 O
衝動的にでも母親の首をギコギコすることはできまい。
彼女は数年来既に母に扮した他人として、存在していたに過ぎなかったであろう。
彼はその他人を殺すことで、母が汚され、傷つけられるのに止めを差したのである。
彼は母を守ったのだ。
181早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/17(木) 19:19:37 0
>>179
人生なんて誰のでも、たくさんの喜劇がぎっしり詰まった一つの悲劇さ、みたいなとてもいけないこと、
たまに思ってしまう、というより突然フっとそういう想念が胸をよぎってしまう。
冷笑、というのは、とても悪魔的なものなのかもしれない。
でもニーチェの哄笑は、元気や情熱を与えてくれる。だから大好き。

罪を犯した彼は、殺人に関する本を読み漁ってたみたい
人生や社会に空虚感じはじめると、死、に関するような刺激的なことが欲しくなってしまう。
殺人に関するものばかり読んでたら、そりゃ気が狂ってくる。
僕の場合は、その刺激的なものが、愛、を詠って悲劇を体現したような尾崎豊や太宰治、
あるいはメンタルサイト乱読、自殺願望などだったからよかった
毒をわざわざ取り入れそれを浄化する、自ら病んで克服する、罪悪感を創造して悩む、
こういうことも一つの刺激。
そういう類の刺激や、芸術、あるいは実際の人生の苦痛が先行した上での哲学的思索のほうが、僕にとっては重みや実感が感じられる。
哲学ばかりが先行しても、ただ概念の上に概念を構築してそれを操作しているだけで、概念が生命感をもった本質的な物事から、
だんだん離れていっているような気がしてしまう。
直観的内容を含んだ概念の創造や観念的思考というのは、情動や想像力が先行してはじめて、できるんだと思う。
ニーチェは、真理や道徳によって駄目になってしまわないために芸術が力強く機能する、て書いてた
ソフォクレスの高尚な悲劇が、エウリピデスの庶民的な喜劇に取って代わられたことに、
ものすごく不満ならべてた
182早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/17(木) 19:21:45 0
「神話という悲劇(あるいは魔神的なもの、元型的なもの、純文学、宗教の象徴体系など)を誰も知らないから、家族同士の殺人のような惨事が起きる」
という僕がいつも心に抱いて、執拗にここで表現した考え、
「戦争が起こらないから、人を殺そうと思った」
という彼のような、ほとんど分裂病的な発想かもしれない
少なくとも上のポエムは、女々しい愚痴、只の病理です
どちらにしても、あらゆるものにたいする脱神話化には、僕は反対してます
科学的世界観も、生の現実を、概念群という虚構で歪めて初めて存在する

男のくせに、千と千尋を観ただけで涙止まらない、そんなくらいどうしようもない感じやすい神経なんです。
何かあって不安定になると心の弁が緩んで、毒など含めて抑えておくべきものが漏れてしまう。
漏れてくると神経が昂奮して、また弁緩んで漏れて、さらなる昂奮を呼んで・・循環
そういうことが起こらない限り、もう迷惑な書き込みしに来ることはないと思います。
知りたい感じたい表現したいという欲求が、僕にとっては生理的な欲求なんです・・
暴言やお馴染みの自己告白ばかり、本当に目障りな書き込みしてしまってごめんなさい
失礼しました。
183早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/18(金) 18:10:23 0
書き込みないので・・・ニーチェスレは、愛読書の一つです・・
>>108
僕は、神話芸術だけを上において、理性を憎んでいるわけではない。
ただ、現代のインテリ達の思考は、理性に偏りすぎている。
そして、非理性的、感性的なものが、通俗や専門的領域だけに存在してしまっていて、
頭のいい人たち、評論家たち、哲学に通じている人たちが、感性離れしているような気がする
哲学と芸術、科学と神話を、自分の中で繋げられるような知性が、本物に最強の知性なのだと思う。
ニーチェのような本能と直結した思考。
そういうふうな知性が育ちにくいような、世界になっているような気がする。
たとえば、108さんの文体を見ると「神話」という言葉を理性的にしか捕らえられていない
もちろん、それは悪いことでなく、現代では当然のこと
でも、ニーチェやユングが「神話」という言葉を使う時、彼らの心の中には、
大いなるヴィジョンや感覚があってはじめてその言葉を使っているように思われる。
神話と理性の対立や調和を、言葉の上で理性的にしか行わないから、結局、「神話」という言葉が、
たんなる名詞にしかならない。言葉の上でなく、「心の中で」、神話と理性を対立させると、
一種のダイナミズムのような力動的感覚を、神経が昂奮している時の僕なら、強烈に「感じる」
例えば僕はまだ詳しくないけれど、ベルクソンの「純粋持続」というのを真に知るためには、
ものすごくヴィジョンや内部感覚を総動員させる必要があると、僕は思う。
184考える名無しさん:2007/05/18(金) 18:56:02 0
親殺しが禁忌って、ドストエフスキーじゃあるまいし
185考える名無しさん:2007/05/18(金) 19:42:01 O
実際、天才、偉人というのは生まれにくい時勢だろうな。
逆にそんな時代だからこそ、超天才が生まれるのかもわからんが、
この時代の知ったことじゃないわな。

どの分野の達人も通じあうものらしく、境地はある意味同じなんだろうから、
初め理性に重きを置こうが、感性にだろうが、技術だろうが、地位権勢だろうが人の勝手でしょ?
要は、凡人だらけというだけの話でしかないのよ。
186早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/18(金) 20:14:59 0
>>184
自分を生んでくれた親を殺す、というのが起こるのは、死、に対する認識や直覚が欠如
しているような気がするんです。死、を何より教えてくれるのは、神話や宗教です。
死を知れば知るほど、生きている実感がします。僕は、自分が今この世に生存している、
ということ自体に対して、稀に深い恐怖を感じたりするんです
少し関連してニーチェの自伝の最後の方に、ディオニュソス的精神は、生存そのものが既に神聖なものと
強く感じることのできる精神であり、だから、生存にいかなる苦悩があろうと、その苦悩を徹底的に肯定する、
とあったような気がします。
まぁ、親殺しにいちいち反応するような僕の神経構造や考えは、きっと個人的すぎます

>>185
僕は天才が生まれて欲しい。たまには生まれているはずなのに、その天才性つまり時代を地の底から治癒できる精神
が既に時代に抑圧されてしまっている。たまには思想的天才があらわらないと、
哲学は世界の存在自体、生命の存在自体の本質に関わる領域から離れて、社会的に機能するものであるか、
そうでなければ単なる概念遊びに堕しってしまうような気がする。
ユングのような宗教的天分をもった「学者」こそ、世界にもっとも必要な人物であり、
そして生得的にそういう天分をもって生まれたとしても、時代に黙殺されざるを得ないような救済者だと思う。
麻原のように、宗教的には大いに尊敬すべき段階までいったとしても、結局、学問がなければ、
排他的な世界を作り、現代と敵対せざるを得ない。
神智学や人智学とかは、エーテル対とか霊界とかみたいにあきらかに全ての概念が現実離れした比喩でしかない。
科学的世界観の概念の不具を指摘できるのは、ニーチェのような人の心を直接扇情するような巧みな芸術的な比喩とか
ユングのような宗教性を帯びながらも経験的な確かさや現実的機能性をもって創造された概念とか、そういうものだと思う。
どの分野の偉人よりも、やはり、生命とか宇宙の本質に関する天才性をもった偉人が、一番、多くの人が無自覚であろうと、
本人は黙殺されようと、根底的に人々に大きな贈り物をする天才だと、僕は思います。
187考える名無しさん:2007/05/18(金) 20:15:03 0
早いつもどの板にいるの?あなたのファンです
188考える名無しさん:2007/05/18(金) 20:26:17 O
理性も感性も鈍いだけよ。
我々はそうなるべく教育を受けたわけで。
そういう教育をしないことには社会はまずキチガイでいっぱいになるだろう。
そういう社会なんだから。
で、キチガイによって社会は変えさせられる。
で、いずれ以前のキチガイが標準になるのかもな。
189考える名無しさん:2007/05/18(金) 20:41:12 O
キチガイが社会を変える。(名言じゃないか)
だから、興奮して早漏してしまったんだよ。
190考える名無しさん:2007/05/18(金) 21:06:28 0
>>186

確かに。
ニーチェとユングには何か超越したものを感じる。
191考える名無しさん:2007/05/18(金) 21:09:40 O
キチガイの天才的リーダーの潜在的ファンは増殖中らしい。リーダーは誰か?
そうだ、早なんだ?
192考える名無しさん:2007/05/18(金) 21:15:09 O
>>191 チンポの彼女(脚本家)に影で操られるチンポ(主役)だろう。
193考える名無しさん:2007/05/18(金) 21:21:45 O
まあ、なんにせよチンポの現象学には気をつけろということだな。
194考える名無しさん:2007/05/18(金) 22:38:13 0
早君に質問です
永劫回帰って
ほんとうにあると思いますか
あるいは
その解釈について
君の意見を聞きたいね
195考える名無しさん:2007/05/19(土) 01:06:07 0
永劫回帰の意味など知りうるわけがないと言うんでしょ?
そんな面白味のないミュージシャンのファンですww
196早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/19(土) 03:10:00 0
>>194
「悦ばしき知恵」の有名な、悪魔が、この人生を無限回繰り返すことを欲するのか、
て問うところの永遠回帰の表現は、永遠回帰自体というよりは、
永遠回帰から直接導かれた考え方って気がする。
この瞬間が何度繰り返してもいいようにこの瞬間を生きろ、
とか、永遠回帰は生を否定するとか肯定するとか、そういう倫理的あるいは実在論的な考え方。

永遠回帰に本質があるとすれば、もっと時間とか宇宙とかに関するようなものだと思う。

僕は、まず、時間というものが何なのか、はっきりわからない。
時間はきっと、人間の内部感覚でおこる現象のうちで空間よりも先立つ最も前提的なものだと思う。
でも時間が外的世界にもともと絶対的にあるものだとは、個人的には信じることはできない。
物理学に詳しくないから、断言する勇気はないけれど、僕はとにかく時間は観念のうちにあるものだと思う。

永遠回帰と関係あるかは分からないけれど、僕が思う過去の自分と今の自分の関係
全ての過去の瞬間(のあらゆる現象)は、結局、現在に「実際に」存在している、
少なくとも、現在の存在に不断に影響を与えている
現在だけでなく、ずっと永遠に存在しつづける、永遠に影響を与えつづけている
・・・・・妄想かもしれない、自分が何考えてるかもよくわからない
これだと純粋持続、に近いかもしれない・・
これだと「円環」というのが説明できない・・わからない

197早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/19(土) 03:16:25 0
とにかく、僕は、外に時間が絶対的に存在するものだとは思わない。
子供の頃、時間と記憶の関係に対して本当に恐怖していた。
時間が完全に崩壊するときというのは、ある。
僕の個人的体験では、気が狂っているとき「ありえない偶然」「意味のある偶然」いわゆるユングの言う共時性現象をよく体験する。
頭に思い浮かべた人名や名詞が、ぱっと開いた本のちょうど自分が見たところに書かれている。時間が逆になってる。
時間が崩壊している、あるいは、時間を完全に無視した現象。

ニーチェが湖畔で永遠回帰の思想が閃いた時というのは、たぶん、
時間がものすごく崩壊(←精神状態と関係している)して、だから未知の言葉で説明できないような思想、
永遠に関する恐ろしい思想が出てきたのかもしれない。
とにかく永遠回帰自体というのがあるとすれば、神秘的「境地」としか言いようのないものかもしれない

>>187
此処以外には書き込みません
ここも、昂奮して混乱したりしないよう、ほどほどにします・・
混迷した言葉、エゴの混じった暴言が、悪影響になってないか、反省してます・・

>>191
僕の言葉に、空想的思弁ではないための要素があならそれは、
真性のキチガイから今の半キチガイまで回復するために、
ユングやニーチェをしっかり読んだ、ということです。
だから、僕の言葉にいくらか誤りや飛躍があったとしても、
僕の心の血が現象学的には通っているかもしれない・・
198考える名無しさん:2007/05/19(土) 08:32:04 0
>>196
ニーチェの時代では信じられなかったが
現代では
永劫回帰は宇宙物理学でいうと
宇宙が発生と終焉を無限に繰り返しているらしい。
この瞬間が無限に繰り返すことが
この宇宙で本当におきているかどうかはわからないが
可能性として
あるいはわたしたちの想像で永劫回帰を宇的規模で考えることも可能でしょう。
真実かどうか誰にも
わからないが真実として受け取ることも可能です。
ツアラツストラの永劫回帰をそのように読み込むことも可能でしょう。
神はそのときどうなるのかね。
199早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/19(土) 11:07:58 0
>>196
実在論的→実存的
>>198
その物理学の仮説が真だとして、永劫回帰や運命愛に関することを考えてみる
今の自分が、宇宙終焉後の宇宙再発生のあとまた今の自分になるためには、
宇宙のあらゆるもの、自他含めて全ての人の、心の中のあらゆる現象や実際での行為、すべてが、
まったく同じように繰り返さなければならない。
何かひとつが変わっただけで、その宇宙は全体的に全く別のものになってしまう
心のなかでの想像、言葉や音楽での表現、実際の行為、すべてを「力」だとすると、
その力が「酔歌(ツァラトゥストラ)」にあるように、「鎖でつながれ、糸でむすばれ、愛でつながれ」ていて、
宇宙は成り立っている。宇宙は、全て力の絶え間ない犇めき合い。
自分が発現した力あるいは今から発現する力すべてが無限回繰り返すようなことがあっても、
そのことを後悔せず完全に肯定するのが、運命愛だといえるのだと思う。
自分の力(例えばここへの書き込みなども)全てが、宇宙に影響を与えていて、
無限回繰り返されるある瞬間を創造することに、必ず寄与している。
偶然の思いつき、共時性的な偶然の一致、何も意識しなければ単なる偶然とみなしたような現象、
それらすべても力。力によって、あらゆる無限回繰り返される必然的な瞬間が決定される
力を、ただ力という概念としてとらえるのでなく、そういう宇宙規模の想像裡でリアリティや生命感を伴って捉えるのが、
運命愛へ近づくことかもしれない

ニーチェは、湖畔で、その物理学的仮説あるいはそれに類するものを、完全に直観でとらえたのかもしれない
仮説としてではなく、実際にそういうことがおきているかもしれないという「驚きと恐怖」が混ざった実感で
時間とか宇宙とか考えると、混乱する
永劫回帰も純粋持続も共時性も、よくわからない
>>195の期待に答えて、知り得るわけない!にしておこう・・

>>196
永劫回帰というのは、というよりニーチェが永劫回帰というとき、
ニヒリズムもニヒリズムの克服も、同時に含んでいるような気がする
そうであると見做されていた(あるいはニーチェが神と呼ぶ存在が与えていた)世界の意味が完全に消えうせ、
「力」が世界に意味をあたえている、そんな類のことを直覚するのが永劫回帰の境地なのかもしれない
200早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/19(土) 21:35:56 0
奇怪な書き込みばかりだと過疎にしてしまいそうなので去りますね。
1ヶ月に一回くらい、来てみるかもしれません。もしかしたらこないかもしれません

もし僕の言葉を強く信じてしまう被暗示性の強い方がいたら以下のこと頭いれといてください
「都会に蠢く俗物」「機械のような学者」とかいう言葉があっても、
僕はそれらが悪いというのを訴えているというよりは、精神的に奴隷になりたくないので
自分の「脱皮」のために罵倒しているだけです。真似して都会嫌いにはならないでください
つま先骨折しそうなくらい背伸びして、骨折しても病名という包帯巻かれるのを嫌がって、
病室に幽閉されるよりは、つま先折れててもツァラトゥストラに導かれて砂漠で歩くほうがいい、まだまだ青春真っ盛りなのであります
ランボーは精神の砂漠を歩きすぎて詩に嫌気さして、次は実際の砂漠を歩きすぎて、ひざの腫瘍で死んでしまった・・
今日、用事先の都会的な最寄り駅で、ちょっとした催しみたいのがあって、
10人グループくらいの10代後半の女の子が和太鼓的な和風の音楽にあわせて、
踊っていました。
僕は音楽を聴きながら彼女達の、身体の動き、なびく髪、身体のライン、顔の貌、見とれて、
審美的な或いは官能的な歓喜に少しほろ酔い気分、一生懸命練習したんだろうな、と感嘆しました。
都会、俗物、インターネットを嫌うときは、それ自体を嫌うのではなく、それによって自分の精神が束縛されることを嫌悪しているだけです
それに僕自身は俗物ではないと思うけれど、単なる好奇心旺盛で突飛な神経をもったディレッタントなだけ。
コウモリが聞くことのできる音を、人間が聞くことができないように、神経によって知覚できる世界が決定される。音だけでなく、時間とか存在そのものとかに対する知覚も。
僕のファンになるよりは、僕がよく名をあげる人のファンになったほうが、ずっと創造的。
ユングは難解なので、ユング関係なら最初は河合隼雄さんや林道義さんの著作がお勧め。
タロットやオカルトばかり持ち出す人の著作よりは、上の二人の方がいいと思います。

以下どうぞ話題かえて、哲学して欲しいです。このスレ読むの好きです
失礼しました
201198:2007/05/19(土) 21:40:52 0
>>199
早君
真摯な意見をありがとう
君をすこし誤解していたようだ
202考える名無しさん:2007/05/19(土) 22:02:05 0
集合的無意識ってのは、気のせいなのかねぇ・・・・
203考える名無しさん:2007/05/19(土) 22:22:51 0
>>202
無意識に通り過ぎてることをあえて意識してみると集合的無意識の存在が垣間見えるかもしれない
204早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/19(土) 22:47:31 0
>>201
いえいえ。またたくさん知識ためた後くるかもしれません
そのとき、色々試してください
気性の変化が激し過ぎるので、ほとんど常に自分でも自分を誤解してます・・
>>202
僕は、集合的無意識あると思う
僕の母が、ヨーロッパを旅行しているとき、祖母の顔の幻視を見たことがあるんです
それと同じ時刻、祖母は日本で、持病の発作で昏睡していたらしい。
子供のころ母からそういうの聞かされたり、幻覚や恐怖感が起こったりしてたから、信じやすく疑いやすい性向があるんです
こういうのは、集合的無意識とかいう仮説がないと説明できない。
元型、というのは、既に仮説の域を超えて、かなり妥当性がある
もともと、僕にとっては、あらゆる全ての常識も概念も仮説が一般化されたものだとしか思えません。
ニーチェによると、真理とは、錯覚であることを忘却された錯覚。
常識も既成概念も、多くの人が経験してきたものを説明したものだから、一般化されただけで、
集合的無意識とか、一見疑わしいものでも、単に、経験した人が少ないという点のみが、
常識や既成概念群に比べて妥当性としては劣っている点なのだと思います。
心を海に喩えると、常識や概念で心の中を把握するというのは、工事中の鉄筋建物のような立体的な骨組みを心の海のなかに沈めていくことで、
認識主体が海の中を認識し、他の人と、概念という構築物によって認識方法や思考方法を共有しているといえるかもしれない。
集合的無意識で説明されるような心の深海にへたどりつくのは一部の人であるから、そこへの立体的な骨組みが一般的には届いていない
だから、ユングのような宗教的天賦をもった学者がはじめてそういう概念を構築することができた、僕はそんな風に感じます
僕は、心の海に溺死しそうなとき、何でもいいから概念を理解して、藁でもいいからしがみつく、というようなことをしていた
錯覚でもいいから、真理であるとされる常識や概念がないと、人間は心の海に沈んでしまい、都市化情報化された現実とはかけ離れてしまう
だから、便宜的に、常識や既成概念は一般化されている、といえるかもしれない

205早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/19(土) 22:54:18 0
美和あきひろさんが、いいこと↓言っていた
言葉をたくさん知ると、自分の心を表現できる

今度は心をゼリーに喩えてみると、心的な病というのは、ゼリーがえぐられている状態
その傷口も、色々な感動的な言葉で埋めていくことで、生かせるかもしれない
ニーチェの嘔吐は、硫酸で、ゼリーの傷口がさらにえぐられるかもしれない、
しかし、その分、言葉を心の深層へ引き込む可能性も得る。
そして、心の深層を、巧みに表現できるようになるかもしれない



最後に書きたいこと書かせてください。

僕は「高貴」よりも「赦し」が好きかもしれない・・
僕は、「文献学者的誠実さを欠いた(反キリスト)」パウロ的な癲癇質かもしれないけれど、
パウロはニーチェの言うような嘘吐きではなく、すごい偉人だと思う・・
何いわれても何されても、心の中で赦せるのが一番いい、てイエス・キリストやパウロの言葉読んでて思った
赦しというのも、ニーチェが嫌った原因と結果、罪と罰、被害とルサンチマンなどを奴隷的に結ぶ糸を、優しくほぐしてくれるような気がする
206202:2007/05/19(土) 23:34:21 0
>>204

マイノリティーなんだよなー俺達。w







207考える名無しさん:2007/05/20(日) 01:23:25 O
子供を考えると、非現実性は生の過剰、横溢、肯定であるといえ、
望ましいようであるが、しかし一体だから何だってんだと思うね。
年寄りが過ぎたことを望んでも、それはキリスト教的否定を上回る現世否定になる。
その迫真の非現実性は狂気になるわけだ。
一方、子供の非現実性は遊戯なのだ。
無理やり非現実的であるべくするのは無用なことである。
子供に遊ぶなというのも馬鹿なことだが。
とはいえ人間が手段であるような社会ではあるいは仕方ないのだろうが。
こういった社会では道徳も宗教も友情も愛も芸術も学問も娯楽も、人間に関するあらゆるものが手段になる。
本来社会が手段であったはずだが。
本来世界が手段であったはずだが。

それゆえに本来的な人間は世界を手段にして遊ぶ。犠牲を強いる。
我々は敢えて犠牲になるよう努めることはない。
敢えて邪魔することもない。
208考える名無しさん:2007/05/20(日) 01:55:52 O
キリスト教これは手段化されているものであろう。
その意味ではキリスト教は生を否定するものとして作用する。
だがキリストはむしろ甚だしき生の肯定を説いている。
彼は現世の地獄をすら嬉々として肯定するのである。
ここに悲劇的精神の本質がある。
それは冒険の快楽である。
力への意志、力を覚える快楽である。
高揚した精神の眺望の美しさ、自由がそこにある。
209考える名無しさん:2007/05/20(日) 02:24:04 O
全くだ。
全く悲惨な人生を勧めておきながら、
地獄は現世にはないと。それで幸いだと。
ヤバいね。
210考える名無しさん:2007/05/20(日) 02:32:47 O
現実的にキリストに従うことは貧困な人間にはできない真似であり、
彼に従えるように努力することは、
力への意志の現れである。
211考える名無しさん:2007/05/20(日) 03:59:00 0
>>196
永遠回帰ってなんだ?
 ↑
212平下流:2007/05/20(日) 04:27:15 0
>>211
ニーチェの理解?という意味からすれば、永遠回帰に拘ることはないと思います。
矛盾するようですが、彼の心にあったのは here and now だと思います。
213考える名無しさん:2007/05/20(日) 22:34:19 0
>>194
ハイデッガーはその著作「ニーチェ」において、この永遠回帰は自由と必然の二律背反、自由について
の因果性の問いでもないと書いた。永遠の昔から人間の運命が定められているといった宿命論・運命論・
決定論でもない、とも。 「私の教えは告げるーもう一度生きることを汝が願わずにいられないように生きること、
これが課題であるーいずれにせよ、汝はそう生きるであろう。」(ニーチェの手記)
 ハイデガーは書いた。
「もしも汝が現存在を怯だと無知にすべての帰結へと退転するに委せる」ときと「汝が次の瞬間を、したがって各瞬間を、
最高の瞬間へ形成」するときとの、この2つの場面は「汝の決断、その意志に基づいている」という。この決断と意志が
永遠を決定する。「(各瞬間の決断には、引用者)永遠が賭けられている。」(邦訳472ページ)
214考える名無しさん:2007/05/21(月) 01:04:05 O
私は苦を肯定する。大いに肯定する!!
仮象ゆえに! 仮象のために!
仮象を創造するために! 仮象に憩わんがために!!
他でもない、苦が、果てしなき苦しみこそが、人間に力を与えせしむるのだ。
苦が力を持つことを、溢れんばかりの力を手にすることを強制するのだ。
底知れぬ創造性、喜ばしき知、芸術、歓喜を得ることを。
215考える名無しさん:2007/05/21(月) 01:05:58 O
プ
216考える名無しさん:2007/05/21(月) 01:35:31 O
ニーチェって若いよな。
217考える名無しさん:2007/05/21(月) 13:00:14 0
>>216
若い、若い、ニーチェは若い。
218早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 13:46:16 0
>>214
そういえばディオニュソスは、仮面に関する神でもあるらしい
昔のどこかの民族が、ディオニュソスに関する儀式で、大きなディオニュソスの仮面を、
木に吊り下げてた、ていうのを、あまり記憶が定かではないけれど、何かでちらっと読んだことがある。
しかも仮面と服だけで、中は無し

仮面だけってのは、不思議
姿を見せているのに、本体は無い
見えるのに、存在していない
不思議な二律背反

ニーチェは、怪しい仮面とツァラトゥストラという偶像を本に遺し、死後も幽霊のように、本から立ち上ってくるような・・
影響力ある作家や思想家は、仮面になりきったような、仮面に自我を深く濃く混入したような、
あるいは既に自身が芸術作品そのものに近づいてしまったような、そういう人がおおい。
219早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 13:48:58 0
ドストエフスキーの小説の登場人物も、読後もやたらと、幽霊か何かみたいに心の中に住んでいるような錯覚がする。
登場人物ってのは、苦痛が生んだ作家の仮面かもしれない。
ドストさんはきっと、たとえば「地下生活者」を書くことで、自分の恐ろしい苦痛を、あの病的な自意識過剰な主人公という仮面つまり自分の自我とは別の存在として、
外へ排出することで、あたらしい自分の自我を創造できたのかもしれない。
あの自意識の煉獄を描いたような一人称で語られる小説、最後の方、だんだんと主人公の自称がおかしくなってきて、現実と作品の境が曖昧になっている
「全く糞面白くもない話だ。小説には主人公といものがもちろん要る。しかし、この話の中には、
わざと計画したように、主人公らしいものとは全く正反対の性質ばかり、一々丹念に寄せ集められているじゃないか」
この部分に対して、小林秀雄が上手いこと言った。
「一人称小説の形式は、その最も烈しい純粋な形で挫礁した。失敗したのではない。
計画通り見事に暗礁に乗り上げたのである。その事こそ、主人公には得られず、
作者には与えられた、明答ではなかったか。曰く、新たに自分自身を生め、と。」
純文学の世界は、とても深い・・
書く直前とか書く時の作家はきっと、自分の心が仮象そのものに限りなく近づいて書いている
太宰治は「地下生活者」の場合とは逆に、あまりの苦痛から仮面が生まれ、その仮面の力が強すぎて、
書いてる内に自分が仮面道化師、仮面悲劇役者そのものになってしまって現実と芸術の区別をだんだん失って、
実際の行動でも、幻覚のヴェールを纏った芸術的な悲喜劇的なことばかりに近づいたしまったんだと思う
悲劇を体現するっていうのは、自分が描いた偶像に支配されてしまったような、ことなのかもしれない。
でも、皆が心の深層では根源的に描きたい仮面を、精神的苦痛に耐え続けた芸術家が、小説で上手く描くことによって、あるいは実際に体現して生きたことによって、
皆は、鑑賞の内に、苦悩とか悲劇を消費できて、つまり鑑賞の中で生にとって重要な破壊と創造を体験できて、
現実生活では破壊と創造の苦しいプロセスから逃れられ、安定した日常を送れるのかもしれない
220考える名無しさん:2007/05/21(月) 14:46:53 O
早って早いよな。
221考える名無しさん:2007/05/21(月) 15:01:14 O
世界とは最もたる苦しみを持つ者による最もたる仮象である。
おぞましい喜悦である。
222早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 15:08:24 0
>>220
ええ、きっと何かが、いつも早いです・・・
>>221
世界は、根源的一者が見せた幻、あるいはショーペンハウアーの「意志」の実体化でしかない、ような気がたまにする
僕は、世界が存在すること自体を、いつも疑ってしまう・・・
ニーチェとか尾崎豊とかのタイプの天才は彼ら自身が根源的一者の直接的比喩になったんだ、と思ってしまうときがある
僕らは根源的一者の間接的比喩でしかないんだ、とか思ってしまう・・

>>207
ニーチェの文章というより文体からは
生命力の過剰による能動的ニヒリズム
それを克服するための
生命力の過剰による現実の創造的歪曲
そういうものが感じられる。

ニーチェの言う「系譜学」、ってのは、ほとんど「歴史の能動的歪曲」、みたいな気もする。
ニーチェの考え方はいつも、自分の全ての過去でも、人類的な歴史でも、現在のために存在しているのであって、
現在が過去があったことによって存在しているのではない、というような考え方。
でも、年寄りは、今までの人生は現在のためにある、今までの人生を生かして現在を創造していこう、
という風に考えるよりは、過ぎ去ったことを懐かしむほうが、自然かもしれない・・ニーチェは、若い・・・

僕はあまり、現実と非現実をはっきり二分するのは好きではないかもしれない。
そういう風に最初から分けてしまうと、現実は硬くなっていくだろうし、非現実的なものは現実的な人からは全く理解できない世界になってしまう
夢の世界で得たものによって、現実への新しい視野を得る、現実を創造的に変えていく、というのが、一番大事だと思う。
>>213
僕は昔から「時間」が本当に存在するのか、過去なんて本当にあるのか、疑っていた
ハイデガーの「時間性」というのよりは、ベルクソンの「純粋持続」の方が、
まだ二人とも少し齧ってみた程度であまり理解していないけれど、後者の方が個人的にはしっくりくる。
ハイデガーの不安と関心が表裏にあり、死を自覚することによって、不安を知り志向的関心が高まる、という考え方はとても気にいった
僕は、幼い頃、死ぬのが怖くて怖くて、不老不死の薬を発明する学者になりたい、て図鑑を濫読しながらよく妄想していた・・・
223考える名無しさん:2007/05/21(月) 15:20:05 O
苦痛にのちうち回るがよい。我の姿、素顔を見たい者よ。
そして狂喜するがいい! 乱舞せよ。
赤々と輝く鉄板の上で。
我が光を拝むがよい。力を授けよう。
おぞましき喜悦、哄笑を!
224考える名無しさん:2007/05/21(月) 15:23:55 O
早!! 早い! 早いよ!!!
時がこれほどまでに矢の如く過ぎ去ってしまうものとは!
225考える名無しさん:2007/05/21(月) 17:34:25 O
何故にこうも相似た人間が渦巻いているのか。
複写にすぎないではないか。
個々の人間は無価値な一音符に過ぎないではないか。
旋律はあるのか? あるいは不協和音の継続に過ぎないのか?
旋律は見いだされるべきものなのか。
あるいは創造されるべきものなのか。
誰が社会を唄えることか!
226早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 19:05:09 0
>>225
たくさんの、色々な人々の、心が発する個々の音を、誰よりも深く感じ取り、
その音の数々を、上手く組み合わせ、感動的な旋律にするのが、詩人やミュージシャン
心の音は、個々のままだと、不協和音
表現者がいなければきっと、旋律は生まれない

人の心の色々な要素と、自然界の美しいもの、あるいは架空の幻想的存在を、
想像の中で上手く混ぜ合わせることによって、詩人は心のあるべき美しい姿を描く。
想像力や直観力を使う人が世の中にいなければ、言葉は単なる質感も味も色もないような記号になってしまう。

想像しない人、考えない人、創造しない人、表現しない人は、
食べ物が通って排泄物が出るような器のようなものだ、
とダヴィンチさんが珍しくも皮肉な言葉を遺していたような気がする

詩を心にまぜることによって、心には色がつく。
音楽が心を流れることによって、心は躍動する。

言葉が人の心の中を美的に泳ぐことによって、あるいは言葉が象徴的に心を揺さぶることによって、
言葉が人の心を創造的に変えていく。

旋律を見出しあるいは創造し、社会に音楽を流して内部から心的に滋養するのが、表現者。
227ハヤヤ :2007/05/21(月) 19:27:44 O
感情や情念は個別的である、といわれる。
だがむしろ理より普遍的なものである。
理は情熱に内在するものであり、その軌跡に過ぎない。
228考える名無しさん:2007/05/21(月) 20:13:31 O
つまんねー
(´・ω・`)
229考える名無しさん:2007/05/21(月) 20:28:52 0
早さんの言葉を見てると思う、本当に半気違いなの?
そのわりには生死の問題に全く直結してない…話の大半が芸術へと転化してますよね?
僕が、この狂った社会でズタズタに引き裂かれた時に癒してくれる、信じれるモノは芸術でした。
けれど、全てを感情論へと転化するのは狭量にも思える
真の芸樹的理解は理性と感情に深く訴えることで、得られるのだと思う。
確かに、言葉は感情を表現するための、ただの音かもしれない。
それでも、生きる意味や死ぬ意味への問題に対しては、音だけでは、感情だけでは足りない。
早さんの言葉は救済にはならない、社会批判、正論ばかりで、本質が見えない。
本当に苦しんでいる人間にとても思えない…
僕が白痴なのか…
230考える名無しさん:2007/05/21(月) 20:31:06 O
>>228
オマイには情熱がない。故に理性もない。
231考える名無しさん:2007/05/21(月) 20:38:37 O
覚えておけ

情熱無き者、理性無き者
情熱無からば、理性無し
232考える名無しさん:2007/05/21(月) 20:42:58 0
>>230
229ですけど、安価間違ってないですか?
僕に言われてるような気がします…
233早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 20:54:32 0
>>229さんはきっと、
かなり悩んで必死で考えている人だと文体みたら分かる
僕は昔、悩んでいるというより、常に怒り狂っていた
今の僕は、頭の中が言葉よりも動画だらけで、その時の気分によって、
出てくる考えも理論も詩的な言葉も、左右されて、自分では頭整理できずどうしようもないんです・・
知識人が、引き出しに紙という抽象的な知識を入れて記憶して書くとき正確に引き出しているとすれば、
今の僕は、カレーの鍋に音も芸術作品も哲学思想も具にして全て一緒にぶち込んで記憶し、感情が火になって、
沸騰したら此処に書き込みにくるような感じです・・
とにかく今は、記憶が全て混じりすぎて、頭の中が連想だらけなんです。
あなたのように、今苦悩して必死で考えている、という感じではありません、どちらかというと楽です
昔は常に苦しんでのたうっていたし、一度は毎日喚いているか暴れているか飲んでいるような完全に獣になりました。
今は、もうほとんど社会的価値観と自分がかけ離れてしまって、社会に苦しめられているというより、別の世界で独り遊びしているような感じです
感情の上下の波が烈しすぎて、狂っているときは本当に狂っているし、
考えているときは考えている、というような感じです。
僕の方が、どちらかというと白痴というか幼児です・・


真の芸術的理解は、理性よりも感情よりも、「宗教的態度」によって得られるべきだというのが、僕の本音です。
ニーチェが嫌うところの道徳や戒律としての宗教というよりは、生死の本質に関わるような宗教的態度というような。
まだまだ、生死の問題は僕にとっては
胸の底がなくなったような恐怖感か
胸の中に何もなくなったような虚無感のような感覚でしか捉えられなくて、
ぜんぜん言葉にはできないんです。
まだ少し混乱気味で上手く説明できませんが、ゆっくり文章にしているところなのです
234考える名無しさん:2007/05/21(月) 20:55:22 O
>>232
間違ってるのはお前だ。
235考える名無しさん:2007/05/21(月) 21:15:59 O
情熱は同情である。
何に対する? 世界の根源的一者だ。
236考える名無しさん:2007/05/21(月) 21:44:38 O
ミトライデン… 絆
情熱無き者、世界との絆を持たざる者

ニーチェ、君は絆を捨てようとしたのだ。
君はあまりにも愛された男であった。
愛されすぎた。狂おしいまでに愛され苦しみ抜いた男であった。
237:2007/05/21(月) 21:46:24 0
>>229 >>233
すばらしい内容。まれにみる良レス。感動のハリケーン。
238:2007/05/21(月) 21:59:55 0
>>229 生きる意味についての個人的考察。参考に使ってくれ
 生きる意味を考えるにあたって、その答えが出ている場合、その答えの背後にあるのは人間の自画自賛による価値観か、もしくは感動による思考停止である。
それらをよしとしない人間(哲学者)は、命を肯定する為のとっかかりとなる絶対的な価値を求めることになる。しかし、それは存在しない。
 生命が存在する前まで宇宙にはモノしか存在せず、そこには何一つとして価値観のような概念も、尺度も存在しなかった。ただ物理法則が世界を覆っている空間である。
その空間に尺度や価値観が生まれたのは、世界を認識する主体、生命が生まれたからである。初め生命は生命とは呼べないような機械のような単純なプログラムであった。
その機械が感覚を持った。次に感情を持った。ここで注意して欲しいのは、それらの感情は必然的に機械のプログラムの為に生まれ,それに沿ったものであるということだ。
それ以外の余分な感情を持った生物は淘汰される。そして、自我と意識を持った。生命(人間)は複雑になった感情から価値観をつくり、それを意識し、語る。
生命を否定する価値観も実は生命を肯定する価値観から生まれたものである。
 生命の自画自賛以外に生きる意味は与えられない。そこにはキリスト教のような僧侶的な生物のある部分を絶対的に否定するような選別はいらない。
まずは生命の持つすべてを受け入れ肯定する。誰にとってもそうだとは思わないが、自分にとってこれまでの過程を終えた今となっては、それがとても心地良く感じられる。
239考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:00:44 O
Mitleiden ist Mitmachen.
240考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:17:21 0
>>213
ハイデッカーを通してしか
ニーチェと永劫回帰を理解できないとは。
ハイデッカーのニーチェ理解は誤解と隠蔽に満ちている。
241早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 22:19:15 0
すれ違いかもしれません
>>229
詩でも小説でも、芸術鑑賞するとき、感情というのは常に、対象だけでなくて、
自分自身への評価も含まれている。
理性ばかりがはしるのがいけない理由があるとすれば、感情によって対象と自分を深く
結びつけるということをせず、すぐに外部の知識や事実によって対象を解釈してしまう。
感情ばかりがはしるのがいけない理由があるとすれば、自己中心的排他的な理解しかできず、
他人に芸術鑑賞から得たものを伝えられなくなる。あるいは僕が上に書いているような、
感情論ばかりで、生命感は伝えられたとしても、対象から「意味」を抽出することはできない。

(続く
242早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 22:20:01 0
僕が「宗教的態度」といいたいのは、一言でいえば、「徹底的した自己認識」かもしれない。
たとえば、芸術作品や哲学原典から得られた内容をすぐ知識や事実と結びつけてもいけないし、
感情的に感じたときでも、その鑑賞対象から得られたものが社会的現実と対立する内容であったとき、
だからといって社会を簡単に否定してはいけない。
>>238のように、感動によって生きる意味が満たされたと思っている状態は、哲学者としては思考停止、自画自賛、自己満足でしかないかもしれない。
しかし、>>231にあるように、感情や情熱が何かに感動しそれで心が揺らいだ分だけ、
あとで冷静になったとき理性によって把握できるものは、増えるとおもう。理性による思考対象が増える分だけ、
理性的な思考力も鍛えられる。
感情的に得られたものによってそのまま感動して満足することに終わったり社会を否定したりするのではなく、
徹底的に鑑賞対象と自分だけを結びつけ、深く最深まで、鑑賞によって得られた遠近法や直観的なものの見方で、
感情と理性の二律背反の力動的緊張を用して、対象からも自分からも「意味」を抽出し、それを解析したり理論付けたりして
自己認識することが、大事だと思う。
社会を否定したくなるのには、どこか、自分の醜い部分、自分で認めたくないような部分、そういうのが、外部に投影されて、
社会を醜いものと見てしまうような気がする。
自己認識を徹底すれば、自分の善悪全てを見通すことができ、つまり>>239のように生命の持つ部分全てを受け入れることができ、
大衆が根無し草だったとしても、自分は地に根を下ろす木のように、外部に煩わされないような自我を得られると思う。
でも、心の地盤の一番底へ自我と直結する地に根を下ろすというのは、ほとんど宗教的といってもいいほど精神的に困難なのかもしれない
243早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 22:29:21 0
連続ごめんなさい
>>242
心の地盤の一番底へ自我と直結する地に根を下ろす×

心の地盤の一番底へ自我と直結する根を下ろす

>>240
ハイデガーは、自分独自のやり方でニーチェを読破した、て気がしたことがある。
でも、ニーチェは、そういう挑戦的なことされることの方が好きそう・・・
244考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:42:12 0
>>240
だれかが昔言っていた。ハイデガーの永劫回帰の解釈が一番常識的だと。
西尾幹二は「そんなものはまともに受け取る必要もない奇怪な思想と切り捨てたが、
ハイデガーはその思想を掬い取ったのだ。
 どこが「隠蔽と誤解」というのか?
245考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:43:59 O
感情と理性が一体になってないなら、
対立しているなら、それらは仮象である。
246:2007/05/21(月) 22:49:37 0
>>242
>心の地盤の一番底へ自我と直結する地に根を下ろすというのは、ほとんど宗教的といってもいいほど精神的に困難なのかもしれない
困難ですね。心の地盤に根を下ろすまでには今までの自分を否定することは避けて通れませんからね。
自分が一時無くなるわけですから、すさまじい孤独にも耐えなければなりません。
根を下ろし終わった後も、すぐに自我が回復するわけではありません。
247考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:53:29 0
彼女作れば元通り!

という問題でもないですか・・・
248考える名無しさん:2007/05/21(月) 23:08:17 O
女々しい早には社会との絆はあっても、
世界との絆がないのである。

1ヶ月に一度くらいくどいこといってやろう。
お前が批判しているところの者はお前じゃないかと。
簡単に否定してはいけない社会というのはお前じゃないかと。
249考える名無しさん:2007/05/21(月) 23:09:16 0
これだけは言えることだが
こんな世知辛い世の中だからこそ哲学というものを
再評価されてもいいとは思う

今まで考えられない事象が起きるのも哲学の喪失から引き起こされるものだと思うので・・
250早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/21(月) 23:27:19 0
>>244
ハイデガーという大物がそう解釈してもっともらしく書いたから、常識的になったんだと思う
切り捨てるのも、本当に宇宙が何度も同じこと繰り返すと信じるのも、ハイデガー的に解釈するのも、
結局は、ニーチェ読者がどうニーチェの精神とどう「接触」するかに因ると思う
ニーチェによると、思想を理解するだけでは真の認識とはいえず「接触」しなければならない
永劫回帰は、イエスの天国の思想のように、解釈をほとんど拒絶したような思想で
いわばニーチェの精神が込められた種で、読者は接触することで、自分の心に植え
自分の精神を栄養にして育てるのが、真の理解かもしれない。誰かの解釈を参考にしてしまうと、つまり
既成の概念をメスにして種を解剖してしまうと、価値は落ちる
固定的な定義づけをするのではなく、「悦ばしき知恵」の悪魔が告げる断章や
「ツァラトゥストラ」の門、昔の月夜の回想、蛇に噛まれる牧人の章などを
気に入った詩を心に保存する時のように、ヴィジョンや感覚的印象が混じった状態で、心に植えておいて
一生をかけて開花させていくのが、ああいう奇怪で思想や象徴的言説の真の対処法だと、僕は思う
>>245
理性と感情が、別離していては単なる仮象でいけないけれど、たとえばVの字になってて
その最下点が心の地盤についているような状態が、創造的二律背反だと思う
>>246
自己否定は、相当高貴な人でない限り、自己認識には通らざるを得ないものですよね
>>248
僕はたぶん、前きたときも今も此処で、自分との戦いを晒していたようなものかもしれない
自意識が溢れてしまったので、一部の人の神経に触れてしまったし、一部の人は僕に惹かれてしまった
もう女性には一人を除いてほとんど興味がなくなってしまったので、「両性具有」的自己完結をしたい
女性は性に心を支配されざるをえないけれど、男は、がんばれば徹底的に解脱可能な身体構造
キリスト教的な生命の否定ではなく、宮沢賢治的な神話的感性への昇華を求めている
そのためなら、徹底的に自己認識してもいいし、自分と戦う最中であれば、ずっとは嫌だけれど世界と縁がきれてもいい
今の自分の器では、狂ったり、女々しくなったり、幼稚になったりする・・・
自己告白ばかりごめんなさい
251考える名無しさん:2007/05/21(月) 23:31:44 O
女々しい人の場合、
感情的に振る舞うことや、理性的に振る舞うことが、
既に仮象であるから、既にここで満足するのである。
彼らは、人間を半ば創ることができるので、男らしい人より根源的な存在であると云える。
我々男らしい人の場合は、我々の存在自体が与えられた仮象であるから、
仮象の仮象でもってやっと満ち足りることができるのである。
252考える名無しさん:2007/05/21(月) 23:38:19 O
おいおい創造的二律背反だってよ! v(^▽^)v

マジだよ。
253早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/22(火) 15:32:20 0
>>249
同感です。大量生産工場的教育や若者の読書離れ言葉の欠如は、絶対よくない・・何か世界で起こった後にしか、
実際に自分が事件を起こした後でしか、反省できない。
プロメテウスの語源は、行動するまえに考える者。
でもプロメテウスあるいはニーチェの運命が示すように、過度の認識者の人生は受難であるのかもしれない・・・

癲癇質ってのは、中枢神経的側頭葉的本能が常に前頭葉的常識既成概念を打ち破ろうとしている。
今の僕が次の「僕」によって克服されなければならない。僕にとって「僕」は自己超克の道具なのかもしれない・・
きっとこういうegoisticな書き込みは、神経質な人には毒になってしまうかもしれない。精神汚染かもしれない。
だからやっぱり不特定多数が見ている大型掲示板にこんなこと書いてはいけない。

僕の書き込みに反応して意見とか書いてくださった人、本当にありがとうございました
現実では上っ面や笑顔ばかりでやってきたから、淋しくて、こんなスレ横領してしまったのかもしれない
宗教的態度、とか高尚なこと言っといて、淋しいから、かまってほしい、なんて、女々しい・・・
ネットアイドルなんかよりは、ルソーのような10代出家&放浪の方が、男らしい・・
ルソーは、独学で音楽もやって、オペラ作曲とかもしてたらしい
僕がとにかく一番言いたいのは、ユング的に言うと意識と無意識と統合
ルソーの言う自然人は、文明を否定しているから、無意識に偏っている
アストラル体エーテル体とかみたいな神智学系は個人的には嫌い
(比喩は、ニーチェのように個別的な一発勝負みたいにしたほうが、逆に象徴性や普遍性を帯びる。
(霊的なものを比喩でなく概念として一般化してしまうのは、オカルト的越観でしかない。個人的意見。
自分の内側に芸術鑑賞などにより自然人を見出し、現実では現代社会にあわせる、てのが理想かもしれない
僕や、ルソー、ニーチェその他僕がよく名を挙げる人は、無意識に偏っている
そういう人に熱狂したままだと、いけない。熱狂を知性で哲学的に解析することが、意識と無意識の統合、自己認識

早のせいで死にたいとか言う人いない限り、あるいは親殺しみたいな事件が頻発しない限り、
ここには書き込まないよう、そろそろ決意したほうがいいみたい・・

さようなら
254考える名無しさん:2007/05/22(火) 19:05:03 0
>>252
マジかよ!

>>253
さようならv(^▽^)v
255考える名無しさん:2007/05/22(火) 20:30:32 0
↑ここは自由な日記帳なんだから茶々入れちゃだめ
 でも読んでるとこっちが恥ずかしくなるのはなぜ?
256早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/22(火) 21:10:07 0
>>255
どうせなら、ご期待通り日記帳にしましょう。

ボードレールの詩に酔い痴れた後、ボードレール論を読むと論者を殺したくなる
ランボー全集を借りて、心を燃やしたあと、巻末の専門的注解を読んだとき、
図書館の本ではなければ焼却してやったのにぃ、家の中でおもいっきり思って投げた
ニーチェの解説書読むと、声高らかに笑い
病理学による芸術家の分析を読むと、偉人も、こんな陳腐な概念群をメスにされて解剖されたら、
きっと幽霊になって僕のような現代の狂人に憑依して、逆襲するだろうなぁ、
偉人の遺した精神は、死体と違って、解剖なんかできやしない・・と、ため息
火の玉はよく見る・・神秘体験した
さっき1時間前、頭の中で、オウム真理教も腑抜けたオカルティストみたいにユングの理論利用して、自分の主張を正当化するんだろうなぁ、
と頭のなかで思っていたら、2秒後、テレビでアレフの女性信者が不正に失業保険金をもらっていた、というニュース
共時性現象の頻発
5歳、アトピーで皮膚科いくと、猫飼うのが悪い、て言われて、キレて、皮膚のためにいきてるんじゃない!て医者に激怒
初めて2ちゃんみたとき、インターネットを憎悪して、2年前、一度、パソコン破壊して、ハードディスク(機械脳)に油かけて焼却処分
ウェルテル読んで、情動発作
哲学者達の、想像力や直観力のなさにはうんざり。物事の根底を見抜く力ない人、自分がこの世に存在しているということすら認識できてない人の、
血で欠けない思想が、本になるなんて・・あんなものの考え方自体、自然破壊や人間の脳の機械的情報化を著しく促進してしまっている、という飛躍的直観が飛んでくる
側頭葉てんかんについてのブログで、ゴッホをはじめとする天才達がこの病気もってたんだったら、
自分が持ってなかったのが残念、と書いてあって、それ見たとき、この人目の前にいたら、殺してやろう、と思った
ゴッホの晩年の精神病状態のときの苦痛を「想像」しただけで、泣き喚きたくなる・・・

「殺意」も「憎悪」も結局、病理、数千年まえだったら悪霊か何か、そう考えると、悲しくて、悲しくて仕方ない・・

誇張はしてませんが、 それでもやはり、
いかにも女々しい場違いヒステリックな書き込み
お許しください
257考える名無しさん:2007/05/22(火) 21:23:07 0
少なくとも僕は早さんの言葉を吟味してます
さようならなんて言わないでください
258早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/22(火) 21:29:21 0
僕はまだ、自分の恐ろしい悪の面を処理できていない、未熟な半狂人なんですよ
こうやって酷いかきこみして罪悪感をつくっては、あとで反省しつくすことによって狂人からのがれたいんですよ
良心、とはきっと、自意識を自意識する自意識ですよ。良心の煉獄。
僕は小学校低学年で、鏡みるの怖がってた。自分がいる、自分が見える、ていうだけで怖かった

ごめんなさい。
>>257
さようなら、て書いても、僕はここ大好きなので愛読してます
ただ、こういう書き込みしてしまいそうだから、今度こそ書かない、と言い聞かせたいんです・・
是非、吟味してください。僕は直観だけが走ってしまうから、頭のなかも表現も象徴的になってしまうんです
暴言無視して、いい栄養素だけを抽出して下さったら嬉しいです
259考える名無しさん:2007/05/22(火) 21:44:58 0
>>258
そこに到るまで、どれほど思考と知識を積みかねたかで、言葉は発しなくても意味を持つと
思います。
日本人は短い言葉で、簡潔に物事を述べる方が多い、感情表現よりも論理的表現を好む人が多いので
ここで学べることは多いです。論理的に考えれば、無駄と思われることが哲学ならば、どこまでも
感情的に感情論を追求していきます。
260See You〜♪:2007/05/22(火) 22:00:47 0
 風と月の歌

祈りを運ぶ白い月
悲しい涙を滴らせ 夜空の底は波打った
僕の心は夢の漣 君が泣いてる夢を見た

人は生きる意味が欲しくて 信じるものを求めている
君は何も信じられず 夢でいつも泣いてるの?

願いを示す流れ星 
刹那の尾を描きつつ 夜空の彼方へ消えていく
僕の心は星座の海 女神を宙に描いてる

僕は生きる意味が欲しくて いつも君を信じている
女神になった君の心を 夢の中で抱いていたい

月に淡く照らされた 夜空を自由に泳ぐ雲
人の夢が宙に浮かんで 物語を夜空に描いてる


独り苦しむ欠けた月
愛を求めて涙を流し 夜空を彷徨う君の瞳
僕の心は明日の光 孤独な君を包みたい

僕は生きる意味が欲しくて ずっと君を愛している
僕の頬を伝う涙に 溶けてるのは太陽の欠片

君の悲しい夢はきっと 朝日と風が祝福する
僕の歌が風になって 君の心に吹きますように
僕の歌が朝日を呼んで 君の瞳を包みますように...★
261考える名無しさん:2007/05/22(火) 22:17:11 0
>>256
>哲学者達の、想像力や直観力のなさにはうんざり。物事の根底を見抜く力ない人、自分がこの世に存在しているということすら認識できてない人の、
血で欠けない思想が、本になるなんて・・

これは哲学を必要としなくても生きていける時代になってきているのかもしれない
真の哲学は負の連鎖という業を背負った人間が血と涙で描く広大な生への肯定
哲学崩壊
262考える名無しさん:2007/05/23(水) 00:02:07 O
悟った。
もしかしてこれはいわゆる”教えてあげる♪”というやつなんじゃね?
263考える名無しさん:2007/05/23(水) 02:47:53 O
創造とは幻想、夢みることなのか?
力とは夢みる力よりないのか?
現実が表像ならば、現実的な力とは表像する能力なのか?
実際何事にも夢中になれない人間が現実的に力をつけていくことは困難なのだ。
そんな彼はただただ老衰し、腐っていくばかりなのである。
何故だろう、非現実性がむしろ現実性をもたらすものなのである。
そして現実的であろうとすることは、非現実性をもたらす… 奇怪だ。不可解だ。これは夢か幻か、正夢か!
264考える名無しさん:2007/05/23(水) 02:51:58 O
と、授業を誘惑してみるテスト
265考える名無しさん:2007/05/23(水) 17:13:45 0
ニーチェの思想にある高山の冷気、地上距てること2万フィートの空気
霊気が微塵もない。でも嫌いじゃないですよ。同じ思想傾向だから。
266考える名無しさん:2007/05/23(水) 18:46:29 O
>>266
自分にいってんの?
267考える名無しさん:2007/05/23(水) 18:53:57 0
>>266
自分にレスしてんの?
268考える名無しさん:2007/05/23(水) 18:54:25 0
>>267
それは嘘だろ。
269考える名無しさん:2007/05/23(水) 19:00:24 O
プ
270268:2007/05/23(水) 19:15:45 0
自分の発言が>>267になるようにしたかったんだが失敗しますた。
271早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/23(水) 22:33:57 0
>>261
血の通った哲学が、やっぱり、心を一番揺さぶるような気がする。
血の通った詩を書いても、なんとなく、傷口をさらしさらに肌を刻んでいるだけだったり、
血の色を誇示するような朱雀の舞だったりする。
哲学の崩壊、人間の精神の崩壊を立て直せるのは、心の血。
ツァラトゥストラみたいな、感動的な哲学書がたくさん出て欲しい・・
永遠回帰、って、ツァラトゥストラが言って初めて、重みや真実性があって、
ツァラトゥストラがなかったら、それこそ西尾先生が言うようにただの奇怪な思想でしかない。
快癒しつつつある者の章とか、蛇を噛み千切る章とかの「迫力」こそ、
読者の胸に永遠回帰の思想が封入された種を植え付けるためのナイフ

>>263
創造とは、夢を現実化、無意識を意識化、想像を具現化すること
無意識を意識化し、無意識と意識の完全な綜合的統合を目指すには、
ツァラトゥストラの言葉遣いのような、精神的なものを「具現化」「人格化」するような発想が、大事だと思う
創造的なものこそ、力を最も有したものであって、現実を変えていくものだと思う
枯れた現実にいると生きているリアリティがなくなっていく
夢の泉から汲み取られた創造的な栄養素こそ、今のうんざりする現実をリアリティで潤すと思う
272考える名無しさん:2007/05/23(水) 22:49:24 0
今宵もポエムを募集しております
273早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/23(水) 23:32:55 0
>>255の期待に答えて日記
今日、友達と、つりに行った。古墳の周りの堀。大いなる偉人が埋葬された古墳!
でも今は、その外堀はおっさんたちの釣堀・・・
つってやろうじゃないか、僕も友達もブルーギルが欲しかった。家で飼いたかった!
ザリガニが釣れた・・・
僕は、もって帰って、飼い方をネットで調べた。ザリガニさんは脱皮した皮を、自分で食べるらしい
じゃあ、僕も、昨日の僕にはSee you♪、自分の書き込みなんて、餌にしてみよう

>>272に答えて、ポエム
脱皮

脱皮したかったら、一人称を使え!僕は次の「僕」で克服されねばならぬ!
さあ、今のお前なんて、次のお前で打ち破れ!
全ては力への意志!そのためには、そんな猫っかぶりなんど脱いじまえ!
世間様に着せられた気ぐるみなど!
さあ、今のお前は、克服される、そしてその抜け殻を、今までのお前を、
過去にお前がした行為、お前が放った言葉を、餌にすればいい、すべて食い尽くせ!
過去のお前なんて、今のお前の餌だ!今のお前なんて、次のお前に克服される
気ぐるみだ!
274考える名無しさん:2007/05/24(木) 00:54:38 0
僕も早さんに負けないようにポエムを書こう

西洋哲学史におけるベルグソンの特異性
西洋の哲学者たちは、古代ギリシアのむかしから
20世紀の初めまで、ある1つのモデルに従っていた

すなわち、人間の精神とは、1つの光であって、
精神という光に照らされて、物や事象の姿を認識できる
いろいろな角度から光を当てれば、それだけ違った表情を
物は見せてくれるだろう
より強い光を、より長い時間照らし続ければ、それだけ
物の姿をよく見ることができる
優秀さ、とはどこに光を当てればいいのかが、すぐに分かること
こうして哲学は、よく光を見る方法、科学を生み出しさえした

だけど、20世紀の頭になって、ベルグソンがそれまでの
西洋の哲学者たちとは、全然違うことを言い出した。

「物 は そ れ 自 体 で、 す で に 光 っ て い る」

この世界は、物や事象が織り成す光に充ちた世界である
人間の精神とは、そうした物たちの光を受け止める、1つの受容器に
ほかならない
どのような光をどのように受け止めるか、わたしたちの精神は
人それぞれ、異なった光の受け止めかたをしている
275考える名無しさん:2007/05/24(木) 04:12:04 0
>>273
え?どうした早さん?…そんな言動は失望しますよ?
人間的には好きですが…
276早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 17:49:29 0
>>274
最近、カントとベルクソンを読みはじめたら、ベルクソンにものすごく惹かれた
カントの時間についての言説読んでたら、イライラしてきたのに、
ベルクソンの時間についての言説読んでたら、ワクワクしてきた・・
たぶん、ベルクソン読んでると、時間、記憶、直観について詳しく知れる
時間や記憶に不思議さや恐怖感を感じるようなタイプの人には、時間や記憶の神秘を哲学的に理解&非神秘化できていいと思う
死ぬのも怖くなくなるかもしれない・・・
ベルクソンの文体は、ニーチェやユングとちがって、「数学的」な確かさがあるような気がする。
でも、かなり直観的で、生命に直結した哲学、そういう印象。
ベルクソンのいう直観的認識は、ニーチェの遠近法主義と違って、ものを認識するときは、認識主体がものと同一化する、
というような感じで、その方法は一つしかない、といっている。

ベルクソンは、かなり特殊ですね。人間の脳が認識主体だという常識的な考えとは全く逆。
274さんの最後の比喩のような感じで、ベルクソンは、
人間の脳は、心や精神や宇宙というシンフォニーを演奏する指揮者でしかない、みたいな比喩を使っていたような気がする。



>>275
僕は、寝ているときは夢ばかりおきているときもほとんど半眠半覚状態だから、いい書き込みできるときはできるし、
すべるときはすべる・・・たまに、自分で何いってんのかわからなくもなる・・
でも、自分の脳の構造上なのかわからないけれど何が何でも自分のことでも哲学的なことでも「表現せずにはいられない」
何でもいいから表現しないと、不安、生きている実感がしない、というより勝手に手が動いている。
一人のノートに書くと、自分しか分からない暗号、あるいは比喩だらけになる。
あなたのような批評でもなんでも言ってくれる人がいると、自己批評できるから、
こういう掲示板に粘着するのがすき。
でも、毒に感染した人がいないか、とても反省しています・・・
277考える名無しさん:2007/05/24(木) 18:49:18 0
はじめて来た者だけど、何か重度のメンヘラがいるような……。
ニーチェについての考察かと思いきや、オナニーばっかり。長文乙です。
278早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 19:03:16 0
>>277
もう、重度超えて、人間じゃないのかもしれません
昔は、きっと心因性と器質性どちらもあって、世界を徹底的に憎悪していた、
いまは、心因性のメンヘラというより、器質的な病気、単なる狂人です。
書き込むとき、できるだけニーチェに関することにするよう、心がけまが
277さんのような人がたくさんいたら、去ることにします。
不快をたくさんの人に与えたくありません・・
狂人だから出てくる新鮮な発想を与えることできたらいいな、とは思ってました・・
どちらにしても、今の哲学者のものの考え方は嫌っています
279:2007/05/24(木) 19:24:34 0
なんか「地下室の手記」みたいでいい。
>今の哲学者のものの考え方
ってどういうの?
280早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 19:44:13 0
>>279
地下生活者、って凄いですよね・・
僕は今は世界を憎悪してはいません、こんな書き込みしても、日常は普通な感じで送れる脳です、ただ、考えて表現しないと欲求不満。
真にニーチェを読むというのは、カオスになることです。

抽象的なものを、抽象的なままでしかとらえない
抽象されたもとのものを具体的に捉えなければならない
たとえばユングの概念を理解するなら、自分の中で本当に「元型」を探さない限り、
あるいは、その概念が形成される前にユングはどのような心の動きをしたのかを予想したり、
症例の記録を小説を読むみたい心の中でシュミレートしたりしないと、「真に」理解したことにはならない。
その心理学者であれ哲学者であれ、概念群の後ろにある直観的内容を捉えない限り、長期的視点でみるなら不毛なことしかしていない
概念が記号化していく。そうすると、だんだん学者の思考過程も記号的になっていく
生命にかんする直観的なものを通過しないかぎり、記号化をふせげない。
長い目でみるなら、人間の心には絶対、「象徴」が必要。
事実を事実としかとらえられず、事実を自意識を通して価値付けられていない
史実は、刺激でしかなくて、史実自体に価値をおくのは、いけない
概念が使い古されて、本質からはなれてしまっている
情報化が進んで、さらに無意味な概念が増えていく
概念も、もともとは単なる比喩でしかない、ということを全く分かっていない
概念が本質から離れると、ただ数が多くて多数決的社会一般的というだけがオカルトめいた発想との違いで、オカルトを否定できる謂はない
概念や言語の上でしか考えていないから、自分の生命をだんだんわすれて、
記号的になってしまった概念や言語で考えているというより考えさせられている、というのが伝わってくる
281:2007/05/24(木) 20:14:36 0
確かに、哲学者に限らず人間の思考がただのプログラムみたいになってるのは
よく感じる。人工知能みたいなね。今思いついたことだけど、記号を心に通しても全く
価値付けされない情報が増えすぎたせいじゃないかと思うんだよね。
例えば、新聞で人が死んだとかは毎日読むけど、そんなのはもう、まさに
記号の羅列でしかないわけであって、何も感じない人も多いと思う。
スマトラで何人死のうが俺にとってはそれは数字でしかなかったから
「へえ」くらいにしか思わなかった。

ニーチェはどの本が好き?
282早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 20:23:55 0
もちろんツァラトゥストラです・・詩語に強く反応してしまうんです

母親生首殺人事件の時、犯人の学校の校長先生が演説していたけれど、
「命が大切。殺人はいけない」みたいなことばかり繰り返していて、「死ぬ」ということが、
いったいどういうことなのか「親を殺す」ということがどれほど恐ろしいことなのか、そういうのを、
もっと伝えなければならない。
僕にとって神話は、新聞の事実よりもずっと具体的な実感がするんです。
神話は、幾億もの人の心を実際に口頭で伝えられることによって通過してきた
宮沢賢治やカフカの童話とか寓話は、著者の心の深層から直接わいてきたような感じを受ける

つけたしさせてください・・・とにかく表現したいんです
人がカオスに陥らないためには、言語や概念が必要であって、言語や概念というのは
比喩と同じだけ自己欺瞞的であって、それが「前提」になって、非カオス的にものを考えている
そして、その前提は、情報化や大量生産的教育が進むと、さらに積み重なっていく。
つまり、カオスから逃げるための虚構がだんだん厚くなっていく。
もちろん、前提はあって仕方ないものだけれど、それが行き過ぎると、ニーチェの「具体的な」精神に触れることができるはずはない
そういう現代的虚構的前提の上にたってしか、たとえばランボー研究家はランボーを見れていない。
ランボーのような典型的なカオス的人物を知るには、結局自分がカオスに近づくしかない。
世の中の言語すべてを徹底的に憎悪していたときの僕は、幻覚状態で、ランボーについて書いたことがある。
無意識的「前提」を何も自覚せずに、キリスト教がどうこう言っている。
ニーチェがキリスト教を批判できたのは、自身の自我がカオスへ遡行しながら、それでも卓越知性で
認識でき、キリスト教的道徳が人間精神を束縛しているということを知ったからであって、普通の哲学者や一般人があんな感動的な象徴体系をもったキリスト教を愚痴ることなど、
ぜったい許されるはずはない。
ニーチェが批判したキリスト教以降ソクラテス以降の思考方法でしか、ニーチェ研究家もニーチェを捕らえていない
283考える名無しさん:2007/05/24(木) 20:30:45 0
>>282
>ニーチェが批判したキリスト教以降ソクラテス以降の思考方法でしか、ニーチェ研究家もニーチェを捕らえていない

「ニーチェが批判したキリスト教以降ソクラテス以降の思考方法」とは、詳しくは、どういう思考方法ですか?

284早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 20:40:00 0
主体と客体を離別している
ニーチェは、もともと、主客を引き離す思考は幻想でしかないと分かっていたはず
無意識的にもともと自己欺瞞をもってしまっている。
象徴体系としてのキリスト教でなく世界観としてのキリスト教によって、自然は人間の対象になってしまったんだと思う
東洋思想においては、自分自身が自然の一部だという世界観。対象と自分に境界はない。
今みたいな科学的世界観では、ぜったい、自然破壊は防げない。
僕が好きなニーチェ、ランボー、ゴッホは、彼ら自身が自然に溶け込んだりあるいは自然を吸収したりして、
自然と「一体化」しているような精神
今の思考方法は、心理学的に意識と無意識を分けるなら、意識にかたよりすぎていて、その代償としてメンヘラが増えたり、新興宗教が増えたりせざるを得ない。
カルトによる犯罪は、いまのマスメディア的世界観自体が責任をもっているという「全体的」な認識が欠如している
285考える名無しさん:2007/05/24(木) 20:42:37 0
>>284
>東洋思想においては、自分自身が自然の一部だという世界観。対象と自分に境界はない。
>今みたいな科学的世界観では、ぜったい、自然破壊は防げない。
>僕が好きなニーチェ、ランボー、ゴッホは、彼ら自身が自然に溶け込んだりあるいは自然を吸収したりして、
>自然と「一体化」しているような精神

ニーチェは仏教を批判してるよ。
知ってる?
286考える名無しさん:2007/05/24(木) 20:43:13 0
何この速さwwww

さすが早?って人がいるぐらいだwwww
287早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 20:49:11 0
>>285
詭弁だと受け取らないでください
そうやって、ニーチェが仏教を批判したというとき、仏教のどういうところを批判したか、
あるいはキリスト教のどういうところを批判したか、というのを、自分の精神のうちで認識してはじめて、
第三者は、真にニーチェが仏教を批判したことを理解することになるんだと思う。
僕が一番いいたいのは、自意識の中でニーチェの言説だったりキリスト教だったりを理解せず、
ただたんに誰々がどうこういったということを取り上げるのが、もちろんある程度はしかたないけれど、
いきすぎると、いけない、それだと、絶対、人間の思考は記号化してしまう、ということです。
288考える名無しさん:2007/05/24(木) 20:51:58 0
>>287
>そうやって、ニーチェが仏教を批判したというとき、仏教のどういうところを批判したか、
>あるいはキリスト教のどういうところを批判したか、というのを、自分の精神のうちで認識してはじめて、
>第三者は、真にニーチェが仏教を批判したことを理解することになるんだと思う。

それで、あなたはニーチェの仏教批判を理解したんですか?
していないんですか?
それとも全然知らないんですか?
289:2007/05/24(木) 20:53:29 0
>とにかく表現したいんです
ブログでも書けば?見に行くよん。

確かに聖書は感動的な内容だけど、嘘の数が多すぎるんだよなぁ。別に科学的に
とかじゃなくて感動で思考を止めさせるような道徳の嘘ね。あと僧侶的価値観で
生命のある部分を否定したりね。しかもキリスト教は自分たちの教えの為に科学を
否定したりする。宗教家は肉体の奴隷になることを非難しておいて、自分たちは
自我の奴隷になってるって気がついてないんだよね。
いやそれよりも一番許せないのが、「信じる」という行為。「何か」を信じる
ということは、実は自分を信じているのと同じことなんだよね。だって信じる
という判断を下したのは自分なんだし、しかも信じた後はこれからの行動に対して責任を
持とうという気が最初から無いんだから。完全に思考停止。

ツァラトについてニーチェは「体験した者以外はわからない不思議な書物」
と言ってるけど、早さんはどれくらい理解できた?あの本は理解できたと
思ってたのに、しばらくして読んでホントに理解したときとは全く違うんだよね。
290早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 20:54:04 0
僕は、ニーチェの仏教批判についてはしりません
だから、ニーチェの仏教批判については述べていません。
>>285の文体を批判しただけです
291考える名無しさん:2007/05/24(木) 21:03:33 0
>>290
>僕は、ニーチェの仏教批判についてはしりません

それなら、その辺もよく考えたほうがいいですよ。
自然との一体化というだけで、東洋思想とニーチェは結びつかないということがわかります。
292早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 21:12:36 0
>>289
ごめんなさい、スレを汚すような行為・・
ただ、誰かが反応してくれる、というのが、思考的な孤独を慰めてくれていて、自己中心的すぎました
ブログはつくる気ありません・・・治療をそろそろ真剣に考えています

ツァラトゥストラは、たぶん、僕にも誰にも、ほんとうに理解できないのかもしれない。
あれは、哲学的要素を含んだ感動的な芸術作品、哲学のための起爆剤、みたいなものかもしれない。
でも、あれを読まなければぜったい理解し得なかったようなことはかなりたくさんある。

僕は「信じる」ことは嫌いではないかもしれない
信じるものがないと、普通の人は生きていけない
でもやはり、教会が、もはや死につつある象徴を蘇らせることをしないから、
いまのキリスト教教義が単なるパラドックスか逆説か何かになってしまって、
生き生きとした生命感を失ってしまって、その象徴の生命力を自分達の心で
蘇らせることをせずに、宗教の本質を見ようとせず神がどうこうばかり言って、
そして外部を否定するのは、いけないと思う。
僕が思うに、結局、世界を救うのは、人間の心による総体的な宗教の再生だと思う。
宗教体系は、象徴が使い古されると、概念と同じで、単なる残骸的比喩か記号になる
宗教家にやるべきとことは、自分達の心の中でしっかり宗教に生命力を与えることだと思う。

宗教家の著作を徹底的に嫌っていた時期もあったけれど、それを嫌う気持ちは、最終的には自分の良心を嫌う気持ちでしか
ないような気もしてきて、自家撞着してしまう
結局、僕が此処で色々なことを否定する行為は、僕が今まで自分の中で否定した前提をここに羅列したようなものかもしれない

>>291
此処に書いているのは、今何も見ずに頭から出てくるものであって、
ゆっくり思い出さないと記せないような内容も今まで考えてきました
でも人の意見を詭弁的にしか批判できないことはとても反省しています・・
293:2007/05/24(木) 21:20:30 0
治療かぁ…。早さんの言う、記号の医者にかかったら最悪だと思う。
ただ分析だけして理解はしない奴だったら、余計に孤独になるだけかもしれない。
ところで、なんで治療受けるの?全く狂人には見えないけど?

>ごめんなさい、スレを汚すような行為・・
というより、早さんの思想を体系的に見たいというか…
294考える名無しさん:2007/05/24(木) 21:24:48 0
ここはニーチェスレのように見せかけて
みんなでポエムを発表する場です
お間違えのないように
295早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/24(木) 21:30:37 0
>>293
一応、こつこつゆっくりと、一貫した文章書き始めているところです。
でも、体系を立てながら書いていくということがどうしても苦手で、困難な状態です。
   ニーチェのような、アフォリズム的なのなら書けるのだけれども
でも、僕にとってはここに書いたり、その文章を書いたりすることが一つの治療になっている
   数ヶ月前は、ほとんど日本語じゃなかった
でも、やはりもしいいユング派分析医でも見つけることができたらいいな、と思っている
   最近、大学入るために受験勉強を始めています。
   哲学史とか知ってからでないと書けない。自意識と哲学史、どちらも知ってはじめて、思想になるのかもしれない

狂人というか、気分の上下が烈しくて、自分ではなかなか制御できないんです
此処に自意識を垂れ流したりしても、あとになってしか反省できない、
でも、あとでおものすごく反省している、というような。

>>294
僕が「記号的」哲学者の本を数ページ読んでため息つくときと
ここの大半の閲覧者が僕の言葉を「ポエム」だと思ってあざ笑うとき、
同じような気持ちだと思う・・・
296考える名無しさん:2007/05/24(木) 22:14:47 0
>>295
>僕が「記号的」哲学者の本を数ページ読んでため息つくときと
>ここの大半の閲覧者が僕の言葉を「ポエム」だと思ってあざ笑うとき、
>同じような気持ちだと思う・・・

「記号的」の意味がいまいちわからないが、
それは「論理」に近い意味なのかな?
だとしたら、それは哲学には不可欠なものだと思います。
もちろんニーチェにもある。
ニーチェの言葉は「ポエム」ではない。
297考える名無しさん:2007/05/24(木) 22:30:02 0
さぁ今宵もポエムを受付中です
298考える名無しさん:2007/05/24(木) 23:24:12 0
もしかして、ツァラトゥストラが「私も詩人だ」って言ってるのを
文字通りに受け取ってる人がここにいるのか…
299考える名無しさん:2007/05/24(木) 23:35:53 0
「詩人は嘘をつきすぎる」   
             by つぁらとぅすとら
300考える名無しさん:2007/05/24(木) 23:44:38 O
てか早って殆ど哲学的じゃないんと思うんだが。
教えてあげる♪ってわけじゃないなら、
なんでこの板なんだろうか?
301考える名無しさん:2007/05/25(金) 00:30:28 O
「記号的」といのは恐らく中身のない言葉、無意味で無価値な文字の羅列のようなという感じの言葉だろう。
さらには早のことだから、早の感覚、情念に訴えるところのないという意味だろう。

つまり記号的哲学者といのは早を刺激しない哲学者のこと。
302考える名無しさん:2007/05/25(金) 00:34:50 0
>>301
>「記号的」といのは恐らく中身のない言葉、無意味で無価値な文字の羅列のようなという感じの言葉だろう。
>さらには早のことだから、早の感覚、情念に訴えるところのないという意味だろう。

なるほど。 早い話が意味不明な言葉ってことね。
ニーチェは哲学の中では読みやすいからなぁ…
読みやすいだけに、勘違いする人がうようよ出てくるわけだ…
303考える名無しさん:2007/05/25(金) 00:47:28 0
いまどきの高校生ってもっとクールでドライかと
思ってたんだけど、まだこの手のタイプっているんだね
304考える名無しさん:2007/05/25(金) 00:49:07 0
ニーチェなら、ふつうの中学生でも一応は読める。
カントとなると、優秀な高校生でも意味不明だろうね。
305考える名無しさん:2007/05/25(金) 01:15:46 O
要は刺激が欲しいんだよ、彼は。
刺激かあ…。

ふむ、さて教えてあげよう♪
振り返ってみると私は最近、自分のようで自分じゃないような状態になり、
個人的であるようで個人的でないような人格になるようになったようだ。
あまりにも個人的なんだが、決して私はその行動や情念を制御してないんであって、自動なんであるが、
それにもかかわらず、私じゃないのにも関わらず、あまりにも私的(してき)なのである。
私はその状態のとき、いないのである。
なるほど、たしかに象徴界では普遍的なものは個別的に表現されるよりないわけだ。
つまりこの肉体は私だけでなく普遍的なるものの媒体にもなってきたという偉大なるわけなのかもわからない。
だがどうしたわけだろう、かの普遍的なるものはかなり馬鹿っぽいのである。
あまりにも偉人というには程遠いのだ。
実に不可解なことだ。
私は多大なる苦しみを通して自己を滅却してきた、
あるいは克服してきたつもりだった。
果たせるかな、偉大なことにいまや普遍的なるものが宿るようになったと!
しかし一体何故だろう、時々宿るようになったものといえばあまりにもチンケではないか。
これはまったく想定外の許せない事態ではな
306考える名無しさん:2007/05/25(金) 01:18:46 0
>>305
ナイス・ポエムw
307考える名無しさん:2007/05/25(金) 01:22:15 O
2chのくせに勝手に省略すんじゃねえよ!
308考える名無しさん:2007/05/25(金) 01:37:04 O
仕方あるまい。 何故にチンケなる者がこの肉体に宿るようになったか、
謎をもう一度軽く解き明かしておこう。
つまり、私は自己否定を通して、弱くなったので、
チンケな者にも負けて、どかされるようになったというわけだ。
しかしそれなら別にチンケな奴じゃなくてもよかったはずではある。
普遍的で偉大なる者が宿ってもよかったはずなのである。
何故にゴブリンみたいな雑魚キャラでなくてはならなかったのか。
もしかしたら、こういった反省もまた自己否定なのではないか?
ゴブリンになってしまった自分を否定しようとしているのではないか?
もういいよ、寝る。
309考える名無しさん:2007/05/25(金) 01:41:30 O
何がナイスポエムだよオマイよ。
こちとら真剣なんだよ。
真剣なのにおかしな話なんだよ。
ったくよ。ありえねーよ。
310考える名無しさん:2007/05/25(金) 02:32:24 O
まじでザクになってしまったのか。
しかし弱き者、貧しい者は幸いなりとは確認できたのかもしれない。
ついに地に落ちて、落ち着いたわけだ。いやいや落ちきった。なんか達成感があるね。
なるほど、これが地上の温もりというわけだ。なかなかいいもんだ。
大空を翔るより、のどかに大地を歩むが良いのである。救済とはこれである。
ニーチェを支持する人間は救われない。
彼は敢えて目を塞ぎ、高尚で自由な「気分」を謳歌するばかりだろう。
それはあまりにも実際的でない。
彼は湧き上がる力を感じるだろう。また矛盾をも。
というのも彼は優雅に空を舞う夢を見つつ、現実的には躓きこけまくるからである。
現実と呼ばれる象徴界では登り調子だが、現実界では降り調子になるからだ。
キリストを支持する場合、事態は丁度逆になる。
すなわち象徴界では降り調子になり、現実界では登り調子になると。
311考える名無しさん:2007/05/25(金) 07:42:49 0
>>302

自分の事ね。笑。
312早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/25(金) 08:03:35 0
ただ、淋しいから、かまってほしいから、それに書くの大好きだから、暇なときとにかくここに書き込んみたかったんですよ
昔は、呪術的な詩語の連続攻撃でインターネットを呪ってやろうと妄想していましたけれど・・その名残みたいなのがあって攻撃的になってしまうんです、ごめんなさい
哲学的な本読んでても、ニーチェとか小林秀雄とかみたいな言葉遣いするひとの文体以外のを
読んでいると、刺激が足りないだけでなくて、著者の無神経さ加減にイライラしてくる「体質」なんですよ。
実際、ベルクソンは読めるのにカントは僕にとってものすごく難解でどうしようもなく困っている、
だから、ディレッタントは止めにして大学行こうと決めたんですよ
たまには僕のような「意味不明な」神経を持った人もいる、そういう意味不明な人独自の発想もある、それだけのことですよ
詩ばかり読んでて、本を読めるようになったのは2年たたないから、上手く表現できないんですよ
この書き込みのスペースだけだと、論理的に書くよりは、自分の今までの思考のエッセンスだけを厳選して書いたり、
こう、弓矢の先で心臓を突付いてみて人の感情を刺激するような、あるいは、ざらざらした手で神経を撫でてみるような、
あるいは、人の胸の中に無理やり自分の種を植え込むような、詩的な短文にしたりしたかったんですよ。
>>300
いちおう、哲学的な文章書けますよ
>>301
記号的、についてワード4枚くらいの文章かいたりしてます・・それくらい記号的が嫌いなんです
ニーチェや小林秀雄の文章に出会った瞬間、どれほどの歓喜に酔いしれたことか!
>>303
僕は、小学校のころから、「今どきの高校生」にほとんど殺意に近い感情を抱いていた。心斎橋とかみてると、ロケットランチャー乱射しているヴィジョンを心に描いて笑っていた
高校では、生徒からは敬語で話されるか謎めいた人物として拒絶されていたし、教師は近寄り難そうだったし、頼んだら休学許可を一発でくれた・・
313早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/25(金) 08:05:19 0
>>305
僕は、「生存するために」、ここに書いてあることの何倍も考えてきたので、何言われても僕の神経を少し揺さぶることもできませんよ
ニーチェの文体は、読者の神経をかき鳴らすような痛々しいのおおいけれど、たぶん、その苦痛を克服すれば、
読者の心の琴線を共振させるような感動的なものになると思う。
どうせここそろそろ書き込むのやめるたほうがよさそうだから、イイ感じの自己告白してあげましょう
僕は、不能者です
そのかわり癲癇質ってのは、芸術鑑賞とか哲学とかの内にとても激情的になれるんですよ
狂ってた時の僕にとって、象徴界というのは、麻薬のようなものでした
激情発作(不能の代償として、一時的に全身の官能が血気立つような激情に陥るんですよ)を起こしていたときは、全てが象徴的になったりする。
蟻さんも、猫も、魚も、ニーチェも、尾崎豊も、植物も、なにもかも、根源的一者とか永遠なるものの比喩のような気がしてくる

ニーチェの本性は、「牧歌的」かもしれない
「大いなる沈黙」というのを知っている、数少ない哲学者だと思う。
日が沈む海を見たときの、自分がもはやいなくなるような感動、いや、感動という心の動きすら、
海や草原や森林に解けていくような、至福の瞬間。僕は基本的に自然愛好家、音楽愛好家ですよ
ニーチェにこんなほれ込んだのもきっとそのせいです
314考える名無しさん:2007/05/25(金) 11:38:47 O
ぷ、ニーチェが牧歌的だと?
儚い希望だな。
ニーチェを支持する者、というよりニーチェ的なる者にそんな救済はありえない。
彼は現実界からは切り離されていくばかりだろう。
むしろ自ら進んで遠ざかっていく。自分を追放していく。
その熱情にも関わらず寒気がしてくるはず。
象徴界で力をつけていって現実的に得られるのはもっと力を!という永遠の意志と孤独すなわち高度である。
空気は薄くなり冷たくなり、辺りの緑、生物はまばらになっていく。
苦悩の突風に不屈の意志で立ち向かい、美しい眺望に我を失い恍惚となる。
全然牧歌的ではない。神々しい。
こんな自ら神になろうとするような傲慢不遜、幼児性、神への反逆の罪と罰は非常に重い。
315考える名無しさん:2007/05/25(金) 12:08:09 0
今日もポエムを受けつけしております
316考える名無しさん:2007/05/25(金) 12:21:13 O
おまいは流行の泡
317考える名無しさん:2007/05/25(金) 13:53:52 O
象徴界に価値をおかず現実的であろうとすることにより、神の哀れみと慈愛を享受する。
象徴界に価値をおき非現実的であろうとすることにより、尚更に神の怒りに触れる。
そも我々が象徴界に生み落とされたのは神の怒りに触れたからである。
天才とは天賦の才ではない、
傲慢不遜、不正にも奪取した神聖なる高嶺の花である、
登山の苦、すなわち警告を無視した輩である、
不屈の力への意志である、改善、真善美という名の下における改悪者である。
318早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/25(金) 20:37:58 0
ごめんなさい、朝のぼぉっとした状態で「殺意」とかひどい言葉や、下品な自己解説をかきこんでしまいました
>>299
ここでついたうそを白状しておくなら、
火の玉はよくみる→火の玉は2回みたことがある

あと、小学校のころはまだ都会的なものを、嫌ってはいたけれど、殺意や憎悪はしていなかった、
神経症になった(父親不在というのは、気質的な以上に加えてさらなる悪因なんですよ)中高生のころ、
ロケットランチャーを乱射するほとんど見えるような心象を心に描いていた、というより、
こちらの抑制を無視して、勝手に溢れてきました。
あと
ランボーについて書いたときの幻覚は、心拍数が急上昇して空間がむちゃくちゃにゆがむ程度のものでした
ほかにも、表現上の誇張ならある、しかし、僕は、それを糧にして「脱皮」したい願望がある・・
>>317
僕は、神秘的な体験をしたいという欲求から、オウム信者の著作や、その他神秘主義などを読んでみて、
象徴界を能動的に「シュミレート」していたら、そしたら、光り輝くオレンジ色のヴィジョンが旋回する魂の熱感で
絶頂にいった
本当に神がいるとしたら、心の中心点、象徴界と現実界の接点のようなところでしょう。
>>314
僕は、ユング的に説明するなら、元型的なものを体験するところまではいいのだけれども、いつも、
その元型的なものに自分の「自我が同一化」してしまい(自分は女だとかキリストだとか去勢しなければならないとかいう意味不明な妄想につかれる)、
自我肥大をおこしてしまう。
元型的なものを実際の現実に役立てるには、元型的なものと自我を同一化するのはその体験の時だけにして、
元型的体験から得られたものを日常的あるいは哲学的な言語に翻訳しなければならない。
まだそれができないので、幼児的自己愛的状態に簡単に陥ってしまい、
此処で行っているような誇大な自己顕示をしてしまい、なかなか狂人から抜け出せない。それでも、僕は、どうしても、もっともっと、深みまで、
象徴界的なところの最深まで、下っていって、その後ではじめて、哲学的に自分の考えを展開したいという、
強烈な欲求がある。人生は一度なのだから、イメージでも言葉でも音でもなにもかも感じたいし表現したい。

319早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/25(金) 22:14:37 0
>>314
ニーチェは、とても自然を愛している。
それが伝わってくる。
象徴的メタファーをあそこまで使えるのは、自然界が心の中にあったから。
僕はまだ哲学史的知識は適当な独学くらいしかないので、思想的な部分は深く詳しくはないのにこのような迷惑な書き込みしてしまっているけれど、
自然系図鑑は幼い頃から眺めるの大好きだったので、
ニーチェの文体というか言葉遣いから、たまに、自然に溶け込んだ精神が音楽的に文体化されたような、
個人的すぎるかもしれないけれどそういう快い詩的な印象を感じたりすることがある。
哲学者としての仕事や、芸術家としてのラディカルな激しさ、鋭すぎる神経質な自己認識など以外にも、
たまにニーチェがみせる穏やかな牧歌的な静かに自然を愉しむ部分も、もっと強調されて注目されてほしい。
ヘルダーリンのすばらしさを見抜いていたのは、ニーチェの本性に牧歌的なところがあったからのもあると思う。
僕は「今どきの十代」にははなはだ珍しく、気が立っていないときは、夜ぼぉっと月を愉しんだり風を感じたりするのは、好きで、
純粋だった憎悪とか知らなかった子供の時は、自然破壊に、心の底から痛みを感じて泣きそうだった。
ツァラトゥストラの言葉遣いやゴッホの色遣いには、見た自然だけでなく、心の底からわきあがってくる生の自然がある。

ツァラトゥストラの歌は言語を破壊しようとして、ゴッホの色は線を破壊しようとして、
そのぎりぎりの均衡が、作品になっている、というのはポエムすぎるかもしれない・・上手く印象を言葉で説明するのは難しいものです


そろそろ、ここみるのも止めようかと思ってきました、まだ僕の言葉を見たいとか質問したいとか、
概念や記号的の不具をいやらしく批判した珍しく哲学的な長文を見たい、とか言う人がいない限り、もう本当に、
見るのも止めようかと思います。見てしまうと、書き込んでしまうみたいです
器質的に心も動かされてしまって、ほとんど制御できません、きりがないみたいです、
僕の自意識過剰な言葉みて傷ついたり、不快感じたり、病んでしまったりしていたら、本当に申し訳ありません。
独りよがりな言葉だというだけでなく、「病理」もある程度は含まれている言葉だということを、覚えておいてください
320考える名無しさん:2007/05/25(金) 22:41:44 O
Schadenfreude ist die schoenste Freude.
Das ist der Wille zur Macht.
321考える名無しさん:2007/05/25(金) 22:59:34 O
>>312
おまえ、それただ自分に魅力がないのを哲学にすりかえただけじゃね?
作ろうと思えばほんとに友達できたの?
やっぱどこまでいっても、おまえが嫌ってる今時の高校生と同じで社会の理不尽さに圧倒された無気力なひとりにみえるよ。

ぼくは違うってのはなしな
322考える名無しさん:2007/05/25(金) 23:20:06 O
力への意志は苦しみに基づいている。
それは怒りであり、その発散を意図するものである。
力と意志は不特定多数の他者へ向けられ、自己を忘れさせるために快楽を生む。
力の発散、自意識の投棄は苦しみを逃れ恍惚となるための一つの方途ではある。
だがその恍惚は仮象にすぎないのだ。
力は麻薬なのである。
323考える名無しさん:2007/05/25(金) 23:50:00 O
早はどこに住んでるの?
324考える名無しさん:2007/05/26(土) 00:39:47 O
快楽は無私にある。
苦行による滅私、科学的論理的哲学的いわゆる「記号的」なるものによる忘我、
力による忘我、芸術的忘我、美女を前にした忘我…

う〜ん色々あるわけだが、何がいいのだろう。
325考える名無しさん:2007/05/26(土) 01:32:59 O
万人向けなのは滅私
勧誘は力への意志
326早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/26(土) 08:43:38 0
>>321
僕は、本当にうそ偽りなく、「意味不明な」自分で理解できないくらいの
「恐怖感」や病的な「好奇心」、生まれつきそういう性質だったんですよ。
まつぼっくりに対して恐怖感抱いていたくらい、でもミノムシ採集して遊んでもいた
小学校入る前から、星座の図鑑や宇宙の図鑑が大好きでいつも見ていたから、たぶんそのせいで、宇宙的宗教的な考えがうかんでくるんです
女は極端に苦手、友達は少数だけれど、その親友に対しては極端に道化師的みたいな感じで、
つまり人見知りですよ。友達が欲しいというより、臆病の限度がこえて、怖くて、敬語で話されるくらい超然としていたんですよ
学校では偽悪的に髪伸ばしてイヤホンつけて寝てばかりで、生徒からも教師からも逃げたくて、そうやって大人しい不良を「演じて」たんですよ
人間失格とか読んだとき、泣きそうなくらい、救われたんですよ

社会の理不尽さに疲れたというより、もう、徹底的に憎悪していた時期もあったんです
自分は「殉教者」だとか「救世主」だとか、そういう妄想に本当に憑かれるくらいの重度の神経症だったんです
妄想、というのは限度を超えると、単なる自己満足的空想だというわけではなく、生死に関わる恐ろしいものなですよ
芸術や哲学を素人でもいいから熱く愛好することで、救われたんです
327早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/26(土) 09:20:41 0
>>322
ニーチェがディオニュソスにほれ込んだのは、ニーチェが生存の苦痛や恐怖を強く感じれる素質があったからだと思う。
苦悩、生命力、恍惚、陶酔、忘我を司るディオニュソス神を、単に伝説上の神として対象化して考えるのではなく、
自分の中にディオニュソス的性質を探求するような感じでほれ込めばほれ込むほど、麻薬的になる。
この神について調べたりするのは、キリストについて調べたりするのと同じくらい、色々な精神的なものを教えてくれると思う
僕の場合は神々だけでなく、ミュージシャンや芸術家やニーチェにほれ込むとき、憧れるとかなりたいとかで止まって
思考を放棄するのではなく、自分の心の深層の自分で気付いていないもの、
ニーチェ的にいうと悲劇的なもの、ユング的にいうと元型的なもの、
そういうのを探求して汲み出して自分の自我に付加しようと、しっかりと思考を伴って、感情的にも愛好する。
しかし、そういう心の深層にあるものというのは、哲学的素養がないと、危険で、僕のように
器からはみ出した自我肥大に陥ってしまう
>>323
何処に住んでいるとか聞きたくなるほど、惹かれているのでしたら、その気持ちによって僕に対して感情的になるのにとどまらず、
芸術の分野に持ち込んだり、哲学をするためのきっかけにしたら、いいと思います
芸術の愛好も、哲学と同じで、興味を広げれば広くなるほど、深まっていく。
328考える名無しさん:2007/05/26(土) 11:28:08 0
>>320
ニーチェがキリスト教的な「同情」を批判してることを言いたいのか?
329考える名無しさん:2007/05/26(土) 13:54:17 O
>>326 自分は負のベクトルでもいいから特別でありたい、
女性などの嫌なことに対して逃げる理由ばかり考える
変人という自虐的な達位置で矮小な自我を保つ


もう一度言おう。これはどうみても中ニ病と高ニ病への移行期。
後、数年すれば自覚できるよ。
330考える名無しさん:2007/05/26(土) 15:11:28 0
磔になったバッタをTシャツに書いていきがってた時期もありました
331考える名無しさん:2007/05/26(土) 20:46:21 0
だんだんぴかぁ〜のようになっていくのかな
332早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/26(土) 20:54:22 0
>>329
僕はそういう内容を、つまり自分はそういう変人を演じていないかとか、いまそこに書かれている内容の少なくとも数百倍は、
一晩の苦悩のうちに、自分で反省し、考えて悩んで、どうすれば正しいのかとか答えをさがそうとしていましたよ
そういう類のことなら、メンタルサイト濫読経験あるから、誰よりも知り尽くしているし、自虐なんてしてませんよ
知りたい感じたい、そのためには現代的な感覚や常識は毒物だから、批判してるんです
僕が最も敬愛するのは、芸術家やミュージシャンのような表現者とくに「詩人」です
ランボーのような真の詩人こそ、哲学者が知っている世界よりも遥かに広い視野で「全体的な直観で」すばらしいヴィジョンで
世界を見て、あらゆるものを感じている絶大な知者
現代の心理学なんて、幾何級数的に増殖された虚構的な概念群だとしか思えないし、中二病とかの現代語にそもそも意味があるとは思っていません
憎悪や反抗のようなシニズム的な衝動やキリスト妄想とかに憑かれていたとき、その衝動に従うだけでなく、それを自分の中で思考しつつくすことによって
色々な社会によって束縛されて殺されていた純粋な感覚や直覚が蘇ってきた
時間や死に対する恐怖感とか、時間とは何かをしりたい欲求とか、宇宙的神話的なものにたいする強い好奇心
自然を好きになれたし、ちょっとしたことに不思議さや感動をすることもできるようになった
だから、何もかもを憎悪していたときの葛藤は、ある程度処理できた今は、後悔していない
というより、よかったと思っている
心理学者の文体にも、こういう掲示板に書かれている文体にも、世の中の哲学者の文体にも、神秘主義者の文体にも、もうだまされはしない
中二病とか、単なる陳腐な現代語ですよ。
それに比べたら、ニーチェの言葉、特にツァラトゥストラ言葉の節々の響きは、きっと数千年後も生きている

ただ、今のような半眠半覚状態は、たとえば夢遊病者は窓から出て屋根の上で風を感じている間は気持ちいかもしれないけれど
屋根から堕ちたらいけないのと同じように、長続きしつづけると後で痛い目にあいそうなので、もう、このスレを見るのは今日の夜中で最後にしようと絶対決めました。
一ヶ月後またこういう状態なったら、自己告白してしまはないようニーチェでなくベルクソンスレあたりで、饒舌を奮いにくるかもしれない・・
333早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/26(土) 23:11:30 0
たぶん僕の言葉に反応しているのは一部の人だと思うけれど、その反応している人が
心のなかで僕の言葉をどう感じているかは、かなり人それぞれだと思う(もちろん異常な自己顕示には全ての人あきれている・・
ニーチェの言葉は、もっと人それぞれ、自分の感じ方以外では判断してはいけない
他の人が此処でどう言おうと、自分で感じたままに僕の言葉を吟味判断してください
情動的になったら、その情動を、自分に関わる葛藤に陥ったら、その葛藤を、「自分の中だけで」考察すると、色々得られる
そのまま信じて反抗的になるのはやめて、信じたいものだけ信じてください・・
僕は今は、「いまどきの高校生」も「学者」も憎悪も嫌悪もしていないしどうでもいい、ただ、そういう人たちが「無自覚的に」囚われている「システム」は、
生理的に受けつけ得ないだけ。今は上に書いたような離人癖も、デーモニッシュな妄想も克服している
自分を制御できているときは真剣に考えているし、生まれつき宗教的な神経していただけです
でも、預言者的衝動に囚われていて、大胆すぎる発言していたことは自覚してる
今日の深夜で、僕はこの板を書き込むのも見るのも、終わりにします
もし次来るとしたら、一ヶ月後くらいベルクソンスレへ来ると思います

器から「僕」がはみ出した分、後で器を大きくする
今ここで「僕」を通してしか表現できなかったことを、後で哲学的に翻訳する

僕に対しての哲学的な質問や、僕について聞きたいこと、言いたいこと、何でもあれば、今のうちにお願いします
勝手なスレ横領汚染ごめんなさい

神話的な空間へ思索の翼を羽ばたかせると、日常的思考の落とし穴には落ちない
自分の深層を苦悩しながらでも掘り進めば、いつかは普遍的な金脈を掘り当てる


芸術は、人類の血脈、神々の流した血
334考える名無しさん:2007/05/26(土) 23:17:16 0
>>332

ニーチェはユダヤ人を痛烈に批判した。
其のユダヤの手下の創価、統一が2chに徘徊している。
くだらん誘導など気にするな。

>ベルクソンの時間についての言説読んでたら、ワクワクしてきた・・
お勧めの本教えてくれる?
直感、集合的無意識が上手く他人に説明でき無いんだよ。
335考える名無しさん:2007/05/26(土) 23:29:30 0
今宵もポエムを受付中です
336早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/26(土) 23:53:43 0
>>334
中公クラシックス社の「哲学的直観ほか」を、僕はとても愛読していて、他の本はまだ、少しづつ齧る程度なのでどれがいいかわからない
「物質と記憶」、今の僕の読解力ではまだ全然読めないけれど、なんとなく、すごそう・・
ベルクソンは、直観主義者というよりは、直観そのものをほとんど数学的な厳密さで解析している
直観をやたらとつかって曖昧にやるタイプじゃない。ものすごく厳密。
直観主義で非現実というよりむしろ、直観を日常的な現実に置くとどうなるかを、かなり厳密に書いているというような感じ。
日常的なあるいは学問的な領域で、どれまで意識経験を深めることができるか、直観を単純な純粋なかたちで機能させるとどうなるか、を説いている
「記憶」に関しての考えが特徴的
知覚を物質の次元に置いていて、記憶された過去というのは、完全に感官や物質とは独立した内的なものであって、純粋持続に織り込まれていく。
ほとんど、固体の人間の記憶というより、一つの大きな記憶になるというようなのに近い発想もある
とにかく、過去とは記憶とは時間とは、というのについて、すごい。僕が幼いころ怖がっていたことが書かれていたから、ワクワクしてしまった
分かるまでは難解だけれど、少しでも分かってみれば、心の内側からしっくりきてうれしい内容
集合的無意識は、ユングです
ユングは難解なので、最初は河合隼雄さんの「無意識の構造」あたりがいいと思います
ユング関係を読むときは、自分の心の中が書かれている、それを読んでいる、という態度がいいと思います
>>335「手首」
夜の風、涼しい声で、悪夢を歌う
月光に、照らされ、輝くギロチン

その真下で
脅える白い肌 唇からは懺悔の
聖歌

男達の、永遠の、煮えた罪業
女達の、永遠の、嘘と憎しみ

その全てを 償う白い断頭台
其は貴女の細い
手首
337考える名無しさん:2007/05/27(日) 00:08:05 O
哲学に興味を抱き始めたきっかけは何ですか?
>早
338早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 00:12:34 0
>>337
最初、むちゃくちゃに病んで、次、ロックとか小説とか詩とか神話で、次、小林秀雄(哲学的要素をもったな文芸評論)とニーチェ(詩人的な哲学者)、そして哲学や心理学という感じで、
病気→芸術→哲学みたいな感じです。
壊れてしまった心や神経を、哲学や心理学で建て直すような感じだったので、哲学にほとんど生存のために夢中になりました
339考える名無しさん:2007/05/27(日) 00:22:15 O
また小林か。
あんなキモいやつの何がいいのかね。
340考える名無しさん:2007/05/27(日) 00:29:40 O
俺が若い頃には、人間の、日本人のキモさを拭うべく、
いわゆる記号的な純粋な理性に惹かれたものがあったがな。
デカルトやプラトンには洗われたものがあった。
341考える名無しさん:2007/05/27(日) 00:36:27 O
数学や論理学、科学、プログラミングにのめり込むほど人間嫌いではないが。
342早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 00:37:44 0
>>339
小林の文章にイライラしてしまう人というのは、まだまだ彼の凄さわかってませんよ
アンチ小林たちの対小林批評文を読んでて、僕がおもうのは、無神経だなぁ、もっと「全体的に」みる必要があるのに、って感じです・・
小林の神経の異常な過敏さ、自らの感じ安すぎる感受性の動きに対する「病的な」誠実さをもった人なんて、きっと、なかなかいないです
感じやすさからくる病を全て自分で克服し、自分の言葉のみで芸術も哲学も語りつくしたような、
「言葉」というものが何かを知り尽くした覚者ですよ。

「批評とは、相手をダシにして自分を語ることである」と青年期に戦言しているけれど、
相手をダシにして自分を語ることで、相手の味をだれよりも表現しているような感じ。
本物の文芸評論てのは、印象を全て感じ取るために、常識、観念、概念の全てを頭から消し、
詩人の心の目によって全ての印象を感じなければならない。
彼こそ、純文学をしっかりいつの時代まで通用する迫真の文章で、現代へと語り告いだ重要な人です
彼がいなかったら、きっと、文芸評論は、教科書的なつまらない散文か、
今の哲学的文芸評論のような何の意味もないものになっていたでしょう
インテリに偏ると、概念や言語で判断してしまうから、あらかじめ、感じ取れる印象の量も質も制限されてしまう

きっと、天才達の心の中という冥界にちかいような空間の事物に、自分の言葉を貼り付けていくことに、
とても歓喜していたでしょう

すくなくとも、人をあるいは人の文章をキモいと思うような「愚劣な」精神は、哲学をする資格もないでしょう
343考える名無しさん:2007/05/27(日) 00:43:30 O
人間に対してどう感じるか、その肉感が人生を大いに左右するw
344考える名無しさん:2007/05/27(日) 00:47:35 O
>>342
うるさい。凄いかどうかなんて関係ない。
キモいもんはキモい。太宰もキモい。
反吐がでる。
345早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 00:54:56 0
>>344
「愚劣な」と感情的にいってしまってごめんなさい
感情でストップ思考停止して他人を否定するのはいけないので、
何がいけないか考察します
キモい、と思うとき(僕もたまに小林さんの文章に苛立ったことあります)、単に、相手を否定するのではなく、
なにが自分の神経に触れたのか、なにが不快感を与えたのか、そういうのを、しっかり考えて、
自分の方がいいとか相手が悪いとかでなく、二つの感性から第三のものを導くのが、いい精神だと思います。
僕は、どのような芸術家に対しても、ここの書き込みに対しても、キモいと思ったことはありません
キモいですましてしまうと、新しい発想を生むチャンスを逃してしまう

科学的な才能が、対象を要素へ還元的に分解し、分析していく、そしてその果ては細かい定義の概念の増加だとしたら、
哲学的な才能は、たとえば対象がなくても二つの概念を頭に思い浮かべ、その概念同士を比較対照することで、
概念同士の関連や概念が秘めている本質を直観的に見出し、そのことによって、あたらし第三の概念を創ったり、
もとの二つの概念が包括する領域の外へ届くような考えをつくったりするようなもののような気がします

>>343
共感します
人間だけでなく、この「世界そのもの」に対しても、かなり左右すると思います。
こちらの場合は、肉感というより直観かもしれません。
本当の哲学は、その人間に対する肉感や、世界自体にたいする直観を、なるべく直接に表現したものだと思います
346早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 01:49:37 0
ニーチェは、
キリスト教批判を行っていたけれど、
根本的に、
「愛する魂」を
持っている

ツァラトゥストラの歌声は、
高貴な精神を勝ち取ろうとする人の魂に
優しく、気高く、響きわたる
時代を超えて、たくさんの心の琴線を、
戦慄と狂気、歓喜と祝福の音色で、通過する

ツァラトゥストラの歌声は、
たとえ世界が崩壊しても動じないような
自律的な思想を胸に抱いた人を
雄雄しい風で祝福し、
その思想は、風に吹かれて、産声を上げる
347考える名無しさん:2007/05/27(日) 01:59:30 O
異臭が移るから二度とくんな。
348早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 02:04:45 0
>>347
もう来ませんよ。

「アテナの誕生」
http://imepita.jp/20070527/073400
349早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 02:21:46 0
↑髪に鉛筆。

聖書の
マタイ13.10〜17
は、比喩表現の本質について、端的に書いている

ニーチェの「悲劇の誕生」では、
「真の詩人にとっては、比喩は修辞的な形なのではなく、
概念にかわって現実に彼の目の前に浮かぶ代理的な心象なのである」

真の言葉とは、自分の生身の身体からもぎ取り、外部へ抵抗しそれに打ち勝った、戦勝の記念碑を飾る言葉
貨幣のような言葉では、生きた心を表現することはできない


僕は、ニーチェやランボーの言葉に特に、真の言葉を感じた
350考える名無しさん:2007/05/27(日) 02:26:51 0
こいつよ、記号的哲学者とか間抜けたこといってる自分を正当化し、不特定多数の人間を説得しようとしてるのは棚上げだよ。
独善的な血と腐敗の賛美者君はよ。
人間の資格ないよ。もういちど言うが二度とくん
なよ
351早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 02:29:18 0
誤字、紙に鉛筆

記号的な概念から、直観的なものを直接感じ取るには、こちらの心で、その概念に揺さぶりをかけ、
概念という器から飛び散った液体のようなものに、直接心で触れなければならない
そうすると、概念が本質的に何を意味しているかというのを強く自分の心に一体化させることができるので、
概念のもととなった直観的なものは、「心の一部」になる、日常の感受性にも芸術鑑賞の武器にもなる。

>>350
僕は人を苛立たせてしまうけれど、もうどんな文体にも苛立たされないし、確信もある
ただ、独善的すぎるというより今の自分の分かっているものを哲学的に表現する能力が全くないので、
あなたのように苛立って攻撃する人がいるのは当然で仕方ないと思っている。ごめんなさい
352早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 02:32:38 0
不特定多数を説得させる気はありません
僕の言葉を「利用」して、何か新しい価値や遠近法をつくってください
どうしても表現したい欲求がありました
僕の言葉みて迷惑になっていたら本当に申しわけありません・・・
自意識の垂れ流しで、被害を受けていたら、ごめんなさい
353考える名無しさん:2007/05/27(日) 02:34:17 O
こいつよ、自分が攻撃してるのは棚上げかよ。
354考える名無しさん:2007/05/27(日) 02:36:47 0
昔みた春の阿耨多羅三藐三菩提の白い富士山を今でも思い出す
昔みた春の阿耨多羅三藐三菩提の白い富士山を今でも思い出す
昔みた春の阿耨多羅三藐三菩提の白い富士山を今でも思い出す
昔みた春の阿耨多羅三藐三菩提の白い富士山を今でも思い出す
昔みた春の阿耨多羅三藐三菩提の白い富士山を今でも思い出す
355考える名無しさん:2007/05/27(日) 02:38:40 O
だから、自分を見つめるスレに行って視てもらえ。
吐き気がするから。まず汝自身を知れ。
356早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 02:40:34 0
>>355
あなたのように吐き気をする人がたくさんいるような気がして、
心苦しいので、そろそろ、このスレはそろそろ最後にしますね
357考える名無しさん:2007/05/27(日) 02:47:37 O
モウウンコ、(^O^)/ モウウンコ〜
358考える名無しさん:2007/05/27(日) 03:00:42 O
凄いな。凄まじい。
芸術志向の奴はこんなにも自己逃避忘我志向だとは…w
宇多田は結構臭いなとは思っていたんだが。
作品もちょっと臭いけど。
自分を省みず不潔に保ち、腐らせるがままにするのがこつなのかもわからない。 極端な話、生きながらにして死ぬことで、
土に帰ることで、世界と一体化するんじゃないかと。
359早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 03:09:08 0
>>358
たぶん僕の言葉で苛立つ理由には、二つある。
一つは、エゴ、これは僕が全て責任を負っている
もう一つは、今まで自分達が無自覚的に立脚していた心理的地盤を掘り崩されるような感じなんだと思う。
今までの価値観を壊されるようなことを言われると、
誰でも苛立ってしまうものです。上手く哲学的に表現できなくてごめんなさい

僕は自己逃避などしたことありませんよ、ほとんど常に自分と戦っています
少なくとも、文体みたら、あなたよりは遥かに自分から逃げずに苦闘してきました
僕は、浮かれて自己告白しているようなとき以外は、かなり真剣に書き込んでいたつもりです
真剣に,批判していたんです

三島由紀夫の言葉
「芸道とは何か?それは「死」を以ってはじめて成し得ることを
生きながら成就する道である」
360考える名無しさん:2007/05/27(日) 03:25:00 O
汝自身を知れとかいって、
知ったら途端に、壊れてしまうがなw

汝自身を知れ、かのソクラテスこそは、
偉大なる破壊者であり、
永遠なるものの賛美者であり、真の芸術家でもあるのだ!
破壊できぬものを彼は愛したのだ。
鋭利な論理の剣を振り回し、切りに切った。ぶったぎってやった。
後に残ったのはその剣であった…。

しかし私の剣の鈍いこと! つまり私は優しい男性だということだろう。
361考える名無しさん:2007/05/27(日) 03:51:24 O
いわゆる芸術家は仮象と一体化するのであって、真理とではない。
所詮真理しかないのである。
破壊し尽くした後には形式しか残らない。
だが形式が残るのである。意外にも形式しか存在しないのである。
神秘的じゃないか。
印象こそ記号なのである。形式の記号なのである。
362考える名無しさん:2007/05/27(日) 04:02:24 O
芸術とは記号の記号である。
363考える名無しさん:2007/05/27(日) 10:14:37 0
>>336

ありがとねー。
「哲学的直観ほか」早速、セブンアンドワイで注文しました。

それと
悪意を持って意図的に誹謗、中傷してる輩。
無粋はやめて、粋にいこうな。
364考える名無しさん:2007/05/27(日) 10:58:39 O
芸術家とは印象になった者であり、
即ち形式の記号となった者であり、
そうである己を描き、記号化するものである。

傑作じゃないか。
365考える名無しさん:2007/05/27(日) 11:13:46 O
>>363
おまい自身ね、全然粋じゃないんだが。
366考える名無しさん:2007/05/27(日) 11:29:22 0
波というものは、どこか人と人の関係に似ているとは思わないかね?

寄せて、引いて、互いの距離を確かめ合うかのように―

そんな営みを永劫に繰り返している。

思えば、親子の関係もこの波と似ている

言葉というものは聞き取る側の思い一つで、どうにでも変化するものだ

良き言葉にも、悪しき言葉にも―な

伝えようとしても、伝わらない言葉もある。

良かれと思った事が、必ずしも良き方向に向かうとは限らない―
367考える名無しさん:2007/05/27(日) 11:36:21 O
弁証法じゃよ。
368考える名無しさん:2007/05/27(日) 13:01:07 0
ユングはクソ
369考える名無しさん:2007/05/27(日) 15:29:38 0
>>359
>たぶん僕の言葉で苛立つ理由には、二つある。
>一つは、エゴ、これは僕が全て責任を負っている
>もう一つは、今まで自分達が無自覚的に立脚していた心理的地盤を掘り崩されるような感じなんだと思う。
>今までの価値観を壊されるようなことを言われると、
>誰でも苛立ってしまうものです。

二つ目も、たぶん早君の思い上がりだと思う。
ニーチェに言及していても、早君はニーチェの思想について、ろくにまともなことを書けていない。
だから、誰も君とニーチェについての対話はできないんだ。
話せるとしたら「ニーチェっていいよね〜」程度のことになっちゃうからね。
そういうニーチェファンをニーチェは一番嫌悪したんではないかな…
「いま、わたしがあなたがたに求めることは、わたしを捨て、あなたがた自身を見いだせ、ということだ。
そして、あなたがたがみな、わたしを知らないと言ったとき、わたしはあなたがたのところに戻ってこよう。」
(ツァラトゥストラ)。
たぶん早君自身、半分ぐらいはこういうことを自覚してるんだと思うが。
370早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 21:08:53 0
>>368
ユングは本物の天才。ユングの仕事は、感嘆というより畏怖すべきものです
偉人のこと、クソ、とか言うの絶対はよくない、そういう態度では人生もったいない
でも、ユングは、14歳のとき、神様が教会の屋根にクソ撒き散らす幻視をみたらしい・・

>>369
僕がどれだけ、此処に書いたこと以外にも哲学や自分のこと考えてきたか、きっと誰にも予想できない。
ただニーチェは哲学者としてより、詩人、音楽愛好家、孤独な散策者として愛しすぎていたんです。
思想よりも、称えたい偉大さや、表現力にほれたのかもしれない
僕にとってニーチェは、家庭教師や友達のように錯覚してしまうときもあれば、
ゴシック建築のような、ベートーヴェン交響曲第7番2楽章のような、力強さに、崇拝したいほど畏敬の念を抱くときもあります
でもとにかく思い上がっていました、というよりほとんど夢遊病状態です

今日、久しぶりに、模擬試験というものを受けました
教室に50人くらい、いました
万能感は消え去って、目が覚めました。理系がものすごく堕ちていました・・・
そして、大勢の受験生みて、自分が何やっていたか、やっと気付きました
本当に意味不明な行為です
僕の言葉、忘れてください。芸術に興味もちたいときだけ利用してください
暗示にかからないでください。そのまま信じると危険です。
象徴の世界に行き過ぎて、排他的すぎること自覚しました
もう哲学者に毒づきません。せっかく病気は治ってきたので自分を見つめなおします
僕に暴言や詭弁を言い換えされた人、ごめんなさい

ツァラトゥストラや地獄の季節というネタに漬かったジャンキーの喚き声のような
不特定多数閲覧場所にサリンを撒き散らしたような
そういう言葉
本当に罪悪感を感じてきました。
憎悪とか呪いとかそういう言葉で、誰か何人かを病ませてしまったような気もします
ごめんなさい。もうベルクソンスレにも此処にも絶対きません。恥ずべき行為です

さようなら
371考える名無しさん:2007/05/27(日) 21:21:01 0
>>370
>僕がどれだけ、此処に書いたこと以外にも哲学や自分のこと考えてきたか、きっと誰にも予想できない。

そういうものの言い方が大人の世界では認められないというか、
嫌われるということをこれから学んでいってください。

>今日、久しぶりに、模擬試験というものを受けました

まぁ、受験勉強がんばってください。

>暗示にかからないでください。そのまま信じると危険です。

そんな心配は無用だと思います。
372早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 22:03:33 0
>>371
いちおう、たまには被暗示性強い人いるかもしれなくて、言っておいたほうがいいと思いました
色々とアドバイスありがとうございます

でも、子供の世界でしか知れないものが、世の中にはたくさんあるということも、
書き込んでいるうちに強く感じました。
時間の恐怖や、存在の恐怖、世界自体とは何か、「全体的な直観」、比喩と概念のぎりぎりの臨界点など
神秘を脱神秘化するには、あらゆる神秘を体験できる象徴界へ一度下るのが、いいし、
ニーチェを体験するには、「混沌」の経験は必要だと思うので、混沌が何か体験したい人は、僕のキチガイ体験を参考にしてください
初めて書いた哲学的文章と、もう2,3くだらない文章、upしておかせてください・・・
宣伝ではないですブログやサイトへのリンクはありません
http://46.xmbs.jp/ch.php?ID=waderfulalice&c_num=77987
http://46.xmbs.jp/ch.php?ID=waderfulalice&c_num=77991
http://46.xmbs.jp/ch.php?ID=waderfulalice&c_num=77992
373考える名無しさん:2007/05/27(日) 22:54:37 0
>>372
ちょっと読ませてもらいました。
いろんな事柄に意識が分散しすぎていて、その結果として
どれについてもひどく中途半端なので、とくにコメントしたい
部分はなかったですけど、高校生としてはこんなものだろうし、
意外とまともな文章が書けているので感心しました。
374早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/27(日) 23:09:20 0
>>363
ありがとうございます
でも、誹謗中傷されて当然のことしてたのを、強く自覚してきました
きっと、ずっと誹謗されます・・してください
もう夢遊病のような状態になってこんなことしないよう、最大限自制します
>>372
文章でも連想過多を抑えられないみたいです
見てもらえるひとが全然いなくて、客観的にどうなのか全く分からなかったんです
批評下さって助かります

子供っぽい生意気な書き込みすいませんでした
ご迷惑おかけしました
みなさんさようなら
375考える名無しさん:2007/05/27(日) 23:58:03 0
高校生にこんな思慮深い人間がいるとは世の中捨てたもんじゃないな
376考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:16:44 0
素直にすごい!と言おう
377考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:25:38 0
書く量は確かにすごいけど、たぶんそれは心の病と関係してるんじゃないかと思う。
内容的には、すごくない。
でも高校生にしては優秀なほうだと思う。
378考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:29:10 0
病が癒えればいいね。
それとともに、普通の人になっちゃうと思うけど・・
379考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:29:21 O
言葉によって印象、感情、意味、価値などが生み出されるわけで、もちろんその逆ではない。
言葉もまた生み出されるものだが、空間、時間、論理といった理性的形式によるだろう。
最も根源的なもの、いわゆる真理は理性であると思う。
それは純粋には、それ自体では、無を意識するものである。
無を意識すると同時に有を意識するのである。
有は無を前提にしているからだ。
逆も然りである。
有と無は根本的な理性的形式である。
これは論理を成立させる前提だからである。
論理の源だからである。
我々が抱く空間や時間というのは要するに無と有の一表現形式に過ぎず、
理性にとっては恣意的なものである。
無と有という根源の意識からいかに世界が構築されるのか、それは神秘に包まれているが、
我々の世界は一つの可能な世界でしかないとはいえる。
380考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:31:54 O
女々しい人のレスは無駄に長いものだ。
381考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:33:32 0
>>376
でも一昔前の高校生はこういう人仰山いたんじゃねぇ?
今はめっきりいなくなったが・・・大学生でも稀だぞ今となっちゃw
382考える名無しさん:2007/05/28(月) 00:42:12 0
>>381
あんた関西人?
383考える名無しさん:2007/05/28(月) 01:12:01 0
そろそろ行動に移す時なのかもしれんな

地球も人心も荒廃しつくしてるときこそ行動によって考えを示さなければ何も意味なく終わってしまう
384考える名無しさん:2007/05/28(月) 01:32:08 O
個別性を重視する流行りではあるが、
これは世界を汚するものである。
それは例えば現代日本の汚い街並みに象徴されていることである。
美しいもの、心地よいものは単純である。
例えば美人というのは不細工より、
情報量が少ない。あるいは情報を圧縮する余地が不細工より多いはずである。

また芸術では美人がウンコをしているところは描かないものだ。

早の理性は全くなってないのだと思う。
それが若いということではある。
理解が追いつかないということが。
悲喜劇は無理解によってたつものだろう。
芸術一般にいえることかもわからないが。
理解とは解体することである。
というのも理解しかねる現象をば我々は現実とみなすからである。
感性が司どるところの無理解に現実性があり、
理解に悲現実性がある。
385考える名無しさん:2007/05/28(月) 01:38:47 0
>>384
美人のウンコが見れないのは、
たしかに悲しい現実だな…
386考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:01:49 O
つまり理解しかねる現象に力があるのである。
いや、得体の知れない力を感じるのである。畏怖するのである。
例えば生もそうだが、それ以上に死がそうだ。
力への意志というのは、したがって、
無理解への意志である。

逆に哲学、つまり理解への意志はまた同様に無理解への意志でもある。力への意志である。
これは絶えざる根源的なるもの単純なるもの、美しいもの、畏怖すべきものへの意志、運動である。
知的解体であり、知的芸術ともいえる。
理解できないものを探し、攻略しようという知的冒険でもある。

芸術は具体性には無関心である。
造形芸術もまた個別性には無関心である。
具体性でもって普遍性を表現するだけである。
そうでなければ万人に訴える力はもたない。
387考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:13:34 0
根拠のない断定が目につくなぁ…
君も高校生か?
388考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:23:58 O
美人のウンコというのが一流の美術館に飾ってあり、
人々が真剣に鑑賞していれば、
我々は無理解から妙に圧倒されるような力を感じるだろうから、
美人のウンコも芸術たりうるだろう。
だがそのためにはさらに大事な前提があるのだ。
つまり美人はウンコをしないという偏見である。
389考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:28:14 O
>>387
すまんが基本的には自分がわかればいいんだよ。
あとわかる奴がわかればいいだろうし。 わかんなきゃ質問すればいい。
答えるかどうかは気分次第。
ちなみに、私は今年で40になる。
390考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:33:02 0
>>386
>つまり理解しかねる現象に力があるのである。
>いや、得体の知れない力を感じるのである。畏怖するのである。
>例えば生もそうだが、それ以上に死がそうだ。
>力への意志というのは、したがって、
>無理解への意志である。

なんで「したがって」でつながるのか、わからん。
力への意志というのは、「力を感じたい」という意志なのか?
ちがうだろ。存在そのものが力への意志なんだから。
391考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:38:33 O
てか思考を記してるだけだから。
392考える名無しさん:2007/05/28(月) 02:49:39 0
得体の知れないものに力を感じたいということだと、
宗教の信者みたいになってしまうんじゃないか?

力への意志っていうのは、ニーチェ自身によれば
より強くなろうとする意志だよ。
無理解を意志していたらより強くはなれないと思うが。
393考える名無しさん:2007/05/28(月) 03:56:02 O
>>390

存在は力への意志ではない。
いわゆる現存在が力への意志だよ。
存在は無と有の関係であり、力そのものだろうから。
現存在は死ぬもの、死んで存在に還るんだね。
きっと死の必然性が力への意志だね。

>>392

無理解、問題に対さないことには強くなれない。
そういえば処刑ライダーも納得のいかない、
得体の知れないものと戦ってるらしいがw
394考える名無しさん:2007/05/28(月) 06:07:03 0
ルサンチマンについて読みたいんだけどやっぱニーチェ関係の本になるの?
よかたらルサンチマンの全容がわかる本教えてくらさい
やっぱり結局はニーチェ哲学のニヒリズム思想は全く持って危険な退廃的で自滅的な志望人のような自殺志願者の思想だ!皆は普通の人の常識として早めるべきなんだよ!
396考える名無しさん:2007/05/28(月) 11:23:31 O
現存在が力を意志するならば、
存在は無力を意志する。
力は担わねばならないものだからである。
苦だからである。
したがって、存在は力を分散し、世界を構築する。
世界内存在は構築物を解体し、力をかき集める。
397考える名無しさん:2007/05/28(月) 13:41:08 O
そもそも早の感受性は比較的抽象的なもののようである。
理想化し、あらかじめ個別性、不規則性、不純物をある程度排除するものである。
ウンコを大体濾過してしまうものである。
個別性を重視することはその繊細な感性の網の目を広げ、
彼の芸術性を損なっていくだろう。
398考える名無しさん:2007/05/28(月) 14:02:16 O
一体無学な女が、理性的にはなかなか認識しえないことを容易に感得することはありがちであり、
その素朴な表現に私は畏怖することがよくあった。
下手な理性は、その感性の足手まといになるばかりである。
若い頃は、どうしても仕方ないが。
まあしかし人は生きる限り、迷うものである。
399早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/28(月) 18:27:04 0
>>398
僕は抽象もある程度得意だけれど、抽象の中から具体的なものを抽出する能力が高いことを、
自覚していました。代数が全然できなくて、幾何や物理はかなり得意。
数式が具体的に何を示しているのかは一瞬ですぐわかるのに、数式を変形させ自分がまだ見えていない答えを導くのが極端に苦手。
初等幾何は、こちらが答えを見つけてから論証するから簡単にできます
ちなみに誤解をなくすために言っておきます、高校生ではありません、浪人生です。高校の時は、反抗するために、教師から教えられるという屈辱をなくすためだけに、
音楽を聴きながら7割は寝て、欠点ぎりぎり、卒業できる日数を数えて休学許可もらってから自宅で全ての教科を独学で学びました
抽象的なものも具体的な実感で認識してしまうから、もともと具体的なものをあまり必要とせず、抽象的なものに対しても理性だけでなく感性が反応します。
死、(ショーペンハウアーの盲目的)意志、という言葉みるたびに、ある程度、具体的にイメージや内部感覚を伴ってしまって、恐怖感がくるみたいです。
「時間」とか「永遠」へ固執するのもそのためです。純粋持続について読むと、かなり身体が反応するのです
>>375
思慮深いのは、幼い頃、常に死んだらどうなるか、なぜ自分は意識をもっているのか、宇宙は本当に存在しているのか、自分達は幻でしかないのではないか、
そういうことで常に本気で怯えたりしていたせいです。
何についても、一番根底を捉えないと、理解した気にならない、というより、まったく理解できない。

このスレにかいた発想はそういう脳髄や学習の産物です。
こういう認識の仕方も、参考にしてください

ちなみに僕の直観では、ニーチェは、モノと言葉が一致しないことに、ほとんど恐怖に近いのを感じていると思います
僕は、モノや自分の心の動きと言葉が全然一致しないとき一種の不安を感じ、
対象と言葉の境界にある暗礁に落とされたような恐怖に陥ることもあり、
メタファーと概念が等価であることを、身体で直覚します
400考える名無しさん:2007/05/28(月) 18:40:58 0
>>399
あいかわらず、無駄に長いなw
芸術方面の道に進むとしても、そういう調子じゃ見込みなしだぞ
芭蕉でも学んでみてはどうか・・・
401考える名無しさん:2007/05/28(月) 18:45:41 0
もう早はこのスレから出ていく気ないだろww
別にいてもいいけど何度もさよなら言うなやw
402早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/28(月) 18:59:13 0
>>400
ごめんなさい
一行でも書き出すと、言葉が神経に着火し、脳のあらゆるところが反応し、連想が爆発し、
自分の心の中と強く反応して、自分のこと含めた長文になって、
自分のことを書いていると少し忘我になって掲示版だということを忘れ、書き込む、をクリックしまうみたいです・・・

それに、なんとなく、レスがきたとき、うれしいのです・・

はい、読んでみます。
俳句は、暗唱が簡単だから、心に情景を保存して、いつでも思い出して心に描ける点が、
とてもいいです。
ニーチェのアフォリズムの魅力も、象徴と理論が混じりあった端的な文章だから、感覚やイメージを言葉と一緒に
心に保存できるところにあると思います
403考える名無しさん:2007/05/28(月) 19:03:20 0
>>402
まちがっても、小論文があるところは受験するなよw
404早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/28(月) 19:03:38 0
一行でも書き出すと、言葉が神経に着火し、脳のあらゆる記憶と反応し、連想が爆発し、
自分の心の中と反応し、自伝的になって、軽く忘我になってしまうのです

それに、なんとなくレスきたときうれしいから、書き込んでしまうのです

はい、読んでみます
俳句は、短いから暗唱しやすく、一度心に保存すれば、いつでも情景とともに思い出せるのが、
とてもいい感じです。しかも、外国の訳詩と比べて、作者の心の律動のようなものも音楽的にもたのしめるのもいい点だと思います

ニーチェのアフォリズムも、象徴と理論が合体した短文だから、心に刻んでおくと、
いつでもイメージや感覚が溶け込んだ言葉を思い出せるのが、魅力です
405考える名無しさん:2007/05/28(月) 19:06:16 0
長い目で見ればむしろ、小論文の勉強をしたほうがいいのかもしれないなw
406早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/28(月) 19:07:03 0
同じようなのごめんなさい。読み込みミスで、書き込めてないとおもってました

>>402
言葉の洪水を制御できる頭にしたくて、大学は理系にしようと考えていますw
407考える名無しさん:2007/05/28(月) 19:19:00 0
>>406
>言葉の洪水を制御できる頭にしたくて、大学は理系にしようと考えていますw

それなら理系にいくより哲学科にいったほうがいいと思うがw
今はニーチェとかベルグソンとかについて適当なことを書き散らしているけど、
哲学科にいけば今みたいな適当な書き込みはできなくなると思うよ。
408考える名無しさん:2007/05/28(月) 19:53:31 0
ニーチェの自信は凄い。
409早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/28(月) 20:27:04 0
>>407
もうあのような病理的な状態での乱暴な書き込みは絶対自制すべきだと思っているし、不特定多数が見ていることを考えると
罪悪感を感じています
人に見せる文章は、しっかり内容も形式も洗練させなければならないと、自覚しました
どういう大学にせよ、もし入学できたら、哲学の講義は受けたいと思っています

芸術的というより芸術家的な文体を多用すると、他人にははなはだ迷惑だけれど、心を改造でき、マラルメの言葉を借りると「言葉で心を手術」でき、
感官を無理やり激化でき、音楽や絵に対する感受性のアップにも繋がっていく
反語的逆説的で、挑発的な文体は、既成概念というガラスを突き破るような快感とガラスが自分の心に突き刺さるような苦痛を、
同時に感じ、自分の言葉でいうと言葉であらゆるものの束縛から「脱皮」できる
これも適当な書き込みかもしれないけれど、ニーチェの混沌とした地下の生命に根ざしたような言葉は、麻薬的。

410考える名無しさん:2007/05/28(月) 21:37:25 0
何かエネルギーに満ち溢れている感じだな。いいな。
411考える名無しさん:2007/05/28(月) 22:00:01 0
>>409
>これも適当な書き込みかもしれないけれど、ニーチェの混沌とした地下の生命に根ざしたような言葉は、麻薬的。

うん、それも適当だと思うw
自分が受けた表面的な印象で書いているにすぎないなっていう感じ。
ツァラトゥストラの文体のことを言っているのかもしれないけれど、
あれは聖書のパロディだからね。
訳者によってもだいぶ違うし。竹山道雄訳でも読んでるのかな?

聖書のパロディであるからには、
まずキリスト教に対する理解がないとだめだろうし、
ゾロアスターを主人公にしているのは、あれが
プラトン以来の善悪二元論哲学に対する批判の書だっていうことだから、
ニーチェによって批判されてるもの(つまり哲学史)を知らないと、
「適当」を脱却するのは無理かなw
412早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/28(月) 22:52:13 0
(反抗的情熱的な時の)僕にとっては、自分が受けた印象の方がはるかに直観を揺さぶる本質的なもの、
哲学史はあまり知らないし知っていてもその印象の強い力に比べれば単なる表面的な付属品になってしまうので、
冷静になってもその名残でつい、印象を上においてしまうのです。たとえば、善悪二元論というのは、ゾロアスター教の善悪というより、
「自分の中の善悪」になってしまい、心が文体で切り裂かれるような快楽や苦痛を具体的に感じ、麻薬的になってしまうのです。

一つだけ真面目な批評させてください
「ツァラトゥストラ」は、過去の色々な「哲学」に対する批判というよりは、
ずっと先の未来にまで向けられた「人間」に対する直接のメッセージだと捉えた方が、
もっと数百年規模の長い目でみると、正論だと、僕は思います。


適当な書き込みできるだけ控えます
批評して下さると、本当にたすかります
413同じく高校生:2007/05/28(月) 22:58:03 O
早からはゲーテの香りがする
それでいてドフトエフスキーのような感じもする
天才!この才能をほっておくなんて国家の損失!
小説書いた方がいいよ。でも文學界には送っちゃダメ
高校生でニーチェなんてすごいなぁ
私も読んでみたい。ツァラトゥストラから入ればいいのかな?
414考える名無しさん:2007/05/28(月) 23:13:32 0
>>412
>一つだけ真面目な批評させてください
>「ツァラトゥストラ」は、過去の色々な「哲学」に対する批判というよりは、
>ずっと先の未来にまで向けられた「人間」に対する直接のメッセージだと捉えた方が、
>もっと数百年規模の長い目でみると、正論だと、僕は思います。

まぁ確かにそういう側面もある。
ニーチェ自身あれを「肯定の書」と言ってるしね。
でもそうは言っても、ニーチェの「肯定」は
やっぱり「批判」と表裏一体なんだなぁ…

たとえば永劫回帰だって、あんな(常識的には)とんでもない思想が
なんで唐突にニーチェに到来したのか?といえば、あれが、
キリスト教の有限一直線の時間とその目的論に対する批判、さらには
仏教の輪廻からの解脱に対する批判、などなどを含んでいるのがわかると
その意味がだんだんわかってくる。
永劫回帰を「最大のナンセンス」と言った漱石はたぶんそういうことが
わかっていない人だ。
力への意志だって、ショーペンハウアーの「生への盲目的な意志」に対する批判、
ダーウィニズムに対する批判、などなどを含んでいるのがわからないと
やっぱりだめだろ
と俺は思うよw
415考える名無しさん:2007/05/28(月) 23:29:41 0
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416414:2007/05/28(月) 23:36:33 0
>>413
>私も読んでみたい。ツァラトゥストラから入ればいいのかな?

上の理由から、ツァラトゥストラから入るのはやめたほうがいいと思う。
ツァラトゥストラは「誰でも読めるが、誰にも読めない書」ってニーチェ自身が言ってる。
つまり、読みやすいんだけどニーチェの真意はわかりにくい書っていうことだよね。
最初に読むのは『道徳の系譜』がいいでしょう。
417処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/28(月) 23:49:28 0
>>393
俺が戦ってるのは、俺にとってキリストがいかに重要な存在であるかを
理解出来ないか、もしくはしたくない連中。
418考える名無しさん:2007/05/29(火) 00:20:44 0
>>413
>高校生でニーチェなんてすごいなぁ

全然すごくはないです。
哲学科に入る人はたいてい高校生の時に哲学書を読んでいると思います。
僕は高校の時はキルケゴールが好きでした。
キルケゴールの『死に至る病』は高校の時に何度も読みました。
その前は、カミュの『シーシュポスの神話』。
哲学に入るきっかけって、そういう、なんとなくかっこいいのに
惹かれるんですよね。
だから今の早くんの気持ちは、よく分かりますよ。

419考える名無しさん:2007/05/29(火) 00:56:23 0
>哲学科に入る人はたいてい高校生の時に哲学書を読んでいると思います。
東大か京大ってのが前につくけどね ていうか哲学科って今あるのか大学に
420考える名無しさん:2007/05/29(火) 01:02:35 0
>>381
>でも一昔前の高校生はこういう人仰山いたんじゃねぇ?

一昔というか、だいぶ昔でしょうね。
全共闘世代と言われる世代あたりの人たち、
今の50代ぐらいの人たちなら、人前で「思想」wを語る人が
たくさんいたでしょうね。
その後の世代は内向化して、密かに読んでいたのではないですか。
早くんもネットがなければどうなのかわかりませんが。

>>419
>東大か京大ってのが前につくけどね ていうか哲学科って今あるのか大学に

え・・・
421考える名無しさん:2007/05/29(火) 01:13:06 0
422考える名無しさん:2007/05/29(火) 01:25:48 0
>>421
d
>>420
※ 哲学科/哲学コース/哲学専修/哲学分野/哲学専修課程といろいろ呼び方はありますが、
必ずしも規模を反映しているわけではありません。独自ページがあるところには☆をつけてあります。

「哲学科」ってちゃんと〜科てなってるのは今はあるところなんてあるんかいなーって思ったけど結構多いですね。
でももうやっぱ旧帝大で哲学科ってのはないかな
423考える名無しさん:2007/05/29(火) 01:51:34 0
なんで最近呼び方がだいぶ変わってきたのかな?

明治学院に「心理学部」があるのには驚いた。関係ないけど。
(中京大学と立正大学にもあるみたいだ)
424考える名無しさん:2007/05/29(火) 02:23:01 0
いちいち見ても仕方がない他者の内面の告白に見事に結合しまくる蓄群ばかりだったとは、いやはや。
さぞかし心地よかったことでしょう、弱者よ。
425考える名無しさん:2007/05/29(火) 02:35:42 0
>>424
ちょっとニーチェをかじった程度の大馬鹿者が
意味をよく知りもしないで使いたがる
ニーチェ用語ベスト6(半端だな・・)

1. 「ルサンチマン」
2. 「超人」
3. 「創造」
4. 「蓄群」
5. 「ディオニュソス」
6. 「弱者」

426考える名無しさん:2007/05/29(火) 08:05:31 0
>>412
>適当な書き込みできるだけ控えます
>批評して下さると、本当にたすかります

早っていい奴だったんだね (^^)
427考える名無しさん:2007/05/29(火) 08:32:31 0
ここは高校生のポエム発表スレッドです。
真面目なポエムの投稿をお待ちしております。
短かい小説も可です。
428考える名無しさん:2007/05/29(火) 10:39:36 0
>>425
3,6は普通に使うんじゃない?
2はキン肉マンに出て来る。
429考える名無しさん:2007/05/29(火) 11:04:58 O
>>413

敢えていうならルソーだろ。
430考える名無しさん:2007/05/29(火) 11:09:55 O
いやむしろ壊れた女だろ。
リスカと麻薬の香りがする。
431考える名無しさん:2007/05/29(火) 11:27:47 0
ダサくて臭いスレ。
ただの蓄群の雑談。
高貴のかけらもない。
432考える名無しさん:2007/05/29(火) 15:11:09 O
早はほぼ理性がないんじゃないか。
非理性的な人間は理性的なるものはほぼ受け付けず、
ただそこにある感性的なるもののみを抽象して認識する。
これは極理性的な人間が、感性的なるものには反応しないことに対応している。
両者は挙げ句の果てにようやく、前者は理性的に、後者は感性的な認識をするのである。
433考える名無しさん:2007/05/29(火) 15:21:25 O
事が一段落すれば、前者は感じてきたことを一時的に省りみるに理性的認識をもってし、
後者は考えてきたことを省りみるに一時的に感性的認識をもってするのではないか。
434考える名無しさん:2007/05/29(火) 15:57:09 0
ニーチェが感性的な哲学者なのは事実。だがそれが良い。
435考える名無しさん:2007/05/29(火) 16:41:13 O
ニーチェが理性的でもある事実を見逃さないようにしような。
436考える名無しさん:2007/05/29(火) 17:32:42 O
ニーチェはなんていうかもう爆発してんだよ
爆発
437考える名無しさん:2007/05/29(火) 17:40:32 O
理路整然とね。
438考える名無しさん:2007/05/29(火) 17:51:37 O
はたして理路整然としているのだろうか・・・
俺には分からないけど、ニーチェの思想が一重に対極の転倒を試みるものなら
彼の書く文章が理路整然としていなくても何ら問題はないわけで・・
というのは、彼は意味の支配から無意味の優位を、整然の支配から混沌の優位を勝ちとろうと試みるからだが。

とはいえ、ニーチェのアフォリズムに満ちた文章に不思議なくらいの説得力と美しさがあるのは否定しないけれど。
439考える名無しさん:2007/05/29(火) 18:08:53 0
>>438
>彼は意味の支配から無意味の優位を、整然の支配から混沌の優位を勝ちとろうと試みる

ニーチェは「無意味」に優位を与えるわけではないだろう。
彼は固定化されたものとしての「意味」を嫌う。
そして常に新たな「意味」を創造する者であろうとする。

「整然」と「混沌」は、アポロンとディオニュソスと言い換えられるだろうが、
アポロン的なものが否定されるわけではなく、より根源的なものとしての
ディオニュソス的なものの中に取り込まれるというような感じではないか。
「小さな理性」としての自我が、より根源的な「大いなる理性」としての
身体に基礎付けられ、取り込まれるように。
440考える名無しさん:2007/05/29(火) 18:12:22 O
>>439
なるほどな。
441考える名無しさん:2007/05/29(火) 18:24:23 O
理路整然と燃えてるじゃないか。
まるで火のように。
442考える名無しさん:2007/05/29(火) 18:58:24 0
>>425
このレスで俺はNietzscheをマスターした! とそこらじゅうに言いふらそう

ていうか畜群て(・∀・)イイネ!!
443考える名無しさん:2007/05/29(火) 19:03:32 0
彼は「アポロン的であると同時にディオニュソス的」な
ギリシャ悲劇を芸術の最高の形態と評価しているね。(悲劇の誕生)
そこではディオニュソスがアポロンの口を通して語るのだと。
444考える名無しさん:2007/05/29(火) 19:15:39 0
>>443
前期ではそうだね。
後期のニーチェではアポロンという語はほとんど姿を消してしまう。
445考える名無しさん:2007/05/29(火) 19:41:02 0
だから前期と後期ではたぶん芸術観も変わったんではないかと思われるんだが…
後期のニーチェが好んだのは絵画ではルーベンス、文学ではスタンダールあたりだろう。
ルーベンスはなんとなくわかるが、スタンダールはどうなんだろう…
http://www.salvastyle.com/images/collect/rubens_cross00b.jpg
446考える名無しさん:2007/05/29(火) 19:43:55 0
447考える名無しさん:2007/05/30(水) 01:39:24 O
アポロン的なるものがもたらす快楽は麻薬的である。
その夢の深淵に落ち込んだ者を救うのはソクラテス的なるもの及びキリスト教、仏教である。
その治療によってディオニュソス的なるものが深淵において現れる。
448考える名無しさん:2007/05/30(水) 01:41:53 O
アポロン的なるものがもたらす快楽は麻薬的である。
その夢の深淵で目覚めた者を救うのはソクラテス的なるもの及びキリスト教、仏教である。
その治療によってディオニュソス的なるものが深淵において現れる。
449考える名無しさん:2007/05/30(水) 02:23:36 O
アポロン的なるものによって審美眼が養われ、
そして必然的に生への吐き気が催され、
次いでソクラテス的なるものや、キリスト教、仏教により、生は解体され嘔吐される。
その生と死の境界線上を、混沌を、ディオニュソス的なる陶酔が包み込む。
450考える名無しさん:2007/05/30(水) 17:59:05 0
higekinotanjou
悲劇の誕生、借りてきました
451早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/31(木) 19:19:34 0
>>429>>430>>432
僕は、まともなときはかなりまともで、その時に得た知識とか考えとかが、
昂奮したとき、めちゃくちゃに混ざって、此処が何処だか考えもせず、
現実感覚をほぼ失った朦朧とした状態で、ほとんど衝動だけにまかせてスレ汚ししてしまったんです
自他曖昧、五感同士や五感と思考が混ざったりして連想過剰、メタファーの大量生産、自分の考えが絶対だという狂信、
説得させたい願望、攻撃欲、自己表現欲求などが溢れ、衝動的に何でも書き込んでしまったんです
本当に迷惑な言葉ばかり申し訳ないです
メタファーと概念が等価、というのは、言語感覚が混乱した状態の僕の頭のなかを
表現しただけのようなものなので、昂奮するとメタファーと概念が等価になる、て思ってください
辺縁系あたりが昂奮すると、「感覚的感情的な記憶」だけが勝手に溢れ忘我になって、
幼児期特有の死や時間や存在そのものに対する極端に鋭い直覚などが蘇る。
あらゆるものが不思議な気がしてきて、「不思議」が過ぎると「恐怖」になる。
僕が此処に吐いた言葉は、そういう軽い脳内麻薬状態での言葉だとして受け取ってください。
本物の壊れた女、血だらけの女といのは、僕よりは遥かに逝ってます・・・
>>413
僕は天才ではなく、platonic(プラトンは同性愛者)に天才を愛好しているんです
小説が好きだった頃は、ウェルテルもラスコリーニコフも、恋人でした・・
ニーチェを恋人的に愛好したいなら、まず最初にツァラトゥストラの歌声にやられてみるのがいいかもしれない
>>418
かっこいいとか知りたいとかより、とにかく哲学や芸術鑑賞で、自分の意識経験や五感や直観力や表現力を、
最大まで深化&激化したいという欲求、表現活動で生計立てたいという願望が、あります・・
宇宙は習慣的な五感や思考や知識では捉えられない。思考によって宇宙からの直接の印象は濾過されてしまう
真の時間、というのは、時計では測れない。
非時計的な時間とか純粋持続とかいえるようなものを、真に知ることができたら、きっと感覚や直覚の精度が変わって、世界そのものが変わってきそうな気がします
一般的に認知されている時計的な時間は、生活習慣、概念、空間、数などによって不純化された時間でしかない
時間はそれ自体、この世の中でもかなり不思議なものだと思う。
452早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/31(木) 19:41:25 0
>>427
ある日曜日の朝。夜は夢ばかりで朝になっても起きない、自伝的寝言が達者な、夢遊病者が、目を瞑ったまま窓から出て屋根を歩き、自宅の周囲に集まった人たちに痴態を晒しながら
類稀な饒舌で戯言「僕はキリストです、そしてヒトラーです」を浴びせていました。
お涙頂戴な寝言による演説に、一部の優しい心をもった人を除いて周りは白けていたが、こちらは夢心地、そして
屋根から落下する2歩手前、躓きの石(模試)でコケて、落下は免れたが顔面をぶつけ、痛々しい、鼻血が出て、ああ哀れ。
目を擦りながら、嘲笑に囲まれ、何してたか反省し出し、そろそろと窓の方へ引き返し、恥ずかしい気持で反省しはじめました。
しかし、夢遊病者はしつこく半眠気分、僕の善はキリストじゃない、不思議の国のアリスだ!僕の悪はヒトラーじゃない、北欧神話のロキだ!
幼児こそ無垢なる悪戯者にして無敵の英雄!善悪の彼岸とは、アリスとロキを合体させて両性具有的な自己完結をすることだ!
プラトンの饗宴では男女が合体した人間はすごかった
心の中で両性具有を果たせば聖なるものを知ることが出来ることを象徴しているのかもしれない…
凄い心を手に入れたら、ツァラトゥストラの弟子になれる!ツァラトゥストラがあまり評価しない心の女性性や聖なるものの真価を
ツァラトゥストラに教えてやるんだ!でも聖なるものを知るには、一度は本当に「体験」しないと、ツァラトゥストラに怒られる…
僕はただ、聖なるものを体験したい欲求が強いあまりに、禁断の本を読んで気が狂ったり、意識の混迷や夢遊病がおこるんだ…僕は子供のころから
星座が大好きだった…月の女神様のところまで夜空を歩いていこう…アリス&ロキなら何だってやれるさ、夢遊病とは聖なる病気だ!
などなど現実と夢の間で滅烈した連想を遊ばせながら、ふにゃふにゃした寝言、また眠ってしまいました。そして夢でツァラトゥストラに出会いました。弟子にして下さいと頼み、
饒舌を奮ってみたけれど、黙殺され、ついに「もういいかげんにやめなさい、その物の言いかた、気色がわるい。女のようなヒステリーで自己告白するのはやめなさい」
と叱られ「通過」されてしまいました。
夢でも現実でも立場を失った彼は、悲しくなり、とりあえず、受験勉強と楽器練習と哲学読本に励みました。
453考える名無しさん:2007/05/31(木) 20:43:35 0
>>452
毎回随分と長文を書くみたいだけど
本・文字をしっかり理解してより早く読むいい方法ってないかな?
君なら得意かと思って訊いてみたんだが。最近長文を読むと疲れてしまって。

ほら、そうすれば君の興味深いレスもスラっと読めるだろう? 
よろしく頼むよ。
454早 ◆yxoSe0qFeA :2007/05/31(木) 21:08:00 0
>>453
僕はどちらかというと読むの苦手で、かなりゆっくりと熟読します
本格的な哲学はそれほどたくさん読んだことあるわけではなく、
気に入った文章を髄の真髄までゆっくり、あたまの中にしっかり概念が組み込まれるくらい、心の中に印象が染み込むくらい、
熟読します
ニーチェのアフォリズムは、気に入ったのなら、暗唱します
詩を読むのになれると、頭の中に視像を描く習慣や、メタファーから未知の発想を汲み取る能力、
あるいは自分でメタファーを作ってそのメタファーに何か新しいことを気付かされるような能力が、
上がっていくような気がします
頭の中の印象を明確に言語化するまえの段階で、高速で思い巡らすと、たまにハっといい感じの考えが浮かんでくる
言語的に考えるだけでなくて、あまり行きすぎは良くないけれど非言語的に考えたり
視覚像やその他感覚的印象を頭の中で内部で現象させたりするのも、いいかと思います。
文章読解にはあまり関係ないかもしれないですが、感覚的なものを敏感に深く感じたりする能力は、
心の中で感覚的印象を現象させたり、感情と感覚印象を結びつけたりすることに関係していると思います。

小説以外の文章読解は、僕の場合、上に書いたようなゆっくりな熟読か、知識をササっと吸収するための斜め読み&メモか、どちらかです。
斜め読みは、慣れのようなものです
455考える名無しさん:2007/06/01(金) 00:28:54 O
芸術は美しい。 芸術家は醜い。
456考える名無しさん:2007/06/01(金) 00:34:56 0
>>454
それが正解だし短文しか書けない自分から見たらその圧倒的な熱量は羨ましい限り
457考える名無しさん:2007/06/01(金) 00:44:23 O
女体は美しいらしい。女心は醜いらしい…。
要は、象徴界と現実界は相反するのである。
したがってディオニュソス的なるものがアポロン的なるものとして表現される。
458考える名無しさん:2007/06/01(金) 01:02:51 O
ソクラテス的なるもの科学的なるものキリスト的なるものは一見、
生を破壊する悪しきものであるかの如くである。

だがそれはアポロン的なるものの影に潜む本質たるディオニュソス的なるものの生き生きとした醜さへの反逆なのである。

退廃的な生、物理的なるものに潜むところの本質的な美しさ、安らぎ、喜びを追求するものである。
459考える名無しさん:2007/06/01(金) 01:16:52 0
白痴と綺麗は紙一重っていうか
殯の森だよね
460考える名無しさん:2007/06/01(金) 01:20:13 O
むしろディオニュソス的あるいはアポロン的なるもの、
芸術的なるもの、
創造的なるものこそ現実の否定であり、
ありのままの世界の、ありのままの生の否定であり、
まさしく神の否定であり、罪深き偶像崇拝なのである。
461考える名無しさん:2007/06/01(金) 01:27:59 O
我々哲学徒は次のスローガンに賛同し、活動するものである。
「象徴界を破壊せよ! 現実界を直視せよ!!」
しかもけしからんことにそれでいて芸術を趣味とするタブーを犯す慣わしではあるらしい。
462考える名無しさん:2007/06/01(金) 01:38:41 O
こんなタブーを犯すのは芸術畑の人間が哲学をやろうとするもようなもので、
異境への、異性への憧れなのだろうか。 きっと性的なものだろう。
この辺りの事情はぴか〜が考えてるところらしい。

>>459 何のつ森かね?
463考える名無しさん:2007/06/01(金) 02:51:54 0
>>461 >>462
馬鹿か?w
464考える名無しさん:2007/06/01(金) 15:25:08 0
アンチ・ニーチェのあらしがそうとう入り込んでおります。
ハイデガーのスレにも没哲学的な政治野郎どもが、自分の教義に
反するニーチェやハイデガーに工作をしかけております。
465考える名無しさん:2007/06/01(金) 17:53:56 0
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-06-02&ch=21&eid=30908
名曲アルバム「ツァラトゥストラはこう語った」
チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2007年 6月 2日(土)
放送時間 :午後5:55〜午後6:00(5分)
ジャンル :音楽>クラシック・オペラ
ドキュメンタリー/教養>歴史・紀行
466同じく高校生:2007/06/01(金) 17:58:38 0
>>451
早くん待ってました!あなたは才能あると思う
詳しく色々教えるから小説とか詩とか投稿してみたほうがいい
467考える名無しさん:2007/06/01(金) 18:31:06 O
┐('〜`;)┌
468考える名無しさん:2007/06/01(金) 20:29:54 O
ニーチェは教授やめてどうやって食ってたのだろうか?本とかうれなかっただろうしパトロンでもいたんかね?収入源はあったんすかねえ?
469考える名無しさん:2007/06/01(金) 20:59:27 0
他スレ、他板にも宣伝頼む

http://www.nicovideo.jp/watch/sm386222
↑マイリスト登録者求む!!!!!!!!!
470考える名無しさん:2007/06/01(金) 21:01:50 O
本質的に芸術は生の嘔吐でなくてなんだろう。
それはあまりにも規則的な生、
必然性に縛られた不自由なナメクジのような露わで淫らであまりにも受動的、あまりにも惨めで軟弱な物質に宿りし意識の嘔吐、
嘔吐の快楽でなくしてなんだろう?
しかも芸術家は嘔吐したものを飲み込んでしまう。
彼は嘔吐しては飲み続けるという。
生きんがために。
彼らは嘔吐するべく天授の四肢を切断した過去をもち、
ただ苦しみもがき絶叫する他はない受動的で奇怪なおぞましき生ける塊なのである。
471考える名無しさん:2007/06/01(金) 21:09:23 0
>>461
いよいよニーチェの思想を体現する時期がやってきたんだな

宗教や精神世界といった不明瞭な観念からいい加減卒業しようぜ
472考える名無しさん:2007/06/01(金) 21:35:32 O
四肢を失った生ける塊として、
彼らは情け容赦なき必然性にどうしようもなく飲み込まれ、偉大な力を切実に感じとると同時に、
己の不甲斐なさナメクジ性を目の当たりにするために、
嘔吐し、絶叫し、表現せざるをえない。

芸術はそもそもの初めから不自由で退廃的な生によって生み出され、
必然的にそんな生を肯定し、認めざるをえないものであることからして、
生に否定的であるがゆえに哲学や宗教に非難を浴びせることは間違っている。
哲学、宗教をして生に否定的であるべくさせる筆頭は芸術家だろうから。
生の苦しみから人を解放するものは反芸術家化であるとさえいえるのである。
473考える名無しさん:2007/06/01(金) 21:49:21 O
芸術は苦を前提にしなければならない。
したがって本質的に残虐であり、退廃的である。
いわばそれは人々が最も苦しみ苛まれる時代に、
その生き血を浴びるように吸収しつつ、
最も猛々しく美しく花咲かせる薔薇なのである。
474考える名無しさん:2007/06/01(金) 23:07:34 O
ニーチェ自身、実はアンチ・ニーチェかもわからんな。
それゆえに彼から離れたところに彼はやってくるのである。
475考える名無しさん:2007/06/01(金) 23:32:53 O
>>474
うむ。そうかもね。
彼が暴いていることの一つは、いかにも健全らしきアポロン的なるものの仮象性、
それを必要たらしめる本質としてのディオニュソス的奇形と不健康、悲観性、絶望、残虐性、暴力、不道徳、陶酔、狂気、絶叫などである。
476考える名無しさん:2007/06/01(金) 23:44:39 O
とするとあれかニーチェは芸術を追放せんがために、いわば餌として詩的筆致を用いたと。目には目をと。
あるいは怪物と戦う者は自らも怪物にならないよう心せねばならないという反省が示唆するように、
知らず知らず半分怪物と化してしまっていたのか・・。
477考える名無しさん:2007/06/01(金) 23:57:55 O
ヴァーグナーの堕落はニーチェの企画だったのか?
478考える名無しさん:2007/06/02(土) 00:03:58 O
そうかもな。敵を愛さねばならないわけだ。
憎しみよりむしろ愛によって人は、いわんや芸術家は力を失う。
ニーチェはキリストの教えを体現したのではないか?
479考える名無しさん:2007/06/02(土) 00:06:43 0
芸術は死んだよ

いやもう必要ないんだよ
次は人間自身が芸術となるべき日がようやく来たんだ
480考える名無しさん:2007/06/02(土) 00:31:46 O
芸術が復活するなら、アンチテーゼとして哲学や宗教も復活するだろう。
芸術家にとっての芸術以上に慰謝するものとして。
481考える名無しさん:2007/06/02(土) 00:37:17 0
だから、悲劇の誕生をちゃんと読めって。
彼の基本は「生存と世界は美的現象としてのみ是認される」
に尽きます。この姿勢は最後まで変わっていない。
482考える名無しさん:2007/06/02(土) 03:01:40 O
だからそれはあべこべなのよ。
芸術的意欲に基づく暴力、正義が先なのよ。
で、それが、国家という天才の揺りかごを通して美的仮象を生み出さんがために、
本来是認できない無数の悲惨な生を必要条件として認め、犠牲に供するのよ。

そんなことは無用なのである、
人為的に悲惨を招致してまで美的風味なるものを求める必要はない。
この世界が自然がすでに何よりも邪悪であると同時に、美しい姿をしているからである。
神が芸術家だからである。
それを子供のように模倣して何のつもりなんだろうか。
483考える名無しさん:2007/06/02(土) 04:02:36 O
神の子か。
芸術的衝動、根源的な苦の美しき仮象化を模倣するとは。
その無用なる創造性さえなければ、
いかに悲惨であろうともそれと意識せず自ずと生に耽ることができ、
苦は凌ぎやすく大して障害にはならないだろう。
それこそ真に芸術的なのである。
芸術家より非芸術的なるものはあるまい。
484考える名無しさん:2007/06/02(土) 04:04:16 0
>>482
誰が”模倣”するのですか?
ディオニュソス状態においては芸術家はもはや個人ではないのですよ。
485考える名無しさん:2007/06/02(土) 04:13:00 O
>>484
忘我した芸術家だよ。
486考える名無しさん:2007/06/02(土) 06:49:23 0
>>485
だから、それはもう”模倣”などではないのです。
神の”子”でもない。
487考える名無しさん:2007/06/02(土) 07:03:20 0
486
詳しく
488考える名無しさん:2007/06/02(土) 11:05:52 O
いや模倣なんだよ。
忘我状態の印象を表現してる以上は。
489考える名無しさん:2007/06/02(土) 11:24:17 O
芸術あるいは国家、社会が問題なのは、その'仮象の仮象'性によって、
世界の仮象性にも人々をして感づかせるからである。
そして後に意識に残されるのは苦ばかりになるからなのである。
それゆえに宗教や真理を探求するところの哲学も生じてくる。
これらは世界の現実性を形而上に求めるものである。
490考える名無しさん:2007/06/02(土) 12:41:45 0
491考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:09:16 0
「自然の模倣」ってアリストテレスの言葉だけど、
ソクラテス的であった彼はディオニュソス的芸術
を理解してなかったと思うよ。
492考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:22:03 0
自然による芸術行為は手法として”模倣”を多用する
とは言えると思うけど、芸術家を自然から切り離して
「芸術家が自然を模倣」するというのは正しくないと
思うわけですよ。
493考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:22:06 0
ニーチェを装ったニーチェの紛い物
がほらを吹きまくっている。
 これがどこかのさしがねでないことを望むばかりだ。
 <ご注意ください・・・ご注意ください>
494考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:26:14 0
自然による芸術行為は手法として”模倣”を多用する
とは言えると思うけど、芸術家を自然から切り離して
「芸術家が自然を模倣」するというのは正しくないと
思うわけですよ。
495考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:27:15 0
 <ご注意ください・・・ご注意ください>
ニーチェを装ったニーチェの紛い物がほらを
吹きまくっております。
 これがどこかのさしがねでないことを祈ります。
496考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:29:28 0
ニーチェについて語るなよ
ここはポエムスレだぞ
ニーチェについて語るやつは荒らし認定
497494:2007/06/02(土) 14:11:24 0
>>495
お前はなんだコラ?
俺に言ってるのか?
498494:2007/06/02(土) 14:30:53 0
反復しやがったので脊髄反射してしまいました><
499考える名無しさん:2007/06/02(土) 19:01:44 O
まあニーチェが面白いのは確かだな。
500考える名無しさん:2007/06/02(土) 19:24:40 O
ちょっと500getしときますね(b^-゜)
501考える名無しさん:2007/06/03(日) 02:37:44 O
てかさ、ニーチェがいうには音楽は自然のもっとも普遍的な形態の模範なわけだが。
もちろん芸術家自身は反自然的なるものではある。
だからこそ自然とうまいこと交わりつつリアルに模倣することができるのだ。
恐らくは対立するものとの交わりをもってして、全ては生じるのである。
原初は無と有であった。
502考える名無しさん:2007/06/03(日) 03:21:05 O
ニーチェの著作は誰にも読めない
503考える名無しさん:2007/06/03(日) 03:30:06 O
>>499
笑える哲学書は珍しいものがあるね。
しっかりショーペンハウアーの血を受け継いでいるわけな。
504考える名無しさん:2007/06/03(日) 03:33:27 0
ニーチェて100人いれば100通りの解釈があるって本当ですか
505考える名無しさん:2007/06/03(日) 03:40:27 O
ニーチェは天空を地上にする。
我々が天空に憧れて、そこを仰ぎ見る瞬間、天空は地上になるんだ。
だから、視覚は罪だ。
本当はどこにも天空なんて広がっていないのかも知れない。あるいは地上も。
我々が見た所、天空も地上もなく、ただ〈それ〉があるだけだ。
存在すら疑わしい〈それ〉が。
506早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/03(日) 04:17:22 0
>>455
芸術家、
ってぇのは、
自分の脳味噌を犠牲にして、作品を出産してる
「詩人が見者となるには、論理的な感官の錯乱に因らなければならない!」ランボー
>>466
僕は、ただ狂ってるだけ少なくとも半年前は狂人だっただけで、
狂ったことない人でもなんだか情熱や過激を求めてる若い人が、狂ったことある人の奇怪な言葉を見たら、
珍しいものを見たようなドキドキ感で、錯覚的に才能あるように思えるのだと思いますw
>>484>>485
忘我や根源的一者との一体感の状態で、具現力を保てる芸術家こそ、真の芸術家。
忘我状態になって初めて頭からというよりほとんど身体から出てくるヴィジョン、というのはたくさんある
一般人が、ディオニュソス的カオスまで遡行してしまえば、普通、気が狂う。
忘我陶酔の中で自分の激越な衝動を具現化し、後で、アポロ的に彫琢できたら、いい作品になる
ポーの小説とか特に凄い。たぶん雷に打たれたような忘我状態で書いて、後で幻惑な手つきで磨いたような短編小説
>>474>>475
僕の感想では、ニーチェは、常に、自分自身と戦っている、しかも、いつも極限までいく
あらゆるものを認識した自分の自我を、徹底的に解析することではじめて、認識したものを批評している
だから、ニーチェ自身が反ニーチェのような感じがするのかもしれない
結局、ディオニュソスもアポロも、ニーチェの精神の中の現象だと思う
>>481
美的現象として世界や芸術が理解するためには、その美的な仮象の裏にある苦痛を
知れば知るほど、>>473的な血の味を知ることができ、その血で育った花の美を、美的現象を、「内側から」鑑賞できる
>>504
そういうタイプの驚くべき思想家こそ、時代を超えて、影響を与え続ける
ツァラトゥストラの言葉のような象徴的な言葉には、いくらでも解釈がある、というより、読み手が意味を与え価値を構成して初めて、力を持つ
だから、普遍性がある
507考える名無しさん:2007/06/03(日) 10:32:29 O
芸術家はドラキュラなわけだな。
格好つけてんじゃねえよ。
黒い紳士服に青白い体を包み、血の滴る薔薇を口にくわえ、不敵な笑みを浮かべている。キモー
508考える名無しさん:2007/06/03(日) 10:51:55 O
芸術は吸血鬼たる芸術家にとっての必然的排泄なんだわ。
退廃的で病的な生である芸術家が力強く熱いのは、根源に近いからである。
熱さ故に熱を吐き出しつつ、地下から地上へと一時舞もどるんだが、疲れてまた地獄に落ちてしまう。
堕天使、悪魔といってあげてもいいだろう。
509早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/03(日) 14:19:58 0
芸術家は悪魔の申し子みたいなもんですよ
芸術史というより芸術家史ってのは、殉教録みたいなもんですよ
躁鬱病や癲癇病が、心の根源近くまで堕として、その熱で舞い上がって、情熱を吐露して、
また憂鬱になって堕ちて、そんなんばかり。
少なくとも芸術家やミュージシャンの、脳味噌の一部、一般的な生活を送るのに必要な部分は、逝っちゃってる
「そして偉大な病人、偉大な罪人、偉大な呪われ人、そして絶大な知者になる!
 なぜなら未知に達するからだ!
 万一彼が狂って彼が見たヴィジョンの意味を理解できなくなっても、
 彼は一度はそれを見たことにはなるんだ!」ランボー
ニーチェも、かなり吸血鬼的。哲学者の割りに、一貫した体系が欠如している。
哲学を書いているというより、ほとんど、その時の魂の情熱や個人的な関心事をある程度哲学的に表現しているというような感じ
書かれている内容よりも、書かれた言葉のぶつかり合いのうらにあるニーチェの情熱が、直接伝わってくる
ニーチェのような精神なら、難解な哲学や思想も情熱の対象だったり日常的に頭に浮かんでくる関心事だったり
するのでしょう。
メタファーの背後には、必ず、情熱がある、メタファーはハイにならないと生まれない。逆説や反語も同じ。
古代ギリシャのデルフォイにあるアポロの神託は、多義的で、ほぼ無限の意味があって、
どう解釈するかは、完全に解釈者が決める問題だったらしい。隠喩法、象徴法を多用すると、こうなってしまう
510考える名無しさん:2007/06/03(日) 16:07:40 0
芸術。勢い。墜落。
熱があるところには、勢いがある
勢いがあるところには、墜落がある
墜落の果ては、根源
根源は、熱い。
>>502
誰にも読めるが、誰にも読めない書物。
511考える名無しさん:2007/06/03(日) 19:12:01 O
私の印象ではニーチェは
こんな感じでヾ(≧∇≦*)ゝ笑う
哲学者なんだが。
見てわかるようにこの笑いは笑いが過ぎて息ができなくて苦しい程なのである。
512考える名無しさん:2007/06/03(日) 21:30:51 0
ニーチェ、道化師、
存在と言葉の間の深淵から噴火する、情熱的哄笑
513考える名無しさん:2007/06/03(日) 22:31:25 0
若い頃
「存在の恐怖・背理に基くあの嘔吐の念を変化させ、
生きることを可能ならしめる表象に転ずることのできるのは、芸術のみである」
(悲劇の誕生)

ワーグナーと決別後
芸術は単なる「形而上的慰め」
514考える名無しさん:2007/06/03(日) 22:59:24 0
>>506
たしかに芸術家は、心の病気や過剰な苦痛で神経やられてるが、
創造しようと努力している分、脳みそも鍛えられるんじゃないか
一般人とは違った精神構造になってることは確かだが

とにかくニーチェの場合は、まじで発狂した
ニーチェの発狂の原因で結局一番有力なのは
梅毒なのか哲学的精神錯乱なのか、どうなんだ?
515考える名無しさん:2007/06/04(月) 01:29:02 O
人間というのは、あるいは個人というのは仮象にすぎないわけだが、
その表面の裏に潜む者は恐らくどれも一緒であり、
いわば皮膚を剥ぎ取られた人間の如くなのである。
芸術家とはそれである。

あたかも外科医の如き、否、死人の如き鈍感さというものが、本質を見定めるに要する性質である。
そうでなければ芸術家の如く現実界を仮象によってカモフラージュせねば逝ってしまうだろう。

そもそも「私」が、人間が、生がそれ自体仮象であるからには、
仮象を我々から取り除くということが、
何を意味するかというと、
言うまでもなく死なのである。
したがって詩的表現というのは哲学においてもまた必要なのである。
その執筆ではなく、探求においては。
執筆においてもまた想定する読者次第で必要となる。
516考える名無しさん:2007/06/04(月) 02:31:36 0
>>514
>ワーグナーと決別後
>芸術は単なる「形而上的慰め」

これのソースは?
517考える名無しさん:2007/06/04(月) 03:32:26 O
思考も言語による以上、象徴による以上はカモフラージュである。
また少なからず文体に伴う人格も純粋な認識を仮装させるのに寄与している。
いかにこの人格なるものがお肌を紫外線から守ってくれていることか、それは驚くべきものがある。
余計なことを書いていたら本筋を忘れてしまった。
そう、恐らくこういったカモフラージュがあればこそ、我々は生きながら、根源へと下ってゆくことができるのである。
いわばそれは命綱なのである。
したがって表現力というのは認識力といえる。
表現力がなければ、我々は死ぬまで地上に止まらざるを得ない。
深淵を覗こうとも何も見えず、降りようとも生きては降りられないのだ。
518考える名無しさん:2007/06/05(火) 12:28:24 O
子供が遊戯に耽るが如く、諸事は築き上げられるかと思えば、崩されていく。
存在とは永遠の{建設と破壊、生と死、有と無}である。
あたかも瞬間の生成と消滅が永遠に続くが如くにある。
519考える名無しさん:2007/06/05(火) 17:55:59 O
芸術はキモい。
しかもそれはキモさを増す程に美しくなるのである!!
いかに情熱的に生き生きと見えようとも、それは死の安らぎの内にある。
520考える名無しさん:2007/06/05(火) 18:57:53 O
在るということが、論理的なのである。
世界が論理的でなければ、世界は存在できない。
論理的でなければ、変化もしない、何の関係もなく、単一で、延長もなく持続もしない、それ自体なんでもない、ただ否定的に表現しうるだけになる。
もはや否定あるいは無というしかなかろう。
いかに非論理的に見えようと論理なくして、何物も有り得ないのである。
もし論理が人間の認識形式にすぎないのであってみれば、
それこそ死ぬまで仮象しか認識することができない。
521早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/05(火) 19:39:26 0
>>517
人の心は、生まれてから、育っていくうちに、言葉によって拘束されていく。
色々言葉を教えられ、それによって知ることも多いけれど、しかし、言葉は言葉でしかない
本当に実在する存在と、言葉は、一致しない。言葉と存在の間には深い溝がある、しかし、
言葉を覚えて言葉の上で考えていくうちに、溝の存在に疑問を抱くことなんて、不必要になっていく
ニーチェは、>>512にあるように言葉と存在の間の深淵を、そうすることがきりのないものでしかないと分かっていながら、
極限まで掘り進み、存在のぎりぎりのほとんど虚無に近い姿を、きわどい殆ど意味を失ってしまうかのような言葉で、暴露した。
ニーチェの言葉の魅力は、言語化しようのない領域を、哲学的な抽象概念ではなく、生身の自分の言葉で表現することによって、
認識しつくしたところ。
ニーチェは、言葉の背後にある空虚な深淵に、脅かされ、同時に惹かれていたと思う。恐ろしい奈落の底からニーチェ語が噴火してくる。
一般的に人は、言葉があることによって安定を得る。
言葉から、生きる意味や集団の一員として生活できる権利を、もらっている。言葉で世界が包まれることによって世界の虚無的な姿を直視しなくてすむ。
言葉が足場になることによって、根源に吸い込まれずに済む。でも、一度でも言葉を徹底的に疑ったことあるひとなら、ニーチェがどれだけ言葉を世界から剥がして、
既成の言葉によってできた道徳という地盤を掘り進んで根源に近づき、また同時にどれだけ自分の言葉を世界に刻んでいたか、分かるはず。世界の虚無の姿を知ることは、同時に、
世界と自分とが不純な言葉で隔たれることが解消されることであり、いわば自分となまのむき出しの世界との接触面積が大きくなることであって、
世界に対する精神的な自由に近づくことにもなる。自分の「力」で世界に能動的に意味や価値を与えていくことに近づいていく
既成の言語観というヴェールを剥がすためには、あるいは、根源と近づくために言語による心理的地盤を掘りくずすためには、
自分の表現によってそれらを破壊することも一つの強引な「芸術家的」方法で、そうすることで無理矢理、虚無に近いなまの世界や、混沌とした根源を認識できる
哲学的抽象概念や、芸術家的表現力もなしに、虚無や混沌に近づけば、気が狂う。
522考える名無しさん:2007/06/05(火) 19:47:28 0
>>517
ああ、それあるなぁ
深く掘り下げた分だけ、そのわきに出来る山も高くなるんだね
ポジティブな考え方だ
523考える名無しさん:2007/06/05(火) 19:50:19 0
>>520
それはないな
非論理の論理性を説明してもらわないとむかつくよ
524早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/05(火) 20:07:44 0
>>520
在るといくこと自体は、非論理的である
世界が論理的であれば、世界の存在は終局的には理論でしかなかろう
論理的でないから、多様な変化をし、何の関係もなく、単一で、延長もなく持続もない、それ自体は混沌としていて、どう表現のしようもない
もはや混沌あるいは虚無というしかない
もしも非論理的なままで論理がなければ、何物も単一の始原から区別され得ないのである
論理という認識形式を使って初めて人間は
あくまで仮像として世界を認識することが可能になるのである。
525考える名無しさん:2007/06/05(火) 20:50:54 0
どちらでもあるんじゃね?と言ってみる。
526考える名無しさん:2007/06/05(火) 21:19:02 O
>>524
記号的な、あまりに記号的な・・
527早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/05(火) 21:51:13 0
>>525
二つの考えに無理やり翼をつけて、遥か遠く極限まで飛躍させてみます・・
>>520が絶対的に正しいとすれば、仮に科学も数学も完全に進歩したとき、
宇宙の始まりから、人間の意識や生命の構造まで、何もかもを数学的に説明できることになる。
脳みそに機械を当て、脳内の原子全てを読み取ることができたとしたら、その人が、
何を考えているか感じているか思い浮かべているか、機械によって完全に把握できるような時代が遠い未来にくる。
>>524が絶対的に正しいとすれば、結局、科学も神話と同じように、
ただ精度が違うだけで、現時点の人類の知恵で混沌とした世界をできるだけ上手く説明した表現である、
ということになる。ゼウスの怒りと、凍った水蒸気の摩擦帯電による上空と地上の電位差は、厳密さが違うだけで本質的に
厳密性以外は同じ次元の雷に関する説明ということになり、今よりも無限に雷に対する説明が詳しくなる可能性があり、雷が完全に絶対的に説明される時代は来ない。
つまり、科学が完結する時代は、永遠に来ない。

とにかく、ニーチェに言わせてしまえば、どちらの考えも相対的な解釈の一つでしかない

528考える名無しさん:2007/06/05(火) 21:54:06 O
深淵とは、汝自身を失ったところ、
この偶像が破壊されたところのことである。
そこは純粋に形式的な空間であるが、この形式の力に押しつぶされそうになり、
汝が息を吹き返すところである。
生々しさとはそれこそ形式自体に備わっている。
我々は仮象で形式の力から逃れている。
529考える名無しさん:2007/06/05(火) 22:14:10 O
早はいかにも自我が強いようだ。
つまり形式からの非個人的なものからの大いなる逃亡者なのである。
そんなふうにチンコが竦んでいるようでは偉大な事は無理である。
いかに人工チンコをつけようとも無駄である。
無論、もしチンコをそもそももたないようなのであれば、お話しにもならないのではあるが。
530考える名無しさん:2007/06/06(水) 00:58:56 O
存るということが論理的ならば初めが存在しない。終わりも。
故に在るということが神秘的なのである。

存るということが非論理的ならば世界は存在しない。
非論理的なるものは世界と関係できないし、世界を構成することもできないからだ。
これは非論理的な存在自体が不可能であるということではない。
だがそんな存在があるならば絶対的に孤独である。
世界と関係しえないからだ。
またあらゆる認識は非絶対的である。相対的である。
故に必ずや論理的である。
そしてそれは対象との論理的関係に他ならない。
したがって、そういったあらゆる仮象を取り除くということが生きながら可能であるとしたら、正しく、死を意味するのである。

またこの論理的関係自体が一般的に'ある'といわれるものである。
非論理的な関係なき存在自体というのは死であって、世界からの追放であり、絶対孤独であって、存在といっても無であるが、
力漲る世界の根源的一者とはそんなものだろう。
531考える名無しさん:2007/06/06(水) 14:07:37 0
>>521
>葉から、生きる意味や集団の一員として生活できる権利を、もらっている。
>言葉で世界が包まれることによって世界の虚無的な姿を直視しなくてすむ。

心から同意できる発言だ
言葉は時に人を惑わす
真実すら覆い隠してしまう
常日頃思っていることを代弁してくれてありがとう
532考える名無しさん:2007/06/06(水) 15:14:18 O
言葉と存在の間の深淵なんてない。
実際は存在自体が深淵なのであり、
存在と存在を論理的関係が結んでおり、
我々の印象、感情、表象、仮象、言葉というのはその論理的関係自体の象徴である。
533考える名無しさん:2007/06/06(水) 15:29:43 0
みなさん、ニーチェのアフォリズムの真似事は、やめましょう!
みなさんの「アフォリズム的断言」は、自分の解釈への自信のなさを
隠すためのものにしか見えないから。
534考える名無しさん:2007/06/06(水) 15:32:26 0
アフォリズムじゃなくてアホリズム

本当はポエムだよ
535考える名無しさん:2007/06/06(水) 15:58:06 0
>>534
なるほど。
詩ではなくて「ポエム」ということね。
(詩人に失礼にならないように配慮しておかないと…)

ニーチェは哲学じゃなくて文学だって言う2chらーがますます増えそうだ…
536考える名無しさん:2007/06/06(水) 20:01:53 O
チビは働け
537早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/06(水) 21:09:52 0
>>533>>534>>535
少々ポエムに近づいてしまっても、アフォリズムで断言してみることは、少し効用があります
読むのも書くのも長文ばかりになれてしまうと、形式が固定されすぎてしまう。
詩をたくさん読んだり(詩こそ最も純粋な言語表現だと僕は思う)、アフォリズムを書いたりすることによって、固定化された形式を、自分の中で少し破ることができる。
アフォリズム的なものを書いても、しっかりしたものにはならないけれど、そういうのをたくさん考えてみることによって、
普段の形式の枠内にとどまらない、色々なものを表現したり認識したりできるための「可能性」にはつながっていく。
まぁ若いうちは、アフォリズム的に強引に、自分の認識や表現の可能性を短時間で開拓していくのも、一つの方法だと思います。
でも詩人的衝動を開放しすぎるのは単なる言語破壊につながってしまうから、やりすぎはよくないけれど。
>>529
一般的な形式から逃亡することは、同時に既成概念や言語を破壊することであり、心理的に不安や孤独におとされる同時に、
自分の精神的に自由な領域を拡大することに繋がる。
自我を通してでも、虚無や混沌という恐ろしい領域に近づいてでも、やってみる価値はある。
一般的な形式、概念や言語への破壊的な態度というのは、同時に、自分の心を攻撃することにもなる。
少々不安や恐怖を味わってでも、根源的な混沌とした状態から、既知の方法ではなく自分の力で自我を再構成できたら、
かなり哲学的境地も芸術的境地も、開けてくると思います。

>>530
>またこの論理的関係自体が一般的に'ある'といわれるものである。
>非論理的な関係なき存在自体というのは死であって、世界からの追放であり、絶対孤独であって、存在といっても無であるが、
>力漲る世界の根源的一者とはそんなものだろう。
ニーチェの魅力は、まさに精神的には死とか無とかいう領域にたった一人で接近し、それでもなお言語表現力を爆発させたところだと思います。
だから根源的一者的な力がある。
538考える名無しさん:2007/06/06(水) 22:50:10 O
根源が混沌なのに無なのか?
どういうわけよちょっとあんた。
おまい実は適当なんだろw
根源が異質な存在の混沌ならば、それは
一者ではないだろう。

一見世界は多様であるが、それは論理的関係の多様性であり複雑性なのであり、
存在自体の多様性ではないのだ。
したがって根源は純粋である。
各存在は力漲る場、形式的空間における空虚な点にすぎず、また力とは関係そのものなのである。
それらは純粋な根源から分離したものであるからこそ、関係があり、間に力が働いている。
力を感じるのは関係の変化による。
関係を切ったり結んだりするところに力を感じるのである。
関係が安定していれば力は感じない。
無というのは無関係ということである。
根源は一なるものであるから無関係なのである。
それに近づくには、関係を統合していく道と、切っていく道があるだろう。
539考える名無しさん:2007/06/06(水) 23:02:59 O
自己というのはある存在における関係全体の象徴である。
ある自己が根源的一者に近づくには、自己の破壊によるか、すなわち腐って苦しんで狂って死んでいくか、
世界全体と直接的に関係を結び、世界を自己にしてしまうといういわゆる愛による方法しかないと思われる。
540早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/06(水) 23:27:10 0
僕の直観では、根源は混沌か無かどちらかなんだといつも思う。
>根源が異質な存在の混沌ならば、それは
>一者ではないだろう。
形式、論理的関係、因果関係など、全てを破壊してみると、それらによって関係的に結ばれていたあらゆるものが、
一つに解け合い、僕が言いたいのは、その状態が混沌だということです
異質な存在がまだ分化されずに混ざった状態であることが混沌である、ということです
ギリシャ神話では、ウラノスとガイアが生まれる前は、一つのカオスしかなかった、という話に個人的に惹かれて、
根源=混沌、という観念が
生まれる前は自分はいなかったんだ自分の意識はなかったんだ、ということにいつも怯えていたので
根源=無、という観念が
正しいかどうかは全然分からないけれど僕に定着している

混沌という一つの根源を形式的に関係づけて存在を分化させることで、各存在は安定した状態で現前しているのだから、
逆に自分から能動的に形式的なものを破壊すれば、混沌という根源へ近づく、というのが、僕が此処に書き込むときも前提にしている
考え方です。

>>539同感です
根源とか根源的一者といっても、僕がいつも思うのは、それは結局のところ自分自身の心の根源、
そこまで自分を掘り下げてしまえば、主体客体、内界外界の分離も起こり得なくて、結局は自分が世界と一つになってもはや個人ではなくなるような、
心理学的に言えばいちばん無意識の深層、ニーチェ的に言えばディオニュソス的忘我、なんだと思う。世界の根源と自己の根源は、精神的には一致すると思う。
個人の心というのは外部の世界の一部でしかないというのは道徳的な見方でしかなく、
個人の心と外部の世界全体は、没道徳的にみるなら、まったく等価の全体性を持っているといえる。
本物の求道的なキリスト教徒や神秘主義者は、イエス・キリストを自分以外の存在として崇めるのではなく、
自分の中に、キリスト的なものを見つけ、そうすることで本当の神を知ることが出来ている。
根源的一者とか宗教体系のようなものを真に認識するには、それを事実として信仰するのではなく、
心理的なものの「象徴」として扱い、自己をその象徴体系の中心点に置くような認識をするのが本質的。
エヴァの劇場版とか、愛とか合一に関する象徴性が強くて、心臓を極度に刺激する・・
541考える名無しさん:2007/06/06(水) 23:46:59 O
根源が無というのは、かつて自己がなかったということで、
根源が混沌というのはギリシャ神話の影響?
で、根源が一なるものというのはニーチェの影響か。

混沌とは、早、おまいの頭の中のようだぞ。
しかも確信犯らしい。

根源的混沌が一なるものであり、しかも空虚であり無であるとしたら、早の混沌の如く、
神による混沌でなければならないだろうな。
542考える名無しさん:2007/06/07(木) 00:04:29 O
関係ないもの同士が溶け合うはずがない。関わりがないんだからな。
混沌はそれ自体では不加算名詞だよ。それが一つになるためには、
特定されるためには、誰かの、あるいは何かの混沌でなければならない。
そうなればもはや混沌も、その関係、何者かの力によって統一されていることになり、正確には混沌とはいえないだろう。

俺はそもそも存在は関係しか持ち得ず、質をもたないので、互いに異質では有り得ないと思うが。混沌は存在しない。
関係の差が質の差に見えるのであると。
543考える名無しさん:2007/06/07(木) 10:01:54 0
ちょいと分からないことがあるので質問
永劫回帰の内側と外側ってどうゆうことですか?
544考える名無しさん:2007/06/07(木) 12:41:25 0
妊娠はしてるのか?奥さん。
545考える名無しさん:2007/06/07(木) 15:20:24 0
今晩は
フィロソファー「早」と闇夜のポエトリー軍団です
546考える名無しさん:2007/06/07(木) 16:10:32 0
>>543
「永劫回帰の内側と外側」って、どこの誰がそんなこと言ってるの?
文脈が分からないので答えようがないが、おそらく永劫回帰について
まともに考えたこともない奴の寝言だと思う。
547早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/07(木) 21:57:27 0
>>541
僕はポエムというより>>545の指摘どおり、頭の中が混沌としすぎていて、全然上手く言語化できないんです
「全体的に」漠然と自分の考えが最初から最後まで浮かんでいるけれど、その考えの部分同士が、自分の数学的な能力の不足からか、ほとんど因果関係でつながれておらず、
どうしても上手く整理できず少し支離滅裂な言葉、あるいは抽象化できずに一人称をともなう形になってしまいます。
でも「全体像」を常に心に抱いておくというのは、哲学をするにあたって重要なことであるような気がします。
新しい思想を齧ってみると、それは新しい別の知識としてではなく、今までの自分の考えの総体という、器に入った水に、しずくとして混じるような、
そういう漠然とした思想の吸収の仕方しか出来ず、枝分かれした木のように整然と体系的に秩序立てるのがとても苦手というより自分の脳では不可能です。
このような言語表現が迷惑のような気がしてきました、だからそろそろ人に優しくない排他的な言葉の羅列を不特定多数に見せてしまうのは控えようと思っています。
ショーペンハウアーの天才性は、たとえばモーツァルトが時間を超越して一瞬で数十分の曲を心に描いたように、
「意志と表象としての世界」が「一瞬」のうちに「直観」によって「全体像」として捉えられ、しかもその言語化困難な全体像、を他人にもはっきり分かる上手な言葉遣いで、ユーモアや巧みな比喩を用いながら、
理路整然と言語化したところにあると僕は思います。ショーペンハウアーの頭の中には、恒常的に全ての一瞬に「意志と表象としての世界」が直観的に捉えられていたように僕は思います。
548早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/07(木) 22:04:54 0
>>547
×>>541→○>>545
×>>545→○>>541

>>541>>542
神秘主義の根源的一者、ギリシャ神話のカオス、ショーペンハウアーの意志などのような、一元論的な考え方に、どうしても強烈に惹かれしまいます
その一元的な根源が、混沌であれ無であれ虚無であれ盲目的意志であれ、それが何者かはもちろん立証できないけれど、それが宇宙や自分の原因である、
という説明は、どのような科学よりも遥かに説得力があるような気がします。
僕は、根源的な絶対者が存在するとしたら、その本性は、あらゆる因果関係や日常的な時間や空間の観念によって説明できない、
混沌としたものであって、形而下的な知覚や解釈ではどのような意味も与え得ない虚無的なもの、あるいは、
形而下的な知覚や解釈では無としかいいようなもの、あるいはそれを自分が認識するかそれと精神的に合一かすれば自分が無になってしまうようなもの
ではないのだろうか、というイメージを漠然と抱いています。
僕の場合は、死ぬのが怖い、生きているのが怖い、という感覚とともに、根源的一者という神秘主義的な考えが具現性を帯びてきます。
あるいは芸術鑑賞に喜びを感じとき、尾崎豊の作品から憑依的な感動を受けたときなどに、それを認識したような気がしてきます。
芸術鑑賞の歓喜や、宗教体験などにおける、根源的一者との合一感こそ、もちろん天才でないかぎり一瞬しか体験できないものであるような体験であるのだろうけれど、
人生の中の救済のなかでも最も救済力のあると思う。
晩年のニーチェは現象の背後の物自体や盲目的意志を完全否定しましたが、
もし、物自体、というものが形而上的にしろあると仮定するなら、その根源的一者的な「一なるもの」ただ一つに限定されるような気がします。
まだ形而上的な一なる存在を認めていた初期の「悲劇の誕生」では、「根源的一者」に類するものが、
世界の心臓部に宿る根源的苦痛、世界の根源的矛盾、意志、など、
色々な単語で表現されているけれど、それは全て「根源的一者」の言い換えのように僕は思います。
根源的一者が存在するとしたら、それは理論では掴めないのだから、それ自体に論理的な矛盾はどうしても伴ってしまうと思います。
549考える名無しさん:2007/06/07(木) 23:47:06 O
そもそもある認識が世界の根源であるなどとわかるはずがないんだよね。
比較的根源的であるというぐらいでしょ、わかるのは。
だいたい認識じたいある関係にすぎないんだし、そもそも存在なんて認識できないのよ。
550考える名無しさん:2007/06/08(金) 02:46:09 O
だがある存在がそれ自身に関係するとき、
存在同士の関係とは関係が異なるわけだ。
事実上、世界と呼ばれるのは各自を結ぶ関係の認識の総体であるが、
その固有の世界の根源的一者、最も普遍的なるものは各自の存在といえるだろう。
一体、各自が他者との全ての関係を遮断し、主観的な世界を失ったとしよう。
するとどうだろう。関係しうるのは己自身とのみになり、認識しうるのはその関係だけになる。
一体、己自身との関係とは何か。
関係とは存在間に働く力であるから、
己自身と関係することで己自身は引き裂かれるのだろう。
とすると客観的世界もまた、それが一なるものから生まれたのだとしたら、
それこそ、何故かといったら、
己と関係し分裂したからなんだろう。
551早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 09:21:12 0
>>549
僕は、少し神秘主義的な考え方かもしれませんが、完全に根源的な認識は、あり得ると思います。
根源的一者とか、真の宗教家にとっての神とか、ニーチェ的な人にとってのディオニュソス的なものとか、
そういうのは、理性とか知性とかいわれるものでも感性でも捉えられないだろうけれど、
いわゆる「直観」や、ショーペンハウアー的にいうなら没意志的な「純粋認識」など、天才の属性でなら捉えられるのだと思う。
根源的一者は、抽象的な普遍概念ではなく、全ての人あるいは全ての動物や植物がもっている「具体的な普遍性」だというのを漠然と感じています。
(神秘主義的な流出論一元論は、汎神論とこのような点で共通しているような気がします)
天才達の芸術作品や、宗教や哲学の原典、あるいはエヴァの劇場版などを鑑賞していると、その具体的に普遍的な根源的一者を、
天才でなくても、かすめる程度には一瞬だけでも認識できるような気がするんです。
僕はまだ哲学も宗教も全然知らない極度の錯乱状態で、初めて尾崎豊やジョン・レノンのCDを買ったとき、尾崎豊やジョン・レノンは愛であり世界そのものだ、
みたいな理解不能な憑依的な狂信を体験しました
根源的一者が存在する場所は、全ての人全ての生き物がもっている、意識生命存在のゼロポイントというような、
生と死の境界といえるような、そこまでたどりつけば時間も空間もない非物理的で科学では説明不可能であるような、
自分でありニーチェであるという主体と客体が完全に未分化であるような、そいういうところだと思います。
僕は、もちろん自分のような素人がこのような発言をしてもニーチェが軽蔑するような三流神秘主義者的な発言でしかないのは自覚していますが、
意識が脳内の神経細胞や化学物質の動きや反応の結果であるというような、心身並行論は馬鹿げたものだとしか思えません、
というよりもしそうだとしたら、死ぬのが怖くて生きた心地もしません。
意識の根源は、もしそれが存在するなら、絶対何があろうと科学では説明不可な、天才や宗教家のみが知っているような、根源的一者だと思っています
神を「信じる」のではなく、神を実際に「知る」のが真の宗教家であり、
真の宗教家や天才は、根源を常にではなくとも少なくとも何度かは、完全に認識しているように、僕は感じます。
552考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:06:10 0
>>548
>僕の場合は、死ぬのが怖い、生きているのが怖い、という感覚とともに、根源的一者という神秘主義的な考えが具現性を帯びてきます。

逃避的だねぇ…
そういう人は、神秘主義といっても、哲学としての神秘主義じゃなくて
「精神世界」のほうに行っちゃいますね。
哲学であるためには、矛盾に耐える強さが必要。
553考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:13:48 0
汝自身を知れということがすなわち主観的世界の根源的一者を
知らしめさせようとする言葉である。
(早の言うような根源はこの主観的世界の根源である。)
で、この根源的一者ならば誰もが非一なるものとしてならば、
認識する可能性は持っていることだろう。
というのも、それを認識すると同時にそれは戦慄し分裂しており関係を持っているからだ。
そして認識は狂ったように弾けだし混沌となる。
創造とは自己分裂に端を発す新たなる関係の爆発的増加と発生に他ならない。
554考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:23:05 0
>>553
君はまず日本語を勉強しなさい。
555考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:25:09 O
うむ、自己の核分裂というべきだった。
556考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:30:07 0
そういう問題じゃない…
557考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:33:28 O
ではでは、変なところを指摘してごらんよ。
558考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:42:42 0
>>557
たとえば「知らしめさせよう」。

というより、ポエムはやめてよ。
迷惑だから。

559考える名無しさん:2007/06/08(金) 11:51:58 0
↑ポエムのスレで何を言ってるんだ、こいつは
560考える名無しさん:2007/06/08(金) 12:14:54 O
知らしめさせようは聞き慣れないおかしな表現なんだが、正しい表現なのさ。
で他は?
561考える名無しさん:2007/06/08(金) 12:19:34 O
てか、何故におかしいのかしっかり説明して欲しいものだな。
単細胞じゃあるまいし?
562考える名無しさん:2007/06/08(金) 12:22:36 O
学者なら馬鹿の一つ覚えではいかんな。
563考える名無しさん:2007/06/08(金) 12:22:46 0
使役が二つ重なってるな。
「使役」と言って分かるかどうか知らんが。。。
564早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 12:46:32 0
>>558
僕は、型にはまった形式でしか思考や言語表現を出来なくなるよりは、
ポエムに近づいてでも、自分が感じている印象を「直接」言語化してみるのは、
いいことだと思いますよ。型にあわせると、というより無自覚的に型にはめられると、
「言葉に騙されて」自分の本心から遠ざかってしまい、自己認識、根源的一者の認識を不可能にしてしまう。
自己認識や意識できる領域の深化、というのは、自分の心の奥底を、外部に左右されず内観してみる以外にないと思います。

ポエム的な断片を読むときは、読むほうも、拒絶せずに、表現されたものから感じた直接の印象に対して、
想像力を働かせて、思い巡らせるのが、いいと思います。
書くほうは、書いたのがとてもアフォリズムといえないポエム的断言になってしまったなら、
あとで反省して何が悪かったのか分析し、それをある程度の長文にしてみるなどすれば、かなり創造的だと思います。
ニーチェの言葉を、学問的な厳密な方法以外で、本当に味わいたいなら、宗教的な直観を研ぎ澄ますか、それが無理なら、
型破りな言語破壊概念破壊をしてみるのも、いい方法だと思います、もちろん勢いにまかせて行き過ぎると、
僕のようにひどく思考内容が混乱し飛躍だらけになります。
ニーチェなら、言語や既成のものの考え方に対する破壊的行為(それまでの自分の認識はそれらによって成り立っていたのだから自己破壊にもなる)
は、あとで壊れたものを自分の力で形象化できるなら、肯定するはずです。
このような破壊と創造の過程は、能動的に自分独自の哲学的自我を構成することに繋がります
少々混乱してでも、自分で独自の概念を作る能動的な構えは、素人でも将来にたくさんのものを認識できる可能性を最大化することにつながります
内観的認識を周りの型にあわせすぎると、根源的一者のような究極的なものを、「体験」することが不可能になってしまう
根源的一者の体験は、言語を遥かに絶した至上体験
内観は自分のやり方、表現は他人に分かるようにする、というのが理想です
根源的一者とか元型的なものとかディオニュソス的なものというのは、できるだけ多くの人が体験したほうが、
精神的に豊かな社会に繋がっていくと僕は思います。

565考える名無しさん:2007/06/08(金) 12:49:09 O
「させる」は言葉を受け取った者自身の意志をも示すから、
しめさせるとすることで、発話者の意図のより正確な表現になっているわけよ。
566早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 12:50:13 0
>>553
○知らしめよう
他は全然問題ない、いい感じの言語表現だと僕は思います

暗喩の多用は、おそらくそれを書いた時点ではある程度狂言的ですが、後に色々なものを認識できる可能性に繋がります。
つまり、暗喩乱用という混沌を自分に課し、後で自分の力で秩序立てる。
学者を目指すのでなければ、暗喩を使ってみるのは、創造的です。
一義的理論では、一般的に近接しているもの同士の関係しか、数行では示せない
メタファーや少々の飛躍は、遠くのものを無理やり結びつけることができる。その距離を、あとで真面目な認識で生めれたら、それも一つの哲学
概念的なものと即物的なものを愉快なメタファーで感覚的に関係付けていて、
読むほうは驚かずにはあるいは笑わずにはいられない、というのもニーチェの魅力です
567考える名無しさん:2007/06/08(金) 12:59:15 O
「ポエム」こそ型破りの日本語のようだが、
そろそろ定義してみたらどうかな?
568早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 13:01:27 0
>>565
僕は文法に詳しいわけではないのでそうかもしれませんわかりません。
>>552
その通りです、いつも不安感や好奇心が先行して神秘主義的なものに関心が高まり、あとで哲学的誠実さが追いついているというような感じです
哲学への関心、芸術や音楽への熱狂、とにかく書かずにはいれない性質は、病気や漠然とした不安感や現実逃避などが主因ではないのかという良心の呵責を常に感じています
だから、ニーチェに戒められるのです
569考える名無しさん:2007/06/08(金) 13:04:26 0
>>564
「根源的一者」「ディオニュソス」「破壊と創造」「混沌」などなどのタームを
並べても、ニーチェの思想について何かを語ったことにはならないと思う。
たとえば「破壊と創造」なら、それがニーチェという文脈の中でどういう意味を持っているのかを語らないと。
破壊して創造すれば良いっていうものではないからね。

570早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 13:22:42 0
>>569
僕は、自分の精神構造が原因なのか無学が原因なのかわからないのだけれど、
ニーチェの思想をニーチェのものして自分の知識に入れるのが不可能で、
ニーチェの思想という液体を自分の血液にまぜるような、
もうすこし標準的に言うなら
思考や考察の対象として自分の知識群に加えるというよりは生きた流動的で有機的な「ヴィジョン」として自分の
心にまざっていくような、
そういう思想の受け取り方しかできず、ニーチェをダシにして自分の考えを語ることしかできないんです。
だから、カントを殆ど理解できず、ニーチェユングベルクソンのような流動的な思想しか認識することはできないみたいです
たとえば、根源的一者、ディオニュソス、などは、ニーチェの文脈でどうこうではなく、
ニーチェの根源的一者は赤
ユングの根源的一者は青
神秘主義者の根源的一者は緑
それらを重ね合わせて白い光になるような、そういうふうに色々な人の考え方を混ぜた上で
自分にとっての根源的一者としてしか認識できず、混ざって自分にとっての白い根源的一者となったものを、
あとでニーチェの赤だけに戻したりするのができないみたいです。
だから、このレス自体そうですが、独断的にしかいつも表現できず、反省しています
571考える名無しさん:2007/06/08(金) 13:38:12 0
>>570
まぁ、筆者の意見と自分の意見を区別できない人は、たまにいる。
そういう人が読書感想文を書くとわけわからんことになるw
幼児期に読書の仕方を誤って覚えてしまったのか、先天的病気なのかは知らんけど。

ニーチェの文脈で語れないなら、できればニーチェの名前は出さないほうがいいのだが…
(でないと、必ず批判されるよ)

今、君の書き込みを読んで感じたことを少し書けば、
ニーチェにおいて「破壊」されるべきものは、キリスト教的な価値に代表される
「彼岸的なもの」。  で、君の神秘的なものへの憧れは、その破壊されるべき
「彼岸的なもの」への憧れのように見えるということ。

あと「ディオニュソス」的というのは、「苦」をも肯定するという意味を
含んでいるわけだが、苦から逃避していることを(たぶん)自覚している君が
「ディオニュソス」を連発するのも奇妙なことで、自分に言い聞かせているという
ことなら分かるんだが、そういう感じもしないから変だということ。
572考える名無しさん:2007/06/08(金) 13:46:17 0
日本語には英語のshouldにあたるものがないだけだろ。

「汝自身を知れということがすなわち主観的世界の根源的一者を
知らしめさせようとする言葉である。」 この意味は、
Know thyself means that we should know the root of our subjective world.

と英語ならば簡潔に表現できるわけだが。
573考える名無しさん:2007/06/08(金) 13:58:23 0
>>572
翻訳してるんじゃなくて、最初から日本語で書いてるんだから、
そういう問題ではないと思われるが・・・

574早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 14:11:35 0
>>571
いろいろ批評して下さると、参考になります
苦から逃避しているというより、油断して気をぬけばすぐ憂鬱に飲まれてしまうから、
無理やりでも苦痛に名前をつけて自分の認識や表現を被せてこちらからまず苦痛を処理しておこう、と焦っています
どちらにしても、ディオニュソス的なもの関係は、体験にも認識にも苦痛は伴ってしまいます
前スレを見てしまった不幸な人なら知っていることですが、一度は限界まで神経がほぼ壊滅して混沌に接近したという体験があるから、
自分の考えを書いているとき忘我になる癖があるので記憶が蘇り(あるいは自分で過激な語を出してみることによって煽情してみるため)
ディオニュソスとかカオスとかをすぐ持ち出してしまいます
「自分は本来大人しい方だから、自分を呼び覚ますには烈しい言葉が必要だ」
というのをたしかニーチェはどこかで書いていました
>ニーチェにおいて「破壊」されるべきものは、キリスト教的な価値に代表される
>「彼岸的なもの」。  で、君の神秘的なものへの憧れは、その破壊されるべき
>「彼岸的なもの」への憧れのように見えるということ。
正統派キリスト教の彼岸的なものと、異端派的な神秘的なものを、区別することができます。
正統派は、信仰によって彼岸的なものを信じる
異端派は、体験によって神秘的なものを知る
実際に具体的に神秘的なことを体験(例えばニーチェのツァラトゥストラ執筆時に味わった忘我) し、
後でそこから精神的な価値を抽出できるか、あるいはそれを表現するなら、
それは人生にとってかなり意味あることだと思っています。
しかし、あくまで現実生活を成り立たせての上で意味あることであって、むやみな憧れは不誠実だとは自覚しています

575汝自身を知れ:2007/06/08(金) 14:14:13 0
>>573
いや認識を日本語に翻訳してるんですよ。
といいますより、認識を日本語で表現してるんですね。 
ところで、先生、ポエムとは何でしょうか? 
 
576考える名無しさん:2007/06/08(金) 14:38:06 0
>>574
>正統派キリスト教の彼岸的なものと、異端派的な神秘的なものを、区別することができます。
>正統派は、信仰によって彼岸的なものを信じる
>異端派は、体験によって神秘的なものを知る
>実際に具体的に神秘的なことを体験(例えばニーチェのツァラトゥストラ執筆時に味わった忘我) し、
>後でそこから精神的な価値を抽出できるか、あるいはそれを表現するなら、
>それは人生にとってかなり意味あることだと思っています。

ほらまたニーチェの文脈から離れて、反論らしきものをしているw
あたかもニーチェが異端派神秘主義を肯定しているかのように…
だから批判されるのさ。
ツァラトゥストラ執筆時、あるいは永劫回帰到来時のインスピレーションは、
求めて得られるようなものではない。
神秘的なものへの憧れとは全く無縁だよ。
577早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 15:13:44 0
>>576
個人的すぎることを、ニーチェスレに書いてしまうことは悪いことだと自覚しています。
ただ逃避のために憧れている(のではないかという良心の呵責が常に在るが)のではなく、
元型的なことを体験すること芸術鑑賞で激情を体験することなどに、
かなり重要な価値があるということを、実際の体験から強く確信してしまって、
つい考えを通そうとしてしまうんです
神秘的なものへの単なる空想的な憧れにはニーチェは批判的だっただろうし、
ニーチェが異端派神秘主義に対しどのような認識をもっていたか正確に判断していたのかなどは僕は知りませんが、
宗教や芸術の力で激情的なものを体験することに対しては、批判的でないはずです
生の力を最も力強く引き出すのは、「能動的な」哲学認識や、芸術や宗教だと僕は思います。
ニーチェは宗教批判をしているけれど、ツァラトゥストラは僕の感想では、哲学を超越したまさに真の宗教書だと思っています。
既成の宗教を根底から批判するには、ニーチェのように自身実際に宗教的情熱を持たなければならない
つまり、ニーチェは宗教の本質を否定したのではなく、自分が宗教的すぎたからこそ、
既成の宗教を信じる人たちを批判できたんだと思います。
僕は、ランボーについて書いたときの激情状態でしか、キリスト教に対する批判的な言葉を一度でも書いたことはありません
宗教とか神とか根源的一者というものは、何よりも畏怖すべき偉大なものである、
という考えをいつも持っているので、つい掲示板でも反論的になってしまいます
ニーチェや宮沢賢治のような人たちは、「宗教的」だと僕は思っています。
578考える名無しさん:2007/06/08(金) 15:24:04 O
>>577
君、自分に酔ってないかい?
579早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 15:27:39 0
>>578
自分に酔っているというより、ほとんど怒りに近いくらいかなり興奮してるんですよ
根源的一者とかニーチェとかについて書いてると、忘我陶酔にならざるを得ないんですよ
580早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 16:01:26 0
ここに連続投稿する時は病理的な精神状態です
自制します、本当に失礼しました
581考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:02:02 0
早君本人は自分の性質や言葉については色々熟知していて抑えようとしているみたいだし、
こちら側・・にとっては思いつかないような興味深い言葉も書いてくれるのだから、
気にせず、つっかからず、話題変えてニーチェを考察しましょう;
どのような苦悩や苦労を体験するか、ニーチェをどうとるかは、その人の気質によって千差万別ということ
>>575ポエムの定義でもしてみますか



582考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:21:08 0
私は「学問の全体像」の自分の頭による理解を目指したのだ。そんなことやって何になる、どうせ無理な話だ
という自問もかつてはしたが、今は、それらを、外側にどんどん出すときがきた。ためらってなどいられない。
自分の理解力の低さを疑って、ためらってみても何にもならない。私が、「大風呂敷」をひろげて、バサリ、
バサリ、と切ってみせなければ、日本の知識層は、大きな観点からの世界水準の学問というものがどんなもの
なの分からないだろう。だから、私がやるのだ。あれこれの細かいことは知らない。それらを知るための時間
投入は、もう私の人生時間に、残されていない。絶対に、忘れてはいけないのは、小さな「蛸壺」に入るな。
常に、学問・思想・知識の全体を見渡せ。その上で小さな分野にこだわれ。ということだ。思想の全体を見渡す、
という構えが、日本人には、極めて病弱である。「重箱の隅を突っつくような議論をするな」と言う割には重箱
の隅を突っついてるのが、日本の知識人層だだ。私がグランド・デザインにこだわるのは、そういう理由からだ。
私は知識と、知恵のグランド・デザイナーを目指す。各部品の不足品は、この国に生まれた以上、しかたがない。
この際どんなにみすぼらしくても、「自分の思想の家」を自力でつくると決めたのだ。

副島隆彦「属国に本論を超えて」P69〜70
583考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:21:33 0
仮象の仮象を型破りする仮象
584考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:25:31 O
とっとと定義しろよ。
ポエムポエムって、オウム並みの知能しかないんじゃないか?
585考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:28:04 0
右脳は世界「全体」を見渡す
詩的な言葉にも反応しやすいらしい
つまりポエムや遠いもの同士の事柄の結合は、右脳が左脳に反抗するときに生まれるのだろう
最近は右脳ー左脳よりも、辺縁系ー前頭葉、という原始的-合理的のモデルも流行っているらしいが。
586考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:50:47 0
>>584
早が自分以外の人を同じことしか言えないオウムだと見做してぷりぷりしちゃうから、
早のぷりぷりを見た人は自分がオウムのような気がしてきてポエ〜ポエ〜、て鳴いちゃうんだよ

まぁ、ニーチェにしてみれば、自分以外の哲学者はオウムみたいなもんだったから、あんなぷりぷりしていたんだろう
587考える名無しさん:2007/06/08(金) 17:57:30 O
ポエム厨w
588考える名無しさん:2007/06/08(金) 18:44:57 O
鳴き続けることは偉大な証である。
くだらない単純作業を日々繰り返すことこそが、
偉大なものに至るためには欠かすことのできない高貴な運動なのである。
あたかも呼吸するかの如くに繰り返し、チリを積もらせる。
その山も突風で吹き飛ばされるのが常だ。
それでも鳴き続ける、そんな人こそ偉大なのである。
589考える名無しさん:2007/06/08(金) 20:15:22 0
「ツァラトゥストラ」の「トゥ」の発音って

「トゥー」って伸ばし気味にするのか、「トゥ」って詰まり気味に発音するのか

どっちが正しいんですか?

590考える名無しさん:2007/06/08(金) 20:30:27 0
モーツァルト魔笛のザラストロ
ペルシャ宗教のゾロアスター
ツァラトゥストラ
591早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/08(金) 21:04:35 0
Der Holle Rache kocht in meinem Herzen,
Tod und Verzweiflung flammet um mich her〜♪
592考える名無しさん:2007/06/08(金) 21:21:39 O
早は要するに不純にも好みの男ならみんな受け入れる安い女ってところか?
593考える名無しさん:2007/06/08(金) 22:16:14 O
性に関しても女の方が普遍的な認識をなしうるセンサーを備えているといえ、
不純どころか、純心なんじゃねえか。
ともかく性的な匂いのする嗜好に基づいて文化を買い漁るような真似はやめるんだ。
だいたい女の書いた学術書というのは男漁りのようで気持ちわるい。
著者が美女であって初めて読むに耐えられるものなのである。
594考える名無しさん:2007/06/08(金) 22:17:14 0
ニーチェ読みたいのですが
誰の訳がいいですか?
字が大きいほうがいいです
595考える名無しさん:2007/06/08(金) 22:43:24 O
しかし心を許すというのは、女にとって非常なる性的興奮を意味するのだろう。
もはや全開といってよい。
したがってその白状は美女でなければ、あるいは美女という想定でなければまったく見てられないものなのである。
よって早君は美女でなければならない。
596考える名無しさん:2007/06/09(土) 00:48:29 O
認識をなんとか語に翻訳するというのは思考する人間ならばいつもやってることだろう。
(社会に慣れてしまうと、口が状況に合わせ勝手に動き、
思ってもないことをあまりにもスラスラと語るので、
なかなか滑稽で社会もまんざらでもないという気持ちになったりする。)
これはどういうことかといえば、
無意識を組織している普遍的言語あるいは原語による想起、回顧の結果が意識にアウトプットされ、
意識はそれを表現するよう圧力をかけられるのだ、
そして実のところ世界自体もその原語によって関係づけられ組み立てられているのである、
というのはよくありそうな話である。

★このレスは終了しますた。
597考える名無しさん:2007/06/09(土) 01:19:03 O
無意識が想起するとかいうが、無意識が何やってるのかわかるのかと。
まあ無意識が言語的であるのは、それが論理的な認識を生むことからしてわかるが。
また無意識的に生み出されるような感性的認識もあるようだが、
それらはその認識についで生じた現象、仮象であって、論理的認識ほどには根源的ではないようだ。
論理的な認識自体には感性的内容はない。

アポロン的なるものはもちろん、ディオニュソス的なるものも、それ自体、
意識の無意識に対する反応、表現でしかない。
598考える名無しさん:2007/06/09(土) 01:24:36 O
感性的認識が反応であり、まさに関係の表現であることは文字通り明らかだな。
実に性的である。
599考える名無しさん:2007/06/09(土) 08:26:37 0
ニーチェってヤツは、奇をてらったことを言って受けをねらうだけのヤツ。
600考える名無しさん:2007/06/09(土) 10:06:02 0
いいなぁエネルギーがあるって
601早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/09(土) 10:28:49 0
>>595
>心を許すというのは、女にとって非常なる性的興奮を意味するのだろう
そういう想像してみるのは、たとえ外れていたとしても面白い
詩人は、ドストエフスキーが描くような「芸術的な」女に好奇をそそられやすい
男女の仲よりも、同性同士の恋、女性が自分自身をどう思っているかが、詩人の好奇心を刺激するように思われる
詩人にとっては、女性が自分自身の身体や血や顔を想う心境というのは、聖なるものかもしれない
ボードレールの「地獄に堕ちた女達」は完全無欠の、「聖なる」と形容できるような詩
病んだ女は男よりずっと深い、自分が女であるということを、男が自分を男であると思うより、強く自覚しているから怖い
>>593
女流哲学者の書く文章は、自分が言えることではないが少なくとも男性哲学者が書く文章と比べると、
概念の把握が下手で、無理やり論理的に書いていることが多くて不自然
具体的な経験に即して書くか、むしろ性的な嗜好を香らせる感じのほうが、魅力的
男は、一般的に空間的把握も数学的な演繹も得意だから、哲学的な文章に向く
ニーチェは、概念的に理解するのも得意なのに、熱に浮かされたような意識で書いていそうだから、
既成の考えの道筋に揺さぶりをかけて、その脆弱さ加減を暴露して嘲笑い、眼前の直感的印象に従っているような文体
実際の事実や既成の言語観に対する情熱や表現力の過剰のようなものが漂う
>>596>>597
哲学においてと心理学においての「無意識」の定義は根本的に異なる
哲学でなら、そのレスの通り'無'意識
心理学でなら、'無意識'
哲学的あるいは日常的にいう無意識的な発言は、普遍的言語が自動的に発現されるというような感じだけれど、
心理学でいう無意識は、既成の言語を絶した根源的なイメージや激情的な憑依で、日常意識を乗っ取る
>>599
ニーチェは気を衒う時の心理には限りなく知り尽くしていたから詩人を批評できた
同時に、一般的な哲学教授の才気のない考え方にも心底呆れ返っていたから時代を批評できた
そういう人が、宗教的情熱や、本物のユーモアを、知ることができるんだと思う
ショーペンハウアーやニーチェの、世界苦を知り尽くして初めて出てくるようなユーモアは、感動的
602考える名無しさん:2007/06/09(土) 10:49:59 0
朝から素晴らしい
乙す
603考える名無しさん:2007/06/09(土) 11:16:09 O
朝っぱらから性生活の公開乙
604早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/09(土) 21:07:46 0
>>602>>603
人の属性には一般に、流れに乗ってしまうものというのがあるように思われます
一語一文づつ正確に理解するタイプの人より、文脈や漠然とした全体的イメージとして文章を詩的に認識するタイプの人のほうが、たぶん
掲示板の流れにしても、ニーチェの文体に脈打つ激流にしても、ロックの音の展開にしても、それらに心を流されやすい。
その傾向が強くなりすぎれば、自分の心の動き自体に流され、軽い音楽的な陶酔感を味わう
朝みたいな、夢(夢を見ているあいだこそあるいは見た夢を思い出しているときこそ生という疾患からの開放の素晴らしきひと時なのかもしれない!)の勢いで、
現実がふんわり緩んだ時間帯は、特に流されやすい。
ニーチェの意識はたぶん、自分の情熱や才気と思想的認識が直結しているから、かなりの陶酔の内に高速にかつ論理的に「流動」していて、
その勢いにメタファーが引き寄せられている、そして、短時間の情熱の発露がやむと、文章も終わる、だから短文だけれど力強い、というような印象。
>>588
ツァラトゥストラはたまに、多くの人が必死で積み上げた認識の山を、一声で吹き飛ばしそうな、
あまりにニヒリスティックな歌声を突風に運ばせてしまうから怖い。
それでも、突風に吹き飛ばされるかもしれないにもかかわらず認識すること、あるいは厳密に言うと、
突風に吹き飛ばされるのではないだろうかという不安を抱えながらの、こつこつ地道にがんばりながらかつ同時にスリルのある認識を積み重ねること
というのはいい感じ。
こつこつ積み重ねた認識の塵を、しっかり自分の精神の塾考によって練り固め心の地盤に固定させておくと、
天才達が巻き起こす暴風にも飛ばされないかもしれない
605考える名無しさん:2007/06/09(土) 21:53:59 0
ぼくは精神病んでるひとの言説が好きなんだ。ロックを感じるよ。
ドアーズのジム・モリソンは27歳でパリに死んだ。ジミヘンも
ジャニスも、ブライアン・ジョーンズも。
みな早く生き死ぬ。生き残ったぼくらにできることといえば
ツァラトゥストラを読んで、もっともっと生き続ける生命の
息吹を感じることだけさ。
筆を折ったランボー。悪の華のボードレール。そしてニーチェとの
つながりで忘れてならないのがクロソウスキーさ。
みな言葉で色を見る。色で世界が染まる。
606早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/09(土) 22:18:28 0
一度でも精神限界まで壊れてしまった人は、あるいはランボーのように恐ろしい天才を最初から持って生まれてしまったような人は、
自分の力で世界をロックして、自分の表現で世界に色を塗ってみる、
自分の認識で世界をものにすることくらいしか、生存していることの嘔吐感から逃れる方法はないのかも知れません
一部の天才は、生まれつき呪われたような不幸な人なのかもしれません。
でも彼らの、血を最期まで絞りつくしような表現は、息吹を与えてくれます
「詩人は、人類だけでなく動物達をも担っているのです!」
という手紙を本気で文壇に送りつけた純真な野生児ランボーに、僕は恋してしまいました
まさに、パエトンのように俺は太陽の神の子だといわんばかりに無茶をして、太陽を運んで、
命がけで人の心の暗闇を一瞬だけでも照らしてくれるような、
有難い人たちです。
607早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/09(土) 23:13:57 0
そろそろ、不快を感じている方も、書き込みにくい方も、多いだろうし、少なくともしばらくは書き込むのも見るのも
今度こそ控えようかと思います。それではまた
>>603
http://46.xmbs.jp/ch.php?ID=waderfulalice&c_num=78808
百聞は
一見に...
608考える名無しさん:2007/06/10(日) 02:55:14 O
しかしまあアポロン的なるものは生きるに非常に重要なものだよな。
これこそ人間を倒立させ、認識を反転させるものである。
それは嫌悪を好意に、憎しみを愛に、醜さを美しさに、
つまり悪を善に反転させてしまう大いなる誤謬なのである。
アポロン的なものによってこそ、人類は存続しうる。
人類の存続は人類最大の過失だ。
アポロン的なるものを人類が全く失ってしまえば、
人類は明日にも自ら滅ぶだろう。
人類が正しければ…。
人類が不正なのは生の必然なのである。

他方、音楽的なディオニュソス的なものはどうだろう。
これは人間を分裂させ、相反する認識を両立させる。
嫌悪しながら好意を抱かせ、憎しみながら愛させ、醜くさに美しさを見せる。
非論理的、あまりに非論理的…
これは、そう、善悪を彼岸に置いてしまう。
人を超人的動物にし、狂人にしてしまう、人で無しに。恐るべし…
609考える名無しさん:2007/06/10(日) 04:13:51 O
てか非AはA的ではあるわな。
何故なら、Aによって非Aが決まってくるからだ。
A=非Aは非論理的だが、
全体のある部分Aと非Aが両立するのは論理的に自明である。
ディオニュソス的なものはむしろ論理的なんだ。
二項対立は一つの関係なのだ。
610考える名無しさん:2007/06/10(日) 04:28:39 O

対立するものが、それぞれあり、互いに反対の性質をもつもの同士として対立しているのではない。
ただ対立的関係だけがあるのである。
例えば、醜と美は一つの関係としてあるのであって、
一方は他方なしには成立しない。
善悪もそうだし、男と女もそのようなものであるということだろう。
611考える名無しさん:2007/06/11(月) 00:07:15 0
>>608
二頂対立を用いるニーチェは、自分の中で相反するものを同時に認識するという
ディオニュソス的なことをしているかもしれない
612考える名無しさん:2007/06/11(月) 01:39:37 O
永劫回帰の外側と内側についての書き込みしたものです、某批評家が話してました。内容はこんな感じです、今の世界はニヒリズムが完全化している状態である、そうなると戦略が必要で永劫回帰の内側で考えるか外側にあるような世界で考えるか、といったような内容です。
613考える名無しさん:2007/06/11(月) 03:06:36 O
早自身が肉体は別として男女の彼岸にあるというのは確からしい。
一体、対象を認識するというが、本来その認識は主体との関係に他ならないので、対象を認識するという認識は誤りである。
だが対象を認識する際、主体をも認識するならば、認識する者は、その認識の彼岸にある。
一体、一体というのはあまり意味はなく口癖のようだが、
こう無駄な認識をすると何言おうとしたか忘れてしまうんだが、
そう、一体、…マジ忘れた。
614考える名無しさん:2007/06/11(月) 03:16:57 O
妊娠したか?とか言われるとイタイね。
615考える名無しさん:2007/06/11(月) 03:28:38 0
このスレ空気読めん。早まとめでも作ってくれ
616考える名無しさん:2007/06/11(月) 03:54:44 O
一体、ディオニュソス的な対立的二項の同時認識をする者は、同様に、その関係の彼岸にあるわけだ。
彼岸というのも関係であり、かの関係との関係であり、かの関係を対象としてみる関係である。
一体、この認識の彼岸化は無限に続けることができ、無限に正しさに近づくようでも、認識を常に誤ることには変わりはないわけだ。
というのも認識は常に認識主体を含む関係なのにも関わらず、常に認識主体を忘却し関係を無関係化し、対象化してしまうからである。
我々は常に関係の一面しか捉えることができない。
例えば善しか認識しない者は、己の悪をまったく忘却しており、
また、対象として善悪を同時認識する者は、善悪の彼岸に立つ者は、その彼岸を忘却しており、その関係を見誤っているのだ。
617考える名無しさん:2007/06/11(月) 04:18:17 O
いやはや実は貴様おっぱい見せろ!と言おうと無意識に思ってた矢先だったようだが、どうやら深層心理が通じたらしい。
写真ではなかったのはちょっと残念か。 しかしあれが写実的な自画像だとしたら、どうだろう。
果たして美女であらねばならない彼は美女なんだろうか?
618考える名無しさん:2007/06/11(月) 08:54:48 O
だからその永劫回帰的なものから出たいんだろうけど
619考える名無しさん:2007/06/11(月) 08:55:44 O
だからその永劫回帰的なものから出たいんだろうけど
620考える名無しさん:2007/06/11(月) 08:56:35 O
だからその永劫回帰的なものから出たいんだろうけど
621考える名無しさん:2007/06/11(月) 10:06:19 0
>>617
例の絵の下に、※注、がついてる。
622考える名無しさん:2007/06/12(火) 00:36:41 O
Hey,Do you love me ?
I'm drinking, so I'm not certain that I love you. But I love you honey.
I love you, and good night honey.
623考える名無しさん:2007/06/12(火) 03:54:47 0
早君は病気ではないよね?
早君自身は病気だと思ってるのだろうか?
あと今何歳だい?
大学はどこに入ろうと思ってるの?多分国立だろうが
あと将来何になろうと思ってる?
ちょー質問攻め。
哲学とかに興味ある人というのは芸術にも興味あると思うのですが
そんな人達が就く職業が気になる。
624考える名無しさん:2007/06/12(火) 08:13:45 O
そりゃ無職だよ。
625早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/12(火) 10:03:10 0
>>623
病気ですよw
でないと、2ちゃんのスレをまるごと埋め尽くすほどの自己告白したり、受験生にもかかわらず「根源的一者」を連発したりなんてしませんw
これでも、かなり回復してきているんです。
それに、重度の神経症というのは、独力だけで治すだけの度胸と根性があれば、症状を利用でき(関心を芸術とか神秘主義とか心理学とかに集中させる)、かなり
脱俗的な心理過程をたくさん体験できるということを知りました。
京都大学受けるつもりです。
19歳です
将来はまだはっきりとは考えていないけれど、とりあえず今の間は、勉強や読書や、楽器や絵の練習を、
時間ある限りはがんばっておこうと思っています。酷く憂鬱なときは、本を読むことすら完全放棄して、飲むか書くかしかしませんが。
音楽をやりたいという夢はあるけれど、無理な話だと諦めて、
とりあえず大学入って勉強しよう、あちこちに興味が走りすぎて今は何も決められないから大学入ってみてからしっかり考えよう、
みたいな感じです。

哲学よりも遥かに、芸術が好きです
天才(とくに詩人!)の作品を鑑賞してショーペンハウアーの言う「天才的気分」を自分が感じているとき、
あるいは一日中何もせず音楽をぼんやり聴いているときこそ、
ある種の芸術愛好家にとっては、一番幸せな夢を見ているような瞬間、人生という牢獄から脱獄できるつかの間のひと時、
それがなくては生きていけないそれに依存せずにはいられない麻薬みたいなものです・・
この瞬間の気分はどうがんばっても言語化できませんが、どんな哲学よりも、純粋な認識、自分の存在の根源に対する直覚をしているような気がするんです。
626考える名無しさん:2007/06/12(火) 10:10:49 0
大学って入るのは簡単だけど出るのは難しいよ…気をつけてね
627考える名無しさん:2007/06/12(火) 11:37:11 O
要点をまとめよう。

二項対立は存在しない。
対立的に理解されている二者は本来一者である。
それは一者の論理的分析によってA+非A=一全体としてある。

そして展開しよう。

つまり認識主体は認識を分析するものではあるが、
同時に統合する論理的なるものなのである。
認識主体は常にその全認識の統合であるから、個々の認識が認識主体自身に相等しくなることはない時のみである。
何も認識しない時にのみ、個々の認識と認識主体は無として一致する。
これは世界においてはありえないことである。
これは死ではあるが、存在であり、実在であり、その認識すなわち関係の欠如すなわち無である。
無とは関係を持たない存在、認識しない実在である。
628考える名無しさん:2007/06/12(火) 11:45:00 O
早は永遠回帰の権化たろうとしているのであろうか?
629考える名無しさん:2007/06/12(火) 12:07:43 O
くる来ないはある関係の維持のための、調節のための一関係である。
好き嫌いも似たような一関係であり、
好きなものと嫌いなものは同種である。
意識無意識もそうだろう。
いわば逆立ちした関係のピラミッドというのが世界なのだろう。
世界は本質的には無である。
630考える名無しさん:2007/06/12(火) 12:17:47 O
好きなものと嫌いなものが同種だなんて、
我ながらありえないことを適当に言ってしまった。
もしそうだとしたら、たとえ正しかろうと、
それこそ吐き気を催させる糞認識じゃないか。
631考える名無しさん:2007/06/12(火) 14:31:41 O
糞だろうと、一体、性質なるものが関係でしかなく、
世界もまた関係の総体でしかないならば、関係をつくることによって構築されているならば、
根源的一者の分析的認識に過ぎないならば、
根源的な視点をもつものは、あらゆるなものに、本質的な差異を認めないだろう。
美女もウンコをするという矛盾をも享楽するだろう。
根源から回帰し復活することによって。
632考える名無しさん:2007/06/12(火) 15:42:25 O
世界の構築こそ根源的一者の解体である。
根源的一者は己の偉大さを理解しようとした。解体しようとした。
そして彼自身を分析し、具体化、純粋化、希薄化、白痴化していったのだろう。
我々も一人一人神自身の無限に小さい部分なのであろう。
神は死んだ。いわば世界は彼の腐食解体過程の現れ、その現場なのである。
世界を解体すること、これぞ実在への肯定的態度を示すのであり、消極的な創造といえる。
一体、芸術はその反動なのである。
世界のようにまさに血と肉で創られざるをえないものだ。
堕落であり、快楽である。
その快楽をまた体験するためにも彼は自らの作品をも壊さねばならない。
ニーチェのいう生とは、実在のそれであり、力であり、その超人的な肯定は、治療は、世界に対して一抹に破壊的である。
世界はまた創られる。
超人は時間を超越しており、世界の傍らで微力ながら世界の破壊と創造、実在すなわち生の肯定と否定を永遠に繰り返す。
超人は実在の複雑化、希薄化、無力化によって世も末なるときに力への意志として現れる末人である。
彼らは世界の創造の行き止まりで一種の反動として現れる。
633考える名無しさん:2007/06/12(火) 18:19:38 O
つか、美女はただウンコをするだけではないのだよ。
偉大なウンコをする排泄の達人なのである。排泄の達人であるからこそ美しいのである。
したがってそのウンコは常人より大きく臭いだろう。
またジャンクフードを平らげた後にはきつめな異臭を放つことだろう。

彼女はその繊細な姿とは裏腹に豪快で男しさ汗臭さに溢れている。
軽やかな足取りで化粧室に向かっては、化粧を直すブスを後目に一発出しては、一息ついてさっそうとでていくだろう。
美女の豪快さ図太さ厚かましさは、その自信故であろうか?
むしろその豪快さが美しい姿態として現れるのではないか。
特にそのウンコの図太さが。
私の美女研究はその希少性故に困難を極め、推測の域をでない。
だが一般的に綺麗な見かけをした女ほど豪快な人間であることは確かなようだ。
力が充溢するところには深遠がある。
丁度、古代ギリシア人が悲劇を生み出したように。
むしろ力は芸術によって、悲劇によって抑圧されなければならなかった。
力強さというタブー、この真の女らしさというものは抑圧されなければならないわけだ。
そうしないことには人類は途絶えるのだろう。
萎えてしまうからだ。性的な意味で。
634考える名無しさん:2007/06/12(火) 19:11:25 0
>>625
同い年だ。
京都大かすごいな。 
芸術家はだいたいがいっちゃってるからね。
自分は何やって生きてくかですごく悩んでるとこだ。
でも何かを生み出したい衝動はあるんだが実際出来るかわからん。
楽器は自分もやりたいな。
>この瞬間の気分はどうがんばっても言語化できませんが、どんな哲学よりも、純粋な認識、自分の存在の根源に対する直覚をしているような気がするんです。
なんとなくだが分かるよ。自分もたまに宙に浮く感覚になる。

哲学は今入門書ちょっと読んでるとこww 難しいね。
入門ですでに危うい まあちょっとずつ勉強するっぞ!!!!!



635考える名無しさん:2007/06/12(火) 19:43:23 O
そりゃ衝動じゃなくて欲望だな。
636考える名無しさん:2007/06/12(火) 19:45:42 0
しかし僕の文章はひどいな
637考える名無しさん:2007/06/12(火) 20:02:02 O
で?
638考える名無しさん:2007/06/12(火) 20:21:42 O
で、衝動の疲弊したものが欲望と悩みなんだな。
639考える名無しさん:2007/06/12(火) 20:51:50 O
欲望からは何も生まれない。何もな。
創造とは衝動的解体である。
解体してしまったものからは何も生まれない。
解体してできた残骸を処理せねばならない。
世も末だ。
もはや破壊的な時代を経なければ創造的な時代は来ないのだ。
いや破壊的な時代こそが創造的なのだ。
640考える名無しさん:2007/06/12(火) 21:06:34 O
フランスの出生率が上がってるのも酷い労働環境になってるからだろう。
日本の団塊世代も酷い時につくられた。
始終戦争をしているようなアメリカの力の所以は何か? ユダヤ人は?
悲劇の誕生が誕生したのは?
そんなものだ。
早が芸術家の卵なら、無意識的にでも意図的に落ちるだろう。
一体、満ち足りた社会に衝動があるだろうか?
生の過剰があるだろうか? あるのは生の疲弊退廃化した姿である。
641考える名無しさん:2007/06/12(火) 21:16:19 O
沸き立つ過剰な血が排出されること、これが創造だろう。
流された血の結晶が破壊されることによって、
人々の血は再び沸き立ち、血が流される。
642考える名無しさん:2007/06/13(水) 00:13:28 O
ウンコのおかげで解毒されてぴか〜となる。世の中そんなもん
643642:2007/06/13(水) 00:33:23 O
絶望的な、あまりに絶望的な

場違いで棘のある書き込み申し訳ない。
深遠に横たわる根源的一者の苦悩の叫びであった。
見てしまった者の悲痛なる嘆き故、同情していただきお赦し願いたい。
644考える名無しさん:2007/06/13(水) 23:50:55 O
実に絶望的だ。
1ページにつき20回も30回も辞書を引かねばならないとは。
しかし記憶力に欠ける私にしてはかなり覚えがいい。
これは遅々着々とした雄大な散歩である。
一日中散策しうる体力があればどれだけ素晴らしいことか。
いかに現代人が体力を失い、かけがえのない喜びを失っていることか。
それはそもそも知への愛なるものによって、
失われたのではあるまいか。
表現され失われた自らの力に、もはや無力な者として取り囲まれ動かされるようになった。
今や力を回収せねばならない時なのだ。
知るよりも、まず力をつけねばならない。
そこまで人間自身は退廃し、弱くなってしまった。
十代の若者が既に疲れている。老いてしまっている。
これではまずもって無知を奨励してもいい程である。
知によって、我々は力を失い萎えてしまうからだ。
力を受け取れなくなるといった方が正確だろう。
未知のものから我々は力を得るのである、その困難、恐怖、苦しみから…
そして自ら知る力をも得ることだろう。

ともかくニーチェは何より良質のドイツ語の教材に違いない。
こんな恥を晒すのも、2ch哲学板諸君のレベルを上げたいが故である。
是非とも私より2歩も3歩も先へ行ってほしい。
私は3歩後ろから尾行するだろう。
しかしまあ、ドイツ語もできないとは、実に素人である。
プロ哲学者と名乗れたら、どれだけいい気分に浸れることだろうか?
645考える名無しさん:2007/06/14(木) 09:26:06 0
ぐっぴーどこー?
646考える名無しさん:2007/06/14(木) 10:31:39 0
>>早
尾崎のアルバム何が一番好きですか?
一番好きな曲は何ですか?
647考える名無しさん:2007/06/14(木) 10:37:10 0
とりあえずスレタイ嫁
648考える名無しさん:2007/06/14(木) 12:00:21 0
ここをニーチェスレと間違えるなよ
649早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/14(木) 19:31:38 0
>>646
アルバムは「放熱への証」か「  」(ホワイト・アルバム)
曲は、「太陽の破片」「I LOVE YOU」「ふたつの心」

尾崎豊は、愛を愛する愛といえるような愛を持っている。
男にしかたぶん理解できない、異性とか隣人愛とかを一切含まない、究極に純粋な愛
ロマン派詩人の愛のような、ランボーの一笑に吹き飛ばされるような女々しい空想ではなく、
もっと「霊的な」愛(スウェーデンボルグの説明では、異性的でない愛は、自己愛→世界愛→天上愛の順に、高級になっていくらしい

愛を叫んで無意識的な罪悪感や苦痛を感じない男がいるとすれば、それは偽善者の自己欺瞞でしかない。
神を知ってもいないのに、信じているのと変わらない。
ニーチェもこのような種の愛の感情を胸の奥深くに秘めていたと僕は思う。
こういう愛は、自分が「愛の殉教者」だとか「イエス・キリストの理解者」だとか妄想でもいいから思ったことある人でないと、
ぜったい分からない。愛の殉教者、という言葉見るたびに胸の奥が突き刺されて、涙を流せるような男にしか、
絶対分からないけれど、だからといって、そういう人は、愛の殉教者という言葉を自分が吐いても、それは笑うべき戯言、愚かしい茶番でしかない、
ということを深く知悉しているし、実際自分がこのようなこと書いていると、恐るべき羞恥心でいっぱいになってどうしようもない・・・
宮沢賢治が、どれほどの悶絶の裡に愛の言葉を封殺し、法華経を信仰していたか、それを知って、男が詩の世界の外で本気で愛を叫ぶことが、
一体どれほど宗教的なことなのか、僕は理解した。
愛の感情を、一言も口に出さずに、自分の中で処理して、哲学や心理学によって、
その感情価を知性へと変換すると、抽象的にではなく具体的経験的に脱俗的な心理をたくさん知れるし、愛に苦しめられなくてすむようになると思う。
650考える名無しさん:2007/06/14(木) 20:10:50 0
>>649
大学に入る事に抵抗はないの?
651早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/14(木) 22:51:06 0
>>650
もう二度と狂いたくないくらい狂ったから早くまともになりたいし、
独学で哲学やっても、自分の神経系では、宗教的になる一方か、比喩や狂言ばかりになって、
自分の考えを他人に伝えることは不可能だと自覚しています。
でも、一般人であるかぎりは精神的に完全に独りにならない限り(想像力は暗闇の中でこそ、烈しく爆発する)、
「ツァラトゥストラ」や「地獄の季節」に秘められた、
天才が燃え上がらせる愛憎の炎、レトリックで絞殺した苦痛、宇宙に挑んだ勝負、未知の獲得への狂信的欲求
などを知ることなく、一度しかない人生を終わらせてしまう。

そういう大袈裟な感傷の前にまず、うち貧乏だから、国公立大にしか入れないし、
大学卒業せずに「言葉と音を賭博台にのせて神にサイコロ振ってもらう」
とかいって文筆か音楽で生計たてようとして無茶な生活送って失敗して親に迷惑かけることはできない、大学出たほうが将来は安心。
それに、普通に、いい大学で勉強したいというのもあります。
仮に、大学の教え方に敵意を抱いたとしても、敵というのは、しっかり自分と相手の両方やその関係をしっかり見極め分析する真摯な努力をすれば、
いわば授業料なしで教えてくれる教師のようなものにもなるのだから、
授業料を払って教授に教えられる哲学史以外に「敵」から無料で色々なことを教えられることになる。
たとえば僕の経験では、社会の全てを敵視していたときは、社会との心の中での対立に自我が解体しないために、無数の考えを作っていた、というより、
強制的にしかも能動的に色々なことを考えざるを得なかった
一般的な哲学の形式をほとんど知らない代わりに、詩を読みなれているから文体から書き手の真意を汲み取ろうとすることには慣れていて、
いわば礼儀作法を知らない代わりに人相学や読心術を極めて社交界に入っていくような感じで、
色々な思想を知ってみたらなんとなく面白いかもしれない・・・とか思ってます(笑
652考える名無しさん:2007/06/14(木) 23:58:15 O
終わったな。
653考える名無しさん:2007/06/15(金) 00:19:29 0
もうすぐ劇的な変化を実感する時がくると思う
654考える名無しさん:2007/06/15(金) 00:44:34 0
えー劇的な変化ってなによー
655考える名無しさん:2007/06/15(金) 01:22:31 0
この手のタイプは大学で彼女でもできれば
「哲学?なにそれ?」ってなるさ

青春って素晴らしい…
656考える名無しさん:2007/06/15(金) 02:52:35 0
私は来年にk大の受験を控えている浪人なんですが
最近哲学に興味を持ってニーチェやその他様々な書物をあさっています

早さんはとにかく知識の量が半端じゃないですよね。私も見習いたい限りです

受験勉強の方は順調なんですか?
657考える名無しさん:2007/06/15(金) 03:43:52 O
過去だったんだよ。
青春の思い出を語っていた。
反省だったんだな。
658考える名無しさん:2007/06/15(金) 05:16:30 0
何故 何の為に

わからない
659考える名無しさん:2007/06/15(金) 08:46:47 0
やっぱり国立と私立ってキャンパスの雰囲気違うのかな

試しに国立行ってみようかな
660考える名無しさん:2007/06/15(金) 11:55:58 0
(がきんちょだらけだなぁ…w)


661考える名無しさん:2007/06/15(金) 15:28:21 O
しかしまあ文明開花に貢献した日本のインテリ達は甚だしく力に溢れていたことだろう!
一体辞書、文法書、そもそも言葉、概念に欠ける時代にカントやヘーゲルなどを解釈し、翻訳するに、どれほどの能力が必要とされたことか?
爆発的な凄まじい力が創造的な力が確かにそこにあったのだ。
雲散霧消していった絶大な力が…
否、今や機械的に力を振るっているこの文明の、この巨大なシステムの力をかつて人間達自身が握っていたのだ。
今や人間が握られてしまっている。
己の子に命を支えられている。
それでこそ安心なのだ。
年によらず無力な老人になってしまったから。
無能であればこそ力に身を委ねる甲斐があるのである。
果たして、可能なのか、再びかの生命力をこの手に握りしめることは!
若返ることは! 不可能不可能不可能…
無理なことだ不可能を可能にするなどとは。
そうだ無理をせねば、無理をせねば!
662考える名無しさん:2007/06/15(金) 15:33:45 0
(老人もいたか…w)


663早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/15(金) 16:55:27 0
>>655
その手のタイプの人の神経なら、宗教や芸術に最高の価値を見出してしまう自意識をもつことは、何があってもないと思いますw
僕の神経は小学校行く前は、死や時間に対して恐怖を感じていました
>>656
僕はk大の問題は英語と理科は全然大丈夫なのに、数学が全くだめ、みたいな感じで、まだ頭の中が混乱気味で集中できないこともあったりして、あまり順調ではないです。
知識の量が多くみえるのは、まだ哲学を読めるようになって半年くらいだから哲学を読んでいる量や知識そのものの量が多いわけではなく、読んだことを常に思い出し、
知識として保存しておくというより自分の心理的あるいは生理的なメカニズムになるくらい深く、哲学的言説を自意識に引き込み定着させているからです。
そうしておくと、限られた知識で、自分の考えをいくらでも「即興的に」作ることが出来ます


664早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/15(金) 17:14:32 0
>>657>>658
脳に後遺症があるのか側頭葉てんかんの傾向が元々あるのかわからないのですが、
神経が昂奮すると、現在の状態と過去の記憶が混ざって、過去のこと(特に心の状態)を現在のように鮮明に思い出し、現在の自分を圧倒します。
ここに凄いペースで連続投稿してしまったときは、夢をみているような状態でむしろ半年以上前の僕が書き込んでいたようなものだったかもしれません。

記憶というのは、思い出す回数が多いほど、あるいは思い出した知識を利用して想像したり書いたりする量が多いほど、
強く定着し、いつでも思い出せる範囲に置いておくことができる
その時すぐ思い出せる範囲に記憶を置いておくほど、書いたり行動したりするとき、色々な選択枝が増えて、
新しい発想やいい判断につながる。ベルクソンのたとえを借りると、弦をたくさん引っ張るほど、矢は遠くに飛ぶ。
書く時や行動するとき以外にも、言説を読んだ時、深くあるいはあらゆる角度からそれを解釈できる。

神経症というのは、精神的なことなら何に対しても極端に過敏になるから、
たとえば顔の一部にコンプレックスを持っている女性がその部分についての話題になると過敏になって心に深く残るようなかんじで、
精神的な言説全てが、自分に対する攻撃であるかのように強く心に響いて印象が深く刻まれたり、何に対しても良心の呵責を感じたりして、
ニーチェの鋭い言葉読むときというのは、火傷した肌を砂嵐に晒すようなものだった
その時受ける印象が強いほど記憶は、一度で、はっきり、残るし、
新しい知識に対して、感情的になるほど、印象深い記憶として保存される
同じような感情が蘇ったとき、その知識も同時に鮮明に思い出される。

本当にニーチェを読んだ人にとっては、「力」は、ニーチェの概念ではなく、心の一部になるはずです
ニーチェの概念や比喩を、哲学的な知識としてではなく、種として植えつけるくらい深く心の中に引き込んでおけば、ニーチェの文脈以外でも、
それらの自律的な生殖力から、たくさん未知の考えを生み出せるようになると思います
665考える名無しさん:2007/06/15(金) 18:22:24 0
早は大学に失望するだろう

きっときっと
666考える名無しさん:2007/06/15(金) 18:35:29 0
日本の大学でなく、本場ドイツに留学すりゃいいと思うんだが
余裕があればね。なさそうだけど
667考える名無しさん:2007/06/15(金) 19:31:12 O
早の進学について考えるスレになりますた
ポエムも募集中だよ!
668考える名無しさん:2007/06/15(金) 20:35:05 0
やっぱ国立となると真面目そうなのが多かったなニーチェ。

しかし、やっぱり歩いてる人達に変わりはないように見えたニーチェ。
669考える名無しさん:2007/06/15(金) 21:38:18 0
>>668
どこだい?
670考える名無しさん:2007/06/15(金) 21:41:03 0
>>669
東大ですよニーチェ。

671考える名無しさん:2007/06/15(金) 23:21:24 0
俺は東北大。
3,4年の原書講読では、著名な教授との一対一の授業があった。
国立の良さだね。(国立でも一対一はめったにないと思うが・・)
毎週当番だから予習が大変だった。
しかもその授業は俺の苦手なヘーゲルの原書講読だったから、
当時の俺にはほとんど意味不明だったw
672考える名無しさん:2007/06/15(金) 23:40:40 0
1,2年の時のレポートはカントが多かったんで、カントを読んでおいたのは良かった。
ニーチェは理論的には隙間だらけで、そこを自分で補って読まないとだめだから。
ニーチェだって当然哲学史を踏まえて書いているんだけど、それを丁寧に説明しないという点で、
読み手に対して非常に不親切な哲学者だと言えるw
673考える名無しさん:2007/06/15(金) 23:53:43 0
どんな哲学も、それまでの哲学史を何らかの意味で乗り越えようとするわけだけど、
ニーチェが乗り越えようとした二世界説を代表するのがプラトンとカントだから、
ニーチェを理解する上でもカントは読んでおいたほうがいいと思う。
674656:2007/06/16(土) 00:31:15 0
>>663
数学はチャート等の例題を暗記して基礎を固めるのが良いですよ。そうすることが理解に繋がりますし、私はそれで苦手だった確率が克服できました^^
675考える名無しさん:2007/06/16(土) 00:40:56 0
がんばれ受験生!スレになりますた
ポエムも募集中だよ!
676早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/16(土) 08:38:59 0
>>674
ありがとうございます。参考になります。
お互いがんばりましょう♪


感覚や直観から得られる一時的な純粋な印象は、既成の言語によって、加工され輪郭をつけられ、
二次的なものへ不純化されてしまう。
ベルクソンの言葉を借りると
「私達は本能的に自分の印象を'凝固'させて、それを言語で表現しようとする傾向がある」
「言語はただ単に私達に感覚の不変性を信じ込ませるだけではなく、
 体験された感覚の性格についてときには欺くこともある」
>>675>ポエムも募集中だよ!
直観という大地への根、感覚という太陽の光、その生の要素から、
言葉という葉が出来る生気に満ちた過程のようなものを、人は省略し、忘れ、気付かなくなっていってしまう。
ニーチェ、ベルクソン、小林秀雄のような、あらゆる言語を限界まで疑ったことのあるような名文家は、
哲学史という木の言の葉を千切りとって言葉を並べているのではなく、
自分が新しい木になって、未知の葉をたくさん生い茂らせている。
人の心を内側から直接刺戟するような、名文。
彼らは、言葉を並べているのではなく、

彼ら自身が言葉になっている

677考える名無しさん:2007/06/16(土) 08:51:20 0
>>676
いい加減にしろ。
スレを私物化しやがって。

馴れ合いたきゃmixiでやれ。
678考える名無しさん:2007/06/16(土) 09:40:01 0
もう早のスレでいいよ
次スレはスレタイからニーチェの文字を消して、早と入れるべき
679考える名無しさん:2007/06/16(土) 09:46:44 0
ならさっさとこのスレ落とそうぜ。
「ニーチェ」である必要ないんだから。
680考える名無しさん:2007/06/16(土) 10:31:52 0
無理を通せば道理が引っ込む、早くこれが経験できるといいね。早くん。
哲学なんかそれからでも遅くないぞ。ニーチェより
681考える名無しさん:2007/06/16(土) 12:36:23 0
>>680
そうやってレスをしてやるからいつまでも調子に乗るんだ。
一人で煩悶させておけばいいんだよ。
682680:2007/06/16(土) 16:20:26 0
>>681
まさにおっしゃる通りで。失礼しました。
683考える名無しさん:2007/06/16(土) 21:04:21 0
別にこういうスレがあってもいいじゃない

さては早に嫉妬してるんだな
684考える名無しさん:2007/06/16(土) 21:37:33 0
>>683
そんなことを言ったら2chの秩序そのものが崩壊するだろw
何の為に板が分かれてるんですか?
何の為に各種スレが立っているんですか?
何の為に各スレにローカルルールがあるんですか?

構って欲しければ、8スレも進んでいるようなスレを占拠するんじゃなくて、
「僕の哲学的日記スレ」でも立ててやればいい。それが正道だろ。
繰り返すがここはニーチェのスレだ。
個人の悩みを吐き出すスレではないぞ。
685考える名無しさん:2007/06/16(土) 23:02:55 0
ちょっと見た感じでは、早 ◆yxoSe0qFeA という人は、ニーチェを体験的、あるいは直感的に
読むことを勧めているようだが、それは自分が哲学史を知らないことへの言い訳ではないのかな?
俺にはそのように思われた。
686考える名無しさん:2007/06/17(日) 00:12:19 0
>>685
だから大学で学ぼうとしてるんじゃないか?
687考える名無しさん:2007/06/17(日) 00:35:05 0
>>686
そう。なら、そうすればいいけど、とにかく、自己正当化としか思えないような書き込みは
見苦しいと思うので、そういう言い訳めいた書き込みはやめたほうがいいね。
688考える名無しさん:2007/06/17(日) 00:59:39 O
>>683
キミねぇ…お子様だろ
689考える名無しさん:2007/06/17(日) 01:31:09 0
>>688
キミもね^^
690考える名無しさん:2007/06/17(日) 01:41:15 O
力の充溢は苦を賛美するものである。
苦を賛美してこそ、力が得られる。
その勇気と愛情に世界が哀れみをもって応えるのだ。
漲る力において悲劇が誕生するのは必然的である。
691考える名無しさん:2007/06/17(日) 02:57:52 O
自然に快楽を追求すると、自然に人は没落する。
というのも自然には人は消えるべき定めだからである。
自然にしていれば没落して死ぬ。
快楽は自然な罠である。

悲劇的な苦の賛美から、キリスト教的禁欲、苦の甘受への移行は、
確かに退廃なのであった。

明治期の変動への衝動、未知への冒険から、
戦後日本の快楽の追求へ、
そして現代日本の快楽の享受への移行もまた確かに、
人間の退廃過程であった。


実に人間は哀れである。
692考える名無しさん:2007/06/17(日) 03:17:48 O
善悪の彼岸たる戦士から、善悪の此岸たる想定的罪人へ、
そして病人へ、人間は退化するようだ。
またこの現代人的な病人というものは、善悪の彼岸へ向かう傾向にあるようだ。
生き残るためには是非とも向かわねばならないからである。
693考える名無しさん:2007/06/17(日) 03:54:54 O
現代では恐らく最も病める者が、最も健全に近い。
再び力漲る健全な人間が現れるとすれば、
それは、最も病める者の中から、
その必然的な闘いの激しい戦場から、
病を打ち負かしてきた人間として姿を現すだろう。
694早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/18(月) 00:31:15 0
>>685
僕は自分の無知を十分自覚しています
始めて読んだ哲学がニーチェ、しかも病の苦痛にのたうちながらの激昂状態で読んでしまった、
まだ哲学的な本を読んで半年くらいだから余りに青春的な興奮から覚めていない、そしたらこんな小癪な言葉が出てくる、僕はその一つの具体例であって
こんな病的な混沌を人に勧める気はないつもりでした。
>>687
敢えて自己正当化するなら
「哲学史は、自分の心を燃やすための紙切れにすぎない
 もともと紙切れに等しいものだと見做しているものに対する無知を
 当然恥ずかしく思いやしないのだから、言い訳のつもりはさらさらない
 紙切れなどを燃やすよりは、ましてや燃やしもせず引き出しに出し入れして満足するよりは、
 自分自身や詩人や音楽家の魂から可燃性の有機物を取り出し、爆発させ、紙を燃やすよりも熱くなれることの方が遥かに価値がある」
みたいなかんじで、哲学的に誠実な人を嫌がらせるような、あるいは(詩的にも哲学的にも)物分りのいい人を噴飯させるような文句が続くような気がします。
>>686さんの言葉を補うとすれば、哲学史を知らないことの言い訳をなくすためではなく、
奇怪な言語観を持ち続けてそれによって色々な事柄を批評したり、「」のような自己正当化を敢えてでもしたくなったりする
異端気取りな衝動を、しっかり大学で哲学や数学を学ぶことで矯正していきたいという真面目な気持ちを、
ここに書いていくうちに、哲学を知っている人は自分の言葉に対しどういう反応をするのかを興奮から覚めたとき(実は入念に!)吟味しているうちに、
やっと芽生えつつある段階になりました(だから、構ってくれたり反応してくれたりした人には、感謝しています)
>>615
たまには僕のようなものの考え方をする人もいる、そういう人が迷惑にも現実から離れた病的な精神状態でスレ占拠してまで、
子供っぽい衝動を抑制できず構って欲しくて、あるいは自分を他人がどう反応するか知りたくて、道化役を買って出た、みたいな感じです
異常な自己告白的連続投稿は、まだ治癒しきれていない病理の産物です。
695考える名無しさん:2007/06/18(月) 00:48:54 O
おい早、Hな写真はまだか。
一日中リロード繰り返しながら待ってるんだが。
696考える名無しさん:2007/06/18(月) 00:57:12 0
写めだったら普通に可愛いだろうな  って女の子だったの
697考える名無しさん:2007/06/18(月) 01:13:14 O
玉なしなんだから女だろ。
要するに好きな男たちを崇めてるだけなんだ。
見て感じられればいいわけで、自分で苦労するなんて、馬鹿げてるしって話。
実は安定志向で良い大学で毒にも薬にもならんようなペット的男を捕まえて、
生活の基盤を整えておいて、
趣味でその好きな男たちとの性的生活に耽るわけだ。
まるで池田晶子じゃないか? もしも池田並みの美女ならばだ。
698考える名無しさん:2007/06/18(月) 01:28:29 O
女の性的能力ときたら、時空の彼岸にある高級な能力であるから、
余程魅力的な男じゃない限り、
常に浮気されてると考えていい。
だが余程魅力的な男というのは時空を越えてしまえば少なくないわけだよ。
699考える名無しさん:2007/06/18(月) 01:35:15 O
体しか見てないと不満をいってきたら、
こういってやるがいいHな紳士諸君。

「おまえは俺の体すら見てないだろうが」と。

700考える名無しさん:2007/06/18(月) 01:37:52 0
正直言うと魅力的な男なんてものはみんなが見てないだけでいるところには腐るほどいる
つまりだな  魅力的でない男だと言いたいんだよ
701考える名無しさん:2007/06/18(月) 01:56:10 O
>>700
気持ちはわかるが男なら泣くなよ。
702考える名無しさん:2007/06/18(月) 06:46:07 0
>>694
自己正当化なんか聞きたくもない。
>>370をよく読み直せよ。自分でなんて書いたんだ?
お前みたいな嘘つきの話なんか誰も興味ないんだよ。
さっさと消えてくれ。本当に迷惑だ。
703考える名無しさん:2007/06/18(月) 07:37:49 0
そんなのは無視して
704考える名無しさん:2007/06/18(月) 08:22:25 0
おいおい、ここは早のスレだぞ
消えるのはお前だ、カス
705考える名無しさん:2007/06/18(月) 09:08:38 0
うるせーよ。
くだらない煽りで喜んでんじゃねえ。
黙ってろ下衆
706考える名無しさん:2007/06/18(月) 09:38:16 0
病気自慢はなんちゃってくさい
707考える名無しさん:2007/06/18(月) 10:06:32 0
>>699
それ不細工が言ったら?
708考える名無しさん:2007/06/18(月) 10:07:41 0
エピゴーネン以外どうぞ
709考える名無しさん:2007/06/18(月) 12:15:16 O
>>707
不細工貧弱デブであればあるほど効果的な言葉だと思われる。
710考える名無しさん:2007/06/18(月) 15:42:12 O
「安定」には省略がある。これは名詞ではない。
「安定した」という形容詞である。
だが「安定した生活」ではない。
正確には「安定した退廃」である。
というのも個々の人間は自然な性として常に退廃的だからである。滅びゆく者だからである。
この自然な運動には自ら逆らわねばならない。誰も代わりにはならない。
各種労働の生産物を享受するばかりであれば、
自然な退廃過程を加速し促進するばかりだろう。
ならば、いわゆる「安定」とは「安定して加速され続ける退廃過程」というものである。
一体、奴隷制をしく国家が天才を生む有能な機関であることは確かだろう。
現代のような退廃的な時代では奴隷制を布くのは非常に困難である。
奴隷になりうる力を持つ出来の良い人間が少ないからだ。
奴隷制は高貴な制度である。
健全なる肉体と精神における漲ぎ溢れんばかりの力を大多数が所持するという高貴な時代場所においてのみ可能な制度である。
与えられるよりも与えることによって退廃過程に逆らうことができる。
国家権力は国民が衰弱している時に強大化する。
だが強大化した国家権力が国民を退廃から救うだろう。
人民のための政治は、国家の国家のための国家による政治でなければならない。
人間がその自然な性として自分自身では逆らい難い堕落する強い傾向にあるからである。
そのために闘争が必要とされてくるのである。
敵の助けを借りる必要性が。
国家は国民の敵であるべきなのである。
711考える名無しさん:2007/06/18(月) 22:21:22 O
静寂とは何か? 地下にマグマを貯えたる地表である。力の均衡である。
力とは苦である。静寂とは何か? 穏やかさとは? 優しさとは?
恐るべきものである。 恐るべき力である。
恐るべき力の均衡、調節、制御、支配である。

衝動的行為は力の表現、放出であり退廃的性に則ったものである。
力からの、苦しみからの逃避である。
すでに悲劇の誕生が堕落の兆候なのである。

強者はいつまでも強者であるわけにはいかないのである。
彼がその力を表現し誇るならば。
彼が常に強者であるためには、
静寂であり続けるか、常に強い苦しみを求め味わっていく必要がある。
712考える名無しさん:2007/06/18(月) 22:37:23 0
生きる上で、
 どこかの組織に所属したり、
何らかの肩書きを持っていなければならない
とは思わない。


大学なんてやめてやるうう
713考える名無しさん:2007/06/18(月) 22:42:56 O
>>712
ほう、ではとりあえず1日断食してみることだ。
714考える名無しさん:2007/06/18(月) 22:43:50 0
>>712
ここは大学生活の悩みを打ち明けるスレではない。
意志なき者は去れ!
715考える名無しさん:2007/06/18(月) 22:52:01 0
僕には夢があるんだ
716早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/18(月) 22:57:20 0
>>712
僕はもっとラディカルに同じようなことを思って高校を休学し、精神的次元含めて何もかもを自分から断ち切って完全に独りになったとき、↓のような酷い鬱に襲われました。やめておいたほうがいいような気がします・・・
>>706
病んだときの状態を感想まじえずそのまま具体的に書いてみると、まだ哲学や心理学は全く読んだことなかったときに一度、
神経症鬱病がぎりぎりまで悪化して自律神経が失調しだして、それがひどくなって、精神的な苦痛が肘や膝の痛みや近所迷惑な叫び声に変わるくらい、自宅に閉じこもりながら病んだことが実際にあります・・・
「尾崎豊がバイクで空を飛ぶのだから愛が全てなのです」など誰に宛てるわけでもない意味不明な言葉の羅列や、憎悪の言葉、毒舌、呪詛が、たくさんノートにのこっている。
自律神経の領域に識域が近づくと、外界を実際に見たり明確な対象について考えたりするよりも、
身体の中を感じたり(今にも息絶えそうなくらい筋トレしてる時やオルガズムの時のような、種類は全くちがうけれど次元的にはそういう領域の世界に、起きている間も心が呑まれていた)
夢を見たりするほうが多くなって、その時の視覚的な記憶は今思い出すと夢や想像的な視像の方が多いような気がする
もしここ見ている人で精神を病んでる人、神経が衰弱してしまっている人いたら、↑くらい死にかけてもそろそろ正常な段階へ回復しつつある人もいる、て希望を持ってください。
>>695
これで我慢お願いします・・
>>702>>704
もう人がみて嫌がる書き込みやスレ汚染行為はやめようと何度言い聞かせても、もう書き込まないとわざわざ書き込んでまで約束しても、
不安や憂鬱や倦怠から逃げるためためか、>>711にある衝動的行為による苦しみからの逃避のためか、
つい書き込むことに依存してしまう、意志薄弱な僕が、全部悪いんです全て僕の責任です。ごめんなさい
717美女研究者:2007/06/18(月) 22:59:52 O
美女の見かけの静けさ繊細さはその力の制御に、
すなわち力を制御するより強大な力によるのであって、
皇帝もまた美女には平伏す。
流石だな、クレオパトラ
718早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/18(月) 23:00:32 0
719考える名無しさん:2007/06/18(月) 23:04:58 0
>>716
ちょっとネタ的に書き込んだが真剣に悩んでいるんです。
スレ違いですいません。
正義と微笑なんです
720考える名無しさん:2007/06/18(月) 23:08:10 0
スレ立てればいいと思うんだが
721早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/18(月) 23:14:15 0
>>719
僕こそはスレ違い常習犯ですw
716の書き込みは、その人の性質によっては、たとえば実際的な所属だけでなくもっと心理的な所属まで断ち切ってしまう性質の人は、
所属を一度完全に断ち切ってしまうと、深く病に落とされてしまう可能性がある、ような意味で解しておいてください
リスクを恐れないくらい自分を信じてがんばれる自信があるなら、とてもいいことだと思います。
722考える名無しさん:2007/06/18(月) 23:23:07 0
>>721
レスありがとうございます。
やっていく自信はあるんです。
ならやればいいじゃんって言われそうだがやっぱり不安もあって。
毎日毎日考えています。

ってニーチェスレでやっぱり人生相談はまずいですねw
723美女研究者:2007/06/18(月) 23:23:40 O
>>718 ありがとう。
だがどうも誤解しているらしいが私は別にHな写真を性的欲望から求めてるわけではないのだよ。
純粋に知的関心からなんだ。
これは知への愛、哲学なのだよ。
ここを誤解されては困る。
わかってくれるね? 私が変態ではないのだと?
724考える名無しさん:2007/06/19(火) 00:05:39 0
>>718
ケータイ文化に属してるのか('A`)
自分の年を境に下の年代は本当に平成世代だわ(´ρ`)
だけど可愛い女の子が多いorz
725早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/19(火) 00:38:20 0
>>723
変態ではない証拠に、718の絵について、ここニーチェすれだからニーチェ的にしっかり鋭く、しかも巧みなメタファーを使って、哲学的批評をしてみて下さいw
>>722
大学を本当に辞めてしまう前に、
親切な人が多そうなどこかの板でスレを立ててみて人と意見を交換したり、
しっかり考えたことのある著者が書いた本をたくさん読んで考えたりすることに、
一度、ほんの短期間でも、専念してみるのがいいような気が個人的にはします。
他人や著者の考えをたくさん取り込んだり、自分で考えてみたりしたみると、実際的な行動に関する視野も色々と広がってくると思います。
726考える名無しさん:2007/06/19(火) 00:57:48 0
>>725
アドバイスありがとうございます。
もっとよく考えたいと思います。

727考える名無しさん:2007/06/19(火) 04:31:22 O
度を越した苦しみ、力は静寂なものであり、沈黙である。無である。
沈黙する無意識は意識に比して強力である。
恐らく無意識は語りえない力を、苦しみを、密かに担いつつ沈黙しているのである。
力の獲得とは無意識の意識化といえるかもしれない。 あるいは意識の沈黙と。
意識の働きによってその苦と力は抑圧されている。
肉体の力もまた、食物から吸収しているとはいえないだろう。
むしろ逆に食物という障害物、その抵抗によって抑えられているのである。
その苦痛と力は。

人間が持ちうる最大の力は死をもたらす。
悲しいかな、美女は薄命だ。

728考える名無しさん:2007/06/19(火) 21:16:41 0
・・・フフっ
美女か、
どうぞ薄命で。
あのUPLの儲新星町有名超名作出も有る宇宙戦艦ゴモラはニヒリズムやエゴイズムにサタニズムとニーチェ哲学とダーウィズムとマルクス主義の無我濃縮ウラン還元不可能名までにブラックホールよりも超高蜜路名位集り切っている!本当に物凄く楽しいですよね!
マアネー結論はUPLのダレレモガ知っているかも知れない宇宙戦艦ゴモラは意外とサイエンスノンフィクションスピリチュアリズムワールドダークサイドエンドサタンフィールドに!さらばー地球よー旅立つ船はあの噂で持ちきりの宇宙戦艦ゴモラだ!
レヴィ=ストロース虚無主義者連中ニヒリスト集結形式極限唯我論唯物論唯心論精神世界主義ポスト構造主義者とボードリヤールの超高ドレベル規模級の高度経済成長幻想怪物超現実非現実消費社会の超高エネルギー発展形式終焉系統現代社会の現実逃避系統!
二十世紀少年&二十一世紀少年に見るたった一人でも出来る全部局所世界征服と裏全人類変化計画に井筒裕太(イヅツ★ユウタ)の考える裏超高レベル危険度数超高難易度異世界に挑む本当の真実の野性の思考方法と近代人種族連中集団は自分が考えていると思っているだけだ!
730考える名無しさん:2007/06/20(水) 21:20:30 0
>>676
もううんざりだよ。
早の書き子は長くて、意味わからんし、読む気
しないんだ。たのむから出て行ってくれよ。
731考える名無しさん:2007/06/20(水) 21:21:53 0
>>694
うんざりだよ。
732考える名無しさん:2007/06/20(水) 22:45:57 0
>>730
ここは早のスレだぞ
おまえが出てけ、カス
733考える名無しさん:2007/06/20(水) 22:49:36 0
>>732
お前のその煽り書き込みにもうんざりだよ。
734考える名無しさん:2007/06/20(水) 23:33:10 0
悩み苦しむくらいなら
思考停止して萌えてればいいじゃない
どんなに迷っても明日は来るよ
懊悩が快感だから燻ってるんだろけどね
簡単に理解したと気取るよりは真摯だけども
もっと爽やかに病もうぜ

あと外出しな
ニーチェも熱心に散歩してたようだし、とにかく動きな
風のない海は腐ってくだけだよ

青少年はどんな時代でも自己弁護のために本を読む(これは三島だったかな?)
こういう言葉もあるしね
735考える名無しさん:2007/06/20(水) 23:37:44 O
まあ美女は見てなんぼだからな。
写真を公開して証明してない以上は、
うんざりされても仕方ないことだよ。

我ながら美女という言葉にはそろそろうんざりしてきたが。
諸君も同じ気持ちだろう。
美しい女(ひと)と言わねばならない時期がきたらしい。

ちなみに私は何故に美女学がないのかと、不思議に思っている。
学術的な写真集がないとはどういうわけなのかと。
学術的な美女全集などがあれば我々も自信をもって買うことができるはずではないか。Wie ?
たとえ店員が万が一美女であっても買えるかもしれない。

またちなみになんだが、私は最近、事象そのものへ!という本を通読した。
定期的に裏表紙を眺めたことは言うまでもなかろう。無論これは義務だからだ。
そして読了後、裏表紙だけカットして保存し、残りは古紙として回収してもらった。
Wie? ニーチェ的、あまりにニーチェ的
736考える名無しさん:2007/06/20(水) 23:47:12 O
近頃の若い者は歩かないからな。
あややはよく歩いてたらしい。
最近はあややも元気溌剌ではなくなってきたし。
人間、歩かなにゃいかんね。
737考える名無しさん:2007/06/21(木) 00:11:20 0
誰にでも読めるが誰にも読めない本って書いてあるだろ
勘違いしやすい奴はすぐにニーチェに食いつく
738考える名無しさん:2007/06/21(木) 00:14:03 0
ニーチェは最終的に狂気に陥った
「見よ、この人を」読めば分かるが正気ではない上に
様々な物事に怯えながら誇大妄想のうちに死んだ

その思想を掲揚するならもう少しそのことについて考えてみるべきじゃないのかね
739考える名無しさん:2007/06/21(木) 00:49:15 O
ちなみに私は悲劇の誕生の前書きをやっとのことで読了するという段階なんだが。
自慢だけど原文でなんだけどね。邦訳と辞書片手にではあるが。
それでも大いに苦労した!
てかまじ無能だよ。どうしてくれよう。
こんなはずではなかったんだ。
我が闘争もいずれ原文で読む予定。
ニーチェによって鍛え上げられた我がドイツ語によってスラスラサラリとな…
そうさ、我が闘争は我が無能との闘いである。
740考える名無しさん:2007/06/21(木) 00:53:05 O
自己語りはオモロイ罠
741考える名無しさん:2007/06/21(木) 01:34:49 O
思うに自己なんてのは面白いものであり、
お遊びなのである。
自分との闘いなどというが、どうであろう?そうここは本来Wie?と言わねばならないところである。いわんやニーチェスレにおいては。
ちっぽけな闘いではないか? 一体どこにそう語る者の誇らしさを正当化するものがあるのだろうか?
恐らく闘いは敵や自己を相手にするものではないということだ。
それは安易な錯覚である。
闘いはいわば神を相手にするものである。
なんとも言い難い絶大な力、我々を襲いつつ助けるような力との闘争、
この我々に対して矛盾した効果を発揮する力との関係、その愛憎、苦しみと歓喜、それが闘争の実態ではないか?
古代ギリシアにおけるディオニュソス的現象は、その闘争の現れであろう。
742考える名無しさん:2007/06/21(木) 03:32:18 0
君達よりも善良な「素質」を持っているよ、

 才 能 も 生 ま れ つ き だ ろ う ね
 
 君 達 全 員 が 束 に な っ て も 勝 て な い
 
 更 に 強 烈 な パ ワ ー も ね

そして君よりも精神的な努力をしているだろうね
このスレに歓迎するかこのスレを下と覩るのかは
その人の次元ですよ
ここにはまごころも良心も優しさも欠けているけど
その現実からは現実逃避でしょう

どちらかというと煽り調のほうが理知的でない人にも理解しやすいんだろう
初めて「思想」というものに触れられるきっかけになってよかったですよ。いいスレです。
内容は思想でもなんでもないんですけどね。
関係ないけど源氏物語を勧めたいです。理知的でなくても読めます。
貪瞋痴で滅んでない繊細な感性が必要ですが。
主語のない文章だけど、当時の人はそれが当たり前に読めていたという。
あの「もののあはれ」は今の人には解せないものかもしれませんね。
主語がなくても空気で読めた先人たち。論理的でないと来たしてしまう者たち。

by piero
743考える名無しさん:2007/06/21(木) 06:39:30 O
このスレおもろいな
744考える名無しさん:2007/06/21(木) 06:52:42 0
だろ?早いって人のCharismaに集まっててぐちゃぐちゃやねん
745考える名無しさん:2007/06/21(木) 08:04:16 0
>>744
あほw
早がいない時はかなりまともな人が何人かいて、議論していた。
早が書き込み始めたら、その人たちは一斉に消えてしまった。
そういう意味で、早は荒しだよ。
746考える名無しさん:2007/06/21(木) 08:08:41 0
Nietzsche8:勢い10.9
747早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/21(木) 08:15:01 0
>>735
性別はともかく、もし仮に僕が美人か美少年だったとしても、写真公表しませんよ
今勝手に美女学の一節をつくってみます。
写メを見せないのは、不特定多数に晒してしまう、ということ以外に、もう一つ大きな理由がある
どれだけ中傷されても、あんたたちが想像するよりはずっと美しいからいいんだ、みたいな、
恐るべき慰めを、見せることによって失ってしまうから。
748早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/21(木) 08:21:07 0
>>745
たまには、思想的なことで書き込みますごめんなさい。
グノーシス主義は、ユダヤ教がローマ帝国的な戒律主義物質主義に偏りすぎて、
人々の抑圧された精神的欲求が新しい宗教を求めていたような時、だいたいキリスト教ができたのと同じくらいの時、
発生した異端派神秘主義です。マニ教の母体となったような神秘主義で、東洋やイスラム圏にも影響を及ぼした、最も代表的な神秘主義。

大好きなグノーシスの神話。
まず、色々な神秘主義と同じようにはじめは流出論的に始まるような感じで、霊と光の世界プレローマが出来て、そこで神的存在や悪神的存在だけが暮らしていた。
ソフィアという叡智の女神が生まれたが、彼女は、霊の世界だけでなく下の世界を知りたい(性欲を暗示)という欲望から、
プレローマの隅っこで、悪神を生んだ。
その悪神は、下の世界(人間界)を創造し、悪と罪が混ざった原料で人間を作り、下の世界に住ませた。
しかし、ソフィアはこっそり、霊(善、光)的な種子を人間に混入しておいた。

人間は悪でできている、しかも世界の創造が悪神の手によってなされている、というように余りに現世否定的だけれども、
キリスト教との大きな違いは、救いを彼岸に求めるのではなく、各個人が自分の中に潜在している霊的な種子を、
直観的に認識(グノーシス)することが救済である、というところ。認識すれば、流出元へ遡ってプレローマに近づける(流出論は根源が善的で末端が悪的なことが多い)
善悪二元論的だけれども、その善悪は、神と人間、ではなく各個人の中での対立になっている

神人キリストの一回限りの犠牲が救いなのではなく、各個人全てが内的な直観的認識によって神人へ近づける
ユングの個性化は、かなりこの考え方に似ている。
グノーシス主義の誤謬は、神話を象徴体系的なメタファーとしてではなくそのまま哲学としてしまったところであって、
もしその象徴体系をユングみたいな方法で哲学的に解釈言語化していたとしたら、キリスト教の神学よりは遥かに強力な学問になっていたと思う。

ニーチェがグノーシス主義をどう評価していたか、
ニーチェがグノーシス主義に言及した文献
知っている人いませんか?
749考える名無しさん:2007/06/21(木) 08:42:11 0
>>748
>知っている人いませんか?

知らないけど、善悪二元論、霊肉二元論で、霊的なところに
救いを求めるとなれば、ニーチェが最も嫌うものだろうね。
750考える名無しさん:2007/06/21(木) 09:58:47 0
ツァラトゥストラが好きで、「身体の軽蔑者たち」を読んでいるのなら、
わかりそうなものだが…
751考える名無しさん:2007/06/21(木) 10:32:31 0
早はピザだと思う。過剰な精神性は身体を想像させる。
で早先生、「力」「超人」「永劫回帰」について教えてください。
当方哀れな脳でしかもニーチェ的なものが表面的こしか出来ないようなので。

ニーチェスレにとって有益だし、やはり完璧な芸術家の本領を証明して欲しい。
752早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/21(木) 21:35:29 0
グノーシス主義は善、霊に偏っているのは確かだけれど、悪、罪、慾をキリスト教みたいに目をそらすのではなく遥かに生々しく直視している
そして、それらをラディカルに、ほとんどヒステリックに否定、侮蔑しているような感じ。
優れている点は、それが所謂霊的なものだとしてもとにかく、救いは人間個人の内に潜在しているという認識だと思う。
もちろんユングは知的にグノーシス主義を研究し、その考えをそのままの形で受け入れるのではなく、
色々な点で補って独自の解釈を与えつつ、自分の思想を発展させている。
ニーチェがもし研究していたなら、どういう風に批評していたのか、面白そうです
>>742>>751
僕の言葉に興味もっている人なんて、ここが賢いひと(賢い人は滅多に書き込まない)も見ていること考えたら、砂場の砂をつまんでみた量くらいですよ
酒飲んでみたら偶然、しらふの時より才気の或る言葉が稀に出てくる、みたいなもんですよ
殆どは飲みすぎて、喚いただけの汚い言葉です。
詩人でも哲学者でもそれを真面目に志望していて恒常的に才気も知性もある人は、こんな饒舌ならずに、ゆっくり自分の思索を暖めていくものです
もしいくらか魅力的なものが書き込みの中にあったとしたら、その場限り偶然成功したトリックのようなもので、
束で向かってきても誰にも負けないのがあるとすれば、喩えるならアルコールに対する耐性だと思って下さい...
飲み会でしらふでは口下手なので、とにかく飲んで饒舌になり、普段口数少ないのに飲めば人生を語りだしてたくさんしゃべれて幸福になっていくうちに、
さらに飲みたくなって飲み続けるタイプの人を、想像してください
そういう人は、ついには吐いてしまって、周囲の人に汚らしい迷惑かけます。かけてます...
753早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/21(木) 21:49:21 0
「超人」は、ニーチェが結局誇大妄想の中で死んだこと考慮して、完全にニーチェの文脈から離れて考えるなら、
神の世界を信じないとかいって単に否定するのではなく、神の死を真に確証するために本当に神の世界の善悪を体験的に理解してしまった人。
その善悪を知り尽くしその彼岸に立とうとするのだから、神がいる必要はない。
しかし、その善悪の規模が大きすぎて、一個人という小さな器には入りきらず、破綻してしまう、そういう人。
自分が本当に超人を目指そうとするのは、いわばニーチェみたいに発狂するまでラディカルな野性の哲学をすることであって、超人という概念を純粋に経験的に体得することは不可能に近い。
卓越した精神の持ち主でない人が発狂しそうになるくらい哲学しても、何か創造的なことができるわけではない
しかし、それを体験する度合いが最も大きく、白痴になるまで超人へ向かい続けた者であったニーチェによってしか語れなかった素晴らしい言葉はたくさんある。
だから、超人を無理に目指すのではなく、超人へ向かった人が言った言葉に価値を見出すのが大事

「力」は、ニーチェの場合認識がほとんど本能的な行為になっていることを考えると、
他人に対する影響とかだけでなく、概念を理解するときの解釈の数や角度や仕方、思考内容、自分が何か表現するときの言葉、何かに対する価値付け、それら何もかも力。
生は、それらは力の場。認識が因果網によって抽象的に固定化されている時は、力が滞っていて、生は動いていない。
常に何かを生成したり何かを変化させたりする認識や表現や創造が、力が上手く働いている流動的な生の現場。
力を発揮させ、それによって人生に価値を与えればあたえるほど力強い人生
力強い芸術家は、自分のヴィジョンを他者にも世界にも押し付ける、つまり世界を塗りつぶす
晩年のニーチェは、力だけが唯一確かな原理で、何もかもが力の強さ、抵抗、摩擦で動いているのが世界だ、て言ってるみたいな感じで、危険。
力を最大まで引き出すには、ニヒリズムを徹底させ本当の虚無を知ってみて、あるいは一度自己そのものをカオスへ溶解させてみて、
その状態から、既成の概念群ではなく自分のやり方、認識、表現、言葉で自己を創造していくことかもしれない。

「永遠回帰」は、結局意味分からないです
754早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/21(木) 22:02:45 0
結局、善悪の彼岸なんて、考えられる全ての善悪を体験的に認識して処理することであって、
そんなこと、一個人がやったら気が狂う、世界規模の善悪の究極は根源的一者に任せておくべきもの
>>751
僕は体験的に理解する傾向があって、非体験的に理解するのはとても苦手なので、
間違った方法で認識していることが多く>>753は参考程度にだけして下さい。
755考える名無しさん:2007/06/21(木) 22:29:56 0
グノーシス主義とニーチェの思想の統一

なかなか面白そうじゃないか
756考える名無しさん:2007/06/22(金) 04:15:25 O
今日はこっそり一言だけ言っておきたい。
すなわち「ウンコは力なり」と。
もちろん、力とは苦であるという私の考えとも辻褄が合う話なのは疑いえないことだ。
今日はこれでもう諸君ともお別れである。
そこで別れの挨拶に代えてもう一言言わせてもらえば、「力とは美なり」となる。
したがって、ウンコとは何であることになるのか。
美である。
深遠なる認識はかくも戦慄すべきものなのだ。
そして世の中には深遠がないということこそがまた戦慄すべきことなのであろう。
757考える名無しさん:2007/06/22(金) 05:13:26 0
>>756
スカトロなの?
758考える名無しさん:2007/06/22(金) 09:13:32 0
つまらんスレになったもんだ
759考える名無しさん:2007/06/22(金) 09:38:55 0
>>752
現実の背後に超越的本質があるとする考え方を、ニーチェは二世界論として批判したわけです。
そのように世界が二重化されれば、二重化されたうちの一方は必然的に否定的に見られてしまうから。
だから、神的なものを認める立場でニーチェの一切肯定の思想に一番近いのは、スピノザの汎神論でしょう。

>>753
超人は、永劫回帰を欲する者のことだから、永劫回帰の意味がわからないと、超人の意味もわからないかもしれない。
超人は善悪の彼岸に立つだけではなく、一切肯定つまり運命愛の立場に立つ者。

一切は力への意志だから、たとえば無機物も力への意志であるわけで、
「力」を常識的な意味で考えてしまうと、見当違いになってしまう。

>>754
>結局、善悪の彼岸なんて、考えられる全ての善悪を体験的に認識して処理することであって、
>そんなこと、一個人がやったら気が狂う、世界規模の善悪の究極は根源的一者に任せておくべきもの

ニーチェの言う善悪は、キリスト教的意味での善悪のこと。
たとえば『道徳の系譜』ではキリスト教的『善悪』に『良悪』を対立させているし、
『ツァラトゥストラ』では、自分自身の善悪を持つことが勧められている。
760考える名無しさん:2007/06/22(金) 09:45:22 0

>賢い人は滅多に書き込まない
>賢い人は滅多に書き込まない
>賢い人は滅多に書き込まない
>賢い人は滅多に書き込まない
761考える名無しさん:2007/06/22(金) 14:04:32 0
早は、まともな時でも、無駄に長いのは変わらないんだなw

ツァラトゥストラや超人を考える上で大事なのは、
「大いなる健康」と「大地に忠実であること」が大前提としてあることだ。
早にはそれが決定的に欠けているように俺には思われるのだが…
762考える名無しさん:2007/06/22(金) 14:43:38 0
>>753
>晩年のニーチェは、力だけが唯一確かな原理で、何もかもが力の強さ、抵抗、摩擦で動いているのが世界だ、て言ってるみたいな感じで、危険。

ニーチェは力の強さを求めてるっていうより、力への意志が歪んだ状態で
現れるケースを批判してるんだよ。
ルサンチマンとかデカダンみたいに。
キリスト教批判も、単純に言えば、それが「不健康」だから。
早は、ニーチェの言う「健康」とか「自然」とかがどういうことなのかを
よく考えてみるといいよ。
763考える名無しさん:2007/06/22(金) 15:03:49 0
で、「健康」という点に関して、グノーシスがニーチェの目に
どう映るかを考えてみよう。

神秘主義についてはニーチェはそれほど書いていないと思うが
ヴェーダの梵我一如については「催眠状態」における「神秘的合一」
として痛烈に批判している。

ショーペンハウアーの影響から脱した後期のニーチェは
カントの「物自体」を受け継ぐ「根源的一者」的なものに
対しては否定的だよ。
764考える名無しさん:2007/06/22(金) 15:24:36 0
>>760
安価つけない引用ほどムカつくものはないわ
これだけは自己満が確実にあると言い張ってしまう
765家出猫:2007/06/22(金) 15:46:18 O
ニーチェのニヒリズムってしがない無職の2ちゃんねらーがアナウンサーに恋するようなもんなんだよな

バタイユやハイデッCarやら読んできたが無駄だったわ
766早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/22(金) 17:48:51 0
>>759
色々参考になるレスありがとうございます。

ユングがグノーシス主義を自分の世界観にあわせて再解釈するとき、
プレローマ界と現世の対立を、プレローマとクレアトゥーアの関係というユング独自の関係に置き換えていました。
グノーシスでは、プレローマは流出元である永遠に善なる世界、現世は堕落した世界。
ユングのプレローマとクレアトゥーアの関係は、「流出論」よりも「汎神論」に何となく近い。
クレアトゥーアという変化のある現象世界にその母体となった超越的世界があるというのではなく、
クレアトゥーアの個々の現象それぞれに普遍的なプレローマが見出されうる、あるいは、
世界の永遠的な姿がプレローマ、空間や時間の中で変化する姿がクレアトゥーアみたいな、感じです
善悪に関しては、グノーシス主義者は殆ど剣幕になったような感じで悪を否定していて、
しかもその善と悪の関係は、善が霊性で悪が現世や肉欲みたいに固定的に絶対化されているというニーチェの最も嫌ったものだけれど、
ユングがグノーシス主義を解釈する際、善と悪は相互に変換可能であるべきであるという批判をしていて、
その善悪の力動的関係が彼の世界観を大きく占めている構造です。
767早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/22(金) 17:50:23 0
>>763個人的には根源的一者というのは、心の全体性を象徴するものであって、
それが実在するかどうかはともかく、そういう一者を想定して内観するのは間違ったことではないような気がします。
グノーシス主義では、救済者が十字架上のキリストという外部の存在がいるのではなく、人間の心の中心点であり心や世界の全体性を象徴する点に
救済者がいて、その救済者をこちらが直観的に認識して救済することによって、お返しに救済される、というような興味深い救済観なのです
>>761>>762の通り今僕が健康でなく滅茶苦茶なので、救済を求めてユングやグノーシス主義に興味もってしまっているのかもしれません
でも、世界にしろ心にしろ「全体性」とか「中心点」とかいうものを見い出そうとすることは、
かなり重要な発想、少なくとも病んでいる人にとっては薬、力への意志の歪んだ暴動を上手く制御して方向付けするための羅針盤であるような気もします。
ニーチェの文脈外で考えるなら、「霊的な種子」とか「根源的一者」を超越的なものと見做すのではなく、
そういう重要な中心点や全体性を具体的に生き生きした分かりやすく示した表現であると見做し、
本質的な意味を哲学的に考えていくのはいいことだと思っています。
768考える名無しさん:2007/06/22(金) 18:05:30 O
通じませんよ。
769考える名無しさん:2007/06/22(金) 21:10:37 0
早って鳥つける場合とつけない場合があるようだけど…
770考える名無しさん:2007/06/22(金) 23:27:09 O
てか読解力の問題じゃないかな。
京大って本気なのか?
まあ京大っていっても最近はかなり入りやすくなってるんだろうけど。
771751:2007/06/22(金) 23:58:13 0
早先生こんばんは。レスありがとう。遅レスごめん。
772考える名無しさん:2007/06/23(土) 00:19:34 O
早って中卒的だよね。
日本の学校は才能は摘むようだが、
頭脳は結構しっかり育ててるんだろうな。
773早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/23(土) 00:20:11 0
>>770
国語できないのに外国語はかなり得意。
数学できないのに物理はものすごく得意。成績がでこぼこすぎて、しかも理系-文系でなしに、差が烈しすぎる。
要するに、言語的にあるいは論理的にものを考えられない。
それに、読書する時間よりも、たぶん、読まずに考えたり想像したり、書いたりする時間の方が圧倒的に長い。


日常会話程度の内容なら支障なく普通に話せるけれど、哲学的なレベルになるとどうしても非言語的にならざるを得ない。
そのほうが「概念そのもの」「言葉そのもの」「時間そのもの」とかのレベルのものを根底的に思考するには向いているような気もするけれど、
その思考内容をどうしても言語的に表現できない
画像的にものを考えるのは得意。だから神話系にワクワクしてしまうし、小説は読むの遅いけれど画像的に愉しめる
哲学理解するには画像的なイメージや印象を必ず伴う。
悪ければ情動を伴う
良ければ直観的に理解できる
普通に言語的に理解したり記憶したりするのが極端に苦手。
詩的な言葉や、詩的ではないけれど何故かベルクソンの言葉遣いにも、強く反応する。
メタファーを、〜は〜という意味だみたいに解釈するよりも、そのまま画像的に理解してその印象で記憶してしまう

>>768
それで、
こんな変なものの考え方や表現しかできないし
書くときは比喩まざった断片的文章ばかりになってしまう。読みにくい文章ばかりごめんなさい
774考える名無しさん:2007/06/23(土) 00:34:45 0
麻原の説法って聞いたとこないけど、こんな感じなんじゃないかなぁ。
仏教オタクでそれ系の知識を詰め込んで奇妙な修行をつんだらら同じようになる気がして。
それである人は圧倒されて信者になるとか。
775考える名無しさん:2007/06/23(土) 00:56:52 O
>>757
スカトロって何のことだか知らないが、
これだけは言える。
現在私の興味はウンコにあると。
現代で最も力強い人間は美女である。
最もディオニュソス的なのは美女なのだ。
そして美女は必然的にウンコのプロである。排泄の達人である。
つまりウンコにはディオニュソス的なるものが秘められているらしいということなのだ。
いかにも一方で醜悪なるものへの、弱々しさへの、一般的に否定的なるものへの、悪への意志、及び、意志を実現するに足る高度な能力、技術、知恵があるからこそ、
他方で清く美しく力強く、肯定的なるもの、善であることができるのである。
我々は、まさに世にも美しい善い人から醜悪なるものについて学ばねばならないのである。
まずもって我々は醜悪なるものへの意志をもたねばならないのだ。
ウンコへの意志を!!
然らずんば学べやしないのだから。
776考える名無しさん:2007/06/23(土) 01:14:06 O
早は親切な文章が読めてない気がしてならないんだよね。
読む気すらないのかと見なされてもしかたない。
端から見てても罪悪感すら感じたよ。
まったく先生泣かせの生徒に違いない。
まったく性別はまあいいとしても美人でなきゃ許されんぞ!
見た目でお礼しないことにはな。
777考える名無しさん:2007/06/23(土) 01:28:17 0
>>775
うんこで美人がプスかを判断できる人
778考える名無しさん:2007/06/23(土) 01:33:06 O
うんことかなんなの?
早ピザ説は?
779考える名無しさん:2007/06/23(土) 01:58:27 O
>>777
いやまだそんなに悟ってない。
私のウンコ研究は今漸く始まったばかりなのだから。
780考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:15:02 0
なんか早いとうんこでwktkしてきたわ
781考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:19:26 O
最近大食いアイドルなるものがいるが、彼女が私のウンコ研究のきっかけになった。
如何にしてあの可愛いらしい華奢な体が大量の食物を処理しているのかと驚愕せずにはいられなかった。
当然彼女が必然的に大量の排泄をしているということだけは全く明らかなのである。
そのウンコの創造過程はまだ神秘に閉ざされてはいるが。
過食症の人のようには吐き出せる量ではないだろうし…。
吐き出すようでは死ぬのではなかろうか?
そもそも常人ならば死ぬほど食べているわけではあるが。
なんにせよ上から出すに下から出すにしろ、並々ならぬ苦痛を伴う仕事なのではなかろうか?
排泄のプロ技とはいかに?
ディオニュソス的、あまりにディオニュソス的
そう今やディオニュソス的なるものが売れる時代になったのだ。
782考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:39:09 0
>>781
まずは自分のうんこをよく知らないと。
783考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:39:30 O
ところで性的であることはディオニュソス的ではなかろうか?
それは、悲劇的なるものをもたらしはしないだろうか?
甘美であると同時に涙を誘いはしないだろうか? Wie?
ならば年がら年中性的であるような人間が如何にして非ディオニュソス的でありうることだろう?
我々は性的である故に、ディオニュソス的であるといって差し支えないのではないか?
もし我々がディオニュソス的でないならば我々は真に性的ではないのではないか? Wie?
我々はいまだ童貞処女なのではないか? 年がら年中性的であるというのは誤りではないのか。
それは欲望であって衝動ではなく、
力に欠け、未熟故に年中性的であると錯覚しているのではないか…
784考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:40:54 O
しかし相変わらず早とやらのごめんなさいは
ただの文字列以外のなにものでもないな。
785考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:43:47 O
>>782
なるほど、哲学的だ。
汝自身のウンコを知れとは。
しかし一応いっておくが、ねだられても写真なんてアップしないから
786考える名無しさん:2007/06/23(土) 02:47:39 0
とりあえず携帯で長文は自重ですよ
787考える名無しさん:2007/06/23(土) 10:18:52 0
早は、ちょっとニーチェに詳しそうな人が出てくると、
いつもすぐ逃げるんだな。
今回はユングか。
ユングに詳しい人が出てきたら、何に逃げるんだい?
788早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/23(土) 10:38:04 0
ダリは、ガラに見捨てられそうになったとき、見捨てるならうんこ食うよ、みたいな感じで泣き言たらしたらしい。
ダリ大好き♪

美的な芸術だけでなく、晩年の太宰治のような排泄としての芸術も人に恐ろしいほど麻薬的な効果をあたえる。
うんこは、赤ちゃんが生まれて始めて、具体的に、創造する造形物。
しかも、快感が伴う。
>>784下品な書き込みごめんなさい...
>>778ピザではないです
>>783
何となく個人的には、処女神のアルテミスの方が、娼婦の守り神でもある多淫なアフロディテよりも、
野性とか狂気とかディオニュソス的なものを遥かに強くもっているような気がして、惹かれる。
アルテミスとかセレネの神話を心の中に保存しておくと、月眺めるときとか、異教的なものを心に描けて、いい感じ
エンデュミオンの話とか魅力的。
自然の被造物に物語を与えていく、何かを鑑賞するときそれに詩を以って接触する、そういうことは大事なことだと思う
>>787神話に逃げてみます...
異常な暴飲乱舞、女の野性の開放などで滅茶苦茶な儀式であるディオニュソス祭は、ローマに伝わって流行り始めたとき、
信者の行き過ぎた行為を禁止するための法律が出来て、何千人も処刑されたらしい
ローマの神話や伝説は、ギリシャよりも戒律的で、愛、美、野性よりも、軍事的な正義を重視している
789考える名無しさん:2007/06/23(土) 10:46:44 O
ウンコは力なり。 よく銘記してほしい。証明しよう。私は論理に敬意を払っているからだ。
ウンコを抑制することは力を抑制することである。
またウンコを解放することは力を解放することである。
したがってウンコは力なり。
また論理的にいって偉大なる者のウンコは偉大なり。
790考える名無しさん:2007/06/23(土) 10:50:50 0
オタク臭がするね。
古アパートの外壁を覆い尽くす、花の咲かないウコギ科の植物のようだ。
791考える名無しさん:2007/06/23(土) 10:54:55 0
逃げ回る弱者のくせにディオニュソスとか言うなよ。

792早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/23(土) 11:54:11 0
芸術家には、興奮と憂鬱を交互に繰り返すタイプの人がかなり多い。

生きていること自体に対する強烈な嘔吐感や不安感をなくすために、
芸術とか音楽の中でディオニュソス的な激昂や陶酔を味わう、
その興奮を力にして何とか生きていることを肯定したい、
でもなかなか出来ない、そして陶酔感は幻滅する、その繰り返し。
それがある種の人間の運命かもしれない。
その躁鬱的な波から逃れるには、やはり読書や勤勉しかない。

ディオニュソス的な忘我は、結局、詩人とかミュージシャンとかに熱狂している興奮状態や、何かまとまりのあるもの表現しているときの
至福感みたいな感じで、生を肯定するなんてつかの間の肯定でしかないような気がする。そして後で苦痛や憂鬱に襲われる。
でも、こういう麻薬的な歓喜は、単なる慰めではなく、物質的な麻薬のように人を駄目にはしないし、
すくなくとも幻滅しない間は最も生きているという実感がして、
根源に対する何よりも純粋な認識をしているのかもしれない..

>>791ユングに逃げるとか神話に逃げるとかはただ気分だったり書き込みに流されてみたりしているだけだったり、
神話とかについて思い巡らせたり表現しているときが一ばん気が楽になって落ち着けるから、みたいな我侭な理由です
まぁ今僕がやっている行為は、お酒に逃げる依存行為のようなもので、インターネットエクスプローラをダブルクリックするときの気持ちは、
友達誘って居酒屋行くにはちょっと高くつくからJack Daniel'sくらいの安いのにしておこう
みたいな感じでバイトで貯めたなけなしの金を衝動的に引き出す気持ち似ています。
おっしゃるとおりディオニュソスなんか口に出す権利はないです...


ディオニュソス的な興奮を芸術鑑賞や文筆で味わうには、
依存せず苦しみに耐えながら力を貯めておく必要がある。
793ein ◆Kg0sKdDooo :2007/06/23(土) 11:57:57 0
大分早くないかレスするのが
完全に自分のBlogレベルだなこの煎れ様は

いまだにこのスレの長文1レスも読まずに脳内で透明スルーしてるけど
794考える名無しさん:2007/06/23(土) 12:21:17 0
>>792
>でも、こういう麻薬的な歓喜は、単なる慰めではなく、物質的な麻薬のように人を駄目にはしないし、
>すくなくとも幻滅しない間は最も生きているという実感がして、
>根源に対する何よりも純粋な認識をしているのかもしれない..

根源に対する認識だなんてとんでもない。
ニーチェに言わせれば、そういうのが典型的な「弱者の自己保存」の仕方なんだ。

言いわけがましい書き込みは、もうやめなさい。
795考える名無しさん:2007/06/23(土) 12:37:20 0
コテ誤爆失礼
796考える名無しさん:2007/06/23(土) 21:10:18 O
ウンコが力なのはわかるが、何故にウンコが力でなければならなかったのか。
よりによって醜悪なるものが。
おかげでウンコやオシッコを抑圧することになった早熟な中島義道が、
如何に鬱々とした学生時代を送ったことか、知る人ぞ知る話ではないか。
まあ彼の学友はなかなかディオニュソス的であったといえなくもなかろう。
いやいやそんな限定的な話ではなかろう。
若さとはディオニュソス的なるものなのだ。
青春は麗しく力強く美しい。それ故に醜悪なるものへの意志を持つのだ。
ならば真に性的なるものは熟女、ブス志向なのではなかろうか?
美女への、綺麗なお姉さんへの、女子高生などへの意志は、
疲労、老化、不潔、非力、不能、病的なるものの、
衰弱し、弱り果て、腐臭を漂わせた貧しさの、反ディオニュソス的なるものの、
兆候ではなかろうか?

797考える名無しさん:2007/06/23(土) 21:52:45 O
ああそうなんだ。
美女は身を飾らないものである。
ラフな格好をしているものである。
それでこそ美が引き立つのだ。
一体、美しさ、化粧、宝石、フッァションへの意志はどこから生じたのか?
それは醜さ、魅力なさ、殺風景な肉体への否定、あるがままの生の否定からではないのか? どうであろう。
清潔への意志は、汚れた自分から、
富への意志は、貧しい自分から、
名声への意志は、非力な自分から、
娯楽への意志は、退屈な自分から
生じた逃避的意志ではなかったか。
要するに否定的なるものから肯定的なるものへの意志が、
肯定的なるものから否定的なるものへの意志が生ずるのではないか?
もし何者でも己と相反するものを意志するとすれば?
常に自己否定的に自己肯定を企んらんでいるとしたら? 自己を見失おうとしているとしたら? Wie?
798早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/23(土) 22:58:31 0
>>793
申し訳ないです。そろそろたぶん、容量いっぱいになってスレ落ちるかと思います...
それまで醜いものが此処に残ることになります、スルーお願いします...

>>794
根源の認識には何となく、主に二種類あるような気がする。
一つは、感覚からも概念からも完全に独立した無言の直観。
もう一つは、愛とか美とか激情とか宗教体験などによって最も生命過剰が高まった時の至福感。

>>797
>一体、美しさ、化粧、宝石、フッァションへの意志はどこから生じたのか?
>それは醜さ、魅力なさ、殺風景な肉体への否定、あるがままの生の否定からではないのか? どうであろう。
美しさへの意志は、それ自身で完結した純粋な願望だと思います。
心が美しい女性の場合なら美しくありたいという願望には、最初から理由なんてない。

音でも絵でも詩でも美しいものを鑑賞しているときは、言葉も解釈も何もかもいらない。
美を審美的に鑑賞すると言葉は消えてうっとりするし、
美を情動的に味わうと、生命感情が最も高まる。
ニーチェに言わせると、戒律的な道徳や抽象的な真理でだめになってしまわないようにするには、
芸術的な美で生の実感を高めるのが一番いい。
ユングは芸術に美よりも「意味」ばかり求めていたけれど、
ニーチェは、「美」の自律的な価値をとても知り尽くしていた人だと僕は思う。
799考える名無しさん:2007/06/23(土) 23:27:45 0
まだ351KBだよ
800考える名無しさん:2007/06/24(日) 04:42:48 O
衝動とは何か?
あの我々を突き動かす有無をいわせない力は? かの非人称的な力は。
お望みならば神の力といっても、自然の力といってもよいが、これは一体何なのか?
なんとも頭をかきむしらせるような奇怪な困った問題である。
私の手に負える問題ではないようだ。
そこで辞書を紐解いてみたが便意とあった。
やはり力は排便によって解放されるものなのだろう。
とすれば内なるウンコが衝動の因たる根源的なるものだといえるだろう。
創造は衝動されるものである。
つまり創造はウンコから始まっいるのだ。
ここに循環がある。
すなわちウンコは終わりであると同時に始まりなのである。
だとすれば、何故に審美的にのみ世界が是認されるかよく理解できはしないだろうか?
ただ錯視によってのみ是認される他ないということが?
言い換えれば、ただ否定されることによってのみ…
そう、美女はウンコをしないというような伝説によって、神話によってのみ世界は是認されるのだ。
801考える名無しさん:2007/06/24(日) 09:32:29 0
>>798
>ニーチェに言わせると、戒律的な道徳や抽象的な真理でだめになってしまわないようにするには、
>芸術的な美で生の実感を高めるのが一番いい。

君が言うとなんでも安っぽくなってしまうな。
芸術なら良いっていうもんじゃないんだよ。
君が好きな太宰治なんかは、ニーチェに言わせれば完璧なデカダンじゃないか。
尾崎豊となると話にもならないが…

君はたとえば、ニーチェがロマン派を批判した理由はわかるの?


802考える名無しさん:2007/06/24(日) 09:55:34 0
知らないだろうから、君のことを揶揄しているようなニーチェの言葉を少し引用しておこう。

「ロマン主義者とは、おのれに対する大きな不満によって創造的となる
芸術家のことである。彼は、おのれとおのれの環境から眼をそらし、
後ろをかえりみる。」

「芸術は現実に対する不満の結果なのであろうか? ないしは、享受した
幸福に関する感謝の表現なのであろうか? 前者の場合はロマン主義となり、
後者の場合は後光となりディテュランボスとなる(要するに神化の芸術となる)。
神化の芸術家としてのホメロス。ルーベンスもまたそうである。音楽はまだ
そうした芸術家をもったことはない。」

「私はあらゆる個々の場合においてこう問う。『ここで創造的となっているのは、
飢餓なのか、充溢なのか?』と。」
803早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/24(日) 10:32:56 0
病的なスレ荒し行為、しかも言語感覚が混乱気味の状態での言葉の羅列、申し訳ないです。
これで本当に最後にします、見るのも最後にします
申し訳ない、ごめんなさい、の分は後で勤勉でまともな状態に戻ったとき、良心の呵責の中、反省しています

>>776人のレスに答えようとせず幼稚な衝動を抑えられず半分朦朧とした状態で自分の考えばかり書きたくっていました
親切な書き込み、しっかり読んでいます。
レスくれた人には感謝しています。自分のものの考え方、書き方が甚だしく迷惑だということを自覚させてくれました
>まったく性別はまあいいとしても美人でなきゃ許されんぞ!
最後まで我侭にもブログ的に、人のレスから強引に、ニーチェについてはかすらせる程度に、話を転化させてみると、
刃物がしっかり肌の中に刺さっている鮮血流露なリスカ画像か、
殺して首狩ってホルマリンにつけて置物にしたいくらい美しいhyde的な男性の顔画像をくれたら、
性別はともかく美人かどうかを晒してしまいたいくらい嬉しいです...(ハイドの彫刻的な美しさ、ケンちゃんのギターの疾走感、演奏力も雰囲気も最高、ラルクの世界は完璧
ニーチェが言うところの生を高める美の典型は、ランボーやゴッホのような野性のタイプの燃えるような美だけれど、
ボードレールの芸術は、生の感情を高めるというより、耽美的官能的ひどく内向的な世界で、
芸術的な絵・画像、美人の写真、ゴシック建築の写真、幻想的な小説、女神崇拝的な狂恋、バタイユ、自己耽溺自己愛、リストカットなどと相性がいい
病んでいる時は、何故か本能的に血と精神性が結びつく。アルテミス的。
血を流すこと見ることは、理由や動機は人それぞれだけれどとにかく、
精神的な妥協弁や一時的な慰めになったり芸術的感性に繋がったりするなど、いい効用がある。
どれだけ深く切れるか流せるか、というあの気持ちには、単に自傷というだけでなくどこか悲劇に結びつくところがある
ツァラトゥストラは流血を否定しているから、依存のしすぎはよくないけれど。

「身体と大地を侮蔑し、天国やら、救済のために流す血やらを考え出したのは、病人と死にかかっている者であった(世界の背後を説く者)」

ニーチェが讃える大地に繋がった芸術は、
ランボーやゴッホ
もう迷惑な書き込みいい加減やめます。失礼しました。
804早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/24(日) 10:49:17 0
こういうことで反論しあってもどうしようもないと思ってもうスレから消えようと思ったけど、
やはり一応こたえておくと
>>802
ニーチェがどれだけロマン主義を揶揄していたかとかは、自分が攻撃されているかのように深く知悉しています。
だからもう、そういう類のことで反論しあっても、際限がないです
僕は2chみたいな活字ではどうがんばっても人から傷つけられないほど、すでにニーチェに良心をえぐられたし、限界まで病んでしまったんです。
こんなの単なるストレス発散的な書き込みです。相手にしないで下さい
そして、ニーチェがどれだけロマン主義やデカタンを批判していたとしても、
それでも太宰治は最も敬愛する作家の一人です。
805考える名無しさん:2007/06/24(日) 10:57:23 0
情けないやつだなぁ。
まぁ今後は、ニーチェを自分に都合よく(正当化するために)読むのはやめよう。
(もちろんニーチェだけでなく、ユングその他についても同じだが。)
そんなことしても何にもならないから。君のためにも。

806考える名無しさん:2007/06/24(日) 11:33:35 0
こいつの「申し訳ない、ごめんなさい」は
本当に軽薄すぎて不愉快だ。
このスレだけで一体何回書き込んでる?
「もう来ません、最後にします」も
どうせすぐに忘れて長文レスしまくるんだろうし。
結局、悪いとも申し訳ないとも思ってないんだろう。
破廉恥、という言葉しか思い浮かばないよ。
807考える名無しさん:2007/06/24(日) 12:54:53 0
アルコール依存もこういう甘ったれた行為に近いんだろうな。
勉強でたまったストレスか不安感か何か知らんが、わざわざ多数に晒しにくる分、さらにタチ悪い。
謝る相手は人でもなんでもなく酔っ払いの独り言なんだろう。
悪いとわかりつつも甘えてやりつづけているうちに、悪いという自覚が麻痺する。
こういう依存的な愚行と正常な状態を交互に繰り返すタイプの奴は、男女関係結んでも共依存させ相手を堕落させる。
不健康なデカタンの典型。全く迷惑な沙汰だ。愚劣をわざわざ見せにくるなど迷惑もいいとこで往生際が悪い。
808考える名無しさん:2007/06/24(日) 13:39:11 O
酒や毒の中に浸かるのと芸術や哲学をするのを、交互に繰り返す。
要するにデカダンな病人はこんな感じだろうか?余りに退廃的な。
809考える名無しさん:2007/06/24(日) 14:12:20 O
タバコはまだいいがアルコールはよくないだろうな。
あの殺菌効果がよくない。ウンコの創造に寄与する菌を殺してしまうから。
全くウンコこそ人間を浄化せしめるものであって肝心なものなのだよ。
肝心故に馬鹿馬鹿しいほどウンコと繰り返すこと御了承願いたい。
何よりウンコに励むことだ。
さすれば汝は清く正しく美しく、生ける幸福の賛歌となろう!
間違っても我慢してはいけない。禿げないためにも。
生命力の結晶たる神聖なるウンコは胎児のように出産されなければならないものなのである。
810考える名無しさん:2007/06/24(日) 14:29:23 O
東大に入れる学力があるならば、
中島もウンコの大切さぐらいわかりそうなものだがな。
一体全体何故にウンコを犠牲にしたのか。
ウンコをしない人間を待っているのは死ではないか。
死を恐れるならば何故にウンコを恐れたのか?
彼が恐れたのは溢れんばかりのウンコ、生き生きとした生の方ではなかったか?
ディオニュソス的な生の方ではなかったのか?
醜悪なるものに喜びを見出す彼の元気で奇怪な学友の方ではなかったのか!?
811考える名無しさん:2007/06/24(日) 14:49:06 O
ああまさに深刻な悩みであった!
リアルな悩みであった!
リアルな死への行進であった! 拷問だった! 地獄だった!
812早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/24(日) 20:08:51 0
URL上の言葉はまだ病理からぎりぎり逃れているかもしれませんが、
スレ上にあるものの半分以上は、真面目なときに得た知識を滅茶苦茶に悪用して、吐き散らしただけの誇大妄想的な言葉です。
夢か現実かわからない中、記憶がむちゃくちゃに混じってあふれ出たみたいな感じです。
忘れて下さい。キチガイとはこういうもんです。
僕はこういう書き込みなどに依存してる間は単なるキチガイ、下衆です。脳病みたいなものです
昼間はある程度正気だし朦朧状態でも中途半端に思考力や記憶喚起力あるのが、優しい人には僕がまともな人であるみたいな印象与えてしまって、いけないんです
感染しないよう下衆の存在など早く忘れて下さい。キチガイが芸術家の名をあげても、
それは彼らを汚すような誤解を植えつけてしまうような行為です、読んでしまった人もしいたら騙されないでください

これくらいの言語感覚現実感覚の混乱なら一週間前後でいつも回復して完全な正気にもどりますそういうのを繰り返していました、それにこれでも波はかなり落ち着いてきているほうです
もし病んでいる人や変な影響受けた人いたら、
気が違ったり言語感覚狂ったりしても、本をしっかり読んでいれば後で回復する見込みはあると安心して下さい。
相手してくださった方、本当にありがとうございます。2chきていなかったら、
さらにひどい妄想の中ものを考えてしてしまっていたかもしれないです。

血とか言い始めたときはほとんど正気ではないです
神秘主義、血、その他嗜虐的な嗜好などに、不安や恐怖をかかえたまま耽溺してしまうことや、
画像的思考や想像に極端に偏ってしまうのは、こうなってしまう恐れがあるので、危険なことです。

変な影響受けてしまはないよう、早く忘れてください記憶から抹消して下さい、お願いします...
キチガイがごめんなさいていっても何のリアリティもありませんが、とにかくごめんさい...
813考える名無しさん:2007/06/24(日) 20:50:26 0
早のHPにある鉛筆画の女の子は誰?
814考える名無しさん:2007/06/24(日) 21:02:01 0
>>813
それがニーチェとどういう関係があるんだ?
815考える名無しさん:2007/06/24(日) 22:15:08 O
>>812
まあ浣腸でもして元気だしな。
816考える名無しさん:2007/06/25(月) 01:42:09 0
ていうか申し訳ないがどうのとか言ってるのはなんなの
817考える名無しさん:2007/06/25(月) 03:01:43 O
厨二病か
818考える名無しさん:2007/06/25(月) 22:03:35 O
早の健気さが泣ける
819考える名無しさん:2007/06/26(火) 00:25:51 0
早、毎回もう書き込みやめる、と言ってるんだったら
1度くらいやめてみたらどうだい?
820考える名無しさん:2007/06/26(火) 02:33:53 O
誇り高き早を馬鹿にすると本当に来なくなっちゃうよ?
821考える名無しさん:2007/06/26(火) 02:43:56 O
あれは誇り高いというのか?
822考える名無しさん:2007/06/26(火) 03:47:08 O
>>821
そんな突っ込みされても困るね。

ちなみに、敢えて私は美女を見習って不潔に生きることに相成った。
ウンコへの意志を貫き通す覚悟なのである。
とするとどうもいずれホームレスになる定めのようだ。
そうなればここともお別れだ。実に世話になった。
823早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/26(火) 18:04:57 0
>>816
自己満足的、唯我的な書き込みや、エゴ、毒ばかりでスレを汚してしまうことの罪悪感。
罪悪感があって、もう書き込まないようにしようと思っているのに、意志をコントロールできずにきてしまう愚かしさ。
ここに書き込んでいないけれど何度か見た人の殆どは、こんな汚染行為は迷惑だからスルーしているはずです

>>821
誇り高い、よりはあきらかに、中二病の方が近いです。
ニーチェや、その他芸術家の名が、
ここにこういう書き込みがあるせいで穢れてしまわないか何よりも気がかりです
これくらいのまだまだ芸術家からしたら初級程度の毒やエゴくらいなら、
当たり前のように自己処理し、新しいものを作りたい衝動へ転化させるような、
分裂的かつ尊敬すべき人たちが、退廃的な芸術家には多いです。

ニーチェのいう「自分の善悪を持つ」、の悪を持つとは、実際に自分の中に醜悪いものがあることを自覚しつつ、
その悪に自分の意志をコントロールされてしまわないように、自分の力で処理していくような行為だと思います。
そういう悪と戦う分だけ、自分を掘り下げることができ、生活に必要な分の善だけでなく宗教的な善をも知ることになるのだと思います
ユング心理学では悪をもう少し具体化した表現で「影」とよばれますが、実際、影というのは自分の中に見出せば見出すほど、恐ろしいものです。
影が発生させる憎悪、毒、呪詛、欺瞞、虚栄、エゴイズム、そういったものを自分の中に見出しながらもそれらを真面目に考察対象にして解決を図れば、精神的な成長に繋がるけれど、
このスレでしてしまったように吐き出してしまうのは最低な行為であって、いわば「毒蜘蛛タランチュラ」の毒に感染して舞踏病になってくるくる狂っているようなもので、
何の進歩もない中二病みたいなものです。
「わたしは舞踏によるのでなければ、最高の比喩を語ることができない」とツァラトゥストラは言いますが、
毒蜘蛛による舞踏病か、ルーベンスの描く幸福、高揚、歓喜に酔いしれる村人の踊りのような舞踏かで、
比喩の価値も全然ちがいます...
824考える名無しさん:2007/06/26(火) 19:46:16 O
また戻ってくると思ったぜw
もう書き込まないと出来ない宣言をするよりも
自分語りをやめて、ニーチェについて思う存分語ればいいじゃないか
825早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/26(火) 21:23:32 0
正しいのか間違ってるのか、人に通じるのか自分しかわからない意味不明な言語表現でしかないのか、自分では全然分かりませんが。考えてみました。

ニーチェや、(個人的には全然詳しくはないが)ドゥルーズは、哲学の目的とは、経験を概念によって抽象的に一般化することではなく、
生に価値を与えるような概念を生成することである、というような主張をしている。経験を概念で抽象的に一般化していく方向を目指すのは、
主に科学のやることであって、科学が行う体験の体系的な理論化によって、生の体験的世界は秩序的に説明される。
逆にニーチェら求める哲学は、一般的な抽象的な概念によってまだ規定されていない混沌とした流動的な世界のあり方を直視し、そうすることで、いままで誰も見出さなかったような、新しい解釈を生に対して与えることである
その無秩序の世界を実際に体験することで、その体験から、一般的に認められていてみながそれに従っているところの抽象概念よりもさらに生に能動的な価値を与えられるであろう概念を
創造することが、彼らのいう概念の創造である。抽象的な概念の総体を基盤にした生のあり方は、安全で道徳的であるかもしれないが、
ニーチェに言わせればそのことが生を反応的受動的にしてしまい、だからこそ新しい概念の創造が重要視される。1/2
826早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/26(火) 21:24:55 0
しかし、言語というのは、一般化された抽象的な概念に従ってできているものであるのだから、
一般的でなく新しい、生に価値を与えるような概念を言語化する際、少なくとも端的に既成の言語で表現することは出来ない。だから、
その未知の概念を外部へ伝えるのはかなり困難、とくに言語面で困難。

哲学が概念の創造である、というニーチェやドゥルーズの考えを理解するには、単に哲学は概念を創造することだと早合点するのではなく、
かなり混沌とした過程を経て始めてなされることであり、しかもそれを言語的に説明するのはかなり困難だということを、知っておかなければならない。
しかも、その未知の概念が言語で表現されたものをこちら側が理解するのも、難しい。
なぜなら、その概念の創造者でない人は、もともと抽象的に一般化された概念群に基いて思考しているのであるから、
それら抽象概念によって把握された世界観から一度脱却して混沌とした世界に接して始めて生まれたような新しい概念を、
体験的に認識するには、一度自分が立脚している前提を掘り崩さなければならないからである。
そのことをしっかり認識して始めて、彼らの、「哲学は概念の創造だ」という能動的な主張が本質的に理解されうる。2/2

827考える名無しさん:2007/06/26(火) 23:15:35 0
早君へ
君が来てからこのスレはおかしくなった。
ニーチェのことについての書き込みを見たいのだけどね。
私は君には興味はないよ。
君のは時々に浮かんだ思いや観念の垂れ流しではないか。
まあ若い人だからまあいいが。
2ちゃんだからいいけどね。
君自身のノートにのみ君のあふれ出る想念の全てを書き込んでくれ。
そして自己反省と熟考することの大切さを。
えらそうなことを言ってごめんよ。
まあ君かどうしようと君の自由だが。

そして結局
このスレも永劫回帰する。
828考える名無しさん:2007/06/26(火) 23:39:51 O
なんで早は一人で駆け引きしてんの?
このスレと疑似恋愛してんの?
早の心理がわかりません。
829考える名無しさん:2007/06/26(火) 23:56:36 O
ドイツ哲学だけでも生涯暇つぶしができる気がしてきたね。
たとえ日本語を読むようにドイツ語読めるようになったとしてもだ、
だからといって一体どれだけ学べるというのか。
てか哲学書一冊に絞ったにしても、もし極めようとするならば、
つまり自らの言葉で同内容の哲学書を書けるようになろうとするならば、
一体、いかに時間をかけようと出来るものではないのではないだろうか。
悲しいかなどうも、どんどんアホになってきてる気がしてならない。
830考える名無しさん:2007/06/27(水) 00:26:21 O
誇り高く生きたかったものだが、
なんてことだろう、埃っぽくなるばかりだ。
埃っぽくても間抜けでも充溢する内なる力があればいい。
それが何よりも価値があると思われるからだ。
その力がなければ、全ては無価値なのである。何の意味もなさないのだ。
馬に念仏、豚に真珠のごとく、
無力な者には全てが無価値なのである。
内なる力こそが価値なのだ。
その力の度合いが、付与される価値の度合いなのである。
831考える名無しさん:2007/06/27(水) 00:30:02 0
誰か一千億円払ってくれ
832早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/27(水) 08:51:42 0
>>828
はっきりした動機も理由も別にないです。
とにかく、極度の精神不安定で、過去の自分の記憶が滅茶苦茶に溢れたりして、自分を抑えられていないです。
たまに、狂信的で自分のものとは思えないような気持ちで、
芸術、ロック、宗教、などの価値、必要性、重要性を誰にでもいいからとにかく訴えたくなったりする、
予言衝動(http://46.xmbs.jp/ch.php?ID=waderfulalice&c_num=79903)のようなものが来て、朦朧とした状態で書き連ねてしまっています。
833考える名無しさん:2007/06/27(水) 10:28:50 0
わーすごいw
三ヶ月ぶりにこのスレッド見てみたら早くんの書き込みばっかりだねー、
それだけ早くんの力への意志が強力だってことだね、
知性化だの合理化だの、防衛機制で自論の正当化。
そして現在という瞬間にいたる自分への賞賛。この自己肯定。
“自分自身を軽蔑するものとて、軽蔑者としての自己を尊敬する”
うーん、健康的w

尾崎豊といえば路上のルールっていう歌はいいよねー、好きー
834考える名無しさん:2007/06/27(水) 14:03:38 0

ww

835考える名無しさん:2007/06/27(水) 15:14:05 0

www
836考える名無しさん:2007/06/27(水) 15:20:33 O
人間は万物の尺度である。
837早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/27(水) 15:53:18 0
>>833路上のルール好きです。
他人のことを省みないような粘着行為、エゴの垂れ流しや正当化は、不健康、不安定の証。中二病的。
三ヶ月前の言葉に比べたら、日本語に大分近づいているけれど...

ニーチェの言葉は、不健康、不安感の状態で読めば、大きな情熱のエネルギー元になる一方で、悪い方へも作用する可能性もある、
かなり危険な言葉。詩的な言葉遣いは、日常的な現実から離れている人や、無意識の深層を覗き込んでいる人に対して、強い影響を与える
多くの病んだ人に、両極端な影響、しかもどちらをも同時にを与えうる。それはニーチェが、肯定を語りつつも、常に否定的な面を直視し続けたから。
ニーチェのアフォリズムやツァラトゥストラは、肯定と否定を繋ぐ「架け橋」
ニーチェは詩人であり詩人という人種を最も知り尽くしていた人であるから、言葉そのものに対する洞察も計り知れない。
ニーチェの言語観に深入りしてしまうと、言葉が、言葉によって意味や価値が、全て剥ぎ取られた虚無の世界の、生々しい姿を知ってしまう危険性がある。

言葉よりもクラシック音楽が、やっぱり一番、心の平安や健康をくれる。
でも、詩人の言葉やニーチェの言葉には、
世界を変える力、動かす力、未知の価値を創造する力があるはず。

詩人の言葉、
比喩や「象徴」が復活して欲しい
神話や童話が、
いつか、いつでもいいから、この世界を、彩ってほしい。

 !!
838考える名無しさん:2007/06/27(水) 16:54:02 O
世界を変えるなどとは、無駄な、あまりに無駄な。余計なお世話である。
変えるべきだとしたら己自身である。
そうすれば、少なくとも世界の見え方や、世界の価値も変わる。
839考える名無しさん:2007/06/27(水) 16:59:46 O
なぜ自分語りをしないと気がすまないの?
ここのほとんどの住人は、あなたの病気のことや、尾崎のことなど興味ないのに
840考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:01:07 O
しかし世界が変わるというのは自分が変わるということである。
自分の変化を伴わない世界の変化などは各自にとって意味がないからだ。
841考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:12:01 O
>>839

それはだな、自分が各自の世界の必要性だからである。
客観的な世界といったって自分と関係している世界しか認識しえない。
各自にとって世界は主観的でしかあり得ない。
そして、人は自分を失えばその世界も失うのだ。
どんな認識であろうと、それは自己を物語らざるをえないのである。

842考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:13:56 0
まあ我々はそれぞれ好き勝手な世界を構築し、解体し、再構築しながら
生きているとも言える。ならば世界を変えたいなら好きに変えればいい、
そしてその世界の片鱗を共有できる友人を作り、語り合えばいいのだ。
843考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:19:21 O
チラシの裏にでも書いていればいいのに。
844考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:23:19 O
>>842

いやむしろ歩道で語り歩いた方がいい。
今はなき吟遊詩人のように。
あるいは熱心な政治家のように。あるいはミュージシャンのように。
むしろ否定されにいかなければならないのだ。
敵に向かっていかなければならないのだ。
それでこそ肯定を勝ちとる可能性がでてくるのである。
友の肯定は無関心に過ぎないのではないか?
845考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:31:23 O
己への無関心こそが慰安になる、それが退廃的人間であろう。
846考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:44:23 0
内向的な悩みを抱えているような時は、自分しか見えなくなるものだ。
そして外の世界をほぼ完全に忘れ、自分のみが認識する対象になる。
その内向的な世界において、意識を掘り下げ、自分の善悪、独自の認識を手に入れる。
そして外の世界へ戻ってみると、世界に新しい物語、解釈を与える力を得ている。
その葛藤に耐えられず処理しきれないとき、
内向しすぎて自分以外は見えなくなってしまったとき、
誰とも共有できない特殊な認識を持ってしまったとき、
捌け口を求めて自分を語ろうとする衝動が起こるのだろう。
847考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:53:21 0
どうしたんだ、大丈夫かみんな
848考える名無しさん:2007/06/27(水) 17:56:41 0
>>847
みんなっつうか、早の他にもう一人変なのがいるな
かなり前から…
849考える名無しさん:2007/06/27(水) 18:00:26 0
悩み多きニーチェスレ。
謎が多いぞニーチェスレ。
変なの多いぞニーチェスレ。
850考える名無しさん:2007/06/27(水) 18:02:47 0
ニーチェについて議論したり語りたいひとが完全に
締め出されてるな
別スレ立てようかな
といっても、もう900近いレス数だけどw
851考える名無しさん:2007/06/27(水) 20:41:00 0
正直そんな人間見たこともないんだけど
だから今逆にいるという気がする
852考える名無しさん:2007/06/27(水) 21:11:26 0
>>851
前スレ以前を読めば?
お前みたいな奴が早を増長させるんだ。
853考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:05:10 O
力は非人称的なものだ。
人は宿にすぎない。
それゆえにウンコ嫌いの潔癖症の人は衰弱せざるをえないのである。
不潔であることが世界を豊かにする。
大いに関係することが。
感性的には衰弱退廃によってむしろ非人称的な力を「感じる」のが罠なのである。
それを人称的な力と取り違えてしまうわけだ。
見事にはまったのである。
自意識、自分物語は一種の不潔である。
854考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:12:59 O
うんこスレでも立てて早と住めばいいんじゃない?
855考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:24:33 O
力は意識的に意志すべきものではない。
人称的な力への意志は衰退を招く。
力を持つことは力を感じないことだからである。
それは春のごとき軽快で可愛いらしい静寂である。
悲観主義とも楽観主義とも無縁だろう。
ただ呑気なのだ。
856考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:42:43 O
力は苦として認識され、獲得される。
857考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:46:13 O
力は苦として認識され、獲得される。
それはまた快楽として認識され、消費される。
858考える名無しさん:2007/06/28(木) 07:18:05 0
正直前スレ前々スレと現スレがあんまりたいして変わらない
変わってるのはコテがひとり目立つのがいるってだけ
859考える名無しさん:2007/06/28(木) 13:26:47 0
ニーチェは宗教だよ。小乗のw
860考える名無しさん:2007/06/29(金) 02:25:44 O
俺も宗教だと思うな。詩的で哲学的だけど。
まあ結局、良質なドイツ語学習書なんだよ。
一冊クリアするだけでも結構ドイツ語読解力つくね。間違いない。
861考える名無しさん:2007/06/29(金) 03:36:58 O
だんだん邦訳が邪魔になってくる。
これが上達の兆候だろう。
プロ哲学者になるためには、5か国語は必要だろう。
日本語含め6か国語はすらすらと読めねばならない。
大変なことだ。
世の中には実に優秀な人がいるものだ。
語彙に限ってみても1か国語につき、3万語は必要なんだから。
プロ哲学者に要求される言語は似通ってるからだんだん学習も容易になるとはいえ。
862考える名無しさん:2007/06/29(金) 04:20:53 O
弱者主義なんだよな。 日本って。
強者を弱化しめるものを大いに生産しているし、
その生産過程においては生産性に関わらず賃金は平等であったりし、
したがってむしろ生産性の低い人間がよく稼いだりすると。
頑張って働くほど損をするために力が抑制されるシステムになっている。
この羊のための社会において山羊が登場するとなれば、
それこそ偉大な山羊に違いないのだ。
実に危険である。
863考える名無しさん:2007/06/29(金) 04:36:36 O
しかし美女ではなくルックスが割といい女というのは、
男に非好意的にあしらわれる経験に乏しいため、
ともすると拒絶反応を示しやすいものである。
864早 ◆yxoSe0qFeA :2007/06/29(金) 21:58:02 0
このスレの長文は、
社会のゴミ屑のストレス発散や毒吐き、
現実から逃げるために詩や音楽やニーチェを愛好するような病人の一症状、
人を騙しながら自己正当化するような幼稚な愚行、などです。

このスレにいたコテハンの病的な吐き出し行為のせいで、芸術に関して、間違っても誤解したりはしないで下さい。
もちろん芸術も芸術家も素晴らしい存在です。

>>853もしも変な影響受けてしまった人いたら、こんな醜いエゴイズムなど侮蔑して下さいお願いします。

さいごまで自己告白めいた文章申し訳ないです。
ニーチェの最も嘔吐するような弱者の、典型的な一例でした。
865屁コキサンダー:2007/06/29(金) 22:53:53 0
>>864
>もしも変な影響受けてしまった人いたら、

何度も↑こんなこと書いてるけど安心しな、誰にも影響なんかないから。
君の自己憐憫と必死の正当化には苦笑がでるばかり。
病気だというのも自我肥大、つまりはワガママ病に過ぎないだろう。
「オレは狂人だ!」と言い立てるのが君の虚勢なわけか。ファッションだね。
本当に狂って(た)んなら、恥じて言わないだろうよ。
むしろそれを「克服した」とでも威張ってりゃまだマシなんだが。

このスレの上の方でポーの名前も挙げてたと思うが、
『詩の構成/詩の原理』ぐらい読んどけよ。
ポーがどれだけ緻密に計算して美を作り成していたかわかるから。
866考える名無しさん:2007/06/30(土) 02:06:17 O
中途半端に可愛いようなルックスの女というのは厄介で面倒である。
無条件に好意を受けて当然、無関心な、素っ気ない態度をとられることは許されまじきことだという態度をとるからである。
一体何様のつもりなのかと。
無理な話、美女になってからお姫様気分になってもらいたいものである。
彼らには好意を受ける権利など断じてありはしないのだ。
どうも老けなきゃわからんらしいがね。
ブスにとっての日常が我慢ならないとはなんと贅沢なやつらなのか。
ニーチェに小一時間説教されるがよい。
867考える名無しさん:2007/06/30(土) 02:23:56 O
あたかも敵意の方がましだといわんばかりに、
敵意を惹起しようとする行為、態度は改めるがよい。
まるでブスであることを受け入れることができていない、
あるいはおばちゃんになったことを受け入れられてない女のごとき不正行為は止めるんだ。
女の虚栄心はまったく厄介である。
まあ当人にとってこそ最も厄介なはずである。
868考える名無しさん:2007/06/30(土) 02:59:46 O
早はそんな彼らの一人なんだろ。
869考える名無しさん:2007/06/30(土) 10:46:05 0
>早

あんたの書き込みは全てが自己正当化のポーズ
にしか見えないから、見ていて気色悪い。

オリジナリティも皆無。
太宰治の「生まれてすみません」のコピーだね。

「影響を受けないでください」なんて、自分を
過大評価しているところが、ますます気持ち悪い。

それでよく生きていられるものだね…
それじゃあ人間関係なりたたないだろ。
870考える名無しさん:2007/06/30(土) 11:36:13 0
>>869
だからここでストレス解消してるんだと思うが。
少なくともここならニーチェ絡みのことを書いておけば
誰かが反応してくれると学習したんだろう。
871考える名無しさん:2007/06/30(土) 18:56:26 0
>>869
>>870
でもねー少なくとも早くんの書き込みの方がそーゆー書き込みよりも魅力的なんだよねー、
いや、あくまで自分の好みなんすけどねー、遠近法遠近法w

六百六十六さんとか、あと2人くらいすごくニーチェに詳しくて魅力的な人がいたけどさ、
もう見てないのかなー?
872考える名無しさん:2007/06/30(土) 20:42:04 0
>>871
お前みたいな奴が増長させるんだよ。
自重しろ。
873考える名無しさん:2007/06/30(土) 21:19:23 O
おまいらって個性がないよね。
874考える名無しさん:2007/06/30(土) 23:34:56 0
それが楽しいんじゃあないかww
875考える名無しさん:2007/07/01(日) 01:18:46 0
>>872
いちいち相手にするな。
お前こそ次長課長。
876考える名無しさん:2007/07/01(日) 01:28:51 O
>>874
確かに。
個性があるということは非常に稀なことだし、
正常ではない故に病的なのだから余計な苦労がつきまとうだろう。
恐らく個性的であることが哲学者達とその哲学に見られる一つの共通点である。
したがって哲学は学問ではない。
哲学自体、学の対象なのである。
そして哲学学はその対象が個性的であるゆえに学問にならないのだ、
それが本当に個性的であるならば。
877考える名無しさん:2007/07/01(日) 01:42:28 O
まあ哲学自体が謎であることは確かだろう。
謎を学ぶべき大学の哲学科もまた謎ではなかろうか?
878考える名無しさん:2007/07/01(日) 01:47:08 0
人間はまっこと遊ぶ動物ですねwww
879考える名無しさん:2007/07/01(日) 01:47:43 O
いや、どうであろう、哲学者たちは謎をこそ愛していたのであって、
知こそが哲学が反旗を翻した対象ではなかったのか?
880考える名無しさん:2007/07/01(日) 02:07:16 O
>>878
でも余裕の証だから、なきゃダメかもわからんね。
哲学科の数は豊かさの一つのバロメーターになるかもわからんね。
881考える名無しさん:2007/07/01(日) 02:18:21 O
しかし学問と哲学は、恐らく、その間の葛藤、相克によってこそ、
あたかもオスとメスが周期的にのみ和解することで種を存続させるように、
その二元性によってこそ持続発展しうるのだというのがニーチェ的である。
882考える名無しさん:2007/07/01(日) 10:17:52 0
>>876
確かにニーチェのような試論は、一般化されにくいという
意味では<学問>にはなりにくいのかもしれない。
だが、個性とは何を指して言っているのか?
身振りや仮称的言辞を弄することだろうか?
それは既に在るのではなく、やがて獲得されるものではないだろうか?
自らを語る者は、自己を飾り立てずにいられるだろうか?
「人間とは克服されるべき或るもの」ではないのか?
883六百六十六:2007/07/01(日) 11:09:26 0

人間と他の生物を比較して最も違いがあると思えるのは、「目的意識を継続し続ける」ことが
出来ることではないだろうか。
たゆたうように現状適応に生きる他の動物よりも、何かを「成そう」と克己し続ける人の様は
常に感動を覚えるものだ。
しかしながらこの『世界』は常に私個人の範疇を超えた不条理で包囲されており、我々はそれを
自覚するや否やすぐにおのれの「異邦人」的立場に打ちのめされる。
流動的でファジーな物質世界に生まれ、「"存在”とは何であるのか」という答えにさえ到達せず、
まるで見知らぬパーティー会場にでも迷い来たかのような世界で、死という暴力的な終焉を迎える。
古代の化石たちを眺めやるように未来を思い浮かべれば、自分が社会で成し遂げられた成果など
何一つとして残りはしないのだ。そして死によって締め出された扉の向こうでは、何事もなかった
かのように、様々な記号と配役を模した仮面舞踏会が延々と繰り広げられる。
何一つとして成し遂げられるものなどありはしない。すべては徒労である…
ニヒリスティックに笑みを浮かべて嘯くような輩が真実から由来する恐怖を克服出来ていると
思うのは間違いである。むしろ逃避なのだ。現実を直視しないからこそ燻り続けるか、全てを
放擲して無目的になるか、アナーキーな行動で持て余した時間をすり潰しているか、そのどれかなのだ。
884六百六十六:2007/07/01(日) 11:09:55 0

人の人生には実に『壁』が多い。困難さや不幸を認識する能力が他より高いからこそ余計に
そうである。生きるということは決して楽なものではない。そのことを自覚すればするほど
壁はますます高くそびえ立つ。炎天下の太陽の高さへと続くビルの壁面を見上げるかのように…
我々は人生の困難さに対して辟易する。巡りめぐる不幸に対しても、そして再び困難さが
押し寄せてくる延々たる未来に対しても…
順風漫歩な他人の成功を横目で羨んでも現実の自分の境遇が改善されるわけではない。
目線を戻せば、足元に鎖でつながれた『現実の生活』という鉄球が寄り添っているだけである。

人生とは徒労である。出来れば笑って暮らしていたいが笑える要素が何も無い。死ぬまでの
猶予期間をどう過ごすか、しかし無意味に感じることに努力を払える人間がいるだろうか?…

ニーチェは「健康」であることに注視した。精神の健康である。もしも健康なる意志というものが
あるとしたならば、それは「あえて試練に挑戦し、それと立ち向かう」神話の英雄的な精神だろう。
自分を鍛え上げ、困難を克服することで自分を讃えようとする意志の前では、不幸や困難も
"試練”という一つのアトラクションに過ぎない。しょげかえる暇があったら、次の一手を全力で
考えるべきなのだ。
人生は徒労である。死という理不尽な幕引きまでの… しかしこの精神は徒労と感ずる自分の
感傷すら敵とみなして格闘するだろう。どんな些細な契機すら見逃さず利用して…
我々がニーチェの著書を手にして奮起させられるのは、この精神世界の片鱗に触れることが出来る
からなのではなかろうか。読み取れない人間は蚊帳の外でいつまでも笑っていればいい、永い
暇潰しの一環として。しかし何かを汲み取ろうと努める人間には胸を打つ"精神”がそこにある。
そういう意味では読み手を選ぶ書物である。
885考える名無しさん:2007/07/01(日) 19:15:57 0
ニーチェは何を言うだろう何を言っているのだろう
886考える名無しさん:2007/07/01(日) 23:21:06 0
>>885
ニーチェが何者であるか、何を言うかは重要ではないと思う。
私たちにとって残された作物が重要なのであり、
ニーチェという人格はその背景・機縁に過ぎないと捉えるべきだろう。
だからこそ彼はツァラトゥストラを以て語らせる必要があったのだ。
つまり「ニーチェが語りかけている」のを聴くのではなく、
著された「言葉をして語らしめている」ものを読みとるのである。

お、六百六十六さん、満を持して再臨ですな。
っていうか、以前は「六百六拾六」さんじゃなかったでしたっけ?
887六百六拾六:2007/07/01(日) 23:33:22 0
>>886
そうでしたっけね。本人が書き間違えちゃいかんわな。ま、真偽は内容で判断してください。
早は前スレで辞めるって言ってたんで落ちるのを待ったんだけど、相変わらず君臨し続けてますなw
でも周りがそれを持て囃すのは、ニーチェがどうでもいい人間ばっかなのかな?
888考える名無しさん:2007/07/01(日) 23:57:46 O
>>882
個性は唯一無二で貴重な性かな。
889考える名無しさん:2007/07/02(月) 00:55:05 O
てか目的意識を勝手に持っておいて、そして成し遂げられないからといって、
人生は徒労だというのも自分勝手な話ですな。
890考える名無しさん:2007/07/02(月) 01:06:55 O
一体、例えば登山家がエベレスト登頂に失敗したからといって、
その山登りを、あるいはその訓練を徒労だったと思うだろうか?
否、三度否!
徒労だと思うようならば彼は目的意識なぞもってやしなかったのである。
それは欲望に過ぎなかったのである。
891六百六拾六:2007/07/02(月) 01:27:56 0
>>889
目的意識を持ちうる土俵が一切何処にも無いことを自覚した上でなおかつもがくからこそ
敬意に値するんだろ?
浅慮。
892六百六拾六:2007/07/02(月) 02:02:23 0
実際、言葉尻だけを捉えて書きなぐる君たちが、本気で"自分の死”を想起したことがあるのか?
ニーチェは永劫回帰において「生まれ変わり」の信仰で安らいでいるわけではないぞ。
あれはほとんど確率論的な仮説であって、生まれ変わりの救いを求めているわけではない。
現実のリアルさを追求するうえでの仮説なのだ。現実世界から逸脱しないための仮説なのだ。
自分を繋ぎ止める、大地に打ち付ける世界最大級のクサビ、それが永劫回帰の思想なのだ。
893考える名無しさん:2007/07/02(月) 02:18:56 O
>>891
まるで目的意識というものがわかってないように思う。
あなたのいう目的意識は身勝手で無根拠なものだ。
それ故に徒労なのだ。偽物なのだ。
本来、目的意識はそんな自覚はしない。
そう、彼らは目的意識を持つのではなく、目的意識そのものなのである。
目的は生得的ではないだろうが、
その意識は目的意識として何故にかあるのである。
土俵は彼らにとっては自明である。
彼ら自身がそれだ。
彼らが彼らである限り、彼らはただ目的に向かうのである。
その意味と価値は彼らにとっては自明である。
彼ら自身がそれである。
その存在が不可避的に彼ら自身に、彼らの行為に、価値と意味を与えているのである。
端からみて徒労だ無意味だ無価値だというのは勝手だが、
本人は勝手にひたすら目的に向かうだけである。
そうするよりないからである。彼ら自身である限りは。
894六百六拾六:2007/07/02(月) 02:28:13 0
すごいメンド臭いんだけど、俺は「目的意識」という語の定義付けを論じたいわけじゃないんだよ。
なぜ徒労だと言うのかは>>883で書いた。この帰結で徒労だと言っているんだ。
ちなみに目的意識は>>884の「精神の健康」のくだりの事だ。なぜならこれは継続されるから。
895考える名無しさん:2007/07/02(月) 02:35:02 0
ツァラトゥストラ、おしまいの人たち
現代の「反時代的考察」

896考える名無しさん:2007/07/02(月) 02:49:42 O
あなたのは目的意識への欲望だ。
つまり目的意識を欠いている。
そして欲望は不可能性である。
他方、目的意識、持続的衝動は人間には作り得ない神々しいものである。
それは天与の人生の意味であり、価値なのである。
897考える名無しさん:2007/07/02(月) 03:01:27 O
めんどいなら反応しなきゃいい。
まあ何故にか徒労であろうとも、強者には無縁でどうでもいい話だろうね。
彼らは彼らであり、彼らを発揮できればよいだから。
898考える名無しさん:2007/07/02(月) 03:58:32 O
力が可能性だとしたら?
欲望とは無力だろうか?
強者が目的意識であるとしたら?
力は方向性を持つということだろうか?
意志を持つということだろうか?
衝動が非人称的な力であるとしたら?
衝動的行為は非人称的な力によってなされる運動だろうか?
いわゆる盲目的意志だろうか?
衝動が自滅的であることはよくあることである。いわんや持続的衝動は。
それが与えられた意志、力、生なのである。
肯定するも否定するもない、希望も絶望もない、たんなる必然性である。
自由が無力であるとしたら?。
自由主義は?
退廃主義ではなかろうか?
899考える名無しさん:2007/07/02(月) 04:20:36 0
おつかれさまですw
目的意識を得ようという目的意識も徒労であり得るよねー、
まあ結局はより強い意志が勝利した、あるいは生き残った結果が現実として
表出するだけで、それが正しいことだという根拠はないと思うずら。
生き残るもの(強力な意志)を“正しい”とした場合には、目的に価値という
根拠があるといえるんだろうけど、こーゆー無根拠で感情的(遠近法的)な合
理化による正当化を心理学における力への意志っていえるかな?

永劫回帰は“無根拠”の比喩でもあり得るのかなーとかたまに思うよ。
900考える名無しさん:2007/07/02(月) 04:21:36 O
欲望が無力、不能、徒労というのは痛いな。
こりゃ鬱だ。
901考える名無しさん:2007/07/02(月) 04:26:50 O
>>899
てか早くも早だろ?
話がどのレスにもあまり関連性がないようだ。
てか鬱だ。もう寝る
902考える名無しさん:2007/07/02(月) 11:01:34 0
ニーチェのこと聞きたいんだが、なかなか難しいようですね、うん確かに
ニーチェに関するスレじゃないのかな。
ところでニーチェのツッワはかくかたるかたるはいい本ですよね、ニーチェ
は自分の書いた本をまた読み直して違う文脈とゆうかまた新しい本作ってる
らしいけど、そうゆう行為ってすごいと思う、まさに哲学的。ゴッドオブ哲学
ですよね。
903屁コキサンダー:2007/07/02(月) 16:47:59 0
参加者が増えてきたようなのでコテつけます。

>>887
あ、元通りにされましたね。固より疑っちゃいませんけど。
傍観者だった私も、前スレ辺りから折を見ちゃ早くんを諌めようとしてたんですが、なかなか……(苦笑)。しかも、本スレ1で「ゴッホ云々」って私のことで。勝手に取り込まれて、尚のこと辟易しとりました。

ご議論盛んですが、>>883>>884はすごく解りやすいと思うがなあ。
思うに、>>893氏は「そんなこと自覚(意識?)してるようじゃ、まだまだだ!」と言いたいのだろうか。<自明性>に拘っているように見える。
敢えて善意に解釈して言わせてもらうと、
しかしながらそれは「未来の人間=超人」のことではないだろうか?
果たして現代に生きる我々にとって、本当に自明たり得るだろうか?
>>893氏は、自らを超人と位置づけているのですか。<自己超克>ということに関して、どのような考えをお持ちですか。
904屁コキサンダー:2007/07/02(月) 16:51:18 0
>>901
>てか早くも早だろ?←うまい!www

つーか、あれかな。論旨から推察すると、>>893とかも早だったりして。だったら、前レスに返事くれなくていいです。
905屁コキサンダー:2007/07/02(月) 17:10:47 0
変なエサ与えちゃったかな? というわけで、閑話休題。

>>894
>なぜならこれは継続されるから。
前述の全体の論旨は非常にわかりやすかったのですが、
この点だけもう少し詳述願えませんでしょうか?
前段において、人間が、
>>883>「目的意識を継続し続ける」ことが出来る
ものであることは理解できますが、これが如何に「継続される」のでしょう。
もしくは私が文脈を捕え損なっているだけなのでしょうか。
六百六拾六さん、よろしければご回答願います。
906考える名無しさん:2007/07/02(月) 17:20:41 O
早くも返答すると、自己超克についてはとくに何も考えてはいない。
そんなものには意味がないと思う。
また私は私について書いたつもりはない。
脱線して私について書けば、私は女への欲望こそあれ、衝動はないといっておこう。
一種の性的不能だといわねばならない。

話を戻すと、ただ人生は徒労だというような人物があまりにも弱々しい退廃的な人間に思えたものだから、
ニーチェのように突っかかってみただけなのだ。
まあ性的不能であるからには、私こそ退廃的なおしまいの人間なわけだが。
907六百六拾六:2007/07/02(月) 21:53:10 0
>>905
別に大した意味はないのですよ。ただ前に「不断の努力によって」という注がなされるかどうかという違いです。
普段通りに生きている人間にとっては日常生活的価値を持った普遍的な感覚こそが全ての意味を決定しますが、
夜(死)の世界の深淵を垣間見た人間にとっては現実の"昼の世界”は一面的で皮相的なものでしかありません。
光があれば影もある、片面だけを見て全体を批評するのは愚かでしょう。しかし普通の人はそこまで深く掘り下げようとはしません。
恐怖をわざわざ進んで身に受けようとする人間がいったいどれだけいるというのでしょう?
しかしながら夜の世界の片鱗を垣間見た人間にとっては、現実の世界とは常にいつも虚偽の香りがするのです。
ハリボテの世界に生まれていることを知ったなら、あなたならどうするでしょうか? しかもそこが閉ざされた空間であり、
決して別の場所に逃げ込める術も無い世界だったとしたら・・・
ところが本当の現実はそうなのです。偽装された昼の世界を爪でガリリと掻き破れば、その壁絵の向こうには、ただ
ただ忌むべき深き闇が広がっているだけなのです。それはもしかしたらあなたが事故に遭遇した死の瞬間に気づくことかも
知れません。
空海という日本の僧侶は、「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、 死に死に死に死んで死の終りに冥し」と書き綴りました。
我々は何処から来るのかを知らず、何処に行くのかを知らずに死んでいく身です。初めから終わりまで、何も知らずに
濁流に飲まれて消えていくのが我々の本質的な自我の立場なのです。
ニーチェと他の雑多なポジティヴシンキングな教導者との違いは、間違いなくここにあります。
彼は「恐れ」を知ってこそなお、戦えと言うのです。無意味さを知りつつ、充溢の幸福を説くのです。徒労が何であるのかを
知りつつ、哄笑することの価値を教えるのです。
それがどれほど偉大であるのかを私は他に知りません。こんな説を読んだことなど今までなかったのですから・・・

908屁コキサンダー:2007/07/02(月) 23:28:23 0
>>907
ご丁寧な回答ありがとうございます。

>ただ前に「不断の努力によって」という注がなされるかどうかという違いです。

なるほど。それが、「力への意志」ということでしょうか。
「夜」についても、或る認識は持っているつもりです。
尚、しかしながら! 現実(昼)の世界が虚偽であり、偽装であるとするなら、かくのごとき認識(或いは意志)を「知らない」衆生とは如何なる存在たり得ましょうか。
『ツァラトゥストラ』には、様々な「おしまいの人たち」が描かれています。
著作から120年余後のこの現代日本においても、それらは実に首肯させられます。
しかし、なべての人がそうなのでもなく、また1人の人間の内にも多くの明暗があるのではないでしょうか。
私は博愛主義を述べているつもりはありません。ただ、否み難い私の中の「もののあはれ」がそう言わしめるのです。
死にゆくものは死ねばいい。しかしそれに愛惜の念を抱く情は、知や意(志)と矛盾しない、と考えるのです。
この点、ニーチェの思想に違和感を覚えるのです。洋の東西の違いでしょうか。

どうも哲学は素人なもんで、浅薄でスイマセン。どっちかてえと文「芸」の道のほうなんで。
ところで六百六拾六さんは「夜」なんて言うところを見ると、ブランショとかバタイユ方面もお詳しいんでしょうか?
909考える名無しさん:2007/07/03(火) 01:03:55 O
ニーチェは読む人間によって随分解釈が変わるもんだな。
自己正当化のための解釈が幅を利かしがちらしいが、
むしろ自己蔑視に利用すべきである。
蔑視することは、自己の肯定なのである。
事実として肯定し認めるのである。
そうすることによって、そも蔑視が可能になるのである。
910考える名無しさん:2007/07/03(火) 01:13:21 0
>>909

意味が解からない。(^-^;)
911考える名無しさん:2007/07/03(火) 03:49:30 0
なんかこういうスレも面白いな
やっぱ個性って面白いじゃん
表面的な、個性なんだろうけど意地悪い人からつっこみうければ
912考える名無しさん:2007/07/03(火) 15:02:14 0
>>911
表面的な、←この読点のつけ方が早くんっぽいよねーw
913考える名無しさん:2007/07/03(火) 17:07:25 O
>>912
その口調はおばちゃんぽいな。
914六百六拾六:2007/07/03(火) 23:29:41 0
>>908
力への意志というのはもっと原初的な「現象」に与えた名称程度の意味だと思っています。
ある特定の行動を抽出して「それはこうだ!」と人差し指を立てて指摘出来るような単純なものではなく、
もっと普遍的かつ広義なものでしょう。(長くなるので以下略)

ニーチェが非情だと思うのは早計だと思う。おそらく遺稿集を読んだ名残でしょう。
ニーチェの主著はツァラトゥストラなので、これを主軸にしてニーチェを語らせてもらいますが、
踊る娘子たちを見て彼が何と言ったか覚えてますか? なぜ蝶を比喩に生を語ったか分かりますか?
重い荷を担うロバの比喩で彼が語った言葉をご存知ですか? 彼が何故、同情を厭うかその心情が分かりますか?
無数のハエにたかられ、針を刺される者の孤独な気概をご存知ですか? 友情に対する毅然とした思いをご存知ですか?
ほんの少し思い出しただけでも簡単に思い出せるこれらの記述は、何を意味するものでしょう?
彼は「枯れた葉は、風に吹き落ちるままにしておくがいい!」みたいな言葉を語っていますが、そもそも
それは「より健やかに生きようと努力もせず、保身ばかりを気にしてぬるま湯に漬かりながら不平不満を
愚痴り続ける、けなげでつつましく人の足を引っ張りながら自己欺瞞を続けざるをえない自称"善良な市民”」の方々、
そういう教養豊かな生命力に乏しい人たちに向けてのアイロニーでしょう。
彼は非情ではないのです。同情を自分に禁じているのです。何故でしょうか?
同情とは「恥知らず」で厚かましいことだからです。相手が再び自力で立ち上がる逞しさ、その可能性を
見る側が完全に否定するからこそ生まれる感情だからです。手軽に相手に同情することは、その相手を
『侮辱』することに等しいからなのです。例えるなら騎士道的な高潔さを模範とするところに、同情を
己に禁ずることの意味が垣間見れるのです。
だからツァラトゥストラが生温い人たちに対して「生きる意志を持てないのなら、意思をよりよく死ぬことに
費やしたらどうか?」と言ったとしても、それ=弱者はゴミだね殲滅だ!、という意味で額面通り捉えると
おかしくなるのです。
915六百六拾六:2007/07/03(火) 23:30:26 0
ちなみに遺稿集にはかなりそれにニュアンスが近しいものが残っていますが、妹エリザベートの改竄の疑いも
有りますし、彼女がその当時の政治勢力におもねった可能性も有ります。また、機嫌を損ねて書きなぐった
文章を後で読み返してイタい思いをしたことが我々にもあるように、ニーチェも人の子、発表するための
文章とプラーベートな思いつきの備忘メモを同系列に扱うのもちょっとフェアじゃないんじゃないかという
気もします。もっとも思想の片鱗だけに我々の覚書より遥かに価値が高いのですが…
916六百六拾六:2007/07/03(火) 23:54:11 0
しまった、打ち損じた。
プラーベート=×
プライベート=○
917屁コキサンダー:2007/07/04(水) 00:20:35 0
>>914
むう、確かに改めて自分のレスを見ると、早トチっちゃってますな。
実は今、改めて『ツァラトゥストラ』を読んでいるところなのですが、
ご指摘の踊る娘子たちの辺りから以降、いくつもの「歌」編に自らの読みの拙さを恥じ入っている次第です。
ニーチェの比喩には美観から訴えてくる要素も多く、老女と女について問答する箇所などで感じるおかしみ等々情感にも富んでいましょう。
「同情」についても胃の腑にすっきり落ちるご説明、痛み入ります。「惻隠の情」とも相矛盾するものではないのでしょう。
虚心になればかく申すごとくなのですが、いかんせん心情で肯んじながらも意地が張り出す。身の程知らずとはこのことでしょう。

遺稿集に関しては、おっしゃるように私も疑問視しており、純粋な一次資料とは考えていません。どうも著名人の家族というのは、欲に駆られて妙な真似をしでかしてしまうようですね。
918屁コキサンダー:2007/07/04(水) 00:29:24 0
しかし、せっかく六さんが戻ってきたのになあ。
私みたいな弱っちいんじゃなく、もっと噛みごたえのある論者が来ないかなあ。
919屁コキサンダー:2007/07/04(水) 00:52:38 0
六百六拾六さん、
文献の解釈自体からは少々角度を変えた質問をしてよろしいでしょうか?
『ツァラトゥストラ』等が著されたのが、19世紀末のヨーロッパでのこと。
それから実に120余年経っているわけですが、現代の日本において(あるいは
世界でも構いませんが)ツァラトゥストラの教説は「より理解を深められた」
と言えるでしょうか?
もしくは、近代の進行に伴って「より解り難く」なっていると考えられるの
でしょうか?

あ、もちろん他の方でも論じていただけるならお願いします。
920六百六拾六:2007/07/04(水) 01:31:13 0
私事で恐縮ですが、私は哲学に興味があるわけではありません。
ある類型の人間に興味があるだけです。その類型にニーチェが含まれていて、他より抜きん出ていただけです。
おそらく鼻で笑う方々もいるでしょうが、私がニーチェに興味を覚えたのはコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」
という本を読んでからです。
私の今までの体験などを語るうち、その本を友人に薦められて借りたのですが、そこにニーチェがいたわけです。
また、サルトルやカミュも出てきて、ある思考の流派、実存主義とかが絡んできたのです。
だから私のテーマは全然哲学とかとは別の方向にあり、またその手の解釈書を読んだ例が無いのです。
通常とは別の感覚や認識に生きる人間そのものが私の興味範囲であり、そこを掘り下げようと思っているのです。
ニーチェの解説書をざっと読んだ限りでは、当たり前ですが退屈なもの、冗長なもの、的外れなものばかりで、
ただ文脈ばかりを追って思想に多大な影響を及ぼしそうな時代背景(戦争体験)や、病苦による死の不安にまで
思いを巡らす解説者が一人もいないのが不思議でなりません。そもそも時代背景を無視して個人の思想を
抽出することが可能なのでしょうか?思想家に生活の中で生まれる影響がまったく無いなどと誰が考えるのでしょう?
サルトルやカミュだって、レジスタンス活動の中から生まれた影響が思想に還元されたことが多大にあるはずです。
ニーチェの解説書でそこまで思いを至らした解説本、研究書を読んだことが無い。私が購入できる金額を遥かに上回る
専門書があるのだけれど本屋でお目にかかれないのかも知れません。あるいは洋書で読めないだけかも・・・
921六百六拾六:2007/07/04(水) 02:00:52 0
投稿して読み直してみると、全然的外れなことを書いてしまっているな。
要は超人を目指すにはどうすればいいか、とかいう運動やら何やらがそろそろ読者、理解者から生まれても
よいのではないか、ということですかね?
ニーチェが予言したように人間がますます小さくなる! という現状を憂う、と・・・
でも、おそらく普段の生活を送りながら、胸にツァラトゥストラへの思いを抱いている人は
少なからず居ると思いますよ。それとも「ツァラトゥストラ塾」でも始めますか?
別に武装蜂起してやれ革命だ!とかいうのが趣旨だとも思わないし、選民思想でもないし、
市場の喧騒を逃れよ!という段にあるような牧歌的な隠棲であっても構わないと思うけど。
ツァラトゥストラを一つの運動たらしめるか、個人の志操として遵奉するかは、難しい問題ですね。
もっとも市場の喧騒を離れよ、と言っているのだから、間違ってもマスメディアに取り上げられることは
無いでしょうけど・・・
922六百六拾六:2007/07/04(水) 02:17:21 0
ちなみにツァラトゥストラが山頂で仲間を誘い出して「大いなる千年王国」を作ろうという事業は、
私の解釈では一つの創作活動(芸術)だと思っている。全人類規模の…
彼は永劫回帰の輪廻の中で再びおしまいの人間が立ち返ってきて、一切が徒労となることを
知りながら、あえて最大規模の芸術活動を仕掛けているのだ。自称"善良な小市民”を超えた
闊達な人間たちが生を謳歌する世界を目指して。それが自分の趣味に適うから・・・
それは世界最大規模の芸術作品だろう。
923考える名無しさん:2007/07/04(水) 02:55:45 0
脳内作品と脳内批評乙www
924911:2007/07/04(水) 03:34:16 0
>>912
多分自意識過剰気味にした感じの人だとそういう文法使うんでしょうね
925屁コキサンダー:2007/07/04(水) 11:17:02 0
六百六拾六さん、
アレ? 私の文章の拙さからからもしれませんが、質問の趣意とは違った反応をいただいたようで。
ですが、正直言うと>>920の観点は、実のところ非常に共感を覚えます。
それが如何に傑出した個人であろうと、思想の作物には人間以外の事物・環境が連関し影響するのは避けえない、と考えます。むしろ、この視点を捨象して云々するのは観念を弄ぶばかりとなってしまうでしょう。おっしゃる通り凡百の解説書の類いは斯くの如きに失しています。
ニーチェが『ツァラトゥストラ』という形態をとったのは、この一般化され難い「人間の思想」を伝え得るものとするための手段だったのではないのでしょうか。
まあ、私なぞも彼の芸術性がなければ恐らくニーチェなど手に取らなかったでしょうし……。
>>919のような提示の仕方をしたのは、それでもなるべく話題を一般化し限局しようという苦肉の策でした。また、思想が浮遊した観念ではなく、飽くまで現実(大地!)との連鎖を見失わぬための。それはニーチェの思想にも適っていようかとも思ったのです。
926屁コキサンダー:2007/07/04(水) 11:53:03 0
>>922
世界規模の芸術活動というのはおもしろい表現ですね。
しかしどうも私はヘソ曲がりでして、ニーチェにせよ六百六拾六さんの発言に
せよ、あまり自分が同調しているのに気付くと、意地でも否を言いたくなって
しまうw一種の自己防衛本能でしょうか。
>>920
>通常とは別の感覚や認識に生きる人間
に興味を持ち、研究対象とされているとおっしゃる。
これはまあ、他人がとやかく言うことでもありません。
しかし六さんも芸術を事とされていると言うからには、敢えて一言申し上げたい。
むしろ「遍く存する類型」をこそ見るべきではないでしょうか?
そして文学にせよ絵画にせよ、凡そ造形芸術たるは存在する形態を普遍化するを
以てその真面目とするのではないでしょうか?
異端は芸術家自身において最も多く見られるのであって……しかし、それも
一類型として対象にし得るのかもしれませんが。
うわあ、どんどんニーチェから離れていく……
927考える名無しさん:2007/07/04(水) 14:13:20 0
ニーチェってそんなにアレがでかいんですか?
928考える名無しさん:2007/07/04(水) 14:59:47 0
457 :名無しさん@八周年:2007/06/
■朝鮮人左翼による日本女性レイプ事件◆戦後史の闇■

 かつて、在日朝鮮人活動家たちによる<日本女性レイプ事件>が多発した時代があった。
 1960年代から1970年代にかけて、左翼運動の陰で起きていた『闇のレイプ事件』である。
古い資料だが、『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の鼎談が掲載されていた。

 崔「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
 鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
 梁「男の風上にもおけんなあ」
 崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」

 映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
 朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、在日朝鮮人活動家に警戒心を無くし、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が、少なくなかったのである。
 そして、彼女たちは「反体制意識」を持っていたがゆえに、警察に通報することもなく、泣き寝入りした。
周囲の日本人からは、運動団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、実態は朝鮮人左翼による
日本女性のレイプであった。
 「我々は人権を重んじる」と自ら主張していた在日朝鮮人の活動家たちが、何故そんなことをするのか。
また、日本の女性たちは、左翼活動家とはいえ在日朝鮮人男性が訪ねてくると、なぜ警戒心を無くして
部屋に上げてしまったのか。
 今はどうなのか知らないが、昔はそういう時代であったのである。

【『歴史と国家』雑考■「朝鮮人左翼による日本女性レイプ事件」】
  ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai

■犯罪者は、一般人とは、思いもよらない拉致方法を考えている。
 甘い考えしか持てない者は、あれでも餌食になる。 気を付けたい。
929六百六拾六:2007/07/04(水) 21:08:17 0
>926
>>アレ? 私の文章の拙さからからもしれませんが、質問の趣意とは違った反応をいただいたようで

申し訳ない。
で、あなたの本当に問いたい趣旨は何ですか?もう少し具体的に噛み砕いて要点を書いて欲しい。

>>以てその真面目とするのではないでしょうか

問題はその真面目が興味を引き付けるほど魅力的であるかどうかではないでしょうか?
芸術とは「まじめに頑張っています」、「よくできましたね」という評価で成り立つものではもちろんなくて、
どれだけ胸を打たしめるか、どれだけ精緻な技能・才能によって驚嘆させられるか、どれだけ
神的に美しいか、という感情を、観る者に抱かさざるをえない"力”が発現するところをいうのだと
思っています。
あなたの文章は遠回りで抽象的過ぎて具体的に何を指すものか判別が難しい。
雰囲気に酔っているだけでないのなら、もう少し分かりやすく書いて欲しいのですが、
>>そして文学にせよ絵画にせよ、凡そ造形芸術たるは存在する形態を普遍化するを
>>以てその真面目とするのではないでしょうか?
存在する形態を普遍化する、という言葉の意味が何を肯定したいがためのものなのかを
【具体的】に書いてもらわないと話のしようがないです。

異端と非凡は違う言葉ですね。異端というマイノリティーたるカテゴリーを決定するのは
膨大な量の大衆ですが、とかく「前評判」を気にする並列化された大衆が果たして…
とか書くとハエが沸きそうなので止めときますが、異端と凡俗を決定的に分け隔てるのは
その個人において個性が余りにも膨大で強大であり、他に混ぜ合わせることが出来ないところにあります。
独自性があってなおかつ才能に恵まれている人間がいても、必ずしも大衆に受け入れられるわけでは
ありませんね。そもそも大衆の判定力にどれだけの正当性があるのかを疑問視しないでいるのは
芸術の"価値”を多数決で決めようとする暴挙に等しい事だと思います。
強い個性は他人に評価されてどうとかは眼中に無い。個性が無さ過ぎて周りを伺う者とは
根本的に違います。.「私を正当に評価できる人間がいったい居るのか?」、と疑念を感じている
ような個性の強い人間のほうがよっぽど魅力的だと思いますけど・・・
930屁コキサンダー:2007/07/04(水) 22:52:46 0
>>929
>あなたの文章は遠回りで抽象的過ぎて具体的に何を指すものか判別が難しい。

全く私の不徳のいたすところ、としか言い様がありません。面目ない。

>問題はその真面目が興味を引き付けるほど魅力的であるかどうか〜(中略)
>神的に美しいか、という感情を、観る者に抱かさざるをえない"力”が発現するところをいうのだと
>思っています。

これは当然ですね。おっしゃる通り。

>異端と非凡は違う言葉〜(以下、略)

これもおおよそ同意します。「個性の強い人間のほうが魅力的」であるのも、
そうでしょう。ただ、それは観賞する側の話ではないですか?私が上記レスで
言いたかったのは……具体的に、か……例えばゴッホの絵画を考えてみてくだ
さい。彼自身が非凡であることは作品を観れば明らかです。人物についても、
残された書簡などに見られるように、絵画に賭ける情熱たるやまさに尋常一様
ではありません(奇行だのといったセンセーショナルな話題は、この際どうでも
いいと思います)。かようにゴッホなる人間は確かに「魅力的」でしょう。
その魅力的な人物の生み出した作品も然り。しかし、ゴッホ「が」画家として
注視したものは何だったでしょうか?貧しい農民達であり、市井で立ち働く
労働者達であり、或いは自然、もしくは身近にいた人々等といった、「ごく
尋常な」対象だったわけです。芸術家が見るべきところはその尋常な対象であり、
その対象から普遍を見出し、形態として捉え、美と成す故に感動を与え得るの
ではないですか?六さんは創作する側の人なんですよね?私は、創作者である
ことを前提にして問いかけたのですが、であるならば見るべき対象が違うんじゃ
ないか、と半ば突っかかってみたわけです。
931屁コキサンダー:2007/07/04(水) 22:54:39 0
でも、よく読み返してみると、六さん自身が創作者だなどとは明示されていま
せんね。>>922の「私の解釈では一つの創作活動(芸術)だと思っている。」
を勝手に誤読してしまったのかも……だとしたら、そもそも私の発言のスタンス
からして筋違いであり、六さんからすれば本当にワケ解んないですよね。つくづく
己の早合点と論理能力の低さに悲しくなります。これじゃ早くんのこともとやかく
言えないな。申し訳ありませんでした。
932六百六拾六:2007/07/04(水) 23:32:25 0
>930
>>しかし、ゴッホ「が」画家として注視したものは何だったでしょうか?貧しい農民達であり、市井で立ち働く
>>労働者達であり、或いは自然、もしくは身近にいた人々等といった、「ごく尋常な」対象だったわけです。
>>芸術家が見るべきところはその尋常な対象であり、その対象から普遍を見出し、形態として捉え、
>>美と成す故に感動を与え得るのではないですか?

これは趣味の問題では? 対象に何を選ぶかどうかというのは好みの問題でしょう。
あなたが指摘しているのは扇情的に「奇をてらう」ようなトリックスターではなく、正攻法で行くべきだ、とか
そういう類の話ですか?
日常的な対象を芸術にまで昇華するには作者の技術こそがものをいうのはまったくもってその通りですが、
創作者というのは技術職であると同時に創造主でもあるわけです。該当するジャンルが無いこともあるでしょう。

個人的な話ですが、私にとって彼らを掘り下げることは、私を知るという切実な問題なので、別に奇をてらって
題材を選んでいるわけではないのです。

そろそろニーチェの話に戻ろう・・・
933早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 00:43:56 0
>>911>>924
自意識が高まると、熱くなって、頭の中にあることが、非文法的に、
やたらと同時並列的に、あふれてくるんです。
波が最初にあって、波の勢いがとにかくたくさんの言葉を、何でもいいから引き寄せる。
自意識が臨海まで高まったやばい状態が、パラノイア、記憶の爆発、言語の病態、早的自伝的連投、みたいな感じ。

>>932
自分を掘り下げる'不誠実で近道な'やり方は、トリックスター的に、自分でも価値観でも何でもとにかく、気のすむままに破壊して、
あとになって哲学的に反省することかもしれません
反省がなければ例えばタロットでいうと永遠に「fool」
反省をさらに神秘主義的にすれば「magician」ってとこ。
安全に創造的に掘り下げたいなら、やはり、
ニーチェとかゴッホとかに真摯にハマってみるのがいですね。
934六百六拾六:2007/07/05(木) 00:53:56 0
>>933
おめーは軽いよなァ、中身が。
935早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 00:54:20 0
ちょっと暇なのでヨコから長文
>>929
非凡な才能をもった芸術家とくに詩人は、評価なんか何も気にしていない。
本人がどう思っているかはともかく少なくとも凡人から見ると、あらゆる神秘を具体的に自分の身体で体現するために生きている、としかいいようがないのが、真の詩人。
今まで誰も創らなかった空前の、これから誰も創れないであろう絶後の、詩人にしか創れないヴィジョンを創ってくれる。

>>930
>芸術家が見るべきところはその尋常な対象であり、その対象から普遍を見出し、形態として捉え、美と成す故に感動を与え得るの
ではないですか?
ニーチェのいうホメロス的な芸術家は、そんな感じだと思います。
ゲーテの詩は、まさにそれ。ゲーテ的詩人は、ありふれたものから人間にとって普遍的な価値を見出せる。
普段馴染みのあるものに対して、詩で以って接触する。詩語や比喩は、遠くにあるもの同士に関係を見出すのに役立つ。
そのポエジイ的な関係が、一瞬だけ、普遍性を、読む人の心の中に雷光が走るような感じで、啓示してくれる。
静物画とかの類も、詩よりは静かだけれど、普遍性を表現してくれる。写真や現実生活でみる静物というのは、人間の生活の功利性実用性に囚われた知覚や認識しか働かせないから、
普遍ではない。静物画は、画家の眼が純粋認識した対象の本質のようなものが際立って表現されているから、
実物から虚像に近づいていたとしても、一般人に一般人が普段生活的な不純な認識でみる実物よりもイデア的なものを感じさせてくれる気がする。
ゴッホは、悲劇の誕生の言葉でいうならホメロス的ではなくアイスキュロス的。対象の尋常性とかそれらの普遍化とかでは説明できない、もっともっと情熱、高揚、忘我の世界だと思う。
静物画家の場合とは対照的に、対象ではなく、対象に反応した自分の心が表現されている。
農家、糸杉、村道、ひまわり、何が描かれていても、ゴッホ自身の情熱が表現されている。
ゴッホは、こんな言い方ができるとするなら、自然も村人も何もかも、自分のなかに吸い込む。
ニーチェの批評の仕方も、アイスキュロス的で、悪く言えば現実や史実の歪曲、よく言えば自意識による能動的な価値付け。
ニーチェは他の誰も持たないような「系譜学的な」歴史観を持っているし、批評するだけで新しい価値を創造している。
936考える名無しさん:2007/07/05(木) 02:23:36 0
>>934
ちょっと六百六拾六でレス抽出してみたくなったww
937考える名無しさん:2007/07/05(木) 04:44:37 O
偽物じゃね?
オヤジにけつを舐められるべき人にしては随分と浅薄じゃないか。
938早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 13:53:52 0
>>934
もう荒らしません大丈夫です。でもほんのたまにヨコから来たりするかもしれません。
昨日飲みすぎて気が緩んでしまって書き込んでしまったんです。ちなみに今日は二日酔いで2ch眺めながら引きこもってます。
人の議論を、とくにニーチェや芸術に関する議論を、ヨコから観るのがすきなんです。邪魔してごめんなさい。
長ったらしい横槍はかわして、興味深い議論の続きを、どうぞお願いします。
939考える名無しさん:2007/07/05(木) 14:03:38 0
コテつけてる良心的な人なんだからこういっちゃ失礼だけど邪魔だったらあぼ〜ん汁
ていうか脳内あぼ〜んぐらいできれ
940早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 14:06:43 0
・・・あぼ〜んって、なんですか?
コテな割りに2ch初心者なもので....
941早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 14:11:53 0
スレ違いな関係ないことばかりごめんなさい
六六六さん続きどうぞ。
942考える名無しさん:2007/07/05(木) 14:48:38 0
専ブラ使いなさいよ
Janeがお勧めだがTubePlayerとかと併用で。
943考える名無しさん:2007/07/05(木) 16:38:42 0
ゴッホがでてきたので、ちょいと質問を!
ゴッホの絵をみて分かる人と分からない人との哲学的違いとはなんでしょうか?
944考える名無しさん:2007/07/05(木) 16:39:37 0
>>943
スレ違いな質問はよそでやってください。
945早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 20:37:23 0
スレ違いにならない程度に、六百六拾六(以下、六さんと省略させて頂きます)さんの文章を、真面目にしかし妙な角度から批評します。
嫌だったら脳内スルーか専用ブラによる無視か「あぼ〜ん」か何かしらないけれど、それをして下さい。
六さんの文章を読むのが好きだから、ついこんなことしてしまうんです

六さんの文章は、倫理的な人間的なニーチェ把握はすごいレベル、ニーチェを哲学にしか解説しない本よりも上のレベルまで表現できていると思う
でも、
ニーチェが「力」などについて説明するとき、人間的な倫理的なものとして説明していただけでなく、もっとメタレベルのものを表現していた、しかも、
一般人にとては恐ろしく形而上的なものさえも生理的にとらえていた、という類のことを哲学的に認識できたら、
かなりニーチェ理解も上がると思います。やはりニーチェは哲学者であって、倫理家ではないので、
ニーチェを理解するうえでは、概念、言語、比喩とは何か、そういうものについても積極的に論究していったら、
もっと色々な面を知ることができ、そういう考察で得たものを、六さんがもっている倫理観と直結させていくと、
新しい境地が開けてくるような気がします。
946早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 20:38:21 0
ニーチェの大きな特徴の一つは、概念について言語についてなど、
形而上的直観を働かせて捉えたような次元のものまでをも、たんに哲学的な学説としではなく、
自分の人間観にしっかり組み込んでいったことだと思います。ニーチェにとっては、物心、主客、などの対立は、言語上の幻想、主語と述語が見せた錯覚にすぎない、
しかもその種の考えを学者的に認識論的な問題とするだけでなく、自分の情熱と直結させ、超人とか力とかにも繋がっている。
哲学的なものをニーチェは、余りに人間的な思想を開花させるための種にしている。彼のそういう面を掘り下げることも、彼の根底的な理解に繋がる。
ニーチェは、大地に忠実であれ、というとき、単に神とか彼岸とかを罵倒しているだけでなく、
力の発現の邪魔になる概念群とか言語によって縛られている人間のあり方を批評していた。
六さんの文章は、言葉の上に乗っている。だから、人間については深く洞察できても、「芸術の内奥」には達していないし、全人類規模の芸術活動といっても、空虚な脳内シュミレーションに終わってしまう。
例えばゴッホ好きのアルトーが言語に対してラディカリズムを爆発させたような、もっと言葉自体とか認識そのものを掘り崩せば、ニーチェとか芸術とかに対する深い認識に達すると思います。
あるいは例えば西尾先生の「ニーチェ存在と言葉の出会い」みたいな感じの評論文にかかれているような内容を、六さんの認識裡に組み入れておくといいような気がしました。
「夜の世界」とは、論理的にも倫理的には表現できない「言語を絶した」苦痛の犇く世界、毒、宗教的な悪、流血、肉体が齎す恐怖の世界であって、
そういう領域を(僕などがこんなこと言うのは恐ろしく身の程知らずな話ですが)経験的に認識した上で、
倫理的な思索を展開したら、素晴らしいものになっていくと思います。
...とんだ生意気失礼しました。
947六百六拾六:2007/07/05(木) 21:12:49 0

>>ニーチェが「力」などについて説明するとき、人間的な倫理的なものとして説明していただけでなく、
>>もっとメタレベルのものを表現していた、しかも、一般人にとては恐ろしく形而上的なものさえも
>>生理的にとらえていた、という類のことを哲学的に認識できたら、

これを具体的に例をとって詳しく。

>>ニーチェにとっては、物心、主客、などの対立は、言語上の幻想、主語と述語が見せた錯覚にすぎない、
>>しかもその種の考えを学者的に認識論的な問題とするだけでなく、自分の情熱と直結させ、超人とか
>>力とかにも繋がっている。
>>哲学的なものをニーチェは、余りに人間的な思想を開花させるための種にしている。彼のそういう面を
>>掘り下げることも、彼の根底的な理解に繋がる。

これも詳しく。

>>六さんの文章は、言葉の上に乗っている。だから、人間については深く洞察できても、「芸術の内奥」には
>>達していないし、全人類規模の芸術活動といっても、空虚な脳内シュミレーションに終わってしまう。

行動で示さない限り全ては脳内シミュレーションの範疇ではあるだろうけれども、芸術の内奥とやらを
事の他詳しく説明してくれ。
948考える名無しさん:2007/07/05(木) 21:34:24 O
六と早は同類だな。
949早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 21:39:26 0
>>948
僕がまた勝手に真面目な人を巻き込んでるからそう見えるんですよ
>>947
僕みたいな病的なコテハンを相手してくださってありがとうございます。議論してみたかったんです。
少しずれるけれど上に関して
ニーチェは、概念の虚構性を見抜いていた。それは、ニーチェが、感覚的印象あるいは直観増→概念の過程を
経験的に認識していたからだと思う。たとえば、概念というは、あらゆる物事の個別性を、他の物事と比較して、
類似したものだけを取り出してはじめてできたものであって、真に実在する物事は個々全く別のものである。
概念によらないものごとの把握がもしあるとすれば、それは純粋に感覚的なあるいは直観的な把握であって、
ニーチェは純粋な感覚印象や直観像への直覚的な認識力を強くもっていたと思う。言語とか概念が成立する以前の、
そういう混沌とした世界では、自分と客体をわける概念すらない。ニーチェであり同時に六さんである世界。としかいいようがない、原始的な未分化な世界。
概念によって、あらゆるものの個別性を取捨することで、世界の色々な物事の関係性は成り立っていたけれど、
ニーチェはそういう諸所の関係は虚構でしかない、真に存在するのは前言語的で物事がなに一つ関係付けられていない混沌だといっている。そういうことを、生々しく感じていて、
それを哲学としてだけでなく人間観の領域にまで持っていっている。もっと具体的な例は後で少し考えてみます

950早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 21:46:55 0
真ん中
そういうニーチェからしてみれば、一般的にいう、具体的に言えば六さんがあまり興味がないというところの、哲学は、
(原典や大物が書いたものは直覚的な認識からみちびびかれたものであるけれど)例えばカントの追随者とか注釈者は計算機械でしかないといっている。
ニーチェは、概念によって抽象化される以前の世界をはっきりと認識していた。
つまり、道徳が人間の生の可能性を束縛するというとき、たんに道徳の〜が〜だからいけないとかいっているだけでなく、
概念によって人間の性質が抽象的に人間とはこういうものだからこういうことをしなければならない、というような、道徳の基盤にある人間の考え方そのものに対して、
批評のメスを突き刺している。前言語、前概念的な世界へ遡って、そこで「生の根源」という普段は生理的にしか体験できない領域、心理学でいえば無意識の深層を、知性的に体験してはじめて、
ニーチェは「力」という概念を創造できたんだと思う。概念的な抽象化によって、人は、生の根源と自分の意識に壁をつくってしまっている。
生への意志、力への意志、というのは、前言語的な根源へと自分の認識や表現などが達することが、大きく関わっていると思う。


ニーチェがいうには、その生の根源というのを、何よりも具体的に表現するのが、芸術が背負った使命のようなものであって、
芸術によって、道徳律に縛られていた思考方法、抽象化されてしまって生気が褪せてしまった世界観を打ち破ることができる。
もちろん僕が芸術の内奥というようなたいそうなものを上手く表現はできないけれど、とにかく芸術は、
単に美しいとか刺激的だとかいうだけでなく、不純な概念とか言語とかで縛られていた感受性をそれらから開放し、
人間にとってもっと未知のヴィジョンで世界を見たり、生気を帯びた方法であらゆるものを認識していくための起爆剤にもなる、というようなことを、
ニーチエは言いたかったんだと思う。
951早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 21:50:02 0

概念によって人間の性質が抽象的に人間とはこういうものだからこういうことをしなければならない、というような
→概念によって〜なければならいという風に決定されているという
どちらにしても変な日本語ばかりで申し訳ないです
952早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 22:38:35 0
道徳律や概念群や人と共有する言語という、混沌の上に捏造された虚構的な足場に立って、非悲劇的な人間は、生存している。
しかし、悲劇的な人間や芸術家の在り方は、足場を破壊し、混沌と接触すると同時に、その地下の世界に犇く生命力を体験的に自らの認識力や表現力と直結させる。
それは苦痛に満ちた生存の危機的状態であるが、それに耐え忍ぶことができたら、今まで立脚していた足場に囚われない自由なものの見方で、
世界を解釈することが可能となり、そうやってはじめて新しい価値を創造することができ、積極的な生存を体現することができる。
ニーチェにとっては、解釈の数とか世界に対する評価の仕方とかも、その人がもっている重要な力の指標の一つであって、
既成の道徳律、概念体系に依らない認識や解釈や表現や評価を世界に下すことが、世界を力への意志として体験しながら生きていくことだと思う。

僕が六さんへの批評として具体的にいいたかったことは、
ニーチェは(正確には表現できなかったけれど)↑のようなことを、
哲学的にだけではなく、余りに人間的に、体験的に、具体的な実感を伴って、捉えていたのだから、
レス900台の議論を見る限りでは人間的倫理的側面はかなり鋭く考察できているけれど、ニーチェの形而上的な(しかも同時に悲劇的な)認識について考察しないかぎり、
ニーチェの思想の奥深くまでは、認識を届かせることはできないように思える、
ということです。

晩年のニーチェがあらゆる形而上の存在を、現象の背後の物自体を、完全に否定できたのは、
形而上のものなんて信じない、という短絡ではもちろんなく、一般人にとっては形而上にあるようなものまでをも、
経験的に認識できていて、形而上学的な思考が学者の考え方とか道徳に対してどのような影響を与えていたかを知り尽くしていたからだと思います。
大地に忠実であれ、というのは、彼岸の否定だけではなく、道徳とか一般的な学者の考えも全てが、
形而上を想定してしまうソクラテス以後の非悲劇的な世界観に由来している、ということを訴えているように思われます。

明日以後はここ来ません。よかったら参考にして下さい。
953考える名無しさん:2007/07/05(木) 22:48:45 O
早ドットコムですた。
954六百六拾六:2007/07/06(金) 00:26:11 0
言葉とは難しいもので、単語には単語自体に象徴的な意味があるという認識で使わなければ論議が成り立たない。
ある対象が冠ずる名称と意味が無ければそれに関する一切の説明が全て迂回せざるをえないほどだ。
詩人はそれに対してカウンターパンチを持っていて、ありえない『組み合わせ』によって象徴的文章を
単語以上に過大評価させ、読み手に過大なる印象を与える手法を持っている。
その選択のセンスが詩を芸術たらしめるものなのであるが、それですら基本的な意味では【概念】という共通の
キーワードを通過せねば新奇さの評価を得ることは出来ない。言語を共通の意思疎通手段として持つ者の縛りである。
概念は余りにも異端で新奇な事象を表現することは出来ない。伝えることの出来ない概念は相手側に理解不能だから
である。だから"開拓者”は常に迂回を強いられる。
直感を直感のまま伝えるにはテレパシーでもないと無理なのである。幻想を幻想のまま伝えるのは不可能である。
例えば実存主義的な(例としてサルトルの)認識においての「存在」の不気味さを他者に伝えることは無理だろう。
何故なら彼ら一般人は、「コップはコップじゃないか、それが存在することに何の違和感があろう?」と問うだろうからだ。
だが存在することとは何か、を問うことは「自分の"存在”とは何か?」を究極的に問い詰めることになる。
自分のかーちゃんから生まれてきた俺はとーちゃんの家系とかーちゃんの家系の中で…とか、そういうことを
問うているものではまったく無い、まったくもって【別次元】の話をしているのだ。

>>言語とか概念が成立する以前の、そういう混沌とした世界では、自分と客体をわける概念すらない。
>>ニーチェであり同時に六さんである世界。としかいいようがない、原始的な未分化な世界。

ここまで書くと神秘体験的な渾然一体とした境地を題目に捉えないといけない。それは「大いなる正午」あたりで
ツァラトゥストラが葡萄の木の下でごく短いうたた寝をしていた記述を神秘体験経験者に読ませ供述を得ることから
始まるかも知れないのだ。もっとも君にとっては集合的無意識やデュオニソス的混沌という"お題目”であるのかも
知れないが…。ここから先はオカルトの領域であり、スレ違いなので別に書こう
眠くなったので続きは後で・・・
955六百六拾六:2007/07/06(金) 00:28:55 0
>>948
それにすら値しない一行レスで「論旨を持たない」自分を恥じたらどうか?
反論があるなら論を振れ。
アマゾンや紀伊国屋で解説書が幾らだった程度の書き込みしか出来ないくらいなら黙ってろ。
ここは論議の場であって、お前らが「乙!」とか言い合うラウンジじゃねーんだ。
もっと殺伐としてるべきなんだよ。


早はまともに考察出来るんだなァ。最初からこういう内容オンリーで自分ブログの要素が無けりゃ
ちゃんと読んだのに・・・スゴイ勿体無い事をしたかもしれん。
956考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:41:04 O
いやおまいが現れてからけつの舐め合いになってきたわけだが。
>>955
957六百六拾六:2007/07/06(金) 00:45:34 0
>>956
じゃあお前が書いてみろ。
958考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:51:01 0
ニーチェ全集持っている人います?
理想社のとちくまのと白水社のがあるけど、訳者全部ばらばら?
どれがいいんでしょう
959考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:52:07 O
いわれなくとも書きたいこと書いてきたさ。
今は君らの相互リップサービスを鑑賞して煽ることで満足してしまっているようだ。
960考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:53:26 O
醜い言い合いはやめたほうが…
961考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:57:01 O
ああそうさ、生きることは戦うことだ。
962六百六拾六:2007/07/06(金) 00:58:55 0
>>959
それ読ませろよ、面白いんだろ?
963考える名無しさん:2007/07/06(金) 01:02:36 O
早が去ったと思ったらまたこれだよ
やれやれ
964考える名無しさん:2007/07/06(金) 01:02:48 O
どうやらおまいも中卒同然のようだな。
この六でなしめが。
965考える名無しさん:2007/07/06(金) 01:08:00 0
萩原朔太郎は「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」といった。
ここのコテハンが掴んだものは贅肉でしょう。贅肉の意匠で勝負し合っているから見苦しく映るんですね。
966六百六拾六:2007/07/06(金) 01:11:46 0
荒れてきてからのほうが書き込みが増えるお前らの安心感っていったい何なんだよ。
考えてみろよ。
ちっとは長い文章を(コピペ以外で)自分で考えて論じてみろや。
飲みすぎて頭イタイからもう寝る。
967考える名無しさん:2007/07/06(金) 01:36:38 O
ちっとは反省しろよ。
まあ今さらいくら努力したところで変えられないだろうが。恐らく早のように。
成長期のことは決定的なことなんだ。
そして成長期のことというのは選び難いことだ。
968考える名無しさん:2007/07/06(金) 02:03:39 O
恐らく早は大学に入って言葉を大いに記号として学び、
一見、素晴らしく教養がある立派な人間に見えるようにはなるだろう。
だが恐らくもはや構築不可能な基礎ができてないので、
そのあたかも高度な言語運用能力は根本的にあまり役に立たないだろう。
したがって、かの言語に対する資格なき批判的見解をますます確信し主張していくことになる、とみた。
969考える名無しさん:2007/07/06(金) 03:48:16 O
結局、核家族化が進んだ社会ではたとえ虐待されて育とうが、情け容赦なく親に似てしまうわけだ。
いかに親に反した進路をとろうとも、
どうしようもなく親によく似てしまうのである。
社会情勢の変化によっても、
まさに親に逆らうことこそが、
本質的にいって親自身への服従になりうるのである。
自分の欠点をもとてもよく反映する子どもは、
親にとって恐ろしい存在でもあるだろう。
親になるならば、自分の欠点をも愛さねばならないのだ。
それはまた自分の親の欠点でもあろうが。
実に子どもを育てるということは困難なことである。
仕事に専念すること、社会の歯車として回り続けること、
それがあるべき姿なのだとでもいいだげな機構は、
自分の本質から目をそらしたい人間たちが生み出したものなのだろうか。
経済的に豊かになり、余暇を増やす代わりに一体何にかられて仕事を増やさねばならなかったのか。
恐怖でなくてなんなのだろうか。
そんな戦後生まれの性急な親もその生き写しである子を認められるようになって、
やっと人生を満喫し始めるというものらしい。
970考える名無しさん:2007/07/06(金) 04:22:42 O
人間は克服されるべきというが、
そうならばまずもって己を認めねばならないのだ。
とすれば現代人は人間を克服するというそのスタートラインにすら立っていないのではないか?
処刑ライダー曰わく生きるとは戦いである。
そう、そも人々は戦いから逃げているのだ。
欲望と恐怖にかられて。
971考える名無しさん:2007/07/06(金) 06:43:18 0
バカがヘンチクリンな詩を書いて自分に酔ってますが、
寒いですね。
972考える名無しさん:2007/07/06(金) 07:50:05 O
ポエム厨が六氏だったということかね?
973金曜日:2007/07/06(金) 09:46:11 0
>>958
白水社がいい
とくに
遺稿がおさめられている。
遺稿については講談社の文庫のニーチェ全集にもある。
また
「ツアラツストラかく・・・」だけだったらどれでもいいと
おもいます・
理想社のは読みにくいね。
私は河合出書房新社のが読みやすくて愛用している。
ただし解説には不満がある。
遺稿によってニーチェのいう
永劫回帰の解釈は決定的になると思う。

三富明さんのの著書「永劫回帰と啓蒙の弁証法」を是非みなさんも読んでみては。
読後の感想を書き込んでほしいですね。
974金曜日:2007/07/06(金) 10:00:05 0
失礼
文庫はちくま学芸文庫だったかな
「生成の無垢」は理想社にもある
版が白水社のがいいのかな。
訳のよみやすさは訳の正確さとあわせて
好みによるのかな。
「ツアラツストラかく・・・」だけだったら
いろいろ読み比べて楽しめばいいとおもいます。
975早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/06(金) 11:18:28 0
>>968
予想は外れています・・・自説を信じてすらいないんです。
小説以外の本を100ページ以上通読することは全くできないほど読書量は浅く読解力に欠如しています。
資格がないのは自覚の上で大胆な批判をしてることに罪悪感を感じていたんです。
自分で信じてもいない反抗的自論、毒舌、逆説的批判などを繰り広げることは自虐的行為でもあって、キリのない堂々巡りに終わる、
てのは「地下室の手記」から学んだことの一つですが、学んだ甲斐なくそれを不特定多数の前で公然と実演してた、道化にすらならない不快な荒しをしていた、というわけです。
・・・人間は自意識が限界まで高まると独白以外にはすることがなくなるのかもしれない、てのも「地下室」から伝わってくることの一つです。
どうにせよ自分の言語批判は、現実に対する憎悪に由来するものかそうでなければ空論でしかないです。
>>965>>971
とにかく今のうちに気が済むまで反抗したい、どうしようもない憂鬱の壁をなにしてでもいいから破壊したい、
二回目に前スレ来たときはそんなかんじの、ささやかな青春的反抗心、トリックスター的な思いつきでした(はじめてきたときは情動発作の状態でした)
恥晒して反抗を実演してるうちに、仮面と本心、道化な早と現実の自分、ポエムと言葉などの区別を、
完全に見失って、自他曖昧な病的な状態で、ささやかな青春的反抗は粘着質の嘔吐に変わってしまい、
道化の力も失って、中二病的ポエムで荒してしまったわけです。
「早」という仮面をかぶって人を騙しながら憂鬱を発散をしていたような自己中心的な行為です
・・・自分で公然と白状しとかないと気がすみません、どうかスルーしてください
僕の自論は、
虚勢を張った悪質なポエムです
>>六さん
僕の余計な書き込みが恥をかかせるきっかけになってしまいましたごめんなさい..
>>974
岩波版の氷上さんの訳のツァラトゥストラが、熱が伝わってきてよかった。
976考える名無しさん:2007/07/06(金) 12:35:13 0
977考える名無しさん:2007/07/06(金) 13:43:09 0
ニーチェって読んだ事無いけど読む価値あるのか?
978考える名無しさん:2007/07/06(金) 14:19:10 0
早がまた自演してるような予感…
979考える名無しさん:2007/07/06(金) 15:53:07 0
>>977
「価値そのものの価値転換」がニーチェのテーマの一つ。
980考える名無しさん:2007/07/06(金) 16:05:23 0
永井均の「これがニーチェだ」はとっつきやすいと思う
>>979のいう価値の転換をベースにしてる
981考える名無しさん:2007/07/06(金) 16:11:43 0
永井は「ニーチェは純粋な哲学者としては二流だ(カントの足元にも
及ばない)」みたいなことを書いていたような。
982早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/06(金) 18:46:23 0
>>959>>964>>967>>972
ここ見ているひといたら、誤解しないでください。六さんは、色々なことについて考えてきた経験が豊富そうで、たぶん少し頑固で気付きにくいところあるけれど、真面目に議論しにきてる立派な方です。
自分に対する中傷の文体からでさえ人間の内面について思い巡らせるための材料にするくらい好奇心旺盛な冷笑家が、
ちょっとヨコから、まともに議論していた人に一方的に議論をしかけてしまったからこうなったただけのことです。
自分の考えに対する六さんの考えを見てみたかったんです
>>954
色々な意見ありがとうございます
>言葉とは難しいもので、単語には単語自体に象徴的な意味があるという認識で使わなければ論議が成り立たない。
>ある対象が冠ずる名称と意味が無ければそれに関する一切の説明が全て迂回せざるをえないほどだ。
>詩人はそれに対してカウンターパンチを持っていて、ありえない『組み合わせ』によって象徴的文章を
>単語以上に過大評価させ、読み手に過大なる印象を与える手法を持っている。
一般的にいうとどうなのかは学者によって色々なことですが、少なくともニーチェによると、言葉は、
最初から意味をもっているわけではなないんです。全ての言葉はメタファーだと断言しています。
言葉は使い古されるたびに、だんだん意味が固定化されていき、メタファーだとは気付かれなくなっていっているだけであって、
字義通りの意味とメタファー的な意味には区別がないらしいです。「言葉の意味」も、価値観などと同じように、時間がたち習慣的にだんだん抽象化されていくにつれ、
具体的な実体性の代わりに抽象的な記号性が濃くなっていく。そこで詩人は言葉の純粋な具体的なあり方を言葉の絶妙な組み合わせによって示す。
真の詩人の詩が意味しているところは、「言葉以上でも言葉以下でもない」と言えるような気がします(お題目的な言語批判や自己正当化ではなく詩人に対する尊敬だと受け取ってください....
本当に上手い詩の場合は、>>965にある「感情の神経を掴む」という作業をするために一切の抽象を排して言葉と感情を直接接触させているのであり、(ポエムなんかとは違って...)過大に見せているわけでもなくて、
すべて感じたことをありのままに表現しているんだと僕は思っています。
983考える名無しさん:2007/07/06(金) 19:17:30 0
>>979>>981
なるほど。981の意見は先入観だけだけど同意。
984考える名無しさん:2007/07/06(金) 19:23:49 0
そもそもニーチェは古典文献学者であり
生粋の哲学者ってわけじゃないんよね
985考える名無しさん:2007/07/06(金) 19:34:23 O
早がもう来ねえよ!といいながら、再登場したのはこれで一体何回目だろうか?
986考える名無しさん:2007/07/06(金) 22:01:06 0
>>985
そうだ。
このニーチェ板でこの板を読んで、うん、ためになるね、というファクトファインディング
な事以外はたぶん、みんな、飛ばしている。(読んでいない)
特に早!おれはほとんど読まん。
三富明「永劫回帰と啓蒙の弁証法」読んでみる。ありがとう。
早、666、出てゆけ。無価値、無効、無意味漢奴。
987考える名無しさん:2007/07/06(金) 22:35:40 0
>>984
>>生粋の哲学者ってわけじゃないんよね
なんか分かる気はするわ 
988考える名無しさん:2007/07/06(金) 22:51:42 O
ドゥルーズの「ニーチェと哲学」。
この題名、ニーチェの哲学でない事が意味深い。
哲学とは分けている。

哲学の彼岸。
989考える名無しさん:2007/07/06(金) 23:12:38 0
自分の事を喋々することは自己を隠す一つの手段である
ってニーチェの箴言を思い出した
990考える名無しさん:2007/07/06(金) 23:22:47 O
無口な奴程、話し好きだ。
自分自身と。

確かニーチェだ。
991早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/07(土) 00:08:37 0
>>次スレの3
お願いだからそれ以上は止めてください....お願いです
中傷とか愚痴の文体には人間性が現れて好奇心をそそるから中傷されてみたいとかいう人にだったらいいけど、
あてこすり合いよりも真面目な議論をしたいと思ってる人に、そういうことは...

>>スレ中盤あたりまで相手してくださった何人かの人、ありがとうございました
ニーチェや詩や音楽を愛している、流血女と知り合った、時間やベルクソンに興味がある、大学いくつもりだとかの類は嘘じゃないけど、
「早」の幼い口調とか女々しい人格とか異常な饒舌とかは全て、掲示板でしかできない自己満足的な道化、仮面、ストレス発散でしかなかったんです。
哲学について偉そうに言っても、哲学書通読なんて数冊もしてないくらいの未熟な読書量です。人を騙していたんです。
でもレスくれて純粋に嬉しかったんです。感謝しています。比喩だらけ自伝だらけになってるあたりは仮面というよりは記憶が噴火している忘我状態だったと思います。
仮面の中身が気になるなら、飲んでるか歌ってるかする以外は常にストレスか憂鬱感じてんのに絶え間なく笑顔を創っているようなアリス好きの冷笑家でも想像しといて下さい...

>>985
そろそろさすがに安心してください。
冷笑気分。

自己中心的な動機で
長々と迷惑かけてすいませんでした、出て行きます....
992考える名無しさん:2007/07/07(土) 03:14:19 O
しかしかのkがやっていることは、
人間が老いつつも、小柄になりつつも、他方、精神的に充実していくための、
基本なのには違いない。
たしか彼は、子どもを重視した生活を送っているらしい。
子どもと向き合い語り合い分かり合い愛し合うということ、まさにそうしていくことが、
すなわち己を知ることに繋がっていくのである。
親子関係こそ、己を知るための最良の手段ではないだろうか?
己を認知して初めて、自己を克服するという目標へのスタートラインに立てるのである。
というのも克服すべき己を知らずしては克服のしようがないからだ。
だが親子が互いに相手をとおして己と対決し、
和解し愛するようになるならば、
克服すべき所以がなくなるだろう。
ただ与えられたところのものを土台として、
楼閣を築き上げるということぐらいしか努力のしようがなくなるのではないだろうか。
それは砂上の楼閣ではないにしろ、それにはとくに新たな価値などが付与されることはないだろう。
価値は土台にあるのである。
与えられた土台から目を逸らし、認めないということは、
本質的に何をもにも価値を認められないということである。
親子関係というのは人生の土台である。
993考える名無しさん:2007/07/07(土) 03:40:28 O
一体偉大な努力も己の認知、つまり親の認知から始まらねば水泡と帰さざるをえないのだとしたら、どうであろう?
ある人々にとってはあまりに過酷ではなかろうか?
あまりに残酷ではなかろうか?
あまりに悪魔的であろうとも、そこの他に生を育む泉はどこにもありえないのだとしたら?
その破壊と建設の境界はあまりに狭く曖昧なのである。
そしてまた創造的な人間がまさにその曖昧な人間だとしたら?
神的であると同時に悪魔的であるとしたら?
その人間こそ根源的一者に最も近い人間だとしたら?

とりあえずウンコであるというしかなかろう。
994考える名無しさん:2007/07/07(土) 06:54:33 0
                        ., , メ-‐'"       _"',|  .、、._,i.""│._、
                      ._,,,/`,イ―''      ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
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    ,,-'"゙`    `゙゙''lーイ"`     .‐′    _,..,,/ .ヽ、,i,i´ ``゙’   、、シ":"'.「
  .,,i´         `'i、\ ゙!,      ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'`
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  `''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"°  `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、
    `゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃       "  /^゚"'广  ,/  .,/゙゙゙'''ヶ―''''″   `
       `゙^""""''"'"                `   ′  ′  ." 
 ニー(・ω・)チェッ
995考える名無しさん:2007/07/07(土) 12:03:03 O
Wozu in die Ferne schweifen?
Sieh,das Gute liegt so nah!
996考える名無しさん:2007/07/07(土) 12:16:46 O
あやや、灯台下暗し
997考える名無しさん:2007/07/07(土) 12:19:39 O
ちなみに>>996>>995の訳文であることはいうまでもないことだろう。
998考える名無しさん:2007/07/07(土) 20:46:36 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
なぜ天皇家は温存されてきたのか? [日本史]
999考える名無しさん:2007/07/07(土) 22:14:35 0
次のニーチェスレでは永劫回帰の解釈などでいきたいね
早君は自身のブログの紹介でもしてくれ
たまにいってあげるから
1000考える名無しさん:2007/07/07(土) 23:16:30 O
男に二言はありません。
早です、私は千言するのです!
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。