952 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 07:08:25 O
>>950 哲学板なんだし神を人格としてではなく、観念として捉えろよ。
Q:重力は何のためにを引っ張るんですか?→お前:重力は自分の引力を増すために必要だから引っ張るだ。
どんな基地外回答だよ
954 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 10:19:01 O
一度汚れたものが新品になることは無いのでしょうか?
適性検査や性格診断の問いに直観で答えにくいのだが、
なんかコツとかない?
コモンセンスに視点を合わせる作業に時間食うんだよ。
957 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 16:48:14 0
>>936 >神が我々を造った理由を教えてください
我々が神を造った理由と同じよ
>>955 落ちる汚れな場合、落せばそれをお前は新品と呼べるのか?
呼べるなら汚れても新品になることはあると言える。
質問の精度を上げろボケ。
>>956 社会性を見につけろアスペルガー。
959 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 19:17:08 O
汚れは2度と落ちません。共に生きるしかないんじゃない。
哲学板に初めてきたんだけど
哲学って考えることが重要なんですか?
961 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 19:24:34 0
>>960 まぁ、そうだね。
陥りがちな誤りを避けるためだったり、
インスパイヤされるためだったりという理由で哲学書を読んだり、
そうやって哲学書を読む人同士で助け合うという理由で哲学書を解説したりするものの、
基本は他の学問では立てられてすらいないような問題を立てて研究することだといえる。
962 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 19:46:56 0
>>960 アホかw
考えること(あるいは考えたこと)を哲学というのよ
963 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 21:11:06 0
最近思うのですが、仕事も出来ないくせに哲学を語るなと思うのです。
ニートは論外、有職者も本当に仕事のできる人間になってからじゃないと、
哲学やら思想やらを語っても説得力は無く、
それらはただの邪念に過ぎないと思います。
有職者に支えられ自分が生きている事を認識すると
まず仕事が出来る人間になることが全ての大前提かと思うのです。
>>963 哲学が本業の仕事なのだよ。
仕事(会社)の後は仕事(哲学)だぜ。
965 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 03:17:01 0
>>963 でも暇な時間(考える時間)が有れば有るほど深く思考できるんだよね
奴隷制度のおかげで西洋哲学は発展した、ってやつ?
まあ、色んなことを経験しないで思考ばっかしてても、
独りよがりな自己満になっちゃうだけだろうけど
バランスは大事だね
とりあえず説得力の有る無しは別として、語るのは自由だと思うよ
人の意見ってやつは自分の思いもよらない物が有ったりするしね
たまに語るんじゃなくてぎゃあぎゃあ喚いている人も居たりするけど
まあそこはご愛嬌ってことでw
966 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 11:52:03 0
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967 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 16:11:07 0
哲学の記載に関する質問です。門外漢なのでわかりにくいかもしれませんが、
よろしくお願いします。
哲学の記載は一般的に各言語を用いられていると思うのですが、
言語自体が普遍的なものではなく流動的な存在であるならば、
記載された思索の内容も普遍的でありえないのではないでしょうか。
そう考えると、ある種の記号を用いた論理形式で哲学を記述するしかないと思うんですが、
この辺の問題って哲学通の人達の間ではどのように考えられているのですか?
968 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 18:17:01 0
人間の思考はどう転んでも文脈依存的であり、
まったく文脈に依存しないということを「普遍的」と呼ぶなら、
そもそも普遍的にはなり得ないものなのだ、と考えれている。
969 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 18:36:05 O
>>967 哲学者は一つの事を何通りも使って説明するそうです。
狭い記号では、説明しずらいのかと。
970 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 20:20:16 0
>>967 上の人たちの言うとおりだとおもうよ
大体哲学を語るのに記号を使うなんて風情がないしね
まあ、対策?としてはその哲学書の書かれた時代背景や著者(もしくは思想を語った人)
の人柄(生まれや家庭環境、師や交流の有った人)なんかを知ることかな
こんな時代だからこんな事を言った、っていうのを分かれば少しはその人自身の思想に
近づけると思うよ
971 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 21:05:49 0
ただの訓詁学が哲学なのかw
そいつはすげえや
972 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 23:18:39 0
「体系化する」とはどういう事なのか教えてください。
973 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 23:21:47 0
理想的には、ユークリッドの幾何学のように、
すべての命題を少数の原理だけから演繹的に導き出すという
形式で理論を表現することだろうと思う。
967です。みなさん、レスありがとうございます。
以下、手短にコメント付けてみます。
>>968 例えば、あなたが「文脈依存的」と書いてますけど各人がそのタームをどう理解するか、
それはやはり違うと思うんですよね。辞書的な意味で字義通り読めば、全く意味がわかりませんしね。
>>969 そうなんですか。では、何通りの説明をすれば説明し尽くせるのかと考えると、
やっぱり厳密な思索はできそうにないですね。。。
>>970 そういった時代背景・著者の人柄といった周辺的知識を得ることで、
対象人物の思想に近づくことはできるかもしれません。
しかし、それは読者の問題であって、その思想の持つ厳密性や、
普遍性を保証するのには寄与しませんよね?
ちょっと自分でもどう上手く説明すればいいか、わからないんですが、
やはり風情とかはこの際無視してでも、記号を使った記述を用いるしか、
純粋な哲学というのはあり得ないんじゃないだろうかという考えは残ります。
975 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 04:36:09 0
970です
>>971 訓詁学自体が哲学じゃなくって、そうすることでその人の思想に近づける、
って言いたかったんだ
書かれているものが古典だったら訓詁学はどうしても必要だしね
分かりにくくてごめんw
>>974 うーん、確かにそのとうりだね
どんなに近づいたって本質にたどり着けるわけでもないし
普遍性の証明なんて以ての外だし…
自分の思想を言葉だか文字だかでだれかに伝えようとすると、どうしても受け取る側の解釈しだい
になっちゃうから、その時点で厳密性は損なわれちゃうしね
でも言葉でさえも思想を上手く表せない場合があるんだから、記号なんて使ったらもっと表現の幅が
狭くなっちゃうんじゃないかな
思想を記号で表す、じゃなくて記号に思想を当てはめる、みたいに
厳密性や普遍性を得る為に内容を削っちゃったら意味ないでしょ?
まあ、これは言葉や文章にも言えることだと思うけど
結局のところ純粋なものなんて考えた本人だけが持てるんじゃない?
>>974 > ちょっと自分でもどう上手く説明すればいいか、わからないんですが、
それを説明しなければならないのが哲学でもあります。
つまり、それに妥当する言葉、表現がないから自
らそれを作る分けです。
それを記号で説明できるのでしょうか?
977 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 12:42:03 0
自分で考える力をつけるために論理学を勉強してみたいと思うのですが
独学で勉強するにはどのような本から読んでゆけばいいでしょうか?
978 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 12:58:00 0
論理学は考える力をつけるものではないので、
別の本を読んだほうがいいと思います。
野矢茂樹の本とかがいいかもしれません。
979 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 13:25:31 0
>>978 ありがとうございます。
論理学勉強しても考える力はつかないのか・・・
何の勉強したら自分で考える力鍛えられますか?
981 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 13:42:38 0
数学ってただの暗記とテクニックだけじゃないの?
982 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 14:27:56 0
>>979 その手の本はあまりないけど
「論理トレーニング」野矢茂樹 産業出版
「反論の技術 その意義と応用」香西秀信 明治図書
とか読むといいかも。
「反論の技術」のやり方は一見遠回りに見えるかもしれないけど、
結局これが自分で考える力をつける一番近道のような気がする。
983 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:02:08 0
僕にはどうしても人生は無意味に思えるのですが、
人生には意味があると主張する人々は、どういうことを根拠にしているんですか
984 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:10:23 0
>>983 自分にとっての人生の究極の目標がある
たとえば誰でも納得できる正義を探すとか、善良な人間になって死後に極楽浄土に行くとか
上は歴史上の人物の言ったことな 俺の場合は「まだ見ていないものを見るため」
985 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:14:05 0
それらもすべて究極的には無意味だと思うんですが
>>985 そう思うのならば、君は人生が究極的に無意味かどうかを確認する為に生きれば良い。
987 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:17:50 0
>>983 そんな問題は言葉からして成り立たない(言語哲学)
そもそも人生に意味など無い(東洋哲学)
人生の意味は自分で決めるんだ(実存主義)
社会を変えれば自分の意味も変わる(マルクス主義)
全部社会のせい(構造主義)
↑それはちょっと言い過ぎ(ポスト構造主義)
人生は生きてみないと分からないよ(プラグマティズム)
ざっとこんな感じかも。
988 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:29:37 0
>>986 ああ確かにそうですね
人生が無意味だとしても自殺する理由にはなりませんね
>>987 言葉からして成り立たないとはどういうことでしょうか
実存主義の考え方はなかなか興味深いと思いました
989 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:42:08 0
990 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 15:47:19 0
>>989 そもそも格言や箴言といったものにレベルの高低を求める時点でおかしいと思うが
詩としては探せばそこらへんある程度だと
991 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 16:23:04 0
>>990 なぜ、格言や箴言のレベルに高低を求めるのがおかしいの?
レベル高い低いはあるでしょう。
992 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 16:29:12 0
>>991 こちらとしても書き方が悪かった
そもそも何を以ってレベルが高いとするかを教えて欲しい
万人にとって訓戒となる言葉がそもそもの格言なのだから、
どれくらいの人に真意が通ずるかという意味ではないだろうけど
993 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 16:45:35 0
>>992 主観の域であることを抜け出す証明はできないけど、
実際にその格言の発想が凄いか、正しいか、センスがあるかだよね。
これは説明できないわ。
でも、「あいだみつを」とニーチェの格言では、どちらが凄い?
と聞かれると、「あいだみつを」と言えば主観だよね?
ニーチェが明らかな上。
994 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 17:08:04 0
>>993 主観の域で留まるだけでよければ、「先のサイトの文など格言ですらない」というのが私の意見
さらに言えば格言とはあらゆる人にとってもれなく是であり、また当然のことだろうと思う
そのメッセージの内容について比べることなど必要はないと考えている
文章表現などのセンスはまた別の問題になるが
995 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 18:20:43 0
>>988 >言語哲学
例えば有名な話で、何を大学というかを知らない人に大学の中を実際案内した人が、
その人から「で、大学ってどの建物なんだ?」と質問するという話がある。
「人生に意味はあるのか?」という問いも、同じようなカテゴリーミスを含んだ質問なのかもしれない。
…ってこと。
996 :
995:2007/10/08(月) 18:21:44 0
てにをはを間違えた。
何を大学というかを知らない人が大学の中を実際案内した人に、「で、大学ってどの建物なんだ?」と質問するという話がある。
997 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 18:44:54 0
なかなか難しいですね・・・
性善説についてかかれて本で、お勧めのものってありますか?
999 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 19:18:33 0
989のサイトは酷い
1000 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 19:19:26 0
あいだみつをよりはましかもな
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。