1でDAT落ち間違いなし。
2 :
考える名無しさん:2007/02/11(日) 07:55:53
あいつのいってる事はわかるよ
3 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 06:22:00
この人については誤解が多いような気がする。
儒教と孔子のイメージが全く合致してないのは俺だけじゃないはず。
全く浅い知識だけど、儒教は孟子っぽい。
一休さんと孔子が似てる気がする。坂本竜馬とも馬が合いそうなイメージ。
変化球タイプのピッチャー。
ま、浅い知識の勝手な思い込みですわ、はい。
4 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 13:38:06
孔子の人としてのあり方が好きなの?論語が好きなの?
儒教という言葉のもつ宗教的な響きが嫌いなの?儒教の思想自体が嫌いなの?
孔子、儒教と一括りにせず、その辺をわけて考えたがいいと思うよ。
ところで儒教の思想ってなんだっけ?
5 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 14:01:43
>>4大まかに言えば親や兄弟など目上の人を敬い目上の人は尊敬されるように年齢を重ねるごとに道徳心をもつ。この道徳観がひいては社会に還元され平和な世の中が築かれていく。その反対に道徳観が欠如すれば国が乱れる。そんな感じ
日本で知識人と言われている人には、結婚をしない、子供を持たない
という精神的に不健全な人が多いように思う。
彼らはキンタマ付いてないのか。
7 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 14:40:30
>>5 ありがとう。
いい考えだと思うけど、自分が実行するとなると難しいね。
>>4 儒教をどうとらえるかで儒教も見方が変わるけど
一般に言う儒教は
>>5の言ってるようなことだと思うの
俺の孔子像は、社会科学者としての孔子とアウトローで気さくな人柄。
今の価値観で見ると堅苦しい言葉もあるけど、当時の人間になって考えてみたら
宗教的な教えというより、医学や心理学など、当時の科学の側面から言ってたんじゃないかなと思うわけ。
昔の人を考える時は、昔にタイムスリップして考えると。
人間の根本とか方向性は、今も昔もあんまし変わらんと思うわけで
今に残ってる儒教は、今の自分の価値観で簡単に否定できるけど
人としての根本的な考えは変えないで、昔の科学、情報、価値観で見るとどうなのかなって言うわけ。
論語から孔子を想像するんだけど、論語が好きと言うより、論語の中で描かれてる孔子が好き。
本当に浅い知識なんで。知ってる人はどんなもんかなと。
ちなみに、儒教は今の生活様式(自分の)にも政治体制にもあまり適さない思想だと思うし
儒教が必要だなと感じることもあまりない。自由主義とかそっち系だから。
だから、嫌いというよりも興味を惹かれないって感じ。
歴史の中で儒教が残したものと、消えていく儒教的な価値観とかを考えるとかなら、いっちょかみだけど。
9 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 15:13:08
まあいわゆる青年君子思想だね。日本語の男子を「〜君」と呼ぶ呼び方がその人を成長している男子として尊重していう謙譲語の一種だから。今の日本は儒教的とは言えない若者尊重の文化で歳多い人が馬鹿にされたりする時代だから君子もへったくれもない
10 :
考える名無しさん:2007/02/13(火) 00:00:51
思想的には儒教思想とは正反対の立場にあるけど、
孔子も孟子も荀子もみんな好きだよ。懐かしさを感じる。
11 :
考える名無しさん:2007/02/13(火) 00:06:23
>>7 だからこそ、孔子は常に助言していたんだね。
12 :
考える名無しさん:2007/02/13(火) 00:13:47
>>8>ちなみに、儒教は今の生活様式(自分の)にも政治体制にもあまり適さない思想だと思うし
ここから先は人大杉で読めなかった。
これについて言うけど、適さないのは気をつけて読めと聞いたことがある。
古今の政治には相違があるからね、使える部分と
使えない部分があるのは当然だよね。
13 :
考える名無しさん:2007/02/13(火) 16:10:06
>ちなみに、儒教は今の生活様式(自分の)にも政治体制にもあまり適さない思想だと思うし
こんなこと言っている人は、中高生からタメ口聞かれてムカッとしたりしないのだろうか。
長幼の序なんか一切無視で、息子に名前呼び捨てにされても何も感じないタイプなんだろうか。
俺だったらそんな礼も知らない家族とは付き合いたくはないが。
ししびしおがこうぶつだった
>>14 好物だったんだ!?
子路がししびしおにされてから食わなくなったって話は知ってるんだけど。
>>13に同意。
儒教を一言で表せば「秩序」だと思う。
17 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 08:35:08
儒教全否定みたいに誤解されちゃったようだ。
挨拶とか言葉遣いと儒教は切り離して考えてるから
儒教と重なるところもそれはあると思うよ。
18 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 08:51:33
礼儀作法や言葉遣いと宗教文化の関係性の強さという意味なら
それは俺は否定はしないよ。
自分個人の生活様式の中には、儒教の影響ってのは感じないし
儒教と絡んでると言っても、逆におこがましいかもね。
19 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 11:50:50
>>14 そういう人がいたら、注意して上げて下さい。
>>17 礼を徹底したら自然と言葉が丁寧になると思う。
「徳孤ならず、必ず隣あり」
いつもいつもスゴく勇気付けてくれる、大好きな言葉。
翻って言えばさればこそ、自身「徳」に至れるよう、研鑽せねばという自戒の言葉でもある。
>>19 >礼を徹底したら自然と言葉が丁寧になると思う。
同意。
それこそ
「礼といい礼という、玉ハクをいわんや・・・・・・」
にも通ずるね。
敬う心や、感謝する気持ちを表現するための形式というか決めごと、ルールが体系的に構築され、まとめられたものが「礼」「礼儀作法」と呼ばれるものだと思う。
まず「気持ち」ありきだよね。
「気持ち」があれば、自然とそれを表現するに相応しい作法を選び、用いる。
21 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 16:32:22
「敬う心」
孔子はどういう意味で言ったんでしょう。
一種の「畏怖」でしょうか。「有り難がる」でしょうか。もしくは「好き」や「愛着」に近いものでしょうか。
孔子は、「敬いなさい」というより、「仲が良い方が気持ち良いでしょう」と言ってるんじゃないかと思う。
孔子自身は、自分の人生の中でも体系というものを作ってないと思うんですよ。
何も書き残さない人間が、その言葉に矛盾を持たずにいられるのか、そう考えると
孔子は感性に重きを置いてたんじゃないかなと思うわけです。
22 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 17:51:16
作法(決まり)が曖昧であったり、厳格でなかったり。決まりを知り得ない境遇にあったり。
世の中広いから、そういう事はしばしばある。
そういう時に、その曖昧で格の無い作法に寛容になり
作法を知らない人間を洞察し仁を汲み取る事が、本当の真心ではなかろうか。
しかもその真心は作法を必要としない。
その真心はみんなが持ってるわけじゃないけど、難しい修練は必要ない。
良いものを良いと言える情操さえあれば
文化、宗教、時代、場所を問わず誰でも持てる。
論語の読み方が違うのかも。
論語を人生の教科書として読むのと、ライトノベル感覚で読むのとでは
儒教と孔子に対する思いってのは、違ってくるものかもしれない。
俺はライトノベル感覚派
十二国記の外伝みたいなとらえ方w
「礼」は心の「ありよう」を指すものではなく、寧ろそれを具現化するための手段、方法論の名だよね。
性質としては言語に近い。
一つの決めごとの「形」と「意味」を皆が共有して初めて意味をなす、そういった性質のもの。
儒教は倫理ではなく政治学ですよ
26 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 19:25:12
少なからず日本の会社は儒教の影響を受けている。マナーとか常識とか礼儀とか日本人がおよそ常識という言葉を使うとき既存の秩序を重んじる儒教的な影響が感じられる
27 :
而立:2007/02/14(水) 19:41:53
吾(われ)十有五にして学を志し(志学)、三十にして立つ(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命をしる(知命)
28 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 20:02:48
六十にして耳順(みみしたが)う(耳順)。七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず(従心)
>>22 同意。
それこそ
「剛毅木訥仁に近し」
にも通ずるね。
所謂「ツンデレ」なんかも、一種のそれなんじゃないかな?(笑)
>>25の言うように、儒教は政治学的側面もかなり濃いから、公式の場でそうすることを意識して説かれている部分も多い。
そういった場面で、心中の仁を発露するには
仁 → 礼儀作法を通して表現 → 伝達
という手順を踏んだ方が、「威」や「格式」、「重み」を加えられるからってこともあるんだと思う。
30 :
考える名無しさん:2007/02/14(水) 23:21:16
>>23 十二国記おもしろかったね。
「文質彬彬」なんて正に考えさせられるよ、いやおれにとってなんだけど。
>>30 正に理想だよね。
ちょうど「君子」に
@身分の高い人
A人格の立派な人
の二つの意味があるように。
これら二つが相備わった形を孔子が理想としていたように。
>>21 孔子は書物を書き残しているとされる。
>>22 同意。確信を突いている。あなたは君子だな。
>>24 これはその通り
>>25 惜しいなあ、あなたの君子論は。
>>26 孔子や朱子の影響は多大に受けている。
>>31 孔子は身分の高いことは望んでいないぞ?
いい加減だな
>>33 いえいえ、皆さん奥の間にまでは入っていないだけで、
一般の認識としては十分です。
>>32 ごめん、言葉足らずだね。
>>31は、孔子が高位を望んだということを言わんとしたのではなく、彼は高位にある人は徳高き人であるべき、若しくはそういう人こそが高位にあるべきという理想を抱いていたと言わんとしたものです。
話は替わるけどこの辺り、「哲人君主」の思想とも通ずるものがあるんではないかと。
そうかね?
軍閥の首領からの誘いにでも乗ろうとするあたり、出世欲は結構あったと思うんだがね。
自らの理想の政治を実現するためだったという見方も出来るけど。
俺も孔子は身分望んでたと思う。
「君子は世に没するまで、名の称せざるをにくむ」と言ってるし。
隠者に隠れて住むように勧められても頑として受け付けなかったし。
>>36-37 孔子は、「君子の条件に」身分が高いことを望んでいなかったということ。
字面だけ読まずに、文脈や行間嫁。
>>38 >孔子は身分の高いことは望んでいないぞ?
この一文にそんな思惑はない、自分の説明不足を人せいにするな。
40 :
考える名無しさん:2007/02/15(木) 16:33:31
君達さあ、人間関係力テストの第5ブロックで大苦戦しただろ。
41 :
考える名無しさん:2007/02/15(木) 18:22:09
望んでいたというより徳の高い人は上に立つべきという考え方はあっただろう。それよりもコウシは高いところにいる欲などよりも自分は君子であれば自然に上にたつだろうというくらいにしか思ってないだろう。おまえらみたいに俺は上だみたいな人間ではなかったと思うぞ
42 :
考える名無しさん:2007/02/15(木) 18:55:57
地位が良い出会いを作る事はあるだろうね
とくに音楽においては。
どの年代の孔子を見るかで、どういう人かも違ってくるでしょ
>徳の高い人は上に立つべき
そう思っていた時期もあるだろうけど、実際は徳があっても立てないし
立ったとしても封建制の中では、孔子は何も出来ない。そう悟って
そこで天命を知る。
そこからの孔子にとっては、上も下も無かったんじゃないだろうか。
孔子は魯で大夫をやってなかった?
思想家として名を成した後だけど。
で、子路は旨かったのかな?
46 :
考える名無しさん:2007/02/16(金) 11:01:15
>>41の言うとおりだと思う。
孔子の望みは年寄りから子供まで一緒に遊んで、
遊び疲れた夕方には歌を歌って家に帰るのが望みだとあるから。
仕官になってやるという殺伐とした人がこれを
望んだとしてもできないはずだ。
孔子って儒家っぽくないんだよね。
孔子は偉ぶらないし、他人を型にはめようとしないよね。
だから儒教は孔子教じゃなくて孟子教だね。
48 :
考える名無しさん:2007/02/16(金) 13:40:04
韓非子と荀子、孫武について、どう思いますか?いずれも、非常に現実的という点で一致していると思われますが?
理性だけを追い求めるなら
50 :
考える名無しさん:2007/02/17(土) 22:09:05
>>47 「偉そうにするな」といっても従うとは限らないから、
それだけだと思うよ
51 :
考える名無しさん:2007/02/17(土) 22:52:00
墨家の思想。即ち、「非攻と兼愛」が最も優れている思想なのではないか?
当時は孔子の方が情勢的に強く、淘汰されたが、墨家が最も美しい理念なのではないか?
孔子の思想と儒教はあんま一緒じゃないと思うけど
墨家の思想は、当時の権力者に嫌われったっていうだけで価値がある
ただ茶々入れるようだけど、武力保持を肯定する思想は、だいたい弟子の時代で破綻するよね。
>>51 墨家と儒家は韓非子の時代には二分する勢力だった。
淘汰されたんじゃなくて、
集団行動とってたから秦の統治下で一網打尽にされた。
墨家は理念としてはいいかもしれないが、
孔子みたいな現実と折り合いをつけるバランス感覚ってものがない。
かといって老荘みたいに社会と離れるっていうんでもない。
今でもあるだろう?理念だけで現実を見ない、
その割には政治に絡んでくるグループ。
墨子って禁欲的だから、礼楽を重視する孔子とは合わないんじゃない。
理念だけで現実を見ない、とか言い出したら儒教はどうなるんだろうね。
経学化した儒教が実学を軽視するのはとっても有名なんだが。
儒教でも一概に語れないと思うよ。
階段の上り下りばかりする経学化した儒教と
それ以外に分けて考えないと。
58 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 10:16:46
>>53 当時と今とは体制が全く違うからね
今の社会で孔子のポジションに居るってのは
日和見とか無関心だと思うけどね。
昔は哲学と政治的スタンスは別にしなきゃ生きていけない時代だよ。
理念が違えば、それが現実か非現実なのか
悪い現実を肯定するか否定するか違ってくる。
少なくとも孔子は、封建的な人間を育てようとはしてない。
墨家の思想も、当時の人の気持ちになってみて
折り合いを付けられないだけだったのか考えるべきだな。
他国に攻められても無抵抗で奴隷になりますか?
>>56 孔子が実学的に言ったことを、後の権力者が
さも孔子が孔子の道徳的価値観を言ったかのように
「孔子もこう言っている」と自分の古い価値観を肯定するために使ったりする。
儒教は確かに一括りにできるもんじゃないかもね。
後の人の付け足しと解釈が、仁原理主義とは違う方向に行ってる。
無条件反射に条件の能書をつけたものの集大成
「非攻と兼愛」
今で言うと、「国連と自由主義」かな?
実は墨子の思想の方が今の世界では一般的かもね。
孔子は個人の心のあり方を諭してるような気がするので
集団で享受する思想と言うより、人間一人一人の課題ではないかな。
儒教と墨子の思想は相反するかもしれないけど
孔子と墨子は相反してないんじゃないかな。
>>60 もったいぶった言いようだけどw
同感(それが孔子と儒教を言い表したのなら)
>「国連と自由主義」
国連は必要とあれば攻撃を辞さないし、
墨子には自由主義的なところは少ない。
>>63 贅沢という理由で音楽を禁止したらしいね。
人に音楽をやめるよう説いたなら罪深いね。
自由主義ではない。
昔の音楽はただの技芸ではなくて、宇宙との調和を表すものでもあったそうだから、ただの贅沢禁止でもないと思う。
一方孔子は、人が歌っているのを聞くと、それをもう一度歌わせ、次はともに歌ったという。
>>59 言っている趣旨は分かるが、仁を貫くことと、
原理主義と混同するような発言はどうかと。
あなたが理解していても、聞いた人が勘違いするから。
67 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 01:38:34
君子も小人も無いと思うんだがなあ。そんなものは所詮、習慣による好みに過ぎないよ。
68 :
敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/19(月) 01:43:35
>>67 俺はあると思うよ。
君子は「矩」に従い、小人は「己」に従う。
>>63 国連の認識が違うんだと思うよ。
国連軍が攻めることは無いから。
安保理は大国の利害が強く出るけど
国連の理念という意味で。
自由主義にも意味が幾つかある
経済において使う時と、人間哲学において使う時では
殆ど反対になる場合もある。
俺が言った自由主義は、博愛や寛容という意味での自由主義。
当時とは社会情勢が違うから、単純には置きかえられないけど
似ているなと思っただけ。
見方が違えば意見も違ってくるでしょう。
>>64 歌を歌うことを禁止したわけじゃないよ。
武器製造>楽器製造という意味でしょう。
それに、当時の庶民に鉄を使った音楽を楽しむ文化があったろうか?
これは小国の王に説いたことではないだろうか。
ちなみにスウェーデン型の自由主義は、市場に規制をかけて
国民の自由や権利を守ろうというもの。
禁止≠自由主義、ということじゃないと思う。
>>66 趣旨が伝わったなら良いんだけど
確かに、言葉には人それぞれ思い入れがあるからね。
原理主義じゃ身も蓋も無かったね。
仁(思いやり)を基本に置いた哲学
響きが全く違う。
>>65 そういうのを聞くと、ある程度は平和な時代に生きた人なんだなと思うよ。
墨子の生きた時代は情勢が全く違うからね。
時代背景を考えたら、孔子も責めたりはしないはず。
>>68 だから、その矩という客観的基準は、君の主観(好み)がこしらえたものに過ぎない、といっているのだ。
74 :
66:2007/02/19(月) 15:04:07
>>70 一般論に持ち込むのは如何でしょうか。
物事は一律に語れないのは当然で、
音楽にしても、猥褻な音楽を規制するのは当然。
当時は盲人が音楽を行っていたわけで、
小国の王に説いたというのは無理があるような。
>>68 横レスだが
俺的には、君子は道に従い、小人は利に従う の方がしっくりするかなぁ。
>>72 何言ってんの。
孔子が生きてた時代は反乱がバカスカ起こってたし(孔子が反乱軍の首領から招聘された記述が何回か論語にある)、
孔子自身も政争に敗れて失脚、亡命して流浪の旅をする羽目になったりしたのよ。
旅先では包囲されて飢餓に陥ったり、敵に斬りかかられたりとえらい目にあっている。
経済的にも、死んだ息子の棺桶の内棺までしか整えてやることもできなかった。
それでもなお礼楽を忘れないから孔子は偉いわけ。
>>75 盲人の音楽っていうのは、どういうものなんだろう。
歌や弦楽器なんだろうか。
軍事転用できる資源を、音楽に使っている余裕は無いというだけで
「音楽を禁止」という事柄からは、墨子の音楽に対する価値観や思想は
俺からしたら全く見えてこない。単なる戦略だと思う。
彼は軍師でもあったわけだから。
戦乱の世であれば、しょうがないでしょう。
そういう意味で軍事資源を管理するものへの諌言だと捉えてる。俺個人の見方だけどね。
盲人から音楽を奪ったと考えれば、彼は凝り固まった人間と見ることもできるけど
そういう人は尊敬されないでしょう。
>>77 楽を自制した墨子と楽を忘れなかった孔子は
生きた時代が違うとは見なさないという事なんだろうけど
見方は人それぞれ。それはそれで良いとして
墨子と孔子とでは立場が違うし、負わされた責任も違う。
それは本人の意思が反映されなかったり、人生の流れに左右される事もある。
そういう背景を見れば、孔子は墨子を責めないというわけで
孔子と墨子の根本には乖離する部分は少ないと思う。
他人から負わされた責任を捨ててでも楽を求めても
それはそれで極みだと思うけど
孔子はそんな感じではないよね。
主観というか、情操は大事だと思う。
美味い物を美味いと言える人間が集まれば
それを不味いと言う人間に哀れみを感じる
その哀れみは、集団の中では主観ではなく一般的になる。
同じ感性の中では、君子と小人は存在する。
色んな感性が混在する社会においては、無いと言う方がリアルだね。
ただ、習慣による好みって言っても、根本ではあまり違わないと思うんだよね。
せこい人間とか思いやりの無い人間は、やはり小さい人間とされるのはしょうがない。
>>76 サンキュー、サンキュー!
その方がスッキリとして字面もいいね。
>>82 あなたは、六十にして耳従うまで行っているね。
謙虚に人を認め諫め、しかも自分の過ちは素直に改めている。
関心しました。
>>80-81 相対的君子なんてつまらないなあ。
たまたまマイノリティに生まれた場合は不幸だな。
「たまたま」形成された価値観でやれ小人だと罵られるんだからさ。
究極において、好みが合わないと人は交われない。
自分の社会で「あいつは小人だ」と互いに言い合うのだ。
馬鹿馬鹿しい!大哀といわざるべけんや?
>>84 まだ若いようだね。
自分が理解できないものを否定しているだけでは不毛でしかない。
ここは孔子スレなので、持論の主張はいい加減この辺で。
老子でも読むといいよ。
>>85 老子に限らず荘子も読んでいるよ。
最後の言葉を荘子から引いているくらいなんだから。
孔子の言語化された「教説」は、切り詰めて考えると、
根拠がないからダメだ(それを暴いたニーチェのニヒリズムは正しい)が、
言語化される前の彼の「気持ち(言表されてないから論理矛盾とか関係なし)」を尊いと自分は思う。
だから、儒教は誤りだと思うけど孔子という人間は好きなんだ。
まあ、この立場をスレ違いだと考えるなら別に構わないがね。
孔子の弟子が作った経学儒教が嫌いなだけじゃないの?
何か勘違いといか混同があるように思うんだけど、「道」は「嗜好」云々によって左右されるものではないでしょ。
89 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 19:25:33
そんな道(≠道家の道)なんて現実には無いと言ってるんじゃないの?
>>89 そう、その通り。嗜好から逃れられる客観的な善悪なんてない、宗教を除けば。
荘子の道(実体、法則・運命としての)なら自分も認めるけれども、
絶対的・客観的な倫理的原則としての道は無い、と考える。
あるのは、実は聖人とされる人が嗜好に基づいて作り上げた相対的な道に過ぎない。
それを嗜好から離れた客観的・絶対的なものとして当て嵌めようとする儒教は誤りだ。
後の儒者の責に帰すまでもなく、孔子が自分の考えの正しさを信じ、
実行に移したいと考えているのは明白だし、その意味で彼も誤っている。
しかし、誤っているにせよ、彼の願いや心、それは本当に美しく、
尊敬すべきもののように思われる。上の方で儒家に対し懐かしみをおぼえる、
などとおっしゃっている方を見掛けたが、自分もまた同感です。
自分もまた、かつては論語を読み、感動し、これぞ絶対の善なり、君子たらん、と願ったもの・・・。
とまれ、気違いが懐かしさのあまり邪魔をしてしまいました。
まあ、気違いなど気にせず続きをお願いします。
>>86 どうか孔子の論理矛盾の点をお教えください。
92 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 21:56:25
93 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 22:18:28
>91
例えば詩とか礼・楽とかは根拠なくない?
詩は礼は楽はこうでないといけないなんて完全に趣味の世界だし。
礼楽の何がよいのかちっともわからないやつがいるのはしかたない。
例えば孔子を未開人の祭とかに連れて行ったら礼も楽もなってないっていわれんのかな。
礼楽を尊重することをまるで徳の客観的な基準みたいにあてはめてこの小人め!というのではなあ。
孔子の思想は王様に常識はずれだといわれたらしいけど常識人にしか通用しないよな。
儒教における礼楽とはただの礼儀作法や音楽のことではないよ。
「絶対的な道」や「客観的な善悪」がないなんてことは前提。
道徳や倫理なんてものは、大きく言えば、人という「種」の自律的な崩壊を防ぐための知恵の一つ。
一々そのことに対して言及はされていないが、行間に書いてあるでしょ。
ごめん↑です。
だから倫理学なんてムダだって言ったんだよ
>>93 根拠は「仁」でしょう。
孔子が未開の地へ行けば、事毎にその土地の礼を聞くでしょう。
それが礼です。
徳を身に付けるのは自分を修める為。
決して、人に小人めと罵ったり、人に常識を押し付けたりする為のものではない。
>>94 あなたの礼楽論を聞いてみたい。
連カキで申し訳ないが、言葉足らずになると申し訳ないので。
つまりは、絶対的なものなどではハナからないし、またそうである必要はないということ。
それが、人という「種」の自律的崩壊を防ぐための方法論として妥当であるか否かを問題としているならまだしも、嗜好とは関係ない。
「嗜好」が「礼楽」に対して根拠なく影響しているということが今の論点であるなら、俺の早とちりです。
その点に関しては、勉強不足でよく分からない。
>>98 同意。
それこそ「君子は和して同ぜず・・・・・・」にも通ずるね。
そうして差し支えないものに関しては、自身が他からそうされてしかるべきが如く、他に対しても、自身との違いを認め、許す。
他の嗜好、価値観の存在を許す寛容さと謙虚さと言った所だろうか。
孔先生は知らないことがあれば事毎に問いました。
そういう慎重さを礼というものです。
イメージとして強調された小人を作り出すだけで
特定の個人を指して小人と言う事ではないでしょう
103 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 21:43:19
age
104 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 05:59:36
音楽家が国歌の伴奏を拒否すると逮捕だそうな。
人それぞれ考えはあるだろう、しかし
思想信条に反する音楽でも、奏でる事を義務付ける
嫌な思いをさせてまで奏でさせる事を肯定する人が多いという事実
職務は大事だ。
個人の気持ちを思いやる事も大事ではないか。
代わりになる人なら幾らでも居るだろうに。
なんとも心の貧しい話だ。
>>104 音楽家が国家の伴奏を拒否しても逮捕されない。
「日本の学界は戦前からヘーゲルになぜかひどく魅せられて来た。
マルクス主義を断固としてはねつけた西田幾多郎ほどの碩学でさえヘーゲルを頻繁
に引用しヘーゲルにのめりこんでいった。
このような日本において、本格的なヘーゲル批判の書であるポパーの「開かれた社会とその敵」
が邦訳された時、日本でもヘーゲル離れが進むと考えられたがそうはならなかった。
この原因は、日本のポパー研究者はポパー哲学を恣意的なつまみ食いをしてヘーゲル
批判の部分を存在しないことにしたからである。」
107 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 04:57:33
>>107 真面目振っているのではなく、人を惑わす行為が嫌なのだ。
109 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 01:56:05
読解力ゼロだな
110 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 02:44:37
「公務員なんだから仕事をしろ」と言いたい気持ちは分かる。
金を稼ぐのが卑しいって考えてたのは儒教だっけ?
113 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 07:49:00
カリカリするなよバーか
114 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 08:54:13
漢代儒教はどうしようもないね
儒教はキリスト教や仏教と違って財産・地位を持つことは否定されていない。
117 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 17:19:26
儒教家がって事?
キリストだって釈迦だって、そんなの否定してないのにね。
どちらにせよ、権力者の都合の良いものだ。
両方合わせると、既得権は守られるべきで、庶民は欲望を捨てろって事だね。
118 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 17:47:05
孔子とハイエクは似ている。
119 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 19:39:05
「正名」とは名目と実質を一致させること。
君主と呼ばれるものは君主として機能しなけらばならない。
同様に君主として機能するものは君主と呼ばれなければならないって事だ。
現在台湾で行なわれている「正名運動」は、
会社や公共機関の名称に付いた「中国」「中華」という冠を外し「台湾」に置き換える運動。
陳水偏政権以後かなり実現しているが、これは「台独」の動きだろうか。
実際にはもう少し複雑だ。
弱体化しているのは蒋介石以来の「国民党主導の統一」という考えであって統一派そのものではない。
むしろ中国の工作員とその指導を受けた外省人によって台独は封じられている。
台独派にとっては台湾は独立国、中国の犬にとっては台北政権は地方政権、
どちらにとっても正名は都合がいい。
120 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 13:31:12
>>117 キリストは
「財産を持っているものが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」
と言ってるし、財産を持った青年が入信しようとしたら
「財産を捨ててきなさい」って追い返したじゃん。
仏教は仏教で世俗の価値は虚ろであるとしているし。
121 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 19:36:00
儒教は出来もしない理想を掲げたりしないってだけ。
財産も性欲もむやみに抑圧したりしない。
アーリア人やセム人には「中庸」という発想自体ないみたいだ。
すべてが対立しあい、全肯定か全否定だけ。
122 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 20:25:39
メソテースが無いというのはイツワリデース
123 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 08:58:03
儒家の立場からの仏教批判はたとえば韓愈の「論佛骨表」など。
124 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 12:47:23
125 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 01:13:09
皆さんが論語で1番好きな言葉を教えて下さい。孔子に限らず、誰の言葉でもよいです。
>>125 人に求める前に、まずはあたなからどうぞ。
127 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 04:20:16
>>122 あっても倫理の中心にはないようですな。忘れ去られてる。
>>124 に、ニガー?勘違いでは?
ゾロアスター教や仏教を生み出したのはアーリア人、インドヨーロッパ系でほぼ白人、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を生んだのはユダヤ人やアラブ人などオリエントのセム人で、
黒人とは呼べないでしょ。
>>125 己の欲せざる所、人に施す無かれ。
『論語』の孔子の言葉です。「人に迷惑をかけるな」という
日本の庶民の素朴な倫理観に強く訴えかけ、これを支えます。
郷原は徳の賊なり
おいおい、このスレを好きな言葉で埋めていくつもりかよ
ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜
孔子を乗〜せ〜て〜
131 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 18:09:09
儒教関係の本で、「行間が大切」と、書いてある本なかったかな?
132 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 18:21:19
ドナドナドナドナ
133 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 18:22:07
牛丼た〜ろ〜お〜
134 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 03:02:51
女子と小人とは養いがたきとなす
135 :
考える名無しさん:2007/05/02(水) 14:05:03
子路と孔子の関係が泣ける
136 :
考える名無しさん:2007/05/03(木) 09:18:24
孔子と子貢との関係のほうが泣ける
これは偏見かもしれないけど論語には人が幸せに生きる方法が書いてある
西洋哲学を学んでも幸せには生きれない
幸せってなんだって話になりますよね、はい・・・
138 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 04:01:56 0
あげ
>>137 自分個人が幸せになる方法ではなく、
人々を幸せにする方法ですよ。
儒教は為政者のための教えなのだから。
もちろん、理想的な為政者であれば、
「民衆が幸せなら自分も幸せ」と思うはずだから
自分個人が幸せになる方法でもあるけど。
そんな立派な為政者ばかりならそもそもこんな教えも不要だ。
140 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 01:06:40 0
>>139 人々を幸せにする方法ですか・・・そうかも知れないですね。
でもなんとなく違和感を感じるのは、まだ孔子がよくわかってないからでしょうか。
というのも孔子は仁や、礼、信、義、誠など色々と言ってますけど、はっきりと「人を幸せにする」とは言ってないんですよね。
実際に、悪さをする人は死んでもいい、みたいな部分もちらほら見えます。
なんていうか、「情けは人のためならず」をとことんつきつめた人間、っていうイメージがあります。
だからやっぱり自分を幸せにするため、ってのが一番しっくりくるかなぁと思うんですけど、どうでしょう。
ここでいう幸せっていうのは、西洋的というより、東洋の宗教的な要素が強い幸せになると思います。
孔子って西洋哲学の視点からどう見えてるんだろう
ヤスパースが確か孔子について書いてたけど、読んだ人いますか?
141 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 02:22:08 0
横からちゃちゃを入れるようで悪いけど
「情けは人のためならず」って、情けはどんどんかけましょうって意味じゃなかった?。まあ複数の解釈があるのかもしれない。
基本的には今の人の価値観で見て、孔子の言動内の仁と言えないような事柄に関しては
よく推察する必要が有るように思う。時代考証や言葉の解釈、翻訳の間違いとか。
レスとは関係ないけど、孔子の場合(他の場合でもそうかもしれない)ある意味、哲学の歴史に詳しくても無意味かもしれない。
自分自身で孔子に相通じる哲学を持たない限り、頭でっかちであって学問では無いような気がするね。
自分を幸せにするためっていうのは、仁の基本はそこにあると思うよ。思う。
142 :
自分をよく出来なければ人もよく出来ない:2007/07/07(土) 08:10:07 0
>>140 >実際に、悪さをする人は死んでもいい、みたいな部分もちらほら見えます。
具体的にどの部分ですか?
143 :
140:2007/07/07(土) 11:40:29 0
>>141 情けは人のためならずっていうのは、他人に情けをかけたら自分に福となって帰ってくるから、結局自分のためなんだよ。
っていう意味で使いました。
>>142 ちょっと「死んでもいい」っていうのは言いすぎたというか、孔子の考えからはずれてると思うので、訂正させてください。
ただ一応なぜそう書いたか説明します。
死んでもいい、というより死んで仕方がない、という感じかもしれませんが
「我々が生きているのはまっすぐだからだ。曲がっているものは生かされているに過ぎない。」
といった言葉があります。
これを曲がった人間は死んでも仕方がない、と解釈するのは少し行き過ぎでしょうか。
また、孔子家語なので信憑性は低いかもしれませんが、その中で孔子は殺すべき人間というのをあげています。
例えば、間違ったことを堂々と語り民を騙すものは殺す。というようなことを言っていました。
ただここでの殺すというのは、おそらく当時の文化からいってそうだっただけで、現代に孔子がいたら殺すという表現は使わなかったと思いますけど。
でも、やっぱり僕が間違ってたのかもしれません。
孔子は仁のためなら命を投げ出す、と言ってるんですよね。
これが自分の幸福に繋がるのかどうか。
こう考えると孔子は幸福というものを追いかけていたんではなく、仁を追い求めていた、としか表現できない気がしてきました。
少なくとも僕の知っている幸福観では説明することはできない。
144 :
自分をよく出来なければ人もよく出来ない:2007/07/07(土) 13:05:20 0
>>143 私は、真っ直ぐならば、精一杯生きることができるという意味だと思います。
少なくとも、曲がっている者を殺せという意味ではありません。
孔子家語は偽書なのでお勧めできません。
勿論、偽書の中にも当たっている部分はあるでしょうが、誤解する弊害の方が多いです。
それと私の意見ですが、孔子は金銭や幸福等の利を求めたわけではないように思います。
自分をよりよくすれば、世の中もよりよくなり、世の中がよくなれば、
その結果として報酬を得たり、幸福になるということではないでしょうか。
145 :
自分をよく出来なければ人もよく出来ない:2007/07/07(土) 13:19:28 0
あと、これは同意。
↓
「仁を追い求めていた」
146 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 13:28:23 0
>>144 大学第1章の精神ですな。
(古の明徳を天下に明らかにせんと欲するものは〜)
147 :
140:2007/07/07(土) 13:30:22 0
>>144 曲がっている人は生かされているというのは、
殺せ、というのではなくて殺されても仕方ない、というか殺されうる生き方をしていることになる、という意味でだと解釈しています。
148 :
140:2007/07/07(土) 13:36:07 0
孔子家語はどうなのでしょうか。
漢文大系には王粛の作為物だが、参考にする価値はある、と書いてありました。
でも孔子を考えるときは使わない方が良いかも知れないですね。
孔子は金銭よりもそれにいたる手段を重視していたことは間違いないと思います。
国に道がないときに裕福なのは恥ずべきことだ、また、国に道があるときに貧乏なのは恥ずべきこと、と言っていますし。
149 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 13:40:25 0
>>148 儒教史を知るためには読んだほうがよい。
ただ、そのまえに論語、大学、中庸でしょうな。
150 :
自分をよく出来なければ人もよく出来ない:2007/07/07(土) 14:29:23 0
>>146,149
その通りです。
>>147 その言い方ですと、少しでも曲がれば殺してしまえと取れます。
もう少し言葉を選んだ方がよいかと。
151 :
140:2007/07/07(土) 21:28:51 0
>>150 殺されても仕方ない、というのと殺してしまえ、はかなり大きな開きがあると思います。
殺してしまえというと、「あいつはまっすぐ生きていない人間だ。いないほうがいい。」
ということだと受け取りました。
殺されても仕方ないというのは、「あいつはまっすぐ生きていない人間だ。可哀想だが殺されるかもしれないね。」
ということで書きました。
これは少し曲がったどころではない変化ではないでしょうか。
>>151 抽象的議論なようなので回答は見合わせていただきます。
「朝に道をきかば夕べに死すとも可なり」
なのだから孔子は結果としての幸せや生死など問題にしていない。
154 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 22:34:51 0
>>153 それがわかんないんですよね
道が分かれば夜死んでもいいって・・・ありえないけれど、心構えとしてそういうこと言ったのか
それとも本気でそう思ってたのか
後者だとしたらまったく分からない
155 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 22:46:41 0
>>154 「道を行なったために、いつ死んだとしても悔いはない」ということでしょう。
「道を理解したらその夜、自殺してもよい」ではないでしょう。
156 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 23:45:40 0
>>155 真理としての「道」が聞けたらいつ死んでもよい、ということでしょ。
>>156 >
>>155 > 真理としての「道」が聞けたらいつ死んでもよい、ということでしょ。
>インディアン(PC?)の詩にこんなのがあるそうな。
「今日は死ぬのにとても良い日」
綺麗な青空を見てると何故だか私は死にたくなる。
色即是空空即是色‥‥色即ち空なり空即ちこれ色なり。
色に狂え!!
真理なんてオウムで充分だっただろ?
忘れたのか?
158 :
考える名無しさん:2007/07/08(日) 20:08:55 0
>>157 そういう偽仏教の言う真理じゃなくて、
人としての道なんだよね。
仁だったり孝だったり忠恕だったり中庸だったり、
色々表現はあるけれど。
ところで論語微子篇には孔子を批判する狂狷の徒が多く出てきている。
決して孔子は絶対的な教祖様でもなんでもない。
俺は、道に適った世の中になれば死んでも悔いはないが、理想郷にはならないだろう。
自分に道を体得することなら可能だろう。俺は、道を体得できれば死んでも悔いはない。
160 :
考える名無しさん:2007/07/10(火) 15:03:11 0
君子は障害が終わってから自分の名前がとなえられないことを悩みとする。
って言ってるから、やっぱり生前の利益や名声などは相手にしなかったようです。
161 :
考える名無しさん:2007/07/10(火) 21:07:52 0
高禄を食むこと自体は否定してないけどな。
儒教には富貴を否定する教えは無いからな。
孔子「国に道があれば俸禄を得るが、国に道がないのに俸禄を得るなら恥だ。」
164 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 13:44:10 0
キリストが「天国に行きたいなら財産全部捨ててこいやっ!」と言い放ったのとはえらい違いだな。
165 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 19:19:22 0
孔子にとっちゃキリストは親を親とも思わない不孝者だよなw
166 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 21:41:07 0
孔子が西洋哲学を勉強したらどう思うのかすごい興味ある
167 :
考える名無しさん:2007/07/21(土) 12:51:08 0
賢すぎるものは愚者と同じになる
って言ってたからニーチェとかまさにこれなんじゃないか
家語だっけかこれ言ってたのは
168 :
考える名無しさん:2007/07/21(土) 12:55:19 0
ニーチェの場合は梅毒が脳に回って愚者と同じになったんじゃね?
『論語大成 −最高の徳「中庸」とは何か?』 (三恵社)
171 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:56:43 0
>>167 ニーチェとくると
「郷原は徳の賊なり」を思い出す。
172 :
考える名無しさん:2007/09/11(火) 02:52:33 0
「いじんのはなし」で読んだ思い出がある
(「いじん」の意味も知らなかったけど)
「こうしは、ろというくにでうまれ」が印象的だった
あぼーん
174 :
考える名無しさん:2007/11/25(日) 05:31:03 0
キリストは少なからず孔子の影響を受けている。
175 :
考える名無しさん:2007/11/25(日) 06:38:51 0
キリストは儒学者だからね。
ムハンマドはキリシタン。有名だね。
176 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 23:21:15 0
キリストは若い頃、遠い東の国から交易品と共にやってきた
人々から孔子の教えを聞いたはず。
それに非常にショックを受けて自らの思想を完成させた。
177 :
藤原 弘達:2007/12/03(月) 22:15:02 0
子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之
178 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 23:53:42 0
そうだね。孔子が北極星でキリストが北斗七星くらいかな。
論語とは思想の元祖みたいなもんだから。
179 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 14:33:09 O
儒教と儒学の違いって何ですか?
180 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 01:46:01 0
一緒っす〜
181 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 03:40:38 O
何か儒教と言うと道徳教育、儒学と言うと政治思想、そんな風に見えたので。
四書五経を修めたいです。
182 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 19:34:50 0
183 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 19:39:25 0
日本の陽明学の祖、中江藤樹「近江聖人」と称される。
大野了佐という医者志望の少々要領の悪い少年を見事、医者に育て上げた
「各自の得意とするところをよく知り、それぞれの能力、
分際にふさわしくそれを使えば、用に立たない人間はいない」
熊沢蕃山は幼いころ山二つ超えた村から中江藤樹の講義を聞きにきていた。
熊沢蕃山は百姓の子であったため武士の講義する席上に入る事は本来許されなかったが
中江藤樹のはからいで廊下に上げてもらい講義を聞いていたという。
藤樹「私の話が聞きたいか」
蕃山「はい、雨の日も、風の日も、こうして、先生のお話を聞くのが、私の何よりのつとめだと思って参っております」
藤樹「そうか。お前の所は一体どこかね」
蕃山「2つ山越した向こうでございます」
藤樹「そうか。すると歩いてくると4時間くらいはかかるねえ」
蕃山「はい」
藤樹「どうだ、聞くところによると、年をとったおっ母さんとお前だけだということだけれども、うちの馬小屋があいているので、馬小屋に来て住んではどうか」
蕃山(号泣して)「ご親切なお気持ちは、よくわかります。けれども、私は、山2つ越えてここへ来るからこそ、辛抱甲斐があると思っております。
お宅にご厄介になっては、たいして疲れも感じないで、いながらにして、お話を聞くなんてことは、もったいないことでございます。
やっぱり、今までどおり、働いたあげくに、2つ山越えてここへまいり、お話を承る。これがもう一番、私の気持ちの中に、励みが出ますので、どうぞそうさせてください」
184 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 21:52:02 O
ひしびしおって何?
185 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 15:41:09 0
孔子は、シャーマンの私生児で、葬儀集団のボスであると、故白川氏の説だが
ほんとうだろうか?
186 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 15:43:58 0
孔子は、シャーマンの私生児で、葬儀集団のボスであると、故白川氏の説だが
ほんとうだろうか?
私生児である事は確実だが、父親の正体は不明
ふーん
これはコピペですか?
それともマジで孔子が仰ったんですか?
よろしくお願いします。
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、
一度も侵入に成功したことがない兵士は頼りないからだ」
君子は怪(超常現象)力(武力行使)乱(越権行為)神(モンスター)を語らず
この場合、孔子が力について語っており、論語の内容と対立しますね
ただ、孔子と弟子の対話は論語にも多く残っており、内容も面白いですよ
葬儀集団というよりは拝み屋のボスらしいハッタリやこじつけが実に参考になります
孔子の道と、老荘思想の道との違いを簡単に教えてください
孔子の道は学問を奨励しているが、老荘思想の道は学問を軽視している
老荘思想の道は生きている事を喜ぶが、孔子の道は死後に祭礼を受ける事を目的にしている
始まりは、城壁の中に住む者と外に住む者との文化の違い
孔子の道は、城壁の中の生活を文化的、人間的と讃え
老荘思想の道は、城壁の外の生活を自然的、合理的と支持した
追記
都会的、人間的なものを追及した儒家は、生きようとする努力を獣的と嫌悪した結果
食うに困らない役人達にだけ支持された
だが、孔子自身が「俗事にばかり通じていらっしゃる」と笑われている
人間をやめてでも生き残る方法を探る道家は神仙の術に進み、水銀や砒素を飲んだ
老子にある「小国寡民」の社会を実現したのは、引き籠りという究極の都市生活者であった
【でも ル・サンチマン™ って「儒教」とは何の関係もないんだよね】
196 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 17:06:08 0
儒教はユダヤ教が起源というウワサは本当なのか?
哲学板では、全てをル・サンチャンの下に統合しようとする流派が暴れ回っている
ル・サンチャンによって説明できない現象の存在を認める事ができず、
>>195な発言を繰り返す
ところが彼らも、ル・サンチャンがどういうものなのか説明できないでいる
>196
誰にも見向きもされない中近東の弱小民族だったユダヤ
異民族の襲撃におびえる内戦状態の漢民族
遠く隔たった両者の交流の機会を考えて下さい
ウワサは確かに実在しますが、私はその内容には同意できません
【でも ル・サンチマン™ って「ユダヤ」とは何の関係もないんだよね】
199 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 10:31:10 0
残念。不正解。
200 :
200:2008/08/24(日) 12:27:03 0
____
/∵∴∵∴.\
/-=・=-∴-=・=-i
|.∵∴∵∴∵∴.|
|::::/ ◎\: .|
|:: | ト‐=‐ァ' |:| 200じゃよ?
|:: | ` `二´' |:|
γ´⌒\___/⌒ヽ
/⌒ ィ `i´ ); `ヽ
/ ノ^ 、___¥__人 |
! ,,,ノ爻\_ _人 ノr;^ > )
( <_ \ヘ、,, __,+、__rノ/ /
ヽ_ \ )ゝ、__,+、_ア〃 /
201 :
石垣眞人:2008/08/30(土) 15:15:06 0
202 :
考える名無しさん:2008/10/14(火) 06:35:46 0
孔子って漢民族?
203 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 01:06:54 0
>>1 儒教は悪くないと思いたいが仏教を捨て去り、500年前に儒教のみの国となった朝鮮は
嘘つきばかりの人間ばかりになったと親日の本場朝鮮人の爺さんが語ってたよ
204 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 13:04:08 O
日本は儒教の中でも仏教的な陽明学も受け入れられている。
一方、韓国は仏教大嫌いの朱子学が強い。
205 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 15:10:33 0
ニーチェ流の虚無主義は何も生み出すことはできない。人間は無価値の世界には生きられない。
「心」が存在する限り。所詮、2500年間生き残った文化と200年近く存在する文化とは比べモノにならない。
超人なんて所詮幻想。いずれ力尽きる。
すれ違い、失礼
中国が日本に侵攻してきたら反対するくせに「女子と小人は養いがたし」
の孔子を否定しないのはズルい。あの時代背景なら、
日本列島など中国領たるべし、というのが儒教の思想の当然の帰結でしょう。
>205
価値の全てを否定したい訳じゃない
「人の価値は身分と血縁だ」とか「生きてるか死んでるかは大した問題じゃない」
とかホザく孔丘大先生には賛成できない
そもそも、2500年前の血生臭い生活に憧れる狂人と
そんな愚行への反省を終えた現代人では比べモノにならない
死ぬまで生きる超人と、死してなお生きる鬼神、幻想はどっちだ?
208 :
考える名無しさん:2009/02/21(土) 02:47:39 0
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」
孫子「果たしてそうと言い切れますかな」
孔子「何!?」
孫子「確かに、一度も侵入を許していない砦は貴重だが、それは一度も攻める価値の無い砦にもいえること。そんな砦をとったところでどんな価値が得られるでしょうか…」
孔子「し、しかし一度も侵入した事が無い兵士など、それにも値しないのではないか?」
孫子「そんな兵士にでも、何度攻められても侵入を許していないような価値ある砦を陥とせるようにする。それが兵法なのです!」
孔子「ハッ!」
209 :
71考える名無しさん:2009/02/21(土) 02:54:53 0
「一度も侵入許してない=価値がある」では無い。
だろが。
ハッてなんやねん
砦の維持費を考えるなら、一度も攻める価値の無い砦などあってはならない
それはおそらく、要人が砦という名目で勝手に公費で建てた郊外の別荘だな
それと、孫子ならば一度も攻られた事の無い砦の重要性を理解できると思う
その砦は、敵の侵攻計画が実行に移される前に防いでしまったのだから
孔子っていろんな弟子とってたんだなぁと感じる
チビ(高柴)、ブサイク(澹台滅明)、ハンセン病(冉耕)、影武者(仲弓)・・・。
212 :
考える名無しさん:2009/03/17(火) 05:28:44 0
孔子が日本人なら韓国人も弟子にしてただろう。
213 :
考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:32:27 0
和して同せず
わざと同する必要はない、わざと異を唱える必要もない
余分な計算はしない、自然に生きる。
共に生きれば、自然に和せざるを得ない、
口だけ和しても結局付いていけない。
合わせるところは合わせ
守るべきものは守る。
214 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 01:30:51 0
798 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2009/06/22(月) 18:36:17 0
世界の中心になるのは中国か漠北のトルコ、満州、モンゴル系国家の印象だな
古代ペルシャと中世イスラム、前世紀以降のアメリカは特殊な存在
799 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 18:39:18 0
>>798 シュメールから始まる文明
ギリシア・ローマ→イスラム→西洋と学問の中心の移動
中国とインドは世界史に影響を与えたがあくまで亜流って感じだ
800 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 19:38:27 0
>>798 日本史観ならそんな感じかも
802 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2009/06/23(火) 05:16:20 0
>>799 学問の中心というか最先端は常に中国、亜流にペルシャ・インド、元代はモンゴル
明代以降はイスラム→西欧へ動いたが、ギリシャローマなんぞは刺身のツマですらないな
803 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 05:37:54 0
>>802 学問の基礎になってるのはギリシア
中国なんて孫氏の兵法ぐらいだろ
804 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 09:08:05 0
中国って青銅器も鉄器もメソポタミア由来なんだろ
考古学の発展でわかってるみたいじゃん
ようするに一番遅いんだよね
805 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2009/06/23(火) 10:49:36 0
理数系はエジプト、メソポタミア、ギリシャという感じだな
215 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 01:31:46 0
806 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 15:29:00 0
少なくとも論理学とか修辞学はギリシアローマは避けて通れない道でしょ。
特にイデア論は一神教思想への影響もあって、キリストイスラム両世界の基を開いたといっていい。
あの辺を経由してる欧米からすれば論語を酋長の説教呼ばわりするのは当然
807 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2009/06/23(火) 16:48:28 0
>>799>>800>>803-806 まさにそういうこと
アジアが先進だったことなど一度もない
809 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 17:36:11 0
学の基礎はギリシア学問が下地になってる
白人は神を考えることによって学問を創造してるんじゃないか
古代人からしても一番の恐怖は死
死があるから神を創造する
中国は神の概念が薄いような
810 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 17:51:54 0
>>805 エジプト、インド、ペルシャ、中国な
>>806 修辞学だけな、中国では雑家の最下層だがw
論語は確かに酋長の説教で間違いない、あれはキリスト教と同じくごみだ
その代わり道教はキリスト教より遥かに賞賛したよね、論語を酋長の説教呼ばわりした人
>>809 その解釈は既に学問じゃなく宗教だなw
216 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 01:32:36 0
811 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 18:08:40 0
また中国人が頑張ってるな
こういうやつに限って中国の業績はというと
教科書レベルの答えしか返ってこない
813 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 18:23:40 0
中国の学問って朱子学みたいに論理的でも実用的でもないからな
数学の証明と哲学、科学が深く関わってる西方圏の学問に比べると
全然合理的じゃないし
三大発明とか機械時計とか世界で最初に作っても応用が利かない
これは数学がだめだからだと思う
14世紀までの中国の天文学は西洋と同レベルだったけど
結局中国の学者は暗記ばっかりで原理原則がはるかに昔に忘れ去られたから
現象の説明ができないし応用もできない
日本の和算は16世紀のスペインの宣教師が開いたものだから
あれも中国の数学とは関係ない
821 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:20:07 0
ググって見たけど
西洋では科学ってのは事物を観察して原理・原則、普遍的法則、を追い求めてくもの
これはギリシャ系統のイスラム、ヨーロッパでいう科学だよね
理論を積み上げて数式やら弁証法などを使って一般法則を証明する
そしてそれをいろいろな事物に応用する
ところが中国はヨーロッパ人ほど普遍的法則を求めることに興味を示さなかった
個々の事物をばらばらに観察してそれを一般法則にまとめようという意識が希薄だったみたいだね
思想的にも矛盾を矛盾として受け入れるのみたいなところがあるし
矛盾を徹底的に追及していくギリシャ系統の学問とかなり違う
ただ技術は科学的姿勢はあまり関係なく長年の経験と感の蓄積があれば出来るもんだから
その分野では中国は強かった
217 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 01:33:39 0
以上のように中国の学問というのは朱子学のように論理的でも実用的でもなく、
数学の証明と哲学、科学が深く関わってる西方圏の学問に比べると全然合理的でないものである。
よって論語は酋長の説教レベルであり、全く無価値であることが分かる。
残念だが孔丘大先生には、酋長程度の地位さえ認められていない
ただ、その貧しく賤しい男が古代社会で名声を得る大冒険と考えると
論語は非常に面白い本だと思う
「みんな俺の価値を理解できてない」
「お前達が仕官できたのは誰のおかげだ」
などと弟子にグチる所は感動的だ
科学ねえ・・・
古代と近現代で明確に違うものと言えば実証主義の有無くらいだ
科学理論を飛躍的に進展させた要素ではあるが、
それ以前のものも体系的知識という定義の下では科学と呼べる
実証主義を伴わない論理を
非科学でひとくくりにしたいなら勝手にすればいいが、
であるなら少なくとも17世紀以前には
科学というものは世界のどこにも存在しなかった
あらゆる現象を八卦にあてはめて説明しようとする易経
これは、当時の中国人も普遍的法則を求めていた事を示している
孔丘大先生の人肉食については、デマと断言しておく
彼は本質的には葬儀屋であり、遺族からふんだくる事で生活していた
だから、遺体を損なえば棺桶のサイズが、自分の収入が減るのである
生存時の負傷や身体欠落さえも不孝と断じた彼が、屍の欠落を喜ぶものか
豚や羊や馬に葬儀が行われるなら、彼は菜食主義を説いただろう
ややこしいのだが
めくら系のかたわは、孔丘大先生的に目上の人
屠畜は 儀礼のデフォ
>>217 大学・中庸すら読んだことのなさそうな奴が支那の学問を論理的じゃないとか
馬鹿じゃないのかね。
論語なんて弟子たちが持ち寄った語録なんだから、
プラトンが書いたソクラテスに対する『ソクラテスの思い出』レベルなんだよ。
だがそれだって無価値ではないように、論語も無価値ではない。
論理ならギリシャ哲学や朱子学(笑)なんかよりも荘子が優れている。
実用的なものだって教科書に出てこないだけで、実際はたくさんあるのだよ。
自分の知っている一部から勝手な憶測をしてはいけない。
ググったレベルの話で考えてるからわからんかw
225 :
考える名無しさん:2009/08/30(日) 21:08:47 0
長文失礼します。スレ違いでしたらすみません。
日ごろ疑問に思っていたことを質問させてください。
『中国において「調和」とはどんな意味を持つ言葉なのでしょうか』
中国における「調和」の思想的な意義について学びたいです。
どのような資料や学び方があるのでしょうか。
以下質問した背景です。
中国の首脳や学術研究者は「調和」という言葉をよく用いると思います。
次のような例があります。
・2007年に北京で「中国の平和的発展と調和世界」という国際シンポジウムが開催された。
・北京オリンピックの聖火リレーが「和諧之旅(調和の旅)」と位置付けられていた。
日本ですと「調和」はそれほどまでには強調されないキーワードだと思います。
しかし上記のような例をみると「調和」という思想は中国人の考え方に大きな影響を与えているように感じるのです。
日本語にも存在するこの言葉がなぜ中国で特別に大きな意味を持っているのか疑問に思った次第です。
226 :
考える名無しさん:2009/09/08(火) 21:12:09 0
/⌒ヽ
∧∧ ^ω^)
/・ ・`ヽと )
(。。ノ しヽ
/ヽ / ノ
( へ /|.|
ヽヽ| | U
| | パカパカ
U
228 :
宣長:2009/09/24(木) 17:20:03 0
聖人なんかじゃない。あいつはいい奴だよ。
>>217 朱子学の格物致知さえ知らなそうだなこいつ
230 :
考える名無しさん:2009/10/24(土) 14:06:25 0
中国の政治は嫌いだが、孔子は偉大だよ。
自分の人生が深まるにつれ、それは味わい深く惹かれていく。
231 :
考える名無しさん:2009/10/25(日) 00:01:34 0
ソクラテスやキリストには死を賭してまでの自己犠牲ということがあるが、
孔子にはそういうのはないな。
どっちが偉大かっていうと前者だが、
生活人にとっては孔子の言ってることは基本的に正しい。
いちいち、他人事で命を捨てるのは、人生やってられない。
よって、賢者は孔子を取る。
232 :
考える名無しさん:2009/10/28(水) 20:58:14 0
うむ
神奈川県
234 :
考える名無しさん:2009/10/31(土) 12:32:45 0
孔子の弱点は礼だ。古代の人とは言え、形式美が好きだね。
それが後世の誤解、儒教の硬直化、堕落につながっていく。
235 :
tetete:2009/11/14(土) 01:19:05 0
価値が無ければ
とりでなど出来ない
236 :
考える名無しさん:2009/11/14(土) 07:18:01 0
まっすぐな?砦でさみしい
237 :
考える名無しさん:2010/02/10(水) 03:12:53 0
低能が多すぎる どうせ論語や孟子も読んでいないのだろう
>>234 孔子は形式美が好きなのではなく、古い時代にあったとされる秩序が好きだったのだ
「述ベテ作ラズ、信ジテ古ヲ好ム」ということだ
孔子自身は「巧言令色、鮮シ仁」というように、形ばかりのことを決して好まなかった
ただ、孔子の時代にはすでに、儀式や祭祀の形式の中にしかその根拠が残っていなかった
孔子の価値観は常識的で、たとえば「親が盗みを働いたとき、コドモが親を庇うのは当然の人情だ」
というものだったが、それが正しいという究極の根拠はどこにあるのかということだ
血も涙もない、自分の親でも売り飛ばせと言わぬばかりの(孔子の時代の)当世風は間違っているとして
それではいったい何が行為の正しさを証してくれることになるのか
孔子の考えでは、古来から伝承されてきた儀式の形式だけがそれを保存しているはずだった
そこで孔子は形式から実体を甦らそうとしたが、果たせなかったというわけだ
ま、ジュラシック・パークみたいなもんだな
239 :
234:2010/03/06(土) 21:54:12 0
>>238 レスありがとう。
しかし、それがそうだとしても、形式の中に秩序を見出すというのは
ギリギリの選択だね。真の秩序は真の価値観、真の正義からしか出てこないはずだが、
それを古い様式の中に見出そうというのは変則的としか言いようがない。
中国の不幸はすでに孔子の時代から始まっていた。
241 :
考える名無しさん:2010/06/29(火) 02:18:56 0
儒教時代の中国が世界一の国だったことはどう説明するんだろう?
反儒教の人々は
儒教の授業 講師は孔子
243 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 04:06:26 0
244 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 05:52:28 O
易のけいじ伝で孔子は鬼神を語ってる
けどふみこめない
道教の方がいい
タオってあの負け出組しそうだろ
バッカじゃねえのと言うなかれ
亀仙人も 谷岡ヤスジの村も、タオの思想の現れである。
樗牛の他に 「泥沼に尻尾引き摺る亀」と言う話があるとは いやはや
儒学は実践的な政治理念たるべくしたもので、儒学者たちの主観からすれば
実用的な学問であったはずなんだよな。
ギリシャ哲学の方が知ること自体を目的として、実践は二の次だった。
現代から見れば、儒学よりもギリシャ哲学の方が実用的に見られるとは皮肉なものだ。