人生最大の発見★11

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848考える名無しさん:2007/07/15(日) 05:39:16 O
わり算の余りって、ただの逃げだよなw
849考える名無しさん:2007/07/15(日) 06:06:08 0
a)1÷3=0.333333〜 と習った
また
b)1÷3=1/3(3分の1)という分数も習った

aとbから

1/3=0.333333〜  となる

両辺に3をかけると

1=0.999999〜 となってしまう

全然イコールじゃないやんか!
850考える名無しさん:2007/07/15(日) 09:47:29 O
イコールだよ。証明はできない。
851考える名無しさん:2007/07/15(日) 12:00:46 0
極限(limit)というもんを理解しないと話にならない
852考える名無しさん:2007/07/15(日) 13:36:30 0
右辺と左辺の差はどのぐらいかね?
1−0.999999〜を計算してみてくれ。
853考える名無しさん:2007/07/15(日) 13:40:48 0
木を見て森を見ず
854考える名無しさん:2007/07/15(日) 13:59:28 0
何の発見も無い人生なんだなおまいらw
855考える名無しさん:2007/07/15(日) 14:28:50 O
0に限りなく近い。0か?
無限に近いというのが等しいということなのかよくわからないね。
856考える名無しさん:2007/07/15(日) 14:53:06 0
そもそも数とは何かを理解しないと真に理解してはいないんだよね
小学校の算数とかかなりごまかされてるから
この辺の理解は大学以上にならないとできない
大学で1って何?0って何?って聞かれたとき答えに窮した

その問題は極限を認めるか否かによっては
イコールでなくなったるするとかしないとか
俺もよくシラネ
857考える名無しさん:2007/07/15(日) 15:56:18 0
余りを使う割り算と
余りを使わない割り算を
別のものとして区別して考えてみろ

前者は分割するために
後者は確率を割り出すために

程度に考えてろよ愚図ども

お前ら全員馬鹿だが、余りを逃げといった奴が一番馬鹿
池沼レベル
858考える名無しさん:2007/07/15(日) 18:20:45 O
数は存在の象徴として解釈すると示唆的だわな。
いかに大きな数であろうとも一個の数でしかないわけだ。
無限分の一でしかないとか。
859考える名無しさん:2007/07/15(日) 18:27:57 O
無限分の1って0ですか? >>857
860考える名無しさん:2007/07/15(日) 18:39:32 0
>>857
下品な言葉の羅列は品性疑われますよ。
板違いなので控えますが、ご希望とあれば数学板の雑談スレ辺りでお相手いたしましょうか?
861考える名無しさん:2007/07/15(日) 18:56:18 O
数学は存在と論理の織り成す現象の構造、展開を象徴した卓越した存在論である気もするけどな。
形式存在論…
862考える名無しさん:2007/07/15(日) 19:34:27 O
>>857
なぜ分割するときは余りを使っていいの?
863考える名無しさん:2007/07/15(日) 20:58:37 0
無限個に分けたイチゴはイチゴじゃなく
イチゴジュースだからだよ


31人を3つの藩に分けるとき
31÷3の解10+10+10
のうちのひとつに余りの1を足して
10,10,11の藩に分けようと考える。

日常では、そんなわかりきったプロセスは
思考の中から排除しているだけで
そこに余りの割り算を活用している

というより、それを数で表したのが
余りのある割り算だと考えれ

割り切れないし、割り切る必要もない
だから余りが生まれて
それに対しては別の方法論で対処する
そういうもの



市ね
864考える名無しさん:2007/07/15(日) 21:40:37 O
>>863
なるほど!余りで一旦逃げといて、別の方法で対処する時間を稼ごうということですね。
865考える名無しさん:2007/07/15(日) 22:28:45 0
>>863
31人を3つの藩に分けるとき、1人ジュースにして3等分してもいいんでしょか?
866考える名無しさん:2007/07/15(日) 23:56:46 0
柔術、催眠術、算用術

どれも便利ツールの内の一つ
867考える名無しさん:2007/07/16(月) 01:13:20 0
>>1 の提唱したような「万事うまくいく原則」が存在しえないということは
数学的に証明できるが、ここの余白はそれを書くには狭すぎる。
868考える名無しさん:2007/07/16(月) 09:46:11 0
受身の練習をするのは納得できないから嫌だといい、
「柔術」という便利ツールを利用することを放棄するのもそいつの勝手。

割り算には納得できないから嫌だといい、
「算用術」という便利ツールを利用することを放棄するのもそいつの勝手。

そいつは、食わず嫌い。とも言えるし、木を見て森を見ず。とも言える。
一本の木が嫌いだからといい、森全体の素晴らしさを知ることを放棄するのもそいつの勝手。

根底に疑いを持ちながらも(とりあえず保留しておきながらも)先に進んで、
森全体を認識してから、一本一本の木(保留事項)を整理すればいいのさ。
869考える名無しさん:2007/07/16(月) 10:10:16 0
>>868を読んだら>>708も読め
870考える名無しさん:2007/07/16(月) 10:14:53 0
>>867
次スレが立ち上がったら、ひとつお願いしたいもんですね。ソレ
871考える名無しさん:2007/07/16(月) 14:41:47 0
シャルゼ=俺?
872考える名無しさん:2007/07/16(月) 16:01:21 0
冗談だろ
873考える名無しさん:2007/07/16(月) 18:08:05 0
>>868
日本国憲法の一部に問題があるから抜本的改革だと毎度のようにいい、
「日本国憲法」全体そのものには重大な欠陥がないと思い込むのもそいつの勝手。

家屋が古びたから建て替えして新築しないと嫌だというが、
「家屋の土台となる基礎」そのものが古びていても、家屋の土台の基礎から建て替えを放棄するのもそいつの勝手。

そいつは、上辺だけの人間。とも言えるし、上や表を見て下や裏を見ず。とも言える。
何にでも抜本的改革だと常にいうが、全体を支える土台そのものが、全体を支えきれないほど貧困さであることを無視するのもそいつの勝手。

抜本的改革と上辺にだけ疑いを持ちながらも(とりあえず問題点だけを抜き出して変えればいい)下や裏を含めた全体を見ようともせずに進んで、
基礎や土台からして腐っていることを認識しようとしないから、家屋を何度も建て替えたところで、腐った土台から這い上がってくるシロアリにやられて、
新築したばかりの上辺の建物もすぐに腐っちまうのさ。

ずいぶん昔に生まれた数学という土台となる基礎の上に、たくさん建物が古くなると建て替えられては新築されていったが(量子力学といった新しい数学分野の登場)、
土台となる基礎がすでに古びて腐っていることを無視する、
数学を学ぶ者や法学を学ぶ者のなんと多いことか。

それとも、上辺の建物は理論崩壊してすぐに腐ることもあるが、土台となる数学や法学の基礎は完璧に設計されていて、
完璧な理論を持った数学職人や法学職人の手で完璧に作られているので、永久に腐るはずがないと勝手に思い込んでいるのだろうか?

数学を学ぶ者や法学を学ぶ者には、ぜひとも一度、建築学たるものを現場での建築実地経験によって、充分に学ばせる必要があるだろう。
そうすれば、基礎や土台がいかに重要かを身を持って知ることになろう。
874考える名無しさん:2007/07/16(月) 18:27:35 0
>>873>>868に反論してるつもりのように見えるが
論点ぼやかして意味不明w。こいつ終わっとるw。
875考える名無しさん:2007/07/16(月) 18:38:46 0
>>708
もう一つくらい重要なテク(というより「姿勢」)をあげとくと
上辺に疑いを持ったら下辺にも疑いを持てということ。疑いを持たない者に発展はない。人の話を簡単に信じる前に、その話に矛盾がないかどうかを探ること。

これらを実践してないと、
他人の都合の良いウソの方便の影響を間に受けて失敗することや、矛盾点を探そうともせずに
簡単に信じてしまって失敗したくせに、見抜けるウソを見抜けない己の才覚のなさで、今度は正しい意見すら
信用しないというマイナス結果になることがある。(自業自得ってやつ)

これを数学を学ぶ者の話に絡めさせてもらうと

実際どこの大学でもある話だが、数学の大学教授や高校の数学教師のたぐいは、頭はいいんだか悪いんだか不明で、
それゆえ己の矛盾点を探し出す才覚のなさで、数学という学問に絶対の信頼を持ってしまっている。

それらの男が大学や高校で教鞭に立つことになっても、教わる生徒の側から数学に関する矛盾点を突きつけられても、
教鞭に立つやつらは、そこでも自分の学んだ知識に絶対に間違いはないと固執してしまい、どんなに矛盾点を突きつけられても一切無視して、
自己の学生時代に学んだ理論の間違いを認めることは、絶対になかった。

結果、頭はいいはずなのに、学生時代にこびりついた歪んだ勉強方法のせいで、死ぬ最後まで彼らは数学の間違いを正すことはできず、時代の変化に乗り遅れてしまった。

数学の大学教授や高校の数学教師の彼らも、学生時代に「何でも簡単に信じる事はせずに、まずは矛盾点を探し出す勉強方式」を学んでいれば、今頃は何人かの数学者が
「数学の概念を変えた人物」として、歴史に名を刻んでいただろう。

結局、「学校で教わったものは、疑いを持たずに何でも信じろ」という、間違った勉強方式で学生時代を過ごしたために、年老いて経験をどれだけ積もうが、
新しい考えには一切耳を傾けずに、融通が効かず要領の悪い頭の持ち主となってしまった。

もし、「学校で教わったものは、まず矛盾があるかないかを考えてから信じろ」という勉強方法を、全部の学生が実践していたら、
日本の歴史も大きく変わってたかも知れない。
876考える名無しさん:2007/07/16(月) 18:54:13 0
>>875
そういうことは、そういう奴である、その本人に言え。
お前がここに書き込みたくなる原動力は、
そういった奴らへの、そういった諸々の恨みや愚痴かっ。
どちらにしろ、そういうのは、そういう奴である、その本人に言え。
恨みや愚痴が原動力である書き込みは汚らしいぜ。
877考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:03:00 0
>>868
>木を見て森を見ず。とも言える。
>森全体を認識してから、一本一本の木(保留事項)を整理すればいいのさ。

「木を見て森を見ず」
昔の人はこう例えに持ち出しては、問題発生の原因や問題の解決を探る時に、一本の木ばかりを見ずに、森全体をも見ろという言葉を残した。

だが、これはすでに古い考え方であり、私が編み出した最新の考え方は。
「木を見て森を見て、森で暮らす生き物を見て、再び木の根元を掘り起こし、森の地面深くまで見ろ」

木を見て森を見るだけでは、正しい問題解決にはならない。
木の根幹を支えている根元を掘り起こして見たり、森全体の生命活動を支えているたくさんの生物や、
地質や地下水脈まで探らないと、本当に正しい問題解決を見つけ出すことができない。

間違った考え方
×「人を見て社会を見ず」

古い考え方
×「人を見て社会も見る」

新しい考え方
○「人を見て社会も見て、地域も見て環境も見て、地球を見て地球で暮らす生物も見る」

新しい考え方でも、つながりがある部分はありとあらゆる観点から見て、矛盾がないかどうかを探るという姿勢が大事なのである。

数学や法学の上辺に矛盾があり疑問を抱いた。ならば数学や法学の根元にも矛盾がないかどうかを調べるのが新しい学問のあり方である。
878考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:11:45 0
>>877

>>838
>だから私は、ウソの理論で構築された数式を用いた方程式が大嫌いなのである。
>だから私は今日まで鶴亀算を知ろうともしなかったし、
>これからも量子力学などといった学問にも、一切興味はわかないのである。

君は森すら見てないじゃん。木(割り算)しか見ないで、否定してるじゃん。
君とはやってられんよw
879考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:24:38 0
>>878
君は私のわかりやすい説明すら理解できないのかね?

>木(割り算)しか見ないで、否定してるじゃん。

木の幹の部分(割り算)に病気の場所(矛盾している場所)を見つけた。
ならば、同じ木の中でも葉の部分にあたる量子力学を見ても、腐った原因解明(矛盾点の解決)の問題解決にはならない。

なぜなら木の幹(割り算)がすでに腐っているのに、葉(量子力学)が腐っていないとはありえないからだ。

だから腐っている幹(割り算)より上辺にあたる葉(量子力学)を見る必要はなく、腐っている幹より下辺の木の根元や森全体(数学の概念)を見たり、
森で暮らすたくさんの生物(数学を使って生活している人達)を見たり、地質や地下水脈(数学の誕生の歴史)まで探る必要があるのさ。
880考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:30:57 0
>>879>>878に反論してるつもりのように見えるが
論点ぼやかして意味不明w。こいつ終わっとるw。

やっぱ、君とはやってられんよw
881考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:38:29 0
>>878
いいかい。
数学を木や森に例えるとこうなる。

森の地質=数学のこれまで歩んできた歴史

森の下を流れる地下水脈=数学の概念が誕生する前と、数学の概念誕生したきっかけの歴史

森で暮らすたくさんの生物=数学を使って生活している人達

木を支える根元=四則演算(足し算・引き算・掛け算・割り算)

木の幹=割り算

木の細い枝=方程式

木の葉=量子力学

量子力学の成果によるパソコンや電化製品=光合成によって作られた栄養素
882考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:47:09 0
なんとなく相手してあげてみたが、やっぱ損したわw
以後、韋駄天に絡むの止めるぜ。

じゃあの。
883考える名無しさん:2007/07/16(月) 19:55:05 0
木の幹の一部(割り算)が腐っていても、木を支える根元の部分に腐っていない場所(四則演算のうち足し算と引き算)があるから、
木は倒れることはない。
また腐っていない部分(四則演算のうち足し算と引き算)を通じて、枝(方程式)や葉(量子力学)に地下水脈(数学の歴史)から取り入れた水(計算)を、
送ることができるから、葉(量子力学)は光合成を行って、たくさんの栄養素(パソコン・電化製品など)を作り出すことができる。

だから、幹(割り算)の腐った部分を無視しても、森全体(数学体系)も育つことができて、森で暮らすたくさんの生物(数学を使って生活できる人達)が、
生命活動もできる。

だが、学問というのはそれでは納得できないものさ。
いくら木や森が成長(数学体系)していく大勢に大きな影響はないといっても、腐った部分を見つければ、原因を探って解決しようとするのが、本当の学問なのである。

また木や森が何千年もかけて成長していくには、大勢に大きな影響はないといっても限度がある。
木や森の成長度(数学体系の大発展)によっては、いずれ幹(割り算)の腐った部分が、木や森全体に大きな悪影響をおよぼす場合も出てくる。

だから早いうちに原因と解決方法をつきとめて、腐った幹(割り算)を取り除いて、腐らない幹(割り算に変わる新しい計算式)に取り替えないといけない。
884考える名無しさん:2007/07/16(月) 20:06:14 0
妄想 乙
885考える名無しさん:2007/07/16(月) 20:24:38 0
>>825
過酷な環境でたくましく生き抜く生命を見ると、「生命の神秘」とかいう言葉を用いてほめたたえる現象がある。


私の最新の生命研究によって次の重大な事が発見された。

人間も含む生物(生命)とは、不安定な状況(環境も含む)で最大パワー(最大能力)が、発揮できるように設計(一番最初の生命が誕生した時の状態)されている。


私はこれまで、生命が誕生したきっかけには、長期間安定した環境(波もなく水温も高めで穏やかな浅い海面下のような、何億年も環境が全く変化しない場所で、)において、
生命の最初の糸口が、じっくりと時間をかけて熟成されることで、生命活動に必要な各組織が順次生まれては結合していき、ひとつの生命体が誕生したという根拠を立てて、最初の生命誕生の場所はどこかを研究をしていた。

しかしここ最近になって、人間生命の活動を観察研究することで、どうも、その根拠ではいくつかの矛盾が発生することに気づいた。
むしろ、不安定な環境下によって一番最初の生命が誕生したからこそ、人間生命の活動が安定(安心な暮らし)を手に入れても、その生活に満足せずに、再び不安定(不安な生活や危険な生活)さを求めることに、根拠を立てた方が矛盾が発生しないことに気づいた。

ある生物の集団を死なない程度の過酷な環境に放り込むと、その過酷な環境から逃れて安定した環境にしようと、生命活動が活性化する。
人間に例えると、物不足や金不足の環境に人間を置くと、その人間は物不足や金不足の苦しい生活から逃れて、物が豊富で金も豊富な贅沢で安定した生活にあこがれて、毎日汗水たらして必死に働く(生命の活性化)。
そして努力のかいがあって、物が豊富で金も豊富な贅沢で安定した生活を手に入れることができても、数年経つと、不安のない安定した生活に飽きが出てきて、刺激や危険を求めて不安定な状況(不安な生活や危険な生活)に追い込まれるような行為をしでかす。
886考える名無しさん:2007/07/16(月) 20:26:40 0
刺激や危険を求めて不安定な状況(不安な生活や危険な生活)に追い込まれるような行為とは。
経営者であれば安定した事業で利益を上げて成功しているのに、さらに欲をかいて不慣れな事業に手を出して大赤字経営に転落したり。
安定した収入があり生活に困ってもいないのに、大金ほしさの欲にかられて株やギャンブルに大金を投資して借金まみれになったり。
夫の収入も高く子宝にも恵まれて、持ち家も買って何不自由のない幸せな家庭を手に入れたのに、その幸せな家庭生活を崩壊させるかのように、借金まみれのヤクザ男やウソつきで堕落した男にホレて、浮気をくり返しては離婚の道へ進む妻。
毎月こずかいももらえて、ほしい物があれば何でも買ってくれる親と幸せな家庭に恵まれながらも、遊ぶ金ほしさに売春に走ったり、悪いホストにだまされて借金漬けで風俗に落ちて親からは勘当されて苦労したり、不良男やヤクザ男にホレて家出しては家出先で苦労を重ねる少女。

政治の分野でも、何不自由のない贅沢で安定した政治活動ができているのに、わざわざ国賊行為や売国活動をくり返しては自分の評判を自分で落としては、自らの政治生命すら危険にさらす政治家。
普通の政策をやり続けていれば、平和で安定した長期政権が続くのに、国民からの信用を落とすような愚策を法律で次々に制定しては、規制強化して国民の自由を奪い、国民の不満を高めて不安定な国家にしようとする政治家と官僚。
普通に組織を運営していれば、何も問題が起きずに安定した長期運営ができるのに、組織内で不正行為を次々に働いては、組織の信用を失墜させて、組織内の人間自らで組織そのものを解体させるかのように、ガタガタにさせてしまう組織や企業。
台風が来ているのは知っているのに、あえて屋根に登ったりわざわざ河川や海に様子を見に行っては、行方不明になる人。
この場所は危険だと警告されていて知っているのに、あえて危険を承知でその場所に出かけては危険な目にあう人。
幽霊見たさにわざわざ怖い場所に出かけては、恐怖体験で震えてみたい人。
887考える名無しさん:2007/07/16(月) 20:46:15 0
長い
888考える名無しさん:2007/07/16(月) 21:19:23 0
いかにも自己陶酔に浸ってる印象が大変気持ち悪い。嘔吐おえぇ
889考える名無しさん:2007/07/16(月) 21:40:57 0
平和な地域で何不自由なく暮らしているのに、わざわざ志願して兵士になり戦争や紛争が起きた危険な地域で戦うことに満足感を得る人。
死の危険が高い岩山登りや冬山登りに情熱をかける人もいれば、襲われる危険の高い野生動物を間近で見ようと不用意に近づいては襲われる人。
健康に悪く有害だと知っているのに、タバコや麻薬に手を出しては、わざわざ健康な体を病気の体にしてしまう人。
金に困ってなく裕福な暮らしをしているのに、少し調べれば騙される事がわかる詐欺会社の口車に乗せられて大金を投資したり、詐欺者の言うがままに大金を貸しては貧乏暮らしに転落する人。

いずれも平和で安定した生活を捨てるかのような行為をしては、危険や不安の多い不安定な生活へと落ちるような結果となる。
890考える名無しさん:2007/07/16(月) 21:42:02 0
これらの事象を分析すれば、人々は平和で安定した生活を手に入れても、その生活がずっと続くと次第に退屈さを感じて、生きている実感や満足感や充実感を得ることはなく、あえて危険な思いや不安な思いをしたい行動に出る。

つまりは、人間も含めて地球の生物というのは、不安定な環境下(混乱、争い、生命の危険、将来の不安)において誕生して発展してきたために、不安定な環境下において最大能力が発揮できて、生命力に満ち溢れた生き生きとした状態となり、
生命活動が活発化して生きている満足感と充実感が得られる。

だから、暮らしやすい安定した環境(平和、命の安全、将来の保障、生活の贅沢、生活の余裕)を手に入れても、その環境下では生きている実感も充実感もわかず、ずっと満足することはなく、生命活動は停滞化して、不安定な環境に戻そうとする力が働く。

したがって、どんなに人智を駆使して、平和で安定した社会が形成される素晴らしい憲法を作り出したところで、結局は、その平和で安定した社会(老後の不安もなく、生活も安定していて、命の危険も感じない社会)では、
生命力に満ち溢れて生命活動が活性化することもなく、満足感も充実感も得られず、人々は再び不安定な社会(争いや混乱、将来の不安や、命の危険に満ちた社会)に戻そうと、間違った行動(国民の愚民化と凶暴化、政治や社会の愚策化と腐敗化)をしてくる。


私の最新の生命研究によって次の重大な事が発見された。

人間も含む生物(生命)とは、不安定な状況(環境も含む)で最大パワー(最大能力)が、発揮できるように設計(一番最初の生命が誕生した時の状態)されている。

人間は、安定した環境下(平和、命の安全、将来の保障、生活の贅沢、生活の余裕)においては、不安定な環境下を求めて、間違った行動を取ろうとする。
人間は、不安定な環境下(混乱、争い、生命の危険、将来の不安)においては、安定した環境下を求めて、正しい行動を取ろうとする。

生物も人間も、生命力あふれて生き生きとした状態になる時は、不安定な環境を安定した環境にしようと、生命活動が最大能力を発揮して活動が活性化する時である。
891考える名無しさん:2007/07/16(月) 23:05:30 0
どんなに大仰に饒舌に語ったところで、一般論は一般論なり。
研究結果における重大発見てか、単に既存の著書の受け売り或いは換骨奪胎じゃん。
スレタイの趣旨から100光年も離れている。スレ違いてか星違い。
892考える名無しさん:2007/07/17(火) 01:39:34 0
人それぞれ観点があるから社会なんてのも
それぞれに歪に歪曲したイメージをもっている
それぞれの中で不安定安定があり
それぞれの中で満足不満足がある

まあ不安定状況を安定させようとする流れを
発見しちゃって俺スゲー系のレスかな
人類もそうだから生物もそうだろ
そういっとけば聞こえもいいしな
どうせ具体例引っ張り出したところでそれは私が思っている安定不安定ではない!
と躍起になって怒るんだろ

またはこういうレスがほしいんだろ
それくらいだ
893考える名無しさん:2007/07/17(火) 02:31:59 0
誰から見てもゆがんでる社会なんだよな〜
ゆがんでるにしても許容できる範囲でのゆがみならいいんだけど
全然許容範囲に収まってない
しかもどこの社会に所属するかの選択権がほとんどないからなあ
894考える名無しさん:2007/07/17(火) 02:40:12 O
>>892
おバカさん。死ね
895考える名無しさん:2007/07/17(火) 07:11:54 0
韋駄天の話に乗っかると
最終的にこっちまでスベったみたいになるから気をつけろ
896考える名無しさん:2007/07/17(火) 13:06:00 0
sage
897考える名無しさん
つまり自然も肉体も人間社会も数学も、
誤差、遊び、ゆとりがないと機能しないように出来ているのさ。
それがなくなっていくのは老化であって、最終的には硬くなって死ぬ。
無論誤差の範囲を超えても死んじゃうんだけどね。
誤差の範囲が小さくなれば超えやすくもなるさ。