中国の、近・現代を哲学せよ!

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1考える名無しさん
とりあえず、事実から…。
2考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:25:03
『毛沢東の文革大虐殺』、宋永毅=編、松田州二=訳、原書房、2006年、267p〜
269pより、抜粋。

罪悪と無恥
 (1)金儲けのために人殺しをした無頼漢
その男の名は胡茂昌と言った。
胡茂昌は目に一丁字もない男であり、食いしん坊の怠け者である上に手癖も悪く、
周りの人からばかにされていた。殺人の嵐が吹き荒れたときも、生産大隊では胡茂
昌を死刑執行者の頭数には加えていなかった。しかし胡茂昌はじっとしてはいなかっ
た。自分も人殺しに行くとわめき、結局誰もそれを止めることができなかった。階級の
敵を殺すという人間をどうして引き止めることなどできようか、というわけだった。しかし
胡茂昌はなぜそこまで人殺しをしたいと考えたのだろうか。一つは、当時、人を殺した
い、殺して殺して殺しまくりたいという衝動がしきりに起こったということがあり、もう一
つは、人を殺せば補助金が出るので、すっからかんの貧乏人だった胡茂昌としては
その機会を逃す手はないと考えたからである。(つづく)
3考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:25:40
(つづき)
 胡茂昌が所属していた生産大隊の「貧農・下層中農最高裁判所」が四類分子と
その子女合わせて二十一人に死刑の判決を下すと、さっそく胡茂昌が「一人は俺が
片付ける」と名乗りを上げた。そして「死刑囚の一味」が山に連れて行かれていざ処刑
という段になったにもかかわらず、やはり手を下せないと言ってみんなが尻込みしてい
たちょうどそのとき、胡茂昌が一歩前に出て胸を叩きながら「何をびびってるんだ。見て
いろ」と言い、民兵の一人から軍刀を奪って振り上げると、まばたき一つせずに一気に
七人を斬り倒した。八人目になると軍刀の切れ味が落ちた。刃が曲がってしまったの
である。胡茂昌はちぇっと口汚く罵りながら、鋤で土を掘り起こすときのようなやり方で
八人目の首を強引にえぐり落とした。胡茂昌は全身に返り血を浴び、髪の毛にも血糊
がべっとりとついていた。殺人を終えた胡茂昌は凱旋した英雄にでもなったかのように、
時代劇に出てくる首切り役人の真似をして、まだ血の滴っている軍刀を頭よりも高く掲
げ、どうだと言わんばかりに周りの者たちにその勇姿を見せつけた。たちまち周りから
(つづく)
4考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:26:12
(つづき)
やんやの大喝采を博した。このとき、残りの十三人もすでに別の民兵たちに斬り殺され
ていた。胡茂昌は、転がっている首の一つを軍刀の切っ先で突き刺し、それを高く掲げ
て振り回したいという気が起こったが、結局そうすることをせず、辺りをぐるりと見回した。
まだ何か物足りないような気がしていたが、そうだ、殺された者には子供も何人かいた
はずだと思いついた。そこで、その場にいた生産大隊党支部書記に提案し、どこどこの
家にいる三人のガキもいっしょに片付けてしまおうと言った。生産大隊書記の方才は、
胡茂昌の振る舞いにすっかり圧倒されていた。胡茂昌にこれほどの器量があるとは思
ってもいなかったのである。胡茂昌は方才の答えを待つより先に、先頭を切って村に戻
った。その家にやってくると、ドアを開けた総領がどなたですかと声を掛ける間もなく、
頭ごなしに一喝したかと思うとすぐ殺してしまった。二番目の子供が驚いて逃げ出そう
とするところをつかまえて持ち上げ、力任せに投げつけてこれも殺した。(つづく)
5考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:26:45
(つづき)
 胡茂昌が最後の一人を揺りかごの中から掴み出して型どおりに処理しようとしたとき、
子供たちの祖母(実家の出身階級は良い方であり、また生産大隊の主たる責任者とも
親戚関係にあったので、殺されないことに決まっていた−−筆者註)が、びっこをひき
ながらも、雛を守ろうとする雌鳥のように飛びかかり、死にものぐるいで小さい孫を引っ
張って放さなかった。胡茂昌はかんかんに腹を立て、全身の力を込めて老婆を突き飛
ばし、子供の小さな両脚を掴んで力任せに地面に叩きつけた。甲高い悲鳴が轟く中、
青筋のふくれあがった胡茂昌のすね一面に、赤い色や白い色をした脳みそがはね上が
った。
 その日一日で、胡茂昌は殺人の手数料五十五元を手に入れた。それは胡茂昌が前
年の末に受け取った生産大隊の配当より多い金額だった。当時道県では、一人殺すと
ふつう二、三元か或いは穀物五キロというようにその報酬はまちまちだったが、胡茂昌
のいた生産大隊の経済状態はいくぶん良好だったようで、それで一人につき五元も出
たのである。 (おわり)
6考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:27:33
下記は、『毛沢東の文革大虐殺』、宋永毅=編、松田州二=訳、原書房、2006年、368p〜369p
より、抜粋。

 本書に収めた湖南省道県の大虐殺、北京大興県の惨殺事件、広西チワン族自治区の四・二二
派虐殺事件や同自治区賓陽県の虐殺事件、青海二・二三事件、雲南省沙旬村の事件、そして内
人党大虐殺事件(北京大紅羅廠南小路二十号惨殺事件は、一つの家庭に降り掛かった災難では
あるが、一九六六年の北京の赤い八月におけるテロの残虐行為を伝えている)は、文革中に発生
した一般的な粛清運動と比べてみた場合、次のような特徴を呈していることが分かる。
 (一)短い時間内に集中的におこなわれている。内人党虐殺事件(一般的な粛清運動が極端に
拡大したもの)が一年半続いたことを除くと、二か月を超えないものが多く(道県の事件、広西四・
二二派事件)、賓陽県の事件、大興県の事件、沙旬村の事件、青海二・二三事件は、いずれも発
生して数日以内に収束している。きわめて短い時間の中で、場所によっては一日に百数十人という
ような大規模な殺人がおこなわれたのである。これは完全に「集団虐殺」の性質を呈しており、中共
(引用者注・中国共産党)のこれまでの政治運動でもまれに見るものである。
 (二)殺人の方法がきわめて野蛮である。道県、賓陽県、大興県、内人党、四・二二などの事件で
は、いずれもリンチや残虐な体刑といった、暴徒がその凶暴性を発揮した性質の手段が用いられ、
如何なる法律執行の形式も採られていない。刀で叩き斬る、棒で殴り殺す、縄で絞め殺す、石で叩
き殺す、火であぶり殺す、溺死させる、強姦してから殺す、井戸に投げ込む、四肢をばらばらにする、
首を切り落とす……など、ありとあらゆる手段が使われたが、とりわけ内モンゴルでは三十六種類
の拷問がおこなわれたという記録があり、また資料によっては「数百種の超ファッショ的な」拷問手
段があったという。さらに広西チワン族自治区では、「階級の敵」を殺害したあとその皮を剥ぎ取って
煮て食うことまでした。
7考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:33:00
下記は、『新中国人』、ニコラス・クリストフ&シェリル・ウーダン=著、伊藤正&伊藤
由紀子=訳、新潮社、1996年、86p〜87pおよび89pより、抜粋。

 それらの文書によれば、一九六〇年代後半、広西チワン族自治区の複数の町と村で、
少なくとも百三十七人、恐らくは数百人以上の人肉が食べられた。大勢で一つの遺体を
分かち食べることが多かったので、人肉を食した人は数千人に上るかもしれない。これは
過去一世紀ないしそれ以上の間に世界で起こったカニバリズム事件の中で、最大規模
の一つに違いない。これまでのカニバリズムは、飢餓を満たすことが動機だったり、精神
的障害が原因だったりしたものが大半だったが、このケースは、それとは異なる特徴が
あった。
 つまり、イデオロギー的に強制されたものだったのである。そこでのカニバリズムは公の
場で行われ、しばしば共産党の当局者が組織した。そして人々は彼らの革命的情熱を
証明するため、皆が一緒になって夢中になった。ある学校で、校長の死体の肉を最初に
はぎ取り口にしたのは、校長の息子のかつてのガールフレンドだった。彼女はそうするこ
とで、校長に何の同情も抱いていないことを示し、自分も他人に負けないほど「革命的」で
(つづく)
8考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:33:38
(つづき)
あることを訴えようとしたのだった。幾つかの中学校では、生徒たちが校庭で校長や教師
らを惨殺してからあぶり焼きにし、「反革命分子」への勝利を祝って、皆でその肉を食べた。
国営の食堂では食肉用の引っ掛けかぎに、人の死体がつるされており、人肉が政府の
雇員に食用に供されたという。

 私が手にした文書は一九八〇年代に、地方当局が作成したもので、数々の残虐行為を
書き記し、批判を加えている。以下に紹介するのは、広西チワン族自治区に関する記述の
一ページ分から抜粋したものだ。

 上思県の上思初級中学で、プロレタリア独裁の大衆集会が開かれ、幹部を含む十二人
が公開の場で殺された。死体の幾つかから肝臓が引き出され、県政府の食堂に運ばれ
た。県および人民公社の幹部もこれに参加した。
 同じ上思県の思陽人民公社で、県の軍事局長が和星村に行き、仲間とともにケ雁雄
(トン・イエンション)を殺して、その肝臓を取り出し茹(ゆ)でて食べた。局長は人間の肝臓
(つづく)
9考える名無しさん:2007/01/19(金) 16:34:12
(つづき)
を食べると勇敢になれると言って、皆に食べるようけしかけた。翌日局長は、さらに四人を
殺させて肝臓を取り出し、二、三の生産隊にそれを分配、「プロレタリア独裁」とはこういう
ものだと誇示した。
 …中略…

 これまで中国共産党がその罪悪を問われずに切り抜けてきたのは、歴史を思うままに
支配してきたためだった。一九五〇年代末から六〇年代初め(引用者注・大躍進政策時)
の大飢饉は「三年の自然災害」と命名されたが、これでは洪水や干ばつが原因で、毛沢
東の誤りではなかったとの印象を与える。…(おわり)
10考える名無しさん:2007/01/19(金) 19:39:50
下記は、『人禍』、丁抒=著、森幹夫=訳、学陽書房、1991年、122p〜123pより、抜粋。
これは、毛沢東主導の中国共産党政権下、大躍進政策時に行われたことです。

 甘粛省だけを例にとってみても、一九五八年に岷県から澆河の水をせきとめて数百キロも
離れた慶陽県まで水を引くことが決定されると、河の沿岸の各県では二、三万の強壮な労
働力を動員して、この巨大な工事に投入した。ところが、この工事は党幹部の単なる思い
つきの産物で、専門家による設計を経ていなかった。そのため、六一年になって工事は結
局失敗に終わった。
 その間、過労死、餓死、圧死、病死した者や、苦しい労働に耐えきれずに逃げ出したが捕
まってつれ戻され、黒屋子=k暗い部屋で食事や水なども与えられず、外界と隔離されて
放置された〕にとじこめられたまま餓死した者は、数えきれないほどであった。工事現場の
沿道の近くの大きな穴の中にだけでも、数千という動員された農民たちの遺骨が散乱して
いた。
11考える名無しさん:2007/01/19(金) 19:40:43
下記は、『中国がひた隠す毛沢東の真実』、北海閑人=著、廖建龍=訳、草思社、
2005年、298pより、抜粋。

 一九七八年十二月十三日、中共(引用者注・中国共産党)中央副主席・葉剣英元帥は、
中央工作会議の閉幕式の席上で「十年間の文化大革命では二千万人が死に、一億人が
ひどい目にあった。全人口の九分の一を占める人数だ。そして八千億人民元が浪費され
た」と、沈痛な面持ちで語った。
 一九八一年六月、中共(引用者注・中国共産党)中央総書記・胡耀邦は例の『歴史決議』
草案を討議する会議報告の中で「一九五九年から六二年の期間中(引用者注・大躍進政策
時)に、党全体の活動の失敗により困難な情況に陥り、全国で二千二百万人が非正常
死亡=k政治的迫害や執政の失敗による死亡〕した」と率直に認めた。
12考える名無しさん:2007/01/19(金) 19:41:26
下記は、『人禍』、丁抒=著、森幹夫=訳、学陽書房、1991年、275p〜276pより、抜粋。

 …マルクス・レーニンの教義によれば、共産党がその主張を実現するには暴力革命に
よって政権を奪取する以外に道はなく、毛沢東もこれ以外にはないと確信していた。…
 …中略…

 一年前にモスクワで講演したとき、毛沢東はこう語っている。「中国人は平和愛好者だ
などと言う者がいる。だが、それは正しくない。中国人は闘争を好んでいる。われわれの
考えでは、世界の人口の半数を犠牲にしても、資本主義を消滅させ、社会主義がこれに
とって代わり……」
 通常兵器では世界の人口の半数を消滅させることはできない。毛沢東の言葉は明ら
かに、核兵器を使用して世界の半分を消滅させ、資本主義を葬り去ることを意味していた
のである。
13考える名無しさん:2007/01/19(金) 19:42:00
下記は、『中国が戦争を始める』、米陸軍大学戦略研究所=編、冨山泰&渡辺孝=訳、
恒文社21、2002年、94pより、抜粋。

 中国指導者が自国の利益確保のため過去五十年にわたり一貫して武力を行使してきた
ことは、歴史が示している。
 中国と外国の軍事紛争のデータを調べた最近の調査によると、中国は一九四九〜九二
年に、実に百十八回も武力に訴えた。そして、エバン・ファイゲンボームが指摘するように、
「一九四九年以降、三つの動機が中国を武力行使に駆り立ててきたことを事実上すべての
証拠が示している。その三つとは、主要な領土をめぐる主権の主張、国境紛争、東アジアの
バランス・オブ・パワーと関係する戦略的考慮である」
14考える名無しさん:2007/01/19(金) 19:57:57
>>7
前回のプラネットアースで観たんだが、チンパンジーの群れは別の群れに遭遇すると襲いかかるんだよね。
そして映像では一匹の子ザルが死んだんだが、勝った方のチンパンジーはその子ザルをみんなで分けて食べた。
一匹がその肉塊にかじると隣の一匹に渡してまたその猿も同じことを繰り返す。
もちろん、チンパンジーが子ザルを食べなくちゃいけない必然的な理由はないし、美味というわけでもないだろう。
それでも群れのチンパンジーたちはそれを食べた。ほとんど義務的にと言っていいほどに。
15考える名無しさん:2007/01/19(金) 19:58:54
コピペばっか。世界史板池。
16考える名無しさん:2007/01/19(金) 20:28:32
いや〜コピペの好い練習になったよ♪
みんなもコピペして、あちこちに広めてね。
17考える名無しさん:2007/01/20(土) 00:48:47
中国には蝿が一匹もいないという哲学理論があったいう。
なぜ哲学者はこんなものを信じたのだろう。
人間とは愚かだ。
18考える名無しさん:2007/01/20(土) 14:22:44
蠅≠「蠅」ってことでしょ
19考える名無しさん:2007/01/20(土) 14:41:16
>>17
そんな、哲学理論などない(笑)。
中国には、ハエが一匹もいないと言ったのは、マルクス(共産)主義者。
もしかしたら、ハエもハエの子供も殺して食べ尽くしてしまったということかも。
文化大革命で、人を殺して食べたくらいだから…。
20考える名無しさん:2007/04/10(火) 03:37:30
光司の時は協会をあげた片ヤオ。本人は知らない。磐石の寄りとか言っていたが
ヤオが一番やりやすいのが、ああいう相撲。
マルは光司が弱すぎて苦労していたからな。

21考える名無しさん:2007/05/05(土) 03:14:02
あの中国にこの時代に大思想家が現れなかったのはなぜだろう。今後あらわれる
可能性はあるのか。あるいはもう人知れずあらわれているのか。
22考える名無しさん:2007/05/05(土) 08:38:30
>>17
もしくは哲学者が愚かで、人間は愚かではないか?
23考える名無しさん:2007/05/25(金) 15:01:33 0
今話題の、動物系について。
私の頭が確かなら、ライオン・トラを使って公開サバイバルしたり、生きた豚を八つ裂きにしたり・・

動物愛護団体が「もうわけわからん」と言って呆れる中国。いったいなんなんでしょう。

頭の回線のつくりが違うのかしら。中国人がいびつなのか、日本人がナイーブなのか。

トラが牛を捕食するなんて、自然の摂理だし、今も世界各地ではそんなやり取りが繰り広げられてる。
しかし、それを人為的にもたらすのは?それを観戦して拍手し、笑うのは如何なのか?
中国人は、まるでそれを楽しんでいる。そして誰かはそれを批判してる。

だけど、自然の摂理なのにただ嘆き悲しむのは如何なのか?

ちょっと最近目立つ「中国の動物・生物倫理」について哲学してみましょうよ。
人口が多い分、ヒトをはじめ、生物の命は価値観が小さいのかしら。
24考える名無しさん:2007/05/25(金) 15:10:11 0
「儒・仏・道」や朱子学といった数千年の知の伝統がある。
建前としてのマルクス主義がある。
本音としての近代主義(合理主義とほとんど自由放任的な市場経済と富国強兵思想)がある。
まだ実現されない(されると困る?)政治思想としての民主主義がある。
中国人の思想の中で、これらがどう関わっていてどう折り合いをつけているのか
いないのか、それがどうもさっぱりわからない。
好むと好まざるとに関わらず彼等とは付き合わないわけにいかないのだから、
これはどうも困ったことではないか。
25考える名無しさん:2007/05/26(土) 00:22:22 0
>>24
シナの国については、われわれ日本人は知らなさ過ぎる。食人の風習については、黄文雄
氏の著作に詳しいが、(黄文雄「中国残酷物語」経営評論社昭和54年、「中国食人文化」
台湾前衛出版社)儒教の創始者孔子は一番優秀な弟子が捕らえられ、生きたままひしお(漢字がでません)
(塩漬けの人肉のこと。)にされたと聞いて、自分の家にあるひしおを全部捨て、今後一切ひしおは食べないと
言ったと伝えられている。つまり、それまで普通の食品として食べていたわけだ。
 ことほど左様に、われわれの常識は中国の常識とはかけ離れているのだ。
 黄氏は中国社会を
1.伝統的に農民社会
2.城の中に住む城民、農民と盗賊が共生する「水滸伝」社会
3.政府、国家不信と相互不信の社会
4.統治する読書人と統治される愚民の社会
5.飢餓と戦乱が絶えない社会
と定義した。
 この中国社会の基本はいまでも変わっていない。

26考える名無しさん:2007/05/26(土) 00:29:07 0
>>24
中国社会の親族構造の基本は宗族という。
厳格な男系社会で、女も嫁に行っても、姓は変わらない。
同じ宗族内での結婚は絶対のタブーで、一族同士の男女はお互いに
性欲もわかないとまで言われている。日本人がいとこ同士で結婚するのをみて、
シナ人やその一番弟子のコリア人は「日本人は犬畜生と同じだ」とばかにした。
27考える名無しさん:2007/05/26(土) 00:58:55 0
>>26
中国社会を捉える必須文献
カール・ウィットフォーゲル「東洋的専制主義」(邦訳「オリエンタル・デスポティズム」
湯浅赳男訳新評論1991年)
マックス・ウェーバー「儒教と道教」(森岡弘通訳筑摩書房1970年絶版一番いい訳図書館でどうぞ)
湯浅赳男「革命の社会学」田畑書店1975年
小室直樹「小室直樹の中国原論」徳間書店1996年
魯迅「阿Q正伝」
 
さあ、これから論じようじゃないか
28考える名無しさん
中国人は何故ユダヤを恐れないのか?
日本人がやたらとユダヤ恐怖症なのはやっぱりエノラゲイの悪夢のせい?
中国人はどこへ行っても中国人というところがユダヤそっくり
中国の国土も絶対守りぬく自身があるにたいだ
日本人なんてあっという間に米軍に占領されたから防衛に対する自信喪失にある
中国とか露西亜にも瞬く間に占領されるような気がしてしまう
それでアメリカ軍に予め占領させておくなんてことを平気でするようになったのかも