1 :
考える名無しさん :
2007/03/10(土) 17:25:21
2 :
考える名無しさん :2007/03/10(土) 18:14:44
妻は われわれが 歴史にのこさなければなりません。 晶子の喪主の亭主です。
過去スレ: academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171184466/ 【天才】池田晶子・17【問題発言】 academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1168564827/ 【美しい巫女】池田晶子・16【スピリッツ】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1165714244/ 【勝ち組】池田晶子 part15【オバさん】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1162977191/ 【引力と斥力】池田 晶子 Part14【好きと嫌い】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1159763615/ 【男女平等】池田 晶子 PART13【女性の敵】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1156464492/ 【辞世の句】池田晶子【忘れないでね】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1153500161/ 【自己の世界】 池田晶子 part11 【他者の世界】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1150297277/ 【週刊新潮】 池田晶子 part10 【サンデー毎日】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1150242586/ 【週間珍潮】池田晶子part10【悲惨デー毎日】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1146052046/ 【新進気鋭】 池田晶子 part9 【才色兼備】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1142210150/ 【やっぱり】池田晶子part8【続けよう】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1139824918/ 【善く】 池田 晶子 part7 【生きる】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1136709349/ 【哲学の】 池田 晶子 part6 【巫女】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1130417706/ 池 田 晶 子 part5 academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1123246531/ 知の欺瞞 池田晶子の場合 part4 academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1092232459/ 知の欺瞞 池田晶子の場合 part3 academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1062074176/ 知の欺瞞 池田晶子の場合 Part2 academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1050233750/ 知の欺瞞 池田晶子の場合 更に昔: academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1042772342/ 池田晶子さんは mentai.2ch.net/philo/kako/975/975451272.html 池田晶子 mentai.2ch.net/philo/kako/954/954016703.html 池田晶子 [一般書籍]板: book4.2ch.net/test/read.cgi/books/1013742305/ !!!!池田晶子が佐藤亜紀の検閲を要求!!?!
俺の言うことと池田の言うことはかなり重なるから、余りスレには 近付かなかったんだが。スレッドがあるだけで彼女の宣伝になる かと思ってたんだが、今になって考えると無内容過ぎて逆効果 だっただろうかと後悔しちまう。
「新・考えるヒント」なんて、イカモノどもの跳梁ばっこに埋も れて自分の根っこを見失わないように必死な感じで。やっと調子が 出て来て池田もノビノビとやれるかって期待してたのに。
中味もなきゃ責任感もゼロの猿真似ばかりウジャウジャ増えて。 小ウルサい小泉内閣もとうとう退陣したってのに。
「魂の世話」にとって大事だったのは「新しいもの」ではなくて 「普遍的なもの」だった。空間的にだけではなく、時間的にも 普遍的なもの。つまり、永遠性。
9 :
考える名無しさん :2007/03/10(土) 20:44:26
知りあってから一年半ほどした冬、私たちは代々木のラブホで結ばれました。 連れ込み宿のようなところでした。 男が性の技巧に熟するのは40すぎてからだといいます。当時の私は挿入すら よくできませんでした。
「残酷」の「人生は終わらない」の章、「どうせ死んでしまうのに〜」批判、 この「〜」に何が入るかは人によって違う。 人は死を恐れるが、死なないということは永遠に存在を続けることだ。 死は自分自身であることの重荷からの解放と感じられなくもない。 「私は永遠に存在する」、こんなことを言うと、まるで気が触れている ように思われるのが現代社会だ。
人がくよくよと先のことを思い煩うのは、結局のところ 生には限りがあると思ってるからではないか。 永遠に存在するとして、先のことを気にしてどうなる だろう。気が遠くなるだけのことだ。 だからキリストは、明日のことを思い煩うなと教えた。 しかし、これは単に目先の問題に目が眩んで右往左往 することとは次元が違う。
亡霊の徘徊する廃墟スレってここですか?
池田は俺の大事な分身だった。この世の軽薄な連中の玩具じゃない。 俺がネットに表れたせいで現実の距離が溝を深めたが、もうそれ も終わった。池田の魂は俺が引き受ける。
14 :
考える名無しさん :2007/03/10(土) 22:02:38
いったい誰が他界したのでしょうか。 衝撃をうけて考える読者を晶子は大好きです。 冥土の伊藤晶子です。
基地外の徘徊する廃墟スレってここですか?
16 :
考える名無しさん :2007/03/10(土) 22:30:09
妻は 公園を徘徊するのが好きでした。 晶子の喪主の亭主です。
17 :
考える名無しさん :2007/03/10(土) 22:59:24
晶子さんは名器でした。 鯨の潮吹きというのでしょうか、事の後など シーツがオネショしたみたいに大きく丸く円を描くのです。 「オシッコしたの?」 「ワカラナイ〜」
18 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 00:03:27
見えないものはわからない冥土の晶子です。
19 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 00:28:49
ホントは死んでない晶子です。 しばらく隠居してるだけです。 来年、また連載を再開します。
基地外の徘徊する廃墟スレってここですか?
21 :
救急隊員A :2007/03/11(日) 00:44:40
あ〜、あまりにもアホらしいが、救急隊員Aは処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 だという 誤解!が極一部にあるらしい。その誤解を解いておく。 救急隊員Aは 処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 ではない!(キッパリ!) 以上
23 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 01:01:52
で?
池田はオカルトも批判してたな。
俺が遅まきながら小林秀雄の「考えるヒント」を発見して、 その面白さを2ちゃんねるで宣伝してたら、同じ頃に池田が 当たり前みたいに「新・考えるヒント」を出版した。 ユンギアンなら「シンクロニシティ」とでも言うだろう。
26 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 02:16:54
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 なくなったの????
27 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 05:14:45
>「私は永遠に存在する」 裏を返せば永遠に存在する「私」など端から存在しない それは強烈な私の思い込み というのが池田女史の終生変わらぬ言説でしたが・・・ 何かを思い込まずにはいられないこの人生という思い込みから開放され 永遠に覚めることのない人生から覚めた池田女史よ、何処へ・・・
全共闘であった担当編集者って誰? Yさん?
29 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 07:08:45
30 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 09:11:10
妻の晶子がロゴスした様に われわれ編集者と読者は たった320円しかしない大衆週刊誌を購読しましょう。 広告嫌いでロゴス馬鹿な家内でした。 晶子の喪主の伊藤です。
>>27 >>10 では、池田はニーチェ的な表象を駆って一種の永劫回帰を言ってないか?
読んでないか、ああそうかい。
アルコールの回った頭で資料もみないでwikiいじったら、適当多いな。
訂正しとかんと・・・。
32 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 09:38:17
ここですか?負け犬救急隊員が名前を変えて必死になっているスレはw さっさと池田晶子が語ったことに対しての批判に反論しなさいw
33 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 09:39:38
34 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 11:02:15
アキコモナ
35 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 12:00:46
>君達なんでこんなにも、必死になってるの?わからない? ただ、14歳哲学を書いただけだろう? 世界には、何人の哲学者がいると思うんだ。目を覚ませ! …目の前に札束積まれたら、心は変るよ。
36 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 12:19:15
冥土でも お札が好きなメイドの晶子です。
NGワード:です。
38 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 14:25:20
アキコモナ
39 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 16:37:01
妻は われわれ編集者と読者が 追悼フェアーをやりやすくするために 連載を意図的に一回休みました。 インターネットなんかしてる馬鹿な読者に 忘れられたくない晶子の喪主の伊藤です。
推奨NGワード 晶子です。 アキコモナ で? 伊藤です。
>>35 俺がもしそんな機会に恵まれたとして、貴様みたいなだらしない態度を取らない
ことを神に祈るよ(笑
42 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 17:06:22
>>40 さんは推奨される素敵な女性ですか、どうよ?
43 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 17:31:05
推奨NGワード EDMOUBKE2
信者はどこに行ったんだ?前スレでアンチにコロされ、すべて亡霊と化したか…。 しかし、なんでDQNって亡霊が出る廃墟に集まりたがるんだ?w誰か教えてくれろ
45 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 18:33:03
妻のロゴスに 感動するわれわれ読者は 家内の心霊を背後に背負っているのです。 晶子の喪主の實です。
46 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 18:34:41
なんだ、ダンナが来ているのか?
47 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 19:10:15
魔女ヘリケアルド様、365億6000万年生きたってw
48 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 21:19:35
もはや他界できないメイドの晶子です。
池田はさぞ、このスレッドがウザかったろうと思う。
50 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 21:55:32
妻は本質なので われわれ編集者と読者が大好きでした。 プラトニックな晶子の喪主の亭主です。
池田の言葉を理解したのなら、あとは自分で考えるだけ。 信者など論理的に不可能だろう。
52 :
考える名無しさん :2007/03/11(日) 23:08:13
>>51 普通の奴ならそう考えるけどな。
信者、信者ってうるさかったのはプギャオだけだろ。
噛み合ってねーwこのスレの廃れっぶりを象徴してるな
54 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 00:01:04
で?
貴様は以後、ピラニアと呼ぶ。 池田は、俺が自然に関心のある方に向かうと当たり前にそこに いるやつだったな。音楽関連の板なんて遠い遠い。
56 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 02:44:06
晶子の最後はガンかよ 哲学やってる割には結構ストレスたまってたんだなwww というか酒飲み過ぎだろww
貴様にとってこの板の隣はピンク板だろう。
哲学や宗教と芸術が異なるのは、芸術は作品を作るのが目的な点かな。
59 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 05:14:46
>>56 上等なガン死でよかったんじゃないかな。それとガンはストレスよりも遺伝によるところが大きいよ。
父親が亡くなって、2年も経っていないから因果なものだ。
酒の飲み杉と言えば、タバコの吸い杉でもある西部邁は丈夫だと思う。
60 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 05:15:50
やっぱ働くことは大事だね。 安い給料で毎日ゴミくずのように働いた経験がないまま41歳とか 46歳になってしまうと、言葉の間に漂う空虚な匂いが隠せない。 世間知らずの学生や先生方は騙せても海千山千のオヤジどもは騙せない。
61 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 05:54:13
見捨てられたオジさんも天国で 晶子と仲良くスピリッツを飲んでます。メイドの池田本人です。
62 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 06:54:33
63 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 06:54:58
>>60 実人生での経験に裏打ちされてないから、表層的で言葉に重みが無いんだよな。
>世間知らずの学生や先生方は騙せても海千山千のオヤジどもは騙せない。
どんな職種の人物であれ本物(一級品)は そのどちらも唸らせるんだよ。
64 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 08:15:32
週刊新潮の担当者さん、大変でしたね。 あんな寄生虫みたいな女でも一応「文筆家」で貴誌の売り上げに貢献してしまったわけですからね。 急遽まとめるほどもない薄っぺらな執筆人生をまとめあげた御苦労は察して余りあるものがあります。 いやはや、墓碑銘とは。恐れ入りましたね。その必死さに。 いくら自身で自分の薄っぺらさに気付いており、とてもとても貴誌の「墓碑銘」のコーナーにて取り上げられることがなさそうだと感づいたからといって 自身で「墓碑銘を自分で書いてみました」なんていうのは、最期の悪あがきらしくてみっともなさが際立ちますね。 それに返すようにあんな2ページもの誌面を割いてまで特集組むとはね。 新潮もずいぶん弱腰になったもんだと噴飯しました。 ですが、その2ページというのに新潮一流の皮肉が隠されているのだとわかりましたよ。 いつもいつも1ページだった池田に「中身の無い内容でも2ページぐらいは『文筆家』でもない記者風情にも書けるんですよ?お粗末でしたね池田さん」っていうことなんでしょうね。 お見事です。すばらしいジョークです。 あの芸能人や著名人のくだらないお食事日記ですら2ページももたせているのに、 池田は1ページも満足に使いこなせなかった素人以下の「文筆家めいた何か」ってことにしたわけですね。 いやすばらしい。 ほんと、病人は黙らせておくのが一番ですね。 死を予感してしまった馬鹿にわめかせるのが一番質が悪いですね。 池田に好き勝手誌面を汚させた家族は万死に値しますね。 汚すのなら自分の家だけにしてなさいってこった。
65 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 09:41:48
>>64 は労をねぎらう魅力的な女性ですか、どうよ?
66 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 10:35:14
池田は体系的な著作には拘らなかったのは、哲学は「著作」と いう作品を作るのが目的じゃないからだった。
68 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 11:26:52
妻は われわれ編集者と読者から 「書きたいことを好きに書いてください。」と、頼まれました。 晶子の喪主の伊藤です。
うるせえよ、本書くのが哲学だと思ってる間抜け野郎多いよなw
70 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 11:37:35
アキコモナ
読まずに言うな。哲学者であることを社会的な地位だと勘違いする弊に ついては敏感だったもんな。
72 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 11:51:33
で?
73 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 12:06:02
まだ あったんだ 糞スレw
74 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 13:05:59
まだまだ 冥土から書き込む不滅の晶子です。
75 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 13:47:02
46歳、腎臓癌で死去・・・か。 そういえば中上健次も確か46歳で腎臓癌だったよなぁ・・・ 腎臓って40代でヤバクなるのかね? 酒、控えよーっと。
76 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 14:58:17
最後は、他力、不思議、生は奇跡 か。まっとうなところかも。
新潮立ち読みしてきた。 最期もいつものパターンで他人の墓碑銘を貶して自分自慢。 最期ぐらい他者を貶さずに稿を完結させることができないものかと・・・ 人と違う自分を演出して、それがかっこいいと思っていたのかも。 いつまでも自己顕示欲を抑えられないお子様だったんだね。 自省らしきものといえば、追悼記事の方にあった知人にあてた手紙の内容ぐらい。 「私は生きる意欲がないので仏になれると思っていたけど、 やっぱりきちんと生き切らないと成仏できないと思うようになった」とコッソリ懺悔。 こういうことこそ、自分の稿の中で完結させなければならなかったはずなのに。 物書きとしての矜持がなかったんだね。
全然関係ないけど、酒でやられるのって肝臓じゃないのか。 腎臓もやられるの?
80 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 16:10:47
医学はよく分からないけど 酒を飲みすぎると尿酸値が高くなるらしい 肝臓はもちろんのこと腎臓にも負担がかかるんだろう
81 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 16:28:27
69 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/12(月) 11:31:25 うるせえよ、本書くのが哲学だと思ってる間抜け野郎多いよなw m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ アンチプギャオの常套句「著作を持っており、連載を持っている晶子にはかなわない」 を根底からひっくり返す裏切り発言キタ━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!wwwwwwwwwwwwwwwww
82 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 16:43:33
池田の最期はホント哀れだなwwwwwwwwwww 見ないことにしているインターネットなのにブログが見えちゃったりw 関係ないはずの2ちゃんで叩かれてムキになってしまうしw いやぁw病気だったとは知らんかったわwwww 小便病だっけ?難儀だったろうなぁwwwwwwwwww まぁ体の病じゃなくても精神病は患っていただろうなって見方だったんだけどな( ´,_ゝ`) ひょっとして俺様がいじめたせいで病気悪化しちゃったとかぁ?ぷぷ ごめんね〜?死に追いやっちゃったかなぁ?ぷぷ まぁこれで大好きな新潮からゴミをまた一つ排除できたわけだ。 次は林真理子だな。いまさら安保闘争ネタ引っ張り出してワケワカメw
83 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 16:59:57
>最期もいつものパターンで他人の墓碑銘を貶して自分自慢。 マジすか? やはり、人間性は最後まで変わらない、と
84 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 17:11:24
処刑ライダーもあの女が生きているうちにこうやってがんばっていればなぁw 少しは励ましになったものだろうにwwwwwwww いまさらこんなに必死になってるのってただの自己満足でしかないのになwwwwwwwwwww 池田と同レベルw
85 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 17:15:39
冥土に逝ったのに 池田、池田と気安く呼び捨てにされる 池田貴族です。
86 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 17:17:11
池田晶子は哲学の女神だ。
週刊新潮の追悼文も、ちょっと微妙なんだよな。 「2人といない感性の持ち主でした」というコメントがあったが、 池田氏は「個人の感性などが何ほどのものか。正しいことは誰が考えても 絶対的に正しいのだ。私の文章は私が書いているのではなくてロゴスが 書いているのだ。」とかいうようなことを言っていたのだから、 「感性など超越した厳密なロゴスの人だった」と言わねば追悼したことに ならないのではないか。 「原稿をいくつか持ってきてもらったら面白かったので連載をお願いした」 というのも、読みようによっては「単なるエッセイスト、雑文書きでした」 と言っているようにも取れる(これはうがちすぎか)。
88 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 17:28:04
晶子は転生して秋葉系のメイドになりました。 秋葉原駅前でポーズとってます。 さて他界したのは夢でしょうか。 忘れないでね。メイドの池田本人です。
>>87 >正しいことは誰が考えても絶対的に正しいのだ。
池田はよくそういうことを書いていたから、
あたかも絶対をとらえていたように誤解する人が多かったみたいだが、
書いている内容は「世俗vs天」「哲学vs科学」みたいな二項対立思考でしかないから、
実際は相対の迷路をあてもなく彷徨っていたと思うよ。
90 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 18:32:45
家内はロゴス馬鹿でしたが イデアは正しいと確信してました。 晶子の喪主の實です。
91 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 19:25:45
「考えることは大事」「正しいことは正しい」「生まれたから死ぬのだ」… あたりまえのことですが、このどこが哲学なのでしょうか。 池田貴族です。
93 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 20:01:23
他界したから 秋葉に生まれたメイドの晶子です。
94 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 20:22:34
イデアが正しいので 晶子のロゴスも正しいです。 メイドの池田本人です。
95 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 20:46:24
『考える日々』の副題に「我が闘争」ってあって、キスマーク付いてて、 ああいうウィットが好きだった。本人の発案じゃないかも知らんが。
97 :
考える名無しさん :2007/03/12(月) 23:58:03
ぷぎゃお(笑)
>>87 出版社は「美人哲学者」という消費される記号が欲しかったわけだから、
内容なんてそれらしきことが書いてあればOKだったのさ。
そこに出てくる人々も池田の本をほとんどまともに読んでないだろ。
イメージだけで語っている。内容に関心がないんだよ。
適当に宣伝しておけば、あとは無知な読者が勝手に妄想を膨らましてくれる。
専門化や批評家は単なる記号だとわかってるから真っ向から批判するのも
バカバカしいと思っていただろうしな。
試しに池田の文章を男が書いたものと思って読んでみ?
バカバカしくて笑ってしまうぞ。
日本の男ハッケン
100 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 00:42:04
日本の気鋭の哲学者 日本の考える最先端?…ハッ?
陸田氏には知らせたのか?
102 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 01:03:03
妻に先立たれて われわれ編集者と読者は 彼女を生前よりみじかに感じます。 晶子の喪主の實です。
103 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 01:10:34
左翼ばばあ死んだヤッター!!!!!!!!!!!!!!!
まあ、自分のモノサシでしか人はものをはかれないと思います。 私ははるかに大きなモノサシを池田さんに見せてもらった気がします。
105 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 01:37:33
ものさしで インターネットなんかしてる晶子の馬鹿な読者を ペシペシたたくメイドの女王池田本人です。
106 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 05:34:51
213 :可愛い奥様:2007/03/12(月) 02:23:01 ID:76rrIXU30 この前「麺や武蔵」でラーメン食べたんだけど 魚ベースのスープが夏場のパンツと一緒の匂いだった('A`)
107 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 06:44:34
つわりの経験がない冥土の晶子です。
108 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 06:52:19
>正しいことは誰が考えても・・・ 小林秀雄「信じることと知ること」のパクリ。 影響されるのは悪いことではないが、他者の信条を自分の内部で咀嚼・濾過させないで 固形のまま吐露するのは、怠慢かつ不誠実。青臭い文学青年ならそれも許されるだろうが この女はヌケヌケとそれを活字にして著し「商売」をした。 「哲学」の名が泣く。墓碑銘には「売文業」と書いてほしいものだ。
109 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 08:11:04
┃┌┬┐ ┃ ..┏ NEXT┓ ┃├┼┤┌┐ ┃ .. ┃┌┬┐┃ ┃└┴┘├┤┌┬┬┬┨M2 . ..┃├┼┤┃ ┃┌┐┌┼┤├┼┴┴┨M1 ...┃└┴┘┃ ┠┼┼┼┼┼┼┼┬┐┃B4 ┗━━━┛ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B3 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B2 . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B1 Λ_Λ . . . .: : : ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高3 /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . :: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高2 / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高1 / :::/;;: ヽ ヽ ::l . ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中3  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中2 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中1 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小6 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小5 ┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
110 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 09:03:34
何故、慎太郎氏のテンションは朝鮮問題になると異常に高まるのであろうか? その原因の一つは先に述べた敗戦トラウマである。 慎太郎氏の父親は特設油槽船で軍用重油の輸送を請け負って急成長し、 大連などに支店を置いて朝鮮、中国で大儲けをした山下汽船の重役であった。 愛知の船成金から身を起こし同社を一代で築いた創業者には、 済州島などから大阪に出稼ぎに来ていた朝鮮人労働者たちが 故郷と往来する船会社を作ろうと集めた資金を横領したというよくない噂が絶えず、 何かと朝鮮と因縁が深い。 その会社の重役の息子として何不自由ない少年時代を送った慎太郎氏が、 敗戦に屈折した感情を抱くのは十分にありうる話である。 厳しかった父へのファザーコンプレックスも手伝って、 目標とする父親像が傷つけられることは自分のプライドを傷つけるように 耐えがたかったであろう。 さらに慎太郎氏には、朝鮮人コンプレックスを抱く個人的事情があった。 弟、裕次郎の妻が朝鮮人なのである。
111 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 09:07:36
で?
112 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 09:47:19
天皇は111みたいな奴や皇室イラネな奴も一切差別することなく その幸福を祈って国と国民についた穢れを祓ってというのをいつも身体張ってやってるから 天皇に穢れを肩代りさせる(嫌でもそうなってる)国民の数が1人減れば負担もその分減るわけで
113 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 09:53:39
アキコモナ
114 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 10:17:10
みんな忘れてるか、もとより知らないだろうけど、 貴乃花は大関時代、 舞の海から受けた力水を土俵に吐き出すわ、 その舞の海に負けて全く礼をせずに土俵を降りるわ、 濱の嶋に負けて降りた直後に土俵を蹴っ飛ばすわ、 負けたのに次の力士に力水を付けようとするわ、 大関どころか力士としてしてはいけない所作を 次々とやらかしていた。 土俵態度は何一つ褒められない失格力士だったんだよ
115 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 11:08:12
他者に嫌われたくないメイドの晶子です。
116 :
救急隊員A :2007/03/13(火) 14:36:35
僕が死んだら道端か原の真中に葬つて土饅頭を築いて野茨を植ゑてもらひたい。 石を建てるのはいやだが已む無くば沢庵石のやうなごろ/\した白い石を 三つか四つかころがして置くばかりにしてもらはう。若しそれも出来なければ 円形か四角か六角かにきつぱり切つた石を建てゝもらひたい。 彼自然石といふ薄ツぺらな石に字の沢山彫つてあるのは大々嫌ひだ。 石を建てゝも碑文だの碑銘だのいふは全く御免蒙りたい。句や歌を彫る事は七里ケツパイいやだ。 若し名前でも彫るならなるべく字数を少くして悉く篆字にしてもらひたい。楷書いや。仮名は猶更。 正岡子規 墓
117 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 15:22:25
お墓なんかいらない晶子です。
今ごろは千の風になってあの大きな空を吹き渡っているさw
ふむ。
120 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 20:30:14
墓碑銘ときたか。ふむ。
121 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 20:48:25
都知事選、浅野の応援団のありがたいお言葉 吉田康彦 大阪経済法科大学教授 「私は拉致疑惑事件は韓国公安機関の安全企画部による謀略ないしデッチあげ、と信じる」 (『アエラ』臨時増刊九七年七月五日号)。 核開発については、「北朝鮮の核開発は人畜無害である。誰もその実害をこうむってはおらず、 国連が制裁するのは筋違いだ」(『サンサーラ』九四年六月号)。 「北朝鮮が日本に宣戦布告をしてきたらどうなるか読者諸氏はご存じだろうか。 憲法九条は国の交戦権を否定しており、憲法に忠実に従うかぎり、日本国民は北朝鮮軍の なすがままに身を任せ、座して死を待つほかないのである」(『新潮45』九四年七月号)。
普通に黒い下着とか着てそうだったな…
123 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 21:19:03
辞世の句を書いときなさい冥土の晶子です。
125 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 00:01:21
ユニクロのウェアを着てた冥土の晶子です。
126 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 08:21:54
久々に池田本読もうと図書館行ったら1冊もない おそらく訃報を聞いてファンが改めて読み直そうと全部借りたと思う 池田さんの死をしみじみ実感した 池田さんが一足先に逝きました さあ、次は残された我々の番です 自分の番が回ってくるその日までメメントモリ
127 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 08:33:58
いったいどうすれば妻が歴史上の哲学者になるのでしょうか? われわれ 編集者も 読者も 晶子の過去を考えてしまう喪主の實です。
128 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 09:27:50
↑ 粘着乙〜 池田晶子の思う壺にはまっとるがな
129 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 10:28:39
「です。」厨
130 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 10:52:48
過去のある熟女はメイドの晶子です。
131 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 11:00:35
処刑君の勢いがなくなってきたぞ〜wwwwwwwww さぁwもう一人の人格の九級君の出番だ! 自演の疑いを晴らそうぜwwwwwwwwwww
132 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 11:23:25
133 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 17:46:11
晶子生き返ってくれ
あなたが検索されたアドレス[ 124.39.90.141 ]のJPNICからの応答は以下の通りです。 Network Information: [ネットワーク情報] a. [IPネットワークアドレス] 124.39.90.128/25 b. [ネットワーク名] IML200502797 f. [組織名] broadgate g. [Organization] broadgate m. [管理者連絡窓口] AT047JP n. [技術連絡担当者] AT047JP p. [ネームサーバ] [割当年月日] 2006/06/25 [最終更新] 2006/06/25 11:47:02(JST) 上位情報 ---------- 株式会社UCOM (UCOM Corp.) [割り振り] 124.36.0.0/14 株式会社ユーズコミュニケーションズ (UCOM Corporation) SUBA-468-52E [SUBA] 124.39.90.0/24 下位情報 ---------- 該当するデータがありません。
ああ、USENの社員の犯行か・・・。
ああ、ごめん。124.39.90.141は問題ないな。 218.222.73.211 KDDI 222.7.52.27 KDDI 210.131.1.72 NIFTY-SERVE
wikiは参加者の透明度が高いから良いな。2ちゃんねるとは違う。
138 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 19:43:48
たまたま 今晩も 生き返った復活の晶子です。
139 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 20:40:46
復活なくして 永遠の晶子なし。
黒い下着姿の池田晶子を毎晩好きなだけ舐め回した挙句、
141 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 21:34:28
チンポをお預けにした晶子の喪主の實です。
池田は死に方上手だったな。ジタバタしなかった。
正直、俺より先に死ぬとは思っても見なかったが。
144 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 23:56:23
未だに信じられない池田晶子さんの死です。
145 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 00:01:37
そりゃそうだやることやったからな お前はどうなんだ?ライダー お前もがんばれよ
俺が童貞だとでも言いたいのか?
147 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 01:42:40
でも46ならもう仕事は殆ど終えてるな 小林秀雄も戦後はロクなものないし
148 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 04:21:39
妻は われわれ編集者と読者に 考えるヒントそれ自体を残したはずですが、 何処に存在するのでしょうか。 晶子の喪主の實です。
149 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 04:24:41
>>146 おいおいwwwww またまたwwwwwwwwww
ついに俺のマラの臭さに降参したのかよm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
よほど俺の釜堀一筋30年のマラへのルサウンチマンが尽きたようだなぁニヤニヤ
ま、もとから俺様のマラの臭さには対抗すらできていなかったわけだが( ´,_ゝ`)
( ´,_ゝ`)DION規制の嵐で書き込めなかったのもわからない馬鹿が必死でわろえたよw
俺が書き込まなくても俺の影におびえて晶子晶子わめいていた馬鹿信者ワロスwwwww
150 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 04:44:58
>>149 は良いかおりのする魅力的な女性ですか、どうよ?
このスレ、残しとく価値あるの?
152 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 05:22:21
世の中の価値を好き嫌いで考えれば 家内のロゴスそれ自体になりますが、 われわれ 編集者も 読者も 変わってる妻のスピリッツに取り付かれているのです。 晶子の喪主の伊藤です。
153 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 05:54:09
154 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 10:21:56
そうですか。
151 :考える名無しさん :2007/03/15(木) 04:50:36 >このスレ、残しとく価値あるの? 本人死去直後は一瞬かつてのようなマトモなレスがいくつかあったが いまはまたこの惨状。残しとく価値なんて無い
156 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 12:29:06
アキコモナ
157 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 12:33:23
しょせんは死去直後に一瞬だけマトモなレスがつく程度の
158 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 12:46:54
価値しかない晶子です。
159 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 13:32:17
最後からひとりめの亭主の池田晶子論を 思索している晶子の喪主の伊藤です。
160 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 14:45:20
最後からひとりめのインターネットなんかしてる 晶子の馬鹿な読者はあなた自身です。冥土の晶子です。
161 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 15:07:25
最後からひとりめの天国でロゴスをとなえる 冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
162 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 15:58:22
┃┌┬┐ ┃ ..┏ NEXT┓ ┃├┼┤┌┐ ┃ .. ┃┌┬┐┃ ┃└┴┘├┤┌┬┬┬┨M2 . ..┃├┼┤┃ ┃┌┐┌┼┤├┼┴┴┨M1 ...┃└┴┘┃ ┠┼┼┼┼┼┼┼┬┐┃B4 ┗━━━┛ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B3 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B2 . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B1 Λ_Λ . . . .: : : ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高3 /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . :: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高2 / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高1 / :::/;;: ヽ ヽ ::l . ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中3  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中2 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中1 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小6 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小5 ┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
163 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 16:50:39
Hanakoの企画でアキバ系してるメイドの晶子です。
164 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 17:13:39
ここでは一切反論できないがWIKIでは削除という犯行に必死な処刑君でしたm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
165 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 17:32:23
しかし誰があんな美辞麗句ばかりのものに仕上げたがっているんだろうねぇ? ねぇ?晶子?w
166 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 17:38:42
妻を美辞麗句で飾るために われわれ 編集者と 読者は 日夜、活躍してます。 晶子の喪主の亭主です。
167 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 17:47:25
閻魔大王に好かれた人間の最後からひとりめがメイドの晶子です。
168 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 19:21:32
墓碑銘ウォチングが好きな変わってるメイドの巫女オバチャン晶子です。
169 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 21:22:44
今晩も広告嫌いな晶子です。
ツマンネ
171 :
考える名無しさん :2007/03/15(木) 22:30:46
アキコモナ
ツマンネ
磐石磐石の寄りダッ!! の寄りダッ!!
おまえらもういいよ。このスレはもう死んでる。さつさと荼毘に付して弔ってやれ。 死んだ子猿を引きずって放さない母猿みたいで痛々しいよ…
175 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 00:35:13
アダルトショップに寄り道するメイドの晶子です。
176 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 01:50:50
さて今晩もどんなスピリッツをのんだのでしょうか。冥土の哲学者の巫女オバチャン晶子です。
177 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 01:51:31
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i !;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ ゝ;;;;;;;|:::: (○) ,(○) |シ \ ー=〓=-'` / / \ \ ー=〓=-'` / / \ \ ー=〓=-'` / / \ , -‐';:;:;:;::;:;::;;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ、 /ヾ-=・=-.: '' ::´-=・=-:;:;:ヘ、 .______,ヽ、 : | 〈.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ノ | : .ノゝ、_ ;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ : !. ヾエエEァ´ . ,ノ ;;// i;:;:;:;:;:;;:;:;: ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i\` ` '´.'// |:;:;:;:;:;:;:;:;:; ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:| `/ ̄ ̄^ヽ____ノ / |;:;:;:;:;:;::;:;:;:; ;:;:;:;:;:;:;:;:;;:;| l .l ..,/´ /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:; _ ,--、l ノ ,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l ,/ ::: i ̄ ̄ | / l::: l::: l l . l !:: |::: l
178 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 02:08:28
さて朝から宇宙を散歩してるのは誰でしょうか。晶子です。
179 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 03:26:30
墓碑銘を「さて、どこで生まれたのでしょうか。」と、書いとけば 読者が謎として考えるでしょう。冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
180 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 05:05:18
墓碑銘を 「さて、大好きな吟醸酒を飲んだ後で、亭主と何をしたのでしょうか。」と、 書いとけば読者は思い込みで考えるでしょう。 メイドの巫女オバチャン晶子です。
181 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 07:25:09
妻の言葉それ自体が われわれ 編集者と 読者にとって価値があるのです。 晶子の喪主の實です。
182 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 07:48:35
174 :考える名無しさん :2007/03/16(金) 00:34:45 おまえらもういいよ。このスレはもう死んでる。さつさと荼毘に付して弔ってやれ。 死んだ子猿を引きずって放さない母猿みたいで痛々しいよ… おやおや処刑救急くんw 誰も追従してくれず孤軍奮闘にも疲れ果ててスレ停止の方向へと逃げですか?( ´,_ゝ`) いやぁwここもWIKIみたいにぱぱっと消せちゃえば楽なのにネェ?くっくっく
183 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 08:19:04
妻は不滅の天才です。 われわれ 編集者も 読者も 家内のロゴスを信じてます。 晶子の喪主の實です。
184 :
174 :2007/03/16(金) 09:47:10
>>182 おまえ誰だよw
誰が処刑救急くんだ?w
おまえら、わかったからせめてsageろ!
もう目につくとこでウロウロするな!
185 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 10:35:26
晶子はロゴスだが、 ここはクソカオスだな。 晶子がカワイソス。
186 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 10:46:36
普通にかわいそうな冥土の晶子です。
187 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 11:27:56
かわいそうな妻の冥福を われわれ 編集者も読者も ひたすら祈っています。 晶子の喪主の亭主です。
『もしも君が自分の人生を大事に生きたいと思うなら、 言葉を大事に使うことだ。 世界を創った言葉は人間を創るということを、よく 自覚して生きることだ。 つまらない言葉ばかり話していれば、君は必ずつま らない人間になるだろう。 つまらない人間の、つまらない人生、そんなのでも いいのかな?』
189 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 13:11:39
で?
190 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 14:08:12
晶子の言葉それ自体に価値があるのです。冥福の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
191 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 14:36:24
妻のロゴスその言葉自体に われわれ編集者も読者も 価値を見出だしているのです。 晶子の喪主の實です。
>>188 そういう言葉を綴ることはできたのに、
その「つまらない言葉」を自分自身が発していることを、
本人が自覚できなかった。
人間って、厄介なもんだね。
193 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 16:30:42
大和民族の男は馬鹿なので厄介ですが、 たまを抜くのも簡単です。メイドの巫女オバチャン晶子です。
194 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 17:59:33
妻の無体な野望を われわれ 編集者や読者は 池田本人のロゴスとしてあがめるのです。 変わってる晶子の喪主の天才伊藤です。
195 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 18:19:30
言葉も大事だが肉体を軽視しちゃいかんよ
196 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 18:46:04
妻は面食いでしたし われわれ 編集者も読者も 家内に嫌われたくなかったので アート系のルックスをしてました。 イケテる晶子の喪主の實です。
197 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 21:59:05
《…私の方がまだ賢いのではないか、とひとり考えた。 どうやら、善と美については(むこうも私も)どちらも知ってはいないが、むこうは知っていないのに何か知っていると思い込み、私の方は、無知の事実そのままに、知っているなどと思いもしないからである。 僅かにこの点、つまり知らない事柄を知っているとは思いもしない点で、私の方が知者であるらしい。》(『ソクラテスの弁明』より) 池田晶子のエッセイを読んでいると、上記の論法、つまり結局、存在や宇宙について究極の答えは誰も知らないが、しかし自分は知らないと自覚しており、他人は知らないのに知っていると思い込んでいる。このような論法が目につく。 この人のこの自信はどこから来るのだろうと不思議でしようがなかったが、詰まるところソクラテスのこの論法から来ていたのだろう。無論背景はそればかりではないが。 『考える日々V』に「何が私であるのか」というエッセイがある。「私」という代名詞はただ不可知な「それ」に付けられた代名詞にすぎないと言っている。 俺はこの手の疑問に囚われたことがない。物心ついた頃から精神的な病のために自分であることがたえず苦痛だったためだ。だから池田のこの手の疑問にたいして、切実感が感じられない。池田は自分が痛い目に遭った時もそのように感じたのだろうか。 すなわち、“今、苦痛を感じているのは誰だろう”、と考えたのか。そんなことはなかろうと俺は考える。苦痛を感じる自分が自分である。それは己の現実存在だ。池田の議論にはこのような生温さがある。実存感覚が欠如しているための生温さがある。
198 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 23:38:55
>そんなことはなかろうと俺は考える。 かつ >池田の議論にはこのような生温さがある。 よくわからない。
切実感が感じられないのも当然。池田さんは自分が痛い目に遭った経験があまり無いようだから。 恵まれ過ぎるほどに恵まれた境遇、生育環境、容姿、学歴。「なんでアンタらこんなツマンナイ ことで悩んだり苦しんだりしてんのよ」他人の苦しみや痛み、悩みの類がさぞかし 不思議だったことだろう。そういう経験値が限りなく低かったから
200 :
考える名無しさん :2007/03/16(金) 23:48:22
池田先生は他人の苦しみについて、十分理解、共感できる人だったと思うよ。
201 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 00:03:33
著書『考える人』によれば、池田はハイデガーについて熟読している。 そのハイデガー論の中でサルトルとハイデガーの差異として池田は次のように、書いている。 《「実存主義はヒューマニズムである」を掲げたサルトルからのエールに、ハイデガーは、わしは人間存在のことなど考えておらん、「存在」のことしか考えておらん、と憮然としたという》 ハイデガーは池田の引用する「ヒューマニズムに関する書簡」で、俺の記憶が正しければそのようなことは言ってはいない。 ハイデガーはサルトルの「実存は本質に先行する」という命題にたいし、どちらにしてもそれら、〈実存〉も〈本質〉も形而上学的に考えられており、それが問題だと言っている。 たしかに有は問われている。しかし、有の開けに人間は立てるのか否か、という問いとして問われているのであり、そこには紛れもなく人間存在、ハイデガーの語彙でいう現有が問われている。 何より池田と違うのは、有を時との関わりで考えているところだろう。現有は歴史的に有る。また、たえずそこで、リアルな人間の姿がイメージされている。高尚なものへ、或いは下世話なものへ、様々に人間は気にし、関わる。 単に「存在」の一語で片付けられない陰影がそこに出てくる。他者性がそこに浮上する。理解不可能性がそこに出てくる。異なる歴史性が浮上する。生の日常性が切り捨てられていない。
202 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 00:26:26
色褪せて人手に降りし高嶺の花 地上の花これ一夜の夢の如し 世は空に映る光陰なり 空なるは我なり 故に我空ならざらん 我は永遠の空なり 思えば映る高嶺の花
203 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 00:39:35
ハイデガーの講義録の一巻に、副題で「世界‐有限性‐単独性」と付いた巻がある。実に彼の存在論を的確に表しており、つまりリアルな人間存在をたえず視野に入れていたことがよくわかる。 それは池田晶子が愛読した小林秀雄などもそうで、小林が研究したドストエフスキーの小説を開くと、箸にも棒にもかからないようなアル中などがこれでもかと描かれている。また、埴谷は奇怪な観念に取り付かれた人間存在を描いた。 存在論という場合、そのような、理解を絶した人間存在のことなども視野に入れて論じられているかで迫真性は決まると思う。神の問題もそこと絡めないと、高尚なだけの論理へ流れてしまう。存在には畏怖を誘うものがある。 畏怖を誘う存在。それは全体性を食い破る。或いはそれこそが真の全体性だと言ってもいい。そのような畏怖を池田は存在に感じていただろうか。
204 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 01:42:00
思想の価値は見える人にしか見えない。それに尽きる。 思想を理解するにはセンスが必要なのだ。 そしてそれは後天的に身に付くものではない。 持たざる者に何を言っても無駄。原理的に理解し合えない。 また持たざるものが持っているふりをしようとしてもみっともないだけなのだ。 がしかしそのみっともなさを理解できるのはセンスを持って生まれたものだけなのだ。 ことほどさように思想とは人を断絶させるものなのである。 そして現実に商売の種になる。 それを傍からとやかく言われても、痛くも痒くもないのだよ。 思想の恩恵に浸りきっているものは終生幸福なのだよ。
205 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 02:00:01
で?
206 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 02:01:10
新・日本三大貧乳女優 宮崎あおい・蒼井優・新垣結衣
戸田恵梨香は?
208 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 02:30:38
微乳 w
ついに落書きスレになったか…。廃れた商店街のシャッターみたいだなw
池田先生が他人の苦しみについて、十分理解、共感できる人だった とは到底思えない。どっちかというと「苦しみの仕方が間違っている」とか 「そんなことで悩むのはおかしい」とかいうスタンスではないか。 ご自身はモテまくりでグルメにファッション、毎晩の酩酊、愛する夫はお金持ち、 という結構なご身分だったようで
211 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 03:13:42
え?夫がいたの?
212 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 03:20:19
“思想のセンスのある”“ために飯の種ができた”“終生幸福だった”人間が実は間違えていたことはありうる。そもそも池田が愛読したヘーゲルにしてからが若い自分は鈍重で、当時早くから認められていたのは友人のシェリングのほうだった。 才能がある、センスのある、飯の種ができた、ことなどその内実を保障はしない。現に俺が懇切丁寧に指摘しているような、問題があることがはっきりしている。 もう一つ池田のために指摘してやると、『考える人』で池田は《なんでハイデガーがヘーゲルを買わなかったか理解に苦しむ》と書いている。 俺が思うにハイデガーはヘーゲルにおける、分裂の止揚の仕方、その論理に安易なものを感じていたのだよ。 池田はヘーゲルを愛読したのだからまさか読んでないことはないとは思うが、念のためにあげておくと、『エンサイクロピディ』中の『自然哲学』冒頭にヘーゲルはこう書いている。 《自然は、理念が「他なる存在」という形をとってあらわれたものである。 ここでは、理念が自分を否定するような、或いは、自分の外部にあるようなありかたをしているから、自然はこの理念(そして、理念の主観的な実在体たる精神)と関係するときだけ外面的だというのではない。 理念が自然としてあるとき、「外面性」は自然のすみずみにまで行き渡っている。 〔口頭説明〕神が完全無欠の存在であるとすれば、その神が自分とはまったくちがうものへとむかう決心をするのはどうしてでしょうか。 神の理念とは、まさに、他なるものを内部からうみだし、そこからふたたび自分へと還ってきて、主体的な精神となるよう決意することにあります。自然哲学はこの還り道にあらわれるものです。》(『自然哲学』29頁長谷川宏訳)
213 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 03:26:03
で?
214 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 03:37:43
ハイデガーはヘーゲルのこのような論理が理解はできた。だが、ハイデガーからみて、分裂やその止揚の仕方が生易しいと思えたのだ。何と見比べてか。目の前にあった現実の人間存在と見比べてだ。言い換えればヘーゲル的論理はハイデガーにおいて、さらに解体された後だった。 ハイデガーがヘーゲルのような云い方を拒んだ背景にそれがあると思う。ちょうどそれはマルクスがヘーゲルを拒んだ仕方と同じだとみる。マルクスの場合はハイデガーと同じ不満が、社会的な現実と見比べることで生じてきた。 池田晶子がヘーゲルを受け入れたちょうどその地点で上記の二名はヘーゲルを拒んだ。二人はより迫真性のある表現を自ら創造する方向に進んだ。それによって思想史に新たな歴史を付け加えた。池田晶子はかのような形でヘーゲルに感心して池田晶子になった。 つまり、上記二名は俺が池田にみた不満を池田の師匠筋にあたるヘーゲルにみた、ということになる。
215 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 03:38:44
>>212 哲学者は全員、国語を勉強しなおして来い。
そんな文を自分だって正確には理解できんでしょうが。
まあ、基地外と会話するような気がする。
難しいことは、分かりやすく言えば初めて信じてもらえるのだよ。
>>212 その文を、駅弁レベルの大学生に分かるように書いてごらん。
自分がどの程度か、明白になると思うよ。
よくできたら、この失礼な文をお許しいただきたい。
晶子様がなくなられたとは、まだまだ、信じられん。
死が当分似合わない人だった。
216 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 03:52:40
アキコモナ
217 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 04:24:24
互いに違うことを 晶子が弁証すると 同じになります。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
>212 あなたは「現実」という言葉をどのような意味で使われますか? もし時間があれば、書いていただけるとうれしく思います。
219 :
218 :2007/03/17(土) 06:02:30
>212 >214 でした
220 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 06:11:00
こぴぺの204に噛み付いているようでは 哲学以前の問題だねぇ
221 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 07:29:01
アキコモナ
222 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 09:32:43
交通地獄の交差点で右折して右側を走る閻魔大王泣かせの変わってる晶子です。
223 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 09:55:11
地獄で他者をいじめる閻魔大王に ロゴスで意見するメイドの巫女オバチャン晶子です。
もしかして、晶子です厨って複数いて競い合ってるのか? ((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
225 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 10:22:39
妻には戒名がないので われわれ 閻魔大王と読者も 家内を成仏させられません。 困ってる晶子の喪主の亭主です。
226 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 10:40:36
え?夫がいたの?
227 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 10:55:57
インターネットなんかしてる晶子の読者は 新聞を読んでください。私の亭主は伊藤實です。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
仕組みを記述することのみに特化すれば、 すくなくとも仕組みを記述することに限っては、仕組みを駆使することが上手くなる。
229 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 11:02:30
で?
230 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 12:39:25
池田晶子・・ 例えて言えば、「風と共に去りぬ」のスカーレットであっても、メラニーではない。
231 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 13:42:15
エ、ほんとに、考えるメイドの晶子です。
232 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 14:00:38
勘違いしても仕方ないシンデレラ人生過ごしてきたんだろうけど、もうちょっとなぁ。。。
は? 出足からトラブってたろう。死刑囚の相手だってした。人権 活動家ってわけでもなかったのに。
佳人薄命、不真面目なだらしのない連中には余り優しくはなかった かも知らんがな。
235 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 17:05:40
>>210 自分は他人ではないので、それはしょうがない。
気取った性格じゃ決してなかったが、大衆迎合するタイプでも なかった。小泉改革のバカ祭りには参加はしてなかった。
237 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 19:41:39
池田晶子さんの死は私には突然だった。 死を考えさせられた。 私は幼少時から死の恐怖に怯えていて、数年前にはそれが元で鬱までなった。 このたびの池田晶子さんの死を涙ぐむとともに、死のあり方の一面を再認識した。 少しは私も死と握手をしようかと思う。
238 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 20:08:41
ついさっき初めて知った。 本屋で「追悼 池田晶子コーナー」ってのがあって ついに頭がおかしくなって「死人」を装うような企画でも始めたのかと思った。 本当に死んでてびっくりした。 腎臓ガンと聞いて納得した。 アル中が原因だったんだね。 しかし、46歳で死ぬなんてなんとも中途半端。 若くして死ぬなら10年位前、30代半ばくらいで死んで欲しかったね。 生き延びるんなら、80とか90くらいまで生き延びて老醜をさらしてほしかった。 何やら中途半端で期待はずれで面白くないというのがホンネです。 5年位前の2001年哲学の旅というのが最後に読んだ著書です。 ユーモアのセンスねええなあああ、と思いました。 売れ始める前に死んで伝説になってほしかったよ。
239 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 20:20:09
>>238 売れ始める前に死んでいたらあなたが池田を知ることもなかったでしょうね。
240 :
238 :2007/03/17(土) 20:35:30
>>239 ちがう、ちがう。俺は売れる前から知ってたよ。92〜3年頃かな。
哲学入門書コーナーでこのへんを見て買って読んだ。
>事象そのものへ! >メタフィジカ! >考える人 口伝西洋哲学史
西部ススムお勧めの人みたいで朝まで生テレビのオウムの回に出てた
のを95年頃の特集で見た。
入門書はわかりやすく面白いと思ったよ。
ヘーゲルという哲学者を初めて知ったね。
でも>睥睨するヘーゲル っていう本のタイトルのつまらなさ、
死刑囚との対談の本とか、週刊誌に連載が始まって
この人の人となりがわかるようになってだんだん興味が薄れていった。
241 :
239 :2007/03/17(土) 21:07:25
私は、「人間自身」「暮らしの哲学」等で、池田が妙に伝説化されない ポジションについたことは、よかったことだと思う。
242 :
238 :2007/03/17(土) 21:23:38
そもそも、この人の90年代半ば以降にやってきたことは自己矛盾に 満ち満ちていた、という気がしてたんだよな。 哲学はわかる人にはわかるけどわからない人にはわからないという発想と 大衆週刊誌への連載はなんか相容れないような気がしたね。 それでもなんとなくベストセラーになったりしてわけがわからん感じがした。 コメディアンの松本人志みたいに無知だけど感性だけで勝負って感じでさ。 この人こんなことも知らないで適当なことを毎週言ってて、 恥ずかしくないのかな、と毎回失望させられたな。 絶筆になった単行本かな、よく知らない日本の哲学者と対談したやつの 後書きを本屋で立ち読みして、おおっと思った。 死に際にやっと「僭越」という単語を覚えたんだな、としみじみ感動したね。
貴様にゃ死ぬまで覚えられんだろう(笑
244 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 22:04:30
で?
おや、ピラニアさん。こんばんわ。
246 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 23:17:19
>>242 >哲学はわかる人にはわかるけどわからない人にはわからないという発想と
>大衆週刊誌への連載はなんか相容れない
そうでしょうか。
最近、鏡のぞいたら、アタマの天辺やたら薄くなったな。
いつまでも少年ズラしてらんねえって。
どっちかいうと>242に賛成だな この私が世の中を啓蒙してやろう、しかし分かる人にしか分からない。 難しい問題に直面すると「そんなものは存在の神秘には及ばない」と、うまく逃げる。 まぁ、そりゃそうかもしれないけどさぁ…
俺はもともと人類の将来なんて関心がなかった。
絶望的なくらい孤独で、幸せだった。
252 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 02:02:54
晶子は旅人です。
池田の暴言が好きだった。
254 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 04:12:54
交通地獄で広告に文句を言ってる冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
255 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 05:11:20
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 ~ピポピポ~/;;;;;;;;;;;;チ;キ;;狂;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ /;;;;;;;;;;;;;;;ガノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i ヨボヨボ〜 !;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ ゝ;;;;;;;|:::: (-=・=-) |シ 从从/: \ / ノ i: i 入 /} |; |〈 ヽ ノ プラプラ |; |〈 ((∪)) | |; |〈 ((∪)) | i: i 入 /} |; |〈 ヽ ノ プラプラ |; |〈 ((∪)) | / ⌒`ヽ l !' ー'ヽ、 ノノ ヽ、_ \V/ ヽ / ! .| i ` ー 、 〃 `丶、/ .⌒ ヽ . / '  ̄ .! .|ヽ | ヽ `´、 `丶、 .ヽ / / 二 .rー} .|,...、 .! ヽ ヽ` 、 ` .、⌒ヽ // 三 ,f`-i .!| { ヽ ヽ ` ヽヽ. {{ fヽ二二:} ヽ ` 、 ヽ | { 〃i {ヽ.二二:} ┌、/´| |´ヽヽl´| i´ヽ ` 、 ` } 日本は核兵器を保有すべきなのだ。これほどシンプルな理屈はないだろう。 これが理解できない者は売国奴である。核保有に反対する売国奴は日本から 今すぐ出て行ってもらいたい。お前ら低脳DQNなんかをどこの国が受け入れて くれるんだかねえプププwwwww
人間は結局、どうしようもないのさ。信仰のない連中は特にな。
257 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 06:43:17
アキコモナ
池田に信仰がなかっただとか言うなよ、読者でもない奴が。
とかく大衆は長いものに巻かれたがる。
長いものに巻かれたがる人種を大衆と呼ぶなら、これはしかし 同語反復ではあるな。分かるか、精神的劣等人種ども?
大勢順応主義ほど俺に嫌がられるもんはないからな。
権力者面する奴に手加減は無用だ。
263 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 07:21:56
モー娘。アジア進出の起爆剤!ジュンジュン、リンリンが新加入 (SANSPO.COM) モーニング娘。がデビュー10年目にして初めて外国人をメンバーに加えることが 15日、所属事務所から発表された。 ジュンジュン=本名・李純(19)とリンリン=同・銭琳=(16)で、 ともに抜群の歌唱力とルックスを持つ中国人。 プロデューサーのつんく♂(38)がオーディションや友人の紹介で発掘してきた。 留学生を迎え、モー娘。が本格的にアジア進出する。
ウヒョー
265 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 07:35:34
天国に進出したメイドの晶子です。
ついこの間までいたはずの池田さんはもういない 存在って不思議 生きるって奇跡 死ぬって謎 死んだ池田さんて誰だったんでしょう?
267 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 11:11:00
一級の思索者ほど自足とは無縁で、分析や自己内対話を延々つづけながら論理の糸を辿ってゆくものだが、池田女史の遺した文からはそのような香りは遂にしなかったな。誰もいない暗い坑道を一人掘り進むような凄絶さは。 思索の切実さもなかった。どうしてもここをはっきりさせねば気が済まない、といった。自分が自分の責任で越えなければならない山、課題というのを見つけてなかった。あればそこへ突進するしかないし、解答するまでしゃにむに考えるしかない。 池田晶子が独自に遣り遂げた、見つけだした概念もない。問いと解答もない。切り開いた問題領域もない。じゃあ何をやったのか。 『メタフィジカル・パンチ』所収「小林秀雄さんへ」で池田は『本居宣長』の主題は統一性であり常識である、と書いている。それは『感想』の哲学的叙述より一歩進んだ態度だと称揚している。 池田が影響を受けた小林秀雄にしても、埴谷雄高にしても、ヘーゲルにしても、影響を受けたのは池田ばかりではない。多くの人が影響を受けている。影響を受けながら、尚且つ、そのあとに思想は可能なのか、それを問い続ける姿勢をそれぞれに模索している。 先達の業績を踏まえながら、尚且つ、そこに安堵せず、それを踏み石にし、思想の可能を模索している。そこに紆余曲折はあらわれるが、それはしかし不可避な紆余曲折だと云える。 ハイデガーやマルクスがヘーゲルに感じた不満はまさに池田が小林において称揚した統一性ではなかったか、と俺には思える。そんなものは虚構だ、と捉えたのだ。或いは、それを云うヘーゲルの論理は整合に過ぎると思えたのだ。 だから彼らは彼らなりに、自分の目の前に展開される現象に肉薄してみせた。それがヘーゲルに欠けていると思われた現実ないし実存だった。
268 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 13:24:08
で?
269 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 14:18:06
『哲学への旅』に池田とガダマーの対話が掲載されている。池田が遺した対話の中では中々面白いものになっている。それを読むと、ガダマーは有の問いを現有、すなわち〈現に〜が有る〉或いは〈現に〜で有る〉の問いとして掴まえようとしている。 ガダマーはハイデガーの弟子なだけあって、有の問いを人間から離れたところで問わない。人間すなわち現有がハイデガーにとっての有の問いだったと暗にガダマーは池田に云いたがっている。 個体の孕む歴史性こそ、『有と時』で探ろうとした問いの頂点の一つである。池田は口癖のように「私って何」と云いたがる。が、ハイデガーが探求せむとした歴史性に、それを解明する端緒はある。 対話のなかで、例によって池田は「存在を考えはじめると、無についてどうしても考えてしまう」と話す。 だが、ガダマーからみれば、宇宙や無に飛んでゆく池田のような思考は、無論否定すべきものではないが、だが、池田が疑問符に入れて離れてゆく問いの中に、蔑ろにはできない問いがあることは明らかなのだ。 池田が存在を問うてゆく。しかし、それは存在にそれを強いられているのだ、というのがハイデガー的な視点である。なぜなら企投とはすべからく、被投性を孕むからだ。 さすがに池田はそれを自覚もしていた。それを自覚するとはそのままハイデガーの問題圏に入ってゆくことを意味している。現有と歴史性について、考えざるをえなくなる。それは純粋に生について考えることだ。ガダマーもそんな不満をもったに違いない。
270 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 15:03:52
考えることの大切さを訴え続けた 池田晶子さんが逝きました 若き哲学者が残した わたしたちへのメッセージです 「14歳の君へ」 毎日新聞社
271 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 15:23:37
>>242 >哲学はわかる人にはわかるけどわからない人にはわからないという発想と
>大衆週刊誌への連載はなんか相容れない
初めから「わかる人」などおらん。「わからない人」が「わかる人」に変わるのだ。
その手助けが大衆週刊誌への連載なのだ。
272 :
238 :2007/03/18(日) 16:12:00
>哲学はわかる人にはわかるけどわからない人にはわからないという発想と >大衆週刊誌への連載はなんか相容れない 池田某によると「わかる人」は生得的な才能によってわかるので、 生得的に才能のない人が「わからない」から「わかる」へ変容する 可能性は限りなくゼロに近いことになる。この点は俺も同意だな。 じゃあ、なぜ大衆向けに語るのか。 情報飢餓にさらされている人向けだとも言えるね。 日本で普通に生きてて哲学情報を目にすることはあまりないから。 いや、そうでもないね。本屋に哲学書コーナーはちゃんとあるから。 発展途上国でもない日本なら現状でも十分に哲学情報は入手できる。 最近では池田某が最後までなじめなかったであろうインターネットもある。 じゃあ、何のために? 話はかわるが、90年代半ば以降、俺は宮台真司にも心酔した。 はっきり言って宮台のほうが哲学的にもレベルは高いと思いう。 それはともかく、宮台の仲間の一人の中学校か高校の校長をやってて 「世の中」科という教育科目をやっている。 何をやるかというと、何かと受験勉強情報に囲い込まれがちな中高生の 視野を広げるためにいろんな分野で活躍する大人を紹介する科目。 そこで宮台がいうところの「ミメーシス」を起こしてもらって、その先の 長い人生の生きがいを受験勉強に囚われずに見出して欲しいとのこと。 池田某も「14歳からの哲学」と言ってるし、まあ同じことをやろうとしてたのかな。
273 :
238 :2007/03/18(日) 16:13:37
ただ、宮台一派のは「世の中」科で池田某は哲学科で、多くの人にとっての ハードルは明らかに後者の方が高い。 宮台のはこう言ってはなんだが、高々受験勉強に囲われた子供たちをもっと 広い世の中の方へ視点を広げてもらうため。 何の生得的な要素も必要ない。 むしろ何の才能もない人間が偏った情報に安易に洗脳されないため。 池田某のは世の中というより哲学。 明らかに哲学の方がもって生まれた生得的要素を必要とする。 逆に言えば、そこまでの生得的要素があれば情報なんか与えられなくても大丈夫なんだよ。 「わかる人」は自分に見合った哲学情報を得るために一人で単独で どこまでも探求に走るんだよ。例えば俺のようにねw それでもあえてこんなことをやるってのはなぜかな、と思うわけさ。
274 :
238 :2007/03/18(日) 16:14:15
にしても、池田某は「驚いた、驚いた」とばかり言って「驚いた」の中身を あんまり言わないね。 ちなみに俺は池田某のいる地点ははるか昔に通過した。 通過した俺から言わせてもらえば、こんなことを大衆に語りかけるのは はっきり言ってムダ。狂人、キチガイと思われるだけ。 それに大衆にとっても世直しにとっても必要性はまったくない。 宮台真司のように世直し、革命家的(異論はあろうが)に生きる方がマシ。 池田某が到達した先に何があるかはここでは言えないが秘伝中の秘伝。 ここから先は秘密結社にでも入って頑張るしかないね。 インターネットでもあんまり出てこないしね。 処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 氏も「驚いてるだけの」池田某を とっとと卒業した方がいいのではないかね。
275 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 16:28:44
大衆週刊誌で哲学するのが好きな妻でしたが われわれ 閻魔大王も読者も 家内の出生地すらわかりません。 変わってる晶子の喪主の伊藤です。
276 :
238 :2007/03/18(日) 16:29:16
池田某の発言でこんなのあっただろ。 「哲学的思考に没頭しすぎてアタマの片方が大きくなった」 実際に頭蓋骨が大きくなってたのかも知れんが。 ありゃ単なる思い込みだろう。 アインシュタインの脳は実際に右脳が左脳より肥大してたそうだが、 アインシュタインファンでもあった池田某の願望と思い込みによる戯言。
277 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 16:40:58
浅田彰が1957年生まれ。大澤真幸が1958年生まれ。宮台真司が1959年生まれ。池田晶子が1960年生まれ。福田和也も1960年生まれ。山城むつみも1960年生まれ。 宮崎哲弥が1962年生まれ。鎌田哲哉が1963年生まれ。 他、香山リカ、島田雅彦もたしか同世代だ。 同世代といえばこんなものかな。 雑誌の座談会でこいつら全員集めたら面白かったかもしれないな。どんな会話になったか。想像すると面白い。司会は司会慣れした浅田彰が適任だろう。 テーマは『俺たちの時代』(笑)
278 :
238 :2007/03/18(日) 16:41:35
やっぱ自意識過剰すぎるんだよ、このオバサンは。 なぜ大衆紙でやってたのか、の答えは結局寂しかったからってことじゃないのか。 チヤホヤされて嬉しかった、認められて嬉しかった。 その感情自体、人間として間違ったものとは思わないが。 確か、神保町の本屋でサイン会や握手会もやってなかったか。 完璧に俗物に堕落したな、とまでは思わなかったけど。 というよりやっとこの人も人並みに世間づれしてきたのかなと思ったな。
>>274 あんなもん、秘伝じゃないよ。
凡庸で自意識が強い奴が陥る穴、いわゆる「魔界に堕ちた」って奴だよ。
だから晩年は、言ってることが支離滅裂で出口がなくなっていったんだよ。
280 :
238 :2007/03/18(日) 16:55:37
>>279 一応、「驚き芸」も秘伝の一つとしておこう。
驚かない人が世の中の大多数だから。
いろいろ言ったけど、俺がこの方の著作から恩恵を受けたことも事実。
この方は自分で自分をものぐさだと言っていたが、
やっぱりものぐさではダメなんだと思っています。
何かをやり遂げようと思えば執念と精力的な活動が必要だと思います。
どこへそれを向けるかが何より大切ですが。
281 :
238 :2007/03/18(日) 17:02:11
確か池田某は自分の死を、悲しんではならない、しかし軽く扱うな みたいなことをどこかで言ってたよう気がするな。 一応俺はそれほど悲しんでないけど、軽くも扱ってないんで。 これまでいろいろ書いてきたけど、そういうことでご容赦ください。
282 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 17:37:28
小林秀雄よりは偉いな
>哲学はわかる人にはわかるけどわからない人にはわからない この人、途中から「哲学は誰にでもできます」に変わったよね。 その変貌振りにワロタ
284 :
238 :2007/03/18(日) 18:08:13
>>283 私はその発言は知りませんが、さすがにそこまでの無節操はないと思いますよ。
「誰にでも」というのは「学歴その他哲学の専門知識のない誰でも」ということだと思います。
ただ、私がこの人の著作を追うこと辞める直前にどこかで読者投稿を見て
「近年、日本において哲学志向がますます高まってるのを肌で感じる」
というようなことを言っていたので、どこかで何かが変わったことはありうるかもしれませんが。
>「近年、日本において哲学志向がますます高まってるのを肌で感じる」
私はこれについては全く逆の印象を持ってますが。
哲学志向がないというよりどんどんバカになっていってるんじゃないかと。
285 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 19:33:34
何だか池田晶子に文句ばかり言ってるみたいだが、文句云うのもまた弔いの一形式だとも思うのでまた言わせてもらう。 『メタフィジカル・パンチ』所収「埴谷雄高さんへ」で埴谷の出演したテレビ番組の感想を述べながら所々で池田は埴谷の思想について簡潔に紹介している。曰く「自同律の不快」曰く「存在の革命」 こうである。 《「自同律の不快」とは、世の中への不平不満のことではありません。存在しか思考できない思考自身の不自由のことです。》 《埴谷が社会革命を越える「存在の革命を」と言い出すと、わけもわからずついてきた人々は、いよいよもってわからなくなる。 わからなさ余って教祖化すりか、じいさんボケたと言うことにする。処置なし。 社会革命が問題なのではない。なぜこれがわからないのか。 人間は存在する。存在をこそ考えよ。なぜこれがわからないのか。》 《…生活を生活たらしめ、人間を生活の奴隷たらしめているところのこの存在形式をこそ革命せよ。 存在を越えるものを思惟することによって最高存在を顛覆せしめよ、永久革命者埴谷雄高はそのことをこそ一貫して唱えてきたのだ。》(『メタフィジカル・パンチ』文春文庫版38-39頁) 池田の解釈は悪くない。イイ線いってると思う。 しかし、何かが付け加えられなければならない。あれらの思考を埴谷が生み出さねばならなかった背景や、そこに籠められた心情がある。 むしろ、あれらの思考概念の生まれた背景、それらを埴谷が蔑ろにしなかったことにこそ俺が思うに埴谷の偉大さはある。
286 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 20:14:42
それは端的にいえば埴谷が幼少の頃にみた台湾での日本の植民地体験であり、また、埴谷の非合法活動時代の党体験だ。或いは埴谷が幼少時にみた父親から母親への理不尽な暴力もあったかもしれない。 埴谷が自同律という概念を発見した背景は、カント以前にある。幼少時からの考えだったと埴谷は言明している。しかし、これが『死霊』で観念として飛翔する場合、それは存在の越えられなさ、として指されていることは明らかなことだ。 存在を、今有る形式でしか有らしめられないこと、そこに重力のような力があり、容易には越えられないこと、これが不快をよぶのである。 自同律の反対は何か。超越である。人はたとえば党にたいしてその超越体を夢見る。疎外の超越である。 しかし、「永久革命者の悲哀」で埴谷が描写したように、革命運動体という、いわば階級根絶の機関であるはずのものが、それ自体新たな階級を内部に孕んでいた。つまり、超越体であるはずのものが、やはり同じだった。すなわち自同律に絡めとられていた。 埴谷が「自同律の不快」という場合、そのような、幻滅の体験の生々しさがあると読むべきではないか。つまり、超越はない。少なくとも埴谷がみた限り、人間存在には超越はない。それが不快を誘うのだ。俺はそのように読んできた。 埴谷が社会革命にたいし存在の革命を訴える背景に、そのような、超越の不在があった。それは思考には違いないが、その思考概念の背景には生々しい体験があったのだ。 つまり、存在の問題だ。だから『死霊』で次のような問答が為される。 《―…私は精神病医として敢えて断言しますが、自己が自己の幅の上へ重なっている以外に、人間の在り方はないのです。 ―それは不快です。》
287 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 20:44:36
超越してるメイドの晶子です。
288 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 20:47:41
だから池田による埴谷雄高読解にたいする不満は、埴谷の体現するものとは、単に思考の問題なのではないということにある。思考の問題は、存在の問題を考えることとして出てくる。 自同律というのを、円環と言い換えることもできるかもしれない。つまり、いつのまにやら到達点が出発点に逆戻りしているような。つまりそれが存在の越えられなさなのだ。繰り返されている、ということだ。 存在の問題である、ということは池田も指摘している。でも、池田の叙述を読む限り、埴谷がそこで暗示しようとした、背景の暗部がみえてこない。暗い体験がそこにはあり、埴谷の形而上学はその暗い体験から出てくるものだ。 越えなければならない存在の拘束への眼差しがそこにはある。埴谷と吉本隆明をつなぐ糸もそこにある。幻想論の背景もそうだからだ。そこから歴史への解剖もまた必要となる。思考の苦闘は形而上学ばかりではなく、分析にもつながる。 つまり、埴谷も吉本も、存在の檻を破ろうという衝動の持ち主だ。その経路は違うが、そうだ。怒りがあるのだ。池田に存在への怒りがあるか。あったか。もう聴けないけどね。
289 :
238 :2007/03/18(日) 21:03:04
>池田に存在への怒りがあるか。あったか。 なかったような気がします。 驚くことに自己満足していたように私には見えました。 埴谷さんのことは良く知りませんが「戦争体験」はバカにできないと思いました。
290 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 21:42:06
交通地獄を体験してる晶子です。
腎臓ガンじゃねえかよ 轢かれたのかと思っただろが
292 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 22:06:09
肺
293 :
238 :2007/03/18(日) 22:28:48
週刊新潮のバックナンバー読ませていただきました。 前々号はいきなりの休載で、前号で遺言ともとれる「墓碑銘」という題で 「考える日々」の最終回となっておりました。 あわせて前号には追悼文が2ページありました。 死んだのが2月23日、発表が1週間後の3月2日。前々号発売が3月1日。前号発売が3月8日。 私が知ったのが3月18日。どうでもいいことですが。 「墓碑銘」では「私が仮に死んだとして、さて誰が死んだのでしょうか」 というような問いかけがなされておりました。 それにしても、この週刊新潮という雑誌。 編集後記や次号予告がまったくありませんね。 今号(3月15日発売)には池田某関連記事はまったくありませんでした。 全頁きっちり見ないとどこに何が載ってるか、今号の目玉記事は何か 見落としやすいですね。
294 :
238 :2007/03/18(日) 22:37:52
どうでもいいことですが、
>>238 で私は
>ついに頭がおかしくなって「死人」を装うような企画でも始めたのかと思った。
と書きましたが、池田某は
>「私が仮に死んだとして、さて誰が死んだのでしょうか」
と書いてたので、私もなかなかいい線ついたな、と思ってしまいました。
295 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 22:39:08
ハイ、今晩もメイドの晶子です。
やっと落ち着いて来たな。
297 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 02:14:18
で?
298 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 04:21:48
過去の思い込みで妻を語る読者が大好きな晶子の喪主の亭主です。
299 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 04:54:44
メタフィジカルパンチはどうなの?
300 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 05:32:30
なんかいかにも就職活動中って感じの女子大生が真昼間の ファーストキッチンで胸とかバンバン揉ませてるわけ。同じ年くらいの 男子大学生ぽい奴に。しかもスーツの内側に手入れて直で揉んだり してるわけ。なんか女のほうも廻りを気にしながらも小声で 笑ったりしてるわけ。「ヤダァ♪」とか言いながら。 俺は思ったね。お前ら独身中年なめんな、と。お前らのすぐ隣に座ってる 俺はお前らの様子見ながら正直、勃起してんだよ。ていうか信じられないよ。 素人同士で金のやり取りもなく胸揉むなんてよ。俺はヘルスで平均40回ぐらい 揉むわけ。12,000円で40モミ。1モミ300円。俺はそいつら見ながら「あ、300円」 とか「また300円」とかカウントしてたわけ。で、そのカウントが6,000円ぐらいに 達した時、突然こみ上げてきたわけ、嗚咽が。押さえ切れないほどの憤怒が。 で、声に出して泣き出しちゃったわけ。真昼間のファーストキッチンで。独身中年が。 急に声をあげて泣き出した俺を珍獣でも見るように一瞥した挙句、クスクス笑いながら 店を出ていくそいつらの後ろ姿を見ながら俺は思ったわけ。これはもう階級闘争だ、と。 謂なき触穢の鉄鎖に蹂躙された日陰者の人権は闘争によってしか解放されないのだ、と。 そんなわけで俺は闘うわけ。ここに常駐するグズなお前らも闘え。取り戻せ。矜持を。
301 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 06:02:14
閻魔大王さん ヤーダ もみもみは嫌いじゃないメイドの晶子です。
302 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 07:53:13
妻は小林秀雄氏が好きなので われわれ編集者と読者に紹介しました。 晶子の喪主の伊藤です。
303 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 09:31:35
西の河原の露天風呂が混浴なので ウォチングしてるメイドの晶子です。
304 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 11:23:38
さて、他界して閻魔大王の眼前に存在する私は誰でしょうか。 冥土でロゴスを語る戒名なしの晶子です。
305 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 12:13:47
戒名なしの妻が宇宙を旅しています。 晶子の喪主の亭主です。
えらいまた古いコピペだな…
307 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 12:28:26
過去によく生きる戒名なしの晶子です。
308 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 17:11:27
古い家内で何が悪い。 われわれ編集者と読者は追悼フェアーを開催してます。 晶子の喪主の伊藤です。
309 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 18:27:34
数年後、全著作が絶版になるんじゃないかと心配な晶子です。
310 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 18:49:06
妻の「メタフィジカ」なんか すでに絶版になってます。 われわれ 編集者も読者も 家内の本を読める限り読んでください。 断固として絶版を阻止する晶子の喪主の亭主です。
311 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 22:07:17
絶版が嫌いなので全集をだして欲しい冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
うるせー!!!!!!! お前みたいな糞に、 オレの気持ちが分かってたまるかーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
313 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 23:07:42
アキコモナ
314 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:03:12
池田氏の墓碑銘を訪ねる われわれは いったい、どこへ墓石ウォチングへ行けばよいのでしょうか。 インターネットなんかしてる晶子の読者です。
315 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:09:39
「帰ってきた池田晶子」
316 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:10:51
┃┌┬┐ ┃ ..┏ NEXT┓ ┃├┼┤┌┐ ┃ .. ┃┌┬┐┃ ┃└┴┘├┤┌┬┬┬┨M2 . ..┃├┼┤┃ ┃┌┐┌┼┤├┼┴┴┨M1 ...┃└┴┘┃ ┠┼┼┼┼┼┼┼┬┐┃B4 ┗━━━┛ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B3 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B2 . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B1 Λ_Λ . . . .: : : ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高3 /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . :: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高2 / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高1 / :::/;;: ヽ ヽ ::l . ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中3  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中2 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中1 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小6 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小5 ┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
317 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:18:48
復活したメイドの晶子です。
318 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:24:21
319 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:33:16
池田氏は生前に 毎晩、お酒を呑んで ご主人とパコパコしてたのだろうか。 インターネットなんかしてる晶子の読者です。
同時代の存在としては貴重だった。
321 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 01:45:03
悲しい。 今日、事態を知りました。 mitakotomonai tobirawo aketa sennsei ni kanpai.
322 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 02:06:50
俺はカント崇拝者だ。 池田先生は時代に一石を投じられた。 俺も将来、一石を投じてみたい。 先生とは逆で、ねっとりとしたしつこい言い回しになるだろう。
323 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 03:35:04
で?
324 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 06:39:00
今朝も考えるメイドの晶子です。
325 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 07:44:51
たまたまカントとすれ違った冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
326 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 08:55:04
恐山を眺めながら 亭主とイッショに入浴した 混浴の温泉を考えるメイドの晶子です。
327 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 10:24:04
妻もホリエモンの判決をよろこんでいます。 晶子の喪主それ自体はザマーミロの亭主す。
328 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 11:58:29
>の亭主す。=の亭主です。
329 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 18:53:39
現在、どんなに科学や医学が発達している、しつつある、とは言っても、永遠の生命を生きることはいまだ不可能である。三島由紀夫のように、生まれ変わりを信仰するのなら別ですが。 そこにどんな問題が浮上するかといえば、存在の無限と有限の差異だと。 生前の池田の思考をたどると、彼女は無限な存在について、ひたすら語ろうとしてきた。有限性にかんしては、関心がない、という感じが伺える。 先のレスであげた『2001年哲学の旅』でのガダマーとの対話。そこでのガダマーとの差異もつまるところそこなんですね。 つまり、ガダマーは存在の有限性にこだわる。それは人間とは何か、どういう存在かにこだわる、てことでもある。 なぜガダマーが人間にこだわるのかを、対談を読むかぎり、池田は理解できない。だから盛んに存在が存在を思惟する、人間の居なくなった後の世界、とかの形而上的思考に行こうとする。ガダマーとの違い、異和は歴然としてるわけです。 ガダマーはハイデガーの弟子であり、その思索の基礎をやはり身につけている。 池田にしても、『哲学の旅』や『考える人』でハイデガーについて論じている。池田は池田なりによく読んでいる。 ただ、ガダマーと池田のハイデガワの読み方はやはり違う。池田の読み方は、『哲学の旅』によく出ているが、『有と時』既刊部で試みられてる、基礎存在論をさほど重視しない。 基礎存在論が何か、といえば、そこで探求されたのは、死と人間の関係、いつか死する存在である人間は、死から逆算して己の使命を、非公共的なものとして知るのだ、てところにあった。それが自‐立であり、本来的存在であることの意味である。 で、ハイデガーて人は、有の問い、存在の問いを終生掘り続けた人で、しかも、有と人間の関係、人間の生において、やはり有は、存在は浸透している、ということを言い続けた、て俺はとらえている。
330 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 19:08:43
晶子が差位を弁証すれば同じです。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
331 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 19:19:59
ハイデガーが初期ギリシア思想から非覆蔵性アレテイアとか、とか自然ピュシスとか、論じる場合、それはすべからく有、存在のことを指している。しかも、人間のことを指している。人間において、有がいかなることになっているかを指してかような言葉遣いをしていた。 人間と有なのです。人間における有の忘却から有を取り戻そう、想起しようというのがそこでの意図である。たからこそ《人間は有の牧人である》というテーゼが出てくる。 また、世界内存在というタームの意義にしても、時熟、にしても、すべて、人間において、忘却された有、存在への想起がモチーフとして託されている。 いったい何がそこで本当に問題になるのか、というのが最大の難所だともいえる。俺ばそれは倫理ではないか、という気がしています。本当の倫理。善悪ですね。その場合の倫理は、有の真性から割り出される。だから真理の意味に近い。しかも実存的である。 有の真性から割り出される倫理、という地点を飛び越え、一気に宇宙論へ移行することをガダマーは警戒してたのじゃないか。そこで、いまだ人間に課せられた、思考の主題がないがしろにされる恐れを感じてたのではないか。 そうしてガダマーのそうした部分は池田には残念ながら通じなかった。ちょうど池田がハイデガーを読む場合に飛び越えた、その部分にガダマーはこだわっていたことに池田は気付いてなかった。
332 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 20:53:51
見えないものはわからない冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
319 :考える名無しさん :2007/03/20(火) 00:33:16 >池田氏は生前に >毎晩、お酒を呑んで >ご主人とパコパコしてたのだろうか。 そうだよ。孤独な女性なんて話は大嘘
334 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 00:03:29
孤独ではなかった妻の晶子です。
335 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 01:45:21
________ /:.'`:::: :::::\ /:: \ /::. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ::: ヽ |:: ン -==-∴-==- < | 蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅 ヽ_`⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒_/ ヽ: il´トェェェイli/ ヽ:!l |,r-r-|!/ \:`ニニ´/ これが基本中の基本です。これを押さえておかなければお話になりません。
336 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 02:08:10
やっぱり玉の輿は楽でいいわよ。 妻の勝ち組の晶子です。
337 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 02:19:58
>>335 すみません きほんの一行はなんてよむのですか?いみはなんですか?
338 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 03:07:23
温泉に来ているメイドの晶子です。
339 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 07:26:43
蓬莱山の素晴らしい日の出が好きなメイドの晶子です。
340 :
238 :2007/03/21(水) 07:59:44
>>331 >有の真性から割り出される倫理、という地点を飛び越え、
>一気に宇宙論へ移行することをガダマーは警戒してたのじゃないか
これに関連するかどうかはわからないですが、池田さんは、確か初期の著作で
ソクラテスが出なければ、ターレスあたりから一気に近代科学が始まったはず
みたいなことを言ってました。
ターレス→ソクラテス→プラトン→アリストテレス→暗黒時代→近代科学
ソクラテスが出なければ
ターレス→近代科学!
というような興味深いことを言ってましたね。
池田さんなりの解釈でそれもありなのかな、と私は思いました。
池田さんはああ見えて「理系的」な人だったのかもしれません。
341 :
238 :2007/03/21(水) 08:49:56
宇宙論的なものへ一足飛びをするからと言って、倫理を抜かすこと になるかと言えば、必ずしもそうでもないのではないかと思いますね。 ニュートンの時代の頃までの科学者は世界の探求を神様の作ったパズルを 解きたいというような、信仰心と強く結びついたものであったと言われています。 その信仰心から「逆向きに」人間の倫理の方向へと志向が進むこともあるかもしれません。 はなはだ論理的でも哲学的でもないかもしれませんが。
342 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 08:59:37
アキコモナ
343 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 10:17:38
池田晶子は『2001年哲学の旅』273頁で、学生時代にサルトル『存在と無』を読んだ体験を語ってますね。そこで彼女は“決して面白いとは思わなかった”“哲学的な衒学臭みたいなものを感じた”と語っている。 俺はここでの女史の感想を読んで、池田女史は自分のことがさほど見えてなかったのだな、とよく分かった。 なぜならば、彼女の思考の癖というのは非常にサルトル的なんです。 同じ『哲学の旅』所収インタヴュー275頁で彼女はこう語っている。 《…子供の頃には、この自分が一つの肉体に池田某として個別化されているなんてことは、すごく不本意でした。何かでありたくなかったんです。すべてでありたかった。 池田某という特殊であるなんていうことは間違っているという感じがずっとしてました。だから、考えることによって、そういう本来の何者でもない自分に戻れるんだと、そんなふうに感じてたように思います。》 ようするに若かりし頃の池田晶子の主題は己の無化にあった。そのことがよく分かる。そして、己の無化、て主題はサルトル『存在と無』の主題なわけです。しかし若かりし池田はそれを読んでピンと来なかった。象徴的ですね。
344 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 10:18:59
なにもかもがあたりまえ どうでもよいこと そう思っていらっしゃることでしょう
345 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 10:34:13
サルトル『存在と無』に「第一部 無の起源」という章があり、そのXに細かい章での「無の起源」てのがあります。 それを辿ってみると、池田女史の若かりし頃の欲望がそのまま論理的に辿られてると分かる。つまり無の欲望が。 いたるところに池田晶子的論理はちりばめられてるんだが、例えば原書62頁の翻訳された箇所にこうある。(俺の持ってる版は昔のソフトカバー版なのでこう書くことにします) 《まず第一に明らかなことであるが、人間存在が―問い、方法的懐疑、懐疑論的懐疑、判断中止(エポケー)などにおいて―世界から自己を引き離すことができるのは、人間存在が、本性上、自己自身からの離脱であることによってである。 われわれの判断をさしひかえる可能性をわれわれのために要求することによって、懐疑を自由のうえに根拠付けたデカルトは、そのことを見た―そしてデカルトについでアランもそのひとりである。 また、ヘーゲルが、精神は媒介であるかぎりにおいて、いいかえれば否定的なものであるかぎりにおいて、自由である、と主張したのも、その意味においてである。 さらに、人間的意識のうちに、自己からの一種の脱出を見るのは、現代哲学の一つの方向である。ハイデッガー的な超越の意味は、かかるものである。》
346 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 10:40:08
347 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 10:58:20
もう少し引用してみましょう。またサルトルはこう書いている。 《それゆえ、人間存在が世界の全部あるいは一部を否定することができるための条件は、人間存在が、自分の現在を自分の全過去から分かつこの何ものでもないもの rien として、自分自身のうちに無 neant をたずさえているということである。》(原書65頁) 《自由とは、自分自身の無を分泌することによって自分の過去を場外へ出す人間存在である。》(同頁) 《意識は、片時もたえることなく、みずから自分の過去存在の無化として、自己を生きる》(同頁) 読めば一目瞭然なごとく、サルトルのここでの主題はいかにして人間存在のなかに無の契機を措定できるのか、であって、この主題はそのまま若かりし頃の池田の内面の欲望と重なると思えます。なのに池田はそれを読んでもピンと来なかった。不思議ですね。 ちなみにこの著作でサルトルはハイデガー『有と時』から借用した用語を頻用している。上にあげた引用でも、自分の試みがハイデガーの主題と一致していることを書いている。 しかし、サルトルが『存在と無』を書くにあたって『有と時』を誤解したまま書いていたことは有名な話で、上記の引用でも、サルトルは自分の書いている〈超越〉がハイデガー的だとしてますが、これは勘違いで、 ハイデガーの〈超越〉にはサルトルが書いているような、《自己からの脱出》なんて意味は含まれていない。むしろそれを云うならば、自己への絶えざる拘束、がハイデガー的主題で、〈超越〉は世界をめざすが、その世界とは、時間によって熟する己と同義である。
御免なさいね I女史のお考えは知らないのよ、貴方のもしもに備えて シルバーバーチの霊媒からのお願いアドバイスです。 心霊写真の取り扱いについてのことですが、某有名心霊写真鑑定家2女史の言う 処の先祖霊の祟り説・稲荷なぞの動物霊説は、誤りであることが大半です。 しかも3女史の言うとうりに放置及び処分は反って霊を刺激し霊現象が酷く起こりやすくなったり 精神的な病に繋がったりも十二分に考えられます。 心静かに考えてください、その写真の前に貴方が出遭った新仏様か無縁仏様が 必ず居たはずですよ。ご供養願います、その方の馴染んだ宗教によってですよ! 御酒・お花・御茶・和菓子などであればいいと想います、お供えください。 その後も不吉なことが起こるようであるならFを探して下さいね、心霊写真の主はお化け騒ぎ したい訳ではありません、あくまで霊界メッセージであるとお考え下さい。 以上 4月よりパート霊能者として営業いたします、悪戯電話・メールなどでも料金を 戴くことと致します、その前に一言、霊界情報サービスの書き込みさせて頂きました。 これは、霊能者のお方の秘密儲けの方法なのよwwww有名人でもFの霊耳より 情報薄いのが今の霊感商業のようです。Y。SX2思い知れ!!!
349 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 15:14:20
心霊のスピリッツが晶子です。
350 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 17:26:13
巨乳になったメイドの晶子です。
ツマンネー
毎晩酒が飲めるのも 病気になったときに入院治療ができるのも お腹が空いたときに食べたいものが食べられるのも 大きな犬が飼えるのも みんなあなたが持っている「おカネ」のおかげです
353 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 18:41:27
お金なくして 冥土の晶子なし。
この人、金の苦労なんてしたことないんだろうな。
おカネのこと考えて生きてるなんて、私には信じられないわ!(社長夫人の某著述家、生前の言葉)
357 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 22:55:42
アキコモナ
俺は池田がゴーヂャスに構えてたからって、妬んだりする気にはならんかった。 気取りがなかったし、「勝ち組」ってタイプとは違った。
妬むってか、踏みつけにされると我慢ならないのは人間として当然というか・・・。
360 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 00:21:17
池田晶子の特徴として、物書きに付き物の、不幸の匂い、てのが無い、というところがあるね。 やはり女流の哲学者でシモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)て人がいます。哲学板にもヴェイユのスレッドがあって、スケベたちのネタにされたりしてるけども(笑) 伝記などでヴェイユの生涯を辿ると、学生時代から世界の貧困について、どう解決するのかに考えを費やしていたり、第二次大戦前の状況で、迫りくる戦争やファシズムをどうしたら回避できるのかに苦悩したり、 また、フランスの工場へ工員として入り、他の工員と同じ境遇で働いて工員がどんな気持ちで働いてるかを知ろうとしたり、革命とは何かに知性を費やしたり、不幸や苦悩の色が濃い。それはある意味、感銘を誘うところがある。 最期も生に意味を見つけられずに絶食して死んでる。 時代が不幸だったし、その不幸から目をそむけずに真っ正面からぶつかっていった。そのがむしゃらさや誠実さがやはりヴェイユの存在を忘れられないものにしている。ただ、その世界の暗さにいつも同一化するところに不健康さを指摘する人もいますね。 池田とヴェイユと比較すると、違いがまたよく分かる。池田にはヴェイユのような切迫感は無縁だし、それは、時代が飢えより、飽食の時代に入ってることも関係してるでしょう。ダイエットのために食べない人もいる時代である。 生まれ持った資質の違いもある。世界の暗さに自我同一化する、という、明るさより暗さに同一化する、という資質は池田のものではない。ヴェイユのその傾向が不健康だとすれば、池田は健康・健全なわけで。 ただ思想家として眺めると、俺にはヴェイユの方が鮮烈に残る。それは二人の資質や生きた世界の違いがそう感じさせるんでしょうけどね。不幸や悲劇を生きた人間て、色んなことを後の世代に残していきますから。その意味で、池田は逆に不運だとも云えますね。
361 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 00:26:53
で?
362 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 01:06:18
ただ、時代や状況に関わりなく、思想の役回りとして、時代の課している困難や壁にぶちあたる、てのはあるはずじゃないか、て気もする。 飽食の時代には飽食の時代の、ハイテクの時代にはハイテクの時代の壁はあるはずなんで。そこを池田はみていたのか、て疑問はありますね。 社会の具体的な風景にも目をこらしていたはずで。でなきゃ時評なんて書けないはずだから。 しかし、闘っていた、て感はないですね。別に運動や活動でなくとも、知性の闘いとしてでも、それはない。 哲学エッセイストないし哲学案内人以上の役回りは担わない気でいたのかもしれない。その辺の物足りなさが俺にはありますね。
363 :
龍宮 :2007/03/22(木) 01:31:24
女性は時代に流される面がある。時代が人間をスポイル(甘やかし)すればそれでも視野を広げて創造力を働かせる男に対して女性はスポイルされたまますべてを忘れて豊かさのままに文化を受け入れていく。彼女たちにとっては今がすべてでありみんながすべてなのである
364 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 03:33:18
みんなに嫌われたくないメイドの晶子です。
365 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 07:02:22
十四歳の読者たちは 変わってる妻の本質を われわれ 編集者と 他の読者と ともに 考えなければなりません。 晶子の喪主の實です。
366 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 08:03:45
十四歳の君達は 妻が溺愛したチン○の本質を思索しなさい。 晶子の喪主の亭主です。
367 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 12:03:35
ランチグルメするメイドの晶子です。
ツマンネー
369 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 13:34:47
十四歳の君達がツマンナイ勉強してるのは 戦後の教育の間違いのためです。冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
370 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 16:25:12
十四歳の君達はもっとプラトニックにならなければなりません。 一緒に宇宙を巡りましょう。メイドの晶子です。
371 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 18:06:06
十四歳の君達は 妻の編集者と共闘して NHKの受信料金を踏み倒しましょう。 晶子の喪主の亭主です。
372 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 19:15:44
>>362 君のことは聞いてない。
1000年後の14歳の少年少女が問題なのだ。
373 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 21:06:57
十四歳の君は妻のどこが好きなのだろうか。 われわれ編集者も読者も 皆で考える晶子の亭主の伊東です。
374 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 22:28:13
伊東じゃありません。伊藤です。 ハトヤに行っても仕方ありません。晶子です。
375 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 22:47:32
昨日も伊東の混浴をウォチングした冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
ツマンネー
377 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 23:04:58
池田晶子が死んだ? 誰が確実に確認したのだ? 生死の何たるかを解っている奴なのか? 死を体験した奴なのか? そんな奴は誰もいない。
378 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 23:15:25
他界した晶子には戒名がないので 閻魔大王でも私をわかりません。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
「哲学の旅」の、「暴力教師ウィトゲンシュタイン」の箇所の 「出来る子は褒められた。出来ない子は落第させられた。 中間の子は殴られた」というトラッテンバッハでの取材は 嫌味だと思う・・・。
380 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 01:21:55
381 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 01:27:26
自分が編集した本に読者からの、称賛の声を掲載する、というところに、痛ましさを覚えますね。実はさほど自信がなかったのかな、と。自分が書いていることの意義があるのかないのか、自分でも判らないところがあったんじゃないかね。 美形の哲学者として世に出て、著名な人たちが解説書いてくれたり、対談相手になってしてくれたりしていた。だけど、今、文庫本の解説読んでると、本気で相手にしてたのかな、て疑問も覚える。池田晶子の仕事の意義に本気で向かった人が生前どれだけいたのかね。 実は池田にたいしてすごく残酷なことをしていたのではないか、て気もしますね、持ち上げていた人間たちというのは。 アイドルでいいじゃねえの、という人、或いはただのアイドルのくせに、て人がほとんどで、真価を問われることはなかった人じゃないか、て疑問がある。 だいたい正当な評価が自称旦那からを含め、池田の死後このスレッドに出たことはほとんどない。それとも真価を問われたらまずいことでもあるのだろうか。それこそ池田に失礼な話ではないか。
イケダは出来る子だったのにorz
383 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 01:50:24
不敬な妻は自身を「巫女である。」と、ロゴスしてますが、 毎晩お酒を呑んで私とパコパコしてました。 これは明らかに 世間の巫女さんにたいする冒涜であり偽装です。 晶子の喪主の旦那です。
384 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 01:55:51
同時代、てものにたいして、あまりに超然としていた。人間の実像、てことへ関心がもてなかった。何も言うに値するものなどない、と思っているようなね。大事なことを把握しているのは自分だけなのだ、という確信があった。 そこに居座って動くことはなかった。それは魅力でもあり、だが弱点でもあったでしょうね。少なくとも俺からみて、言説にリアルな感覚を感じる人ではなかった。 哲学の歴史、ていうのがたえず先行者の仕事を見据えながらそれを乗り越えようとする試みの歴史でもあった。 それで、では今、哲学は何を課題として思索すべきか、というのは一人一人の思索に委ねられてるわけだけども。 だけど、その時代の抱える難問をどの時代の思索にしても、視野に入れながら思索したことには違いはない。 そこで過去の哲学を読み込む場合、いったいそれが現代に甦るにはどこを読むべきか、ていうのがたえず大きな問題になるはずですね。 なぜならば各時代の課した制約のなかで思索は為される他はない。その制約を取り払って、なおかつ現代に生きるものがあるとしたらそれは何か、と考えざるをえない。 そこでその哲学が通用しなくなっていることを、今の人間が下らないから、としてしまえば話は至極簡単。何も考えず、本を読んでれば済む。しかし、それは思索の課題を放棄することとどこが違うのか。 その辺の疑問を感ずる。
385 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 02:00:43
で?
お辞儀をしてしまいそうな立派な方であった。
387 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 02:18:18
妻は立派な名器でした。晶子の喪主の實です。
生活が経済的に不安定だと哲学なんか自然と興味がなくなるんだよね 俺がそうだからw
389 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 02:27:17
アキコモナ
390 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 02:52:28
晶子のダンナモナ
392 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 05:10:21
蓮池を散歩する晶子です。
393 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 09:52:16
妄想と持ち上げだけが延々続くスレになりましたね。 途中だけど終わらしたほうがいいかもね。
394 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 11:14:00
十四歳の君達は思い込みでいきていきなさい。冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
>>393 終わるのは別に構わんが、今までは「〜晶子です」「〜本人です」
ばっかりだったんだぞ。死去以来、妄想でも持ち上げでも叩きでも、
一応意味のある書き込みが時々挟まるようになったんだから、
まだましじゃないの。
396 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 11:39:31
この人の本でお勧めはありますか?
「旅」のホエルダリンの塔の写真とか勉強になるぞ。
398 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 11:50:15
自演 w
だから池田は俺が回収するって言ってんだろ。
ストロンボウ邸の大きな窓にもたれるイケダ、、、
401 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 12:00:49
で?
お気に入りだったのにorz
403 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 12:14:46
十四歳の君達は このスレをお気に入りに入れときなさい。 入れポン出しポンのメイドの晶子です。
404 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 12:21:53
>>399 > だから池田は俺が回収するって言ってんだろ。
“回収する”の意味が解らない。
哲学的な意味で言ってるのなら哲学的に〈回収〉してみせてくれ。
黙れ、ソフィスト(笑
406 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 13:11:44
210 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/20(火) 17:16:27
>>207 ホワイトカラーであれブルーカラーであれ、普通、労働者は労働力を
提供して代価として収入を得る。その限りにおいて労働者は独立した
一個の人間だ。ところが、資本主義においては労働者は一個の
人間ではなく、資本の利潤追求のための道具、或いは生産手段の
一部としか見なされない。経済とは誰のためにあるのか? 経済とは
不労収入をかき集める大資本のためにあるのであって、労働者を
そこから「疎外」してしまうべきなのか?
…と、いうような感じ。
久々に爆笑したライダーのレスです ハライテー
407 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 13:17:59
いや、嫌味でなく、池田晶子の業績を1990年代以降の思想史(この言い方が固ければ、思考の歴史、ないし知の歴史と言い換えてもいい)のなかに位置付けてくれ。処刑ライダーは自ら“俺が池田晶子を回収する”と宣言してるだろ。 それはそれをやる、て意味だろう。池田を弔う、てことはそういった作業のことを一つ指しているだろう。 池田晶子はいったい何をやっていたのか、それを意味付けること、それを指して貴方は〈回収〉と呼んでいるのではないか? 池田はひとまず一般的な言い方をすれば、古代から現代までの思考の歴史を俯瞰できる立場にいたはずだ。池田のみならず2007年に生きている我々みながそうだともいえるが。 そうやって人間の考えてきた知の歴史を俯瞰しながら、池田がとった立場が何だったのかが問題だと思う。 池田が存在論としてとっている立場の極北はガダマーとの対談でもよく出てるが、ようするに人間の存在論などどうでもいい、という点ではなかったか。 池田は人間という存在は宇宙の歴史のなかのひとこまに過ぎない、そういう立場にたち、あのとききガダマーと語っていた。 存在論には人間と関わらせる存在論もある。が、池田の存在論は人間のいない世界について思考をめぐらせるものだった。 ある意味、人間存在は宇宙史のなかで相対化されると考えていたのかもしれない。その辺に池田の思考の世紀末の色が出ている気がする。明るい世紀末だ。
無駄だって・・・。
池田は先を越して歴史となったorz
410 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 13:27:59
明るいメイドの晶子です。
イケダならここでハタと気づく・・・。
412 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 13:41:13
で、小林秀雄を引用しながら統一性ということをいい、また、埴谷を引用しながら虚体とかについて語る。 個体の単独性とかに目がいくより、どちらかといえば、個体を越えたもの、共同体にしても宇宙にしてもそうで、ようするに、個体ってことには関心がなかった。それは間違いないところだろう。 その点、つまり個体、てことに関心が向かなかった、てところが、俺などは池田の思考の癖がみえると思うし、現代思想的な面が垣間見える。現代思想は個体や自我を超脱する領域に目をむけた。池田と現代思想が共有する思考がそこだったとみる。
413 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 15:17:34
池田晶子の思考の柱として、個体の超脱、てことと、もう一つ、古代ギリシア哲学への指向、てのがあった。池田はプラトンが描いたソクラテスにある憧憬を抱いていた、と思うんだけど。哲学者の原型は池田にとってソクラテスだったんだと思う。 そこに俺は池田のなかのロマンがみえるような気がする。失われた精神の王国を彼女はプラトンのソクラテスにみていたのではないか。 プラトンが遺した対話篇がありますね。望郷的な眼差しで池田はみていたのではないか。今、あのような精神が消えてしまっている、と池田は知らなかったわけではない。しかし、あの時代への憧憬は生涯捨てきれなかった。そこに池田の夢がみえると思う。 死ぬまでその夢は捨てきれなかった。そう感じるんだけど。
414 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 16:13:37
妻は われわれ編集者と読者の 思い込みが大好きです。 晶子の喪主の亭主です。
415 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 16:27:58
どうせ大和民族の興味なんて義道の真理ではありません。 カミに見捨てられた禿げてるオジさん中島本人です。
416 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 16:36:15
ただ、そのギリシア哲学への憧憬というのも、池田における個我の超脱と関係していたとも言える。対話によって真善美を問い掛ける、その場合、個我は問われない。知を愛する姿勢が問題なのだから。 ヘーゲルへの指向も同じ。ヘーゲル哲学で意識が絶対者に関係しているとされている、そこに池田がひかれたのは間違いないと思う。 個性、とか、自我とかの価値は認めない人でしたよね。そこが彼女の思考の変わらない流れだったといえる。 これは、だけど一見すると非常に独断的である外見と、裏腹な矛盾を感じさせるところでもある。よく解らないところだ。
417 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 17:56:05
池田にとってのヘーゲルが何だったか。をとらえていくと、利己的であることの肯定が出てくるかもしれない。 ヘーゲル哲学において、異なる自我と自我が社会を形成する、自我はより高次の存在に越えられるが、それは自我が自我として展開することによってである。だから自我を抑えつけるのは誤りである。そうとらえられる。 ただ、マルクスが越えようとしたような、近代資本社会の矛盾には目を向けなかったですね。ヘーゲルに心酔するあまり、そこに隠されていた問題には目をつむった。その疑問は感じますね。 マルクスがえぐった問題にしても、哲学的言説としてしかみなかった。それは貧富の差が解消されていった今の時代だからなのかもしれないが。そこはよく解らない。
418 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 18:01:47
イディアルな関係においての存在論であろうとする意識は 私の不在を透徹する場においての決定的自我の不在を認識できずに 空虚な空間においてですら虚構性を強調する様な離脱はできないで 循環論に引きずり込まれる それならばこその絶対者の存在が 確信されるに至る 超越論の外側から見た私の不在を透徹する私は 段階をもって認識を積み重ねることにおいてのみ存在を了解する
419 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 18:46:45
420 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 20:08:40
十四歳の君達は 悩むより晶子の旦那を考えなさい。 メイドの池田本人です。
421 :
238 :2007/03/23(金) 22:36:40
「池田晶子を回収する」のは難しいことかもしれませんね。 そもそも回収に値しないかもしれません。 池田さんがこんなことを言ってたのを思い出します。 哲学の才能のある者は限られている。 ソクラテスクラスになると人類有史史上、いったいどれだけいるのか。 せいぜい小学校の一クラスくらい(昔の一クラスは50人学級)。 人類数千年の歴史で最高の哲学を語れるのはわずかそれだけです。 何億何兆いたかしれない人間の中でたったそれだけです。 哲学はやっぱり難しくて限られた者だけにしかわかりえないんですよ。 もしかすると池田さんでもダメだったかもしれない。 池田さんの表現にはたまにこういうわかりやすいたとえ話がありますね。
422 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 23:13:24
で?
銀河には1000億個の星があるが、今まで生まれてきた人類の数もそれくらいである。 哲学をやるためには形而下(生活)の心配が全くないことが第一の条件だ。後方に 安全圏を敷いての哲学、高見の見物の世相批評、池田さんはもちろん条件を満たしていた。 現代においても条件面の整備、つまり目に見えない奴隷制でも復活させれば本当に哲学が できる人が出てくるんじゃないかな
424 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 23:38:01
>>423 は高見の見物をする魅力的な女性ですか、どうよ。
425 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 00:03:06
>>421 なんかあてずっぽうの例え話だね
まるっきりはったりというか
軍司令官の才能ほど稀有なものはない、世界的に見ても何世紀に一人しか生まれない
世界歴史上、真の天才は三人しかいない
ナポレオンと源義経と河井継之助だっていう司馬先生のご託宣とかわらん
426 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 00:07:29
まぁあれだね ここのレスって驚くほどレベル低いね カントもマルクスも算ページでやめた高校文芸部の連中がカキコしてんのかな
427 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 00:44:27
アキコモナ
428 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 00:45:26
┃┌┬┐ ┃ ..┏ NEXT┓ ┃├┼┤┌┐ ┃ .. ┃┌┬┐┃ ┃└┴┘├┤┌┬┬┬┨M2 . ..┃├┼┤┃ ┃┌┐┌┼┤├┼┴┴┨M1 ...┃└┴┘┃ ┠┼┼┼┼┼┼┼┬┐┃B4 ┗━━━┛ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B3 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B2 . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃B1 Λ_Λ . . . .: : : ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高3 /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . :: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高2 / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃高1 / :::/;;: ヽ ヽ ::l . ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中3  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中2 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃中1 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小6 ┠┼┼┼┼┼┼┼┼┤┃小5 ┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
429 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 00:59:57
意外に池田における哲学には、現代思想的な指向が含まれていたという件。 池田が存在論を論じる場合、そこに人間存在への視点は可能なかぎり削り取られていた。だから宇宙史とかに彼女は目を向ける。 小林秀雄を池田は尊敬しているのだから、小林における宿命の理論へも目が向けられて当然だと思うが、その問題にしても、個体の、あるいは自己の有限性への眼差しへは降りてゆかない。 小林における歴史の概念は、二度と来たらぬ時、という唯一性に本領があるはず。 しかし、池田はそのような小林の感性を受け取ることはなかったのではなかろうか。二度と来たらぬ、という概念は、実存的な場に、有限性の思考へ誘う。やはり個体的な存在論を拒む姿がみえる。 有限性を認めざるを得ない思考には近寄らない、そんなスタンスを維持していたような感を受ける。
430 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 03:45:47
妻は小林秀雄氏それ自体のスピリッツが好きでした。晶子の旦那です。
431 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 05:50:49
人間の本当のはかなさを知ってる小林 池田は知らんぷり 小林秀雄こそ現代であった
432 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 06:20:41
旦那なんていないよ 彼女は川奈まり子とレズ関係なのは有名だろ
433 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 06:30:17
妻はレズも好きでした。 晶子の喪主の旦那です。
434 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 07:29:27
池田晶子の遺した思考の柱として、プラトン、埴谷雄高、ヘーゲル、小林秀雄があることは読めばすぐに解る特徴である。 個我を越えたものとの関わりのなかに人間の本質はある、という思考がある。 また、それと類似した主題で、《無とは何か》という思考がある。《無いものとは何か》という問い。 池田はこの〈無〉について、たびたびいろんな形で問い掛け、しかし、結局、解らない、という場所に落ち込む他はない。 池田のこの問いというのは、埴谷と共有する領域だったといえる。埴谷のタームには無、ないし全否定を暗示する語彙がある。虚点がそうだし、自同律の不快がそうである。 そこだけをみれば、池田と埴谷はまさに同じ問題を追い続ける思索である。 だけど違う点もある。どこが違うのか。《現に〜である。》《現に〜がある。》への洞察から埴谷の場合、否定の契機は出てくる。それは明らかである。存在の超脱は不可避であるというテーゼはそこに根拠をおいている。 池田の場合、存在の超脱の指向が何を根拠としているのか、よく解らない。何かを拡張したいのだけは解る。だけどその理由、なぜ拡張しなければならないか、それはどうも曖昧模糊としていた。はっきり言えば、明かされてなかったように思える。 池田の無の論理がどこか背景が脆弱だったとすればそこだと思う。 つまり、現‐有がどうなのかが曖昧である。現‐有がどうなっており、そこから否定が導かれる筋道がはっきりしていなければならないのにそうでなかった。 だから思考のモチーフがいまいちよく解りにくいとこれが、最期まで残ったような気がする。 ただ、思考の系譜としてみたら、無を思索する系譜にあったのは間違いない。
435 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 08:34:56
妻は見えないものがわからないないのです。 肉感的なパコパコが大好きだった晶子です。 池田本人の喪主の旦那です。
436 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 09:12:31
>>423 >哲学をやるためには形而下(生活)の心配が全くないことが第一の条件だ。
あなたの哲学条件はアホの渡辺昇一と同じく、俗物まみれですね。
人類史上最高最深の精神的存在はゴータマ・ブッダでしょうが、形而下(生活)の心配なんて
完全超越してましたよ。
池田晶子の著作を読むと、ブッダを左目で憧れとして見据えておられたのが判ります。
池田晶子のバックの通奏低音は、ゴータマ・ブッダです。
その他大勢は、全て右目の問題にしか過ぎません。
437 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 09:14:56
十四歳の君達は 悩んでないで あなたの母親がどうパコパコするのか ひたすら考えなさい。 メイドの巫女オバチャン池田本人です。
438 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 09:51:24
ヘーゲルの晩年とかぶるな
439 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 10:45:35
妻は 晩年、混浴の露天風呂ウォチングが大好きでした。 晶子の旦那の伊東です。
440 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 11:15:27
>>436 ゴーダマ・ブッダにしても、池田晶子にしても、その他の偉人にしても、彼らが形而下を超越していた、とかの説を俺は信用できない。
ハイデガーとヤスパースは出会った頃、互いに「戦闘仲間」を認めるほどの間柄だった。そのヤスパースが最初の哲学的大著『世界観の心理学』を世に問うた際、それを読んだハイデガーはヤスパースに、「限界状況についてもっと掘り下げるべきだ」と告げたという。
なぜそこでその感想を友人に投げたか、というのは明らかで、限界状況というフィルターを濾過させることで、世界観の問題から存在の問題が滲んでくるからだ、そうハイデガーは考えたと思うんですね。
ここで云う存在の問題というのは当然、現‐有、すなわち《現に有る》の問題なわけで。
つまり、苦痛や救い、狂気と正気、「私」、善悪、有ることの重力、堕落、この世とあの世、といった重要な問いがそこから鋭く出てくるはずだ。
ハイデガーが存在の問題を考える際にそのような、限界状況について考えていたことは、彼の存在論をやはり良いものに、鋭いものにしていると思える。
ただ、現代において、限界状況という領野について、間近に考えられないということはあるかもしれない。しかし、少なくとも存在について考えるという場合、契機として考えられなければならない。
池田晶子はたしかに秀才だったとは思うが、その辺のことは思考の外に省いてたのではないかとみえる。で、それは彼女の考える有と無の問題全般について、切実さを加えることを逸する結果を生んでいると思えるんだけどね。
441 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 11:23:22
妻は 状況を好き嫌いで考えたので 限界がありました。 晶子の喪主の旦那です。
君自身に還れ!
443 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 11:30:26
で?
>436 >人類史上最高最深の精神的存在はゴータマ・ブッダでしょうが、形而下(生活)の心配なんて >完全超越してましたよ。 ブッダだって30前まで王子として裕福な生活を送っていたわけだが? いずれにせよ世界がまだ単純 だった頃の世迷いごとに過ぎないと思うし、そういうのを真に受けるのもどうかと思うぞ。 形而下と形而上を切り離して生活することなんかできるわけがない。切り離すほうが不自然。 口ではできもしない偉そうな事いっているが、もし貧窮生活に突入して飲酒とグルメもダメで ブランドものも手に入らないとなれば、池さんは気が変になってしまったのではないかw
445 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 12:45:37
ブランドが好きな冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
446 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 13:13:37
低学歴に悩むのは形而下なんでしょうかそれとも形而上でせうか どっにしても東大か慶王にいってから哲学しないと相手にされませんよね
447 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 14:15:05
どうせ池田晶子氏に鼻であしらはれる東大の義道です。
448 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 14:51:01
十四歳の君達は 悩むより 妻の本を購読して ひたすら考えなさい。 晶子の喪主の旦那です。
449 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 16:38:58
>>446 確かソクラテスもデカルトも東大卒ではないはず。
その二人は早稲田だろ
451 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 19:27:42
十四歳の君達は 悩むより 慶応大学の晶子をひたすら考えなさい。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
452 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 20:31:11
>>444 池田晶子にとって死に方の理想形は「斃死(行き斃れて、死ぬこと)」
「これ究極の自由。一点の疑念もない。」(考える日々 46頁)らしいwwww
>世界がまだ単純 だった頃の世迷いごとに過ぎない
この認識は完全な誤り。
我々人類はハイデガーをはじめ、ブッダを越える「存在論」(Ontologie)を持ってはいない。
池田はその点を正しく認識していたと思える。だからこそ、池田の通奏低音はゴータマ・ブッダだと言った。
ウダーナ冒頭『まこと熱意をこめて思惟する聖者に
かの万法のあらわとなれるとき
かれの疑惑はことごとく消え去った
縁起の法をしれるがゆえなり』
453 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 21:15:23
我々は本当に《現に有る》のか?《現に有る》とは何なのか?
池田は昔ソクラテスとイエスと仏陀の架空対談みたいなのを書いていたぞ。 どっちかというとソクラテスの方が格上みたいな書き方だった。
455 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 21:38:33
で?
>452 「口ではできもしない偉そうな事いっている」という典型がその最初の2行のことだ。
そもそも犬を飼っている時点で斃死なんてできるわけないだろ。 社長夫人という位置にいれば斃死なんてさせてもらえるわけないだろ。 そもそも斃死を理想として生きてる奴は結婚なんてしないだろ。
458 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 00:09:22
斃死したのは、マッチ売りの少女でした。 マッチは売れません、当然です。 エッチなら売れます。エッチ売りの少女はヴィオレッタの名で、 パリの社交界の椿姫として大輪の悲劇の花を咲かせました。 哲学売りの塾女は、暖衣飽食美飲酒がたたって腎臓ガンで一番いいときに逝きました。 世間は永遠に痴呆塾女の晶子を観ずにすみました。
459 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 00:10:26
斃死したのは、マッチ売りの少女でした。 マッチは売れません、当然です。 エッチなら売れます。エッチ売りの少女はヴィオレッタの名で、 パリの社交界の椿姫として大輪の悲劇の花を咲かせました。 哲学売りの塾女は、暖衣飽食美飲酒がたたって腎臓ガンで一番いいときに逝きました。 世間は永遠に痴呆塾女の晶子を観ずにすみました。よかったね。
460 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 00:57:57
今晩もメイドの晶子です。
461 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 05:08:34
十四歳の君達は 悩むより 事象そのものをよく考えなさい。 晶子の旦那です。
462 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 06:44:03
たまたま天国の男も馬鹿なので 晶子がたまを抜いてやりました冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
463 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 07:42:50
464 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 07:55:54
たまたま 晶子は三途の河を競泳水着でわたる メイドの戒名なし池田本人です。
465 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 09:06:29
不敬な晶子さん あなたは赤坂の園遊会に来れなくて残念ですね。 可愛いそうな皇太子妃雅子です。
466 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 09:09:39
あきない?
467 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 09:16:55
十四歳の君達は 悩むより あきることなく考えなさい。 晶子の旦那です。
468 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 10:15:17
夫婦の暮らしも哲学しないで 伊藤晶子の名を偽装していた池田晶子氏に 勝手に名前を使われて憤慨してる天国の小林秀雄です。
前みたいに週5、6レスくらいで まったりできたらなー
470 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 16:33:52
晶子のダンナモナ
俺も死ぬ間際になったら、この人のことを思うのだろうなあ
472 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 17:05:47
m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ新潮GJ! 墓碑銘コーナーで完全シカト!!!!!!!!!グッジョブ!!! ところでおまえらいまさらなにを得意げにやっとんのwwww 存命中にはついぞ見られなかった「哲学めいた」レスばっかじゃないかwwwwwwww てことはあれかw 死の前の池田が必死に糞レスを付け続けていたってことだなwwwwwwwww ぷぷ
473 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 19:56:55
「君自身に還れ」では、池田がプギャオのことを馬鹿にしてたよ。 よろこべ。w
474 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 20:06:12
池田を読むと、池田某を演じているXを想定し、 池田某は死ぬが、Xなるものの死はない、と考えていたと受けとれる。 これはいわゆるアートマンであり、知りえぬ存在の神秘は「物語」でしか 語りえないと言っていた事と矛盾する。ブッダの無記問題だ。 池田の存在論は実はかなり粗雑だったのではないか?
475 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 20:09:50
>>474 それは「人生の本当」の中の「池田は死ぬが、私は死なない」の解釈ですか?
476 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 20:20:22
メイドの晶子は永遠です。 戒名なしの巫女オバチャン池田本人です。
477 :
考える名無しさん :2007/03/25(日) 23:29:30
池田の存在論より池田の存在の方が気になってるのが非哲学徒。
478 :
474 嘗ての救急隊員Aだが・・・ :2007/03/26(月) 00:27:27
>>475 「解釈」ではない。自分で考える者には、禅というチャンネルを通してしか
ゴータマブッダを観ていない池田の「宗教」「魂」「存在」の思考が、もう一歩
先を観る者からは、粗雑だということが判る。
池田は“ある”固定観念を前提としている。しかしそれが、問いを発するには
ナンセンスだということがわかっていなかった。だからこそ、ブッダは「無記」=答えようがない、とされた。
問いとして成立しないことが判っていないのだ。
池田じゃないが、後は自分で考えろ。 俺は寝る。
479 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 02:49:44
で?
480 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 03:13:19
481 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 03:30:57
ブラクラ
482 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 03:34:03
483 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 03:37:54
またバカがブラクラ貼ってんのかよ
484 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 03:40:52
>>480 のリンクはブラクラ(PCを異常終了させたりするサイト)です。踏まないようにしましょう。
踏んだけど別にブラクラちゃうやん
486 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 04:15:52
十四歳の君達は 悩むより ブラクラ踏んで考えなさい。 戒名なしの巫女オバチャン晶子です。
487 :
洩れ車 :2007/03/26(月) 06:09:11
(1/2) > 追想(メモリアル) > 存在の不思議を問い続けた文筆家 池田 晶子(いけだ あきこ)さん > 2月23日、46歳で死去 > 著作のままの生き方 > 「この宇宙に、私が生きて死ぬとはどういうことか」と、存在の不思議を > ひたすら問い続けた思索者。彼女を知る人は「現代の哲人だった」と言うが、 > 本人は「文筆家」を名乗るだけだった。 > 幼いころから、「自分」や「自分が存在するこの世界」について疑問を > 抱いた。ソクラテス、プラトン、ヘーゲルを愛し、慶応大哲学課に進学。 > 卒業後、「今後は言葉の仕事をする」と宣言し、父親を慌てさせた。 > 一九八七年に埴谷雄高論を刊行し、その縁で埴谷氏と交流。埴谷氏は > 「君の仕事は将来、哲学エッセーになるのでは」と語ったという。数年後の > 「事象そのものへ!」の刊行から執筆活動を本格化。自らの思索と言葉で、 > 「存在」や「死」を追及していく。 (2/2へ続く)
488 :
洩れ車 :2007/03/26(月) 06:09:40
(1/2からの続き) (2/2) > 評価が一躍高まったのが、中学・高校生一人一人に語り掛けるような > 文体で記した「14歳からの哲学」。約二十七万部のベストセラーになり、 > 全国の学校で副読本として読まれた。 > 長年共に仕事をしてきた編集者の中島広さん(五三)は「打ち合わせでは、 > 哲学的な難しいテーマを毎回六時間以上も語る。著作に書いている内容が > そのまま、本人の言葉や生き方だった」と言う。 > 大変な犬好きで、大型犬のコリーをかわいがった。その散歩のため、 > テレビの天気予報を欠かさず見たが、他の番組には興味を持たなかった。 > 昨夏の腎臓がん手術後も体調がすぐれず、今年一月の再入院の際は、 > がんが肺に転移していた。 > 「亡くなる数日前まで執筆していた」と夫の伊藤実さんは言う。 > 「週間新潮」の温泉をめぐるエッセーが遺稿となった。 > 「葬式も戒名もいらない」と言っていた思いを酌み、葬儀では家族や > 縁者約二十人が赤ワインで乾杯、それぞれの言葉を池田さんに贈った。 > 写真=熱心な読者には、必ず手紙を書いて出していたという池田晶子さん > (02年ごろ) 「新潟日報」(共同通信の配信かも)2007年(平成19年)3月26日朝刊第8面
489 :
洩れ車 :2007/03/26(月) 06:31:38
>>36 ,48,61,88,93-94,105,115,130,163,167-168,175,180,193,223,
231,265,287,295,301,303,317,324,326,338-339,350,364,367,370,
403,410,420,437,460,464,476: > 「メイドの池田晶子です」
確かに真理を守り真理に仕えるメイドだったとは言える。まあ
仏教の神々というのも、仏法を護る仕事の為に存在しているわけで。
洩れは男だからサーヴァントか。でも真理に仕えるって言い方も
厳密には正しくない。池田先生は真理そのものの一部だったわけだから。
(一部って言い方も厳密には正しくない。全体と対立する概念と
取られる虞があるから。)
490 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 07:28:00
キュフフ必死ですね
491 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 07:59:40
晶子のダンナモナ
492 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 10:16:50
昼間からスピリッツを呑んでる冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
493 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 10:43:25
学校生活でイジメにあい、現行社会制度に回収された教師や親に駆り立てられる、それらはすべて、状況に拘束される自分を、というよりそれしか自己にはもたらさない。そこでそのような有限な状況に拘束されない自己は、想像することが虚しさを伴わせる。 ということは、そのような状況にいない自己があるのもやはりその人間の有限性だということを意味する。 そこでそのような有限性を自覚せずに、「無」や「宇宙」やに想いを至らせない人間を啓蒙したところで、それが通じないのは自明なことだ。人間が、少なくとも文筆業とかにいない人間が、限られた視野しかもてないことは、自明なことだ。 状況に拘束される自分、という有限性、これを意識するかしないかが、啓蒙の仕方を変えていく、と俺などは考える。 話の通じなさも究極そこに起因する。 そこで初めて、限られた状況に拘束される自分をいかに越えてゆけるのか、という課題が浮上する。 人はいつでも、現‐有に拘束されている、拘束されるしかない。 そのことの意味をどれだけ深く掘り下げられるかで、どれだけリアルな思考を産み出せるかと差異が出てくる。そうでなければ、その思考は絵空事に近づく。 形而下の意味を突き詰めることなしに形而上もない。
494 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 11:07:55
495 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 15:28:08
銀河鉄道を旅してる晶子です。
496 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 15:42:16
( ´,_ゝ`)規制解除になってやっと処刑隊員くんをこばかにできると思ったら 逃げてやがるよwくっくっく よほど俺様が怖いと見えるm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
497 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 16:40:17
戒名がない晶子は閻魔大王なんて怖くないです。 不滅の巫女オバチャン池田本人です。
498 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 17:20:35
約二十七万部のベストセラーになり、 全国の学校で副読本として読まれた。 ( ´,_ゝ`)二十七万部w たったその程度でベストセラーだとwwwwwwwwwwww
499 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 17:28:21
ソクラテスにあこがれてソクラテスのような人間を書きたいあなた、その方法をお教えいたします。 1、文章は口語体で一人称の視点からの書き方をしましょう。つまり日記のように。 2、思ったままの証拠も確証も無いことを書き綴りましょう。恨みつらみのルサンチマンで構いません。 3、人名を挙げて攻撃しましょう。しかしその際その人の業績や著作を論ってのものではいけません、途端に足をすくわれます。 4、妄想でその人となりを勝手に作り上げ、言ってもない事を言ったこととして攻撃しましょう。 5、ところどころに「とは思わんかね?」「はいおっしゃるとおりです」の一節を入れればもう立派な対話編です。 およそ2000年も経てば、このギリシャの大間抜けの子供だましの手法も 古臭さを持ち、なかなかに伝統芸能のような趣を帯びてきます。 おもしろいのでぜひお試しをw
500 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 17:35:02
アキコモナ
501 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 19:17:14
十四歳の君達は 悩んでないで ソクラテスの様な弁明を考えなさい。 メイドの晶子です。
502 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 20:45:11
>1、文章は口語体で一人称の視点からの書き方をしましょう。つまり日記のように。 まず、しこたま酔っ払い、「AはA'ではない。Bなのだ」とかの 定型文を使い、適当に書きたいことを書きなぐります。 次に、「哲学」「自己」「存在」「無」「有限」「超える」などの言葉を 適当に散りばめます。 あとは、酒の勢いをかりて思いつくままに文章を続けます。 これだけですよ、奥さん。 自然科学や社会科学の知識なんて何も必要ありません。
503 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 20:59:06
ウザイと思いながらも無駄にセンスがよいので つい「メイドの晶子です」を読んでしまう 池田貴族です。
504 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 21:02:10
で?
>>478 、
>>487 池田は「存在の不思議を問いつづけた」と言われているようだが、
その問いこそ「無記」、問いとして成立してないんじゃないの?
>著作に書いている内容が > そのまま、本人の言葉や生き方だった」と言う。 まぁ亡くなった人に対してはこういう言い方しか できないんだろうと思うけどさ、 でもね…
507 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 21:16:07
存在の不思議を問いつづけた 自己の神秘を見つめ続けた 哲学の意義を考え続けた
508 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:22:08
プギャオは池田を失って完全に狂ったなw
509 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:38:28
池田 「世の中悪くても、自分だけは善く生きることはできますよね」と講演会でも言ったんですけれど。 大峯 皆、どんな反応をしますか? 池田 私がいかに唐突なことを言うか理解している人たちしか集まってないから、そんなにびっくりは されないわけです。 大峯 その点、若い人たちは素直なのかな。 池田 どうでしょうか。私はパソコンをやらないから見たことはないのですけど、ネットの中では 「池田晶子なんて何を偉ぶっているんだ」とかいったものが書かれているらしいですよ。 普通の反応ですけどね。今は自分で考えもせずにそういうところで何か言えば、評論家気取りに なれるでしょう。偉くなったような気持ちになりたいのは、恐怖感の裏返しですよ。
今日の朝日新聞夕刊の8面の写真、2003年頃って嘘ばっかだろ。 残酷人生論は1998年の初版じゃん。
まあいいや。知らない人は、つい最近まであの美貌だったと勘違いして、 その効果でまた本が売れるかも知れない。あ、俺がこんな所で書いたらダメか。
512 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:45:49
人に酒飲ませてからかうのが大好きだった性格の悪い女だったんだろ。 いってることとやってることが全然一致してない。 それでいて、「よく生きる」だもんな。 体悪くして早死にするのももっともだよ。
513 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:48:44
>今は自分で考えもせずにそういうところで何か言えば、 >評論家気取りになれるでしょう。 >偉くなったような気持ちになりたいのは、恐怖感の裏返しですよ。 さすが、ブーメラン池田さんの言うことは一貫しているようです。
514 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:52:25
自分だけは善く生きることはできますよね、と言いながら、 善く生きるということについて具体的なことは何ひとつ 語らなかった池田さん。
515 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:56:06
一度池さまに飲まされてからかわれてみたかった・・・・・
善く生きるってのは既婚を隠して美貌など見せつつオタでキモイ読者をいっぱい釣ることですよ。 お金に価値は無いなどと放言しつつ高い酒やグルメやファッションにうつつを抜かすことですよ。 金持ちの亭主をつかまえて斃死したいなどとのたまうことですよ。
517 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 23:04:49
つまり、池田さんは「善く生きること」の具体的内容を自らの行動で示した、ということですね。 物書きなのだから言葉で示して欲しかった。 ちなみに、具体的なことを言わずに「善く生きること」のお題目 だけを説くことは俺にもできるとです。
>>513 俺も常々そう思ってたw
この人、自分に向かって言うべきことを他の人に偉そうに言うのがスタイルだったよね。
なんか恥ずかしい人だなと思ってた。
519 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 23:29:21
>>518 それだ!
自分に言いたいことをそのまま他人に向かって言うようにすれば、
池田さんレベルの話は俺にもできるということかっ!!
520 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 23:29:51
やれやれ、死者に向かって負け惜しみかw
521 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 23:31:13
池田の考えていたことは おれが高校生の頃考えていたことに似てる というか一緒過ぎてびっくりした愛読者です
523 :
考える名無しさん :2007/03/26(月) 23:59:41
池田の考えていたことは おれが高校生の頃考えていたことに似てる というか一緒過ぎて、あまりのレベルの低さにびっくりし購読しませんでした。
524 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 00:27:32
善悪について、唯円が著したとされる『歎異抄』で親鸞は、「私は善・悪については両方とも知らない。 というのは、阿弥陀仏が善を知っているほどに善を知っていれば、また阿弥陀仏が悪を知っているほどに悪を知っていれば、善・悪を知っていると言えようが、到底それほどに知りえずにいるからである」と語った、とされていますね。 すなわち人間のとらえる善・悪を非常な相対性としてとらえてる。そこで語られている善・悪ほどに池田晶子は善・悪をとらえていただろうか。 池田は著書の中で、かなりな毒舌を弄している。皮肉屋でもあった。もともと理論家というのはそういうところがあり、池田も例にもれず、当人が読めば傷つくような言い方をかなり残している。その面からだけみても、池田が善とは縁遠い人間だったことは明らかである。 言論に携わるということは、言葉による斬り合いにかかわることでもある。池田は自分が正しいと思うことは相手が傷つこうが言わずにいられない人間だったろう。そこには紛れもない悪がある。しかし、そんなことを言っていたら批評などできない。 池田晶子が、唯円や親鸞ほどの真理を語ることもなかった。語る器もなかった。「世の中の悪」も「自分だけは善」も、本当は相対的なものだ、たいした問題ではない。親鸞ならそう言っただろう。 根本的な問い方を、池田はしたことがあったろうか。先のレスで引用された池田の生前の発言を読んで、またしても疑問を感じた。
あえてヒールを買ってでたんだよ そんなこともわからんとわ
526 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 00:46:18
どうせ、善人ですら成仏する いわんや、戒名なしの晶子においておや。 カミにも仏にも見捨てられた禿げてるオジさん中島義道です。
527 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 00:56:07
>そんなことを言っていたら批評などできない。 そもそも、あれは「批評」などと呼べるレベルでは…
528 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 02:19:35
批評すると評価するとは、二つのことであって、一つのことではない。 人はなぜああも性急に評価したがるのか、なにゆえに評価なのか。明白だ。評価することで己れの 無能を糊塗するためだ。先んじて他を評価するそのことで、己れには評価する能力ありとしたい、 それは己れが他によって評価されることを何よりも恐れている、そのためだ。 私はそれを評価する と人はいう。あるいは、 私はそれを評価しない と。言うそれだけで、誰もが偉いような気になれる、確かにこれは不思議なことだ。しかし、 それだけのことだ。他を評価しているその君自身をまず評価してみよ。君はその作業に耐えられるか、耐えられるだけの己れを君は所有しているか。批評の対象が己れであると他人であるとは、 一つの事であって二つの事ではないはずではなかったか。
529 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 02:47:34
>>524 相手を傷つけることはアプリオリに悪なんですか?
池田は具体的内容で表象される善悪は常に相対的であり、
「善」という語は善しか意味せず、「悪」という語は悪しか意味しない
という形式は絶対的だと言っている。
530 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 04:29:47
>>529 >
>>524 > 相手を傷つけることはアプリオリに悪なんですか?
> 池田は具体的内容で表象される善悪は常に相対的であり、
> 「善」という語は善しか意味せず、「悪」という語は悪しか意味しない
> という形式は絶対的だと言っている。
《世の中が悪でも自分だけは善であることは可能だ》と池田がいう場合、「世の中」も「自分」も具体的内容を指示している、ならばそこでの善・悪とは相対的なものだ。529氏の言い方を借りればそうなる。
また、「傷つける」ことは「傷つけない」ことに比べれば相対的に悪です。言葉で否定することは相手を傷つけることでもありますね。それが正しいか否かは問わない。正しくても、否定することは傷をうむわけでね。
そこで正しいことをしている、そのことは善だとしても、正しいことを言うことで誰かを傷つけることは言論の世界ではよくあることでしょう。
ならばそこでは悪は不可避です。自分だけは善だとか、口がさけても言えないはずだ。それを言う人間は、よほど鈍いということを意味している。池田はだから自分の鈍さに無頓着だったのですよ。
531 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 05:51:59
そういうことだよ。付け加えれば鈍い上にクソ図々しいんだよ。 無自覚は悪。
532 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 07:17:20
真理の世界に、善も悪もない。 ただ、愚かかどうかだけだ。
533 :
532 :2007/03/27(火) 07:34:39
たとえば、池田晶子が夫以外の男性と激しい恋に落ちたとする。 善悪を問う事自体がナンセンスだ。
534 :
532 :2007/03/27(火) 07:49:45
キリスト教的サクラメントによる一夫一婦制という 愚かな輸入世俗規範から断罪するなどという「愚か」を この高級スレの住人が、やるわけないよなあ。
「重ねて四つ」は知らん様だな。
536 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 12:02:01
正しいことを言われて傷つくのは、傷つく方が悪いのでは?
人が他人を攻撃するのは、そうしたほうが自分にとって有利で安価で安全だからであって 決して自分が善だからではない。善なんてものがあるわけがない。 それぞれの置かれた状況による多様な立場があるだけ
538 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 12:58:43
539 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 14:10:56
僕が言いたかったのは、全ては現世の相対的な意味のなかのことではないのか、人間の作り出す意味の配置のなかでのことではないか、愚かさにしても、悪にしても、一人一人に分散しているのではないか、てことですよ。 形而下を突き詰める、とはそういう意味なわけで。それは埴谷雄高の思想の根本的な難点でもある。彼は〈虚点〉とかいう語彙を使い、池田晶子も影響されている。 だが、それは何かを暗示はするが、暗示はしても、言葉自体は埴谷による表象であり、埴谷の内部の世界性を孕むものである。また、埴谷の思想もまた、さまざまな歴史的な制約を受けている。 埴谷の思想をめぐる論争は観念の刃をもち、人間を傷つけもする。無辜の存在ではない。池田の言葉だって、刃をもっている。親鸞はそこまで見ていたに違いない。 つまり、悪を免れる存在などあるのか、てことですよ。また、愚かさを免れる存在などあるのか、てことですよ。池田はそのへんが楽天的にみえるわけ。
540 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 14:24:10
「自分だけは善く生きることはできる」とは、 善も悪も一人一人に分散しているということでしょ。 あるのは「善」「悪」という言葉の普遍性だけだ。
池田が《善い》かどうかは他人が決めることではない。 池田が自分を《善い》と思っているうちは《善い》。 「池田に傷つけられた人の負目」、つまり《悪い》という感情は池田が背負うものではない。 《悪い》というのは悪くなった者の見方でしかない。 つまり、《善い》ひとは、《悪い》ひとを一方的に突き放していいわけ。
>>541 こういうのを「独善主義」っていうんだけどさ、
池田が読まれることで最も心配してたのが、これなんだよね。
あの論法でいくと、結局こういうことになってしまう。
こういう人間が増えることは、世の中にとってどれだけよくないか。
マジで出版社もよくよく考えて欲しい。
>>542 《善い》は世の中を必要としないのに対し、
《悪い》は同志を、世の中の人々を求めたがる、と言っておこう。
544 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 15:42:50
>>541 「善いと思う」ことと「善い」ことは別のことですよ。
これは池田も言っている。
だれも「と思う」まで括弧に入れていないだろうが
546 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 15:50:47
>>542 >池田が読まれることで最も心配してたのが、これなんだよね。
池田が誤読されるということですか? それとも池田自身独善主義なのですか?
547 :
544 :2007/03/27(火) 15:53:09
だからね、本当の意味で《善い》ということは、交通不可能な概念なの。 「《善い》ことは他者にとっては《悪い》ことでもある。その逆も然り」というのは俗的なお遊戯にすぎない。 このような交通は復讐の交通である。つまり《善い》に対して良心の疚しさを植えつけておこうという魂胆がそうさせている。 本質的な意味の《善い》は、この交通より遥かに高い位置に存在する。 見上げた《善い》という概念に対して独善主義という見方をしたければすればいい。 どうだ?怖いだろ?復讐の手段すら通用しない相手というのは。 そういう相手には蓄群主義で群れるのが得策である。世の中を見渡すのもいいだろう。
549 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 16:32:05
たとえばニーチェは西欧形而上学を終焉させ、同時に完成させた、とハイデガーは指摘する。その場合、その完成態が何かといえば、力への意志である、とニーチェは措定する。有るものの本質とは何か、それは力への意志である。 この命題自体、理解の難しいものである。しかし、ある不気味さを伴っているのは確かで。 有るものの本質とは力への意志である、ということになれば、埴谷雄高の本質とは力への意志である、池田晶子の本質とは力への意志である、虚点とは何か、それは力への意志である、ということになる。 それで、ハイデガーがニーチェの思索と対決する、という場合、これをいかにして乗り越えるのか、が思索における一つの頂点になる。 形而上学の完成、それは力への意志にある。 池田晶子とかの至極楽天的な形而上学指向に、そのような問題意識があったかといえば、僕は池田の著作をくまなく調べたわけではないので何とも言えない。 しかし、彼女の残したという思考の盲点として、その問題はあったのではないか。それは暗い影を投げているような気がしてならない。
そういや、ニーチェはヒトラーの登場を予見していたな。
551 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 17:09:01
晶子のダンナモナ
552 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 17:31:28
508 :考える名無しさん :2007/03/26(月) 22:22:08 プギャオは池田を失って完全に狂ったなw ( ´,_ゝ`)まだおまえいたんだwいつからいたっけ? まぁ最初からその負け犬の遠吠えスタイルは変わらないから初志貫徹?で立派だがm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
553 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 17:33:09
池田の恥ずかしい過去 「講義をしても哲学として理解されないので開き直って『哲学めいたお話』をしていることにしました」 詐欺だろwwwwwwwwwwwwwww
たとえば池田氏の著作を大学で研究対象にする、ということは 有り得ることですか。 哲学科でやるか日本文学科でやるかはともかく。 池田氏を対象にした「研究論文」のようなものは、有り得ますか。
555 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 18:10:59
>>553 それは貴重な資料。
先回りして予防線を張ってたわけだ。
>>498 > ( ´,_ゝ`)二十七万部w
> たったその程度でベストセラーだとwwwwwwwwwwww
で、君の本は何部売れたんだい?
自費出版で27部とか言うなよw
557 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 18:22:25
「善い、悪い」とかの古代ギリシャ話や、「形而上、形而下」だのニーチェだのハイデガーだのの観念論にはウンザリ。 まあ、個人で観念論を楽しむのはかまわないが、せめて「哲学」の名を偉そうに語ることはやめてくれ。
558 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 18:26:30
559 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 18:28:28
560 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 18:29:15
>>556 で、君の本は何部売れたんだい?
自費出版で27部とか言うなよw
561 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 19:11:23
>>557 > 「善い、悪い」とかの古代ギリシャ話や、「形而上、形而下」だのニーチェだのハイデガーだのの観念論にはウンザリ。
> まあ、個人で観念論を楽しむのはかまわないが、せめて「哲学」の名を偉そうに語ることはやめてくれ。
いや、俺は“個人で観念論を楽しんでいた”としか思えない池田晶子の残した話を少しでも広い場所から論じたくて〈善・悪〉や〈形而上学の完成〉などの話を書いてるんだけどね。
彼女の独善性からは見えない問題を掘り下げているつもりだ。池田の哲学話というのは根本的な問いを避けることで話されてたのではないか、というのが俺の疑問で、実は哲学が伝統的に孕みながら伏せてきた問題にわれわれは直面してるのではないか、てことだ。
それらは池田自身の哲学話の孕む穴でもある。そうしてその穴のほうにより重大な問いはある。
562 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 19:29:26
>池田の哲学話というのは根本的な問いを避けることで話されてたのではないか これは本質的な指摘ですね。
563 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 19:39:14
ちなみ形而上学の問いとは何か、といえば《それは何か》で表される。これはソクラテスにひかれた池田も著書のなかで頻用する問い方だ。ニーチェは認識としての〈力への意志〉と言う。《それは何か》と問う仕方にそれはあらわれる。 有るものから逃れられないかぎり、それへの認識は力への意志である、形而上学の終着点はそこだとニーチェはみなした、というのがハイデガーの読み方だった。 〈虚点〉という言葉は、言葉として有るかぎり、すでに有るものである。だからそれは、その言葉は力への意志である。池田の頻用する〈考えられないもの〉も同じだ。逆説的で魅惑するものをもつそれもまた言葉であり有るものの一種になる。 《それは何か》という問いはまた、技術世界が跳躍台とする問いでもある。地球的規模で進行する有るものへの支配をそれはもたらしつつある。これらを批判しうる立場はどこにあるかをハイデガーは考えた。 理性を敵だと考える発想はその辺に起因する。だからこの考えは現代思想の基礎ともなっている。 形而上学への讃歌だけでよいわけがない。
564 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 19:40:07
>>561 根本的な問いって、あなたにとってはなんですか?
あなたは池田の「事象そのものへ!」を読みましたか?
565 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 19:43:53
プギャオは池田を失って完全に狂ったなw
566 :
532 :2007/03/27(火) 20:27:21
読まずに、わかった風、あてずっぽう、推測、妄想で勝手に書き込んでいる セコイ奴が多いなw 存在の形式をいくら分析しても、苦しみが終焉するわけではない。
567 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 20:55:12
>>548 >だからね、本当の意味で《善い》ということは、交通不可能な概念なの。
だったら黙ってろ。
568 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 21:33:41
アキコモナ
569 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 21:42:50
「メイドの晶子です」が現われなくなったね。 春休みで実家に帰ってるのかな?
570 :
532 :2007/03/27(火) 23:45:05
>>562 >根本的な問い
それは「生きることは『苦しみ』であり、苦しみを如何に終わらせ得るか」に尽きる。
この問題の解決に資さない知見は全てゴミ=無記対象。
人類にとってこれ以外の『根本的な問い』があるのか?
『生死事大、無常迅速』⇒(週刊新潮06/7/13日号99頁)池田は解らないということが解っていた。
問題の所在が解ってないのは、あんたではないのかね?
人類は既に2500年前にゴータマ・ブッダで精神文化のひとつの極地に達している。
それを正確に悟りえないほど、我々は本来のありようから頽廃と堕落を重ねている
にすぎない。
571 :
570 :2007/03/28(水) 00:21:08
572 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 02:39:54
>>570 >
>>562 > >根本的な問い
>
> それは「生きることは『苦しみ』であり、苦しみを如何に終わらせ得るか」に尽きる。
>
> この問題の解決に資さない知見は全てゴミ=無記対象。
>
> 人類にとってこれ以外の『根本的な問い』があるのか?
>
一つお聞きしたいのですが、池田晶子さんは何に苦しんでいたのですか?つまり、「生きることは苦しみ」という命題に共感するような、いかなる苦しみを彼女は生前抱いていたのですか?
573 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 05:45:54
> それは「生きることは『苦しみ』であり、苦しみを如何に終わらせ得るか」に尽きる。 > > この問題の解決に資さない知見は全てゴミ=無記対象。 あなたの今までのレスは、はっきり言ってゴミなんじゃないでしょうか。
574 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 07:13:15
>>573 > > それは「生きることは『苦しみ』であり、苦しみを如何に終わらせ得るか」に尽きる。
> >
> > この問題の解決に資さない知見は全てゴミ=無記対象。
>
> あなたの今までのレスは、はっきり言ってゴミなんじゃないでしょうか。
(苦笑)あー、そうだったの?いや、池田晶子が573の言うように《生きることの苦しみ》を問題にしていたとは知らなかった。池田晶子の文章から、他人の苦しみにたいする切ない想像力を感じたことは俺にはないです。
池田は形而上学的思考を、それも徹底した形而上学により、形而上学さえ瓦解させる?その辺の思考を目指していたことはなんとなく分かりましたが、しかし573の言うような話は知らなかった。
それに、池田のよくやる問答によるなら、
Q.「なぜ苦しみはあるのか」
A.「あると思うならある」
といった、即物的な回答しか出てこないのではないかな。池田はそうした問答が好きだったでしょう。具体的な展開をしない話が。
あと、やはり具体的な分析ぬきに他人の思考を否定するのは池田晶子的ではないし、彼女が好まないやり方なように思います。
どうですか。
575 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 07:22:53
死は無い、死は分からない、死は経験できない と言ったその池田さんが その無くて分からなくて経験できない死を遂げこの世から去ったという事実に 非常に感慨深いものを覚える今日この頃 「池田晶子の死」こそ究極の逆説である
576 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 07:56:23
,:'/ ヽ、 ゙、\ {,:' , , ,',' l , ゙、 ゙、 ヽ / / ,' l|{ | ',', , , ', ', ゙、 { ! { ノl|゙、 ゙、','\ ',', ',| | } | l { _ゝー"~ ̄ ̄~゙二゙ヽ、',', |! | | ', ',、ィ'゙ ,;'''テ、 "{(゙フヾ、 ヽ,' ,'| | | '´ ',ッ'{ー'.:} |.:.:.:.:} ,' ,'-'、 l ,' 花のいのちは短くて {} ゝ-' ゙ー" ,' ,'、) } ,' ,' 苦しきことのみ ゙'l 丶 ,' ,'ノ_ノ ,' ,:' 多かりき ノ人 ⌒ || 7 /_/ /,:' ゙ヽ、 , |h,ヽ、 ノ // ゙ヽ、__、、- ' |、 ', ヽ ( ( | 〉冖7‐''" ゙、} } お父様、晶子は寂しいより、悔しい。 ヾ'、 ノ/ / /彡-' "ノ ノ ヾ, _, -'/ / / ノ/ \ この世では知りえない、あるがままを知りたいわ。 _ノ / (ノ / _,, - '' " ゙、 あなたは、お知りになったの? この世の存在の神秘を。 そして、私は知りました 全ての存在の神秘を! 一切行無常 一切法無我 一切皆苦 涅槃寂静
577 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 08:06:36
( ´,_ゝ`)おもしろくなってきたなw おまえら全員池田の糞ぼやきを度外視しているのが前提なのに 片方は「哲学の深遠」を求めだして今まで自分が勉強して覚えたことを得意げに語るw 片方はそういう高度( ´,_ゝ`)な話についていけないから言葉すくなに拒絶するw この二つが語り合っているとはwwwwwwwwwww 糞スレがアイドル消えて空洞化しちゃったもんだから 完全な哲学サロン状態wwwwwwwwwww ま、極少数(一匹www)プギャオプギャオと鳴いている猿がいるがwwwwwwwww 俺様はこいつがかわいいよm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
578 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 08:16:32
>即物的な回答しか出てこないのではないかな。 その通り。 即物的で俗物的な回答だけ。具体的な展開は無し。 >あと、やはり具体的な分析ぬきに他人の思考を否定するのは >池田晶子的ではないし、彼女が好まないやり方なように思います。 具体的な分析ぬきに他人の思考を否定するのは彼女の好むやり方 そのものですよ。
579 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 08:35:09
アキバ系の希望の星となり燦然と輝くメイドの晶子です。
580 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 08:37:07
>>579 ん? 何かセンスとリズムがいつもと違うぞ。
さてはニセモノだな!
581 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 09:03:57
>>580 はいつもと違うステキな女性ですか、どうよ。
582 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 09:25:53
で?
583 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 10:51:32
池田愛読者も、愛読者ではなかった俺も、池田が何をやろうとしてたのか、揃ってさほど把握してはいない、という面白い光景が現れていませんかね? 池田晶子の思考を“これ”、とまとめるのは困難だということ。もちろん『考える人』のように、西洋哲学を俯瞰して重要人物について筆を走らせている本もある。だけどそうして試みた幾つかの読みや批判によってどこへ行こうとしてたのか。 輪郭がはっきりしないのではないかな。 ただ、ヘーゲルや小林秀雄や埴谷雄高やソクラテスへの言葉の捧げものを池田は書いてますね。 つまり、哲学や思考の神々を祀る祭壇の巫女だった、と。時々現れてはお祓いをし、観覧料をとり、有り難さを訪問客に説明し? そう考えることはできるかもしれませんね。だからこのスレ名は激しく正しい。スレ名考えた奴は偉い(笑) しかし、思考の歴史ってのは、先人の業績を有り難く拝聴するだけではよくなくて、なぜならそれでは思考の歴史はそこで終わってしまうから。 池田がありがたがった人たちにしても、遺された作品に問題が皆無なわけではない。事実それを指摘し格闘する人間もいるのだから。 彼らを祭壇にあげたこと、祀りあげたこと。そこには同調したくないですね。ただ、思考することの意味を問い続けた、それは愛読者には伝わったとは思うけど。
584 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 11:37:21
十四歳の君たちは 悩んでないで メイドの晶子をアキバで探求し考えなさい。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
585 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 11:55:53
この‥へたれが
586 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 13:12:01
晶子のダンナモナ
587 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 13:18:32
思考することの意味を問い続けるだけなら、この俺にもできるとです。 なことは、ソクラテスの初歩の解説本を2,3ページ読んだら誰にもできるとです。 大事なことは、何を思考したか、その具体的内容だと思うとです。 池田さんは何も具体的なことは思考しとらんとです。
588 :
573 :2007/03/28(水) 13:21:17
>>574 で、あなたのレスは「苦しみをいかに終わらせうるか」と言うこととどうつながるのですか。
ただの言葉遊びとしか思えません。
苦しみはなぜ存在するのですか。
589 :
573 :2007/03/28(水) 13:24:06
590 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 13:26:00
>ただの言葉遊びとしか思えません。 池田さんにはグサッとくる言葉です。
591 :
573 :2007/03/28(水) 13:28:53
>>583 >彼らを祭壇にあげたこと、祀りあげたこと。
そんなことしてない。
「帰ってきたソクラテス」にしても「オン!」にしても「新考えるヒント」
にしても、彼らを現代に生かそうと工夫している。
592 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 13:31:47
>>現代に生かそうと工夫している。 どのように生かしたのか? 池田はそれらをちゃんと生しているといえるのか? 言葉遊びで煙に巻いているだけだろ。
593 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 13:37:40
池田は過去の人を祀りあげたというより、 過去の人を利用して自分を祀りあげたんだろ。 所詮パクリというか、劣化でしかなかったし。
594 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 13:45:42
>>593 が本質的なことを言った。
池田の「哲学話」は、形式論理の基本文を元にして観念論の用語を単にあれこれ並べ替えただけとしか思えなかった。
595 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 14:04:01
「私は、安い言葉を売り飛ばすくらいなら、言葉の仕事など選ばない。 それは自分が安い人間になることに他ならないからである。 安い人間になってまで生きている理由など、少なくとも私には存在しない。 …(略)… だからこそ、私は言葉を書いている。かくも愚劣な言論出版界だからこそ、 正しく価値のある言葉を書くことに価値があるのである。」 − ブーメラン池田 −
「人生」とか「苦しみ」とか、そんなみみっちい話はやめろよ。 ここは哲学板だぞ?そんな問いには既に答えがでている。
597 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 14:43:57
>>596 みみっちいか?
>この問題の解決に資さない知見は全てゴミ=無記対象。
ゴミのなかには検証できない形而上哲学も、当然含まれている。
「答え」とやらを明解にご教示願おうか。
598 :
573 :2007/03/28(水) 15:06:08
>>592 池田の基本的メッセージは「自分で考えろ」だ。
>>594 そんな風にしか読めないのはお前だけ。
599 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 15:06:34
このペダンチックな糞おやじが…
600 :
573 :2007/03/28(水) 15:10:20
>>597 人生に意味はない。
苦しみは死で終わる。
602 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 15:14:51
例えば、人類は以下のような境地の言葉を持っている。 修行僧たちよ、このような境地がある。 そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、 空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、 この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。 修行僧たちよ、[そこに]来るとも、行くともいえず、[そこに]いるとも、死ぬとも、[再]生するともいえない。 それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。 それこそが苦しみの終わりである。 ( 『ウダーナ』8章1節) ここにおいては、およそニーチェやハイデガーごときは無縁の衆生だ。
603 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 15:17:40
さらに 生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。 もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、 生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、[そのような状況から]脱し、離れることはないであろう。 生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、 生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、[そのような状況から]脱し、離れることがあるのである。 (『ウダーナ』8章3節)
604 :
570 :2007/03/28(水) 15:25:16
605 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 15:37:47
ニーチェやハイデガーなんて、所詮は妄想SF小説やエッセーの類ですから。 >人生に意味はない。 >苦しみは死で終わる。 その通りなんですけど、これってあくまで「生老病死」という問いを前提にしての答ですね。 でなきゃ、人生に意味がないなら何もしなきゃいいんだし、 最初から死んじゃえば苦しみもないんだし。 にもかかわらず、事実として人は生き続けようと毎日もがいてるわけです。 人生に意味はない= 世界の法則そのものは人間がどうのこうのできる次元のものではない。 苦しみは死で終わる=すべてのものは変化する。これが世界の法則である。 ちゅうことかな?
606 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 15:40:34
で?
607 :
570 :2007/03/28(水) 15:41:20
>>601 >人生に意味はない。
あまりにも否定されるべき我執に捉われた浅薄な哲学だな。
日本にも同じ晶子でもこういう晶子がいた。
『劫初より造りいとなむ殿堂に、われも黄金の釘一つうつ』(与謝野晶子)
> 苦しみは死で終わる。
何故そんなことが断定できる?死んだ事があるのか?浅薄過ぎるぞ。
608 :
570 :2007/03/28(水) 15:52:13
>人生に意味はない。
>苦しみは死で終わる。
このような思考こそ、池田晶子が罵倒していたチンケな単細胞ルンペン思想ではないか!
これは彼女の著作のいたるところに指摘できる。
>>605 おまえら、ホンマにしっかりせーや! 都立松沢病院にほり込むぞ。
609 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 16:11:19
>>608 松沢病院に友達が入院したんで面会に行ったら
家族以外会わせないんだって
年老いた母親しかいないのにポックリ逝ったらどうすんだろ
610 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 17:11:13
「人生に意味はない」という言葉の意味が分からなければ 「人生に意味はない」とは誰も言えないわけで・・・ そこに言葉があれば、その言葉の意味があり その言葉の意味が分かってしまう自分がいて 「苦脳に満ちた自分の人生」が存在する 人生とは意味に満ち溢れた言葉であり その言葉が「自ずと分かってしまう」「自分」とは・・・?
611 :
570 :2007/03/28(水) 17:22:56
>>574 >>588 >>590 >Q.「なぜ苦しみはあるのか」
>A.「あると思うならある」
>といった、即物的な回答しか出てこないのではないかな。池田はそうした問答が好きだったでしょう。具体的な展開をしない話が。
池田本人なら著作全体が回答よ!と言うだろうが、例えば「考える日々」なら“万有の真相、曰く不可解”(29頁〜)、
“苦しみの正体を見究めない限り”(129頁〜)などが直対応する。
一応の体系的?まとまりなら「人生のほんとう」か。
池田のコンセプトが(小林秀雄をお手本とする)哲学エッセイストであり、また46歳という年齢を考えれば、
時塾のときからはほど遠いのは当然だし、人生論が中心とならざるを得ない。
繰り返し語ったキーワードが「考える」「善く生きる」の二点。
仏教の二諦説的には前者が勝義諦、後者が世俗諦に対応する。
自己を調える(自灯明)⇒存在の真理を覆っているものは、存在そのものではなくて、
認識する主体側の問題だからである。伝承と概念によって
迷妄の歪みに陥っていること、それを打ち破ることを池田は自覚していたのだ。
池田が望んで得られなかった時塾のときである。
>>570 「自分の人生の意味」を語ってみなさい。
613 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 17:54:41
15円50銭と言ってみろ!
ごちゃごちゃいってないで、「人生に意味がある」ならそれを直接言えよ! 「人生に意味はない」と言われるのがそんなに怖いのか、カスどもが!
人生に意味がないなら、こんなところで吠えてるのも意味がない。
616 :
570 :2007/03/28(水) 18:38:01
>>612 >>614 >>607 で>『劫初より造りいとなむ殿堂に、われも黄金の釘一つうつ』(与謝野晶子)と、
キチンと引用しているではないか。これで解らないのか?
引用にとどめたのは、各自でそのニュアンスを飛翔させてもらうためだ。
これをヒントに自力で考えろ。
俺は、チャート式数学参考書ではない。
要するに空虚な言葉遊びになるってわけ。 人生に意味はない。
618 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 19:25:41
どうせ、池田晶子氏の人生に価値はありません。 晶子氏に鼻であしらわれた禿げてるオジさん中島義道です。
>>618 うむ。
いま一歩かな。
テンポはいい線いってるので敢闘賞か演技賞ですね。
>>616 お前さぁ、日本語を知らない外人相手にも同じような発言で通用すると思ってんの?
なにが「各自のニュアンス」だよw
「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」
621 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 19:46:04
人生の意味とは、どこかに転がっているようなものではなくて 自分でつくり出すものである。
ほんとは語るべき中身などありませんでした。 だから十四歳の君達は 自分で考えなさい。 それでも語り続けたメイドの晶子です
623 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 19:49:31
グローバル馬鹿が約一名
624 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 19:52:06
晶子のダンナモナ
625 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:02:56
どうせ、池田晶子氏に さんざん馬鹿にされた唯脳バカの養老です。
626 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:03:23
生前に語られた最後の本になった、対談集『君自身に還れ』は今まで読んだ池田の本のなかでは一番面白い本だった。 面白い原因は、一つには対談相手である大峯顯の素養が僕と重なるところがあったためだ。 大峯顯は浄土真宗の研究をし、かつ、西欧哲学に通暁している。特に、対談のなかでも頻繁に出てくるが、ハイデガーから大きな影響を受けている。大峯顯の発言を読んで、彼がハイデガーをよく理解していることは伺われた。また西欧哲学全般についてもよく知っている。 面白い二つ目の理由は、このなかで池田が洩らしている、思考の転換がなかなかよいのではないか、ということだ。 人間なのに魑魅魍魎、そのような人間の登場に池田は、これまでの自分の思考だけでは捉えきれない魔物のような存在をみている。池田の口から、《哲学の限界》ていう言葉がもれている。 《こういう修羅の出現をみると、哲学というか理性の限界を感じてしまう。理性によっては、これが何者かが認識できないんです。》(112頁) これは昨今の少年による凶悪犯罪の記録にたいして池田が率直な感想をもらさている箇所だが、ここで池田が洩らしている哲学への感慨は至極正当であり、なかなかよいのではないか、と俺には思える。 このまま池田が生きてたら、思考を問い直す絶好の機会になったのではないかと思う。 池田がこの本でみせている思考の変化がもう一つある。それは、これまでの自分が、絶対精神などに偏っており、実存の領域を突き詰めることがなかったことに気が付いた、と語っていることだ。
627 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:09:00
で?
この観念論者め! と罵倒さえしてもらえませんでした。 「絶対精神」や「実存」を持ち出してきたのに。 14際の君たちが相手のメイドの晶子です。
629 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:20:21
今日もアキバに行ってきたメイドの晶子本人です。
630 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:21:05
池田はそれについて以下のように語っている。 《ヘーゲルも一即多だけど、やはり一の側に偏っているのではないかというこてですね。絶対精神に偏っていて、個的存在者というものが扱われていないという。それはまさに私の体質でもあったんです。一般性、普遍性という側にどうしても眼が行ってしまうんです。 それで、個的なもの、池田某自身ということにはあまりこだわらない体質だったんですけれど、私が池田某がやっている不思議ということが気になってくると、やはりヘーゲルではそれが語れないんですね。》(120‐121頁) その二点の思考の変化が読んでて興味深かった。 この本を読んでて、対談相手の大峯顯はやはり優秀だな、と何回か感じさせられた。 たとえば大峯は真理の概念についてこう言っている。 《私にとっての真理というのは、私はそれによって生きられる、それがなければ生きられないという意味の真理のことです。》(124頁) つまり、大峯顯は、池田がこれまで頻用してきたような真理、普遍的・一般的な真理概念にたいして、実存から派生してゆく真理の存在をここで提示している。しかも、何が真なのか、という究極の階梯でその問題‐すなわち実存からの真性‐はあらわれる、と言っている。 大峯が池田のこれまでの哲学に通暁しながら、同時にそこになかった思索をさまざまに紡ぎだしている。また、池田の問い掛けにも深い思索から懸命に答えている。そのことが話を面白くしていると思う。
631 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:41:39
大峯は池田のことを評して、「10年経てば変わりますよ」と言っていましたね。 今となっては10年後の池田は想像の存在でしかない。 残念。
632 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 20:53:13
妻の他界は われわれ編集者も 読者も ほんとうに残念です。 晶子の旦那です。
633 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 21:10:08
十年後もメイドの晶子です。
>>633 アンタさえいなければ
かなりマシなスレなんだよ!
空気嫁よ…
池田ヲタって いるんだな
636 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 22:51:59
何んと言っても、生中出し
637 :
考える名無しさん :2007/03/28(水) 23:20:58
おまえらそろそろ静かにしないと、呼ばれるぞ。
638 :
570 :2007/03/28(水) 23:23:50
>>620 *>「各自“の”ニュアンス」ではない。
>>616 は「各自“で”そのニュアンス」と書いている。
全く意味が異なる。おまいは、おまいの言う『外人』以下の読解力だな。
*語り得ることについて、ワザと沈黙することがある。小林秀雄が得意とした技だ。
またゴータマ・ブッダも無記事項につき沈黙を守られた。
たかが、ウィトゲンシュタインごときを出すな。
思い返せば、確かにあの日の頃から、何かを置き去りにしているような感覚がないでもなかったがな。
>>638 見苦しい敗走だなw
掲示板で「沈黙のポーズを示す」って、自己矛盾したただのバカじゃんw
ネットでは最初から干渉しないか、或いは、徹底的に付き合うか、しかない。
641 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 00:24:58
“大峯顯”ていう名前を、俺はどっかで見たことあるな、どこだったかな、て気がしてたんだけど。 ちょうど本棚に『理想』て雑誌の1985年7月号があって、それは「特集=ハイデガー」なんだけど、そこに座談会が収録されている。 座談会の出席者は木田元、竹市明弘、もう一人が大峯顯なんです。この頃もうすでにこういう座談会に引っ張りだされる存在だった。写真も掲載されて、『君自身に還れ』より血気盛んな顔が写っている。 『君自身に還れ』の池田は、これまでの自分の思考への見直し、ともとれる発言を所々で垣間見せている。大峯のせいというよりも、この当時そのような心境にあったのだろう。そう俺は読む。 で、その見直しから、「哲学の限界」「理性の限界」を語っている。また、「個別的存在者」をどう捉えるか、その問題意識を語っている。両者は底辺で結び付いているともとれる。 129頁で池田は“絶対的他者性”ていう語彙を、(おそらく公的に使ったのは初めてではなかったかと思うが)使っている。 そこでこう言っている。 《でも、そういうのが(命をとって生きているのは罪深い、そういう善悪観‐大峯の発言から)まったく欠落した人類みたいな者がときどき出てくるわけですね。 それは何なのだろうと思うわけです。絶対的他者性みたいなものを感じます。》 他者性という思想は実存思想の重要な要因になる。これまでの池田ならば言わなかった言葉だと思う。だが、理解を拒むような存在へ、そのような語彙を使わざるをえない。そんな考えに近づいていた。 これ以後の池田がどういう方向へ向かったか、非常に興味深いものがある。己の思考を深めていこうとしたことは確かだろう。しかし、その方角は、それまでより拡がっていた可能性もあるだろう。 池田自身が、思考のさらなる可能性を、また、理性に包括する思考の限界を暗示したまま亡くなったわけで。ある意味、読者にたいして足枷を解いてやったようにも思える。もっと自由に考えていいのだ。そう言い残したような、ね。
642 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 00:31:23
世の中に、こんな生ぬるい日本に哲学を広めたということは大きな業績です。 いろいろな”あきこ”がいますが、池田晶子が最高です。
643 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 01:09:04
メイドの池田晶子です。
「人口に膾炙する」。
645 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 01:31:24
十四歳の君達は 悩まないで 晶子の業績だけを考えなさい。 冥土の哲学の巫女オバチャン池田本人です。
中国の言葉である。
647 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 01:33:16
自演 w
陣汁所に従った?
649 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 01:38:17
何て意味だっけ? よく言われてるとかだっけ?使い古された言葉とかだっけ?
650 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 02:00:32
どうせ中国なんか旅行にも行かなかった晶子です。
651 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 03:45:05
583さんの言う通りだね。
652 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 03:47:32
間違えました。578さんの言う通りですね。
653 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 05:43:45
今朝もあの世の公園でドックランする晶子です。
654 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 08:35:41
( ´,_ゝ`)意味が無いと思考できないのかおまえらはwwwwwwwww 池田が馬鹿なのはこういった論理的な基礎もないがしろにして 「あ!こういうこと言ってみたらかっこつくかも!」という浅はかなところで終わってる点だ。 で、同じく思考の化学反応すらまともに取り扱えない馬鹿ども、つまりそこのおまえみたいな屑に おおうけしちゃって勘違い増長しちゃったってとこ。 哀れすぎ。 思考の意味を考えるぷぷぷ前に、己の存在意味を考えてみればよかったのにね。 たかだか300円の購読料を己の力で支えているなんて恥ずかしい思い上がりもしなくて済んだのにねw
655 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 09:38:48
三途の川でブキミなビキニでたわむれる 冥土のメイドの晶子です。
>>655 アンタさえいなければ
かなりマシなスレなんだよ!
空気嫁よ…
追悼コーナー設けてる書店ありますね…。
658 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 13:40:24
三途の河原にて 遊びをせんとや来たれけむ、 戯れせんとや来たれけん、 遊ぶ亡者の声きけば、 我が身さえこそ動がるれ。 ちょっとだけよ晶子
659 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 14:05:13
追悼コーナーは僕がみただけでも東京駅丸ノ内北口丸善3F、東京駅八重洲側南口八重洲ブックセンター4F、神保町三省堂4Fで設けてありますね。 『事象そのものへ!』から最後の本『君自身に還れ』まで並べてあります。 不況の出版界で部数の期待できる数少ない書き手だっただけに編集者諸氏の落胆も大きいでしょうね。 このスレに書いたように、思考の方向は違ったし不満もあったが、池田の変貌を瞳こらして見てみたかったという想いは俺にもあります。
660 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 14:10:29
>>659 >池田の変貌を瞳こらして見てみたかったという想いは俺にもあります。
もし池田が男だったとしても、そう思った?
661 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 14:18:58
たぶんね。池田の思考は俺からすると不満だらけで、個別な評価もまるでちがったからね。それはこれまでのレスを読めばわかるよ。読む気もないんだろうけど(笑) 美人哲学者という存在の稀少性もあったのは確かだろう。
662 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 15:12:57
( ´,_ゝ`)美人哲学者m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ 見た目で選んでどうするんだこの馬鹿はw
663 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 15:14:27
福田和也氏なんかが時評あたりで酷評してくれないかなぁ( ´,_ゝ`) ま、同じ週刊誌で書いてはいても、氏ほどの博識な方の目には触れることすら無かった池田であったわけだがwwwwwwww
664 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 15:22:37
あくまで仮定の域を出る話ではないが、池田晶子における〈父性〉の起源てことと、彼女の哲学指向との間に、もしかしたら、繋がりがあるのじゃないか、ていう気もあるんです。 というのも、池田が小林秀雄や埴谷雄高について書いているとき、そこに単なる哲学エッセイ以上の感情が籠められていたような、それは池田にとっての〈喪われた父〉だったのではないか。 〈父性〉というのは子供へ拘束力を向ける、社会性や公共性の代理だといえますね。また、同時に愛を授ける存在でもある。 そのような存在が日本の家族から喪われていったこともつとに指摘されていることでもあります。 池田晶子における哲学や思考とは、だから池田の〈父、恋し〉の現れだった可能性もあろう。そんな気がちょっとする。 彼女は老哲学者と語り合うのを何より好んでいた。その老哲学者とは、〈父なるもの〉の象徴だったのではないか。 池田が生きていたら、自分という存在が何なのかを解剖したかもしれない。その辺の問題まで行き着いたかもしれない。 そんな可能性を感じる。あくまで推測にすぎないが。
665 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 15:26:11
与謝野晶子のいわゆる「黄金の釘」と言う意味では、 おまいたちチンケどもよりかは、一般大衆に対する影響力ははるかに大きいわけだが。 これだけでも、池田晶子という存在の「人生の意味と価値」がある。 ましてや、プギャオにをいておやwwwwww
666 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 15:31:10
667 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 17:22:03
>>664 わざわざ妄想を展開したくなるのは「美人哲学者」だからかw
妄想を展開する材料なら、年上男性と温泉に行った加護ちゃんでも
何でもよかっただろうに。
うーん。 じゃあ、埴谷さんが誉めたのも、 美人だから?
669 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 18:21:35
プギャオはまだ池田から乳離れできていないのかwwwwww いい加減にオリジナルな道を探ったらどうだい?www
670 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 18:25:56
>>593 あんたみたいな人がいるから、どんなに池田が頑張っても、哲学への偏見が消えないんだよ。
wikipediaのこの人の書き込み履歴を見て、つい笑ってしまった。 ここと同じようなことやってるわ。 というか、それほど語るべき内容を持つ人だったのかどうか、自分には分からないが。
というか、ここにたむろしている人たちでやりとりしているようだね。 他の人にとっては、けっきょくどうでもいいことなのかもな。
673 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 21:23:24
>>670 >>593 は正しい。
池田みたいな人やあんたみたいな人がいるから、哲学への偏見が消えないんだよ。
674 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 21:30:44
>>671 俺も笑った。
このwikiを書いた人は明らかに池田のインチキぶりを嘲笑っているw
「専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって」
「現代の思潮や流行している解釈に迎合せず、自分の考え、自分の言葉だけで」
「哲学エッセイというジャンルの草分け的存在」
「ソクラテスの対話篇を現代に復活させた」
675 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 21:35:05
ま、それでも、この板にいる誰よりも立派な功績を残したのは確かだ罠。 匿名の掲示板であれこれ論評するだけなら誰でもできる罠。
676 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 21:35:58
哲学やりだしたら、日本人の多くが、過去と未来への展望を自己否定するはめになる可能性が高いからだよ。
>>673
677 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 21:56:19
池田の立派な功績、などという人は、その「功績」の具体的な内容に ついては言えないんだろうな。まさに池田と同じ手法だね。
678 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 23:04:04
>>663 659みたいに池田はバカだけど美人だから温かい目で見守っていたいという
ファンがいるから、男は批判しにくい罠。
弱い者イジメみたいな印象になってしまうから。
プロとして批評しなければならないほどの価値もないし。
まともに相手してしまったら、プロとしての格も下がるし。
永井均なんて、池田と議論がかみ合うはずないのをわかっていながら
鼻の下長くして対談してしまって評判下げたし。
自分の知ってる範囲では、さりげなく釘を刺していたのは中島義道。
さすがに池田の問題点には気づいていて、見過ごすわけにもいかなかったんだろうな。
●「哲学の道場」(ちくま新書)より抜粋
「死ぬことができなかったら、つまり永遠に生きていなければならないんだったら、
それこそたえられないんじゃない?
私たち死ぬことができるから救われているんじゃない?」
私は最近こう語る人に遭遇しました。かの美人哲学評論家(?)池田晶子さんの
言葉です。私たちは現状でもう十分に不幸なのに、他のまったく架空の不幸を設定して
想像してみるなんて、よくもそんな余裕があるもんですねぇ!
多分こう言う池田さんとて、あと数日の命と宣告された末期癌の患者に向かって
「死ぬことができなかったら、耐えられないわよ」とは言わないでしょう。
それが、彼らにとって何の慰めにもならないこと、彼らにとって「死」とは
そうした≪架空の哲学談義≫の対象としてあるのではなく、眼前に立ちはだかる
端的な恐れとしてあることを知っているからです。
679 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 23:08:47
で?
680 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 23:41:52
池田の思考の難点は、このスレに俺が書き綴りつづけた。再度繰り返せば、無限と有限の問題になる。池田自身は己の有限と、それを超える何ものかとの同一を実感でき、ために上記の問題がそんなに難所になるとは考えなかったと思われる。 池田が己の有限を実感しないで済む感性の持ち主だったこと。それは池田にたいして、「考えられないものとは何か」といった、極限的な問題に立ち向かわせた。 しかし、俺からみて、池田のこの体質は存在問題を考える上で、片面をしかみないことになると思われた。 そのことに、最後の対談を読むかぎり、池田は気付いてきたような観がある。 池田は自分が有限と無限とを双方とも理解していると考える。しかし、池田の呼吸がやみ、心搏が停止し、血液が止まり、他人が話し掛けても答えなくなる、意識は失せる、つまり他界する。 池田の新しい言葉や思考を我々が知ることはなくなる。 紛れもなく死は我々と池田を隔てる。池田は「私は死を知らない」と云い、また、我々だって知らない。しかし、死が何をもたらすかだけは我々は知っている。現に池田の死によって我々と池田は隔てられたことをすでに知っている。 大峯との対談のなかで、これまでの己の思考の難所があることを池田は語っている。 無限は己のなかにある、と言う池田の思考にも実は有限は潜んでいた。大峯によれば、真理とは、己が必要とするもののことだ。ならば、池田は、あるいは我々が知る真理はどこまでも有限に付き纏われるしかない。 己の有限を突き詰めることなしに、無限を真に語れるのか、と俺は書いた。最後に池田はそのことを理解したのではないだろうか。池田は自らの限界と、ゆえにさらなる可能性を感じていたかもしれない。だったらいいな、と俺は考える。
681 :
考える名無しさん :2007/03/29(木) 23:46:21
>>678 >プロとして批評しなければならないほどの価値もないし。
>まともに相手してしまったら、プロとしての格も下がるし。
私も「カネだして読むほどの価値もない」と思っていたけど、
あまりのインチキぶりと無責任ぶりにだんだん腹が立ってきて、
やはり厳しく批判されなきゃいけないと思い始めたとこです。
ソクラテスあたりの言説をそのまま自分の言葉として書き散らかし、
最後は「自分で考えなさい」というズルさと無内容さ。
でも無内容だけならまだ罪は軽い。たいした理解もなく気分だけで
観念論の用語を撒き散らすから、ウブな14歳にとっては科学的な態度を
養うどころか、曖昧で神秘的で自己満足な思考パターンに染まる危険が。
池田さんの軽さの一番の罪は、本人が意図したわけではないにしろ、
カルトや非合理的主義の餌食になる下地を広めていることだと思う。
>自分の知ってる範囲では、さりげなく釘を刺していたのは中島義道。
>●「哲学の道場」(ちくま新書)より抜粋
「哲学の道場」(ちくま新書)っておもしろそう。
紹介していただき感謝。
もっと辛口な池田批判本はご存知ないですか?
>「死ぬことができなかったら、つまり永遠に生きていなければならないんだったら、 > それこそたえられないんじゃない? > 私たち死ぬことができるから救われているんじゃない?」 いつでも終わらせることができるからこそ、前を向くこともできるって前向きに捉えなよ。 人間は誰もが死ぬんだから、完全な架空じゃないよ。
683 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:01:57
>>681 >たいした理解もなく気分だけで
>観念論の用語を撒き散らすから、ウブな14歳にとっては科学的な態度を
>養うどころか、曖昧で神秘的で自己満足な思考パターンに染まる危険が。
具体的には池田のどの本のどの箇所について言っているのですか?
>>678 別にどっちの肩を持つわけでもないけど、
極限状況を持ち出しても水掛け論になるだけだよ。
昔の日本軍みたいに、ろくな医療物資もない状態で
止血もままならない重傷を負って「一思いに楽にしてくれ」と
言う兵士にとって、死は救い以外の何物でもないだろう。
685 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:11:25
池田にとって<自分の死の恐怖>が存在しないということは 架空の哲学談議じゃないだろ。
686 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:13:51
>>680 >死が何をもたらすかだけは我々は知っている。
>現に池田の死によって我々と池田は隔てられたことをすでに知っている。
「死」を定義せよ。何故「知っている」などと断定できるんだ?
おまいは生前、死後なるものを知っているのか?逆説で、現在瞬間が何たるかをわかっているのか?
もっと根本的なことをいえば、自我があるなんて妄想ではないか?
もっと突っ込んで、その自我なるものを問題にしている観るものは何者だ?
さらに・・・・・・、もっと突っ込もうか?
687 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:18:26
>>684 あまりにも「自分、自分、自分」の主観的観念論の立場で語りすぎる、
ということを指摘したかったんじゃないですか。それも、あまりに
現実を離れた軽薄な抽象論で語りすぎる、と。
688 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:22:08
>>686 もっと突っ込むのはやめたほうが。
>>680 は池田さんと同じく、自分の言葉に酔ってるだけだから。
689 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:38:20
>>686 >
>>680 > >死が何をもたらすかだけは我々は知っている。
> >現に池田の死によって我々と池田は隔てられたことをすでに知っている。
>
> 「死」を定義せよ。何故「知っている」などと断定できるんだ?
> おまいは生前、死後なるものを知っているのか?逆説で、現在瞬間が何たるかをわかっているのか?
> もっと根本的なことをいえば、自我があるなんて妄想ではないか?
> もっと突っ込んで、その自我なるものを問題にしている観るものは何者だ?
> さらに・・・・・・、もっと突っ込もうか?
>
俺は自分が死を定義できる、など書いてない。よく読んでほしい。
《死が何をもたらすかだけは我々は知っている。現に池田の死によって我々と池田は隔てられている。》
と俺は書いてる。俺には死を語る力も経験もない。
当の池田自身が《私は死を知らない》と書いてたじゃないか。俺はそれを肯定してるんだよ。俺だって知らない。誰もそれを知らないだろう。
でも、俺は母親の死に立ち合ったことがある。人が死んでゆく姿は知っているよ。そして、何をもたらすかも知っているよ。
>>684 >
>>678 > 別にどっちの肩を持つわけでもないけど、
> 極限状況を持ち出しても水掛け論になるだけだよ。
水掛け論にはならない。限界状況は人間の存在を裸体にする。狂気に陥る人間、祈り始める人間、どうせこんなもんさと居直る人間、ひたすら悲しむ人間、なぜか平然としている人間、私は死なない、と言い始める人間、…
池田が最後の対談で口にした絶対的な他者性が現れる場。それが限界状況だと考える。
690 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 00:55:08
池田ファンなる人は、「死」だの「限界状況」だの「絶対的な他者性」だの、 実存主義の用語を持ち出して語るから、最初は人の心を捉えても奥行きが ないから人は失望して離れていく。 こんなのは「哲学」でもなんでもなく、むしろ「文学」に分類される べきなのに。哲学が誤解され軽蔑されるのも無理はない。 ヘーゲルの「絶対精神」なんて用語を得意げに使っている池田さん。 困ったものだ。
691 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 01:46:10
どうせ、誤解されてる冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
692 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 02:32:30
晶子が 学校関係者や読者に講演を依頼されて 地方の温泉でシッポリと宴会やりました。 混浴の露天風呂に興奮して 妻とセッ○スするのが大好きな晶子の喪主の旦那です。
693 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 03:41:45
694 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 06:05:37
今春もさわやかに変身したメイドの晶子です。
695 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 06:34:52
>>690 > 池田ファンなる人は、「死」だの「限界状況」だの「絶対的な他者性」だの、
> 実存主義の用語を持ち出して語るから、最初は人の心を捉えても奥行きが
> ないから人は失望して離れていく。
>
> こんなのは「哲学」でもなんでもなく、むしろ「文学」に分類される
> べきなのに。哲学が誤解され軽蔑されるのも無理はない。
>
> ヘーゲルの「絶対精神」なんて用語を得意げに使っている池田さん。
> 困ったものだ。
おそらく貴方は永久に哲学を誤解したままなのだろう。貴方が考える“誤解”も“軽蔑”もされない哲学とはいかなるものか、知っているならばひとつ教えてほしいものだ。
また、俺は池田ファンでもなんでもない。しかし、池田を批判するにしてもそれ相応の思考や読書は必要だ。俺には何でも見通し、とかの顔をつくるだけなら簡単なのだ。
696 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 06:42:15
>>695 はそれ相応に魅力的な女性ですか、どうよ?
697 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 09:54:58
Hanakoの企画で四国を遍路する戒名なしの巫女オバチャン晶子です。
698 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 12:09:58
黄泉の国の味覚を グルメするメイドの晶子です。
699 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 15:39:43
見捨てられたオジさんだった戒名なしの父と 三途の河で再会する冥土の哲学の巫女オバチャン晶子です。
700 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 17:24:43
669 :考える名無しさん :2007/03/29(木) 18:21:35 プギャオはまだ池田から乳離れできていないのかwwwwww いい加減にオリジナルな道を探ったらどうだい?www m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ 乳離れするのははおまえだろwああwプギャオ様のチンポ離れするの間違いかwwwwwwww このスレでおまえ一匹が浮いてるとはわからんのかね?九級君w お得意のコテももうつかえないほど心が疲弊しきってしまっているのかね?クックック
701 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 17:28:17
665 :考える名無しさん :2007/03/29(木) 15:26:11 与謝野晶子のいわゆる「黄金の釘」と言う意味では、 おまいたちチンケどもよりかは、一般大衆に対する影響力ははるかに大きいわけだが。 これだけでも、池田晶子という存在の「人生の意味と価値」がある。 ましてや、プギャオにをいておやwwwwww m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ おまえ自身チンケな存在だから池田信者となって池田を無理にでも高めることで おまえ自身も追従的に高めようとしているのかね? 残念ながら失敗しているのだがm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ 君は今日からチンケクンと名乗りなさいw 言ってることは毎回同じなんだからもはや見るべき物ではないんだよ、おまえのレスはw 皆様がNG登録しやすいようにチンケクンと名乗りなさいw処刑ライダーの名前は嫌でも名乗りたくないだろうからなw もしくはチンカスクンでもいいぞ?ぴったりだなwwwwwwwwwww
702 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 17:31:31
プギャオは池田を失って完全に狂ったなw
703 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 18:27:37
>>700 > 669 :考える名無しさん :2007/03/29(木) 18:21:35
> プギャオはまだ池田から乳離れできていないのかwwwwww
> いい加減にオリジナルな道を探ったらどうだい?www
>
> m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
> 乳離れするのははおまえだろwああwプギャオ様のチンポ離れするの間違いかwwwwwwww
> このスレでおまえ一匹が浮いてるとはわからんのかね?九級君w
> お得意のコテももうつかえないほど心が疲弊しきってしまっているのかね?クックック
↑「クックックッ」て(苦笑)この人、何しにこのスレに来てるのかな。てかプギャオ、て誰?プギャオて人はそんなに重要人物なのか?(苦笑)
2ch.によくみるタイプの書き込みなんでまあ驚きはせんが。池田の愛読者をコケにするのがそんなに面白いのかねえ。よくわからん。
普段は何してる人なんだろ。サラリーマンかな。フリーターか。悪口の才能だけはあるみたいだな。
704 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 19:17:05
十四歳の君達は 悩むより 本質的な洞察を考えなさい。 メイドの晶子です。
705 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 20:24:36
>>695 同感です。2chにもたまにはまともな人が来るんですね。
706 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 20:38:29
自演 w
僕はフーコーを弁護する気もないし、彼が何か新しい社会システムのようなものを提示しようとしたとも提示しえたとも思わない、 それがまず美的なスタイルの問題として提示されているのも確かだと思います。 彼は古代ギリシアの全盛期を考えていたのではなく、古代末期を考えていたんですね。偉大な哲学も終わった、社会秩序も失われつつある、 そんな古代末期にあって、エピクロス派とかストア派とかいった人々が、法のないところでの自律というアート(技術=芸術)を考えていた。 フーコーはそのあたりに焦点をしぼっていたわけです。それは現代ともつながるところがあるように思いますね。
708 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 20:56:32
で?
709 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 21:01:57
>>708 > で?
「で?」じゃなくて、707はひとまず議論の叩き台を提出したのだから、貴方が感想や意見を書いてごらんなさい。何にも出てこないのか?
710 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 22:00:14
哲学の名をかたったエッセーとやらに熱狂し、さらにこれを土台に自らの妄想を展開。 インチキと妄想の拡大再生産。
711 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 23:03:41
確かに池田晶子が問い掛けたものとして、後期フーコーが遺した一連の研究〈自己への配慮〉というのはあるような気はしますね。 フーコーの講義録『主体の解釈学』に次のような叙述がある。 《自己認識と真理の認識(知るという行為、認識一般の行程と方法)は、そのなかに霊性のさまざまな要請を吸収します。その結果プラトン主義は、古典古代の文化とヨーロッパの文化を通して、次のような二重の役割を演じることになります。 つまり真理へ到達するために必要な霊性の諸条件を、たえず繰り返し立てると同時に、霊性を認識の運動に、つまり自己、神的なもの、さまざまな本質の認識の運動に吸収することになる、ということです。》(92頁) こうしてフーコーの叙述を読んでいると、池田の姿が浮上してくるようにも思えますね。意外なところに関連が出てきて面白いね。
712 :
考える名無しさん :2007/03/30(金) 23:14:40
なんだよ、霊性だの背後霊だのって。
フーコーは1970年代半ばまでソヴリンティからディシプリンへの移行を系譜学的に分析し続けてきたんだけれど、 急に長い沈黙に入る(講義や言論活動は続けるものの、大きな本の出版を中断する)。 そして1984年にはAIDSで死んじゃうんだけれど、死の直前に出た最後の2冊の本(『性の歴史』II・III巻)では、 とつぜん古代ギリシア・ローマに戻って、「自己への配慮」とか、自分自身を芸術作品としてつくり上げていく「生存の美学」 とかいうようなモチーフを、そこに見出そうとするんですね。フーコーはそこに本当の自律を見出そうとしたとも言えるでしょう。 ディシプリンによって生み出される自律は、内面化された他律としての自律でしかない、そこでのパラダイムはカントだけれど、それはサドと背中合わせになっている。 いわば法と侵犯という図式で、法の絶対性とそれを侵犯することの絶対性が見合うようになっているわけです。 ところが、キリスト教以前の古代ギリシア・ローマには、性の問題に関しても、そういう厳格な法はほとんどない。 法のないところで、自分が好きなことをして、しかし行き過ぎると自分にとってもおぞましい結果になってしまうから、自ずと程を得たところに行き着く、それが自律だと言っているわけです。 法に抑えられていた力が暴発するのではない、力が自由に発揮されるところで自分自身を矯めるのだ、と。 ずいぶんきれいごとめいて聞こえますが、フーコーはハードゲイSMの実践者で、晩年はとくにアメリカのゲイ・コミュニティにひかれていったんですね。
SMというのはまさに法に対する侵犯でめちゃくちゃなことをやっているように思えるけれど、それはヨーロッパのキリスト教国でのイメージ、まさにカント/サド図式にそったイメージでしかない。 そういう禁止から解放されたところでは、好き放題やれるわけだけれど、フィスト・ファックとかもやっているわけだから、本当に好き放題やったら死んじゃう(笑)、 むしろ、だからこそ、非常に繊細な自他への配慮、苦痛を与えることがお互いにとって快楽になるようなある種の技術というのが必要になるわけです。 たぶん、フーコーは、そういう現代のアメリカと古代のギリシア・ローマを結びつけながら、自律――しかも他律(法)の内面化ではない自律を考えようとしていたのではないか。 これはもちろん「皆でハードゲイSMをしましょう」という話ではないですよ(笑)。ただ、古い伝統や秩序には戻れない、カント的な自律的主体にも戻れないとして、しかし、 自由に欲望を解放することが必ずしもアナーキーに行き着くとは限らない、むしろ、自由にやっていることが自らにとって本当に快楽であり続けるためにはそこに自ずと秩序みたいなものが出てくるはずだということを、晩年のフーコーは考えていたのではないか、と。 それは、期せずして、池田さんの言われたこと、何らかの共鳴点を持つのではないかという気がします。
715 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 00:32:58
フーコーの先の講義録を辿っていると、〈自己への配慮〉が、ソクラテスの時代にはポリスを統治するであろう人間の知恵として捉えられていたのが、紀元1〜2世紀にかけて、それが変容して、より一般化して捉えられるようになった、という叙述が出てきますね。 若年や老年問わず、必要な思索であると。 そこでフーコーが引用している箇所がまた興味深い。〈自己への配慮〉には年令の別はなくなっていった。 二十歳には二十歳の、四十歳には四十歳の、そのような修練、思索がある、そういう記述が残っている、そうフーコーは引用している。 そこで池田の生前の本『14歳からの哲学』『41歳からの哲学』のタイトルを連想するのは俺だけではないでしょう。池田の発想に、そのような文献があったかは知らないが、奇妙な一致がみられるのは確かでしょう。
池田先生はアーサークラークの『幼年期の終わり』の子供たちと同じになったのだと思いました。
717 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 07:37:23
フーコーは馬鹿だって柄谷行人がいってたよ 小林秀雄のほうがよっぽど偉いって 私見によれば小林より池田先生のほうが賢そうだし そうするとふーこーなんてゴミみたいなもんだ 長々の引用解説馬鹿じゃないの。 ドゥルーズ、デリダとあわせて三馬鹿大将とはこれを言うのだと吉本隆明先生も言ってました なにかってとピアジェとかフーコーもちだすのって舶来信仰の低脳だけだよ 日本の江藤ずんとか立派な勉強家の先生の態度見習ったほうがいいよバーカ
718 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 07:42:45
だいたい俺はフレンチ野郎が大嫌いなんだ。クズ連中さ。
719 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 13:07:34
慶応大哲学科卒業を売り物にしたわりには中身がカラッポだった 痛い池田さんより、消しゴム版画家を名乗り続けたナンシー関の ほうが評論に関してはずっと才能があった件について。
720 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 13:27:23
>>719 あ〜、それ俺も思ってた。
ナンシー関の方が頭いいし、誠実だった。
言葉も池田みたいに垂れ流しじゃなかったしね。
言葉に対する矜持ってもんがあった。
いやいや、フーコーの話なかなか面白かったよ。
722 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 14:37:27
>>717 >>718 ↑池田ごときにヤラれた人間のカキコはたいていこういう児戯に類する。レベル以下。
723 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 15:12:47
↑「クックックッ」て(苦笑)この人、何しにこのスレに来てるのかな。てかプギャオ、て誰?プギャオて人はそんなに重要人物なのか?(苦笑) 2ch.によくみるタイプの書き込みなんでまあ驚きはせんが。池田の愛読者をコケにするのがそんなに面白いのかねえ。よくわからん。 普段は何してる人なんだろ。サラリーマンかな。フリーターか。悪口の才能だけはあるみたいだな。 ( ´,_ゝ`)おやおやwたまに長文で恨みつらみをぶちまけてるなと思ったら その程度の糞にもならないことしか書けないのかね?チンカス君w いやぁwマジでプギャオって誰なんだろうネェ?誰がプギャオなのよwwwwwプッククク 自分がかなわない大嫌いな相手に対して脳内妄想認定するときに使う名前なんじゃないの?m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ プギャオと名乗る人はいないのに、なぜか「こいつがプギャオだ!おれの勝ちぃぃぃぃ!あsdfghj」 と火病っちゃう阿呆がいることだけは確かなんだけどネェw さぁw問題は振り出しに戻っちゃったねぇwチンカス君w まずどこのアホがプギャオっていう妄想人物を出し始めたのか、から始めないとネェwwwwwwww m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ つまらない長文で身を滅ぼしたネェw 今後は二度と「プギャオは云々」と言えなくなっちゃったわけだw まぁ脳内妄想の世界でしか生きられないカスは言い続けて 愚かな恥を晒し続けることだろうがwwwwwwwwww
724 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 15:14:16
晶子のダンナモナ
725 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 15:19:19
てか、明らかにスレ違いの「個人攻撃」を繰り返して何がしたいんだろうねw しかも、存在しない人物を延々とm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ もうおまえだけになったなぁ?そういう「ひきこもりが家の壁を殴り壊す」ようなことやってるキチガイってwwwww なんでここでそんなことしてんの? 自分の家の壁壊してなさいよw ああwもう穴だらけでこれ以上やると隙間風を防ぎようが無くなって辛いのか( ´,_ゝ`) でももう春だぞ?暖かくなるからもう遠慮なく壊したまえw お母さんもさびしがっているぞ?ボク?
内容のあることを書きなさい。
ナンシーと比べてもしょうがないだろwww 池田晶子はエースを狙えのお蝶夫人がいちばん合ってたよね
729 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 15:54:50
しかしまぁいろんな人に勝ち目の無い喧嘩をふっかけては 意味不明の負け惜しみをほざいて逃亡ってのを繰り返してきて、 死んだらすべておしまいと居直って、多くの人に謝罪もしないままくたばるとはね。 最後の最後まで自分の虚栄ばかりを気にして死にゆくとは 最低の死に方だね。 なにが「よく生きる」やらwwwww 著名人として恥しか残らない死ってのは下の下だね。それもわからなかったとはね・・・ 反面教師としての価値も無いだろう。 人は死ぬ前はちったぁ謙虚になるもんだからな。 死を眼前にして狂おしいほどの虚栄を求めるなんて愚かなことはしない。 虚栄なんてw生きているうちからも求めないからな( ´,_ゝ`)
730 :
722 :2007/03/31(土) 16:49:02
>>723 調子づいてんじゃねぇぞ、この乞食野郎。
オレはそんな一人で複数を装うようなマワリクドイ事をした覚えはない。
猿のセンズリよろしく妄想垂れ流し続けるあまり 他者の区別さえ
つかなくなってるテメェのようなクサレにアヤつけられたくはねぇな。
まぁ堂々たる病みっぷりだ。このネット廃人が。
悪いことは言わねぇ、病院に行け、
犯罪をやらかす前に。
731 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 18:22:37
言葉遣いには気をつけろよ?小僧 俄の分際で何偉そうにほざいてんだ。 ちったぁ分をわきまえろや? ネットだからってガキがいい気になっていいってもんじゃねぇんだ
732 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 18:28:42
つーか722ってなに?こいつw 俄でやってきてケチつけてるチンカスじゃねーかw おい、糞ガキ! 二度とここに来るんじゃネェぞ? ひっこみつかなくなってとんでもない目に遭う前に消えとけw
733 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 18:35:52
>池田の愛読者をコケにするのがそんなに面白いのかねえ。よくわからん。
>
>>717 >>718 ↑池田ごときにヤラれた人間のカキコはたいていこういう児戯に類する。レベル以下。
( ´,_ゝ`)こいつ頭おかしいのかwそれともただの馬鹿かw
言ってること支離滅裂wこんなお粗末なことして何が面白いのかネェwwwwwwwwww
切れやすい馬鹿で人を煽ることだけだ生き甲斐の2ちゃんパラサイトwwww
734 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 18:52:45
( ´,_ゝ`)早速ひっこみのつかない痛い目に遭ってますなぁwwwwww 今頃はあれかね?家の壁にでも当り散らしてるのかね?プッククク 親御さん、すいませんw 家の修理費かさんじゃいましたねwwwww これを機に、是非息子さんを働かせて賄ってくださいm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
プギャオって死ぬまでこんなことやってるのかな もう少しまともに生きようよ
736 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 19:46:24
( ´,_ゝ`)お得意の自演で逃げwお粗末だねぇw
737 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 20:01:19
プギャオは池田を失って完全に狂ったなw
738 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 22:17:57
十四歳の君達は フーコーの哲学なんかに頭を悩ませないで 妻の著作だけを考えなさい。 晶子の旦那です。
739 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 22:25:48
なんか悲惨な馬鹿が一匹いると思ったらなんだwチンカス君がまだくすぶっているのか( ´,_ゝ`)
740 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 22:43:12
プギャオは池田を失って完全に狂ったなw
741 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 22:57:13
池田さんの二つの部分。 哲学らしい言葉を並べただけの部分と、 エッセーとも呼べないような、ひとりよがりで抽象的で生硬な"感想文"。 一つめについては、ギリシア哲学や実存主義あたりの言葉を そのまま持って来てあたかも自分の言葉のように語っている。 パクリにも及ばないレベル。どうせなら少しくらいはヒネって欲しかった。 二つめについては、恵まれた環境にいて働いたりすることもなかった からか、上からの視点で幼い攻撃性そのままに勘違い路線を。 おかげで、世間からは、「慶応って所詮は私立だね」とか、 「やっぱり哲学なんて自然科学にくらべたらプップップッなんだね」とか 暖かい目でみられるようになりました。 池田さんに感謝。
742 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 23:22:11
著書に「人生のほんとう」というタイトルを恥ずかしげもなくつける神経が理解できない。 「人生のほんとう」が書いてあると思って買う人もいるんだろうな。
743 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 23:39:48
著書に「14歳の哲学」というタイトルを恥ずかしげもなくつける神経が理解できない。 「哲学」が書いてあると思って買う子供もいるんだろうな。
744 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 01:05:12
池田晶子って人の根幹には古代ギリシア哲学、あと、このスレの書き込みによれば原始仏教ですか。それが強固にあったのは確かでしょうね。 大峯顯の言葉を借りれば、それらは池田がまさに必要な言葉であり真理だった。 その、“必要だった”てところに敢えて云えば池田における存在了解があったと云える。 池田の生前の言動を思い返して、確かに「いやに尊大だなあ」、と思ったことはある。それは俺だけではないだろうけど。 しかし、逆にいえば、それだけ確固とした立場、世界観が自分にはあると考えていたことでもある。それが正当だったかはともかく。 フーコーの講義録は池田を考えるうえでかなり大きな材料になる気がする。池田の基本姿勢が掴めるかもしれない。 古代ギリシア哲学とか原始仏教とかに、池田と違いさしたる興味をもたない俺には池田の関心のもちようがよく判らない。しかし、それが判らなければ池田の思考が何だっかは掴めないかもしれない。言説を批判するだけでは不十分な気が今はしている。
745 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 03:10:59
で?
746 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 03:52:36
どうせフーコーも 妻も 生まれては他界するので 平等です。 晶子の喪主の旦那です。
747 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 07:28:12
どうせフーコーなんて好きではないので 彼の事は考えませんメイドの晶子です。
ツマンネー
749 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 12:01:42
( ´,_ゝ`)まだ名無しで必死に「熱心な読者」をコケにしてんのかw
「ツマンネー」だけとはもう風前の灯火じゃないかw
ほらwチンカス君と名乗れと言ったろ?
722 :考える名無しさん :2007/03/31(土) 14:37:27
>>717 >>718 ↑池田ごときにヤラれた人間のカキコはたいていこういう児戯に類する。レベル以下。
723 :考える名無しさん :2007/03/31(土) 15:12:47
2ch.によくみるタイプの書き込みなんでまあ驚きはせんが。池田の愛読者をコケにするのがそんなに面白いのかねえ。よくわからん。
730 :722:2007/03/31(土) 16:49:02
>>723 調子づいてんじゃねぇぞ、この乞食野郎。
オレはそんな一人で複数を装うようなマワリクドイ事をした覚えはない。
猿のセンズリよろしく妄想垂れ流し続けるあまり 他者の区別さえ
つかなくなってるテメェのようなクサレにアヤつけられたくはねぇな。
まぁ堂々たる病みっぷりだ。このネット廃人が。
悪いことは言わねぇ、病院に行け、
犯罪をやらかす前に。
( ´,_ゝ`)ああw恥ずかしいチンカス隊員くんw処刑ライダーという雄雄しき名前はいつになれば出てこれるのかwwwwwwwwww
というのはさておき、 この人と荻野アンナというのは、自分にとって同じにおいがする。 慶應卒、それなりのルックス、なんか意味ありげ(賢そう)、 どうでもよさそうな人たちが応援している、等々。 まぁ、単なるごく表層的な印象批評です、といったら、怒る人もいるか。
751 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 12:06:55
十四歳の君達は ツマンネー事に悩まないで 晶子をひたすら考えなさい。 哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
752 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 12:56:13
このスレは池田晶子が騙ったことについて語るスッドレです
754 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 14:41:05
アキコモナ
755 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 15:30:56
調子づいてんじゃねぇぞ、この乞食野郎。俺はキチガイだ。 オレはそんな一人で複数を装うようなマワリクドイ事をした覚えはない。忘れているだけだ。 猿のセンズリよろしく妄想垂れ流し続けるあまり 他者の区別さえ つかなくなってるテメェのようなクサレにアヤつけられたくはねぇな。 俺は自演しすぎてどれが自分のレスだかわからなくなってるからな。 まぁ堂々たる病みっぷりだ。このネット廃人が。 俺は真性ヒキコモリのリアル廃人だ。 悪いことは言わねぇ、病院に行け、俺はいけないんだ。保険証も無いからな。 犯罪をやらかす前に。俺は無理だ。人を殺そうとしても返り討ちに遭うからな。
756 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 15:44:52
晶子は素数セミの性交に興奮して マンズリしてました。池田本人の喪主の旦那です。
プギャオって死ぬまでこんなことやってるのかな もう少しまともに生きようよ
759 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 17:24:41
よく生きるメイドの晶子です。
760 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 17:33:47
フーコーの『主体の解釈学』はイイね。〈自己への配慮〉が紀元1〜2世紀に一般化してゆき、同時にそこにプラトンの時代には籠められてなかった矯正という意味が籠められていった、というくだりなど。 当時の文献への細かな読みから〈自己への配慮〉の変遷を読み取るその分析は圧巻で息詰まるものがある。 まだ前半のみしか目を通してないが、〈自己への配慮〉が孕む主体化の問題まで行ってしまうのだとすれば、古代ギリシア哲学研究における目の醒める成果だといえる。理性と非理性というあの問題まで掘り進むつもりかもしれない。 この本は2004年2月に翻訳刊行されているので池田も読もうと思えば読めた本になる。池田の関心のあるギリシア哲学の孕む重大な問題を相当な切れ味と凄味で掘り進めているこの本も、おそらく目には留まらなかったのだろう。 池田は『考える人』で一応フーコーには触れている。が、後期フーコーの研究した、主体化の歴史については何も触れてはいない。あれは重大な問題意識で、それを古代ギリシア哲学から読み取るこの本を読まなかったとすれば池田の不幸の一つだと思われる。 池田は自信家だったせいか、同時代に刊行された本に、さほど目を通していなかったのでは、と思う。 同一の概念が時代とともに、或る変遷を遂げていく、そのことに、哲学とて時代の刻印を押されないわけにはゆかないことが見て取れる。フーコーはそのへんのことに非常に鋭敏だった。それは哲学の無謬を問い直す力が、眼があったということを意味している。 池田という人は、ロゴスは時間と空間を超える、と信じていただろう。しかし、池田の文体に、俺など浅田彰と同じ匂いをかいでしまう。主張する内容は違う。が、どこか似ているのだ。
761 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 17:45:53
>>595 >「私は、安い言葉を売り飛ばすくらいなら、言葉の仕事など選ばない。
> それは自分が安い人間になることに他ならないからである。
自分自身が安い言葉を売り飛ばしていて、その自覚がないってのは痛いな。
俺みたいに、宣伝にのせられて中身を見ずにうっかり買ってしまい、
後で金返して欲しいと思った人間の気持ちなんて、
結局わかろうともしなかったんだろうな。
762 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 18:06:21
池田は戦争体験について、言葉で残された体験を自分は知ることができる。だから自分は戦争体験をしたも同じだ。とでも言いたげな文を書いている。そこから池田は、「戦争を知っている」「戦争を知らない」などの区別は無意味だ、と持論を展開する。 言葉によるかぎり、意識は時間も空間も超える永遠性のなかにある。そこから話をすすめると斬新な話になる。 しかし、その考えは体験ということを誤解しているように俺には思える。 池田は世代という概念も否定する。意識の歴史的制約、地域的制約などないかのように言う。なぜかって?ロゴスとはそういうものだから。 池田は個体による体験を軽視している。リアル・タイム、てことを軽視していると思う。 体験ということのなかには、心の領域に食い込むものがある。また、生の意味が〈生きられたもの〉であるかぎり、体験そのものを伝えることはできないとも言える。それは個体としての歴史が一回きりのもので、かつ唯一であることでもある。 池田は「映像の世紀」という番組をみてボロボロと泣いたそうだ。人には人の体験を推し量る力がある。しかし、体験そのものは原理的には共有はできない。共有はできないが、推し量ることはできる。体験を語る言葉には人の心が染み付いている。 人間存在とはなにか、どこか勘違いしていたような気がする。言葉についてもっと考察すればよかった。
763 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 18:15:25
>>762 >そこから池田は、「戦争を知っている」「戦争を知らない」などの区別は無意味だ、と持論を展開する。
池田はどこでそのようなことを言っているのですか。
「体験」は語られなくては、その人にとってしか意味を持たないでしょう。
764 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 18:40:34
意味が何であるか、どのようなことであるかということが分からない。 意味論って論理学も入ってきて複雑だ。
765 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 18:42:24
初体験を語るメイドの晶子です。
766 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 19:27:22
>>763 >
>>762 > >そこから池田は、「戦争を知っている」「戦争を知らない」などの区別は無意味だ、と持論を展開する。
> 池田はどこでそのようなことを言っているのですか。
>
> 「体験」は語られなくては、その人にとってしか意味を持たないでしょう。
『メタフィジカル・パンチ』中の「同世代の皆さんへ」で書いています。
《確たる世界認識は、自分の死を知るその明らかさと引き換えに獲得されるものだ。ひとたび死んで無になった自分だからこそ、世界の全てを自分と知るのだ。
認識は自在だ。どの時代におけるどの誰かも、全て、「私」だ。私は戦争を知っている。爆弾を抱えて敵艦に突っ込んだことがある。幼い部下にそれを命じたこともある。戦争を知りながら、しかし愚劣を真率に生きるよりしようがなかった人間の悲しみを知っている。
「戦争を知らない世代」などと自ら名乗るなど、恥ずかしいことと思った方がいい。
生死という絶対的形式において人は、個人も時代も超出しうる。これが我らの普遍である。個人の体験内容たらしめているところの普遍的形式である。》(95頁)
ここで池田は世代論への否定から、「体験した」「体験してない」の別を重視する戦中派や戦後派の双方へ否定を向けています。そのモチーフは理解できる。理解できるんだが、そう上記のように言い切ることが出来るだろうか、という疑問が湧いてきます。
世代論は不可能である理由を池田はこう書いています。
《同じ時代を生き、同じ体験を経たとて、全く別の感じ方をする人はいるのだから、世代論はつまらないだくでなく、そもそも不可能な言論であるといえる。》(96頁)
しかし、世代というのは、池田の言うように、同じ事件にたいして異なる印象をもっている、そのことがやはり世代を形成する要因だと俺には思えるのです。
767 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 19:29:32
>>762 >池田は個体による体験を軽視している。リアル・タイム、てことを軽視していると思う。
単に他人は自分でないということを言っているだけ。
私の想像では、個体による体験を重視するからこそ、言葉の普遍性ということを
強調する道をとったと思うのだが。
768 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 19:37:36
>>766 「知っている/知らない」の区別が無意味だということではなく、戦時ではない現代においても
戦争について知ることはできるということを言ってるんだろう。
「「体験した」ということのどこが偉いのか」という池田の言葉には、私は共鳴を覚える。
769 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 19:52:17
池田は同エッセイ中、 《言葉を甘く見るでない 言葉の力を侮るでない》と書いている。それには共感できる。 世代論に自閉し、対話を放棄する精神にたいしては、この批判は有効に思えます。 ただ、先に引用させてもらったくだり。《私は戦争を知っている》と連呼するセンテンス。これは異様というか、違うんじゃないか、という感を禁じえないですね。 言葉で語られた体験、それは出来事としての生だと思う。そこで生きられたものにはそれを共有することでは到達できないじゃないですか、池田さん?そう言いたいところです。 実際にリアル・タイムで体験したものと、あとから語られた体験(言葉)は、僕はやはり違う、同一視はできない、と思いますね。 で、池田自身が、このエッセイの最後に、生きられたものへの注意を書き込んでる。 《戦争は、端的に、生きられた、それだけだ。それぞれの仕方で感じられ、それぞれの仕方で生きられた、それだけだ。人は生きる限り己れの時代を生きるほかはない。しかし、想い出として語られるとき、ただ生きられていたそのことが忘れられる。 それが我らを繰り返し誤たせるのだ。》(97頁) つまり、池田自身、《戦争は、端的に、生きられた、それだけだ。》と宣言している。生きられたものへの眼差しを池田も獲得しているとここでわかる。そのことの重要性を知っている。 じゃあ、どうして、語られた言葉でもって、「知っている」と言えてしまうのか、またわからない。 僕は語られた言葉での或る体験の理解には限度がある。あくまでそれは起こった出来事の理解で、それによって「知っている」とは言えないんじゃないかと言いたいですね。なぜなら、それを生きた体験は語れないからです。
>>769 >じゃあ、どうして、語られた言葉でもって、「知っている」と言えてしまうのか、またわからない。
知る方法は言葉によるしかないから。
知ることは体験を必ずしも要求しません。
772 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 20:24:41
知ることは、取り除くことになる。 中身は落とされ、形式は取りだされる。 戦争を知ることで、生と死は闇に葬りさられる。 "戦争を知らない世代も戦争を知っているのだ、それ故に、私は危惧しているのである゛ こう池田はいったのかもしれない?
773 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 20:28:46
知ることを危惧して 考えてるメイドの晶子です。
774 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 20:44:37
>>769 >じゃあ、どうして、語られた言葉でもって、「知っている」と言えてしまうのか、またわからない。
「あの戦争についてきちんと語れ」という、上の世代に対する、単なるアオリだろう。
池田は死のブログを批判し、自分に死が刻々と迫っていることを語らなかった。 言葉の力によって、死の生々しさを薄れさせたくなかったんじゃないか? 知を愛する社会において、考えることを愛し、最後には体験を愛するようになったのか。 彼女は普遍から個へ向かっていった。 だが唯一無二の自己を愛する者に、世界はつらくあたるものだ。 それにもかかわらず、なぜなのか、わざわざ個へ向かっていった。 それを嘆いた諸兄も多かったにちがいない。 だが事実、彼女は普遍的なものから退いていき、池田某というよりは、池田晶子、もとい、伊藤晶子その人として幕を閉じた。 何か示唆的な生き方であったように思う。
776 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 20:58:53
14歳の君達は 生き方に悩まないで 晶子の示唆だけを考えてればいいのよ。 哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
777 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 22:24:30
『君自身に還れ』177頁で池田はこう云ってるね。 《そうなんですよね。宇宙のこと考えていたのに、引っ繰り返ってメビウスの帯みたいに裏側に出てしまった。考えていたのは自己だったってことでしょう。》 つまり、宇宙や永遠性について、言葉を紡いでいると、その言葉を紡いでいる自己が気になってきた。 これは変化なんだろうけども、もしかしたら、そのように変わってきたのは病に冒されていったことが原因ではなかったのかな、て推測もしてしまう。つまり、死を意識したからではないか。 死をリアルなものとして意識したとき、今ここで宇宙や永遠について思考している自己はいずれ消滅する、てところに行き着いたのではないか、ということ。それは重大な転換点だったろう。 精神の一性という立場からは、個体の唯一性は問題にならない。事実池田はその一性のほうを中心に考える人間だった。それが、晩年はその反対概念である多性が気になってきた。 それはつまり個体の唯一性について考えはじめるということで、大峯との対話ではそっちのほうへ目を向けるところと、従来からの思考―精神への指向―が混在して出てきてますね。 他と交換不可能な〈私〉というのを意識せざるをえなくなった。〈私〉の消滅がそれを意識させた。 生の条件が思考を左右する、真理への眼差しを左右する、てことを証明する話だよね。
>>775 まあ、そういう読み方もあると思うけど。
俺は何も嘆かなかったなぁ。
何を言っているんだおまえたちは。
780 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 22:51:59
>>777 >そのように変わってきたのは病に冒されていったことが原因ではなかったのかな
それは違うと思う。
「魂」についての思索を始めたのは「残酷人生論」の頃から。
781 :
考える名無しさん :2007/04/01(日) 23:26:33
そうか。これまでの思索の問い直しが最後の対談では見られたので病の影響かと思ったが。 死後に仕事の内容が検討されること自体は本人は嫌がってはいないだろう。真っ芯で捕らえようという批判はよいことだよ。たとえ否定的でも。池田本人が生前、他人の仕事に(在世ないし故人を問わず)そうしてきたわけだから。言葉はきつかったからね、池田は。
>>761 >自分自身が安い言葉を売り飛ばしていて、その自覚がないってのは痛いな。
俺も最初は「池田さんという人は自覚がないんだろうな」
と思ったけど、それなりに自覚を持って用意周到だったことに気づいた。
「哲学じゃない哲学エッセー」とか「専門用語を使わない」とか、
しっかり言い訳を準備していたから。
"慶応大学哲学科卒業"の経歴についても、編集側に「いやらしくなる
からやめてくれ。中身がいいなら黙っても売れるから」と主張すること
もできたはずだ。
>俺みたいに、宣伝にのせられて中身を見ずにうっかり買ってしまい、
>後で金返して欲しいと思った人間の気持ちなんて、
新聞に載ったでかい広告に「慶応大学哲学科卒業」とあったので
その時点で胡散臭いと思っていたが、本屋でパラパラめくってみたら
あまりの中身のなさに驚いて買わなかったよ。
可哀想な卑俗な自分の方が生は充実する。 真、善、美と三拍子で望ましいものとしてよく挙げられるが、 普遍性をもつ高貴な自分はこれらを表現し、体現するだろうが、 特別に感ぜず感動できない。 卑俗な方はそれらをわかっておらず表現できないくせに、 思い込みんで感動し、夢中になったりする。 また俗であることで俗なことにも心を踊らすことができ、肌で生きることができる。 池田は恐らくは高貴に生まれ、俗であることを次第に選びとっていったといえ、それ故に、普遍性を失い、離れていったが、 何より確かで現実的で生々しいのは俗な自分であり、その思いである。 それ故に実際にはそれが虚しい性質のものではあっても、俗な方に惹かれていったのではないかと思う。
読み方どころかちょっとしか読んでないんですけどね。 思い込まなきゃつまらないって思ってる。
敢えて俗であることをよしとしたのはニーチェ的ですね。 まあ池田もニーチェあまり読んでないですけど。
786 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 00:49:09
大峯との対談で大峯はハイデガーが『有と時』で見出だした被投的企投という概念を説明しているところがある。主体的な選択・思惟・活動でも、そこで人間がそうすることを強いられていると考えることができる。つまり主体性は被投的であることを孕んでいる。 それは生への敬虔さを人間に与える。また、自由の観念としても、不自由さを最初から生に包括させるので、つまりまったき自由ではないことが包括されるので、選択の幅を狭めるかわりに責任観念を削ぎ落とす。つまり主体化を緩やかにする。 それはもう一人大峯が引用している親鸞でもそうで、人間は業と縁に規制されている。そこでも生にまったき自由はないとされる。(106-107頁) 大峯の思想は池田に比べ、人間の主体性を包括するものをよく言い当てている。思想として、鋭利さは失せるがその代わり人間を知や思考で束縛しない思想だと思う。 池田は鋭利な人だったから、対象を切り刻むような冷たさがその言葉にはある。池田とて遊んでいる時間もあったろうし、旦那と恋愛してる時間もあったはずだ。24時間全てを思考に捧げていたとは考えられない。 あの啓蒙的文章は正直苦手だった。ていうか、いい加減なので。池田とは違って(笑)池田ももっとナヨナヨしててもよかったと思う。
787 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 00:51:40
で?
788 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 00:56:31
>あの啓蒙的文章は正直苦手だった。 告白すれば、俺はカマっぽい人間なので、池田に「父性」を感じて好きだった。 俺みたいな読者、結構いるんじゃないか。
>>786 実存主義を持ち出してきた時点でもうダメダメ。
特に自然科学や生産の現場に身をおいている世間一般人からみれば実存主義なんて観念の遊びだから。
ともすれば「哲学」が誤解され軽蔑されるようになったのは実存主義がきっかけ。
790 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 02:46:40
誤解されてるメイドの晶子です。
791 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 09:27:37
Hanakoの企画で桜が満開な青山墓地をお墓ウオッチングするメイドの晶子です。
ソフィーを馬鹿にした割には、ソフィー的な役割を果たしてしまった。 良い意味でも悪い意味でもね。
793 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 11:12:08
妻である晶子は われわれ大和民族の男は「馬鹿である。」と、 考えていました。 池田本人の喪主の伊藤です。
最近、「メイドの晶子です」も鋭いキレがなくなったな。
というかぜんぜん面白くないので空気読んで消えてほしい
796 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 12:39:02
勝ち気な妻でしたが キレない人格者のメイドの晶子になりました。 池田本人の旦那です。
797 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 13:32:16
>>792 ソフィーのこと、ポルノみたいだとか言ってなかったっけ、
「14歳の哲学」読んで、子供にポルノを押しつけてるのお前じゃん、
と思った。
798 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 13:48:38
十四歳の君達は ポルノに悩まないで 温泉にシッポリつかる 晶子のうなじを考えなさいね。 在野の哲学の巫女オバチャン戒名なしの池田本人です。
799 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 14:03:22
所詮売文屋だよ。ちんたらちんたら糞の足しにもならない意味不明なことばかりほざいて、 他人を貶め自分を売り込む。 そんなに売文したけりゃ闘病記のひとつでも書けばアホな病人が共感してくれたのにネェw そこまで頭が廻らなかったのはやはり池田が馬鹿だったってことだな。 無様でコケにされたまま自殺した池田は、或る意味信念の人かもなwwwwwwwwwwwwwwwwww
800 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 14:05:29
じゃ、血眼になって俺様のレスを探しては一言レスをつけるチンカスライダーくんw ↓今回の負け惜しみドゾーm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
801 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 15:14:06
>>800 は一言でいうとステキな女性ですか、どうよ?
802 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 20:51:02
ただ今、かえりましたメイドの晶子です。
>>792 ,797
……
[クサンチッペ] あたし思うんだけどさ、なんで哲学をわからなきゃいけないわけ? なんでみんなそう思ってるわけ?
[ソクラテス] そうなんだ、そこなんだ。「このほうが哲学に入っていきやすい」、いきやすいも何も、切実な要求によって問い始めてしまった人に、なんで今さら入門が必要なわけかね。
入門が必要なような人は、もとから哲学が必要な人ではないのだ。切実な要求はあらゆる人がもつわけではない。僕が、哲学を難しいと思うのは間違っているが、決してやさしいものではないと言ったのは、その意味だ。……
この人、ゴルデル(『ソフィーの世界』の著者(引用者注))は、月並な哲学教師ではあるが、決して哲学者じゃない、考える人じゃない。しかも、月並な哲学教師としてさえ驚くべき間違いを、平気で皆に教えている。
これはもう罪悪と言っていいね。いいかい、大事なところだよ。考える僕らがなぜ考えるのかってことをだな、「自分流の答えを見つける」ため、「生命や世界について自分なりのイメージをもつ」ためだなんて、なんという寝言をほざいておるのだ、この男は。
考える人間が考えるのは、普遍的な真理を知るためだ。誰が何と言おうと、誰がどこでいつ考えようと、絶対に変わらない本当のことを知るために、知りたいという切なる欲求を押さえられないために、人は考えるのだ。
考え続けて来たのだ。個人個人でもつ答やイメージなんてものを、僕は間違っても哲学の名では呼ばない。僕はそれをたんに意見か人生観と呼ぶ。……
この言葉、受くる力のある者のみ受けよ。
なんちゃって。
『悪妻に訊け』「ソフィーの馬鹿」
「ソフィーの馬鹿」は、中島義道も野矢茂樹も永井均も言ってるね。
805 :
考える名無しさん :2007/04/02(月) 23:47:01
>>803 池田さんの書いていたものは「意見」ですらなく「人生観」ですらもなく、
ただの「個人の妄想」でした。
とてもじゃありませんが「普遍的な真理」と言えるものじゃありません。
そもそも「自分が100%正しい」という前提で進めるロジックなど、
滑稽としか言いようがないではありませんか。
ただのトリックスターとして言葉遊びをやりたかったのなら、
具体的な名前をあげて、他者を貶す手法というのは、
あまり品のいいやり方ではありませんね。
はっきり言って野暮、醜悪。
806 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 00:49:23
で?
807 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 01:35:54
>>789 >
>>786 > 実存主義を持ち出してきた時点でもうダメダメ。
> 特に自然科学や生産の現場に身をおいている世間一般人からみれば実存主義なんて観念の遊びだから。
> ともすれば「哲学」が誤解され軽蔑されるようになったのは実存主義がきっかけ。
存在の場、ていうのはいくつかの範疇に分けられる。共同性、社会、家族、個体…
ハイデガーが個体における有を問題にしたのは確かだ。しかし、それはその他の範疇に無関心だったことを意味しないし、事実無関心ではなかった。
肝要なのは、有の場というのには異なる位相がいくつかある、ということだろう。
ちょうど吉本隆明において個体幻想、対幻想、共同幻想の位相が有る、その問題でもある。
ハイデガーが個体について根本的な研究を残しているのは間違いない。それは読めば分かる話だ。
>>803 の内容に興味を引かれたんですけど、
これって「ソフィーの世界」からの引用ですか?
それともオリジナルですか?
どこからどこまでが引用なのかよくわからないんですけど。
809 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 03:09:15
十四歳の君達は よくわからない事を悩まないで 晶子それ自体の言葉を考えなさい。 池田本人の旦那です。
810 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 04:57:34
文法的にはおかしいけれど、 晶子が雨となってちまたに降っています。 在野の哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
811 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 07:13:33
たまたま吉本隆明の名が出たので池田と吉本の差異について。 池田晶子は『メタフィジカル・パンチ』で「吉本隆明さん」と題して吉本の当時の新刊だったであろう『わが「転向」』をとりあげ酷評していますね。 そこでの池田の評は辛辣そのもので、吉本は池田によれば、「今や思想家をやめ、ただの人になった元・思想家」だとされています。万更吉本の方向を言い当ててないところがなきにしもあらずなのが興味深い。 だが池田の評はおそらく池田の思考のなかでの負の評価の最たるものである。全然ダメだ、と烙印を押している。なぜそうなるのか、といえば、色々書いてはあるが、俺などがここで注目してみたいのが、〈真〉ということの位相の問題である。 池田がここで書いていることで池田のスタンスを表す興味深い箇所はいくつかあります。 まず、“精神性の欠如した昨今の若者を理解してやろうなどと私はまったく思わない”。正確な文言とは違うがたしかそう書いている。 これは消費社会へ推移した社会を理解しなければ判断を過つ、と吉本が書いていることへの返答のようにたしか書かれている。ここに池田のスタンスははっきりと現れている。 あるところで吉本は埴谷雄高の思考を評して、“極限的な意味をいつも辿ろうとする。それは自分とは違うと思う。僕はそうではない”と評している。 池田の思考のスタンスはやはりそこでの吉本による埴谷観を参照するとみえてくると思える。 永遠不変な真理、池田の求めるものはそれで、おそらくそこにしか興味はない。吉本はそのような意味の真理があることは認識しているが、しかし、何が真であるかは歴史的に変遷を蒙る、そう考えていることは確かである。 事象の意味はそれを取り巻く情況により変質するものだ、そう考えている。それが孕む地域性や歴史性によってそれはさまざまに規定される、そのような目でみている。正確にいえば、意味には不変なものもあれば可変なものもある。
812 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 07:32:41
で?
813 :
短パン :2007/04/03(火) 08:00:50
「ソフィーの世界」は、ブックオフでも、そこそこ高いw
814 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 08:09:20
池田がそこで述べている批判でもう一つ特徴的な箇所は、吉本による“世界史的段階に照らして、わたしは自分の判断が間違っていないと確信している”という発言について、“わたしは自分の正しさを証明するために世界史を持ち出したことはない。 世界史がどうだろうが真理とは関係ない”とそこでまた切り捨てている。 もともと吉本はマルクスの影響を受けており、歴史は一般大衆の労働からの解放を実現する、というテーゼが抜きがたく有る。そこから考えれば生産中心社会から労働へのハイテクの導入や消費中心社会への変貌は肯定されるべき変貌である。 そこで精神性の低下とかを指摘することより、歴史が労働からの解放を実現しつつあることの重要性をみる。 歴史が或る理念の実現である、というのはマルクスの思想である。また、これはヘーゲルの思想をマルクスが継承した点でもあると思います。 つまり、世界史を思想と関連づける、段階とかそうですが、その発想は吉本の独創でもなんでもなく、ヘーゲル=マルクスからの継承した点である。 地域性とかもそうで、ヘーゲルが歴史哲学で細かに展開しているところである。そう考えれば、つまり歴史を理念の実現の過程であると考えれば、吉本が世界史を持ち出すのは至極当然に考えられる。むしろ状況判断でそれを繰り込むことは当然です。 池田はヘーゲルを読み込んでいるのにそうした思考の方法は理解できてなかった、或いは理解はしても、その方法を駆使するとはどういうことかを理解してなかった可能性があると思います。 池田による吉本への「思想家であることをやめた元・思想家」という評価にしても、上記のようなことに考えを及ぼせば、言えないはずだと思える。 吉本への無理解はむしろ池田の盲点を証していると考えます。
815 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 08:10:45
池田は死の1年前に認めたんです。自分の負けを。 自分がやっていることは『哲学』ではないと、認めたんです。 さらには負けを認めたうえで負け惜しみである「哲学めいたことをやっている」発言をしているのです。 これは、政治家が「政治をしないで政治めいたことをしている」と告白するに等しく、 そんなことを言えば、その政治家はその瞬間から政治生命を絶たれるものです。 しかし池田はその文筆活動を絶たれる事はありませんでした。実に甘い出版業界です。 なにが「言葉と精神の仕事のはずの言論出版界の陰険さに失望」したんでしょう。 「言葉も精神もなくしがらみだけでやっていける言論出版界のズルズル加減」にたっぷり浸った軟弱な雌豚でした。 認められなければ陰湿と言い、認められればなぜ認められているかの検証もせずに、おだてに乗るばかり。 やはりその人生を通して哲学のての字もやってこなかったのです。 そんな池田が自身を「哲学めいたことをほざく豚」と自認したのは、 その人生で唯一の金言であり、慧眼でした。 地獄の底で鬼どもを揶揄しては返り討ちに遭いボコボコにされている池田さん、 私があの世に行ったらクモの糸でもたらしてあげますよ。
816 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 09:30:36
アキコモナ
817 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 11:19:13
晶子!!生き返って暮れや!! おれがドラゴンボール集めるからよー!!
>>814 >歴史が或る理念の実現である、というのはマルクスの思想である。
これは違います。
マルクスは、ヘーゲルの「歴史は、ある理念の実現である」という部分を
厳しく批判しました。「ヘーゲルはこの点が逆立ちしている」と。
そもそも吉本が「思想家」に値するかどうか疑問ですが。
吉本は、ヘルメットかぶって暴れていた暴力学生に共感を寄せるなど、
思想的にはマルクスでもなんでもなく、マルクスの用語を使った観念論が
本質。
>>815 が、池田さんの「哲学めいた話」という一連の言い訳について
よく解説していると思う。
819 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 13:54:48
晶子はあるイデアの実現だったのです。 在野の哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
820 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 15:50:37
おもろないぞ!
821 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 17:16:00
晶子のダンナモナ
822 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 18:42:37
>>818 >
>>814 > >歴史が或る理念の実現である、というのはマルクスの思想である。
>
> これは違います。
> マルクスは、ヘーゲルの「歴史は、ある理念の実現である」という部分を
> 厳しく批判しました。「ヘーゲルはこの点が逆立ちしている」と。
うーん。面白いですね。マルクス=エンゲルスは確かに共産主義について、こう云っています。
《共産主義とは、われわれにとって、出現されるべき状態でもなければ、現実がそれによって正されるべき理想でもない。われわれが共産主義と呼ぶのは、現状を揚棄する現実的な運動だ。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生ずる。》(『ドイツ・イデオロギー』)
この一節だけを読むと、“なるほどそうか!共産主義とは、現状を揚棄する現実的な運動なのか。ただ現状・現実が重要なのか。理想じゃないんだ。なるほど!”とか、思いがちです。
しかし、マルクス=エンゲルスの言説を少々たどるだけで、そのような納得は早合点だとわかる。そこにはひたすら理念、理想が溢れている。また、そうでなければあの哲学があれほど世界中の人々をとらえることは、なかった、と俺には思えます。
先の引用は、マルクス等がヘーゲルからの切断や批判を宣言しながら、その実はさほど代わり映えのしない発想をかなりやっていたことの証だと俺には思えます。無論、それは負の因子としてのみ捉えるべきではないし、だから良いのだ、と考えることもできる。
絶対精神が人間を外化する、のではなく、人間が絶対精神を外化しているのだ、とするマルクスの批判はわかる。ただ、その辺の転倒への批判はあるにせよ、マルクス自身、ヘーゲルをかなり評価はしてますね。二人の関係は考えると面白い。
823 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 19:27:43
イデアが晶子にロゴスを語らせるのではなく。 晶子がイデアをロゴスで語っているのです。 しかし、晶子自身は宇宙のイデアと一体であります。 哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
824 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 19:42:10
>>815 池田のどの発言について言っているのですか。
825 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 20:08:13
>>818 >
>>814 > そもそも吉本が「思想家」に値するかどうか疑問ですが。
> 吉本は、ヘルメットかぶって暴れていた暴力学生に共感を寄せるなど、
> 思想的にはマルクスでもなんでもなく、マルクスの用語を使った観念論が > 本質。
はあ。それは先入観だけの偏見でしょう。イメージでしょう。“ヘルメット被った暴力学生”の徹底的にやる一面へは肯定的だった。
しかし、当時、某大学の学祭に招かれ講演した折に講演後の質疑応答で“ヘルメット被った暴力学生”から中傷にあい、吉本も応戦して大混乱になった記録も残ってます。
池田さんもあの時代に活躍して、“ヘルメット被った暴力学生”の出席する会場で講演などすればさぞかし面白いことになったのではないか、て思いますよ(笑)
別に「思想家」でなくてもいいじゃないの、て今は思いますねー。名付け不可能でもね。
826 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 21:34:11
「幻想」なんて言葉を独り善がりで使ってる吉本を読むのは人生の浪費
827 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 22:10:28
>>826 吉本の幻想と
岸田秀の幻想はどう違うですか
828 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 22:24:36
これが哲学でなくて、何が哲学と言えようか
829 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 22:53:29
>>791 「14歳からの哲学」、俺も気持ち悪かった。
上から目線で変なタメ口で、グチュグチュと言葉をこねくり回して、
結局言ってることは「どうせあんた達にはわからないだろうけど、
オバサンについて来ればいいもの見せてやるわよ」だもんな。
少年をナンパしようとしてる変なオバサンみたいだ。
excite Booksで書評やってる人が
「なんだか英会話教材のセールスみたいな文章ですね」とも書いてるね。
まともな日本語読解力があれば、そういうことに気づいてもいいと思うんだけどね。
学校の教材に使う教師なんて、キモ過ぎ。
−「子ども向け」で読む哲学−
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/104/p01.html
830 :
829 :2007/04/03(火) 22:57:10
ごめん。アンカー間違えた。
791じゃなくて
>>797 。
831 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 23:39:49
>>827 >
>>826 > 吉本の幻想と
> 岸田秀の幻想はどう違うですか
ここは池田晶子スレッドなので、吉本隆明スレッド「【情況へ】試行の行方【吉本隆明】」に書いてみました。よかったら読んでみてください。
832 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 00:11:37
変わってる哲学の巫女オバチャン冥土の晶子です。
833 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 00:24:47
おもろないぞ!
834 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 00:35:22
>>829 それいいじゃん。
年上の女×少年
ってフランス書院文庫みたいじゃん。
すげーじゃん。
835 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 00:38:02
>>789 実存主義がダメかどうかは知らんが、
実存主義が嫌いという点には同意する。
何か気持ち悪いから・・・。
836 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 00:40:42
十四歳の君達は あもしろくない事を悩まないで ちまたに降る晶子の雨の本質を考えなさいね。 普通に哲学してる冥土の池田本人です。
837 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 00:51:18
838 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 01:01:05
ブラクラ
839 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 01:01:46
十四歳の君達は 大人たちの書評が正しいかどうかで悩まないで 英会話教材の購入でも考えなさいね。 セールスなんてしたこともないメイドの晶子です。
840 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 02:00:10
妻は本のセールスも 毎晩のセッ○スも われわれ編集者と 読者に負けないくらい大好きでした。 晶子の喪主の伊藤です。
841 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 02:39:00
晶子!!生き返って暮れや!! おれがザオラル唱えるからよー!!
842 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 02:55:40
大和民族のインターネットなんかしてる 晶子の馬鹿な読者のご要望にこたえて 生き返り復活したメイドの池田本人です。
843 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 03:07:41
んー、今いち。
844 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 03:13:46
>>843 は今いちばん魅力的な女性ですか、どうよ?
845 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 03:57:35
Oops,I craped my pants!!
846 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 06:20:54
ソウデスネ
847 :
翡翠の夫 ◆1112ZZ022s :2007/04/04(水) 07:04:50 BE:108828432-2BP(2627)
巫女うめえwwwwwwwwwwwwwwww
848 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 08:13:28
伊勢神宮の巫女になれなかった妻は 処女を偽装してた哲学の巫女晶子です。 池田本人の喪主の伊藤です。
849 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 09:17:13
処女じゃなかったのかよwww
850 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 10:31:41
十四歳の君達は 美貌の池田本人が未婚だと思い込むのではなく、 巫女と処女を偽装した不敬な晶子のおぞましさをひたすら考えなさいね。 伊勢神宮では身元のはっきりした清廉な乙女だけが巫女なのです。 伊勢神宮斎主池田厚子です。
851 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 13:11:52
>>849 つまりだ、「巫女」というキャッチフレーズもよく考えられたものだった。
消費者が勝手に妄想を膨らませるように誘導する装置。
劣情を刺激された男どもが本を買うわけだ。
852 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 14:22:36
>>788 君はカマっぽいんじゃなくてM男なんだと思う。
池田の語り口はS女のいわゆる「言葉なぶり」。
過剰なほどの他者への攻撃性は、そんなところもあったと思う。
それを鋭利だとか言ってる連中がいるんだから、滑稽なもんだ。
みんな、そろそろ目を覚ませよ。
目を覚ましている人は、最初からこの人を読みません。
854 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 16:09:05
>>852 中身がないぶん、売り物にできる演出を考えなきゃ。
売る側としては当然の戦略だと思うよ。
855 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 16:47:14
>>851 劣情を刺激されたけど巫女本を買わなかったおれが来ましたよ。
劣情を刺激された女のなかには買った人もいるかもしれないし。
巫女×百合=『神無月の巫女』(;´Д`)ハァハァ
856 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 18:02:21
十四歳の君達に 劣情を思索させる晶子は 偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
858 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 19:48:36
偽装された哲学の巫女の晶子は民放が嫌いでした。 池田本人の喪主の伊藤です。
859 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 20:45:35
>>852 >君はカマっぽいんじゃなくてM男なんだと思う。
それは当っているかもしれない。(実際友人にそう指摘されたことがある)
池田がSだということも当っているかもしれない。(例えば「メタフィジカル・パンチ」)
だからと言って池田の本がダメダメだということは納得できないのだが。
私は、池田の本を読んで自分を変えることができてよかったと思っている。
「気持ち悪い」「意味不明」等という主観的印象ではない、きちんとした池田批判を聞きたい。
860 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 21:00:44
で?
861 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 21:40:20
妻は よかったと思い込んでる大和民族の馬鹿な男が大好きです。 精出して晶子の本を購読してください。 偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人の旦那です。
なんか 病んでるなw
863 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 22:08:28
>>859 自分がどう変わってよかったと思ってるの?
864 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 22:35:26
>>863 世界に対する恨みがなくなった。
問題なのは自分の頭なのだとわかった。
865 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 23:06:32
十四歳の君達は 悪い頭で悩んでないで 晶子のロゴスを考えなさいね。 偽装された世界をロゴスする冥土の池田本人です。
>>864 という独断に陥った。
ということですか。
868 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 00:17:53
おもろないぞ!
>>867 「〜ですか。」という表現が常に疑問形であるという独断に陥っているわけですか。
870 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 01:15:57
晶子のダンナモナ
「〜ですか。」は常に疑問形です。
872 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 04:08:18
晶子は常に偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
873 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 06:27:25
874 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 07:48:57
アキコモナ
875 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 08:21:28
人間て池田やヘーゲルが書いているような悟性や理性や精神だけで生きてるわけではないでしょう。生のもたらす苦痛は付いてまわる。論理では有限と無限の乖離とかは超えられても、生のなかでは超えられない。それを論理で超えるだけでは解決したことにはならない。 池田がヘーゲルをもって生の普遍的難問を超えようとする限り、そこに限界がある。 ある種の宗教や哲学は輪廻を説いたり、或いは人間を宇宙に還元したり、宇宙の要素な還元したりしますけど、それでも残る問いがある。 池田はそのことにどこかで気付いており、最後の対談でそういった、自己の思考の内包する問題を語ったのだと思いますね。 実存ていうのは事実性の別名だと俺は考えます。事実性の解釈学とかも云われてますけど、生が哲学では解決困難な難問を秘めている。 その、哲学では解決困難な地点をいわゆる実存主義は示唆していたのだろう。ただ、実存主義という名称は間違いで、単に実存についての思考と言い換えればいい。実存だけで有は語り尽くせない。しかし、実存、現実存在を抜かして語ることもまた出来ないわけで。 池田は自分の本で、“私は死を知らない。知らないものを恐がりようはない。”と書いている。 しかし、死を知らなくとも、死につながる苦痛はある。また、彼女は苦痛はさまざまに経験していたはずだ。 その苦痛は、哲学で解決できたとは考えられない。人間が自然の延長であり、生まれ、傷つき、病み、滅びるものである。それはそのままに人間を襲うもので、天才池田晶子とてその例外ではなかった。
876 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 08:33:59
天才の妻は 偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の晶子です。 変わってる池田本人の喪主の伊藤です。
877 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 09:04:10
>実存ていうのは事実性の別名だと俺は考えます。事実性の解釈学とかも云われてますけど、 気持ちはわかりますが、「事実性」などといっても、客観的実在と 意識との関係については曖昧にしたまま「私」だけを語りつづけるだけなのは、ちょっと。 その点が「実存」を持ち出すことの限界です。 池田さんはさらに曖昧なまま、気分で「実存」なるものを 持ち出しているだけです。 >生が哲学では解決困難な難問を秘めている。 >その、哲学では解決困難な地点をいわゆる実存主義は示唆していたのだろう。 池田さんもそうですが、まともな結論もださずに「難解」だとか「神秘」だとかの 言葉を繰り返す前に、人間がやってきたことや自然の姿など、つまり歴史や自然に 関する実証的な作業でもやるべきでは? それもやらずに抽象的に「生」を語ったって、抽象的に生きてきたわけではない 一般庶民にとっては聞くに堪えません。 >単に実存についての思考と言い換えればいい。 ほんと、実存について考える"だけ"ですよね。 結論なんて出したためしはない。結論らしきものをだしても、 せいぜい宗教への帰依だとか「社会参加」だとかw >池田は自分の本で、“私は死を知らない。知らないものを恐がりようはない。”と書いている。 池田さんの言葉をまともに相手にしたって無駄ですよ。 アホの不可知論をさらにアホにしただけですな。 “私はアメリカに行ったことがない。行ったことがないのにアメリカがあるとはいえない。”wwww
878 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 09:28:33
どうせ、戒名がなくて成仏できない晶子は 桜が満開な青山墓地で墓石ウオッチングしてます。 偽装された哲学の巫女オバチャン冥土池田本人です。
880 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 09:57:45
で?
881 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 11:19:39
>877 え?死は人間にとり唯一「振り返ることができない」ものだから、知らない、知らないものについて恐がることができない、という意味であり、アメリカを知らない〜を例に出す時点で的はずれな勘違い意見だと思うが…これはネタなのかな
882 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 12:39:27
>>881 人は知らないものについて恐がりようがないのか?
では、人が幽霊を恐がるのは何故だ?
サカキバラのような得体の知れない人物を恐がるのは何故だ?
883 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 13:04:51
>死は人間にとり唯一「振り返ることができない」ものだから、知らない、知らないものについて恐がることができない、 おかしいな。 「振り返ることができない」とは、意識がなくなることか? だとすれば、もはや「知る、知らない」の問題ではなくなる。 死んじまったら恐がることさえできなくなるのは当たり前だ。 それとも、「自分が自ら体験して考察するなどできないもの」ということを言いたいのかな? だとすれば、あまりにも素朴すぎる主観的観念論だ。アメリカ…の例と変わらない。 池田さんは二重三重におかしなことを言ってるね。
884 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 13:15:45
誰も自分が死んだ体験を持たないけど、死ぬときに 多大な苦痛を伴う場合があることを知っている。 また、自分が死んだ後のことを考えると、残された者を もう守ってやれない悔しさと悲しさを感じる。 アメリカに行ったことがなくてもアメリカが存在することは 誰でも知っているし、死んだ体験がなくても死のイメージは 持つことができる。それが、社会的存在としての人間の認識と いうもの。認識は社会的なのです。 だが、池田さんは相変わらず、 私が知らないものは知らない、私が知りえないものは知りえない、 私が、私が、私が。。。。。
885 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 14:07:54
十四歳の君達は 知ることより 考えなさいね。 偽装された運知哲学の巫女オバチャン冥土の晶子です。
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887 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 14:27:45
>882 知らないものについて恐がりようがありません。人が幽霊を恐がるのは「幽霊が出た」ことを振り返ることができるからで、サカキバラのような得体の知れない人物を恐がるのも彼が「殺人を犯した」ことを後から振り返った時に、初めて「恐い」ことが認識できる。
888 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 14:38:52
>883 >「振り返ることができない」とは意識が無くなることか? そうではなく、「意識が無くなっていた」と振り返ることが出来ないものが、死だということです。「意識がなくなる」とは、後からその状態を振り返らないことには存在しないものですよね。死んだら恐がることは出来ない…って、生きてる今恐いかどうかの話じゃないですか?
889 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 14:44:28
>884 死後の「イメージ」を恐がることと死を恐がることは違いますよ。「イメージ」が恐いか否かの話ではいでしょう。死とは、無になるのかならないのか、魂は生きるか、生きないのか…等が徹底的に「分からない」ものだから、「恐がる」ことができないということです。
890 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 14:55:37
アメリカ云々と卑近過ぎる例を出すから問題なんだよw 「私は宇宙に出たことが無い、だから宇宙があるのかどうか知らない」 とでも言えば良かったのになw ま、結局、自分自身が経験したことが無いものを否定するのは立派な概念であり、それは経験主義と言われるのだがwwwwwwwwww ま、もっとも?アメリカの例のように、経験をしなくてもその存在を認めざるを得ないものの存在もあるわけで、 経験主義をやたらと推すのは 馬 鹿 以外の何者でもないわけだ。 実証主義、それが経験主義と対立するものなんだ。 ただし、その実証主義も、「それを信じる人の数=その確実性」という曖昧で危険な性質を持っており、 経験主義を軽々に放棄する人はまた、その確実性につられ信じてしまい、 結果、或る程度の信者をもった「既成事実」はもはやどうにもならないほどにその確実性を増し続けていくのである。 いわゆる「社会通念」がその代表例であり、真実か否かではなく、それを信じることが「正しい」とされるものの類だ。 戦前の大本営発表と、その時代の日本人の一般的な思考回路を見れば実証主義がいかに危険かわかるだろうな。
891 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 15:20:38
戦後の日本の教育のあやまちを体現した哲学の巫女オバチャン冥土の晶子です。
>890 「死」というものに限って言えば、死は「経験出来る」ものなのか?全ての人間にとり、「経験した」という状態が存在しえない唯一のものであり、その経験実証主義うんぬんで括れないものだと思うが。
893 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 16:05:08
( ´,_ゝ`)おまえこそなに勝手に「経験実証主義」と括ってんだよwwwww 人の話を読めない馬鹿こそ始末に終えないものはないねw
いやあんたがさ、経験主義実証主義持ち出して的はずれなこと言うから言っただけ。気にすんなよ
895 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 19:03:22
『増殖する産業廃棄物以前 −嘲笑主義とその時代−』 # w ←
896 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 20:37:48
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
よく笑う馬鹿は長生きできるぞ〜
898 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 21:53:50
実証主義のスピリッツに酔ってた偽装された哲学の晶子オバチャン冥土の晶子です。
899 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 22:23:19
>>864 >世界に対する恨みがなくなった。 問題なのは自分の頭なのだとわかった。
それじゃあ、「壺を買ったら幸せになりました」と変わらないよ。
他者に対して主観的印象ではないものを出せと言っておきながら、
自分では主観的印象しか出せないんだね。
まぁ、池田は壺を売るカルト商法みたいなもんだったけどな。
「考える」ことをセールスしながら、その「考え方」は
読者のお手本になるようなものではなかったんだろうな。
哲学で大事なのは「考え方」の方なんだけどな。
君も早く自分の頭の問題を解決して池田を卒業できるようになるといいね。
「哲学風エッセイ」じゃなくて、哲学書もたくさん読めよ。
そうすれば違いがわかってくるから。
900 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 22:24:27
★池田晶子のトンデモロジック★(「14歳からの哲学」より) 人は「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。でも、 これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということだね。 「無」とは、「ない」ということだね。無は、ないから、無なんだね。 それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。 死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。 君は、たぶん、死ぬのを怖いと思っているだろう。死んだら何もなくなるんじゃ ないかって。でも、何にもなくなるということは「ない」はずだ。 なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。じゃあ、 なぜ、「ない」ものが怖いんだろう。ないものを怖がって生きるなんて、 何か変だと思わないか。
901 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 22:28:44
>>898 おもろないぞ!
なんとか主義も偽装も何も、池田さんはギリシア哲学あたりの
解説書を読んだだけで言葉を適当にパクってるだけ。その程度。
902 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 22:31:26
十四歳の君達は 晶子の著作を知ることより 本質を考えなさいね。 偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
903 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 22:45:33
>他者に対して主観的印象ではないものを出せと言っておきながら、 >自分では主観的印象しか出せないんだね。 そういえば池田さんは言ってましたね。 「…普遍的な真理を知るためだ。… 個人個人でもつ答やイメージなんてものを、僕は間違っても 哲学の名では呼ばない。僕はそれをたんに意見か人生観と呼ぶ。…… 」 さすがブーメラン池田と呼ばれるだけあります。 >まぁ、池田は壺を売るカルト商法みたいなもんだったけどな。 >「考える」ことをセールスしながら、その「考え方」は >読者のお手本になるようなものではなかったんだろうな。 >哲学で大事なのは「考え方」の方なんだけどな。 うまいこと言いますね。 池田さんは、最後には「自分で考えろ」。これだけ。 「考え方」を披露することは徹底して避けてきた人でしたね。 でも、池田さんの売る壷をありがたってお布施する人も大勢いるわけです。 このスレにもいっぱいいますよね。
904 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 22:53:12
>>900 子供にトンデモロジックを「哲学」だと思い込ませる
池田さんの罪は重いと思います。
生命の軽視(自殺の肯定)やカルトの容認につながる阿呆ロジックを
撒き散らしているともいえます。
子供が科学的態度を身に着けようとするのを邪魔しているともいえます。
やはり池田さんの「哲学」は叩かれなければいけません。
905 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 23:01:29
↓ だれかアキコのAA ↓
906 :
考える名無しさん :2007/04/05(木) 23:02:39
i ,. へ-、 __ i !i _,..::'"li.∧.l! ゙_」ト、 , j<.ー-i! l!-―'"/\ /゙.,へ、 ┐ i、 / ヽ. .i i >/\/)゙"‐ 、. i l lレ''" \jl!レ゙ _,...、ヽ. l l! rヲ――--_」Lii--――ヾ. l l! // <二》 _ 《二>゙ ヾ、!、 .j.,.ィ゙ ./ ! \_ l!\\ /'' l! ,.. '´ ヽ  ゙̄ーr-ノ ゙ー-、_ _/'´ トt-イ ,_----っ ,!/ > <. ゙t'ヽ ヾ_ _/ /,」 / \ `-iヽ ー = ,.r 「 _/ . ゙"ー―┬;L ヽ __ / ,.!┬―''" !レー゙==┬==‐゙┐l l テ、 ]l.l ,r= ゙.l ,.,..-、--ー―===ー".ヽ、 ゙r ! ̄F" /ー--、ー-----、 r;''/ ) ̄ ̄____ ゙ヾ=.コ l! .「"./ __ ゙̄ー--ヲ \__ フ/,ィi」i」 ヾ====== \_ \ i! / __/,.=======ヲ i ,. _ r、\ / ゙" ヾ=====  ̄  ̄ ======" Lハ l l l トi.」 / ,.へ 二二// ̄V ̄\\二二二゙ ,、 \
>>900 それはそれで面白い話しだな。死とは何か。昔を思い出す。
観念的な死は生の終了だが、現実の生において死は突如起きる中断である、とかさ。
909 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 04:36:08
で?
910 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 06:20:43
911 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 06:22:42
912 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 08:01:46
892 :考える名無しさん :2007/04/05(木) 15:35:48 >890 「死」というものに限って言えば、死は「経験出来る」ものなのか?全ての人間にとり、「経験した」という状態が存在しえない唯一のものであり、その経験実証主義うんぬんで括れないものだと思うが。 894 :考える名無しさん :2007/04/05(木) 16:34:19 いやあんたがさ、経験主義実証主義持ち出して的はずれなこと言うから言っただけ。気にすんなよ てめぇが間違えたのを指摘されたら相手を全否定することしか能が無いのかw お前みたいな奴を経験できないし人の話も聞けない真性馬鹿っていうんだよw 反省しろw居直るんじゃネェや
913 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 08:06:55
そもそもが
>>892 の言ってる
「死」というものに限って言えば、死は「経験出来る」ものなのか?全ての人間にとり、「経験した」という状態が存在しえない唯一のものであり、
という時点で経験主義にのっとっているのは明らかなのにそれも判らずに
経験実証主云々などと新語を作ってしまってまで否定する根拠がわからん。
経験も実証も否定して何生き恥晒してんの?この馬鹿w
馬鹿だからとしか言いようが無いねw
914 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 08:24:30
晶子の夜のお勤めの経験から 大和民族の男は馬鹿です。 偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の池田本人です。
915 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 10:12:56
>913 実証主義の、経験された事実の背後に思弁や空想によって超越的な存在や抽象的な実体を想定することに反対し、認識の対象を経験的所与としての事実にかぎり、これをそれ自体によって解明しようとする立場なら、っぱりどちらの主義でも括れない例外にならないのか?
915だが、誤字脱字等あるが池田初心者なんで呆れず教えてほしい。経験実証主義で括ったのは謝る。
経験できないのは「自分の死」であって、 他人の死はいくらでも経験できるでしょう。 そうでなければ「死」という観念も、死ぬのが怖いという観念も、 あるはずがありません。
918 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 10:19:33
で?
>917 他人の死から連想する死への観念を恐がるのでなく、自分の死に限りの話です。分からない語りえないとしか言い様が無いと思うんですが、どうでしょうか
それと、913さんの以前の発言にあった、経験主義と対立するのが実証主義というのもいまいち分かりません。論理実証主義とか科学経験主義はむしろ同じ領域じゃないのかと思うんですが。
921 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 11:18:28
見えないものはわからない偽装された哲学の巫女オバチャン冥土の晶子です。
922 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 11:37:55
見えないものがわかってしまう真の哲学者江原です
923 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 11:42:51
ソウデスカ
>>919 たとえば癌にかかったことのない人でも癌を怖がります。これは
癌にかかった他人の症例を見たり読んだりして、「癌」という
観念をつくり、それを自分にあてはめて想像するからです。
「死」も別に変わりはありません。
それと、「自分の意識の消滅」ということでいえば、誰でも毎夜
「睡眠」として経験しています。それとの類推も当然働きます。
これさえなければ「死後の世界」の話ももう少し信じやすいのですが。
925 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 14:41:55
>>924 >
>>919 > たとえば癌にかかったことのない人でも癌を怖がります。これは
> 癌にかかった他人の症例を見たり読んだりして、「癌」という
> 観念をつくり、それを自分にあてはめて想像するからです。
> 「死」も別に変わりはありません。
> それと、「自分の意識の消滅」ということでいえば、誰でも毎夜
> 「睡眠」として経験しています。それとの類推も当然働きます。
> これさえなければ「死後の世界」の話ももう少し信じやすいのですが。
面白い話です。僕が思うには、経験してない世界、或いは意識されない世界への想像を左右するものがあり、それは個別的ではないのか、と思います。個別的だから、それへどのような心象を抱くかには違いが出てくる。
イマジネーションによる世界の現れ方の違い、というのは、池田さんは直感はしていたけど、手を付けなかった領域だと思います。
生きていたら、そこまで考察を延ばしていたかもしれない。しかし、生前の段階では、専ら哲学的に世界を語るのみだった。理性的な領域です。
実は最後の対談で池田さんが出している他者性というのは、イマジネーションによる世界の現れ方の違い、てことと密接な関係を持っている。最後の対談相手の大峯は、そこで何が左右するのか、て問題について、母子関係に焦点を当てていますね。
そういう辺りも直感はしていたけど展開はしなかったのではないでしょうか。
実は今の日本の14歳が、直面している問題の一つが、母子関係にあり、そこで育まれた問題に触れないことは、言葉が14歳に届くことを妨げる要因だと思います。
イマジネーションてことに考察を延ばさなかった理由の一は、池田さん自身が幸福なイマジネーションの質を持っていたからではないか、というのが俺の推測です。しかし、イマジネーションというものが必ずしも幸福なものではない、ということへ、察知はできないでいた。
だから人間観として、彼女の考察が残した領域はあるのだ、ということ。イマジネーションというものの左右する力ですね。それが池田さんの本を読む際の留保になると思います。
ちょっと教えていただきたいのだが。 なんで、この人、これほど語られるのでしょうか。 私は、この人の文章を読んでも、それほど興味を惹かれなかったので。
927 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 15:29:05
妻は われわれ編集者や読者に 嫌われたくなかったので 晶子は偽装された哲学の巫女を演じていたのです。 池田本人の喪主の伊藤です。
928 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 16:43:05
> だから人間観として、彼女の考察が残した領域はあるのだ、ということ。 上記のレスでの「彼女の考察が残した」というのは、「やり残した」という意味です。それがなきゃいけなかったのに文字通り“残した”。その問題を指しています。それがイマジネーションの考察だということです。 翻れば、これは池田さんからみて、理解不可能な思考をする人間がいるのは何故なのか、ということでもある。 世界がどのようにその人間に現れるかに、それは関係している、ということは池田さんとて直感していたに違いない。 しかし、その問題があることをさほど重要視しなかったかもしれない。 思考は想像力と深いつながりを持っている。そのつながりを改めて対象化する作業がないかぎり、他者は根底からはつかめない。 現象学的思考はもしかしたらそれをやるかもしれません。池田さんがそこまで考えていたかは知りませんが。 現象学的思考の可能性をこれは示唆しているのでしょう。
929 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 20:07:52
現象学なんて持ち出してきた時点で説得力なし!
930 :
青木 :2007/04/06(金) 20:25:29
>>915 >>916 なんか言ってることがようわからんが、少なくとも観念論とははっきり
区別される唯物論の認識論について基本を整理しておく。
・意識と客観的実在との関係は? →客観的実在のほうがより規定的。
・客観的実在とは何か? →意識以外のものをいう。
・客観的実在はどうように検証できるのか? →人間の「実践」によって検証できる。
・「私」が認識したことが出発点ではないのか? 人間の認識は社会的に行われる。
・客観的実在や真理は認識できるのか? →人間は客観的実在の姿に不断に迫りつつあるし、そうしてきた。自然科学がいい例。
なお、「実践」ちゅうのは文学的表現やない。感性的人間活動のことでっせ。
五感をフルに使って頭を働かしてこの世界に能動的に働きかけてゆく過程なわけや。
>930 青木さんレスどうも。「在る」とは観念の外に、観念から独立して、観念に支配されないでそれ自体で成り立っているもの…日本人には観念論者が多いらしいですね
932 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 22:21:58
>>926 池田さんが亡くなってから大型書店とかでフェア開いたり大きく取り上げたりしてるから、興味持つ人増えたんじゃないかな
>>909 いやいや、池田の話しを理解するのは結構、難しい。お前にゃ無理だろってことさw
あ、真面目そうなレスの流れだな。邪魔して悪かった(ゲラ
>>932 14からの哲学は30万部突破は堅いね。
これから年間5万部ずつ売れれば、14年後には100万部だ!
936 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 23:31:02
>>926 内容がない分、自分の勝手な妄想を重ね合わせやすいんでしょ。
事実、このスレで池田さんを持ち上げてる人って、決まって他者性だの
ハイデガーだの現象学だの吉本リュウメイだの持ち出すから
ある傾向がみてとれるし。
937 :
青木 :2007/04/06(金) 23:43:35
>>931 池田さんの言う
「『死』ということは『ない』ということ。『ない』ものは恐がりようがない」
ちゅうのも、ギリシア哲学の形式論理の話を理解もないままにパクッただけな
気がするわけや。単なる言葉の遊び。
まあ、胃癌をかかえて不安だったのには同情するが、こんなのを14歳の
中学生に吹きこむのはダメでっしゃろ。
ヘーゲリアンを自認するのはいいが、ヘーゲルの弁証法的論理学どころか
形式論理さえ怪しいのでは? ちゅう思うわけや。
↓ おもろないぞ!
939 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 23:58:16
>>935 俺の行った書店では、10年ぐらい前に出版した本まで
まるで在庫一掃セールみたいに乱雑に積み上げてあった。
けっこう在庫あったんだな。宣伝されているほど売れてないとみた。
普通は亡くなったということを書いた手書きのポップが立てられるはずだが、
それもなかった。
俺は亡くなったことを知らなかったから、いったい何事かと思った。
出版社が書店に無理やり押しつけた感じだった。
そのうち忘れられてしまうと思うよ。
940 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 00:21:36
妻の 書籍コーナーは われわれ編集者や読者にとって永遠の墓標です。 晶子の旦那の實です。
941 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 00:24:54
>>940 ちょっとおもろいぞ!
あくまで「ちょっと」だけね。
942 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 00:34:31
>それに対しての答えにはなっていないだろ >問いに対して自分の考えを明確にせず問いで返している 語弊が多く、申し訳ない。 >他者に過酷な状況を許容しろという権利があるのかと 権利があるとは可能であるということである。可能であるというのは(この場合は)許可されているという意味である。 「〜という権利があるか」というのは「〜ということが許されているか」と言い換えられる。 そして許可の根拠になるのは倫理である。 「過酷な状況を許容しろという権利がある」とは「倫理的には過酷な状況を許容しろというのが正しい」ということに帰着する。 これを踏まえて「権利は有るとも無いともいえない」と答えたい。今のところ安楽死が正しいか誤りか決着していない。 安楽死が正しいと結論されれば安楽死を非難する余地はないので 安楽死をするな、過酷な状況でも生きろ、それが正しいのだからと言う余地もない。 安楽死が誤りであると結論されれば安楽死を擁護する余地はないので ボロボロになっていっそ殺してと哀願されたら死なせてやろう、それが正しいのだからと言う余地もない。 しかしそうではないので上の問いに対して断言しえない。私が一挙にこの議論に是非をくだせればよいがそれは全くのぞむべくもない。 今まで茶菓子氏が言ってきたのは「過酷な苦痛に耐えてまで延命するのはおかしくないか?」という問題だけである。 これは (1)耐えがたい苦痛は忍びない (2)本人も家族も望んでいる (3)延命するのはおかしくないか?(=安楽死を容認すべきだ、と暗示している) という三つの要素からなるが(1),(2)と(3)の脈絡が自明でない。 求められるのは安楽死が正しいか否かの理由であって 「当事者が望んでいるから安楽死を認めるべきだ、それを認めないのは酷薄な奴だ」という一方的な主張とか 学生だから分からないよな、といった誹謗めいた言葉ではない。
944 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 02:47:46
で?
945 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 03:58:02
レーニン、エンゲルス、マルクスの間には微妙な、だが明確な差異がある。 『唯物論と経験批判論』でレーニンはマルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」における有名な命題をとりあげている。マルクスはこう書いている。 《人間的思考に対象的な真理が到来するかどうかという問題は―なにも理論の問題ではなく、実践的な問題である。 実践において人間はかれの思考の真理性、すなわち現実性と力、此岸性を証明しなければならない。思考の現実性についての論争は、―この思考が実践から遊離しないでいるならば―まったくスコラ的な問題である。》 これを引用した直後にレーニンはエンゲルスの文を引用している。そうして、両者の文は同じことを指しており、それがすなわちレーニンの立場だとしている。こう引用している。 《われわれの知覚と知覚された事物の対象的(客観的)本性の一致をわれわれの行動の結果が証明する。》と。 マルクスはそこでエンゲルスのように、《われわれの知覚と知覚された事物の対象的本性との一致》について語ろうとしたのか、というのは重要な問題である。マルクスは《対象的な真理》について語っている。 これをレーニンは同じことを語っているとみなす。俺はそうではないと考える。《対象的な真理》は認識問題ではなく、存在問題を指示すると読むからだ。 実践において証明されるべき《思考の真理性、現実性と力、此岸性》には、認識問題を飛び越える有の力が内包されている。そこでマルクスが語る《対象的な真理》とは、それが何か、実在するか、しないか、といった問いを食い破る対象性を指している。 ちなみにマルクスは世の左翼などに比して、個体の恣意性についてずっと肯定的だったと思われる。それは彼の学位論文『デモクリトリスとエビクロスの自然哲学の差異について』に伺われる。
>>900 池田さんの表現法だと、そうなるのだろう。しかし、一般的に人が死を怖がる
のは、自分のやりたい事が出来なくなるからじゃないのかな。だって、やりたい
事が出来なくなったからと絶望して鬱病になった人は、自分から進んで死ぬよ
ね。死の観念への恐怖は、開かれていた可能性が減少して閉じていくから起き
るのだと思うよ。
池田さんが、「何も無いことは無いから怖くない」という表現が好きなら
まあ悪いとは言わないが、「やりたい事が出来なくなっても、新しく
何か出来る事をみつければいいよ。自分が無くなるまで考えることは出来るよ」
っていう表現の方が、14歳のための本で死を語るなら良いのではないかな
池田さん。
947 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 04:57:16
マルクスはデモクリトリスとエピクロスの原子論のなかで、後者のみが原子の直線運動からの偏差を認めていることに着目する。そうして、《原子の概念には他の定在との一切の関連の否定であるところの一契機、純粋形式が存する。》とする。(広松渉による) マルクスという人の自然哲学の姿がそこにはよく現れている。マルクスは人間の本来の姿をよく知っていた。 またマルクスは「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」でこう書いている。 《したがって、一つの対象的な感性的な存在としての人間は受動的存在であり、かつ、彼の苦しみを感じる存在なるがゆえに、情熱的な存在である。情熱、情念は、人間の、おのれの対象にむかって精力的に志向する本質的力である。》 ここで表されているのはヘーゲル批判のなかで一瞬垣間見える、これもマルクスの人間観の重要な部分だと思う。マルクスは理論のみで人間が生きているのではないことをよく知っていた。 また、人間は共同性であり社会的であると同時に個体として何らかの揺るがせにできない、無視できない領域を囲っていることをよく知っていた。それは遺された彼の政治経済学批判の抽象性からすれば異様だけども、実はそうだった。 マルクスの哲学は個体をあまり語らなかったが、その意味をよく知っていた。マルクスの哲学は有の問いの一形式だと読む。
948 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 05:11:47
>>946 普通の人なら、14歳の子供を前にしたら、そんなことを書くよね。
気に入った。
家に言って妹をファックしていいぞ。
池田さんは14歳なんかに語っちゃいけない人だ。
語れる器でもない。
949 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 05:59:08
アキコモナ
>>678 >「死ぬことができなかったら、つまり永遠に生きていなければならないん
>だったら、それこそたえられないんじゃない?私たち死ぬことができるか
>ら救われているんじゃない?」
二側面の一方視によるすれ違いですよね。単純な。
この場合の死、「無」とは、今まであった物事が「消えて無くなっちゃうとか
別離する」という程度の意味ですね。自分の疲労感や悩み苦しみが消えちゃう
のは救いで、死によって自分の愛する宝や犬と別れなければならないのは悲し
み。消えちゃってくれて嬉しい事と、消えちゃうと悲しい事がある。
一方だけ表現するから話がすれ違うのですね。
>一般的に人が死を怖がる >のは、自分のやりたい事が出来なくなるからじゃないのかな しかし、やりたい事ができなくなったことを残念がる「自分の意識」は 死ねばもう無いわけだから怖がる理由は無いんじゃないかな
952 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 15:46:08
>>937 >単なる言葉の遊び。
要するに池田は詭弁者だったわけだよね。
池田がよく引き合いに出すソクラテスは、
有名で権力をもっていたソフィストたちの詭弁を暴いていって反感を買い、
死刑に追い込まれた。
もしソクラテスが現代にいたら、真っ先に糾弾されるのは池田だったというわけだ。
そもそも池田って、詭弁とそうでないものとの区別もついていなかったと思う。
しかし、ソクラテスは詭弁家と闘う中で考えを進めていったので、 詭弁家はソクラテスにとって必要な存在であったと言える。 詭弁は考えるきっかけに必要なのではないか。 池田氏は、今度はあなたがソクラテスに成る番だというような事を 言っているのだから、要するに、私の述べる詭弁を暴いてあなたが ソクラテスキャラに成りきりなさいと言いたいのではないか? サービス精神でボケてるだけだと思うが。
こんばんは。浅い池だ彰の子です。
955 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 16:18:09
>>952 その通り。
池田さんは自分自身の詭弁にさえも自覚がなかったような。
だからこそ余計にタチが悪いんです。
ソクラテスあたりのパクリが多い理由も、哲学史として最初に
ギリシア哲学のあたりを読んだだけで飽きてしまい、後のほうは
まともに読んでいなかったのでは、と思わせるふしがある。
少なくとも、詭弁やそこから導かれる間違った結論を14歳に
吹きこむのはやめていただきたいものです。
956 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 16:19:10
>>951 それじゃ、「君が目障りだから死んでくれ」と言ったら、
君は死んでくれるのか?
957 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 16:59:10
>>915 は好感持てるネェ。ひさしぶりにちょろっと様子見に出てきた処刑チンカスくんとは大違いだw
958 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 17:13:26
嗚呼
956 なんでそんな結論になるんだよ(笑