1 :
考える名無しさん:
自己および社会全体の絶望と不毛さを証明するために
自ら命をもって執筆(証明)する行為。
ゆえによりパフォーマンス性と苦痛が必要になってくるww
3 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 19:37:09
草サッカーでゴールを決めてゴールパフォーマンスのバク転失敗して
首折って死ぬ
歓喜にも哲学的自殺にも断絶された残された者にも後味の悪い最悪な自殺
絶望と不毛があると思う
死んで証明しようとは何と愚かな。
生きちゃってること自体が既に証明だ。
生きて、チラシの裏の落書きレベル
それ以上の表現ができない者
そういう者の死が
それ以上のものの表現になるとでも思っているのか?
路地裏に落ちた汚物のつもりか
6 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 01:41:57
駅前で火だるまとなって走り回る
「僕はいたちごっこな人間社会が嫌いだぁ!」
「死にたい奴は勝手に死ね」
と書いて後、自殺
8 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 05:42:28
樹海にいったら「東京で死ね 美しい富士を守る会」と
あったので東京に帰ろうとする途中でめんどくさくなって新幹線で死ぬ
結構笑えるところですね
哲学って何?と思って来たけど
「東京で市ね」って最高ですね。
おまえは自らの死すらも迷惑だ!って言われてるみたい
樹海もなにかいいことに利用できればいいのにな。
10 :
考える名無しさん:2007/04/17(火) 17:37:37
自殺した有名な哲学者っていないんですか?
哲学的には自殺する根拠なんてないよね。
あるとすれば死を知るためか。
12 :
考える名無しさん:2007/04/17(火) 23:16:45
死んだら存在自体になるのかというのが問題なんだよね。
私は存在するという。私は死ぬという。消えるという。
だが存在は存在しなくなることはないだろう。
存在自体というのは当初考えられていたよりも恐ろしいものではないと思われる。
恐らくただそこへの没落が、私の死が言葉を絶する苦をもたらすのであって、
存在自体はいわば母体のようなものであるだろう。
死というのは、最高の良薬ともいうべきものであると思われる。
13 :
考える名無しさん:2007/04/17(火) 23:48:43
後始末する人の事を考えて、
きちんとブルーシートにくるまって服毒自殺。
これがベスト。
14 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 01:07:40
15 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 11:15:26
>>14 >自殺礼讃の書『救済の哲学』
激しく邦訳を見たいんですが、無理ですか?
16 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 18:43:55
原文ならネットにありそう。ないの?
17 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 19:17:40
原文見つかんなかった。
18 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 20:32:48
自殺を薦める哲学ってないですか?
19 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 20:58:20
んなもんあるかい。
現実? どうでもいいよという状態にする。
そうすると、歩きつつ、ちょっと崖から落ちてみようか、なんていう気まぐれを起こすかもしれない。
そういった自然な自殺なら好ましいと思う。
どうでもいいという状態になるのは、非常に難しいと思うが、
特に自殺を薦めるような哲学でなくても、哲学を続けていれば、いずれ至りうるものだと思う。
哲学を続けていると次第に、現実による精神的影響を受けにくくなってくるはずだからである。
というのも普遍的なものへの志向性が身につき、確立してくるからである。
難関は「私」であろう。
この私自身に対してさえも、普遍的な目が無意識的に作用するまでになれば、
他人に自殺と見られるような行為をしたとしても、
本人はそんな自覚はないだろうと思われる。
21 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 21:36:52
哲学は鬱学というが、違うのだ。
無学といった方がまだよい。
それは人を鬱にも躁にもしない。
具体的なものとの関係による心理的、精神的影響を無に帰していき、
精神に平和をもたらしていくものである。
いわば精神の住む世界を変えるものである。
この具体的物質的な世界を外から見るようになる。抽象的精神的な世界から。
哲学的生活は二元論を内的に事実として確立していくものである。
22 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 22:16:46
彼は、自我というのは苦痛の場でしかないと云い、また自我を超えることはできない、自我から離れることはできないと云ったらしい。
確かにその通りかもしれず、自殺というのは合理的に見える。
だがそこまで自意識過剰な人は珍しいものだ。
自意識過剰という状態は、自我から遠のいていく状態であると思われ、
その苦悩は大きいにしても、自殺せずともいずれ楽になれたことだろうと思う。
どっちにしても楽ならば、自殺して良かったのかもしれない。
だがそれは哲学的な態度ではないだろう。
24 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 22:55:12
まあお前ら自殺しようがしまいがどうでもいいが、
あんまり人に迷惑かけないようにしろよな。
25 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:04:51
そういえば最近自殺する際、他人も殺していくのが流行ってるからな。
いるんだよね、俺が死ぬときはみんなも死んでほしいと思う人が。
26 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:10:26
愛だな。
27 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:31:29
これは届かなかった愛だ、どうしても届けたかった愛に違いない。
・・この世でどうあっても共になれないならば、僕はここでは生きられない。
だからあっちに行こう、あっちで一緒に暮らすんだよ・・・
28 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:35:35
27億劫の罪滅すと云えども
29 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:40:24
>>1 てか、孤独を感じなけりゃ、そんなことを考えんだろ。
絶望ってタダの孤独感だろ。絶望も糞も無い。w
てか、最近、愛されしすぎで窒息しそう。w
どちらも、苦痛だね。www
また孤独が欲しくなってきたァ。
30 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:44:50
31 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 08:08:03
デカルトに立ち戻ろう。
全般的な懐疑によって我々はあらゆる先入見と感覚から精神を引き離していくことができるのである。
二元論が示すところのものは、まずもって到達されるべきものなのである。
その過程は一種の自殺とも云い得るものであり、
哲学的な自殺と呼ばれて然るべきものであろう。
32 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 10:22:56
難しい事はよくわからんが
人間は自らの意思で生まれてきたのではない、故に自らの意思で死んではならない。
人間は自らの意思で生まれてきたのではない、故に死を選ぶ権利はあるのだ。
私は前者
33 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 10:30:08
34 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 14:12:49
受動的死と能動的死という区別を確立しよう。
受動的死とは、いつ、どこで、どのような状態で死ぬかを、
偶然というか天命に任せる死に方で、
能動的死とは自分で前記の条件を決めて、死ぬことです。
哲学に関心を持ち、「人間、いかに生きるべきか」をいくらかでも考えてきた人間は、
その生き方の総決算として、主体的に生の最後にも関与すべきではないかと思いますが。
35 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 20:27:03
セロトニン足りてまつか?。
太陽光をあびませう。
36 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 21:13:08
人生は無価値である。これが知の花というものである。 by マインランダー
37 :
考える名無しさん:2007/04/19(木) 22:07:56
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です)
沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。
民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。
この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから…
※一国二制度
簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。
(つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。)
さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。
3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。
そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。
今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。
自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。
発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
38 :
考える名無しさん:2007/05/02(水) 14:25:38
哲学者は自殺をしないのに
文学者がすぐ自殺をしてしまうのはなぜですか
39 :
風に吹かれて:2007/05/03(木) 10:46:00
40 :
考える名無しさん:2007/05/03(木) 15:23:45
>>38 作家だから。
自分の人生までも、その最後さえも、
作品化してしまう性なのだろう。
すると、人生設計というものに勤しみ居場所を見いだす人は、自殺しやすいということだろう。
自主性を重んじる人々であるから。
自主性は川に落ちた岩々のように、
抵抗したがたい流れの中、
互いに身をぶつけ合い、
角を落とし、丸くなってしまう。
自殺は角を、自主性を保つ一つの術である。
他の術としては、自ら角を落とすことや、流れに乗らないことが挙げられるだろう。
43 :
考える名無しさん:2007/05/03(木) 16:57:28
それを読んだら自殺せざるを得ないような本が書けたらそれはすごいわな。
考える事こそ哲学の本質では?
考えを中断させる「死」は、利口ではない。
45 :
考える名無しさん:2007/05/09(水) 02:00:16
>>38 学者は一回でも新発見、業績を残すとそれの展開のみでも一生食っていける。
作家はひと作品毎が新発見、業績でなければならない。
もしくは本人がそう思わないと行き詰まる。
特に日本ではそう思われてる。だから死ぬ人も出て来る。
46 :
考える名無しさん:2007/05/09(水) 15:28:11
シンガーソングライターの尾崎豊も苦しかったんだろうな
生きることに意味は発生しない
死ぬことに意味は発生しない
つまり、生きるのも死ぬのも意味がない
これらに意味を定義づけたのは人間じゃないか
>>48 同感だ、全ての定義は人間がつけた
そして俺等も勝手だが勝手でなければ我々は生き詰まる
そして私は己が生きることに意味はないと悟った
これから何をしようと何が起きようと意味はないのだと...
このような思想を持つ私は世間から『鬱病』と定義付けられた
だが違う、意味がないことに気づかない今のおまえたちが間違っているのだと...
だが、そのような定義さえ間違いであり、私は私を否定することになった
私は思考迷路から出ることができなくなってしまった...
いつまでも夢を見ている中学生でありたかった...
51 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 12:43:32 0
>>47〜>50
禿同ではないが、至極、まっとうな考え方に思えるけど、どうして、「世間から『鬱病』と定義付けられた」のかが不明。
52 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 12:45:40 0
>51
周囲の人間に、生きることに意味などない、などと言いふらしたからではないかい?
53 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 13:47:42 0
人生の意味よりも、人生そのものを愛することだよ
>>52 まあそんなところだ
それに学者がこんなことを言うならともかく、中坊がこんなことを言っているのだから
『こいつは頭がおかしい』と思われるのも当然といえる
55 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 17:18:23 0
人生の意味は、最初から存在しているわけではなく、作り上げていくものです。
大多数の人は、それを仕事とか家族の中に見つけます。
熱心に仕事をしない人や濃密な人間関係を築かない人にとって、
人生の意味は希薄になります。
濃密にしたかったら、手間暇がかかるものを見つけることです。
最初から意味がないと判断して、手間と暇をかけないと、いつまでも意味は出てきません。
手間と暇をかけることによって、初めて意味が出てきます。
普通、仕事と家族が一番、手間暇がかかります。
57 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 17:43:34 0
>56の言うことを容易には否定できないと思うよ。
仕事と家族などを挙げてみても、手間隙かかることは事実だし、それになんらかの意味づけをするのも難しいし、第一、個人の勝手次第の意味づけにすぎないし。
>>55 >普通、仕事と家族が一番、手間暇がかかります。
でもその前に、それに対して意味を見出せるのかどうか
混乱し、それを全く欲さない、望まない俺達は、
どうするべきかを見当した方がいいはずだと思った。
59 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 19:34:00 0
「哲学的な自殺」みたいなテーマだとすぐに、鼻息荒く「生きろ」とかだけ言ってくる奴は多いけど、そいらは全然哲学なんかに縁がないんじゃないの?
60 :
55:2007/05/11(金) 19:40:31 0
>>58 最初から意味がないと判断して、手間と暇をかけないと、いつまでも意味は出てきません。
>>56 >だからそれ自体に何ら意味はないんだよ
そう思うんだったら、無意味な人生を無意味なまま生きていくしかないと思います。
ただし、こんなところで無意味な自己アピールなんかせずに、淡々と無意味に生きてください。
>>59 そう思う。其奴等は傲慢で真っ直ぐ生きようと前だけ見る派のお気楽な人間で
一生人生に悩むことなく死んでいく可哀想な人達です
62 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 19:46:12 0
>60
「人生は無意味だ」と主張する者に対し、では「淡々と無意味に生きてください」というようなことが、いかに無意味であるかもわからないのか?
失格!!
63 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 19:48:06 0
>61
其奴等が可哀想かどうかは知ったことではないが、せめて黙っていてほしいところだね。
>>63 個人それぞれの哲学を打ちのめしあう場所か此処は
65 :
55:2007/05/11(金) 20:10:42 0
>>62 >「無意味に生きてください」が、いかに無意味であるかもわからないのか?
では、あなたにとって、無意味でないものを教えてください。
人生も無意味、アドヴァイスも無意味、このスレも無意味じゃ、お手上げですね。
66 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:12:12 0
最近、人生がむなしくてどうしようもない。
具体的に死ぬところまでは考えてないけど、今後そういう発想も出てくるかも。
経済的に安定してて嫁さんとの関係も良好で、いろんな趣味に没頭する時間もあって、友達との楽しい時間もあるし、やってみたいこもある。
読みたい本もあるし、行きたい場所もあるし、会いたい人もいる。
でもなんか、全てどうでもいいとも思う。
人生なんて根本的にむなしいんだから、安逸や幸福ではとても太刀打ちできない気がしてきた。
幸福追求も名誉欲も知的好奇心も、全部無用な暇つぶしに思えてきたよ。
人生は無意味だと気付いてもなお、その虚しさを克服できた人はいますか?
もうむなしくてかったるくてしょうがないわ〜。
67 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:13:56 0
それより野球やろうぜ
68 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:15:30 0
私はスポーツなどという野蛮なものには興味はないし、野球などというとりわけ野蛮なものはみたくもないんですけれども(笑)
69 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:15:41 0
>>65 「淡々と無意味に生きてください」がアドバイスだっていうのか?
70 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:18:53 0
55みたいな人は違う世界に生きてるんだよ。
55の世界をも覆い尽くす「無意味さ」があるのに、55自身は全くそれがわからない。
こういう人のパターンとして、すぐ「じゃああなたにとって無意味でないものは?」「幸福とは?」とか、逆質問してくるの。
全くわからないならからんでこなくていいのにw
グローブないから軍手でやろうぜ
72 :
PPP:2007/05/11(金) 20:24:29 0
ゴム手袋でも良いか
73 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:25:06 0
カキーン
74 :
PPP:2007/05/11(金) 20:26:42 0
打ったァァァァァ!
75 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:42:49 0
大きい大きい、センターバックバック!
76 :
PPP:2007/05/11(金) 20:58:56 0
センターこけた!
こけてもドッカーン!!
78 :
PPP:2007/05/11(金) 21:22:06 0
強い・・・・!
このスレは中坊にも本気でしてくれるんですね
僕自身、無意味であって無意味の中に生きていると知ったとき、僕の精神は崩壊してしまいました。
それから心療内科へ行き、鬱病と診断され精神安定剤を毎日飲んでます。
>>55の様に自分が生きていることには意味があると思っている人間は幸せ者だと思う。
自分の無意味さに気付き、自分に何ら価値はないと知ったとき、あなたは自分を否定することになるでしょうから。
僕も
>>55の様に夢の中で生きていたかった、と後悔しています...orz
80 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 23:04:00 0
だから野球やろうぜ
81 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 23:39:20 0
私はスポーツなどという野蛮なものには興味はないし、野球などというとりわけ野蛮なものはみたくもないんですけれども(笑)
82 :
考える名無しさん:2007/05/12(土) 00:42:26 O
じゃあオセロやろうぜ
83 :
考える名無しさん:2007/05/12(土) 00:50:53 0
>>81 げーじゅつと、文学と、哲学と、・・・・これくらい脳髄で血が踊り狂い、らりれることはないよね。w
酒飲んで良いまくる、哲学書を読みふける、はては高速道路を160km/hオーバーで走り抜ける、
女子とやりまくる、これ以上食えないって程腹に詰め込む、一頭の馬に大枚を掛ける、・・・・・・・・・
これって殆ど同意だよねぇ。w (俺もその全てをこなすわけじゃないw)
86 :
考える名無しさん:2007/05/14(月) 15:24:21 0
>47 -48
>だが、私はそれでも日々を過ごす。
個体が生きることに意味が無いのであれば、死ぬことにも意味などない。
無条件に人類一般の予定調和なども見出せはしない。
その無意味という事実の中で、初速を与えられてしまった、その惰性と慣性だけで生きていくか、意味の無い全く自由の世界の中で、個体の意味を付与していくなにがしかの「主体」として生きていくか。
それとも、もっと違う第三の道を模索していくか。
まだまだ思考し、行動する選択の余地は多いと思うよ。
87 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/14(月) 15:27:02 0
>47 -48
世界相手にnonを突きつけ続ける生き方っていうのも有りだと思います。
しんどいけど。
生命とは、無意味にある一定の方向性を持たせるものである。
我々の認識できる無意味とは、まだ定義されていない部分である。
>まだまだ思考し、行動する選択の余地は多いと思うよ。
僕の思考した結果はこんな感じです。
>世界相手にnonを突きつけ続ける生き方っていうのも有りだと思います。
しんどすぎて死んじゃいますよorz
89 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/14(月) 20:13:53 0
>88
>しんどすぎて死んじゃいますよorz
じゃあ生きてるっきゃないじゃん。
91 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/17(木) 13:12:05 0
>90
>我々の認識できる無意味とは、まだ定義されていない部分である。
こう書いているあなたにとって、どうして死の選択だけは無意味ではないのですか?
92 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/17(木) 13:14:58 0
>90
死ぬという行為を「選択すること」は、あなたが無意味であると定義づけようとしている生の領域内の行為ですよ。
93 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/17(木) 13:15:50 0
>90
即ち、矛盾。
そこで思考迷路に陥る
orz
つまり、私という生命体は死を己の最善と定義し死を選ぶ
そこで、死とは無意味ではなくなり、私という生命体にとって死とは最善の策となる
こんな感じかな
>>92-93 僕が言いたかったことは
『我々の認識できる無意味とは、まだ定義されていない部分である』
であって、生の領域内を無意味と言っている訳じゃない。
それを定義づけるとそれは無意味ではなくなる。
しかし、定義づけなければそれは無意味である。
ってことが言いたかったんだけど
97 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/17(木) 17:49:37 0
>>96 >私という「生命体」は死を己の最善と定義し死を選ぶ
生命体とは「生を持つもの」ですよね?
死は、生とは全く関係性を持ちえないことから、生の領域の定義付けを死に持ち込むことは不可能ですよ。
そして、死は、あなたを鬱病と定義付けるような「生者たちの餌食になること」以外のなにものでもないですよ。
>『我々の認識できる無意味とは、まだ定義されていない部分である』
「定義されていない部分としての無意味」とは、「定義付けされた無意味」に対するアントニムですか。
それとも、定義付けされないこと自体を無意味と「定義付け」しているのですか?
もし前者であるとすれば、あなたのいう「無意味はまだ定義付けされていない」ことから、「まだ定義付けもされていない無意味の結論としての死」、というのは概念としても成り立たないですね。
もし、後者であるとすれば、それは定義付けの前提となる必要条件/十分条件、即ち、定義の成立要件をなんら満たしていないですね。
それとも、「定義づけなければそれは無意味である」という言明に対し、
それには、なにがしかの意味も付与されない、ということを言明できますか?
独我論ではなく、独断論としても。
98 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/17(木) 18:02:04 0
例えば、「自分は・なにものでも・ない」という命題は、はからずも、そう言明する主体の認識のなかに、「なにもの」かがそっと忍び込んでいることから、
それが措定されていることになります。
その得体の知れないままの「なにもの」かを「否定する」ことは、その「なにものか」に対する意味づけ(否定する-否定される関係性の成立)を意図した言明になってしまいます。
>>66 「欠け」がないから虚しいんじゃねーの?
66を読んで咄嗟に林郁夫が頭に浮かんだよ。
>生命体とは「生を持つもの」ですよね?
違いますよ、生命体を過大評価しすぎです。
我々生命体はある特定の条件で、ある特定の行動をするいわばプログラムの様な物です。
ただ、人間が生とは尊い物だと思っているだけ(定義しているだけ)です。
>「定義づけなければそれは無意味である」
というのは、これ自体が無意味を定義していると言うことです
>それには、なにがしかの意味も付与されない、ということを言明できますか?
無意味という意味が付与されていますよ
ちょっと分け分からなくなってきたのでまとめると、
すべてはデータであると考えます
我々の知らない、または定義されていない部分はまだデータが書き込まれていない部分です。
ですが我々の脳内では、これは 0000000000000000......... のように定義されているのです。
(人間の脳内はめんどくさいので、パソコンのビット単位で考えます)
>「自分は・なにものでも・ない」
というのは、意味的におかしくありませんか?
自分−>データとしての実体−>101001011010........(自分の存在を表すデータ)
なにものでも・ない−>null−>0
(自分の存在を表すデータ)101001011010........ = 0
みたいになっちゃいますよ
無意味−>000000000000..........−>意味がない−>無意味
無意味を定義づける−>000000000000......ではなくなる−>『意味がある−>無意味』
どちらも無意味ではあるが、成り立ち?が違う
『意味がある−>無意味』で人間が、勝手に定義づけているのですね
つまり僕の言った
>『我々の認識できる無意味とは、まだ定義されていない部分である』
は間違いであって
『我々の認識できる無意味とは、定義されている部分である』
『我々の認識できない無意味とは、定義されていない部分である』
という結論に達する
102 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/18(金) 17:21:58 0
>>100 >101
>無意味という意味が付与されていますよ
↑
なにがしかの意味が付与されているのであるとすれば、それは「無意味」では無いですよ。
(ry
>『我々の認識できない無意味とは、定義されていない部分である』
↑
では、「既に定義されている部分である意味」は、「まだ定義されていない部分である無意味」の十分条件になりますね。
即ち、「無意味である」ためには、「既に定義づけられている意味である」ことで十分である、と。
どうしてこういうことになってしまうかというと、「我々の認識できない無意味がある」は、ア・プリオリにも、ア・ポステリオリにも認識できない/言明できない、即ち、真の命題(事実)とは置けない、からですよ。
すみません
>>100 と
>>101 は少しまとめているうちに意見が変わっちゃいました(汗
>即ち、「無意味である」ためには、「既に定義づけられている意味である」ことで十分である、と
無意味といっていること自体が無意味という意味を定義づけていますからね
『無意味とは、定義されていない部分である』
『最初から意味は存在しない』
『意味とは人間が定義づけたものである』
みたいな感じで良いのかな?
元々『物質として存在するというデータ』は存在しますが、それに付加価値を定義づけたのは人間です。
つまり、人間は『物質として存在するというデータ』は存在しますが、『価値』は無いと言うことです
人間に意味など無いのです
104 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/18(金) 18:55:15 0
>103
>無意味といっていること自体が無意味という意味を定義づけていますからね
↑
なにがしかが無意味である、という言明は、無条件には、無意味ではないです。
>『無意味とは、定義されていない部分である』
↑
定義されている部分もあるということですよね。
>『最初から意味は存在しない』
↑
この言明こそ無意味(語りえないもの)ですね。
>『意味とは人間が定義づけたものである』
↑
人間以外の認識主体との交感が「まだ」無いという仮定をおけば、これは真ですね。
>人間は『物質として存在するというデータ』は存在しますが、『価値』は無いと言うことです
↑
例えば、人間の労働力は交換「価値」を持ち、その「価値」を持つことにより、好むと好まざるとに関わらず、労働市場において取引の対象になる。
そして、そこで得る賃金でもって、労働の場を離れたとき、市場の王である消費者として君臨します。
労働の場においては、生産や売買により、付加「価値」を産みだしています。
もし、主観的価値を語るのであれば、それは「饒舌」であることから、他者に語りかけられるようなものではない。
最大限、譲歩すれば、「芸術という商品」の中で、なにがしかの「美」を定着するための手段としての価値だけですよ。
これらの「定義」付けを行うためにも、人間は、『物質として存在するというデータ』としても存在するのでしょうね。
>定義されている部分もあるということですよね。
無意味と定義されている部分は無意味ではあるが、意味が無いわけではない
だから
定義されている無意味 = 定義されていない無意味
とはならないわけで....
でも、無意味は無意味ですね
何というか、自分には価値がないみたいなことを言ってると本当に怖くなってきて
永遠はないということを自分でも知っていて、でも死ぬのが怖くて
僕は今のところ不老不死になる方法は分かっていますが、理論上のことで何ともいえません。
それに、それは永久はないという仮定において成立しません。
僕は今、精神安定剤を飲んでいないと正気を保つこともままならない状態です。
(学校に行ってないから即レスできるんですよ)
どうすればこのような状況を奪回できるのでしょうか?
死という定義を変えるのか?
恐怖という定義を変えるのか?
この若さで死ぬのが怖いと言うと笑われそうですが、『宇宙の広大さ』から考えると我々はほんの一瞬です。
何というか、惨めで、誰にも何に頼っても解決できないことで、
本当に、今の人間達は何も考えずに生きることができて幸せ者ですね
106 :
考える名無しさん:2007/05/20(日) 12:04:00 0
宮台真司と宮台信者にはすぐさま自殺する事が望ましい。
108 :
考える名無しさん:2007/05/21(月) 18:40:55 0
そもそも自殺したまっとうな哲学者っているの?
背理法できたか。
俺たちが討論やめてからここ下がりっぱなしw
あげあげw
112 :
考える名無しさん:2007/05/29(火) 11:38:05 0
>111
あのスレ、2、3回書いたけど、すぐ飽きた。
世界に意味がないのなら、「まっとうな」も「まっとうでない」もないだろ。
114 :
考える名無しさん:2007/06/05(火) 12:22:14 0
AGE
115 :
D:2007/06/06(水) 00:32:40 0
>>108 たしか、自殺した哲学者は多いって聞いたことがあるような。
自分自身が無意味という結論に達したのだろうか。
だとしたら、自殺することも無意味という答えは出せなかったのだろうか。
116 :
考える名無しさん:2007/06/06(水) 12:23:42 O
自殺は絶望と苦痛に耐え兼ねて意識が自らの存在を消す為に行う行為だ。
キュルケゴールの「死に至る病」を読んだ時にそう思った。
絶望は人によって感じかたが色々である。
自殺について及び私自身の自殺の衝動からを考えると自殺とは以下に尽きると思う。
意識が肉体的存在及び精神を支配する欲望に対し絶望し、
それを満たすのが自殺という行為しかしか残されていない場合に自殺すると思う。
その欲望が強いほど、または強くなくても現状または未来が過去より酷いのであればそのような状態に陥ると考えた場合、
主観的な哲学がそこに生まれる可能性がある気はする。
が、それは本人のみが理解し、
他人には理解出来ない可能性が高いため、なかなか言葉にならない。
または意識が内面に向かい、空虚な感覚に満たされに今までの世界から排他的感情で自己を否定し、
自らの死を選んだ際になにかもっともな気がしないではないがこれも思索に過ぎない。
>47-48
何故、意味が無い事に其処まで悲観的(?)になるんですか?
シモーヌ・ヴェイユもほとんど自殺だな。
自分に意味がない
宇宙に意味がない
未来に意味はない
自分がわからない
宇宙がわからない
未来がわからない
僕には、定義すら意味がありません。つまり、定義が無いのです
何も無い(わからない)という不安定な中にいることが怖いのです。
安定する足場さえない、たとえていえば、
光も闇も存在しない、上も下も右も左も存在しない空間にすんでいるようなものです
そう考えると悲観的になりませんか?
>>117
120 :
117:2007/06/09(土) 22:43:42 0
>119
確かに「そう考える」と悲観的というか辛いですね。
そう考えると…って実際そんなん無いんじゃないの?
俺らにできるのは
それを飲み込んだ上で意味やら何やらを捏造する事ぐらいだと思ってる
122 :
考える名無しさん:2007/06/21(木) 13:25:32 0
>121
そうですね。
あと、嘘っぱちの「意味やら何やら」を批判することくらいかな。
123 :
考える名無しさん:2007/06/21(木) 13:27:41 0
>122
そこを出発点とすると、ひょっとすると何かをgenerateすることができるかもしれない。
評価できる自殺は三島だけ。
125 :
考える名無しさん:2007/06/21(木) 18:49:41 0
>124
それは三島の文学を評価しているのであって、三島の自殺という行為を評価しているわけではないだろ?
シモーヌ・ヴェイユが飢え苦しむ人の苦しみを我がものとしようとして
飢餓自殺したのは評価できる。
127 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 17:57:34 0
>119
私も貴方と似たような状況、そして似たような考え方を持っています。
別に他人の考えが正しかろうと、私の考え方が間違ってようと構わない。
正解や不正解など私にとってはもうどうでもいい。
只、自分が人間として生きていくのが嫌で、死をのぞんでいる
それだけが真実。
近いうち早く逝きたい。銀河鉄道に乗るんだ。
ここはメンヘラ板でも詩板でもない。
頼むよ、消え失せてくれ。頼むよ。頼むよ。
129 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 01:14:36 0
>>119 自分に意味がない
宇宙に意味がない
未来に意味はない
自分がわからない
宇宙がわからない
未来がわからない
般若心経はそれを経にしている。
130 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 07:25:23 O
すべてが無いのではなくすべてはすべてはあるのだと般若心経いってるのだよ。時間を止めた時が本質でありすべてであるのだが意識は止まることがない。色即是空は常に流れることが意識なのだといっている。そこを考えるのだと般若心経はいう
宗教の流れになってまいりました。
132 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 23:57:31 0
>>130 「ある」というと、やっぱり「ない」と否定するのが般若心経だろ。
ありもしない。ないこともない。無限定の世界・・・。
保守
134 :
考える名無しさん:2007/07/19(木) 20:27:08 0
135 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 17:20:59 0
この板まだあったんだな ( ´,_ゝ`)
顔文字使う奴はノーセンス 美的感覚ゼロ
そのうえ論理的思考力もない蛆虫
ジヤトコ本社工場内で首吊り自殺者
(2007年7月5日)日産系自動変速機大手,ジヤトコ本社工場内で自殺者。
5日,直系子会社ジヤトコプラントテックの男性社員が,建屋内で首を吊って
いるのを同社社員が発見,通報した。男性は死亡した。この日,男性は工長
(現場のリーダー職)昇進を控えた集合教育を受けていたが,途中で席を
たっており,この直後に自殺したものとみられる。この教育は,対象社員を
一ヶ所に集め,数日間から数週間にわたり集中的に行われることから,
「『日勤教育』的色合いが濃かった」(同社社員)といい,精神的に追い
込まれる社員が少なくなかったという。警察は会社側の指導に行き過ぎが
なかったか,事実関係を調べている。
ジヤトコプラントテックは,ジヤトコの工場保全・エネルギー部門を分社化
する形で設立され,男性もジヤトコからの出向転籍者だった。ジヤトコは
このところの業績不振から,社員を関連子会社へ移すリストラをすすめて
いた。
男性の自殺について,両社は黙秘しており,社内外への公表を行っていない。
しかし過酷な教育の実態,男性の自殺直前までの行動,命を絶った場所など
から,同社が自殺と無関係だったとは考えずらい状況となっている。
早急な再発防止はもとより,事件に対する公式見解,ならびに責任の所在の
明確化など,誠意ある対応が望まれる
138 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 14:51:30 0
コロッケ屋破産したね〜
139 :
考える名無しさん:2007/10/13(土) 21:05:15 O
漱石、芥川、太宰、後期トルストイ、ドストなど
いろいろとありますが
自殺へと、ある種必然的に至る道筋を描いた本を教えて下さい
140 :
龍宮:2007/10/13(土) 22:06:25 O
ロシア文学は病とは違うが漱石と太宰治と芥川龍之介か。どれも病的だな。明治期の日本の小説家の時代精神は悪い。「漠然とした不安」だの「恥多き人生」だの何か隠された外部性が入り込み人間の関係性が離れ離れになって悪が外にではなく内に現れ人間自体に憂鬱が入りこんだ
141 :
龍宮:2007/10/13(土) 22:14:58 O
元来時間は安定しはじめると一時の平安が訪れ悪や暴力は表に表れず奥に沈む。時代はそうやって創世され安定しやがて下に沈んだものが爆発的に表に戻ろうとする。そこで時代は激動を迎え安定を取り戻そうとする。江戸時代はそれでもうまく表と裏を統合してきた
142 :
龍宮:2007/10/13(土) 22:18:14 O
知っていても意味はないが
143 :
龍宮:2007/10/13(土) 22:52:19 O
社会がアノミーに陥るのは外部性が内部を浸食してきた時におこる。閉じられていた社会秩序が混乱する前には必ず外部が侵入する。歴史的にみて権力が没落し新しい政権が起こる時には外部からの侵入か内部からの革命などの打ち壊しがある
144 :
龍宮:2007/10/13(土) 23:25:47 O
近代で言えば内部からの変革はロシア革命でのロマノフ朝や辛ガイ革命の清朝など、外部からの浸食はアジアやアフリカの植民地化になる。どちらにしても外部の空気や価値が入り込んで時代は変わる。特に日本の近代は今の関係性をみればわかる通り悪い
ショウペンハウアーは色々いってたね
146 :
考える名無しさん:2007/10/14(日) 01:11:22 0
>>1 >自己および社会全体の絶望と不毛さを証明するために
>自ら命をもって執筆(証明)する行為。
>ゆえによりパフォーマンス性と苦痛が必要になってくるww
自己及び社会全体の可能性を証明するために
自らの命を縮めて執筆(証明)する行為。
ゆえによりパフォーマンス性と快楽が必要になってくるwww
147 :
考える名無しさん:2007/10/14(日) 09:31:01 0
キリーロフみたいに噛み付けば?
148 :
考える名無しさん:2007/10/14(日) 14:07:46 O
やま
>>119 悲観も絶望も意味がない
無意味な感情に翻弄されなくともよいだろうに
無意味なものに意味を求めようとするから悲観する
意味もなければ無意味もない
そこにただいればいいだけだろう
>>149 面白い。
何を書こうか悩み、思考するこの時間が楽しい。
私は貴方の書き込みを読んだ不特定者の一人にすぎないが、
大小はともかく、貴方は私の内において価値のある行為をした者と言える。
それと無意味と断定できるのは、そう思っている時の人の内においてのみとは思うよ。
151 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 07:21:40 0
哲学徒は自殺しない
死神に魂を売り渡しただけだ
超超現実主義者なら自殺するかもしれない
だって次の瞬間に自分が生きてる保証なんてどこにもないもの
君は余命1年で勉強に勤しもうと思うか?
明日が締め切りの膨大なレポートを書こうと思うか?
1分後に死ぬかもしれないのに明日も頑張ろうって言えるか?
153 :
心の仕組みドットコム:2007/11/06(火) 09:26:39 0
154 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 11:32:34 O
>>153 虚無に捕らわれた何もできない奴が自殺するんだろって言いたいんだが
俺が自殺したがってるみたいに言うなw
もしも明日、世界が終わるとしても俺はリンゴを腹いっぱい食べるYO!
156 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 12:40:18 O
>>155 それが正しい、というか普通の人
>明日の死までに今日できるだけのことをする
自殺志願者は
>明日死ぬのに今日何しても意味がない
>>153 >虚無に捕らわれると何もできませんよ。
最小限、生きることだけはできる。
その生き様と心のありようは、他者の知るところでは決してないが。
>157
確かに、表に出る行為は一般人以上にノーマルだと思います。
>>157 >158
虚無に陥った者は、また、かなりストイックでもある。
160 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 14:16:41 O
地球温暖化を加速させようぜ
161 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 23:03:56 0
自爆死
162 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 08:32:25 0
無駄死にこそ、最も哲学的だ。
163 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 09:46:31 0
ストアのゼノンは、老いてからもう死ぬべきときが来たと判断し
自ら息を止めて自殺したと言い伝えられている・・・・・・んじゃなかったっけ?
164 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 09:59:47 0
偉い人だなあ。真似しようっと。
166 :
考える名無しさん:2007/12/02(日) 22:35:22 0
自殺男女比率75:25
なんだこりゃw
167 :
考える名無しさん:2007/12/02(日) 23:27:20 0
>>165 ヨガの行者とかも人間の構造上無理としか思えないポーズを取ったり、
普通の医学では不随意筋とされるものを自由にコントロールしたりするでしょ。
死のうという意志が強ければ、きっと息を止めて自殺するのもできるさ。
まあ、「彼は死んだのではなく、息を止めて自殺したのだ」という主張は、
反証不可能なところはあるが。w
168 :
考える名無しさん:2007/12/02(日) 23:38:57 0
死んだ日には、借金に負われて自殺した奴と同類に置かれるだけ
169 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 16:51:16 0
働いてる奴、税金払ってる奴は馬鹿www
俺は一生童貞だし、この国がどーなろうがしったこっちゃないよ。
愛国心?ばっかじゃね〜の?むしろ俺は日本という国に恨みを
持ってるね。みんな好き勝手やってるのに、俺は悲惨な人生だ。
どんどん壊れていったらいいよ。しるもんか。
おまえらが俺のことなんてしらないようにね。
所詮日本は利権構造だ。コネさえあればたいして努力しないで
大金が稼げる。公務員夫婦の世帯年収は40歳平均で2000万円。
マスコミ・銀行・その他、利権構造下にあるものは全部そう。
こいつら普通に50代で2〜3000万稼いどる。大して仕事してないし。
親族経営会社で利益を親族に手当てして税金払ってない所も山ほど。
そんななかで手取り2〜30万、年収で3〜400万円程度で
この利権構造体を存続させるために働け、ってか?
利権構造下にないのに労働してる奴らって、馬鹿だろ。おまえ。
おまえよりも馬鹿でロクデナシがロクに働きもせずに
大金を稼ぎ、佳い女(男)を抱いてるんだぜ。
馬鹿らしさに気づいた奴らは働かねーよ。俺とかな。
財産食いつぶして、金が無くなれば自殺するさね。
どうせ俺はキモくて生命としても次世代を遺せないわけだし、
この社会体がどーなろうが知ったこっちゃねーよ。
あぁわかってるよ。俺が一番馬鹿だってことぐらい。
俺は生まれてはいけなかったんだよ。さぁ俺を殺せ。日本
170 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 16:55:26 0
「哲学的」の意味がわからんのだが。
自殺の方法を問うてるのか、
自殺に臨む心意気を問うているのかも、わからん。
設問が微妙すぎるだろ
171 :
考える名無しさん:2007/12/22(土) 15:13:32 0
結論が出ないのが哲学。だから当然、自殺しようという結論も出ない。
172 :
考える名無しさん:2007/12/22(土) 16:08:53 0
哲学というよりも、法律の文面を変えるとか…。
そうすれば少なくとも合法に。
それで、
悪法も法で、ソクラテス的に自殺はオーケーみたいな。
173 :
考える名無しさん:2007/12/22(土) 17:35:07 0
174 :
考える名無しさん:2007/12/22(土) 20:28:19 0
病気の末期状態で
病院から飛び降りて自殺した哲学者がいたな
「これは自殺ではありません。私は自分の人生をまっとうしたのです。」
と書き残して死ぬ。
>>87 カミュの『シーシュポスの神話』では、そうした生き方が良しとされているよ。
人生が無意味であることを確信しながら、虚無感(不条理)に反抗、対峙し続けるべきだ。自殺は思考の飛躍であり、不条理に対する解決には成らない。
と言う形で最終的に自殺を否定してはいるけれど、哲学、自殺、不条理に興味関心を持ち、特に論理的な思考方法を重んじる人間には面白い著作だと思う。