上記図
>>330-332 (本来は縦書き等記載法が多少ちがう)の所収された論文は『漱石文明論集』?(岩波文庫)でも一部紹介されている。
漱石が「復帰於嬰児」を積極的かどうか迷っていたり、老子をワーズワースと比較しているところが面白い。
また、漱石は老子の水に関する記述を完全に比喩として考えているようだ。
ヘーゲルとの違いを絶対的意識の有無に見ているのも興味深い。
英数字は章番号。 道1,18,21,23,32,40,47,65 /\ 玄6,27 / \ 善2,8,65 / 25,52\ 武器,27-31,36,68-69,76,80、 処世術24,47_____/_発生論___\______政治学(王26、税金79) \ / /\ \ / \ 学問批判18,20,48___\___\政治批判53 \ /言語5,32 \ /\ / \/ \感覚論12,14 \/ \/ /\ /\相2,20 /\ / \ / \/__\__ __/__\嬰児礼賛10,20,28,55、女性礼賛61 自然,天地5,6,7 \ \ / /無為38,43,57,63 水2,32,66,78____\___\/___/______\理想状況(小国寡民80) 物理学36,45 \ 逆説1,2,18,32,38,40,47,57,63,71 (柔弱36,40,76 \ / 無用の用11) \ / \/ 徳38,51,65
茶の湯は、茶、花卉、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。
茶室の調子を破る一点の色もなく
物のリズムをそこなうそよとの音もなく
調和を乱す一指の動きもなく
四囲の統一を破る一言も発せず
すべての行動を単純に自然に行なう
こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。
そしていかにも不思議なことには
それがしばしば成功したのであった。
そのすべての背後には微妙な哲理が潜んでいた。
茶道は道教の仮の姿であった。
(岡倉天心「茶の本」より)
http://www5.atpages.jp/denshouuta/page030.html
生きるというのは死ねば治る病気のようなもの
337 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 23:30:03 0
無双が出てきて、無双厨が出てきた 無双厨が出てきて、無双厨的発言が出てきた 無双厨的発言が出てきて、アンチ無双厨が出てきた アンチ無双厨が出てきて、アンチ無双厨が無双厨を叩きまくった アンチ無双厨が無双厨を叩きまくって、アンチ無双厨と無双厨の争いが勃発した アンチ無双厨と無双厨の争いが勃発してそれに便乗するものも出てきた 便乗する物が出て来てさらに無双スレができた さらに無双スレができてまともなスレがなくなった まともなスレがなくなって板が荒れた 板が荒れて、楽しい三戦ライフがつぶれた 楽しい三戦ライフがつぶれて、まともな住人がいなくなった まともな住人がいなくなって、厨な住人が増殖した 厨な住人が増殖して、厨な話題が増えた 厨な話題が増えて、板が厨になった 板が厨になって、まともな人が寄り付かなくなった まともな人が寄り付かなくなって、板は厨の天下になった 無双が出てきて、なにもかもつぶれた
>>337 漢詩と、漢詩→和訳では、そのような文もそのような意味あいの文章は無いですね。
漢詩→英訳後の彼自身の解釈でそうなったのだと思いますが。
ヒンズー教の経典でその文章の出典をググッタけれどもワカランカッタ。
ヒンズー教の経典て、膨大だから、わからんね。
でもその心が変われば...というのは、解釈として、ヒンズー教やら仏教では当てはまるし、
他の宗教でも当てはまりそう。
340 :
337 :2009/03/22(日) 23:19:12 0
ありがとうございます。何かヒントがあったら、思い出してください。
341 :
考える名無しさん :2009/03/22(日) 23:44:48 O
白いコートの女。庄内藩30石に封。
342 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 12:03:42 0
老子いいねぇ
343 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 13:39:49 0
母ちゃんの腹の中に80年近く入っていたといわれる老子 村人「お腹の中ってどんな所なんですか?」 老子「暑くもなく寒くもない、まぁ、秋だな」 村人「春では無いんですか?」 老子「うむ、時々マツタケが生えてくるからな」
344 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 20:22:31 0
つまらんね
345 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 21:19:13 0
いや、自分で色々調べて徹底的に見極めた上での結論だから では、選挙云々がなければ、麻生以上の人間が総理になったか それは違う 派閥の力学でろくでもない奴が総理になることはいくらでもある むしろ選挙のタイミングでなければ弱小派閥の麻生が総理になることはなかったかもしれない この世界的難局にまともな人がトップにきて日本は幸運だと思っています 今気づいていない人にも後世には評価される仕事をしている 麻生こそが近年まれにみる名宰相だということを確信している
346 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 23:07:12 0
老子すごすぎるよ・・
347 :
考える名無しさん :2009/04/17(金) 14:19:35 0
無意味なことを書き連ねて それが2500年間を読まれている事がすごい それ光を弱め、塵を収め、刃を丸くする 自然は心地よい木漏れ日を作り、自然と空気を清浄にする 捨てられた刃はただ錆びるに任せるのみである これは人間に出来る事ではない
348 :
:2009/04/17(金) 15:33:17 0
老子は座右の書。
350 :
考える名無しさん :2009/05/06(水) 14:53:03 0
老子って今では処世術みたいに読まれてるけど、本来は為政者が読む読み物 なんじゃないかな
為政者とか公務員志望者くらいしか本読まなかったのでは
アホしか読まねーでしょ
353 :
考える名無しさん :2009/05/06(水) 18:04:17 0
老子のこと?
354 :
考える名無しさん :2009/05/06(水) 19:44:20 0
いずれにしろ今にいたるまで老子が残されてるという 事実は事実として認められる。 やはりなにかだれかこれは残したいという意志があったから 受け継がれているのだろう。 それが古典の古典たる所以だろ。 今から先誰がこのように受け継がれていくだろうか?
355 :
ミ〇 :2009/05/15(金) 16:06:46 O
(^^)
356 :
ぱや :2009/05/26(火) 01:47:38 0
老子さまに憧れています 自然 自由 を大好きにしてくれました すべては自然で自由だ 人の考えた 不自然や不自由 など あんまりおもしろかない 自然や自由 を基本にしたい(愛したい)と 想えたことに 感謝です ありがとうございます 老子さま
第一章 道可道、非常道 名可名、非常名 無名天地之始 有名万物之母 故常無欲以観其妙 常有欲以観其徼 此両者同出而異名 同謂之玄 玄之又玄衆妙之門 道の道とすべきは、常の道にあらず。 名の名とすべきは、常の名にあらず 無は天地の始に名づけ 有は万物の母に名づく 故に常に無は以ってその妙を観(シメ)さんと欲し、 常に有は以ってその徼(キョウ)を観(シメ)さんと欲す この両者は同出にして、名を異にする 同じく之を玄と謂う 玄の又玄、衆妙の門なり
第11章 三十輻共一轂。 当其無、有車之用。 セン埴以為器。 当其無、有器之用。 鑿戸ユウ以為室。 当其無、有室之用。 故有之以為利、 無之以為用。 三十輻(ぷく)一轂(こく)を共にす。 其の無に当たりて、車の用あり。 埴をこねて以って器を為(つく)る。 その無に当たりて、器の用あり。 戸ユウをうがちて以って室を為る。 其の無に当たりて、室の用有り。 故に有の以って利を為すは、 無の以って用を為せばなり。 三十の矢が放射状に集まって、一つの車輪の中心部と共にある。 そこに無(空間)があるから、車輪の働きをする。 土をこねて、それで器を作る。その器に無(空間)があるこらこそ、 それは、器としての用を為すのである。 壁をうがって戸口や窓をつくり、それで以って、部屋をつくる。 部屋の中に無(空間)があってこそ、それは部屋の用を為す。 従って、有が有としての価値がある為には、そこに何らかの 無の働きがあるからなのである。
第60章 治大国 若烹小鮮 以道@天下 其鬼不神 非其鬼不神 其神不傷人 非其神不傷人 聖人亦不傷人 夫両不相傷 故徳交帰焉 大国を治むるは 小鮮を烹(に)るが如し 道を以って天下に@(のぞ)めば 其の鬼、神ならず 其の鬼、神ならずにあらず 其の神、人を傷(そこな)わず 其の神人を傷わずにあらず 聖人、また、人を傷わず それ、両(ふたつ)相傷わず 故に徳は交(こもごも)に帰す <解釈> 大国を治めるのは、小魚を煮るようなものだ。(※注: この最初の一行は、前章の最後とする説あり。) <根元>が一つであり、その<はたらき>が、二つになり、三つになるという「道」の 理を以って、この天下にのぞむならば、「鬼」と「神」の<根元>は一つのものより生 じ、その<はたらき>が相反するものであるという事になる。 このように「道」の<根元>を以ってのぞむならば、鬼が神という事も無く、又、鬼が神でないという事も無い。 又、「道」の<はたらき>を以ってのぞむならば、鬼と神は元々一つのものから生じて二つに分かれ、 人に害を及ぼすものを「鬼」と名づけ、人に徳を齎すものを「神」と名づけた。 このようにして、「道」の<はたらき>を以ってのぞめば、「神」は人を害するものではない。 また、 「道」の<根元>を以ってのぞめば、「神」と「鬼」は一つであり、「神」が人を害するものではないという事もない。 同様に、「聖人」も又、「道」の<根元>から生じた様々な「道」の<はたらき>において、人をそこなう事のない人に対して名づけられた「名」である故に、当然、「聖人」と言われる人は、人をそこなう事はない人である。 「道」の<根元>から生じた<はたらき>において、相反するところの二つは、二つで一つのもの、つまり、互いに補い合うものであり、そこなうものではない。 これら互いに反する二つのものは、そこなうものでないどころか、どちらか片方を消滅させれば、同時に他の片方も消滅してしまう事になるのである。 故に「徳」はその「道」から生じた様々な<はたらき>に帰す。
老子の思想が現代に残ってることが不思議
タオ・コード「老子の暗号が語り出す」という本を読み出したら面白いんだ 老子の、「道」を男性器、「徳」を女性器の暗号と解して、 宇宙=性(もしくは性エネルギー)とするんだ 道教の中には、こういうものがあると知ってはいたが、 この本の通りなのかはわからん この本は、ノンフィクションとしているんだが、 フィクションでもいいや 久しぶりに老子を読む気になった
http://nam21.sakura.ne.jp/tao/ 道1
>>358 、25、32、34、60
>>360 生活7、9、13、15、16、 /\
処世術24、33、44、 /21、39、 行政29、武器軍事30、31@、37、
処世術47@、50、 / 40、52 58、59、62、46、54、57(無為)、
善65、73_______/__発出論_\________武器軍事(68)、69、(税金75、79 )
\ / /\ \ /
学問批判18、19、20(母)、48@___\政治17、32、53、67(宝)、74
言語56、知71/\ / \ /\聖人3@、自然及び天地5、27(善)、70、72@
感覚論12@〜14、35 \/ \/
/\ /\ /\ / \
/ \/__\____/__\女性(受動性)礼賛6、嬰児礼賛10@、非区別28、
水8@(善)、66、78@ \ / / \(無為43)、非区別49、嬰児55
/_______\___\/___/______\
物理4、無用の用11
>>359 逆説2@、81@ 理想状況(61)、64、小国寡民80@
22、26、対立36、45、\ /
対立63、(柔弱76@)、77\ /
\/
徳23、38@、41、51@
たおやかの語源
365 :
考える名無しさん :2009/11/12(木) 13:28:36 0
手で折れるくらい弱い
老子一派が弾圧されることは無い
どうでもいい思想
褒め言葉だな
全く何の役にも立たない思想
370 :
老子 :2009/12/26(土) 08:47:44 O
人生の目的はセックス
自然農法のバックボーンとなる思想。
アトピーの人には有り難みがわかる。
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http://nam21.sakura.ne.jp/tao/ 25、32、34、60
>>360 道1
>>358 、
生活7、9、13、15、16、 /\
処世術24、33、44、 /21、39、 行政29、武器軍事30、31@、37、
処世術47@、50、 / 40、52 58、59、62、46、54、57(無為)、
善65、73_______/__発出論_\________武器軍事(68)、69、(税金75、79 )
\ / /\ \ /
学問批判18、19、20(母)、48@___\政治17、32、53、67(宝)、74
言語56、知71/\ / \ /\聖人3@、自然及び天地5、27(善)、70、72@
感覚論12@〜14、35 \/ \/
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/ \/__\____/__\女性(受動性)礼賛6、嬰児礼賛10@、非区別28、
水8@(善)、66、78@ \ / / \(無為43)、非区別49、嬰児55
/_______\___\/___/______\
物理4、無用の用11
>>359 逆説2@、81@ 理想状況(61)、64、小国寡民80@
22、26、対立36、45、\ /
対立63、(柔弱76@)、77\ /
\/
徳23、38@、41、51@
ハイデガーは1946年に中国文学研究家のHsiao*と老子の翻訳を試みている(芽野良男作成年譜より)。
"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子の引用)id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA103&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2YgQIBvewUeIvgItpgZAARHVleAw&w=685 山小屋にて1947年8月9日
親愛なるシャオ様
私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。
<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"
[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >
孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
道徳経(天の道)より
親愛なる情を持って
あなたのマルティン・ハイデガーより
373 :
追記 :2010/02/07(日) 00:07:53 0
ラカンも1969年に中国語の女性?家庭教師(フランソワ・チェン)から老子を教わっている。
ラカンが興味を示したのは第一章と第42章の冒頭。特に第一章の「道」が行為と発話
(La Voie/voix,[The Voie/voix], [Way/voice])の二つの意味をもつ点に注目したらしく、
以下の図を書いたそうだ。
("The later Lacan" p.43**及び
http://www.lacanchine.com/L_Cheng-Lacan3.html )
le faire ― sans nom ― n'ayant désir
le Dao <
le parler ― le Nom ― ayant désir
(翻訳すると)
doing-nameless-not having desire
Tao/
\speaking-the name- having desire
行為- 無名- 無欲
道/
\道う(言う)-名前- 欲望を持つ
これは、住所を書く順序の日本と西洋との違いといった比較文化論や、主体の喪失と享楽の出現といった
問題体系に繋がるらしいが、邦訳がないためにはっきりしたことはわからない。ラカンは、ハイデガーフ
リークだったので、老子への取り組みは、(いわゆる「東風」が状況的にあったとしても)その影響はあ
ったかも知れない。ヘラクレイトス論のロゴス解釈との類似が指摘されているし、RSI理論をまとめるた
めの「中間の空間」なる用語を42章から編み出しているという(『ジャック・ラカン伝』p380)。セ
ミナール14、20、21で老子が触れられているそうだが(老子以前は孟子が参照されたりしている)、
空虚な中心という概念(老子第11章)などが精神分析の構造化に寄与した、あるいは後押しをしたとも
考えられなくもない。
375 :
考える名無しさん :2010/02/27(土) 18:42:50 0
★【トレンド】20〜30代に「老子」が人気…「足るを知る」が節約、エコのスローライフにつながるとか
なんだか老子が好きだという20〜30代の人が増えている。
カシハラの周りだけなのか? と思って、ある書店の店員さんに伺ったところ、
「過去の名言集や思想集を新しく書き換えた本が人気ですね。難解に
書かれていた解説が簡略化され、思想が読みやすく、わかりやすくなった上に、
文字も大きくなったので一般の人でも読みやすくもなった」というお言葉が。
でもなんで今さら老子? 授業で習ったようなものがなぜ復活? なんだか
モヤモヤしてきたので、周りの新しい老子ファンに、直接なんで好きなのかを聞いてみた。
すると新しいファンには2つの種類があるがことが判明!!
一方は、風水占い派。有名な中国の富豪が老子をもとにした風水を広めていて、
そこから老子を読むようになったというグループ。どちらかというと占いのような
感覚で老子を読み始めたそう。宇宙と人生の根源的な不滅の真理を、
老子の本でも説いていることから、その真髄を知るために老子ファンになったのだとか。
好きなものは探求するファンならはですねぇ。
もう一方は、節約エコ派。老子が言っている「足るを知る」という思想が、
節約やエコにつながるんだそうです。文化人類学者でもあり、環境啓蒙家の
辻信一さんの『スローライフのために「しないこと」』という本の中にも、
老子の思想がスローライフやエコに通じると書かれているのだとか。
いやぁ、紀元前から言われていたことを今さらのように新しく感じるのも時代なのでしょうか。
「いろいろな教えやマニュアルを教える本が増えすぎていて、みんな同じに見えてしまう。
それを上回るものをみんな探していて原点に戻って、行き着いたのが
中国の思想家なのではないか?」というファンの声も。
それにしても人間の真髄が変わらないとしたら、なんのためにこの何千年は
あったのでしょうかねぇ〜。なんとなくむなしい気分に……う〜ん。
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1267093004893.html 2010年2月27日
老子は好きだけどオカルトはきらいだなあ
老子ってオカルトなの??
378 :
考える名無しさん :2010/06/09(水) 22:08:56 0
荘子や荘子の教えで最も大事な点が忘れられているのか、判らないでいるのか、語られることが一度も無いね。 このことを欠いたんでは、教えそのものが何の値打ちも無いのだが。 この点を指摘されないのは、この点を理解できないことが原因であるとするなら、 仏教やキリスト教や、古代ギリシャの哲学もまた、理解していないものであると言うことになるのだが。
379 :
考える名無しさん :2010/06/13(日) 14:46:15 0
>>376-377 老子の道徳経と言うのは、道教の経典になってんだろう?
道教では、錬丹術と言って、ある種の水銀を服用することにより長寿を得ようとするというし、
房中術と言って、男女のセックスが長寿に寄与すると言う考えに基づいた教えが有るらしい。
房中術については、真言密教にもあるらしいね。
これらの行為は、老荘の教えを誤解したものであると思う。真言密教の房中術についても
理趣経を誤解したものであると思う。
いずれにしても、これらの教えが実行されているなら、カルトと言われても良いのでは?
老荘にしろ、仏教にしろ、真実は一または無相であると言う判断から流れ出ている教えなのだ。
真言密教の房中術や、道教の錬丹とか房中などは、この真実に反することになるから、こういう教えを
有している限りカルトと言われるべきだと思う。
それなら道教が老荘思想に対するオカルトだと言えばいい
老子をなめんなよ
382 :
考える名無しさん :
2010/08/18(水) 10:46:29 0 まぁ〜そんなにこだわんなくてもいいんじゃん あたしゃ、結構、若いコが好きだよ