利己主義

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
どんな人間であっても利己主義であるとおもう。
人の為に何かをやっていても 
それは、そうすることが自分にとっていい事であるから、結局は自分の為という事になる。
そう考えると人の為に何かをやるという事は存在しない事になる。
結果として人の役に立つ事はあっても、その為だけに行動する事はありえない。
その為だけに行動しているふうに見えても それはその事をやることが
その人にとってよかったからだと考えられる
人の為に何かをやったというのはただの自分の自己満足に過ぎないと思う。
人に為に何かをやる事で自分が満足できたのだからやったのだ。
人の為に人生をささげた人でも
結局は自分の為にやった事が たまたま人の役に立っていた事に過ぎないと言える。
このように考えるとどんな人間でも利己主義ということになる。

ただ自分の為にやった事が人の役に立っていれば 利己主義と言われないだけなのだと思う。
利己主義でない生物は存在しないと思う。
2qq:2007/03/10(土) 16:48:30
>>1
全くその通りだと思うけど、
そのことをマイナスに評価する必要はないと思う。

つまり、英雄的行動(利他的行動)とよばれるものも、
生物の構造上、快感や恐怖を動力として行われるという意味において、
生物は、全て利己主義的であるあるが、
英雄的行動(利他的行動)は、他者の快感を増加、もしくは恐怖を減少させるという意味で、
尊い(善い)行動と言って良い。

英雄的行動(利他的行動)も実は利己的だというと、反発する人も多いけれど、
英雄的行動(利他的行動)を貶める意図はないことをわかって欲しいと思うことが多い。
3qq:2007/03/10(土) 17:10:51
つまり、行動の原理は、自己の欲求を満たすことであるというのが、(広義の)利己主義だと思います。

ところで、この「自己の欲求」は二つに分けることが出来ます。
他者の幸福を図りたい欲求(以下利他的欲求) ex.同情・共感・愛
その他の欲求(以下狭義利己的欲求) ex,食欲、性欲、睡眠欲、権力欲、社会的成功欲

他者の幸福を増加させる行動を善なる行動とすると(功利主義に立つと)…
利他的欲求に基づく行為は善を志向する行動であると言えるのは当然です。
問題は、狭義利己的欲求に基づく行為です。
この欲求に基づく行為は、かならずしも、他者の幸福の減少を志向する行動ではないわけです。

ゴミ拾いを例に挙げて考えてみましょう。
利他的欲求に基づいてこれを行う場合、これは文句なしに善を志向する行動といえます。
狭義利己的欲求に基づいてこれを行う場合、これはよく「偽善的」と呼ばれますね。
しかしながら、「偽善的」であっても、他者の役に立つならば、それは(功利主義的には)善なわけです。

愛でゴミを拾う人は、利他主義的な優しい人、権力欲でゴミを拾う人は、(狭義)利己主義的な抜け目のないというように、一般的に評価が変わるのは、
利他的欲求が多い人を、利他主義的な人と考え、
狭義利己的欲求が多い人を、(狭義)利己主義的な人と考えているからだと思われます。
4qq:2007/03/11(日) 23:20:40
私の考えを此にあてはますと…
「悪とは、全体(全体の範囲をどこまでにするかはさておき)の幸福の総計を減少させる属性」なわけですから、
全体の範囲を5人とすれば(この5人で構成される社会の善悪を考えれば)、
1人を殺してしまうことが善に為りそうですね。

しかし、これは、実用的と言えるかも知れませんが、
少々正確でないというか拙速でありまして、
本当は、5人が何に幸福を感じるか(5人がどういう欲求を持っているか)によって結論は変わるんですね。
例えば、生き残る4人が1人を犠牲にすることに対して、
死に相当するような強烈な嫌悪感を感じる人間であれば、
1人を犠牲にすることによって幸福の総計が減少すると言うこともあり得るわけです。

とはいえ、そういう人間は稀と言えるでしょうから、
この場合は、1人を犠牲にすることが善であることが多いくらいには言えるかも知れません。

上のような稀な人間がそろっているときには、5人で死ぬ行為が、
5人社会の善(全体幸福を増加させる行為)であり、
そうでなければ1人を犠牲にすることが善(全体幸福を増加させる行為)である。
そういう結論を出来るだけ誤差無く、出来るだけコストをかけずに出す為の仕組みが
民主主義であったりするわけです。
功利主義と民主主義の親和性が高いというのはこういう意味ですね。

さらに、人は何に幸福を感じるのか(どういう欲求を持つのか)ということまで掘り下げていくと、
人には狭義利己的欲求と利他的欲求があるわけで…
(利己主義 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173512341/)
5:2007/03/16(金) 16:28:59
>>2-4
レスありがとうございます。ム難しい・・
6考える名無しさん:2007/03/16(金) 16:48:38
まあ要するに。
利己主義という言葉には普通、「自分だけの利益を求める」というようなニュアンスがあるけど、
それは狭い意味の言葉でしかないのであって、
広義の「利他的な利己主義」には狭義の利己主義にあるようなネガティブなイメージは不当だと。
ただ、「利己主義」という言葉を聞いた時、人は狭義の方を思い浮かべやすいだけだと。
7qq
>>4は誤爆です。すみません。

>>6
そのとおりです。
少し自分の考えとして訂正させてもらいますと…

生物は、欲を原理として動く他ないのであるから
(生物の行動の原理を欲と呼ぶのであるから)、
その意味で全ての生物は利己的である。
広義利己的欲求とは、即ち欲求全般のことを指し、
狭義利己的欲求とは、欲求全般(広義利己的欲求)のうち、
利他的欲求に該当しないものを指す。
利他的欲求とは、他者の欲求の満足を図りたいという自己の欲求。

と私は考えますから、
広義の「利己主義」には狭義の利己主義にあるようなネガティブなイメージは不当(生物として当然の話)だというのが私の主張ですね。

>>1
他者の欲求の満足を図りたいという自己の欲求(利他的欲求)というのは、
人間や他の動物の欲求(広義利己的欲求)としてある人と思いますね。
苦しがる動物を見て、不快感を自分が感じるのは、それを証明していると思います。
この不快感を理由として、苦しがる動物を助ける行為は、
当然(広義)利己的な行動であるが、利他的な行動でもあり、
(狭義)利己的ではないということですね。