1 :
考える名無しさん:
「脳死=死」は一神教圏の勝手な価値観である。
科学的な知見からも「脳死=死」概念は否定されつつあるというのが常識。
・脳死判定後、心臓の鼓動、体温は維持されている
・臓器移植時、患者の体から汗が噴出し血圧が上がる(痛みを感じたときと同じ反応)
・臓器移植時、患者が暴れることがある(欧米ではモルヒネが使われている)
・脳死判定後、何年も生き続けるケースがある
・脳死判定後、家族の呼びかけに顔を紅潮させるケースがある
・「脳死判定」基準そのものが「反応」に重きを置いているため
反応(アウトプット)はできていなくても言葉などの理解(インプット)
はできている状態でも「脳死」と判定される。
これらを持って科学的にも倫理的にも「脳死=死」概念は否定されたと判断できる。
2 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 13:06:56
2げっつ
めずらしいな生命倫理学のスレは。
4 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 13:18:03
′ /// / //
| r'/:::::\/ ィ /
| |'ヘ::::/ /
∠! へ\</´
/ \ ヾ
/ ヽ |!|
/ }ヽ 〉
{ ̄ ̄ ‐- `′ i
ヾ- ――- 〉 .:o:.
\ (__,.. ソ
_r― ー;.,.,. '´
_/マ==|ヽ{、
-‐ .:::.:::.::\::\└勺! ,. ---,
//.:::.:ヽヽ:::.:::.:ヽ:::.\ ゞヽ、 / ∠二/ノ_
|l:::.:::.:::.:i i:::.:::.:::.:i l:::.:ヽ ヾヽト、 / ´ ̄ _∠二ニ'
|l:::.:::.:::.:j l:::.:::.:::.::|ヽ:::.::ヘ `i! l:::ヽ ヘヽ ,. ´
亅L. イ /.:::.:::.:::.\\:::.:Y i! l::.::| /:::.:::.:::i丿 ・・・・そうですか またクソスレが立ちましたか
f―::: /:::.::l:.:::.:::.:::.:::.\`:::Yi! |:V| /::.::.::.::.:/
ヾ ∠:::.:::.:::j.:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::.∧i!|/::ト /.::.::.:::/
| /:::.:::.:/:.:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::.\il!|::;ハ /::.::.//
| i:::.:::.::∧:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::レ/!:\ヽ /::/ /
| l:::.:::.∧ ヽ:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::.:::/:::.:::.ヽ了/:/ /
>>1 >・「脳死判定」基準そのものが「反応」に重きを置いているため
> 反応(アウトプット)はできていなくても言葉などの理解(インプット)
> はできている状態でも「脳死」と判定される。
??
6 :
中西克徳:2006/10/19(木) 13:40:28
いや、本当に脳死なら人の死だろうが、本当に脳死したかどうかを確かめるすべがあるだろうか?
脳死というのは、確認不可能な単なる観念、概念にすぎないのではないか?
7 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 14:45:29
本人が意思表示して、家族が了承すれば問題ない
むしろ今般の議論はドナーの絶対数を増やしたいが為の議論のように思える
そこが胡散臭いな
8 :
中西:2006/10/19(木) 15:31:56
ついでに言えば、現代にもし意識をもったロボットが作れるぐらいなら、
完璧な人工臓器がとっくに完成しているはずである。
ロボットの製作よりも人工臓器の製作の方に人類ははるかに努力を傾注しているからだ。
もし脳細胞と体のデータを全部記録して
それで完全に復元できたら、その復元体は意識持ってるかもね。
それに繁殖能力あるでしょ?じゃ、人だよね。
脳の破損した所を補う技術が出来て、植物状態の人に当てはめられる
んだったら、その人は多分別人かもしれないけど人だよね。
じゃ、技術があれば人の定義がかえられるの??
10 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 16:08:50
とりあえず生産的なことは何も出来ないんだからせめて臓器ぐらいで役に立てよw
生産的なことは何も出来ない私は
せめて 砂肝でも提供しようかしら
ある程度知能のあるものを人間(権利主体)としておけばいいんあよ。
それなら、ある程度知能のあるロボットも権利主体だ。
胎児は権利主体ではない。
人間の赤ちゃんや子供は権利主体でないかもしれないが、
区別が難しく、間違ったときの損失が大きいから、制度上、とりあえず権利主体って事にする。
知的障害者についても同様。
動物は知能が低いので権利主体ではない。
脳死患者は知能が既に失われているので権利主体ではない。
13 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:37:08
私は断言する。障害者に生きる権利はない。
人類社会になんら貢献をしていないからだ。
例えば、障害者の間で神様と崇められているヘレン・ケラーは
何かをしたか?生命力のすごさは認める。
しかし、障害者支援団体の設立に尽力した以外何かしたか?
否、否、否!である。
正常な人間がすることを障害者がやれば
たちまち「感動物語」となってしまう背景にこそ、正常者が障害者
に対しての屈折した差別感情が存在するのである。
こうして彼女は外遊した先々で手厚い歓迎を受けた。
喜ぶべきことか?いや、彼女はむしろ悲しむべきだった。
なぜなら、彼女はその能力を賞賛されたわけではなく、
ただ単に三重苦を克服(専らサリバンの尽力によるが)
したことのみを賞賛されたにすぎないのだから。
>>13 権利がないからと言って大切にするなってことにはならないんじゃない?
猫に権利はないけど、人間は猫を可愛がったりするじゃん。
精神のほうが先天的なのは駆除したほうが良いな
身体のほうは巳をわきまえれば問題ない
16 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:02:18
>>15 君の言いたいことはわかる。しかし、人類の生存を
強固なものにしていくためには、障害者は不要なのだ。
今日的な上っ面的倫理観が跋扈してるのは、社会が
成熟していると言えなくもない。だが、これは逆にいえば、
余裕がある状態においてのみ、許容される現象でしかなく、
社会にインパクトが加われば、瞬時に崩壊する虚像でしかない。
儒教的倫理観である老人を敬えは、もはや崩壊の兆しを見せている。
上っ面の倫理観はもううんざりだ。目を覚ませ。
17 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:53:29
>>16 障害者って何?
あなたが障害者じゃないと証明できますか?
あと、障害とか正常とかは主観的なものに過ぎないんじゃないですか?
19 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:27:28
少し修正する必要があるな。
社会的に障害者は不要だから保護すべきでない。
個人レベルでなら、家族が世話したければ世話すればいい。
しかし、国は援助しない。
世話するのが面倒だったり、お金がかかるという理由で
放棄しても罪に問われない。それが未来社会のあるべき姿だろう。
なお、障害者の定義は日常生活を他人の援助なくして生きていけない成人のことを言う。
引き篭もりやニートは生きていけないではなく、あえてそうしているので範囲外である。
保護者がいなければ当然働きに出なくてはいけないからね。
子供は言わずもがな。
ここで気づいた人もいるだろう?そう、働けない老人も不要であるということだ。
むしろ老人は障害者よりも害がある。
20 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 23:17:18
キチガイ認定受けたのかなおれ?
まぁいいw
俺の主張なぞありふれた焼き増しでしかないからな。
世界は確実に障害者や老人に厳しい世界に移行しているのは事実。
小市民の俺に対してですら惨い世界になるのは必定。
脳死?論外だね。どんどん臓器を有効活用しろよ。
医療費の無駄。無駄無駄無駄無駄無駄無駄
21 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 00:02:11
>>19 あなたはどれほど社会の役に立っているんですか?一切迷惑かけない人間のつもりですか?
私は特に障害は持ってませんけど、私がいなくたって社会に大差ありませんよ。あなたも私と同様じゃないんですか?
だって、人類を共同体とするなら個人なんてあまりに卑小じゃないですか。有益か有害かなんてどうでもいいですよ。大差ないから。
人類は現在64億人ですが、イエスキリストが生きていたころなんて数億人程度ですからね。
「世話のかかる人間」がいたとしてもいっこうに構わないじゃないですか。それにあなたは「無用の用」という言葉をご存知ですかね?
障害者が役に立たないように見えて、実は役に立つものが役立つように支えている、言わば間接的に役立っているのかもしれませんよ。
>>21 >>19のは、社会全体としてみて、社会のために直接的に貢献しているかどうかだけ
述べているような気がするが。貴方の場合は、労働によって何らかの生産活動に貢献している。
だから、大差はないけど、その大差ないあなたが沢山集まって社会は成り立ってると。
仮に、全人類を障害者におきかえると、社会は直ぐに崩壊すると、そういうことでは?
個人レベルや、一定の組織活動として障害者の人権を保護したり
サポートしたり、ふれあったりすることは良いことだと思うよ。
23 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 01:55:15
非生産的な人間を相手に成り立つ商売もあるわけだから、ある特定の利益には貢献している。
>>13の人は筋の通ったことを言っているが、道徳的ではない。
そう思い感じていても、言わない出さないのが道徳である。
これを急進的に推し進めようと思えば、それこそ社会に対するインパクトは計り知れない。
間接的な利益を考えると、赤子や老人も当てはまるから
>>13の論理では、ある特定の利益は想定していないだろう。
しかし、
>>23さんの社会的インパクトは計り知れないという点には同意。
特に、障害者・高齢者の家族、親戚、友人が黙っちゃいないだろう。
障害者の割合は少ないかもしれないけど、老人なんてどこの家庭にもいるんだから
そりゃちょっと国民全員を敵に回しちゃうことになるよ。
理想的には、
ある程度の知能を持たない人間は、
人間ではなく財産(物)として扱えばいい。
家族がいれば、家族の共有財産
家族がいなければ、国有財産
しかし、現実的には
>>12
26 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:56:38
>>24 新しい世界の創造にはインパクトはつきものだ。
倫理が空想学問のレッテルを貼られたのは一つのインパクトだった。
しかし、我々はその中を平然と生きている。
倫理の崩壊によって大人の権威は消え、老人の権威は塵と化した。
注意すると殺される。老人ホームの勃興。年金受給資格の高齢化。
万人の共通認識だが、老人は醜い存在である。
その老人が増加の一途を辿っている。葬り去るのが自然の成り行きだ。
老廃物を掃除しない限り、この国は朽ちる
帰結としての崩壊ならそれもまたよし
恐れることはない
29 :
考える名無しさん:2006/11/22(水) 21:03:02
30 :
考える名無しさん:2006/11/22(水) 21:04:09
>>2 のような無知な奴が本当に増えてきたな。
ちゃんと「おべんきょう」しようね(笑)
31 :
考える名無しさん:2006/11/27(月) 17:56:41
話、ぶったしてすんまそん。
脳死率の一番高い都市はどこでしょう??
32 :
考える名無しさん:2006/11/27(月) 18:57:42
国によって死の定義は違うだろ
中国では人権活動家として拘束された時
北では将軍様批判したと告発されたとき
日本では脳死と判定された時
いずれも死だな
保守
脳死移植って優生思想に限りなく近いに100ペソ
36 :
考える名無しさん:2006/12/01(金) 18:20:49
親の年金で生きる暇人のおまえは早く死ね
人の死を直視出来ないバカが戦争したがるなって。
キッカケ作ったのは俺なんだけど、こんなバカな連中の脳死の責任なんて
取らねえよ。
生死の関わるこういう実際的な問題じゃ、主観主義は無力だよな(笑
>>32 それじゃお前は生まれた時から死んでることになるだろ。
脳死が問題になり始めたのは中曽根政権時代だな。
やっぱ右翼だ。
ああ、だから中曽根、積極的に乗って来たんだな・・・。
44 :
考える名無しさん:2006/12/02(土) 17:48:21
ここもキチガイがはりついてる
あ、先天性脳死の方ですね?
定期age
観念論の限界age
別にいいじゃん脳死状態なんて人の死だろうがなかろうが、生きてる価値ないよ。
殺してやるのが人情。
49 :
考える名無しさん:2006/12/20(水) 16:12:05
>>1 ・臓器移植時、患者の体から汗が噴出し血圧が上がる(痛みを感じたときと同じ反応)
・臓器移植時、患者が暴れることがある(欧米ではモルヒネが使われている)
・脳死判定後、家族の呼びかけに顔を紅潮させるケースがある
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
50 :
考える名無しさん:2006/12/21(木) 14:12:10
↑ 医師の誤診でしょう。即ち、未だ完全に脳死に至ってないからこんな事が…
植物は生きています。
植物状態の人間は壊れたパソコンと同じです
脳の修理ができるほど技術が発達し
記憶のバックアップができれば
脳死は人の死でなくなるかもしれませんね
ノーシンは頭痛に効きます
ノシ
52 :
考える名無しさん:2007/01/14(日) 00:44:09
脳死は“人”の死です。人間は植物ではありません!
脳死で意識が再び復活する事は完全にないと言われた時に、
最も気になるのは
この身体に魂が入ってるかどうかだ。
一般的な人の多くは、このように感じていると思う。
脳死が広く支持されない理由は、脳死と、一般的な死のイメージ(魂不在)が、うまく結びつかないからだろう。
科学でもって、脳死をいかに説明しようとしても、魂不在を証明できなければ、一般的な人に、本当の死だと広く認定される事はないだろう。
54 :
考える名無しさん:2007/01/14(日) 04:16:57
そもそも生死に境界があると考えるからおかしい。
医学の有用性には死が必要だから最近取り決めただけのことだ。
55 :
考える名無しさん:2007/01/14(日) 04:21:52
脳死は人の死ではないね
体が生きている以上
57 :
考える名無しさん:2007/01/15(月) 20:21:44
58 :
考える名無しさん:2007/01/15(月) 21:01:37
腎臓移植とか心臓移植とかあるが、
それと同じように脳移植が可能になったとしても、
その移植を受けた人はもう同一人じゃないと思わない?
脳死した人は「人格」としては死んでいるってのは、
それと同じ考えだろうと思うんだが。
59 :
考える名無しさん:2007/01/15(月) 22:09:25
>>54 そうだね
「死」は明確に決めれないよね
極端に言うと、体の細胞のひとつでも生きていれば、その人は「生きてる」とも言えるわけだし
脳の「死」で人の「死」を表しているってことでいいんじゃないか?
脳「死」の人の臓器提供は必然だと思うしね
多神教圏ではどこを判断基準にするのか
はっきりさせとかないとね。
61 :
考える名無しさん:2007/01/18(木) 16:35:00
意識がない(脳死)ということは、“人(人格)”としては死んだということでは…?
62 :
考える名無しさん:2007/01/18(木) 18:39:25
63 :
考える名無しさん:2007/01/22(月) 14:20:13
>>1の場合は、まだ完全な脳死に至ってない。つまり、医師の早計判断ミスです。
64 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 13:01:46
脳死したら魂は昇天したのだから死と判断してよろしい。
65 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 21:13:44
脳死を死とすることによって利益を得る勢力が存在している以上、結論を急がない方がいい。いま死の定義を変更する必要があるとは思えない。
66 :
qq:2007/02/24(土) 21:25:02
意識があるなら死ではないよな…
脳死を判定し治療をやめることは、「姥捨て」みたいなものだということになる。
自由意志があると信じている人にとっては脳死は死だよ
大半の人が自由意志を信じてるから脳死が人の死だと決めても大体の人がそれに反発をあまり感じない
68 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 10:51:31
脳死判定された後で 生きた子を出産した例がある。
69 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 11:26:46
よし今晩は脳死した人と一杯やろう
肝臓がねえずら
71 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 12:16:20
脳死は人の死か。
人や死という言葉の捉え方によって答えは変わってくる。
脳死というのは、脳だけ死んでいて残りは生きてる状態をいう。
脳以外も全て完全に死んでしまっている状態は、ただの死だ。
人という言葉の意味を、脳と体を含めた人全体と考えた場合、
人の死の指す意味は、ただの死と一致するので、脳死ではないという事は自明である。
人という言葉の意味を、他の動物とは違う
人であるための人特有の特徴を持った存在と考えた場合、
脳死してしまうと、人特有の特徴(人格をもっていたり、精神活動を行ったり)
が失われてしまうとしたら人の死という事ができる。
(脳死した事によっても失われない人特有の特徴があるかもしれないが
とりあえず、置いておく。今はよくわからないから。)
しかし、この場合の人の死の、死という言葉の意味は、
生命としての死という意味ではない。
例を挙げてみる。
人として死んでいるわけだから、死んでいるのと同じ事だ。
前節の死の意味と、後節の死の意味は違う。
後半は「生命の死」という意味だが
前節は「概念の死」という意味だ。
まとめてみる
脳死は人の死か
脳死は人の生命の死ではないが
人という概念の死といえる。
(脳死した事によっても失われない人特有の特徴がない場合)
したがって、脳死は25%人の死である。
おじいちゃんはまだ生きている(寝たきりで反応なし)
おじいちゃんはまだ生きている(心停止後心臓マッサージで鼓動再開)
おじいちゃんはまだ生きている(人工呼吸器)
おじいちゃんはまだ生きている(脳波停止)
おじいちゃんはまだ生きている(引き取り後ミイラ化だが解剖はされていない)
おじいちゃんはまだ生きている(僕らの心の中に)
おじいちゃんは生きている?
脳死は医学的に定義された用語でしょ。
それに納得できない人がいるのは当たり前。
>>71 意識上の自由意志だけを信仰している人は一時的に死んでることになるね。
76 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 10:42:10
脳死は移植に使うためにだけ定義された用語でしょ。
77 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 10:52:15
>>1のレスの事例は本当なの?
汗が吹き出し血圧上昇や、暴れる。
生きてるじゃんw
反応してるじゃんw
生きてる事を測定できてないだけじゃんw
死んでいることを本当に確定できていないままで、今まで?w
まだまだ世の中には不思議がいっぱいだw
>>77 は、
>>29嫁
昏睡も、植物状態も脳死も、自力で呼吸して、食事が出来ないなら死亡でいいんじゃない?
それが動物として自然だ。
>>77 >>1はケースもある、と言ってるからすべての植物状態の人は指してないぞ。
80 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 18:20:25
臓器不全患者とその界隈。
脳死患者を殺してまで生き残るべきは、こいつらなのか?
「日本の学界は戦前からヘーゲルになぜかひどく魅せられて来た。
マルクス主義を断固としてはねつけた西田幾多郎ほどの碩学でさえヘーゲルを頻繁
に引用しヘーゲルにのめりこんでいった。
このような日本において、本格的なヘーゲル批判の書であるポパーの「開かれた社会とその敵」
が邦訳された時、日本でもヘーゲル離れが進むと考えられたがそうはならなかった。
この原因は、日本のポパー研究者はポパー哲学を恣意的なつまみ食いをしてヘーゲル
批判の部分を存在しないことにしたからである。」
出産しようが心臓が動いてようが脳が死ねば人としては役に立たない。
この場合の人とは社会的生活や個人としての生活を営む人という事だ。
だから脳死は人の死としては当然の定義だ。
もちろん脳死の判定間違いや遺族として感情的に納得できないというところもあるだろうが、
実際の話、脳組織が死滅し、医療機器の助けで内臓が動いているという人間をそのままにしておいたところで、
いずれ心停止するだけ。
むしろ他の人の命を助けるために使える臓器は使いましょうと言う事であれば何の問題もないと思うがどうか。
脳死という概念自体が医療機器につながれて生きてる人間の、
どの組織が死んでいるかという状態を指す用語でしかないのだし。
83 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 13:03:03
全細胞死を人の死とすれば異論は全く出ないでしょう。
心臓死でも不都合はほとんどありません。
脳死、移植医療からできた概念ではないと強調されますが、
事実上移植のためにある概念です。この人の死の概念を
採用した場合にだけ不都合や矛盾が噴出します。
どういうことなんでしょうか。
死ぬということは法的には人権を全て失うということです。
死体に属する権利というものはありません。
脳死体から生まれた赤ん坊は法律上、生命として認められる
のでしょうか。誰の子として法律上扱われるのでしょうか。
父親という答えは意味をなさないでしょう。父親が不明の場合は
どうなるのでしょうか。誰の子でもないというのでよいのでしょうか。
生命は生命からしか生まれないと考えれば矛盾がでます。死体の子
ではいくら何でもまずいでしょう。
脳死体に親類縁者が居なければ死亡と判定された時点で
財産は国の物になるでしょう。死体の子には遺産が入らないかも
知れません。死体の子は死体と考えれば臓器を移植に使っても
問題がないんじゃないでしょうか。生まれてない胎児の臓器を
移植に使えば法律上まずいのでしょうか。また、胎児がどういう
状態であれば帝王切開などの救命を考えるべきなのでしょうか。
考えれば考えるほど、不都合が出てきてどうしようもなくなります。
この原因は何でしょうか。
全て、脳死が人の死であるという前提に誤りがあるからではない
でしょうか。
>>83 脳死に限らずとも、
母体は死んでて赤ん坊は生きてるケースは考えられるが?
>>83 人権を失うのは医師が死亡を確認するか裁判所がそう認めた時点でだよ
前者は死体がある場合
後者は死体が無い場合ね
それまではたとえ死んでいても人権を失うことは無い
だから脳死での出産も何も問題は無いね
ちなみに胎児の体組織は法的には問題ないけど倫理的に問題とされる
第一サイズが合わないでしょ
86 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 23:25:04
阿呆しかいないようだねえ。
87 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 23:57:11
>>84 どんな場合かなあ?
>>85 その脳死は誰が診断したのかなあ?
へえ、脳死体内の胎児利用は法的に許されているの?
それが臨月でもいいの?
88 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 00:19:20
脳死判定後の回復例があるから普通に殺すのはやめた方がいいよ
>>87 脳死状態と脳死判定をごっちゃにしてない?
>>83で言ってたのは脳死状態だろ?
ところがいきなり脳死判定後の話にするなよ
脳死判定後という話であれば何の問題も無いな
臓器移植法での脳死判定の除外条件に妊産婦ってのがあるから
話が成り立ってないんだよ
臨月であれ産まれなければ人権は無いよ
出産を経ずに生きてるまま取り出して臓器移植用に出来るのならすれば良いさ
殺人にはならないが医師会からは追放されるだろうけどな
変わりに手品師かペテン師で食ってけるよ
90 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 01:39:48
>>87 脳死状態とは正確には脳死と推測される状態のこと。
医師による脳死判定を経て初めて脳死となる。
妊産婦の脳死移植法の除外というのは22週以降の妊婦を
除外する日本の法律の事をいっているんだろうが妊婦にも脳死はある。
胎児が体外に取り出してやれば生きられるかも知れない状態の話をして
いるんだが、そのことには触れたくないのか。
日本のことに限るなら21週以前だな。例えば、今取り出してやっても
生きられないが1ヶ月経てば生きられるようになる状態ならどうだろう。
これなら日本でもあり得る問題だ。脳死体の胎内で成熟して生きられる
ようになることも考えられる。
勿論、出生まで人権はないだろうが、帝王切開で取り出すとして
死なせてしまえば殺人なのか違法な中絶にあたるのか、
それともそれは生命を救うための行為なのかも決まっていない。
まず、脳死が人の死であると思うのか思わないかを自分の考えを言うべきだ。
死ではないというなら上の問題に答える必要はない。
今までの文脈だと脳死は人の死だと思っているようだから
そうであるならば上の答え、即ち解決策も提示すべきだろう。
91 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 09:44:41
>>90 >胎児が体外に取り出してやれば生きられるかも知れない状態の話をして
>いるんだが、そのことには触れたくないのか。
触れてるよ
脳死状態でも死亡の判定は出ていないのだから死体ではない
だから生まれていきなり孤児になるかもしれないが死体の子供ではない
出産に関しては「帝王切開による出産」って言わない?
生きて腹の中から出てきた状態は出産だろ?
>出産を経ずに生きてるまま取り出して臓器移植用に出来るのならすれば良いさ
ヴェニスの商人って知らない?
だから奇術師かペテン師で食ってけるといったんだが?
>>90 脳死が人の死かどうかは本人及び家族が決めるべき問題だと思うぞ
個人的には尊厳死どころか、場合によっては本人が望んでの安楽死も認めてもよいと思っている
存在というものにきっちりと分かり易い線引きをしようとするから問題がややこしくなる
箱の中の猫には観察者としての権利は与えられてなかったわけだからな
94 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 14:09:44
>>92-93 これだけ脳死、脳死体と用語を統一してあるにもかかわらず、
人の死とみなされない脳死状態へと脳内変換されてしまうとは。
はいはい、参りました。
あなたの言論封殺術は見事です。
意図してやっているのなら私はあなたに敵いません。
でも、本来もっと議論されてしかるべき脳死の問題について
議論する気持ちを萎えさせてしまうということなのだから、
馬鹿であるということも犯罪的なんだね。
妊婦の心臓を抉り出して殺したって、胎児がすぐに死ぬわけではないだろう。
帝王切開で取り出して助かれば「死体から生まれた子供」ということになる。
別に何の問題もないのではないか。
それと、例えば相続については「胎児はすでに生まれたものとみなす」という規定がある。
あるいは、胎児が「生まれた」時点については、普通は「全部露出説」といって
体が全部妊婦の体の外に出た時点をもって「生まれた」とみなすのだが、殺人罪の
成立については体が一部分妊婦の体の外に出た時点をもって生まれたものとみなす、
とか(これは昔悪知恵のあるやつが出産時に妊婦の股のところに刃物を置いておいた
ケースがあって、全部露出説だと堕胎罪にも殺人罪にもならなくなってしまうかららしい)、
権利関係については法律はその都度の都合によって適当に解釈しているので、
別に一律でなければいけない必要などないだろう。
脳死の問題とはあまり関係ないのではないか。
96 :
qq:2007/03/06(火) 16:43:23
>>95 その通りだと思います。
胎児の話はもうやめて欲しい。
脳味噌ったっていろいろ種類があるんだから
死んだ部位によって扱いが変わるじゃん。
心や記憶が詰まってる大脳が死んでも脳死じゃない。
大脳死、植物人間。本人の人格は無いけど人権がある状態。
あんまり納得いかないな。アベコベじゃね?
大脳が無事で心があっても、生命維持をつかさどる脳幹が死んでる状態が脳幹死。
イギリスじゃこの段階で移植OKだから痛がるのかも。
大脳も脳幹も死んだ状態が全脳死。日本や他の多くの国が採用してる移植基準。
これはさすがにもう死んでるとしていんじゃね?
98 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/06(火) 19:37:26
>>94 前提条件が間違っていると言っているだけだ
>>83は法的に見た妊婦の脳死体と言っているんだろ
ところが
>>92でも言ったようにそんなものは存在しない
妊婦の場合は脳死状態か死体かのどちらかしかない
妊婦が心停止した場合は(普通はそれよりも早く行うだろうが)医師は即座に帝王切開をする
死亡確認などその後だろう
法的に死亡が認められるのは医師が確認した後というのは
>>85で述べた
だからかろうじて産まれた子は法的に何の問題もない
いきなり孤児になるだけだ
これのどこが言論封殺だ?
99 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 22:51:24
医学上の死が法律上の死である必要はない。
死は歴史や文化に基づき規定されるべき。
100 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 10:24:52
>>98 だから、法的に臓器移植の対象となる脳死の妊婦が存在しないというのは
臓器の移植に関する法律のことをいってんの?
それともこれか?
除外例
患者が深昏睡、無呼吸であっても、脳死判定に際しては次のような症例は除外しなければならない。
小児(6歳未満)
脳死と類似した状態になり得る症例
急性薬物中毒
直腸温で32°C以下の低体温、
代謝・内分泌障害
妊娠22週以降(又は、胎児の推定体重500g以上)の妊婦。
>>100 脳死判定が移植を前提に行われ、日本でのガイドラインが日本脳神経外科学会により打ち出されている以上
脳死判定を行う医師はそのガイドラインに従う
そうでなければ判例に従わずに自らの見解で容疑者を裁いた裁判官のように吊るし上げられるだろう
だからこそ起こりえないと言っている
もし悪意を持って行えば、最悪医師免許剥奪のうえ殺人罪で投獄ということにもなる
そうなればすでに問題は別のことだと分かるだろう
さらに聞くが
死体が子供を産んで何が問題になるんだ?
その程度で問題になるのであれば、乳幼児の捨て子はさらに問題があるだろう
財産どころか国籍すらも危ういんだからな
それに比べれば親が分かっておりその財産云々を後に訴えられるだけ問題はないだろう
>>83で言われていることを意識的に行えばマスコミのいい餌になるだろうな
安っぽい正義と扇動された怒り、それによる哀悼の意は日本人にとって甘美な飴玉だな
102 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 13:56:27
>>101 83では
私は脳死を人の死とすることに反対であることを述べている。
したがって、胎児利用など反倫理的なことをするとすれば、
それは、私ではなくて あなたのような脳死容認派の方だ。
いじょう、脳内変換、 ドツカレサン。
そして、ロンググッドバイ。
103 :
qq:2007/03/08(木) 15:02:15
・脳全部の死を以て、その人の死を認定して良いか。
ベトとドクはくっついていたときは一人の人間であったのか考えてみましょう。
私は二人だったと思います。脳が二つあるからです。
脳が死ねば、その人は死んだと言って差し支えないと思います。
逆に、腕が死んでも、足が死んでも、目が死んでも、心臓が死んでも(人工心臓)、
脳が生きていれば、その人は死んでいるとは言えない。
・現在の「脳死」が、真に脳の死であるかは別の論点になります。
脳幹が生きている場合、もしくは大脳が生きている場合
脳は何らかの活動をしているわけですから、それは脳の死ではありません。
現在の「脳死」は上記で言うところの脳の死ではないわけです。
一部脳死といった方がイメージが持ちやすいかも知れません。
・それでは、脳の一部の死(「脳死」)を以て、その人の死を認定して良い場合はあるのでしょうか。
それには、まず、なぜそもそも脳という臓器だけが上記のように特別なのかを考える必要があります。…
それは、脳が、人格とか意識とか呼ばれる何かを作り出しているからです。
その何かをなんと呼ぶのが適当なのか、私にはわかりませんが、ここでは仮に意識と呼びましょう。
脳の内、意識を形成する部分が死んでいれば、その人は死んでいるとして差し支えないと思われます。
つまり、脳の内意識を形成する部分が死んでいるような脳死患者の内臓を移植に利用するのは、生きている人間ではなく、死んでいる人間の体を利用する行為と言えるわけです。
>現在の「脳死」は上記で言うところの脳の死ではないわけです。
>一部脳死といった方がイメージが持ちやすいかも知れません。
違うよ、日本の脳死の定義は「全脳死」だよ。
日本だけじゃない。他の多くの国も「全脳死=脳死」を採用してる。
105 :
qq:2007/03/08(木) 19:32:58
>>104 おっしゃる通りでした。
大脳、小脳および脳幹の全脳の不可逆的な機能消失をもって脳死と判定するのが、
日本を初め多くの国で採用されている基準だそうで…失礼しました。
>>102は、イギリスで採用されている脳幹死など一部脳死を基準として採用してる場合における議論として見返していただければ幸いです。
さて、その指摘を踏まえれば、なおさら確実に、
(全)脳死状態の患者から、臓器移植を行うことは、遺体の利用であるといえると思います。
意識(人格、魂、心)が、脳にあることは、疑いようがない事実であると思うからです。
従って、(全)脳死状態の患者の臓器移植の倫理的な問題に関しては、
「遺体」利用の倫理的な問題であると考えて差し支えないと思います。
>>102 物事を検証ではなく感情による正否をスタートにする
それはもっともこのカテにふさわしくない行動
それがありありと出ているレスだね
ではさようなら
>>103 >私は二人だったと思います。脳が二つあるからです。
こう言い切るのは少し微妙かも知れないと思います
一つに先天性異常の中で無頭蓋症というものを考えてください
俗に言う無脳症というこの先天性異常では延髄まで欠如している症例があるんです
そのような場合でもやはり一人(たいていは死産、生きられても数時間から数日ですが)と数えると思います
何が言いたいかといえば
「人が人であると認むるのは人が人と認むるからだ」
となると思うのです
当然その人の中には自分も入っていますよ
私は箱の中の猫にも観察者としての権限を与えたいですから
108 :
qq:2007/03/08(木) 20:27:00
>>107
(話がややこしくなると行けないので、
無頭蓋症のうち、脳幹まで即ち脳の全てが無い状態のものを念頭に考えます。)
なるほど、確かに、
そのように全く脳がない状態で現れたものも、「1人」と数えると思われます。
脳がない状態のものも、我々は人として認めていると言えそうです。
しかし、その人に意識(というのが適当かはわかりませんが、人格とか意思とか…そういうものとして使います。)があるかと問われれば、ないといえると思います。
そうである以上、そのものは、遺体であるといって差し支えないと思います。
ベトとドクの例においても、意識はいくつあるかと問われれば、2つといえると思います。
とはいえ、「人が人であると認むるものを人というのだ」という意見も、
倫理における人の意味として説得力のある者だと思います。
ここでの問題に合わせて少し言い方を変えると、
「人が、生きている人であると認めるものを、生きている人というのだ」
ということになると思います。
この立場に立って、
なおかつ、統一的な倫理模索する(倫理は人それぞれという立場を取らない)ならば、
どのようなものを人は、生きている人と認めるのか…
つまり、多くの人の感情や価値観が問題になってくると思われます。
今、日本の多くの人が、納得できる基準…
それは、意識が不可逆的に消滅していない人を生きている人とすることだと思います。
これは、近代的な価値観とでも言うのでしょうか…
合理性を重視した思考をする人が日本に増えたからだと思われます。
>ベトとドクの例においても、意識はいくつあるかと問われれば、2つといえると思います。
意識が二つあれば、当然それぞれの意識が自分は人だと考えるだろう
それゆえに二人となる
自我があれば当然自分で自分を人と言い張れるだろうから、それは人になりえる
>それは、意識が不可逆的に消滅していない人を生きている人とすることだと思います。
>これは、近代的な価値観とでも言うのでしょうか…
ある意味近代的価値観であるともいえるが、別の言い方をすれば近代になって発生した新たなボーダーラインともいえる
近代までは脳の死滅以後も肉体を生かす方法というものは存在していなかった
近代になって初めて複数の臓器不全が起こったとしても、それが急もしくは同時ではなければ肉体を生かすことが可能になった
すなわち、肉体の重要臓器の一部が死んでも、それがすぐに死につながるわけではないという状態
肉体だけを生かそうと思えばかなりの状態でも何とかなる
しかし常時輸液と外部ポンプを利用した血液循環と酸素吸入、血液のろ過を常時行い外部的な力を利用した運動
ホメオスタシスの崩壊した肉体をどう見るかというのは、ホメオスタシスの崩壊した肉体を前にして初めて浮かぶ疑問だ
贅沢な悩みとも言える
110 :
qq:2007/03/08(木) 21:25:45
逆にさ、
脳味噌は死んじゃったけど、生きてる内蔵は救出しよう!って発想で
他の人間に移植するのはどう?その内蔵は他の人の体の中で生きてるの。
まぁボツでいいや↑
ちょっとオカルトだけど、心臓にも神経細胞の太い束があって
そこにも若干記憶が残ってるって説もあるよね。
ドナーが生前嫌いだった物を見ると心拍数があがるとか。
面白いけど、前世の記憶並にウソっぽい話だ。
記憶と言うか癖はあるだろうな、その心臓独特の
それを記憶と言おうと思えば言えるかも知れないけど
ここが哲学板とは信じられない。一体どこに論理があるのか。
生命について言えば、一般に下等動物ほど脳が小さい。植物に至っては脳は
ない。それでも間違いなく生命である。脳の働きや有無で生命があるかない
かを決めるのはきわめて哲学的ではない。
意識の有無や人格の喪失を以て人の死とするなら、植物状態も人の死として
何ら不都合はない。脳死には自発呼吸がないという反論もあるだろう。つま
り自力では生きられないという主張だ。だけれども、たった一人で生きてゆ
ける人間がそうそういるとは思えない。だから、人格の有無や呼吸の有無を
以て生死を区別するのも哲学的ではない。
脳は感情や思考を現すための装置として、心は脳外にあると仮定しても全く
矛盾は起こらないのだ。閉じこめ症候群という状態がある。目だけがその人
の意識を表出することができる状態だ。この目という手段を断たれたらその
人は一切意識を現すことができない。このような状態の人は理論上は人格が
あるにもかかわらず、現実的には意識も人格もないのと同じ状態になる。脳
死とは異なるじゃないかという反論は通じない。そもそも脳死とは人格と意
識の死は人としての死と変わらないだろうという前提によってのみ成り立つ
からだ。意識と人格の有無を以て生死を判定することは哲学的ではない。
脳死ならすぐ死ぬじゃないかという反論もあるだろう。それには、
脳死じゃなくてもすぐ死ぬ状態はあるがその場合でも殺して良いんですかと
答えておく。命が短いから殺してもよいというのは哲学的ではないからだ。
114 :
qq:2007/03/09(金) 11:11:59
>>113 >目だけがその人 の意識を表出することができる状態だ。
>この目という手段を断たれたらその人は一切意識を現すことができない。
>このような状態の人は理論上は人格があるにもかかわらず、
>現実的には意識も人格もないのと同じ状態になる。
外からわからないだけで、意識も人格もあるんだから動物的に生きてる。
脳波を測定するなりすれば、外からでもわかるかもしれないけどね。
植物的な生を奪うことと、動物的な生を奪うことの間に倫理的な差がある。
動物的な生を奪うのは、奪われたものが苦痛であるから同情できる人が多い。
脳死患者は、植物的に生きているかもしれないが、動物的に死んでいる。
つまり、人格・意識・心がない。
脳で決めているのは動物的な生死であって、植物的な生死ではない。
脳死状態の患者はすぐに(植物的な)命が失われるから、彼の(植物的な)命を奪って良いのではなく、
脳死状態の患者はすでに(動物的な)命が失われているから、彼の(植物的な)命を奪って良いのだと考える。
>>113 人間は自発的に動かない、役に立たないものは必要が無いという直感のような物があるから。
もちろんそうじゃない人も結構いる。この思考の傾向が現在までの世代の後の子孫の繁栄にどれだけ影響を及ぼしているか分からないから
どっちの方が大半なのかは実際に統計を取らないと分からないけどね。
生とか死は所詮人が線引きしたものだし、その延長の脳死も自分たちに有利な感じに解釈してるだけだよ
それにしても意識があるのに外にそれを知らせられない状態ってのは怖いなぁ。
実際には脳波も見るんだろうからそういうことはあまり無さそうだけど。
ぐぐったら脳波がほとんど無くても意識を取り戻すことがあるみたいだけどね。
>>114 脳死だけでなく植物状態でも人間の死だとオマイは主張するわけだな。
「意識がない状態」と「意識が極めて確認でき難い状態」を正確に区別する
ことができることを示し、「意識が確認できない状態」は「意識がない状態」
であることを証明する必要があるな、哲学的には。
117 :
qq:2007/03/09(金) 15:36:16
>>116 意識がない状態というのは正確ではなくて、
意識が不可逆的に失われている状態が(動物的な)死だと思います。
ですから、一次的な意識の喪失は、死ではないわけです。
植物状態の人間は、意識が確認できない場合でも、
(動物的に)生きているかも知れないわけです。
これに対して、(全)脳死状態の患者は、
脳の全機能が不可逆的に失われている訳ですから、
(動物的に)死んでいるといって、差し支えないと思われます。
正確に区別できない場合や、証明できない場合は、
(動物的に)生きているかも知れないわけです。
正確に区別できて、証明できる場合は、
(動物的に)死んでいるわけですから、移植は遺体利用の問題あるいは植物利用の問題に、
該当するものと思われます。
>>113 別に脳死だからといって殺すわけじゃない
助ける努力をあきらめるだけだと答えておく
熱力学第二法則という混沌に逆らう自立した混沌という側面が生物にはある
そう考えると生物としては、ホメオスタシスが失われた時点で死んだといっても差し支えないと考える
逆に問うが、そうでないのならどの時点で生物の生物としての死を定義するのか知りたい
人工呼吸器を付けて輸液を受けていてもそう長いこと生きられないとしたら、それは自然な生だろうか?
脳死状態とはまさにその状態を指しており、それでもなお「まだ生きている」と言い張る根拠はどこにあるのだろうか?
さらに言えば脳死になる前の患者本人や家族の意思無くて脳死の判定が行われることは無い
「人は人により人として認められる」
その彼らの決定を是としないのであれば、同等の可能性を持って反対者自身の脳死状態時、強制的に人工呼吸器を外されるだろう
無論反対者がずっと人工呼吸器をしたまま輸液で永らえたいというのなら止めはしない
ただ、脳死というラインそのものに否定を投げかけるのであればそれに対して反論するだけだ
120 :
考える名無しさん:2007/03/09(金) 17:38:25
>植物状態の人間は、意識が確認できない場合でも、(動物的に)生きている
>かも知れないわけです
ならば、脳死で意識が確認できない場合でも、(動物的に)生きているかも
知れないとも言えるんじゃん。不可逆かどうかどうやって確かめるのかな。
不可逆だということは、心臓死でさえ死後24時間は火葬しないほど念を入れ
て確認するんだよ。
121 :
qq:2007/03/09(金) 18:13:40
>>120 「意識が不可逆的に消失していれば、(動物的に)死んでいる。
従って、意識を生み出す脳の全部が不可逆的に機能停止していれば、
(動物的に)死んでいると言える。」
私の主張はここまでですね。
具体的に、何を以て、
「脳が不可逆的に機能停止している」と判断するかは、医学の問題だと思われます。
素人の私が言えるのは、
少なくとも、全脳細胞が壊死していれば、
不可逆的な機能停止といって差し支えないということぐらいでしょうか。
122 :
考える名無しさん:2007/03/10(土) 20:10:29
性質が帰納ならざるをえない医学に
永続的あるいは不可逆的などという名称を与えることが、そもそも不適当。
123 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 16:00:52
>>121 >少なくとも、全脳細胞が壊死していれば、<
>不可逆的な機能停止といって差し支えない<
壊死はどうやって確かめるのですか。
124 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 20:02:19
日本ではまだ無いけれども(脳死判後はすぐに臓器移植をすれば当然
ではある)、脳死と判定された後、意識を回復した人が存在する(らしい)。
これには三通りの可能性が考えられる。
@それは嘘である。
A専門家でも脳死判定を誤ることがある。
あるいは、いい加減な判定をすることがある。
B脳死でも回復することがある。
@なら不都合はないといえるものの、A、Bの場合は法律で殺人行為を
許していることになる。
脳死は人の死だという立場の人は@を主張することになるね。
他の理由で脳死が人の死だという人はいるかな?
125 :
qq:2007/03/16(金) 20:11:57
>>124 優良なドライバーでも運転を誤ることがある。
この場合は法律で殺人行為を許していることになるだろうか…
Aである場合、ミスを少なくするような努力などが必要とされるのであって、
Aである場合においても、「脳死が人の死であるとして倫理的に問題がない」という立場に変化は生じないのではないだろうか。
つまり、「不可逆的な機能停止の判定に難しさが伴うこと」は、
「脳が不可逆的に機能停止しているのであれば、(動物的に)死んでいる」ということの真偽に影響を与えない。
>>124 Cミスを装った殺人である可能性がある
Dそれが起こった国の脳死の判定基準がいいかげんである可能性がある
127 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 21:07:55
凶悪な殺人犯でも人を殺さないことがある。
殺人犯を放置した場合は殺人行為を許していることになるだろうか…
放置する場合、死人を少なくするような努力などが必要とされるのであって、
放置する場合においても、「殺人者が人を殺さないと期待しても倫理的には
問題がない」という立場に変化は生じないのではないだろうか。
つまり、「未確定な未来予測をともなう人の行動判定に難しさが伴うこと」は、
「殺人者が連続的に殺人行為を停止しているのであれば、(実質的に)
矯正されている」ということの真偽に影響を与えない。
128 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 23:58:11
人の死の定義は倫理で決める問題ではない。厳密な事実による。
心臓死が古来、人の死とされてきたのは、それが誰の目にも明らかな
変化を現すからである。夏場なら目で見る必要すらない。
反論のしようがない事実というものだ。1日あれば証明は十分だ。
そして、心臓死になったならこのような現象が必ず起こり、
そこから生還した者はいない。奇跡を除いては。
科学は奇跡を信じない。だから、奇跡を考慮する必要はない。
10年間や20年間で複数起こるような事象は奇跡ではない。
科学はこのようなことは計算に入れなければならない。
定められたある一定の状態から簡単に生還者が出ればその状態は
人の死とは言えない。科学ではそう判断する。
この世で人の死を決めるのは科学ではなく宗教なのだろうか。
129 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 00:00:11
人の死の定義は倫理で決める問題ではない。厳密な事実による。
心臓死が古来、人の死とされてきたのは、それが誰の目にも明らかな
変化を現すからである。夏場なら目で見る必要すらない。
反論のしようがない事実というものだ。1日あれば証明は十分だ。
そして、心臓死になったならこのような現象が必ず起こり、
そこから生還した者はいない。奇跡を除いては。
科学は奇跡を信じない。だから、奇跡を考慮する必要はない。
10年間や20年間で複数起こるような事象は奇跡ではない。
科学はこのようなことは計算に入れなければならない。
定められたある一定の状態から簡単に生還者が出ればその状態は
人の死とは言えない。科学ではそう判断する。
この世で人の死を決めるのは科学ではなく宗教なのだろうか。
130 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/03/17(土) 00:08:45
>>121 >少なくとも、全脳細胞が壊死していれば
「脳死」状態でも心臓や肺が動いている場合もあるので、心臓や肺を
動かす脳幹とか延髄とかの中枢神経系が生きているので全脳細胞が壊死している
状態云々・・というのはあまり意味がないと思います。
131 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/17(土) 00:13:18
>>129 心停止も自発呼吸の停止も同様の変化をもたらす
現代の医学では自発呼吸の停止は人工呼吸器を用いる
心臓の停止も人工心肺装置を使用すれば心臓そのものの死は人の死とはいえなくなる
それ故に死の定義とはそれを問う者により変わる
どの時点での非可逆性をもって死とするかが最も一般的な死の定義のありようである
132 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 00:51:49
それ故に科学では全細胞死のみが確実な死である。
即ち死の判定を遅くすることが科学的なのであって、
早くすることは科学的ではないのである。
133 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 01:01:15
アホなコメントはおいとくとして、
科学の進歩を考えると、
死の判定を早めることが科学なのではなく、
遅くすることが科学の結論なのである。
>>133 それは進歩の一面に過ぎない
進歩とは現状において出来ることと出来ないことを正確に把握し、その時点で出来ないことを出来ることに変える事を言う
錬金術の時代のように出来ないものを出来るかもしれないといって引っ張ることが進歩ではない
死の選択性が広まったことは進歩であり、どのような選択をしてもそう遠くない将来の結果が同じになると分かることも進歩である
しかし一律に遅らせるだけと言い切るのはむしろ退化といえる
進める道の可能性を閉ざすことを強要するのだから
135 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 01:44:04
人生とは死ぬことと見つけたり。
生を得たからには どのような選択をしようと帰する所は死である。
ならば死を早めようと思えば 受精時まで行き着くことができる。
受精卵は誕生もしていなければ、意識もない。
適当なところで死亡を宣告しようか。
こういうのを屁理屈といって 哲学とは対極にある。
屁理屈の哲学を論じているなら それも良かろう。
136 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/17(土) 03:06:35
>>135 そう言うがな
死の定義の固定化を安易に行い、そこに甘んじてしまうことこそ哲学的ではないと思うぞ
137 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 11:06:12
死の定義を安易に変えたことが問題なんだよ。
>>124に対して
>>126でキミはC、Dと返したが、
CもDもAに含まれるよ。或いはDは@にね。
含まれないと考えるのは言葉にとらわれて意味を見てないと
いうことになるよ。
だから、脳死を人の死としてもよいというのなら、
>>124のAやBは起こりえないということを示す必要があるんだよ。
でなければ哲学的ではないね。
138 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 12:07:06
>>137 意味を見てないというが
>>124ではまったく確定していない情報を根拠に日本の判定を論っているように見えた
だからこそ
>>126で揶揄してみたわけだ
Cは悪意を持って殺害されたとき
Dはその国の基準や医療制度が発展途上で理にかなった判定といえない場合
Aの人為的ミスとは別の理由だ
AやBが起こりえないことを証明しろというが
Aを恐れるのなら医療事故をもって医療全般を否定することになるので却下
Bはあなたが起こりえることを証明してくれ
139 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/17(土) 12:08:18
ぶ!名前入れ忘れた
残念ながら、いまのところ脳死判定後に意識を回復した例はない。
もちろん、今後、一切ありあえないということはいいきれない。
とりあえず、そういう基準をお互いに認めてやっていきましょうというのが現状です。
それは社会的に決めることであって、いろいろ反論があってよいとは思うけれど、
あれこれ抽象的なことを考えても意味がないことだとおもいますが。
141 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 20:10:55
>>140 法的脳死判定以前から行われる医療の原則である救命の徹底に反するドナー管理。
法的脳死判定に含まれる危険な無呼吸テスト。
患者が法的脳死に陥るまで繰り返される判定。
脳死確定後すみやかに臓器が摘出される、即ち個体死させられる。
これでカムバックするほうがおかしいって
>>141 別に臓器摘出せんでも、その前段階の判定途上で蘇生とかの例は無いの?
無呼吸テストを行う直前に状態が好転したとかの例
深昏睡、瞳孔固定、脳幹反射の消失、平坦脳波
この状態からの復帰って例を挙げてほしい
143 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 14:18:25
まず、臓器移植のドナーとなる場合にしか脳死判定を行わないのは
重大な義務違反だということをよく考えて欲しい。脳死判定を行う
機関は臓器移植に関係なく積極的に脳死判定を行うべきだ。そして、
結果を公表し、常に自ら判定の正確性を証明し続けなければならない。
脳死臓器移植を行うなら、一例でも生還者が出れば殺人者の汚名をも
受ける覚悟を持ってやるべきだ。無責任体質はいい加減にして欲しい。
次に、社会(つまり法律)が認めさえすればよいという人がいるが、
何のために死の概念を変える必要があるのかだけは明らかにする必要が
あるだろう。結局は臓器移植のためだろう。だが、病気の人を助けたい
からというのを私は信じることができない。病気の人を助けるとは命を
延ばすということだ。一方では人の命を縮めながら、それを言う者を
信じることができるだろうか。役立たずは速やかに抹殺するのだと
いう方がまだしも理解し易い。
例え事実や理論がどうだろうが、人が行うことに完全ということはない。
人を救うということが目的ならば、そのために助かる人を殺してしまう
という可能性だけは排除しなければならないと考える。
寝てるときだって意識がない時があるんだから、
脳死の判定は人の死でいいよ。
どうせ一旦脳死と判定されたあと蘇生しても、
脳はひどくダメージを受けてるだろうし、
後遺症でとても以前のような生活はできないと思う。
ひどい人生を無理矢理生かされるよりそのまま
死んだ方がまし。
146 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 15:22:00
No.445 米、カナダで脳死判定の3人、帰国後に意識回復 (3) by 毎日大好き(匿名) 06/07/26 16:15
>米国やカナダ滞在中に脳血管の病気で意識不明になった日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いたことが中堅損害保険会社の調査で明らかになった。
>海外での脳死診断は日本ほど厳格でなく、治療を打ち切る場合があることを浮き彫りにする事例で、報告した担当者は「医療文化が違う国にいることをはっきり認識すべきだ」と警告する。
怖いですねえ〜。9人いたそうですが、保険に加入していた3名がチャーター機で帰国。意識が回復したそうです。残り6人はチャーター機を手配に必要な費用(約2000万円)が出る保険に加入していなかったことなどから帰国を断念、現地で死亡したそうです。
日本、アメリカとも自発呼吸があれば脳死とはしていないため、大きな違いはなさそうですが、医療現場のムードが違うのではという指摘も出ています。
それにしても、脳死の診断でこれだけの人が回復するとは違いすぎませんか。
148 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 10:10:48
>>147 あいかわらず、独特の解釈をするんだね。
その記事の要点を20字以内にまとめてみるといいよ。
言葉はその直接の意味だけでなく、使う人が言いたいことを
伝えるためにあるんだよ。
勉強しようね。
149 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/22(木) 10:20:12
リンク先の頭にに書いてあるよ
医療文化が異なる外国では 脳死と判定されて
治療が打ち切られる場合もあります.
20文字はオーバーしたけどね
でもそれ以上の記事ではない
それをあたかも日本と同等の基準で脳死判定を行ったように書くのはダメでしょう?
150 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 13:33:40
20字以内と指定されても守る必要はないというんだね。
一事が万事その調子だね。
独自の解釈だけでは議論にならないんだよ。
151 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/22(木) 15:13:52
>>150 だから、リンク先に書いてあるんだってw
しかもそこだけ行を空けて強調するように
じゃあこうしよう
「模範解答があればお聞かせ願えますか?」
152 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 16:43:11
つべこべ言わないで自分で要約してみなよ。
人の文章を一部分コピーしてもキミが要約しないと意味がないんだよ。
そうしないと、人が何を言っているのか分かるようにならないよ。
それが国語の勉強だよ。
文章を解釈する力がキミには不足しているようだからね。
きちんと解釈できたらレスを返すよ。
153 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/22(木) 17:35:20
>>152 皮肉も分からんとは
なら二度とレス返してくれなくていいわ
じゃあな〜
154 :
考える名無しさん:2007/03/23(金) 10:21:16
プ
155 :
考える名無しさん:2007/03/23(金) 23:34:18
脳死問題については、文化論がアプローチ手法として
うまい様な気がするな。養老孟司の『死の壁』とかさ。
日本では中絶はすんなり受け入れられるのに
脳死では大騒ぎ。不文律の文化が大事である。
障害者とは、えてして、多くの文化では大事に扱われる
日本でも然り。仮に脳死であっても家族として
扱っちゃえば良いんでないの? という主張があっても
さして不自然ではない気がしなくもない
つまり、政治的に脳死者に経済面で保障してしまえばよい
と、結論付けられなくもない。
米国では、バカスカ移植しまくってるけどさ。
>>1 > ・脳死判定後、家族の呼びかけに顔を紅潮させるケースがある
「だから心がある」とかだとこれは単なるオカルトの話だと思うんだけどな…
157 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 19:37:03
ミリア・リッセは、工場で働く夫が作業機械に巻き込まれ死亡したとの知らせを受けた。
謝罪する工場長にミリアは「どんな状態でも、夫の遺体を返して欲しい。埋葬したい」と泣きながら頼んだ。
台車に積まれて運ばれてきたのは、378個の缶詰だった。
議論を整理するには
「脳死は判定間違いがある場合がある」と
「脳組織が死んだ脳死を人の死と考えるかどうか」
に分ける必要がある。
でないといつまでも奇跡の復活人間記事に驚いたりしていなければいけない。
159 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 14:10:21
「脳死は判定間違いがある場合がある」のみでO.K.
判定間違いは脳死以外でもある問題だろ。
冤罪の死刑とか、医療ミスとか、民間人を誤射とか。
脳死の判定だけ絶対完璧に判定しなくちゃいけないと?
そんなことより「脳組織が死んだ脳死を人の死と考えるべきか」
の方が、議論すべき脳死特有の哲学的問題であるだろうに。
161 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 17:21:06
「何故脳死を人の死としたいのか」がまず必要。
脳死臓器移植のためなら、助かる命を間違えて殺すのはナンセンス。
人道のために人道に反することを認めるのは外道。
刑罰の問題とは異なって、臓器移植はやらなくても社会の秩序に関係はない。
味噌糞一緒は哲学じゃない。
「助かる命を」というが、ほぼ100%(例外は知らない)
意識を回復することなく心臓死を迎える状態を「助かる命」と呼ぶのは
ちょっと違うのでは。
生命維持装置つけられた段階で死亡確定だろ?
移植のための生命として生きるのは人の生じゃない
これだけは確かだ
>>162 161さんは判定ミスが存在することを前提としているように思います。
>>163 >生命維持装置つけられた段階で死亡確定だろ?
生命維持装置がつけられてる段階では生存しています。
死亡が確定したら、外されます。
>移植のための生命として生きるのは人の生じゃない
不思議な事に、これは全く同意です。
だから、移植してはいけないのです。
165 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/27(火) 21:21:50
>>161 脳死での移植は強制されるわけではない
尊厳死などともリンクし、一種の線引きとしての扱いになる
嫌なら生前より強く拒否しておけばいいだけのこと
それでも移植に使われたなら自業自得、よっぽど家族に嫌われてたんだね
166 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/27(火) 21:28:20
>>164 >>移植のための生命として生きるのは人の生じゃない
>不思議な事に、これは全く同意です。
>だから、移植してはいけないのです。
言葉が矛盾してますよ
脳死で移植をされると言うことは、とりあえず死んでると判定されます
その場合「移植のための生命として生きる」のではなく「移植のために維持される」となります
「身元が確認されるまで冷凍される」と同様の扱いですね
なお、「物として扱われるのか」という反発も当方は予想しています
でも考え違いをしてはいけません「遺体として丁重に扱われる」のです
遺体はそこいらの物とは違います
167 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 22:51:19
脳死状態を
死んでると、とりあえず判定することが、
問題となっているのではないでしょうか。
脳死状態を死んでいるとは認めていない人からすれば、
まさに、臓器移植をされるために生きている状態といえると思います。
168 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/27(火) 22:55:48
>>168 家族や本人が、移植を選択したのは、
自由な意志だけではなく、
脳死は人の死だという臓器提供を正当化するための倫理観
によってという事も大きく関係しているものと思われます。
170 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/28(水) 01:40:45
>>169 その点に関してはむしろ脳死側が不利だね
後発の倫理観である上に、家族の意思で土壇場に覆る程度のものだ
倫理観という意味では双方とも大して違いは無いはず
171 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 10:11:51
>>164 前提もなにも、日本は10年遅れてアメリカの後を追っている。
脳死臓器移植でも将来アメリカと同じ問題が起こるだろう。
また、ここは哲学板なので脳死先進国の状況も当然対象になる。
問題は脳死を人の死としても、哲学的に問題がないのかどうかだ。
脳死を死とすべき哲学的根拠を小生寡聞にして聞いたことがない。
現実の世界で矛盾が起きているなら それは誤りだとしか思えない。
172 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/28(水) 21:59:29
>>171 では問うが、哲学的に言った場合の人の死とは何だ?
173 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 22:49:09
>>172 それを、教わったこともなければ見つけ出したこともない。
医学的に確実なのは全細胞死だということは分かるがね。
哲学的な死の意味は脳死が人の死だとしたい人の方が
知っているんじゃないか。よく知っていなければ死の定義を
変えようなんて発想は出てこないだろうからね。
で、あんたは「脳死を死とすべき哲学的根拠」を持っているのか?
174 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 23:02:30
このスレの上の方にある「ラザロ徴候}」の映像(
>>29)ね、
脳死者じゃなくて「生きている」役者が演技してるんだって知ってた。
たとえ専門家でもこの映像だけじゃちょっと分からないよね。
175 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/28(水) 23:13:40
>>173 自分の発言をよく読み返してみるんだな
>脳死を死とすべき哲学的根拠を小生寡聞にして聞いたことがない。
と言いながら
哲学的に言った場合の人の死を聞くと
>それを、教わったこともなければ見つけ出したこともない。
哲学的な脳死の根拠を聞いたことが無いのは当たり前だな
確固たる根拠も無いのに何を否定したいんだい?
176 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 23:39:21
>>175 従来の死の基準を脳死へと変更したいのは小生じゃあない。
変更にあたっては疑義があるから、その根拠を聞きたいと言って
いるんだから、変更したい方が根拠を示すのが当たり前じゃないのかな。
そして小生は少なくとも外国では恣意的に脳死が決められることが
あるから日本でもいずれ起こるんじゃないかという疑義を示した。
これで答えるべきはどっちなんだ?
177 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/28(水) 23:49:19
178 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:15:41
>>177 何それ。真面目な意見だったのか。「ちゃかし」ているだけだと思った。
そのうちどこかの年寄りが首のすげ替えをするための理由みたいだな。
「儂が長く生きて何が悪い」ってな。
家族が勝手に人の死を決めたり安楽死をさせたりするのが脳死の根拠に
どうしてなるんだ。全く意味不明だね。
こんなの冗談に決まっているよな。
179 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/29(木) 00:37:16
あぁ、最初は使い分けてたんだけどな、面倒なんでこれ一本で行くことにしたんだ
面と向かって指摘してきたのはお前さんが初めてだけどなw
だから、哲学的に言えば死のボーダーなんて曖昧なんだよ
第一お前さんの言っている従来の基準ってのは医学的ボーダーだろ
哲学的に見て人が死ぬのは、医者が死亡判定したときか?んなわけないだろ
現状の定義があるのなら言ってみな、別に難しいことじゃないだろ
「従来の死の基準」なんて言葉を使っているくらいだ、何の考えも無しって事は無いだろ?
180 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:44:10
>>179 >>173に書いてあるじゃないか。間違いないところで言えば
医学的にも哲学的にも同じだ。
分からないのはそれを早める哲学的理由だ。
181 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/29(木) 01:07:39
>>180 くだらねえ
すべての細胞が死ぬまで人工呼吸と心臓マッサージ続けてろよ
そんなことをしてくれる医者はいないと思うけどな
>分からないのはそれを早める哲学的理由だ。
別に一律で早めちゃいねえよ
もともと曖昧なものにボーダーを無理に付けようとするからおかしくなるって話だ
お前はお前、俺は俺ってのは
>>119でいっている
社会的になんと言われようと、本人が納得できなければそいつの中では真に成り得ないってのは分かるよな
死についても同じだし、なんについてもそれは当てはまる
仮に、「人間は社会性を持つ生き物だ、社会的に死んでいる人間は人ではない、よって実際に葬るべきだ」
なんて論調が常識と言えるほど広まった場合で、お前さんがニートでヒッキーだった場合は承服できるか?
ありえなくは無いさ、大戦時のドイツが似たような状態だった
お前さんがユダヤ人だとして、甘んじて血の選別を受けるか?
182 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 01:31:49
>>181の後半のような理由で、小生は勝手な判断をするなと言っているんだぞ。
小生が脳死反対にする理屈をお前が言ってどうする。
また「ちゃかし」ているのか?
もう寝るよ。
183 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/29(木) 01:53:33
>>182 ちがうだろ
>「
>>181の後半のような理由で、小生は勝手な判断をするなと言っているんだぞ。 」
個々の勝手な判断を許さない統制が
>>181の後半を生むんだ
現状ではどの段階を死と呼ぶかは本人や家族に任されている
しかし死のボーダーを心停止で固定することを強制すれば、尊厳死などの自由は無くなる
ま、世間全般が脳死で固定されて、金払っても治療が受けられないようになれば、俺はその状態を批判するだろうな
184 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 14:26:14
死のボーダーなんて訳の分からない判断は不要だ。
確実な死を判断できればよい。
尊厳死については意味を取り違えていないか。
殺すことではない。
無駄な処置を取りやめるだけですぐ死ぬわけでもない。
だから死の概念を変える必要はない。
確実な死者が治療を受けられなくても問題はない。
生死の判断が難しい状態の人体を利用しようとするから
矛盾や誤りが生まれる。人肉を食料にしていないのと同じ
理由で臓器移植をしなくても何も問題は起こらない。
病人を何としても助けなければならないとするならば、
老人を何としても延命しなければならないとしても
矛盾はない。老人に脳死脳以外移植でも行うつもりか。
近親者が身内を死なせたくないと望む気持ちは理解できても、
第三者が人を早く死なせてまで臓器移植を行うべき哲学的な
正当性は何としても分からない。
例えば、「脳死は不可逆的に意識の消滅と心臓死(従来の死)につながる」
という前提が絶対でないとする。
ごくごくまれには、脳死状態から蘇生するケースがある、ということ。
さらに、「脳死判定は確実だ」という前提が絶対でないとする。
ごくまれ(か割と頻繁にか)には、脳死でないものを脳死と判定してしまう
ケースがある、ということ。
そこで、仮に脳死と判定された者からの臓器移植を全面解禁したとして
1.本来蘇生が可能であった患者から臓器を摘出して殺してしまうケースが、
年に10件ある。
2.脳死者からの臓器移植がなければ死んでしまったであろう患者が
臓器移植によって助かるケースが、年に30件ある。
このような場合には、純粋に功利主義的には「脳死者からの
臓器移植を解禁して良かった」という結論になるのではないか。
ものすごく雑な議論は承知の上の「叩き台」なので、批判をよろしく。
186 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/29(木) 22:44:48
>>184 >死のボーダーなんて訳の分からない判断は不要だ。
勝手に不要にしないでほしいな
哲学的に考えた場合、どうなれば人は死ぬのかのボーダーラインの検証が重要だろ
赤ん坊を見て「この子の将来はどうなるんだろう」と微笑む親に「最後には死ぬよ」と言っているようなものだ
求めたい時点の様子を通り越して最終局面しか語らないのであれば、そんなものに意味は無いね
それでも不要だというのならそれは哲学の話ではない、医学板辺りに移れば?
>無駄な処置を取りやめるだけですぐ死ぬわけでもない。
無駄な処置の内容ってのを自分の中で勝手に決めるような奴には分からないか
おれは余命1年を3年に延ばす治療は受けたいが
余命1週間を1ヶ月に延ばす治療は受けたくないんだよ
脳死状態での延命は明らかに後者
奇跡を当てにするほど俺自身は楽観主義者じゃないからな
>生死の判断が難しい状態の人体を利用しようとするから矛盾や誤りが生まれる。
だから、そう思うならその選択肢を採らなければいいだけだろ
選択肢ごと潰すなよ
187 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/29(木) 22:49:59
>>185 哲学の議論じゃないな
非常に曖昧な仮説の上に、曖昧な仮設をさらに乗せている
なんなら細かく指摘しようか?
>>186 家族が臓器移植を拒否した場合は、生存者として扱われ、
承諾した場合に遺体として扱われます。
脳死と判定された者から見れば同じ状態なのに、
家族の判断のみで生死が決定されてしまいます。
こんな分裂したボーダーラインなんて
とても肯定できるものではありません。
189 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/29(木) 23:35:59
>>188 だったらどのような状態からが人間の死か言ってみな
今までの俺の揶揄をすべて払拭してくれよな
意識を司る脳組織が死んだら人の死であるというのは
納得できる人の死だと思う。
脳が復活しないのに心臓だげが動いている存在はもはや人とは呼べない。
>>189 心臓死でいいんじゃないでしょうか。
医学が進歩し矛盾が生じればそこでまた、
生命を延ばす方に改めるべきだと思います。
>>191 心臓が停止したら全身の組織が死ぬので
心臓死を人の死とする事には異論が無い。
だがその前に、もしくはそれとは別に、
意識を司る脳組織が死んだらそれが死であるとするのは納得できる話だ。
脳が復活しないのに心臓だけが動いている存在はもはや人とは呼べない。
現在救急医療の発達によって重度の脳損傷から生き延びる人が増えている。
だがその人達の多くの人生は決して幸福なものとは言えない。
ましてや脳組織の死が確認されている人の心臓が動いているからといって
延命したところで何の意味も無い。
脳組織の死を人の死とする事べきだろう。
196 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/30(金) 01:11:05
>>191 心臓は主要器官の一つだが、心臓の停止をもって死とするのと、脳の機能崩壊をもって死とすることの違いは?
呼吸を機械で補うことと、血液循環を機械で代行することとの違いは?
現状で他の方法では代行できない脳の機能崩壊を持って死としてはいけない理由は?
移植抜きで考えてみな
移植とセットで考えると変なフィルターがかかる人がいるようだし
>>194 心臓が動いている存在を
死体と呼ぶ事に抵抗を感じてしまいます。
おそらくそれは私だけではないと思われます。
>>195 幸福なものとはいえないからといって、何の意味もないからといって
死んでいると判断されていいものでしょうか。
延命装置をつけるのって、
結局財産維持とか分与のために形だけでも生かしておくとか
移植のために体の鮮度を保つためでしょ?
患者は完全にモノ化してるよね イコール死体だと言えるよね
>>196 >心臓は主要器官の一つだが、心臓の停止をもって死とするのと、
脳の機能崩壊をもって死とすることの違いは?
可能な限りの全ての医療行為を施しても
不可逆的な全細胞死に至ってしまうという判断の基準として
心停止があるのだと思います。
脳の機能崩壊では全細胞死には至りません。
(私は医学は専門ではありませんが)
>呼吸を機械で補うことと、血液循環を機械で代行することとの違いは?
心停止してから血液循環を機械で代行しようとしても、間に合わないのだと思います。
呼吸機はわりと簡単に装着できます。
>現状で他の方法では代行できない脳の機能崩壊を持って死としてはいけない理由は?
脳以外は生きているからです
そろそろ、寝かせてください。
心肺だけ機能してる体って、切り取られても動いてるたこの足と一緒じゃない?
201 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/30(金) 02:11:35
>>199 心停止直後より心マを行い、用意が出来次第開胸手術をし人工心肺に切り替え、早急に人工心臓に切り替える
患者の体力しだいでは成功の可能性はあるだろうね
現状の医療体制では救急では無理だが、求めて整備すれば何%かは助かるようになるのでは?
なぜそこまですることを求めないの?
心停止時も心臓以外は生きているよ
202 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/30(金) 02:14:49
>>199 また、全細胞死と言っているが、細胞の一部が死んでいない場合は死ではないとすれば
移植された器官(細胞)が生きている場合は、本人の死ではないの?
とりあえずお休みなさい
続きは明日
203 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 15:57:35
>>200-202 ここはノー・リターンじゃなくてノータリンの議論スレだったのか。
民主主義の世界が目指すものとは何かということすら分かっていない。
人が他人のために犠牲にならないというのが民主主義のルールだ。
少なくとも基本的人権についてはそうだ。現実には治安維持の目的以外では
基本的人権を制限されることがないということなのだ。
通常は人を救うために人を犠牲にしてはいけない。では、臓器移植を
行うためにはどうすればよいか。死んだと言うことにすればよい。
死人には人権がないから、人を救うために人を犠牲にしたわけではないという
理屈を考え出したのだ。なんたる屁理屈。みなで決めればそれが人の死だと
言いはるに等しい。だから、脳死移植推進派の人間は手前勝手なルール変更、
論理性の矛盾を隠すために脳死の概念は臓器移植のためにできたものではない
と言うことを強調する。それ自体は嘘ではないが実際には、脳死を人の死とする
必要性は脳死移植を行うため以外には無いに等しい。
そして勘違いしやすいところだが、臓器移植は命を救う治療ではない。
明日をも知れない命の人には機会がないし、行ったところでほとんど成功しない。
だから緊急避難でもない。例えれば、飢え死にしそうな人に食料を提供するような
治療ではなく、粟稗しか口にできない人に米を提供する治療である。レシピエントは
移植を受けなくてもすぐに死ぬわけではないのだ。こんな程度の治療のために、
人の生きる可能性を無くしたり、助かる人を間違えて殺したりしかねない行為を
許す根拠はどこにあるというのだろうか。
204 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/30(金) 22:00:04
>>203 俺が
>>196で言った
「移植抜きで考えてみな
移植とセットで考えると変なフィルターがかかる人がいるようだし 」
の典型だね
臓器移植のドナーになるのは本人及び家族の意思確認及び同意がなければ出来ない
という事実が分からないらしい
また、脳死による処置の停止は家族の意思確認によって行えるということは、直に尊厳死ともかかわってくる
>>165辺りでで示したように脳死による移植を行われない可能性は十二分に残されてるよ
それが分かった上で被害者面して脳死を語るような阿呆なら用は無い
哲学板ではなく社会板で吼えてろ
>>201 >なぜそこまですることを求めないの?
手術に成功する見通しがない。
成功したとしても寿命が延びる見通しがない。
患者に未来がない。
以上の理由から、人口心臓の移植手術は行いません。
>>202 他人に移植された器官は本人の生死とは関係ありません。
>>204 横レス失礼します。
>脳死による処置の停止は家族の意思確認によって行えるということは、
直に尊厳死ともかかわってくる
脳死を人の死とする事と尊厳死の違いについて
・脳死状態の人を尊厳死させるという事。
脳死状態では生存している。
患者の家族又は本人の意思表明を基に医師の手によって呼吸器を外し、
心停止が判定された段階で死亡が確定される。
・脳死を人の死とする事。
脳死状態が確認された段階で死亡が確定される。
呼吸器をつけている意味がないので外す。
このように呼吸器を外すという行為は同じでも、意味が全く違ってきます。
尊厳死は死に至らしめる行為です。だから議論があります。
本来なら呼吸器を外したり臓器を移植したりするのは
死に至らしめる行為だということを前提に是非を判断されるべきものだと思います
>>204 では少し哲学的に。
臓器移植がないものして、家族に選択権があるという事を考えてみます。
家族に選択権があるという事は
脳死状態の人が死んでいるのか生きているのかを選択できるという意味だと思います。
では、脳死と確定されてから家族に意思確認を行うまでの間、
この人は生きているのでしょうか?死んでいるのでしょうか?
このように生きているのでも死んでいるのでもないような状態が
生み出されてしまうのは
脳死を人の死とするかどうかが並列して存在している事に
論理的な矛盾があるからだと思います。
「脳死が人の死ではないと前提し
家族が生存を続けるかどうかを選択する」
もしくは
「脳死が人の死だと前提し
死体を保存するかどうかを選択する」
にしなければ論理的な整合性は得られないと思います。
したがって、家族に脳死状態の人が死んでいるのか生きているのかを選択できるという事は、
家族に尊厳死を選択できるという事を言い換えただけの詭弁だと思います。
それから、「死体を保存するかどうかを選択する」というのは、
臓器移植を前提としなければ無意味なので、
脳死は人の死とした場合、
家族の選択権と臓器移植を切り離して考えることはできないのだと思います。
208 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/31(土) 14:32:47
>>207 まずは
>>93の発言の
>存在というものにきっちりと分かり易い線引きをしようとするから問題がややこしくなる
ということを思い出してほしい
また、
>>73も読んでほしい
死の定義が明確に出来るかどうかを考えてほしい
人とはどの時点から人で、どの時点から人ではなくなるのか
明確に答えを出せるものなのか、そこをまず考えてほしい
それ故の
>>107発言なわけだ
同質の存在が同質たれと望むが故に同質たるわけだ
その場合、定義は人の外部にあるものではなく、内部にあるものとなる
思考が日々変質するがごとく内部の定義も変質する
定義を外部に出せない以上、きっちりとした線引きは行えない
>>208 ああ、箱の中の猫の話でようやくわかりました。
実際に脳死状態の自分自身には
自分が死んでいるのか生きているのかを判定をする権利が与えられていなかったが
それを与えるべきだ。その権利は何かというと、
脳死状態が死んでるか生きてるかを選択できる権利だと。
(選択するのは家族ですが)そのように解釈させていただきました。
現行の、脳死は人の死かどうかの選択権がある状態が、最も茶菓子さんにとって重要で、
脳死は人の死とか人の死じゃないとかを画一化して制度に反映すべきでないと。
究極的には脳死患者におれは死体なんだと主張する権利を与えたいわけですね。
なるほど。とても面白い。
臓器移植をとっぱらって考えれば、納得できそうな感じもしますが
>>207で示すように死の定義を変動させて制度化するのは適切ではないと思います。
210 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/03/31(土) 21:20:34
>>209 >死の定義を変動させて制度化するのは適切ではないと思います。
逆ですよ
選択肢があるのに、制度によってその道を閉ざす方が適切ではない
人間の生に対して、その人間にもっとも近しい人間が干渉することができないという事になる
その人の生に対する思いや影響は、その人に近しい人ほどよく分かっているというのに、個の思いとはまったく無関係なものによってそれを阻まれる
そうならないためにも、現在のようなグレー部分が多い制度の方が良いのです
逆に「脳死患者からは必ず臓器を取り出さなければならない」と制度化されたらどうします?
納得できないでしょう?
211 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 10:01:57
馬鹿が!
脳死が死でも生でも良いなら、年金や保険金がおりたりおりなかったり
するだろうが。
現実と整合性がとれない理論はゴミでしかないんだよ。
それ以前に、医者が殺人犯になるかならないか、という深刻な問題があるぞ。
もともと、水面下では脳死者からの移植はずっと行われていて、
時々水面に浮かび上がって医者が殺人罪に問われるケースがあって、
医者の側が「これじゃかなわん」と国会に泣き付いた、というのが問題の始まりだ、
と聞いたぞ。
213 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 15:15:45
臓器移植という問題がなければ 脳死判定など現実社会では
殆ど必要にならないということが分からないヤツが居るんだ。
214 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 16:11:02
脳死の考え方として、「ひとたび脳死に陥れば、いかなる手段によっても脳機能は回復しないばかりか、
やがて脳は融解する」としたほうが分かりやすい。
大抵の人は融解した脳の写真を見ると、「あそこまでになって生きているとは思いたくない」という。
写真を見せれば、脳死を人の死と思っていなかったほとんどの人の意見は変わる。
それまで脳死というものを理解していなかったわけである。
医師の中にも、脳死の脳、融解した脳を実際に見ていない人はたくさんいる。
法医学から見た脳死
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_3/3_2.html
215 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 16:15:59
科学的な知見から「脳死=死」と認め、死の診断基準は変更せざるを得ない。
脳死をもって人の死とせざるを得ないことは、厳然とした科学的事実である。
>>214 「あそこまでなって生きているとは思いたくない」
脳死でなくともそう思うことはあるのではないでしょうか。
例えば、脳だけの存在であるとか。
リンク先(法医学から見た脳死)は有機的統合性の喪失をもって死とする考えを
否定する根拠が述べられていません。
人として生きていく中で脳がいかに大きな役割を担っていようと、
脳が人ではなく、脳はあくまで人の一部だと思います。
217 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/02(月) 21:42:51
>>211 はいはい
死亡時は医師の死亡診断書を添えて役所に届け出てね
218 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 21:45:14
>>212 グレーを認める基準がないとそうなるね
現状の場合、従来型・脳死型のどちらでも適応できるので、それなりにいいと思うよ
219 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/02(月) 21:49:12
>>213 そうかな?
脳死時の無駄な延命処置を拒むという事がちゃんと認められるのは、尊厳死という面では前進すると思うよ
220 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/02(月) 21:51:02
>>217 本来、脳死状態で死の基準の選択権があるのは
臓器移植のときだけです。
茶菓子さんは臓器移植とは関係なく死の基準を選択できる事の重要性を
主張していると受け取れます。
死の基準が複数存在すると、ややこしい事態が発生します。
これは揚げ足をとっているわけではなく本質的な問題だと思います。
一例を挙げます。
Aさんは脳死状態になってしまいました。
呼吸器をつけていれば、生存していけそうです。
夫のBさんは脳死状態でも生きているとみなし、
延命措置を続けるようお医者さんに言いました。
1年がたちました。
Aさんはまだ、生き続けていました。
しかし、Bさんはいつまで経っても何の反応も示さないAさんを見続けているうちに
気がかわり、お医者さんにこう言いました。
『やっぱり脳死は人の死だと気付きました。
Aさんは死んでいるものとして、呼吸器を外して下さい』
Aさんは呼吸器が外され、間もなく心臓が止まりしました。
Aさんは一体、いつ死んだのでしょうか?
>>211さんも言っていますが、これに遺産などがからむと
やっかいな事に発展しそうです。
死の定義が複数存在しているのが健全な社会とはいえないように思います。
それから、こういった不具合が発生しないように
臓器移植を選択した場合のみ、「脳死は人の死」が
適用されているのだと思います。
>>219 >脳死時の無駄な延命処置を拒むという事がちゃんと認められるのは、
尊厳死という面では前進すると思うよ
医療の現場では臓器移植とは関係なしに、
脳死状態と決定された段階で
家族に延命措置を続けるかどうかの確認を行います。
そして、延命措置をとらずに死を待つ事が選択される
ことも多いと聞きます。
しっかりと法整備されているかとなると不明ですが、
死の基準を変動させて前進させるのではなく、
死にいたらしめる行為(死を選択する行為)としての尊厳死
として進めていくべきだと思います。
>>220 観ていません。が検索しました。
彼らの目的はジョニー君の臓器です。
223 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/03(火) 00:57:24
>>221 ちょっとだけ揚げ足を取ります
>呼吸器をつけていれば、生存していけそうです。
残念ながらそんな脳死というのはありえません
最低でも寝たきり老人と同等の介護に中心静脈栄養をし、24時間モニタが必要です
自発呼吸が無いという状態を甘く見すぎです
では反論
>Aさんは一体、いつ死んだのでしょうか?
法的な意味合いですか?
それとも哲学的な意味合いですか?
法的な意味合いであるのなら医師が死亡を確認した時点です
心臓死だろうと脳死だろうとそれは変わりませんよね?不具合など起こりえます?
哲学的な意味合いであるのなら複数あります
・脳死になった時点
・遺族などがその人が帰ってこないと認めた時点
おそらく指摘している諸問題は法的な意味合いのみを指しているのでしょう
だからこそ
>>217を書いたんです
哲学的な意味合いでは、私の婆さんの葬式の際に住職が言った言葉が面白かったですね
「7回忌・初盆・一周忌・三回忌…などがありますが、これらは徐々にご本人の居ない生活に慣れるための節目だと思ってください。
ご本人のためというよりご家族のためにあり、ご本人に対する悲しみを整理するためにあると考えてください」
私自身宗教はどうでもいいという人ですが、この話には頷きましたね
ちなみに治療の断念というのは無いわけじゃないですよ
家族が疲労した場合や、金銭的に続かなくなった場合はよく行われます
特に患者が高齢の場合は多いですよ
224 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/03(火) 01:06:27
>>222 >死にいたらしめる行為(死を選択する行為)としての尊厳死
>として進めていくべきだと思います。
それでもいいですがね
でも一言言わせてもらいましょう
「あなたは残酷な人ですね」
私自身は、脳死時に延命を行わずに速やかな死を願っていますが、私の家族はどうでしょう?
おそらく迷うと思います
尊厳死が本人の望みだとしても迷うでしょう
その家族に対して
「お前はそいつを殺す選択をしたんだ」
と言うようなものなのですから
>彼らの目的はジョニー君の臓器です。
どんな検索をしたんでしょう?
本気で言ってます?
225 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/03(火) 01:21:56
>>222 延命措置を行う場合は、医師に
「そうとう苦しまれると思いますし、それでも回復の見込みは万に一つもありません。それでも延命しますか?そうとう辛いと思いますよ」
とでも言われたらどうします?
選択の裏の面を暴くという事は、非常に残酷なんですよ
それでも望むのであれば、明日より「堕胎」は「胎児殺し」に「死刑」は「犯罪者を集団で死に追いやる」とでも言ってください
226 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 13:59:06
よくもまあ、これだけ嘘や間違いばかりを並べられるモンだね。
100%ダメっていうのは ある意味驚異だわ。
227 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 15:42:15
可能な限りの全ての医療行為を施しても、
不可逆的な全細胞死に至ってしまうという判断の基準として脳死がある。
グレーを認める基準が不具合を発生させる根源だから、
死の定義が複数存在して問題が発生しないように
脳死が人の死だと法で定義する。
法で「人は脳である、脳死=死」と定義し制度化すれば無問題。
臓器移植とは関係なしに、脳死状態と判断された段階で、法で死亡と定義する。
法定死に家族の同意は不必要だから、家族に生存選択権を認めず、
延命措置は脳死前に限定する。生命倫理基準は変更せざるを得ない。
脳死で融解した脳の写真を見せ、この事実を法源とし死を法定する事で、社会規範として慣習されるようになる。
228 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 17:24:12
なんか、看護婦さんの話で「脳死になると脳が腐る臭いがするからわかる」
というのを聞いた覚えがある。
現場の人は理屈抜きの実感で「脳死」の存在を感じるらしい。
あまり哲学的ではないが。
230 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 18:30:32
>>227-229 いくら治療を施してもいずれ全細胞死に至ってしまう状態の基準として
誕生がある。だから、法で誕生は死であると定義すれば社会制度上の
全ての不具合を回避できる。その上、この定義が優れていることには
権力者が望めばいくらでも新鮮な臓器が手に入れられるという点が
挙げられる。
法定死に家族の同意は不必要だから、家族に生存選択権を認めず、
延命措置は誕生前に限定する。生命倫理基準は変更せざるを得ない。
倫理基準を変更すれば現在悪であることでも悪ではなくなるから無問題だし、
何より医療費はおろか社会保障費が大幅に削減できる。
権力者の立場から見てこれほど都合が良いことは無かろう。
231 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:21:55
単語を定義したい。
身体的死亡
自然・機械的かどうかに関わらず、呼吸、心拍、脳波などの生理的な現象が全くない状態。
人格的死亡
意識がなく、社会的な生活や文化的な活動を営む見込みが(将来も)ない状態。
映像的主張
脳死は人の死であるという主張のために腐った脳の画像を見せること、あるいは
脳死は人の死でないという主張のためにラザロ徴候の画像を見せること、
姑息的延命
機器の使用によって脳死者の呼吸等を保つこと、あるいは
臓器移植を行うことなど、一時的に延命できても後に短期間で死亡することになる可能性が高い措置
臓器利用主義
他の人が助かるならば(強制はしないにしても)臓器を提供するのは望ましいとする立場
直感的忌避
(医療関係者や移植の当事者以外の)一般人が宗教や倫理観による明確な根拠は持たないが臓器移植を何となく嫌がること
232 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:23:05
保留主義
脳死の議論は臓器移植の件数の増加を図る患者団体・移植関係者が推進しているものであり、
人の死の定義など本来は急いで決めなくてもよい無用なものであり、
まずは臓器移植ありきの現状を論点とすべきであるという立場
デフォルト容認制
臓器移植を否定する意思の何らかの証明が無い限りその人は臓器移植の潜在的なドナーとみなされるという制度
デフォルト否認制
臓器移植を容認する意思の何らかの証明が無い限りその人は何があっても臓器移植のドナーとはみなされないいう制度
リベラリズム
尊厳死や臓器移植を本人(や家族)が同意する限り容認しようとする立場
モラリズム
倫理的な問題が解決しない限り(たとえ当事者が望んでいても)尊厳死や臓器移植を認めない立場
233 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:40:57
いわゆる人の死を上で挙げた身体的死亡と同一視する場合には臓器移植は不可能である。
移植する臓器も死んでいるためである。
よって臓器移植を行うにはそれ以外の死の条件を立てねばならない。それが人格的死亡である。
人の死の定義を「精神」とか「意識」とかがある状態と定義すれば
意識はないが臓器はまだ壊死していない状態で臓器を取り出す余地がある。
精神や意識を司っているのは主に脳であるから、脳死=精神の死亡という図式が成り立ち
脳死を以って臓器を取れる/取れないの境界を引くことができる。
人格的死亡を人の死と定義するのは純粋に哲学的な議論の結果ではなく臓器移植を行うためである。
まず哲学的には
「なぜ脳死を人の死と決める必要があるんですか?
人の死なんて重要な問題をそんなに急がなくてもいいじゃないですか?
そもそもどうしてそういう議論をするんですか?」という前提そのものに対する疑問を立ててもおかしくないのに
このスレでそういう内容のレスがないのは実利上の問題があるからである。
234 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:43:13
235 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:46:47
生と全細胞死の間にポイント・オブ・ノー・リターンが存在する。脳死はこれを
超えた状態の一候補である。ただし、心臓死と異なり、概念上はこのような死が
存在しても社会的に死とするには大きな問題がある。
社会的な死として妥当とするには一般に次のような条件が必要である。
@判断基準や判断方法が簡単で誰にでも分かること。
(助かる者を死亡したと間違えないためや、不正を防止するために必要である)
Aその状態から時を移さず確実に全細胞死へと進んでゆくこと。
(助かる可能性がないことが誰にでも分かるということ)
B医学の進歩があったとしても現在も未来も助からない状態であること。
脳死は少なくとも@を満たさず、臓器移植を行う場合にはAをも満たさない。
脳死と紛らわしい状態が存在し、例外規定があるなど、善意の者だけが判定をする
ことにしても判断ミスを招き兼ねない状態が多々ある。これは決して杞憂ではなく
日本でも過去に和田移植の問題が起こった。移植先進国では医学的なものではなく、社会状況による脳死まであるようだ。仮に脳死がポイント・オブ・ノー・リターン
を間違いなく過ぎているとしても、だからといって社会的な死として妥当という
ことにはならないのである。
236 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 20:02:57
脳死は人の死かどうか問題になるのは臓器移植のためである。
臓器移植を行わないのであれば延命してもしなくてもいずれ死ぬ。多少の時間差でしかない。
脳死―全細胞死までの期間をひとくくりにして長い臨終と考えればよく、従来のままで死の定義を持ち出す必要はない。
それがそうはいかないのは何故か?臓器を取れるか取れないかの問題があるからである。
237 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 20:13:40
臓器を移植すれば(ドナーの本体が死んでも)自分の一部が生き延びることになる、
よってドナーにとっても臓器移植はうまい話である、
というのはウソである。
臓器を移植すると免疫を抑制する措置が行われる。これは臓器を排除しようとする体の働きを抑えるためである。
レシピエントの体の中で臓器が生きられる、という言葉には(ただし強引に押さえつけて)という文言が隠されている。
また拒絶反応が無いとしても時間が経てば細胞が入れ替わるので自分の細胞は近いうちに消失する。
238 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 20:22:58
>>237 嘘はいかんなあ。
ヘンなこと言ってスレのレベルを落とさないでね。
239 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 20:27:50
>>238 愚レスは知者を招く。
>>237がウソであることを知っている人がこのスレを見ていることが判明したのだから
流れとしてそれに対して良レスをせざるをえない。「嘘はいかんなあ」で終わったのでは
ただの書き逃げと思われる可能性が高い。
愚レスはスレのレベルを落とすのではなくむしろ上げるといえよう。
240 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/03(火) 22:40:12
>>235 自発呼吸の停止というのは簡単誰にでも分かる条件である
呼吸器を外せば当然のことながら速やかに全細胞死に至る
癌の治療を止めてペインコントロールのみにするのと何が違う?
241 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/03(火) 22:44:24
>>237 >レシピエントの体の中で臓器が生きられる、という言葉には(ただし強引に押さえつけて)という文言が隠されている。
ドナーの臓器を排斥しようとする働きを強引に押さえつけて
の間違いだろ
それから、置き換わっても元の細胞よりの複製だから、ドナーの細胞には変わりない
今のお前さんと1歳の頃のお前さんは別の人間か?
242 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/03(火) 22:46:45
>>233 私は以前より脳死が人の死でもいいというスタンスで話をしている
言わばスレタイに対するアンチだな
243 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 00:34:01
>>240 自発呼吸がなければ死であるという基準はない。
自ら脳死判定が素人には分かりにくいという例を挙げて何が言いたいのか?
244 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/04(水) 00:41:03
ところでこのスレで今まで何度も、脳死においての法のグレーゾーンが引き起こす問題などといわれているけど…
今までほとんど例もあがってないよね?
だいぶ上のほうで妊婦云々があったっきり具体例でてないけど、本当にあるのか?
>>221では「遺産が絡むと厄介な事に発展しそうです」なんて言ってるが、どう厄介になるのかあがってこない
次から使うときは、反論されない具体例を挙げてほしい
245 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/04(水) 00:49:02
>>243 脳死判定の基準として自発呼吸の停止というものがあるのは分かるね?
じゃあ国語の勉強だ「息を引き取った」この語彙の意味は?
246 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 02:50:06
>>214 >>229 そのニュアンスは現場の実態と全く異なる。
患者の親しい者も含めて現場の人間は、脳死という臓器の死に直面して、
二人称の死(看とる者にとっての患者の死)はもちろんのこと、
三人称の死(医学的な個体死)さえも未だ訪れていないことを強烈に実感する。
人の死が隠蔽される社会だから「鈍い奴」が量産される。
247 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 03:08:55
>>244 節穴か、オマイの目は。
自分の脳内情報だけしか理解できないのだな。
少なくとも具体例が3つは挙がっているというのに。
>>245 死んでいるならば自発呼吸がない は正しくても、
自発呼吸がなければ死んでいる は正しくない。
自発呼吸の停止は複数ある脳死条件の1つに過ぎない。
1つの条件を満たせば脳死であるとはいえない。
全ての条件を満たして初めて脳死であると判定される。
論理の基本も知らないのだな。
248 :
昼休みな茶菓子:2007/04/04(水) 13:19:33
どこに反論されてない形で具体的に書いてある?
あるならそのレス番と引用を用いて書いてくれ
249 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/04(水) 20:55:27
>>247 前半
早々にレス番と引用を頼むな
「3つは挙がっている」で終わったのではただの書き逃げと思われる可能性が高い。
後半
@脳死による自発呼吸の停止は、誰にでも簡単に分かる
A自発呼吸停止により速やかに全細胞死に至る
B脳死は医学の進歩があったとしても現在も未来も助からない状態である
>>235まで続く流れを遡って読み返してみな
250 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 21:27:23
>>242 >脳死が人の死でもいいというスタンスで話をしている
脳死になった場合、
延命措置を取らなければ全細胞死まで大してかからない。
延命措置を取ったとしても長くて数年だろう。
脳死を人の死としようが、全細胞死を人の死としようが、早晩同じことになる。
死の定義など実質的には(臓器移植を問題にしないかぎり)どちらでもよいことだろう。
・臓器移植以外に脳死を人の死としなければならない理由はあるのか?
これを論点としたい。
上の方のレスを見ると茶菓子氏は安楽死・尊厳死に賛成する立場だと見える。
そこから考えるに安楽死を正当化するために脳死を人の死としようとしているのだろうか。
脳死が人の死でないとすれば、安楽死は生きている脳死者の死亡(全細胞死)を早めることになり、安楽死=殺人となりうる。
しかし脳死者は死人であるから呼吸器を外そうが何をしようが人道上の問題にはならない、
むしろ遺族の経済的な負担などを考えて同意があるならば積極的に安楽死させるべきだ、とする立場なのだろうか。
例えば
>>93 >脳死が人の死かどうかは本人及び家族が決めるべき問題だと思うぞ
>個人的には尊厳死どころか、場合によっては本人が望んでの安楽死も認めてもよいと思っている
251 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/04(水) 22:32:25
>>250 >脳死を人の死としようが、全細胞死を人の死としようが、早晩同じことになる。
>死の定義など実質的には(臓器移植を問題にしないかぎり)どちらでもよいことだろう。
この2行からは悪意が感じられるね
1行目・そこまで乱暴には言っていないよ、それを言い始めたら
>>230を支持する事になるだろ、そこまで阿呆じゃない
2行目・「実質的にどちらでもよいことだろう」ではなく「どちらをとっても異論は出るなら、本人・家族に選ばせるべきだ」
>上の方のレスを見ると茶菓子氏は安楽死・尊厳死に賛成する立場だと見える。
それどころか場合によっては自殺も擁護する立場だ
手は貸さないし積極的に薦めもしないが、自殺者を非難する奴を叩く立場だ
>そこから考えるに安楽死を正当化するために脳死を人の死としようとしているのだろうか。
そこまで単純じゃない
脳死を認める程度で安楽死が正当化されるほど現在の世の中は単純じゃないね
脳死に比べれば安楽死の法制化なんて夢のまた夢だ
俺は次に述べるような理由により選択肢を狭めたくないだけだ
>・臓器移植以外に脳死を人の死としなければならない理由はあるのか?
逆に聞くが、本人・家族とも望んでいて、それでも治療の中止ができない理由はあるのか?
自殺すらできない体になった奴に、苦しみながら生きろと言う権利が他人にあるのか?
>どちらをとっても異論は出るなら、本人・家族に選ばせるべきだ
>逆に聞くが、本人・家族とも望んでいて、それでも治療の中止ができない理由はあるのか?
>自殺すらできない体になった奴に、苦しみながら生きろと言う権利が他人にあるのか?
この文には「本人(あるいは親族などの当事者)が望むことは聞き入れるべきだ」という思想が見られる。
・当事者が安楽死(なり自殺なり)を望んでいる
・当事者の望むことは聞き入れるべきである
・当事者が望むならば安楽死(自殺)は容認される
暗に上のようなこと前提としているのだろう。
これを「リベラリズム」と呼びたい。リベラルとは自由なという意味で、当事者の自由な選択を至上とする立場をいう。
さてスレタイから離れてしまうが安楽死の問題を挙げたい。
・なぜ苦しみながら生きることは悪で苦しまずに死ぬことは善なのか?
安楽死は「苦痛の生<安楽の死」を前提としている。それはなぜなのか?正しいのか?
「苦痛=悪」というのは常識的な考えだろう。
一方で「死=悪、生=善」というのも常識的な考えだろう。
延命に苦痛を伴うということは(一時的にしろ)生きられる=善と苦痛を伴う=悪となって善悪が衝突する形になる。
同じく安楽死を行うということは死ぬ=悪と苦痛がない=善となって善悪が衝突する形になる。
苦痛がなく生きられるのが最善、苦痛を伴って死ぬのが最悪というのは
安楽死に反対する人も賛成する人も認めるところだろうが、もしどちらかが欠けたら?
+と−が優るのか?それとも−と+が優るのか?これは自明ではない。
これに対する一つの答えとして、寿命=快楽あるいは苦痛をもたらす時間とする方法がある。
長生きすればその分楽しいことがあるから早死にするより人生の快楽の総量がより多くなる、
快楽の量は多いほうがよい、よって長生きできるのはよいことだ、という理屈だ。
延命によって余分にn年生きられるとし、その延命に伴う苦痛の量(年平均)をbとし、
延命している間に得られる快楽(年平均)をaと略すると、
延命による快楽の総量はa×n−b×n=(a−b)×nと表される。
延命を決断する時までの人生の快楽の総量+(a−b)×n=延命を行ってから死ぬまでの快楽の総量
b>aの場合、延命をしない場合の快楽の総量(これは延命を決断する時までの人生の快楽の総量に等しい)よりも
延命をした場合の快楽の総量が少なくなる。
延命の措置は大きな苦痛を伴う。一方で延命したことで得られる快楽は少ないと思われる。
よってb>aであり、延命をしないほうが人生の快楽の総量が多いことになり、延命をしないほうがのぞましい、となる。
もう一つの答えとして、苦痛=死の近さとする方法がある。
そもそも苦痛とは何か?痛みに耐える心の状態だ。では痛みとは何か?
心身が損なわれるときに生じる感覚だ。
心身が損なわれる程度が大きいほど苦痛も大きい。
血が一適出る痛みよりも血が噴出す痛みのほうが大きい。
ここまでは常識的だと思う。
ここから論理を飛躍させて、
・心身が損なわれる程度が大きいほど苦痛も大きい
・心身が最も損なわれた状態とは死である
・よって死の苦痛は最大である
とする。そうすると、
・死の苦痛は最大であるので延命の措置による苦痛は死の苦痛よりも軽い
・(医療の役目の一つとして)患者の苦痛を軽減せねばならない
・死は最大の苦痛であるから患者を死なせるのはより苦痛の大きい選択である
とできる。よって安楽死は苦痛を増すことであり、望ましくないということになる。
>>255には詭弁がある。
・心身が最も損なわれた状態とは死である
という「心身が最も損なわれた状態」とは、全細胞死を指していると思われる。
血が一適出る痛みよりも血が噴出す痛みのほうが大きい
の部分は瞬間的な痛みを言っている。
・よって死の苦痛は最大である
この部分は上と同じで瞬間的に最大の痛みがあるように受け取れる。
(非常な爆死は別として)、一瞬で全細胞死になることはない。
全細胞死とは心身が損なわれていった最終的な結果であって、苦痛を伴うのは個々の瞬間だ。
「全細胞死の苦痛」は「一年の貯金額」と等しい誤りを犯している。
「一年の貯金額100万円」というのは「12月26日に100万円を貯金した」という意味でなく、
普通は「1月に○円、2月に○円・・・貯金していって一年で100万円になった」という意味。
「全細胞死の苦痛」は「○秒目に苦痛があり、×秒目に苦痛があり、それを仮に合計すると最大である」という意味。
ある瞬間に何よりも大きな苦痛があるわけではない。
257 :
考える名無しさん:2007/04/05(木) 09:51:57
>>249 自発呼吸の停止と脳死との区別がつかないような輩に、
心臓死と脳死の違いをどうやって分からせることができると思いますか。
最初からハンドル名にエクスキューズを入れているような輩のことです。
これ以上は不可能なほど丁寧に指摘しても その指摘の意味が
分からないのです。放置しか有効な手段はないのでしょうか。
258 :
考える名無しさん:2007/04/05(木) 10:11:35
脳死を人の死とするという意味は臓器移植と臓器ビジネスのためである。
おおよそ、これ以外の目的は考えられない。「いや、ある。」というのなら
どういう目的なのかをはっきりと示して欲しい。
大田分さんは尊厳死や安楽死を持ち出した。しかし、尊厳死を許す許さないと
脳死問題とは全く関係がない。救命目的の治療を続けるか否かの問題でしかない
からだ。尊厳死の結果は心臓死で何ら不都合はない。また、安楽死というのは
人を積極的に死なせることで社会的扱いはより慎重であるべきだし、もちろん、
脳死の扱いとは全く関係がない。
このスレでは臓器移植以外の目的が示されたことはない。であるならば、せめて
臓器移植のコンセプトくらいは示して欲しいのだが 臓器移植を推進するのが
社会的に正しい理由が示されたことがない。
「天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ、我が身さえ富貴ならば・・・」
という発想ではないということくらいは示すべきだろう。
>>251 初めて書き込みます。
私個人の心情として、安楽死、尊厳死、特定の場合における自殺を非難したくはない、という点では
一致すると思うのですが、
「安楽死、尊厳死、自殺者を非難する奴を叩く」ことが、「ある状況におかれた場合には、当人や家族は
安楽死、尊厳死、自殺を選択すべきである」という態度へと反転するのではないか、という疑問があります。
脳死においても、脳死を人の死と認めない奴らは非難されてしかるべきだ、といった態度へ移行してしまわないか?
という疑問が提出されていたように思います。
260 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/05(木) 22:17:17
>>257 脳死の判定の一環として自発呼吸の停止があるのは分かってるよな
そして一般的に自分で呼吸ができない状態ってのは相当重篤だとすぐにでも分かるもの
その状態での脳波の停止、瞳孔の拡散、脊髄反射以外の反応の消失
治る見込みの無い状態であり、家庭医学程度の医療知識を持ったものならその状態が示すものがすぐにでも分かるだろうな
そのような意味で、一番分かりやすい症状の自発呼吸の停止を
>>235へのあてつけで書いたんだがね
261 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/05(木) 22:18:50
>>258 そちらサイドの大田分さんとしては、どうしても脳死で区切りたくないわけね
>救命目的の治療を続けるか否かの問題でしかないからだ。尊厳死の結果は心臓死で何ら不都合はない。
別に「法的には心停止が死で、脳死になったら積極的に延命治療を停止することを選べる」でもこっちは不都合は無いよ
俺の求めているのはそんなメンツじゃなくて実だからな
ただし譲れないのは、「脳死を人の死としても扱う」という社会のコンセンサス
もっと言ってしまえば、「不治の病を苦に安楽死を選んでも非難されない」という社会
故に哲学的な人の死の基準を譲るつもりは無い
現実の社会は、語れない死者に対して冷たすぎる
自殺者に対して「生きていれば楽しい事だってある」なんて事を平気で言う
死にたくなった者の心など知らずに、平気で最も辛い言葉を投げかける
脳死とは、自分で動けない状態でも「このようになってまで生きていたくはない」という意思が通る数少ない例
それ故に譲れないね
262 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/05(木) 22:35:42
>>259 >「安楽死、尊厳死、自殺者を非難する奴を叩く」ことが、「ある状況におかれた場合には、当人や家族は
>安楽死、尊厳死、自殺を選択すべきである」という態度へと反転するのではないか、という疑問があります。
その可能性は無いとは言えませんが、現時点では将来的にもそうなる可能性は低いと思いますね
当人や家族が望んでいないそれらの死は、社会による殺人となるからです
自らの責によらない社会による殺人というのは、基本的に先進国では奨励されません
なぜなら自らの責によるもの(死刑囚)ですら賛否が分かれているのが現状だからです
263 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/05(木) 22:39:21
>>253 まずはこれに答えてくれ
本人・家族とも望んでいて、それでも治療の中止ができない理由はあるのか?
自殺すらできない体になった奴に、苦しみながら生きろと言う権利が他人にあるのか?
善だの悪だの評価する事に意味はあるのか?
264 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 01:04:03
>>263 >本人・家族とも望んでいて、それでも治療の中止ができない理由はあるのか?
>自殺すらできない体になった奴に、苦しみながら生きろと言う権利が他人にあるのか?
茶菓子氏は「当事者が望んでいれば何でも容認される」という前提で物を話していると思われる。
・当事者が望んでいることは何でも容認される
・本人・家族が安楽死を望んでいる(場合には)
・安楽死は容認される
という論法を暗黙に行っている。
そうでなければ「〜望んでいて、それでも〜」という文のつなぎ方をすることはない。
その前提自体が論点であると思われる。
「なぜ当事者が望めば安楽死が容認されるのか?」と伺いたい。
何でもじゃないよ。
だから事故とかでぼろ切れみたいになって、ベッドから起きれない状態になって、
脳死前に本人が「脳死したら安楽死に切り替えて下さい」って医者に言う、家族も同意してる、
その場合にでも医者は延命治療をするの?それっておかしくない?
てことを聞いてるんでそ
266 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 10:36:01
いくら馬鹿とはいえ ここまで馬鹿とは思いませんでした。
いいえ 本当は分かっていました。
専門家でさえ脳死どころか自発呼吸があるかどうかを確かめることさえ
難しいのです。そうでなければ複数回の無呼吸テストなんて必要がありません。
それでも脳死判定なんかド素人にも簡単だと言い張るんですね。
それから、そもそも尊厳死は脳死に関係がありません。助からない状態に
なれば無駄な救命治療をしないということであって、尊厳死を認めるならば、
脳死でなくとも人工呼吸器をはずしたり始めからつけないという選択もある
ということなのです。どこで脳死判定が必要なのでしょう。
脳死を人の死と認めるのなら、その状態からの安楽死ということもあり得ません。
「あんなになってまで生きていたくない。」当事者以外の台詞ですね。
例え自分のことであっても、そんなことを言うのは当事者ではないときです。
そもそも脳死者が死にたいなどと思うはずがありません。脳死で死を望むのは
あくまでも自分以外の他人なのです。誰かが望めば人を死なせても良いと
考える人は それがどのように悪用されうるのか等についてあまりにも考えが
浅すぎると思います。
267 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 13:15:00
>だから事故とかでぼろ切れみたいになって、ベッドから起きれない状態になって、
>脳死前に本人が「脳死したら安楽死に切り替えて下さい」って医者に言う、家族も同意してる、
>その場合にでも医者は延命治療をするの?それっておかしくない?
「なぜぼろ切れみたいになったら早く楽にさせるほうがよいといえるのか?」
という問題が残る。
「苦痛が甚大だから」という理由は「でも死なせるじゃん殺すじゃん」という理由で相殺される。
苦しませたくないというのは常識的に認められるだろう。
一方で人を死なせないというのも常識的に認められるだろう。
さてどちらが優先されるのか?それはなぜなのか?という問題が決着していない。
また「本人や家族が望んでいるからそうさせればよい」という意見に対しては
「なぜ望んでいれば認められるのか?」という問題が残る。
職業の選択の場合は「なぜ職業を選択する自由があるほうがのぞましいといえるのか?」という問いに対して
「本人は自分がこの職業に適しているか否かよく分かっているはずだからその意思を尊重したほうがよい結果になる可能性が高い」
と答えうる。しかし安楽死・尊厳死の場合はこれは通用しない。
「なぜ安楽死を選択する自由があるほうが望ましいといえるのか?」
「本人は自分が安楽死をしたほうがよいかどうかよく分かっているはずだからその意思を尊重したほうがよ結果になる可能性が高い」
「自分が安楽死をしたほうがよいかどうかよく分かっている」というのは
「自分は安楽死をすべき場合に該当するかどうかを知っている」ということであり、
それには「安楽死をすべき場合とはどんな場合か」を知っていることが必要である。
では現に患者は「安楽死をすべき場合」を知っているだろうか?否。
職業の選択の場合は
「俺は偏屈な性格で人付き合いに問題があるから外回りの営業には向かない」とか
「虚弱体質だからスポーツ選手には向かない」のように妥当な理由を提示できるが、
安楽死の場合はそのような理由を提示しえていない。
本人も(安楽死「したい」とか「しよう」とは思っていても)安楽死を「すべき」かどうかは分かっていない。
268 :
259:2007/04/06(金) 13:57:30
>>262 本当に可能性は低いのでしょうか?
上の方で少し出ていますが、例えば医療費。
将来、「あのような状態の人間に公金を使うべきではない」といった意見が大勢を占め、金銭的に
余裕のない人物、家族は事実上、選択肢など無い状況に置かれる、といったことは充分に考え
られるように私には思われます。
また、政府の財源が無限ではない以上、政策的にもどこかで線引きをしなければなりません。
269 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 16:41:12
尊厳死を選択する自由を認め法定する。
自然権に内包される基本的人権の一部と認めれば
尊厳死を受益権と認めざるを得ない。
270 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 16:42:35
>>262 自殺は自然権だろ
「このようになってまで生きていたくはない」という
意思が通る数少ない例だ
271 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 17:51:24
意識不明と脳死ってどう違うの
272 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 20:12:12
自発呼吸の有無でさえ確認が困難って本当なの?
ダイバーとか救命士の人とかやってるよね
尊厳死と脳死って少なからず関わってくると思うけど?
じゃあ医療従事者が決断する「助からない段階」ってどこよ
まだ法律はないけど「こんな状態で生きたくない」と思うのは
脳死前なら当事者でも可能じゃ?
>「苦痛が甚大だから」という理由は「でも死なせるじゃん殺すじゃん」という理由で相殺
それ誰が考えた理屈?そう考えないと馬鹿だとでも?
273 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/06(金) 21:24:21
>>264 聞いているのはこっちなんだけどな
他人に「苦しみながら生きろ」と言う権利はあるの?
274 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/06(金) 21:25:26
>>266 前提としていっておくが
>>235への反論として書いてるんだよ
>判断基準や判断方法が簡単で誰にでも分かること。
と書いてある以上、一般人まで全て含めてだろ?
その上で一般人にとっては心停止も呼吸停止も同等に重篤に違いは無いということだ
では医者にとってはどうだ?
呼吸停止の原因を調べ、脳死という事が分かるまで踏み込める
では脳死による呼吸停止は治療できるか?
それこそポイント・オブ・ノー・リターンだろ?
それに分かりにくいのは心臓死の場合も一緒なんだよ
心停止の理由が触診だけで分かる医者は居ない
心マも、止まったら何でもやりゃいいってもんじゃない、内臓出血の有無や既往歴によっては逆効果になりかねない
聞くが、心停止よりどの位したら死亡なんだ?
相当上のほうで奇跡を引き合いに出されたんで、こっちも出してみるが
http://b.hatena.ne.jp/entry/2096057 こんな例もある
これを見てお前らは腐るまで心臓マッサージ続けるのか?
275 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 21:37:29
会話が成立してない
276 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/06(金) 21:40:44
>>267 「いっそ殺してくれ」というような状態になったことが無いんだろうな
まぁ、たぶん学生だから仕方ないか…
「いっそ殺してください」と他人から言われた事が無いんだろうな
ま、普通無いか
で、その状態を知らない奴が、その状態になった奴を論う事ができるの?
>では現に患者は「安楽死をすべき場合」を知っているだろうか?否。
こんな事を書く人がそんなわけは無いよね
277 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/06(金) 21:51:54
>>268 低いでしょうね
多額の自己負担をしてまで保険外の医療を受けたがる人は居ます
そんな人が多い限りは可能性は低いと言わざるを得ません
みんなが私のような考えとは思えませんから
現にあなた方は反対なのでしょう?
保険で補填されるかどうかは別問題でしょう
老人医療費などを見ればすでに締め付けはあります
しかも明らかに生命の危機とは直結しないものに(一番よく分かるのはハゲ)保険を適応したり
生命の危機に直結するものに難病指定をしなかったりと、やっている事はグチャグチャです
>余裕のない人物、家族は事実上、選択肢など無い状況に置かれる、といったことは充分に考え
>られるように私には思われます。
これは現時点でもありますよ
脳死になったからといって只で診てくれるわけじゃない
生活保護受給者ですら、入院時の生活品費は自己負担(まぁ保護でこれも払う事になるが)です
金が無くて診察できない老人も居ます
脳死が特別という事じゃないんですよ
278 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 22:21:08
能力があって、やる気もある。
能力はあるが、やる気はない。
能力もなく、やる気もない。
能力はないが、やる気はある。←もっとも厄介なのが、これ。
279 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/06(金) 22:46:59
ところで、前々から気になることがあるんだが
どうも菜食スレから流れてきている人間が居るようだが
実際のところどうよ?
280 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 23:55:08
>>276 一般に質問を受けた場合、
(1)質問に答える (2)質問の意図、前提を問う (3)質問自体を拒否する の三つがある。
あなたは東京人ですか?埼玉人ですか?どちらか答えてください。という質問に対して
「はい、東京出身です。」と答えるのは(1)、
「あのー、何で東京と埼玉しか選択肢がないんでしょうか?(他の地方の人はどうすればいいのか)」と答えるのは(2)、
「身元調査お断り!」というのは(3)である。
(2)を述べた人に対して「聞いているのはこちらのほうです、東京と埼玉どちらに住んでいますか?」と聞いてもしょうがない。
さて、私はある人から「他人に苦しみながら生きろと言う権利はあるの?」 という質問を受けた。
そこで「その言葉は当事者が望めば他人は文句をいう権利がないという主張を前提に含んでますよね?それってどうなんですか?」
という趣旨のことを聞いた。これは(2)に当たる。
しかしそれに対して「聞いているのはこっちなんだけどな」と詰め寄られても答えようがない。
仮に答えた場合以下のように話を誘導されると思われる。
(a)
他人に苦しみながら生きろと言う権利はあるの?
是。
まあ、他人の気持ちの分からない奴に聞いてもしょうがないか。
(b)
他人に苦しみながら生きろと言う権利はあるの?
否。
じゃあ安楽死を否定するなよ。こんな事を書く奴が議論する資格は無いよね。
281 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/07(土) 00:22:31
>>280 >「その言葉は当事者が望めば他人は文句をいう権利がないという主張を前提に含んでますよね?それってどうなんですか?」
>>265が代弁してくれて分かってる、それが前提で話が進んでいると思ったけどな
他者に過酷な状況を許容しろという権利があるのかと問うている
それに対しての答えにはなっていないだろ
問いに対して自分の考えを明確にせず問いで返している
その割には
>本人も(安楽死「したい」とか「しよう」とは思っていても)安楽死を「すべき」かどうかは分かっていない。
などと書く
物事が明確に「〜すべき」と分かっている事など、人生でどの程度あるんだ?
年を重ね、過去を振り返れば振り返るほど「〜すべき」などと明確に言えなくなる
人生は「しよう」の積み重ねであり、「〜すべきだったかもしれない」の積み重ねだ
自らの責は自らの選択によって負う物であり、自らの利は自らの選択によって得るものだ
カウンセリングの基本として相手に「〜しなさい」と言ってはいけないという物がある
相手の人生の全てを背負い、全ての責任を負う覚悟が無い限りは他者に「〜しなさい」と道を指し示してはならないと
相手の苦痛を全て自分の責任とするだけの覚悟が、「それでも生きろ」という他者にあるのか?
282 :
茶菓子 ◆/9B511ajPg :2007/04/07(土) 00:28:41
>>280 ちなみに、「他人に苦しみながら生きろと言う権利はあるの? 」
に対して是と答えた場合、そんな程度では終わらせないよ
なぜその権利があるのかをきっちり説明してもらう
なぜならそここそが安楽死や尊厳死を議論する根幹だからだ
283 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 00:57:32
あ〜あ
はやく安楽死同意書出来ないかな〜
>それに対しての答えにはなっていないだろ
>問いに対して自分の考えを明確にせず問いで返している
語弊が多く、申し訳ない。
>他者に過酷な状況を許容しろという権利があるのかと
権利があるとは可能であるということである。可能であるというのは(この場合は)許可されているという意味である。
「〜という権利があるか」というのは「〜ということが許されているか」と言い換えられる。
そして許可の根拠になるのは倫理である。
「過酷な状況を許容しろという権利がある」とは「倫理的には過酷な状況を許容しろというのが正しい」ということに帰着する。
これを踏まえて「権利は有るとも無いともいえない」と答えたい。今のところ安楽死が正しいか誤りか決着していない。
安楽死が正しいと結論されれば安楽死を非難する余地はないので
安楽死をするな、過酷な状況でも生きろ、それが正しいのだからと言う余地もない。
安楽死が誤りであると結論されれば安楽死を擁護する余地はないので
ボロボロになっていっそ殺してと哀願されたら死なせてやろう、それが正しいのだからと言う余地もない。
しかしそうではないので上の問いに対して断言しえない。私が一挙にこの議論に是非をくだせればよいがそれは全くのぞむべくもない。
今まで茶菓子氏が言ってきたのは「過酷な苦痛に耐えてまで延命するのはおかしくないか?」という問題だけである。
これは
(1)耐えがたい苦痛は忍びない
(2)本人も家族も望んでいる
(3)延命するのはおかしくないか?(=安楽死を容認すべきだ、と暗示している)
という三つの要素からなるが(1),(2)と(3)の脈絡が自明でない。
求められるのは安楽死が正しいか否かの理由であって
「当事者が望んでいるから安楽死を認めるべきだ、それを認めないのは酷薄な奴だ」という一方的な主張とか
学生だから分からないよな、といった誹謗めいた言葉ではない。(二重投稿になった場合は申し訳ない)
尊厳死とか安楽死って普通の自殺とは違って人が関わるから問題になるんだよね
しかも、いざという時に生命維持装置の電源をきるのは医者なんでしょ?
当事者にいくら権利権利言われても
人の死に直接手を下す事への生理的嫌悪感もあるしさ
名前も顔も割れてる状態で死刑執行人と同じような暗い仕事はしたくないんじゃないの
あとで裁判に巻き込まれかねないし本当にリスク高いよ
286 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 11:22:13
>>274 頓珍漢を通り過ぎて 意味さえ不明ですね。
「自発呼吸の有無を確認するのは医者にとってさえ易しくない。」という
内容に対して「いや易しいはずだ。」とあなたは言うのでしょう。
ならばどうして無呼吸テストは複数回と定められているのか その理由を
自発呼吸がないことを判断するのは素人にもできるということと矛盾しない
内容で述べなければなりません。脳死脳死脳死は死んでると叫んでも
説明にはなっていません。
こちらは一つ、自発呼吸の有無を確認するのが難しい例として
カレン・アン・クインランの例を出しておきます。
彼女の担当医たちはよほどの藪だったていうのがあなたの主張になるはずですよね。
287 :
259:2007/04/07(土) 13:44:48
>>277 >現にあなた方は反対なのでしょう?
いや、賛成ですよ。勿論具体的、個別的な事例においては判断の分かれることもあるでしょう
けれど、基本的な考え方は貴方に賛成です。
安楽死、尊厳死、特定の場合における自殺を批判したくは無いというのは前述の通りであるし、
脳死についての考え方も特に違和はありません。
「ある状況における、死という選択(判断)の消極的な許容」が、「ある状況における、死と
いう選択(判断)の積極的な推進」へと転化してしまわないような言葉遣いや論理を展開でき
ないものだろうか、というのが259での関心事でした。
一応277に。
今でも脳死状態とされている人には、一部金銭的な援助が公金から出ています(健康保険)。
脳死は人の死であるという判断が推し進められることによって、これを打ち切ることが可能
となります。このような問題で脳死が特別な位置を占めているわけではない、という見方には
完全に同意ですが、もし打ち切りという政策が取られるならば、私の目には「積極的な推進」
と映ってしまってどうにも引っかかるんですね。行政が脳死は人の死、例外なしと一律化した
がっているのは法案等の提出過程から明らかですし。
貴方とすれば262、277と同じ言葉を返しておけば足りるでしょう。返答は求めません。何人も
相手するの疲れるでしょうし。
288 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 16:47:22
>>285 >あとで裁判に巻き込まれかねないし本当にリスク高いよ
だから尊厳死の自由選択権を認め、法定する必要があるんだよ。
社会制度上の全ての不具合を回避できる。
法定によって尊厳死も社会規範として慣習されるようになるんだ。
「この人は生身の人間である」という定義の線引きさえ曖昧なんだからねぇ
俺的には、自発的に社会参加出来る状態であれば人間と言える
それ以外は死と断定すべきだと思う
脳幹が生きてるからどうのこうの、やっぱこの人生きてるよ!ていわれると引くね
290 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 17:09:34
>>288 尊厳死の自由選択権というのはおかしいのではないか。
尊厳死させるなら、個人の選択にまかせず、国民全員を等しく
尊厳死の対象にしないといけないと思う。
他人である医者が、患者各個人の思想信条に沿って、この人の生は
ここまで、この人の生はもっと長くてここまでと判断を左右されるのは、
科学的ではないだろう。自由選択という考えが胡散臭い。
自殺は個人の勝手だから勝手にやったらいいが、尊厳死は他人の殺人
行為が介入するから、そういういい加減なのが入り込んじゃ
良くないだろう。
291 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 17:34:05
>290
選択権があるのは本人に限定し、国民全員等しく選択権を認める。
本人が事前親告した場合の権利だよ。
292 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 18:06:27
>>289 >俺的には、自発的に社会参加出来る状態であれば人間と言える
それは人間を機能で定義しているのであって知的障害者や胎児まで人間で無いとしてしまうという問題を抱える。
「壊れた機械は機械ではない」という文を考えてみよう。
この文は正しいか?答えは「半分正しく半分誤り」。
機械というのを「特定の機能を果たす物体」と定義すれば壊れた機械は機能を果たせないので機械ではないといえる。
しかし機械を文字通りに受け取れば壊れた機械も機械だといえる。
これを人間にあてはめてみよう。
「壊れた人間は人間でない」という文は正しいか?答えは「半分正しく半分誤り」。
人間というのを「社会参加という機能を果たすたんぱく質の塊」と定義すれば廃人、知的障害者、胎児、再犯を繰り返す犯罪者などは人間でないといえる。
しかし人間を文字通りに受け取れば壊れた人間も人間だといえる。
「壊れた人間」という言い方が不遜だというのは承知しているのでお許し願いたい。
堕胎問題まで持ち込むのはやめよ〜ぜ 問題をシンプルに考えなきゃ
知的障害者だってNPO法人や小規模作業所で働いて自発的に社会参加してる
それ、スレの流れ的に深く追求する必要はないのでは。
295 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 18:38:29
>>290 選択権というのは、全国民が潜在的に有している権利と言う意味だよ。
意思の表明する自由を認め、選択する権利を本人に認める。
臓器提供を望む「ドナーカード」と同様に、尊厳死を望む人に「尊厳死カード」を認める。
事前に公的機関に届けることを義務づけ、公共機関が「尊厳死カード」を発行するようにする。
ドナーカードを容認して、「尊厳死カード」を認めないのは変だろ。
交通事故などで突発的に脳死に陥っても、「尊厳死カード」保持者は本人の意思が
事前に確認されたとして、延命措置をとらなくてもよいことにすればいい。
「生命維持装置を切るのは医者で、死刑執行人のような暗い仕事をしたくない」
という医師からの不満を解消するためには、「生命維持装置を止めるのは家族とする」と
法で定めておけばいい。本人が事前に家族と話し合い、家族合意のもとで「尊厳死カード」を発行する。
そして家族自らが、本人の意思を尊重して、遺言だと解釈して生命維持装置を止めるんだよ。
296 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 18:52:43
>>295 少し細かい疑問なのだが、家族が生命維持装置を外す事を拒否したら、
家族の意志や拒否権はどうなるのだろうか?もう少し生かしたいという
家族の意志に反して、尊厳死カードを根拠に殺せという義務の方が
強くなるのだろうか?
この人をもう少し生かして上げたいと思う家族に、生命維持装置を
外させるのは酷ではないか?
Aさんがバイク事故で脊髄損傷、陥没骨折のため大脳も破壊されて病院に運ばれ、手術の結果脳死状態に。
担当医に尊厳死カードの発行同意書へサインするように勧められる
勧められるのは家族
厄介なのはこのパターン
医療保険に入る時に尊厳死カード発行するかしないか決めさせればいいのか
でもそれって。まだ今の段階ではSFチックだな
299 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 19:13:49
>296
俺個人的には生命は本人の所有物であるので、本人の意思が優先されるべきだと考えている。
家族が患者の生命を所有しているわけではないだろう。
「尊厳死カード」の発行は、事前に家族の同意がある場合に限るべきだと思う。
カード申請時点で、本人と家族が申し合わせておくわけだよ。
家族と本人の意思に齟齬がある場合は、今まで通り医師が生命維持装置を止めることになるが、
医師による行為は例外規定として定めておけばいい。
もちろん家族が固辞した場合は、実行困難かもしれないが、それはこれからの議論になるな。
尊厳死カードで尊厳死を望む本人て、家族や社会に迷惑をかけたくないという
美意識から望むわけだよね。家族がまだ生かしてくれと言っている場合に、
それでも尊厳死を実行するのは、当初の本人の尊厳死の目的からも外れちゃって
るんじゃないのかな。
>>300 家族に社会に迷惑をかけたくないというのは金銭的なものだろう。
本人らは死んでほしくないと思っている、でも金がかかる。客観的には迷惑になっている。だから死ぬ、と。
感情的な意味の迷惑はないが金銭的な意味の迷惑を考えて尊厳死と。
299は、本人が延命を決めるという自由選択権を一番大事にしているんだ
よね。でも本人が、尊厳死が実行されてないからと訴訟を起こす
わけにはいかない。そうなると現実には病院側と家族の間の問題が
大きくなる。尊厳死カードの存在によって、医師が刑事責任を問われな
くなっても、家族と病院側の間でトラブルが発生するかもしれ
ないよね。老婆が、若い時は勢いで思い切ったけどやはり息子を生かし
てあげてくださいと泣いて頼んで来て、それでも尊厳死を実行したら
倫理的に問題あるように思うんだけど。
高額医療費の免除を受けると、免除分はどこから出るんだっけ
304 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 16:29:12
本人の意思が優先される社会制度になるべきだよ。
生命の所有者は本人なのだから。
尊厳死を基本的人権の一部と認め、尊厳死を潜在的な受益権と認めるべきだと考えている。
もちろん現実には、トラブルを解消するために尊厳死の実行を
家族の同意がある場合に限るべきだと思う。
>本人の意思が優先される社会制度になるべきだよ。
>生命の所有者は本人なのだから。
そうだと思いますが、生命の場合、どこまで優先されるのでしょうか?
たとえば、本人の意思を優先して自殺幇助するのは許されていませ
んよね。本人は死にたいと思って自殺を図っても、救急隊員や医師は、
自殺未遂者の人命を救う義務があります。本人の意思が優先される
社会では、医者は自殺未遂者の人命を救う義務が無くなるのでしょうか。
自殺を考えている人に、家族や精神科医が、本人の意思を尊重して自殺
を許してやっても良いのでしょうか。
尊厳死については(意識のある時の)本人の意思もありますが、
周囲の人が、こうなったら延命治療を停止して上げた方がいいよと
考えるか考えないかの問題も大きいと思いますね。
ですから、個人の意思というレベルではなく、どこからが死なのか、
国民全体の意識の問題だと思います。
「まあ俺が坊主なら念仏を唱えてやったかも知れんがね でも俺は医者なのさ」
「手当もせずにほったらかしの傷口を見るのはガマンならんのだっ」
〜ブラックジャックより
307 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 21:30:25
>>306 ぶっちゃけ一漫画家の思想に過ぎないブラックジャックはあまり参考にならんだろう。
308 :
考える名無しさん:2007/04/09(月) 19:03:29
脳死を人の死とするのが妥当かどうかと 尊厳死、安楽死、自殺とは
全く別の問題です。
これを社会が許容するということは、前者では客観的に完全な根拠を必要
とする一方、後者ではそれを決定する根拠は主観的なものに過ぎないので
畢竟「死にたければどうぞ。」ということにしかならないからです。
また、脳死を死と決めれば脳死体を誰かが刃物で刺しても殺人罪は生じ得ません。
たとえ社会が許容することに決めたとしても 尊厳死、安楽死、自殺をしようと
している人を刺し殺せば殺人罪になります。
このように全く別の事柄ですから混同しないようにお願いします。
309 :
考える名無しさん:2007/04/10(火) 20:11:35
俺なんか脳死ではないと思うけど、とっくに心は死んじゃってるよ
310 :
考える名無しさん:2007/04/13(金) 01:01:56
笑ってもらってもいいけどね。
小さいとき、葬式で火葬場に行くときに幽霊を見たんだ。
そのとき、なにかつながっていないか探した。
つながっていないことを確かめて安心した。
もし、つながっているものがあったら、火葬をするのは
明日にしてくれと必死で止めただろうと思う。
僕が脳死状態になったら、一週間ほどはそのまま寝かせておいてもらいたい。
その間に心の準備をするから、その後の延命装置はしなくていいと思う。
そして、心拍停止から一日か二日過ぎてから焼いてもらいたい。
臓器移植はごめんなさい。
今日のNスペ見ましたか? >>ALL
茶菓子は性格は良いけど頭が悪い
あ
314 :
考える名無しさん:2007/07/12(木) 20:55:37 0
わからない
あ
316 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 19:44:01 0
脳に心があると思ってるからだろ
それは誤解
脳死は死
319 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 10:28:56 0
哲板は脳死状態の奴が多いな
sage
哲学のことはよくわからないけど脳が機能しないなら死ではなくて?
>321
哲学どころか何も分かってない。
脊髄反射でレスするお前と脳死者とどう違うんだ。
ログくらい読め
人の命を救うのは人を人として機能させることを目的としている。
324 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 17:46:24 0
age
325 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 21:45:53 O
身近な人間が脳死になったが、あれはもうどうしようもないと思うよ。
私は、死を死たらしめている特徴は状態の不可逆性だと考える。
そしていまのところ、死んだ脳、特に死んだ中枢神経系を復活させる手段は皆無に等しい。
新たな手段が開発されるとしても数年から十数年はかかるだろうし、
仮に復活しても人格などは全く別人に変わってしまうだろう。
残念だが、あれは生きている肉だ。人としては死んでいるのに等しいと言うしかない。
326 :
考える名無しさん:2008/02/20(水) 23:04:23 0
だから俺が定義したんだよ
327 :
考える名無しさん:2008/02/23(土) 22:35:11 0
>>1
まあ。面倒な常識作ってくれたんだな。
何処の科学者ですか?
そいつら自体熱心なカトリックじゃねえよな?
憲法で脳死=死が認定されないかな
嫁が豚になっても飼うけど、
植物人間でも待つけど、
脳死だったら待てないな。
かといって、「死んでます」って言われても受け入れられないけどな。
呼吸してて死んでますはねえよな。
でも脳死の状態が死ぬまで変わらないならその時点も死だ。
胎児も人間だよ。中絶手術しようとするとおなかの中で暴れまわるんだよ。
アメリカでは選挙の争点になるくらい意識が高い。
精神的に死んでる
330 :
考える名無しさん:2008/03/14(金) 23:49:32 O
>>1 一神教だからとかは下らない偏見だ。アメリカは合理主義が
進み過ぎてるだけだ。両極端なのか知らんが。
脳死判定って刺激に反応があるか否かだけで判断するんだっけか。
コエーよな。そういう死に方。
「ギャー、人殺しぃ!」と叫びたくても声も出せない。
もともと、最大限の慎重さを要求する問題で長らくタブーだったのを
同時テロ体制のドサクサに勢いだけで無理やり浸透させようと
しやがったからな。
生きたままメスで切り刻んでやりたいバカが山ほどいやがる。
麻酔はなしだぞ。
336 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 10:51:18 0
ここも荒らされてる・・・
337 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 11:32:16 0
>>処刑
「ジョニーは戦場へ行った」ねw
脳死についてはこの映画見て泣けば充分だ
338 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 11:37:05 0
|
|
| ~ ̄~κ
|(从从)))ゝ ハァハァ
|!、´Д$ノ| ヽ ココロナシカ
| 丶' ヽ ヒトゴトミタイデスワネ
| / /ヽ
|'ヽ./ / .ヽ
|ヽ__./ ヽ )
| / ζζ
|/
|
|
339 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 23:49:52 0
340 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 23:34:32 0
セックス ピラミッド ミイラ 霊薬 解脱 DNA
DNAは人間が一粒の粉になっていつの日にか復活を果たすのだ
機械は某板では有名人
12 カタストロフィ ◆o3xxs/IIWs 2007/08/22(水) 11:50:54 0
オレは片田舎にあるコンビニの男女混同トイレで
カワイイ女子高生が使った後に駆け込み
便器に頬ずりしたり便器をペロペロ舐め回したことがあるな。
> 反応(アウトプット)はできていなくても言葉などの理解(インプット)
> はできている状態でも「脳死」と判定される。
意識はあるがまったく何の反応もできない状態になったら、
「早く脳死判定して殺してくれ」って思わないかな?
>>1 ル・サンチマン™ が自ら正体を暴露してしまったようだねw
自分が ル・サンチマン™ でも何でもないならこんなスレ立てる必要ないもんね。
ル・サンチマン™ 、あえなく自爆(笑)
俺、もう心が死んでる。
345 :
おはやうございます@浜沼淳です:2009/04/19(日) 11:18:41 0
> 反応(アウトプット)はできていなくても言葉などの理解(インプット)
> はできている状態でも「脳死」と判定される。
京都大学では
聴性脳幹反応がまだある状態では脳死ではないですや。
346 :
考える名無しさん:2009/04/19(日) 11:50:13 0
立花隆の本を読んでわかったこと。
1)我々一般人が「脳死」と聞いてイメージする状態と、
臨床において「脳死」と診断される状態には違いがある。
2)我々一般人が「脳死」と聞いてイメージする状態は、
脳が全く機能しなくなり、回復の可能性がなく、本人の主観的意識も無い状態。
3)臨床における「脳死」と診断される状態は、
「脳死」診断基準にある反応が得られない状態。
しかし、この状態で本当に当人の主観的意識が無いかどうかについては、
学者の間でも意見の相違がある。
2) の状態を人の死と考えることには異論はないが、 3) に状態には疑問がある。
「脳死は人の死か?」という命題の真偽は、「脳死」の定義をどちらにおくかで変わる。
347 :
考える名無しさん:2009/04/19(日) 12:25:52 0
脳がまったく機能しなくても自動心肺装置などの補助で
生き続けることがあるから脳死が問題になんだろ。
348 :
考える名無しさん:2009/04/19(日) 15:22:47 0
その機能停止が不可逆的なものなら、もう死んでる、ってことでいいじゃん。
体だけ機械で生かすことに何の意味があるの?
349 :
考える名無しさん:2009/04/19(日) 16:01:36 0
だから昔はそれがほんとに不可逆かどうか
確認のためお通夜をしてたんだね。
さらに土葬で九相詩絵巻のように完全に死んで
白骨化してから埋葬しなおしていた。
これ「おくりびと」から聞いた話だけどね。
350 :
考える名無しさん:2009/05/26(火) 21:45:52 O
脳死と意識の有無の関係が知りたい
細かく見てるのは担当医なんだから
その医者が決めればいい。
遺族の心内と患者の状態ふまえながら
死を決断すればいいんだよ。
物理的だけの話したら細胞が生きてればいつまでも
休めないだろ。脳死は基本になりそうだが
絶対じゃないってとこだな。
無頭児だ
こんな蛙みたいな子供が生きて何の幸せがある
殺してあげたほうがこの子の為なんだ
>>352 担当医だって人間だし、病院という会社で生きてる以上病院の方針には歯向かえないこともあるだろう。
あってはならないが担当医の主観はあくまでも担当医の主観だけで決定づけられているとはおもえない
もし自分が脳死になったら
延命措置はしてもらいたくないと思う
周りの変なエゴで醜態を晒される方が
俺は嫌だ
356 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:05:40 0
>346
脳死には4つの立場がある。
1. 大脳死
2. 脳幹死
3. 全脳死(大脳死+脳幹死)
4. 全中枢神経死(全脳死+全脊髄死)
日本は「全脳死」の立場を取っている。
日本の脳死判定基準は、世界でも最も厳密な基準を設定している。
脳死とは、脳の不可逆的は機能障害を意味し、脳死はいずれ心臓死を
迎える(1週間には80%、2週間後には90%以上)。心臓死を迎える以前に
脳は融解壊死していく。
脳死は間違いなく「人の死」である。
しかし、心臓が動いているのに、脳死だからご臨終です、と言われても、
急に「死の概念」を変えられるはずもないので、混乱する。
混乱に拍車をかけたのが、臓器移植を前提にした場合だけ脳死は人の死と
した現行の臓器移植法にある。現在の日本には法的には、今まで通りの
心臓死と移植を前提にした脳死という2つの死が存在しているのだ。
科学的に脳死は人の死であっても、社会のコンセンサスがなければ
無理がある。
357 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:08:24 0
日本の厳しい判定基準でも、科学的に脳死を判定できるは
6歳以上と考えられている。6歳未満は脳死の判定は困難であり
間違う可能性がある。
358 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:16:09 0
>346
「言語の理解」は非常に高度な脳機能であり、脳死でなくても
失われることがある。すなわち、脳死と判定されるような状態では
「言語の理解」も「言語の表出」もすでにその機能は失われている。
脳死とは生命維持に必要な神経機能を不可逆に失った状態であり、
身体の重要臓器は自律的に機能できる部分だけでなんとか動いて
いるが、各臓器が連携して機能できないので、それでは生体内の環境
を維持できないため、いずれはすべての臓器は不可逆的に機能を停止
する。だから、脳死は人の死である。
359 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:22:26 0
>349
そのとおりである。
だから医療関係者は、脳死とは不可逆な状態であることを実証して
いかないと、「脳死=人の死」は、なかなかコンセンサスが得られない。
脳死と診断されても、心臓は動いているし、脊髄反射で首から下に
感覚刺激を加えると体を動かす。それでも、どんなに治療しても
それほど長くなく心臓が止まる、ということを知ってもらわないと
「脳死=人の死」は科学的事実であっても社会には受け入れられない。
360 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:25:40 0
脳死という言葉や概念が、臓器移植と対になって世の中に
出てきたことが悲劇だと思うが、もし自分が臓器移植でしか
助からない状態になっても、脳死を否定しますか。
361 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:27:35 O
電源が入るマザーボードがクラッシュしたPCはPCでは無い。
362 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:31:38 0
完全な人工臓器が発明されても、脳だけは人工物には変えられないと
思いませんか?
もし、超小型で高性能のニューロコンピューターで脳の機能を代償
できるようになっても、脳を交換した人間は、元の人間と同じで
しょうか?
自分が自分であることは、自分の頭蓋内にある、たった1つの脳が
あれば実現できる、と私は思います。
長々と書き込み失礼しました。
>>362 多分無理だよ
インプットもアウトプットも無いんじゃ自分を認識する前にパニック起こして程なく発狂するから
364 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 00:58:10 O
脳死も心臓死も、死んでいるか否かの判定基準にすぎません。
人は脳死になったから死ぬわけでも、心臓死になったから死ぬわけでもないのです。
ここに根本的な誤解があり、この誤解から始めるために、脳死を巡る議論は収拾がつかなくなっています。
心臓死について言えば、これを死の判定基準とするのは厳格に言うと間違いですね。
心臓が止まっただけでは、生命体は死にません。心臓の停止、すなわち血流の停止は、死との関係で言うと、むしろその原因になります。
断言できますが、心臓が止まった瞬間の時点では、生命システムのオートポイエーシスは維持されている、つまり、生命体は生きているのです。
心臓が止まった結果として、生命システムはオートポイエーシス維持が不可能になり、死ぬんですね。
では脳死はどうか?こちらは、死との関係で言うと、結果になると言えます。つまり、生命システムがオートポイエーシス維持が不可能になって死んだから、脳死になるんです。
何年間も脳死で寝たきりの子供を機械に繋いで育て続ける母親が、
「この子は少しずつ大きくなってるし、温かい。もっと社会と触れ合いたいと思っているのに…」って言ってた。
本人がどう思ってるかなんて分からないのに。
もしも子供の本心が「もういい加減に死なせてくれ。毎日苦しくて辛くて拷問のようなのに、何も言えないなんて。」
とかだったら…なんて、親はみじんも考えないんだろうな。
それを自己中、エゴと言うんだ。
子供を機械に繋げて育てる母親は、ペットに服着せてる飼い主と同じ。
毛皮という服を着てるペットに更に服を着せるのは、我慢大会をさせてるようなもの。
それを飼い主は「裸でかわいそうだから」とか言ってる。
367 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 07:44:35 0
>>364 ただ、このことを説明しても理解できない人が多いんだな。
心臓死だって人が作った「死」の判定基準でしかない、ということが。
脱線するが、「脳で思考する」という知識が日本にもたらされたのが解体新書の時代。
その知識が一般に流布されたのはさらに先で、明治の末にもそこまでの教育はされていなかった。
西洋では既にヒポクラテスが「脳で思考する」と指摘していた。
日本人が「脳で思考する→脳が一番大事な臓器→脳機能停止=人の死」を
実感として受け入れるようになるには、もう少し時間がかかるんだろうと思う。
368 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 07:59:33 0
付け加えておくと、俺自身は
「脳で思考する→脳が一番大事な臓器→脳機能停止=人の死」
のような簡単な思考の組み立てはしていないけど、
少なくとも今の日本の医療において、
脳の機能停止は人の死と定義してよいと思っている。
369 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 08:37:24 0
臓器提供に付いては細胞を培養する事でケリは付いたみたいだし、
いますぐ脳死者の臓器が必要って自体ではなくなったから、
脳死は人の死としなくてもいいんじゃないかな。
家族の思い入れによって生かされているケースもあるし。
370 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 09:09:56 0
>>臓器提供に付いては細胞を培養する事でケリは付いたみたいだし、
ある種の機能を補完できる可能性ができただけ。
3次元構造を構築できる目処は全くたっていない。
先天性の構造異常が原因の臓器不全は治せない。
心臓の収縮機能は補助できても、拡張機能については目処たたず。 など
再生医療って言葉が悪いんだな。
新しい臓器が再生されるって誤解している人は沢山いる。
371 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 09:18:48 0
>>370 そうなんだ。
それじゃまだまだだね。
で、結局目指す所は、「○年内に完全に機能する臓器を作る」
とか、そういうとこなんでしょ?
そうすると、脳病で床に伏してる人とか家族にドナーの勧誘するなんて悪魔の所作は、
だんだんなくなっていくんじゃないの?
372 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 09:26:42 O
やめね
373 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 09:34:55 0
「○年内に完全に機能する臓器を作る」
細胞を分化させてある種の機能を発揮させる(←今目指しているとこ)ことと、
構造を再構築することは全く別の話。
細胞が分化して構造を再構築なんて、できたとしてもどんだけ時間がかかることか。
胎児の臓器の発生にかかる時間を考えれば分かる話。
治療に間に合うような時間ではない。
だから、機能補助で助けられるような疾患なら
今の再生医療で症状が軽減されるようになるかもしれない。
構造の異常が問題の人をどう助けるか?
機械にしろ、人にしろ、他の生き物にしろ、
どこからか臓器の提供を受けられなければどうしようもない人は残る。
374 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 09:41:32 0
>どこからか臓器の提供を受けられなければどうしようもない人は残る。
その人らってどうなるの?
角膜ならまだしも骨髄だとかってDNA一致させるの大変なんでしょ?
脳死者だけからドナーを募るのっておかしいから国民全員登録しとけって話になるし、
提供を受けられないでモンモンとしてる人は、医学のための人柱?
だったら医学に頼らない生き方をするしかないんじゃないかと。
脳が死んでまで人工心肺だとかで生きながらえようとする欲が醜いよ。
375 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 09:55:14 0
>>374 DNAではなくてHLA。
今研究されている再生医療に取り残される人は、どうなるか。
代替医療の開発は勿論継続するとして、
日本人が脳死移植医療という制度を否定した場合、
たとえば拘束型心筋症であるとか、先天的な構造異常の心疾患の人には、
「もう諦めなさい」と宣告してしまうのか。
うーん、それはあんまりだな、と思いつつ、
ここまで書いて今更ながらスレ違いだったかしら、と反省してたりして。
376 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 10:09:50 0
詳しいね。医療関係の人?
知り合いに1人医大勤務が居るけど。。。
会長のじいさんの意地につき合うのはうんざりだって言ってるよ。
なにがなんでも西洋医学のゴリゴリ機械論で人を直すのがおかしいって。
先天異常の場合は、適当にだましだまし、不快を快に変えていく術を
医者は教えていくべきなんじゃないかな?
最近のレスしか読んでいないが、要するに“死”を急がせよう、ということ
だろう? 早い“死”のほうがビジネスチャンスが増えるという話だろう?
当然、この種の意見はだれかが述べているだろうが。
378 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 16:56:53 0
>377
「脳死=人の死」で死が早くなるわけではないでしょう。
脳じゃなくても、1つでも重要な臓器の機能が不可逆的に障害されれば、ホメオスターシスは維持できなくなり、必ず死が訪れるわけで、じゃあ、どの臓器の機能停止を死の判定基準にしましょうかってこと。
心臓や肺が停止することは、外からみても分かりやすいので、それを死の判定基準にしてきたわけです。それを、急に脳の機能停止を判定基準にしよう!と言われても、脳の機能停止ってどうやってわかるんだい?ってことになる。
379 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 17:04:09 0
そんなことを言っているうちに、臓器移植法の改正案は、「A案」が可決されたようだけど、
「A案」って、家族が同意すれば年齢制限なしに臓器移植を前提に「脳死=人の死」とする、ものですよね?
でも、繰り返しますが、現在の技術では、6歳未満の脳死判定は正確にはできないと言われているはずなのに、
「6歳未満は除く」っていう項目がないのは、影には重症先天性心疾患に対する移植医療がみえているような
気がして、また、脳死判定に関する医学水準が無視されているような気がして、気になるんですが。
380 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 17:10:25 0
>1
・脳死判定後、心臓の鼓動、体温は維持されている
→ 心臓が停止し体温も維持されていなければ、すでに心臓死だから当然でしょう。
・臓器移植時、患者の体から汗が噴出し血圧が上がる(痛みを感じたときと同じ反応)
→ 自律神経反射であり、痛みを感じているとは限らない。
・臓器移植時、患者が暴れることがある(欧米ではモルヒネが使われている)
→ 脊髄反射であり、自発的な運動ではない。
・脳死判定後、何年も生き続けるケースがある
→ ある。しかし、この場合の「生き続ける」は心臓が動いているというだけ。
・脳死判定後、家族の呼びかけに顔を紅潮させるケースがある
→ これも自律神経反射です。
・「脳死判定」基準そのものが「反応」に重きを置いているため
反応(アウトプット)はできていなくても言葉などの理解(インプット)
はできている状態でも「脳死」と判定される。
→ すでに反論済み。
これらを持って科学的にも倫理的にも「脳死=死」概念は否定されたと判断できる。
→ 倫理的に否定された根拠は示されていませんので、提示して下さい。
381 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 20:43:44 0
医業者でない人が医学を持ち出すと福祉用具を使って変態行為に及びますから授業を取らないようにしてください
382 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 10:24:04 O
そもそも臓器移植という治療法が従来から前提している生物機械論的発想では、死は捉えられません。
これで捉えられるのは、生命システムの構造である身体の状態だけです。
これに対して、死は生命システムそのものの消失ですから、科学的手段ではまったく見えないんですね。
これを捉えられるのは、生命システム消失から医者が受ける喪失感という撹乱のみ。
実は臨床診断としての脳死も心臓死も、死そのものには届いていません。
これを踏まえた上で考えると、脳死は死ではないが、脳死体は死体です。なぜなら、脳死体はアロポイエーシス・システムである人工呼吸器に従属しているから。
確かに、細胞システムは脳死状態でもオートポイエーシスを維持しているんですが、生命システムは消失しています。
それでも、酸素と栄養さえ供給されるなら、細胞システムは存続するんですよ。さらに言えば、短時間ならむき出しのままでさえも。
だからこそ、臓器移植ということがそもそも可能なんです。身体から分離された時点で機能停止するなら、臓器移植はまったく不可能ですよね?
脳死体に体温があるとか爪が伸びる、汗をかくというのは、これと同じことなんです。
383 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 12:02:09 0
臓器を提供する遺族は、謝礼をもらえるのですか。もし頂けるとして
臓器によって違うだろうが、たとえば心臓の相場はどのくらいですか。
露骨な質問で申し訳ないが、これらについてメディアはボカしているようにみえるので。
もらえません。
385 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 13:00:30 0
献血でさえ売血は違法だね。
長期脳死って単なる診断ミスなんじゃないの?
すぐに器質的に崩壊して心停止にいたるだろ、何ヵ月も生体活動維持なんてできないよ
小児脳死の場合まれにあるらしいけど、小児は判断難しいからミスってるだけじゃないの?
脳死は普通に死だけど、診断方法については議論すべきだわな
あと、A案はすみやかに通すべき
387 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 14:56:17 0
>383
臓器売買って言葉を知りませんか?
日本からも、出かけて行って非合法の臓器を買って移植を受けている人がいる事実と
その問題点を知っておいて下さい。
>386
同意します。
ただ、脳死の診断法については、現在の技術ではこれ以上の厳密化は難しいと思います。
正確な情報ではありませんが、日本では、少なくても法的脳死判定が開始されてから以降は、
脳死と判定された後に長期間心臓死がこなかった例は、ない、はずです。
国によって脳死判定の基準が違いますが、日本は最も厳密な基準の1つです。
脳死と植物状態の混同されている方をよくみかけます。
小児は、難しいです。
一時は成人の脳死判定基準に当てはまる状態になっても、回復してくることがあります。
通常は障害を残しての回復ですが。だから、A案はいいけれど、6歳未満の小児の脳死判定
基準を作ってくれないと、賛成できません。作れるのかも疑問がありますが。
388 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 15:00:29 0
何をもって「人の死」と決めるか、ですよね?
科学だけでは割り切れない概念ですから。
「死」を考えるに、どのような状態が「生」であるかを
考えて、「生」が失われた状態が「死」である、という
考え方があると思います。
自己にとっての死は、自分が一番大きく感じているものの消失なんじゃないかとさっきぽっと思った。
例えばマラソン選手かなんかは、自分の脚とかを大きく感じるんだろうと思うし、一般人は多分思考なんじゃないかと思う。いの一番に思考があって、そこからものを見て考えるんだから。
他者にとっての他人の死はその人のイメージ、その要因の死なんじゃとか書いたらスレチだったスマン
390 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 16:55:22 0
>389
自己や他人とは関係なく、「人としての存在」の「死」とは?「生」とは?
という問いだったんですけど・・・。
「一般人は多分思考なんじゃないかと思う」ということは、完全に、しかも
不可逆的に思考できなくなった状態は「人の死」であり、少しでも思考できて
いる状態は「生」となりますか。
すると、「思考」とは何か、となってきますよね。
なんでもいいけど、脳が思考することに異議を唱える人はいないんじゃないかと。
とすると、「脳死」は「人の死」だ。
という3段論法はダメですか?
>>390 うん、俺の書いたのはなんというか客観性が皆無だったから気にしないでくれ。
自分が脳死したら死んだと認めるよ。
ただ、他人に対して強制はできないな。
Aは脳死してAの中のAは死んだが、保護者Bの中では相変わらず生きているのと同じ扱いなので、B脳死は人の死と認めませんとかそういうことを言ってるのよ俺は。なんの解決にもなっちゃいない。
392 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 01:35:26 0
>>383 なぜWHOや国際移植学会が海外渡航移植を控えるように声明を出していたか、
というとそれは貧困者を臓器売買から守るため、というのも理由の一つ。
メディアがぼかしている、のではなく、日本で行われる移植医療において
臓器提供者の家族に謝礼が渡されることはない。
米国でもそんなことは行われていない。
考える必要が無い問題なのではないか
なぜ今この問題を考えさせられるかといったら臓器提供のため以外の何物でもないのだから
クローン技術が発達して臓器を取れるようになったら
脳死患者から臓器奪う必要がなくなるから
また考え直さなきゃいけなくなる
>>393 馬鹿か?
たらればじゃない。
今、この瞬間に於いてどうなのか?といううことだ。
今話題のA案は、良くないと思う。
が、「脳死」という概念を定着させるべきかどうか、→「脳死」を「ヒトの死」として認知できるかどうか、は吟味されていい。
これは、法制度の問題だけでなく、人々、いや、一人一人の死生観と密接に繋がっているのだから・・・。
395 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 01:48:45 0
>>376 「会長のじいさんの意地につき合うのはうんざりだって言ってるよ。
なにがなんでも西洋医学のゴリゴリ機械論で人を直すのがおかしいって。
先天異常の場合は、適当にだましだまし、不快を快に変えていく術を
医者は教えていくべきなんじゃないかな?」
不快を快に?
あらゆる手段を講じた後に、それでも苦しんでいる人たちに対して?
麻酔かけて寝かせてしまえとでも?
まぁ、患者の立場になって、本当に死の恐怖、苦しみと直面したときに、
「諦めずにゴリゴリ治そうとする医者」に頼るか
「それはおかしいと言う医者」に頼るかは人それぞれだと思うし、
どちらのタイプの医者がいてもいいとは思う。
命に対する執着心の強さは、ケース・バイ・ケースだし。
>>394 今この瞬間だけの意見なんて
「死生観」じゃないだろ?
397 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 20:35:26 0
398 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 02:18:30 0
末期癌の患者と同じですよ。お見舞いとか行ったことありますか?
脳死も、次第に腐臭がしてきます。脳が死んで腐っていく臭いが
脳梗塞で亡くなった高齢の身内がいる人なら分かるかも知れませんが
「ヘタに後遺症を残して生き延びるより、死んでくれてよかったんだよ」
と言われますよ
2chでは子供の臓器移植のために渡米し、寄付を募る人を非難している
ようですが、そうせざるを得ないのが現状です。臓器がほしい人がいて、
あげたい人がいるなら、そうすればいいだけの話です
第三者が死生観からこれを妨害して、当事者に無駄なカネを使わせ、
助かるはずの命を捨てさせてきたのがこれまでの長年にわたる「議論」です
399 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 06:31:37 0
>>395 だって苦しむ場合は麻酔使ってるじゃん?
治療法が確立してない病気については苦しみを押さえる。
対症療法なんて常識だよ。
麻酔だけじゃなくて気の持ち様を変えさせる本格的なプログラムをしいた方が、
治療の効果はあがるんだよ
「脳死状態から意識が復活する可能性」が少しでもあるなら
問題だろうが、そうでないのなら、A案でいけない理由がさっぱりわからない。
これは「死生観」とかいって深刻に議論するような問題だとは
思えないのだが。
頭痛に脳死
402 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 19:13:45 0
>>400 ぶっちゃけ、犯罪の温床になる危険がたかすぎるんよ。
403 :
あ:2009/07/07(火) 19:23:19 O
脳死は死かなんて人によって違うし、明日になれば考えも変わるかもしれない。国が国民一人ひとりに選択させればいいのではないか?
個人の意志を尊重すれば、おのずと答えはでるのではないか?
なぜそれを一律に決めなければならないんだ?
死んでなくても、個人の意志で臓器移植したければすればよい。
ある意味、この問題は人権侵害になるんじゃないか?
と思う。
ドナーカード?だっけ。
あれ持ってる人だけ、移植しない意思表示カードにしとけばいいんだよ。
めんどくさがりやはみんなばらせるから、ドナーに不自由しなくなる。
現状と逆じゃねえかw
406 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 22:08:22 0
植物人間と脳死って何が違うの?
407 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 02:51:43 0
今国民的に話題になっている脳死こそ哲学の領域の話であって
哲学板なら専門的な話で盛り上がってるのかと思いきや全然ですなw
408 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 03:23:16 0
>>406 植物人間は脳は生きてる。脳反応がある、しかし意識がない。
それに植物人間はちゃんと成長する。子供だったら大人の体になっていく。
脳死の方は脳反応はないし、体は成長しない。
409 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 03:35:48 0
>>403 国民の判断という名の下に国が責任を放棄する一端に安易に手を貸すんだな。
裁判員制度で既に国はその力の及ぶ範囲を放棄したばかりだ。
私たちは選択肢を与えられているようで狭められている。
自由を得ているように見えて自由を束縛され失っていく。
国民の判断という一見民主的に見える罠に気付かなければいけない
ここはどこだ?哲学板だろ。
もっとしっかりしてくれ。
410 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 03:47:04 0
脳死は哲学的に判断して人の死だ。
だってパスカルは人間は考える葦である。と言ってるけども
人間が考えられない状態になったのなら、それはまさにただの葦。
まさに植物人間。
それは生物学的にまだ生きているというだけであって、哲学板的には
人間が生存しているとは判断できない。
臓器移植がやりたいだけだ!
しかも材料費は只!
412 :
あ:2009/07/12(日) 22:31:58 0
>>409 答えのない問題特に、この場合国民一人ひとりの考え方が異なる、倫理的な問題であると思う。そのような、問題を国の責任で決めていいのか?
時代の流れ、多数決、そのようなもので決めるべきではないと思う。
個人が決めればよい。
脳死は人の死かという問いの是非は国の判断で決めるべきだと思うのか?
413 :
考える名無しさん:2009/07/13(月) 01:23:22 0
脳は自分の為に使う器官だ。
脳が死んでも、心肺、栄養を与えれば植物状態となっても行き続ける。つまり、脳死であっても、
他の器官が生きていれば生き続けるのだと。
脳死が人の死でなく行き続けるのだが、一方、脳が死んでしまうと自由な活動が行えなくなる。
脳死は取り返しの付かない器官だ。脳死であっても延命処置をすれば生き続けるのだが、自分に
栄養を持ってくる為に働く機能がストップしてしまう、自分の為になる栄養などを持って来れないと、
欠乏はが死へ繋がるのだ。それで、脳が死ぬと全部死ぬというのだ。
他にも、記憶、財産を得る、自己アピール、創作活動などができなくなる。自分の為になること、
自分を守ることさえも無いのだ。
要するに、私と逆転の発想が無いものは死んでいると看做されるのだ。
子孫を残していない人は、肉体的な(全器官)停止をもって死だと思う。
A案可決だってさ
416 :
考える名無しさん:2009/07/13(月) 13:49:38 0
脳死は「死」じゃない!実際に脳死になった人からの意見聞けた?
聞けるわけ無い!んじゃ死かどうかわからんだろ!?
現在の医学なんて風邪すらまともに治せないのに「死」の判断を
バカな政治家になんか任せるなよ!!
わるかったね…感情が入ったよ。
418 :
考える名無しさん:2009/07/13(月) 14:02:08 O
この法案を巡る一連の報道を見ていると、サイレントマジョリティーの存在を感じる
419 :
考える名無しさん:2009/07/13(月) 14:09:46 0
単純に日本医師会から金もらってるだけだろ!!!
いいかげんにしろよ!!!
420 :
考える名無しさん:2009/07/13(月) 14:29:15 0
>>416 移植したらいいお。組織片になっても、誰かの中で行き続けるお。命が続くだけなら大丈夫だお。
でも、自分でなくては意味が無いお。知能があるだけで人だって認めるのはそのせいだお。
脳は死の方向性を持ってないんだお。
この先何年延ばしたからといって「国民的議論」とやらが
深まるとは思えないが、しかしこれだけ重大な法案を
選挙のどさくさに可決してしまうのもどうかという気がする。
裁判員制度といい、本当にちゃんと内容や得失を比較検討した
上で投票されているのだろうか。
「脳死」は不可逆的な脳機能の停止を意味するので、植物状態とは全く違う。
でも実際に目の前で血が流れて呼吸をし心臓が動いてる人の息の根を止めることは
普通はできないんじゃないかな?
ましてや愛する肉親だったらなおさら。
やはり文字通りの「冷たい体」を確認して初めて人というのは「死」を受け入れる
ことができるのではないだろうか。
死体解剖見学の際、あまりにも死体が死体らしかった事から3兆候説は理にかなってる
としみじみ思いました。
423 :
考える名無しさん:2009/07/13(月) 23:13:53 0
脳死の私見だが
脳死:「ヒト」の死
心臓死:生物の死
「ヒト」が知的生命である以上は知性が無くなったらヒトの死だと思う
そして回復の見込みが無いのなら、臓器を有効活用するのは冷酷だが正しい
それで助かる者が出てその後生産活動が行われるのなら、国家運営上の規則としては善である
非常に機械的で冷たいが、医学が発達して血液や細胞から本物の本人の臓器が作れる様になるまでは仕方ない
逆に作れる様になったら、心臓死基準に戻る気がする
例えば臓器移植が必要な患者が二人、健康体が一人いた場合
健康体を殺して患者二人を救えば労働力マイナス2になるところがマイナス1で済むんだから
国家運営上の規則として善だよな
国家運営上の規則としては善だな。道徳は別問題
426 :
プブリカヌス:2009/07/14(火) 00:00:36 0
臓器の徴収所を作り、臓器徴収所の所有物にして彼の物なので誰に分け与えても良い。
みんなで臓器を共有しようというのなら、何らかの状態の人なら臓器を譲って文句を言わないで
行こうという話は許されない。臓器が出たら、一回一回、話し合って使うべきでないとか有用である
とか緊急の患者がいるとか、分け与えるのか、捨てるのか任命するので臓器を使用できるのだ。
みんなで臓器を共有しようって魂胆なのか、臓器があったら人から摘出してでも一人の人間のもの
にしようという魂胆なのか。何故なら、みんなの意見を聞いておきながら、臓器を持つ只一人の人に
与えようという話ぶりだからだ。
さも、可哀想な登場人物を登場させたなら、私達には他の人に与えようとか、使っては駄目だなんて
言えないのです。それでしたら、話し合うべきでないし、臓器収容所を作り、一律に臓器を徴収して配る
ことでしょう。
私たちは現在、差し迫って立ち向かう難病があるのです。どの病気の分野に臓器をどれぐらい分け与
えるべきだと話し合うのです。みなが臓器を提供すべきであるというので、みんなの同意があるから、
臓器を分けてもらえるのです。
臓器の移植の話で美談を作っては駄目だ。緊急事態に早急な対応がなされるとしてもだ。私たちが
美談に目がくらみ、偶像を作り出そうものなら、私たちの討議は与えるべき一人の人の為になされる
のであります。つまり、そうなると私たちの意見を求めても無駄だし、話を聞く意味が無いのです。
ですので、もし譲るとなると、今、不足して壊れ易くて直せない臓器を議題に掛けて、私たちが与えて
良いというので、幾つ用意しようという態度にすべきなのであります。私たちの意見を求めるからには
早急な対応がなされないとしても堅持すべきなのです。
んも…。
国家運営上の善なんてイカれたこと言い出したら強制労働すらokになる
429 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 01:31:20 0
俺はいわゆる「ひきこもり」も
両親(生命維持装置)がなければ、そのまま餓死し、
単独では外部に何らの影響も与える事ができないことから、
ひきこもりは脳死と同じ状態である。
と結論付けてみたいのだが。
みなさんいかがだろうか?
>>429 人間には誰にも不可能またはその人にとって不可能と自己規定されている事柄がある
お前にも自分には絶対にできない事柄があるだろう。
それは普遍的なものではなく、常に個人的なものだ。
引きこもりはそういった事柄の1つのケースであって別に否定することでも何でもない。
431 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 01:45:32 0
>>412 個人の判断などヘゲモニーとパラダイムに既に支配されてる
二つの選択肢のどちらを選ぶかなど、どちらを選んでもそれはイデオロギー的
な強制であって、それは倫理とはもっともかけ離れた行動だ。
価値判断を個に委ねるというポストモダンや相対主義の問題点が指摘され
批判されている昨今にあって、日本政府やメディアはまったく考えもせずに
個人の判断というお粗末な方向にお手軽にシフトしているのが現状だ。
432 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 02:43:11 0
脳死は明らかに人の死なんだけどね
単純に考えれば分かる
首を斬られても体はしばらく動いたりするよね。それと同じ
首のない体を延命させるなんて、意味ないよ
433 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 03:02:23 0
体のない首を延命させることは意味があるんですか。
そもそも意味論を言いだしたら万物全てに意味なんて無い
無常と時間が全てを無かった事にする
435 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 09:06:39 0
>>423 「知性」が欠如した/未発達な/を喪失した、個人の生殺与奪権は誰にあるのか?
仮令家族であれ「他人」が、一個人の「死」を判断する事は許されるのか?
ヒトは、身体器官の欠損部位によって順列を付けられるべきか?
脳の疾患と心臓の疾患の間に、優劣はあるのか?
>>429 では、レシピエントは「その後」の人生を如何に「生きる」べきか?
「引き籠り?コンビニの前で屯ってる?心臓返してくれよ!」は、アリか?
本人が望まない移植を受けた場合(子供の場合等)、レシピエントはその事実をどう受け入れるのか?
先日の冤罪事件DNA鑑定の様に、後日脳死の判定に誤りがあった事が判明したら?
ヒトは、私の死、私の家族、知人の死を如何に受容すべきか?
死は、国家が多数決で規定すべき問題なのか?
簡単に判断出来ない問題が沢山あるのに、全部ほったらかされたな。
436 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 10:14:52 0
>>432 俺も延命させる必要はないと思うが、だからといって、
脳がやられたらすぐ腹を切って内臓を取り出してもかまわないというのは別問題ではないか
それにそういうことを言い出すなら、末期の病気の人の延命は意味があるか、
更には、もう未来がないと考えた人の自殺を許すかなどの問題もある
こういったことには、いっさい手を触れようとしないのにこの法案だけあっさり通すってことは
移植される側からの強い要望があったのだろうなと思う
放射状に加速しながら拡大するわれわれの意識から紡がれる倫理が意識を捕捉できていないのはわれわれの責任ではないだろう。
歪なかたちをした倫理の外殻を局所的に観察すると未来にくい込んでいる箇所もある。
しかし、われわれが、倫理全体のかたちを補正する役割をする分子を担わされていると仮定すれば、こうした言霊の流通も宇宙において価値がないわけではないだろう。
そうした観点に立ってこの問題に触れると、私は感情を優先する分子であるのだ。
なにかいたたまれない感情が浮遊する空間に悲しみを感じるのです。
私はとぼとぼと、そちら側に歩いていった。
改
放射状に加速しながら拡大するわれわれの意識から紡がれる倫理が、先行する意識の産物である以上、それを捕捉できていないのはわれわれの責任ではないだろう。
歪なかたちをした倫理の外殻を局所的に観察すると、未来にくい込んでいる箇所もある。
しかし、われわれが、その歪な倫理全体のかたちを補正する分子の役割をも担わされているのであれば、こうした言霊の流通も宇宙において価値がないわけではないだろう。
そうした観点に立ってこの問題に触れると、私は感情を優先する分子であるのだ。
なにかいたたまれない感情が浮遊する空間に悲しみを感じるのです。
私は血走った目で対外的にとぼとぼと、そちら側に歩いていった。
本稿
放射状に加速しながら拡大するわれわれの意識から紡がれる倫理が、先行する意識の産物である以上、それを捕捉できていないのはわれわれの責任ではないだろう。
歪なかたちをした倫理の外殻を局所的に観察すると、未来にくい込んでいる箇所もある。
しかし、われわれが、その歪な倫理全体のかたちを補正する分子の役割をも担わされているのであれば、こうした言霊の流通も宇宙において価値がないわけではないだろう。
そうした観点に立ってこの問題に触れると、私は感情を優先する分子であるのだ。
なにかいたたまれない感情が浮遊する空間に悲しみを感じるのです。
私は宇宙に血走された松果体で対外的にとぼとぼと、そちら側に歩いていった。
ひとつよくわからないことがあるので教えてもらいたいのですが、
「脳死状態なのに心臓が動いていて体温もある」子供のケースが、
最近よくテレビに出ています。
あれが本当の脳死なのかどうかという議論もあるようですが、
子供に限らず、仮に本当に脳死状態で心臓が動いているケースで、
(臓器移植とはとりあえず関係なく)
もし家族が生命維持装置をはずしたら、今までは殺人罪になった、
という理解でよいのですか?
今回の法改正で、それは殺人罪ではなくなった、と。
末期医療の現場で、家族の要請で医者が生命維持装置を外して
後で問題になるケースは多いと思いますが、脳死の場合にはいったいどういう
法的処置が取られていたのか、よくわからないもので。
末期医療で合法的に生命維持装置をはずしてよい要件のひとつとして
「緩和が不可能な苦痛がある」というのがあったと思いますが、脳死の場合は
意識がないわけですから、当然この要件には当てはまらないと思います。
その辺、もう医者と家族の話し合いで決められているんじゃないか?
実際問題、殺人にあたるとしても、医療費も払っていけない家庭も
あるだろうし。
442 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 12:19:24 0
>>432 脳死が人の死であることは確かにそうなのでしょうが、状況設定などして、緊急であるからとか
抜き差しならぬ状況であるからとか誰かが権利を持っているからとか、ただ一人の人の為に議論
を勧める奴は臓器帝国を作ろうとする輩だ。はっきりと、断れない状況を交えて俺達の口封じをし
たがる。俺達の口封じのそぶりを見せただけで、人々に意見を求める方法の敵対者として会議場
から追放すべきだ。
そうでないと、可哀想な人の為に何だかんだ理由をつけて、議論でこじ開けて誰の臓器でも
生かさぬように殺さぬように持って行っちゃうだろ。臓器摘出法を作り出して、強制的に権力で
臓器を出させるのははっきりしている。それをしないのは、次に臓器が取れなくなるのでやらない
だけだ。そこまでやる奴らなんだ。
だから、みなに対してだね、お涙頂戴とか、脅し、そういった口封じは口の達者な奴の暴論だ。
みんなで話をさせながら、みんなから議論する機会を奪い取り、臓器をみんなから差し出させるよ
うに仕向ける奴の遣り口なのだ。そんな鼻持ちなら無い奴は裏切り者として話を聞かないだけじゃ
なくて、唾を吐きかけろ、追い出せ。一回一回、俺達が任命するので分け与えてあげるということを
思い知らせろ。
いまのような成熟した医療テクノロジーをもつ、まかりなりとも民主主義国家であるならば、大衆からこれ以上、極力「死」から目を背けさせる体制はバランスに欠けると思う。
たとえば、成年になった時点で、臓器ドナー登録の義務化、子どもは親権保持者に委ねるとかできないのでしょうか?
末期医療全般の倫理とか、延命テクノロジーの進化を是とする倫理とか、権力機構の利得(さきほどの臓器帝国とか)などが複雑にからみあっていて難しい問題だと改めて思いました。
444 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 13:33:48 0
>>440 刑法に抵触します。「殺人罪」という表現だったかは、ちょっと思い出せません。
所詮「誰も告発しない」ってのが現状です。
>>441 経済的、精神的、肉体的にケアの続行が困難であるならば、社会的なサポートが必要なのでは?
御存知な方がいらっしゃったら教えていただきたいのですが、
「脳死」或いは「植物状態」の方に、障害者手帳(に類するもの)は配給されているのでしょうか?
445 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 16:37:04 0
446 :
考える名無しさん:2009/07/14(火) 20:41:52 0
感覚ではなく規則によって死を定義しようとするのが脳死
生きたままの状態で愛する人の内臓を引き抜かれることを思い浮かべればこの法律は・・・
447 :
プブリカヌス:2009/07/17(金) 19:17:57 0
私たちがしっかり主導権を握っていると思い知らせる世の中を作りなさい。
これに反対するものの論法は一つの極限状態、抜き差しならない状態を提示しておいて、
行政官が権利を持っている。私たち市民には逆らう術が全く無いという所から話を始めます。
私たち、みんなの持ち物は一人一人の皆さんのものであります。人の死とは異なる次元で
また、臓器使用を断らせている現状を見てください。
私たちは、困った一人の人の為に臓器を差し出す世の中を作ろうとしていたのではありません。
私たちの意見でないのにこういった皆様と一緒に活動が可能なのは、ごく一部の人が皆を巻き込んで
単純な用事に協力させているからです。ごく一部の人は同情を引いて、反論しようものならヒンシュク
を買ったり、私たちが無力であるとします。そうしますと、まんまと話し合いから締め出して単純な用事
に従うのはやむを得ないとして隷属を強いるのであります。つまり、私たちの命を守る防衛ラインに
簡単に穴を開けてしまうような人たちなのです。
何せ、同情を引いたり、止むを得ない状況を上手に提出させてしまえば、一つの事に安全が約束され
るのですが、みんなの方が負担や危険が配置されてしまう論法なのです。口を封じる話題は論外であ
って皆さんの為だという主要課題ではなく、別の事柄で解消する瑣末な話題なのです。これでは、本末
転倒をしている。
例えば、難病治療の解決の為に、差し当たり重大な危機にならなければ、みなさんが少しづつ負担を
強いるのは当然であって、体を差し出しなさいという論法になってしまいます。言い換えると、人体を使っ
たコミュニケーションの齟齬や一つの新しい体制を作る為に、脳髄や脳幹を利用させなさいという話が起
ってしまいます。
同情を取り付けたり、みなさんの口封じをしたなら、単純な用事の為に人体実験を行って良い。その
為には、みなさんに少しづつ犠牲を強いて人体実験に体を差し出させるのは止むを得ないと言う話を簡
単に行えるようになってしまうでしょう。
448 :
プブリカヌス:2009/07/17(金) 19:31:00 0
私たちの主導権を大事にしてください。
私たちが目指すのは長寿化、平和、安全、快適な市民生活です。
私たちが実現するのは平和な世の中だからです。
私たちの主導権を大事にしてください。みんなの口封じを添えた単純な用事の言うことを聞いては駄目だ。
現在、マクロな次元で人体の接合が進んでいます。知的障害者や身体欠損者を救う為に物のレベルで同一
化が進んでいます。これは私たちの平和な、長生きすることに含まれるかもしれませんが、一人の問題ある
人が人々の平和を乱すものであってはならないということです。
一人の患者を救う為にどうして人々の体を使ってはならないのか、説得してはならないのか。何故なら、
一人の人の用事の為にみなさんを従わせる世の中を作り上げるからです。一人の人の用事の為に、その
単純な支配力が次々に入れ替わったとしても、単純な用事の為なら皆さんに私たちの主導権を放棄させる
のです。私たちはそういった論調は断固として断ることにしているはずでした。
平和な世の中を作り上げる恩恵に一人の障害者や難病者が預かるにしても、障害者の都合に私たちの生
活に負担を強いることは続けさせられない。稀に、難病者を一人救うことがあっても、一人の人の都合で世の
中を作ると、みんなの生活が変になって行きます。
そうしますと、私たちが許してあげるので、一人の人間が助かったという体制を守れます。難病を盾に変に
興奮して強奪したり、権力で召し上げる行為は厳しく止めさせる様にしましょう。
脳死は人の死ではないと思うが
その線引きは曖昧なために国が基準となる線を引いた
脳死になったから臓器を提供しろ と言うわけではないから
そこら辺はまだ個人の曖昧な線引きに頼らないといけませんよ
450 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 01:40:22 0
アメリカあたりだと、
現在、臓器不全で移植を待っている人が数多くおり、
○△さん1人で20名の患者が助かります。
とか言われちゃうんだろうな。
日本の病院でも、そのうちに・・・
子供の頃に、死んだら心臓が動かなくなると親に言われてたので、
脳死には違和感があるけど、子供の頃から脳死は人の死と教われば、
そのうち常識になって違和感なくなる時代も来るだろう。
子供の頃から繰り返し言われていれば、それが当たり前になる。
そういう感覚になれるまで何十年かはかかるだろうね。
公明党がA案と修正A案で割れてたのには驚いた
死生観が無い宗教って何なの?
453 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 05:48:49 0
>>452 公明党の肩を持つわけではないが、仏教者の間でも意見が分かれているのだから、
別に批判することではないぞ。
大昔のブッダや宗祖は脳死判定について一切語っていないのだから、
現在の仏教者で意見が分かれるのは当たり前だ。
仏教的には、慈悲の心から臓器移植に賛成する者が全体的には多い傾向だが
中観派や法相宗の唯識派などの理論と絡めて、どう脳死を解釈するか仏教学者でも
異なってくるのである。
454 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 08:43:37 0
脳死判定基準がもっと一般に理解されるよう
政府には説明する責任があるだろ。
脳死と植物人間を一緒にしてるようじゃ、まだまだ
だね。
>>450 だけど○×さんは死にますねって付け加えるべきだよな
456 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 20:58:02 0
「心臓が止まる」というのは、素人でも分かります。
しかし、脳死は分かりません。
457 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 21:18:27 0
死はもともと分からないものなので
脳死は人の死と決めてくれた方が自分のためにはよい。
もし私が脳死して私の体が人の役に立つなら使えるところは使えるだけ好きに使って欲しい。
脳死は人の死と決定することはなんの問題もない。
458 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 21:24:43 0
私は死ぬなら自殺と決めているので
うまく脳死する自殺法を研究している。
459 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 21:29:31 0
千の風になって生きているという歌もある
もともと死は分からないものなのだ。
であれば適当に正常な医師が社会的責任を持って
「お前の脳は死んだよ」
と宣言するという社会基準に従うことに私は何の異議も恐怖もない。
そのあとは自由に使ってもらって
今困っているひとの役に立てるなんて
身に余る光栄だ。
460 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 22:05:21 0
脳死の議論か。
偉そうな事いうのは結構だが、役にたちたいとかいってるやつ、
まさか臓器移植カード携帯してないなんてことないよなー。まさかな。いやスマン、ハハハ
461 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 22:18:34 0
>>460 知らんのか。
今は保険証に臓器提供意志を問う
書き込み記入欄があるのだよ。
どこからが死なのかと個人のバラバラな意見を認めてしまうと、
医者が殺人罪で訴えられてしまうからね。
日本の新宗教で、ミイラになってもまだ生きてると信じて死体と一緒に生活して
有罪になってる信者がいる。そういう信者の意見まで認めたら、
医者も病院もたまらん。
463 :
考える名無しさん:2009/08/02(日) 03:47:53 0
>>456 心臓がとまるのは素人でも分かるけど、その人が死んだかどうかは医者しか判断できない。
脳が死んだのは素人には分からないが、その人が死んだかどうかは医者が判断する。
いまと何が変わるのか?
心停止しても全員が死んでるわけじゃないからね。
停止して数分間は生きてる場合があるから、心臓マッサージや電機ショックで
心臓を蘇生させれば、死なない可能性も残ってる。
脈が無いからもう死んだとは考えずに、心肺蘇生を試みるべき。
完全に心臓が静止して死んだのかは463の言うように医師の判断にまかせる。
465 :
考える名無しさん:2009/08/03(月) 23:24:48 0
信頼できる医師を友人にもつことしかないな。
466 :
考える名無しさん:2009/08/03(月) 23:37:34 O
やくま あずみなむるてぃ
467 :
吉野:2009/08/04(火) 07:44:48 0
脳死者に未来はない。
だが、未来を提供することはできる。
危機的状況者を救うことのほうが遥かに重要。
「脳死は人の死」
政府の正式な判断によって、これまで身勝手に罪悪感を抱き臓器の提供を拒んできた脳死者の遺族らが、その重い腰をあげるはず。
心臓は動いてるだの、反応したかに見えるだのは全く無価値の発想。あるいは偽善者による愚かな自己満足。
人間の未来を妨げる行為。
可哀想なのは、臓器移植を受けられずに死に逝く新世代たちである。
脳死は、老人のそれと似ている。
彼らは、迎えられたのである。
ただ、棺桶のサイズが彼らには少し大きすぎるだけだ。
感情的にならず、天秤で量って欲しい。我々人間は生命のリレーを続けるのが最低条件なのだ。
468 :
考える名無しさん:2009/08/06(木) 14:15:58 0
あなたは、決して歳を取らないと思っている大馬鹿者。
あなたは、「命のリレー」を間違って理解している。
「命のリレー」って言うのは、親子間で繋いで行くのが、真の意味。
知らない人間同士が「命のリレー」は出来ない。
移植医が行う「命のリレー」は命の切り取り、貼り付け。
命を、どうやって「天秤」で量る、お金をどちらが多く持っているかか?
469 :
考える名無しさん:2009/08/06(木) 14:56:34 0
人でないが、命がある = 植物状態
人でありながら、命が無くなる = 脳だけ生きていて、他の身体の生命活動が停止している
人間か、生命を区別しますか。
生命だけだと、脳が死んでいても良いという事柄ですね。
人でなくなったので、生命は生かし続けるという意見です。そうすると、臓器を転用するのだ。
人間だけだと、絶命して身体が死んでいるのに、脳だけであるという事柄ですね。
絶命したので、脳は人間の根源なので、人間らしく扱われるという意見です。
人間を命と切り離すと、絶命していようが、脳は人間らしく扱われる権利を持っている。脳死という
生命の問題を抜かしても脳は人間の権利を持っている。
生きているというだけで、人間の権利を剥奪して良いということですね。
生きる為なら、人間らしく扱われないでもいいんですか?
470 :
考える名無しさん:2009/08/08(土) 00:32:27 0
脳だけが人間じゃないよ。
顔だって、手だって、足だって、みんな人間の一部だよ。
身体のなかの内臓だって全て、祖先から受け継いできたものだよ。
だから、
>>468さんは正論だと思います。
ちなみに「植物状態」というのは、脳が回復する可能性があります。
471 :
考える名無しさん:2009/08/12(水) 00:13:54 O
('A`)
(| |)
| ●|
∪ ∪
472 :
考える名無しさん:2009/08/24(月) 06:03:44 0
知らない人間が「命のリレー」をして何が悪いのか?
他人の自由を制限しちゃいかんだろう。
(笑)
474 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:49:16 O
ではどうして脳死は人の死とされたんですか?
475 :
考える名無しさん:2009/09/08(火) 07:55:24 0
脳死患者に思考盗聴装置を取り付けると良いよ
生体機能代行装置で、本能とか言語活動部位とか動かすんだよ
脳が死んでてもEGGとかfMRIなどの電位注入で動き出すから
植物状態にしておけば、脳の機能代行で生き返るんじゃないの
とりあえずおまいらは、
小川 一水の短編集「フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)」に収録されている
「Live me Me」を読むべき。
彼女はどの時点で死と判定されるのが「正解」だったのか?
477 :
考える名無しさん:2009/09/11(金) 18:05:21 O
脳死の子と臓器移植待ちの子と、天秤で計りようがないよなあ。
移植するかしないかは結局、脳死の子のお母さんの判断するしかなくて、どちらが正しいとか間違えとか言えるレベルで無い。
そして「脳死者の臓器は移植される」べきだから「脳死を死と認められる」では決して無い。
「脳死を死と認められる」結果「脳死者の臓器は移植される」可能性が開くんです。
何故、「脳死を死と任意に受け入れることができる」ことに脳死者の家族が苦しむのか
「脳死者の臓器は移植されるべき」という文脈で脳死問題は語られるべきでは決して無いです。
金持ちが自由に臓器を買えるように法整備しただけなんだよね
もちろんおおっぴらに金のやりとりしたりはしないけど
479 :
考える名無しさん:2009/09/18(金) 02:25:45 0
それは結果の一面にすぎない。それが目的じゃないんだから。
社会の共通ルールを社会全体の利益が大きくなる方向にシフトしただけ。
しかも、この件ではデメリットがほとんどない。
恐らく、反対の9割以上は誤解に基づく感情論で、残りは政治的なものだった。
いいんだどうせこの命は宇宙からの借り物
困ってる誰かを助けられるならさっさと使って下さい。
家族にも迷惑かけたくないです。
481 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:43:22 O
脳死者家族優先移植法でした。
皆さん、ごめんなさい。私の仕業でありません。
1.脳死は人の死である。
2.正確な意味での脳死を移植に間に合うタイミングで証明する方法はまだ無い。
この2点をおさえとけば、他は枝葉ですよ。