◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない85◆
1 :
「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :
2006/12/28(木) 00:17:09 人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。 しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。 ・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。 人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から 分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。 勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。 分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。 「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は 全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。 『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。 「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。 量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。 以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る 『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です
2 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:35:03
3 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:35:38
1.我思う故に我在り・・・主観性が一つ(以上)存在する 2.他の人間にも主観性が存在する・・・主観性は二つ(以上)存在する 3.外見で主観性のあるなしを判別できない・・・哲学的ゾンビ 2と3は仮定。これが正しいならば、 二つ以上の主観性の『違い』を比較することは絶対不可能。 よって、「『私』はほかの主観性と違う唯一絶対の存在である」は誤り。 1は、「『私』が『一つ在る』事が疑い得ない」のであって、 「『私』が『一つだけである』事は疑い得る」 結論。 最高位の主張は根拠のない出鱈目。 最高位完全破壊の証明終わり。
4 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:35:57
何にせよ最高位の敗北は確定したね。 唯物論だと精神は物理現象であるゆえに、 薬物とか物理的損傷による精神の変化を説明できる。 最高位は精神現象について何も説明できない。 この時点で唯物論の勝ちだ。つまり最高位の敗北。 『私』の存在性については、唯物論も最高位も説明できない。 そもそも、存在性自体は、物質であろうと、『私』であろうと、唯物論が説明するものではない。 精神は物理的に解明可能性はある。不可能である事は証明されていない。 人間は物体であり精神は物理現象にすぎない >『唯物論では人間の内的部分を解明しきる事はできない』 唯物論ではという限定は間違い。 人間の内的部分をもっとも解明できるのは唯物論上の論。 ただし、それをもってしても、人間では解明できない事があるだけ。 唯物論で解明できないものは、人間には解明できない。 人間に解明できるものは、すべて唯物論上の論。
5 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:36:16
唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。 唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。
6 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:36:33
303 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/25(金) 13:31:09
>>301 あるかどうか以前に、
キミが考える『私』『自我』と、俺の考える『私』『自我』は同じではない。
キミはそういう単純なことすらも理解できていない。
304 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/25(金) 13:34:02
>>300 >(ただし唯物論が間違いである事は論理的に明らかだが)
いいやこれは最高位の間違い。
最高位の観念の中にある「最高位唯物論」が、最高位の観念の中で、
「間違いであることが論理的に明らか」と、最高位の観念で認識されているだけ。
最高位の観念の外では、論理的に成立しない。
7 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 01:04:59
ルースカップリング ナノメートルの世界で活躍するタンパク質などで作られた生きものの分子 機械は入力と出力の関係が一定ではないという考え方。生きものの分子機械 は小さいために入力のエネルギーと熱揺らぎのエネルギーがほとんど変わらないが、 周りから絶縁することもなく水の中で常温で動く。分子機械が働く場合には周りの 環境とエネルギーをうまくやりとりしていると考えられる
>>7 やめろよ、エネルギーとか言うと第2唯物論革命の戦士がでてくるよっ
>第2唯物論 念のため言っとくけど誰も呼んでないからね。金ジョン居る首領さまに情報を送るだけにしとけ
10 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 05:28:54
マトリックスやアヴァロンを観て思ったんだが、 バーチャルと現実の違いは何か、 もし仮に現実とそっくり同じクオリティーのCGを作ることができて、その映像を、 人の脳に流すことができたら、 そのなかで、あたかもその本人が違和感なく生活することができたなら、 なにがバーチャルでなにがリアルなのかわからなくなります。 今生きている現実が、100パーセントバーチャルでないと言えるのでしょうか。 もし言えるのならどうしていえるのかだれか教えてほしいです。
11 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 05:33:12
ところで1の言ってることって、志向的クオリアのレベルで論じているだけに過ぎないんじゃあ?
12 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 05:43:10
>>10 だから言えないて。区別できないんじゃ?コピペもいいがどうよ↓
もしかしてソックマペットか?
998 :考える名無しさん :2006/12/28(木) 05:22:29
独我論は例えるなら、俺の一生は神に見せられてるヴァーチャルリアリティだ
としても、いやそうじゃないとしても区別がつかないってことだ。
つくとしたら種あかしされるか、死んだ後しかない。
そんなこと考えて何が楽しい?
13 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 05:47:20
14 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 06:00:12
あきらめるの早過ぎないか? それに、こういうときのために哲学ってあるんじゃあ
15 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 06:35:13
世界内存在の「世界」を「脳」に置き換えた感じだよね。
16 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 06:46:19
決定論は、”確率的に決まるものがあるが人が知らないだけで決定済み”だという。 ランダムを"ランダムに見えるがひとつの決定している”規則と見ると、その規則に従って未来永劫まで 決定済みだと考えているのだ。が、ランダムにみえるが決定済みの規則に従っているのか(決定論→A) 未来が決定していないという意味でランダムなのか(常識でいう非決定論→B)は、 人は知ることが不可能だ。なぜなら過去を振り返ってみても、AもBも同じに見えるからだ。 ところが、A、Bは人には意味が全然違う。またAかBか知りえないのだから、わからないとしか言えない。 それなのにAと論じる”決定論者”は信仰を告白している。もちろんBも信仰だ。 独我論者は私の人生は神に見せられている夢だとしている。(→C) 一方私に関係なく客観的に世界があるとするのが一般の考えだ。(→D) C、Dは意味が全然違う。 しかし唯一疑い得ないのは私という立場からすると、CかDかは人は区別がつかない。 それなのにCと論じる”独我論者”は信仰を告白している。もちろんDも信仰だ。 BとDを信じている一般からすると、AとCは偏屈信仰にみえるし非難したいが、 B、Dも信仰という意味では同じだといえるかもしれない。
17 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 07:47:26
今日の予定 ・めし ・2ちゃん ・オナニー ・うんこ
18 :
就職課 :2006/12/28(木) 08:38:15
営業のありますよ。 学生さん。 定年した余命少ないおじいちゃんと話しているとニートに なってしまいますよ。
19 :
常駐最低位、機械、ニートコテ :2006/12/28(木) 08:40:52
起床 うんこ しょんべん 孤独な飯 2ch 睡眠 死ぬまでこの繰り返しの うんこ製造機
20 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 09:00:27
>>16 そもそもランダムって何?具体例で説明できる?
無作為抽出とかそういう言葉はわかっているけど、
原因の無い、ランダムってこの世の中にそもそも存在するのか?
因果関係の存在は実証的に証明できない。 因果関係と言うのは、因果的モデルにおける前提であろう。
22 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 12:40:32
23 :
前×3スレ538 :2006/12/28(木) 18:15:34
>>前スレ956 >ところで、クオリアを現象的・非機能的なものとして定義付けた場合、 >じゃあなんで俺達はクオリアについて語ることができるのかっていう >「現象報告のパラドクス」についてはどう考えますか? これはねえ、おれが前から言っている「記述の立場」の問題が如実に表れてる例だと思うんだよね。 前に言ったように、クオリアってのは自然科学的な世界観の中では位置づけようがないものなわけ。 それをむりやり自然科学的に語ろうとするから、こういうパラドクスのようなことが起こる。 とおれは考える。 もう少し詳しく言うと、まず、自然科学的な世界観の中でクオリアに機能的な意味がないってのは (定義上そうだという以前に)当たり前のことで、というのは、そもそも位置づけようがないものが 客観的に定義される機能と関われるはずがないから。 で、にもかかわらず人々はクオリアについて語りうるわけだけど、その語りに関連して個々人の 脳や身体で起こる物理的な変化に関しては、自然科学的に記述することができる。 ここで、「人々がクオリアについて語れるのは、それぞれの人が持っているクオリアのおかげだ」と 考えてしまうとパラドクスにはまる。 何がいけなかったのかというと、自然科学的な世界観を持っていたはずなのに、いつのまにか クオリアについて語ることの原因を、自然科学的に言及し得ないクオリアに求めしまっているところ。 自然科学に基づくなら、あくまでも「脳や身体の物理作用によってクオリアについての語りが生じた」と 説明しなければいけないし、また自然科学ではそのようにしか説明しえない。
24 :
前×3スレ538 :2006/12/28(木) 18:16:19
(つづき) そもそもどうして自然科学的な議論にクオリアなんて概念が出てきうるのかと考えると、 このクオリアという概念は、主観的な世界観からの安直な借り物であって、 自然科学的な世界観の中でははっきりとした位置づけがされていないことがわかる。 つまり自然科学的な議論の中でクオリアについて語る人は、片足を自然科学的な世界観に、 もう片足を主観的な世界観に置いていて、議論の場面ごとに都合よくそれぞれの世界観を 使い分けて語ってるわけ。 そういうどっちつかずの立場で考えてるから、上述のようなパラドクスが出てくる。 一貫して自然科学的に考えれば、クオリアなんてそもそも語り得ない。 逆に、主観的に考えれば、クオリアは明らかに機能を持っている。 これらの立場を(無自覚のうちに)行ったりきたりするから、パラドクスがあるように見えてしまう、ってこと。
25 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 18:19:22
>>23 >クオリアってのは自然科学的な世界観の中では
「では」といっているけど、それ以外の世界観で位置づけれるの?
自然科学以上に?
それができないなら、「では」という限定は変だよ。キミ。
26 :
前×3スレ538 :2006/12/28(木) 18:25:57
しかし
>>7 はえらいぶっとんだレスだなw
ただの誤爆?
ここでの議論とルースカップリングをからめることができたら
えらいもんだと思うがw
>>23 >で、にもかかわらず人々はクオリアについて語りうるわけだけど
だからどこから出てくるんだってw
28 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 19:33:25
>>20 ランダム:Bの立場は、キリスト教の全知全能の神からでてくる。
仏教やスピノザの自由でない神からはありえない。
test
30 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:09:06
脳はつまり、外界に反応しているに過ぎない。 自由などと言っても、操り人形のごとく水に放り込まれた蛙の様に反射しているだけに過ぎない。 自意識とは単なる電気的な信号で「自分」等という物は存在しない。 人間というモデルである以上、人間以上の考えは持つ事が出来ない。 モデルに用意された物を感じ、考え、行動する。そしてそれは人間というものに あらかじめ用意されたものにすぎない。人という物体の持つ可能性。 それは、その物体以上の物であるはずが無いのだ。 しかし一つだけ心に引っかかる物がある。 それは、一体誰が、この私がこんな事を考え出すと思っただろうか。
すみませんが、「アクセス規制」であったり 「人多杉」になったりするのですが、これは 運営側の年末の大掃除の様なものでしょうか?
32 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:21:16
, v、ヘM 'リ"ノンミ/ソMv、 ソVvミヘ/Wv彡vV/ ミ∠ミ:: ミミ ミ::: ミ 二__, --、r'"___、 ヾ ト、::ヽ ミレ'"~,-,、 ! ! ' '" ̄ .ノ \ヾ:、 決定独我教帝国マンセー K/ー'~^~_/ ヽミ:ー‐‐'" ヽ i. !〉 ー―'"( o ⊂! ' ヽ ∪ Y i ∪ ,.:::二Uニ:::.、. l .! :r'エ┴┴'ーダ ∪ ! l .i、 . ヾ=、__./ ト= ヽ. :、∪ ゙ -―- ,; ∪ ,! \. :. .: ノ ヽ ヽ. . .イ `i、 、::.. ...:::ノ ,∧
33 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:22:41
>>31 専ブラ入れれば?
インストも簡単だし、IEよりはるかに使いやすいよ
34 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:26:43
>>30 書物に影響されたんじゃない?
ぜんぜん引っかからないよ。人間には良くある事だから。
35 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:33:53
36 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:46:17
>>30 の発想って単に「長い物に巻かれよう」意識があれば
誰にでも出来る発想だよね。
違うのはその対象が科学か宗教か政治団体かの違いに過ぎないというか。
久しぶりに(2、3年ぶりに)哲学板を見たんだけど・・・
まだこのスレ続いてたんだ・・・すごいね・・・
>>1 の中の人は同一人物なんだろうか・・・
38 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 20:59:16
書き込みテスト
39 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:07:15
>>37 きっと釣り師だよ。
さんざんタイトルがヘンだ文がおかしいと突っ込まれたのに
再度同じタイトルで立てた所を見ると、
>>1 は
自分の間違いを認められない人間(=学習能力のない人)なのは確か。
>>30 一つ引っかかろうが百個引っかかろうが、
全く引っかからなかろうがいいんでね?
41 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:09:46
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡 l i''" i彡 .| 」 /' '\ | ,r-/ -・=-, 、-・=- | l ノ( 、_, )ヽ | ー' ノ、__!!_,.、 | 決定独我教帝国なわけよ 想定内じゃん ∧ ヽニニソ l /\ヽ / / ヽ. `ー--一' ノ/ヽ / r‐-‐-‐/⌒ヽ-─'' `、 ヽ、 |_,|_,|_,h( ̄.ノヽ ヽ ー-ヽノ| `~`".`´ ´"⌒⌒) ヽ ノ^ //人 入_ノ´~ ̄ )
>>30 さんの考えは「京極堂シリーズ」の「魍魎の匣」に登場する
「美馬坂教授」と同じ「唯物的」なものだと思われます。それは
「機械的唯物論」者さんと同じで、「科学者」の発想であって
「哲学者」のものではないでしょう。「美馬坂教授」は科学が
「真理」であり「本質」であるといいましたが、それは私達から
見れば「彼岸」なのであろう。
>>「機械的唯物論」者さん
「機械的唯物論」者さんがおられるならば京極夏彦の「魍魎の匣」
の所見を頂きたいと思います。過去の書きこみから既読と思うので。
小説とはいえ「量子力学」から前近代の「宗教」まで網羅している
ので機知に富む書物と思えます。
43 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:13:27
>>30 ってナルシストだよね。
自分だけがそう考えられる人間だと思い込んでる。
45 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:22:20
>>28 >ランダム:Bの立場は、キリスト教の全知全能の神からでてくる。
>仏教やスピノザの自由でない神からはありえない。
あと科学の立場からもありえない。
科学、仏教、スピノザは 神はサイコロを振らないという立場
>>45 仏教に神を結びつけること自体、ナンセンスですが。。。
47 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:36:44
もし結びつけるとしたら、 内なる存在者としてのものでしょう。 別の言い方をして結びつけるとしたら、 『私』であろう。 仏教は、『私』を否定(或いは排除)しきれるのだろうか・・・?
仏教は何も否定しない
49 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:47:14
>>45 キリスト教でも決定論ですよ。未来は既に創造時に全知ですから。
>>49 いや、キリスト教には「自由」があるから決定論じゃないでしょ。
カントもシェリングも、キリスト教における「自由」について考えた。
51 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 21:52:54
>>50 それは(決定論と自由意志の)両立論でいうところ自由感だよ。
キリスト教では、人が何を選択するかも神が知っている。
一応言っておくと、俺はカトリックの信徒。
解禁(前スレ
>>993-997 )されてるみたいだし俺の疑問点でも書いてみよう
『一点目』
>>380 > 科学はそういうモデル化の一つであり、正しいと言えるものです。
> ただし、科学が科学として正しいのは、「モデル化」としてであり、
> それで世界のあらゆることが説明できるわけではないということは、
この部分が一番奇異に俺は感じるんだよねえ
科学によって与えられる「正しさ」は科学の方法論にもとづいた「正しさ」だけ
と俺は思ってるけど、
名無し@autn. sys. 氏は、なんでもありのモデルの「正しさ」とごちゃ混ぜにしてるような気がする
「モデル化」だけなら脳内だけでいくらでもできると思うし
名無し@autn. sys. 氏が、
科学に合理的な方法論がないという立場をとる
なら、宗教も占いも科学もごちゃ混ぜになってもしょうがないとは思うけど
(ある意味、科学を否定することになるけど、もちろん、そういう立場もあったりする)
『二点目』
論旨から、名無し@autn. sys. 氏のいうモデルは妄想の産物でも、思考のみの産物でも、
錯覚の産物でも、観察という行為そのものでも、なんでも OK のなんでもありになってると思うんだよね
で、名無し@autn. sys. 氏のいう「相対的視点」というものは、
そのなんでもありのモデルに対する視点なわけだけど(それらのモデルに対する価値観が相対的らしいけど)
これでなにが解決できるのか、よく分かんないんだよね
(「解決策の有効性」というのは、人の思考をなぞってるだけのような気がするからなんだけど)
「相対的視点」というものが経験事実に対する視点であれば、
なんとく俺は納得できるけど、そういうわけでもないみたいだし
>>51 いや、カントのアンチノミーは、キリスト教の立場と自然科学の立場の対立なんですよ。
で、「決定論」が自然科学の立場、「自由」がキリスト教の立場ですね。
54 :
ネオ・マトリクス :2006/12/28(木) 22:08:28
どこで聞いたらいいか分からなかったのでここで聞きます。 人生最大の発見★11スレで全ての根源はクオリアと快楽と苦痛だと 語ってた者です。賢明な諸氏に何かヒントを頂きたく書き込みます。 訳も分からず生まれて強制的に様々な苦痛を味わうというのが 非常に不条理に思えるんですが、どのような原因で 人間に苦痛という感覚が存在するのでしょうか? どうすれば苦痛という感覚(クオリア)は自由に消す事ができるのでしょうか? また反対に快の感覚を自由に感じるにはどうすればいいでしょうか? 快楽と苦痛というのは人間の全てにおいて重要なテーマだと思うんですが どうすれば自由になるんでしょうか? それとも神のような考えても分からない何かが居てそうさせたから 諦めるしかないのでしょうか? 全く訳が分からないので、どうかご教授願います
>>54 苦を中心問題として考えた代表的な人は、仏陀だと思いますよ。
で、苦に対する仏陀の結論が「四諦・八正道」でしょう。
57 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 22:33:15
>>53 カトリックとプロテスタントで立場が違う。
プロテスタントがそもそもカトリックに輪をかけて超越的。
全能という中に、サイコロに加え、両立まで含まれてくる。
58 :
ネオ・マトリクス :2006/12/28(木) 22:33:18
>>55 四諦・八正道ですか。殆ど知らないんですが
全ては苦であり、苦には原因があり、苦の原因を消す方法がありって感じでしょうか。
ただ、煩悩が原因と聞きますが、痛みなどの身体的な苦痛については
煩悩はあまり関係ないように思えるんです。。
で、人間の肉体的・精神的苦痛を生む源は何なのか?を考えていったら
「クオリアそのものだ」と考え付いたんです。
なぜ、物質である脳で様々なクオリアと同時に「苦」まで発生するのか?
又は唯心論だとしてもなぜそういう感覚や「苦」が存在するのか?
それらを存在させ今のこのようにしている原因・理由は何なのか?
自由にはできないのか?
仏陀はどこまで知ったのでしょうか?本当に、永遠に苦痛を感じず
幸福や快楽のみを感じられる方法に気付いたんでしょうか・・・?
>>58 >痛みなどの身体的な苦痛については
>煩悩はあまり関係ないように思えるんです。。
関係あるでしょう。
肉体的苦痛といっても、その中には
死への恐怖感とかも混ざっているはずだから。
仏教を勉強してみて。
>>58 >痛みなどの身体的な苦痛については
脳のある部分を破壊すれば痛みを金輪際感じなくすることは可能。
薬物などで一時的に感じなくすることも可能。
精神的な苦痛も一時的になら薬物などで解決可能。
いずれにしても医者も自由にはやってくれない。
根本的な解決には死ぬ事。
生きるのがどうしても100%嫌ならば死ねばいい。
何も感じなくなるか、苦も楽も感じなければならないか、は選べる。
生きるとはそういう事だよ。
61 :
ディオニュソス :2006/12/28(木) 23:02:03
あからさまに言ってしまえば殆ど命のやり取りにまで発展しかねないような 核心部分には直接手を触れることなく、なおかつ「その類の真理」を恩恵と して受け取る素質を最初から持ち合わせている者にだけ秘密裏に暗示する 手法。その反対に、「その類の真理」を恩恵として受け取る素質を持ち合わ せてはいるが未だ無自覚の中に埋没してしまっている未発達な精神に対して まだ芽の出ぬうちにまどろませ腐らせ、たとえ後々気づいたとしてもその時 にはもはや万事が手遅れになってしまうように仕向ける手法。 実は私の大先生であるニーチェの非凡な器質が晩年分裂し破壊されてしまっ たのにはれっきとした理由があるのだ。尤もこの場合、進行性麻痺症状だの 梅毒だのといった直接の原因は単なる「きっかけ」でしかないことは言うま でもないのであるが・・・。 復讐は人間の恥部である。というよりむしろ・・・・・・・・・・人間は復讐 そのものである。これは身の毛もよだつ恐るべきことであり、(これはあくま で余談であるがこと"あの"大賢者の場合においては特に手が込んでおりチマ チマと姑息なのだ。)そしてさらに気の滅入ることには、運命愛のことはとも かくとしてそのような類の人間はいくら本人自身にそうする気が毛頭無かっ たとしても凡て知らず知らずのうちにであれ最初からそうするよりほかに選 択の余地が全く無いのである。 尤も一旦その動物的本能を見切ることが出来さえすればあとは福音書に色々 と曰く、 ・・・・・・・・・・・・・・・アーメン!!
62 :
第2唯物論 :2006/12/28(木) 23:25:33
>>42 >>30 は一応唯物論の中身ではあるけれどかなり俗的な極機械的の方向へのデフォルメですよ
>>30 は唯物論では判ってること1ページ目をひどく表現した.だが実際は生活には血も肉もある
じっさいは観念と下界の葛藤続きだ、どっちかを極端に強調したのではある種馬鹿だ
63 :
第2唯物論 :2006/12/28(木) 23:26:41
下界ーー>外界
64 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:01:52
>>53 じゃあ、カントがとち狂ったんでしょ。自然科学についてはどうでもいいですが、
信徒からすれば、キリスト教の世界は完全に決定論です。もちろん自由とも両立します。
65 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:09:33
>>64 「完全に決定論」で「自由とも両立します」って、矛盾してるな。。
66 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:11:35
>>65 矛盾していないよ。両立論という立場もちゃんとある。
67 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:13:09
>>65 自由というのは、決まっていないということではない。
決まっていなくても不自由なことはあるし、
自由に行動していれば、それが決まっていても自由であることには変わりは無い。
68 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:14:22
>>66 だからそれは「完全に決定論」とは言わない。
(不徹底な立場と言うw)
普通決定論といえば、自由意志論に対立するものだ。
「自由意志論」
【自由意志の存立を認める考え。行為の生起する原因は外的諸関係でなく、強制によらない個人の自由な選択にあるとする。
⇔決定論】(大辞林)
普通が不徹底なんだよ。 徹底すれば普通じゃなくなるの。
70 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:17:31
>>69 >徹底すれば普通じゃなくなるの。
そうだよ。
決定論なんて、普通じゃないよ。
71 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:19:20
>>68 >(不徹底な立場と言うw)
言わないよ。決定論はどうあれ徹底している。未来が決まっていることはどの決定論でも同じだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97 両立主義
また別の哲学者は、決定論と自由意志は両立可能であると考えた。
これは両立主義(りょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。
多くの両立主義者にとって、自由であることは、「その個人が意志したとおりの行為をなしうる」ということを意味する。
この立場は両立主義の典型である。
ホッブズのような両立主義者は一般に、人が行為を意志しその人が意志したならば別様に行為することが(仮言的に)できただろう場合にのみ、
人は自由に行為する、と主張する。
彼らはしばしば、強姦、殺人、強盗、等々といった誰かの自由意志が否定される明快な事態を指摘する。
この事態のカギは、過去が未来を決定しないという点にでなく、侵害者が犠牲者固有の行為についての欲求や選好を無視するという点にある。
侵害者は、犠牲者の意志に反する行為を強いる。
決定論は問題でなく、我々の選択が我々自身の欲求や選好の結果であり、いかなる外的な力によって(あるいは内的な力によってですら)も無視されない、ということが重要なのである。
72 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:20:00
>>68 >普通決定論といえば、自由意志論に対立するものだ。
自由意志の定義による。
決定論と対立しない「自由意志」というのもある。
73 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:24:03
>>71 そのWikiでは、「不徹底な決定論」を「柔らかい決定論」と書いていて、
普通の決定論を「厳密な決定論」と表現してるだけだよw
74 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:25:20
書くと決まってる事をその通りレスして何が面白いんですか皆さん? 機械さんも(爆) まさか「自分の意思で書いた」だなんて思ってませんよね? 機械さんも(爆)
75 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:28:28
>>73 柔らかい決定論も未来が決まっているという点では同じ。
不徹底であろうと、未来のあり方は変わらないからね。
で、何が違うかというと、自由とか自由意志をどうとらえるかって違い。
固い決定論では、未来が決まっているかどうかで、自由意志がないとし、
柔らかい決定論では、決まっているかどうではなく、
当人が自由を感じるかどうかで自由意志があるとしている。
76 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:29:24
>>74 決まっているが、どのように決まっているかは誰も知らない。
映画の世界の中の登場人物と同じだよ。
77 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:31:18
>>75 >柔らかい決定論では、決まっているかどうではなく、
>当人が自由を感じるかどうかで自由意志があるとしている。
だからそういうのを普通は「自由意志」とは言わないから、
不徹底(はっきり言って詭弁っぽい)とされるんだね。
78 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:38:59
>>77 じゃあ、どういうの自由意志というの?具体例を出してくれ。
79 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:40:28
80 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:41:14
>>78 俺は自由意志論者じゃないから、具体例なんか出さないよ。
>>79 このサイトの自由意志論って、決定論的な立場からじゃなくて、
非決定論的な立場からも行われてるよね。
まあそれについては賛成なんだが(決定論、非決定論に関係なく
自由意志はない)。
ってか、自由感を自由意志と呼ぶ必要性はないし、 そんな自由感が有益な概念だとも思わない(一体、 何に使うのか)。
83 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 00:58:09
>>82 ってか、自由感を自由意志と呼ばない必要性もないし、
自由感が不利益な概念だとも思わない。
通常、日常での自由といえば、本人が自由に感じていることであって、
過去の時点で決まっているかどうかとは無関係。
84 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 01:06:59
>>79 馬鹿だなコイツw 君らが2つのコップのどちらかを選ぶとき、
「なぜそっちを選んだかという合理的な答えは見出せない」という
コイツの「テキトーな推論のみが唯一の答である」だと前提して
その後の”与太話”を展開してるんだが、
そっちのコップを「選びたかった」からそっちを選んだに決まってるだろw
この事は・・人間の行動(選択)には「必ず動機が伴なう」とするのが
「法の論理」である点をみれば明らかw
86 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 01:08:40
>>84 よく読めよ。もう一つの場合も書いてあるから。
本も出ているし、少なくともお前なんかよりはまともだと思うよ。
>>84 馬鹿はおまえだ。
「選択が動機に規定されるなら、選択行為は動機について決定論的である」
ということが書いてあるんだろうが。
選択行為に理由または原因があるなら選択はそれに規定されていることになる。
89 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 01:17:17
>>86 馬鹿w 言わけやめとけ見苦しいw
>>87 アホかw
「動機が行動を決める」わけだが
「動機自体が既に決定されていた」というオマイの主張はヘチャムクレw
必要なのは、倫理学から自由の概念を駆逐することであろう。 そのときこそ、自由や自由意志は不必要な概念となる。
91 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 01:54:41
>>89 その動機には原因があり、動機が生まれてくるのは決定論的ってことなんだけど。
わからないのかな?
92 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 02:50:36
>>91 ノ〜タリンかオマイw ほんじゃ、ま、試してやっから
動機には原因がある ←これ証明してみれ
(因果律がど〜たら←いい加減な宗教用語で誤魔化すなよw)
なんだったら、
原因とは何のことか?どういう条件を満たすものを言うのか←書いてみ
93 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 02:53:09
>>54 苦痛は、進化の結果生じてきたものじゃないかな。
苦痛と快楽、これらがない動物は、生き残れなかった。
何が自分に有益で、何がそうでないのかを、
知るための手段としての、苦痛と快楽。
消すには、医学が進歩すれば可能かもしれない。
快楽はすでに実現されつつあるかも。
リタリンとかで鬱が解消されているし。
神はいないだろ。
とにかくすべてをより大きなシステムとして見たほうがいい。
つらいなら頼れるところへ。
94 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 04:04:53
>>92 腹が減ったら飯を食べようとする。極普通に動機には原因がある。
95 :
快苦 :2006/12/29(金) 04:14:27
>>56 人間は自由なのか?不自由なのか?が正確には分かってない=人間が自由の可能性がある
と解釈し、自由を信じています。
>>59-
>>60 それらは日常的というか物理的な方法ですよね?
私は、このスレのテーマの「クオリア」を解明し自由にできれば
100%どんな苦痛も消しどんな快楽も感じられると思って
非日常的な物理的ではないクオリアそのものを自由にする方法を調べてます。
脳の神経や化学物質で、なぜ、苦痛が生まれるのか?とか
なぜ、生きるのには苦痛までもが存在してしまったのか?
などを知りたいですが、未だに答えが分かりません。
こういうのが分からないから人間は神に走ったのでしょうか?
>>93 進化の結果だとしても、いくつか謎があります。
生物に苦痛を感じさせる原因は物理法則といった
意思の無いシステム・法則そのものなのか?
だとしたら、そのシステム・法則は
どのような理由や原因で今のようになって、結果的に苦痛を生むことになったのか?
また、生物が存在し苦痛が存在したとしても、なぜ、私や貴方といった意識が
脳から生まれて苦痛を感じるようになってしまったのか?
例えば私が別のもっと苦痛が少なく快が多い生物でも良かったのではないか?
こういう事を考えると、この快楽と苦痛に関する意味や原因というのは
ただ単に生存の為だけとは思えず、もしかしたら
消せる方法があるのではないか?と思って調べています。
快楽と苦痛って人生の中でかなり重要だと思うんです。
96 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 04:32:54
脳の因果関係をとらえる関係式はどうせ非線形方程式で、カオスみたいな現象が起きすぎるから、 決定論的な立場は不可能だろう。 というか、脳科学によって装いを新たにしただけで、そんな議論は大昔からある。 すべてのことに対して因果関係があるが、複雑すぎてそれを完全に意識することはできない、 と考えたのがヒューム。 そして、因果関係をひとまず括弧に入れて関心の外においたときに、 はじめて自由や責任が生まれると考えたのがカント。 まず、カントの道徳形而上学原論からはじめよう。
97 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 04:37:09
98 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 04:37:39
は?
99 :
93 :2006/12/29(金) 04:52:07
>>95 >なぜ、生きるのには苦痛までもが存在してしまったのか?
じゃあ、逆に考えて、苦痛を一切感じないような人間だったら、ナイフが刺さっても気づかないということがある。
苦痛はひとつの信号なんじゃない。快楽も同様。
>例えば私が別のもっと苦痛が少なく快が多い生物でも良かったのではないか?
それは今までの人類の遺伝的な進化がこうだからしかたないんじゃ。
それは指が5本しかないのと同じこと。
クオリアを自由にできるかどうかでしょ。
うーん。おれはクオリアって、脳内の神経細胞の発火と対応してると思うからなあ。
クオリアだけってのは。
ただ思考とかのクオリアとかは自由にできそうかもとは思う。
100 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 05:00:27
クオリアっていうのは、題だよw 科学じゃないよ。
101 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 05:04:25
茂木より、津田一郎のほうが数理的な考察をしていてまだ説得力がある。
>>95 快はともかく、苦痛から逃れるためのシステムが『私』。
と言う考え方はどう?
>救いを求める者 今、ゾルレンを中心に倫理の話で盛り上がってるのは「菜食」スレですよ。
104 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 10:23:47
>>92 お前の動機には原因がないのかwww
自分の心・想いを掘り下げたことないんだなw
ガキは帰れw (・∀・)ノシ バイバーイ
105 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 11:47:10
>>94 やっぱ、いい加減なヤツだなオマイw
腹が減っても食わないヤツがいるのも知らんのか
論証にならないオマイの占いや憶測はもういいから、
原因とは何のことか?どういう条件を満たすものを言うのか←書いてみ
106 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 11:48:56
不自由をまったく感じたことがない人も世の中にはいるのかな? 不自由を感じるならば、誰かに言わせれば、不徹底な自由意志w
109 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 15:14:50
完全である必要があるのだろうか。 純正である必要があるのだろうか。 自然界にはそういったものがあったためしが そもそもあっただろうか? 存在しないのは自由意志ではなく「完全性」や「純正」の 方ではないのか?
110 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 15:25:19
たった一瞬かいまみえる存在であっても 葛藤の中に潜在している存在であっても 人類単位で成し遂げられてきた努力であっても 自由意志は自由意志に他ならない。
「決定論スレ規則」 第1条、唯物論や参加者への誹謗中傷は無視。 第2条、唯物論と関連性がない議題は避けること。 第3条、固定ハンドル叩きや追い出し禁止。 第4条、参加者を自作自演呼ばわりする荒らしは無視。 第5条、参加者や決定論スレを病人・病棟呼ばわりする荒らしは無視。 第6条、厳密な争点で常識を持ち出すこと禁止。 第7条、無意味な荒らし・感情的な書きなぐり・AAは無視。 第8条、根拠、ソースのない断定は禁止。 第9条、言葉遣いは丁寧に。
113 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 18:09:43
唯物論と観念論は関連はありますか?_
114 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 18:14:30
>>16 を書いたんだが 自由意志について言ったつもりでなくて、あくまで決定、非決定について言った。
”ランダム:Bの立場は、キリスト教の神からでてくる。”がまずかった。カトリック、ライプニッツあたりだと
思う。サイコロ振る神。プロテスタントは決定論だから。
>>68 決定論と自由意志を対立させる言い方は好きでない。自由意志を神からの独立自由意志
という意味で定義する(→1)と決定論、非決定論でも成立しないから。
虚構、視点問題としての自由感を自由意志と定義する(→2)なら決定論、
非決定論ともに成立している(キリスト教)。
ただ、読解力不足で、キリスト教各派、デカルト、ライプニッツ、カントなんかが自由意志を1、2
どちらで言ってるのかははっきりしない。一応みんな2で言ってると思っているが、1を主張してる
のもあるのかも。
115 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 18:25:25
>>114 「自由感」を自由意志なんて、ふつうは定義しません。
カントのアンティノミーを見れば、それが「自由感」なんかでないことは明白。
・テーゼ・・・・・世界には絶対的なはじめとしての自由がある。
・アンチテーゼ・・世界における出来事はすべて自然必然の法則、すなわち自然因果の法則によって起こる。自由は存在しない。
116 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 18:37:27
>>114 キリスト教とユダヤ教は同じYHWHが神。
アインシュタインの言うとおりサイコロは振らない。完全に決定論。
なんか知らんが、キリスト教を決定論じゃないように言いたいような人がいて迷惑。
俺はカトリックの信徒なので、その立場で書いているが、
キリスト教が決定論じゃないというなら、そいつは何派の立場で言っているのか書いてくれ。
117 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 18:38:24
>>116 キリスト教では「自由」が大問題になってきたことを知らないの?
人は何で悪をなすの?
119 :
快苦 :2006/12/29(金) 19:01:11
>>99 >>102 苦痛が信号だとしても、一個人としては
苦痛を完全に消したい・快だけにしたいと願うと思うんですよ。
人間の不老不死とかの夢も、結局は
快を永遠に味わいたいって事だと思います。
で、脳がどういう状態にあると人間は何を感じる、っていうのは解明できても
「なぜ、脳の状態と感覚に関係があるのか?
なぜ感覚が発生するのか?物質の運動でなぜ精神が生まれるのか?」
といった事は分かってないと思うんです。でもこれが分かれば
快苦を自由にするヒントになると思って調べてますが、一向に分かりません。
こういう仕組みや法則といった根源的なことを決めたのは
何だったのでしょうか?
やはりこういう事はなぜビックバンが起こったのかが分からないのと同様に
人間には分からないのでしょうか?
快苦というのは、あらゆる欲求や幸福や不幸や悩みの根源だと思うので
これが自由になれば最高だと思うんです。
120 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 19:01:15
>>118 アウグスティヌスが悪は無い、善が欠落したのが悪だといってたように。
>>117 この場合の自由意思は、神と対等になって(魂が?)神から独立してしまうんだ
という解釈の違いを言いたくて、
物理的に具体的な例自体は、同じものになるような。
121 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 19:59:00
>>116 調べたらカトリックもプロテスタントも正統派は決定論でした(汗)
たぶん異端派にあるのでは。あと今調べた限りでは
アメリカ、オーストラリアの教会、プロセス神学、プロセス哲学あたり
もそゆうのがありそう。
>>121 なに調べたんだよ。。
http://www.geocities.jp/tillich37/PersonalColumn24.html 【すべての現象は物理的法則に決定されているという決定論(Determinism)、
自由意志の優位を主張する非決定論(Indeterminism)、人間の自由意志と
物理的法則の絶対性は両立可能だとする両立主義(Compatibilism)です。
神学をご存知の方なら、すぐ気づくように、これらの3つの考え方は、
何のことはない、たんなる神学史上でよく知られた3つの神学の世俗版に
過ぎません。欧米人は、どんなに世俗的・反宗教的に見えても、やっぱり
キリスト教的枠組みでしか物を考えません。決定論(カルヴァン主義)、
両立主義(アルメニウス主義)、非決定論(ペラギウス主義)の枠組みの
中で、「神」を「自然法則」に置き換えただけです。古くはアウグスチヌス
とペラギウス、近世のルターとエラスムス、近代のバルトと自由主義
プロテスタントの対立は、深い宗教的次元を持っていましたが、
それを水で10倍薄めると現代の自由意志論争になります。】
123 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 20:22:26
>>122 >すべての現象は物理的法則に決定されているという決定論(Determinism)
キリスト教の決定論は、物理的法則とは関係なく成立している決定論。
この世界がマトリックスのだったとしても(つまり物理法則に束縛されていないとしても)、
それを成立させている神の世界からの決定性により決定論の世界になっている。
そもそも映画マトリックスは、実はキリストの話。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1595/1975jikanron.html 【確かに宗教改革者ルター(Martin Luther)やカルヴァン(Jean Calvin)
によって、その信仰義認論の主張のため、神の恵みの絶対性がアウグスチヌス
におけるよりも強調されたが、そのことは彼ら、特にカルヴァンをして、
ますます歴史の動向や人間の運命に関する決定論に向わしめただけであった。
併し、時間への無関心や、時間や歴史の決定論的理解は、現状肯定的な人間に
とっては都合がよいけれども、主体的な現代人、歴史を新しく創作しよう
との情熱をもつ者には受けいれ難い。思想上での決定論が一時期強烈な実践を
生みだすことはあっても、その決定論と直結する実践が、やがては歴史の
具体的状況に適合しなくなり、いつのまにかその思想は忘れられて行くのである。
カトリシズムにおいてもプロテスタンティズムにおいても、この決定論的思考は
近年特に評判が悪い。】
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/user/sashina/sub14D20.pdf#search= '%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%20%E8%87%AA%E7%94%B1%20%E5%BF%85%E7%84%B6'
【中世のキリスト教は、この問題を意志の自由という主題と結び付けて考察した。
もし意志が対立項を選ぶ自由をもっているなら、その選びによる実際の結果は
偶然的である。それゆえ、トマス・アクィナスはアリストテレス解釈学の註解で、
選びの行為から生じたものを偶然的なものの一種として挙げたのである。
しかし彼は選びの行為そのものを偶然的と呼んだのではない。むしろ、神の意志は
偶然的なものと必然的存在者との差異を超えたところにあると考えたのである。
偶然性の概念を神学的に転換するための決定的な一歩を踏み出したのは、ドンス・
スコトゥスが最初である。彼は偶然的に存在しているものの原因となっているもの
は何かを問い、それは自由に行為する原因だけであると考えた。それゆえドンス・
スコトゥスは、偶然的なものがあるという事実は、万物の第一原因が必然性から
ではなく偶然性によって働くということをすでに示している、と主張した。】
127 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 21:02:28
>>125 もう?読解力ないのか、キリスト教がなんでもありなのか?
くどくなってきた
自由を神のサイコロから独立していると意味で定義(→a)と決定論、非決定論でも成立しない。
自由意志を神のサイコロ非決定論だからこそ神もわからないので神から独立という定義(→b)非決定論で自由意志成立するとする立場
自由意志を虚構、視点問題としての自由感を自由意志と定義する(→c)なら決定論、非決定論ともに成立している
いつも思うがこのa、b、cが交錯している。
ただ、いろいろな人が自由意志をb,cどちらで言ってるのかははっきりしない。
一応キリスト教はcで言ってると思っているが、一部やライプニッツはbを主張してるような気が。
>>127 >読解力ないのか
日本語になってないんだよ。
たとえば、
>自由を神のサイコロから独立していると意味で定義(→a)と決定論、非決定論でも成立しない。
意味不明。(「成立しない」の主語が不明。)
>自由意志を神のサイコロ非決定論だからこそ神もわからないので神から独立という定義(→b)非決定論で自由意志成立するとする立場
全く意味不明。(「自由意志を」を目的語とする動詞がない。「神もわからない」って何がわからないのか不明。「神から独立という定義(→b)非決定論」全く日本語になってない。)
>一応キリスト教はcで言ってると思っているが
一概には言えない。時代とともに揺れ動いている。
>ライプニッツはbを主張してるような気が。
さっきはcって言ってなかった?
ライプニッツについては、
http://www.venus.sannet.ne.jp/pamina-rm/Munemo3/newpage309.htm 【このような時代にあってライプニッツはあくまでも合理的な和解の途を模索していた。
例えば、信仰と理性を合致させるために、理性に対して懐疑的な態度をとるピエール・
ベールと幾何学的必然性を主張するスピノザとの中間の立場に自分の説をたてようとした。
ベールのいう自分勝手な任意的自由とスピノザの絶対的幾何学的必然とをそれぞれ限定して、
最善の原理に従う自発的な自由が考えられた。全能なる神は二つの永久真理をもって世界を
統治している。一つは思惟の真理であり、それはその反対が矛盾を含み不可能であるという
意味で必然的であり、論理的な領域を決定している。もう一つは事実の真理であり、
その反対が可能であり、偶然的ではあるが、それが現実に生起するには充分な理由があり、
あらゆる現実の出来事を決定づけている。これが意味するとこ%8
>>127 >読解力ないのか
日本語になってないんだよ。
たとえば、
>自由を神のサイコロから独立していると意味で定義(→a)と決定論、非決定論でも成立しない。
意味不明。(「成立しない」の主語が不明。)
>自由意志を神のサイコロ非決定論だからこそ神もわからないので神から独立という定義(→b)非決定論で自由意志成立するとする立場
全く意味不明。(「自由意志を」を目的語とする動詞がない。「神もわからない」って何がわからないのか不明。「神から独立という定義(→b)非決定論」全く日本語になってない。)
>一応キリスト教はcで言ってると思っているが
一概には言えない。時代とともに揺れ動いている。
>ライプニッツはbを主張してるような気が。
さっきはcって言ってなかった?
ライプニッツについては、
http://www.venus.sannet.ne.jp/pamina-rm/Munemo3/newpage309.htm 【このような時代にあってライプニッツはあくまでも合理的な和解の途を模索していた。
例えば、信仰と理性を合致させるために、理性に対して懐疑的な態度をとるピエール・
ベールと幾何学的必然性を主張するスピノザとの中間の立場に自分の説をたてようとした。
ベールのいう自分勝手な任意的自由とスピノザの絶対的幾何学的必然とをそれぞれ限定して、
最善の原理に従う自発的な自由が考えられた。全能なる神は二つの永久真理をもって世界を
統治している。一つは思惟の真理であり、それはその反対が矛盾を含み不可能であるという
意味で必然的であり、論理的な領域を決定している。もう一つは事実の真理であり、
その反対が可能であり、偶然的ではあるが、それが現実に生起するには充分な理由があり、
あらゆる現実の出来事を決定づけている。これが意味するとこ%8
キリスト教なんぞ関係ない。 ここでは純粋に物理的・化学的法則に基づく 自由意志の否定と決定論を扱っている。 キリスト教神学が扱ってきた自由意志論争とは一味ちがう。 ここでは超越的存在などはじめから認めていない。 つまり「起源」についてはお手上げ状態なんだが 結果的に神を起源とする方向に回帰してしまう気がする。
131 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 22:43:46
>>127 >読解力ないのか
日本語になってないんだよ。
たとえば、
>自由を神のサイコロから独立していると意味で定義(→a)と決定論、非決定論でも成立しない。
意味不明。(「成立しない」の主語が不明。)
>自由意志を神のサイコロ非決定論だからこそ神もわからないので神から独立という定義(→b)非決定論で自由意志成立するとする立場
全く意味不明。
(「自由意志を」を目的語とする動詞がないし、
「神もわからない」って何がわからないのか不明。
「神から独立という定義(→b)非決定論」も、全く日本語になってない。)
132 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 22:45:36
キリスト教なんぞ関係ない。 ここでは純粋に物理的・化学的法則に基づく 自由意志の否定と決定論を扱っている。 キリスト教神学が扱ってきた自由意志論争とは一味ちがう。 ここでは超越的存在などはじめから認めていない。 つまり「起源」についてはお手上げ状態なんだが 結果的に神を起源とする方向に回帰してしまう気がする。
すごいことになってるな。 タイムラグか。
134 :
ディオニュソス :2006/12/29(金) 22:48:38
私自身同じことを何度も述べるようでいささか阿呆らしいのであるが・・・。 二律背反のテーゼ及びアンチテーゼの論証形式そのものはどこまでも適切 である。ただ問題なのは、本来テーゼ側で言い表されている形而上的実在の 類というものはキリスト教神学においてはあくまで克服されるべき罪(原罪) であって信仰(神の恩寵による救済)そのものとはまるっきり正反対の代物な のであるが、カントの場合このニュアンスが完全に逆立ちしてしまっている のだ。(神・自由および不死) カントの神は有限であり、人間の自由意志を間接的に「容認」する。 一方キリスト教神学においての神は無限であり、人間的自我そのものはどこ までも「死に至る病」つまり絶望のことなのである。 ところで肉としての有限な性質でしかない人間的実存、認識器官そのものの あり方が主体としての自我を宿業的に前提してしまうこの人間的実存がどの ようにして無我を獲得しうるのであろうか? 非弁証法的な冷と温すなわち呼吸。 生きると同時に死ぬことは出来ず、息を吸うことと吐くことを同時には出来 ないのであれば自我においてもまた云々・・・。
135 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 22:53:35
>>134 >カントの神は有限であり
なんでそう思うの?
>人間的実存がどのようにして無我を獲得しうるのであろうか?
仏教で言う無我のこと?
仏教では無我は「獲得」するものじゃないでしょ。
もともと諸法無我なんだから。
136 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:36:15
おまえら、線形常微分方程式も解析力学もわからねーくせに、脳の話なんかをもちだしてくるんじゃねーw 自由になるためには、力が必要です。 本ばっかり読んでてもだめですw
137 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:41:02
>>94 >>107 >>111 根拠なくものを言うのが仕事’のオマイラに問題ナw
腹が減る←これは原因か?
原因だと仮定して この「原因」の生む「結果」は1つか?
1つではないとすると 結果は決定していないことになるが
「では オマイラのいう原因とはナンゾやw」
なぜ、原因とは何か・・を問うたかご理解戴けたであろうか・・?
あくまで「オマイラの論理」に沿って発生した問いではあるが・・w
138 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:47:41
>>137 >原因だと仮定して この「原因」の生む「結果」は1つか?
>1つではないとすると 結果は決定していないことになるが
はぁ?
なんで??
139 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:56:28
>>138 1回ぐらい答えてからにしろやタコw
分からないようなので、もう1つ聴くね
「決定」てなに?
オマイが何ひとつ理解しないままここに参加してるのを
まず分かれ、話はそれからだw
140 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:57:40
>>139 自分で決定って言葉使って問題提起しているんだから、きみが定義した方がいいよ
141 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:59:35
>>140 わははは !! 「わかりません、教えてください」の間違いじゃネ?
142 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:00:25
つーか、数学やら物理がわからないのはともかく、論理もわかってないのかよw ベイトソンの 精神と自然 から始めよう。
143 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:06:29
>>139 けってい 【決定】はっきりときめること。また、きまること。
げんいん 【原因】ある物事や状態を引き起こしたもとになった事・出来事。
けっか 【結果】ある原因や行為から生じた、結末や状態。また、そのような状態が生じること。(大辞泉)
で、
>原因だと仮定して この「原因」の生む「結果」は1つか?
>1つではないとすると 結果は決定していないことになるが
はぁ?
なんで??
144 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:07:19
>>142 オマイは・・「原因」とは何かも分からない
「決定」が何かも分からない
「決定」がこのスレのテーマの一部であり
大勢が「決定」に関して問題提起しているのに
オマイは「オレが言い出した」とか言いだして血迷ってるw
病気かおまえw
145 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:08:25
君はクリプキの可能世界に関するロジックを知らないのかい?
146 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:10:41
>>143 決定とは
【何を】はっきりと決めること・・なんだ?
【どうやって】決めること・・なんだ?
オマイ辞書のコピペ なんか【猿でもできる】んだからヤメとけw
147 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:12:25
>>145 オマイ逃げ出すのは早いぞw
いいから「原因」がなにか答えてみ
148 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:14:34
136=142=145 僕はただの傍観者ですからw
149 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:15:58
>>146 >【何を】はっきりと決めること・・なんだ?
はぁ?
「結果」ですが?
その「結果」とは何かって?
そんなの場合によって違うに決まってるじゃん。
それより、
>>138 に答えられないなら、もう寝るぞ。
お馬鹿さんの相手してても、時間の無駄だ。
150 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:18:18
この手の論法つまんないんだよね 自分から何かはっきりした論旨を述べるわけでもなく、 原因とは何だ?とか結果とは何だ?とかさ・・ ただのかまってちゃんとしか見られないよ
151 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:24:15
宿題 脳科学 津田一郎 ダイナミックな脳 認識論 ベイトソン 精神と自然 様相論理 飯田隆 言語哲学大全3 倫理(=自由)学 カント 道徳形而上学原論 冬休みを利用して賢くなろうぜ!
152 :
ディオニュソス :2006/12/30(土) 01:29:34
ダビデの紋章はナザレのイエスにあってもその愛するという点において神聖な ものである。 なぜそうなのか言い当て、且つ賛美してみよ・・・。 汝にその方面における素質があるかどうかの試金石。
153 :
104 :2006/12/30(土) 01:36:31
>>92 だいぶ昔に書き込んだレスをコピペしようと思ったらログがないw
保管庫は探すのめんどくさいしw
>>104 で言いたかった事を大雑把に言えば、
およそどのような思考・意思であっても、
そのベクトルが生じるにあたっての材料が必ずどこかにある(あった)
ということだよ。
君が、過去の経験の蓄積の影響をゼロにすることができるというなら、
君の言うとおりだ。しかし、それはありえない。
経験的に判らないか?
そこを指して、「決定している」或いは「決定的である」という視点が生まれるのだ。
『過去の経験』『今置かれている環境』
『過去の経験・記憶という打ち寄せる波によって生じた、心の砂模様』などなどを、
抜きにして何がしかの思考ができるというなら、やってみていただきたい。
急に流れが変わったなw 最高位を叩いて盛り上がってるよりはこの方が億万倍wいいと思う
155 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 02:11:53
>>149 どこまでアホなんだオマイはw はよ寝ろ !!
1つの原因が無数の結果を生み出すなら
それはもう「何も決定してない」のと同じじゃんよトンマw
また、「結果」をはっきりと決めることが【決定】だと言うが
【決定】の概念を説明するのに「結果という概念」を用いるからには
「結果がどういう概念であるか」を明らかにしないと
【決定】の説明をした事にはならんだろ、オマイには難しいか、この話w
>>150 根拠無く決定論を肯定する←という「論法ですらない」論法?を振り回す
お前のようなアホのこいたレスが・・この話の流れの発端じゃんよ、寝ぼけんなw
>>151 自分の宿題は自分でやれコラw
>>153 >経験的に判らないか?
オマイね、、、糞過ぎw
経験を言わせてもらうと
「以前と同じ行動は・・極力避ける」・・それがオレの思考
同じ事は続かない・・よい事も悪い事も、、、ならば同じ行動は取らない方が良い
「つまりパブロフの犬にならない(物理的影響下に入らない)」・・てわけ
んなこた中学でヤんなるぐらい学んだボ♪
156 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/12/30(土) 02:18:26
新スレ、おめでとうございます。
157 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 02:21:27
>>155 >1つの原因が無数の結果を生み出すなら
>それはもう「何も決定してない」のと同じじゃんよトンマw
はぁ?
これだけ考えてその答えなのw
>>137 >原因だと仮定して この「原因」の生む「結果」は1つか?
>1つではないとすると 結果は決定していないことになるが
君の頭では、
結果が「1つではないとすると」結果は「無数」になるわけだねw
(幼稚園児でも10ぐらいまでは指で数えると思うぞw)
(安らかにお眠り)
158 :
104 :2006/12/30(土) 02:24:20
>>155 >「以前と同じ行動は・・極力避ける」
「以前の行動」と「その結果」が、君のその後の意向を制限しているのではないかね?w
>同じ事は続かない・・よい事も悪い事も、、、ならば同じ行動は取らない方が良い
同じことを繰り返したくない(→以前と同じ経験をしたくない)と、
以前の経験に束縛されていないかね?w
>「つまりパブロフの犬にならない(物理的影響下に入らない)」・・てわけ
「パブロフの犬になりたくない」という思考は、
「パブロフの犬」という知識に影響されて、
それを避けようとする思考に向かったのではないかね?w
159 :
104 :2006/12/30(土) 02:36:50
>>155 返答を楽しみにしてるよw
>君が、過去の経験の蓄積の影響をゼロにすることができるというなら、
>『過去の経験』『今置かれている環境』
>『過去の経験・記憶という打ち寄せる波によって生じた、心の砂模様』などなどを、
>抜きにして何がしかの思考ができるというなら、やってみていただきたい。
これについてもなwww
ちなみに、おいらが噛み付いたのは、
因と条件を無視するかのような君の発言に対して。
決定してるかどうかは別にどうでもいいw
160 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 03:41:48
>>157 >結果が「1つではないとすると」結果は「無数」になるわけだね
あははは !! 聴くが、結果は「いくつ」になると言ってるんだ、言ってみろ?
オマイの悲しいとこは、いつだってどこだって何にだって答の無いとこよw
>>158 >「以前の行動」と「その結果」が、君のその後の意向を制限している
【制限】←これ、オマイの場合、「形容」的用法になってるが分かるか?
「過去の行動枠(制限)」を超えるには・・過去の制約を離れて思考する
必要があるが、この思考活動を「制限を超える思考行動」と呼ぶことは
あっても、【制限された行動】などとは言わないのよw
161 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 03:50:45
>>160 >あははは !! 聴くが、結果は「いくつ」になると言ってるんだ、言ってみろ?
>オマイの悲しいとこは、いつだってどこだって何にだって答の無いとこよw
あのね、「1つ」のつぎは、「2つ」ですよ
わかりますか?
で、
>>137 >原因だと仮定して この「原因」の生む「結果」は1つか?
>1つではないとすると 結果は決定していないことになるが
「1つではないとすると」・・
つまりね、「2つ」だったら、結果は決定していないんですね
(坊やの頭の中ではw)
162 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 03:58:10
>>161 あはは、オマイは「腹が減る」を原因として「2つ」の結果が生まれると
断じたわけだが・・「どれとドレ」がその結果だか書いてみろw
163 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 04:01:20
>>160 >>158 宛てのレスのめちゃくちゃさを自分で自覚した方がいいぞ
全然反論として機能していない
164 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 04:04:46
165 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 04:14:51
>>164 指摘を受けてそれが反論出来ないのに、
感情的に反発するのはみっともないだけだよ
見ていて見苦しいから、注意してあげただけ
後、なるべくなら、君のレスつまんないからROMっててくれないかな?
ゴミレス増やしても仕方ないでしょ
気に食わないなら、君の勝ちでいいからさ
166 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 04:26:51
>>165 オマイは「腹が減る」を原因として「2つ」の結果が生まれると
断じたわけだが・・「どれとドレ」がその結果だか書いてみろw
答を書けば糞、書かねばタコ・・、減らず口、無駄口の人生
それがオマイ、わははははw !!
167 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 04:27:08
>>162 >あはは、オマイは「腹が減る」を原因として「2つ」の結果が生まれると
>断じたわけだが・・「どれとドレ」がその結果だか書いてみろw
あぁ、【「1つ」のつぎは、「2つ」ですよ 】って書くと
君の頭では、「2つ」と断じたことになるわけねw
(「2つ」だとすると【結果は決定していないことになる】って
断じたのは、君なんだけど・・・まぁ寝なさい ^^; )
168 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 04:40:27
>>167 何もかも分かってて相手してやったんだが
もうお前にも分かったろ
おまえは何ひとつ言ったことが無いのよ
これからもナw
>>131 情報サンクス。ROM専が楽だな
自由を”人間が神の(サイコロの)影響下にないという意味”で定義する(→a)と、決定論、非決定論でも”自由”でない
自由意志を”神のサイコロにより、神は人間の行為がわからないため、人間は自由意志を持つ”
と定義する(→b)と、非決定論で自由意志が成立する
自由意志を”視点問題としての虚構の自由感を自由意志”と定義する(→c)と、決定論で、自由意志が成立する
ライプニッツはb
とりあえず宗教はパスで。
171 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 10:45:32
この連中は名無し最高位か?
172 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 11:12:20
>>155 >1つの原因が無数の結果を生み出すなら
>それはもう「何も決定してない」のと同じじゃんよトンマw
一つとは言わず、原因となるものすべてを同一にして、結果が同じであればそれは決定論だよ。
キミは決定論が何かを理解していないと思われ。
違う結果が出る例があるなら、具体例をどうぞ。
173 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 11:17:29
むしろ
>>168 の意見が聞いてみたいな。
何をどう何もかも分かってるのか。
175 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 11:24:18
>>173 時間による状態の遷移は、過去の全状態によって規定され、一つの状態しか取りえない。
176 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 16:30:39
別に複数でも困らんと思うが。
>>156 唯識さんが来たんですか。この手の問いに詳しそうなのでお伺いします。
快楽・苦痛というのが人間にとって最重要で
快苦こそ人間を動かす原因となってると思うんですが
この快苦は自由にならないのでしょうか?
仏陀も苦を探って仏教を開いたと聞いたんですが
私が思うに苦というのは煩悩とか精神的な苦しみだけではなく
例えば痛みや寒さやなど肉体的な苦しみもあると思うんです。
で、どうやってこの生まれつき強制的に感じさせられる様々な『苦』から
逃れる事ができるのでしょうか?
仮に神といった意思を持つ存在がいない場合、この快苦を生む物理法則・精神のシステムを
今のこのように決めた存在は何だったのでしょうか?
なぜ快苦の法則は今のようになってるのでしょうか?
考えていくと快苦というのは重要な事なのに、なぜ、そもそも身体がこうなってて
脳で快苦を感じて今のこのような法則になってるのか、全く分からず
『赤といったクオリアと同じ類か?』といった段階から進めません。
どうか、ヒントを教えてください。
178 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 19:19:11
>>175 でも結局それすらも証明できないんだよな。
「かも知れない」って曖昧な言葉に頼るしかなくなる。
179 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 21:33:04
神がサイコロを振り非決定論にしているとしても、その神やサイコロも何か規則に決定されていると考えると結局決定論になる。 完全なランダムとは..誰からも創造されていない、誰からも決定されていない、すべてから自由な唯一神が創造する。 ランダムが未知の規則か、すべてから自由で束縛されていないものか? も 人間は識別できない。
180 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 21:34:42
>>178 ん?誰も証明できるなんて主張していないぞ。
不完全性定理を持ち出すまでもなく、そもそも世界の根本の原理など証明できるものではない。
さまざまな事象からうかがい知るのみだ。
181 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 21:35:53
>>179 その通り。自分が神でない限り、非決定論はありえない。
人生を二度は体験出来ないって事だろ。
183 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 22:13:23
おまえらは、様相論理もしらね−のかよw 151の宿題の本をちゃんと読めよ!
>>181 ありえなくはないよ。
ただ、あり得るとして考えても不毛だと感じる人が多いだけでしょ。
「何でも懐疑論」にしかならないから。
185 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 22:28:26
>>184 どうあり得るのか説明してくれ。具体例を出して。
>>177 >で、どうやってこの生まれつき強制的に感じさせられる様々な『苦』から
>逃れる事ができるのでしょうか?
逃れられないと思いますよ。 肉体的な苦しみは自己防衛のためでしょう。
精神的な苦しみは出家して修行してみないことにはわかりません。
実際に快苦を乗り越えた大阿闍梨様がいる等も聞いたことありませんから。
188 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 22:46:48
>>187 説明不可能なら、ありえるというのも、正しいとは言えない。
>>188 正しいなんて言ってないよ?
決定論が間違ってるとも言ってない。
でも非決定論はありうる。
ただ、多くの人が不毛と感じるから剃刀で削ぎ落とされるだけ。
190 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 23:24:57
>>189 だからなぜ「あり得るの」?
ありえるものと、ありえないものの区別できている?
191 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 23:48:04
>>190 ごにょごにょ言ってないで
「なぜ有り得ないか」・・自分で論証すりゃイイだろ
ヒトに依存してんじゃね〜よw
>>190 >だからなぜ「あり得るの」?
何故と言われてもw 決定論がなぜ「あり得るの」?と同レベルの問い。
>ありえるものと、ありえないものの区別できている?
出来ていない。
193 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 23:58:52
>>190 なんでもきっちり区別する必要なんてあるのか?
決定論・非決定論どちらも反対物を意図的に削除して強調した物に過ぎない。
生きてる世界と照らし合わせると現実味がないんだよ。どちらも。
>>189 はそれが言いたかったんじゃないか?
194 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:04:09
ここだけは年末でも熱いから逆になんだか嬉しい
195 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:05:02
ていうか、馬鹿が安易に「非決定論はありえない」なんて断言してんなよ。 カントの純粋理性批判を精読してから言え。
196 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:05:03
>>193 オマイ189なの?
違うんなら、できもしない他人の大便やめろw
197 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:07:12
>>192 >何故と言われてもw 決定論がなぜ「あり得るの」?と同レベルの問い。
同レベルじゃないよ。
決定論というのは、結果は原因に束縛されるため、
すべての差異にはその差異となる原因があるとする。
そして実際、原因のある差異は無数にあるわけだ。
原因に束縛されない「差異」というものが出てきて始めて非決定論が成立するはずだが、
それは原理的にありえない。何故なら、人間は「差異」によって論理を構築しているから。
198 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:08:44
>>193 >なんでもきっちり区別する必要なんてあるのか?
必要があると考える奴はあるし、必要のない奴には関係ないだけだろ。
別に論理的な正しさなど知らなくても生きていける。
決定論を知らなくてもいいし、未来は変えられない事を知る必要もない。
199 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:11:59
ぶっちゃけ、どんな世界であろうと決定論は成立する。 決定論の世界の中で、非決定論の世界も成立する。 さらに、決定論は原理的に否定することが不可能。
>>197 >それは原理的にありえない。
そりゃそうだろう。
別に原理的にある必要はない。
201 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:16:42
>>200 原理的にありえないことを考えたいなら勝手に妄想していれば?時間の無駄だと思うけど。
妄想を超えることは未来永劫、絶対に無いよ。
202 :
ディオニュソス :2006/12/31(日) 00:23:01
変性意識状態と脳機能の損傷との間には直接的な関係は何ら存在しない。 ただ人間が現在までに獲得した内観の形態が脳の損傷によって破壊される際に たまたま何かの加減で我々の祖先が多分に持ち合わせていた古い性質が意識の 地表へと浮かび上がってくることがケースとしては多いというだけである。 現在我々が総合失調症と呼んでいるものの症状である幻覚や幻聴などを「病理」 として捉える現代人の習慣とはただ単に現代という時代性との不整合を言い表 しているに過ぎない。つまり我々現代人のシステムにおいてはそういった祖先 の意識のあり方では何かと不都合が生ずるというだけの意味でしかないのであ る。一方で我々の祖先の時代はどうかというと、彼らの場合そういった意識の あり方が何らかの生理的な実用性を持つような文脈のシステム内に事実生きて いたということなのである。我々の祖先は我々現代人の脳機能とは全く異質な 機能を確かに持っていたのだ。 芥川龍之介が「歯車」において告白している予兆のようなものに関する告白な どの事例は紛れもなくこの先祖がえりの状態であって、しかもご多分に漏れず 「過度の精神的ストレス」だの「何々性偏頭痛の症状」だのといった直接的な 原因は単なるきっかけでしかなく実はこの際どうでもよいことなのである。
>>201 頭が固いなぁ。
初めから、多くの人にとっては不毛だって言ってあげてるのにw
ほとんどが妄想で時間の無駄なのはそうかもしれないね。
>妄想を超えることは未来永劫、絶対に無いよ。
そうとも言えないんだよこれが。
204 :
小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/31(日) 00:30:33
相変わらず全くくだらない・・・。
205 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:31:30
206 :
小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/31(日) 00:31:50
気違いサタン。
207 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:32:57
>>206 キミの過去の書き込みがまさにそうだろうね。
キミの書き込みは過去ログからは消されているようだけど。
208 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:35:02
>>203 おれは決定論よりの考えだけれど、
確かに、決定論って不毛だと言われると頷ける
でも、世界観だから、不毛も何も他の世界観も似たようなものなんじゃないか?とも思う
209 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:37:14
>>208 不毛だと思う奴が不毛だと思うのは勝手だが、
決定論は、論理とか科学の大前提。俺は不毛とは思えない。
否定できるものでもないし、肯定しても何も問題はない。
210 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 00:53:10
>>209 前提として決定論があっても無くても科学は発展していくと思うよ
(科学的な方法論と世界観というのはまた別のモンだと思う)
今までも決定論という世界観があったから科学が発展してきたわけじゃあないでしょ?
(そういう面もあるだろうけれどさ)
別に否定も肯定も科学はしてないんじゃない?
科学畑の人間でも昔から決定・非決定に分かれているところからも
そう言えるんじゃないのかな
>>208 いや、
決定論を主張してる人の多くにとって、非決定論は不毛だと感じるから、
意識的にせよ無意識にせよ削ぎ落として考えてるだろうって事。
決定論が不毛だとは言ってない。
でもそれは自身の限界を自分で定めているようなものでしょ。
212 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:02:14
>>211 なるへそ
まあ、自身の限界を自分で定めているってのはその通りだな
そこらへんが哲学するってことなのかもしれん
どんな事象も流れ行く時間の中では一回性を免れない。 ってことはすべての物理的法則性は覆る可能性がある。 ということは決定論も非決定論も証明は不可能を意味する。
214 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:26:36
決定論の確かさを示す事例が一例でもあれば挙げてみてください いまだかつて一つの事例も見かけないんですが・・ 事例が無いとすると、つまり現実に無いものを語ってるんだとすると 皆さんいったいここで何をしてらっしゃるんで?
天気予報は決定論的に予測されているがろくに当たらない。
216 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:37:36
>>215 カオスだから予測が難しい。そのカオスは決定論によって生じている。
決定論的要素が働けば働くほど、予測は困難になるというのは皮肉なものだと思う。
決定論と予測 ある時点の全ての(全宇宙の)データが分かれば、その後の出来事は いかなる時点に関してもすべて完璧に予測可能である・・・・ だが、相対性理論では時間の流れは観測者により異なる。
218 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:38:58
>>214 原因が存在する結果などいくらでもある。ほとんどの場合、決定論的。
219 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:40:12
>>217 決定論の世界は、内部からの予測は不可能だよ。
220 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:42:24
多くの出来事の「原因」は物理学的には観測されない。 ある会社設立の原因が物理学的に確認されたことは無い。
222 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:51:56
>>221 その事象は物理法則上に矛盾なくあるわけだけど。いちいち物理学を出すまでも無いと思われ。
物理的原因は多すぎて、計測不可能というのが正しい。
そもそも「原因」は過去のものであるので観測できない。 法則性から「推定」されるだけである。
224 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 01:54:51
>>223 じゃあ、観測できるものはどんなのもの?
どういうことに対して、観測という言葉を使えるの?
物理法則な会社設立に関して何も説明しない。 会社が地上1000mに作られたならば物理法則に適合しにくいが、 かといって、地下1000mに作ることは矛盾しない。
226 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 02:00:26
>>224 観測はその(現在の)事象だけでしょう。
228 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 02:03:26
明日「太陽が東から昇る」ことは極めて確実ですが、 確率的なもので決定論的ではありません。
結果に原因があるのならそれは決定論だそうですw
231 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 02:11:27
>>229 予測は確率的。事象は決定論的。この違いがわかっていないと思われ。
どうも決定論者は、幾つかの決定論を恣意的に使い分けている気がする。 決定論の正しさは自身の態度の肯定に使われるべきではないだろう。 決定論を前提としてこそ「過去を教訓として生かせる」とか 「論理や科学が成立する」とか、 言いたいことは理解できるけれども、 全てが決まっているのならば、失敗することもしないことも、 教訓として生かせるか生かせないかも、 論理的思考をするかしないかも、 何もかも全てだろう。 人がどう思考するかも、どう哲学するかも。 他人の哲学をどう評価するかも。
決定論に反証事例は存在しない。 これはどういうことか? 実証する事例が存在しないと言うことである。
234 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 09:09:57
結果論は何を意味しているのか? それはその人の思考枠組みの大前提ではなかろうか?
236 :
第2唯物論 :2006/12/31(日) 12:59:32
>>230 何気なく書いてるが鋭い
決定論者の00どもがわかるかどうか
>>235 > それはその人の思考枠組みの大前提ではなかろうか?
俺もそんな感じで考えてたりする
俺の信仰でも告白してみよう
ここでは、人が認識する世界を、単に「世界」としよう
人が「世界」を完全に予測できないかぎりは、決定や非決定は、
どうとでもいえる話だと俺は思う
人が論理という道具をもってるからこそ、
決定や非決定の概念があるというだけの話だと思う
俺は単純に、
人が「世界」を完全に予測できない場合、「世界」は人の論理で非決定的に映る
人が「世界」を完全に予測できる場合、「世界」は人の論理で決定的に映る
という意味で捉えてる
要するに、ここで論じられてるのは、人の論理で、
「世界」が決定的に映るか非決定的に映るかの話だと思ってる
人が「世界」を完全に予測できないかいぎりは、
人の論理では、どっちだか分かんない、というので充分だと俺は思ってたりする
(続く)
(続き) あえて神という言葉を持ち出すなら、俺にとっては、 人が認識するしないに関係ない、「私」から独立した外界、 「世界そのもの」こそが神といえるかもしれない 他者の存在を仮定すれば、「世界そのもの」を仮定せざるをえないと思う 他者の存在を仮定しなければ(独我論なら)、好きなように考えればいい話だと思う 「世界そのもの」は、ありようや働きはなく、ただ存在してるだけ、と俺は思ってる 「世界そのもの」のありようや働きは、人の認識が勝手に決めてるようなもんだと思う 「世界そのもの」にとって、人の認識は関係ないと思う そして、人の体は、きっと、「世界そのもの」の一部なのだろう、と俺は思ってる で、「自由意志」と呼ばれるものは、人の体が「世界そのもの」の一部であったとしても、 「自由意志」が「世界」にありようや働きに介入しているのか? 「自由意志」は「世界」のありようや働きによる結果なのか? という話までにしかならないと思うんだよね…人は「世界そのもの」の奴隷なのだろうか?…
239 :
快苦が根源 :2006/12/31(日) 13:54:37
>>237-238 極めて同意します。
神=「世界そのもの」と言っていますが
私は神は物質の性質・精神の仕組み・理論といった「法則」と思っています。
で、人は「世界そのもの」の奴隷なのだろうか?という段階の話ですが
行き着く疑問は
「自由意志はなぜ存在するのか?」
「世界はなぜ今のこの通りになってるのか?全てを今のこのようにした原因はなんなのか?」
「なぜ、世界には私やクオリアといったことまでが存在するのか?なぜ発生したのか?」
という事だと思います。
ただ人は「世界そのものの奴隷」に関して、テクノロジーによって少しは改善されたように思えるので
知識や自由を使えば奴隷でなくなると思ってなりません。
ところで機械氏や最高位氏はこの
「世界はなぜ今のこの通りになってるのか?全てを今のこのようにした原因はなんなのか?」といった問いに対し
どのように考えているのでしょうか?
240 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 14:45:45
定年した無職のじじいたちは来年生きている?
241 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 14:48:38
忙しくてきちんと読んでいないのだけど、
>>237 はまぁいい。
>>238 の「世界
そのもの」に、まず引っかかってしまう。
りくつ氏は、これを「他者の存在」から類比的に仮定している。しかし、これ
は少し変だ。“他者そのもの”との言い方は成立しまい。
それとも他者は、“そのもの”として存在しているのか。つまり、他者の存在
から世界そのものを仮設してしまうのは無理ではないのか。
まぁ、本音をいえば、そのものとの言い方がしっくりこないだけなんだけど。
242 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 14:50:55
>>240 元旦の朝に鏡を見てみろ、そこに答が映ってるから
243 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 14:57:05
忙しいふりする 老いぼれ 長文 常駐。 老後はキツイよね? まさか、 ひとり? 病気になったら 入院。 老人ホーム? しんじゃうじゃん。大藁
244 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 15:01:15
良く映る鏡だな ^^;
245 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/31(日) 16:59:11
前スレ
>>728-731 あたりで書いたことだが…、
存在や因果律の認識、あるいは論理や科学に、
「決定論的」要素があるということは、
「認識的/論理的決定論」とでも言うべきもの。
これは、別に世界全体が
決定論的であるということを主張するものではなく、
一つ一つの事象をとらえる上で、
決定論的な仮定をしているということでしかない。
これは、一部の人が、「決定論は論理の前提」などと言うときの決定論で、
一般的な意味での決定論とは違う。
これに対して、世界が科学法則や神によって支配されているとするのが、
「科学的/神学的決定論」で、
大部分のレスはこの意味での決定論でしょう。
科学の発展の前提に、論理的決定論(的思考)があったのは事実だし、
科学者の研究の動機のある部分が、
「科学によって神の意志を記述する」という
「科学的/神学的決定論」にあるのも事実でしょうが、
科学の前提に、「科学的/神学的決定論」があるわけではないということは
言えると思います。
また、科学的/神学的決定論で(も)、
世界の全てが説明付く(ように思える)というのは事実でしょうが、
非決定論は論理的に成立しないというのは、
上の論点のどこかをごっちゃにしてるとしか思えません。
246 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 17:01:49
年末も熱き議論をお疲れ様です あなたたちこそまことにまことに よいお年を
247 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 19:33:18
>>238 もう一つ。こちらは最高位ふうに突っ込む。「人の体は、きっと『世界
そのもの』の一部なのだろう」と、りくつ氏は思っているそうである。
この“思い”はりくつ氏の認識であり、主観であると言っていい。この
りくつ氏の思いは「世界そのものの」のどこに位置しているのだろう?
この“思い”によって世界や他者や体が見出されたのではないの?
もう正月しているので、反論があっても再反論は来年になります。
それにしても、前にも述べたけれども@autn は優秀だね。
機械さん、最高位、素人さん、いいお年を。
248 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 19:35:50
>>238 もう一つ、最高位ふうに突っ込んでみる。
りくつ氏は「人の体は、きっと『世界そのもの』の一分なのだろう」と思っ
ているそうだ。この“思い”は、りくつ氏の認識であり、主観と言っていい。
このりくつ氏の“思い”は世界そのもののどこに位置するのだろう?
この“思い”によって世界や他者や体が見出されたのではないのか。
もう正月しているので、次に書き込むのは二日以降になります。
それにしても、前にものべたけれども@autn氏は優秀だね。
機械さん、最高位、素人さん、よいお年を。
>>239 > 私は神は物質の性質・精神の仕組み・理論といった「法則」と思っています。
それだと、「世界」と「世界そのもの」を錯綜させてるような気が俺はする
こういったものは、人という観察者からみた「世界」のありようや働きにすぎないんじゃないかな?
と俺は思っちゃうんだよね
>>241 > りくつ氏は、これを「他者の存在」から類比的に仮定している。しかし、これ
> は少し変だ。“他者そのもの”との言い方は成立しまい。
「他者の存在」は他者という人の体がないと始まらないと思うけどね
他者という人の体は「世界そのもの」の一部として俺は捉えてるよ
そんだけのことなんだけね(
>>238 のまんまだったりする)
それで納得がいかないなら、説明に困っちゃうんだけど、
後で説明を無理に引き伸ばしてみるけど
>>241 > まぁ、本音をいえば、そのものとの言い方がしっくりこないだけなんだけど。
客観世界でもいいかもしれないけど、科学の意味でのそれと、
変な意味で誤解されては困ると思ったからなんだけどね
俺としては「自然そのもの」が一番しっくりくるんだけど、
「モノそのもの」と、以前に勘違いされた経緯があったりする
陳腐ないいかたをすれば、これらの説明は、
「ありようのない自然」という一言ですむような気はしている
でも、いきなり、そんなんじゃ意味不明になると思ったからなんだけど…
>>241 > それとも他者は、“そのもの”として存在しているのか。つまり、他者の存在
> から世界そのものを仮設してしまうのは無理ではないのか。
>>238 > 人が認識するしないに関係ない、「私」から独立した外界、 「世界そのもの」
として捉えてるのはいいかな?
まず、外界がないと他者という人の体すらありえないと俺は思う
「世界そのもの」を「世界」として人は観察すらできないと思うし
他者という人の体を「世界そのもの」の一部として仮定してるわけなんですよ
「世界そのもの」の一部としての他者という人の体
を、
「世界」の一部としての他者という人の体
として人は観察してるわけなんですよ
「世界そのもの」の一部としての他者という人の体
は、どんなに頑張っても人には認識できないわけなんですよ
まあ、自分の体にもいえることだけど…
おかしなこといってるかな?
(他者に主観性があるのかないのか?という問題まで到達してないことに注意してね)
>>245 > 世界の全てが説明付く(ように思える)というのは事実でしょうが、
そんなこという人はいないと思うよ
科学がどういった意味で限界があるのか考えてみればいいと思う
その辺について、あなたはなんにも考慮していないと思うけどね(
>>52 にも似たようなこと書いてるけど)
>>247-248 そりゃそうでしょうよ
そんなん、あたりまえでしょうに
そんなこといいだしたら、超越的なもんはなんにも仮定できないと思うよ
他者に主観性があるかどうかさえ分かんないし
他者と同一の世界を共有してるかどうかさえ分かんなくなると思わない?
他者に主観性があるというのは、
他者と同一の世界をしているということと、
他者に主観性があるというという、
二重の超越をしていることは分かってる?
そんなん今更いいだして、どうすんの?
独我論を前提にするなら、別にそれでいいかもしれないけど
252 :
第2唯物論 :2006/12/31(日) 23:19:01
新スレになってから何の中身ある議論にもなってないとおもうけど 年が暮れます又来年
>>245 この「スレ」は、決定論の上に構築された決定論的世界の「体系」をもって、
その大前提である決定論そのものを証明する「壮大な」「試み」である・・・
ということをあなたが「理解」できなくとも、あいにく真理には「影響」ありません・・・
ということです・・・
255 :
254 :2007/01/01(月) 00:07:01
一応あけおめなw
>>254 はたしてそうかな?・・・ということです・・・
一応わたくしも「新年」明けましておめでとうございます・・
と申し上げておきます・・・
これも単に我々「人類」が「地球」の公転周期のどこに「特別な意味」を見出すか・・
だけのことに過ぎない・・・のですが・・・
>>256 相変わらずコミュニケーションできてないですねwww
258 :
考える名無しさん :2007/01/01(月) 03:12:58
いや、
>>256 は真理を突いている。
たとえば、もうすぐの事だが
成人式。 いったい、人の成長のどこからが成人でどこまでが子供なのか・・・w
他にもいっぱいいっぱいあるwww
,,,--─===─ヽ/へ /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶 iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ iiiiiiiiiiii/ \iiヽ iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ ...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii| 決定独我教帝国・・・ 定説です ポアしろ ..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii| iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii| ..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ○ ○ ) .|iiii| iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii| iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii| iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii| iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii| iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii| iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
260 :
第2唯物論 :2007/01/01(月) 12:55:16
確かに決定論て、000真理教みたいなもんだね
261 :
考える名無しさん :2007/01/01(月) 16:44:26
>>259 も
>>260 もそうかかれることは決まってたんだろう
さあ、おまえらが書くことにきまってることを書いてみろよ
見てるひがなるほどきまってると思うか、なるほどこいつらはへんなやつらだと思うか決めてやるからよ
262 :
考える名無しさん :2007/01/01(月) 18:19:55
見てるひがーーー>見てる人が
あけましておめでとうございます。昨年は年末からのわずかな期間ではありましたが、皆さんと有意義な議論ができ、大変うれしく思っています。
今年もさまざまな立場からの批判をいただきながら、より有意義な議論ができればと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、次のレスで、前スレでから書くと言って、ずっと書かなかった内容を書かせていただきます。前スレの993-997(複数)、このスレの
>>52 (りくーつ・こねりーさん)の議論に対しては、
次からのレスでまとめて応答させていただきますが、独立した内容なので、アンカーは次のレスからお願いします。
(1) 「私の世界」とはどういうことか 私たちは、人がどのようにものごとをとらえているのか、その人の感覚、行為などについて考えることができます。 一応、こういうものをラフに「心」というとすると、心というのは、物理的にある範囲に限定できるようなものではありません。 たとえば、人はさまざまなものを感じることができるわけですが、光を初めとする刺激を直接感じることはできないでしょう。つまり、人が見るのは、コップや電球、まばゆい光を放つ何かであって、コップが放っている光そのものではありません。 人は自分がとらえるものごとが、錯覚なのか、外部のものなのか、知る術がないわけですから、それがその人が生きている世界の全てであり、その外側の世界はありません。 一言で言えば、私たちは自分が見ている世界の外側に出ようとしても、 絶対に出ることができないということです。 ここで、こうして人がとらえる世界のことを、「その人の世界」とでも言うことができるでしょう。
これは、別の視点からも説明することができます。私たちは、心の状態を知るために、人間を解剖して調べることはできません。 これは、単に技術的・倫理的な問題ではなく、人間を解剖すれば、少なくともその部分についての機能は分からなくなってしまうからです。 だとしたらどうすれば良いか…。もう一つのアプローチは、心の外側のあらゆることを知ること。相手がどのような歴史をたどって今まで生きてきたのかを知ることです。 これは、私たちが人と接する上で無意識に行っていることですが、これを厳密にやろうとすると…、つまり相手の心を完全に知ろうとすれば、世界のあらゆることを知らなくてはいけなくなります(孤立系は存在しない)。 この意味からも、ある人がとらえている心の世界は、世界全体だということが言えると思います。 以前、私は「私の世界」と言う言い方をしたわけですが、これは上の説明を「私」の視点から簡潔に言い換えたもので、単に「私から見た世界」というようなことを言っているわけではないのです。 「私から見た世界」と言うと、「私」と「世界」が自明にあって、「私が世界をとらえている」ということになるわけですが、これは似ているようで大きく異なる見方です。 そうではなく、私というのは私の世界そのものだし、AさんBさんというのも、その人にとっての世界そのものだと考えるところに、この考え方の特徴があるわけです。
(2) コミュニケーションと社会 さて、そうだとすると、AさんとBさんが、コミュニケーションを取るとはどういうことでしょうか。 コミュニケーションをAさん、Bさんの立場から見ると、コミュニケーションは全てAさん、Bさん、それぞれの世界のこととして理解されるでしょう。 Aさんにとってコミュニケーションとは、AさんがAさんの世界の中で、世界の規則性を踏まえて行為をしていくということにほかなりません。(一般的な言い方をすれば、環境と相互作用して生きていくということです。) しかし、問題はこうした規則性が、Aさんの世界とBさんの世界でどういう関係になっているかということです。 異なる世界なのだから、全く違う規則性によってるかもしれないし、そうではないかもしれません。 普通に考えると、AさんやBさんは、言語や知識、ものごとのとらえ方を初めとする社会の規則(広義の規範)を共有しており、それによってコミュニケーションが可能だということになるでしょう。 (これ以下、規範という用語は全て広義の規範で、道徳規範などよりかなり広い概念です。必要に応じて「広義の」と補いますが、広義ではない規範を扱うことはありません) ここで、こうした(広義の)規範を、観察するCさんを考えると、Cさんは規範を、コミュニケーションの接続としてとらえることになることが分かります。 あるコミュニケーションがあったときに、その次のコミュニケーションは、ある形で起きなければいけないということを決めるのが規範です。 一般に言えば、ある状況で、どのようなコミュニケーションが生まれて良く、そうではないのかを決めるのが規範と言えるでしょう。 こうした規範は、コミュニケーションが行われるあらゆるところに生じるものです。 たとえば、2人がコミュニケーションを取っているとき、そこで2人のコミュニケーションの規範があるわけですが、 これは、さまざまなレベルのコミュニティ、地域、国家、言語圏のコミュニケーションについて成り立つものです。 ここで、こうしたさまざまなレベルでのコミュニケーションのつながりを、それぞれ「社会」と呼ぶことにしたいと思います。
さて、社会の(広義の)規範、つまり言語や、ものごとのとらえ方、それをもとに、社会で共有されている知識は、社会にとっての世界全体だということもできます。 なぜなら、社会の立場から見れば、社会で共有されている知識やそれを支える見方、言語を含めた規範は、その社会における世界の全てであり、その外側というのはありえないからです。 また、社会を観察する人の立場からすれば、社会のコミュニケーションの全てを、そのコミュニケーションが行われた全ての状況とともに記述するのは不可能であり、それを厳密に行おうとすれば、世界全体を記述することになってしまうからです。 これは、「心」について議論したことと全く同じことになるでしょう。 こういった世界がさまざまなレベルで存在しているのが、社会だということもできるわけです。
(3) 心と社会 さて、先ほど、私は社会のコミュニケーションを論じるとき、「コミュニケーションを観察する人」Cさんを考え、そこから社会というものについて考えました。 ここで、(1)の説明より、Cさんが観察することは、全てCさんの世界で起きていることなのですから、社会はCさんの心の一部なのではないかという疑問が湧きます。 これはたしかにその通りで、社会はCさんの一部だということになると思います。こうした包含関係を、「観察関係」と言うことができます。 一方、Aさん/Bさん/社会の3つを観察するCさんから見たとき、Aさん/Bさんの心は、社会の規則にしたがっているということが分かります。 Aさん/Bさんがしたがっている規則は、一義的にはAさん/Bさんが今まで生きてくる中で、自分の世界で起きたものにもとづく規則ですが、AさんBさんの世界の中に社会があり、その規則にもしたがっているわけです。 その意味で、社会はAさんやBさんの心の一部でもあります。こうした関係は、観察関係の一部とも言えますが、Aさん/Bさんの心を、社会が拘束しているように見えるという意味で、「拘束関係」と言うことにしましょう。
このことは、具体的にどういう意味があるのでしょうか。 私たちは、さまざまなレベルの社会に属しているわけですが、そうしたさまざまなレベルの社会を、自分が生きていく上での規則として、自分の心の一部に持っています。 これは、私たちは何かを考えるとき、「これが社会に理解してもらえるか」という視点から考えるということに相当するでしょう。 たとえば、ある人が幽霊のようなものを見たとします。現代の社会の大人であれば、それを人に言うと、「非科学的なことを信じる奴だ」と思われるので、そうした考えをどうにかして否定しようとするでしょう。 かりに思ったとしても、他人には言わない場合が多いと思います。 ところが、100年くらい前の日本人だったら、「幽霊がいた」と本当に思い、他の人にもそう伝えると思います。 現代でも、「幽霊がいた」というのを信じるような人の中で生活している人は、本当にいたと思い、人にもそう伝える場合が多いのではないかと思います。 心の働きは、世界の中のさまざまな要因に拘束されているわけですが、そうして心を拘束するものの一つとして社会があるわけです。 (こういう社会の視点を、一般的には「客観的視点」とでも言うのかもしれませんが、「客観的」というのは多義的な言葉であり、単に対象をとらえるという意味もあれば、後に述べるグローバル化した客観性というのもあります。 ただ、一般に「客観的」と言われているものの一つが、こういう意味での社会の「視点」だということは言えるかもしれません。 ちなみに、このように書くと、この用語の意味について誤解した見当違いの批判を受けることになかもしれませんが、 明確に定義しないで「客観的」という言葉を使った批判は、全て見当違いです。。)
(4) 視点とモデル化 さて、説明の中で、私たちが社会の「視点」からものごとをとらえているということを書きました。 ここで、「視点」とは何なのでしょうか。 まず、「心」の方について言えば、たとえば「どうすれば食べものにありつけるかという視点」「どうすれば暖かさを得られるかという視点」「Aさんの視点」「ある社会のコミュニケーションに基づく視点」などがあるでしょう。 また、この中での「ある社会のコミュニケションに基づく視点」は、さらに社会の側のさまざまな視点に細分化されます。「社会」の方の視点としては、たとば、経済的な視点、法律的な視点、物理学的な視点などがあります。 ここでポイントになるのは、こうした視点が全て「閉じた」ものであるということです。 たとえば、「どうすればが食べ物にありつけるか」という視点から、ものごとをとらえると、あらゆることがその視点からとらえられます。恋愛すら、老後に安定した暮らしをして、「食べ物にありつける」ための手段とも言えるかもしれません。 一方、社会における「経済的な視点」からとらえると、恋愛や法律、信頼や裏切りも経済的な視点からとらえられます(cf. ゲーム理論など)。 すでに、「心」や「社会」が閉じたものであり、「世界」とでも言うべきものだというお話をしてきたわけですが、 要するに、こうした「視点」は、「心」や「社会」と同じように、「世界」というべきものであることが分かります。 考えてみれば、「心」というのも、こうした視点の一つであり、「社会」というのも視点の一つです。 私たちが「心」というときには、「心」や社会」が取り得る視点としての「心」が問題にされているわけだし、 「社会」というときにも同様に、「心」や「社会」が取り得る視点としての「心」が問題にされていることが分かると思います。
さて、ここでは、視点として分かりやすいものを取り上げましたが、さらに一般化して言えば、具体的・抽象的なものを認識するときには、「それをとらえるという視点」によって見ていることにもなるでしょう。 たとえば目の前にキーボードがあったとき、キーボードとはいったい何で、どのような意味でキーボードかということを厳密に記述するためには、世界のあらゆるコミュニケーションを知らなくてはいけませんが、 これは「キーボード」に注目したときに現れてくる世界だと言うこともできます。 このように考えると、心や社会がとらえるあらゆるものは、視点ということになるのですが、こう考えると視点の意味がかえって良く分からなくなってしまうかもしれません。 そこで、導入される概念が「モデル化」です。「モデル化」は視点の一つであり、視点(=世界)をある形で理解するための視点と言うことができるものです。 たとえば、「キーボード」で世界を説明することはできませんが、「経済的な視点」「法律的な視点」などの視点は、それをもとに、世界のさまざまな事象を説明することができます。 この場合、「経済的なモデル」「法律的なモデル」で世界を理解しているということができるでしょう。
ちなみに、こうしたモデルは、必ずしも世界の全てのものを説明している必要はありません。 「経済的なモデル」「法律的なモデル」は、人間の社会、コミュニケションを理解するためのモデルであり、 月の運動について説明しないことは明らかです。 また、こうした「モデル」の一つとして、科学の手法としての「モデル」もあるとも言えるでしょう。 いずれにせよ重要なのは、こうしたモデルが一つの視点であり、他の視点を否定するものではないということです。 いわば、「それに基づくとうまくとらえられる」というのがモデルであり、たとえば「人間社会の営みは全て経済の働きとしてとらえられる」ということ自体は、立証も反証も不可能なわけです。 ところが、いったんそのモデルをもとに対象を説明すると、それが全てであるかのように思えてしまうのです。 これは、視点が閉じているということから導かれる当然の結論でもあるでしょう。 ここで、こうしたモデルと区別されるべき特殊なモデルとして、「科学」というモデル(科学そのもの)があると言えるでしょう。 というのも、科学は、社会のコミュニケションのような限定した対象ではなく、世界全体を説明しようとするものだからです。
(5) 規範の固定化とグローバル化 人の心はさまざまなレベルでのコミュニケション、つまり社会に拘束されています。しかし、Aさんは、グループX(社会X)でコミュニケーションを取ることもできるし、グループY(社会Y)でコミュニケーションを取ることもできます。 たとえば、2ちゃんねるでは通用するコミュニケーションが、他の場所では通じなかったりするし、逆も同じです。 一人に人間がそうしたコミュニケーションを自由に選べるとき、(言語や知識などの)社会の規範は相対的なものとしてしか意識されないでしょう。 ところが、ある集団で物語…集団の起源についての物語や、自分たちを守ったり脅かしたりする神についての物語…が語られるようになると、 私たちは常にそうした社会の規範を参照しながらものごとを考えないといけなくなります(空間的な規範の固定化)。 こうなると、その社会に生きる人にとって、社会の規範は単に相対的なものではなくなってしまうわけです。 また、こうした物語は、原初的には「語られる」ものであり、時間とともに変遷していくものだったわけですが、それが「文字」を通してのものとなると、また状況が変わります。 文字は時間を超えて残り、規範として働いていくものだからです(時間的な規範の固定化)。 ただし、社会の規範がいかに固定化したとしても、それがあるレベルでの社会について成り立っている限り、相対的なものでしかありません。 地域の中の規範は、地域の外に出たら通用しないし、ある国の規範は、その国の外に出たら通用しないものです。 すでに見てきたように、さまざまなレベルでの社会は、それぞれの社会にとっての「世界」を構成しているわけですが、 これに対応して、一人一人の人間は必要に応じてさまざまな視点を取ることができます。 比喩的に言えば、さまざまなレベルの社会の規範の象徴としての「神」をもとにしたコミュニケーションが多元的に存在し、人はそうしたさまざまな「神」に基づいたコミュニケーションを行うことができるということです。
ところが、現代では、こうした状況を覆すことが起きてきます。それが、グローバル化と科学の出現です。 「科学的コミュニケーション」は分野的に細分化されながらも、国や地域によって分断されない、新しいコミュニケーションをもたらしました。 私たちの多くはそうした(広義の)規範にもとづいて生きていると言えます。 科学的な教育を全く受けていない人々でも、病気の時は「科学」の力で治ると信じているし、科学の力でテレビが映ると思っている。 こういった現象は「科学」に象徴されるものではありますが、厳密には科学に限ったことではなく、倫理や文化についての規範(文化についての(広義の)規範の例として音楽や服飾のトレンドがあるでしょう)が、グローバル化しているといった現象にも見られます。 つまり、現代においては、「人類」という大きな、コミュニケションの単位、社会があり、そこでの規範にもとづいてものごとがとらえられる傾向にあるのです。 こうした社会を「人類社会」とでも言うことができると思います。 現代において、私たちがナイーブに「客観的」というとき、こういう人類社会における、普遍的(かのように思える)規範が前提になっていることが多いでしょう。 さまざまなレベルの社会の規範が相対的に存在している状態を、「さまざまな神に基づくコミュニケション」と譬えるとすると、 こうした現代の状態は、比喩的に「たった一つの神に基づくコミュニケション」とでも言うことができるかもしれません。
さて「人類社会」のコミュニケションの重要な要素として「科学」があります。 ここ2ちゃんねるでの議論も、また、私自身の思考も、そうした規範に基づいているわけですから、 科学的事実に反することは受け入れられないだろうし、私自身そのように考えることはありません。 私のこの議論の出発点も、科学を初めとするグローバル化した規範(コミュニケションの規則)に基づくしかないのです。 決定論についての議論は、中途半端に書くと誤解を招くので、元レスに譲ります。 このレスは、前スレ728-732の議論から派生して出てきた問題、特に、732で「私」モデルと呼んだ考え方がどういうものなのかということについて説明するものです。 一応、元のレスとは関係なく読めるようになっていますが、特に決定論との関係で批判をしていただく際は、元レスから読んでください。 補足:いくつかの用語に独自の定義をしているので、途中から読むと、誤解や見当違いの批判を招くだけで、ほとんど意味がないと思います。特に、「社会」「心」など…。 特に混乱を招くのは、「規範」という言葉かもしれません。この言葉を通常と全く違う定義で使っているので、ご注意ください。
>>263 先ず、主義主張、段落毎に、結論から先に書けよ。
それと、エクスキューズが多すぎ。
考えながらの饒舌な書き殴りを読む気にはならん。読んだけど。
277 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 02:55:15
韋駄天かw
278 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 23:20:52
ながたっらしい中身のない書き込みで埋もれたからもう一度
>>259 も
>>260 もそうかかれることは決まってたんだろう
さあ、おまえらが書くことにきまってることを書いてみろよ
見てるひとがなるほどきまってると思うか、なるほどこいつらはへんなやつらだと思うか決めてやるからよ
>>278 数行で言いたいことが言えるなら哲学書なんて要らないわけで
きみのような人が立派な哲学者と呼ばれるような世界も
ドラえもん的にはどこかにあるかもしれないね
280 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 23:40:09
>>279 あ〜た こんなつまらない事を 2007/01/02(火) 23:35:38 に書くよう決まってたとは (ノ_ _)ノ
281 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 23:42:05
>>280 映画のシーンの町の脇のゴミがそうであるように決まっているように、
ゲームの雑魚キャラのテクスチャの1ドットが決まっているように、
この世のすべて、どんなくだらないことであってもすべて決まっている。
282 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 23:43:21
決定論を否定することは原理的に不可能。非決定論は論理的に存在することが不可能。
>>263 >今年もどうぞよろしくお願いします。
ふざけんな。
お前がやっていることはスレ荒らしと同じだ。
ここはお前の日記帳でも発表会の場でもない。
自分のしたい議論をしたいなら、別の専用スレ立ててやってくれ。
立てれないなら俺が立ててやるから、テンプレ用意しろ。
原理的論理的って呪文みたいに繰り返されてもね・・・。 そこんとここそちゃんと説明しなきゃ。 説明が納得いくものなら「なるほど、納得しました」って書きこむからさ。
285 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 23:49:39
>>281 137億年前から決まってたんでそ?
あははははw
↑
この「は」の数、何回書き直したと重います?
↑
わざと打ち間違えようかヤメようか
何回逡巡したと思井ますかw
↑
これ、え?もういい?
「わかりますたw』】
がははははw !!
286 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 23:51:45
↑ これ137億年前から決まってたそ〜です ^^;
ここは決定論者のふりをして決定論を馬鹿にするスレですか?
285は馬鹿な子として生まれてくるという事は確実に決まっていた。
287も馬鹿だという決定が下されました
>>284 理解できないバカに懇切丁寧に教える必要も無いだろ。
まともな反論とかが出てきたら、そのときに叩き潰すまで。
>>289 だれが決定を下すの?
それって決定論?
292 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 00:20:03
そこまで決定論信じてるのはわかった。 で、動物占い と 細木数子、 どっち が 好き?
決定論者は馬鹿だという決定がくだされますた
294 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 00:27:48
・;wペオル2:3op48ry ti17g;o:\acrjo;2{#`Ro^[3,2r0,¥− 「すんません、決まってた揉んで、、」 (^_^;) トメラレン カッタ
295 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 00:30:26
>>282 >非決定論は論理的に存在することが不可能。
論理的に の意味がわからんが、
非決定論を仮定すること可能だと
>>295 非決定論は、非論理的ってこと。非論理的の意味がわからないなら、どうしようもない。
あと、非論理的なことを仮定するのは可能。
297 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 00:37:56
>>296 んじゃ、非決定論を否定することは原理的に不可能。 でいいね
>>297 非決定論は、そもそも論理的に存在しえないもの。原理的にも何も、論理的には既に否定されている。
299 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:04:35
>>298 >非決定論は 仮定するのは可能。
> 論理的には既に否定されている。
???
300 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:05:33
決定論が非論理的っていうのがおかしいことは
>>245 で解決済だろ
301 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:08:02
間違った 非決定論が非論理的っていうのがおかしいことは(以下略)
まあ決定論が正しいんだろうな。
>>302 正しいだけで何の役にも立たないけどな。w
1+1=2みたいなものだし。
304 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:26:26
>>302-303 なら決定論の具体例を1例だけ挙げてみて
まさか一つの事例も示せないものを正しい’なんて言ってないよね
305 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:27:55
>>290 逃亡おつかれ。
きみさあ、前スレでも「決定論を否定することは原理的に云々」言ってた
やつがいたけどそいつと同一人物でしょ?
「論理は差異で構築されてる」だとか、失笑もののレスしてたから放置してたけど、
猿並の脳のくせして断言口調で連呼してるとこみると突っ込みたくなるんだよね。
>>304 具体例も何も、存在するものすべてがそうなのだから、
それに反するものがあるなら、一つでいいから出してくれ。
決定論に反するものはこの世に存在しないんだから。
307 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:33:17
唯物論者の99%は低能。まあ決定論者よりかはマシだけどね。
>>306 それは詭弁だろwサンタが存在するのか?
>>307 そういう書き込みが一番低脳だと思うけど。
310 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:34:48
決定論て「決定感がある」に過ぎないんじゃネw
>>308 悪魔の証明と同じで、無いものは証明できない。非決定論の論理的システムはないんだから。
313 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:39:36
>>306 存在するものすべてが決定論に従ってるんだから事例には事欠かないよね
出し惜しみしないで出してくれ、一つでいいからさ
314 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:39:46
>>306 きみさあ、存在するものの「生起のしかた」についての
考え方である決定論について語ってるのに、
>存在するものがすべて決定論
・・・てどういう意味?
なんの説明にもなっていし。
決定論者はなんでこんなに低能ばっかなの?
317 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 01:49:12
ていうか、カントすら踏まえないで決定論とかその気になって語ってるのが笑止なんだよね。 あまりにレベルが低すぎる。
>>317 カントとか関係ないし。決定論を論理的に否定できた人は存在していない。
319 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 02:28:05
>>318 きみさあ、決定論を主張したいんなら、主張する側がその論拠をまず提示するべきなの。
論拠を提示しない限り、否定するもなにもあるわけないでしょ。
「宇宙人は存在する」って声だかに叫ぶやつがいたとしてて、
「論拠は?」て聞くのと同じ。
それに対する返答として、
「宇宙人が存在しないことを論理的に否定したやつはいまだいないから」
「宇宙人が存在しないことをそっちが先に証明しろ」
って、バカじゃねーの?てことになるでしょ。
要するに、決定論を疑義を呈したからといって
非決定論を支持したことにはならないわけ。
320 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 04:50:53
まったく、最低限中卒程度の日本語能力を養ってから議論に参加してほしいよね。 日本語のレクチャーからしなきゃならないのかよ。
>>319 よくある話ですよねそれ
えーあー反証可能性、だったっけ
322 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 04:51:19
>>315 >>318 「具体例」や事例の意味も知らんのかアホw
「どれ(も」というのは代名詞であり、抽象表現なんだよ
わかったらサッサと1例だけでいいから出してみ
決定論に基づいて「いつ、どこで、誰が、何を、どうした」のよ?
「分かりません」も言えずに強弁して切れてんじゃね〜よタコw
>>319 逆だろ。決定論はどんな差異にも原因があるってことだから、
同じ状態から違う状態になることを非決定論が示せばいいだけ。
324 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 04:52:51
>>315 >>318 「どれ(も」というのは代名詞であり、抽象表現なんだよ
「具体的事例」の意味も分からんのかドアホw
わかったらサッサと1例だけでいいから出してみなよ
決定論に基づいて「いつ、どこで、誰が、何を、どうした」のよ?
「分かりません」も言えず強弁だけして切れてんじゃね〜よタコw
>>319 >「宇宙人は存在する」って声だかに叫ぶやつがいたとしてて、
逆。決定論を叫ぶのは、「宇宙人は存在しない」という主張に近い。
>>319 >「宇宙人は存在する」って声だかに叫ぶやつがいたとしてて、
決定論=宇宙人は存在しないって叫ぶやつ
327 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 04:55:01
>>315 >>315 「どれ(も」というのは代名詞であり抽象表現なんだよ
で、「事例」とは具体例を指すぐらいのこと知っとけ
もう一度聴くが決定論に基づき「いつ/何処で/何が/どうなった」んだ?
「分かりません」でもいいが強弁だけして切れてんじゃね〜ぞコラw
328 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 04:55:17
みなさん、あけましておめでとうございます。 新年早々、ニートなりに考えてみました。 単細胞生物って分裂するよね。Aという固体がaとbという固体に別れたり・・・ で、単細胞生物って人間の祖先なわけだろ? うんで、上の状況は誕生なのか死なのか?どっちなんだろうと。 将来、脳移植とか臓器の人工増殖とか出来るようになったら、これと同じ状況に 人間はいわば先祖帰りするわけでさ、これどうするんだろうな。 人間の数と死(誕生)の数とが合わなくなったり・・・うんじゃ「死」とは なんだったのか?とかさ。 もう理論的には、そういう問題が予期されてるってすごくね? つーか予期できちゃってる時点でそれはすでに現在の問題だよな。
329 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 05:30:02
みなさん、あけましておめでとうございます。 新年早々、ニートなりに考えてみました。 単細胞生物って分裂するよね。Aという固体がaとbという固体に別れたり・・・ で、単細胞生物って人間の祖先なわけだろ? うんで、上の状況は誕生なのか死なのか?どっちなんだろうと。 将来、脳移植とか臓器の人工増殖とか出来るようになったら、これと同じ状況に 人間はいわば先祖帰りするわけでさ、これどうするんだろうな。 人間の数と死(誕生)の数とが合わなくなったり・・・うんじゃ「死」とは なんだったのか?とかさ。 もう理論的には、そういう問題が予期されてるってすごくね? つーか予期できちゃってる時点でそれはすでに現在の問題だよな。
ごめんなさい。なぜか連投になってしまいました
いいんだよー
332 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 05:54:18
なんでこんなスレがこんなに伸びてるの? 脳が物質で意識は動物にも生成するなんてのはあたりまえじゃん。 こんな指摘のなにがおもしろいの? >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により >決定されております。 これはさっぱりわからん。意思を決定するのは記憶なんかの脳に蓄積された情報と その時々の状況による偶然性に決まってんじゃんw 脳それ自体に決定力などない。情報の蓄積能力や伝達能力があるにすぎん。 ゆーなれば脳がPCで意志がアプリケーションってことだ。
あらかじめ物理・化学法則により決定されているのだとすれば、それは法則性なわけで 法則というすでに捉えられたものである以上恣意的に、外的に制御することで結果を コントロールできることになる。 したがって、そこをもってして、それを決定論とするならば決定論であるがゆえに、 決定性を失うことになる。
スレタイって決定論というか結果論じゃね? そもそも決定論自体、詭弁くさい。
>>319 ではないんだけど、
>>323 一行目と二行目の繋がりがよくわかんないよ。
>決定論はどんな差異にも原因があるってことだから
これは非決定論も一緒じゃないの?
決定論と非決定論の定義つうか違いはなんなの?
>>325 >>326 >>319 さんが言ってるのは「存在する」でも「しない」でもどっちにしても
主張する側が論拠を提示すべきってことでしょう?
常識で判断できるようなことについては非常識な主張をする方が論拠を提示すべきだけど、
決定論とか非決定論はそういう判断ができないでしょ。
>>336 宇宙人が存在しないことをどうやって証明するの?
「原因によらない結果」がないことの証明だって無理でしょ。
決定論は証明できる問題じゃないよ。
原因によらない結果があるなら、それを示せばいいと思うよ。
338 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 13:32:17
>>337 だから原因てなに? 結果てなによ?
それわからずに書いてるだろw わかってるなら答書いてみて
>>337 決定論が正しいとか証明できるとか以前の問題なんだよ。
原理的に否定できないとか論理的に不可能とか言うその中身を決定論非決定論の定義と共にちゃんと説明してくれなきゃ、言いっぱなしじゃ無くてさってこと。
なんつうかマナーの問題?
光速不変とか 空間の均一性とか エネルギー保存とか の物理原則がでたらめなのよ 原子もすべて同じ均一ではないだろうしな 理論と現実のバランス感覚をとりもどしたほうがいいぞ
341 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 13:52:18
さぁ、そろそろ137億年前から決まってた
>>337 のレスが来るぞ
(いや来ずに逃亡も137億年前から、、?
↓
342 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 15:07:28
>>336 >
>>319 さんが言ってるのは「存在する」でも「しない」でもどっちにしても
> 主張する側が論拠を提示すべきってことでしょう?
その通り。
>>325-326 とか、あまりにアレなレスで辟易。
>>323 は例によって日本語が不自由な人だし。
343 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 15:15:20
>>337 宇宙人が存在しないってことを証明することは至難だろうね。
だから多くの人は、宇宙人の存否に関して「判断保留」の立場をとるんだよ。
だからこそ、「宇宙人は存在しないことが論理的に証明された」って
声だかに主張する人がいた場合、「その論拠は?」って当然疑うことになる。
このとき、もちろん尋ねる側は宇宙人の存在を肯定する立場を表明してるわけではない。
決定論/非決定論に関しても事情は同じ。
決定論を断言的に主張する場合、論拠を示さないと議論にならないでしょ。
「証明不可能」っていうなら、それはまさに懐疑派の立場になるわけなんだけど。
それとも「証明不可能だけど、断言できる」って?それならそれは電波宗教だよ。
344 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 15:22:44
宇宙の運動により人類が滅亡させられるのと 人類が宇宙運動を制御しその危機を回避するのとどっちが先だろ? もし後者だと決定してたらここでの話は大笑いなわけだが・・ 人類にその可能性の十分ある事を歴史は既に示している・・かな
>>343 >宇宙人が存在しないってことを証明することは至難だろうね。
じゃあ、「ドラえもんが存在しない」でいいよ。
>>338 >だから原因てなに?
時刻tにおける宇宙の状態
>結果てなによ?
時刻t + x における宇宙の状態。 (x > 0)
347 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 20:15:50
>じゃあ、「ドラえもんが存在しない」でいいよ。 相手にだけ悪魔の証明を突きつけるテクか? おまえにもそっくりそのままお返しするわ。すべてが決定論だと証明してくれ。
>>347 >相手にだけ悪魔の証明を突きつけるテクか?
別に証明しなくてもいいし。どうでもいいよ。
原因のない結果などないから、非決定論を主張する奴はバカだと俺が思うだけ。
もちろん非決定論者が、決定論を主張する俺をバカだと思うのもOK。
それは決まっていたことだからね。
349 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 20:26:55
>>348 >原因のない結果などない
1つ実例をあげてみてよ
根拠を示すのでもいいけど
350 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 20:58:57
決定論者って自分で自分の首絞めてるよね。 決定論云々はわからない、ではあきらめが早いというんだろ? でも、そうやって決定論信じることによって、自分やすべては決定されている、 とある意味あきらめるというw自己矛盾さw
>>349 原因のない結果があるなら示せばいいだけ。
あらゆることに原因がある。
このスレのこの書き込みもそう。
>>350 >とある意味あきらめるというw自己矛盾さw
違うよ。どんなことにも原因が必ずあるとして、諦めないんだよ。
353 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 21:17:47
>>346 時刻tにおける宇宙の状態って何? それって空論ですらないだろう?
>>353 >時刻tにおける宇宙の状態って何?
それがわからない奴にまで説明できる能力は俺にはない。
申し訳ない。
355 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 21:39:44
>>351 >>354 >あらゆることに原因がある。このスレのこの書き込みもそう
どれが結果でどれが原因だと言ってるの?
結果の在ることをもって原因の証明としてないか、おまえw
>説明できる能力は俺にはない
あはははw たった1つの原因結果の事例も知らないノ〜タリンが
それら事例を束寝る事も分解する事もできっこないだろw
356 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 21:40:12
この糞スレいつまで続くの?
357 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 22:03:52
>>352 違うよw きみの立場では
>どんなことにも原因が必ずあるとして、諦めないんだよ。
と決定していたとなる。 ということは、
自分で自分のそれ以外の可能性を否定して諦めたことになるw
>>357 >自分で自分のそれ以外の可能性を否定して諦めたことになるw
意味わからん。
決定論でも、未来のことは誰もわからないし、
事象の把握の仕方として可能性はある。
諦めず努力するのも決まっている。
359 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 22:58:56
>原因のない結果はない この表現からして馬鹿丸出しなんだよね。 「結果」って概念自体、原因を前提として成立する言葉なんだから、 この表現はまるで無内容ってこと。 いま決定論を主張してる低能があまりに表現力に欠けてるから代わって翻訳してやると、 「世界は自然法則による因果の鎖によって貫かれているから、 因果律によってすべてが決定してる」ってことを主張したいんでしょ。 これってカントの第三アンチノミーのアンチテーゼそのまんまなんだよね。 だからこそ、カントすら踏まえずに決定論を語るのは無知丸出しなんだよね。
>>359 別にカントを知る必要は無いと思うが。カントが生まれる前の時代でも哲学はできるわけで。
カントを知ってるか否かも決定済み
362 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:07:07
決定しているかどうかはともかく、
連続した事象として、因果関係は認められるのでは?
>>359
363 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:10:35
>>362 自然界では因果律に支配されてるよ。
でも因果律の支配を主張すアンチテーゼに対して、
第三アンチノミーのテーゼは「自由による原因」を想定する。
自由意志を究極原因として想定しることもできる。
で、このテーゼとアンチテーゼの対立を英知界、自然界って区分によって克服するんだよね。
要するに、自然界では因果律にしたがって現象が生起するけど、
時間規定に関わりのない英知界では、絶対的始めとして
自由を想定してなんら矛盾はないってこと。
決定論を主張してる低能は最低限この程度は踏まえた議論をしないとね。
364 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:15:06
>>363 僕らの脳は、自然界にはない、と・・・?
僕らの脳は、自然界を逸脱し、その因果の支配を脱し、
自由に飛翔できる、と・・・?
365 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:18:06
>>364 物質としての脳は自然界に属するに決まってるだろ。
カントの著作において「脳」なんて言葉まったく見たことないけどね。
カント脳について語ってるんじゃないんだから。
自由と自然必然性について語ってるんであってさ。
366 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:20:05
>>365 カントなんか関係ないw
我々の脳は(意識・心は)、制限・影響を受けずにいられるのかどうか?
ってことでしょ?
367 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:22:29
>>366 はあ?
なに言ってるの?
いま現在の議題は、決定論についてだよ。
336あたりからずーーっとそうじゃん。
なに脳云々言い出してるの?
368 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:24:30
因果関係と自由について語るんなら カントくらい踏まえろよって話なんだよね。 事実、決定論を主張してるやつが 第三アンチノミーに示される典型的な誤謬に陥ってるわけだから。
369 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:26:10
そうか。 失礼した。
誤謬する自由 誤謬せざるを得ない不自由
371 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:30:12
>>364 >僕らの脳は、自然界を逸脱し、その因果の支配を脱し自由に飛翔できる、と・・・?
同じいうなら「いつ宇宙は僕らの脳の支配下に置かれるか」のがスマートじゃネ?
372 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:32:40
>>368 >第三アンチノミーに示される典型的な誤謬に陥ってるわけだから。
その根拠または証拠は?
>>368 >因果関係と自由について語るんなら
自由について語った覚えは無いが。
世界に因果が成立しているのは仏教の時代からわかっていること。
375 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:38:56
>>373 カントを知らないと話にならないから、まずはカントのお勉強から始めてね。
>>374 決定論と自由(意志)は裏表の関係にあるわけ。
決定論について語るということは、自由を否定することと同値であり、
よって決定論を主張することは自由について語ってるのと同じってこと。
376 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 23:42:12
自由かどうかなんて 結局、どこからが自由で、どこからが影響下にあるか の定義次第なのかな?(´・ω・`) 決定論は後出しジャンケンだからスルーが吉だと思うけど、 自由意志は、その線引きしだいで如何様にもなるんじゃないかな?w
>>375 悪いが、俺はカントを認めないし、学ぶ気もない。
俺の哲学をここで続けるよ。
文句があるなら、カントに頼らず論破してみることだ。w
>>375 >決定論について語るということは、自由を否定することと同値であり、
>よって決定論を主張することは自由について語ってるのと同じってこと。
そんなことはない。自由の定義による。
決定論と自由が両立する両立論もある。
デタラメを言う前に、キミのいう自由とは何かを定義してくれ。
>>376 意識は脳から自由ですか?
脳は、それを構成する物質とその物理法則から自由ですか?
381 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 00:03:07
>>378 「自由意志とは自由感のことだ」とか主張してた電波な人?
通常哲学上で「自由」っていったら、そのまんま「自由意志」と換言しうるし、
自然法則に束縛されない形で行為しうる能力を指すんだけどね。
なにが両立論だよ。
ごく一部が用いてる定義を一般的定義として扱うほうが
ズレてるじゃん。
382 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 00:05:32
>>381 >自然法則に束縛されない
そんなことがありうるの?(・∀・;)
>>381 >自然法則に束縛されない形で行為しうる能力を指すんだけどね。
え?なにそれ?超能力って奴?
つーか、具体例を出してくれよ。
384 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 00:09:19
>>382 ありうる、考えられうる。
というかそう考えても矛盾はきたさない。
自由意志、すなわち絶対的始めとして行為する能力があるならば、
それは自然法則の因果律に束縛されていない形で
なされなければならないでしょ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97 また別の哲学者は、決定論と自由意志は両立可能であると考えた。
これは両立主義(りょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。
多くの両立主義者にとって、自由であることは、「その個人が意志したとおりの行為をなしうる」ということを意味する。
この立場は両立主義の典型である。
ホッブズのような両立主義者は一般に、人が行為を意志しその人が意志したならば別様に行為することが(仮言的に)できただろう場合にのみ、
人は自由に行為する、と主張する。
彼らはしばしば、強姦、殺人、強盗、等々といった誰かの自由意志が否定される明快な事態を指摘する。
この事態のカギは、過去が未来を決定しないという点にでなく、侵害者が犠牲者固有の行為についての欲求や選好を無視するという点にある。
侵害者は、犠牲者の意志に反する行為を強いる。
決定論は問題でなく、我々の選択が我々自身の欲求や選好の結果であり、いかなる外的な力によって(あるいは内的な力によってですら)も無視されない、ということが重要なのである。
386 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 00:10:39
>>383 はあ?
具体例?
自由に関する問題は純粋に形而上学的な問題なので、
少なくとも経験界に実例は求められません。
低脳の頭で理解できるかな?
387 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 00:11:37
>>385 >多くの両立主義者にとって、自由であることは、
>「その個人が意志したとおりの行為をなしうる」
だからその定義が通常の使用法からズレてるって言ってるんだけど。
理解できないの?
>>384 でも、スケール的に大きく、自然法則に逆らったことができた現象は一度もないのだけど。
束縛されているとしか思えないが。
意識の力で太陽とか消せるなら別だけど。
>>386 じゃあ、形而上でいいから、自由が発生する仕組みを定義してよ。
>>387 >だからその定義が通常の使用法からズレてるって言ってるんだけど。
ズレてないよ。キミがズレているのでは?
391 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 01:20:57
>>386 語るに落ちとるなw
>少なくとも経験界に実例は求められません。
イミナスw
392 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 02:35:00
>>380 >意識は脳から自由ですか?
脳の生み出した増設進化を続ける文化・文明的外部装置(警察/病院/法/PC等)
のおかげで無理やり薬物飲まされる心配も無いし殆んど自由なんじゃネ?
実際問題ないだろ平均余命への到達をはばむ危険なんてw
脳は物質だから意識は必然に過ぎない X 脳は物質だから意識は物質の世界で自由である 個々が好き勝手に意識することで多様性ができ、繁殖力が高まるしくみなので 個の意識は必然的に自由 必然が揺らいだからこそ、この世があるわけで、必然的に必然も必然性を帯びない
394 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 03:56:46
>>391 きみさあ、形而上学って学問知ってる?
神の存在について考える場合、経験的に神が確認できるかどうかで判断するの?
猿並みの脳で理解できるかな?
395 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 03:58:15
>>389 >自由が発生する仕組みを定義してよ
はあ?
「仕組みを定義する」?
きみはまず中学校の国語の勉強からやりなおしてね。
396 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 04:04:59
そもそもこのスレなぜ立てた?非決定論なんて量子力学なきゃ崩壊してたろ。 実際 決定論有利だったんだし。 量子力学できたから非決定論が盛り返したんだろ。 てことは、その流れに釘をさしたいわけか?
397 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 04:08:43
つーか量子力学でいう、決定論的解釈?と多世界解釈あたりの戦い に近いんでは? 正直詳しくないし、コペンハーゲン解釈は微妙にまた 違う話のような気がするし。。 でも大体そうだと思われ。
398 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 04:34:54
で、科学会では多世界解釈は劣勢なんだし、
>>1 がいきり立つまでも無いことと
思われるが?
ちなみに自分の判断だと 多世界解釈はあらゆるものから自由な神、
あるいはアニミズムのような神観で成立すると思われ。マクロには決定論的だが、
完全に決定されるのではなくミクロには世界は分岐している
>>396 >量子力学できたから非決定論が盛り返したんだろ。
別に盛り返していないよ。
量子力学(コペンハーゲン解釈)は波束の収縮(と呼ばれる現象)の原因を知ることを放棄しただけであって、
そこに何らかの原因があることを否定するわけではない。
したがって、決定論がそれによって否定されることもない。
エヴェレット解釈では、波束の収縮を入れる必要が無く、すべて決定論の範囲で片が付く。
コペンハーゲン解釈もエヴェレット解釈も結果は全く同じだが、
計算手段と余計な概念を導入する必要がないことから、
物理学では、エヴェレット解釈の方が有効。コペンハーゲン解釈では役に立たない。
401 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 05:22:28
>>399 いや、多世界解釈でもポパーの傾向性解釈よりの立場b
402 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 06:49:52
このスレって変態スレだな。 決定論、非決定論は形而上学ぬきで、科学のみで話せば 決定論にしかならないときまってるのに、 それを知らない人が釣られるの待ちかまえて 釣られたら、形而上学なしで科学限定で話して決定論勝ったと悦に入るという。。。。 まーそれがわかったからいいや (知らずに来る奴可哀相に)
>>399 物理学だと、シュレーディンガー方程式が計算のために重要なだけで、
多世界解釈とコペンハーゲン解釈との間の理論上の優劣なんてないよ。
404 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 10:47:28
>>402 書くと決定してた内容がそんなつまらん事だったとはつくづく哀れだねオマイもw
>>402 で、決定論を矛盾なく全て説明できる科学とやらが、現実に存在するの?そんだけの話だと思うよ
とりあえず、物理を前提にするのであれば、世界は非決定論的であることにしとかないと、
相対論ができた時代から、なあんにも進歩してないことになると思うよ
これだけの内容じゃ意味ないから俺流の現実についての解釈でも書いとくよ
人が世界を原理的に正確には測定できない(運動量と位置を決定できない)ことについて、
人の視点から世界は決定されていない、ということにしてるんだと思うよ
(
>>57 に書いてある、「経験事実に対する視点」みたいなもん)
世界は決定されているけど、人が世界を原理的に正確に測定できないから、人には決定できないだけ、
という主張だけでは、なあんの進歩もえられないと思わない?
(それが分かってて局所的な隠れた変数なんてもんを持ち出したんだと思うし)
人の視点から世界は決定されてないということにすれば、とりあえず、うまく説明つくだろう、ということにしたんだと思うよ
世界は決定していると信じていている人にとっては、妥協だと感じるかもしれないけどね
もともと、決定的になるように記述しようとしてるわけだし
(EPR の場合は非局所的相関で、量子論は正しいかもしんないけど完全なシロモノではない、といいたかったんだと思うけど)
で、実際のところ、人の視点から世界は決定されてないことにしといたほうが、
現実として合理的に説明ができてるということだと俺は思うよ
(局所的な隠れた変数については、ベルの不等式の破れ、コッヘン‐シュペッカーの定理、
とか色んな意味で否定されていると思う(局所的な隠れた変数の導入で世界を説明するのは無理)
非局所的な隠れた変数がなんとか息を潜めてる程度じゃないの?なかなかうまくいかないみたいだね)
で、このスレの流れの中で話されてるような決定論はただの妄想だと思うよ
予測も追試もできないような仮説が受け入れられるのは困難だと思うけどね
原因があって結果があるなんて、その辺の子供にだって主張できると思うよ
>で、実際のところ、人の視点から世界は決定されてないことにしといたほうが、 >現実として合理的に説明ができてるということだと俺は思うよ そうかな? 決定されていないはどう考えても飛躍だろ。 非決定論者が言えることは、 「決定されているか、されていないかわからない。」 「何によって決まるのかわからない」 が限界だと思う。 知らないことと、決まっていないことの区別ができていないと思われ。 根拠なく結果が生じるなら、宇宙3秒前創造説だってありになる。 哲学的には、そういう世界の可能性はあるだろうけど、 独我論と一緒で、価値のない論だと思う。 実際のところ、すべての結果には、それに対応する原因がある(=決定論が成立している) としても問題はないと俺は思う。
>>346 この認識自体がなぁ、
ある時間の宇宙の状態は原因でもあり結果でもあるという事だからなぁ・・・
曖昧だわな
>>408 >ある時間の宇宙の状態は原因でもあり結果でもあるという事
実際そうじゃね?
現在は、過去から見れは結果だし、未来から見れば原因だし。
>>409 だから実際には、『原因』や『結果』なんて、どうとでもとれる曖昧な認識だろって
>>410 というより「状態」に対する視点の違いだろ。位置だってそういうものなのだし。
>>407 > 知らないことと、決まっていないことの区別ができていないと思われ。
あたりまえだと思うよ、そんなん
区別できる人なんて、今のところ、この世にいないと思うよ
でも、とりあえず、そういうことにしておかないと物理という学問の営みが停止してしまうと思わない?
>>405 > 世界は決定されているけど、人が世界を原理的に正確に測定できないから、人には決定できないだけ、
> という主張だけでは、なあんの進歩もえられないと思わない?
にも書いたけど、無理なもんは無理だという主張では、なんにもできないと思うよ
だからこそ、俺は、
>>237 > 人が「世界」を完全に予測できないかいぎりは、
> 人の論理では、どっちだか分かんない、というので充分だと俺は思ってたりする
のように考えてるわけだし
> 実際のところ、すべての結果には、それに対応する原因がある(=決定論が成立している)
> としても問題はないと俺は思う。
これだけでは主張になんの中味もないと思うよ
「科学」という言葉を使うのであれば、
予測と追試が最低限できなければ、お話にならないと思うよ
>>411 では、決定論というのは一つの状態を違う視点で述べたものを、
繋ぎ合わせただけということになるな。
「ある状態」は「ある状態」だ
というだけの事だ。
>>412 >区別できる人なんて、今のところ、この世にいないと思うよ
区別できる事象もあるだろ。
例えば、殺人が起こり、犯人が誰かはわからなくても、
犯人(本人や事故を含めて)がいることは確かだ。
知らない=決まっていないというわけではないよ。
>でも、とりあえず、そういうことにしておかないと物理という学問の営みが停止してしまうと思わない?
これは、逆で、どこかに原因があるということにしておかないと、
物理という学問の営みが停止してしまうと思う。
>>412 >これだけでは主張になんの中味もないと思うよ
いやキミが中身がないと思うのは自由だよ。
その主張に中身があると見なすかどうかは、人それぞれだ。
それを他人に押し付けてはならないと思うね。
>「科学」という言葉を使うのであれば、
決定論が科学だというのは聞いたことがない。科学は決定論の中にあるだけだし。
>>413 決定論では、ある状態から、ある状態の遷移には、
(人が知っているかどうかは別として)法則がある。
>>414 >>415 > 区別できる事象もあるだろ。
> 例えば、殺人が起こり、犯人が誰かはわからなくても、
> 犯人(本人や事故を含めて)がいることは確かだ。
> 知らない=決まっていないというわけではないよ。
定量的な観測事実と全く関係がないと思わないの?
それは「科学」とはなんの関係もない主張で、
ただの詭弁だと思うよ
> これは、逆で、どこかに原因があるということにしておかないと、
> 物理という学問の営みが停止してしまうと思う。
人の思考の問題であって、
科学のモデルが決定的か非決定的とは関係ないと思うよ
それは「科学」とはなんの関係もない主張で、
ただの詭弁だと思うよ
とりあえず
> 「科学」という言葉を使うのであれば、
> 予測と追試が最低限できなければ、お話にならないと思うよ
これができないなら、会話は停止するよ
無駄だし
>>417 >それは「科学」とはなんの関係もない主張で、
決定論は科学じゃないよ。科学や論理が成立することの前提に置かれているだけ。
>>417 >無駄だし
うん。キミにとっては無駄だと思うよ。
>>418 なにをいまさら、おっしゃるの?
>>402 > 決定論、非決定論は形而上学ぬきで、科学のみで話せば
> 決定論にしかならないときまってるのに、
とかなんとか、いっちゃってるクセに
じゃあね(バイバイ
>>420 バカじゃねーの?402は俺じゃないっつーの。
とりあえず名無しも議論するときはコテ付けろ。
>>422 まあ、それが信仰なら、他のどんな論だって信仰だよ。
この世界がマトリックスの世界ではないとは誰も証明できないわけで。
「桶の中の脳」が、論理的に正常に動いている保証など何もない。
>>425 そうじゃなくて論は全部信仰だろ。今更過ぎる。
>>427 全部信仰なら、信仰と呼ぶ必要すらないと思うが。
信仰でないものなんてないのなら、信仰と呼ぶことで何かを区別しているわけでもない。
情報量0だ。
>>425 法則を見出すときに恣意が働かざるを得ないと思うんだけど、どう?
>>428 全部決定なら、決定と呼ぶ必要すらないと思うが。
決定でないものなんてないのなら、決定と呼ぶことで何かを区別しているわけでもない。
情報量0だ。
>>429 人間がモデルとして捉える法則はそうだね。
でも、その行為自体(脳を動かしていると思われる)を成立させている法則とは別。
>>430 ところが、そうではない。
すべては決定していても、見かけ上、非決定的に見える世界が出てくる。カオスがいい例。
>>429 桶の中の脳なら、そもそも本当に法則を見出しているのかすら不明。
>>431 そうだよね。人間が捉え得る法則とは別なんだよね。
>>428 そこで反証主義が役に立つんだろ。
「全部仮説だ」と言っても情報量はゼロではない。
>>435 実証されたものまで「仮説」だというのなら、やはり情報量0になる。
仮説でないものがないと、意味がない。
ヒント:帰納は成立しない。
ヒント:信仰と呼ぶときは、帰納が成立している。
おいおいw
要するに、非決定論も真理概念も思考の中には存在し得る。 思考の中には様々な概念が存在し得るのである。
441 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 17:24:24
意識が必然かどうかなんて現代じゃ絶対わからんぜよ だいたい脳自体そこまで解明されちゃおらんしな よってここに書かれていることは全て机上の空論。勿論この書き込みも含め(ry
自分が把握していない原因によって決定していることは誰も否定できない。 そこまで行かなくても、自分の病気すらわかってない人間が多いし。
>>441 でも、不思議と物理法則に逆らうことが出来た人間はいないね。w
444 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:08:35
名無し@autn. sysさんへのレスが全く無くてさみしいなぁ 無視する方向で話進めても仕方ないよってことを 言いたくてあれだけ長文で議論の前提としてこれを受け入れた方がいい ってことを言ってくれているのに・・・
445 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:14:32
>>443 自由による原因性を想定するだけで、
決定論は簡単に論破されちゃうったけどね。
まあそのことに気がつかなければ一生謬見から抜け出せないだろうね。
446 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:16:25
>>444 >議論の前提としてこれを受け入れた方がいいってことを言ってくれているのに・・・
その前に彼の場合、科学の成立背景を踏まえることが必要だよ。
ぜんぶ「モデル化」の一言で安易に一元化して語っちゃってるから。
447 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:19:08
このスレに参加するための条件 @最低限中卒程度の日本語能力を備えること A決定論を云々するには、最低限カントを踏まえること B科学について云々するには、最低限近代科学の成立背景を踏まえること このスレに参加できる資格のある人っていったい何人いるの?
448 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:19:43
>>446 確かにそこがひっかかるところなんだよなぁ
ただ、補足もいろいろとしてたよね
後、結局哲学上の主客問題を別の言葉に置き換えただけで
解決させてないんじゃないか?とおれには感じた
結局問題はそこに行き着くと思うんだよね・・・
449 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:23:09
モデル化っていうから最初はパラダイムのことを示唆してるのかと思ってたんだけどね。 科学によって見出された体系は、 パラダイムとして暫定的に承認されてるにすぎないってことを言いたかったと 思ったんだけど、どうやらそうでもなさそうだし。 科学の方法論について根本的に語るなら、 クーンのパラダイム論まで踏まえられればいいんだけどね。
450 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:27:12
量子力学のコペン解釈(主観的確率と収束)、多世界解釈(収束なし)、 ポパー「開かれた宇宙―非決定論の擁護」傾向性解釈も 非決定論とか言ってる けど、 ここでいう意味の完璧な非決定論(因果論理が崩壊)ではなく、 突き詰めればなんらかの決定論(究極の完全な決定論)が前提だと思う。 科学者は完璧な非決定論はトンデモだから主張する分けない
ここではなんか「非決定論=デタラメ」と認識されてるようなんだが気のせいだろうか? 量子力学の(コペンハーゲン解釈における)非決定性ってのは完全なデタラメじゃなくて、 ある状態から発生しうる結果の範囲は大まかには決まってるけど、どの結果になるのかが ランダムだって言ってるだけでしょう。 因果関係が崩壊してるわけじゃなくて、原因と結果との1対1対応が崩れてるってだけ。 (まあ因果関係ってのを1対1対応の事だと限定すりゃ崩壊しているわけだけれども) ここで何度か言われてる(ように見える)、次の瞬間何が起こるか全くわからないなんて 世界観とはぜんぜん違う。
>>445 自由感を感じているだけだから、決定論は論破されていない。
というか、決定論は原理的に否定することが不可能。
仮に、この世界がマトリックスのように作られた存在であっても、
そのことに気がつかないのと同じ。
>>451 ランダムというのはデタラメと同じだろ。
454 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:49:46
>>452 「感じる/感じない」の問題じゃなくて、
想定しうるか否かの問題なんだよ。
まあ猿並みのIQじゃ何度言っても理解できないよね。
>>451 >ある状態から発生しうる結果の範囲は大まかには決まってるけど、どの結果になるのかが
>ランダムだって言ってるだけでしょう。
どうしてランダムになるのですか?
コペンハーゲン解釈ではランダムということにするしかないだけでしょう。
コペンハーゲン解釈では本当にランダムかどうかは実はわからないはず。
456 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:51:15
ていうかこのスレって安易にものごとを捉えるひとが多いよね。 唯物論しかり、決定論しかり、「モデル化」しかり、 「全部仮説だ」だとか「全部信仰にすぎない」だとか。 まあちょっと脳の足らない厨房とかが 悟ったように語りだすのはたいていこの類だよね。 二十歳以上になって決定論とか主張してたら相当やばいよ。
>>454 >想定しうる
想定しうる=真ではないよ。
>>456 つーか、キミが決定論を理解できていないと思われ。
>>453 たとえばいま目の前で観測された粒子が1秒後に3万光年彼方でまた観測されるなんてことはない。
「デタラメ」ってのはそういう可能性まで含む非決定性を示唆するでしょう。
いうなれば、単なる「デタラメ」じゃなくて、きっちりと限定された「デタラメ」を量子力学は主張してて、
その限定された部分に関してははっきりした予言ができるわけ。
>>455 >コペンハーゲン解釈ではランダムということにするしかないだけでしょう。
>コペンハーゲン解釈では本当にランダムかどうかは実はわからないはず。
あたりまえでしょう、その部分は原理として根拠なしに要請するんだから。
460 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:54:06
>>456 ばーーーか。
「自由を想定しうる」っていっただけで、
自由が存在するなんて一言も言ってないんだけど
自由を想定しうる=決定論は偽
ていってるだけであって。
マジで猿並みの脳だな。
461 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 18:56:10
自由を想定しても矛盾はきたさないって言ってるだけなんだよね。 自由や神といった形而上的問題は、理論理性で扱える範疇を超えてるわけ。 だから断言的な決定論は明らかに間違い。 猿の脳で理解できるかな?
>>451 だから非決定論に>次の瞬間何が起こるか全くわからない
という意味を持たせてここに来た人は、科学者のいう非決定論の解釈
を聞いて混乱する。科学者の立場は決定論前提なので、
はじめから平行線という構図。
>>461 >自由を想定しても矛盾はきたさないって言ってるだけなんだよね。
決定論的世界内で矛盾もきたさない。
ゆえに、決定論を否定は出来ていない。
>>459 >たとえばいま目の前で観測された粒子が1秒後に3万光年彼方でまた観測されるなんてことはない。
なぜ?
一体何に立脚して、そのようなことが言えるのですか?
465 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:00:40
>>463 意味不明。
日本語の勉強からやりなおしてね。
466 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:01:26
科学者が形而上学的姿勢、趣味をださないのも悪いと思われ。
>>464 >一体何に立脚して、そのようなことが言えるのですか?
観測事実だよ。
科学なら当たり前でしょう。
468 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:03:25
「決定論は原理的に否定することが不可能」 いまいる低能決定論者は呪文のようにこれを連呼するだけ。 なぜ?と聞くと「証明不可能」とかいって逃げ出す。 漫才でもやってるんですか?
469 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:04:40
>>466 ただ科学者が言っても不毛なことも敢えて言及するのが哲学の立場だよ。
>>467 観測事実では説明できませんが。
量子論なら別にそのようなことが起きてもおかしくは無いですよ。
>科学なら当たり前でしょう。
貴方は科学がわかってないと思われます。
471 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:08:15
>>470 >量子論なら別にそのようなことが起きてもおかしくは無いですよ。
kwsk!
>>465 お前の理解力が足りないだけ。日本語勉強してこい。
473 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:08:39
>>469 だからこのスレは哲学っていうより、科学の発展についてスレなんだよ。
>>467 バカはお前だ。
相対論が正しいとしなければ、それは言えない。
475 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:12:51
>>472 もちろん言ってる内容は推測できるよ。
でもきみの場合、文章から頭の悪さがにじみでてて、相手にする気がうせるわけ。
決定論的世界観が矛盾をきたさないとした場合、過去から未来まですべて決定されているという
決定論的世界観が「ありうる」ことを証明するだけで、
「決定論に間違いない」と断言的に主張することにはならないんだよね。
この区別すらできてないんだよ、いまいる低能は。
この程度の論理、ちょっと賢ければ幼稚園児でも理解できるよ。
>>475 でも、決定論が成立しないと否定することも出来ないわけだ。w
なら原理的に否定できないというのは正しい。w
決定論は仮定であり、過去が存在するとする仮定と同じようなものだ。 否定するのは無意味。
478 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:17:17
>>476 否定してるじゃん。
決定論を断言的に主張してるきみは低能だって。
日本語理解できる?
おさるさん。
479 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:18:03
「低脳」とか、「相手にする気がうせる」とか言いながら、 必死に相手してるのは、微笑ましいな。。
>>478 否定できないといっているだけで、成立するとは言ってないが。w
バカですか?
481 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:18:22
過去も未来も時間という概念上は同じレベルなわけだろ? だったら、過去→未来が経験的に正しいのなら、 過去の出来事は決定しているのだから未来も決定しているに 決まってると思うんだが、違うの?
>>481 そうだよ。それが普通の考え方。
ここのバカはそれを疑って、不毛な議論をしている。
>>470 うーん、じゃあさ、光速で移動する自由粒子の波動関数が
(時刻0で座標原点においてδ関数だったとして)、
1秒後にどれだけ位置的な広がりを持つか計算できる?
で、それから、この粒子が1秒後に原点から3万光年離れた位置する確率を求められる?
こうやって求めた確率が正確に粒子の振る舞いを記述しているであろうことは、
これまで量子力学に基づいてなされた、数え切れないほどの実験の結果が支持してるの。
実際に3万光年彼方で粒子を観測する実験を行うまでもなく、いま計算した結果が正しいであろうことは
これらの実験が間接的に、でも(控えめに言っても) 非 常 に 強 力 に 後押ししてるんだよ。
484 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:21:04
>>480 否定できるよ。
だって決定論自体、断言的な主張だから。
きみマジで読解力なさすぎ。
485 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:22:38
>>482 ほら、また「未来は決定してる」って断言してる。
486 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:24:08
いったいこのスレは何なんだ。なにがいいたい・?
487 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:24:14
>>483 > 非 常 に 強 力 に 後押ししてるんだよ。
あはは。
いくら 非 常 に 強 力 に 後押ししてても、
それが仮説であることに変わりはないな。
それが真理だとでも言うのなら、それは形而上学だろうね。
>>483 なんで「光速」で移動する自由粒子なんだ?
暗黙に相対論の仮定を持ち込むなよ。
タキオンが存在したとしても、量子論的には問題ないんだぞ。
量子テレポートとか、エンタグルメントとか理解していないだろ。
489 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:26:04
>>483 素朴に質問
その計算結果だと確率的にはどれくらいのものになるの?
490 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:27:42
「(決定論は)否定できないといってるだけで、成立するとは言ってないが」(
>>480 ↑
↓
「未来は決定してる」(
>>481-482 ・・・きみマジで頭に蛆わいてるんじゃない?
>>484 否定できないよ。決定論の世界でも、キミの言うことは内部で起こりうるから。
不完全性定理とかわかる?
492 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:31:44
しかし低能決定論者ののあまりの頭の悪さに驚愕だね。 ここまで理解力のない猿はめったにおめにかかれないよ。 こういう落ちこぼれが決定論とかしたり顔で語ってるから笑えるよね。
493 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:36:54
結局科学者は決定論のつもりだったのに、なまじ量子力学で中途半端な状態 に陥ったから、あせってるんだよ。必死に決定論を擁護しなければと。
>>487 >いくら 非 常 に 強 力 に 後押ししてても、
>それが仮説であることに変わりはないな。
>それが真理だとでも言うのなら、それは形而上学だろうね。
いや、だれも量子論が真理だなんて言ってませんが???
量子論が主張する非決定性とはこういうものだって説明してるだけなんですが。
よく読んでね。
>>488 >なんで「光速」で移動する自由粒子なんだ?
ああすまん、速度を指定したわけじゃなくて、単に質量0の粒子だって言いたかっただけ。
速度(てか運動量)の期待値をはっきりさせとかないと、「3万光年彼方」ってのが
どれだけとんでもないかわからないだろうからこう言っただけだよ。
>暗黙に相対論の仮定を持ち込むなよ。
イメージしやすいだろうから相対論的量子論の話をしてるわけで・・・
気に入らないなら適当な位置と運動量の分布から始めてよ。
議論の本筋には関係ない。
>タキオンが存在したとしても、量子論的には問題ないんだぞ。
>量子テレポートとか、エンタグルメントとか理解していないだろ。
どっちもここでの議論とは関係ないよね・・・
>>491 ゲーデルの?
非決定論的事象が決定論モデル内部で起き得ることと全然関係ないやん。
496 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:43:29
>>494 >量子論が主張する非決定性とはこういうものだって説明してるだけなんですが。
なら、「 非 常 に 強 力 に 」は蛇足だったね。
497 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:47:06
>>462 カントとか(もしかライプニッツも?)読んでる人がこのスレきて
何言っても無駄だよね。
>>489 すまん忘れてた(汗)
>その計算結果だと確率的にはどれくらいのものになるの?
知らんw
計算すりゃわかるけどめんどくさいからしない(すまんw)
>>496 >なら、「 非 常 に 強 力 に 」は蛇足だったね。
ぜんぜん蛇足じゃないよ。
こんな言葉じゃ表現したりないぐらい、とんでもなく強力に実験的に支持されてる。
どれだけ強調してもしたりない。
499 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:51:49
>>498 >ぜんぜん蛇足じゃないよ。
>こんな言葉じゃ表現したりないぐらい、とんでもなく強力に実験的に支持されてる。
>どれだけ強調してもしたりない。
なんでそんなに強調する必要があるの?
君がそれを信じているから?
>>499 >>470 みたいな考え方をする人が今後現れないようにするため、だね。
「非決定論=単なるデタラメ」みたいな認識がはびこってるみたいだから。
501 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 20:06:02
>>500 >「非決定論=単なるデタラメ」みたいな認識がはびこってるみたいだから。
決定論も非決定論も、「単なるデタラメ」だよ。
カントに言わせれば、独断的形而上学だね。
君もカントを知らないくちだな。
>>500 非決定論=単なるデタラメなんてだれも言っていませんが。バカですか?
非決定論の中にデタラメの要素が入っているといっているだけです。
そのデタラメが一定範囲に抑えられている理由については非決定論者は無視していますが、
決定論者は、見かけ上デタラメにみえる仕組みがあるとしているだけです。
したがって、決定論の方が一定範囲に抑えられていることを説明していると思われます。
故に、決定論の世界の中で、非決定論的に見える世界があるということを否定することはできません。
>>500 ちなみに470は俺で、量子論で論文書いている奴で、ここの常連だよ。
何度でも現れる。w
>>494 相対論的量子論って単なるモデルだよ。
現実の観測と一致していない。
計算物理をやっていないやつは、そういういい加減な間違いを犯す。
>>498 >計算すりゃわかるけどめんどくさいからしない(すまんw)
じゃあ、計算式だけ書いてみろ。デタラメ書いているんじゃないならな。
計算はこっちでやってやるから。
>>498 >こんな言葉じゃ表現したりないぐらい、とんでもなく強力に実験的に支持されてる。
本当にバカだね。
それによって非決定論が支持されていることになんて全然なっていないし、
決定論が否定されているわけでもない。
キミが言っているのは、単にモデルの精度。
量子論は、非決定論を主張も支持もしていない。
なんかトリビアルな・・・。 量子力学の非決定性に限定した話なんだから、その非決定性が「限定されたデタラメ」であって「全くのデタラメ」ではないことをおさえときゃ話は終わりじゃん。
>>507 量子論の見かけの非決定性と、非決定論の非決定性は関係ないよ。
決定論も、非決定論も、物理学に立脚しているわけじゃないし。
それに量子エンタグルメントが起こることは、限定されたデタラメですらなくなっている。 現象の背後に決定的な要素があると言える。
>>511 その通りだけど、決定論や非決定論について何も言っていないに等しいので、すれ違い。
>>501 >決定論も非決定論も、「単なるデタラメ」だよ。
>カントに言わせれば、独断的形而上学だね。
>君もカントを知らないくちだな。
「デタラメ」の意味が違うんで、いまの議論とは関係ないし、あといちおうカントの主張の概要は理解してるけど、おれならカントよりフッサールを取るね。
>>502 >そのデタラメが一定範囲に抑えられている理由については非決定論者は無視していますが
それ無視したら「単なるデタラメ」でしょw
「非決定論だと論理が崩壊」とか言ってる人もいるし、語弊ありすぎ。
>>504 >相対論的量子論って単なるモデルだよ。
>現実の観測と一致していない。
>計算物理をやっていないやつは、そういういい加減な間違いを犯す。
あらそう。じゃあ反粒子とかはどうなるのかな。
あと計算物理ってシミュレーション物理のことだよ。なんか勘違いしてない?
>>505 >じゃあ、計算式だけ書いてみろ。デタラメ書いているんじゃないならな。
>計算はこっちでやってやるから。
めんどくさいなあ、言葉で書くから翻訳して計算して。
シュレーディンガー方程式でハミルトニアンのポテンシャルの項0にして、
適当なガウス関数から波動関数を時間発展させて、
んで初期状態での運動量の期待値と等しい運動量をもった古典的な粒子が
3万年後に到達する位置における1秒後の確率振幅を計算すりゃいいでしょ。
>>506 >それによって非決定論が支持されていることになんて全然なっていないし、
>決定論が否定されているわけでもない。
おれが言ったのは「理論計算の結果が観測を正しく予測することを支持してる」ってこと。
非決定論を支持してるなんてどこにも書いてないよ。
>>513 >カントの主張の概要は理解してるけど、おれならカントよりフッサールを取るね。
ほー。カントよりフッサール??
決定論と非決定論は、カントのアンチノミーの問題なわけだが、
アンチノミーとフッサールと、どういう関係があるんだい?
>>507 まったくそのとおりで、そういうことしか言ってないんだけど、
おれがなんか書くと粘着したがる奴がいるようで困ってる。
>>514 >アンチノミーとフッサールと、どういう関係があるんだい?
端的に言えば、何の関係もないよ。
フッサールの立場に立てば、カントの問題意識は無化されるってこと。
まあこっちのほうはおれは専門じゃないんで、あまり突っ込んだ議論できないかもw
さてもう今日は落ちるけど、
>>前スレで「現象報告のパラドクス」について質問くれた人
まだ見てるんだったら、
>>23-23 でレスしてるんで見といてね。
(まだその人からのレスはないようなので)
誰が誰やらわけわからんw
517 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 21:07:10
瑣末な揚げ足取りは止めようぜ
お互いの主張したいことをちゃんと理解出来るように
頑張って批判し合うのが一番だぜ
>>513 498だけど、紙にでも書いてうpするにしても
とんでもない計算になりそうだなw
量子論ってのが文系素人にはとてもとても理解出来る性質ではない
一端を示してもらった
538ってまだ学生でしょ?
哲学にも精通していて理系も踏まえているなんてすごいなと思うよ
518 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 21:17:26
>>515 >フッサールの立場に立てば、カントの問題意識は無化されるってこと。
フッサールの立場に立てばアンチノミーが無化されるなんてことはない。
アンチノミーはヘーゲルの弁証法で止揚されるの。これは哲学の常識。
519 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/04(木) 22:13:05
とりあえず、まともな議論になってるみたいですね(笑)。 繰り返しですが、書いている人も違うと思うので、もう一度言っておくと、 1.科学上の観測、予測の限界としての非決定論(本来3とは別だが、多くの場合3と混同されている) 2.論理や科学の前提としての決定論(一般的な意味での決定論ではないが、このスレではたまに3と混同される) 3.世界の説明法則としての決定論・非決定論 これらはお互いに関係していますが、 とりあえず別のことで、混同されるべきではないでしょう。 1については、どうやっても非決定論であって、決定論になるはずはなく、 2については、どうやっても(限定された)決定論であって、非決定論になるはずはない。 3については、どちらも論証が不可能。 例: カオスや量子力学は非決定論的(1)だが、これから単純に非決定論的世界観(3)を擁護することにはならない。 カオスや量子力学の前提には決定論的論理(2)があると言えるし、決定論的世界観(3)とも矛盾しないのも事実。しかし、これは非決定論的世界観(3)を否定したことにもならない。 これは、このスレで決定論批判をしている人にとっては当たり前のことでしょうが、決定論を擁護する人はほとんど分かってないのじゃないでしょうか。 ちなみに、3はどちらも論証不能だが、決定論の方が「見えない絶対者」の存在を論拠なく仮定するのに対し、非決定論の方はその単なる否定。 微妙な議論がある「宇宙人」より、絶対神「譽與豫螺婁魯」の存在についての意見の対立だと思った方が良い。
つまらん・・・ そんな事しか書けないのか
521 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 00:46:21
たとえばクスリが病気に効くかどうかは、統計的な結果があるだけで、決定論では きめられない。決定論は、自分の主体的なあり方を否定して、数字の結果だけを 盲信する物である。
522 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/05(金) 00:47:54
>>275 「モデル化」ということで「(自然)科学」を(人文・社会科学を含め
ても)一様に相対化できると考えるのはどうなのでしょうか?
この21世紀は「(自然)科学の時代」として「歴史学(人文科学)」
上で記録されることになる・・でしょうが(「人類史」では以降ずっと・・)。
例えば脳が約一千億個の「ニューロン」という名の神経細胞が集積した
「細胞による電気・化学的バイオコンピュータ」に他ならいことが既
に明白になっている時代に、「江戸幕府第七代将軍の同時代人=カント氏
を筆頭とする諸観念論(形而上学)的言説」をあれこれいじり回すことに
何か意味があるのだろか?・・という「素朴な疑問」が生じます。
ちなみに各ニューロンの「信号発信部」は「軸索」であり、各ニュー
ロンに1本ありその先は数十本から数百本に枝分かれしており、内部で
電気・化学的に情報を伝達します。
(情報)信号を受け取る「信号受容部」の方は「樹状突起」と呼ばれ、
各ニューロンに数本〜数十本付いております。
軸索の先は枝分かれし延伸し、他のニューロンの樹状突起の一部に付着
し、「シナプス」という「繋ぎ目」を通して「化学物質(情報)」を伝達す
る「だけ」です。だからそれは「物理・化学法則に正確に忠実な反応」
なのです。
むろん、一素子で一かゼロの情報しか扱えず、その情報伝達先も一個
(の素子)である実際のコンピュータ(電子計算機)に比べれば、
「遙かに複雑且つ大規模」ではありますが、両方とも突き詰めていえば
「物質の自律的動き」以上でも以下でもないのです。
要するに我々の脳内で起こっていること(思考や感情や感覚や意思や
記憶)は「全てニューロンの働きである(す?%
>>519 2は見かけ上の決定論だね。
何故、非決定論だけ「見かけ上」扱いするのかと。
524 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/05(金) 00:55:32
>>275 「モデル化」ということで「(自然)科学」を(人文・社会科学を含め
ても)一様に相対化できると考えるのはどうなのでしょうか?
この21世紀は「(自然)科学の時代」として「歴史学(人文科学)」
上で記録されることになる・・でしょうが(「人類史」では以降ずっと・・)。
例えば脳が約一千億個の「ニューロン」という名の神経細胞が集積した
「細胞による電気・化学的バイオコンピュータ」に他ならいことが既
に明白になっている時代に、「江戸幕府第七代将軍の同時代人=カント氏
を筆頭とする諸観念論(形而上学)的言説」をあれこれいじり回すことに
何か意味があるのだろか?・・という「素朴な疑問」が生じます。
ちなみに各ニューロンの「信号発信部」は「軸索」であり、各ニュー
ロンに1本ありその先は数十本から数百本に枝分かれしており、内部で
電気・化学的に情報を伝達します。
(情報)信号を受け取る「信号受容部」の方は「樹状突起」と呼ばれ、
各ニューロンに数本〜数十本付いております。
軸索の先は枝分かれし延伸し、他のニューロンの樹状突起の一部に付着
し、「シナプス」という「繋ぎ目」を通して「化学物質(情報)」を伝達す
る「だけ」です。だからそれは「物理・化学法則に正確に忠実な反応」
なのです。
むろん、一素子で一かゼロの情報しか扱えず、その情報伝達先も一個
(の素子)である実際のコンピュータ(電子計算機)に比べれば、
「遙かに複雑且つ大規模」ではありますが、両方とも突き詰めていえば
「物質の自律的動き」以上でも以下でもないのです。
要するに我々の脳内で起こっていること(思考や感情や感覚や意思や
記憶)は「全てニューロンの働きである(すぎない)」・・ということです。
>>513 >おれが言ったのは「理論計算の結果が観測を正しく予測することを支持してる」ってこと。
>非決定論を支持してるなんてどこにも書いてないよ。
そうだし、支持していないのもわかっているよ。
それによって非決定論が支持されていることになんて全然なっていないし、
決定論が否定されているわけでもない。
>>519 >2.論理や科学の前提としての決定論(一般的な意味での決定論ではないが、このスレではたまに3と混同される)
こちらが、一般的な決定論。
>カオスや量子力学は非決定論的(1)だが、これから単純に非決定論的世界観(3)を擁護することにはならない。
カオスは決定論的要素から出てくる現象。
>カオスや量子力学の前提には決定論的論理(2)があると言えるし、決定論的世界観(3)とも矛盾しないのも事実。しかし、これは非決定論的世界観(3)を否定したことにもならない。
決定論の世界の中で非決定論的世界はあるので、
決定論者は非決定論的に見える世界を否定しているわけじゃないよ。
非決定論的に見える世界の背後に決定論の世界があるというだけ。
決定論の世界も、非決定論の世界もこのように共存できる。
527 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/05(金) 01:12:50
>>526 >非決定論的に見える世界の背後に決定論の世界があるというだけ
そのとおりですね。
「次の瞬間に科学法則がドラスティックに変更されるかもしれない世界」
・・・は「観念論的フィクション」の世界にのみ「存在」し得る・・のであり、
そういうのはそもそも(「私」達を包含する「全体」としての)世界・・という
概念と矛盾しますので、・・・それは「世界ではない」・・と言えます。
誰か忘れましたが「時間秩序保護仮説」を唱えた方が居たように思いますが、
「時間秩序の維持」=「(自然)科学法則の絶対性の検証」=『「この世界」の認証』
・・ということです。
528 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/05(金) 01:19:24
>>522 ちなみに、
>>519 で「繰り返しですが」と書いたのは、
>>245 を受けてのことなので、念のため。
「決定論/非決定論は科学で証明されるものではない」というのは、純粋に科学のロジックに基づいたものであり、観念論と片付けることができるものではないと思います。
いずれにせよ、前にも書いたように、自分は自分の主張を「観念論」と規定しているわけではないので、前半の「素朴な疑問」に関しては答えようがありません。
そういう疑問は、他の「観念論者」の方にどうぞ。
後半については、前半の単純な帰結なので、理論的にはつけ加えることがないのですが、具体的な話なので、若干説明します。
神経の機構を説明して、生物がコンピュータのようなものだと規定するのは、物理学的な決定論からは支持されるでしょうが、明らかに神経科学的な結論ではないし、神経科学者が考えているイメージとも大きく異なるものだと思います。
生きている生物・細胞の状態を記述できないというのは、生物学においては方法論や理論と密接に関係する自明な命題だからです。
生物とコンピュータの違いを単純に言えば、コンピュータは、仕様を記述できるが、生物については記述できません。できるとしたら、それは「全知全能の存在」(これは物理学的な「数式」のあるものを含みます)だけでしょう。
こうしたものが存在すると仮定すれば、決定論は正しいということになるわけですし、そういう主張をする人もいるでしょうが、これがトートロジーであることは言うまでもありません。
いずれにせよ、後半部の神経についての議論は、
>>519 や
>>245 の議論の域を出るものではないでしょう。
529 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/05(金) 01:32:27
> こちらが、一般的な決定論。
そうですか?「論理の前提に決定論(2)がある」というのは、認識とか存在の議論から来る形而上学的な決定論ですが、そんなに良く聞くものではないと思います。まぁ、一般的なのがどちらでも、議論には全く関係ありませんが。
前にも書きましたが、この種の決定論は、決定論であると同時に、その限界についても定義することになるので、非決定論と言っても差し支えないし、自分もこういった決定論には肯定的です。
> カオスは決定論的要素(2)から出てくる現象。
おっしゃる通り。ただし、決定論的世界観が「観察」を無視し、「全知全能の存在」を仮定するものだということ、それが科学的に立証不可能だということを示すことにはなります。
> 決定論の世界(2)の中で非決定論的世界(1)はあるので、
> 決定論者は非決定論的に見える世界を否定しているわけじゃないよ。
> 非決定論的に見える世界(1)の背後に決定論の世界(1)があるというだけ。
(括弧内は引用者)
自分が
>>519 で書いたのはそういうことですね。
530 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 01:32:56
>トートロジーであることは言うまでもありません。 トートロジーの意味知ってる?
>>528 >生物とコンピュータの違いを単純に言えば、
>コンピュータは、仕様を記述できるが、生物については記述できません。
これは明らかに間違いでしょう。
ウイルスとか記述できないとでも思っているのでしょうか。
DNAシンセサイザで生物が作れるようになれば、それは明らかに仕様の記述です。
また、仕様が記述できるからといって、その後の挙動が記述できないということもあるでしょうが、
これはコンピュータでも全く同じです。ロボットのように歩き回り、
その位置でしか経験し得ないことを蓄積することで、外部からは予測不能、記述不能の行動を取ることができます。
532 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 01:38:11
>生きている生物・細胞の状態を記述できないというのは、生物学においては方法論や理論と密接に関係する自明な命題 具体的な根拠を書いて
533 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/05(金) 01:40:12
>>528 >コンピュータは、仕様を記述できるが、生物については記述できません
「あなた」の仕様・・は、受精卵細胞・・・で「記述」されております。
その「記述の(言語)単位」は、4種類・・アデニン・グアニン・シトシン・チミン
(所謂「A・G・C・T」)であり、「それらの組み合わせが次世代の個体を『記述』
する方式・・・「生命」という物質の進化の方式)は、39億年に亘る単細胞生物時代
とその後の「多細胞生物時代」・・で何の変更もありません。
534 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/05(金) 02:12:56
>>531-533 生物学の方法論について全くご存じないようなので…。
一つの遺伝子と、一つの形質の関係を調べるのに、何十〜何百という細胞・個体を使って統計的に処理するのが普通です。
たとえば、生物学的に「物質Aによって、制御遺伝子Bのコントロール下にあるタンパクCが発現する」という結論が得られたとします。
これは、実際には遺伝子Bがなくても、タンパクCが発現したり、物質AがなくてもタンパクCが発現したりするが、統計的に有意差があると分かったということで、タンパクCがオールオアナッシングで発現するということは、まずない。
オールオアナッシングになれば、「特に重要な知見」となるので、研究者はそういうのをこぞって探すが、そういう形質はめったに見つからないわけです。
さらに、生きている細胞、生きている生物の状態については、そもそも非破壊的に調べることができないという、物理学の観測問題に似た状況が存在しているし、
かりに調べられたとしても、上に書いたような生物学の方法論の問題から、状態は確率的にしか分かりません。
しかも、ここで言う確率は明らかに人為的な要素が入る確率なので、決定論という文脈では、科学的にはほとんど無意味です。
生物学は、あくまで特定の用途のために生物の挙動を理解するというものであって、その範囲で方法論があるし、物理学以上にそのことが研究者に意識されているということころに特徴があります。
もちろん、そこに「生物の挙動を全て説明する」というロマンのようなものがある場合もあるだろうし、高校や教養レベルの生物学の教科書・解説書では、しばしばそれが強調されてしまうのですが、
そこから決定論を支持しようとすると、物理学的決定論と同じ、というかそれ以上の問題を抱えることになるわけです。
まぁ、特に説明しなくても、物理学的決定論が批判されて、生物学に逃げるのが間違いだということは分かると思いますが…。
ちなみに、ロボットについてはおっしゃる通りですが、物理学的決定論を前提にしなければ、その動きは決定的ではないでしょう。そもそも、例として不適切です。
535 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/05(金) 02:29:24
>>534 >もちろん、そこに「生物の挙動を全て説明する」というロマンのようなものがある場合もあるだろうし
決定論とは「太平洋の水の分子が全て(大気を含め)物理化学法則によって流れたり波打ったりしている」・・という「論」
ではありますが、「太平洋の水の分子の一個一個の挙動を全部説明する」野望は持ちません。
ただ、それらは殆ど全て「H2Oと+若干の微量ミネラル分子の動き」・・という範囲は逸脱することがない・・
・・と申し上げているだけです。
「全ての粒子の挙動を説明する」情熱は「粒子加速器」で陽子と陽子を光速近くで衝突させた場合・・とかの「ごく特殊例」
・・だけに可能なことです。
ということで、本日は就寝させて戴きます。
>>534 長々と書いているけど、生物を合成できれば、仕様を記述できたのと同じだろ。
原始的な生物の仕様を記述できない理由はないよ。
537 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:01:44
autn sysさんは今の現状を元に発言しているんだよね 一方、決定論者は恐らく未来にはこれくらいは出来るだろう的な 楽観を+して発言している気がする autn sysさんはかなりのインテリみたいだけれど、 哲学は趣味でやってるの? (なんとなく哲学を終わらせようとしているような意図を逆に感じるけれどw)
539 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:09:58
>>538 あんたが普段から自演しているからそんな風に疑うんじゃないのか?
>>539 違うよ。これは典型的パターン。本人はなかなか気がつかないものだけどね。
541 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:19:34
>>540 おれが
>>537 >>539 書いてるのに、何で気付かないんだよw
勝手に人を自演呼ばわりするのは気分が悪いね
まあ、意図してそうしているんだろうけどさ
543 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:24:07
>>542 おまえ馬鹿だろw
気付く気付かないはおれの問題だろ
おまえは関係無い
それともおまえはおれの振りをしてるって言いたいの?w
545 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:29:17
>>545 読み間違いでも何でもありませんが。
>>537 が自作自演だというだけだが、
その指摘が理解できないようですね。
547 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:33:14
>>546 おまえが馬鹿だってことは分かったw
どこが自作自演なのか説明しろよw
>>547 説明などする必要ないよ。キミは俺がバカだと思っていればいいし、わかる奴はわかる。
まあ、そういう書き込みも自作自演がばれた時の典型的な反応だけどね。
549 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:36:40
>>548 すげええwwwwww
おれのことおれ以上に分かるなんて超能力者か?
ちなみに、誰の自作自演なの?
>>549 自分が気がつかない癖に、他人が気がついていることはよくある。
551 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:39:28
みんな自分の事はよく分かっていなくて、他人からはよく見える って事があるのさ。
もっと基本的な場所から述べてくれ
553 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:41:46
>>550 まさかだけれど、autn sysさんが
>>537 (おれ)を自演しているなんて
考えていないよね?w
でも、そう考えないとあんたの言ってるレスの流れが矛盾するよなw
確証も無いのに人が自演しているなんて考えるのは
これを機に止めた方がいいよw
>>553 自演の典型的パターンであることには変わりないよ。
人格破綻者の基地外レスの可能性もあるけど、あまりにもそれは可哀想なので除外した。
確証がなければ自演を疑えないという意見には反対だ。 確証がなくても傍証があれば自演を疑うのは可能であるのだから。
556 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 04:08:27
2ちゃんでは常に自演が横行しているので、怪しいなら自演とみた方がいい。 情報を読むとき(他を評価している書き込みを読むときは特に)は、 その評価を下げる方に振っておいた方が安全。
自分が自演ばっかりしてると、 みんな自演に見えちゃうんだってね。
いや、そんな確証はどこにもないよ557君。
そうムキになるなよ自演ばっかしてる558君。
・必要以上にマンセーしていたら、たいてい自演。もしくは信者。 ・本人の意図を汲んで、必要以上に親近感がある書き込みをしていたら、たいてい自演。もしくは人格障害。 ・本人への評価、感じ方、質問について、ある方向に誘導されていたら、たいてい自演。もしくは人格障害。 ・自演を指摘されたときに、素直に否定できないときは、たいてい自演。 ・自演を指摘されたときに、気になって粘着して書き込んでいたら、たいてい自演。 ・自演を疑われた時に極度に拒否する場合も、自演の確率高し。名無しなら普通は疑われてもスルー。 ・場合によって、妙に丁寧だったり、荒れたり、人格を使い分けている人は、自演を行う確率高し。 ちなみに俺は558ではない。
563 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 04:33:44
そうムキになって否定するなよ。
>>558 =560=562君。
バレバレだよ。
>>563 558は俺じゃないけど、別にキミに自演だと思ってもらっても構わないよ。
書いていることは似たようなことだし、仮に558=560だとしても、何も変わらん。
そもそも名無しに名誉なんてないし。IDも出ないここで自演と思われようとなんとも思わん。
>>557 の「自分が自演ばっかりしてると、 みんな自演に見えちゃうんだってね。」
という発想はキミの中から出てきたものだが、なるほどなと思った。
「構わないよ」とか言って平静を装ってるけど、必死に長文タイピングする矛盾。
構わないならスルーすればいいのにね。
ところで、
>>558 君が全然でてこないね。
>>566 俺が自演だと思われることは構わない、というかどうでもいいが、
俺は他人の自演を疑うことには粘着なので。
「@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc」は
コテハンを名乗り、自己顕示欲が強く、さらにageて注目されたがり。
以前より空気読めてない長文を垂れ流し、とても「インテリ」とは思えないレベルの駄文。
さらにキモチ悪い
>>537 のレス。
あのレベルで「哲学は趣味でやってるの?」なんてバカな質問は普通はしない。
「(なんとなく哲学を終わらせようとしているような意図を逆に感じるけれどw)」も普通ありえない。
572 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 04:59:56
やっぱ科学は超常現象はあつかえんのよ。方法論的に。 このスレは科学VS超常現象のほうが面白いのに それやらないのは 科学畑でおたなしく議論したいからか?
>>570 569ではないが、俺にも規制はかからないよ。十数件は俺のレス。
574 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 05:05:46
このスレ実況なみ。パペットマペットは、いいけど何も知らないやつ がきて、あほあほ無限ループや、スレ違いの中身ありそうで無い議論 が続くのは 被害者増やすよ
575 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 08:01:47
たとえばクスリが病気に効くかどうかは、統計的な結果があるだけで、決定論では きめられない。決定論は、自分の主体的なあり方を否定して、数字の結果だけを 盲信する物である。
マジでID導入して欲しい。 自演なんてどーでもいいが勢いすごいし、どれが誰のレスだか引くのにスゲー面倒w
>>519 すいません。2.の「論理や科学の前提としての決定論」とは、何のことでしょうか。
>>527 >「次の瞬間に科学法則がドラスティックに変更されるかもしれない世界」
>(中略)はそもそも(「私」達を包含する「全体」としての)世界・・という
>概念と矛盾しますので、・・・それは「世界ではない」・・と言えます。
これは機械氏のレスとしては毛色の変わった興味深いものだと思いますが、
こういう話でしょうか。
>誰か忘れましたが「時間秩序保護仮説」を唱えた方が居たように思いますが、
>「時間秩序の維持」=「(自然)科学法則の絶対性の検証」=『「この世界」の認証』
>・・ということです。
私は「この世界」が同一性を保って時間的に持続することと、科学法則がドラスティックに
変更されることは、別に矛盾しないと思うのですが。後者は経験的にも十分
有り得る(想像できる)事態だと思いますが、違うでしょうか。
578 :
飛べないワサビ :2007/01/05(金) 09:51:15
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Qさんなど諸氏にお伺いします。 人間がなぜ苦痛を感じるのでしょうか? クオリアと苦痛の関係を調べていますが 一向に理由が分かりません。 決定論だとすると、余計に生物の意思は不要になり 苦痛を感じる必要性は全くないと思うのですが・・ 人間に苦痛を味遭わせてる原因は一体何なのでしょうか?第一原因ですかね? なぜ物質の運動でこんな快苦を感じるのでしょうか? どうか教えてください
>>578 >人間がなぜ苦痛を感じるのでしょうか?
物質の基本的性質が顕在化したもの。
物質はなぜ質量があるのでしょうかとか、
磁石はなぜSN極があるのでしょうかとかと同じ問題。
>決定論だとすると、余計に生物の意思は不要になり
非決定論でも不要ですよ。決定論かどうかは関係ありません。
また、物質に電荷とか質量も不要とも言えるでしょう。
不要かどうかという判断と、世界のあり方は別です。
580 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 15:55:44
test
581 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 17:30:23
なんかこの板不安定じゃない? つながらないときがある。
運営板見てみ。定期的に障害が起きてるらしい。
583 :
:2007/01/05(金) 17:58:32
ライプニッツは反対が矛盾を含むような真理は必然的、反対が矛盾を含まないような真理を偶然的とし 後者があるとしています。前者は決定論、後者は非決定論ですが、彼は後者の存在によって全体として、”傾かせるが強いる事はない”といっています。 科学的にはそんな事はありえるのでしょうか?
(*´・ω・`*)
585 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 18:50:18
test
決定論を主張する科学者と非決定論を主張する哲学者の対話 サイエン 最初に決定論について軽く定義しよう。 問題となる言葉の定義なくして有意義な議論はできないというのが僕の信条なんだ。 雑誌NEWTONからだが、 この石ころを投げると描く放物線がある。 これは投げる前からペンと図があればこの放物線をあらかじめ描ける。 この時石ころは重力ないし運動の法則によって"決定している"と言う。 これはあくまでも"決定"という言葉の定義の話だがどうだね? フィロ ええ、それについては同意しましょう。 あなたが投げる石ころはあなたのペンと図によって 物理学的にその結果が算出された。 このような算出によって導かれる結末を「決定」と呼ぶことに わたしは疑問をはさみません。 しかし、その算出には限界があるのではないでしょうか? 試しにもう一度石ころを投げてください。 わたしはバットでホームランを打ちます。 この結末はあなたのペンと図で算出されたものではないはずです。 サイエン うむ、確かにその結末は僕の計算の予想外だ。 だが、君がバットを出さなければ石ころは僕の計算通りの結末を得たはずだ。
フィロ 「〜が〜さえしなければ」このような条件をつけるならば決定論は常に可能です。 正確に言えば、条件付けによってはいかなる結末も予測可能だということです。 例を挙げましょう。 ここに1000円札を一枚道端に置いておくとしましょう。 わたしは、この1000円札がずっとここにあるという結末を予想します。 ただし、誰もこのお札を拾ったり盗んだり、風で飛んだりしないという条件の範囲内でです。 財布の中にあったお札が使いもしないのに急に消えるとは誰も思いません。 1000円の入った財布で500円の買い物をしたら財布の中には500円が残っていると考えます。 同じように投げた石ころが何の力の影響もないのに軌道を変えるとは誰も思わないのです。 無重力においては投げられた石ころは等速直線運動をなすでしょう。 あなたがペンと図で描いた放物線は、石ころと重力という限られた条件の範囲内でのものです。 サイエン 確かに僕は石ころと重力の間でしか計算をしなかった。 だが、この石ころと重力以外に君という条件を計算の中に入れたら この計算式は君がバットでホームランを打つところを算出したはずだ。 これが覆らされない限り、決定論は破られないのではないか。 フィロ ええ、それこそが決定論の問題とするところなのです。 すべての条件が揃えば対象となるものの結末を予測可能なのか。
サイエン 決定論者たる僕は予測可能だと主張することにしよう。 フィロ ちょっと待ってください。 その前にわたしは問いに疑問をもちます。 「すべての条件が揃う」とはどのようなことを言うのでしょうか? あなたの石ころの決定された未来を算出されるのに必要な条件はどれくらいあるのでしょうか? この質問は裏を返すと、「石ころと関連しない条件はどれくらいあるのか?」と言えそうです。 しかし、この世界のあらゆる出来事、今カラスが空でカーカー鳴いているのも この石ころの未来と関係しないと誰が言えるでしょう? サイエン そのカラスも石ころの未来に関係しているだろうね。 カラスまで含めて計算するには計算量が膨大になりすぎて人間にはできないかもしれない。 だが、そんなことはどうでもいい。 決定論は決定性を主張するけど予測を主張する義務はないんだから。 この宇宙全体の条件がすべて揃えば、あらゆる対象の結末-お望みならば未来とでも言おうか- とにかく結末、未来は計算によって算出できるのだ。これが決定論の内容だ。 フィロ わたしにはこの世界の未来が計算によって算出できるとは思えません。 サイエン だが、現にわれわれは石ころの放物線が描く未来を算出した。 別の例で言えば、君は財布の中の残金を算出した。 これは決定論的ではないか?世界もまたおなじようなことだ。 他の条件を排除した条件下では世界の結末もまた算出できるのではないか?
>>588-589 むしろ、フィロとサイエンは逆だと思うけどねえ
科学者は現実的だと思うし、哲学者は非現実的だと思うよ
科学者は科学の方法論に従って現実の世界と対峙する
経験事実を前提にするので現実の限界も知っている
どんな理論を打ち立てようが現実の世界を対象にしなければ相手にもされない
科学を知らない哲学者は論理に従って空想の世界と対峙する
ただただ論理だけを重視する
論理が矛盾さえしなければなんでもあり
なんでもありではないことを内観という言葉で誤魔化す
この辺の違いだと思うよ
>>522 > 例えば脳が約一千億個の「ニューロン」という名の神経細胞が集積した
>「細胞による電気・化学的バイオコンピュータ」に他ならいことが既
>に明白になっている時代に、「江戸幕府第七代将軍の同時代人=カント氏
>を筆頭とする諸観念論(形而上学)的言説」をあれこれいじり回すことに
>何か意味があるのだろか?・・という「素朴な疑問」が生じます。
機械君ともあろう者が何を言っているのだね?
意味が有ろうと無かろうと決定されたことじゃないか。
疑問の余地などないよ。
江戸時代の出来事どころか、140億年前の出来事に今は縛られているのだろう?
「それ」も「これ」も因果だよ。
もちろん「君に『素朴な疑問』が生じる」のも因果だが、
そんなに疑問ならば、観念論者の脳の発火パターンでも研究すればいいじゃないか?
>>590 科学者にも二種類いるじゃないか。
そもそも、一人の人物の二面性であっても問題ない。
593 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 19:52:39
>>591 なに言ってんの !?
機械君が
>>522 のレスを書くことは一字一句決まってたんだから
そのとおり書くしかなかったのよ、機械君としては
フィロ わたしにはこの世界をわれわれが考察する研究対象と同じように扱ってよいのか疑問が残ります。 ここで決定性の問題となっているのは「ある対象」ではなく「世界そのもの」です。 言い換えれば「すべての対象」です。 「すべての対象は限られた条件下では決定論的に振舞う」とは表現が矛盾してはいないでしょうか? 「すべての」と「限られた」がそれぞれ両立しない性質を与えているように思えます。 サイエン 僕は科学者なんで言葉の表現方法にはそれほどこだわらないが、 決定論を否定した非決定論で科学の営みを肯定できるのだろうか? それに「非決定な世界」なんてとても想像できない。 そんな世界を認めたらわれわれの算出、君が財布の残金を予測することも、 科学者が研究や実験によって様々な理論を発見する営みもできないのではないだろうか? フィロ 非決定論世界モデルにおいて科学的営為を肯定する哲学者と言えば代表はやはりポパーでしょうか。 しかし、これ以降はさらに話題が広がりすぎな気がするのでこの辺にしましょう。 サイエン そうだね。僕も自作自演は疲れたよ。 後は2ちゃんねらーの議論に任せるとしよう。
595 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/05(金) 22:44:51
>>577 (考える名無しさん)
>すいません。2.の「論理や科学の前提としての決定論」とは、何のことでしょうか。
前スレ
>>728-732 の、「認識的決定論」「論理的決定論」に相当するものです。
これを決定論と言えるかどうかは微妙で、同一律とか因果律などと言った方が良いと思いますが、
このスレには、「論理や科学の前提に決定論がある」という人が多いので、整理するために「決定論」としたものです。
>>535 (「機械的唯物論」者さん)
現実の理解としては、おっしゃる通りだと思いますよ。
そういう決定論なら、自分も賛成します。
>>519 で整理した、2番の決定論に相当するでしょう。
596 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/05(金) 22:45:55
>>536 (考える名無しさん)
> 長々と書いているけど、生物を合成できれば、仕様を記述できたのと同じだろ。
> 原始的な生物の仕様を記述できない理由はないよ。
仕様という表現は自分が言い出したのですが、「仕様」の解釈が多義的で、誤解を招く表現だったかもしれません。
DNAが生命の仕様書だと考えている人もいるし、化学反応理論が生命の仕様書だと考えている人もいるでしょう。
全ての化学反応理論を記述するのは原理的に無理(量子力学的問題)にしても、DNAについては、全て解読されている生物だってあるのだから、仕様書が書けるという主張はもっともです。
ただ、この仕様書は、明らかに生物の挙動を決定することにはなりません。あくまで、現象をある側面から記述するものに過ぎないわけです。実際、双子の子供が、全く同じ思考を持つことはないでしょう。
生物学はマクロな問題を扱っているのでニュートン力学で十分説明でき、量子力学は関係ないなどとバカなことを言う人がたまにいるけれど、
タンパク質の構造は、量子論的な問題から、厳密に決定することができないし、そのために2つのタンパク質が反応するプロセスも、厳密な記述ができず、挙動は予測不可能です。
これは実は、コンピュータの仕様書でも同じで、ロボットのような形で外部の環境とのインターフェースを持てば、その挙動は予測不能になります。これは、PCのようなユーザーインタフェースでも同じです。
ただ、コンピュータが特殊なのは、先に期待される動作があって、それに基づいて設計されているという点でしょう。少なくとも特定の状況で、完全にある挙動を示すことが期待されており、そこでは誤差も期待される範囲内になる。
ところが、コンピュータ以外の場合、こういう状況が存在することはなく、あくまで対象に対するモデル化として、理論があるだけです。
597 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/05(金) 22:50:42
訂正
>>596 の最後の行
×こういう状況が存在することはなく
○(削除)
598 :
750 :2007/01/05(金) 23:19:16
>>590 どの様に決定論的なのですか?意志を持った思考がわかりませんね
想像力はどこから生まれるのですか?
どうやっても人間の思考ですよ。
完全な円が外界に存在してますか
唯一定義ができるのは人間の思考ですよ
>>593 いやね、僕は凡人だからさ、
きっと、どうしても観念論に意味を感じてしまうように決定されてるんだろうけどね、
しかしね、僕なんかと違って、何と言っても機械君は「最終真理」を知る人じゃないか。
そんな彼があんな事を言うように決定されてるなんて、これは驚きだよ。
>>596 >ただ、コンピュータが特殊なのは、先に期待される動作があって、それに基づいて設計されているという点でしょう。
>少なくとも特定の状況で、完全にある挙動を示すことが期待されており、そこでは誤差も期待される範囲内になる。
コンピューターだけじゃないよ。
工業製品も農作物も家畜やペットも、そして人間もそう。
未来を期待されてるの。
人間だって期待の範囲を超えると処分されるよ。
だから実は大事なのは、 どれだけ人の期待に応えてくれるかなんだよね。 どれだけの範囲を支配できるか。 決定論は実は、期待通りにならない自然に裏切られた時の ショックを和らげるための予防線だね。
>>592 少なくとも、ゾルレン氏のいうような間抜けな科学者は滅多にいないと思うよ(というかいるの?)
あまりにも科学者を馬鹿にした内容にカチンときたからなんだけどね
いることにしないと、彼の大好きなポパーの素晴らしさがきっと伝わらないのだろうけど
科学者に対する彼の思いあがりでしかない
>>598 > どの様に決定論的なのですか?
俺は、そんなこと、いった覚えないけどねえ
> 意志を持った思考がわかりませんね
> 想像力はどこから生まれるのですか?
> どうやっても人間の思考ですよ。
> 完全な円が外界に存在してますか
> 唯一定義ができるのは人間の思考ですよ
だからなに?
まず、
>>405 を読んで、>>407-
>>420 あたりの間抜けなやりとりを読んでみてるといいと思うよ
最後には、こんなこといってるみたいだけどね
>>418 > 決定論は科学じゃないよ。科学や論理が成立することの前提に置かれているだけ。
なにが決定論なのか意味不明になってると思う
現実に世界を決定的にモデル化できるかどうかの話から既にずれてるしねえ
で、俺になにか用?
603 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 00:29:44
>人間だって期待の範囲を超えると処分されるよ つまり期待に沿った場合、 宇宙の全運動をコントロールする存在になる可能性があるってことだね
604 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 00:45:31
>>591 >そんなに疑問ならば、観念論者の脳の発火パターンでも研究すればいいじゃないか?
「脳の自己(自我)防衛機制」ですね。
要するに「『観念論』とは全て『数千年に亘る自己欺瞞の方法と技術』の伝承」以外の
何でもありません。
>>604 で、「脳の自己(自我)防衛機制」とやらは無意味なの?
606 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 00:57:03
>>596 >コンピュータが特殊なのは、先に期待される動作があって、それに基づいて設計されているという点でしょう。
「現在時点」の「地球上のコンピュータ通信トラフィック」が何兆個/秒なのかは
判りませんが、少なくとも「コンピュータの設計」時点でその「個々のトラフィックの生起」が
予測されていた訳ではない・・ことだけは明白です。
・・・しかし「インターネットのトラフィック」が「コンピュータという機械」を介在しないでは
「あり得ない」・・・ということもまた明白なことです。
607 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 00:59:52
>>605 「無意味」という言語を適用され(え)る対象である限り、「無意味」では
ありえません。
「『それ』は無意味である」という判定の対象になり得る「意味ある存在」
・・であるということです。
>>607 で、君は「脳の自己(自我)防衛機制」とやらを無意味であると判定してるの?
609 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 01:06:41
>>608 「何か」を「無意味であるか意味あるか」を判定する為には「判定する土台」が
必要です。
「個々の人間の脳」にとって・・ということですので、『私の脳』にとって、
例えば『「神様」が存在するか否か?』・・という命題は「どちらでもかまわない」
・・ので「無意味な命題」・・ということになります。
>>609 >例えば『「神様」が存在するか否か?』・・という命題は「どちらでもかまわない」
どちらでもかまわなかったの?
てっきり「存在しない派」かと思ってたよ。
で、それが君にとって無意味な命題なのはいいとして、
「脳の自己(自我)防衛機制」とやらはどうなのよ?
例えば、
「脳には自己(自我)防衛機制が必ず存在する」という命題は?
611 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 01:14:38
609の続きです 要するに(観念論者さん達と違い)「私の脳」は、『絶対者(神)』という 「観念論の最終的に落ち着くゴール=自己欺瞞の終着点」を必要としていない ・・ということです。
612 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 01:18:20
>>610 >てっきり「存在しない派」かと思ってたよ
仮に「存在する」としたならば・・「それ」は「物質である」・・
・・という前提において・・です。
キリスト様は確かに「処女受胎」だったかもしれませんが、
「マリアのヴァギナを通過した」・・・という「物質的事実」は、
否定できない・・と思います。
613 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 01:20:49
通過させず直に子宮に届ける場合もある
>>612 いや、それが君にとってどっちでもよくて無意味なのはもう分かったよ。
で、「脳には自己(自我)防衛機制が必ず存在する」という命題は?
615 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 01:22:50
>>613 2000年前に「帝王(まさにキリスト様に相応しい)切開」は可能だったのでしょうか?
616 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/06(土) 01:25:13
>>614 「脳」とは「生物にとっての『自己(個体)防衛の司令塔』器官を指す」訳ですよ?
>>616 じゃあ、「脳の自己(自我)防衛機制」とやらはとっても有意味って事?
618 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 01:32:49
>>615 2000年前の地球人および地球外生命体の人工懐妊技術は不明
619 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/06(土) 01:49:32
>>606 そうですね。おっしゃる通り、コンピュータだって、一般の状況でその挙動は決定的ではないわけです。
ちなみに、機械さんが言っていることは良く分かるのですが、唯一「決定論」を名乗ることだけが分かりません(笑)。考えていることはかなり近いですよね。
関係ないのですが、機械さんは、「構造と構成」という議論をご存じですか?
りくーつ ポパーは物理学の教授資格をもっている マッハも物理学と哲学の両方で実績を残してる ついでに言うとあの対話は算出可能性を問題にしている これは科学的決定論と呼ばれるものだ 科学の世界で帰納がつかわれていないとでもいうのだろうか 俺は科学史も含めて多くの本を読んだが、科学に勝手な期待を押しつけているのは君の方だ ついでに言うとあれで科学がバカにされてると感じるその感受性をなんとかしたほうがいい 哲学やりたいならマッハの『認識の研究』ぐらい読め その上で哲学を非現実的と言うなら耳を傾けてやる マッハは、理論考察する現存する科学者も非現実的と言ったがな 最低でも論理実証主義ぐらい調べろ
ゾルレンはとりあえずその脈絡の無い文章の書き方をなんとかしろw それで脈絡を持たせてるつもりなら、文章の書き方が下手だ。
622 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 09:47:27
>>621 その内容はともかく、ここではだれが文章がうまいの? ゾルレン氏には、
やや持って回った言い回しをする嫌いがあるけれども、下手ではないでしょう?
>>622 上手い人はいないと思うな。みんな普通。
ゾルレンの文章の悪いところは主張に理由が全然付されないで、
引用のつぎはぎみたいになってるところ。
論証になってないんだよ。
624 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 09:52:31
∞538 はもしかしたら、受験生と同一人物?
621 携帯から書き込んだんだよ いつもより句読点少ないだろ
626 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 10:03:16
>>623 @autn.氏はどう? 彼は機械氏の主張を笑顔で肯定しながら、巧みに
引っくり返すあたり、なかなかの使い手だと思うのですが。
627 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 12:48:29
博識の機械さんを掴まえて「構造と構成」という議論をご存じですか? は無いでしょ その態度って、散歩中の犬に「糞をしましたか?」と問うようなもん、失礼すぎる
628 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 14:27:55
>>627 すごい譬えかたですね。的確とは思えないけど。
何喩っていうの?
散歩中の犬に「糞をしましたか?」と問うのは失礼なん?
630 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 15:15:52
だって犬だよ !? 犬のくせに散歩中、糞をしなかったと思われたら 恥ずかしくって 翌日散歩に出れないだろその犬
631 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 16:25:52
>>626 構造構成主義は怪しい思想宗教であることは間違いないw
糞に糞をぶっかけてもなw
633 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 17:00:29
価値などという観念論の入り込む余地の無い唯物論では 糞もダイヤも対等なのでは? どちらも物である・・に過ぎない でそ !?
635 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 20:02:24
>>633 馬鹿唯物論だなあ.子供でも笑う
本との唯物論ほど価値を重視するものはないのに
636 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 20:04:44
>>620 売り言葉に買い言葉で、
あなたに俺の捨てゼリフをはかせてもらうよ(これ以上は無駄っぽいから)
> ポパーは物理学の教授資格をもっている
> マッハも物理学と哲学の両方で実績を残してる
だからなに?
科学哲学やってる哲学者は、科学を知ってる哲学者に決まってるでしょうに
マッハもポパーも科学を知っていると思うよ
「科学を知らない」哲学者は非現実的だといっただけなんだよね
あなたが科学を知らないと思ってるだけ
科学を知らない人が科学哲学「だけ」を知ったつもりになって、ナマジな論理を駆使しようとするから、
この手の議論で支離滅裂になってるのに気が付いてる?
(昔に、「キリスト教は邪教です」でスレ違いの議論ごっこをやったとき、よおく分かったし)
科学を知らない人に科学哲学を与えるのは馬鹿に刃物を与えるようなもん、と俺は思ってるよ
で、科学哲学は科学の素養のある人がやらないと意味がないと俺は思うよ
ポパーもマッハも科学者とも哲学者ともいっていいけど、あなたはただの哲学学者もどきだと俺は思うよ
>>620 > ついでに言うとあの対話は算出可能性を問題にしている
> これは科学的決定論と呼ばれるものだ
> 科学の世界で帰納がつかわれていないとでもいうのだろうか
あなたの大好きなポパーが「科学的決定論」を論駁するために「算出可能性の原理」を持ち出したわけだよね
で、あの間抜けな会話と「科学的決定論」となにが関係あるんだろね
「科学的決定論」についての議論は、帰納についての問題であっても、
予測の算出可能性と定量的な観測精度を問題にしている
だと思うけどねえ
で、あの間抜けな会話の内容は、
あなたが大好きなポパーのいう、ただの形而上学的決定論とかわんないと思うよ
>>407 > 実際のところ、すべての結果には、それに対応する原因がある(=決定論が成立している)
> としても問題はないと俺は思う。
>>417 > 区別できる事象もあるだろ。
> 例えば、殺人が起こり、犯人が誰かはわからなくても、
> 犯人(本人や事故を含めて)がいることは確かだ。
> 知らない=決まっていないというわけではないよ。
こんなんに「科学的決定論」なんてもんが関係あるの?検証すらできんのに
どういう思考をすればそうなんのか、わけが分かんないけどね
で、あなたの大好きなポパーは形而上学的決定論みたいなもんを相手にすらしなかったと思うよ
(ほっといても、大勢に影響がないから)
>>620 > 俺は科学史も含めて多くの本を読んだが、科学に勝手な期待を押しつけているのは君の方だ
俺は期待について、なあんにも書いていないよ
あなたが多くの本を読もうが読ままいがなんの関係ないし
(いくら本を読んでも、内容がちゃんと理解できなければ、ただの時間の無駄、というのもあるし)
過去の実態と現在と実態は違うってことは分かってる?
あなたは過去の科学者がいまだにいることにしたいだけなんじゃないの
そうでもしないと、あなたの発言はなにも語ったことにならない空虚なもんになるし
> ついでに言うとあれで科学がバカにされてると感じるその感受性をなんとかしたほうがいい
あなたは科学ではなく科学者を馬鹿にしてるんだよ
あなたの無神経さをなんとかしたほうがいいと思うよ
科学者をどうしても見下したいだけ、みたいなようだし
> 哲学やりたいならマッハの『認識の研究』ぐらい読め
> その上で哲学を非現実的と言うなら耳を傾けてやる
> マッハは、理論考察する現存する科学者も非現実的と言ったがな
> 最低でも論理実証主義ぐらい調べろ
あなたになにをやれとか、とやかくいわれる筋合いは俺にはないし、
あなたと議論ごっこをしようとはハナから俺は思ってないよ
いっつも支離滅裂だし
>>625 みたいなこと書いてることもそうだけど、
「脈絡がない」ことと、「句読点が少ない」こととは、なんの関係もないでしょうに
機械さん、お久しぶりです。 久々なので、機械氏の主張についての私なりの要点を書きたいと思います。 脳は物質だから意識は必然である。これが「正しいか否か」という問いは、これは カントなどを初めとして何度も言われてますように無意味な問いです。つまり、自由 というのはあるとも言えるし無いとも言えるのです。 問題は、この思考が「私は所詮、広大な宇宙にうごめく生命体の一部でしかない」という 視点と同様の、自己自身を矮小化する思考だということです。何故これを世界認識の 決定打だと主張するのか?というその願望へと注目すべきでしょう。 例えば、分裂病の一種の症状を出している患者は非常に他者や世界を矮小化する 傾向があります。これは、生の、等身大の視点からの体験というものをできる限り 自分から切り離すことによって精神的慰安を得ようということなのです。 機械氏の主張も、この視点から見るべきでしょう。例えば、ある人間に罵倒されている 最中に「この感情は私の脳の神経細胞の科学的運動に過ぎないのだ」と自らに語ること。 これがどういう意味が在るのか?何故そういった語りを好むのか?ここが問題なのです。
機械氏の場合は、観念論を退けるのが「強さ」だと思っている。 自己を矮小化はしていまい。 自らに語って聞かせるのは、 「あんなのは弱者の自己欺瞞なのだ」だろう。 彼の脳には、自らを決定できる自律性があるらしい。 驚くことに、彼は「選択」をしている(つもりな)のだ。
642 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 21:36:24
643 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 21:50:03
今TV見ておもったけど 科学者で占星術やキリスト教批判する人いるけど、みんな決定論目指しているのだから矛盾してるよね キリスト教一神教決定論だから占星術、科学ができたわけだし。 ただキリスト教は非決定論な要素が混ざってたり、占星術はやり方が強引だというだけなのに。
644 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 22:01:13
>>643 量子力学の”今はわからないが知らないだけで
決まっているのさ、将来研究すればわかるだろう”
って、やってくと最後には占星術みたいに宇宙全体の状態をパラメータにして
決まってたりしてw
>>644 占星術って全然パラメータ化されてないだろ。一部だけでは意味がないし。
646 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 22:33:50
こんな事考えてみました ゼノンのパラドックスの運動否定は実無限、排中律を採用した時おこるので これを回避すると可能無限、排中律の拒絶となります。ところで排中律の拒絶すると、 反対が矛盾ではないという事が考えられます。これは決定非決定でいう必然ではなく偶然の立場を支持します。 よって非決定論になります。運動を肯定すると、非決定論になる ?!
>>646 偶然というのは、物事の見方に過ぎない。視点によっては必然のものが偶然になる。
つまり偶然は、事象の必然を否定するものではない。
648 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 23:00:05
うお、むじんくんがいるw すげえ久しぶりに見た。 ぴかぁも出てくれば大分昔の雰囲気に戻りそうだなw
649 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 23:24:36
ぴかぁはいいや ^^;
650 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 23:41:05
>>647 それは主観的問題だけど、客観的に、必然という概念に対して
偶然というものを設定できるのでは?
-------- ̄ ̄ ̄--------___ ヽ ̄ ̄ -- ヽ_________________________________________/ | ☆ |  ̄-二二二二二二二二二二二--- |  ̄---______________________-- ̄ | ____ ______________》 《___________| /⌒ ̄ / ________ |=/ ________ ヽ ΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛ | 6 | ● |ミ | ● | ヽ ヽ  ̄ |ミ 丶  ̄ .ノ| < 機械的唯物論者=自演するコテは絶対ゆるさん! > ヽ_  ̄ ̄ ̄ ̄ミ ヽ ̄ ̄ | | /( _) | V V V V V V V V V V V V | / ⌒ - ヽ | ヽ / iiii|||||||||||||||ii_ 丶| | 《  ̄------ ̄ ..》| / \.\  ̄ ̄ | / \ \ //\ / / ヽ \  ̄------- ̄/へ \ / ☆ ヽ \ // ☆\ \ ヽ ☆ ヽ \ // ☆ / ヽ ☆ ソ / ヽ \ ☆ / ヽ / / ヽ \/
652 :
前×3スレ538 :2007/01/07(日) 06:42:18
>>517 >538ってまだ学生でしょ?
>哲学にも精通していて理系も踏まえているなんてすごいなと思うよ
いやちがいますがw
ハンドルに書いてあるレス見てもらえばわかるよ。
>>518 >アンチノミーはヘーゲルの弁証法で止揚されるの。これは哲学の常識。
そのヘーゲルもフッサールの立場では無化されるの。
つまりフッサールの立場ってのは、それ以前の哲学の立場を
いっぺんに無化させるってこと。
>>624 >∞538 はもしかしたら、受験生と同一人物?
おれのことを言ってるんだと思うが、受験生じゃないよ。
受験生の最後のほうの議論の相手をして、彼に勘違いを自覚させたのがおれ。
>りくーつ 君の文章の感じだと現代思想の冒険者たちシリーズのポパーを流し読みしただけで 他は読んでないっぽいね。 俺はポパーの邦訳は全部読んだし、英文読解もした。 ポパーに飽き足らずワトキンズの本まで探して読んだ。 ポパーの科学論に完全には納得してなかったからだ。 悪いが解説書すらまともに読めない者と議論する気はない。 >で、あなたの大好きなポパーは形而上学的決定論みたいなもんを相手にすらしなかったと思うよ >(ほっといても、大勢に影響がないから) なはずないだろ。 対話録『開かれた宇宙』に自分の思考が非決定論的世界をベースにしていると書いてあるぜ。 これは形而上学的非決定論なわけよ。 ポパーが形而上学を否定するはずないだろ。 小河原先生の文章を誤読するなよ。 君は反証可能性理論も誤解してるし「検証」という言葉も使用している。 初心者によくありがちなポパー誤読だよ。 だから論理実証主義を調べろと君に言ってるのだ。 経験者として忠告する。 君にポパーはまだ早い。 それでもポパーに興味があるなら 科学論について知りたいなら『実在論と科学の目的』 EPRパラドクスについて知りたいなら『量子論と物理学の分裂』 確率について知りたいなら『確定性の世界』 を読むといい ホームレススレの君の文章を読む限りでは拒否反応を起こすと思うがね。
ちょっと話題を変えて 別スレにおいて「真に重要なのは直観ではなく論証である」という引用をした。 だが、論証の重要性を論証することは可能なのだろうか。 論証の効果を認める者に論証の重要性を論証しても釈迦に説法だし 論証を認めない者に論証の重要性を論証しても馬の耳に念仏だ。 これは論証の限界を示しているようにも見える。 この哲学板でもそうだが、 論証をハナから受け付けずに、論証にこだわる者を馬鹿にする輩がいる。 そのような輩に対して論証の重要性を論じたところで 彼らは鼻で笑うだけだろう。 これは論証を重視する者にとっては一つの挫折であり、 まさにこのことによって論証の放棄に導かれることがある。 ポパーもまたこの問題をとりあげ、ポパーの解決策は大きな批判を受けた。
655 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 07:42:01
____ / \ / _ノ ヽ、_ \ / o゚((●)) ((●))゚o \ ほんとは堵愚慧螺に興味があるんだお… | (__人__) | \ ` ⌒´ / ____ / \ / _ノ ヽ、_ \ / o゚⌒ ⌒゚o \ でも普通の哲学書と違って独学が難しいんだお… | (__人__) | \ ` ⌒´ / ____ /⌒ ⌒\ /( ●) (●)\ /::::::⌒(__人__)⌒::::: \ だから読まずに馬鹿にして逃げるお! | |r┬-| | \ `ー'´ /
>>653 > 対話録『開かれた宇宙』に自分の思考が非決定論的世界をベースにしていると書いてあるぜ。
> これは形而上学的非決定論なわけよ。
> ポパーが形而上学を否定するはずないだろ。
> 小河原先生の文章を誤読するなよ。
こおれは屁理屈だ
ポパーが科学以外のもんにも手を染めてるのはあたりまえでしょうに
「形而上学的決定論」と「形而上学的非決定論」は違うでしょうに
俺は「形而上学」を否定したいってない、「形而上学的決定論」をほっといたとしか書いてないよ
そして、小河原先生は関係ない
ポパーがどうしたかってだって事実だけでしょうに
> 君は反証可能性理論も誤解してるし「検証」という言葉も使用している。
> 初心者によくありがちなポパー誤読だよ。
ハナから「検証」できないもんを科学が相手にするわけないでしょうに
だから、科学を知らないんだよ、あなたは
なにがどう誤読なのか書くこともできんくせに
自分の無知を隠したいだけなんでしょうに
>>653 > EPRパラドクスについて知りたいなら『量子論と物理学の分裂』
昔、『キリスト教は邪教です』スレでのやりとりで、
あなたが、ERP を全く分かってないのもわかったし
パラドックスとわざわざつける人もいるけど、
論文はもともとパラドックスなんて言葉ついてないし
で、読んどいてあのザマなの
> 経験者として忠告する。
> 君にポパーはまだ早い。
> それでもポパーに興味があるなら
あなたに忠告されるまでもないよ
まず、科学を勉強してから読んだほうがいいと思うよ
>りくーつ ポパーの本1冊でも読んだか? ポパー好きの俺ですらポパーの論証はナイーブだと感じるんだぞ >ハナから「検証」できないもんを科学が相手にするわけないでしょうに だから論理実証主義を調べろと言ってるの 俺はポパリアンだよ。 「検証可能性」なんて基準をもってるやつを相手にするはずないだろ。 君はポパーとウィーン学団を混同しているの。 で、ポパーは自分で「わたしがウィーン学団にとどめを刺した」と言ってるの。 つまり、君の考えと逆をいってるのがポパーなの。 だから俺は「君はポパーを誤解してる」と言えるの。 君の考えとポパーがまったく合わないのが分かったろ? 分かったらポパーの本を捨てて二度とポパーの名を出すな。 これ以上ポパーの誤解を広められては困る。 ついでに言うとウィーン学団はマッハに大きく影響を受けているの。 だから俺は君にマッハの『認識の分析』を読むのを薦めたの。 それぐらい読んでるならば君の言葉に耳を傾けるということ。
結局3流にも満たなかったのか
最後はそんなことしかいえんの? バカバカしい
662 :
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2007/01/07(日) 10:59:50
>>643 > 科学者で占星術やキリスト教批判する人いるけど、みんな決定論目指しているのだから矛盾してるよね
> キリスト教一神教決定論だから占星術、科学ができたわけだし。
> ただキリスト教は非決定論な要素が混ざってたり、占星術はやり方が強引だというだけなのに。
キリスト教や占星術と科学的決定論は、歴史的にはつながっているにしても、論理的に依存関係にあるわけじゃありませんよね。
科学者がみんな決定論者なわけじゃないし、科学的決定論を支持したからと言って、キリスト教や占星術を支持しないといけない理由はないでしょう。似たものほど批判し合うというのは、良くある話。
>>658 >で、ポパーは自分で「わたしがウィーン学団にとどめを刺した」と言ってるの。
こういうことを言う奴は、最高位の唯物論破壊と同じで、バカだと思う。
規制くらってた、連投ダル
>>659 アフォか?
そのページに
>(注*反証可能性の概念そのものにはこれ以上の意味がない。
>反証可能性という概念の存在を認めることと反証主義とを混同してはならない。
>また、反証可能性の概念は、反証不可能な命題の意味、価値または有用性を排除しない)。
ってあるじゃん
ポパーは反証主義じゃないのか?
もう一つ
そのページに書いてある
「デュエム・クワイン・テーゼが反証主義への批判になる」と言って
ポパー研究会に飛び込んでみろ。
ポパー研究会が
「デュエム・クワイン・テーゼはポパーを批判していない」という研究結果を出してるぜ
研究会はおまえのような挑戦者を待っているぜ
一般によくなされるポパーへの誤読を「ポパー神話」と小河原先生は名づけて
この誤解の解消を『批判と挑戦』で行っている。
興味あるなら読め。
興味ないならからむな。
ウザい。
>>663 ポパーは人格的には欠陥だらけ。
『ポパーとウィトゲンシュタインの密室での70分間の論争』とかかんとかって本があるが
この本を読むとポパーの人格が崩れているのがわかる。
正直、ポパーの論証もちょっと素朴に感じる。
特に道徳については穴が多い
論証の欠陥埋めるのはポパー研究者の仕事かなと。
験証度における真理接近の原則が帰納の密輸入にならないかということが
個人的な俺の関心。
この解決を道徳に見出すことを試みている。
>>665 ホントに日本語がよめないんだね
(というより、読んでないふりをしてるとしか思えない)
>>659 > 厳密に検証できないことと、
> ハナから検証できないことは違うから
をもっぺん目をかぽじって読んでください
いいかたかえようか?あそこで問題にしたのは、
検証の妥当性の問題ではなく、
検証が実際にできるかどうかが問題なの
実際にできなきゃ、検証が妥当云々以前に
科学に乗っかることすらできないと思わないの?
負けず嫌いで論旨を摩り替えただけじゃん
もう、いい加減あきらめたら?
延々と自分のバカを晒すだけだよ
667 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 14:46:05
ゾルは自分のカキコで「決着がついてる」と思い込んでるフシがある(フシ穴?) このため反論に出くわすと慌てふためき最後は罵倒となる 機械にも見受けられる傾向だが、みな訂正レス多発に気をとられ気付かれにくい
端的に検証の意味に関する理解の違いだと思われるが。 りくつさんは検証主義における「検証」の意味で使っていないだけだろう。
669 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 17:10:23
,,,-‐''"~ ~゙ヽ、,,----、.,,,,_ .,,r''~ ゙ヽ、 `ヽ、 / ゙i, `ヽ、 / i,= ゙i, ~~'''''‐-= / i≡ ゙、 i' ;ヘ, .:.:::ξξξ ゙, i /./ .:.:::ξξξξ i ノ / / .:::::ξξξξ i / /./ .:.:.:.:.:.:/≡=:.:_____ (<ヽ!} / i^ヾ'i:.:.:.:.:.::::::; '= ..:.:.:;'、;:;:;;;;:;;゙i . ゙iヽ\ / ..:....:.:゙、_ ゙:、:::::/ ,,,,,....-i'゙i;====ヨ ,! \\ /;;;;i .:.:.:.:゙i `ヽ、 :.:..:.:.:.:.:.:! ''゙i;:;:;:;:;;! ,r‐'゙゙'' ,! ヽ、> メ;;;;;;;i, .:.:.:.:.:.:.:、 ゙'ー‐-、,,;---、ゞ ゙''''''i'/ / /:::i;;;;;;;ヽ、 .:.:.:.:.:.:.:.:.ヾ、 ゙ ゙` ,ノ ::::::ヽ;;;;;;;;;\ .:.:.:.:.:.:.:.:.:,イ.:.:.゙''ー-、,,___ ,;. 、 ,ソ :::::::::::\;;;;;;;;;`ヽ、,_ .:.:.:.:.:.:.:.:.ノ 〉,.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:゙i` ,:;'' i; ヾi′ :::::::::::::::ヽ、;;;;;;;;;;;;;;;;;゙''‐─--‐‐/ ,{;;;;ヽ、.:.:.:.:.:.:.:.:.:| '" ;: ゙| ::::::::::::::::::::::`ヽ-、;;;;;__,,,,,/ /\;;;;;;;─----‐| ;: ! ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノ i:::::::::゙ヽ、 ;;;;;;;;;;;;;;;;| ;;! ,!
要するに、りくーつ氏の言ってるのは、 科学においては、何らかの形で検証されえない仮説は 反証可能性のテストにかけられる資格すらなく、 ただ黙殺されるってことじゃないの? そういうことだったら、おれ自身にも科学者の端くれとして ごく当然のことに思えるけど。 実際、論文書くときには反証可能性のことなんか考えもしないけど、 自分の仮説を支持する証拠(=何らかの検証の結果)ってのは 書かないわけにいかないからね。
671 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 20:10:10
>>640 >例えば、分裂病の一種の症状を出している患者は非常に他者や世界を矮小化する
>傾向があります。これは、生の、等身大の視点からの体験というものをできる限り
>自分から切り離すことによって精神的慰安を得ようということなのです。
キミは分裂病というものがよくわかってないね。
>機械氏の主張も、この視点から見るべきでしょう。例えば、ある人間に罵倒されている
>最中に「この感情は私の脳の神経細胞の科学的運動に過ぎないのだ」と自らに語ること。
>これがどういう意味が在るのか?何故そういった語りを好むのか?ここが問題なのです。
どこが問題なの?脳の神経細胞の運動だろうがなんだろうが罵倒されてることに変わりないじゃん。
精神的慰安になどなってないぞ。むしろ不自然に怒りを抑えようとしてストレスが
たまってると思うぞ。
672 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 21:05:38
厳密に非決定論と言えるのは何らかの意志の力が突然何の脈絡もなく事象に対して 介入することが事実である場合だけ。 それ以外は決定論。 その中には因果的決定論だとか確率的決定論だとかいろんなバリエーションがある。 人間が完全に予測出来るか出来ないかはとくに直接関係ない。
673 :
750 :2007/01/07(日) 21:32:25
何らかの意志の力がなければ、互いに行動することも考えることも できませんが・・・・
674 :
750 :2007/01/07(日) 21:35:00
フィヒテでは根源的意志ですが・・・・
別に意志の力でなくても「何らかの力が突然何の脈絡もなく…」で よいのでは。
>>656 >「形而上学的決定論」と「形而上学的非決定論」は違うでしょうに
ポパーなんて読んだこともないけど、
形而上学的決定論は科学のいう非決定論とあまり変わらないのかな?
今人間はわからないけど何かでとにかく決定しているはずだ。ということでしょ?
形而上学的非決定論はそうすると、何か尋常じゃない雰囲気だな。
ビッグバンの事だな
678 :
750 :2007/01/07(日) 22:38:49
何らかの力がは、どうやって力が発しているのか説明しなさい。 思考、感情、意志の分類はわかっていますよね。 脈絡もないではないです。それで世論が成立しますか?
石が転がる事に、思考も感情もないと思ったけど 関係ない話なの?
石の意志
681 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 23:24:13
(゚д゚)
682 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 23:36:53
医師の遺志の石の意志 (もういい?わかた ^^;
683 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 23:41:27
逆にいうとまともに考えりゃ、(形而上学的決定論まで含めて)
「形而上学的非決定論」以外は多かれ少なかれ決定論の勝利なんだから
>>1 みたいなのがエラソーに豪語する意味ないんだよな。
「あ、そう、あたりまえでしょ」。このスレも終了
それでも闘いたいのなら、「形而上学的非決定論」とやりあうしかない。
オカルト版でなw
684 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 23:42:43
神秘パリサイ自我主体偶像崇拝的非決定論者ww
石の思惟
686 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 23:46:17
687 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 00:05:17
筋肉を直接動かすのは、われわれの意志の力ではない。 筋肉はわれわれの意志と関係なく、動く。 あるいは、動かそうとしても動かない場合がある。 われわれの意志と対応して動くこともあるから、「自分の身体を意識的に動 かす」ともいう。筋肉が「意志に従っている」わけでは決してない。 行為については意志が先行するだけだ。「意志の力」によって行為・行動が 成り立つわけではない。また、身体が行為するとも言わぬ。そのような定義 づけがあるだけだ。
機械さん オカルト版へようこそw
689 :
750 :2007/01/08(月) 01:00:49
687 意識的な行為がわかっていません 自分の自我の発意によって行動できます。随意と不随意の問題ですね。 願望、欲望、衝動、本能の分類がわかっていません。 思考には意志的な思考、と思考像あります。 思考、感情と意志がわかっていません。 では私という言葉も使えませんね。有機的科学と無機的科学の違いが解っていません それならセルフコントロールも解っていませんね。 想像力も存在しないことになりますが、意志がなければ不可能です。 自我の意識的な行為がわかっていません。意識と無意識も解っていないことになります
690 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 01:22:07
691 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 01:33:41
151 :考える名無しさん :2006/12/30(土) 01:24:15 宿題 脳科学 津田一郎 ダイナミックな脳 認識論 ベイトソン 精神と自然 様相論理 飯田隆 言語哲学大全3 倫理(=自由)学 カント 道徳形而上学原論 冬休みを利用して賢くなろうぜ! みんなちゃんと読んだか−い!
692 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 02:34:15
>>689 750さんは面白そうなので、お相手しましょう。
まず、「意識的な行為」とは、何でしょうか?
行為の流れを意識しつつ為されている行為、と解するなら、〈流れを高次で見て
いる主体〉が在るとお考えですか?と申し上げておきましょう。
身体の随意な動き、不随意な動きは分かります。要は「何に因る動きか?」でし
ょう。「意志に因る動き」なら、念動力を認めざるをえませんが。
「自分の自我の発意によって」とは、何でしょうか?
発意を「意識的に」生み出せますか?「思いつく」のは〈私〉の意志ですか?
発意に先立つ〈自分の意志〉は存在しない、と申し上げておきましょう。
「願望、欲望、衝動、本能」と分類することによって、何を「正しく分かる」の
でしょうか?
思考には意志的な思考、と思考像あります、とのことですが、
「意志的な思考」とは何ですか?「…ねばならない・…あるべきだ」という思い
ですか。「思考像」とは何ですか?思考内容とは違うのですか?
「…ねばならない・…あるべきだ」という意志内容が、何故生じるのか、という
問題はそのまま自由意志問題でしょう。自由意志とは自己原因的な意志のことで
あるとするなら、〈意志そのものを意志しうるか〉という捉え方になりますな。
ショーペンハウアーが問題化した〈意志の意志〉です。
693 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 02:34:58
つづき 「私という言葉」を使う〈私〉とは何ですか? 意識内容を生み出す原因としての〈私〉は考えられない、と申し上げておきまし ょう。何故なら、意識内容を生み出す私的必然性がないからです。意識内容の中 に〈私〉が在るだけである。「思う」は〈行為〉ではない、と前スレで申し上げ ました。反論をお待ちしています。 〈統覚〉は否定します。 自分の意志としてまとめ上げている〈私〉を「どこに」見いだせますか?
694 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 03:21:21
つづき 「分かる」ということが「分かつ」ことに因ってあるならば、 「分かつ」ことを為しているのは〈私〉ではない。 〈私〉には、〈私〉と、〈私以外の存在〉が区別されて存在する理由がない。 〈私〉が、〈あなた〉や〈彼・彼女〉とは違った存在である理由がない。 〈私〉が〈この私〉である理由はあるだろうか。 〈私〉がここに、このように在ることを 「分かる」理由も、「分からない」理由もない。 〈私〉は「そのように、分かっている」が 「そのように、分かつ」ことができない。
695 :
750 :2007/01/08(月) 06:48:33
>>692 ショーペンハウアー「世界は私の表象である」ですね。表象が何であるか答えてみてください。
なぜ、間違いなのか答えてみてください。認識して実行することですよ。
前にも書いたのですか・・・・
意志を持った思考ですね。それでは、自己意識も存在しない事になりませんか?
たとえば、有名な哲学者で私が木を見たときに、「これは私だ」と自覚します。
そのような体験がないようですね。では私が行う動機とは何でしょう。
それだけではわかりませんよ。答えてみてください。
だったら私という言葉を使わないほうがいいですね。3時で1時さん?
696 :
750 :2007/01/08(月) 06:56:36
表象と概念違いについて述べてください。答えれますか? 「思考は高次の経験である」とはどういう意味でしょう。 認識論の問題になります。あなたは、自動機械的に答えてるわけですよね 論理的ではありませんね。自分の述べた事が首尾一貫しているか考えてください
697 :
750 :2007/01/08(月) 07:19:38
相手にしてあげましょう。どうぞ答えてください。3時で1時さん
698 :
750 :2007/01/08(月) 07:34:53
>>693 自我と意識の問題ですね。意識がなければ思考もできません。
覚醒意識が前提ですよ。イントゥイションがわかりますか。
すでにその時点で思考行為を始めています。意志的な思考を
行っているわけですよ。あなた自身が・・・・
>>698 覚醒意識が私だとすると、
「私は眠らない」ですね?
700 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 10:11:03
>>695 〜
>>698 寝ているあいだに、レスどうも。
>表象が何であるか答えてみてください。
>表象と概念違いについて述べてください。
ショーペンハウアーの「世界は私の表象である」については何も申し上げて
ません。〈意志の意志〉について申し上げている。話が逸れていますな。
表象は心象とも言えます。抽象的・概括的な意味内容である概念とは違いま
すが、それが何か?
>自己意識も存在しない事になりませんか?
自己についての意識内容はある。だが、「自己についての意識内容」が「こ
のようにある」私的必然性が無い、ということを申し上げている。
>では私が行う動機とは何でしょう。
意味不明です。「動機を行う」とはどういうことですかね?
701 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 10:13:47
つづき >だったら私という言葉を使わないほうがいいですね。 〈私〉という言葉は多義ですよ。一般的には、「公に対する一個人」程度の 意味でしょうが、俺は〈意志の原因としての私〉を否定しているだけです。 〈意志の原因としての私〉が存在するとお考えか? >あなたは、自動機械的に答えてるわけですよね 「自動機械的に答えてる」とは、申し上げてませんが。 先立つ〈意識の流れのシナリオ〉、あるいは〈意識の流れ〉を高次で見てい る〈私〉が見いだせない、といっているのです。 >自分の述べた事が首尾一貫しているか考えてください 「首尾一貫していない」箇所および根拠を述べてください。 >意識がなければ思考もできません。 覚醒意識を問題にしているのではないのだが。 意識作用と、意識内容のことを問題にしていることがわかりませんか?
702 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 10:16:07
つづき
>イントゥイションがわかりますか。
直感ということですかね。分かりませんね。
何故、イントゥイションなんですか?
>すでにその時点で思考行為を始めています。意志的な思考を
>行っているわけですよ。あなた自身が・・・・
まず、「行為」を定義してみてください。
また、「意志的な思考」とは何ですか?
「考えよう」として考えることは希にありますが、「考えよう」と思っ
たこと自体に動機・私的必然性はないでしょう。
>>694 の〈私〉は「そのように、分かっている」が「そのように、分かつ」
ことができない。
についてはどう思われますか?
703 :
750 :2007/01/08(月) 15:53:47
3時で1時さん、概念は意味内容ではないですよ。わかっていません。 >イントゥイションがわかりますか。 >直感ということですかね。分かりませんね。 >何故、イントゥイションなんですか? 直観と訳すことはできますが直感ではありません。 思考そのものがわかっていません。あなたの場合だと経験論的記述になります。 自分が思考していることをわかっていません。自動的にそうなるのではありません。 言葉ですに結論と判断をしているのです。その前に出てくるのが直観(intuition) です。 そこから必ず思考するはずでしょう。思考が言葉だと思っているからです。
704 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 15:57:55
>>703 その直感は、どこから来るのでしょう?
その直感は、何がしかの過去の(経験・記憶等の)影響を
受けるのでしょうか受けないのでしょうか?
そもそも、そうした「直感の生じる『場』」のようなものがあるでしょうか?
また、直感を生じさせる何者かがどこかに居るんでしょうか?
705 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 15:59:13
あ、字が違うw 感→観と読み替えヨロw
706 :
750 :2007/01/08(月) 16:01:12
>すでにその時点で思考行為を始めています。意志的な思考を
>行っているわけですよ。あなた自身が・・・・
まず、「行為」を定義してみてください。
また、「意志的な思考」とは何ですか?
「考えよう」として考えることは希にありますが、「考えよう」と思っ
たこと自体に動機・私的必然性はないでしょう。
>>694 の〈私〉は「そのように、分かっている」が「そのように、分かつ」
ことができない。
についてはどう思われますか?
思考がこのような状態ではただの戯れです。意識的に思考することが思考することなのです。
そんなのは常識です。そのようなことでは論理性も何もないことになります。
自我を中心点としてその行為が行われている部分もあることがわかっていません。
それは純粋思考だけなのです。概念的思考なのですよ。
表象までわかっていません。語源まで辿ってください。それでないとわからないでしょう。
話になりません。
707 :
750 :2007/01/08(月) 16:04:51
それから、3時で1時さんは、フーコーの「言葉と物」を読んだほうがいいですね。
708 :
750 :2007/01/08(月) 16:20:15
>>704 それが覚醒意識の場合の意識で生じるのです。
709 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 17:18:47
>>708 だから、その意識はどこから来たのか?
と問うている。
その意識は、何がしかの過去の(経験・記憶等の)影響を
受けるのでしょうか受けないのでしょうか?
そもそも、そうした「意識の生じる『場』」のようなものがあるでしょうか?
また、意識を生じさせる何者かがどこかに居るんでしょうか?
>>709 それが脳という物質だろ。
物質を適当にくっつけると生じるんだよ。
その物質をぶっ壊すと消えるんだよ。
少なくとも他人の意識についてはこれで問題ない。
711 :
750 :2007/01/08(月) 18:15:54
意識がどこからか「来る」のですか?「生じる」と言っていますが・・・ そのおりです >その意識は、何がしかの過去の(経験・記憶等の)影響を >受けるのでしょうか受けないのでしょうか? これこそがゲーテ的思考「思考は高次の経験である」ことです。
712 :
零式U ◆ZS5FJPpAlk :2007/01/08(月) 18:26:38
>>692 >>身体の随意な動き、不随意な動きは分かります。要は「何に因る動きか?」
>>でしょう。「意志に因る動き」なら、念動力を認めざるをえませんが。
他行為の選択可能性としての自由意志はやはり不気味な遠隔作用の感を免れない
いでしょうね。意識のメンバーシップ問題のことはともかくもして、クオリア
そのものは学術上ではどこまでも記述の不断の再構築によって説明されるべき
現象なのであって決して主体としての「遠隔作用させる実体」としてそのまま
鵜呑みにすべきものではないのだと思います。
また、身体の随意的な運動というものでは意志の遠隔作用は実証されないという
ことはベンジャミン・リベットの実験などをはじめとする脳神経科学の分野周辺
ではほぼ明らかになっていることで、意識の存在自体がそれを通じて人間に思い
込ませてしまう主客の分離という問題をとりあえず棚上げしておき、そしてその上
で内観現象をまず特別視せずに他の自然科学の対象同様システムの内側へと組み込
むように捉えてみる、といった方法を採用することでむしろ脳科学や量子論の分野
などにも目覚ましい進歩が期待出来るのだと思います。
ただ意志の独立性をあからさまに否定することはあらゆる分野において非常に厄介
な"しがらみ"といったものが関与してくるため、社会的に重い文責を背負いがちな
学者の中にはあえて自分の正直な意見をいろんな技巧を凝らしてあやふやにしてぼ
かすようなことも多々あるのだと思います。そしてこういったことも含めて、
クオリアの手品のような不可解さや世間一般の個人的心情やらが複雑に絡み合って
問題の核心部分がなかなか人口に膾炙しにくい現状があるのだと思うのです。
713 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 21:20:34
>>706 >意識的に思考することが思考することなのです。
思考が意識的であることは分かりますよ。自分が何を考え、どこまで考えたかなどの
認知は当然あります。しかしながら、そのような認知内容があるタイミングで、ある
内容をもって生ずることに私的必然は無い、と申し上げているのです。観念の流れを
俯瞰して見ているような意識は思考の並列的な流れの中にあり、高次には無いという
ことです。意識的であるにしても、思考を制御している〈私〉が見いだせない、とい
うことです。分かりませんか?
>>708 >それが覚醒意識の場合の意識で生じるのです。
あなたの立場では「生じる」ではなく、「生じさせる」ではないのですか?
意識的に意識内容を「生じさせる」のでなければ、行為にはならないでしょう。
意識内容を「生じさせる」動機があり、「生じさせて」はじめて、行為の完了でしょ
う。「行為」の定義を聞かせてくださいな。
714 :
750 :2007/01/08(月) 21:38:19
>>713 意志を持った行為ですよ。認識することですね。
自分の発意によってです。
まだわかりませんね。あなたには、動機がどこからうまれるかわかりますか?
根源は何でしょう。あなたには答えられないですね。
無意識(下意識)との問題の兼ね合いになりますし、夢意識、昏睡意識
それもわかりませんか?
どうして生じさせるのでしょうか
あなたは意識の変化も知りません
>>670 おっしゃるとおりでございます
>>676 > 形而上学的決定論は科学のいう非決定論とあまり変わらないのかな?
違うと思うよ
説明が面倒なんで物理を前提にすると、なんで非決定論になっちゃってるかは、
>>405 を読んでくらはい(半分冗談風味で)
>>407-419 までの俺の会話の相手が形而上学的決定論もどきの主張だと思うよ
形而上学的決定論にしても、形而上学的非決定論にしても、
あまりにも不毛なもんだと俺個人は思ってるけどね
> 今人間はわからないけど何かでとにかく決定しているはずだ。ということでしょ?
今んとこ本当の意味で世界が決定してるとかしてないとか、考えるだけ無駄、
と俺の場合は思ってるよ
(決定論的なもんがいとおしくてしょうがないなら、
いつもの日常ならニュートン力学で充分だし、
もっと近似したのがいいなら相対論でもいいし、
どっちも科学のモデルといえるわけだし)
大切なのは人はどこまで世界を予測できるのか?ということだと思ってる
いろんな予測ができたり、予測の精度が上がること自体は素晴らしい成果であるのにかわらないと思ってるよ
被造物がどうやって自分が生まれたかなどわかるわけがない。
>>715 >今んとこ本当の意味で世界が決定してるとかしてないとか、考えるだけ無駄、
>と俺の場合は思ってるよ
俺は逆に決まっていないとか考える方が無駄だと思う。
決定しているが、原因を知りえないとする方がスマートだと思うね。
そして、だからこそ、
>大切なのは人はどこまで世界を予測できるのか?ということだと思ってる
というテーマが成立すると思う。
予測の精度が上がっていくのは、決定している世界の中で、
どのように決定しているかということを知っていくことだと思う。
ないものをあるように言ってると本当にあるようになる。 あるかないかはどうでもいい。 そういう意味では念力に近い。 あるってことにしちゃってもそれはそれでちゃんと機能する。
そして決定論の世界の中で、非決定論的世界は成立するので、 決定論の方が懐が大きいし、それを根拠なく狭める必要もないと思う。
>>717-719 なんか、待ち構えてでてきたレスみたいで
正直、ちょっぴり恐くなった…
いいんじゃない?
> ないものをあるように言ってると本当にあるようになる。
> あるってことにしちゃってもそれはそれでちゃんと機能する。
あなたにとっては、これで
721 :
750 :2007/01/08(月) 21:57:25
>>713 「我思うゆえにわれあり」のロジックにはまっています。
それを抜けられないですね。哲学をやり直したほうがいいのではないですか?
逆もまた然り。
>>722 >>723 逆は成立しないよ。
非決定論の世界で、完全な決定論世界を作るのは不可能。
逆は、「そのように見えるような世界」なら可能。
725 :
750 :2007/01/08(月) 22:03:31
>>713 脳のトレーニングによって考察方法が物理的にも変化するとわかりませんか?
レベルが低すぎますね。「汝自身を知れ」さえもわからないのですね
自覚する意識すなわち、自己意識ですね。その体験がなければ自我は
論ずることができない。フィヒテからやり直したほうがいいのでは
レベルが低すぎます。
726 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 22:12:23
>>714 自分の発意によってです。
>だから、その発意は〈私〉の意志によって生じたのか?と申し上げている。
>あなたには、動機がどこからうまれるかわかりますか?
はあ ?「私が行う動機」と言ったのはあなたですよ。
何故、「動機がうまれる」になるのかな?
>無意識(下意識)との問題の兼ね合いになりますし、夢意識、昏睡意識
>それもわかりませんか?
で、何故、それらが意識内容を「生じさせる」動機に繋がる訳?
>どうして生じさせるのでしょうか
>あなたは意識の変化も知りません
どうにもこうにも、意味不明。
727 :
750 :2007/01/08(月) 22:20:26
あなたは哲学的に不毛です。意識内容が動機につながるわけないですよ 心理学的なこともわからない。低レベルです
728 :
750 :2007/01/08(月) 22:22:49
意識内容ではなく意識が必然的に発生しているのですよ だから統覚といったのです。外国語文献を読んでいないのがわかります 原文で、
729 :
750 :2007/01/08(月) 22:27:14
動機がどのように生じるかもわかっていないわけですね。 あなたは本当にレベルが低いですね。自我が統括してそれをコントロール する特別な状態を知りません。どうしようもないですね
730 :
750 :2007/01/08(月) 22:44:14
>無意識(下意識)との問題の兼ね合いになりますし、夢意識、昏睡意識 >それもわかりませんか? で、何故、それらが意識内容を「生じさせる」動機に繋がる訳? 意識内容が生じさせる動機では意味不明です。 論理的思考ももっていないことがわかります
>>726 眠気は自分の意志?それとも肉体の物理作用に従って起こる現象?
732 :
750 :2007/01/08(月) 22:50:58
3時で1時さん、もう話にならないですね。 哲学を理解していません。もう以上です。
733 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 22:53:11
>>727 >>728 >>729 >意識内容ではなく意識が必然的に発生しているのですよ
意識は、なにかについての意識(意識内容)であるか、意識作用でないの?
で、今度は「意識が必然的に発生しているのですよ」ですか?
機械的唯物論者さんと同じ立場?それとも違う意味合いで?
あなたが何を言いたいのか、さっばり分からなくなってきたわ。w
対話自体が不毛になりつつある。こちらの質問にはあまり答えたくないようだし。
734 :
考える名無しさん :2007/01/08(月) 22:59:17
750は第2の別コテだろw
735 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 23:01:56
>>731 >もう話にならないですね。
俺もあなたの妙な文章を何とか噛み砕こうとして歯はボロボロ状態です。
あなたとは話しにならないと、俺も観念しました。
最後だけ、合いましたな。w
では。
736 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 23:05:26
737 :
3時で1時 :2007/01/08(月) 23:17:11
738 :
750 :2007/01/09(火) 06:45:57
意識内容は統覚された知覚内容、思考作用ですよによる表象と概念ですよ 後は、bildですね。それ以外の何がありますか? 大丈夫ですか?
739 :
750 :2007/01/09(火) 06:54:41
勿論違います。意識内容を生じさせる動機になるのですか? 意味がわかりません。哲学自体をやり直したほうがいい。 たぶんbildもわからないでしょう。
740 :
750 :2007/01/09(火) 06:59:54
ドイツ観念論さえもしらない。思考、感情、意志の分類もわからない 意味無いですよ。知覚内容と概念で現実が現れるのですから クオリアは単なる知覚内容ですよ。
741 :
750 :2007/01/09(火) 07:23:56
やはり意味を理解することができなかった。ということですね 哲学を知らないことですよ。3時で1時さん
742 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 09:43:20
イランとイスラエルどうなりますかね・・・ 21世紀中に核戦争が起こることになるのでしょうか・・・?
743 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 09:49:32
機械はどこへ? 正月休みにしては長すぎる。
744 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 09:53:19
ご丁寧にありがとうございます。
745 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 10:03:26
機械士は今、ハワイにおる。
士って書くとFFのジョブみたいでなんか嫌
747 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 10:15:26
機械司がいないと雑談になってしもう。
748 :
3時で1時 :2007/01/09(火) 12:35:13
>>729 昼休みなので、大急ぎでレスしよう。
>自我が統括してそれをコントロール する特別な状態を知りません。
だから何度も言っている。あなたの言う〈自我〉は意識の時系列的な
流れから離れた〈高次の場〉からコントロールしているのか?という
ことだよ。〈意識を司る高次の意識〉は有るのか?ということを俺は
訊ねているんだよ。分かってないね。
気分、感情、意志、思考、と分類して、それを分かったところで「何
を、どのように、正しく認識できるのか?」と最初に訊いたではない
か。
対象がその場に無くても、その対象を直観で表象する能力、あるいは、
多様な感覚を自己の内に統合させて統合する働きが人間にはあるとか
は関係ないんだよ。
むしろ、そのような能力、働きを高次の場から「使っている」のかを
問題にしているのだから。このような問い、あるいは〈高次の我〉に
興味が無ければ、関わらなければよいだけだろ。
俺は、あなたに少し期待したんだ。
だけど、あなたはそれに答えようとせずに、勝手に横道に逸れて「ど
うだ、これ分かるまい」「レベル低すぎ、話しにならぬ」と、騒いで
いるだけ。だから、俺も「これじゃ話にならない」と観念したわけだ。
あなたに「期待できるものは無い」限り、あなたがこちらの質問に答
えない限り、続けると罵倒合戦になりかねないのでやめとくわ。
何かものすごく欺瞞に満ちた文章という感じがする
>>748 >〈意識を司る高次の意識〉は有るのか?
ない。低次の物理現象に従っているだけ。
751 :
3時で1時 :2007/01/09(火) 13:20:05
>>750 >ない。低次の物理現象に従っているだけ。
とても明快だなぁ。
俺はID理論と唯物論の中間のような立場だけど、ちゃんとしたレスを
アリガト。
>>751 横レス申し訳ないが、ID理論ってインテリジェントデザインのこと?
唯物論とインテリジェントデザインの中間ってどういうこと??
754 :
750 :2007/01/09(火) 15:10:53
>>751 やはり哲学を知らない。最高位に説明したに知らないとは・・・・
755 :
750 :2007/01/09(火) 15:15:27
どうやっても、有機的人間をアミノ酸から造ることをできはしないよ。 生命力を説明しないとね。やめときます。これだけのレベルではだめですね。
756 :
750 :2007/01/09(火) 16:01:12
後は、3時で1時さん どのように人間が自己組織化されているか明確に答えなさい。 または、一人の有機的人間として組織できているか? 答えていただきましょう。
>>755 原理的に無理じゃないだろ。
同じ原理で、一番低レベルなものを言ってごらん。
(アミノ酸から造ることをできはしない簡単な生命の例)
ウィルスとかはできるぞ。
758 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 17:16:19
>>757 遺伝子からウイルスを作り出すのであって、
完全な人工合成ではない
760 :
3時で1時 :2007/01/09(火) 20:22:25
>>753 IDは唯物論の一部だよ。
>>752 唯物論とインテリジェントデザインの中間ってどういうこと??
ID理論は唯物論の一部なんですかね?
宗教じみた唯物論?
機械的・非人称的な自然的要因のみで、自然界に起こっていることを
説明できず、どうしても自然界に、〈知性〉を見いだしてしまう。
ID理論は、意志や構想、意図、目的、つまり〈デザイン〉が働いてい
るという俺の妄想部分と合致するので、「とても気がかりな」理論で
あり、運動であるだけ。
だから、「ID理論と唯物論の中間のような立場」。
>りくーつ 君うざいね 君が検証可能性基準を持つのは結構だが、 それで科学哲学の抱える問題 ハンソンの観察の理論負荷性や デュエム・クワイン・テーゼに見られるような経験と理論の裂け目を どのように解決するのか? 他に科学哲学の問題に興味があるなら『科学哲学の冒険』でも読むべし。 興味ないならからむな。 そうそう、ポパーの反証可能性基準、実は欠点があるぜ ダーウィンの進化論は反証可能性がないんだよ。 君は進化論は検証可能だと思ってるのか?
>>761 検証可能だろ。適当な条件でのシミュレーションでもいいんだし。
>>761 好きだねえ、論旨をすりかえつつ、延々といいわけするのが
「からむな」とかいって「思ってるのか?」とかいっちゃてるし
で、進化論について、俺はなあんも知らんけど、ちょいと調べてみれば、
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/ > Q.進化は実験で再現できないから科学ではないのでは?
>
> A.いいえ、科学です。実験で再現できないものを科学ではないとすれば、進化論のみならず
> 天文学や地質学などの歴史を扱う分野はみな科学ではなくなってしまいます。実験室で地
> 球が太陽の周りを回っていることを示す実験はありませんが、地動説は確からしい科学的
> 仮説とみなされています。なぜでしょうか。それは地動説はニュートン力学と結びつき、検
> 証可能な予測ができるからです。例えば、日食のおこる時間を正確に予測できれば地動説
> は確からしいと認めることができるでしょう。地動説と同様に進化論は検証可能な予測をし
> ます。地球の年齢について、ある地層に発見される化石について、ある生物と生物のDNAが
> どのくらい似ているかについて、検証可能な予測ができますし、実際に検証されてきたので
> 進化が起こったという仮説は科学的に正しいとされているのです。
「進化論は検証可能な予測をします」
> Q.進化論は反証不可能なので科学ではないのでは?
>
> A.例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証
> になります。進化論が科学ではないと思いたいために「進化論は反証不可能である」と主張す
> る創造論者もいますが、原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないこと
> を混同すべきではありません。進化論は原理的に反証可能ですが、現在のところ反証されて
> いません。[2000.4.11]
「原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないことを混同すべきではありません」
なんにしても、バカの上塗りにしかならないのに(
>>637 を反芻して読んでください)
所詮、あなたは科学を擁護するとかいって敵対心しか持ってないんだよ
科学を擁護するより哲学を擁護することをまず考えたほうがいいと思うよ
>>763 ホームページを引用するのはやめてほしいんだよね。
俺はネットで調べ者をしたことがなくてね。
引用は本の名前を挙げてほしい。
それと俺は「進化論が科学ではない」とは言ってないよ。
「進化論について反証可能性や検証可能性などの基準で考えると困った事態に陥る」と言ってるのさ。
さて、「先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証になります。」
というのが本当に進化論の反証になるのか、考えてみればいい。
これはポパーも困ったんだよ。
もちろん俺はポパーの反証可能性理論を理解しているからポパーの困難が分かる。
君やそのHPは反証可能性を誤解している。
そのHP作成者は「反証可能」に替わる新しい言葉を使用すべきだね
そうすればポパーへの誤解も少しは減るのに。
>>764 もう、どうでもいいよ
参考文献もウェブページの下に書いてあるでしょうに
そうそう、浅田スレになぜかポパーについてのコメントが載ってたけど読んでみるといい 要はポパーへの誤解はひどいって愚痴だな。 ポパーへの無理解が横行しているということは、 科学や知識への無理解もそれだけ横行しているということだ。
>>764 >ホームページを引用するのはやめてほしいんだよね。
ホームページじゃないだろ。ウェッブサイトorウェッブページだろうが。
やめて欲しいなら見なければいいだけ。
客観的に見て、今回はりくーつが正しい。
ゾルレンがここまで見苦しい奴だとは思わなかった。
>>767 じゃあ、君はそう思ってればいい
でもそのウェブページは正直程度が低いと思うぜ
ファイヤアーベントの『理性よ、さらば』にポパー批判がいくつか載っている。
俺はファイヤアーベントの批判はポパー批判になってないと思ってるが、
そのウェブページをつくった人物への批判にはなるだろう。
とおりすがりだが、 >引用は本の名前を挙げてほしい。 上のサイトの文章は、長谷川寿一・眞理子夫妻が書いた 「進化と人間行動」の丸写しだろう。細部は覚えてないが、論理の展開は完全にそれだ。 では、続きをどうぞ。
770 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 23:12:20
>>りくーつくん もうよしときな。 そんなやつを相手にするのは馬鹿馬鹿しいよ。
771 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/09(火) 23:12:59
>>619 >唯一「決定論」を名乗ることだけが分かりません
「この宇宙」は「26次元」でありそれが折りたたまれて「11次元」
であり、それが「折りたたまれて」・・「4次元時空」として「現前」
・・している訳ですので・・・「時間」は「その一次元にすぎない」ので、
例えば「22世紀の地球上の『この緯度この経度』上」で何が起こるか・・
は(時間軸を超越しているので)・・「決定されている」・・ということです。
要は「理論物理学」・・・量子論+相対性理論・・を理解しないと「判りません」
・・ということです。
772 :
考える名無しさん :2007/01/09(火) 23:15:03
デタァ〜〜 ^^;
>>768 >じゃあ、君はそう思ってればいい
逆だろ。キミが勝手に勘違いしていればいいだ。
りくーつと、おれ(決定論者)と、もう一人が、りくーつの方を支持している。
お前の支持者は今のところおらん。
>>771 全てが決定されてるならば全てが徒労じゃないの?
徒労である事とない事の違いは何?
>>766 「誤解」や「勘違い」が成立するとはどういう世界なのでしょうね?
776 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/09(火) 23:38:06
>>774 >徒労である事とない事の違いは何?
その個々人の『脳』が「徒労である」と感じる(判断する)か否か?
・・です。
往々にして「鬱病」は脳内のセロトニン代謝量が減少することで起こりますが、
「なんでこんなに順調な人生を送っていたのに自殺してしまったの?」・・
・・という方には「鬱病」に罹っていた方が多い・・と思われます。
>>776 >その個々人の『脳』が「徒労である」と感じる(判断する)か否か?
>・・です。
ああ、そうなんだw
機械タンの脳にとって観念論は徒労に感じるって事なのね。
テンプレ書き直した方がいいよ。伝わりにくいから。
778 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/09(火) 23:52:26
>>777 観念論は「人間の脳」による「徒労感回避のための言葉の循環(論)」に
すぎない・・という意味で、私には「徒労」だとしか見えません。
「(自然)科学」がここまで発達しても、なおかつ「宗教的世界観」に
しがみつく心理・・については、「念仏を唱えることで往生できる」と
説いた「宗教」と同然のものが見えてしまう・・ということです。
>>778 >しがみつく心理
必然だとは思わないの?
780 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/10(水) 00:02:33
>>640 >これは、生の、等身大の視点からの体験というものをできる限り
>自分から切り離すことによって精神的慰安を得ようということなのです
私は「逆の意味」で、「おっしゃるとおり」だと思います。
太陽を半径1cmの球体とすると地球は直径0.1mmほどの「塵」であり、
その1cmの太陽から1mほど離れた軌道を周回しております。
私たちの銀河系は宇宙内他に1兆個ある銀河島宇宙の1つですが、その私たちの銀河
内には約2000億個の太陽があり、隣の太陽は・・(その)1cmの太陽から
相対距離で300km離れている「恒星」・・アルファケンタウリ(距離4光年)です。
東京に置いたパチンコ玉と名古屋に置いたパチンコ玉の相対距離と「ほぼ同じ」です。
・・この「宇宙的距離という『真理』」を「等身大の視点からの体験」で無理矢理
説明しようとする・・のは「かなり無理がある」・・ということです。
>>778 >観念論は「人間の脳」による「徒労感回避のための言葉の循環(論)」に
>すぎない・・という意味で、私には「徒労」だとしか見えません。
これも循環?
782 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/10(水) 00:20:25
>>781 その個々人の『脳』が「徒労である」と感じる(判断する)か否か?
・・です。
「あらゆる言説(観念論を含む)は、『何々は何々である』あるいは
『何々が何々である』・・という構造を持ちます。
『脳内の』・・「指向的クオリア」は「感覚的クオリア=新たな情報の流入」
・・が欠乏すると・・そのような「循環に陥る」訳ですが、「科学的観測(正しい認識)」
とは、その「指向的クオリアが感覚的クオリア形成に干渉する『あり方』」についても
「自省的な指向的クオリア」・・である・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>782 機械タンの脳には観念論者には発生しない特別なクオリアがあるの?
観念論者の脳とは違う法則で動いてるの?
>>773 >逆だろ。キミが勝手に勘違いしていればいいだ。
>りくーつと、おれ(決定論者)と、もう一人が、りくーつの方を支持している。
>お前の支持者は今のところおらん。
俺は誰からも支持されなくても構わないんだが。
俺が欲しいのは自分の関心への問題解決、批判。
ま、俺を相手にするのは馬鹿らしいというのはその通りだ。
これで終了にしようぜ
785 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 01:11:46
>>784 自己中めw
ゾルもりくーつもいい論客だから、クオリティ高いレスを
これからもキボンと外野は言ってみる
786 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 01:11:54
>ゾルレン
>>771 について非決定論からの反論を期待するが・・・・
>>786 あの文章を批判しろと?
決定論云々よりも「真理」だろうな。
機械君は「現代物理学は真理を語っている」と言ってるのだろう。
だから「現代物理学は真理なのか?」という問いで攻めてみるというのはどうだ?
俺は「科学は真理を問題にしている」とは言うが「科学は真理ではない」と言う。
ここで言う「真理」とは「現実世界との一致」だな。
仮に科学が真理であるとして、つまり科学が現実世界を描写するとして、
理論が現実世界を描写するなどはどのようにして可能なのだろうかね。
と、哲学の話題にひきこんでみるかな
だが、本気で何かを真理であると信じている人間にどのような言葉がかけれるのだろう。
現実を知っている人間に言葉をかけるのは虚しいことだよ。
なんせ現実を知っている人間は相手の言葉に耳を傾ける必要がないんだから。
>>787 >機械君は「現代物理学は真理を語っている」と言ってるのだろう。
機械君は「現代物理学は『機械君の脳にとっての』真理を語っている」と言ってるのだろう。
789 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 01:55:50
だけどゾルレンの「現実」や「真理」は何の根拠もない主観的確信だし、 気まぐれに変更するかもしれない「現実」や「真理」だから「ご都合主義何が悪い!」だけだよ。
790 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 02:03:56
>>788 特に読み込む必要なく「同じこと」だよ。
791 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 02:18:03
>>788 788君は「現代物理学は『機械君の脳にとっての』真理を語っているだけ」と思っている(だけ)なのだろう。
ひとつの説明原理に執着して無理にすべてを説明したって、それはただの パズルゲームさ。ピースの組み合わせの合っていない箇所が見えない だけなのさ。
793 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 04:57:55
地球43億年の怨念をこめてたかが300万年の人類にズにのるんじゃね〜〜〜といってやるw
794 :
750 :2007/01/10(水) 08:25:04
>>782 現代科学的な観測の問題をなおざりしているのではないですか?
観測が正しいかどうか考えてください。答えを出してください
795 :
750 :2007/01/10(水) 08:30:01
あなたの認識がそうだからだけですね。 自分で観測してください。文献からでしょ。知覚と思考方式が問題になるのではないですか 当然、事象の運動現象をそう判断するのでしょうね。現象学ですよ。
796 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2007/01/10(水) 10:11:47
>>780 > ・・この「宇宙的距離という『真理』」を「等身大の視点からの体験」で無理矢理
> 説明しようとする・・のは「かなり無理がある」・・ということです。
もちろんです。「わが上なる星の輝く空とわが内なる道徳的法則」というのはそういうことで、
認識と実践(物自体)との分離ですね。問題は、脳科学などによってこの点が非常に分かりやすく
浮き彫りになってきたということでしょう。脳が物質「だから」意識が必然というのは、つまり
はカントが分離した認識と実践をごっちゃにしちゃえ、という発想ですね。
カントのように、この2つをきちんと分離せずに一緒くたにすれば、以前話題にもなったクオリア
のような怪しげな代物、つまり、自然界を科学的に認識する、というのではなくて、形而上学的な
願望を「科学風味」で記述するということが発生する。ニューサイエンスとか言われるものは
そういうものです。
これの何が問題か?それは本来「信」に基づくものである領域を、認識の結果であるかの如く
語ることです。これは「認識によって実践を制御できるんじゃないか」という権力願望なわけで、
その誇大妄想は必ず事実によって否定されるのです。
797 :
哲学者最上位 :2007/01/10(水) 11:04:18
>>795 文献からばかりの人にそう言われても・・・
799 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 12:32:12
むじんくんの流れるようなレスが好き
800 :
750 :2007/01/10(水) 13:00:50
私は自分でも知覚と思考で考えてますよ。前に言ったように自分で確認して 考えます。自我を持っていますからね。
801 :
750 :2007/01/10(水) 13:20:23
早く、3時で1時さん、機械さん答えてもらいましょう。
802 :
哲学者最上位 :2007/01/10(水) 13:34:32
あなたたちは勘違いしてるけどね観念論を科学で解明できるわけがないのだよね。 観念論というのはね、右脳や左脳の問題ではないのだよ。 論理や空間認識の問題とは別のところで、旧哺乳類の脳や爬虫類の脳と大きく関連しているのだ。 この脳は人間にもまだある。感情や情念や衝動を司るのだよ。 唯物論者はそのメカニズムを解明できん。言語・記号以前の問題だからね。
>>802 何かをある程度でも解明できるとすれば、唯物論が一番。それ以外は屑。
唯物論で解明できないことは、他のどんな論でも解明不可能。
805 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 14:55:19
無職度最高位よ。 もう正月終わってるぞ。 みんな働いてるぞ。 小学生か?
806 :
哲学者最上位 :2007/01/10(水) 14:57:02
つまりは唯物論で解明できないことこそ 宗教と観念論で理詰めるべきなのであってね。 唯物論の出る幕ではないということだね。
807 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 15:09:24
おまえら仕事何してんの? パチ屋の店員?w
>>806 唯物論の範囲外のことは解明できないから、理詰めは不可能。
妄想するのみ。
809 :
750 :2007/01/10(水) 19:21:28
だからこそ多角的観点から考える必要があるのですよ。
810 :
哲学者最上位 :2007/01/10(水) 19:27:38
>>809 >だからこそ多角的観点から考える必要があるのですよ。
多角的観点など、どこにある?
全員が一元論者じゃないか。
視点によって観測される対象が変化してしまうなら哲学など意味ないのだよ。
「あらゆる規定は否定である。」
これに尽きる。尺度を設けて観測すれば結果は変わるだろう。
811 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 20:17:13
とにかく、ごちゃごちゃ言いたい→多角的視点。
812 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 21:35:17
ラプラスの悪魔って知ってるかな?かな?
813 :
750 :2007/01/10(水) 22:08:12
前にも言いましたが唯物論、観念論、モナド論など色々な観点から 首尾一貫して語ることができるといいました。
>>812 まあ、確率的な記述のない方程式を探す旅にでも出てみてはどうだろうね
古典的な描象だけで世界が記述できるのであればいいんだろうけど
>>814 確率も決定論の世界にあるもの。非決定論では確率も糞もない。
>>815 > 確率も決定論の世界にあるもの
きっと、あなたはコイン投げでも無敵だろう
表を観測してから、表に賭けたといえるわけだし
>>816 そもそもコイン投げは決定論的。投げられた状態から十分計算可能。
>>817 というかさ、実際に観測するまで状態が分からない、
ことについてどう考えるかということだと思うよ
いずれにしても、猫は生きてるし、猫は死んでるし
後だしジャンケンをしてもしょうがないと思うけどね
>>818 わからないということは、決定していないということではないよ。
時間が連続で、世界の変化が連続で、常に一つの状態しかないなら、決定論以外の余地はない。
常にどのように決まっているのか知りえないだけ。
非決定論を持ち出す奴は、なぜか「ある瞬間」だけの事象を持ち出す。
そしてそれが持続しないという変な条件をつける。
>>819 > わからないということは、決定していないということではないよ。
と俺はいってないよ
> 時間が連続で、世界の変化が連続で、常に一つの状態しかないなら、決定論以外の余地はない。
> 常にどのように決まっているのか知りえないだけ。
知り得ないことを強弁しても意味ないと俺は思うだけで
> 非決定論を持ち出す奴は、なぜか「ある瞬間」だけの事象を持ち出す。
> そしてそれが持続しないという変な条件をつける。
世界は非決定論的だと俺はいった覚えなんかないし
fdg
>>820 >知り得ないことを強弁しても意味ないと俺は思うだけで
まあ、それはそれでいいと思うよ。
知らない原因があることをわかっているかどうか、俺は重要だと思うだけで。
>>822 でもさ、人が観測するまで意味をもたない事実について考えてみるのもいいとは思うけどね
824 :
750 :2007/01/10(水) 23:29:13
>>782 誰が判断するのですか?自分の自我がそうするのですよ。
対象に対する自己意識によって自我が発達します。
はったつてき過程を無視しています。自我を知覚する感覚、自己意識の発達です。
それゆえに、自我はある種、空であり自我性を持つのです。
ゆえにある種の感覚です。自我感覚といってもいいでしょう。
>>最高位、自我がわかっていません。「我思うゆえにわれあり」の誤謬です。
それから、自我意識が変化することを知りません。哲学的に述べています。
心理学では無意識で解決しますが、唯物論では物質現象で解明するのです。
それができないから、機械氏と3時で1時さんは物質的な理論武装をしていま。
自分で探求することができません。批判だけをすることで・・・・
そのこと完全に解明されないからです。唯物論でも答えようがありません。
その主知主義だからです。明確に有機的人間がどのようになるかを説明してください。
思考方法の問題なのです。思考とは何かがわかっていません。
答えられないから、あなたは必ず答えようがないでしょう。
825 :
750 :2007/01/10(水) 23:31:26
それから、遺伝子RNAとDNAがなぜ存在しているのか明確に答えてください 機械氏と3時で1時さんは答えられないでしょう。 早く答えてください
>>825 元素を適当な条件でばら撒くと勝手に出来上がる。
宇宙がなぜ存在するかは誰も答えられない。
827 :
750 :2007/01/10(水) 23:42:33
完全な答えは円周率のπがあるように、近似値で表すことしかできません。 一点から同一の距離の点の集まりですね。それを定義できるのは、人間の思考ですね。 現実では近似で、存在できません。 それから脳の神経伝達も連続性があることをわかっていません。 デジタル2値化するのですよ。その伝達の連続性がわかっていません 数値の無限大が行われなわなければ円になりません。どうやっても 思考でそれを行っているのです。3時で1時さん答えてください。機械さんも
日本語でおねがいしま。
829 :
750 :2007/01/10(水) 23:52:23
脳の伝達信号はデジタルではなく、連続性を持ったものです。 微分積分を考えてください。数式で無限大にしないとなりたたないのです。 その電気信号はデジタルではなく連続性です。
830 :
750 :2007/01/10(水) 23:56:38
説明できないから、3時で1時さんと機械氏は答えられないでしょう。 例を上げましょう。 電気信号は音楽で加工する時にはビット数で離散的な値を標本抽出するのです。 ですが脳では信号の連続性があります。
831 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/11(木) 00:03:17
「脳」の神経細胞(ニューロン)の「信号発信部」は「軸索」であり、各ニュー ロンに1本ありその先は数十本から数百本に枝分かれしており、内部で 電気・化学的に情報を伝達します。 (情報)信号を受け取る「信号受容部」の方は「樹状突起」と呼ばれ、 各ニューロンに数本〜数十本付いております。 軸索の先は枝分かれし延伸し、他のニューロンの樹状突起の一部に付着 し、「シナプス」という「繋ぎ目」を通して「化学物質(情報)」を伝達す る「だけ」です。だからそれは「物理・化学法則に正確に忠実な反応」 なのです。 むろん、一素子で一かゼロの情報しか扱えず、その情報伝達先も一個 (の素子)である実際のコンピュータ(電子計算機)に比べれば、 「遙かに複雑且つ大規模」ではありますが、両方とも突き詰めていえば 「物質の自律的動き」以上でも以下でもないのです。 要するに我々の脳内で起こっていること(思考や感情や感覚や意思や 記憶)は「全てニューロンの働きである・・ということですが・・?
832 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 00:21:06
>>815 >非決定論では確率も糞もない。
プ
>819
>時間が連続で、世界の変化が連続で、常に一つの状態しかないなら、決定論以外の余地はない。
プププ
どうしようもなく想像力の足りない御仁が約一名おられるらしいwww
833 :
750 :2007/01/11(木) 00:32:06
そんなことはわかっていますよ。それではなぜドーパミンが最初から 存在するのですか、自己的要因と物理的化学でニューロンだけの働きではないです 無意識(下意識)とをどうやって説明するのですか? 内部的な要因によって脳の使い方が変わるとわかってないですね。 ニューロンのはたきだけではないです。自分自身で自分を変えることができますね。どのように自己組織化した 有機的人間になるのかの説明になっていません。 ニューロンである意味答えれるでしょう。思考、感情、感覚はニューロンではありません 前頭葉の果たす役割がわかっていますか?自我がなければそれを自分自身で変えるのは 外的要因と認識して実行するのですよ。それはただ物質現象としか捉えられないのですね。 ニューロンの働きでだけではないですね。純粋思考によって考えるのですよ どうしても概念と知覚内容で現実が現れます。ニューロンだけでは、 言葉と観念、表象、概念、理念はどうするのですかそれが言葉ででてきて あなたが観念的思考をしていることを解ってていないのですよ。 脳の使い方の変化はどのように説明しますか?実際そうですよね。 まだ解らないですか?
834 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/11(木) 00:34:39
>>818 >いずれにしても、猫は生きてるし、猫は死んでるし
あなたは、「人間(という哺乳類)の個体が観測するまで、猫(という哺乳類の個体)は
「半死半生の状態である」・・・と本気で信じていらっしゃるのですか?
835 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/11(木) 00:40:13
>>833 >無意識(下意識)とをどうやって説明するのですか?
「ニューロン」は高等な脳の機能を司り、他の神経細胞は脳幹・延髄・脊髄
・・末梢神経を司る・・ことは、100年前から「分かり切っている事実」です。
爬虫類や両生類や魚類と「共通する部分」だけが「決定論的ではない動きをする」
・・と信じるのは「どうか?」と思います。
・・確かに「生殖に伴う快感」等は、爬虫類や両生類や魚類と「共通する部分」ですが、
それを「言葉で説明する」・・ことなど・・そもそも「不可能」なことです。
836 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/11(木) 00:50:46
>>833 >それではなぜドーパミンが最初から存在するのですか、
ドーパミンは「受精卵の状態」では存在し得ません。
たぶん「胎児」の末期には「脳内で合成」される訳ですが、
「胎児期の体内で合成される化学物質」は「ドーパミン」だけでは
ありません。
(「脳神経系」内に限っても)セロトニン、ベータエンドルフィン、
(ノル)アドレナリン、等々・・・他に各種「ホルモン」「コーチゾン」等々
・・です。
837 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/11(木) 01:05:43
脳内睡眠物質(メラトニン他)が蓄積してきたようなので、 本日は就寝させて戴きます。
838 :
750 :2007/01/11(木) 01:08:51
あなたは、現代実証科学ですね。動物に当てはまっています。 自然に能力をはじめから持っています。人間は学習しなければなりません それもゲーテのメタモルフォーゼから来ている部分があります。 動物と人間の場合は違うのですよ。認識して実行することですね。 決定論では解決できません。自我があるからですよ。気質の変化も 進化論的に変わることがわかっていません。 不可能といいましたね。そもそもそれだけでは答えは出せないと証言したことですね。 不可能ではないですが・・・、生殖的な快感をどのように観察しているかといえば 人間の知覚と思考です。だから純粋思考なのですよ。観念で思考していることがわかりませんか? 決定論では不可能なのですよ。それから概念的思考でなされているのかわかりませんか? 抽象的思考をしているのがわかりませんか、やはり知覚と思考なのですよ レントゲンでも同じように腫瘍のの見つけ方は知覚と思考で行っているのですよ。 抽象的観念で思考しているわけです
839 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 01:15:52
>>838 どうひいき目に見ても残念ながらあんたの完全敗北だなw
>>838 支離滅裂になるならレスするな。観念論の足を引っ張る結果にしかならいからね
841 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 01:30:32
750が馬鹿というか脳の機能がタリン脳タリンであることだけは理解できる
842 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 01:44:48
2ちゃんねるの終焉
隔離病棟スレ
845 :
750 :2007/01/11(木) 08:59:25
私は形而下学です。現象を物理化学的に述べているだけ問題の解決にはなりません。 発話過程はどうなるのですか?
846 :
750 :2007/01/11(木) 09:04:22
観念論でもありません。一元論です。どうやって有機的人間が自立的に 存在できるのか?答えていませんね。3時で1時さん、機械さん、 どう説明します。
847 :
750 :2007/01/11(木) 09:12:09
物理化学的な現象を語ってますね。それからどのように思考が生み出されますか 肝心なことに答えられていません。あなたは物理化学的な過程だけで 意識について述べていません。どうします?
848 :
750 :2007/01/11(木) 09:20:19
>>835 言葉でもべるのが不可能なのですね。機械的唯物論では答えられない。
観測の問題も考えてください。どうやってニューロンの伝達と思考を結びつけるのですか?
答えてもらいましょう
849 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 10:05:52
人は光を見ることができませんよね。
>>849 光に限らずどんなものでも。
でも夢は見ていると言えるかもね。
851 :
750 :2007/01/11(木) 10:48:41
その通り、光そのものは見れません
852 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2007/01/11(木) 10:49:29
近代人の思考を代表するものとして、デカルトの懐疑がよく持ち出されます。彼の著作を 見ると、自分の眼前に現れるものが、夢であろうと覚醒時のものだろうと構わない。それを 把握する思考こそが絶対自立的であると宣言するわけです。 つまり、デカルトにとって思考の正当性は対象の真偽に左右されない。脳が物質であっても そう記述している思考は常にその記述に先行しつつ作動している。じゃあ、その正当性は どこにあるか?という問いに対して、神が保障するという極めて評判の悪い決め付けを したわけです。 しかし、世界が私の思考を規定しないならば、私の思考は世界の外部によって、つまり 超越性によってしか規定され得ないでしょう。デカルトが神を持ち出したのは、「私の思考が 正しいのは正しいからだ」という記述を避けようとしたときに、思わず形而上学的記述を してしまうということで、その点についてはカントが後に明確にしました。 この発想は後に言語は世界に先行するという、所謂「言語論的転回」として変奏されます。
853 :
750 :2007/01/11(木) 11:02:36
言葉の前に哲学的には概念的思考をしているわけです。 必ずインテュイションから始まります。 3時で1時さんと機械さんは物理化学的な振る舞いだけで、述べるわけです。 自我、ヘブライで言うと「私は存在する」という意味がわかっていません その歴史的変遷も知らないのですよ。 後は、チョムスキーなどに変遷してゆきますね。 史的唯物論がなぜ終わったかもわかっていません。
855 :
哲学者最上位 :2007/01/11(木) 14:16:47
自我の話はどうやら本物の最高位にお出まし願うしか ないようだな。
あのバカの言いそうな事はほとんど予想できる。
>>843 >>832 の言うように、
>非決定論では確率も糞もない。
とか
>時間が連続で、世界の変化が連続で、常に一つの状態しかないなら、決定論以外の余地はない。
のほうがよっぽど妄想に近いと思うんだが。
858 :
750 :2007/01/11(木) 16:44:01
>>857 >時間が連続で、世界の変化が連続で、常に一つの状態しかないなら、
条件だろこれは。条件を満たすかどうかは主張していないだろ。
>>859 んなことわかっとる。
そういう条件の下でも非決定論があり得るってことを言ってんの。
決定論か非決定論かってのは発展規則の問題だろ。
「時間が連続で、世界の変化が連続で、常に一つの状態しかない」ってのは
発展規則の決定性・非決定性に対してなんの制限も課してない。
>>860 >そういう条件の下でも非決定論があり得るってことを言ってんの。
どうあり得るの?
>>861 光速度とか重力定数とかが連続的かつ不規則に変化するような世界とか。
>>862 不規則とはどういうこと?誰にとっての不規則?
人間が知らない法則で連続かつ不規則に見える変化をするだけだろ。
>>862 それに不規則は決定論の中に含まれるよ。非因果的決定論があるから。
>>863-865 きみが言ってるのは全部、「決定論 で も あ り 得 る」ってことだけだろ。
そこから「決定論以外の余地はない」に飛躍するのは妄想だろ、って言ってるの。
>>866 非決定論が入る余地が無いのだけど。
あるなら具体的にどうぞ。
モデルでもいいから、メカニズムと結果の例を示してくれ。
>>867 具体的には
>>862 で言ってるじゃんよ。
ちなみに光速度が時間的に変化してるかもしれないって理論は実際にある。
その変化の規則を決定論的にするか非決定論的にするかはモデル作成者の自由。
>>868 言ってないよ。
時間的変化に原因があるかないかはそれでは示せてない。
むしろ、変化する原因があるから、そのように連続かつ不規則に変化すると言える。
それに非決定論的というのは、決定論の一部。カオスがいい例。
それからモデルを示すなら状態AからBになるとかの例で、出してくれ。
非決定論に見える世界も決定論の世界の中における以上、決定論は否定できない。 逆は成立しない。
また、非決定論に見える世界があることを、決定論は否定しない。 ゆえに決定論が正しいとして何も問題はないし、非決定論的に見える世界に何の影響もない。
>>868 自由でいいから、非決定論モデルを数式か厳密な定義で説明してくれ。
時間なら、時刻tとか、変化ならどういう変化するのかというのを説明よろしく。
>>869 不規則とはどういうこと?誰にとっての不規則?
>>869-874 べつに決定論的な世界で非決定論的に見える現象が生じるってことを否定してはいないよ。
おれが言ってるのは、非決定論的な現象を決定論で説明できるからといって、
それはこの世界が 実 際 に 決定論的 で あ る ということの証明には
ぜんぜんなってないってことだよ。
実際、非決定論的な物理法則からでも見かけ上の決定性が出てくるってことを
量子力学(コペンハーゲン解釈ね)は言ってるんだから、きみの説明するような世界観は
実際そうであり得る可能性のうちの一つにすぎないわけ。
そういうことを無視して「決定論以外の余地はない」と断言するのはおかしいでしょ、って言ってるの。
>>834 で、機械氏は、ツボ振りのツボの中のサイの目を透視できるのかな?
1 しかでないグラサイだったらいいんだろうけど
(これだったら透視しなくてもハズレないからね)
フタを開けてみなければ分からないことがあることについて、
納得したくないだけ、と俺は思うけどなあ
そういうわけでもないのかな?
877 :
750 :2007/01/11(木) 22:45:58
秘数学的なことで、記号で表すには限界があります。
>>875 >実際、非決定論的な物理法則からでも見かけ上の決定性が出てくるってことを
>量子力学(コペンハーゲン解釈ね)は言ってるんだから、
そんなことは言っていないし、非決定論的な物理法則から、見かけ上の決定論なんて出てこない。
キミは物理や決定論をわかってないだけだと思われ。
>>876 >フタを開けてみなければ分からないことがあることについて、
本当にそれが「ある」なら決定論。
>>875 >おれが言ってるのは、非決定論的な現象を決定論で説明できるからといって、
説明できるなら、そのようになっているとするのが普通。証明するまでもない。
そんなことを言い出したら世界が存在することだって決定論同様証明できない。
>>868 自由でいいから、非決定論モデルを数式か厳密な定義で説明してくれ。
時間なら、時刻tとか、変化ならどういう変化するのかというのを説明よろしく。
それからモデルを示すなら状態AからBになるとかの例で、出してくれ。
>>869 不規則とはどういうこと?誰にとっての不規則?
>>882 実況
哲学嫌いの理系が粘着しています( ・ω・)
>>883 説明できないような言葉を使う方が悪い。
885 :
750 :2007/01/12(金) 06:02:34
言葉の限界に突き進みます。ヴィトゲンシュタインの言ったことはある意味正しいのですよ
886 :
750 :2007/01/12(金) 06:06:00
早く前に言った事を証明してほしい
887 :
権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2007/01/12(金) 06:34:14
観念は実際事を成す人の規準に使えるし、 唯物論もそこまで発展してるわけじゃない 唯物論と観念で機械論的に構成してみては?
オマイラ
よく決定論なんていえるな。 オマイラ、デカルト大先生やライプニッツ大先生やカント大先生を読んだこと無いのか? こっちにはこんだけ見方がついてんだぞ!コラ!
理系で科学を知ってるからって偉そうな事言うな。 文型の哲学の堂々たる歴史があるんだぞ!馬鹿にスンナ!コラ!
>>890 本来哲学は理系に近いものだったんだけどねぇ。
「文型」なんて書いている時点で馬鹿にされるのは当たり前だと思う。
変換ミスだとしても、送信する前にチェックできていないところとか。
オイ オマエラ! よくもデカルト先生、ライプニッツ先生、カント先生を平気で馬鹿にできるな。 理系の浅知恵で、文系の深遠な体系をなめられては困るぞ! 先生は偉大なり、決定論とかいってる奴 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
893 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 11:45:55
決定論とかいってる奴はチョンだ.工作員だろ? 人間が自由でないわけないだろ。もしそうなら、ロボットと変わらないだろ。馬鹿かw そんな事いってる奴今時 チョン ぐらいしかいないぞ。 日本にまで来てご苦労だったな。プw
まぁまぁ そう思うならそれでいいんじゃないですかw
機械まだ入院してねぇのか。そろそろやばいんじゃねぇの?頭とか。
896 :
750 :2007/01/12(金) 16:31:41
まだですか、3時で1時さん、機械さん、物理現象を追っているだけですよ。 明確に述べる必要があります。
哲学の一部は妄想だよ。
>>878-882 >そんなことは言っていないし、非決定論的な物理法則から、見かけ上の決定論なんて出てこない。
>キミは物理や決定論をわかってないだけだと思われ。
いきなりそんなこと断言されてもねえ。
プランク定数が無視できるようなスケールのマクロ系では物事は決定論的にしか見えないの。
正規の過程で量子力学を学んでればごく初期で説明される事柄なんだけど。
>>899 >プランク定数が無視できるようなスケールのマクロ系では物事は決定論的にしか見えないの。
そんなことはない。ブラウン運動とか知らないのか?
>>893 人間が自由なわけないだろ、物質の集合体でしかないんだから
こういうレスをする自分の行動もすでに決まっていたものだしなぁ、複雑だから予測するのは難しいけど
やっぱ哲学って毒な気がする、宗教のが全体として効率いい
実際効率よくやっても遅かれ早かれ人間はいなくなるんだろうけど
>>887 それだと弁証法的唯物論と同じでだめだとさ。
903 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/12(金) 23:10:31
>>901 >複雑だから予測するのは難しいけど
そうです。非決定論者さん達の「最終的拠り所」は、
「決定されているならば予測できるはずだろ?だから予測してみろ!」
・・というものですが、例えば「現時点における地球上のインターネットのトラフィック」
は、当然「決定されていた」訳ですが、その「数兆トラフィック/秒」を予測
することは「不可能」であり、「意味がない」ことは申し上げるまでもありません。
「人類の個体の脳」内でも「1000億個のニューロン(神経細胞)」が、それぞれ
軸索(出力系)を延伸させ、その中を通過する「電気信号」により「シナプス」を発火させるか否か
決定し、シナプスが付いた「他のニューロンの樹状突起(信号受容部)」に「信号を伝える」・・という
「物理化学現象」を(個体死まで)繰り返す訳ですので、・・「予測」はやはり「不可能」です。
その「予測不可能」・・という(単なる技術的な)問題と「決定されている」・・という「真理」を
ごちゃまぜに混同して考えているのが・・「非決定論・観念論」なのです。
>>903 観念論を考えるのも必然だとは思わないの?
905 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/12(金) 23:40:11
>>878 >非決定論的な物理法則から、見かけ上の決定論なんて出てこない
太陽は「巨大な核融合炉」以上でも以下でもありません。
要するに「大量の水素がヘリウムに変換(原子核融合)している課程の恒星」である
ために、「私たちの地球」はこの「絶対零度が基本な宇宙」で、摂氏−60度〜+60度
程度の「環境」を保つことができている(だけ)なのです。
要するに「局所的(太陽系)にエントロピー増大の法則の対象外になっている」状態
なのです。・・勿論「私たちの太陽」もいずれ「赤色巨星」となるか「白色矮星」るかの
「恒星の終焉」を迎えることになり、その惑星上の生命は全て滅びることになります。
・・ということですので、「太陽」の中での量子反応(水素原子核がヘリウム原子核に
「核融合変換する」作用)も当然に「不確定性理論」に基づいておりますが、「太陽の出力」
が明日突然に「1%落ちます」・・ということにはならない・・のです。
「確率論」と「大数の理論」を理解していれば、そのことは容易に理解できます。
906 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/12(金) 23:46:56
>>904 必然です。
「誕生から死まで『間違え続ける人類の個体の脳』」もまた「ある」
・・ということです。
>>903 > その「予測不可能」・・という(単なる技術的な)問題
というより、原理的に不可能だと俺は思うけどな
(機械氏がいうみたいに、そんなに沢山じゃなくても、たった一個の粒子ですらお話にならないと思うのに)
で、機械氏が確率的な記述を含まない検証済みの決定論的なモデルの仮説を知ってるなら教えてほしいな
(ニュートン力学とか相対論をヌキにして)
科学を前提にすると標榜するなら、それぐらいしないと
>>903 俺も必然だと思う
ただおせっかいがしたいのか、自分の方が真実を知ってるという自信があるからなのか
教えてあげたくなる。意見の違う人も真実を知っているという自信がある。
でも、真実とかどうでもいいんだよな。自分の中でのいい落とし所であればいいだけで
とか言い出すとスレ勢い減りそうな気もするけど、このスレの人達はパワーがありそうだから関係無いよな
魂はあると思ってる人は結構いると思ってるんだけど、もしあるとしてどの瞬間から発生するのか教えて欲しい。
909 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/12(金) 23:55:48
>>907 >ニュートン力学とか相対論をヌキにして
それが「決定論的である」ことはお認めになっているのですから、
何も「モデル」を設定する必要は無いのではありませんか?
回転寿司のコンベアの設計・・に関しても「虚数i」を利用しなければ
「できない」と聞いたことがあります(あくまで「伝聞」ですが)・・
回転寿司のコンベアの円滑な回転・・は「リアル」ですが、「虚数」を
リアルに実感はできない・・・ということと「同じこと」なのです。
それを「理解できない」方には、どんな「モデル」を示しても無駄だと思いますが・・。
910 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/13(土) 00:01:05
>>908 >魂はあると思ってる人は結構いると思ってるんだけど、もしあるとしてどの瞬間から発生するのか教えて欲しい
「インターネットのトラフィック」はたぶん人類が滅亡するまで「ある」訳ですが、
それは「魂」という「脳の状態」と似ていると思います。
・・確かに「現在『それ』はある」かもしれませんが、「何時からあったか」
「何時まであるのか」・・それを明言することは「できない」・・ということです。
>>909 > それが「決定論的である」ことはお認めになっているのですから、
所詮、近似なわけだし、それで自然の全てが説明できるわけじゃないわけだよね
現実に自然を確率的にしか記述できない現象があることを機械氏自身は認めたうえでのお話なのかな?
> 回転寿司のコンベア
の動きを確率過程に従った時間発展って考えてる?
>>906 必然の「出来事」に対して「間違い続ける」という認識はどうなの?
厳密なシミュレーションは無理なんだよなぁ 大まかな物理現象のなら結構なんとか出来てる感じだけど、それくらいじゃ 脳みその中のシミュレーションしても実際に出てくる行動まで分からないだろうし そもそも頭の中の事あんまり分かってないし 観測問題から来る、物質を確率でしか記述できないのって思考の部分にどれくらい影響するか知りたいけど 自分が死ぬまでにはわからないんだろな、なんか面白そうだから関連のある過去ログ見させてもらいますね。
914 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/13(土) 00:07:54
>>911 >自然の全てが説明できるわけじゃないわけだよね
ですから「現時点におけるインターネットのトラフィックを全部説明できる
訳ではない」・・ということが「観念論の論拠」だと主張されるのですか?
・・ということです。
915 :
前×3スレ538 :2007/01/13(土) 04:51:07
>>900 はは、まあそりゃそうだ。
でも、非決定論的な現象は決定論で説明できると言ってたのはきみの方だよねw
この論法をそのまま使えば、きみのその反論は無意味になるわけだ。
要するに、きみが根本に据えている決定論的な世界観は非決定論的な物理法則からでも
生じ得るってことを言ってるんだから、きみの立場の絶対性はもうそれで崩れちゃってるわけ。
決定論→みかけの非決定論 も 非決定論→みかけの決定論 もありうるってことなんだから、
一方だけを絶対視するようなきみの立場にはもはや説得力がないんだよ。
916 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 04:59:35
2ch閉鎖したら おまえらゴミは消えんだな。 孤独死かい? ニヤニヤ 腐乱死で発見は哀れだな。
>>915 >要するに、きみが根本に据えている決定論的な世界観は非決定論的な物理法則からでも
>生じ得るってことを言ってるんだから、
そんなことは言っていない。
決定論の世界の中で、非決定論的に見える世界が成立するということだけ。
あらゆる論理、物理法則はそもそも決定論。「非決定論的」であったとしても、決定論だよ。
>決定論→みかけの非決定論
こちらはありえる。
>非決定論→みかけの決定論
こちらはありえない。
それに非決定性が残らないなら、それ以上の根拠に後退する必要もない。
そもそも非決定論は非論理的だ。 そうではないというのなら、非決定論世界となる論理的モデルの例を示してみることだ。
>>916 誰もがゴミであってゴミじゃない
孤独死が哀れだというあなたはちょっぴり寂しがり屋。
それが現実になった時、あまりの寂しさに嗚咽を漏らす
>>914 > ですから「現時点におけるインターネットのトラフィックを全部説明できる
> 訳ではない」・・ということが「観念論の論拠」だと主張されるのですか?
自然科学内部での決定論/非決定論の話というのはあるわけですが、カントなどの
哲学の場合はちょっと違った話ですね。カントはむしろ全部決定論的記述が可能
だし、そうすべきと言うわけです。
ところが、そういう決定論的記述をしていても人間は形而上学を思わず語ってしまう
のだと。その代表が、神、自由、魂だとするわけですが、脳が物質だから「意識が必然」
というのは、その中の自由に関わる問題なわけです。
カントの論旨は明快で、人間は自由だが自らの行為を決定論的に「認識」できる
というものです。つまり、行為においては決定論的には振舞えない。これは別に
哲学議論内部のたわ言なのではなくて、例えば犯罪を犯した人間に対して刑事罰
を下す。これは犯人の脳みそが非常に複雑な外界との相互作用の結果としてひき
おこしてしまったのだ、という言い方ではなく、あくまでも犯人の意志が第一原因
として発生したとするわけですから、身近な問題なのです。
2ちゃんが終わるまでに このスレも最後までいきたいな。 機械君には哲学板・監督脚本製作主演助演自作自演最優秀賞だよ。
922 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 16:19:57
>哲学者最上位 (´Д`)y─┛~~ この人は、面白い。 何年も前にも見たことあるが なんというか、 中身のある人だ。
923 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:11:50
自作自演をしまくる、孤独死凡人コテたち。 まさに低脳スレ。 自殺するか、孤独死、 ホームレス。 または、若者にボコボコに狩られる死ぬw おまえら、だから、アホなんだよ。 本当は気付いてんだろ? ニヤニヤ 草野球トークするホームレススレか? このスレは?
924 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:14:06
昨日夜NHKで 「孤独死」 放送していたが、 おまえらやんw みじめ過ぎ。
925 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:22:18
このスレ無意味だったな。激藁 ひろゆきの手下みたいだな。アホニートコテ。 年下のひろゆきしだいで 孤独死じじいたちの行き場がなくなるw 情けないな。 便所に住め。
926 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:27:54
念の入った自己分析だな ^^;
927 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:35:41
このスレすべて消えるw
928 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:39:42
>>927 なにか大事なものでもありましたか?
だったら今のうちにコピーしときんしゃい
>>923-925 相変わらず酷いこと言ってくれるな。
2ちゃんがなくなればキミら荒らしも活動できなくなるわけだが。
地球が滅べば善人も悪人も滅ぶし
2ちゃんがなくなればガチコテハンもあらしも滅ぶ。
自分でいったことはキミたちにもまた当てはまることなのだよ。
最後くらい素直にな。終わりよければすべてよしだ。ガハハ。
931 :
前×3スレ538 :2007/01/13(土) 19:06:47
>>917-918 >そんなことは言っていない。
いやおれが言ってるんだってw
>あらゆる論理、物理法則はそもそも決定論。
てかそもそもなんで論理と決定論を関連づけたがるのかさっぱりわからんのだが。
オーソドックスな命題論理や述語論理は非時相論理だから、時間の概念が入ってない。
世界の発展規則が決定論だろうが非決定論だろうが、時間の概念そのものがないんだから関係ないでしょ。
>>923-925 このスレがあなたのお役に立てて何よりです。
このスレは孤独に脅えるあなたを応援します。
933 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 21:39:18
、まだ決定論でもめてるのか
温暖化の例で俺がちゃんと説明してやるよ、まず驚くべくありそうな未来がある、もしこの未来がなければどうなるか
>>>>>まず資料文献
http://www.npobin.net/hakusho/2006/kokusai_2.html ここで2050年に(いやたぶん2035−2040年に)化石燃料の使用量を60-67%減らす(今より)試算をしてみよう。
1990ねんきじゅんだと67%もへらさなければいけない、もうちょっと上だろうが
全消費エネルギーは産業用が45%、民生用と運輸が55%だという、うち運輸が25%くらいのようだ、
全エネルギーのうち17%は原子力と水力だから.減らすべきエネルギーは化石からのエネルギーで67%*83%で56から57%である
まず車を中小型を、主として電気で走るようにする、効率があがる、更に総走行距離を小さくする、第3に長距離貨物はすべてといってくらい鉄道輸送にする
(電気化ではある)これで17%減残り8%くらいにできないか.ただし火力発電からの電気を雨の日の次にちょっとは使うから其れが3%、差し引き14%減
運輸の次に民生用では30%のうち15−17%くらいが暖房と給湯であるようだ、これをこたつ中心とビルはさむいままさらに
そうそうお湯を使わないとするとにするとここから8%くらい引けないか.相当寒い中をすごすことにはなる
第三に総エネルギーのうち電力が40%あるがこのうちの火力発電の分の6割を4000億kwhを太陽光風力にする、この分の削減量は40%*40%で全エネルギからは16%
3部門の削減量をあわせると38%になる残り19%のうち産業等から45%のうち13−15%.暖房給湯以外の民生用から4ー6%だろうか、
これで57%になる,産業からもっとひけるかもしれないが予備
以上焦点を運輸暖房給湯に合わせてみた
この計算どこかおかしくはないか、むろん非常に大雑把で根拠も今いちだが
これを2035年か2040年までにして(早いほうがいい)2050年までにもうちょっと(きついよ)絞るのである
935 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 22:00:32
>>933 慌てるな
>>933 に書いたような超思いがけない未来があると、事の重大さに人間は
まず未来の委細を論じるより先に意外な未来が決まってると騒ぎたくなる
そのほうが厄介な委細より波及効果があると強く感じるからだ
だから決定論をいいたくなる、現代で決定論という妙なものがはやる理由、火のあるところに煙が立つ
これは実は唯物論
936 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 23:36:11
>>933 には機械的氏が頓珍漢きわまるレスをしそうだな
937 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 23:42:09
>>936 それでこそボクラの機械タソ・・(´д`*)ハァハァ
>>935 決定論は妙なものでもなんでもなく、
古代ギリシャ時代からあり、歴史上一度も否定されたこともないもの。
939 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/13(土) 23:59:51
>>933 地球温暖化について、そこまで危機感を持っているのはご立派です。
しかし、私などは凡夫ですので、まず2035年に日本列島は健在なのか?
・・とか「足下の心配」が先に立ってしまいます。
その頃には(例えば「北朝鮮民主主義人民共和国」について言えば
アメリカ本土やヨーロッパまで届くミサイルを開発しているのではないか?
原子爆弾だけではなく、アメリカやロシアが50年前に開発し配備している
「水素爆弾」まで開発して、日本をはじめとする「北朝鮮にとっての敵性国家」
にそれを突きつけるか、あるいは使用しているのではないか?・・等と考えて
しまいます。
地球温暖化について・・日本国に限って言えばもう既に「人口減少」が始まって
おりますし、日本の自動車メーカーが作る車の「環境貢献度」は現在の数百%以上に
なっている・・と思われますが・・・なにしろ「地球全体のモンダイ」ですから、
あなたの「(日本国の)あるべきエネルギー政策」・・がどこまで「意味」を持ち
得るのか?・・私には「大きな疑問」です。
決定論的には、未来はカオス以上は言えないだろ。
カオスが存在するのは決定論が成立している証拠。
>>939 決定論の世界にはどんな「意味」も存在しないだろ。
943 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/14(日) 00:20:26
>>938 そのとおりです。
約365日(自転周期)毎に地球が「太陽に対する同一の相対位置に帰ってる」ことは、
現代⇔ギリシア文明時代⇔エジプト文明時代⇔古代エジプト文明時代
・・いずれも「時間的距離は『同じようなもの』」においても、
「確信」されていた訳ですので、その「決定論に対する確信」が、
「春に種を撒き秋に収穫する」・・という「四大文明の礎」を築いた
・・ということです。
その「四大文明」が無ければ「現代の世界」も「存在し得ない」・
・・こともまた「自明」です。
944 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 00:22:25
地球の温度コントロールぐらい とっくに人類の科学技術の射程距離に入ってるんだろね 決定論の証明を待つまでもなさそう
945 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 00:28:18
温暖化には「核の冬」で対抗するってか?w
946 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/14(日) 00:28:35
>>944 中国やインドやアフリカ諸国の「人口爆発」をコントロールできれば・・
の話です。
「コンドームを空中からばらまけば済む」のならば、誰も危機感を抱く必要
などありません。
アジア諸国の「焼き畑農業」一つを止めさせることさえ、「日本政府レベル」
では出来ない・・・ということです。
947 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/14(日) 00:45:47
>>942 >決定論の世界にはどんな「意味」も存在しないだろ。
それは「観念論的誤謬」です。
どんな「存在」も「世界の中」でしか「『存在』し得ない」ので、
従って「『意味』という存在」も「世界の中でしか『存在』しえない」
・・ということです。
>>947 > 従って「『意味』という存在」も「世界の中でしか『存在』しえない」
科学も人が認識する世界のそれらしい法則性に、
法則として人が意味付けした説明原理だったりするんだよね
これをいっちゃあおしまいなんだけどね
機械氏はそういったもんを信仰してるのだと思うんだよなあ
仮説はどこまでいっても仮説でなんですよ
真理なんて言葉を安易に持ち出すと、科学がなくなっちゃうと思うけどね
仮説だからこそ、学問として成立してるわけで
949 :
りくーつ・こねりー :2007/01/14(日) 00:58:16
ぶりぶりぶりぶりぶりぶりどんぶり。 ぶーりぶーりぶりぶり? ぶーりぶーりぶりぶり。
950 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/14(日) 01:00:51
>>948 >仮説だからこそ、学問として成立してるわけで
あなたは「仮説」という定律を意図的に「誤解」しているのですか?
例えば「SF小説」は、殆どが「仮説」で成り立っている訳ですが、
それが「(自然)科学」の成果に結びつくケースは「ごくまれ」である
・・ということをご存じですか?
逆に言うと「地動説」だって「天動説が当然の時代」には「仮説」だった
のですが・・曽於のことを踏まえても飽くまで
>仮説はどこまでいっても仮説でなんですよ
・・と主張される訳なのですか?
>>950 なら、機械氏は世界を仮説ではない、
真理たりうる科学の方法論に則した決定論的といえるような理論を持ってる?
そうすれば、科学は終焉を迎えることができると思うよ
952 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 01:07:17
ダークマターが宇宙の全質量の80%を占めているらしいが、 ダークマターに関して何も分かっていない。 これが分かってくれば物理法則も大きく書き換えられるだろう。
953 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/14(日) 01:13:13
>>951 >>1 は「単なる思いつき」ではないのです。
相対性理論と量子力学が統一され、各種の「素粒子」とそれの「媒介力」である、
「重力・電磁気力・弱い力・強い力」(と「空間の次元」)が・・・「統一的に説明される理論」
・・・が「超大統一理論」と言えますが・・・それ(の解明)が「近くまで迫っている」・・と
申し上げている・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
954 :
750 :2007/01/14(日) 05:01:36
どうやっても、観察と思考が伴っていますから。思考を 説明できません。思考を媒介するものは何ですか? あなたは、物質の現象しか追っていません。有機的人間が個として 成り立ているのを説明してください
955 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 06:26:47
956 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 08:39:49
>>953 その「超特大統一教会理論」もまた仮説なんだってば。w
957 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 10:38:57
科学によって宇宙のすべてが解明される日が近いと素直に喜ぶ機械タンは 子供のようでかわいいと見る向きもあることは想像できる。 しかし、宇宙がそれほど底の浅いものだと信じられる姿勢は 間違いなく観念論の特徴だと思うのだが、どうよ
>>954 思考を媒介するものは電気エネルギーと物質だろ
突き詰めればエネルギーか?
他にもあるのかもね?
>>953 > 「重力・電磁気力・弱い力・強い力」「統一的に説明される理論」
> それ(の解明)が「近くまで迫っている」
よく、しらないけど、
重力子はいつ繰り込めるんだろうね
重力波はいつ検出できるんだろうね
で、いつになったら完成するんだろうね
(現状では「近くまで迫っている」ではなく「どつぼにはまってる」と思ってたけど、そういうもんでもないんだね)
>>955 よく、しらないけど、
現状でも、まだ数学のお遊びのような段階のようだねえ
現状でも、検証不可能な SF のようなもんみたい
メリットは重力子を繰り込まなくてもいいところぐらいなのかな
http://en.wikipedia.org/wiki/String_theory > String theory remains to be confirmed. No version of string theory has yet made an experimentally verified prediction
> that differs from those made by other theories. In this sense, string theory is still in a "larval stage": it is not a proper
> physical theory. It possesses many features of mathematical interest and may yet become important in our understanding
> of the universe, but it requires further developments before it is accepted or discarded. Since string theory may not be
> tested in the foreseeable future, some scientists[7] have asked if it even deserves to be called a scientific theory:
> it is not falsifiable in the sense of Popper.
で、
"some scientists[7] have asked if it even deserves to be called a scientific theory:"
とかいわれてもしょうがない段階のようだねえ
今のところ、当たるも八卦当たらぬも八卦みたいなもんみたい
(以前にも物理板で、これって物理なの?とかいわれてる始末だし)
ある時、ロシアの宇宙飛行士と脳外科の専門医が信仰について話をした。 脳外科医はキリスト教徒で、宇宙飛行士は無宗教だ。 「もう何度も宇宙に行ってきたけれど」 と、宇宙飛行士がひけらかした、 「神も天使も見かけなかったぞ。」 「もういくつも優秀な脳を手術したけど」 と脳外科医が言い返した、 「思考のかけらなんてどこにも見かけなかった」
961 :
第2唯物論 :2007/01/14(日) 12:26:13
>>954 第2唯物論で5回も説明しただろうがいいかげんわかれ
いつまでも何を言ってんだ
962 :
第2唯物論 :2007/01/14(日) 12:31:38
>>933 >>935 つまり決定論は上部構造でもとは.未来の生活実体に関する思索から生まれてる
下部構造が上部構造を規定してるといってるだろう
決定論は下部構造だと勘違いしてるんだよ、
>>933 にかいてるようなことが実際の未来だとして、未来は決まってるのか
むろんそうならない可能性がまだある、すっかりは決まってない、その場合は温暖化が大変ひどくなって人類はがたがになるだろうがな
963 :
第2唯物論 :2007/01/14(日) 12:34:53
がたがにーーー>がたがたに
>>960 おもしろいね。哲学ジョーク集に載せるべきだな。
965 :
第2唯物論 :2007/01/14(日) 20:10:10
>>962 温暖化もひどくならず、
>>933 のようなことにもならない可能性はまずないというのが決定論が浮上する原因なんだよこれがさ
未来は判らないわからないと片付けず、決まってる分はかなりわかるやつもよのなかにはいるんだから参考にして考えてくれ
966 :
第2唯物論 :2007/01/14(日) 20:13:08
お話できるレベルになってからまたおいで下さいませ、という文が頭に浮かんだ俺はバカなのだろうな。
968 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 20:53:00
ノイローゼのスレはここでつか? 進化論ひとつとっても、時間さえかければ、スクラップの上を 何回も台風が通ればかってにB'747 ができてしまうくらいの事が現実に起こってるこの世なんんだから、裏で何がどうなってるかなんて そうそうわかりゃしないよなー でも科学する心は大前提だし大事だよなー
969 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 21:20:25
人間が人工的に人間を作っても謎といたことにならないが 自然が人間を発生する現場を実験的に再現したら 謎といたことには、、 それでもならないのか?ん?
970 :
第2唯物論 :2007/01/14(日) 22:48:58
>>967 >>温暖化もひどくならず、
>>933 のようなことにもならない可能性はまずないというのが決定論が浮上する原因なんだよこれがさ
という文はわかりずらいよ、きみは普通にちかい
どえらいことがかなり決まってるぜということを世にいいたいのが決定論支持者の意識下の根拠ということさ
971 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/01/14(日) 23:34:48
>>970 「エネルギーモンダイは深刻だぁ!」しか最近のマルクス主義(弁証法的唯物論)
の「ネタ」は無いのでしょうか?東京電力(株)さんなどは、堂々と「最近石油価格が
数年前の2〜3倍に高騰してますが・・電気料金は上がってませんよね?ふふふ・・
原子力やLNGの比率が過去の石油ショック時に比べて数倍程度に多くなってますから・・」と、
自慢げに宣伝しているようですが・・?それは「弁証法的唯物論」として「正しい選択」だった
・・のでしょうか?
東京電力(株)などという「大企業」がやることは「全部悪である」としてきたマルクス主義者
(弁証法的唯物論・・という自称するヘーゲル観念論の狂信的信者)さんのご意見は?
一生涯馬鹿が吹き溜まるスレ
自分は多世界解釈がしっくり来るからかなり、じゃなくてすべてが決まってると思ってる。 今の状態はすべての確率の中の1つの確定してる状態だと思い込んでるし。 未来を予測しようとすると厳密には確率になるんだろうけど、自分の分かる範囲では確率を感じないしなぁ。 少し前に書いた厳密に予測するのは無理って言うのは、未来がどれに選ばれるか確定させるかって事で 実際に選ばれた未来はどれも確定された今の状態になるんだし。 魂を信じる人は未来がどれに選ばれるかって所にそれが宿ると思ってるの? 未来が選ばれる時に魂が宿るんなら、脳みそに限らず何にでも宿ってる気がするんだけど。 日頃あまり考え事しないから頭が疲れた。
>>971 弁証法的唯物論はよく分からないけど、マルクスさんが怒りそうなコスト削減は結構やってるし悪かもね。
>>973 > 今の状態はすべての確率の中の1つの確定してる状態だと思い込んでるし。
観測すりゃ 1 つに確定するとかいって、なんの意味があるの?
> 魂を信じる人は未来がどれに選ばれるかって所にそれが宿ると思ってるの?
> 未来が選ばれる時に魂が宿るんなら、脳みそに限らず何にでも宿ってる気がするんだけど。
魂とか、どっから、そんな話がでてくるの?
俺は973ではないが、
>>975 >観測すりゃ 1 つに確定するとかいって、なんの意味があるの?
ここでいう観測の意味はわかっている?
人間や測定器が観測するということだけではないよ。
>>975 >観測すりゃ 1 つに確定するとかいって、なんの意味があるの?
自分が何かを選んでるって事がそうでもないのではと言いたかった。
>魂とか、どっから、そんな話がでてくるの?
自由な意思を感じてる人は魂を信じてるのかと思って使ったんだけど、少し考えたら違うなぁ
番犬効果
>>976 >人間や測定器が観測するということだけではないよ。
結構前に調べていくらか知ってたつもりだったけど、それ以外ではなにがあるの?
意識があること自体が観測してるとか?ぜんぜん自分には知識が足らないようだな。
980 :
955 :2007/01/15(月) 00:38:08
だめだこりゃ
982 :
考える名無しさん :2007/01/15(月) 00:46:55
早く2ちゃん潰せや どぶゆき!
>>979 エヴェレット解釈の観測(に限らず量子論の観測)は、
あらゆる粒子同士の相互作用を指している。
そして観測された世界とは、雑にいえば、その各粒子でのローカル座標系の写像のようなもの。
>>983 「番犬効果」の意味を分かってて書いてるの?
>>984 別に俺は番犬効果について異議をとなえてはいないが?
何が言いたいの?
986 :
955 :2007/01/15(月) 01:21:25
やばいなこりゃ
なにが観測するの?
あ、そう
>>989 誰に、何を、聞こうとしているか、何に反論しているのか、
をちゃんと書けるように、まず日本語を勉強してこい。
あ、そう
992 :
考える名無しさん :2007/01/15(月) 01:44:35
りくーつも、そういうレスしかできないなら書き込むなよ うっとうしい
誰かゲージ場について勉強したことがあるって人はこのスレにはいますか?