1 :
考える名無しさん:
人間が生きることと石片が在ること
人間が死ぬことと石片が砂になること
人間が文明を生み出すことと石片が風景を構成すること
何か違うだろうか?
2 :
考える名無しさん:2007/02/06(火) 22:21:19
同じだと俺は思うが。
人間と石片のどこが同じなのかわかりますか?
4 :
考える名無しさん:2007/02/06(火) 22:36:33
>>1での3例は同じことだろう?
5 :
考える名無しさん:2007/02/07(水) 09:25:08
風景という言葉はそれを眺める視点を前提していると思うのだが
6 :
考える名無しさん:2007/02/07(水) 12:00:36
>>1 生きている身体と死体も比べられるべきではないか?
生きていることと死んでいることは同じ。
さらに
石片と石片を粉々にした砂の集まりは同じ。
これってどういうことなんだろう。
生きてる人間に「お前は石だ」とか「死体となんら変わりない」
とか言ったらきっと怒るでしょう。
でも石は何言っても怒らない。
8 :
蒙昧:2007/02/10(土) 01:17:38
現実と二次元の仮想世界の違いも大したことじゃないよな。
漫画の中の人物も石も他のあらゆるものも、ただのインク。
それを見た者が「これは○○だ」と「見る」ことでそう存在する。
そして現実の世界もそういう現象で構成されている。
人間や石などの全ての存在は原子やら素粒子やらの「本質的に同じもの」でできている。
それなのに差異を見出すのは、「差異が有る」のではなく
「差異をつくる」「差異を『見る』」からだ。
人が在るのは世界なのだから、人が認識するとき、認識するのは必ず「世界」だ。
しかし人は世界を見るとき、世界の一部を区切り「もの」を見る。
世界ではなく、人を見て、石を見る。
世界と人間は同じもので、世界と石片は同じもの。
同じものであるのに、違うと決定する。
それが認識という世界偽造。
9 :
考える名無しさん:2007/02/10(土) 01:22:01
その認識もまた偽造
何でも存在する時空間が違えば違うもの
11 :
考える名無しさん:2007/02/10(土) 03:38:20
哲学板に哲学者はいないと思われる
人間は自己複製する
食って生んで死ぬ
13 :
考える名無しさん:2007/02/10(土) 12:49:59
>>5 それの何が問題だ?
文明もまた同じことが言えるだろ。
14 :
考える名無しさん:2007/02/10(土) 20:08:30
あげ
15 :
考える名無しさん:2007/02/10(土) 22:05:11
人間と石は同じ説優勢
馬詰という罵倒言葉があってな
或る種の人間は石と同じなんだ
先ず、違うものをだしてから、どうして同じじゃないのかという手品のようなことをしていると思うよ。
肉片と石片の違いを問うと、理解できるところがあると思う。
形相が違うのももとから違うものを用意しておいて、答えが決るという奴だ。
18 :
考える名無しさん:2007/02/11(日) 13:03:32
何よりも、まず
>>1の説明が不十分
何か違うだろうか?ではなく
人間と石片は○○の上で何か違うだろうか?
でないとそれぞれが連想した○○の上で意見が述べられてしまう
20 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 20:57:50
あげ
21 :
考える名無しさん:2007/02/12(月) 21:48:41
そもそもなぜ石片が選ばれたのか。
22 :
考える名無しさん:2007/02/17(土) 10:19:55
生きてる人間と死体のどこが同じなんだ?
23 :
考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:55:33
age
24 :
考える名無しさん:2007/04/27(金) 12:18:10
1 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/02/06(火) 22:07:10
人間が生きることと石片が在ること
人間が死ぬことと石片が砂になること
人間が文明を生み出すことと石片が風景を構成すること
何か違うだろうか?
またポエムかw
25 :
考える名無しさん:2007/06/12(火) 17:50:20 0
人間と石片は同じで違う。
違って同じ。
昔、人間にはもう一つの目(六感)があったと聞いた事ある、
使わなくなったので退化したらしいw
ハゲ虫のおっさんはID出ないどこの板でもageてsageてコテ使ったり使わなかったり関西弁まで使い
詭弁を最も得意としスレを乗っ取った気でいる愚者
これ豆知識な
29 :
考える名無しさん:2007/09/30(日) 01:03:19 0
世界において厳密な対象は無く、
語られたことばが厳密性に基づくというのは
崇拝者の思い込みだからね。
まあこの見解ももちろん俺の思い込みにすぎない、
という君の考えが手に取るように解るわけだが、
これも思い込みにすぎないわけだよもちろん。
そしてこれだけが唯一、厳密な思考の結論なのだよ。
つまり哲学は学問の無意味さを証明したのだよ。
まさに脱学問=脱知歪腐ということだよ。
哲学に意味を見出すことができない者は
脱知歪腐の素晴らしさを理解できない未熟者なのであり、
早く哲学など諦めて低俗な科学でもやってた方が無難だろう。
30 :
考える名無しさん:2007/09/30(日) 03:36:26 0
>>1 要するに、何に価値を見出すのかってことだな。
まあ、違いは無いんだろうな。
あぼーん
32 :
考える名無しさん:2007/11/27(火) 00:55:27 0
何か違うだろうか?
33 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 13:42:29 O
同じではない
だが、違いはない
34 :
考える名無しさん:2007/12/02(日) 08:42:21 O
人と石が在ることに違いはない。
ただ生きている事自体が在り型としての違いである。
35 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 02:34:47 O
さらに
肉体が分解されて土に帰ることと、石が砂になることはある意味一緒のことかもしれないが、それでも石は砂になっても小さな石と言えるが、人は土になったら人とは言えない。
ましてや死は形態の変化のことではない。
もう一つはなんだったっけ?
逆に聞きたい、なにが同じなの?
36 :
考える名無しさん:2008/03/30(日) 17:48:34 0
【ル・ンチンチン™にエサをあたえないでください】
37 :
考える名無しさん:2008/03/30(日) 17:53:58 0
成分が違う
38 :
考える名無しさん:
過去も未来も底無しに深く幅は広大無辺だ