>>890 >しかし、缶に中身が入った缶詰(={中身,缶})としてでなければ意味がない。(製品として)
>ということは、中身あってこその缶詰に対して、中身を非難して、缶詰を非難せずというのは
>成り立たない。
と貴方が考えているのはわかりますが、
それは所詮比喩なので、比喩が完全に適用できるとは考えない方がいいと思います。
缶詰なら、企画段階なら、中身を検討して、「缶」を考えないことはありですし、
特定の缶詰を知らなくても、また実際にそのような缶詰があるかどうかに関係なく、
いろいろな中身について考えることはできます。
>>892 >私は「罪と認識するのは誰ですか?赦すのは誰ですか?」と聞いています。
罪と認識するのは、“罪”を見出す概念を持つ者です。
赦すのは、“罪”を見出す概念とほぼ同じ概念を持つ者です。
>罪の定義は曖昧な状態なので
赦す:罪や咎を免じる。また赦免する。つまり、咎めない事。
罪:1.規範(法律)・道徳などに反した、行い。2.その行いをとがめる。罰。
>>893 >貴方の中で成立することが、世界で成立するわけではありません。
その例外ですよ。
というよりも、「私は貴方と違って、人と行為を分けて考えますから。」と言いますが、あなたの考えは関係ありませんよ。
>>894 >そこに貴方が意味を見出せないというだけのことですから。
論議の対象を見失ったか。
>>895 >レスは論点に分けて書いてください
は?論点に分けても内容に変化はないでしょ。これは、あなただけが使っているのではないのですよ。
>>897>>898 >缶詰なら、企画段階なら、中身を検討して、「缶」を考えないことはありですし、
そんな前提はあの比喩の中の前提で制限されています。
>特定の缶詰を知らなくても、また実際にそのような缶詰があるかどうかに関係なく、
>いろいろな中身について考えることはできます。
本来の議題で考えると、ある特定の人間が起こした行為については、その旨ではないと?
>>898の内容を察するに自分の間違いを理解できたようなので、
「殺人という行為を非難しても、殺人を犯した人をも許す」は間違っているということですね?
>>899 >罪と認識するのは、“罪”を見出す概念を持つ者です。
ここはOKです。
>赦すのは、“罪”を見出す概念とほぼ同じ概念を持つ者です。
ここが違います。カトリックの赦しは「同じ概念を持つ『者』」ではありません。主です。
>>899 >そんな前提はあの比喩の中の前提で制限されています。
では、その比喩が不適当です。
>ある特定の人間が起こした行為については、その旨ではないと?
「ある特定の人間が起こした行為」というのは唯一性があり、二度と起きない事象です。
ところが「行為」と「人」を分けて考える「行為」というのは類型であり、抽象的な存在です。
哲学的に厳密に考えるなら、実在するものではありません。個人の観念に存在するものです。
>「殺人という行為を非難しても、殺人を犯した人をも許す」は間違っているということですね?
いいえ。
「殺人という行為を非難しても、殺人を犯した人をも赦す」というのは変わりありません。
「赦し」と「非難」の定義が貴方が想定するものとは異なっているかもしれませんが、
その場合はまず、時間軸全体に主の「赦し」があることを第一前提の定義として、
他の定義を調整してみて、理解できる形になるかどうか考えては如何でしょうか。
>>899 ところで、
貴方は間違えることがないとはいえませんし、常に正しさを認識できるとも限りません。
貴方が自分は常に論理的に考えられると思い込んでいるなら、それは思い上がりです。
貴方が自分の間違いを認識できず、論理的に説明できていない可能性はありますよね。
そしてそれを指摘されてもわからない可能性も。
というのは理解できましたか?
>>900 >ここが違います。カトリックの赦しは「同じ概念を持つ『者』」ではありません。主です。
同じですよ。つまり「主」という概念なのでしょ?
>>901 >では、その比喩が不適当です。
では不当な理由を挙げてください。
ちなみに、あのように制限したからこそ比喩として適用できるものにしたのですよ。
>「ある特定の人間が起こした行為」というのは唯一性があり、二度と起きない事象です。
>ところが「行為」と「人」を分けて考える「行為」というのは類型であり、抽象的な存在です。
ということは、「特定の人間の起こした行為」と「非難される行為」は違うということですか?
>他の定義を調整してみて、理解できる形になるかどうか考えては如何でしょうか。
では先ず、あなたが想定している「罪」と「赦し」を書いてください。
>>902 >というのは理解できましたか?
この文の上にある四行の文は理解できます。
しかし、それが正しいかはわかりません。
>>900と
>>902ぐらい、まとめられるでしょ?
>>903 >>ここが違います。カトリックの赦しは「同じ概念を持つ『者』」ではありません。主です。
>同じですよ。つまり「主」という概念なのでしょ?
違いますよ。
貴方の文では「同じ概念を持つ者という概念」ではなく「同じ概念を持つ者」になっています。
貴方は「者という概念」を対象にしているわけではなく、「者」を対象にしていますし、
「“罪”を見出す」の主体は概念ではないでしょう。
「主」と「者」は違いますし、「主」が概念を持つとは限りません。
>では不当な理由を挙げてください。
前提を勝手に制限しているからです。
>ということは、「特定の人間の起こした行為」と「非難される行為」は違うということですか?
当然、違います。
>では先ず、あなたが想定している「罪」と「赦し」を書いてください。
主の「赦し」は、時間軸全体が対象であり、如何なる状態になろうともその全事象を是とするもの。
主の愛と同様、人間の「赦し」とは異なる。「罪」は人間が勝手に「罪」と認識するもの。
例えるなら、親の留守中、子供が花瓶を割ったことを子供は罪と思っていたが、
親はそうなることを始めから知っており、そのことをとがめる気は始めからなかったという状態。
>>904 >貴方は「者という概念」を対象にしているわけではなく、「者」を対象にしていますし、
教会に行くと、主が「赦します」と言ってくれるのですか?
それとも、何らかの形で、それが表れるのですか?
>「“罪”を見出す」の主体は概念ではないでしょう。
“罪”を見出す思考の形式ですから概念でしょ。
>前提を勝手に制限しているからです。
勝手に?
よく物理の問題で、空気の摩擦抵抗をないものとしていますが、それと同じですよ。
それと、あの比喩は解り易くするために、イメージしやすい事柄を使ったのです。
ちなみに聞いておきますが、勝手に制限してはいけない理由はなんですか?
>当然、違います。
どちらにも捉えられる返答ですが、それは同意するということですね?
>主の「赦し」は、時間軸全体が対象であり、如何なる状態になろうともその全事象を是とするもの。
時間軸が対象というのが少し具体性に欠ける。
そこの部分をもう少し、説明してください。
>主の愛と同様、人間の「赦し」とは異なる。
おいおい、その「赦し」の意味で特徴を書くとはどういうことか。
羊頭狗肉とはこのことだ。
>「罪」は人間が勝手に「罪」と認識するもの。
それが「罪」のカトリック的な意味ですか?
>親はそうなることを始めから知っており、そのことをとがめる気は始めからなかったという状態。
その例えは、的確ですか?
それと、「親」=主、「子」=人、でいいですか?
>>905 >教会に行くと、主が「赦します」と言ってくれるのですか?
さあ?どうでしょう?私はアンチキリスト教なのでそこまでは知りませんが、
カトリックでは、「全てに主の赦しがある」ということになっています。
神学的な証明はあるようですが、科学的な証明があるかどうかは知りません。
>“罪”を見出す思考の形式ですから概念でしょ。
「概念」が“罪”を見出すのではなく、「人(者)」が“罪”を見出すのでしょ。
それとも「概念」が“罪”を見出すのですか?
>勝手に制限してはいけない理由はなんですか?
別にいけなくはないですが。
双方が納得する比喩として成立していないというだけのことです。
>時間軸が対象というのが少し具体性に欠ける。
>そこの部分をもう少し、説明してください。
全ての過去と現在と未来です。仏教なら三世と呼ぶところでしょう。
>それが「罪」のカトリック的な意味ですか?
表現の仕方は変わることがありますが、実質そういうことになります。
本人が罪と認識しているものになります。
>>親はそうなることを始めから知っており、そのことをとがめる気は始めからなかったという状態。
>その例えは、的確ですか?
主の赦しが人が勝手に認識する「罪」と相反しないという意味では的確です。
それ以外ではその限りではありません。
>>906 >カトリックでは、「全てに主の赦しがある」ということになっています。
「全てに主の赦しがある」ということになっている、という概念でしょ?
>「概念」が“罪”を見出すのではなく、「人(者)」が“罪”を見出すのでしょ。
人がその概念を持って罪を見出すのです。
>双方が納得する比喩として成立していないというだけのことです。
あなたの、納得のいかない事は何ですか?
>全ての過去と現在と未来です。仏教なら三世と呼ぶところでしょう。
時間に「赦し」があると、そこに生きている人間も「赦し」があるということですか?
>表現の仕方は変わることがありますが、実質そういうことになります。
ということは、“罪”とは人が考え出したことなのですね?
>主の赦しが人が勝手に認識する「罪」と相反しないという意味では的確です。
「〜しないという意味では的確です。」
だったら何故、下のような返答ができるのですか?
>>では不当な理由を挙げてください。
>前提を勝手に制限しているからです。
これからは反論できないからといって、適当なことを書くのはやめてくださいね。
>>907 >人がその概念を持って罪を見出すのです。
「人が」と貴方も言っていますが、その通りで、
「概念」が罪を見出すのではありません。「人」が罪を見出すのです。
>時間に「赦し」があると、そこに生きている人間も「赦し」があるということですか?
全時間の全事象すべてに赦しがあるので、そういうことになります。
>ということは、“罪”とは人が考え出したことなのですね?
当然ですね。
>>907 >「全てに主の赦しがある」ということになっている、という概念でしょ?
で?
>>907 >だったら何故、下のような返答ができるのですか?
私の考えを説明するのに、比喩を使っただけであり、
貴方の考えに制限を与えたり、否定したりしているわけではありません。
ところが、貴方の比喩は相手の同意なく勝手に前提を制限し、
それを他人にまで押し付けるからおかしいんです。
「分けて考えない」ということを説明するにはいいのですが、
相手の「分けて考える」立場を否定するのに、
同意の無い制限を押し付けるというのはやめてくださいね。
これからは反論できないからといって、適当なことを書くのはやめてくださいね。
911 :
考える名無しさん:2007/04/18(水) 20:37:18
>>908 >「概念」が罪を見出すのではありません。「人」が罪を見出すのです。
しかし、その概念がなければ、「人」だけでは見出せません。
ちなみに、
>貴方の文では「同じ概念を持つ者という概念」ではなく「同じ概念を持つ者」になっています。
と、勘違いしていますが、
>罪と認識するのは、“罪”を見出す概念を持つ者です。
>赦すのは、“罪”を見出す概念とほぼ同じ概念を持つ者です。
を見るに、「ほぼ同じ」と書いています。共通部分が多いだけで、二つの概念は違うことを書いています。
>全時間の全事象すべてに赦しがあるので、そういうことになります。
ということは絶対時間として考えているということですか?
>当然ですね。
ならば何故、カトリックは告解室を用意し、その“罪”の赦しを乞うているのですか?
>>909 レスをまとめて書くという簡単なマナーすら守れない自己中でしたか。
>>910 >ところが、貴方の比喩は相手の同意なく勝手に前提を制限し、
同意なく?馬鹿丸出しですね。
最初から前提としてあるにも拘らず、それに気付かず、企画段階にどうのこうの言って、それで諭されて「同意なく勝手に」などと書かれましても・・・
それと、比喩のために相手の同意を求めるなんて初めてですよ。カトリックでは比喩に同意がいるのかもしれませんが、議論においてはいりませんよ。
>同意の無い制限を押し付けるというのはやめてくださいね。
押し付けるって何なんですか?
どの部分が押し付けているのですか?詳しく示してください。
>これからは反論できないからといって、適当なことを書くのはやめてくださいね。
そのレスからその文に行く着くなんて、それすらも適当ですね。もう内容が、ぐちゃぐちゃ。
>>911 >しかし、その概念がなければ、「人」だけでは見出せません。
誰も概念がなければなんて言っていませんね。
概念を持つ「人」が見出すのです。そして「主」と「人」は異なります。
>ということは絶対時間として考えているということですか?
全事象ですから、絶対だろうと相対だろうと構いません。
>当然ですね。
ならば何故、カトリックは告解室を用意し、その“罪”の赦しを乞うているのですか?
「ならば」がつながっていません。そもそも赦しを乞うのが目的ではないですよ。
反論できないからといって、適当なことを書くのはやめてくださいね。
>>>「全てに主の赦しがある」ということになっている、という概念でしょ?
>>で?
>レスをまとめて書くという簡単なマナーすら守れない自己中でしたか。
反論できないからといって、関係の無いことを書くのはやめてくださいね。
>カトリックでは比喩に同意がいるのかもしれませんが
さあ?それは私の立場ではありませんよ。何を勘違いしているのですか?アホですか?
>>911 ageんな馬鹿。人にマナー言う前にsageを覚えろ。
>>913 >そして「主」と「人」は異なります。
でしょうね。概念と人では異なりますから。
>全事象ですから、絶対だろうと相対だろうと構いません。
時間は“罪”と同様に人が作ったものですが?
>そもそも赦しを乞うのが目的ではないですよ。
では、何なのですか?
>反論できないからといって、関係の無いことを書くのはやめてくださいね。
たったアレだけの文なら他のレスにまとめられでしょ。
それに、「で?」に反論ですか?
「〜なのでしょ?」「で?」会話にもなっていませんよ。
何もいえなくなった挙句が「で?」と書いた、あなたこそ上の文に相応しいですね。
>さあ?それは私の立場ではありませんよ。何を勘違いしているのですか?アホですか?
え、ではあなただけの立場って事ですか?
「自分には、同意を求めなさい」って事ですか?
自己中心にも程がありますよ。自分が議論のルールとは、なんと傲慢な。
ところで
>>同意の無い制限を押し付けるというのはやめてくださいね。
>どの部分が押し付けているのですか?詳しく示してください。
の返答をお願いします。
>>915 >時間は“罪”と同様に人が作ったものですが?
人間が生まれる前には時間が存在しないという主張ですか?
恐竜の時代の時間を否定するなら、私には貴方の言葉や考えは理解不能です。
>では、何なのですか?
その前に、どうして根拠もなくデタラメを書くのですか?
その理由か根拠を書いてください。その後で間違いを正してあげますから。
>え、ではあなただけの立場って事ですか?
>「自分には、同意を求めなさい」って事ですか?
全然違います。カトリックは私の立場ではないということです。
私は
>>906でアンチキリスト教と宣言しています。
>自己中心にも程がありますよ。自分が議論のルールとは、なんと傲慢な。
間違った推測で飛躍しないように。頭悪すぎますよ。
>>916 >人間が生まれる前には時間が存在しないという主張ですか?
そうです。
時間というのは先天的に知覚が備えているものです。
つまり純粋直感でしかないのです。
>恐竜の時代の時間を否定するなら、私には貴方の言葉や考えは理解不能です。
ならば哲学も理解不能でしょう。
>その前に、どうして根拠もなくデタラメを書くのですか?
根拠は、トリエント公会議第三会期、第十四総会での教令。
それと、新教会法典の司祭職に関する規定がそれです。
>全然違います。カトリックは私の立場ではないということです。
そんなことは関係ありません。
比喩に同意を求める事。
それに対し、私は「カトリックでは〜」と返す。
しかし「私の立場ではない」と反論した。たぶん「立場ではない」というのは、その組織の人間ではないと言いたかったのでしょう。
ですが、立場が違ったとしても、あなたが「同意を求める」云々と言ったことには違いない。
ですから、カトリックどうこうの問題ではない。
>間違った推測で飛躍しないように。頭悪すぎますよ。
はたしてそうでしょうか。
>>904の一番下の例を書き、その後になって
>主の赦しが人が勝手に認識する「罪」と相反しないという意味では的確です。
>それ以外ではその限りではありません。
つまり、勝手に認識する「罪」以外は例として合っている、という前提を書いたにも拘らず
同意を求めている傾向すらない。
他人には「同意」を指摘し、自分のにはそれを適用させない。
傲慢の至りですね。
反論できないからといって、「比喩に同意を」という適当な思いつきを書くのはやめてください。
>>917 >時間というのは先天的に知覚が備えているものです。
>つまり純粋直感でしかないのです。
それは時間という概念だろ。バカバカしい。
>>917 >根拠は、トリエント公会議第三会期、第十四総会での教令。
>それと、新教会法典の司祭職に関する規定がそれです。
どこに書いてあるのか該当箇所を示すか、引用するかしてください
。それだけでは意味不明です。
>>917 >>恐竜の時代の時間を否定するなら、私には貴方の言葉や考えは理解不能です。
>ならば哲学も理解不能でしょう。
そうはならないですよ。
恐竜の時代の時間の存在を否定するなら、貴方は過去の時間そのものを否定していることになります。
そこには人間は「いつから人間なのか」?という問題があり、種の連続性を考え、哲学的に厳密に考えるなら、
実際のところ人類の誕生という境界のは関係がありません。
結局貴方は自分が立脚している足場を破壊し、何もわからないといっているだけに過ぎません。
哲学的厳密さだけでは独我論の可能性があり、何も確かなことは言えないのです。
過去の存在、論理の正しさの存在があることを前提にしなければ、議論そのものが成り立ちません。
世界が一秒前に出来た可能性や、桶の中の脳の可能性があるのは哲学的厳密さの中では当然ありますが、
そういったものを、形を変えて巧妙に議論に混ぜても議論は成立しません。
せいぜい、貴方の頭、価値の中で貴方の論理が成立するだけであり、
それが貴方の外の世界や、他人の世界で成立する保証はどこにもないのです。
921 :
考える名無しさん:2007/04/20(金) 13:28:19
新スレたてたけど、うまくリンクが貼れない
なぜ??
923 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 14:31:32
ニーチェの趣旨は、ヨーロッパ社会にはびこるキリスト教的な道徳、価値観
などの転換。パラダイムチェンジだろう。例えば、プラトンやカント批判に
見られる、「真理」それ自体への無批判な妄信。存在しない「イデア」や
「物自体」などという超越論的な「本質」を求める姿勢は、キリスト教的な
「神」「来世」「復活」などを求めることと変わりはない。
必要なのは強烈な「生」、つまり超越論的なものへの信仰ではなく、
実存における力強い意志、欲望の力を肯定することなのである。
924 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 22:05:32
>>918 >それは時間という概念だろ。バカバカしい。
概念とは違います。
概念とは経験的に得られるもので、時間はそうではない。
時間は、事物にはなく、人の方にある。
>>919 >それだけでは意味不明です。
「告解室を用意し、その“罪”の赦しを乞うているのですか?」
の理由が
「トリエント公会議〜規定がそれです。」
つまり、書いてあったから、というところのどこが意味不明なのですか?
本当に意味が不明なのですか?
別に意味が不明なら、それでいいです。では、“間違い”を正してください。
>>920 >貴方は過去の時間そのものを否定していることになります。
もし、本当に時間を否定しているなら、今現時をも否定することになりますよ。
解ってますか?
それに否定なんてしていません。カトリックで言う“罪”に近いです。
時間は人間の側にあるのです。
>哲学的厳密さだけでは独我論の可能性があり、何も確かなことは言えないのです。
あなたの独我論を説明してみてください。
>議論そのものが成り立ちません。
ついに明らかになった、あなたの議論形式。
それは「論理の正しさの存在」という不可解な要素が織り成す、曲がったものであった・・・。
存在とはつまり、ある現象群のことを言いますが、論理は現象なのですか?
だとするなら、独我論は間違っていたと証明されたわけですが?
926 :
考える名無しさん:2007/04/23(月) 09:45:32
取り扱い上の注意
**********************************************************
『キリスト教は邪教です!』はニーチェの翻訳ではありません。
これがニーチェの哲学だと考えるのは間違いです。
適菜収氏の個人的な意見を書いた書物に過ぎません。
**********************************************************
927 :
考える名無しさん:2007/04/23(月) 10:10:45
原著を読む前のあんちょことしては一番いいんじゃないの。
西尾訳読むのも面倒だし。
928 :
考える名無しさん:2007/05/05(土) 10:57:23
はいよ。9
929 :
考える名無しさん:2007/05/05(土) 12:18:35
西尾訳と比べて読んだけど
ほとんど変わらないよ
931 :
考える名無しさん:2007/08/10(金) 03:13:04 0
神はマリアとなんて一発もやってねーのにイエスキリストが神の子供だと?
おまえらふざけてるんじゃねーよ!
自分が神の息子だとのたまわってぶっ殺された基地外を崇拝してどうするんだよ?
キリスト教はヨーロッパで悪い事ばかりやらかして、
しまいには政治にも関わって勢力を強め
罪のない人間をたくさん殺して
本性のバレていない外国に布教
外人の信者を増やし、しまいには世界中に布教しやがって..
証拠のないフィクションを布教する奴も洗脳される奴も基地外だ
おまえらには生きている価値なんてねーんだよ
キリスト教も創価学会もイスラム教もオウムも同じだぜ
お前らなんて一人残らず糞まみれになって小便に溺れて氏ねカス
932 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 00:13:16 O
日本のクリスチャン人口は1%未満。
キリスト教をいくら叩いても無意味だよ。
やるならアメリカ、韓国でキリスト教批判することだな。
敵がウヨウヨできるよ(笑)
933 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 15:54:28 0
顕正会がどうかは別として、日蓮大聖人に背きぞんざいに扱い続けた日本
に滅亡 亡国の危機が迫っているのは間違い無いだろ?
事もあろうに、そういう偉大な悟りを開かれたお方を日本の中枢
(鎌倉幕府)は処罰を行い 流罪し 首まで斬ろうとした。
しかも、その行為を悔いることなく大聖人様に対して冷淡極まりない扱い。
700年後の現在に至るまで。
二度に渡る元寇 応仁の乱 戦国の争い 江戸時代の一揆の数々や
島原の乱 日清及び日露戦争 二度の世界大戦 そして敗北・・・・。
これらの出来事は、日本民族が日蓮大聖人様に長い間背き続けたこと
による天罰でしか無いのだ。 日本民族が大聖人様に背き続けるならば、
今まで以上の恐ろしい天罰が待ち構えているのは言うまでも無い。
豪雨 異常高温 大旱魃 大飢饉 日本全体を壊滅に追い込む大地震
北朝鮮や中国 ロシアによる日本本土への核攻撃 米国の裏切りによる
日米同盟の崩壊 細菌テロ 病原菌による病気の広まり・・・・。
日本に残された時間は、はるかに少ない。
今こそ1億総国民が大聖人様への冷たい扱いを悔い改め、
「南無妙法蓮華経」とみんなで唱えよう。
そして、本門の戒壇である国立戒壇設立の実現を国民全てが悲願
することである。 それが実現することで、日本には未来永劫の安寧と
平和が必ず訪れるのである。
クリスマスやバレンタインなどの邪教のイベントを祝う暇があるなら、
「南無妙法蓮華経」と何回も唱えよ。
無間地獄へ逝きたく無いのならば。
934 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 16:47:47 O
おまえらは総エロだ日蓮宗
935 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 17:19:58 0
ユダヤの犬は死ね。
936 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 15:11:27 0
うめ
937 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 17:38:47 O
うめ
938 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 18:33:46 O
うめ
939 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 19:04:18 O
うめ
940 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 20:29:11 O
うめ
941 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 21:48:07 O
うめ
942 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 23:12:51 O
うめ
中学校で「社会(歴史)」、高校で「世界史」、大学で「西洋史」、
これらをしっかり勉強していれば、キリスト教がいかに悪教であるかが
よくわかる。現代では、その精神はプロテスタンティズムとして
米国に流れ、日本の無辜の民を、東京大空襲で10万人、広島・長崎の原爆投下で
40万人、いわゆる異教徒への殺戮として実行した。
われわれが知っておかなければならないのは、イエスという人物と、
キリスト教という教団とは、全然別のものだということだ。
彼らは、イエスを賛美するだけで、一切イエスの教えには従わない。
ある人が言った、「キリスト教徒は、キリストの指す”指”を見るが、
決して、その指し示す先を見ることはない」と。
944 :
誘導:2007/08/16(木) 00:29:26 0
sage
sage
sage