929 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 20:40:40 0
過去の結果が現在であってそれを過去の連関から
認識できていない個々が未来について語ったところで
無意味。
未来が意味を成すのは今の生において自分の精神生活
や社会生活の生きようによって初めて意味を成す。
シュタイナー人智学はその生きように救いと道を指し示す
と思われる。現代の形の宗教と自身が言うのもそのような
意味合いと捉えられる。
単に未来の出来事や社会だけを議論するならそれは妄想
としか言いようがない。
消えてはまた生じる、終末論や期待論は皆自分の外で生じる
ことの関心であって決して自分を見ようとしない現代人の悪い
性癖である。
「黙示録の秘密」の内容じゃ足りないのか?
それに、シュタイナーは「自由の哲学」を足がかりとして、自らがその先を歩むための
指針「だけ」渡したものと思っているのだがどうなんだろうか。
(それでも、当時のオカルティズムからすれば破廉恥なほど
いろいろと秘技を公開したということらしいけど。)
それと、そんなに将来のアンチョコ読んでみたいか?
技術的に生理的変化を起こすような手段により
高次の世界を見た、あるいは見れたとか
科学的な説明すらできないのに何年には人類の意識
が自動的に飛躍するなどまったく幻想の極みとしかいいよう
がない。
そういうものへの関心や考え方にとらわれることこそ悪の諸力
につかまった結果のよい例と見られるだろう。
その人たちの言ってることを聞いてみるとほとんど現実生活には
結びつかないか、逆にほとんど中身のない短絡的なごく当たり前な
道徳律をひたすら繰り返しているに過ぎない。
真に賢い人間や真面目な人間は人間の弱さを心得ているが故に
こう尋ねるだろう。
「わかっちゃいるがやめられない。わかっちゃいるができない。
どうしたらいいんでしょう?」と。
これがもたらす結果から救い出すのが真の精神科学と言える
のではないかと思う。
シュタイナー人智学に興味を持ったとして「神智学」「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」
「神秘学概論」「自由の哲学」などの主要著書を読んだとして次には教育関連著書推したい。
シュタイナーの教育関連著書は少なくとも逆教育にさらされた今の己自身を多少なりとも省みる
機会を与えてくれると思える。
隠された知識と言われるものには魅力を感じるだろうがその魅力に捕らわれているうちはそこに
本来の自分自身はいない。
しかしシュタイナーの良いところは近づいたものには高次世界の認識にあたってのその振動を
長い間に投げ返し高めてくれる。瞑想と人智学書を読む習慣を推奨していたように。
しかし的外れなスピリチュアリズムやオカルト本は幻想に浸る愉しみとマーヤをより堅固
にし、現実の背後にある真のリアリティーの畏れなど決して感じさせてくれない。
真の畏れは自分の深いところ内面からやってくる。それは理解したことが事実あるいは
真実に近いからであり畏敬とはまさに謙虚な理解なくしてはありえない。
シュタイナーが現代人に最も掛け、その念なくして霊界参入は困難といわれた
基本が真面目に取り組むなら「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」
から響いてくる。
20年くらい前に、その方の友人たちが、
そのブラックマジックを使うビジネスのやり方を、100%、完全に解明したのだそうです。
その友人たちは、4人とも、日本人で、しかも、数学者だったそうです。
基本的には、現在出回っているような成功哲学や願望実現法などと、
それほど、かわらないテクニックだったそうですが、大きく違うのは、
いわゆる、よく、昔のヨーロッパの魔術師たちが、やっていたような、
生贄をささげるという儀式をやるのだそうです。
これをやるのとやらないのでは、効果が、大きく違うのだそうです。
現在のビジネスの成功のテクニックが、いまひとつ効果が薄いのは、
この「生贄をささげる」という行為を、やらないからだそうです。
大昔は、人間をささげることもあったそうですが、
現代では、普通は、生贄は、動物を選ぶそうです。
さて、その儀式をやって、ブラックマジックのパワーを、完全にもらえるようになった4人は、
やはり、短期間で、ビジネスが、大成功したそうです。
中には、宝くじがあたったり、銀行に、なぜか、1000万円、どこかから振り込まれたり、
投資で、大当たりしたり、いろいろと、不思議なことが、おこったそうです。
その方も、フェラーリなどの高級車に、乗せられながら、
その4人から、いろいろな自慢話を、聞かされたそうです。
「うらやましいな〜」
と思う反面、なぜか、その方は、こういうブラックマジック系のビジネステクニックには、
魅力を感じず、結局、自分は、やらなかったそうです。
特に、生贄をささげるという行為に、抵抗を感じたそうです。
その後、その4人は、4人とも、4年以内に、交通事故や病気などで、亡くなったそうです。
ttp://www.tomaatlas.com/lib162.htm
934 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 19:08:42 0
『アカシャ年代記より』のまえがきに
>――本書が伝えようとする記録の出典については、今日のところまだ沈黙を守るべき義務を私は負っている。
>このような資料の存在について少しでも知っている人は、なぜ私が沈黙を守らざるをえないのか、
>理解してくれるであろう。とはいえ遠からず、こうした事柄が語られるようになるための諸事件が起こるかもしれない。
>神智学運動の内部にまだ隠され続けている認識内容のどれだけ多くが次第に公開されるようになるかは、
>すべてわれわれひとりひとりの態度如何にかかっている。
とありますが、その後『アカシャ年代記より』の出典が明らかにされることはあったのでしょうか。
>>934 その後も何もあきらかになってるでしょ。
アカーシャ年代記執筆当時はまだ出典
については世間に一般的には大きな誤解
を招いたり神智学のイメージや評価が偏る
恐れがあったと思う。
自由の哲学も初期の著作だったと思うが
純粋に神秘学を世間に現していくには段階
を踏まなければ浸透は難しいと思う。
出典はまさにアカシックレコードからと後に
言ってるだろ。
超感覚的能力を使って虚空の記録庫から
読み取ったらこんなんでましたなんていきなり
言われて誰が信じる。
アカーシャ年代記の前書きが何度改定されたか
よく見れば、いかにこういう著作を世間に現すのに
気を使ったかよくわかる。
まあそういうことだ。
あと、シュタイナーにも師がいたらしいですね
結局はどのマスターの弟子だったかは明かされなかったんですかい?
師と呼ばれる人の名前はわかっている。社会的に有名だったかというと
そうではない。シュタイナーは自分の役割についてもわかっていた。
人智学運動をシュタイナーが起こさなかったら人智学は存在しなかった
というとそうではない。代わりに誰かが人智学を提唱したに違いない。
本来人智学は別の人物が興すはずだったが嫌がっていたシュタイナー
がやるはめになったと聞いている。
あの当時シュタイナーの周りにはというよりあの時代のあの場所に
そういう役割を担う人物が複数いたが(これもカルマのなせる業としか
いいようもないかも)シュタイナーが人智学を担った。
具体的なことは限られた集まりのなかの情報なので言わないが
いつかシュタイナーその人にまつわるエピソードの本などが出るかも
しれないな。そう期待するが。イメージと違い人間臭さは人並みに
持っていると思う。
冷静なまなざしでみるなら人智学は神、人類指導者あるいは霊たちの
(真に神秘的な意味で)計画のなかのことであると言える。
再三言うが現代においてまだ人智学に反感、批判的であってもそれは
当然と考えられる。人智学およびその内容でさえ充分に理解できる人間
などまだ数は少ないからである。
しかし真摯な努力を持って理解しようと勤めるなら、超感覚的能力の獲得
を持って内容を理解できる言う前に、現代人が獲得した今ある思考能力と
その意志をもって魂に響かせられるだろう。
安寧な生き方の中で、感覚の嗜好が優先するものの為に労力を使い
生活を続けるなら、今生においての理解は難しいと思う。
結果自分自身の存在意義の苦悩の中に生を悩むようになるだろう。
その兆候はもう社会の若者の中に多く出てきているはずだ。
人間も進化しているが宇宙も(社会も)進化している。少なくとも
それから遅れるようなズレが生じないように。神は過酷さを生に
強いているわけではない。そうしているのはあなた自身だから。
自由の名の下に・・・・。
まあそういうこった。
人智学は簡単すぎて時代遅れなの
だから現代人ウケしないの
こういったことを言ったものがいる。
「もし、超感覚的な能力を獲得したら、シュタイナーが言ってるようなことは別に
読まなくてもわかるようになるじゃん。」
この通りでなくても、多くの人の考え方の根底がこういうところにある。
でもシュタイナーがあれだけ系統だった講義や著作を著したのはなんでか?
その上で「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を書いたのか?
まあこういうことも考えるわけだ。ただ一つ言っておきたい。「いかにして・・・」
に忠実に従い努力をしたからと言って簡単に、あるいはすぐに「超感覚的世界
の認識を獲得・・・」出来ると思うならまず人智学に限らずオカルティックなもの
から離れたほうがいい。それは大きな幻想を自分の中に持ち込むだけだから
である。よ。
>>940 簡単と思う人や時代遅れと思う人は
他のことやっとくれ。楽しいことは
他にもあるからね。
まあ現代なら940のように言ったとしても問題はない。
ある親が言っていたことがある。
シュタイナー教育を誰かに進められその親がシュタイナー
の教育関連の本を2冊ほど読み
「なんだこんなことなんか私なんかとっくにやってる。本読んだけど
そんな難しいことじゃないじゃん。」
そういいながらうちの子は医者か官僚にさせると言って子供を通わせる
塾の良し悪しをひたすら気にしていたな。
946 :
937:2008/01/19(土) 01:37:34 0
>>938 >師と呼ばれる人はわかっている
最初の一文字でいいです
教えてください
おっ、活気があっていい流れですね。
ちくま文庫の「治療教育講義」を読みました。
これすごくいいですね。
内的な病気の解明をするのに、
肉体とエーテル体とアストラル体と自我の具体的な関係が書かれてて、
その諸体の特性が調和したり、不調和になると、
どうなるのかという洞察が書かれてて、読んでて感心しました。
こういうふうに、今まで学んできた認識力を使っていけるんだと、
ためになりました。
超感覚的な秘儀獲得に対しては、
幻想に埋没してしまうのではという不安から、批判にさらされてしまいますが、
実はそうではなくて、
瞑想や思考実験を繰り返すことで、事物に対しての認識力を深め、
より豊かな心を育めるようになるのだと、意図していますよね。
>>947 ういやつじゃ。そんなそなたには以下も勧めるぞえ。
「医療と教育を結ぶシュタイナー教育」
ミヒャエラ・グレックラー著
石川 公子訳 塚田 幸三訳
「小児科診察室
シュタイナー教育・医学からの子育て読本」
ミヒャエラ・グレックラー著 ヴォルフガング・ゲーベル著
入間 カイ訳 〈小児科診察室〉研究会監修
950 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 18:58:05 O
うんこ
951 :
937:2008/01/19(土) 19:33:20 0
>ちくま文庫の「治療教育講義」を読みました。
間違えました、「ちくま文庫」ではなくて「ちくま学芸文庫」です。
>>949 ありがとう。
今も「人智学・心智学・霊智学」読んでるけど、
これもすごいですね。読んでて満たされます。
>今も「人智学・心智学・霊智学」読んでるけど、
>これもすごいですね。読んでて満たされます。
こんな風に読むだけ読んで満足して何も実践しようとしないような輩に、
あの世にいるシュタイナーは一番憤りを感じてるんだよ。
読むことも実践のうちとシュタイナーは言ってたぞ。
それにまず何か知らなければ何もできないだろう。
寛容を持って人を見なくてはいけないな。
かく言う俺は知識欲だけでシュタイナーを読んで
いるので実践などとめんどくさいことはさらさら
したくはないが。w
>>946 近代の心霊ムーブメントはマスター・ヒラリオンの活動の一部らしいから、たぶんヒラリオン。
知識習得のために読むには、シュタイナーは意味ないぞ。
「額に汗して」読む方法というのがある。そうしないなら
よそに当たるほうがよほどいい。
957 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 20:07:59 O
崇拝しすぎると善悪に分けたがるんだ。
自分と同類なら善ってか?
シュタイナーなんて一つの石にすぎないのにさ…
だれも善悪とは書いていない。読む意味がないと書いている。
シュタイナーが問題なのではなく、読み手の態度が問題。
この程度の文章もミスリーディングするのだから、何読んでも無駄だろうけど。
シュタイナーを崇拝してる人って言うのはあまりいないだろ。
人間的によく知られていないはずだから。
内容を教条的に捉える人はいると思うが。
謙虚でない人間は誰もが自分の考えや
意見は正しいと思っている。しかし自分とは
違う意見や考えを理解しようとすることもせず、
自分の考えの正当性すら証明もできない。
さてそれはたいしたことはない、一つのステップに
過ぎないというがそれを言えるのは本当にそれを
超えていくだけの理解がなされているかどうかだ。
安易に口に出すのは、「私は愚か者です。」と熟慮深いものには聞こえる。
960 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 01:05:50 0
>>955 フツーにサンジェルマンだと思っていた私の青春を返して!
>>953 実践いいですね。実践してますよ。
この数年が経験の蓄積だったから、内容をほとんど経験してたので、
言語として内容が体系的に筋が通っててすごいなと思いました。
自分だと「1、2、3、4、5、6」という体験と理解を深めてはいても、
さらにシュタイナーの場合は「1.123456789、2.123〜、3、4」と、
1と2の「間」に関しても的確に説明されてて、驚きます。
そのレスでそんな風に書いたのは、これから読む人のために
印象を与えるようなことを書かないでおこうと思ったんですが、
これを機会に書くと決めました。
自分の場合は実践というと、
一項目読むごとに、瞑想したり、認識力を組み替えたり、
体を使って実際に感覚的視野を深めたり、
普通に生活してれば誰でもがしてるようなことを意識的にやってると、
日々、新しく組成されている何かしらの形姿を知覚していることに、気づけますね。
読むことはいいですよ。
何をするにしても認識力は組み替えられていきます。
「人智学・心智学・霊智学」には、言霊とは何か、というような生成過程も
示されていたので面白かったです。
自分の能力の場合だと自分の守備範囲が限界なので、
シュタイナーのような見識は格が上なので、読むのはためになります。
いづれはシュタイナーに関わらずとも、すべての理解を自分で示せるように
なりたいとは思いましたが、体験はできても、記述が疎かなので、
それを言語でもって的確にできるシュタイナーは読むのに適しています。
>>962 >自分の場合は実践というと、
>一項目読むごとに、瞑想したり、認識力を組み替えたり、
>体を使って実際に感覚的視野を深めたり、
いやあのね、、、、
あなたの場合は、吸収することばっかりで吸収したものを生かすことが全く為されてないんじゃないかと。
すべきことを知らなくてやらない人よりも、すべきことを知っていてやらない人の方が罪は重い。
知識を蓄えることはそれだけ重い責任を担うということですよ。
シュタイナーは「私の本を読んで瞑想だけしていてください」とは言ってないでしょ?
シュタイナーは医学、農学、教育、社会学、経済学、その他多くの実践的知識を提供しているんです。
理解したことを日常生活や社会に生かそうとしないと、意味ないんじゃないですか?
まあまあ。シュタイナー教育を子供に受けさせようとするが、生半可な理解や
理解さえしようとしない親より、一歩一歩吸収理解し少しずつ社会に実践して
いけばいいじゃないですか。
中途な理解や思い込みで社会実践などといわれても余計社会が混乱する
だけです。まだそんなに人智学が知られて(知られているかw)いないんです
から。シュタイナーを知っていても人智学について詳しく知っているひとなんか
まだあまりいないはずですしね。
格言を一つ
「少ない金でグラスの表面を装飾してもかえって斑で醜い仕上がりになってしまう。
それなら最初から金は使わない方がいい。」
>中途な理解や思い込みで社会実践などといわれても余計社会が混乱するだけです。
>まだそんなに人智学が知られて(知られているかw)いないんですから。
どこまで吸収すれば完璧な理解と言えるんでしょう?
いつまで経っても完璧な理解などあり得るはずがないじゃないですか。
自分が良いと思えたことを自分の生活に生かすのに、何の猶予を置く必要があるんです?
良いと思えたことはすぐにでも実践すればいいじゃないですか。
別に「シュタイナーはこういいました」と布教することが実践じゃないんです。
自分が理解したことは自分の言葉で語れるはずだし、シュタイナーや人智学の名を持ち出す必要もない。
例えばシュタイナーはアルコールが引き起こす害悪についていろいろと書いている。
しかしシュタイナーは酒を飲むなとは一言も書いていない。
だから酒を飲むのを止めなくてもいいのかというとそうではない。
シュタイナーが書いている害悪を理解すれば、酒は飲むべきではないと理解してすぐにでも実践できるはず。
シュタイナーが酒を飲むなと書かないのは、ある物を否定することでそれで生計を立てている人を
人智学の敵にしたり、その物の是非に関してセクト主義に陥らないようにするため。
しかしシュタイナーが書いていることを理解し実践することはたやすいのです。
できないのは単に怠惰であるか欲望に負けているだけではないでしょうか。
実践することに異論はないが社会という大きな器の中で実践
するなら理解度を求められてもしかたないし、今は人智学は
まだ準備段階に思える。
>医学、農学、教育、社会学、経済学、その他多く
は人智学を知らない大衆も関わるということ。「完璧な理解」が
なくとも理解度は重要だろう。「人智学」のそれらだから。
人智学信奉者や理解者の為のものだったら問題はないが。
個人が今回りにある環境に対して実践を行うならどういう理解の
仕方であっても何も問題はないように思える。その結果を負うのは
自分自身だから。
表現として「完璧な理解」ということではないと思うわけだ。
まあ人智学の場合は理解という到達点より
継続的な学習であり、理解度に応じた実践
で良いと思う。
それゆえに次第に集団で学習、実践者が
出てくる。シュタイナー医学しかり、シュタイナー
学校しかり。
まあそういうこった。
そういえば学校と農業実践者はいるな。メーリング
リストとして学習集団?もあるしな。
そうそう理解だけを問題にするわけでは
ないが中途は亜流を生むということ。まさに
それは混乱を生む。応用はされても原点は
必要と思う。都合の良いところを勝手に
結び付けても中身はないな。
俺なんぞはシュタイナーでさえおかしいと
思うところはそこでとまって調べるは考えるは
でなかなか先を読めなくて本だけは山積みに
なるは、ネットで調べまくり夜更かしばかりだよ。
ということでたまにはエロ本を読んで寝ることにする。
ではお休み!
>970
最近目立つ亜流は出てきたわな。
まあ亜流に集まってるやつらで亜流に満足して原典にあたらないのはそいつらの自由だし、どーでも
いいけど。
そのうち亜流は亜流だってわかる日も来るだろうしな。
972 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 11:38:10 0
シュタイナーも亜流じゃねえか
本来ブラヴァッキー神智学が正統だろ?
>>972 「人智学・心智学・霊智学」「神智学」など関連書籍を読む。
それを言い出すとキリスト教もユダヤ教の亜流ということになるな。
シュタイナーも言っていたが将来、霊界参入により自分が認識した
霊的世界において新たな認識、修正がなされるならそれを否としない、と。
どういう流れが重要で、どういう態度が将来や潮流に正しい姿勢であるか
は考える必要はあるわけだ。
エックハルトからベーメを経てドイツ観念論へと綿々と受け継がれてきた、絶対的一者又は隠れたる神に関する思弁がシュタイナーに今まで読んだ限りではは見られません。
現れたる神のシステムとしての九位階の天使群にのみ言及しているように思われます。
これは故意に案ずるところがあってそうしているのでしょうか?
ベーメやカバラなどの思弁神秘主義に一番引かれる自分にはそこが少しのめり込めない一因です。
純粋に哲学の中だけに人智学を表現したならシュタイナーが考えるように
社会の中に浸透するのは難しいと思う。ベーメは別としてもカバラは民族の
思想体系の一つだと思う。それを超えて人間に理解を求めるなら現代が
発展させた思考の雰囲気のなかで理論を打ちたてねばならないような気が
する。
上で実践が問題になったがそういう意味では思想の中に埋没するより広範囲なジャンル
に人智学を講義したシュタイナーは単なる主義を打ち立てただけとは思わない。
たとえば行を取って見たところでその中身は道徳生活の規範に仏陀の八正道を
用いたとしても、西洋人東洋人を含め平均的な生活状態の中ではだれも違和感
を持つことはないと思う。推奨する瞑想においてもヨーガのような姿勢、呼吸法を
厳密に指定はしていない。
>故意に案ずるところ
というのはシュタイナー曰く、現代の宗教たる望まれるべき将来の進化の道を
開こうと人智学を確立したように思う。よって表現されるべきことの制限とありのまま
(通常の思考の理解できる)表現にとどまったように思われる。
神秘学概論やアーカーシャ年代記などを読むと慣れない言葉、
意味が理解できない固有名詞などが多いが、時間的流れの中で
樹形図のように頭の中で整理しないと漠然としたままで混乱だけが
残るが、しかし読みながら沸くイメージを持ってまた上にも出てきたが
「額に汗して」読むならば自分にとっては自分というものをつくってきた
自分の中の奥底の何かが驚きや感動を持って少しずつ理解が進むのは
大げさに言えば、秘儀の準備段階を自分が歩いているという実感さえ沸く
わけだ。
↑句読点の。を省略しすぎてわかりずらくてすまん。
絶対的なという点ではシュタイナーは固定点を持たないような
気もする。「上がそうであるようにまた下もしかり。」
人間は進化する。唯一絶対が神であり法則であっても、人間が進化
するように神々も進化する。その人間が理解できる範囲は上も下も
また限りがある。それ以上を理解しようとしたり議論するのはあまり
意味を持たない。シュタイナーもそんなようなこと言ってたと思った。